︿翻訳﹀
韓国における新行政争訟制度]○年と
憲法裁判所制度七年の回顧
金道誕龍澤(訳)
1はじめに
1憲法裁判所と行政法
我が国は︑過ぐる一〇年間︑新しい行政争訟制度と憲法裁判制度を定着させることで︑次第に法治国家らしい容貌
を整えつつある︒その間︑特記すべきことは︑憲法裁判所の判例の蓄積を通じて短期間のうちに行政法体系のほとん
どすべての分野にわたって新たな憲法的次元からの照明が加えられるようになったという事実である︒これ億韓国的
行政法理論の土着化にも多くの寄与をしており︑このことを看過してはならないであろう︒
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2憲法裁判所と大法院
憲法裁判所は︑第六共和国憲法(一九八八年二月二五日施行)の制定に伴い︑一九八八年九月一日に憲法裁判所法
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が施行して以来︑第一期(一九八八年九月一五日〜一九九四年九月一四日)に続いて︑現在︑第二期二九九四年九月一
五日〜二〇〇〇年九月一四日)の裁判官の任期が進行中であり︑その庁舎は︑嘉會洞の一角の由緒深い場所に一九九三
年六月一日に竣工を見た︑こじんまりとして重厚な︑延べ建坪五︑八二九坪の建物であり︑我が国の憲法秩序の威厳
を内外に誇示している︒
一方︑大法院は︑一九九五年に司法一〇〇周年を迎え︑特に解放後一九五一年からは高等法院とともに行政事件も
統一的に管轄しながら︑過ぐる四五年間を行政権力を相手に民権擁護の多くの業績を積み重ねてきた︒そして一九九
四年一二月一日には瑞草洞に延べ建坪二〇︑一五〇坪の雄壮な庁舎を竣工して入居し︑ここに久しき西小門[徳寿宮
の裏手の地名]時代の幕を下ろしたのである︒
このように大法院と憲法裁判所は︑両者とも憲法の守護者として︑そして基本権の最後の墜塁としての使命を担っ
た二頭立ての馬車であることは間違いないが︑それらの地位と機能を巡って問題がなくはない︒ここでは︑ほんの二
点についてだけ指摘しておく︒
㈲大法院と憲法裁判所は互いに対立関係にあるのか︑それとも補完関係にあるのか︒もっとも︑そもそも第一
共和国憲法の制定以来︑我々の司法制度がどちら側であるのかといえば︑これまでは英米式のモデルにならったため
に大法院が違憲審査機能を専属的に有していたが︑現行の第六共和国憲法において憲法裁判所が創設され︑その機能
が憲法裁判所に移管されたという点において︑大法院の権限が縮小したことは事実であり︑それだけでなく大法院は
憲法解釈に関する限り︑憲法裁判所の決定に拘束されるようになったという意味から見るとき︑大法院と憲法裁判所
の関係は確実に対立関係にあることを否認することはできない︒しかし︑もっと巨視的な目で見るならば︑このよう
な対立関係という側面は︑微々たるものに過ぎないことを知ることができる︒関連する行政府や立法府からの激しい
隙間風をいつも一人で耐え忍ばなければならなかった過ぎし日の大法院の辛い歴史を反鋼して見るまでもなく︑今日
韓 国 にお け る新 行 政 争 訟制 度10年 と憲法 裁 判所 制 度7年 の 回 顧 147
の憲法裁判所が創設され︑そのような政治的な隙間風が憲法裁判所に移されたことによって︑大法院は一種の無風地
帯の中で一般法律事件にのみ専念することができるようになったわけである︒国民の立場から見ても︑最高司法機関
の二元化が国民の権益保護を弱化させるどころか︑むしろ画期的にそれを強化するようになったという事実を何人も
否認し得ないであろう︒
ただ︑一九八八年二月二五日に施行された第六共和国憲法案が審議されていた当時︑憲法裁判所制度を新設しなが
らも1憲法の他の条項も同様であったがー︑特に憲法裁判所の諸規定に関しては全く専門家の参与なしに︑与野
党各四人ずつで構成された︑いわゆる﹁八人政治会談﹂が作成した要綱を︑そのまま国会の憲法改正特別委員会案と
して採択して本会議を通過させた結果︑憲法裁判所についての諸規定に種々の不合理な点を残すことになった︒その
中でも︑憲法第一〇七条第一項と第二項は︑憲法裁判所と大法院の権限調整についての欠陥を残したのである︒すな
わち︑憲法は第五章﹁法院﹂とは別に第六章を新設して︑憲法裁判所が最高憲法審判機関であることを明白にすると
共に︑併せて第一〇七条第一項で﹁法律﹂の違憲の可否に対する具体的審査権を憲法裁判所に付与しながらも同条第
二項の﹁命令・規則﹂に対する大法院の﹁最終的﹂審査権に関する規定はそのままに存置したのである︒そこで︑学
界の一部では︑これを指して︑調整されないままに︑ドイツ式の規範統制方式と英米式の司法審査方式が共存するこ
ユ とになり︑﹁葛藤要因﹂として残されるようになったと見ている︒果たして︑憲法裁判所は法務士[従来の司法書士]
ハ 法施行規則についての憲法訴願審判の決定で︑﹁憲法第=一条第一項第一号で法律の違憲可否の審査権を憲法裁判
所に付与した以上︑統一的な憲法解釈と規範統制のために︑公権力による基本権の侵害を理由とする憲法訴願審判請
求事件において法律の下位規範である命令・規則の違憲可否の審査権が憲法裁判所の管轄に属することは当然のこと
であり︑憲法第一〇七条第二項の規定がこれを排除したものと見ることはできない﹂と判示している︒なおかつ︑憲
法裁判所は︑同決定で憲法第一〇七条第二項に対する有権解釈まで下して︑﹁憲法第一〇七条第二項が規定した命令.
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規則に対する大法院の最終審査権とは︑具体的な訴訟事件で命令・規則の違憲の可否が裁判の前提になった場合に︑
法律の場合とは異なって憲法裁判所に提請することなく大法院が最終的に審査することができるという意味﹂である
と明らかにしている︒一般的に︑このような憲法裁判所の憲法解釈は穏当なものとして支持されているようである︒
したがって︑憲法裁判所は憲法裁判所なりに補充性・現在性・直接性の原則を厳格に維持して︑大法院は大法院な
りに憲法裁判所の権能を尊重するとき︑国民が望む司法の位相が具現するのではなかろうかと考える︒その場合︑大
法院と憲法裁判所は︑互いに共存共栄・共助関係︑さらには補完関係という和音を醸し出すことができるであろう︒
㈲憲法裁判所の機能に関して︑憲法裁判所の発足後いくらも経たずに︑韓国政治の一角で憲法裁判所の権限の
縮小論議があったが︑これは集団利己主義の発露と見るほかないもので︑問題を客観的に見つめた世論や学界の猛烈
ヨ な批判を受けたことはもちろんである︒憲法裁判所は︑発足してからまだ一〇年も経っていないが︑一般国民の心の
中にその位相が確固に定着したと見なければならない︒願わくは︑憲法裁判所は︑憲法という名前に集約された我々
の社会の本質が何であり︑我々の共同体がどこに行かなければならないのかを︑巨視的な視野で洞察しながら︑一切
の非法律的ないし政治的判断の介入を排除しなければならないであろう︒
11行政争訟制度の運営
1行政審判法と行政訴訟法
韓国の行政争訟制度︑すなわち誤った行政権力の発動又は不発動により権利利益の侵害を被った国民がその誤った
行政処分又は不作為を争う制度は︑制憲憲法[第一共和国憲法]第八一条(第二共和国憲法第八一条︑第三共和国憲法第
一〇二条︑第四共和国憲法第一〇五条︑第五共和国憲法第一〇八条︑第六共和国憲法第一〇七条)に基づいて制度化され︑
韓 国 に おけ る新行 政 争 訟制 度10年 と憲法 裁判 所 制 度7年 の 回顧 149
今日までに三回の大きな変革があった︒
第一回は︑訴願法(一九五一年八月三日︑法律第二=号)と行政訴訟法二九五一年八月二四日︑法律第二=二号)の
制定であり︑韓国政府の樹立から二年後︑共産軍の奇襲による南侵で始まった六・二五戦乱﹁朝鮮戦争]の砲煙の真っ
最中に︑臨時避難の首都であった釜山においてあわてて制定されたもので︑この二つの法律ともわずか一四力条とい
うものであった︒しかも︑訴願法の施行のために必要であった訴願審議会規則が一九六四年九月一〇日になってやっ
と制定されるありさまであった︒また︑旧行政訴訟法も︑名称とは異なり︑訴願前置主義.職権審理主義.短期の出
訴期間・執行不停止原則・事情判決・覇東力など︑取消訴訟に関して︑民事訴訟法に対する若干の特例規定を置いた
に過ぎなかった︒
第二回は︑これらの旧法に取って代わる新しい立法が三五年ぶりに実現することになったが︑それが行政審判法二
九八四年一二月一五日︑法律第三七五五号︑一九八五年一〇月一日施行)と行政訴訟法改正法律(全文改正︑一九八四年一
二月一五日︑法律第三七五四号︑一九八五年一〇月一日施行)である︒前者は本則四三力条︑後者は本則四六力条であり︑
特に前者の行政審判法には施行令(一九八五年九月一四日︑大統領令第=七六九号)と施行規則二九八六年一二月三
〇日︑法務部令第二九三号)がある︒行政審判法が行政訴訟法に比べて行政審判の組織と手続を規定する自足法として
の独自的体系をある程度有したものであるので︑母法を施行するための補完規定を置いたのである︒
これら二つの行政争訟関係の法律は︑それらの旧法の場合と異なって︑その立法過程において周知を集めたもので
あった︒
すなわち︑民権の伸張度に追いつけないでいる行政救済制度の落後性を克服するために︑一九八三年から法務部が
中心となって行政争訟関係制度の改正作業に入った︒
この作業は︑法務部法務諮問委員会の中に設置された公法研究特別分科委員会が担当した︒この委員会は︑委員一