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現代韓国社会における〈伝統文化〉の研究の現状と 展望

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現代韓国社会における〈伝統文化〉の研究の現状と 展望

著者 朝倉 敏夫

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 17

号 4

ページ 809‑850

発行年 1993‑03‑31

URL http://doi.org/10.15021/00004235

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43* giltalEithAqz--03- (tA3ZI> oTiffogi,tkaM

現代韓 国社会 におけ る 〈伝統文化〉 の研究 の現状 と展望

朝 倉 敏 夫*

The Present Situation and Prospect of the Study of "Traditional Culture"

in Modern Korean Society

Toshio ASAKURA

Korean society has experienced various social changes since the 1960s, namely urbanization, industrialization, and the prevalence of Christianity. In that process, Korea has been reevaluating its traditional culture.

This study will clarify how the term "traditional culture" is used in present Korean society, and quoting from preceding studies it will show how the reevaluation of "traditional culture" manifests. The developing situation after the 1980s will be considered within the scope of the reevaluation of the traditional culture since the 1960s.

The culture of traditional Korean society had a dual structure of a Confucian culture and a folk culture, but even in the present society, in fact, these two cultures manifest at various levels and in various phases.

The Korean folk culture, persisting and yet changing its appearance, is adjusting to the present society. It manifests in combination with religion, especially Christianity.

As for the Confucian culture, there is a tendency of trying to make the munjung's position higher in local communities, as an ascending cur- rent for the Yangban. This tendency creates the phenomenon of

"

yangbanization of all the Korean nation" with the expansion of the mid- dle classes, the intellectuals and others. Further, the recognition that the public order is corrupted promotes the reevaluation of Confucian ethics as a moral standard.

Such a reperception of the traditional culture is also seen in the

国立民族学博物 館第4研 究部

Key Words : modern Korean society, cultural tradition, reevaluating, cultural policies, popular movement

キー ワー ド:現 代韓 国社 会,伝 統 文 化,再 評 価,文 化政 策,民 衆 運 動

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国立民族学博物館研究報告  17巻4号

traditional public entertainments. In the Festivals of Traditional Culture and the All Korea Folk Customs Exhibition, the cultural policy to research, preserve, and reenact the traditional culture was undertaken by the government, and culture has been reformed and extended as a uniting symbol of state. Moreover, as seen in mask plays and Kut, culture has been manipulated and extended as a symbol of the people.

These manipulations, started in the 1960s, have become promoted with louder voices since the 1980s. This development corresponds to the changes in social and cultural conditions in Korea, and at the same time it is promoted and fostered by various cultural policies and the mass-com- munication media.

The establishment of an independent identity based on the tradition of the national culture is an old and enduring subject in Korean history, and it is a goal that continues to be sought in the society of multiple values today.

 は じめ に 1.伝 統 文 化

 1,そ の概 念      「伝 統 文 化 」 と く伝 統     文 化>

 2.  「 伝 統 文 化 」 の時 代 性  3.  厂 伝 統 文 化 」 の 内容

II.現 代 社 会 に おけ る 〈伝 統 文 化 〉 の諸 相  1.  「 巫 堂 時 代 」

2,両 班 化

 3.伝 統 芸 能     文 化 政 策

 4.マ ダ ン劇(叫 喝 号)と ク ッ(テ)         民 衆 の 主 体 性

皿.  〈伝 統 文 化 〉 の喚 起 ・興 隆 一  :1年 代     以降 を 中心 に

  1.  イ ベ ン ト

 2.  「伝 統 文 化 の 自主 的 現 代 化方 案 」   3.公 休 日の 変 更

4,マ ス コ ミ    テ レビの役 割   お わ りに

は  じ  め  に

  韓 国社 会 は,20世 紀 を迎 え,日 本 の 植 民 地 時 代,そ れ か ら の解 放,朝 鮮 戦争 と南北 分 断,そ の後 の 「 漢 江 の奇 跡 」 とも呼 ば れ た 高度 経 済 成 長 とい った 激 動期 を経 験 して きた。 こ とに60年 代 以 降,都 市 化,産 業 化,あ る い は宗 教 状 況 の変 化 とい った社 会 変 動 が 見 られ る中 で,そ れ らが あ ま りに 急 速 に 行 われ た た め,価 値 観 の 混 乱 が 見 られ, 昨 今 「 韓 国病 」 とい う造 語 が 生 まれ るほ ど社会 病 理 的 現 象 さ え生 じて い る。

  こ うした現 実 社 会 に対 応 して,韓 国 社 会学 に お い て は,社 会 変 動 とそ の 及 ぼす 影 響

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朝倉  現代韓国社会におけ る 〈伝統文化〉の研究 の現状 と展望

とが 主 要 な テ ーマ の 一 つ と な っ て き た 旡 都 市 へ の人 口集 中,産 業構 造 お よび 就 業 構 造 の 変 化,新 た な 中産 層 の勃 興 と大 衆 社 会 化,キ リス ト教 の 教 勢 拡 大 な ど,韓 国 の現 代 社 会 を特 色 づ け る さま ざ ま な 問題 と,そ れ らが 及 ぼ す 価値 観 の変 化,国 民 意 識 の変 化 な どの 問 題 が 提 示 され る中 で,「 近 代 化 と伝 統 文 化 」 が論 じ られ て きた 。 また,文 化 人類 学 に お い て も,社 会 変 動 に よって 伝 統文 化 が どの よ うに変 化 して い るか を 明 ら か に す る一 方,近 代 化 とい う社 会 変 動 の 中 で も伝 統 的 な 人 間 関 係 や社 会 構 造,宗 教 信 仰 が い か に維 持 され,あ る い はそ れ が 近 代 化 の 内 容 や方 向 に い か に 大 きな影 響 を与x て い る か を 明 らか にす る個 別 の研 究 が見 られ る。

  そ うした研 究 の 中 で,伝 統 文 化 の再 認 識 そ れ 自体 を 現 代韓 国 社会 の一 つ の側 面 と し て指 摘 す る論 考 が あ る。伊藤 は 「 韓 国 近 代 化 と伝 統 の再 認 識 」 と題 す る論 文 に お い て, 韓 国 社 会 の 混 然 と した状 況 の 中 で,「 新 しい 生 活 原 理 と住 民 層 」,「伝 統 文 化 の危 機 と 再 認 識 」,厂両者 の統 合 へ の模 索 と展 望 」 の3点 が 見 られ る と して,そ の概 況 を紹 介 し

【 伊 藤   1984],ま た 現 代 韓 国 に お け る社 会 ・文 化 を概 説 す る中 で も,「 都 市 の 膨 張 」,

「セ マ ウル運 動 」,「 儒 教 倫 理 の行 方 」,「 キ リス ト教 徒 の急 増 」,「 新 興 宗 教 の 簇 生 」,「 国 際 化 と アイ デ ンテ ィテ ィ」 とい う項 目と と もY',「 民 俗 の復 興 と伝 統 と して の宗 教 」 とい う項 目を あ げ て い る 【 伊 藤   1985】 。 す な わ ち 伝 統文 化 の 見 直 し とい う動 きが韓 国 の現 代 社 会 の特 色 の一 つ と して あ る こ とを 指 摘 して い る。

  本稿 で は,こ の伊 藤 の指 摘 をふ ま えて,こ れ まで の 現 代韓 国 社会 に 関す る個 別 の文 化 人 類 学 的 研 究 を 中心 に,こ れ に最 近 の新 聞記 事 や 筆 者 の 体 験 を 加 え て2),現 代 社 会 に お い て 見 られ る 出来 事 の 中か ら伝 統 文 化 の 見 直 し とい う脈 絡 の 中 で捉 え られ る もの を 拾 い 出 して み る。 そ して これ らの作 業 を 通 して,逆 に そ こか ら伝 統 文 化 の見 直 しを 切 り口 と して現 代 韓 国社 会 の動 向を 展 望 しrか な り粗 削 りな ス ケ ッチ で は あ る が,現

1) 韓国社会 の社 会変動に関す る韓国人社会学老に よる著作は数多 い。その代表的 な ものをい   くつかあげる と次の ような ものがある。

    韓 国社会科学研究所編  1980『韓 国社会論』民音社。

    ス1暑 大学校社会学研究会編  1983『韓国社会 到伝統斗変化』汎文社。

    ス1暑大学校社会学研究所編  1985『韓国社会到変動叫発展』汎文社。

    刈暑 大学校社会科学研究所  1986『解放40年 価値意識到変化斜展望』刈暑大学校 出版部。

    韓 国社会科学研究協議会編  1986『韓国社会到変化舛問題 』法文社。

    高麗 大学 校開校80周年紀念 国際学術会議論文集 1986『現代社会舛伝 統倫 理』高麗大学校     民族文化研究所。

  なお,邦 訳 され たもの としては,

    韓 国社会学会編  1988r現 代韓 国社会学』小林孝行訳  新泉社   がある。

2)筆 者 は1979年7月 か ら1980年1月 まで語学研修のため初めて ソウルに滞在 し,1980年10月

  か ら1982年3月 まで韓国文教部留学生 として光州直轄市にあ る全南大学校大学院 に修学,そ

  の後1991年6月 か ら1992年3月 まで 日本学術振興会派遣研究者 と して ソウルに滞在 した。そ

  の間,毎 年一度短期 には訪韓 してい る。

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国立民族学博物館研究報告17巻4号 代 の 韓 国 社会 像 に迫 ってみ よ う と思 う。 そ の た め の手 順 と して以 下 の覚 え 書 きに お い て,韓 国 社会 で は伝 統 文 化 とい う用 語 が どの よ うに ご使 わ れ て い るか を 明 らか に し,次 に,現 代社 会 に お い て伝 統 文 化 の 見 直 しが どの よ うな形 で顕 在 して い るか を従 前 の研 究 を 引 用 しな が ら記 述 し,さ らに60年 代 に 始 ま る伝 統 文 化 の見 直 しの 動 きの 中 で,韓 国 社 会 の80年 代 以 降か らの現 在 的 状 況 を 位置 づ け てみ た い。

1.伝 統 文 化

1.そ の 概 念 「伝 統 文 化 」 と く伝 統 文 化 〉

伝 統 とか伝 統 的 とい う用 語 は,社 会 学 で は一 般 に 「あ る集 団(特 に 民 族)が 文 化 的 また は 精 神 的領 域 に お い て所 有 す る,あ るい は所 有 す る と信 じられ て い る優 れ た慣 習 の こ と」[清 水1958:636】 と規 定 して い るが,こ の用 語 が 社 会 や 文 化 の 研究 に広 く 使 わ れ,そ の意 味 す る とこ ろは さ ま ざ まで あ る と して,そ の概 念 に つ い て の議 論 が な され て きた 【cf.S肌s1975,19811。 しか し,こ こでは,そ う した 議 論 を す る余 裕 は な い の で,と りあ えず 韓 国社 会 に お い て 伝統 文 化 とい う用 語 を 使 う時,留 意 すべ きい

くつ か の 点 に つ い て のみ 言 及 して お くこ とにす る。

は じめ に,韓 国 の社 会 や 文 化 を論 じ る時 に,伝 統 文 化 とい う用 語 とほ ぼ 同義 的 に使 わ れ る別 の用 語 が多 くあ る。 これ らの用 語 に つ い て,図 式 的 に 一 応 の 整理 を して お く

こ とに し よ う(図1)。

まず 「基 層 文 化 」 とい う用 語 が あ る 。 例 え ぽ 「基 層 文 化 と い うの は,原 文 化 (Urkultur),古 文 化(Altkultur)さ ら に基 層 文 化(Unterschichtskultur),あ るい は 文 化 領 域(Culturearea)な どの諸 概 念 の検 証 に 先 だ って,む しろ これ らの概 念 を包 括 す る意味 で」 とこ とわ りつ つ,金 宅 圭 は基 層 文 化 を 「 ひ と まず こ こで は,韓 国 の基 盤 的文 化,ま た は伝 統 文 化,あ るい は よ く使 わ れ る 固有 文 化 とい う意 味 あ い を含 む 用 語 と して使 う」 と規 定 す る。 そ して韓 国 の基 層 文 化 は 「 三 国 形 成 以 前 の 時期 にす で に 土 着 化 した と考 え られ る文 化 は 基 層 文 化 と見 な し,少 な くと も三 世 紀 頃 に はす で に韓 民族 の 基層 文 化 は形 成 され て い た こ とを前 提 に して い る。 そ の 後 外 来文 化 を受 容 して 韓 文 化 化 しなが ら伝 統 文 化 と して韓 民族 の生 活 様 式 の基 盤 を 形 成 した もの 」 【 金 宅 圭 1985:449‑451】 と説 明 して い る。 これ を見 る と基 層 文 化 とい う用 語 が使 われ る時 は, 伝 統 文 化 と言 う よ りも長 い歴 史 的 スパ ンを も って,韓 国 文 化 の 歴 史 的形 成 の基 礎,あ

るい は核 とな った と見 な され る もの と考 え られ て い る。

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朝倉  現代韓国社会におけ る 〈伝統文 化〉の研究 の現状 と展望

図1  伝統文化 とい う用語の整理

  次 に 「民 俗文 化 」 とい う用 語 が あ る。 これ は,も と も との 基層 文 化 の流 れ を汲 み, 一 般 民 衆 層 に よ って受 け継 がれ て き た ,言 わぽ土着の文化を意味 し,そ の主体 が庶民 層 であ る と ころか ら 厂常 民 文 化 」,あ るい は そ の 内容 が シ ャー マ ニス テ ィ ッ クで あ る ところ か ら 「巫 俗文 化 」 と も呼 ばれ る。 これ に対 し,朝 鮮 時 代 に 入 る と,文 人 エ リー ト層 で あ る両班 た ち は,中 国 の大 伝 統 で あ る儒 教 を 国学,国 教 と して公 認 し,こ れ を 積 極 的 に普 及 させ,「 儒 教 文 化 」 な る もの を 成 立 させ た。 こ うした 儒 教 文 化 は,こ れ を 担 った の が 両 班 た ち で あ った と ころか ら 厂 両 班 文 化 」 と も呼 ば れ るが,時 代 の流 れ の 中 で 人 生 儀 礼 や 礼儀 作 法 の規 範 とい う形 で庶 民 に も浸 透 して い った。 そ して,こ の 二 つ の 文 化 は,融 合 して新 た に 特異 の伝 統 を作 り上 げ た と言 うよ りも,互 い に独 自性 を 保 ち な が ら朝 鮮 時 代 の長 きに わ た っ て共 存 して きた と言 え よ う 【 伊 藤   1986:1321。

  さて,19世 紀 末 に な り韓 国社 会 も西 欧 列 強 か ら の波 に 洗 わ れ,そ の後 さ らに三 十 数 年 間 日本 の 植 民 地 とな り,そ の文 化 政 策 に ごさ ら され た 。 そ して,そ れ か らの解 放,朝 鮮 戦 争 とい う動 乱 を 経 験 し,そ れ に続 く産 業 化 ・都 市 化 の進 展 を 迎 え る こ とに な る。

こ う した 歴 史 に も まれ,い わ ゆ る近 代 化 の 中 で,伝 統 社 会 に お け る文 化 で あ った儒 教 文 化 と民 俗 文 化 とい う二 つ の文 化 は,そ れ ぞれ に展 開 す る こ とに な る。

  儒 教 文 化 に つ い て は,近 代 化 の過 程 の 中 では,そ れ が ゆ え に 文化 的停 滞 を招 い た と

い う批 判 を受 け た3)0ま た一 方 で,こ とに 解 放 後 の米 軍 政 下 に 始 ま る ア メ リカ的 民 主

主 義 と 自由 主 義 の 影 響,あ るい は キ リス ト教 の影 響 に よ り,そ の 伝統 的 な 厂良俗 美 風」

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国立民族学博物館研 究報告    17巻4号 が 風 化 す る傾 向 が 見 られ,そ れ と同時 に,衣 食 住 とい った物 質 文 化 のみ な らず,精 神 文 化 に ま で西 欧化 が 波 及 し4),利 己主 義 や 「 物 質 為 主 主 義 」 に 陥 っ て は い け な い とい

う根 強 い反 発 が見 られ て くる。

  民 俗文 化 に つ い て は,近 代 化 の 障 害 に な る とい う認 識 か ら,都 布 は もち ろ ん の こ と, 農 村 で もセ マ ウル(ス 刊・ト゜z)運 動 の 展 開 に 伴 い,「 退 廃 風 潮 打破 」 「 迷 信 打 破 」 とい っ た 標語 の も とに伝 統 的 な儀 礼 や 行 事 が 廃 止 され るな ど,民 俗 文 化 か らの乖 離 が進 んだ 。

しか し,そ の一 方 で,学 界 や 文 化 行 政 に よ って,あ る い は民 衆 運 動 の 展 開 に よ って, 主 と して都 市 部 に お い て民 俗 ブ ー ム と も言 うべ き現 象 が起 こ り,こ れ が さ ま ざ まな形 を と って定 着 して きてい る。

  この ほ か伝 統 文 化 と同義 的 に,そ れ を担 う主 体 の 単 位 が 一 般 に 民族 で あ る こ とか ら,

「民族 文 化 」 とい う用 語 が使 わ れ る。現在 の韓 国 で は,単 一 民族 が 国家 を な してお り, また一 つ の民 族 が 南 と北 に 分 断 され て 国 家 を形 成 して お り,民 族 意 識 が 強 く持 たれ て い るため,伝 統 文 化 とい う用 語 よ りも,こ とさ ら に民 族 文 化 とい う用 語 が強 調 され る 傾 向 が あ る。例 え ば,ハ ングル(戔}量)を も って,民 族 固 有 の文 字 とす る立 場 が あ る。

中 国か らの輸 入 で あ り,ま た 植 民地 時代 に強 制 され た 日本 語 と共 通 す る漢 字 へ の反 発 と,北 に お い て ハ ングル の み が 使 わ れ て い る な ど の理 由か ら,民 族 固 有 の文 字 で あ る ハ ン グル を 民 族 文 化 の シ ンボ ル と して,漢 字 を 排 して ハ ン グル専 用 にす べ き とい う主 張 が強 力 に展 開 され て い る。 この よ うに民 族 文 化 とい う用 語 は,民 族 主 義 と も結 び つ き,民 族 の 「固 有 文 化 」 と い う意 味 を 強 く含 ん で使 わ れ た り,「植 民 文 化 」 あ るい は 時 代 を下 が っ ては 「 西 欧 文 化 」 を も含 め た 「 外 来 文 化 」 に 対 して使 わ れ た りす る傾 向 も見 られ る。

  また,「 民 衆 文 化 」 とい う用 語 が,主 に ご民 主 化 運 動 を推 進 す る人 々 に よ って 標 榜 さ れ てい る。 民 衆 文 化 とい う用 語 は民 俗 文 化 の 意 味 す る と ころ と内容 的 には ほ ぼ 同 じも の と考 え られ るが,主 に,後 述 す る マ ダ ン劇 や民 族 ク ッの担 い手 た ちに よ って使 われ, そ の 主 体 が 民 衆 で あ る こ とが よ り強 調 され て い る。 同 じ用 語 で あ っ て もそ れ を 使 う主 3)朝 鮮朝の亡国 の悲劇は,両 班の党派争 いや大衆蔑視 とい った ことに よって もた らされた と   い う説 もあ る。 なお,近 代化 と儒教文化V'ついては,さ まざまに議論 されてい る。 ことに朝   鮮近代経済史や東ア ジアNICs論 において,近 年 多 くの論考 が出されてい る。

4) 例えば成均館 大学校人文科学研究所 か ら,「少な くとも1900年代以来,特 に1945年解 放以

  来,西 洋の異質的文化が韓国の生活現実の各分野で深 く作用 している ことを否定す ることは

  で きない。その結果今 日韓 国の現実において我 々の固有の ものではない とい う理由で西洋の

  ものを排斥す ることはで きない。む しろ今は我 々の もの とい う概念の拡充が必要であ る」 と

  い う認識の下に,西 洋文化の流入について,そ の衝 撃 と受容 とい う側面 か ら,国 語,儒 教,

  教育,音 楽,演 劇,建 築 などの各分野 【 人文科学研究所  1985】,哲学,小 説,詩,絵 画,民

  俗,舞 踊,宗 教,衣,食 などの各分野 【 人文科学研究所  1987]に おけ る論議が編纂 されてい

  る。

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朝倉  現代韓 国社会 における 〈 伝統文化〉の研究の現状 と展望

体 に よ って意 味 が 異 な る こ と もあ り,意 味 が 同 じで あ っ て も使 う主 体 に よ って用 語 が 異 な る こ と もあ り,こ れ は 留 意 しな け れば な ら な い。

  これ は,単 に こ うした 用 語 の 問題 だ け で は な い。 そ もそ も 「 伝 統 」 そ れ 自体 が,主 体 に よ って異 な る意 味 を 持 た され る もの で あ る。 「 伝 統 とは,現 在 の 問 題 の解 決 に対 す る必 要 の ゆ え に 過 去 か ら選 び 出 され た慣 習 で あ り,現 在 の問 題 へ の 態 度 の如 何 に よ

って,そ れ は 因 襲(マ イ ナ ス の評 価 を受 け,除 去 を要 求 され る慣 習)に もな り うるの で あ る」 【 清 水   1958:636]。

  こ う した 問 題 に つ い て,韓 国 の 厂 巫 俗伝 統 」 を題 材 と して,そ れ が 異 な る時 代 的状 況 の 中で 研 究 者 た ち に よ って どの よ うに捉 え られ て きた か を,金 成 礼 が 「 巫 俗 伝 統 の 談 論 分 析 」 と して 提 示 して い る。 そ こで は巫 俗 の伝 統 性 が,日 本 の植 民 地 支配 とい う 特 殊 な歴 史 的状 況 で 同 時 的 に 形 成 され た 「 植 民 談 論 」 と 「 民 族 談 論 」,さ らに近 来 に 現 れ た 「 民 衆 文 化 談 論 」 と して語 られ て き た こ とが 指 摘 され て い る。 そ して,そ の 冒 頭 で,金 は,イ ギ リス の文 芸 批 評 家Raymond  WilliamsのMarxism  and Literature (1977)の 一 文 を 引 い て 「 伝 統 は過 去 の 残 滓 で は な く,現 在 の 時 点 で 活 動 中 の文 化 的 な 力 と して 見 な け れ ば な らな い。 す なわ ち伝 統 は 過 去 に 対 す る特 有 な イ メ ージが 現 在 の特 定 状 況 と社 会 的構 造 との 関 係 を通 して形 成 され る過 程 で あ る」 と規 定 し,伝 統 を 厂 伝 統 そ れ 自体 で は な く,選 択 的伝 統(aselective tradition)」あ るい は 「 意 味 あ る過 去 」 と して 捉 え て い る 【 金 成 礼   1991:211‑212】 。

  と こ ろで,韓 国 の 社 会学 者 で あ る林 嬉 燮 は,現 代 の韓 国 文 化 は 土 着 的 な文 化 と外 来 文 化 が 混 在 す る空 間 的複 合 性 と と もに,伝 統 と現 代 が 互 い に 交 差 す る時 間 的複 合 性 を 同時 に 経 験 して い る と指 摘 し,こ の よ うな文 化 の複 合 的 な構 造 とそ の性 格 を理 解 す る た め,現 代 の韓 国文 化 の 適 合 性(relevancy),「 正 体 性 」(identity),統 合 性(integri‑

ty)の 問 題 を 検 討 して い る。 そ して,こ う した 議 論 の 中 で林 は,「 伝 統 文 化 」 と 「 文 化 的 伝 統 」 とを 区別 す べ きで あ る と提 起 し,「 伝 統 文 化 は基 本 的 に過 去 の 伝 統 社 会 の 文 化(culture of traditional  society)と い う意 味 で あ り,文 化 的 伝 統(cultural tradi‑

tion)は 過 去 か ら現 代 まで 蓄 積 され た 文 化 様 式 と して,現 在 の社 会 環 境 の 中 で も維 持 され て い る文化 を意 味 す る の で あ る」 【 林 嬉 燮   1984:6]と それ ぞれ 規 定 して い る。

  以 上,伝 統 文 化 と同義 的 に使 わ れ る用 語 に つ い て,そ の概 念 的 な整 理 を してみ た 。 しか し,実 際 に は これ らの用 語 が 常 に一 義 的 に規 定 され使 用 され て い る とは 限 らず, 伝 統文 化 とい う用 語 に して も,明確 な概 念 規 定 が な され ず に 使 わ れ て い る場 合 も多 い。

こ うした状 況 の 中 で伝 統 文 化 とい う用 語 に つ い て は,原 則 的 に は で き るだ け 広 義 に 捉

え て お くが,林 の言 う 「 伝 統 的 社 会 にお け る文 化(culture of  traditional  society)」 と

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国立民族学博物館研究報告   17巻4号 い う概 念 と,同 じ く林 の 言 う 「文 化 的伝 統(cultural  tradition)」,な い しは これ とほ ぼ 同義 と思 わ れ るWilliamsの 言 う 「 選 択 的 伝 統 」 あ るい は 「 意 味 あ る過 去 」 とい う 概 念 とは,概 念 上 の 区 別 を して お か な けれ ば な ら ない と思 う。 そ こで本 稿 で は,伝 統 社 会 にお け る文 化 とい う意 味 で は 「 伝 統 文 化 」 と,現 代社 会 に お い て過 去 か ら選 択 さ れ 意 味 を 持 つ 文 化 とい う意 味 で は く 伝 統 文 化 〉 と表 記 す る こ とにす る。

2.「 伝 統 文 化 」 の 時 代 性

  「 伝 統 的 」 とい う用 語 は,「 現 代 的 」 とい う用 語 と対 応 して使 わ れ る よ うに,あ る 時 代 性 を 持 って い る こ とは言 うま で も な い。 しか し,そ の用 語 が 具 体 的 に どの 時 代 を 指 して い るか に つ い て は,社 会 に よって 異 な り,ま た 明確 に規 定 され ず 漠 然 と した 時 間 枠 しか 指 示 しな い こ とが 多 い。

  そ の 中 で,蒲 生 は 日本 社 会 に おい て 「伝 統 的 」 とい う用 語 を 次 の よ うに 規 定 して い る。 「か りに 第 二 次 大 戦 後 の現 在 を現 代 と規 定 す るな ら,こ の 現 代 以 前 か ら引 き継 が れ た す べ て の もの は,そ の成 立 年 代 に か か わ らず 伝統 的 で あ る。 しか しこ こで は現 代 に 直 接 先 行 した時 代     私 は以 下 に 述 べ る二 つ の意 味 で,お よそ 明 治20年 代 か ら第 二 次 大 戦 終 了 ま で を と りあ えず 一 括 して 考 え て い る    YT存 在 し現 代 に 引 き継 が れ て き た もの は,さ しあ た っ て限 定 して 伝統 的 と呼 ん で お く。 明治20年 代 に 一 つ の 区切 りを つ け た の は,第 一 に 明 治22年 に大 日本 帝 国 憲 法 が公 布 され,さ らに 同 年 市 町村 制 の施 行 もあ る。 言 わ ば 第 二 次 大 戦 終 了 まで の 日本 社 会 は,こ の 年 代 に 制 定 され た諸 法 律 が 形 式 的 基礎 を な して き た。 また 第 二 に は,明 治20年 代 が 昭 和30年 代 か ら昭和40年 代 に か け て の時 点 に こお い て,地 域 社 会 の 住 民 に よ って体 験 的 に 復 元 し うる最 古 の伝 統 的 時 代 と言 え よ う。 明治 初 期 に な る と文献 記 録 に頼 る以 外 もは や 復 元 の 不 可 能 な時 代 に属 して い る」 【 蒲 生   1966:4‑5】。

  こ うした具 体 的 規 定 は な くと も,日 本社 会 に お いて 「 伝 統 的 」 とい う場 合,ほ ぼ 明 治 か ら昭和 初 期 と い う時 代 を 暗 暗裡 に設 定 して い る よ うで あ る。 と ころ が,試 しに こ の 時代 をそ の ま ま韓 国 社 会 に 置 き換 え る と,ま さ に 日本 の 植 民 地 時 代 に あ た る。 そ し て この 時 代 は,「 日帝 時 代 とい う空 白に よっ て,韓 国 の文 化 的伝 統 は 不 自然 な 断 絶 を 経 験 し,そ の被 害 は 解 放 後 まで も続 い て い るの で あ る」   【 林 嬉 燮  1988:120】 と解 さ れ て い る の であ る5)。

  それ では 韓 国 社 会 に お い て は,ど の時 代 が 「 伝 統 的 」 と規 定 され る の で あ ろ うか 。

5)  日本 植 民 地 時 代 に おけ る伝 統 文 化 につ い ては,鈴 木 に よ る朝 鮮 総 督 府 の巫 俗 へ の 関 心 に つ

  い て の言 及 【 鈴 木   1973】な どは あ る が,こ れ ま で 日本 人 に よ る実 証 的 な 研究 は あ ま り行 わ れ/

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朝 倉  現代韓国社会 におけ る 〈 伝統文化〉の研究の現状 と展望

そ れ は,現 代 か ら歴 史 を 遡 って 行 け ば,日 帝 時 代 の空 白を 越 え た 朝 鮮 時代 に な る よ う で あ る。 歴 史 的 事 実 は と もか く,朝 鮮 時 代 が500年 の長 きに わ た って 安 定 した時 代 と 見 れ ば,そ れ が 典 拠 の如 く解 され,あ るい は一 つ の理 念 型 と して見 え て くる。 こ とに 現 在 に お い て,「 南 北 の 民 族 統 一 」 や 「 地 域 感 情 」 の 問 題 に対 して,一 つ の 民 族 とい

う意識 を 定 立す る た め には,朝 鮮 時 代 が そ の範 とな るの で あ ろ う。

  こ こで 興 味深 い の は,韓 国 の 「 伝 統 文 化 」 を 研 究 す る韓 国民 俗 学 が 対 象 とす る文 化 は,い み じ くも この朝 鮮 時 代 に始 ま る もの が 多 い とい うこ とで あ る。 例xば,韓 国 の 民 話 は 「 虎 が タバ コを 吸 って い た時 に」 で 始 ま るが,タ バ コが朝 鮮 半 島 に伝 来 した の は 早 くと も16世 紀 以 降 で あ った こ とを考 え る と,韓 国 で 言 わ れ る 「 昔 」 とは朝 鮮 時 代 と符 合 して くる。 また,子 供 が生 まれ る と家 の門 に 「 禁 縄 」 を は る慣 行 が あ るが,男 の子 の場 合 これ に トウ ガ ラ シが つ る され る。 こ の トウガ ラ シに して も16世 紀 に な って 朝 鮮 半 島に 伝 来 し,17世 紀 に 普 及 した と言 わ れ て お り,こ うした 民俗 慣 行 も朝 鮮 時 代 に な って成 立 した と考 え られ る。 さ らに,民 俗 芸 能 に して も壬 辰 倭 乱(豊 臣秀 吉 に よ る朝 鮮 出兵)を 題 材 と した もの が 多 い の で あ る。 そ の うえ現 在 行 わ れ る人 生 儀 礼 の多

くは,そ の規 範 が 朝 鮮 時 代 に 伝 わ った 儒教 式 に お かれ て い る。 しか も今 日,韓 国 の伝 統 的祖 先 崇 拝 とされ る宗 家 宗 孫 に よ る忌 祭 の 単独 奉 祀 とい う儒 教 式 祭 礼 は,せ い ぜ い 18世 紀 に な って確 立 した も ので あ る こ とは,す で に朝 鮮 総 督 府 中枢 院 を は じめ,近 年 の 人 類学 者 に よる研 究 に よ って も 明 らか で あ る。 こ うして 見 る と,民 俗 学 が 対 象 と し て い る伝統 的文 化 の 中 には,朝 鮮 時 代 に ご始 ま り,そ の 間 に普 及,確 立 し,そ して 現 在 に まで 伝 承 され た もの がか な りあ る こ とは まち が い な い 。

  た だ しか し,朝 鮮 時 代 は 厂中 国 文 化 に汚 染 され た 」 「 民 族 意 識 停 滞期 」 と捉 え る立 場 も あ る。 そ こか ら朝 鮮 時 代 以 前 に遡 って伝 統 を 求 め よ うと い う動 き も あ る6)。伝 統 の再 創 造 を 唱 え る林在 海 は,「 伝 統 文 化 に 対 す る再 認 識 が な され ね ば な らぬ 」 と述 べ, 今 日的 意 味 で評 価 され るべ き伝 統 と して,例xぽ 「 花 郎 制 度 お よび 男女 均 分 相 続 な ど

に見 られ る男 女 平 等,三 国 時 代 お よび 高麗 時 代 に見 られ る 自 由恋 愛 の慣 行,新 羅 の和 白制 度 お よび 申聞 鼓 の 運 用 な どに 見 られ る民 主 主 義 制 度 」 を 見 直 す べ きで あ る と主 張 す る[林 在 海   1991:46‑54】。

\ て こなか った 。 最 近,本 稿 で 引 用 した 金成 礼 に よる談 論 分 析 【 金 成 礼   19911を は じめ,韓 国   民 俗学 界 で は 日本 植 民 地 時 代 に お け る民 俗 に つ い て 関心 が高 ま って お り,今 後 さ ら に議 論 さ   れ ね ば な らな い問 題 で あ る。

6)朝 鮮 時 代 以 前 へ の 関 心 は 一 般 の 間 に 広 ま って きて お り,こ れ を反 映 して か,こ れ ま で は

  KBSの 大 河 ドラ マ で も朝 鮮 時 代 以 降 が 題 材 とな って きた が,1992年4月 か ら初 め て 三 国 時代

  を あ つ か う 「天 下 統 一 」 と い う 大 河 歴 史 ド ラ マ の 放 送 が 始 ま る と い う(東 亜 日報

  一1991.9.6一 よ り)o

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国立民族学 博物館研究報告  17巻4号

  こ う した立 場 か ら林 は 「 一 般 に伝 統 につ い て 保 守 性,規 範 性,権 威 性,前 近 代 性, 封 建 性,強 制 性,普 遍 性 な どの否 定 的 観 念 な どを 持 た れ る の は貴 族 的 伝 統 を 根拠 と し

て お り,進 歩 的,躍 動 的,生 産 的,人 間 の 本 性 と 自由 な 生 を尊 重 す る民 俗 文 化 を 中心 と した民 衆 的 伝 統 こそ が 『 伝 統 』 で あ り,貴 族 的 伝 統 の うち継 承 す べ き も のを 『古典 (classic)』と呼 び,こ れ を 区 別 す べ きで あ る」 【 林在 海   1991:29‑30】 と述 べ てい る。

こ う した 観 点 に立 て ぽ,前 述 した伝 統 的 社 会 に お け る二 つ の文 化 の うち,「 民 俗 文 化 」 こそ が 「伝 統 」 で あ り,「儒 教文 化 」 は これ と区 別 し 「 古 典 」 とい う こ とに な るで あ ろ う。

3.「 伝 統 文 化 」 の 内 容

  韓 国 で は伝 統 文 化 論 に つ い て,さ ま ざ ま な著 作 が 出 版 され て い る。 例 えぽ,洪 一 植 の韓 国文 化 の起 源 と本 質 を論 じたr韓 国伝 統 文 化 試論 』 や,同 じ く洪 一 植 の 先 史 時代 か ら現 在 に いた る ま で韓 民族 が生 活 して きた 一 切 の 文 化 的 ・生 活 史 的 空 間 を 「 文 化領 土 」 とい う概 念 で 呼 び,韓 民族 の民 族 文 化 に つ い て の論 考 を編 纂 した 『 文 化 領 土 時 代 の 民族 文 化 』,金 哲 竣 の伝 統 と史 観 とを 規 定 し韓 国 文 化 を 歴 史 的 に捉xた 『 韓 国文 化 伝 統論 』 を は じめ,民 俗 学 で は,沈 雨 晟 の 『 民 俗 文 化 と民 衆意 識 』,林 在 海 の 『民 俗 文 化 論 』 な ど の著 作 が あ る。 また,文 化 人 類 学 で は,姜 信杓 が韓 国社 会 と文 化Y'つ い て の 理 解 と分 析 の 理 論 的 枠 組 み と し て 「陰 陽 理 論 に 立 脚 し た 封 待 的 認 知 構 造 (categorical  thinking)」 とい う概 念 を設 定 提 起 し,一 連 の 「 朝 鮮 伝 統 文 化 攷 」 を 展 開 して お りi姜 信 杓   1985,1986】,社 会 学 では,林 嬉 燮 が 現 代韓 国社 会 に おけ る文 化 変 動 の 現 象 を 理 念 型 的 に 分 析 し,「 情 の 文 化 」 か ら 「 力 の文 化 」 へ の変 動 が あ り,そ し

て 「理 性 の 文 化 」 へ の 指 向 が 求 め られ るべ き で あ る と述 べ て い る 【 林 僖 燮   1987:

21‑28]0

  こ う した一 連 の韓 国 人 に よ る伝 統 文 化 論 に お い て も,韓 国文 化 や社 会 の伝 統 的 特 徴

を捉 え よ うとす る研 究 に お い て は,「 儒 教 の 影 響 を 強 く受 け た儀 礼 や社 会 組 織 と巫 俗

的儀 礼 の対 比,男 と女 の世 界 の 区分,両 班 と常 民 とい う階 層 の存 在,そ して大 伝 統(中

国 文 明 の 影 響)と 小 伝 統(基 層 文 化)の 対 置 な ど,韓 国 文 化 の 二 重 構 造 」  【 嶋

1992:36】 が 指 摘 され て きて い る。 また,こ う した 二 重 構 造 に つ い て 文 芸 評 論 家 の 川

村 湊 は,「 秋 葉 隆 な ど,朝 鮮 民 俗 学,文 化 人 類 学 の研 究 者 に よ って 唱 え られ た この 二

重構 造 論 は,さ しあた り,朝 鮮 社 会 の表 層 を おお う文 化 原 理(宗 教原 理)と して の儒

教 信仰 と,深 層 の原 理 と して の巫 俗 信 仰(シ ャー マ ニズ ム)と を,二 重 構 造 と して 捉

え る もの だ が,こ れ を さ らに,男 性 原 理 と女 性 原 理,父 系社 会 と母 系 社 会,文 化 的 に

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朝倉  現代韓 国社会 における 〈 伝統文化〉 の研究の現状 と展望

は貴 族 ・両 班 階 級 を 中心 と した 漢 文 ・儒 教 的文 化 と常 奴(常 民)・ 白丁(賤 民)階 級 を主 体 と した 民 間 信 仰(迷 信 ・ ト占 ・巫 儀)な どの文 化,ま た 漢 文 文 学 に 対 して 『諺 文 』 『 厠 の文 字 』 『女 文 字 』 と卑 称 され た ハ ン グル(朝 鮮 文 字)の 文 化 ・文 学 とい うよ うに対 項 系 列 的 に 捉 えて ゆ くこ とが で きる だ ろ う」  【 川 村   1986:56‑571と 述 べ て い る。

  階 級 支 配 の歴 史 が 長 期 に 及 ん で い た事 実 を考 慮 す れ ぽ,こ の よ うに 韓 国 の 伝 統 社 会 に お け る文 化 が,「 儒 教=両 班 文 化 」 と 「 巫 俗=民 俗 文 化 」 と の両 面 を持 つ もの で あ る こ とは,韓 国 の文 化 を分 析 す る前 提 と見 な して よい で あ ろ う。そ こで,こ こ では 「伝 統 文 化 」 を 「 儒 教=両 班 文 化 」 と 「 巫 俗=民 俗 文 化 」 との両 面 に 分 け て,ま ず は これ らが そ れ ぞ れ 現 代 社 会 に お い て どの よ うに顕 在 して い るか を 見 て い くこ とに す る。

]1.現 代 社 会 に お け る 〈伝 統 文 化 〉 の諸 相

1.「 巫 堂 時 代 」

  韓 国 の 伝統 社 会 や文 化 は,巫 俗 が そ の深 層 まで 影 響 を 与 え て お り,あ る意 味 で は そ の基 盤 に まで な って い る。 巫 俗 とは,一 般 に 「 巫 堂 」 と言 わ れ る シ ャーマ ンが 行 う占 い や ク ッ(テ)な どの巫 儀 を 中心 とす る呪 術 的 信 仰 であ る。 この 巫 俗 は 「 韓 国社 会 に お い て 無 意識 的 な生 活 習 俗 か ら意 識 化 され た 高 級 文 化 まで,ま た 個 人 や 集 団,国 家 社 会 まで,あ るい は庶 民 や 貴 族,王 宮 ま で土 着 信 仰 や 外 来 高 等 宗 教 まで 影 響 を及 ぼ して きた 」 催 吉 城   1984:3(〉‑31】 。 そ して,現 代 社 会 に あ って も,さ ま ざ まな形 で 生 きて い る。

  a,巫 俗 の残 存 ・変 容

  シ ャ ーマ ンが歌 舞 賽 神 を 中心 に行 う除 災 招 福 のた め の 宗 教 的 儀 礼 が 「ク ッ」 で あ る が,こ れ に は そ の 目的 に よ って財 数 ク ッ(祈 福 祭),憂 患 ク ッ(治 病 祭)r死 霊 ク ッな どの 個 人 の家 で行 わ れ る家 祭 と,別 神 祭 とい った 村 や 部 落 を 単 位 と して 行 われ る村 祭 が あ る。

  村 祭 は,60年 代 以 降,村 人 の都 市 へ の 人 ロ移動,キ リス ト教 化,あ る いは セ マ ウル

運 動 に よる迷 信 打 破 とい う政 治 政 策 や 啓 蒙 な どに よ って,消 滅 して い く傾 向に あ った

が,近 年 は 今 ま で行 わ れ なか った の に新 た に 始 め た 村 もあ り,そ の よ うな所 では 村 祭

の規 模 も これ ま で の も の よ り大 き くな って い る と言 う 【 崔 吉 城  1985:173】。

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国立民族学博物館研 究報告   17巻4号

  また 家 祭 は,現 在 も,患 者 に対 す る患 者 の家 族 の 精 神 的,道 徳 的 義 務 か ら医 学 的 治 療 と併 行 して 憂 患 ク ッが行 わ れ た り,事 故 な ど異 常 死 の場 合 に死 霊 ク ヅが行 わ れ た り

して い る。 家 の 新 築 や建 設 工 事,あ る いは 大 き な催 し事 が あ る時 な ど,無 事 成 功 を 祈 っ て 「 告 祀 」 とい う小 規模 な儀 礼 が よ く行 わ れ るが,新 しい会 社 や工 場 を設 立 した り す る時 に は 巫 堂 を 呼 ん で大 規 模 に財 数 ク ッを 行 うこ と もあ る。 こ とに 「 現 代 では,都 市 の運 輸 ・交 通 業 な ど不安 な職 業 に従 事 して い る家 では 財数 ク ッ(安 宅 ク ッを含 む) を 盛 ん に 行 って い る。都 市 化,近 代 化 に伴 って,最 も 目につ くの は 交 通 の 発 達 で あ り, これ に 関 係 した 職 業 が経 済 的 に利 益 が大 きい と言 わ れ て い る。 と ころ で,こ の よ うな 職 業 は 交 通 事 故 が 生 じれ ぽ,損 害 賠 償 と刑 事 的 責 任 も伴 って損 失 が極 め て大 き く,時 には 破 産 して し ま うこ と もあ る一 種 の投 機,冒 険 的 な職 業 で あ る と言 え る。そ れ故 に, 不 安 を克 服 し幸 運 を 祈 るた め に,主 婦 が ク ッを 依 頼 す る の で あ る 」   【 崔 吉 城   1984:

27310

  この よ うに ク ッは,農 村 社 会 ぼ か りでは な く,都 市 に お い て も よ く見 られ て い る。

そ れ ば か りか,巫 堂 に か ぎ らず,占 い,易,読 経 な ど広 く民 間信 仰 に 目を 向け れ ば, む しろ 都 市 に お い て よ く見 られ る と言 って も過 言 で は な い。 崔 吉 城 は 「ソ ウル に ご生 き 続 け る巫 俗 信 仰 」 とい う論 文V'.い て,「 も と も と都 市 は農 村 よ りも病 弊 が 多 く,昔 か ら巫 堂 は 都 市 に 集 中 して い た と言 わ れ るが,ソ ウル に お い て いわ ゆ る̀迷 信 業 者' は 毎 年 増 加 して お り,ソ ウル周 辺 地 域 に特 に 多 く分布 し,ソ ウル の あ ち こ ち で,大 規 模 な シ ャ ーマ ンの 祭 りが行 わ れ て い る」   【 崔 吉 城   1980:210‑2251と 報 告 してい る。

迷 信 業 者 の 数 は,こ こで は1965年 か ら1971年 まで の統 計 に基 づ い て い るが,現 在 の 盛 行 ぶ りを 見 れ ば,現 在 は さ ら に増 加 して い るに ち が い な い窺

  そ れ は,例 え ぽ大 学 入 試 を め ぐって も見 られ る。入 試 の時 期 に は,多 くの父 母 が 「占 い 師 」 を 訪 ね,占 い 師 が受 験 日を 「 厄 日」 とで も言 お うもの な ら巫 堂 に よる厄 払 い が 行 わ れ た りもす る。 ま た,入 試 当 日に は 寺刹 や教 会 が合 格 を祈 願 す る受 験 生 の父 母 で あ ふ れ る の を見 る こ とが で き るが,こ う した 寺 や 教 会 で は,入 試100日 前 か ら 「百 日 祈 薦 」 を 行 う父母 の姿 も少 な くな い と い う。 こ うした 背 景 に は朝 鮮 王 朝 時 代 か らの 官 吏 登 用 の 科 挙試 験 の伝 統 が あ り,こ の意 識 が 綿 々 と続 い て い る とい う こ とが あ るが, か つ また 今 日の韓 国社 会 が,学 閥 の力 が 強 く,有 名 大学 卒 業 者 が 優 遇 され る学 歴 社 会 で あ るか らで あ ろ う。 そ して受 験 地 獄 が 高校,中 学 へ と下 が って い き,子 ど もた ち ま

7)例 え ぽ,川 上 は,ボ サ ル(皇 登)と 呼 ば れ る民 間 宗 教 職 能 者 た ち に よ る,あ る人物 に 起 こ

  った 不 幸 や 災 難 が 祖 先 の た め で あ る と判 断 され た 時 に 行 わ れ る ク ッに つ い て の ソ ウル地 域 で

  調 査 を 行 い,そ の事 例 を 報 告 してい る 【 川 上   1992]。

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朝倉  現代韓 国社会 に こおける く 伝統文化〉の研究の現状 と展望

で もが 挫 折 感 を 味 わ わ ざ るを え な い社 会 に な っ て い る。 こ う した 中 で,子 ど も も,そ の親 た ち も,そ れ が 不 安 とな り,巫 俗 や 神 仏 に た よ らざ るを え な くな って くるの で あ ろ う 【 朝 倉  1992:66】。

  占い や 祈 疇 に た よ る とい う こ う した様 相 は,近 年 に新 た に 発 生 した もの で は な く, 伝 統 的 に 行 わ れ て い た もの が残 存 した り変 容 した も の で あ る と言 え るが,現 代 に お い て よ り盛 ん に行 われ る よ うに な った とい う局 面 が 重 要 であ る。

  b.巫 俗 と宗 教 との 習 合

  伝 統 は も と も と宗 教 や 芸 術 とい った 情 意 的 な領 域 を そ の お もな 適 用範 囲 と して い る が,入 試 に お い て寺 刹 や教 会 で巫 俗 的 祈 薦 が 見 られ る よ うに,韓 国 の 巫 俗 的 伝統 は 宗 教 の 中 に 見 る こ とが で き る。 も と も と韓 国 に お い て は仏 教 に して も,儒 教 に して も, キ リス ト教 に して も,そ の土 着 化 の過 程 で巫 俗 と習 合 して お り,そ れ らの 中 に 巫俗 的 要 素 を 見 いだ す こ とは 難 し くな い8)。新 興 宗 教 に あ って は,形 式 は ど うあれ,そ の 基 盤 は巫 俗 的信 仰 と ま った く切 り離 せ な い も の であ る。

  こ とに現 代 社 会 に お い て激 増 した キ リス ト教,お よび キ リス ト教 系 の新 興 宗 教 では, 巫 俗 との か か わ りが 強 く見 られ る。 キ リス ト教,こ とに プ ロテ ス タ ン トの 教 勢 拡 大 は 驚 異 的 な も の で あ る が9),そ れ は牧 師 の説 教 と祈 薦 の能 力 に よ る と こ ろ も大 きい とい う。 また,新 興 宗教 の教 主 の 中 に は巫 病 現 象 に あた る 「得 道 体 験 」 を 経 て い る もの が 多 い とい う。 そ の存 在 様 相 に して も,例 えば 霊 魂 不 滅 説,疾 病 観,感 謝 の 態 度 な どに お い て,キ リス ト教 と巫 俗 の 間 に は本 質 的 な相 違 が あ る とは 言 え,そ れ が 実 際 に は混 同 し,区 別 しに くい もの に な って い る 【 崔 吉 城   1985:.,  】 。 こ とに,病 気 治療 と 祈 薦 が 結 び つ き,中 に は祈 薦 に よっ て病 気 が 治 癒 す る と して社 会 問 題 に な った 教会 さ え 出 て きた 。言 わ ぽ憂 患 ク ッの機 能 を 教 会 が 代 行 して い るの で あ る。

8)韓 国 に お け る,儒 教,仏 教,道 教 とい った 外 来 の 宗 教 伝 統 の 土 着 性 につ い て は,伊 藤 の 明   解 な論 文 が あ る の で 【 伊 藤   1986】これ を 参 照 され た い が,こ の ほ か 仏 教 に つ い て は 「 韓 国仏   教 は,徹 底 的 に 祈 薦 仏 教 で あ り,韓 国 の 寺 院 に 最 も特 徴 的 な存 在 は,七 星,山 神,独 聖 を奉   安 した 三 聖 閣 で あ る。 そ して こ こで 祀 られ る三 神 の機 能 は,寿 福 と財 福 と守 護 で あ り,巫 俗   の祈 願 内容 と  .,して い る。ま たそ の表 現 様 式 も巫 神 と同 じ く画 像 を も って表 現 され て い る」

  【 柳 東 植   1976:133‑136】 とい った 指 摘 が あ り,ま た 韓 国 キ リス ト教 の 土着 化 の基 底 に巫 俗 が   あ る とい うこ とは,す で に 多 くの学 者 に よ って 指 摘 され て い る と こ ろ で あ る  [坂元   1984;

  柳 東 植   1987  な ど1。

9)  キ リス ト教 の教 勢 拡 張 は,多 くの報 告 が あ るが[cf.坂 元   1984;柳 東 植   1987  な ど】,   そ の一 つ を 引 用 して お く と 「キ リス ト教 の 普 及 と広 範 な社 会 活 動 は 目を 見 張 る も のが あ る。

  1960年 以 後 の増 加 は 急 激 で,1980年 に は 全 人 ロの 約25%に 達 して い る。 都 市 部 の人 口が1980   年 に は総 人 口の過 半 数 を 占 め,し か も信 者 が 農 村 部 に 少 な い こ とを 考 慮 す れ ば,都 市 に おけ   るキ リス ト教 信 者 の 占 め る割 合 は 半 数 近 くに な る と考 え られ る。 新 旧別 に見 る と新 教 が 圧 倒

  的 多数 を 占 め て お り,こ れ は さ ら に多 くの 宗 派 に 分 か れ て い る」 【 伊 藤   1985:276】。

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国立民族学博物館研究報告  17巻4号

  こ う した状 況 を端 的 に 見 せ る もの と して,祈1院 の存 在 が あ る。 そ の 歴 史 は い つ に 始 ま るか定 か で は な いが,1950年 に 始 ま る朝 鮮 戦 争 前 後 の混 乱 期 に 聖 霊 運 動 の拡 大 が 起 こ り,50年 代 に こ16箇所の祈祷 院 が設 立 され た とい う。60年 代 に はxせ 教 派,神 秘 主 義,熱 狂 主 義 と社 会 か らは 否 定 的 に捉 え られ た が,そ の数 は 増 加 し,70年 代 に は祈 疇 院 運 動 が 発 展 した とい う。祈祷 院 に つ い て 人 類 学 的 研 究 を して い る秀 村 は,「 祈 薦 院 に シ ャー マ ニ ズ ム の影 響 を 見 い だ す の は難 し くな い。 特 に 病 気 治 療 の場 面 で は そ うで あ る。 キ リス ト教 の名 の も とに 行 わ れ て い る こ とが 韓 国 の現 代 社 会 に お け るキ リス ト 教 の役 割 を示 して い る と も言 え るで あ ろ う」  【 秀 村   1990:165]と 述 べ て い る10)0韓 国 の キ リス ト教 は,こ れ まで 巫 俗 が担 って きた機 能 を,こ れ に 代 わ って 履 行 す る部 分 を有 して い る の で あ る。

  日常 生 活 の 中 で,非 日常 的 な 出来 事 が起 こ る と,普 段 は 信 仰 を して い な くて も,心 の不 安 か ら祈 薦 す る。 この 祈 薦 こそ,韓 国人 の 中 に意 識 され ず に 流 れ て い る巫 俗 的 伝 統 で あ る。 そ して,祈 濤 の対 象 と して,巫 俗 は もち ろん の こ と,教 会 や 寺刹 に行 く。

今 日の韓 国社 会 では,さ ま ざ まな社 会 不 安 が つ の っ て い る。 そ う した 不安 が 人 々 を宗 教 へ と向か わ せ る。 しか も,そ の宗 教 自体 が,社 会 問 題 を 生 ん で い る11も そ う した 中 で,韓 国 に お いて は 宗 教 が,教 会V'し て も寺 刹 に して も巫 俗 と習 合 して お り,形 と し て は巫 俗 と して 露 呈 して くる こ とに な る。

  そ れ は 一 見 す る と現代 社 会 の 中 に,巫 俗 的 伝 統 が 残 存 して い る か の よ うで あ る。 こ う した 巫 俗 的 伝 統 は,一 般 の 人 た ち に は,理 念 的 には 迷 信 扱 い され,不 条 理 な もの と して認 識 され て い る。 しか し,現 実 に は実 社 会 に お け る不 安 や 不幸 を 解 決 す る手 段 と して積 極 的 に 機 能 して い る。す なわ ち,巫 俗 的 伝 統 は 現 代 社 会 に あ って適 合 して存 在 して い る の であ る。 しか も これ は伝 統 的 時 代 に お い て よ りも,現 代 に お い て盛 ん に行 わ れ,ま た 農 村 に お け る よ り,は るか に都 市 に お い て 多 く見 られ,す ぐれ て都 市 的 現 象 で あ りさ えす る。

c.ク ッ(テ)の 復 権

巫 俗 の 復 権 は,民 俗学 か ら も報 告 され て い る。 巫 俗 の研 究 は,農 漁 村 の近 代 化 が 急 10)祈 薦 院 に つ い て は,1990年10月13日 の民 博 共 同研 究 会 に お い て 秀 村 に よ る 「韓 国 の キ リス   ト.,,  祈 濤 院 を め ぐ って 」 とい うテ ー マ で の発 表 が あ った 。

11)例 え ば 「似 而 非 宗 教,現 在 韓 国6'は400余 宗 派,300余 万 の 信 者 が 率 い られ て お り,こ れ ら   の中 に は 家 庭 破 壊 を 起 こす もの が 多 い」(東 亜 日報 一1991.7.27一 よ り)と い っ た報 告 が あ る。

  昨 今 は,1992年10月28日 に世 界 は 終 末 を 迎 え る と唱 え る宗 教 団 体 の 信 者 が,学 校 や 会 社 を 辞

  め,家 出や 離 婚 を して祈 疇 の集 団生 活 に入 った り,全 財 産 を 教 会 に 寄 付 す る ケ ー スが 相 次 い

  で い る。1987年 に信 徒30余 人 が 集 団 自殺(他 殺 説 も あ る)事 件 を 起 こ した 宗 教 団 体 も終 末 論

  を 唱 えて い た とい う。

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朝倉  現代韓 国社会 におけ る く 伝統文化〉の研究の現状 と展望

速 に進 行 す る 中 で,伝 統 保 存 の 作業 と して始 め られ た が,80年 代 に は い って巫 俗 研 究 の領 域 は韓 国人 の感 情 生 活 の 基 底 と して の巫 俗 へ と著 し く広 が った 。 こ うした研 究 の 中 に,ク ッお よび ク ッパ ン(テ 毛)に 着 目 した 野 村 の く 民 俗 戯 〉 の 研 究 が あ る。 野村 は 「シ ャー マ ンに よ る儀 礼 の 他 に,歌 や 楽 器 演 奏 を 伴 う民 俗 行 事 の 場 も広 くク ッと呼 び,巫 と民 衆 と神 霊 た ち との 出会 い の場,す なわ ち ク ッパ ン(ク ッの 演 じられ る場) の 内容 に あた る もの を 〈民 俗 戯 〉と して 捉 え る」  【 野村   1987:8‑9】。そ して 「ク ッは, 巫 堂 に よっ て営 まれ る儀 礼 で あ る と同時 に,現 実 には,ム ラ人 の 農 楽 を 用 い て の ム ラ まつ りや 共 同農 作 業 の 音 楽,あ るい は宴 会,ま た 仮 面 戯 に 用 い られ,言 わ ば 〈あ そ び (a。D>と して機 能 して きた 。 そ して,そ れ は 民 衆 の あ い だ で育 まれ た も ので あ り, む しろ迷 信 撲 滅,浪 費 抑 制 な どの近 代 化 政 策 や 科 学 的 教 育 に あ らが うか た ち で 生 きつ づ け て きた 」   【 野村   1987:255‑257】 と ク ッの性 格 につ いて 述 べ て い る。 そ して70年 代 か ら80年 代 に か け て,さ ま ざ ま な角 度 か ら巫 俗 が 復 権 して き た こ とを 指 摘 し,「第 一 に 国際 的 な交 流 の 進 展 に つ れ て の ,対 外 的 な意 味 で の 伝 統文 化 の整 備,第 二 に 文 学, 美 術,演 劇,舞 踊,音 楽 な どの 現場 に おけ る民 族 主 義 的 な主 張,第 三 に 民 衆 文化 運 動 へ の取 り組 み の中 に 巫 俗 の 存在 が浮 上 して きた 。 この今 日復 権 しつ つ あ る巫俗 は,ク

ッパ ンへ の関 心 の高 ま りの 中 に あ る」 【 野村   1987:8]と そ の 要 因 を あ げ て い る。

  ク ッは また,韓 国 民 俗 芸 能 の ル ー ツ と も言 え よ う。 志 村 は 「 古 代 の ク ッは,そ れ 自

身 が宗 教 で あ り,政 治 で あ り,芸 能 で あ り,す べ て のパ ワーを 結 集 した 未 分 化 の̀カ

オ ス状 の人 間 の営 み'で あ った 。 時代 の変 遷 と と もに古 代 祭 祀 の中 の 諸 機 能 が,そ れ

ぞれ 細 分 化 され,芸 能 の 面 で も宗 教 儀 式 か ら分 離 し,徐 々 に宗 教 色 を 薄 く し,多 様 な

民 俗 芸 能 が 誕 生 して い った 」   【 志村   1992]と 述 べ,現 代 の民 俗 芸 能 の 成 立過 程 を簡

潔 に 紹 介 して い る1a)0「巫 堂 が 中心 に な って 執 行 され る ク ッの 中 に は,音 楽 的 要 素 や

舞 踊 的 要 素,そ れ に 演 劇 的 要 素 な ど も含 まれ,目 に見 え な い神 の存 在 を 具 現 す るた め

の重 要 な演 出効 果 を な して い る。 巫 堂 が発 す る祈 禳 文 や 神 の託 宣 は 節 付 け され 旋 律 を

な し巫 歌 とな り,儀 式 か ら分 離 して 娯楽 性 を拡 大 させ パ ン ソ リ(融 土 司)=語 り物 音

楽 に変 貌 し,狂 気 乱 舞 す る巫 堂 の 踊 りは,そ れ を再 構 成 し洗 練 させ る こ とに よ って サ

ル プ リ(杢}暑 。1)=厄 除 け 舞 と タイ トル を付 され て芸 術 的 舞 踊 作 品 に まで 高 め られ て

い った。 一 方,巫 堂 を囃 す 楽 士 達 の 音 楽 も儀 式 か ら離 れ て純 器 楽 合 奏 音 楽 へ と変 わ っ

て い く。 打 楽 器 中心 の巫 楽 は,一 般 の村 落 の人 々に も広 ま り,全 国各 地 で 行 わ れ る よ

12)志 村 の一 文 は,1992年10月3・4日 に 京 都 府 民 ホ ール ・ア ル テ ィで 行 わ れ た ダ ンス ・ア ジ

  ア公 演 「 金 石 出 &東 海 岸巫 堂+李 愛珠 一 ム ー ダ ン音 楽 に 触発 さ れ る身 体 表 現 」 に お い て配

  布 され た パ ン フ レ ッ トの解 説 で あ る。 こ う した公 演 自体 が,現 在 の巫 堂 の活 動 の一 部 を表 し

  て い る。

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国立民族学博物館研 究報告  17巻4号

うに な り,現 在 で も各村 々の祭 りの重 要 な 音 楽 とな って い る。 さ らに,こ の 農 楽 を 題 材 に こして 現 代 の若 者達 に よ って,サ ムル ノ リ(λ ト 暑 告 ゜1)=四 物 戯 とい う新 しい 分 野 の音 楽 作 品 も作 り上 げ られ た。 また,自 由奔 放 な楽 士 達 の合 奏 は さ ま ざ まな 旋 律 音楽 を加 え,儀 式 とは 無 関 係 に合 奏 音 楽 の楽 しみ を 追 求 した シナ ウ ィ(ス1叶 ♀1)と い うジ ャズ の よ うな 即 興 的器 楽 合 奏 音 楽 を 編 み 出 した。 この シナ ウ ィの 中 で突 出 した 名 人 が 現 れ,得 意 とす る楽器 を も って サ ン ジ ョ(杢}丕)=散 調 とい う芸 術 性 の 高 い 器 楽 独奏 音 楽 の 形 式 を確 立 させ た。 儀 式 進 行 上 の 演 出面 や観 客 達 とのや り と りの 中 か ら滑 稽 な 寸 劇 も生 まれ,仮 面 を つ け て匿 名 性 を 持 た せ る こ とに よ り,支 配 者 階 級 批判 を テ ー マ に した 仮 面舞 踊 劇 が登 場 し,庶 民 の 間 で人 気 を博 し,そ の精 神 が,今 日の学 生 運 動 の 一 表 現 手 段 と して マ ダ ン劇(叫LC}号)=野 外 演 劇 に まで綿 々 と受 け継 がれ て い る」 【 志 村1992】 。 こ の一 文 に も見 られ る よ うに,現 代 活 発 な 活 動 が 見 られ る さ ま ざ ま な韓 国 の 民俗 芸 能 は,そ の ル ー ツを た どれ ば ク ッY'い きつ くこ とが 分 か るの で あ る。

  最 近,韓 国 に お い て 『巫 堂 時代 の文 化 巫 堂 』 とい う本 が 出版 され たが13),こ れ ま で 述 べ て きた よ うY'現 代 は 巫 俗 の 全 盛期 で あ り,ま さ に 「 巫 堂 時 代 」 と呼 ぶ べ き状 況 に あ る。

2.両     班     化

  李 光 奎 は,現 代 社 会 が 大 き く変 化 す る 中 で,家 族 の あ り方 は 変 容 しつ つ も儒 教 的 伝 統 が 反 映 さ れ て お り,社 会 に お い て も過 去 志 向 か ら未 来 志 向 へ と 変 化 し つ つ も儒 教 が 強 く支 持 さ れ て い る と 指 摘 す る 。 す な わ ち 厂儒 教 は 李 王 朝 の 国 家 理 念 で あ っ た に も か か わ ら ず,そ れ は 上 級 の 両 班 階 層 に よ っ て 独 占 さ れ て い た 。 しか し現 代 韓 国 社 会 で は, 儒 教 が す べ て の 国 民 の 倫 理 と な っ て き た 。 こ う し た 意 味 で,韓 国 社 会 は"Yangbaniza‑

tion"(両 班 化)の 過 程 が 進 め られ て い る 。 過 去 に お い て 下 級 で あ れ 上 級 で あ れ,す べ て の リ ニ ー ジ は よ り高 い 地 位 の 達 成 を 試 み て い る 。 そ して も しす べ て の リ ニ ー ジ が 両 班 の 地 位 を 獲 得 す る な ら,儒 教 原 理 は す べ て の 韓 国 人 の 一 般 哲 学 と な る で あ ろ う」 と 述 べ,「Yangbanization(両 班 化)」 と い う概 念 を 提 示 し た 【LEA  1986】。

  こ の 厂両 班 」 と い う概 念 は,辞 書 的 な 説 明 で は 第 一 義 に 「近 世 朝 鮮 中 葉 に お け る 家 門 と身 分 の 高 い 上 流 階 級 の 人,世 襲 的 に 文 班,武 班 に な れ る 資 格 が あ る 門 閥 」 と あ る 13)著 者 は,ア メ リカの 心 理 学 者K.Wilderの 著 書Up from Edenに お け る人 間 の意 識 構 造 と文   明発 達 の 段 階 分 け か ら̀Nirmanakaya,  shamastic'と い う用 語 を引 い て,こ の時 代 を巫 堂 時   代 と規 定 して い る 【 朴 正 鎮   1990:4]。

    今 日の韓 国社 会,こ とに都 市 にお け る巫 俗 の隆 盛 は,ポ ス ト ・モ ダ ンと もつ なが って い る

  よ うに思 わ れ る。

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朝倉  現代韓国社会における く 伝統文化〉 の研究の現状 と展望

が,「 品 位 が あ り,か つ 善 良 な人 を指 して言 う言 葉 」 「自分 の 夫 を 第 三 者 に 向 か って 言 う言葉 」 と して も広 く使 わ れ て い る14)0し か も,身 分 を 規 定 す る原 意 もあ い まい で あ り,身 分 制 度 と意 識 の ズ レか ら も,両 班 の数 は定 義 い か ん に よ って いか よ うに も数 え られ て き た し,両 班 とい う語 は 辞 書 的 な説 明 で は と うて い く くれ な い もの であ る。 し か し,長 い歴 史 を有 す る両 班 支 配 の社 会 が育 ん だ エ トス は,韓 国人 の意 識 の 中に,ま た 生 活 のす みず み に今 な お牢 固 と して存 続 して い る。 そ うした両 班 意 識 が,ど の よ う な形 で現 れ て い るか を見 て い こ う。

  a.「 国 民総 両 班 」

  本 来 の 制 度 ・身分 と して の両 班 は消 滅 した が,現 在 で も旧来 か らの両 班 と して の威 厳 を 守 り,両 班 と して の生 活 規 範 を遵 守 す る と と もに,歴 史 的 ・社 会 的 に も両 班 と し て 認 知 され る門 中(リ ニー ジ)が 存 在 して い るis)0

  こ うい った 両 班 とは別 に,両 班 が も とも と厳 格 な法 的 規 定 を 欠 い た 存在 で あ った た め,一 般 の 門 中 に あ って も 自 らの家 門 の威 信 を 高 め よ うとい う,い わ ゆ る 「 両 班 へ の 上 昇 志 向 」 は朝 鮮 時 代 か ら今 日に い た る ま で根 強 く続 い て お り,し か も拡 大 す る傾 向 に あ る。

  そ の 端 的 な 例 が 族譜 編 纂 事 業 の盛 行 に見 られ る。 族 譜 は も と も と15世 紀 中葉 か ら刊 行 され,両 班 の 専 有 物 で あ る と と もに,彼 らの諸 特 権 の権 利 書 であ った 。 そ れ が,20 世 紀 に 入 り,姓 と本 貫 を す べ て の 国民 が 所 有 してか ら,門 中 の 組 織 が 飛躍 的 に肥 大 し, 新 た な 門 中 も陸 続 と結 成 され た。 そ れ に符 合 して 族 譜 が 活 発 に 刊行 され,「 また族 譜

に 同本 同姓 の 人 々を 網 羅 す る よ うに な り,収 録 範 囲 が非 常 に広 が った 。 そ の 結 果,多 くの人 々が 自己 を 両 班 家 門 の 末 裔 と認識 す る よ うに な った。 こ う して庶 民 の間 に まで 両 班 意 識 が 浸 透 し,か つ て は 両 班 社 会 の規 範 だ った もの が社 会 全 般 に拡 散 し,韓 国 人

の ア イ デ ンテ ィテ ィ と考 え られ る まで に至 った」 【 吉 田  1986:420】 の であ る。

  名 門 で有 力 な門 中 では 都 市 に お い て も,共 同 の事 業 や情 報 交 換 の た め の門 中連 絡 事 務 所 を設 け,定 期 的 に 親 睦 を 兼 ね た 集 会 を 開 い た。 これ は宗 親 会 また は花 樹 会 と呼 ぼ れ る が,農 村 か ら都 市 へ の 人 口流 出 が 続 く中 で,中 小 の 門 中 ま で もが,こ れ に な ら っ

て宗 親 会 ・花 樹 会 が 次 つ ぎ と組 織 され て い った 。

14) 両班 の定義 につ いては,末 成 が,そ の用法の変 化を歴史 的背景に注意 しなが らまとめてお   り,こ れ を参照 されたい[末 成  1987:46‑48】 。

15) 一流 の両班 につ いては,豊 山柳 氏のモノ グラフ 【 金宅圭  1981『韓国 同族村落の研究一

  両班 の文 化 と生活』  学 生社】,仁同張氏を対象 とした同族論 【 江守五夫 ・崔龍基 1982『韓

  国両班 同族制 の研究』  第一書房】,東 莱鄭氏の婚姻関係 【 服部 民夫  1980「朝鮮後期 におけ

  る名門両班 の結婚関 係」『アジア経済』21:22‑56】な ど邦 文の研 究 もあ り,こ れ らを参照 され

  たい。

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国立民族学博物館研究報告   17巻4号

韓 国 に は,孝 子 門,烈 女 碑 と い っ た モ ニ ュ メ ン トが い た る と こ ろ に 見 ら れ る 。 こ れ らは儒 者 た ち の集 ま りで あ る 「 儒 林 」 集 団 に よ って 公 認 され て初 め て建 て られ る もの で あ る 。 近 年,こ う した モ ニ ュ メ ン トの 新 築 ・改 築 が,全 国 各 地 で 見 られ て い る 。 さ らに,個 人 の墓 地 の 石 碑 か ら門 中 が祖 先 の祭 祀 を した り会議 を行 う斎 室 ・祭 閣 まで, い た る と こ ろ で 建 立 さ れ て い る16)0こ れ ら は,一 族 の 結 束 力 を 誇 示 す る と と も に,自

らが 両 班 で あ る とい う社 会 的地 位 を 目に見 え る形 で示 そ うとす る もの で あ る。

朱 子 家 礼 に 見 られ る よ うな生 活 儀 礼 全 般 に 及 ぶ規 定 を どの程 度 実 践 して い るか が 両 班 の 重 要 な 基 準 の 一 つ とな っ て い る。1973年 に 家庭 儀 礼 に関 す る法 律 施 行 令 が 出 され 簡 素 化 が 計 られ た が,近 年 こ とに結 婚 式 や還 暦 な どは盛 大 に催 され る よ うに な って い る。 こ う した 需要 に応 え て,こ れ らを 行 う施設 は産 業 化 され,一 般 の 人 々が 親戚 ・知 人 を 呼 ん で 盛 大 な 祝宴 を行 っ て い る。 最 近 は,か つ て両 班 が 行 った 伝 統 的 な 形 で 結婚 式 を あ げ られ る場 が で き,人 気 を 博 して い る と言 う1窺

これ らの 出 来事 は,80年 代 以 降 に な って さ らに隆 盛 に な って きて い る。 これ は,教 育 水 準 が 上 が り,知 識 人予 備 軍 と も言 うべ き大 学 進 学 者 が急 増 した り18),高度 経 済 成 長 に 支 え られ,国 民 の大 多 数 が 「中産 層 」 で あ る とい う意 識 を 持 って きた こ と と並 行 す る 現 象 と 見 る こ と が で き よ う19)0そ して,韓 国 人 に 出 自 を 訊 く と誰 も が 両 班 だ と言 う 「国民 総 両 班 」 とい う現 象 が生 まれ20),両 班 肯 定 の 風 潮 が,高 度 経 済 成 長 の 過 程 で, 両 班 とい うもの を民 族 の心 のふ る さ とに仕 立 て上 げ る こ とに よ って 安 定 して きた と言

え よ う。

16)筆 者 の調 査 地 で あ る都 草 島 に お い て も,墓 碑 や 祭 閣 の建 立 が 見 られ る。1991年11月16日 に   韓 国 西 南 部 島 嶼 地 方 に あ る こ の 島 の 一 農 村 の,し か も名 門 とは 言 え な い 小 門 中 に お い て,   7000万 ウ ォ ンの 巨費 が 投 じられ た 祭 閣 の 落成 式 が 行 わ れ た 。

17)還 暦,古 希 の祝 い な どは,一 般 に ホ テ ルや 会 館 で 行 わ れ,例 え ぽ ソ ウル の東 仙 洞 付 近 には,   こ う した会 館 が林 立 す る所 が あ る。 また 結 婚 式 も,オ リ ン ピ ック公 園 内 の礼 式 場 な ど,伝 統   的 な結 婚 式 を あげ られ る所 が 増 え,民 俗 婚 礼 が人 気 を博 して お り(韓 国 日報一1992.1.17一 よ   り),87年 か ら伝 統 婚 礼 式 場 と して 開 放 され た 昌原 市 の 「昌 原 の家 」 で は,89年 に70組,90   年 に115組,91年 に は9月 末 ま で に す で に160組 の 伝 統 婚 礼 式 が 行 わ れ て 筍(韓 国 日報   一1991.10.5一 よ り)。 さ らに5月20日 の成 人 の 日を迎 え 「伝 統 成 年 式 再 現 活 発 」'とい う記 事   も見 られ る(中 央 日報一1991.5.18一 よ り)。

18)  「教 育 の普 及,と くに高 等 教 育 の大 衆 化 の中 です す んだ 『知 識 人 』 の 大 量 形 成 で あ ろ う。

  四 年 制 大 学 だ け を と っ て も,そ の 学 生 数 は1971年 か ら82年 の11年 間 に4.26倍 に も増x」 【 滝   沢   1988:19],「 特 に80年 代 に入 って か らの 大 学 生 の急 増(大 学進 学 率 の 急 上 昇)は,そ れ   自体 現 代 韓 国 社 会 を 象 徴 す る一 つ の 『社 会 現 象 』 で あ る」 【 滝 沢   1988:31】 とい う。

19)  1987年6月29日 の 「盧 泰 愚 宣 言 」 に よ って,韓 国 の政 局 は 民 主 化 の 本 軌 道 へ そ の劇 的 な 一   歩 を 印 した 。 そ の主 体 は経 済 成 長 に伴 っ て形 成 され て きた 「都 市 中 産 層 」 で あ った とい う見   解 につ いて は 議 論 もあ るが1滝 沢   1988:23‑261,こ の 時 期,中 流意 識 ・所 得 水 準 な ど い くつ   か の統 計 か ら 中産 層 が 今 民 全 体 の60%を 越 えて きた と言 わ れ る。 彼 らの 自画 像 に つ いて は,   刈音 大 学 校 社 会 科 学 研 究所 【1987】 を 参 照 され た い 。

20)商 標 が 「両 班 海 苔 」 と い う海 苔 の テ レ ビ宣 伝 に こ 「近 頃,両 班 でな い 人 が,ど こに い るの 」

  と い うフ レー ズが 使 わ れ て い る ほ どで あ る。

参照

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