﹃賦 光 源 氏 物 語 詩 ﹄ を 読 む ( 二 )
若紫・末摘花・紅葉賀・花宴1
本間洋一
五若紫
下従盤折望柴架盤折を下従りて柴の架を望めば
若紫濃姿接僕僮若紫の濃やかなる姿僕僮に接す
露点残苔城北寺露は残苔に点ず城北の寺
霞懸遠樹洛陽宮霞は遠樹に懸かる洛陽の宮
一宵旅宿逢春別一宵の旅宿春の別かれに逢ひ
三昧梵音驚暁夢三昧の梵音暁の夢を驚かす
禅室草筵多感興禅室の草筵感興多し
花零瀧水濺簾欖花は零ち瀧水は簾瀧に濺ぐ︿七律︒僮・宮・夢・欖(上平声東韻)﹀
首聯第二句に巻名が詠込まれているのは見ての通りだが︑こ の一首は物語の前半の北山の寺の場面を詠むばかりで︑その帰
洛後のことなどには全く触れるところがない︒一聯毎に訳出す
ると次のようになるだろうか︒
つづら折を下って小柴垣のある家を眺め渡すと︑(後に)
若紫(と呼ばれることになる女性)のお仕えしている者た
ちと交わり接している美しい姿が見やられます︒
この都の北山の聖(修行者)の寺では︑秋の露が損われた
苔の上に降り敷き︑宮城の方を見やれば︑遥か遠い木々に
かすみがかかりけぶるようです︒
一晩の旅の宿りは(三月晦のこととて)春とお別れするめ
ぐり合わせとなり︑(某の僧都︿紫の上が身を寄せている
祖母尼の兄﹀の)法華三昧を行う読経の声に︑光源氏様は
二一
﹃賦光源氏物語詩﹄を読む(二)
夜明け前の夢からはっとめざめる思いをされたことでした︒(僧都と)柴の庵の如き堂にて対面しあたりを眺めている
と︑心に面白く思われることも多く︑花が散り滝水が格子
窓にそそぎかかるという風情でございます︒
首聯の﹁盤折﹂は曲がりくねる山中の道をいう︒﹁誰知中
有レ路︑盤折通二巌巓己(﹁遊二悟真寺一詩﹂﹃白氏文集﹄巻六・
〇二六四Yと見え︑﹁雪榮二九折嶝一︑風巻二万里波一﹂(沈約
﹁従軍行﹂)﹁九折︿ツ・ラヲリ︑坂也﹀﹂(﹃色葉字類抄﹄)とい
うに同じ︒﹁柴架﹂は小柴垣のこと︒﹁架﹂はまがき・ませの類
で︑白詩にも﹁似レ火浅深紅圧レ架︑如レ餝気味緑粘レ台﹂(﹁薔
薇正開春酒初熟(下略)﹂﹃白氏文集﹄巻一七・一〇五五)や
﹁繞レ廊紫藤架︑夾レ砌紅薬欄﹂(﹁傷宅﹂同上巻二・○〇七七)
などと薔薇の垣や藤棚が詠まれていた︒﹁濃姿﹂は珍しい語型
だが︑顔色うるわしく美しい姿を言う︒﹁濃﹂は色の濃いこと
が基本的な意だが︑ここではこまやかに行届き整って美しい様
を表現する︒﹁濃粧﹂﹁濃艶﹂などと王朝漢詩で用いられる語を
想起させる︒﹁僕僮﹂は憧僕に同じく︑仕える者のこと(平
仄・押韻の関係で﹁僕憧﹂とする)︒この一聯は︑瘧病を患う
光源氏が︑北山の﹁寺のさまもいとあはれな﹂(①跏頁4行) 二二
る処を訪れ︑加持を受けた後を受けて綴る︒彼は﹁すこし立ち
出でつつ見渡し給へば︑高き所にて︑ここかしこ︑僧坊どもあ
らはに見おろさるる﹂(①跏頁13〜15行)処に立つ︒すると
﹁ただこのつづら折の下に︑同じ小柴なれどうるはしうしわた
して清げなる屋︑廊など続けて︑木立いとよしある﹂(①㎜頁
15行〜跚頁2行)住居のあるのが目にとまる︒興味を抱きはす
るものの︑供人や良清(播磨守の子)と噂話をして過ごす光源
氏︒が︑そのうち所在なさに任せて﹁夕暮のいたう霞みたるに
まぎれて︑かの小柴垣のもとに立ち出でたまふ﹂(①蹣頁11〜
13行)︒するとそこにいたのは﹁きよげなる大人二人ばかり︑
さては童べそ出で入り遊ぶ中に︑十ばかりやあらむと見えて︑
白き衣︑山吹などの萎えたる着て走り来たる女子︑あまた見え
つる子どもに似るべうもあらず︑いみじく生ひ先見えてうつく
しげなる容貌なり︒髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして︑
顔はいと赤くすりなして立てり﹂(①脳頁6〜11行)と描き出
される若紫である︒﹁雀の子を犬君が逃がしつる︑伏籠の中に
籠めたりつるものを﹂(①脳頁14〜15行)と言う口惜しそうな
口ぶり︑そして﹁つらつきいとらうたげにて︑眉のわたりうち
けぶり︑いはけなくかいやりたる額つき・髪ざしいみじううつ
くし︒ねびゆかむさまゆかしき人かな﹂(①跏頁10〜12行)な
どという﹁濃姿﹂の様子をしっかり記憶にとどめる光源氏で
あった︒
﹁残苔﹂は損なわれた苔︒﹁詩酒友多墳宿草︑笙歌家半地残
苔﹂(源為憲﹁旧遊安在哉﹂﹃類聚句題抄﹄跚)などと︑うち棄
てられて歳月を経たことを暗示する場合に用いられることが多
い︒残は衰残のイメージ︑苔は山中の雰囲気を醸し出す︒﹁遠
樹﹂は遠方の木立︒﹁孤煙生乍直︑遠樹望多円﹂(﹁渡淮﹂﹃白氏
文集﹄巻五四・二四一五)﹁望二長安城之遠樹一︑百千万茎薺
青﹂(源順﹁春生二霽色中﹂﹃和漢朗詠集﹄巻下・眺望鰯﹃本
朝文粋﹄巻八・鵬)などと見える︒﹁洛陽宮﹂とは都の宮城を
言うが︑本朝ではしばしば﹁東京号二洛陽城㎜﹂(﹃拾芥抄﹄京
程部)﹁洛陽トハ只東京ト云義也︒西ヲ長安ト云︑東ヲ洛陽ト
云︒其制前後アレ共︑今本朝ニハ両都一郡ナル故二︑共呼テ同
ク京師ノ名トスル歟﹂(﹃塵添壗襄鈔﹄巻=ハ・鴻臚宮事)など
とあり左京を指すとされる︒この頷聯の三句目は︑﹁さてもい
と美しかりつる児かな︑何人ならむ︑かの人の御かはりに明け
くれの慰めにも見ばや︑と思う心深うつきぬ﹂(①㎜頁13〜15
行)などと︑若紫に執着する光源氏が︑その思いを養育してい
﹃賦光源氏物語詩﹄を読む(二) る祖母の尼君に訴える場面と関わる︒﹁初草の若葉のうへを見
つるより旅寝の袖もつゆぞかわかぬ﹂(①跚頁4〜5行)と詠
んだ光源氏への尼君の返歌﹁枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山
の苔にくらべざらなむ﹂(①鵬頁14〜15行)をふまえ綴ったも
の︒﹁城北寺﹂とは直接的には﹁北山になむ︑なにがし寺とい
ふ所にかしこき行ひ人はべる﹂(①魏頁4〜5行)と瘧病に悩
む彼が訪ねた聖の寺を指すだろうが︑そのすぐ近くに若紫を見
出した小柴垣の僧坊もあった︒第四句の﹁霞懸﹂はかすみがか
かることを言う︒治病の勤行の合間︑気分転換を勧められた彼
が﹁背後の山に立ち出でて京の方を見たまふ︒はるかに霞みわ
たりて︑四方の梢そこはかとなうけぶりわたれるほど﹂(①跏
頁15行〜跚頁2行)にいたく感歎する場面を詠んだものであろ
う︒物語では北山から都城を眺望するのだが︑東山から春霞に
けむる都を詠む早い作に﹁躋二翠嶺㎜而西顧︑家郷悉没二煙樹之
深一﹂(橘在列﹁山寒花不レ圻序﹂﹃和漢朗詠集﹄巻下・眺望
晒)があり︑﹁山高み都の春を見渡せばただひとむらの霞なり
けり﹂(大江正言﹁長楽寺にて故郷の霞の心をよみ侍りける﹂
﹃後拾遺集﹄巻一・38)と続き︑﹁顧二望華洛求名処一︑不レ過二
翁々一片霞一﹂(源経信﹁遊二長楽寺一﹂﹃本朝無題詩﹄巻八・
二三
﹃賦光源氏物語詩﹄を読む(二)
謝)などと継承される同工の表現がある︒前引の物語本文も表
現の系譜からすると当時としては新鮮な視点であったと言いう
るであろう︒
=宵﹂は=宵光景潜相憶︑両地陰晴遠不レ知﹂(﹁江楼
月﹂﹃白氏文集﹄巻一四・〇七六一)﹁箭漏応レ寛周歳会︑銅壺
莫レ従一宵親﹂(﹁七月七日代二牛女一惜二暁更己﹃田氏家集﹄巻
下)などとあり︑一晩中の意︒﹁旅宿﹂は旅の宿(をとるこ
と)で﹁遥問旅宿夢二兄弟一︑応レ為三郵亭名二棣華こ(﹁棣華駅
見下楊八題夢二兄弟一詩ヒ﹂﹃白氏文集﹄巻一八・=八一)﹁若
使三韶光知二我音ひ︑今宵旅宿在二詩家一﹂(﹁送春﹂﹃菅家文草﹄
巻五﹃和漢朗詠集﹄巻上・三月尽54)とある︒﹁春別﹂は﹁煙
郊春別遠︑風磧暮程深﹂(﹁春送下盧秀才下第遊二太原一謁中厳尚
書上﹂﹃白氏文集﹄巻=二・〇六五一)とあるように春の時節
の下の別れの意が普通︒ここでは春との別れの意で︑﹁花だに
も散らで別るる春ならばいとかくけふを惜しまましやは﹂(藤
原朝忠﹃新撰朗詠集﹄巻上・三月尽52)﹁身にかへて何嘆くら
ん大方は今年のみやは春に別るる﹂(殷富門院大輔﹃風雅集﹄
巻三・春歌下・二九六)などという類︒光源氏が北山を訪れた
のは﹁三月のつごもりなれば︑京の花盛りはみな過ぎにけり︒ 二四
山の桜はまだ盛りにて︑入りもておはするままに︑霞のたたず
まひもをかしう見ゆれば︑かかるありさまもならひたまはず︑
ところせき御身にて︑めづらしう思されけり﹂(①㎜頁12行〜
㎜頁4行)という時節であり︑逗留もわずか一泊に過ぎなかっ
たので︑第五句のように詠むのである︒﹁梵音﹂は読経の声︒
﹁蘿幌棲二禅影一︑松門聴二梵音﹂(王勃﹁遊二梵宇覚寺・﹂)﹁水
清塵躅断︑風静梵音明﹂(笠仲守﹁冬日過二山門・﹂﹃経国集﹄
巻一〇)とある︒﹁暁夢﹂は夜明け前の夢︒﹁万里山川分・・晦
夢一︑四隣歌管送二春愁一﹂(許渾﹁贈二河東虞将軍己﹃千載佳
旬﹄巻上・閑居蛻)﹁孫帷垂兮猶眠︑暁夢芬芳書帙之下﹂(紀斉
名﹁入レ夜花如レ雪詩序﹂﹃新撰朗詠集﹄巻上・花付落花鵬)は
用例の一斑︒この第六句は︑﹁暁方になりにければ︑法華三昧
行ふ堂の懺法の声︑山おろしにつきて聞こえくる︑いと尊く︑
滝の音に響き合ひたり︒(源氏)吹き迷ふ深山おろしに夢さめ
て涙催す滝の音かな﹂(①跚頁3〜7行)を念頭に置いて詠ん
だものであろう︒
﹁禅室﹂は僧坊︒禅房に同じ︒﹁可三是禅房無二熱到一︑但能
心静即身涼﹂(﹁苦レ熱題二恒寂師禅室己﹃千載佳句﹄巻上・避
暑鵬﹃和漢朗詠集﹄巻上・納涼皿﹃白氏文集﹄巻一五・〇八