は じ め に
筆者は,拙稿「ハイエクの『貨幣の脱国営化論』について」(『商学論纂』
第54巻第5号,2013年3月),「バーナンキは変節したのか─『連邦準備制度 と金融危機』を読む」(『東京経済大学会誌─経済学─』第277号,2013年3月),
「ベン・バーナンキ『危機と決断─前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録
─』を読む」(『中央大学経済研究所年報』第48号,2016年9月),「大恐慌の原 因に関するフリードマンの解釈をめぐって─『合衆国金融史1867‑1960』
を読み直す─」(『商学論纂』第58巻第5・6号,2017年3月)のなかで,F. A.
281 商学論纂(中央大学)第60巻第1・2号(2018年9月)
中央銀行の最後の貸し手機能
(Lender of Last Resort)
について
──学説史的考察──
建 部 正 義
目 次 は じ め に
1.バジョットの最後の貸し手機能論 2.マ ル ク ス
3.ケ イ ン ズ 4.ハ イ エ ク 5.フリードマン 6.キンドルバーガー 7.バーナンキ むすびにかえて
ハイエク,B.バーナンキ,M.フリードマンの理論と中央銀行の最後の貸 し手機能との関連に言及した。
また,マルクス記念シンポジウム実行委員会主催「『資本論』150年記念 シンポジウム」(於武蔵大学,2017年9月16日)における報告「現代の金融危 機と『資本論』」のなかで,K.マルクスの理論と中央銀行の最後の貸し手 機能との関連に言及した。
ただ,これらの言及はそれ自体では断片的なものにとどまり,また,
J. M.ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』やC. P.キンドルバー ガー『大不況下の世界1929‑1939』についての言及を欠くものであった。
そこで,本稿では,ケインズやキンドルバーガーの理論と中央銀行の最 後の貸し手機能との関連についての論述を補うと同時に,経済学の歴史の なかにおける中央銀行の最後の貸し手機能の位置づけ──それが論者によ り肯定的に評価されるにせよ,否定的に評価されるにせよ──をより体系 的に提示することにしたい。
1.バジョットの最後の貸し手機能論
周知のように,経済学の歴史において,恐慌防止策としての中央銀行の 最後の貸し手機能を最初に提起したのは,W.バジョットであった。バジ ョットは,『ロンバード街─金融市場の解説』(久保恵美子訳,日経BP社,
2011年)のなかで,中央銀行の最後の貸し手機能の目的と原則を,以下の
ように整理する。
「理論が提示し経験が証明しているように,恐慌期における最終的 な銀行支払い準備の保有主体は(それが単一であれ複数であれ),優良な 担保を提供するあらゆる借り手に対し,迅速に,自由に,また容易に 資金を貸し付けるべきである。この政策をとれば恐慌を鎮静化できる
が,他の方策では恐慌を悪化させるばかりである」(194ページ)。 「イングランド銀行も,恐慌期には他の同種の銀行がすべきこと,
つまり,『大衆に対して,自行の準備から自由に,また積極的に貸し 付ける』という義務を果たさなければならない。……。
また,イングランド銀行も,同じ状況にある他の銀行と同様に,こ うした貸付をする場合,可能ならばその貸付の本来の目的を達成でき るようにすべきである。その目的とは,恐慌を食い止めることであ る。……。この目的のために二つの原則がある。第一に,これらの貸 付は非常に高い金利でのみ実施すべきである。高金利の貸付は,過度 に臆病になっている人々に対しては重い罰金として作用するため,貸 付を必要としない人々からの融資申し込みの殺到を防ぐことができ る。……。十分な対価を支払わないまま,無益な用心のために資金を 借り入れる者が出ないようにして,銀行〔イングランド銀行〕支払い 準備を可能なかぎり保護するのである。
第二に,この高金利の貸付は,あらゆる優良な担保にもとづき,ま た大衆の希望にすべて応じられる規模で実施すべきである。その理由 は明白だ。貸付の目的は不安の抑制であるため,不安を生じさせるよ うなことはすべきではない。しかし,優良な担保を提供できる人への 貸付を拒否すれば,不安が発生する。不安が蔓延する時期には,この 拒否の知らせは金融市場全体にあっという間に広まる。このニュース は,発信者がはっきりしなくても,ものの30分で四方八方へ広まり,
いたるところで不安が強まる。……。イングランド銀行が平常時に優 良な担保とみなされるもの,つまり一般に担保化され容易に換金可能 なものに対して,自由に貸し付けることが知れ渡れば支払い能力のあ る商人や銀行の不安は消えるだろう。しかし,本当に優良で,通常な ら換金可能な担保が,イングランド銀行に拒否されることがあれば,
不安は緩和されず,他の貸付はその目的を達成できなくなり,恐慌は ますます悪化する」(216‑218ページ)。
付言するまでもなく,バジョットの主張しようとするところは,明らか である。
なお,貸付は高金利でのみ実施すべきであるとされているが,その理由 は,今日の言葉でいえば,借り手のモラルハザードの抑止という点に帰着 することになるであろう。また,貸付の形態としては,金貨または兌換銀 行券,ならびに,預金設定によるそれを念頭に置いていたものと思われ る。
2.マ ル ク ス
筆者は,報告「現代の金融危機と『資本論』」のなかで,おおよそ以下 のように指摘した。
これは仮定の話であるが,もし,マルクスがバジョットの『ロンバード 街』を目にし,そこで展開されている中央銀行の最後の貸し手機能の内容 を知っていたとするならば,おそらく,それを肯定的にとらえたのではな いかと思われる。しかし,『ロンバード街』の初版の刊行は1873年のこと であり,『資本論』第3部草稿第5章(エンゲルス版『資本論』第3巻第5篇
「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」)──中央銀行の最後の 貸し手機能の問題が取り扱われるとすれば,この箇所以外には考えること ができない──の執筆時期は1865年夏から12月のあいだのこととされてい るから,現実には,マルクスは,『ロンバード街』を参照する手立てを有 していなかった。
ただ,エンゲルス版『資本論』第3巻第5篇第32章「貨幣資本と現実資 本 Ⅲ(終わり)」には,マルクスによる次のような記述が見出される。
「労働の社会的性格が貨幣定在として,それゆえ現実の生産の外に ある一つの物として現れる限り,貨幣恐慌は,現実の恐慌とはかかわ りなく,またはそれの激化として,不可避である。他方では,〔イン グランド〕銀行の信用がゆらいでいない限り,〔イングランド〕銀行 は,このような場合には信用貨幣〔兌換銀行券〕の増加によってパニ ックを緩和する……ということは明らかである」(社会科学研究所監訳・
資本論翻訳委員会訳『資本論』第3巻b,新日本出版社,1997年,901ペー ジ)。
三宅義夫氏は,『マルクス信用論体系』(日本評論社,1970年)のなかで,
マルクスのこの記述の含意を兌換制下から不換制下にまで拡張しつつ,以 下のように敷衍する。
「マルクスは『一銀行の信用が震撼されていないかぎり,その銀行 が信用貨幣を増加すればかかる場合にパニックが緩和される』といっ ているが,こんにち,中央銀行での兌換は停止されており,不換銀行 券となっている。したがって中央銀行の金兌換にたいする『信用』は
『震撼』される可能性もなくなっている。こんにちにおいては,中央 銀行は,インフレーションの危険を別とすれば,事実上自由に銀行券 を発行することができる。このもとでは中央銀行にかんしては,右の
『一銀行の信用が震撼されていないかぎり』という規定は消滅するこ とになるのであって,そして,『その銀行が信用貨幣を増加すれば』
──といってもこのさいには不換銀行券であるからもっぱらその法貨 性によって流通するのであり,したがって『信用貨幣』ではないが
──『かかる場合にパニックが緩和される』ということが,しかもよ り大きな度合をもって,残ることになる。中央銀行は『貨幣飢饉』と
なるようなさいに,これを救済すべく法貨たる不換銀行券を増発し て,あるいは預金を設定して,この貨幣飢饉を緩和しまたは未然に防 ぐについて,金兌換制のさいに比していちじるしく大きな行動の自由 をもつことができることになる」(217‑218ページ)。
もっとも,マルクスは中央銀行の最後の貸し手機能の内容を肯定的にと らえたにちがいないと推定されるからといって,マルクスが恐慌の可能性 および現実性にまで疑問を抱くにいたったにちがいないとまで推定するな らば,それは,明らかに行き過ぎである。エンゲルス版『資本論』第3巻 第30章「貨幣資本と現実資本 Ⅰ」のなかには,次のような指摘が見出さ れる。
「1844‑1845年のそれのような無知でばかげた銀行立法が,こうした 貨幣恐慌をはなはだしくすることはありうる。しかし,どんな種類の 銀行立法も恐慌をなくすことはできない」(851ページ)。
「再生産過程を強行的に拡張しようとするこの全人為的制度は,い ま,ある銀行,たとえばイングランド銀行が,その私券〔銀行券〕を もってあらゆるいかさま師に不足な資本を提供し,価値減少した全商 品をそのもとの名目価値で買い取るというようなことによっては,治 癒されうるものではない」(852ページ)。
3.ケ イ ン ズ
ケインズの理論体系には,中央銀行の最後の貸し手機能が入り込む余地 はない。
ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(『ケインズ全集』第7巻,
塩野谷祐一訳,東洋経済新報社,1983年)は,有効需要理論を基礎にしている。
そして,筆者のみるところ,この有効需要理論は,以下のような構造を有 するものである。
有効需要は消費需要と投資需要とからなる。このうち,消費需要の大き さは消費性向によって規定されるが,これは,近代社会の「基本的心理法 則」──人々は,通例かつ平均的に,所得が増加するにつれて消費を増加 させる傾向をもつが,その場合,消費は所得の増加と同じ額だけ増加する ことはない──と関連したかなり安定的な関数であるとみなすことができ る。だから,消費関数側の要因は,せいぜいのところ,不況と非自発的失 業との蓋然的な可能性を示唆するにとどまる。というのは,安定的な消費 性向が与えられたならば,総供給価格(企業者がそれだけの雇用を提供するに 値するとまさに考える売上金額の期待値)と消費需要との差額を埋めるに足る だけの十分な投資需要が存在しない場合にのみ,有効需要の不足,したが って,不況と非自発的失業とが生み出されるにすぎないからである。こう して,雇用水準にたいして決定的な伴を握るものは,投資需要の大きさで あるということになる。
そして,投資需要の大きさは資本の限界効率(ほぼ予想利潤率に相当する)
と利子率とによって規定される。このうち,資本の限界効率は,20世紀に おいては,さまざまな理由──たとえば,19世紀にみられた人口の増加と 発明の発達,新しい土地の開発,平均10年ごとに起こった戦争,企業者の
確信(confidence)の状態などが,20世紀にはみられないか,その程度が低
いこと──により,19世紀におけるそれに比較してはるかに低いものにな っている。また,与えられた類型の資本資産の限界効率は,それへの投資 が増加するにつれて,短期的には,「収穫低減法則」の作用をつうじて,
その供給価格が上昇することにより,中期的には,その類型の資本資産の 増加と競争の激化とをつうじて,予想収益が減少することにより,低下す る傾向をもたざるをえない。このように,資本の限界効率は,基本的に
は,経済的与件(企業者の確信の状態,競争条件)ならびに経済外的要因(人 口の増加,その他)によって規定されるわけであるから,全体として所与の ものとみなすことができる。しかも,それは,現状のもとではかなり低い 水準にとどまっている。もっとも,企業者のいわゆるアニマル・スプリッ トが,資本の限界効率の低下にともなう投資需要の低下を部分的に補うこ とになるが──「もし人間本性がいちかばちかやってみることになんの誘 惑も感ぜず,工場や鉄道や鉱山や農場を建設することに(利潤を獲得するこ と以外に)何の満足も覚えなかったとしたなら,単に冷静な計算の結果と しての投資はあまり多くは行われなかったに違いない」(150ページ)──。
他方では,利子率は,流動性選考(貯蓄を,債権の形態においてではなく,
貨幣すなわち流動性の形態において保有しようとする人びとの性向)の度合いと 貨幣量とによって規定される。金本位制度下では,貨幣量は,基本的に所 与のものとみなしうるから,最後に,流動性選好の度合いが残ることにな る。ところが,流動性選好の度合いは,貨幣(金)がもつ特殊な性質──
生産および代用の弾力性がゼロに近く,持越費用(carrying cost)が低いこ と──と結びついた資産所有者(企業者とは区別される)の貨幣保蔵欲また は貨幣愛によって,比較的高い水準にとどまらざるをえないものと想定さ れる(「ジョン・ブル〔イギリス人のこと〕はたいていのことは我慢する。しかし 2%の利子には我慢できない」)。
このように,結局のところ,貨幣の特殊な性質と結びついた資産所有者 の貨幣保蔵欲または貨幣愛にこそ,不況と非自発的失業との究極の原因を 見出すことができるであろう。したがって,その救済の途も,さしあた り,金本位制度の廃棄と「管理通貨制度」への移行,ならびに,それを背 景とした貨幣当局による貨幣量の増加と低利子率への誘導とに求められる ことになる,と。
こうしたケインズの見解の核心は,『一般理論』における以下のような
文章のなかに,これを端的に読み取ることができる。
まず,不況と非自発的失業の究極の原因について。
「いって見れば,人々が月を欲するために失業が生じるのである。
──欲求の対象(すなわち,貨幣)が生産することのできないものであ って,それに対する需要も簡単にやめさせることができない場合に は,人々を雇用することはできないのである。
指摘するに値する興味深い点は,金を価値標準として用いるのにと くに適したものにしていると伝統的に考えられてきた性質,すなわち その供給の非弾力性こそが,まさに困難の根底にある性質にほかなら ないことが明らかになったことである」(234ページ)。
「人々が数千年間にわたって貯蓄したあげくの果ての世界が,累積 された資本資産の中にあって現状のように貧しいという事実は,私の 考えでは,人類の思慮に乏しい性向によっても,また戦争による破壊 によっても説明されるものではなく,かつては土地の所有に対して付 与されていた高い流動性打歩(liquidity-premium)が,いまでは貨幣に 対して付与されていることによって説明されるべきである」(240ペー ジ)。
つぎに,救済の途について。
「救済の途は,公衆に生チーズ〔すなわち,不換紙幣〕が実際には 月〔すなわち,金〕と同じものであることを説得し,生チーズ工場
(すなわち,中央銀行)を国家の管理のもとにおくよりほかにはないの である」(234ページ)。
「救済は,ただ──資本の限界効率の変化は別として──(流動性へ
の性向が変化しないかぎり)貨幣量の増加から……生じうるにすぎない」
(233ページ)。
「貨幣当局によって創造される貨幣量に対応して,……,一つの確 定的な利子率,あるいは,いっそう厳密にいえば,満期の異なる債権 に対する利子率の確定的な複合体が存在するであろう」(202ページ)。 「もし貨幣当局があらゆる満期の債権(debts)について特定の条件 で売りと買いの双方を行う用意があるならば──もし貨幣当局が危険 の程度を異にする債権を売買する用意があるならば,なおさらのこと であるが──,利子率の複合体と貨幣量との間の関係は直接的になる であろう。この場合には,利子率の複合体は,銀行組織が債権を獲得 したり手離したり用意のある条件を表現するものにほかならず,貨幣 量は,市場利子率によって示される条件で債権と交換に現金を手離す よりも,流動的現金の支配の方を選考する……個々人の手もとに安住 の地を見出す額となるであろう。中央銀行が,短期手形に対する唯一 の銀行利率を発表する代わりに,あらゆる満期の一流債券(bonds) を指定価格で売買するための複合的な付け値を発表することは,おそ らく貨幣管理(monetary management)の技術上なしうる最も重要な実 際的改良であろう」(203ページ)。
ところが,資本の限界効率の変動があまりにも大きい場合には,利子率 の操作だけでは,適切な投資量を維持することが困難になる局面が生じる ことも十分に考えられうる。ここに,切り札として登場してくるのが,中 央銀行に代わる国家の役割にほかならないというわけである。
「私自身としては,現在,利子率に影響を及ぼそうとする単なる貨
幣政策(monetary policy)が成功するかどうかについていささか疑いを
もっている。私は,資本財の限界効率を長期的な観点から,一般的,
社会的利益を基礎にして計算することができる国家が,投資を直接に 組織するために今後ますます大きな責任を負うようになることを期待 している。なぜなら,上述の原理に基づいて計算される各種資本の限 界効率に関する市場評価の変動があまりにも大きくなるので,利子率 の実現可能な変化によってもはや相殺できないようになるかもしれな いからである」(162ページ)。
ちなみに,有効需要が一単位だけ増加した場合に,国民所得がどれだけ 増加することになるのかという関係を数学的に定式化したものが,いうと ころの乗数理論にほかならない。
以上で考察したように,ケインズの有効需要理論体系には,中央銀行の 最後の貸し手機能が入り込む余地が存在しないことは明らかである。
4.ハ イ エ ク
ケインズの場合と同様に,ハイエクの場合にもまた,その理論体系に は,中央銀行の最後の貸し手機能が入り込む余地はなかった。
ハイエクのDenationalization of Money, An Analysis of the Theory and Practice of Concurrent Currenciesには,タイトルの異なる2種類の日本語 訳が存在する。川口慎二氏による『貨幣発行自由化論』(東洋経済新報社,
1988年)と西部忠氏による『貨幣の脱国営化論─共存通貨の理論と実践の
分析』(『ハイエク全集』第Ⅱ期第2巻『貨幣論集』,春秋社,2012年,所収)であ る。
西部氏は,『貨幣論集』の「解説─貨幣の未来を構想する」のなかで,
「貨幣発行自由化論」に代えて「貨幣の脱国有化論」というタイトルを選 んだ理由を,次のように説明する。
「貨幣の脱国営化とは,中央銀行による貨幣発行権の独占による
『法定通貨』の設定を貨幣の『国営化』ととらえ,その非国営化ない し民営化を求めることである。民間銀行や企業は,多数通貨や多数商 品バスケットなど自らが適切であると考える支払準備を保有し,法定 通貨(円やドル)と異なる独自の通貨名称や価値単位を持つ代用通貨
(銀行券)を発行する。その場合,流通圏は国家通貨のように国内全域 に限る必要はまったくなく,国際的流通圏を持つ通貨もありうるし,
地域的流通圏を持つ通貨もありうる。公衆は発行主体の発行量や発行 準備,流通圏などに関する公開情報を参照しながら,共存する多数の 通貨の中から望ましいものを自由に選択して利用する。企業家や勤労 者,貸し手や借り手などすべての利用者にとって重要な貨幣機能は,
貨幣が常に市場における売買や貸借のための適切な価値基準となるこ とである。それは,貨幣の質の劣悪化を伴わず,発行量が過剰や過少 になることで貨幣価値が上下に大きく変動することなく,安定した価 値を持つことを意味する」(303ページ)。
「原題Denationalization of Moneyは,川口慎二氏による旧約では,
『貨幣発行自由化論』と訳されている。内容を表す訳語として適切で あるが,タイトルに込められた貨幣の国家独占への批判という意味が 弱くなる嫌いがある。……。
ハイエクの貨幣の脱国営化論で自由化すべきなのは,国家通貨の貨 幣発行業務だけではなく,それに伴う貨幣名称,価値単位,準備資産 の種類と量,発行運営方針であり,貨幣の量(発行量と金利)ではな く質(貨幣価値の安定性)をめぐる競争である。『発行自由化』では,
これらが無視されてしまう可能性がある」(306ページ)。
西部氏によるこの論点にくわえて,「フリーバンキング」(ハイエクがい
う意味でのそれ)と「貨幣の脱国有化論」との内容的差異を理解しておく ことも,ハイエクの「貨幣の脱国営化論」の含意を理解するうえで,有意 義であると思われる。ハイエクは,この点について,以下のように指摘す る。
「ここで直面している問題のいくつかは,前世紀〔19世紀〕の中頃,
主にフランスとドイツにおいて,『フリーバンキング』にかんする大 論争の途上で幅広く議論された。この論争は,商業銀行がすでに確立 された国家の金貨または銀貨に兌換可能な銀行券を発行する権利をも つべきかどうかという問題をめぐってなされた。銀行券は,当時まだ ほとんど使用されることのなかった当座預金口座よりもはるかに重要 であった。当座預金口座は,銀行券を発行する権利が最終的に明確に 否定された後になって(また,部分的には,おそらくそのことが理由で)
ようやく重要になったにすぎない。この論争の結果,すべてのヨーロ ッパの国々おいて,政府から銀行券発行の特権を与えられた単一の銀 行が設立されるにいたったのである(アメリカ合衆国は1914年になって ようやく追いついた)」(131ページ)。
「当時のフリーバンキングにたいする要求はすべて,商業銀行が単 一の既成の国家通貨で表示された銀行券の発行を許可されるべきだと いう要求であったことは,とくに注意されるべきである。私が知るか ぎりでは,競争的な銀行がさまざまな通貨を発行する可能性は決して 考えられなかった」(同)。
それでは,「貨幣の脱国営化」は,なぜ必要なのであろうか。その目的 は,どこに求められるべきであろうか。ハイエクは,この側面について,
以下のように指摘する。ここには,ケインズ的な貨幣・経済政策にたいす
る批判が潜んでいることにも留意が必要である。ハイエクは,ケインズ的 な貨幣 ・ 経済政策が発動されるもとでは,インフレーションの発生は不可 避であると考えていた。
「政府による貨幣独占の廃止は,過去60年間にわたって世界を苦し めてきた激しいインフレーションとデフレーションという発作を防ぐ ために考えだされた。それは,調べてみると,もっと根深い病気,す なわち,資本主義に内在する致命的な欠陥であると表現されてきた不 況と失業の循環的な波動にとっても,強く切望される治療法であるこ とがわかる」(186ページ)。
「いま必要とされているのは,19世紀の『自由貿易運動』に匹敵し うるような『自由貨幣運動』である。それは,激しいインフレーショ ンが引き起こす害悪は現在の制度の下でも回避可能であると正当にも 論じられることを示すだけでなく,不況期を生み出すというより深刻 な影響が現行の貨幣制度に固有のものであることを説明する」(190ペ ージ)。
ちなみに,とりわけ,注意されるべきは,「貨幣の脱国営化」は,必然 的に,中央銀行および金融政策の消滅,したがって,中央銀行の最後の貸 し手機能の消滅を伴わざるをえないことである。ハイエクは,この問題に ついて,以下のように指摘する。
「おそらくここで,政府の貨幣発行の廃止は,現在知られているよ うな中央銀行の消滅をも必然的に伴うべきであるという明白な帰結に ついてはっきりと一言述べておきたい。なぜなら,中央銀行の機能を 引き受けるなんらかの民間銀行を思いつく人がいるかもしれないから
であり,さらに,たとえ政府の発行独占がなくても,『最後の貸し手』
や『最終準備の保有者』の役割といった中央銀行の古典的機能の一部 は依然として必要とされると考えられるかもしれないからである」
(151‑152ページ)。
「しかしながら,そのような機関が必要であるのはひたすら,商業 銀行が別の銀行が唯一の発行権をもつ通貨単位での要求払い債務を負 い,そうすることで実際には,別の貨幣に兌換可能な〔商業銀行〕貨 幣を創造しているためである。……このことがたしかに現存する信用 システムの不安定性と,そこから生じるすべての経済活動における広 範な変動の主要な原因なのである。中央銀行(あるいは政府)による 貨幣発行の独占と法律による法定通貨規定がなければ,諸銀行にとっ て自らの支払能力を別の主体によって供給されるべき現金に頼る正当 な根拠というものはなにもないであろう。ウォルター・バジョットが そう呼んだ『単一準備システム』とは発行独占にとって分離不可能な 付随物であるけれども,それは発行独占がなければ不必要で望ましく ないものである」(152ページ)。
「これまでに学ぶべきであったことは,金融政策(monetary policy) は不況の解決策どころかむしろ多分にその原因であるらしいというこ とである。なぜなら,安価な貨幣を求める騒がしい声に屈することに より生産の誤った方向付けを行い,後にその反作用を避けがたいもの にすることは,経済が特定の方向へ過剰に発展した結果から自ら脱出 するのを助けることよりも,はるかに容易だからである。市場経済の 過去における不安定性は,市場メカニズムのもっとも重要な調整装置 である貨幣それ自体が市場過程によって調整されることから排除して きたことの帰結なのである」(147ページ)。
もはや,多言を要するまでもないであろう。ハイエクによれば,「貨幣 の脱国営化」によって,インフレーションもデフレーションも防止され,
また,不況も失業も治療されることになるから,中央銀行も金融政策も消 滅することになり,したがって,中央銀行の最後の貸し手機能も不必要で 望ましくないものになるというわけである。
5.フリードマン
フリードマンとA. J.シュウォーツの共著『合衆国金融史 1867‑1960』
が貨幣論・経済理論の世界に与えた衝撃は,計りしれないほどのものであ った。それは,一方において,マルクスの『資本論』がマルキストにとっ て,ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』がケインジアンにと って,古典としての役割を果たしたように,マネタリストにとって,同じ 役割を果たすことになった。それは,他方において,ケインズ経済学を一 蹴することにより,マネタリズムという考え方をオーソドックスな経済学 の分野に完全に定着させることになった。いわゆる「ケインズ革命」にた いする「フリードマン反革命」である──「ケインズ革命」も「フリード マン反革命」もともに,1929年大恐慌の原因の分析に端緒を有すること は,きわめて興味深い事実であるといわなければならない──。
この間の事情を,フリードマンは,たとえば,以下のように説明する。
「大恐慌はまた,経済を専門とする人びとの考え方にも,重大な変 化を引き起こした。金融政策(monetary policy)こそが経済的安定を促 進するための有効な政策であるという,長い間信奉され,とりわけ 1920年代に支持を集めていた考え方は,大恐慌による経済的崩壊の結 果,粉砕されてしまった。経済学者のほとんどは180度転換し,『通貨 は重要でない』と考えるようになった。20世紀が生んだ偉大な経済学
者の一人であるジョン・メイナード・ケインズは,これに代わる新し い理論を提供した。ケインズ革命は,経済学者の心をとらえただけで なく,政府介入の拡大を正当化する魅力ある理論およびその具体的な 処方箋を提供することとなった」(M&R・フリードマン『選択の自由─
自立社会への挑戦』,西山千明訳,日本経済新聞出版社,2012年,116ページ)。 「ケインズ的な教義に疑問を呈したもう一つの重要な要因は,貨幣 経済史,特に大恐慌の再検討がなされたことであった。詳細にわたっ て証拠が吟味されると,誤った金融政策こそがその責めの大部分を負 うべきことが明らかになった。アメリカ合衆国では,1929年から33年 にかけて貨幣量が3分の1だけ削減されていたのである。この貨幣量 の縮小は,明らかに,それが行われなかった場合よりも遙かに不況を 長引かせかつ深刻なものにさせた。さらにそして等しく重要なことで あるが,貨幣量の縮小は,『馬が水を飲みたがらない』ことの結果で はなかったことが明らかにされた。それは,『ひもを押すことができ ない』ことの結果ではなかったのである。それは,連邦準備制度が行 った政策の直接の結果であった」(「貨幣的経済理論における反革命」,保 坂直達訳『インフレーションと失業』,マグロウヒル好学社,1978年,所収,
205ページ)。
ただ,念のためにいうならば,すでにみたように,ケインズに金融政策 論が存在しなかったというわけではない。ケインズの金融政策論の内容 は,金本位制度の廃棄と「管理通貨制度」への移行を背景とする,中央銀 行による銀行組織からのあらゆる満期の債権の買取り,それをつうじた貨 幣量の増加と低利子率への誘導に帰着することになる。そして,それが最 終的に目的とするところは,あくまでも,投資需要の拡大という側面にあ った。したがって,ケインズとフリードマンの大恐慌にたいする金融政策
論の差異は,前者が利子率を重視するのにたいして,後者が貨幣量を重視 する点に求められるべきであろう。
さて,『合衆国金融史 1867‑1960』にもどることにしよう。
その第7章「大収縮 1929‑1933」のなかには,「大収縮はむしろ,貨幣 の力の重要性を裏づける,悲劇的な証拠である」,という有名な文章を含 む,以下の記述が見出される。
「この大収縮は,長く支持され,1920年代に優勢となった思想,つ ま り 景 気 循 環 に お い て 貨 幣 の 力 は 重 要 な 要 因 で あ り, 金 融 政 策
(monetary policy)は経済の安定性を高める強力な手段であるとの考え
を打ち砕いた。世論は『貨幣は重要ではない』という,ほぼ対極の説 にシフトした。これは,『貨幣は受動的な要因で,おもに他の要因の 力を反映するものである』,また『経済の安定性を高める上で,金融 政策はきわめて限られた価値しかもたない』との考え方だ。しかし,
本章でこれから要約する事実が物語っているのは,こうした判断は経 験にもとづく正当な推論ではないことである。金融政策は,他の要因 から導き出された避けられない結果ではなく,それぞれの出来事の経 緯に多大な影響を及ぼした,独立性の高い要因だった。連邦準備制度 が金融破綻を防げなかったのは,金融政策が無力だった結果ではな く,金融当局による特定の施策や,それより影響力は小さかったもの の,一部の金融制度の存在〔金本位制度の存在〕が導き出した結果な のだ。
大収縮はむしろ,貨幣の力の重要性を裏づける,悲劇的な証拠であ る。……。後述するように,金融当局が実行可能な別の策を実施して いたら,マネーストックの減少を防げた可能性があるのも,また事実 だからだ。それどころか,マネーストックを望ましい水準まで増大さ
せることもほぼ自在にできただろう。そうした策をとることで,銀行 が抱える問題もかなり改善されていたはずである。マネーストック減 少の緩和,さらにはマネーストックを増加に転じさせることによっ て,景気収縮の深刻さを和らげることができただろうし,収縮の期間 もほぼ確実に短くなっただろう。こうした政策をとってもなお,景気 収縮は比較的深刻化したかもしれない。しかし,マネーストックが減 少しなかったならば,4年間のうちに貨幣所得が2分に1以上,物価 が3分 の2以 上 下 落 す る 事 態 は 起 こ ら な か っ た は ず だ 」(『 大 収 縮 1929‑1933─「米国金融史」第7章』,久保恵美子訳,日経BP社,2009年,
54‑55ページ)。
この記述を受けるかたちで,フリードマンは,1929〜1933年の銀行危 機・銀行恐慌を三つの局面,すなわち,「第1の銀行危機の勃発─1930年 10月」,「第2の銀行危機の勃発─1931年3月」,「銀行恐慌の発生─1933 年」に分けたうえで,それぞれの局面の銀行危機 ・ 銀行恐慌とマネースト ックとの関係を以下のように整理する。
第1の局面について。
「1930年10月に,この景気収縮の金融面での特質が劇的に変化した。
これは……支払停止にいたった銀行の〔支払停止〕預金量が異例に増 大したことに表れている」(71ページ)。
「1930年1月〜10月にかけての連邦準備制度の証券保有高の増大額 が,1億5000万ドルではなく10億ドルだったならば,金融情勢は抜本 的に変化しただろう。この変化は劇的なものになり,この買いオペの 規模も,マネーストックの減少を増大へと明確に転換させるのに必要 な規模を,ほぼ確実に上回ったとみられる」(263ページ)。
「ここで仮定したように政府証券を10億ドル買い入れていたならば,
景気収縮の深刻さを緩和する間接的な影響と,銀行のバランスシート に対する直接的な影響という,二つの経路を通じて,1930年秋のよう な銀行危機が生じる可能性は減少しただろう」(263‑264ページ)。
第2の局面について。
「次に金融政策にとって重要だった時期は,1931年初めからの数か 月だった。銀行危機は収束に向かい,銀行信認の回復や経済活動の改 善の兆しがみられた。……この時期に金融活動のてこ入れ策を積極的 に実施していれば,経済回復のかすかな兆候を,持続的な回復に転換 させることができただろう」(264ページ)。
「連邦準備制度が1931年1月〜8月にかけて,季節調整後の証券保 有高を,実際の8000万ドルではなく,10億ドル増大させたとしよう」
(265ページ)。
「このように変化した金融情勢のもとであれば,第2の銀行危機は 完全に回避されたかもしれない。この場合も,10億ドルの買いオペ政 策は,金融情勢を抜本的に変化させるのに必要な規模をはるかに上回 るものである」(266ページ)。
第3の局面について。
「1933年3月上旬の銀行休日で終結した最後の銀行危機は,そのも っとも本質的な面は,それ以前の二回の銀行危機と同様だったもの の,事態の厳しさはさらに増していた。1933年1月〜3月の二か月間 で,マネーストックは12パーセント,年率で78パーセント減少した。
理由は『米国金融史』第8章で詳しく述べるが,著者らはマネースト ックの減少率を多めに見積もっている。しかし,その誤差をいかに合 理的に差し引いたとしても,この減少率が,1931年8月〜32年1月に 記録された年率31パーセントを下回る可能性はほとんどない」(152‑
153ページ)。
以上である。
そして,フリードマンは,こうした事実を基礎にしつつ,以下のような 結論を導き出す。
「銀行破綻がとくに注目すべき出来事だとすれば,その明らかな理 由は,銀行破綻がマネーストックを激減させるメカニズムであるこ と,そしてこのマネーストックが経済の発展に重要な役割を担ってい ることである。銀行破綻のおもな重要性は,それ自体ではなく,その 間接的な影響にある。まったく同規模の銀行破綻が起きたとしても,
それによってマネーストックが減少しなかったら,これは注目される 出来事ではあっても,重要性はさほど大きくなかっただろう。いっぽ う,もし銀行が倒産しないまま,他の何らかの理由でマネーストック が同様に激減していたら,景気収縮の深刻さは少なくとも同程度に及 んでいただろうし,それ以上に厳しい事態になっていた可能性も高 い」(163‑164ページ)。
「彼ら〔連銀の総裁や取締役,連邦準備制度の管理系職員などの大 半〕は,銀行破綻を,不適切な経営や銀行業務がもたらした遺憾な結 果,あるいは破綻前の行き過ぎた投機行為に対する必然的な反動と捉 えがちだった。また,銀行破綻を,進行しつつある金融・経済制度の 崩壊の結果だと見ても,その原因だと考えることはほとんどなかっ
た」(176ページ)。
その内容を肯定するにせよ否定するにせよ,フリードマンによるここま での説明は,それなりに首尾一貫している。というのは,「貨幣の力の重 要性」,具体的には,マネーストックの増加が,銀行破綻および景気収縮 を阻止ないし緩和するうえで果たす重要な役割について,マネタリストの 立場から,詳細な理論的・実証的な分析がなされているからである。
ところが,他方で,筆者がとまどいを覚えざるをえないのは,そこに,
フリードマンが,唐突なかたちで,マネタリズムの教義と『ロンバード 街』におけるバジョットの中央銀行の最後の貸し手機能の教義とを,いわ ば接ぎ木しようと試みることである。
たとえば,『合衆国金融史 1867‑1960』のなかには,次のような指摘が 見出される。
「金融制度の崩壊を避けるのに必要だった行動は,銀行制度の機能 や貨幣的要因の作用,経済変動などの,後世に確認され,したがって 当時の連邦準備制度が知る由もなかった知識を求めるものではなかっ た。逆に,……1920年代に連邦準備制度自体が概要を示した政策,あ るいは,その意味でいえば1873年にバジョットが大枠を示した政策を とっていれば,大惨事は避けられたのだ」(295‑296ページ)。
くわえて,シュウォーツも,『大収縮 1929‑1933』における「新たな緒 言」のなかで,次のように指摘する。
「そこ〔『米国金融史』の第7章〕で著者らが示した事実とは,一連 の銀行恐慌の時期に,連邦準備制度が最後の貸し手としての役割を果
たせなかったことで,通貨供給量が大幅に収縮し,これが総需要,国 民所得,雇用を減少させる原因になったことである。市場が経済を不 安定化させたのではなく,金融政策(monetary policy)は無力どころ か,正しく実施すれば健全な経済を維持できるが,使い方を誤れば経 済を弱体化させてしまう,強力な手段だった」(2ページ)。
しかも,より決定的なのは,『選択の自由』における「大恐慌の真の原 因」と題された章のなかに,フリードマンによる以下のような記述が残さ れていることである。
「ひとたび起きた取り付けパニックは,どうすれば止められるだろ うか。いやそれよりも,どうすればその発生を前もって防止できるだ ろうか。パニック,すなわち金融恐慌を止めるひとつの方法は,1907 年に採用されたやり方,すなわち各銀行がいっせいに預金支払いを制 限することだ。当時,各銀行は支払い制限をしたあとも開業を続けて いたが,預金支払い要求があっても現金の支払いは行わないという申 し合わせをお互いにしていた。代わりにこれらの銀行は,簿記上の記 入変更というやり方で業務を続けた。各銀行は,自行の預金者の一人 が同じ自行の他の預金者に対して振り出した小切手については,小切 手発行者の預金からその分だけ減額し,小切手受取者の預金を相当額 増額するという帳簿上の手続きを通じて支払いを行った。自行の預金 者が他行の預金者に対して振り出した小切手や,他行の預金者から自 行の預金者宛てに振り出された小切手については,『交換所を通じる』
清算という,通常とほぼ変わらない方法をとった。すなわち,自行の 預金として受け取った他行名義の小切手と,他行に預金してある自行 名義の小切手を相殺した。通常の『交換所を通じる』手続きと何か違
った点があったとすれば,それは,自行の他行に対する負債額と他行 の自行に対する負債額との差額を,通常のような現金のやりとりでは なく,約束手形によって清算した点だ。このやり方のもとでも銀行は 現金の払い出しを行っていたが,それは現金支払い要求に応じたわけ ではなく,給料の支払いや,これに似た緊急の目的で顧客預金者が現 金を必要とした場合に限られていた。また各銀行とも,このような顧 客預金者からの現金の預け入れにもある程度は応じていた。こうした 制度をとっても銀行が倒産する可能性はあったし,実際に倒産した銀 行もあった。しかし,それらの銀行は『不健全な銀行』に限られ,百 パーセント健全な資産をもっていながら,それを現金化できなかった というだけで倒産した銀行はなかった。こうして一定期間を経たのち にパニックは鎮静化し,銀行に対する公衆の信頼も回復し,各銀行は 取り付けの再現に見舞われることなく預金者の要求に応じて現金の支 払いを再開できるようになった。このやり方は思い切った荒療治では あったが,金融恐慌を鎮めるのに成功した。
パニックを鎮めるにはもうひとつ,健全な銀行がその資産をすみや かに現金化できるようにするという方法がある。しかもそれは,他の 銀行の犠牲によってではなく,余分の現金を入手可能にするやり方で 行われる。いわば『緊急通貨印刷機』の登場だ。実はこれが,連邦準 備法が意味する具体的な内容なのだ。連邦準備法は預金支払い制限が 引き起こす一時的な金融の混乱さえも,前もって防止するはずのもの だった。あの法律によって設立された12の地域連邦準備銀行は,ワシ ントンの連邦準備制度理事会の監督下にあって,商業銀行に対する
『最後の貸し手』として機能できる権限を与えられていた。各連邦準 備銀行がこのような貸付を行うにあたっては,連邦銀行に権限が付与 されていた連邦準備紙幣の発行によるか,同じく権限を付与されてい
た商業銀行に対する帳簿上の預金信用の創出(簿記会計上の魔術)によ るかした。12の連邦準備銀行は英蘭銀行や各国の中央銀行に対応する ものであり,銀行のための銀行としての役割を果たすこととなってい た」(121‑122ページ)。
みられるように,ここには,「最後の貸し手」という表現も,「銀行のた めの銀行としての役割」という表現も登場する。
筆者としては,マネタリズムの教義と中央銀行の最後の貸し手機能の教 義とを併存させているフリードマンの理論を,どのように解釈するべき か,おおいに悩むところであったが,拙稿「大恐慌の原因に関するフリー ドマンの解釈をめぐって」における「結びに代えて」のなかでは,後者の 側面をより重視する立場から,さしあたり,おおよそ次のような見解を示 すにとどまった。
本稿において,筆者が確認したかったことがらは,以下の諸点であ る。
第1に,フリードマンとシュウォーツの共著『合衆国金融史 1867‑
1960』は,貨幣論・経済理論の世界において,ケインズ革命にたいす るマネタリスト反革命を導いたものであるが,そこには,1929‑1933 年の大恐慌の原因にかんして,「マネーストック減少の防止や緩和,
さらにはマネーストックを増加に転じさせることによって,景気収縮 の深刻さを和らげることができただろうし,収縮の期間もほぼ確実に 短くなっただろう」,という見解と,「1920年代に連邦準備制度自体が 概要を示した政策,あるいは,その意味でいえば1873年にバジョット が大枠を示した政策をとっていれば,大惨事は避けられたのだ」,と いう見解が併存している。前者は,連邦準備制度の誤りをマネースト
ックの不十分な供給という側面に求めるものであり,後者は,連邦準 備制度の誤りを「中央銀行の最後の貸し手機能」の発動の欠如という 側面に求めるものである。当然のことながら,オーソドックスなマネ タリストは,前者の側面を重視してきた。
第2に,この問題を考えるにあたっては,リーマン・ショック後の
2008年金融危機に対処するにあたってのB.バーナンキ前FRB議長の
理論と行動,『連邦準備制度と金融危機─バーナンキFRB理事会議長 による大学生向け講義録』(小谷野俊夫訳,一灯舎,2012年)にみられる かれの中央銀行論が参考になる。バーナンキは,2008年金融危機への 対処にあたっても,大恐慌の原因の理解にあたっても,一貫して,
「中央銀行の最後の貸し手機能」の役割を強調している。
第3に,一見したところ,フリードマンには大恐慌の原因にかんし て二つの見解が併存しているようにみえるが,『合衆国金融史 1867‑
1960』や『選択の自由』を詳細に検討してみると,連邦準備制度にた いするフリードマンの批判は,結局のところ,「中央銀行の最後の貸 し手機能」を発動しなかったという側面に収斂することが知られる。
この側面が重視されるならば,フリードマンにとって,「中央銀行の 最後の貸し手機能」の発動が本来の目的であり,マネーストックの供 給は,そのためのたんなる手段にすぎなかったということになるであ ろう。
第4に,連邦準備制度にたいするフリードマンの批判が,結局のと ころ,「中央銀行の最後の貸し手機能」を発動しなかったという側面 に収斂することになれば,それとともに,ケインズ革命にたいするマ ネタリスト反革命もその根拠を失うことになるであろう。というの は,「中央銀行の最後の貸し手機能」は,ケインズの『雇用・利子お よび貨幣の一般理論』の刊行よりも60年も前に,フリードマンの『合
衆国金融史 1867‑1960』の刊行よりも90年も前に,『ロンバード街』
のなかで,バジョットによって提唱されたものであり,しかも,かれ は,マネタリストに関連性の深い通貨学派の立場というよりも,その 反対の銀行学派の立場により近かったと考えられるからである。
第5に,したがって,「大収縮はむしろ,貨幣の力の重要性を裏づ ける,悲劇的な証拠である」,という表現も,「大収縮はむしろ,中央 銀行の最後の貸し手機能の重要性を裏づける,悲劇的な証拠である」,
というように,書き改められるべきであろう。
しかしながら,拙稿の執筆後,さらに考察を重ねるなかで,フリードマ ンによる説明は説明として,マネタリズムの教義と中央銀行の最後の貸し 手機能の教義とを,接ぎ木しようとする試みには,やはり,無理があると 感じるようになった。
その主要な理由は,次のとおりである。
第1は,フリードマンが,『合衆国金融史 1867‑1960』の刊行に前後し て,ルールにもとづく貨幣量の供給──いわゆるXパーセント・ルール
──を唱えはじめたことである。この点を証明するために,若干の引用を 行うことにしたい。
「この論文〔「独立の貨幣当局は必要か」と題された論文〕の内容を あらわす聖句は,ポアンカレの言とされている有名な言葉をもじって いうと,『貨幣は中央銀行にまかせておくには重大すぎる事柄だ』と いうことになる。問題は,自由社会が貨幣政策(monetary policy)を制 御するにはいかなる制度をもてばよいか,である」(『インフレーション とドル危機』,新開陽一訳,日本経済新聞社,1970年,142ページ)。
「どんなルールを採択すべきかという問題は,わたしが別のところ
でいくぶん詳しく考察したことのある問題である〔A Program for Monetary Stability,三宅武雄訳『貨幣の安定をめざして』,ダイヤモン
ド社,1963年〕。したがって,ここではわたしの結論を述べるにとどめ
たい。われわれの知識の現状では,貨幣ストック(the stock of money) の動きという面からルールをいい表すのがわたしには望ましいように 思われる。さしあたってのわたしの選択は,貨幣当局が貨幣ストック のある特定の成長率を達成するように指令するルールの立法化であ る。この目的のために,わたしは貨幣ストックを定義して,商業銀行 外現金通貨プラス商業銀行のすべての預金を含むものとしたい。わた しは連邦準備制度が,このように定義された貨幣ストックの総額が月 毎に,そしてまったくのところ,可能な限り日毎に,年率Xパーセ ント──ここでXは3から5のあいだの適切な数値──で増大する ように気をつけるべきだというように規定したい」(『資本主義と自由』,
熊谷尚夫・西山千明・白井孝昌訳,マグロウヒル好学社,1975年,60‑61ペー ジ,この記述は「貨幣の管理(control)」と題された章に見出される)。 「記録的には,通貨の成長率(monetary growth)が相対的に安定して いる時期には,アメリカにおいても他の国においても経済活動は相対 的に安定している。通貨の成長率が大幅に行きすぎる時期には,経済 活動も大幅に行きすぎる。通貨の成長率を一定で一様な経路にのせ,
それを維持すれば,通貨当局は経済的安定性を高めるのに大きく貢献 しうるであろう」(「金融政策の役割」,M.フリードマン/N.カルドア/
R. M.ソロー『インフレーションと金融政策』,新飯田宏訳,日本経済新聞社,
1972年,所収,30ページ)。
裁量ではなくルールにもとづく経済政策ということになれば,ただちに 思い浮かぶのは,19世紀初のイギリスにおける通貨学派の理論と実践であ