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荒野の彼方を志向する魂

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Academic year: 2021

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(1)

荒野の彼方 を志向す る魂

大平栄子

(2)

荒野の彼方 を志向する魂

エ ミリー ・ブロンテ論

大平栄子

本稿では、Emi

l yJa neBr ont e ( 1 8 1 8 ‑ 1 8 4 8)

の自由についての

vi s i on

がい かなる発展 をみせるかを、Emi

l y

の伝記 とその作品 (

Wut h e r i " gHe i gh t s

と訪日) によって跡付けることを目的とする。

Em il yは 3 0

年 の生涯のは.tんどを地理的 に隔絶 された

Yor ks hi r e.Ha wa r t h

の牧師館で送 った。この間、学校数青をうけるために

3

度、教師と して赴tT: るために

1

度家 を離れ寄宿学校生活を体験 しているが、Emi

l y

は我が家 である 牧師館とその周囲に広がる広漠たる荒野 を離れる度に望郷の念 に駆 られ、精神 的苦痛はもとより「肉体的苦痛」を訴え、異郷での生活は長 くは続かなかった。1

最初に牧師館 を離れるのは1

8 2 4

年、Emi

l yは 6

歳 であった。Cowa

nBr i dge

にある牧師の娘達のための学校

、t heCl e r gyDa u g h t e r ' sSc hool

に姉

Ma r i a , El i z a be t h,Cha r l ot t e

と共 に入学 するが、不衛生 で劣悪な環境の下で

Ma r i a

El i z a be t h

が肺病 で亡 くな り

、Emi l yと Cha r l ot t e

は家へ帰 される。姉 の死 を 嘆 く陰 うつな叫 び声が聞 こえる環境か ら受 ける重圧 に極度に内向的な

Emi l y

の心が過敏 に反応 したことを暗示する記録はあるが、Cowa

nBr i dge

において、

我が家をとりまく荒涼たる荒野と沼地への郷愁にとらえられ健康を害 したとい う記熟 まない。2我が家 にあって しか

Emi l y

が健康 を維持することができない という事実 を家族の者 も確認するのは

RoaHe a d

の寄宿学校における体験 を通

してである

。 Cha r l ot

t

e

はEmi

l y

の苦闘を次のように伝えている。

Eve r ymor ni n g,whe ns hewoke ,t hevi s i onofhomea ndt hemoosr us he d

(3)

onhe r ,a ndda r kene da nds a dde ne dt heda yt ha tl a ybe f or ehe r ". . .I nt hi s s t r uggl eherhe a l t hwa squi c kl ybr oke n‥her ‑ whi t ef a c e,a t t e nua t e df or m , andf ai l i ng s t r engt h,t hr ea t e ne dr a pi dde c l i ne.If e l ti nmyhea r ts he woul ddi e,i fs hedi dnotgohome ,a ndwi t ht hi sc on vi c t i onobt ai ne dher r e c al l

.3・

銭が家 と荒野の ヴィジョン」 は自分が異郷 にあるという意識を一層烈 しくか きたて、郷愁 を募 らせ る。 Emi

l y

の心身の不調の原因が我が家と荒野へのノス タル ジアに在 ることは上記の

Cha r l ot t e

の言葉 によって も明 らかであるが、こ の ノスタルジアの烈 しさが何に依 るものであるか、Cha

r l ot t e

は次のように説 明を加えている。

Thecha ngef r om herownhomet oas c hool ,a ndf r om he rownve r y noi s el e s s ,ve r ys e cl ude d.butunr e s t r i c t e da nduna r t i L i c i a lmodeofl i f e . t ooneofdi s ci pl i ne dr out i n e,wa swha ts hef a i l e di nendur i ng

・4

寄宿学校 における 「規則正 しい日課の生活」が

、1 7

年間牧師館 と荒野で 「 限されることのない、飾 り気な し」 の生活を送っ●てきた

Emi l y

にとっては、, われ人の生活に等 しいものであったことをCh

a r l ot t e

の言葉 は告 げている。

̀ RoaHe a d

での暗い学校体験か ら2年後、La

wHi

llの学校 において体験 した 精神的苦悩 は一層激烈になり、囚われ人としての意識 は決定的なものとなった。

1 9

歳 までに

2

度 も束縛の多い寄宿生活を体験 した

Emi l y

は、生涯にわたってこ の束縛感 に悩 み囚われ人 としての意識 を持 ち続 けた。 Emi

l y

の詩 には牢獄や 囚人 を歌 ったものが多 く、繰 り返 し軌跡

こEmi l y

は、じめ じめ●した暗い地下室 (牢獄 )に幽閉 された者の苦悩する魂と、そこか ら脱出 し自由になろうとする 燃え るような激 しい欲求 につ いて詩にうたっているo Cha

r l ot t e

「Emi l y

の最 も愛 したもの、それは自由です。自由は

Emi l yの鼻孔の息で した。

」 とい うことばで

Emi l yにとって自由が生存の基本的条件であることを伝えている。

5

Emi l yは砂だ たる荒野での孤独 を愛 し、我が家にあっては、秘 かに自分だけ

の部屋で空想 にふけ り、想像力が羽 ばたく自由な時間を必要 としていた。従 っ

8

(4)

て それ らが失われる環境では束縛 を強 く意識 し、烈 しい苦痛 を感 じた。異郷の 不 自由な生活の中で見 た 「家と荒野のヴィジョン」 は、自由と幸福のヴ ィジ ョ ンであ り、家 と荒野へのノスタルジアは囚われ人が求める自由の地への怪傑 で もあった。

家 と荒野 に求めた自由と幸福の

vi s i onは、RoaHea dと La wHi

llでの体験 を経て、自然に対する

vi s i on

の変化と共に、微妙な変化を示 し、精神的 (内的) 自由の

vi s i onを探化 させてゆ く。と同時に、「

家 と荒野の ヴィジョン」、あるい は故郷 (大地)、への執着 と、「幻」 あるいは霊的カへの欲求 との葛藤が深刻化 してゆ く。かつては荒野の自然の中に自由とかげりなき幸福 を見出 し、自然の 中に天の啓示 を見たEmi

l yは、やがて自然の啓示力に対する懐疑をにおわす詩

を書 くようにな り、また、イマジネーションや空想の力の限界 も知る。

本稿 は、こうした懐疑と相反する欲求によって引き裂かれ葛藤に苦 しみなが ら、自由 を求めて苦闘 し続 けた

Emi l y

の心が、いかなる軌跡 を描きなが ら、最 終的 にいかなる自由の

vi s i onに到達 したか、あるいは自由の地 についての i m‑

a geに結実 したかを、Emi l y

についての伝記、さらに

Em i l y

の作品 (

Wu t h e r z ' n g He i g i

tsと詩笛)を通 して探 ることを目的 とする。(作品 を通 して

Em i l y

の描 い

たvi

s i onを探るのは、Emi l y

の直接的資料が乏 しいということ以上 に、作品が

Emi l y

自身の内的生活 を表明 している、すなわち魂の体験 を反映 しているとい う観点に立 ったことに依る。)特 に

Emi l y

の小説

Wut he r i n gHe i gh L s ( 1 8 47)

にお いて、死の床 にある

Ca t her i ne

の焦がれる対象がどのように変化 してゆ くか、

また、詩 において、家についての

i ma ge

が最終的 に何の

i ma ge

に収束するか、

その最終的

i ma ge

と自由の

vi s i onとの関係について検討する。この関係か ら

Emi l y

homes i c k n es s

、ノスタルジアがいかなるものにその性質が変化する かを探ってみたい。すなわち最終的に

Emi l y

はどこに帰ろうと したのか、何に 回帰 しようと したのか、その回帰すべ き地 に対する

i ma geと Emi l y

が求 め続 けた自由の

vi s i on

とのつなが りを見てゆこう。

(5)

1 8 3 5

7

、Emi l y ( 1 7

歳 )は将来教師 となるために必須の学校教育 を受 けるために

RoaHe a d

に向けて旅立つが

、Mi s sWool e l ' sSc ho ol

での寮生活 に適応 で きず に心 身の不調 を訴 え

3

ケ月で家 に戻 る。教師 と して赴任 した

Ch a r l ot t e

と同 じ環境 にあ りなが ら

、Emi l y

のみが 「肉体的苦痛」 を感 じる程 まで深刻化 した束縛 を意識することになった理由として

Emi l y

自身の生来の 特異な性格 をあげることができると思 う。 しか し、性格 と近密な関係をもつ他 のより重要 な理由は牧師館 と荒野でのひっそ りとした、自由で自然 な生活から 投 げ出 されたという事にある。では

、RoaHe a d

以前の

Emi l y

の少女時代とは どのようなものであったか、あるいはその時期の牧師館での生活が

Emi l y

のど のような性格 を示 しているかみてゆこう。

Emi l y

1 3

歳頃か ら英雄達が活躍する空想 の物語

、Go nda l

を妹の

An n e

共に創作 し始める。無謀な反乱行為、執扮な反逆そ して大胆な冒険か ら構成 さ れる

Gonda l

の特異 な世界には悪のエネルギ‑と共 に自由、独立 を求めて闘う 魂が充溢 している。 この魂が

Emi l y

自身の自由への個人的熱望の投影であり、

Go nda l

の英雄達の、反逆精神 に富み不敵で激 しすぎる性質が

Emi l y

自身の感 情の質を反映 している。

Emi l y

の内的世界 を写 し出す

Go nda l

に情熱を傾 ける一方

、Emi l y

は荒野へ 自由を求めて走 った

。 Emi l y

は、荒野 にのびやかに、ひっそ りと咲 くと‑スの ように 「自由で、自然のままで懐 きに くい」少女であ り、無口で、他人 との交 わりを嫌 い、特 に見知 らぬ者に対 しては極端 に人見知 りし、無愛想 に受 けとら れがちであった6そんな

Emi l y

が荒野に出ると別人のように生 き生 きと歓び を全身で表現 した

。1 8 3 3

( Emi l y1 5

歳)に牧師館 を訪れた

Cha r l ot t e

の親友

El l e nNus s y

は、荒野の

Emi l y

の様子 を

I ac hi l di ns pi r itf orgl e ea nde n j oy‑

(6)

me n

t'と形容 している

7自ら率先 して

El l e n

を荒野 に連れ出 し、自由に力強 く 話 しか ける

Emi l y

、少年のように口笛 を吹き浮猛な愛犬を呼 び、その犬 を従え て荒野の危険な奥地へとつ き進んでゆく

Emi l y

の堂 々たる姿、窪みをつ くって いる水溜 りの中の小 さな生 き物 と時 を忘れて戯れる無心の歓 びの子

Emi l y

こうした

El l e n

の観察か ら、荒野が

Emi l y

にとっていかに重要な空間であるか を知 ることができる。そこでは無口な

Emi l y

も雄弁 にな り、危険を少 しも怖れ ず大胆で、他のどんな空間 よりも

Emi l y

らしく振る舞うことができた。外界の 自然と

Emi l y

の心の中の自然とが融 け合い、自然のエネルギーを胎内に吸収す るかのように

Emi l y

は、力強 く風のように自由になることができた

。Cha r l ot t e

、Emi l y

にとって、故郷の丘が起伏する荒野が、単に愛でる対象と しての自 然ではなく、景色以上の もの 「あるべきすべてのものである。」 ことを、さらに 作品の中で自然描写が理想化されている理由について次のように述べている。

I . . . t he yl he rna t i vehi l l s ]we r ewha ts hel i ve di n,andby,a smuc ha st hewi l d bi r ds ,t he i rt e na nt s , ora st hehea t he r ,t he i rpr oduc e.

8荒野 は

Emi l y

の心の中

に静止 している風景、自由と幸福の原風景であろう。そこは自由の原体験の地 であ り、幼 くして (

3

歳)、母親 の死 に よって 「巣 のぬ くも り

」9

を喪失 した

Emi l y

にとって、大地の母性的ぬ くもりを感 じさせる無限の壁 によって包 まれ た空間、母胎 であり、無限の拡が りによる自由の感覚、と同時に、包 まれている ことによる安心感と暖かみをも感 じさせる絶対性 をもつ空間とも言える。人嫌 いの

Emi l y

が荒野に息づ く野性の生物 と心 を交わせ、慰め られ、憩 うことので きた地、幸福の原体験の地でもあったのであろう。(荒野での交感の対象 は、生 物、木々等の具象性 を供えたものか ら風 という霊性 を暗示するもの、あるいは

不思議の力」 と呼ぶ ものへ としだいに変化 してゆく。)荒野では

Emi ‑ l y

の本性が束縛 されることな く、その解放 された巽が奔放に羽 ばたいた。

RoaHe a d

での窮屈な寮生活 を送 る以前の

Emi l y

の生活 は、家事 に実務的手 腕 を発揮 しなが ら、意識 は架空 の物語 に傾注 し

、i ma gi na t i on

を解 き放 し、

Anne

と共 に

Gonda l

の世界 に遊 び、あるいは

Cha r l ot t e や Br a nwe

llと議論 し、

(7)

教区の人々のする話 を語 る父のことばに耳 を傾 け、好 きな本 を読み、誰 もいな い荒野 や岩 や泥炭地 を自由気ままに歩 き回るといった生活で、与の頃の

Emi l y

は自分 に合 った独 自の世界 を創 りあげる力を蓄積 しつつ、自由を自分のものに しようとしていた。10

この ように孤絶 した牧師館での自由で引き込 もった生活に慣れ親 しみ、しか も長 い間、独 自に成長 し、独 自に形成 された性格 をもつ想像力の強 い、深 く物 事を掘 り下 げることを好む精神 をもつ少女にとって、因襲的で表面的な標準教 育のおこなわれる規則的な学校生活は耐 えがたく、生徒達の子供 じみた軽い低 俗な会話 にも加わ らず、洗練 された作法 を説 く校長 も軽蔑の対象 としかならず、

自分 だけの世界に閉 じ寵 もり、孤独 を深 めていった。自分の行為を自分 自身の 厳格 な法則で律 し、決 して他人の感化 も干渉 も許 さぬ

Emi l y

のこうし仁性格 を 考えて も、成熟度 において も、当時の平均的女性 とは著 しい隔た りがみ られ、

標準教育 を受 けるには時期的に遅すぎた。l

lEmi l y

は因襲的生活 に烈 しい反感 を示 し、拒絶 し続 ける一方、架空の物語の世界と荒参 とした荒野での孤独への 渇望 は日増 しに高 ま り、フラス トレーシ ョンと束縛への激 しい抵抗力は

Emi l y

の肉体 をも蝕み、衰弱 しきった

Emi l y

は家へ戻 される。

RoaHe a d

か ら戻 った翌年

1 8 3 6

1 2

月1

3

( Emi l y1 8

歳)に書かれた詩には、

すでに地下牢がうたわれている。

Ma n' ss pl r l ta wa yf r omi t sdr e a rdon ge ons e ndi n g ,

Bu r s t i n gt he ・ f e t t e r sa n dbr e a ki n gt heba r s . ( NO ・ 5 , e・5 ‑ 6)

12

足榊 を砕 き格子戸 を破 って「わび しい牢獄」か ら逃れ出ようとする男の魂 につ いて語 られているこの詩か らも

、Emi l y

1 8

歳 に して、すでに く牢獄) に ついての意識 を強 く持 ったことが知れる。

同時期 (

2

ケ月後の1

8 3 7 年 2

月)に書かれた 「赤 い胸のこまどり」 をうたった 詩は

、RoaHe a d

、Emi l y

が悲 しみと腹立た しい想いに目ざめ憂いを知った ことを伝 えている。

Ihe a r di tt he n,youh e a r di tt oo

,

(8)

Ands e r a phs we e ti ts a ngt oyou;

Butl i ket hes hr i e kofm is e r y

Tha twi l d, w il dmus i cwa iI e dt ome. ( NO. 7 .e.17‑ 2 0)

荒野 での曇 りなき歓 びと、「赤 い胸 のこまど り」 の天使の ような歌声が不幸 の 叫 びと嘆 きに変 る。

̀ as ul l e nhol l owi nal i vi dhi l l s i de'

か ら

Em il y

の心 は

Ede n

を創 りあげることがで きたが、その荒野 の 自然 は、射 りなき歓喜 を与 え る楽 園か ら、悲嘆 に くれ る者 を慰 め、悲 しみ を癒 す隠 れ家 とな り

かつ ての

Ede n

の輝 きが失われる兆 しを暗示 している。13

同年

1 837

5

1 7

日の詩 には

、1 8

歳の

Emi l y

の否定的 自己認識 、ペ シ ミステ ィックな人生観、人間観がすでに表 われている。

Fi r s tme l t e dof ft hehopeofyout h The nf a nc ysr I a inbowf as twi t hdr a w;

Andt he ne xpe r ie nc et ol dmet r ut h l nmor t a lb os omsne ve rgr ow

, '

Twa sgr i e fe nou g h t ot hi nkma nki nd Al lI 1 01 l ow. s e r vi l e ,i ns i nc e r e;

Butwor s et ot r us tt omyownmi nd

Andf i n dt hes a mec or r upt i ont he r e. ( NO・ 11 ,e.17 ‑ 24)

青春の希望」、「空想の虹」が消え た後 に、世界の虚 しさ、人間の不誠実 、自己 自身の隔落 を知 った

Emi l y

自身の内的葛藤の苦 しみ、慎悩 する痛 ま しい魂の叫 び声が陰欝 に響 き渡 る詩 である。 (真実) を教 える (経験) とは

RoaHe ad

の体験 を示 しているのであろうか。

次 に

Emi l y

が牧師館 を離 れ るの は

1 837

9

、Emi l y1 9

歳 の時 である。今 回は

La wHi l lSc hool

の教師 と して赴任 するためであった

。 Emi l y

2

年前、

最初の社会 との直面 に失敗 したことによる挫折感 に加 えて、囚われ人 と しての 自意識 に悩 まされ続 けていた。 この ことは、牧師館 を出発する

1

カ月前 に書か れた詩句 「牢獄の壁 に投 げつ ける夏 の光 が愛 しい禄 の野 を語 る

」 ( Ⅳ0.1 5,g.

40‑ 42)

に読みとることができる。

(9)

La w Hi

llでの教師生活の実態 は

Cha r l ot t e

El l enNus s yに書 き送 った手

紙 に よって知 ることがで きる。早 朝

6

時か ら夜11時 までの過重労働の下で

Emi l yが受 ける緊張、圧迫 を懸念 す る姉 は、̀ Thi si ss l a ve r y.If ea rs hewi l l ne ve rs t a ndi t

.'と訴えている。14

この時期 の

Emi l yの詩 には Myha r r a s s e dhe a r tbe ne a t h ( NO. 3 4 , A . 2 2 ),

̀ dunge ons '

pr i s one r '( NOl3 9 ,e ・4)

、̀

pr i s onr oom',( NO・3 9. e . 1 6 ), ' c ha i na ndba ra nddunge onwa l1 '( NO・ 4 3 ,C . 7) ,̀ t hr a l

l

',( NO. 4 3 ,A.8)

,

̀ dunge on'( NO. 4 6 .〜 . 3)

といった囚われ人の意識 を反映することばが目立ち、

調子 は陰欝で暗 く、Emi

l y

の精神状態 と詩作活動との相関関係を示唆 している。

また激 しいホームシックの詩が書かれるのもこの頃である。

Fara wa yi st hel a ndofr es t ,

Thous a ndmi l esa r es t r e t c he dbe t wee n , Man yamount a i n' ss t or myc r e s t

,

Ma nyade s er tvoi doLgr e e n. ( NOl 3 2.e . i ‑ 4)

生の重荷」 を背負い遇かなる 「安息の地」 を目指 して砂漠を行 く旅人は力尽 き、絶望 し死 をす ら願 う。その旅人に詩人は、胸の中で ざわめ く逃避への誘い の声 を鎮めて、さらに日の射 さぬ苦難の道 を、最後の安息の地へと向かって進 んでゆけと励 ますoやつれはてた旅人の心の和む地 は、「家の炉辺」(

NO. 9 2.

〜 . 1 6)

であ り、見慣れた荒 野の光景である。澄みわたる大空、静まりかえった 大地、羊の群れ、波の ように起伏する単調な丘 々、嵐が吹き荒れ、また暖かな光 のさす不毛の丘 にか こまれた地である故郷の荒野の風景 を

Emi l yは寄宿舎の

灰色の壁 に囲まれた部屋で心 に映 し出 し、紡径い、空想の力によって一時の慰 めを得 ることができたのであろう。 La

wHi

llか ら戻った後に書かれた詩、( えばNO.

9 2

の詩)がこのことを示 している。

ところで、NO.

3 2

にうたわれている 「最後の目的地」 である 「安息の地」 は、

家と荒野のヴィジ ョン」の持つ現世的色彩 とは異なる何かを暗示 しているよ うに思 われる。ここに

Emi l y

の精神的成長 と共に、苦悩 を深めつつある者が解

(10)

故のvisionを追い求めようとする兆 しを読みとることができないだろうか。

La ur aL. Hi nkl y

は、

̀ Af t e rLa wHi l ls heunde r s t oodca pt i vi t y

.'15と述 べて いるが

、RoaHe a d

、Emi l y

の詩 にはすでに捕われていることを意識 してい たことを示す語句がみ られる。但 し、自分の中の暗闇を知 る、すなわち自己自 身に囚われていること、束縛の鎖 は自己の内にか らみついていることに目 ざめ るの は確かに

La wHi

ll以後であろう

。 Wi ni f r e dG

6rinは

、La wHi

llでの体 験が

RoaHe a d

時代 には見 られない渇望を生み出 し

、Emi l y

はその欲望 に取 り 想かれ始めたと主張 している。16その欲望 とは

、Emi l y

の肉体的束縛の鎖 を打 ち砕 いて自由を与えてくれる力の存荏

、̀ t hes oulofna t ur e'

との完全な融合 に 達 したいというものであり、この融合のエクスタシーが

Emi l y

の生涯の切望 に なったと述べている。確かに、この時期の詩

( NO. 44)

には、風の夜、投獄 され た囚人の魂 が 「土塊 の身 を遠 く離 れて」、紡担 い、あ らゆるもの、「大地」 も

大海」 も 「雲 なき大空 も」 「私」 もことごとく消滅 し、無 とな り、「魂 だけが 無限の広漠を招 けめ ぐる」 という俳惚境 をうたったものがあり

、RoaHe ad

1

年以上経過 して書かれた初期の詩

( Ⅳ0.5)

にみ られる解放の歓びを暗示す る詩行に比べると、明 らかに

La wHi

ll以後の方が、神秘的無の体験 による俳惚 感 を明確 に表現 している詩 といえる。 しか も、何 らかの解放力を持つ存在の力 によってこのような神秘的瞬間が現出 したとも考えられるが、その力の存在が

W.G6 T i n

の言 う

、̀ t hes oulofna t ur e'

であるか どうか には疑問が残 る。解放 力を持つ ものと して詩にうたわれているものとしては

、̀ f a nc y' spowe r ' ( NO.

9 2.2・43)

が あ り

、TheNi g ht ‑Wi nd ( NO.1 46)

の歌 う調 べ の持 つ 力

、i m‑

a gi nat i on

の 「情 あつい力

」 ( NO.1 75)

等があるが、いずれ もその力には限界が あり (後述 )

、Emi l y

の死の

2

年前 に書かれ た詩にうたわれる 「全能に して永 遠に在 ます」 「命の神」、「実在」 そのものである 「胸の内なる神

」 ( NO.19 1

)の 絶対性 をもつカへの

vi s i on

を獲得するまでは自己との闘いの長い時を必要と し、

暗闇の中を孤 り手 さぐりでその存在へと近づいていかなければならなか ったの である。 この時期の

Emi l y

にとって、待 ちわびる (力の存在)がどのような存

(11)

在であれ

、Emi l y

の異常 に緊張が高まった精神状態か ら、自由を与える存在へ の渇望が生 じることも、また高度に精神化 された体験 をすることも十分考 えう ることである。望郷の念 に駆 られ 、その苦痛 を伴 う欲求を抑圧するエネルギー が これまでとは違 った欲求 を生み出 してゆ く。それが

Ger i n

の言 う自由を与 える存在 との合一の欲求 となったのであろう

。 Emi l y

はこの存在 をあ らゆる ところ、大地に、天 に、地獄にす らも探 し求めるようにな り、夜、ひたす らその

希望の幻」 を待 ち望 むようになる。 しか し重要 なことは、魂が解放 されるの は 「牢獄

」 ( NO. 5)

か らではな く 「土塊の身」か らであるということであり、

肉体の牢獄化という概念がみられることである。それは肉体の限界性が象徴す る人間存在その ものの限界性への認識が現われてきたということを意味 し、魂 は牢獄のみな らず、自己に囚われ越えゆくことのできない閉 ざされた自己自身 からも解放を待 ち望んでいるという認識 を示 している

こう した体験 の基 盤 となる

Emi l y

の精神的成長 の秘密 は

、RoaHea d

La wHi

llとの間の期間に展開 した兄

Br a n we

llとの生活にもあったと思われる。

家族皆の期待を担 う長子

Br a nwe

llは

、Ro ya lAc a de my

に入学するため上京す るが、現実 を直視 するこ とができず社会生活に失敗 し、精神的に崩壊 し、家 に 舞い戻 り背徳的生活を送っていた。その

Br anwe

llと

RoaHea d

での苦い体験 を経 た

Emi l y

との間に共通の思いが通 い合った

。 2

人は、共通の情熱 とそれを 表わす共通の言語があ り、共通の挫折の痛みによって芽はえた同朋意識 によっ て結 ばれていた

.W. G6r i n

Emi l y

Br a nwe

llを批判せずに風 や自然の よ うに受 け入れ、やがて

、Br a nwe

llの体験 と生活に深 く巻 き込 まれ、それを自分 自身の体験 と していったと述べている。17

この時期

( La w Hi

llから戻った後)

、Emi l y

は、牧師館の女中 としてよ りは家 族の一員 とな って子供達の世話 を し愛情 をそそいできた

Ta bi t ha

の怪我によ って

Emi l y

の肩に重 くの しかかった家事労働 をこなすために、詩作の時間を奪 われることになった

。 Emi l y

にとって詩作 とは、自分の内面世界の経験 を架空 の物語の人物 に託 して伝え、想像力と共 に自己を解放する行為であ り、従って

(12)

こうした

Emi l y

の心が切 に求めるものと現実の要求との仏製が生 じその葛藤 との闘いの中で、Emi

l yは自己の内面性 をさらに深めてゆくことになった.そ

れで も一 日の労働 を終 えて、夜、小 さな自分の部屋に帰 ると、誰に も邪魔 され ることなく夢、幻の世界に遊び、自己の閉 ざされた内的世非を観照 し、しだいに、

刑而上学的思考 を発展 させていった。あるいは、夜の孤独の柑 札 見え ざるも の、夜の輝やか しい存在との交信を幾度 も試みるようになった。

La wHi

llを退職 してか ら4年後、Emi

l y

は四度牧師餌 を離れることにな り、

1 842

2

( Emi l y 2 4

歳)

、Cha r l ot t e

と共 に

Br us s e l

の寄宿女学校 に田学 する ために旅立つ。学校生活の日常に従い、予備知識の乏 しい外国語の厳 しい毎 日 の日課 に縛 られるここでの

9

カ月間の留学生活 も、あらゆる圧迫を呪いと感 じ

Emi l y

にとって辛い ものであった.その上宗派と国籍の異 なるはるかに,1: 下の少女達 の中で

、26

歳の

Cha r l ot t e

です ら無口にな り、孤立 し

、Emi l yはほ

とんど口を開かなか ったと言 う.'18しか し以前の

2

度の失敗によって養われた 克己力によりEmi

l y

は今回の異国での深刻なホームシックを耐えたが、こう し たEmi

l y

の努力が、束縛感による苦悩 をさらに内向化させる原因になったと思 われる。

Br us s e l

留学の前年に書かれた詩

( NO. 1 4 4)

には、鳥の生命 を犠牲 にしてまで、

その鎖をはずし天声削ナる

L TheCa ge dBi r d'

の姿を一目でも見たいと願 う

Em i 1 y

の、自由への燃 えるように烈 しい願望が投影 している。「生 と死 をとお して堪 え しのぶ勇気ある

束縛 なき魂」 を与えて くれとうたう、̀

TheCa ge dBi r d'

に続 く詩

( NO.1 4 6. g8.ll‑1 2)

か らも自由の欲求の切迫感が

Emi l y

の激 しい 息遣 いと共 に伝 わって くる。

自由への欲求 は

̀ t hepr i s one ds ou

l

' ( NO.1 4 8. e . 22)

の意識の裏返 しであ る。 しか しEm

i 1 y

に囚われているという意識 を強 く与える対象は常に一定 し ているわけではなく

、Emi l y

の様 々な体験 を経て しだいに変化 している。初め は、自由な環境 を奪 われ、行動の自由が失われたことへの苦痛 と嘆 きの声が、

詩の中の人物の口を通 して発せ られた。砂だ たる沼地や丘 を歩 き回 り、自然の

(13)

中で息づいている生 き物 との対話 を通 して自己と対話 し、心 を開いてゆくとい う荒野の自由か ら投 げ出された

Emi l y

は、異郷の地で故郷の丘や家の炉辺 を死 ぬ程度恋焦がれ、想像の中で荒野 をたどろうとするが、不 自由な環境の中で、

心の 自由の領域 も侵食 され、想像力のつ くり出す

vi s i on

は、牢獄の門 (賓宿学 校の門であ り、さらに束縛するものを象徴するもの)が閉まる音 と共 に消え去

って しまうのである。

この環境という外からの拘束以外に

Emi l y

の心を縛 りつけるものは

、Emi l y

身の内部 に在 るものである。学校生活の体験が、周囲の人々への不信 と人間性 一般への失望 にととまらず、自己の内に巣 くう 「隅落」への認識、さらに人間 存在 の属性 である限界性への覚醒 を促す ことになる

。 Emi l y

は外部の束縛の 体験 を通 して内部の束縛 を知るようにな り、この ように自己認識 を変えてゆく。

たとえ鎖 に繋がれていな くとも、また牢獄の壁がないとしても

、Emi l y

は自分 の中に自分 を超えてゆくことのできない閉 じ一られた自己という銃 と壁 を見たと いうことであろうか

。 Emi l y

は、自分の肉体そのものを牢獄としてみるように なる。(牢獄 は人間存在の限界性を象徴するだけでなく、この大地 も、いや世罪 その ものの限界性 の象徴 となってゆ く。)この牢獄の鎖を打 ち砕 こうとして、

Emi l y

は自由 と幸福の原体験の地、荒野へ向かう。が、大地がかつて与えてく れた生命の輝 きや胸 の踊 るような歓 びは回想のかなたへと退 き、代 りに、自然 はただ安息 と慰めを与えるだけとなった

。 I ma gi na t i on

も自然 と同様、魂 にか らみつ く鎖 を一時 は解 き放つ力を示 しは したが、真の解放 とはな らず、自由を 求めて失敗をくり返す度に

、Emi l y

の嘆きの調子は非痛 さを増 してゆく。自由 への欲求の背後に烈 しい大地への執着がこび りつ き、さらに悲痛 な叫びとなっ て響 き渡 るのである。 この荒野や家、さらに大地への執着 は、他の欲求、霊的 な力 を求める欲望が激 しくなっても虚弱化することな く、それどころか一層激 烈 にな り、この相反 する欲求 は

Emi l y

の中で闘われ続 けてゆ く。 それで も

Emi l y

は完 き解放 を執軌 こ求 めてやまないのである。 この葛藤 が

Wut h e r i n g He i gh

Lsの死の床 にある

Ca t he r i n e

の矛盾 にみちた言動 に表 わされていると思

18

(14)

う。 この内部 で闘 われ る

2

つ の欲 求 に ひき裂 かれ る

Ca t her i ne

の苦悩 が、

Ca t he r i ne

の発する言葉の矛盾の上 にどのように映 し出 されているか、すなわ

ち Ca t he r i ne

の嵐が丘への烈 しい望郷の思いと 「あの輝やか しい世界」 への怪 傑 との、反対に引きあう

2

つの欲求が、Ca

t he r i me

を通 してどのように描写 さ れているかを見てゆこう。

WuE h e r i n gHe z ' gh L

sにおいて、嵐が丘の家 とヒースの咲 く丘へ帰 りたいとい う嘆 きに近 い烈 しい欲求 を表現するのは

Ca t her i neEa r nS how ( 結婚後 Li n t on

となる)である。病床 にある

Ca t he r i ne

は熱にうか され、錯乱 し、あ らぬ幻覚 に 脅え体 をひきつ らせたかと思 うと、荒れ狂 う嵐のように枕 を歯でひき裂 き、あ らぬことを口ば しる。 Ca

t he r i ne

は幾 り返 し執物に自分の生 まれ育 った嵐が丘 の家 や、か しわの羽 目板の寝台 を思 いうかべ、それをNel

l yに話 しては溜め息

をつ き、あるいは欺 き、いきどお り、取 り乱す。嵐が丘の もみの木の側 にある 自分の部屋の寝台の中にいることを夢想 し、醒めては絶望の発作に襲われ、さ らに烈 しく家を恋 しが り、Ne

l l y

に窓 を開 けてくれとせがみ r格子戸のそばの もみの木に鳴る風」 「まっすぐに野 を渡って くる風

」 ( P.1 62)

に触れさせてくれ、

その風 をほんのひと息でも吸わせて くれと嘆願 する。19すべての物が暗黒の中 に包 まれている晩、Ca

t he r i ne

は見えるはずのない嵐が丘の家の灯が見えると 言い張 り、「みてごらん !あのろうそくがともって、前に木が揺れているのがあ た しの部屋 よ・・。

」 ( P.1 64)

と熱 っぽ く叫び、子供の頃

Hea t hcl i

ffと通 った嵐が 丘への道 を幻想の中で

He a t hc l i

fEを従えて歩 くのである

。 Ca t he r i ne

は真冬の 北東の風 に触れたいがため幾度 も窓 を開けることをせがむが、この 「ナ イフの ように鋭 く刺す」風 は、Emi

l y

が愛 し、防復った谷間の斜面 を吹 きす さぶ北風 であ り、Emi

l y

が愛 した荒れ寂れた冬の荒野の風景 を想起 させ、幼 い頃か ら親

19

(15)

しんできたものへのノスタルジアを一層激 しくかきたてる.嵐が丘の家そして 荒野、荒野 に息づ く野鳥、丘一面 に茂 る と‑ス、こうした幸福 と自由の原風景 とその世界 を共有 する

Hea t hc l i

ffへのノスタルジアが狂気と死に急 き立て、あ るいは過去の世界へと引き戻す。ひき裂かれた枕の破れ目か ら烏の羽根を引っ ぼり出 し、「あれは七面鳥の羽根だわ」「これはのがもで、これは鳩 だわ‑ここ に雄の雷鳥の羽根があるわ。それか らこれは・たげりの羽板だわ。かわいい烏、

沼地のまん中であたしたちの頭の上 をまわっていたっけ。雨 になると思 ったの か巣に帰 りたがっていたわ。冬 になってその巣を見ると小 さな骸骨がいっぱい あったっけ

」( P. 1 6 0)

と孤 り吃きながら敷き布の上に並べては喜ぶ

Ca t l l e r i ne

の姿 は子供のそれであ り、意識 は子供の頃の世界へと戻 っている。

Ca t her i ne

Hea t hc l i

ffの子供時代 とは、Ca

t he r i ne

にとって 「な くてはな らない存在」である

He a t hc l i

ffや嵐が丘、2人で飛 びまわった荒野か ら引き離 される以前、すなわち

2

人が共有 していた世界、Ede

nを喪失する前の時代で

ある。 Emi

l y

は子供時代 を詩

( NO.1 43)

において、この世の悪や悲 しみ、隔落 をまだ知 らず、天 の愛 によって祝福 され大地 によっていつ くしまれ、自己の魂 をみたす光である友 と共にあ り、合一の夢想の中にあって分離の体験 を知 らぬ 時代 として詠っている。 Ca

t he r i ne

は 「自分の世界を追われた宿なし」 になっ たのが1

2

歳の時であると思 っているが、この年 は、父親の

Er ns how氏が死去 し、

嵐 が丘 の主 人 が兄

Hi ndl e yに取 って代 わ られ、と同 時 に子 供 時 代 の 同朋 He a t hc l i

ffが召使 いの地位 に落 とされ、Ca

t he r i ne

と遊ぶ ことを禁 じられたた めに、生 まれては じめて

Ca t he r i ne

が孤 りになったことを強 く意識 した年であ り、また、嵐 が丘 の家 をこっそ り抜 け出 した

2

人が

Li nt on

家の

Thr us hc r os s

屋敷 に出か け、怪我 を した

Ca t he r i ne

のみが

Li nt on

家 に しば らくの間滞在す ることになった年 で もあった。 Thr

us hc r os s

屋敷 でのでき事 は

Ca t he r i ne

He a t bc l i f f2

人が嵐が丘の家と荒野 という自然 を媒介として一体感で結ばれて いた子供時代 を

2

人か ら奪 う決定的事件であった。 この年か らLi

nt on

夫人と して病の床 につ くまでの

7

年間の生活 を振 り返 り

、Ca t he r i ne

は 「何 もなかっ

20

(16)

」 ( P.1 63)

に等 しいと言い、あるいは 「底 な しの穴の中 をはいまわっていた ような気持 ち

」 ( P.1 6 3)

がすると表現す る。「自分の世界 を追 われた宿 な し」

( p.1 63)

という追放の イメージと 「穴の中をはいまわる」 という幽閉の意識 を暗示する表現が、Ca

t he r i ne

の無 に等 しい空白の

7

年間についての矛眉 し、

錯綜 した意識にr

ea l i t yを与えている。

はるか遠 くの異郷に追放 されることと、牢獄に撃がれることを同時にうたっ た詩

( NO.9

1)と同様、追放 と幽閉の イメー ジが

Ca t he r i ne

の人生 に纏 い付 い ている一。窓 も幽閉のイメージとして作用 している。か らだが焼 けるように熱 い、

外に出たいと訴え、Ca

t he r i ne

は窓を開 けて くれるよう墾願する。窓 を開 ける と冷 たい風が さっと吹 き込み衰弱 しきった

Ca t he r i ne

の生命のか細い炎 を消 さ んとするが、その風が、荒野では 「半分野蛮人みたいな強 い自由な娘

」 ( P.163)

であった苦へのノスタル ジアをかきたてる。幽閉のイメージは

Ca t he r i ne

自身 の肉体 によって、よ り明確 に伝 え られ てい る。病 の床 につ いて

2

ケ月後、

Ca t he r i ne

は 「こわれた牢獄みたいな肉体

」 ( p.1 9 6)

「こんなものの中に閉 じこ め られているのはうん ざりした

」 ( P,1 96)

と訴えている。 Ca

t he r i ne

の、この 訴えは自己否定であり、現在の自己を越 えようとして越えることのできない自 己の限界性に閉 じ込め られて悶える/^間と しての存在のあり方への抗議で も ある。従 ってそこか ら生 じる

̀ t ha tgl or i ouswor l d'

への切至削ま、限界の衣 を脱 ぎ捨 て自由になった魂が招 けめ ぐる世界への怪傑であ り、それは死の情熱にま で極 まってゆく。

病の床に縛 りつけられている

Ca t her i ne

は嵐が丘への思慕を炎のように燃 え たたせるが、そこには

Em i l y

の大地への思慕が映 し出 されて料 〕、それは生へ の情熱を暗示する。 Ca

t he r i ne

.の嵐が丘への望郷と 「あの輝やか しい世界」へ の憧憶との矛盾 した欲求に、Emi

l y

の地上への確執 と永遠 なるものへの愛の交 錯、生への情熱 と死への情熱の錯綜がみ られる。また

Ca t he r i ne

が妊娠 してい ることを考えあわせると、有限性、限界性 という苦悩 を背負ったまま、生存の 本能に促 されて生に しがみつ く人間存在の不条理性 を象徴 しているようにも考

(17)

えられる。 しか し、病 の床 につ いてか ら死 までの

2

ケ月間に

、Ca t her i ne

の情 熱 は生 と死 の間 を激 しく揺 れ動 きなが ら しだ いに死 へ と向か ってゆ く0

Ca t he r ine

は死 と共 に 「あた しの魂 はあの丘の頂 きべ飛 び去 っているで しょ

。 」 ( P.1 6 5)

と嵐が丘への執着 を捨 てきれずにいることを暗示することばを 発す る。が

2

ケ月後、肉休 という牢獄か らの脱出の欲求 と共 に

̀ t ha tgl or i ous wor l d'

へ逃 げてゆ くとい う考えを初めてロにす る。 さらに 「あた しはあなた

たちみんなとはとても比べものにな らないくらい遠い高いところへ行 って しま うの よ

。 」 ( P.1 6 5)

と も言 う。 「あ の 丘 の 頂 き」 は

、Ca t he r i ne

が 見 た夢

( Li nt on

と婚約すべ きかどうかと迷っている時

、Ca t her i ne

は自分が天国にい てみ じめな思いをしている夢 を見る。夢の中で地上、つ まり

̀ myhome'

に帰 り たいと胸 もはりさけんばか りに泣 き叫ぶ

Ca t her i ne

はついに天か ら地上に投げ 下 される。)の中で怒 った天使 たちが投 げ下 した 「荒が丘のてっぺんの荒野」

( p.1 2 0‑ 1 21)

を連想 させ、死後の魂 が丘の頂 きへ飛 び去 るという発言に、我が 家である嵐が丘、大地、そ して この世への執着心 を読み とることができる。一 方 「あの輝やか しい世界」 あるいは 「遠 い高 いところ」 という

i de a

によって、

「あの丘の頂 き」 とは性質の異なる、魂が永遠 に回帰するところと してのvi‑

s i on

が提出 されてい る。 しか し

̀ t ha tgl or i ouswor l d'

へのあこがれは、死ぬ程 恋焦がれた地上的なものか らの雄脱 を意味するとは必ず しも言えないように思

。 Ca t her i ne

は 「あの輝か しい世界」へ逃げてゆきたいということばを発す る直前 に、死後 も安 らかな眠 りにつ くどころか 「わた しも地下で同 じように悲 しんでいると思 って下 さい

。 」 ( P.1 9 6)

、Ca t he r i ne

の死 を前に地獄の苦 しみ に悶 える

He a t hc l i

ffに宣言 してい る。 この

̀ unde r gr ound'

か ら

̀ t hatgl or i ous wor l d'

への移行 は唐突すぎるように思 われる。

矛盾や不確か さは

Nel l y

のことばにもみ られる。 Ne

l l y

は周囲のもの一切へ の関心 を失 ったかにみえる

Ca t her i ne

の様子 をはるか向 こうの 「現世のかな た」 を見つめているようだと形容するが、一方で、「肉体 と‑諸に現世の性格 も 捨去 らないか ぎり天国へ行 ったとて島流 しに された思 いで しょう

。 」 ( P.1 9 5)

(18)

と述べ る。 また、Ca

t he r ine

が死後の永遠の世界、平安の安息所への門出にあ るとい う確信 を持つかと思 うと、一方、Ca

t l l e r i ne

の生涯 をふ り返 ってみると、

「あの世で幸福 だとは言いきれない」 とも思 う。 ここに もEmi

l y

の相反する ものへの欲求か ら生 じる錯綜と矛盾が映 し出されている。

Ca t he r i ne

は死 を目前に して

̀ t ha tgl or i ouswor l d'

への傾がれを口にするが、

死後

Ca t her i ne

の霊 は、Ne

l l y

の言 うように 「地上 にあるか、それ とももはや 天国へ去 ったか、いずれにせ よ、今 は神のみ もとへ帰 った」(

P. 2 0 2)

とも 「 りもな く、暗い影 もない永遠の世界

」( P. 2 0 2)あるいは 「

遠い高いところ

」( P.

2 0 1

)へ行 って しまったとも想像 し難 い。む しろ、「地上で悲 しむ」 Cat

her i ne

の姿 をより強 く印象づけられるが、それはLoc

kwood

が嵐が丘の家に泊 った晩 に見 た夢の中に、子供の姿で現われる

Ca t he r i ne

が話す ことばに拠 るところが 大 きい。 Ca

t her i ne

の子供時代の寝室で一夜をあかすことになった

Loc kwood

は、夢の中で窓の外か ら子供の顔が中 をのぞき込 むのを見、そ して、その子供 が 「あた し家に帰ってきたの。荒野で道 に迷 ったの

」( P. 6

7

)

入れて‑ たしを入れて」(

P. 6

7)とこの上 もな く悲 しげな声で訴え、あるいは泣 きわめく のを聞 く

。 Ca t he r i ne

「 20

年間 さまよっていたのよ」 と言 うのだが、Hea

t h・

c l i

ffに騒 ぎの事情を説明するLoc

kwood

は、「あの娘 は

2 0

年 もの間地上 をうろ つ き ま わ っ て い る と言 っ たが ‑・。

」 ( P.6 9)と、紡 復 の 空 間 を ̀ t hemoor '

( Ca t her i ne

̀ wa i

f'であったと主張する空間 は、迷 い子 になった場所 である 荒野 であろう)か ら

̀ t hee ar t h'

に変えて伝えている。 Ca

t he r i ne

にとって自由 の空間であった子供の頃の荒野や沼地 も、さ迷 える地 、脱 け出ることのできな い閉 ざされた空間とな り、その中をさ迷 う子供の

Ca t he r i ne

は家に帰 りつ くこ とができず、帰 ってきても家の中に入 ることができない。 ここにも幽閉と追放 のイメージがある

。 Ca t he r ine

の霊

( Loc kwood

は夢か らさめた後

̀ t hes pe c ‑ t r e '

とい うことばを用 いている。)は

2 0

年 もの間荒野をさ迷 い、嵐が丘の家に執 着 し

、̀ t ha tgl or i ouswor l d'

へと飛糊できず、地上 に縛 られているという印象 を与える。大地か ら発散 される現世的気配はこの作品の

endi ng

か らも感 じら

28

(19)

れる。土地の人々や

Jos eph

Heat hcl i

ffの死後、2人の幽霊が野原や嵐が丘 の家の中を歩 き回 るのを見 たと主張するが、2人の死後住み手がいなくなった 鼠が丘 はあたか もこの2人の志のすみかになったかの印象を残す.嵐が丘周辺 にうごめ く地謡̲の ごとき

Ca t her i ne

の存在が一層

̀ t hatgl or i ouswor l d'

につい ての

vi si on

への距柾 を大 きくしている。後期の詩において、はっきりと表現を 与え られ た神秘体験 (無の体験)に比べ ると、この小説にはよ り強烈な大地の においが充溢 し、嵐が丘へ執劫 に帰 ろうとする情念の激越 さを感 じさせ、未来 に投 げかけるべ き永遠なる魂の自由の地への

vi s i onよりも、嵐が丘へ向かって

過去へ と引 き戻そうとするエネルギーの興様 な放出を印象づ けちれる。ここに、

Emi l yの家 と荒野への ノスタルジア∴さらに大地への執念深 さ、生への情熱の

投杉がみ られる. これ らが

Em i l y

I J l i

fl

i

世非で、どのような航跡を描いて最終 的白山の

vi s i on

の中に吸収 されあるいは溶 け込 み無化 してゆくか、LawHi

l l

以降

(1 83 8

iF以後)の詩によって検討 してみよう。

Law Hi

llか ら家へ戻 った

Emi l y

.は、投獄の苦 しみや失われた自然の輝 きへ の嘆 き、さらに、故郷 に戻 り家 と荒野での自由を回復 した後 も癒 されることの ないホームシックの苦 しみについて詩の中で告白 している

I ndungeonsdar kIca nnots i ng , I ns or r ow' st hr al l 't i shar dt os mi l e;

Wha tbi r dcans oarwi t hbr okenwl ng ?

Whathear tcanbl eedandj oyt hewhi l e. ( NO. 7 7. e . I‑ 4)

暗い地下牢の中で歓 びもははえみ も忘れ、悲 しみに捕われた囚人は、翼折れ、

心臓か ら血を流す鳥が空高 く舞い上がることができないように、歌 うことはで きない。

24

(20)

また

、La wHi

llか ら戻 って

1

年以上 たった

1 8 3 8

年11月11日の目付 けのある 詩 にも

、LowHi

llでの郷愁が詠われてお り、家 に戻 ってか らも囚われ人 と し ての意識が

Emi l y

を苦 しめ続 けてい たことを示 しているが、それだけとは言い 難いものをこの詩か ら読みとることができる。

Loudwi t h outt hewi ndwa sr oa r i ng Thr ought hewane da ut umna ls ky;

Dr e nc hi ngwe t , t hec ol dr a i np our i n g SpokeofS t or myWi mt e r sni gh.

I ti ss we l l e dwi t ht hef i r s ts nowywea t l l e r;

Ther oc kst he ya r ei cya ndhoa r

Anddar kerwa ve sr oundt hel ongl l e a t he r Andt l l ef er n‑ l ea ve sa r es unnynomor e.

The r ea r enoyel l o w‑ s t a r sont hemount a i n

,

TheBl ue ‑ be l l sha vel ongdi e da wa y

Fr omt hebr in koft hemos s ‑ be dde df ount a in

,

Fr omt hes i deoft hewi nt e r ybr a e ‑

Butl ove l i e rt hanc or n‑ f i e l dsa l lwa L v in g.

I ne me r a l da nds c a r l eta ndgol d

Ar et hes l ope swhe r enor t h‑ wi ndi sr a vi ng

,

Andt hegl ensWhe r eIwa nder e dofol d.

"

I twa smom i n g;t hebr ig hts unwa sbe a mi ng

."

Hows we e t l yt hatb r ou g htba c kt ome

Thatt i mewhe nnorl abournorbe a ml ng

(21)

Br oket hes l e e poft heha ppya ndf r e e.

Fort hemoor s ,f ort hemoor swhe r et hes hor tgr a s s Li kevel vetbe nea t huss houl dl i e!

Fort hemoor s .f ort hemoor swhe r eea c hhi g h pa s s Ros es unnya ga i ns tt hec l e a rs ky!

Fort hemoor swher et hel i nne twa st hr i l l i ng I t ss ongont heol dgr a ni t es t one;

Whe r et hel a r k‑ t hewi l ds kyl a r kwa sf i l l i ng Eve r ybr ea s twi t hde l i g htl i kei t sown.

Whatl a n gua gec a nut t e rt hef e e l i n g Tha tr os ewhen,i ne xi l ea f a r , Ont l l ebr owofal one l yhi l lkne e l i ng Is a wt hebr ownhea t hgr owi ngt he r e.

I twa ss c at t e r e da nds t unt e d,a ndt ol dme Tha ts oone ve nt ha twoul dbegone;

I t swhi s per e d

,

"Thegr i mwa use nf ol dme. ,

iha vebl oome di nmyl a s ts umme r ' ss un. ' '( NO・ 9 1 . L 1 ‑ 4 .2 3 ‑ 3 8 . 4 3 1 5 8 )

ll

1 2

1 3

1 4

1

の 「風が うな り雨が降 りしきる嵐吹 く冬の近 さを語る」光景 は、こ の詩が書かれた季節

11月の ものであるとすると、6、7連でうたわれている 季節はいつであろう。 1連の初冬の趣 きとは異なるものを感 じさせる

11月の 陰 うつ さの中、嘆 きのため息 が もれる が、ため息 にかわ って美 しい

̀ a n c i e nt s ong'

が聞 こえて くる。「時は春、ひばりはさえずっていた

(e. l l)

という 「 の歌」 の詞の魔力によって、想像力の泉 は溢れ出て、それは11月のわび しさの

26

(22)

中で

5

月 の歌 を唱い、故郷の光景 を映 し出 し、なつか しき 「わが荒野」 へ とい ざな うのである。そこで見 た光景が

6、7

連 の荒野の景色であろう.それ は春 の荒野ではな く、初雪に水か さを増 した流れ、真 白に凍ついた岩、「羊歯の薬 は もはや日 ぎLに映えることもな く」、黄 色の星花 も釣鐘草 も姿 を消 して しま っ た 「過 ぎ し日」 の冬の荒野の光景である。

8

連で

Emi l yは 「

エ メラル ド色、緋色、金 色に波 うつ麦畑」 よりも 「北風吹 きす さぶ斜面」「わた しが さまよった過 ぎし日の谷間」 を美 しいとうたう。 こ の詩が書かれたのが11月の北風吹 きす さぶ季節であ り

、Emi l y

は自由に谷間 を 歩 き回ることができたはずであるが、「過 ぎし日の」 とうたっていることか ら、

Emi l yは家へ戻 った後 も囚われ人 と しての自己 を回想 し 、La wHi

llでの苦悩 を詩 にうたっているとも考え られるo Em

i l y

La wHi l lSchool

の壁 に囲 ま れ不 自由 な生活 を しているという設定の もとに この詩 をと らえ直す と、「過 ぎ し日」 は

La wHi

ll以前の日々をさすことになる。 9連以下

4

連 は 「いかなる 労苦 も夢 も、幸福で自由な者の眠 りを破 ることのなかった頃」 をうたったもの であ り

、RoaHe a dにおいて Emi l y

はすでに囚われの苦 しみを体験 しているの で、それ以前 の 日々 を暗示 してい る。調子 において も、うたわれて いる季 節

(8

連は北風吹きすさぶ季節を

、9

連以下

4

連は r露の牧場」、ビロー ドのような草のは えている荒野が見渡せる季節をうたっている)において も

、8

連 の 「過 ぎ し日の谷 間」 と9連以下の 「幸福で自由な」 日々とは異なった過去 をうたっていると考 え られる。従 って、8連 の 「過 ぎ し日」 とは、RoaHe

a dでの体験 によって幼

き日の夢 が破 られ悲 しみ を知 った

Emi l y

が、La

w Hi

ll以後の ような囚われ人 と しての意識に悩 まされ、苦悩 を深 めることな くす ごせた日々の ことであると 推量する こともできる。

1 3

連 と1

4

連 は、追放 された 「わた し」 が見 ている寂 しい荒野 の風景 である。

冷酷な壁がわたしをと り囲んでいるのです」 とささや くとニスは枯れか けて いる。 7連 の 「釣鐘草が姿 を消 して もう長 い」 とい う詩句は、1

3、1 4

連の ヒー スが枯れ ゆ く季節、すなわち囚われ人 と しての体験以後、悲 しみに囚われて し

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