0.はじめに
1.海軍省所管製鋼所案の特徴 1)概要
2)構想案の推移 3)原料問題と生産技術
2.日清戦前期陸海軍の銑鉄鋼需要とその要因 1)陸軍
2)海軍 3.おわりに
0.はじめに
近代日本の官営製鋼(製鉄)所構想が初めて政府案となり、第2回帝国議会に提出されたのは 1891(明治24)年11月のことであった。だが、海軍省所管製鋼所案(以下では、たんに「製鋼所案」
と略称する場合がある)はこの議会において民党の批判にさらされて否決され、次の第3回帝国議 会(92年5月)においても再度提出されたが、これも通過することなく廃案になった。にもかかわ らず、その後一部議員から官営製鋼(製鉄)所設立自体は必要であるという意見も出され、政府内に いくつかの調査委員会が設けられて製鋼(製鉄)事業計画等の検討がおこなわれていった。そうし た動きは、日清戦争後の第9回帝国議会(95年12月)に提出された製鉄所創立予算案へと結実し、同 案は可決されて農商務省所管製鉄所が設立されることになった。
このように、政府による初の官営製鋼(製鉄)所設立案であり、その後における製鉄所構想の出発 点となったという意味において、この製鋼所案はきわめて興味深い対象である。それゆえ、すでに 多くの研究が積み重ねられており、近年では長島修の一連の論考1が代表的な研究である。
池 田 憲 隆
海軍省所管製鋼所案と陸海軍
1長島[1987]、同[2004](a)、同[2004](b)。
長島は、製鋼所案について従来の研究が主として軍事的意義から説明してきたことを批判し、海 軍省は自らが所管となることに必ずしも積極的ではなく、需要や生産計画からみて鉄道レールを中 心とした量産型民需品生産を経営の柱として想定していた、と主張する。主論点である後半部分を 具体的に述べると、①軍需6,000トン、民需22,000トンという年間生産計画であり、軍需は2割程度 でしかないこと、②各鋼材の原価計算がレールをベースにしていることから、民需の主要製品は レールであること、③製鋼炉は平炉を予定していたとされるが、レールを生産するためには転炉も 設置する計画があったはずである、という3点に集約できよう2。
長島の研究3は、野呂景義の当初案から海軍省所管製鋼所案を経て官営製鉄所に至る過程の諸側 面を丹念に検証しており、官営製鉄所の構想と創業過程に関して現時点で最も優れたものと評価で きる。だが、海軍省所管製鋼所案に関していえば、次の点に問題を残している。すなわち、①の数 値は三枝・飯田[1957]が紹介した「製鉄所設立費要求書説明」によるものであり、議会に提案され た数値とは異なるのではないか、という疑問4がある。②③については、①を前提にした推論であ り、実証されているわけではない。海軍省が所管となることに積極的ではなく、この時点における軍 の鋼需要がそれほど大きくはなかったことについて異論はないが、軍需が年間生産額のわずか2割程 度でしかない製鋼所案を海軍省所管として議会に提案したというのは、あまりにも不自然であろう。
以上の点から、本稿ではあらためて議会提案に基づきながら製鋼所案に分析を加えるとともに、陸 海軍の鉄鋼需要を実証的に掘り下げることによって、海軍省所管製鋼所案を再検討することにしたい。
1.海軍省所管製鋼所案の特徴
海軍省所管製鋼所案は、1892(明治25)年度海軍省予算臨時部における新規要求経費(継続費)と して帝国議会に提出されたものであり、当然ながら形式的には海軍の軍備拡張費の一部として位置 づけられていたものである。だが、他の海軍軍拡予算とは性格をまったく異にしていたといってよ い。そもそも本案は92年度予算策定過程において突如浮上したものであり、少なくとも従来の海軍 の軍拡構想・計画にはまったく存在しなかったものである5。そこで、まず本案の概要を「予定経 費要求書」および議会説明によってみていくことにしたい。
1)概要
海軍の「予定経費要求書」によれば、「製鋼所設立費ヲ要求スル目的ハ、主トシテ海軍造船用製砲
2長島[2004](a)、p.50。
3海軍省所管製鋼所案以降の時期を対象とした論考には、長島[2003]、同[2006](a)、同[2006](b)、同
[2007]がある。
4筆者も以前は長島説と同様の立場から論述していた(池田[2004]p.82)が、以下が再検討した結果である。
5この予算策定過程については、長島[2004]pp.47-49を参照。また、この時期の軍拡計画と財政の関係につ いては、高橋[1995]pp.267-282を参照のこと。
用ノ鋼材ヲ製造シ又陸軍所要ノ鋼材ヲ製造シ以テ軍備ノ基本ノ確立ヲ企図スルニアリ、現今ノ如ク 造船材製砲材ト為ルヘキ鋼材ノ供給ヲ悉ク外国ニ仰クハ軍備上一大欠典ニシテ、戦時ハ論ナシ未タ 戦時ナラサラルモ他国ト事アラントスルトキニ当リ、鋼材ノ輸入ヲ杜絶セラレナハ我ニ於テ材料得 ルノ道ナク、新艦製造ニハ着手シ難ク、半製ノ軍艦ハ之ヲ中止セサルヲ得ス、破損セル軍艦ハ修理 加フルコト能ハス、兵器弾薬ヲ告クルモ之ヲ補充スルヲ得サルニ至ル」6ことは必至であり、「軍備 ノ独立」7を達成するためには製鋼所の設立が必要である、と主張していた。つまり、ここで述べら れている製鋼所設立の理由は一見してまったくの軍事目的であり、海軍の軍拡計画の一環としてし かみることができないものであった。次に、議会での説明をみてみよう。
第2回議会衆議院予算委員会において、樺山海軍大臣は次のような趣旨説明をおこなっている8。 すなわち「艦船ノ製造ノ大砲ニ附属シタ砲架トカ、鋼ヲ用イル材料ハ、全ク外国ニ請求スル様ナ事 デアリマスカラ、到底此ノ儘デ推シテ行キマスレバ、海陸軍ノ艦船兵器ノ独立」ができないので、早 急に製鋼所の設立が必要であるというものである。ただし、製鋼所は「民業ニ起ル様ナ事ニシタイ ト」いうのが政府の主意であり、「資力アル人民ニ誘導シタ事」もあったが、「謝絶」されたため、
「止ムヲ得ザル所ヨリシテ政府ガ直接ニ工事ヲ起サ」ざるをえなかったことと、所管についても
「内閣連帯ノ責任ヲ以テシタ方ガ至当」と考えていたが、鋼材使用が多いという理由で調査を引き 受けたことから海軍省所管になった、という点などを併せて述べている。このように、議会におけ る説明には政府が製鋼所の民設・民営を望んでいたことや海軍がその所管を積極的に引き受けたわ けではないという注目すべき証言はあったものの、設立目的に関しては軍事目的(以下では、「兵器 独立」的観点と呼ぶ)という点に変わりはなかった。
では次に、設立を予定される製鋼所はいかなる設計、つまり需要をどの程度見込んでおり、それ
6資料[1]pp.2-3。引用にあたっては、引用者が適宜句点を加えている(以下、史料引用においては同様の 処理をおこなう場合があるが、煩瑣になるため注記することはしない)。なお、この資料は第3回帝国議会に提 出されたものと推測されるが、この追加予算は第2回議会に提出されたものと同一であるという証言(資料
[2]590頁)がある。本来ならば、第2回議会に提出された「予定経費要求書」をまず参照すべきであるが、そ の資料の所在を確認できなかった。
7研究史上、「軍器(の)独立」と表現される場合が多いが、この時点では政府委員の議会答弁や議員の発言な どをみても「軍備の独立」ないしは「兵器の独立」という用語が一般的である。日清戦後の呉製鋼所案の時期以 降には「軍器(の)独立」という用語が海軍を中心として頻繁に使用されるようになる。奈倉文二は「軍器独 立」を学術用語として使用することを提言しており(奈倉[2005]pp.8-9)、その含意は、兵器の国産化や生産 技術の自立化に加えて外国兵器企業からの資本の独立を包括した概念ということであるようだが、そこには以 下のような問題点がある。第1に、「軍器」という用語は「兵器」や「武器」とともに古くから存在するが、現在 においては死語に近いものであり、それを史料的表現以外でわざわざ持ち出すことにまず疑問がある。第2に、
史料的文脈でいうと「軍器の独立」という用語を海軍が使用しはじめたのは、海軍内部では「兵器」という用語 が艦船の船体や機関以外の砲熕等を示すものとされており、そこには艦船本体が含まれないため、「兵器の独 立」では都合が悪く、「軍艦」と「兵器」を結合した短縮用語として「軍器」が使用されるようになったのではな いかと推測されることである。この点は、後にみる「製鉄所設立費要求書説明」の文中に「軍艦兵器」という用 語が幾度となく使用されていることにも窺えるのである。第3に、こうした歴史的用語にさらに別の意味を加 えて概念を拡張することにいかなる意義を見出すことができるのかが不明なこと、などを指摘しうる。
8資料[3]pp.185-187(衆議院予算委員会、1891年12月1日)。
に対してどのような設備でどの程度供給する予定であったのか、について検討しよう。「予定経費 要求書」では、1890年度以前の陸海軍鋼材需要について「最高額ハ平均三千噸ナリ」9としているが、
今後海軍の造船所や兵器製造所等の拡張や新設が予定されており、それによって鋼材需要が増加す ることを考慮すれば、約8,000トンの需要を見込むべきとしている。これに対応した規模の製鋼所 を設立するためには、1892年度から6ヶ年継続費で総額225万円10 が必要である、というものであっ た(予算概要については表1を参照)。それ以上の点については、「予定経費要求書」で説明されて いないので、次に議会における海軍大臣の発言を再度みておこう。
表1 海軍省所管製鋼所設立予算
樺山は製鋼設備について、欧州において製鋼方式は「くるーぶる式」、「志いめん式」、「べーまる
(式)」という3種類あり、「艦船材料大砲ノ材料ノミナラズ、建築ノ材料ノ如キニ鋼ヲ用井ル、其 ノ鋼ノ製造所ハ多クアリマスガ、重モニ志イメン式デア」るので、本案ではそれを採用する11と述べ ている。また、「八〇〇〇噸ノ材料ノ器械ヲ据エ付ケルト一万五〇〇〇噸迄出来ル事ニナル」ため、
「公衆ノ此ノ需用ニ充テル建築材トカ橋梁材トカ、又ハ鉄道トカ云フモノ迄モ出来ナイト云フ事ハ 無イ」のであり、「計算上デ外国カラ来ル鋼鉄ト日本ノ鋼鉄ヲ比較スレバ、日本ノ方ハマダ廉ニシテ 其ノ上ニ利益ガアルカモ知レナイ」とも言っている12。つまり、8,000トンを生産する設備はじつは
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 (単位:円)
合計 1897年度
1896年度 1895年度
1894年度 1893年度
1892年度 費 途
148,520 0
0 55,343
42,996 36,665
13,516 俸給諸給旅費及雑費
(作場費)
1,018,900 500
1,000 125,400
499,000 393,000
0 機械代価
441,900 300
600 43,300
217,700 180,000
0 建築費
120,000 0
0 0
0 40,000
80,000 土地買上土工費用水
及下水費
20,680 0
0 20,680
0 0
0 鋼材試製費
500,000 0
500,000 0
0 0
0 作業費
2,250,000 800
501,600 244,723
759,696 649,665
93,516 合 計
出典:資料[1]より作成。 榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎
9「最高額」と「平均」とは矛盾する表現であるが、これは後に言及する「官営製鋼所設立案」を引き写した ためであろう。後でみるように89~92年度における陸軍の鉄と鋼の需要は年度当たり約1,000トンであり、海軍 は約2,000トンであったから、「平均」の方が正しい。
10「予定経費要求書」によれば、96年度に計上されている作業費50万円は営業資本のことであり、実質的な設 立費は175万円である。
11資料[3]p.186(衆議院予算委員会、1891年12月1日)。
12同上、p.188(衆議院予算委員会、1891年12月1日)。
15,000トンの生産が可能なのであり、予想される軍需の8,000トンに対応するだけでなく、その残額 7,000トンを民間にも供給できる。その価格は計算上、運賃を加味した輸入品の価格よりも安いの
で、経営的にも採算がとれるのではないか、という主張であった。
以上のように、政府提案はあくまでも軍事目的を主とした製鋼所設置案であったが、予定してい る生産設備は軍需に必要とされる生産額以上の生産能力を有する計画であり、軍需を上回る分が民 需に供給されることによって製鋼所の経営自体も安定する、という基本構想であったと考えられる。
2)構想案の推移
製鋼所案の議会説明で展開された論理は、じつはすでに野呂景義によって主張されていた。海軍 省所管製鋼所案の原型といわれる野呂の「鉄業調」は「産額少量ニ過ルトキハ工費ノミ嵩ミ、収支相 償ハザルベシ、年々ノ製出高二万噸ニ下ルトキハ既ニ営業上不利益ナルベシ、其所以ハ二万噸ヲ製 スルモ三万噸ヲ製スルモ、起業費ニ大差ナキノミナラズ、工費ノ如キモ産額高ノ比例ニ増加セザレ バナリ。故ニ産額益々多ケレバ、利益愈々多シト雖モ、凡創業ノ際ハ諸事不整頓ナルヲ以テ、先ズ 小ヨリ創メ漸々大ニ及ボスヲ以テ得策トス」13と述べている。それに引き続いて、計画上の年間生 産高をあげており、それを約40,000トンとかなり大きく見積もっている点にも注意する必要がある。
この生産計画の算定理由は、年間輸入鉄材を80,000トンと想定してその半分を賄うということに あった。つまり、「輸入防遏」的観点が強く意識されていたのである。それとともに、「鉄道、橋梁、
船舶、家屋、疏水、給水、農具其他各種ノ機械一トシテ其材ヲ鉄ニ資ラザルハナ」14く、鉄が国内お いて生産されていないことが他産業の発展を遅滞させているという観点(以下では、これをとりあ えず「国内産業振興」的観点と呼ぶ)からも補強されていたのである。
また、同様の主張は三枝・飯田[1957]が紹介した「製鉄所設立費要求書説明」(以下、「説明」と 略称する)にもみられる。そこでは「製出額少量ニ過クルトキハ工費嵩ミ収支相償ハス、一ヶ年ノ 製出高二万噸ニ満タサルトキハ営業上不利益ナリ、如何トナレハ、二万噸ヲ製スルモ三万噸ヲ製ス ルモ起業費営業費共ニ大差ナキノミナラス、工費ハ決シテ製出高ノ比例ニ増加セス、却テ製出高ノ 増加スルニ従ヒ減少スル」15と述べ、年間生産予定額を約30,000トンとしている。
このように、海軍省所管製鋼所案へと繋がる設計案には同種の論理(「規模の経済性」論)が援用
13資料[4]p.207。
14同上、p.198。
15資料[5]10丁。この「説明」を『製鐵所沿革史』が海軍製鋼所案としていたので、三枝・飯田[1957]
(p.125)もそのように紹介したようである。後の研究も同様にこれを継承しているが、その点には疑問がある。
前述したように、帝国議会における説明では陸海軍需要予想は8,000トンであったが、この「説明」では6,000ト ンとしている。また、予定生産高についても、議会提案が 15,000トンと見込んでいたのに対して、「説明」は 鋼材約28,000トン(地金30,000トン)としている。これを生産高に対する軍需の割合を計算すると、大きな違 いとなって現われることになる。これらは製鋼所の基本構想に関わる点であり、そこには大きな差異があるこ とは明白である。それゆえ、この「説明」は議会に提出された海軍製鋼所案のそれではなく、野呂の「鉄業調」
に続く中間的な提案であると考えた方が妥当であろう(両者とも作成年月日はないが、内容面からこのように 推定した)。
されていたが、そこでの年間生産高計画は 40,000トン→30,000トン→15,000トンと減少していった のである。野呂の当初案では、「輸入防遏的」観点および「国内産業振興」的観点から生産額を大き く見積もっていたが、構想が現実化するにつれて、生産計画は縮小せざるをえなかったのであろう。
この点については、最終段階に近い計画案ではないかと考えられる「官立製鋼所設立案」(以下、
設立案と略称する)がその理由をより具体的に説明している。すなわち「製鋼所ヲ設ケテ鋼材ノ輸 入ヲ防カントスルニハ六七万噸余ヲ製出スル所ナラン事ヲ要スヘシ、然ルニ本邦ニ在テハ製鋼ハ真 ニ初歩ニ属シ適当ノ技手職工ハ国内ニ於テ之ヲ得ル能ハス、且又製鋼ノ原料俄カニ内国産ニテ需用 ヲ充タス能ハス、必スヤ輸入原料ヲ仰クニ至ラン、此時ニ当リ外商若シ其原料ヲ高価ニセハ我製鋼 材ノ価格輸入物ヨリ高価トナリ、輸入物ニ圧倒セラレ工場ノ会計収支償ヒ難キニ至ルヤ必セリ、故 ニ此方案ハ成ヘク規模ヲ小ニシ、海陸軍ノ需用ヲ充タシ其余力ヲ以テ民間需用ノ幾分ヲ充タシ得ル ヲ目的」16とする、というのである。
「設立案」は、輸入防遏を目的とするためには6~70,000トンの製造が必要であるが、本邦製鋼 事業の程度を考慮すれば、次のような点から生産規模を縮小すべきことを主張している17。すなわ ち、当面①技師・職工は外国人に依存せざるをえないこと18、②原材料(銑鉄および屑鉄等)を輸入 に依存するため原材料価格が高くなる場合があり、輸入品よりも高価になって競争において不利と なるという可能性があること、を指摘していた。前2案が素朴な「規模の経済性」論に立っていた のに対して、「設立案」は創立当初の生産技術の低位性と原料コスト高に配慮して生産計画を縮小 したものと思われる。
こうして、製鉄(製鋼)所構想は「鉄業調」→「説明書」→「設立案」と進むにつれて、基本構想は 現実的ないしは慎重な想定に基づくものとなり、年間生産計画もより低く設定されるようになった が、他方で軍需予想は将来の軍拡を見込んで、より大きくなっていった。軍需に対する優先的供給 は一貫して大前提であったため、結果的に生産計画における民需供給は縮小されざるをえなかった といえる19。そのため、当初の野呂案に色濃くあった「輸入防遏」的観点および「国内産業振興」的 観点は後退し、「兵器独立」的観点だけが前面に現われざるをえなかったのであろう。さらに議会
16資料[6]p.6。本資料は、本文16頁、付表(第1表~第3表)および参考表(第1表~第7表)からなる全 23頁のタイプ刷りであり、作成年月日はない。ただし、本文内容や統計資料から1891年に作成されたことが窺 われる。この設立案は、議会説明と同じく「製鋼所ノ程度ハ一万五千噸ノ鋼材ヲ製出シ七八千噸ヲ以テ海陸軍 ノ需用ヲ充タシ他ノ七八千噸ヲ以テ一般ノ需用ヲ充タスヲ目的トスル」(p.9)の述べている。また、「七八千噸 ノ鋼材ヲ製出スルニ要スル火炉器械ヲ備ルト一万五六千噸ノ鋼材ヲ製出スルニ要スル火炉器械ヲ備フルト費用 相同シキコト」(同上)という上記2文書と同様の論理も展開されている。他方で、当時大蔵官僚であった添 田寿一が1891年10月に執筆した「製鉄所設立」(資料[7])においても、1年間の陸海軍需を8,000トンと見込 み、生産計画を16,000トンとしているように、議会提案が固まった時期にはこうした数値が政府内でのほぼ共 通した理解であったものと思われる。
17この点は、議会において樺山海相が「斯ウ云フ工事ヲ起スニハ初歩ニ過ノ無イ様ニスルガ得策デアラウ、ソ レデ外国ヨリ原料ヲ買ッテソウシテ製造スル」(資料[3]p.187)という説明をしていることにも一致する。
18これには、高賃金によるコスト高と技術的低位性の両面を含んでいると考えられる。
19他方では、軍需に対する供給が安定した経営を保証する、つまり輸入品との価格競争を回避しうる、という 観点も含まれているように思われる。
提案においては、海軍省所管での要求経費ということになったために、ほとんど「兵器独立」的観点 からの説明となったものと考えられる。とはいえ、「設立案」も「製鋼所興リテ海陸軍需用鉄材ノ外 一般ノ需用鋼材ヲ製出セハ、自ラ輸入ノ幾分ヲ減スルコトヲ得ヘシ、又輸入鋼材ノ価遥カニ英国市 価ニ運賃ヲ加エタルモノヨリ高価ナルハ我ガ国ニ製鋼所ナキカ為ナリ..<中略>..官製鋼所ヲ設 クルトキハ一方ニ於テハ鉄山業ノ発達ヲ促カシ一方ニ於テハ鋼材ノ需用者ヲ生セシメ工業一般ニ進 歩シ遂ニハ民間ニ企業者ヲ生スルノ時運到来スルヤ疑ナシ」20と述べているように、「輸入防遏的」
観点および「国内産業振興」的観点は底流において維持されていたことにも留意すべきであろう。
3)原料問題と生産技術
およそ「兵器独立」的観点が前面に出た政府による議会提案に対して、当然のごとく問題となっ たのが、原料の輸入依存という点であった。
予算委員会において杉田定一は「日本ニ於テ現在ソレ丈ノ鉄ノ原料ガ出ルカト云フト、将来出ル ト云フ事ハ学者ノ説デハアルガ、今原料ハ出テ居ナイ、外国カラ仰ガナケレバナラヌ、サウスルト 外国カラ仰グナラバ、矢張兵器ノ独立ガ出来ナイノデアル」21という疑問を呈している。これに対 して、政府委員本宿宅命は「此ノ原料ガ今日無イト云フノハ、外国ノ製鋼所ノ如ク鉄ヲ需要スル者 ガ無イ故ニ、内国ノ鉱山業モ発達シナイ、之ヲ先ツ立テヽ、最初ニ已ムヲ得ズ外国ノ銑鉄ヲ使フケ レトモ、是ガ立ツナラバ、自然内国ノ銑鉄モ発達スルデアロウ」22と回答している。
杉田の議論に代表されるように、政府案批判は①現在、国内自給できない原料が将来できる保証 はない、②原料の外国依存では「兵器の独立」にならない、という2点にあった。これに対して、政 府側は製鋼所が設立されることによって国内鉱山業が発達し、将来的には解消されるという回答で あり、議論は平行線を辿った。第2議会において政府案が否決された後、同じ提案が翌年5月の第 3議会においてなされ、①についてもう少し具体的な議論がおこなわれた。
そこでは、樺山海相が新たに大阪砲兵工廠のシーメンス・マルチン炉で釜石銑を使った鋼の試製 などを紹介し、当初は外国の原料に依存するが製鋼所が稼働するにつれて、国内で供給業者が現わ れ、国内原料で製鋼が可能になるという見通しをより具体的に述べた23。また、政府側は野呂景義 を招致し、釜石を中心として国内原料問題に関して証言させた24が、民党議員の賛意を得ることが できず、政府案が衆議院を通過することはなかった。
こうした議会における原料問題の議論には、原料としての鉄鉱石とそれを加工した中間材料とし ての銑鉄との区別が曖昧になっている点にまず問題があった25。しかも、製鋼炉の種別によって原
20資料[6]pp.5-6。
21資料[3]p.367(衆議院予算委員会、1891年12月10日)。
22同上、p.368。
23資料[8]p.31。
24同上、pp.39-43。
25政府側の説明は区別されているようにもみえる場合もあるが、十分に明確な説明とはいえない。
材料が規定される点はまったく看過されていたのである。製鋼所案の主要設備は酸性平炉であった と推測される26。酸性炉では鋼にとって最も有害な硫黄と燐を除去できないため、主たる原材料は 低硫黄低燐鉄鉱石から製造された銑鉄と屑鉄でなければならないはずである。この点は、「鉄業 調」・「説明書」・「設立案」において言及されていないし、議会でも説明されなかった。ただし、海 相の「西班牙辺デ原料ヲ買フヨリ外ニアリマセヌ」27という発言からすれば、政府内の技術者レベル では認識されていたのかもしれないが、少なくとも表立った議論にはなっていない。
それだけではなく、先にみた「規模の経済性」論では、同一原材料によって一定のインゴットを製 造し、それを圧延するか、鍛錬して各種製品にすることが想定されているように思われるが、軍用 鋼材とりわけ砲熕等を製造するためには原材料そのものがさらに品質の高い(硫黄、燐などの含有 量がきわめて低い)ものが必要とされるのであり、「工費ハ決シテ製出高ノ比例ニ増加セス、却テ製 出高ノ増加スルニ従ヒ減少スル」ということは到底望めないのである。この点は、いかなる製品を どのくらい生産するかによってその条件は変化するが、軍需を優先して残余を民需に供給するとい う基本設計の製鋼所において「規模の経済性」が機能しにくいことはいうまでもないであろう。
2.日清戦前期陸海軍の銑鉄鋼需要とその要因
ここでは、海軍省所管製鋼所案の主たる提案理由とされた「兵器独立」論が、その時期的脈絡にお いてどの程度の意味を持っていたのかという点を考察するために、陸海軍の銑鉄鋼需要とその要因 を検討したい。軍需は機密事項であったため、戦前期を通じて正確なデータを知る手掛かりは少な い。ところが、この海軍省所管製鋼所案および農商務省製鉄所案の作成過程においては陸海軍がそ の調査に協力していたことによって、むしろこの時期だけ比較的詳しいデータが外部に残されたと もいえるのである。そこでまず、1885~92年における陸海軍の銑・鉄・鋼の需要について表228をも とに検討する。
26すでにみたように、議会における海相説明ではシーメンス・マルチン方式(平炉法)の採用を明言している が、酸性炉か塩基性炉かは明らかではない。周知のように、20世紀前半における製鋼技術は、脱燐脱硫が可能 であるため原料の制約が少なく、屑鉄を利用できる塩基性平炉法が世界の主流となるが、19世紀末にはまだそ の優位性は確固たるものではなかった。1890年代イギリスにおいては先行したベッセマー転炉(酸性)に対し て平炉法による生産高が並び、次第に上回っていったが、その平炉法のなかで塩基性炉の発展は遅れ、酸性炉 の生産高を上回るのは1910年代である。ドイツにおいては塩基性転炉のトーマス法が発展したため、19世期末 においても平炉より転炉生産の方が優位にあった。以上の点については、中沢[1987]pp.259-260を参照。製 鋼所構想を主導した野呂景義は1880年代後半に英・独に留学しており、この時点で平炉法を導入するにあたっ ては当然ながら酸性炉を採用したであろう。さらにいえば、兵器用鋼材を主目的する場合には酸性平炉しか選 択肢はありえないのである。なお、長島[2004](a)(b)は転炉を設置する計画があったとするが、実証されて おらず、議会での説明や予算案からみても説得的ではない。
27資料[3]p.187。この場合も、「原料」が鉄鉱石と銑鉄のどちらを意味するのか不明である。いずれにせよ、
L.べックによれば「スペインの鉄鉱石資源の豊さは昔から有名で、ヨーロッパにベッセマー法の基礎となった」
のであり、1870年代以降イギリス向けを中心に鉄鉱石を輸出し、80年代以降は銑鉄も欧州諸国に輸出している
(べック[1973]pp.378-392)。
表2 日清戦前期の陸海軍鉄鋼需要(1885-1992年)
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 (単位:㌧,千円)
b期 年平均 89-92年
計(b)
a期 年平均 85-88年 1892 計(a)
1891 1890 1889 1888 1887 1886 1885 年 度
537.0 2,148.1 597.1 2,388.5 1,104.8 646.6 342.0 54.6 1,293.6 544.7 265.7 284.5 数 量
鋼
陸 軍
163.9 655.5 188.5 753.9 358.8 163.0 116.0 17.7 431.4 183.9 65.3 73.3 価 額
0.31 0.31 0.32 0.32 0.32 0.25 0.34 0.32 0.33 0.34 0.25 0.26 1t当り価格
540.7 2,162.9 664.5 2,658.1 711.9 646.2 299.5 505.3 498.7 1,444.8 280.1 434.5 数 量
鉄 価 額 36.3 31.7 104.0 49.5 41.6 34.9 65.1 91.4 221.5 55.4 233.0 58.3 0.11 0.11 0.08 0.08 0.13 0.10 0.12 0.08 0.10 0.07 0.11 0.08 1t当り価格
2,479.3 9,917.3 1,281.1 5,124.5 5,958.2 1,521.8 1,424.2 1,013.1 2,288.9 532.0 1,776.2 527.4 数 量
銑 価 額 27.8 116.0 28.6 181.7 33.6 50.1 41.8 176.2 354.2 88.5 301.8 75.4 0.03 0.03 0.07 0.07 0.03 0.03 0.04 0.03 0.08 0.05 0.07 0.05 1t当り価格
1,077.8 4,311.0 1,261.6 5,046.6 1,816.8 1,292.8 641.5 559.9 1,792.3 1,989.5 545.8 719.0 鋼鉄 数 量
小計 価 額 109.5 97.1 287.9 480.9 59.3 150.9 228.1 450.2 975.4 243.9 888.5 222.1 1,176.8 4,707.4 1,069.9 3,209.7 1,035.4 1,562.8 1,370.1 739.1
? 889.9 1,671.4 648.4 数 量
鋼
海 軍
108.0 432.2 111.9 335.6 88.6 131.6 127.4 84.6
? 87.1 181.5 67.0 価 額
0.09 0.09 0.10 0.10 0.09 0.08 0.09 0.11
? 0.10 0.11 0.10 1t当り価格
777.6 3,110.3 1,317.4 3,952.3 812.6 680.9 808.6 808.2
? 1,333.6 1,969.0 649.8 数 量
鉄 価 額 51.8 200.0 109.5 ? 78.0 75.6 63.7 77.1 361.3 120.4 294.3 73.6 0.09 0.09 0.09 0.09 0.09 0.09 0.09 0.10
? 0.08 0.10 0.08 1t当り価格
808.3 3,233.0
?
? 875.8 861.5 700.8 794.9
? - - - 数 量
銑 価 額 - - - ? 19.9 19.5 28.3 29.5 ? ? 97.1 24.3 0.03 0.03
?
? 0.03 0.03 0.03 0.02
? - - - 1t当り価格
1,954.4 7,817.7 2,387.3 7,162.0 1,848.0 2,243.7 2,178.7 1,547.3
? 2,223.4 3,640.4 1,298.2 鋼鉄 数 量
小計 価 額 118.8 381.5 196.6 ? 162.5 203.0 195.2 165.7 696.9 232.3 726.5 181.6 1,713.9 6,855.5 1,434.9 4,304.6 2,140.2 2,209.4 1,712.1 793.7
? 1,434.6 1,937.1 932.9 鋼 数 量
計
271.9 1,087.6 219.4 658.1 447.4 294.6 243.4 102.3
? 271.0 246.8 140.3 価 額
1,318.3 5,273.2 2,037.2 6,111.7 1,524.5 1,327.1 1,108.1 1,313.5
? 2,778.3 2,249.1 1,084.2 鉄 数 量
131.8 527.3 177.8 533.3 168.5 128.7 110.5 119.6
? 213.5 231.8 88.0 価 額
2,479.3 9,917.3 945.2 2,835.6 5,958.2 1,521.8 1,424.2 1,013.1
? 532.0 1,776.2 527.4 銑 数 量
75.4 301.8 57.5 172.5 176.2 41.8 50.1 33.6
? 28.6 116.0 27.8 価 額
3,032.2 12,128.8 3,472.1 10,416.2 3,664.8 3,536.5 2,820.2 2,107.2
? 4,212.9 4,186.2 2,017.1 鋼鉄 数 量
小計 価 額 228.3 478.6 484.5 ? 221.9 353.9 423.3 615.9 1,191.4 397.1 1,615.0 403.7 出典:陸軍は資料[9]第二表および第三表(データ①)、海軍の 85-87年度は資料[10]1889年 1月 10日付陸海軍大臣「製鋼事業に関する
意見」付表「外国購入鋼及鉄属材調」(データ②)、89年度は資料[11]99-102頁(データ③)、90-92年度は資料[9]第四表(データ
④)より作成。
注1:海軍の 88年度はデータが得られなかったため、計 (a)は 85-87年度の累計である。
2:データ①②は購入高であり、③④は消費高である。
3:本表で「鉄」に集計したもののうち、③は鉄属材、④錬鉄と記載されたものである。
4:②のうち、海軍横須賀造船所のデータは鋼と鉄属材が合計されたものしかないため、③の比率を適用した推計値である。
5:海軍の 85~ 87年度銑データは②に記載がなく、購入の有無を確認できない。
28本表のデータソースは、出典に記載されている。基本ベースは和田維四郎が『工學會誌』に発表したもの(資 料[9])であり、もっとも充実しているが、海軍に関しては1890~92年度の3ヶ年しかデータがないので、これ を補うために、資料[10][11]を利用した。資料[10]は輸入データのみで、国内購入は含まれていない。元デー タのすべてが陸海軍によって提供されたことはいうまでもないが、それらの間の統一性・整合性はなんら保証 されていない(実際に重複している年度に関してみると、一致していない)。それゆえ、ここでは海軍における 1889年以前のデータは参考程度に止め、従来あまり知られていない陸軍についてはやや詳しく検討したい。な お、和田は後に製鐵所長官となるが、海軍省所管製鋼所案から農商務省製鉄所案に至るまで、それらの策定や 調査にあたった各種委員会に一貫して参加しており、資料を得やすい立場にあった。和田が利用した原資料は 資料[5]に収録されたものと同じであろうが、収録範囲が広く、記載内容も詳しい点でこちらを採用した。
1)陸軍
陸軍の需要29について検討すると、量的には銑が大きく、続いて鉄、鋼という順番あるが、価額 的には鋼が最も大きい。また、鋼のトン当り価格が、他品目との比較だけでなく、海軍の鋼と比較 してもかなり高いことが注目される。鋼需要は年度によるばらつきが大きいが、88年度と92年度が 2つのピークをつくっており、後者は海軍を数量・価額ともに上回っている。
88年度の鋼需要(1,294トン)のほとんどが大阪砲兵工廠によるものであり、92年度についても約 7割は同廠によるものであった(価額的にもほぼ同様)。東京砲兵工廠の鋼需要は85年度まで一貫 して大阪を上回っていたが、86年度に逆転して以降、89年度を除き大阪の方が大きい。つまり、こ の時期(86~92年度)の陸軍の鋼需要を規定していたのは大阪砲兵工廠であった。この需要は、
いったい何によって生じていたのであろうか。
この当時、大阪砲兵工廠が主として生産していたのは、青銅(鋼銅)砲と鋳鉄砲およびその弾薬で あり、これらから鋼の需要はほとんど生じない。ただし、この時期の主たる制式兵器である七珊野 山砲の閉鎖機と砲架には一部鋼が使用されていた30し、山砲については86年9月に一応配備が完了 した後に、鋼製砲架に制式変更されたため(87年11月)、砲架素材は木から鋼に替わった31。七珊野 砲は87年12月に配備が完了しているので、88年度以降の鋼需要に関係があったとは考えにくいが、
山砲とともにその砲架が鋼製化されて88年以降に生産されて再配備された可能性はある。とはいえ、
87年当時の大阪砲兵工廠における七珊野山砲の年間生産能力は150門程度といわれており32、砲身そ のものは青銅であるから、これによって単年度1,200トンを超えるような鋼の需要が生じたという ことはできない。
他方で、87~92年までに海岸砲(12~28センチ)が212門作られている33が、これらは十五珊加農 砲を除き鋼銅砲ないしは鋳鉄砲であり、しかも鋼製の十五珊加農砲は一門の試作に止まった34こと から、これらからも多くの鋼需要が生じたとは考えにくい。
このように、この時期における陸軍の鋼需要が何によって生じていたのかについては不明な点が 多い。大阪砲兵工廠による購入高がかなりの部分を占めており、しかもトン当り価格が高い(海軍 の約3倍)ことから、砲身ないしは砲盾の材料として購入されていたものではないかという推測が 一応成り立つ。この当時、同廠が鋼砲製造した記録は前述の十五珊加農砲一門しかなく、鋼製の31 年式野山砲が制式決定されるのは日清戦争後の1901年11月35のことであった。ただ、1893年に速射
29表2は84年度以前を省略しており、85年度以降も工廠別の数値までは提示していないが、資料[9]では陸 軍に関しては80年度から工廠別の記載がある。以下では、それに依拠した記述をおこなう場合もあるが、逐一 典拠は示さない。
30資料[12]、pp.10-13。
31同上、p.18。
32三宅[1993]p.114。
33同上、pp.117-118。
34資料[13]pp.88-89。
35資料[12]p.49。資料[13]p.92では1898年とされているが、前者の方が資料として詳しいので、こちらを採 用した。
砲の採用を決定し、以後その研究に着手したという記録もあり36、この時期に鋼製砲の試製を繰り 返していた可能性はある。ただし、それを立証する資料は現在のところ見当たらないので、この点 は今後の課題としたい。
なお、大阪に比べると量的には少ないものの、東京砲兵工廠も同様にトン当り価格が高い鋼を購 入しており、その中身はほとんど銃身鋼であったと考えられる。既に述べたように85年度以前は東 京砲兵工廠が陸軍の鋼需要を主導しており、80年に制式化され、85年に改良が加えられた村田銃の 材料として使用されたものと考えられる37。
鋼にくらべて鉄と銑の需要は、さらに大阪砲兵工廠の割合が恒常的に大きい。85~92年度を通じ て数量で鉄は約80パーセント、銑は約95パーセント(価額的にもほぼ同様)にもなっている。この 点を踏まえて表2を再度みると、鉄需要は数量的には鋼とほぼ同じような傾向にあるが、a期に比 べてb期の減少額が大きいこと、銑需要は逆にb期に倍増していることが注目される。鉄需要に関 しても資料的制約が大きいので、ここでは銑需要については若干の検討をおこなうことにしたい。
前述したように、海岸砲の生産が本格化する時期がb期であると思われ、製造された212門のうち、
174門は鋳鉄砲であった38。鋳鉄砲の主材料は銑鉄であり、その砲架や弾丸(野山砲も含む)や諸機 械の鋳造にも使用されていた39。
こうした大阪砲兵工廠の銑鉄消費に関しては、1891年度に限定した三宅宏司の推計がある40。そ れによると、海岸砲弾丸用が1,051トンで最も多く、その他を含めて総量が2,039トンとなっている。
この数値は表2における91年度の陸軍需要量を上回るが、後者が購入高であり、前年度の数値もほ ぼ同程度であることなどから、妥当なものといってよいであろう。92年度には銑需要がさらに急激 に拡大しているが、これは先にみた要因というよりも、大阪市との間に鉄管製造の契約を結んだこ と41によるものと思われ、軍需によるものではなかったのである。
2)海軍
海軍需要の特徴については、年度間の変動は当然あるが陸軍に比べるとその幅が小さいという点 がまず挙げられる。鋼需要は増加する傾向にあるが、鉄需要の減少傾向を補うほどではない。つま り、a期とb期との間に鉄から鋼へという需要構造の変化が見てとれるものの、鋼の需要増加は鈍 いのである。1880年代は世界的に艦船の構造材は鉄から鋼へという転換を遂げたことで知られてい
36同上、91頁。
37同上、p.58。従来の研究によれば、銃身鋼は1912~14年頃に官営製鉄所坩堝工場による生産が本格化するま では完全に輸入依存であったといわれる。この点に関しても、一次資料に基づく実証はなされていないが、日 本特殊鋼業界の開拓者である石原米太郎の証言(資料[14]p.934)などから、間違いないものと思われる。
38三宅[1993]p.118および資料[13]p.88。
39三宅[1993]pp.133-135および資料[15]p.192。
40三宅[1993]p.127。
41同上、p.243および資料[16]p.10。このことは、大阪砲兵工廠の生産動向・技術をみるうえで重要であるが、
本稿の課題から外れるのでこれ以上の言及はしない。