はじめに
戦後台湾における非常時体制の形成過程とその影響は︑台湾政治史の重要な研究課題とされ︑これまで歴史学︑政治学︑法律学等の様々な視角から検討されてきた︒非常時体制とは︑一般に反乱鎮定動員体制︵動員戡乱体制︶や戒厳体制を指すが︑非常時体制の形成問題は︑戦後の中華民国法制の問題であると言える︒ 中華民国の法制度は一九四五年一〇月二五日以降︑台湾の法的地位が国際法上処理されていない状況下で︑国民政 府により国内法として台湾へ持ち込まれた︒まさに「横からの移植」である︒当然ながら︑訓政体制から憲政体制への移行︑憲法施行後の反乱鎮定動員体制の形成等︑中国大陸時期の法律の変遷は︑一部の法令においてその適用地域に制限があったものの︑そのほとんどが台湾に直接的影響を及ぼした︒中華民国政府が台湾で施行した戒厳令も︑当然の如く台湾に適用された︒ その中で国民党による訓政時期の一党独裁体制下で制定された法令は︑憲法施行後も相応な改正はされず︑そのまま適用された︒また︑蔣介石と蔣経国のストロングマンぶりは︑立法手続と行政院会議の討議を経ず︑自己決断に
戦 後 台 湾 に お け る 非 常 時 体 制 の 形 成 過 程 に 関 す る 再 考 察
薛化元︵訳=周 俊宇・岩口敬子︶
●●●●● 論 説 ││││││││││││││││││││││││││││││││││││││台湾││走向世界・走向中国
よって命令を下すという違憲体制も生じさせることとなった︒これらも非常時体制を形成する根本要因となった︒ 非常時体制の存在は民主憲政という視点からすれば︑言うまでもなく憲法に抵触するが︑裏を返せば︑憲政秩序において非常時体制はどのような法的正当性を有したのか︑ひいてはその正当性を政府は「権力者による解釈」の立場でどのように説明したのか︒このような視点からの検討は過去において少ない︒近年︑戒厳令施行にあたり法的手順を踏んだのかという問題について議論を呼んでいるが︑中でも監察委員の黄煌雄︑劉興善︑葉耀鵬の三名から提出された調査報告は︑当時戒厳令が施行される過程において欠如があったと指摘し︑二〇一一年八月一一日に監察院の司法︑獄政︑国防および情報委員会にて可決され︑嘱目されてい ﹀1
︿る︒ 本稿は上述のような観点から︑先行研究を踏まえつつ︑史料を基に非常時体制が台湾において如何に形成され︑施行されたのかの再検証を試みるものである︒
一 訓政から憲政への移行期における非常時体制の形成をめぐる問題
一九四六年一月の政治協商会議の焦点は訓政体制から憲政体制への移行を如何に完成させるかに置かれ ﹀2
︿た︒蔣介石 国民政府主席は孫科を主席とする最高国防委員会にて︑「現行法令での身体︑信仰︑言論︑出版︑集会︑結社の自由に関する法令の廃止と修正事項」について討論さ ﹀3
︿せ︑その内容は「身体自由」「言論出版」「集会結社」の三つの分野に区別され︑その中から廃止されるべき法令︑修正されるべき法令が明示された︒最終的に「国家動員法」「危害民国緊急治罪法」等が廃止法令として︑「非常時期人民団体組織法」「出版法」および「出版法施行細則」等は修正法令として決議された︒しかし︑数十件にものぼったこれらの法令は︑直ちに修正・廃止されなかった︒ その後︑一九四六年一二月二四日の制憲国民大会で「憲法施行の準備に関する手順」︵憲法実施之準備程序︶が新たに制定され︑「憲法公布日より︑現行法令上︑憲法に抵触するものに対し︑国民政府は直ちにそれらを修正あるいは廃止する︒また︑これらを本憲法施行により開催される国民大会前に完成させるべきである」と定め ﹀4
︿た︒しかし実際には︑一九四八年第一期国民大会開催後︑「国家動員法」「非常時期人民団体組織法」「出版法」「出版法施行細則」について廃止・修正がなされることはなく︑「危害民国緊急治罪法」は一九四六年に廃止されたものの︑憲法施行後も依然として関連する判例に対し援用できるとされてい ﹀5
︿た︒ その一方で国民政府は中華民国憲法が正式に施行される
前に︑早くも反乱鎮定動員体制を命じる︒一九四七年七月四日の国民政府委員会第六次国務会議にて︑「共匪の支配に置かれた人民を救済し︑民族生存を保障し︑国家統一を強化すべく︑全国総動員を励行せねばならぬ︒また︑共匪の反乱を平定し︑民主の障害を一掃し︑予定通り憲政を施行し︑「和平建国方針案」を貫徹させるためにも︑それを直ちに確実に施行すべきである」という決議が通過され︑「国民政府処字第七二二号訓令」が発布された︒この訓令をもとに︑行政院が一九四七年七月五日に「四防字第二六〇三一号訓令」を発布し︑中国全土に適用させたことから︑台湾も反乱鎮定動員体制下に入ることとなっ ﹀6
︿た︒ 後に国民政府は行政院の提案により︑「反乱鎮定動員期憲政施行完成要綱案」︵動員戡乱完成憲政実施綱要案︶を通過させ ﹀7
︿た︒これは前述の「共匪の反乱を平定し︑期日通り憲政を施行するための全国総動員厲行案」︵厲行全国総動員以戡平共匪叛乱如期実現憲政案︶と「国家総動員法」の規定に基づいて制定されたものであっ ﹀8
︿た︒しかしこの時期の反乱鎮定動員体制は訓政時期下であり︑憲政時期下ではない︒一九四七年一二月二五日に中華民国憲法が施行され︑それにより憲法施行と反乱鎮定動員体制が並存する状態が出現し︑反乱鎮定動員体制関連の法令は憲法違反となった︒また︑反乱鎮定動員体制の法源とも言える「国家総動員法」については︑前述のように国民党の中核におい てそれが憲政体制に反しているとすでに認識されており︑廃止すべきものとして見なされていた︒よって︑すでに施行された反乱鎮定動員体制を憲法体制下で如何に正当性を持たせるかが憲政問題上の重要課題となったのである︒ 反乱鎮定動員体制下において︑国民政府は「国家総動員法」に依拠し︑経済物資の管制・調達︑交通手段の規制以外にも新聞︑言論︑出版︑通信︑集会︑結社等の自由に対し制限を加えた︒「反乱鎮定動員時期臨時条項」︵動員戡乱時期臨時条款︶の制定前は戒厳令の発布もなく︑国民政府およびその後の中華民国政府は︑基本的には反乱鎮定動員体制下で︑基本的人権を全面的に制限しようとしてい ﹀9
︿た︒ では「国家総動員法」に依拠し︑発布された一連の行政規則は︑憲政体制にどれほどの影響を与えたのか︒この視点は台湾が非常時体制を形成する過程を理解する要となるだろう︒蔣介石の命令により一九五八年に成立され︑王雲五が主宰した「総統府臨時行政改革委員会」は︑反乱鎮定動員体制と戒厳体制という実定法の基礎を認めた上で︑一連の行政改革案を提出し ﹀10
︿た︒中でも︑修正要求があった第六九案の「確実に人権を保障する案」︵切実保障人権案︶は︑既存体制に最も批判的な提案であり︑「国家総動員法」施行後の人権問題を︑人権保障上︑最重要課題だと指摘した︒このことから政府に対し︑「国家総動員法」を援用する際に︑軽率に取り扱うことなく︑慎重に行うよう促
した︒その具体的な改善策は以下の通りである︒ ⑴ 各政府機関は一部の業務や措置を行うにあたり︑法的根拠を要する場合は︑現行の法令上で補足や修正を求めるべきであり︑行政院に要請し︑総動員法に依拠した行政規則を新たに発布すべきではない︒ ⑵ 仮に行政院が各機関の要請に応じ︑総動員法によって行政規則を発布する際は︑その必要性を確実に考察すべきであり︑それと同時に行政院会議の可決を得なければ公布できない︒また︑公布の際には︑その行政規則の適用地域と期間をも同時に宣告すべきである︒ ⑶ 行政院が総動員法に基づき︑すでに発布した各行政規則に関しては︑行政院は所属機関にその所轄業務について確実に引き続き施行する必要があるかどうかを検討した上で︑その旨を行政院に報告するよう命じるべきであ ﹀11
︿る︒ しかしながら︑この改革案の成果は限られるものであっ ﹀12
︿た︒非常時体制が如何に憲政体制下で実定法に依拠したかは︑次節で討論する「反乱鎮定動員時期臨時条項」と密接に関わってくる︒ 二
「
反乱鎮定動員時期臨時条項」
の制定と非常時体制中華民国憲法において︑「命令は法律に抵触すれば当然無効とし︑また法律は憲法に抵触すれば当然無効とする」と明白に規定されており︑憲法は最高法規とされている︒では︑反乱鎮定動員体制は︑憲政体制下で如何に施行されていたのだろうか︒ 中華民国の国家体制下で︑この問題は第一期国民大会を境に処理されることとなる︒一九四八年四月一八日の第一期国民大会にて︑まず憲法の修正手順に則り「反乱鎮定動員時期臨時条項」を制定し︑さらに四月三〇日には「全国反乱鎮定動員案」︵全国動員戡乱案︶を通過させ ﹀13
︿た︒しかしながら「全国反乱鎮定動員案」自体は︑国民大会の法定職権の範囲内のものではなく︑意思表明というニュアンスが強かった︒反乱鎮定動員体制に憲法レベルの法的正当性を付与したものが「反乱鎮定動員時期臨時条項」であった︒ 当時国民大会の代表により提出された臨時条項の提案理由について︑提案人の代表であった王世杰は︑「反乱鎮定動員時期臨時条項」の提出とは︑一種の憲法修正の行為であり︑またその修正自体は時効性があるため︑反乱鎮定動