カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵こ
富 井 幸 雄
目次
一 はじめに
ニ カナダ憲法における世俗主義−前提的考察
ー イギリスにおける国家と宗教
2 イギリス法の継受?
3 国教化と世俗主義
4 世俗主義ー司法と宗教の分離
5 カナダにおける国家と宗教の関係−考察の糸口︵以上︑本号︶
三 カナダ憲法における宗教と教育ー一八六七年憲法九三条の意義
1 背景
2 九三条の内容−一九八二年憲法二九条との関係
3 子どもの宗教教育権
カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二〇一
二〇二
4 特定宗派への公財政支援ーオンタリオ州教育法案三〇号事件
5 他の宗派への援助ーアドラー事件
6 公立学校での宗教教育
7 小括
四 むすびにかえて
一 はじめに
︵1︶ アメリカ憲法とは対照的に︑カナダ憲法には政教分離規定はない︒信教の自由は明文で保障される︵一九入二年 ︵2︶憲法二条a︶︒いったい︑カナダ憲法︑とりわけ一九八二年憲法︵人権と自由に関するカナダ憲章︵以下憲章︶を
含む︶は︑近代立憲主義原理とされる政教分離を認識しているのだろうか︒ ︵3︶ 信教の自由は政教分離によって保障が強固にされる︒しかし︑政教分離の憲法規定がなくても︑信教の自由が保
障されないわけではない︒その際︑政教分離は憲法典の原理でないとしても︑国家と宗教の関係はいかように画定
されるのであろうか︒﹁政教分離の原則をとらずとも︑諸種の自由がはたしてどのように十全に保障されるのかど ︵4︶うか︑という問題が今日まさに問われている﹂との視点である︒立憲民主主義国家においては︑国民意思の果実と
みなされる法律以外に統治を基礎づけるものはない︒民主主義とは別次元の宗教が政治社会に規範力を持つことは
当然否定される︒立憲民主主義国家は統治の原則としてなんらかの政教分離を原則とすることになる︒ただし︑そ ︵5︶の分離の態様は単純ではない︒
筆者は先に︑カナダ憲法で人権としての信教の畠がどのように議論されてきたのかを検討捻・信教の畠は・
憲章︵一九入二年憲法︶制定前からも憲法原理として認識されていたけれども︑憲法典︵憲章二条a︶で明確に人
権として位置づけられた︒憲章が採択した司法審査制による人権保障から信教の自由は自由主義的に定義されるも︑
裁判所の衡量的判断とされる憲章一条の議論で画定される部分が大きいことをみた︒裁判所はカナダ社会が世俗主
義であることを自覚していると分析してみた︒
政教分離規定を持たないカナダ憲法にあっても︑わが国の政教分離に似た憲法問題が提起されているのを観察で
きる︒一方で︑カナダ的問題とも言うべき特徴を見ることもできる︒大概が許されれば︑カトリックに基づくケベ
ック州1ーフランス系とプロテスタントのオンタリオ州‖イギリス系の対立と協調が︑カナダの立憲主義を形成して
︵7︶ .きた︒この二大宗派の共存を図るために︑勢い︑立憲主義原理としてこれらは公平に扱わざるをえなくなる︒
この二大宗派は一八六七年憲法九三条で明確に認知され保護されている︒同条は︑各州は一項から四項までの留
保がつけられて︑教育について専属的管轄権を有すると規定離・すなわち・連邦結成時に州法に基づく宗派学校
の特権や権利を侵してはならない︵一項︶︒連邦結成時のアッパー・カナダの分離学校や女王のローマ・カトリッ
ク教の臣民の学校委員会に与えられていたすべての権限︑特権︑義務は︑存在するものとされ︑同様にケベックの
ローマ・カトリックの臣民と女王のプロテスタント少数派学校︵9°︒°︒Φ昌゜曇o力900邑にも適用される︵二項︶︒連
邦結成時に分離ないし少数派学校の制度が︑法律によって存在しており︑もしくは︑連邦結成後に州法によって作
られた︑州にあって︑教育に関して女王の臣民のプロテスタントないしローマ・カトリック少数派の権利や特権に
影響を与える立法や決定に対して︑これを総督に訴えることができる︵三項︶︒さらに︑州が総督の決定や本条を
正当に執行しない場合︑カナダ議会はそのための救済法︵﹃o旨Φ合巴一§︶を制定することができる︵四項︶︒
カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二〇三
二〇四
ところで︑無宗教を含む宗教の多様化は複雑な宗派構成をもたらす︒宗教教育から世俗教育へ︑そして公立学校
の世俗化が志向される︒その中で宗教が教育との関係で憲法問題とされてくる︒﹁欧米で政教分離が近代憲法の成 ︵9︶立を前提としたうえで争われるときは︑教育の場面がその舞台となることが多い﹂︒カナダも西洋の伝統にもれず︑ ︵10︶教育は教会学校に端を発する︒カナダ国家の成立や歴史と切り離せない宗教のかげりを垣間見ることになる︒
本稿は︑政教分離を憲法典に持たず︑それどころか国家の成立の経緯から特定の宗派を保護する規定を持つ一方
で︑信教の自由を保護し法の支配を保持しているカナダの立憲主義を検討するものである︒カナダは憲法で教育に
ついて二つの宗派を保護する規定を設けている︒これが国家の宗教的中立性を旨とする近代立憲主義に組しないカ
ナダをみることになるのだろうか︒まず︑カナダ憲法では宗教と国家の関係がどのように考えられているかを検討
する︒政教分離について明文の規定はないものの︑この関係をどう扱っているのか︒カナダ立憲主義はイギリス憲
法を継承したのであるから︑国家と宗教の関係はイギリスの憲法原理に依拠するとみることができる︒カナダ創設
時のイギリスの議論を一瞥し︑それがカナダにどのような影響をもたらしたのかを論じる︒カナダでは宗教と公と
の関係が憲法上先鋭にされるのは一八六七年憲法九三条であり︑そこで教育と国家との関係をめぐる問題が焦点と
なる︒本稿はこれを深く検討することで︑カナダ憲法における宗教と国家の関係を把握しようというのである︒主
に三点について検討する︒第一に︑親の宗教教育権と公教育制度である︒第二に︑公財政支援を特定の宗教宗派に
行うことが違憲とならないか︑宗派学校への公財政援助の問題である︒第三に︑公立学校での宗教教育の是非であ
る︒これらに触れながら︑カナダにおける政教分離の位相︑そもそもカナダは世俗主義なのか︑カナダ憲法での宗
教と公権力の関係の特殊性に触れる︒
カナダは歴史的にカトリックとプロテスタントの二つの宗派の統合と均衡を考慮せざるを得なかった︒そこには
わが国のような政教分離はない︒一方で多文化社会を憲法の理念としたことで世俗主義は前提とならざるを得ない︒
︑﹂れは必ずしも憲法によって与︑えられるものではない︒世俗主義を底辺として︑国家︵公権力︶と宗教の関係は・
憲法典に政教分離規定がなくとも︑信教の自由の侵害事犯として宗教と国家とのかかわりを攻撃できる︒カナダ立
憲主義の特徴をここに見るのである︒
ニ カナダ憲法における世俗主義ー前提的考察
ー イギリスにおける国家と宗教
カナダの立憲主義は一入六七年憲法︵英領北米法︶制定から論じることが許されよう︒同憲法は・ウエストミン
スター︵イギリス議会︶が立法権や憲法改正権を留保し︑統治に関する権限はイギリス国王にあるとするも・自治
領︵Oo§○白︶とされたカナダに︑連邦制を原理とする成文憲法の立憲主義国家を成立させた︒人権保障に関す
る規定はなく︑その関心は統治機構︑とりわけ連邦制︵州と連邦政府との権限配分︶に注がれる︒立法管轄権につ
いて︑同憲法は九一条と九二条で︑連邦と州それぞれの排他的管轄権を明記した︒しかし︑宗教に関する管轄権は
規定されず︑憲法上は不明のままとされた︒一入六七年憲法は人権に関心を払うことはなかったから・信教の自由
の規定もない︒国教制度に関する規定もないのであって︑カナダが創設された時点では国家と宗教の関係は憲法上
の関心とはされていなかったともいえL犯・
カナダはイギリスの憲法原理を受け継ぐ︵一八六七年憲法前文︶︒カナダ立憲主義はイギリスのそれを原則とし
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二〇六
ニたのであって︑それがこうした︑宗教に無関心な憲法的態度となったともいえるかもしれない︒ともあれ︑イギリ
スでの国家と教会の関係は一八六七年憲法制定時ではどうであったのかを見極めることが︑カナダの世俗主義を検
討するスタートとなろう︒
イングランドでは︑中世からチュウダーまで︑国家︵国王︶と教会は多くの目的を共有する単一の社会として認
識され︑そうした目的のために両者は扶助補完の関係にたっていた︒国王は国家と教会両方の最高位にあった︒教
会の法は国王の教会法であったし︑国王の法が国家法であるかぎり︑教会の法は国家法であった︒キリスト教がア
ングリカン教会で教授される以上︑それが法の一部であった︒国教会制度樹立には︑メアリによる反動的なカトリ
ック復興の改革がある︒エドワード六世は︑プロテスタント化を急速に推進し礼拝統一法を制定するが︑その後の
メアリは︑これをはじめとする諸法を廃し︑プロテスタントを弾圧した︒もっとも︑メアリは外交の失政をおかし︑
この改革も失敗となる︒その死によって一五五八年︑エリザベス一世が即位︑翌年︑メアリが廃止した諸法を復活 ロさせ︑国王至上法を制定し︑ルター的な教義を中心として︑ローマ教会からの分離を確定させた︒立法によって礼
拝が統一され︑共通祈祷書の遵守が強制された︒さらに︑教会への出席が義務づけられ︑十分の一税も改めて賦課
︵14︶されて︑主教制度を確立させた︒
元世紀になると大きな変化がもたらさ魅・国家の宗教に対する態度はガリレオのそれを前提として雛.そ
れは国家付与地︵OO田60Q◎ooHO5︶に連結した保守主義によるのが大きいが︑制定法や裁判所の態度の変化︑とりわけ
宗教に関する言論や教授に関する法の態度の変化も重要な要因である︒ホールズワースは四つの時期に分けて︑そ
の流れをスケッチしている︒彼は︑国教でない宗派︵田o白oo§§ぺ︶に対して法にどのような態度の変遷があっ
たかに着目する︒第一が︑一七︑八世紀における法と宗教の関係である︒この時期は国家‖教会法であり︑裁判所
もコモンローもこのことを前提としていた︒国教を奉じない︵苫這旨房5090§§冒︶ことに対して︑一六八九
年の寛容法︵弓○一Φ﹃旬け一〇口 ︾O計︶を除いて制定法による規制が強化された︒キリスト教が法の一部であるということ
は︑キリスト教の根本原理の真実性を否定することも︑それが愚純あるいは恥辱であると主張するのも・犯罪とな ロる︑﹂誌意味した︒第二が︑そ︑つした制定法の緩和によって作られた新たな状況である︒まず︑ニハ入九年の薯
法がある︒これはプロテスタントの非国教的な儀式を認めた︒それ以外の非国教については一世紀以上を費やすこ
とになる︒ユニテリアン派については一八一二年︑ローマ・カトリックについては一八二九年︵ローマ゜カトリッ
ク解放法﹃§き匡§・一§8Ω︶・ユダヤ教に三て竺入四六年に・プ三スタントとほぼ同じ寛容
が認められるようになった︒なお一連の立法は無信仰者に影響をもたらすものはなにも含んでいなかった︒第三に・
ではこうした立法によって法と宗教の関係に関する法原理にはいかなる影響がもたらされたか︒一九世紀前半は・
キリスト教を否定するような思想や言論は自由として保護され︑神に対する冒涜罪︵ぴ一知Qob庁O日冒︶は︑思想ではな
く攻撃的な方法を構成要件とすると考えられた︒じきに︑国教徒以外にも官職を解放する立法が認められていく︒
ブラックストーンに言わせれば︑国教会は論理の必然として破壊されたとみなされるようになった︒教会法は依然
国法であるとはいえ︑その位置づけは異様となっていったのである︒第四に︑こうした新たなコモンロー原理が古
い立法の解釈に影響を及ぼすことになる︒第二で見た解放は国教以外の宗教の完全自由化︵法的に国教徒と平等に
扱うという意味︶ではなかったけれども︑判例を含む運用では︑これを厳格に適用すれば自由の意味に反すると解
していた︒とりわけ世論︵苫ぴ巨Oob巨﹇oづ︶が古い法原理の変更に十分な︑最大限の寛容を志向した︒かくてキリ
スト教に対する古い法竺掃された︵ ︵20︶oo≦㎡廿計餌司昌︶・ホールズワースは二国家と法がかつてその蓋としたキリ
スト教は︑時として教会の権威を不当に拡大させるかもしれないが︑国家の世俗的な力のためには必要であると認
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め︑一般にその権威を支えた﹂事実を認めた上で︑経済や言論の自由と同じように多様な宗教の自由は必然である ︵21︶と説いている︒
2 イギリス法の継受?
イングランドでは︑寛容法に象徴されるように︑議会が国家と宗教の関係を規定するようになった︒これで一九 ヨ世紀には世俗化が一層推進されるとともに︑議会主権の立憲主義が成熟していく︒一八六七年憲法がイギリス憲法
原理を踏襲するというとき︵前文︶︑それは議会主権を意味する︒議会における国王は教会の最高の統治者︵°・唇お日Φ
oq
潤ャウ目o﹃︶であり︑イギリス議会は国教会に優越するのである︒このイギリスの原理はカナダにも適用され︑議会は教会に優越することとなる︒イギリス立憲主義と異なるのは連邦制である︒一八六七年憲法によって州と連邦の
立法管轄権が配分されるため︑教会や宗教について連邦議会が当然に管轄するとはされない︒
連邦制にあって︑立法管轄権は重要な憲法問題である︒宗教との関わりも州によって異なってもよいと考えられ
る・齋藤眞によ縫・アメリカ植民地では政教分離あるいは公定宗教制度は各州が決める・﹂ととされ︑合衆国憲法
修正第一条︵国教樹立禁止条項︶制定後も公定教会制度を採るところがあったという︒イギリス帝国とは一つの共
通の首長の下に結合している複数国家集合体である︒イングランドの公定教会制度を植民地に押し付けることは︑
かえって本国植民地間の紛争の種をまくことになり︑賢明でないとの配慮があった︒また︑イギリス国教制度とい
つてもそれはイングランドのみであり︑連合王国としては別の制度を採っている︒本国は︑多文化性を背景にして
宗教の問題に立ち入らないのは政治的に賢明であるということを学習していたとする︒さらに︑各植民地には移住
者の多文化的震のために事実上政教分離の状態にあった︵メリ⊥フンドなどは例外︶と賑狸・そして州が統治の
核であり︑その権限を中央に委託するという︑いわば中央分権の構造にあるアメリカでは︑州から連邦に委託する
権限に宗教に関する権限が列挙されていなかったから︑そもそも政府は﹁特定の宗教︑教派を公定化するなど・論
理的︑璽的に不可能なので曇﹂・
教会制度は州の問題との認識は︑;世紀の北米植民地では共有されていたよ︑提・さて・カナダはイギリスの
ように国教制度︵Φoカ一餌ぴ巨oり冨PO⇒古︶を採ったのか︒o°︒9亘房冒Φ昌とは︑イギリスでは国家の唯一の教会を認め・国
家的保護を与えていることとされるようである︒しかし︑単一の教会への不動産などの贈与や経済援助をそのメル
クマールとする現代的視点もある︒ここでは︑植民地時代から自治領︑つまりカナダ連合と一入六七年憲法制定の
時点で︑カナダで国教制度が採られたのかを見ておこ惚︒
イギリスが国教会制度をしいているので︑植民地にも当然それが及んだと考えられる︒国教会はイングランド国
王を長とするのだから︑国教制度を受け継ぐことは国王への忠節に他なるまい︒もっとも︑オギルビーは必ずしも
そうはいえないとして︑完全な国教化はなかったとする︒カナダでは一九世紀末の判例で︑キリスト教はコモン
・よ一部であるとされ︑これを覆した判例は了まで蕊・植民地には信教の畠はある程度認められており・
本国のように国王が教会に優越するとの制定法の根拠はないし︑本国と異なり司教が立法議会に議席を占めるよう
なこともなかった︒
ただし︑国教会は不動産譲渡や財政援助を受けた限りで︑国教化があったともいえる︒一八六七年憲法制定時・
つまりカナダ連邦結成時の当初の連邦加盟州を見れば︑沿海州︵ノヴァスコシア︑ニュー°ブランズウイック・プ
リンス.エドワード島︶は︑立法によって国教会︵○ξ合・;§邑を国教︵︒ゴ自合巳§Φ切§巨旦とし
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た︒今日これを廃する立法の明文の規定はないので︑これらの州は国教会制度をとる︒この点︑カナダ州︵オンタ
リオとケベックに相当︶は国教制度の立法がなかった︒﹁一七五九年のケベック征服後︑カナダ州における宗教的
決着といわれるものの底流にある問題は︑その曖昧さであった︒イギリス国教会が立法的決定によって明白に国教 化された沿海州と対照的に︑カナダ州のイギリス植民地はかくも明白には設定することはなかった﹂︒
カナダ州には︒←°カトリックのケベック︵ロ ワ ー ・ カ ナ ダピ○司①﹃○昌知巳③︶とプ三スタントのオンタリオ︵巴⇔断○齢影︶
があつ︵煙・三五九年以前・前者は三!フランス︵ZΦ乱§6Φ︶といわれ︑・←・カトリックが支配的で︑
一六二七年以降はすべてのプロテスタントは排除されていた︒イギリスによる征服後は︑イギリス法の許す限り
ローマ゜カトリックが認められるとされた︒一七七九年のケベック法は五条で︑﹁ローマ・カトリック教信仰を告
白している当ケベック植民地臣民は︑⁝国王の主権に従うことを条件として︑ローマ・カトリック教信仰の礼拝の
自由を保持しかつ享有する︒⁝当該教会の聖職者は︑当該信仰を告白する者に対してのみ︑当該教会聖職者が通常 き有する課税権及び諸権利を保有し︑受領し︑また享有する﹂ことを明確にした︒
一方で︑一七九一年の立憲条令︵Oo白゜︒馨巨○⇒巴>o﹇︶ご一六条や三七条に見られるように︑プロテスタントの聖職
者を擁護するために土地が国王より贈与され︑植民地の総面積に対する適切な割合を維持して︑質的にも均しく割
り当てられた︒それには︑土地譲与の時点で譲与地の価額の七分の一と評価されるように努めなければならないと
され・さらにその土地からの果実は聖職者の擁護や援助に充当されるとした︒カナダ植民地でもイギリス国教会を
国教とする意図はあった︒もつとも︑ノヴァスコシアやニュー・ブランズゥイックと異なり︑国教化するとの明文
の規定はなく︑法的には単にプロテスタントに財産上の特権を付与したにとどまる︒カナダにあっては︑﹁一見し
て明白に︵b§③皆o﹂o︶︑イギリス国教会はおそらくは少なくとも﹃準国教︵ρ巨゜・冨゜︒古9房ゴΦOごであった﹂︒
その後アッパ←ナダで葺゜︵+分2税・聖職者の生活維持のための税金︶が廃止される仁四・宗派学校へ
の公的援助など両宗派間での特権をめぐる動きがあった︒ただ教育に関しては︑連合以前にケベック︵東カナダ︶
ではプロテスタントが︑オンタリオ︵西カナダ︶ではローマ・カトリックがそれぞれ公的に保護され︑東カナダで
は学校制度はローマ・カトリック志向であったが︑少数宗派が保護され︑西カナダでは教育の世俗化が進行してい
ま
った︒オギルビーは︑法的根拠が欠如している中︑少なくとも一八四〇年代まで︑東西両カナダにはイギリス国教会と同列視しうる意味での準国教会の存在を見ることは不当とまではいえないとして誌・
連合法制定︵一八四〇年︶前後︑宗派系大学に対する公的財政支援が問題となった︒トロントのキングズ゜カレ
ッジは一入四三年︵創設は一八二六年だが教育開始はこの年︶にアングリカンによって︑ヴィクトリア゜カレッジ
は四二年にウェスリー系︵箒゜︒庁﹃芦︶メソジストによって︑クイーンズ・カレッジはスコットランド教会によつ
て︑ノックス・カレッジは四四年に自由教会によって︑それぞれ設置された︒こうした大学への公財政支援が問題
となる︒一八四九年︑カナダ州議会はキングズ・カレッジを世俗化してトロント大学とし︑公金のみで運営される
こととして︑学生や教職員に宗教のテストは課せられず︑教父は学長にはなれないとした︒かくして︑一八六七年
までに教会と国家は宗派学校への財政支援を除いて分離されていったけれども︑それでカナダが世俗化されたとは
いえないであろう︒市民の法と実践はキリスト教の教えを反映したキリスト教社会であることは疑い轟・しかし
その後︑民族や文化の多様化と並行して宗教も多様化していったのであり︑特定の宗教や宗派に公が依拠するのは
薄らいでくることになる︒世俗化が余儀なくされていったのである︒
カナダでは︑ローマ・カトリックとプロテスタントの二大宗教のとり扱いで︑公平をそぐような政治がなされれ
ば︑それは協調と統合のバランスが壊れることを意味する︒教育については州に専属的な管轄権を認めた︵一八六
カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九−一︶ 二一一
二一二
七年憲法九三条︶︒ただし︑州の立法は宗派学校に配慮しなければならないなど︑条件が付されており︑その限り
で州が宗教に関する法を制定することになる︒
モアは︑カナダでの国家と宗教の伝統は固有のパラドクス︑すなわち反国教樹立で発展してきたのであり︑世俗 ︵37︶主義ではないとしてこう述べている︒﹁カナダ人は︑事実︑宗教的信条が公的に重要な事柄について発現する教会
の権利に本質的に連結していることを否定しないで︑教会と国家の不文の分離の存在を前提としている︒この悪く
定義された︑かつ定義しがたい関係は︑カナダ人固有のものである︒これはカナダ人に受容され理解された心の態
度であるが︑アメリカにもブリテン島にも︑どちらの市民にも妥協としては均しく理解されないものである︒おそ
らく︑それは︑法的に国教樹立されない宗教性︵甘σ︒騨ξ合゜︒Φ︒︒け書巨︒︒け9﹃Φ桓o︒︒戸蔓︶という三語で最も良く記述され
うる﹂︒
少なくともカナダでは︑非国教化‖世俗主義の定式は成り立たないようである︒世俗主義と国教制度︵㊦留書房亨日Φ艮︶の意味を確認するときがきたようだ︒
3 国教化と世俗主義
︵1︶世俗主義
政教分離は︑一六世紀半ばごろ︑イギリスからのピユーリタン移民の大量流入に対して宗教的調和を保持するた
めに︑ロジャー・ウィリアムズが︑教会と国家の連合はヨーロッパの血なまぐさい戦争を見ればまったくの間違い
で︑人間の魂の確信を権力が判断する仕組みはばかげていると考え︑プロヴィデンス﹁入植誓約文﹂を起草したこ
︵38︶とに始まり︑その後ヴァージニア﹁信教自由法﹂などを経て︑合衆国憲法修正第一条へと規範化されていった︒一
九世紀は穏やかであったものの︑二〇世紀に多くの係争に直面して︑アメリカ最高裁が下した判例はその具体的な ︵39︶規範内容を形成していった︒
カナダでは政教分離は用いられないかたわら︑世俗︵o力Φ6巳゜9︶であることは連邦裁判所が認識している︒いわく︑
カナダは信教の自由を有する世俗国家︵°・①o巳胃゜︒§Φ︶である︒世俗国家は神権国家︵日ooo冨試6°︒■曽Φ︶と区別されな
ければならない︒神権国家では︑教会あるいは寺院︵通常は一つのみ認められることになる︶が国家であり︑公理︵o旨
︒巨Oo管餌︶に反する意見や不信には︑自他ともに認められた国家神学の専門家たる司法聖職者の判決に基づいて罰せ
られる︒判決は天罰であり︑判決の執行は大抵不運な有罪判決をさっさと片付けるものであり︑それは取り返しのつか
ないものであるから︑誰もそれが真実であるかないか確信は持てない︒信教の自由を有する世俗国家は人民の視野に符
合し︑あるいはより正確には︑人民は自らの権利を主張して自分たちの信条を確立し維持するのであって︑多くの個人
によって組織されるとき︑通常は私的な体系の神格を示すのである︒法にあってはなんぴとも構成員や信仰者になるこ ︵40︶とを強制されず︑同様に構成員や信仰者のままであることを強制されない︒
︵41︶ 最高裁も︑﹁憲章はカナダ社会の世俗的な性質を本質的に確立させた﹂としている︒
私見では︑憲章二七条で憲法原理として採択した多文化主義が世俗化を形成させた大きな要因であったと考えら
れる︒憲章制定以前は世俗的ではなかったというのではない︒多文化主義は異文化に対する寛容であり︑習俗とし
てかかる風潮はあった︒憲法規範︵憲章へ編入︶とすることで法的な保障を与えたのである︒それは法制度形成に
決定的な意味を難・璽は自申王義に則り文化的寛容を根本原理としたので驚・
カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二二二
二一四
問題は切①o已曽の意味である︒世俗主義は社会的事実であって︑政治社会は宗教とは別の国民の合意︵コンセン
サス︶に基づく規範︵主に法律︶によって規律されるとの立憲民主主義の考え方に符合する︒異種混合的な近代社
会においては︑世俗的・宗教的を問わず普遍的合意以外のものを政治の基礎とするわけにはいかないとの考えに立
ち︑想像の共同体︵ベネディクト︶を創設するためには近代国家における市民間の媒介手段が不可欠であるところ︑ ︵姐︶階級や性や宗教に基づくアイデンティティを超越する媒介が世俗主義となる︒世俗主義とは︑さまざまな思想的政
治的背景を持った個人の自由を立憲民主主義国家において確保していく立憲秩序を維持するのに必須の政治原則と
なる︒ 世俗主義は個人の自由を保障する事実的な規範であり︑信教の自由は個人の自由の保障のなかにある︒世俗主義
と信教の自由の有機的関係が見えてくる︒世俗主義が事実上の規範として立憲主義社会に所与のものとしてあれば︑
ことさら政教分離を憲法典で明記しなくても︑信教の自由は維持されることとなる︒政教分離という中間項を置く
か置かないかは︑世俗主義が事実上の規範として存在しているか︑あるいはその存続に不安があるかといった憲法
制定者の判断に委ねられる︒一つの宗教しかなく︑それが国民的アイデンティティを形成し立憲秩序を維持してい
けるなら︑世俗主義は存在せず︑政教分離も必要ないかもしれない︒憲法制定者は憲法秩序の維持や憲法保障に腐
心するものである︒その際︑国民的統合の手法を様々に考えるのである︒宗教を憲法でどのように扱うかは最も重
要なテーマとなる︒
世俗化は近代立憲主義の当然の帰結とみることができよう︒近代市民社会はほうっておいてもらいたい個人を核
とし︑これが法的には自由という言葉に置き換えられ︑国家法の介入は内在的制約以外︑局限化される︒宗教はそ ︵45︶うした自由の核と認識され︑それについて公的な介入の言説である立法は制限されることが立憲主義の原理となる︒
世俗主義はとりわけ多文化社会においてマッチする原理となるのである︒
︵2︶国教制度
カナダで宗教と憲法の関係を考えるもうひとつのキーワードは国教制度であろう︒カナダ沿海州︵呂昌寓∋Φ゜︒︶
の一部では国教制度を採った︒そもそも国教制度︵Φgo﹇③亘巨Q◎けヨロO﹈P﹇︶とは何であるのか︒国c・8ぴ房冒∋o昌とはさしず
め︑法によって特別に保護された教会を意味すると観念できるなら︑カナダにそうした法によって確立された教会 ︵46︶︵合烏合o切①゜︒﹇菩房ゴΦ△身一§︶は存在するのかを問題にしなければならない︒カナダはイングランドの植民地とし
てコモンローを継受したのだから︑イングランドの国教会がカナダでも受容されたかをみる必要がある︒
ニュー・ブランズゥイックではイギリス国教会を国教とするのがコモンローだとした︒教会は法的には自発的運
営の個人の団体であり︑コ八六七年憲法や一九八二年憲法で特定の宗教団体に与えられた保護以外には︑いかな
る宗教集団も裁判所によって選好されなかったのであり︑むしろすべてはコモンローに同じ地盤を持つ自発的結社 ︵47︶︵<oピ日冨目9c・o︒巨ざ5°︒︶である﹂︒一入六七年憲法は九三条で︑ローマ・カトリックとプロテスタントを保護する
規定を設けた︒一九八二年憲法はこれを維持する規定︵二九条︶を置いている︒正確には︑同条はそれらの宗派学
校の教育を保障する規定であるが︑これがo切富ぴ房§°昌を意図したものかは断定できない︒限定的暫定的ではあ
るが︑両条はo°︒声●冨冒o昌条項であるとの考えも出てこよう︒
もつとも︑︒c︒冨ぴ冨プ∋Φ昌で何を意味しているのかは明確ではない︒また︑一入六七年当時のカナダの宗教状況
︵二大宗派でプロテスタントが多数︶が現代と異なる︵多宗教状態であり︑ローマ・カトリックが多数派となった︶
ことにも︑留意しなければなるまい︒こうした憲法条項は︑特定宗派学校の権利や特権を保障することになる︒
カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二一五
二一六
﹁特定宗派教育を州がサポートすることが特定の宗派あるいは宗教を州が促進させることに匹敵するのかどうかを
論じることは︑州のサポートがサポートされた宗教団体を法的に保障することではないならば︑容易に州の選好に ︵48︶滑り込むのを示唆する法議論では決して考慮されてこなかった社会的歴史的要因に照らすと︑意義深い﹂︒
カナダのΦ゜︒8げ巨mゴ∋Φ日を考えるには︑オギルビーがいうように︑アメリカよりイギリスにおける国家と教会の
関係を観察するのが適切かもしれない︒彼によれば︑イングランドでのo°︒冨σ冨胃∋°2は︑必ずしも法的な用語と ︵49︶して認識されたことはないが︑その定義には二つの根本要素があるという︒第一は︑国教会︵Om﹇但げ自乙力け①巳 Oプ巨Oゴ︶
とはキリスト教信仰を最も真実に表明するものとして国家によって認容された唯一の教会であることである︒第二
に︑国教会を置くということは︑他者を排除するのに必要な場合には︑国教会を保護し維持し防衛する法的義務を
国家に課していることである︒o°︒Sぴ冨冒∋o昌とは︑憲法上は一つの教会と一つの国の完全な同一化︵8∋巳90﹂q①㌣
古昌o昌o⇒oho⇒Φ9烏oけ碧qo⇒Φ゜・叶巴Φ︶なのである︒
イングランドでは制定法によってかかる整備が進んでいった︒第一に︑教会に対する国王の優位である︒国王が
教会の規律や司式をはじめ︑教会法についても最終的な決定権をもつ︒第二に︑その後議会の主権が認められてい ︵50︶くようになり︑一五五九年までに国家と教会との憲法上の関係は議会によって規定されてくる︒議会は教会に対す
る王権の優位を根拠づけ︑議会が宗教教義を規定し︑宗教儀式を決定する︒その後は︑議会は︑イングランドにお
ける宗教の多様性に対応することになる︒イギリス国教会のみが国家の規制を受け︑ユダヤ︑イスラムなどその他
の宗教は︑国家から自由である︒ただ︑宗教学校について国教会は︑財政支援は少なくとも国家から受けることは ︵51︶なかったから︑その点は他の宗教学校と同じである︒
イングランドの①m冨げ目︒︒庁∋Φ昌は︑国王において国家と教会が統合され︑議会の教会に対する法的支配権︵国日゜︒け巳P
民日︒︒﹇宙巨ω日︶を要素とするのに対し︑スコットランドは二大権力理論︑すなわち現世︵﹇o日廿o邑︶では国家︑精神
では教会が︑それぞれ最高であると考えるので窪・一五六︒年の立法で議会はスコットランド教A云を承認したが・
それは単に宗教改革の信条を承認したにすぎないとされる︒一七〇七年︑スコットランドとイングランドが合邦化
されたとき︑それぞれの教会は国教化されたものとして認められた︒しかし︑スコットランド議会はスコットラン
ド教会︵昏オ︶が国教化されたと認める立法を制定したことはない︒﹁英国憲法理論は︑統一された国家は国王
︵90きρ︶から発現していると想定する︒スコットランド憲法理論は︑一つの国家内において︑現世の王国と精神
の王国の共存を認め︑それぞれがそれぞれにおいて至高なので驚﹂・かくしてスコット一フンドでは国家の介入は
なく︑教会は自律した存在である︒それは︑イングランドでは教会幹部が上院に議席を持ったり︑教会裁判所が国
王の下で行われるのに対し︑スコットランドではそういったことがないことにも表れている︒
オギルビーはイギリスの展開をもとに︑国教化には立法などによる国家の承認が必要であり︑それには︑国家内
において唯一の教会を︑それが最も真実にキリスト教の信仰を表明している︵古巨゜°︒古Φ×肩゜°︒°︒﹂o⇒oh夢Φ○宮蓉一彗
宣日︶と認め︑他の宗教との関係で当該教会を維持保護する法義務を国家に課すことを承認するものでなければな
らないとしている︒ただ現代的には︑特定の教会が国家から贈与︵土地︶や財政支援を受ける特権を要素とする点
も否定していない︒先に見たようにカナダでは︑沿海州は立法によって明文で国教を制度化し︑ケベックとオンタ ︵M︶リオにはそれはないままであるものの︑この現代的要素は否定できないとする︒
世俗が長期に渡って概念︑実践︑感性の集合によって形成され︑政治的教理としての世俗主義︵口Φ゜巨彗m白︶に 概念的に先行するとするならば︑カナダはもともとキリスト教社会であったのが︑多文化主義も手伝って無宗教化
も進み︑政治の原則は立憲主義で︑責任政治の民主主義原則を採っている以上︑世俗主義は否定できなくなってい
カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二一七
二一八
る︒ただ︑世俗主義が政教分離と同値であると即断はできない︒カナダは世俗主義ではあるが︑政教分離とは言い
難い︒それは教育に関してローマ・カトリックとプロテスタントを国家的に保護する一八六七年憲法九三条に表れ
ている︒もっとも︑立憲政治の根本は民主主義的な合意であり︑宗教規範ではないとの政教分離の理念は否定され
まい︒憲法典に政教分離規定やその原則を明確に示す規定がなく︑少なくともこれら二つの宗派との関係は憲法典
では明確にされていない現状で︑いかにして宗教による政治を排し︑立憲民主主義を担保させていくかに︑憲法の
世俗主義的な実践はかかってくる︒
その一つが信教の自由の憲法典編入︵一九八二年憲法二条a︶であることは紛れもない︒宗教を完全に私的領域 ︵56︶の問題として認識し︑公的あるいは政治的空間と分離させる憲法解釈の積み重ねがみられる︒ただこれは︑個人の
信教の自由を国家は侵害できないという人権の問題であり︑集団的権利の側面は薄い︒少数宗派や宗教となれば集
団的権利としての信教の自由が問題となるが︑二条aは個人の権利である︒やはり︑カナダが政教分離の理念は内
包しているとするならば︑教会と公権力との間には中立的関係が確保されていなければならなくなるのではないか︒
これをさぐるのがカナダにおける宗教と国家の関係を理解することなのであろう︒
4 世俗主義−司法と宗教の分離
︵1︶マルコヴィッツ対ブリューカー事件
ローマ・カトリックとプロテスタントの公平を図ることはカナダの立憲主義︑さらに統合にとって不可欠であり︑
これが崩れると立憲秩序が乱れるとの懸念が潜在する︒これら二つの宗派を憲法で保護することで立憲秩序を維持
させ︑そのうえで信教の自由を保障していくとの認識が汲み取れる︒はなからアメリカのような政教分離はとれな
いし︑かといってイギリスのような国教制度もとれない︒どちらかをとることはカナダの分裂につながりかねない︒
こうした認識からカナダは世俗主義の意識が根強い︒二〇〇七年の最高裁判決︑マルコヴィッツ対ブリューカー ︵57︶事件は宗教と市民法の分離関係を明確にして︑このことを示しているように思われる︒一一年間連れ添っていたユ
ダヤ教徒の夫婦で︑妻から離婚請求がなされた︒夫婦は任意に婚姻関係の紛争を解決するために協議の上離婚に合
意したが︑そのなかで︑夫がラビの教義の裁判所にゲット︵oqo古︶を妻に与えるべく出頭することが約定されてい
た︒ユダヤ教徒の女性はゲットがなければ離婚できないし︑再婚して子供ももうけることができない︒ただし︑こ
のゲットは夫のみがなすことができる︒ゲットはユダヤの律法では夫が妻を婚姻から解放させ︑妻に再婚する権利
の根拠を与えるものとされ︑ラビ法廷で三人のラビ司教が判断する︒夫は任意にゲットを与え︑妻はこれを受け取
る︒しかし夫がこれをしなければ︑鎖が付けられた妻︵Oゴ昌Φq§︶として再婚もできない状態となる︒この約
定にもかかわらず夫は一五年間も出頭せず︑結果︑ゲットを与えなかったので︑妻が契約不履行の損害賠償請求を
起こした︒夫は信教の自由をたてに︑かかる約定は宗教のことであって法律︵ケベック法︶によって履行を強制で
きるものではないと主張した︒第一審は︑宗教上の義務であっても付随的な救済の合意︵8﹃合餌目﹃合Φh躍お?
日Φ昌︶にいったん編入されれば︑それは通常裁判所︵O﹂<目60已詳oo︶の領域に入るとした︒控訴審は︑経済的利益や
配分は離婚訴訟を担当する裁判官の管轄であるが︑そうだからといって当然ゲットについても同様であるとはいえ
ないのであって︑夫の義務の本質は宗教であり︑訴えるところのかかる義務違反は損害賠償請求のための世俗の裁
判所︵o◎OO己⊆①﹃ 口O己一﹃けo力︶では履行されえないとした︒
最高裁︵アベラ判事法廷意見︶は七対二で上告を認めた︒まず︑夫が妻にゲットを与える約定︵Oo⇒c・Φ昌︶での
カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二一九
二二〇
合意は︑ケベック法︵特にケベック民法Ω邑Oo昔︒S曾︒ぴ8︶のもとで有効かつ法的拘束力のあるものか︒これ
が肯定されるなら︑夫は信教の自由に依拠して︑合法的な合意を遵守しないという法的結果を免れることができる
か︒これはケベック人権憲章︵ε已Φ●ΦoO9詳Φ﹃o﹃ゴ已∋碧§ひ゜︒碧畠時Φ03日゜︒︶での信教の自由法理に照らして判
断される︒信教の自由が提起されたとき︑競合する価値や利益を衡量し調整する司法の役割は︑ケベック人権憲章
に採択された寛容を保護することである︵苫日一凱︶︒夫婦間で互いに再婚できるのを認めるための必要な段階を自
分たちの宗教に従って踏んでいくとする合意は︑ケベック法により法的に有効であり︑公の秩序にも符合する︵冒日
﹂Φ︶︒裁判所は宗教規範を適用することを求められているのではなく︑ケベック憲章で与えられた責務を果たすこ
とを求められているのであって︑法的拘束力のある合意違反による損害賠償債務を認めることは夫の信教の自由を
侵害するとの主張が成功しているかを判断するのである︵冒日心︒O︶︒
司法判断の対象になるか曾゜︒d﹂巳ぎ巨日︶は︑判例を踏まえて肯定する︒本件は︑特定のゲットが有効かといっ
た宗教の教義原理の司法審査でもなければ︑ラビ法廷が何を判断すべきかを確定することが要求されているのでも
ない︒ゲットを与えて婚姻の障害を除去するとの夫の任意の同意は法的拘束力を持つものとして︑二人の成人の間
でそれぞれが弁護人の代理で締結された︒﹁これは債務を適切に司法の顕微鏡●合巳巴目自88bo︶の下に置く﹂
︵苫日 台︶︒では︑本件合意がケベック民法で法的拘束力をもつ債務といえるか︒ケベック民法では︑道徳上︑市
民法上︑自然上の三つの義務を規定する︒本件では前二者が問題となる︒道徳上の義務とは隣人をいたわるなどの
信義良心に基づくのであって︑法的義務ではない︒市民法上は︑夫婦相互扶助義務のように行為が強制されうるよ
うな義務で︑司法による履行が担保される︒本件合意の義務には宗教的要素はなく︑市民法上の義務と解しうる
︵冨日駅﹂°例えばチャリティ募金は道徳上の義務であるが︑特定のチャリティのために寄付をすると合意して個人
が契約を締結したときは︑民法上︑法的拘束力のある義務とみなしうる︶︒民法は公序と法律に反する契約は無効
としているところ︑本件契約にはそれに該当する事由は見出せない︒よって︑司法的強制になじむ合意と解する・
ではこれを世俗的に強制することが︑人権憲章で保障された︵ケベック憲章三条︶夫の信教の自由を侵害するこ
とになるか︒信教の自由を援用することで直ちに免責が認められるのではない︒ケベック憲章九一条は︑﹁基本的
人権を行使するに当たっては︑民主主義の価値と︑公序と︑ケベック市民の一般的福祉︵o︒Φ⇒①邑零巴け①巨σQ︶への
適切な考慮を維持しなければならない﹂と規定している︒夫の主張がこれに照らして認められるかを判断しなけれ
ばならない︒本件のような事例で拘束力を認めて世俗︵市民社会︶で強制することが信教の自由に反しないとの諸
外国の例を検討して︑﹁平等権︑独立して離婚したり再婚したりできるユダヤ教女性の尊厳︑そして有効かつ拘束
力のある契約上の義務を履行させる公益は︑︵かかる義務を︶履行させるのは自らの信教の自由に干渉することだ
との主張に優る利益と価値の中にある﹂と判断した︵冨日q⊃心︒︶︒
反対意見︵デシャン判事︵シャロン判事同調︶︶は︑宗教にかかわるとして司法判断適合性を否定する︒カナダ
の採択した多文化主義と信教の自由や平等といった基本権に附随する原理は︑裁判所が宗教戒律にかかわるところ
では中立であることを保障する︒これは裁判所がさまざまな宗教が同居することに仲裁者としての役割を果たす正
当性を付与する︒ゲットを与え宗教的離婚を惹起させないとの要請はユダヤ教の規範によって支配されるから︑裁
判所は立ち入ってはならないとしている︒
︵2︶宗教と司法審査
カナダの宗教組織は︑議会主権と宗教に関する紛争が解決のために司法に提起されたとき︑裁判所が判断する制
カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二二一
二二二
裁権に当然服する︒通常裁判所は本質的に精神的な事項や教義にかかわることには関与しない一方︑市民権や財産
権が侵害されたときには司法権を行使する︒もっとも︑その線引きは困難であり︑いくつかの裁判所では市民法上
の紛争解決のために教義に立ち入らざるを得ない場合も在麗・オギル亨は宗教と司法権の限界に三て八つのガ
イドラインを示して顯・竺に・教会裁判所︵6ξ合§巨゜・︶は自らの実体的および手続的規範に従うこと
が要請される︒第二に︑通常裁判所︵口巨8巨゜︒︶は教会裁判所の判断を積極的に審査することができる︒第三に︑
教会裁判所は自然的正義︑とりわけ当事者が事件を周知する権利に適合するように要求され︑この違反には司法権
の関与がある︒第四に︑教会裁判所は権限を喩越してはならない︒第五に︑通常裁判所は︑教会がその組織や教会
裁判所を規制する民事法に従って編成されるとき︑関与できる︒第六に︑民事裁判所は財産権と市民権が問題とな
っている︑特に︑個人の財産的利益が内部裁判所の決定によって致損せられている場合に︑介入する︒第七に︑罰
が内部裁判所によって決定されたとき︑本人がその執行のために民事裁判所に移送された場合は事件となる︒最後
に︑カナダの民事裁判所は外国の宗教団体に対して︑それがカナダに住所を持つなら︑管轄権を有する︒
公的な事象が宗教ではなく立法によって支配されることは︑世俗主義の要件である︒カナダは信教の自由を保護
しながらこの原則を堅持している︒最高裁は︑殺人事件で被告人と司祭とのコミュニケーションが開示されなけれ
ば証拠とはされないことが認められるかについて︑憲章二条aで保障される信教の自由は当然に憲章による絶対的
な保障となるわけではないとする︒判例は︑コモンローは宗教的なコミュニケーションを保護してはおらず︑宗教
的なコミュニケーションの開示がこの自由を侵害するかは状況に応じて個別具体的に︑かかるコミュニケーション の性格やそれがなされた目的や方法︑当事者などを総合考量して決められるものだとした︒司法‖公的空間では︑
宗教ではなく世俗の立法が優先されることが確認されている︒
5 カナダにおける国家と宗教の関係ー考察の糸口
憲章は個人の尊厳に基づく人格的自律を立憲主義原理とし︑その帰結として信教の自由が認められる︒宗教上の
格率や慣行は︑公領域では個人の良心に先占することはできない︒憲章の信教の自由は︑信教の自由︑宗教からの
自由︑そしてすべての宗教の平等を意味し︑加えて憲章は宗教に基づいて国家が差別するのを禁じる︒
カナダはイギリスとフランスの両方の国家の政治のみならず︑文化や宗教をも取り込んだ複合的な国家として成
立し︑発展してきた︒一九入二年憲法はアメリカ憲法を意識しており︑その立憲主義の展開もアメリカとの類似性
や相関関係は否定できなくなっている︒カナダは一九八二年憲法で信教の畠の保障を明文化垣・しかし・政教
分離はこれを明文の憲法原則とすることはしなかった︒アメリカ合衆国憲法修正第一条が個人の宗教の自由︵時Φo
①×Φ邑︒︒︒︶と国教樹立禁止︵Og◎け知げ﹈﹂乙力冒05﹇︶の二つを憲法原理とするのに対し︑国教樹立禁止の明文の規定をもう
けなかったのである︒﹁カナダの政府︑つまり連邦と州の宗教組織に対する憲法上の関係は︑他の多くの国と同様︑
歴史に帰結される︒それは︑カナダ固有の憲法的要請と︑今度はカナダの歴史的経験を反映するアレンジによって
修正された︑議会政治についての特にイギリス的理解を憲法上相続していることを映し出す︒それはまた・﹁国家
と教会﹂の適切な関係に関する歴史的なイギリスの理解を反映しており︑それは再びカナダの歴史と現代の経験で
人々の理解の歴史的変遷によって修正さ雑L・
カナダ憲法は多文化主義原理をとる︒カナダでは多様な民族構成の多様な文化として認識され︑とりわけ言語や
宗教はその核を占めるものとして︑憲法的保護の対象となる︒宗教の統合機能をはじめとする社会的効用を認める
カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二二三
二二四
とき︑カナダはまったく宗教にかかわらないのではなく︑かかわることで個人の信教の自由を保障していく憲法原
理をとつ︵煙・不干渉ではなく干渉による世俗王義をはかったといえる︒干渉が平等ならば世璽義を実現できるの
であろうか︒カナダ憲法で世俗主義を考える上でトリッキーなのは︑憲法明文でキリスト教のしかもローマ・カト
リックとプロテスタントの二つの宗派のみを保護する規定︵一八六七年憲法九三条︶が維持されていることである︒
この規定の意味を明らかにさせることが︑カナダ憲法における国家と宗教の関係を考えていく契機となると考える︒
この九三条は政教分離から見れば﹁えこひいき﹂と映り︑とても﹁中立﹂には見︑えない︒国教規定とは解し得な
いまでも︑この二つの宗派は原初的にカナダ統合に不可欠とされる︒一九八二年憲法は︑ローマ・カトリック教会
の学校を明記し︑宗教系学校の従来の権利や特権を剥奪しないとしている︵二九条︶一方で︑信教の自由を良心の
自由と並列させて明文で保障した︵二条a︶︒一八六七年憲法はその九三条で︑教育に関して特定の宗教を国家が
保護して保障することを明記しており︑両憲法間の宗教に対する態度の整合性は説明しにくい︒一九八二年憲法は
自由主義を基調とし︑信教の自由も個人の人格的自律を第一義とする哲学に基づいている︒一八六七年憲法の主要
な関心はフランス系とイギリス系の協調によって国家統合を果たすことにあったため︑紛争の最大の要因となる宗
教を国家が保護することを約束する必要があった︒このカナダ特有の憲法原則は︑かかる政治社会構造を不変とし
人権保障を最大眼目とする一九八二年憲法であっても︑否定されるものではない︒
︵1︶ アメリカの政教分離については︑佐々木弘通﹁合衆国憲法の政教分離条項ーその近代的成立と現代的展開﹂成城法学六 四号七九頁︑二〇〇一年︑大西直樹・千葉眞編﹃歴史の中の政教分離−英米におけるその起源と展開﹄︵彩流社︑二〇〇六
年︶︑参照︒
︵2︶ カナダ憲法の法源にはこれまでの統治にかかわる立法や命令も含まれるが︵一九八二年憲法五二条二項︶︑主要なものは
一八六七年憲法︵英領北米法︶と一九八二年憲法である︒本稿でカナダ憲法というときは︑この五二条二項で定義すると
ころの︑これら二つの憲法典を含む法をさす︒︵3︶ ﹁信教の自由は︑個々の人間にとっての基本的自由権であるから︑その確立のためには︑必然的に国家と宗教の分離と相
互不干渉︑すなわち政教分離︵政治と宗教の分離︶が求められる︒それぞれの国家には︑歴史的に形成された固有の宗教
状況があり︑国家と宗教の関係はきわめて多様であるが︑信教の自由は︑国家権力が宗教的性格を脱却し︑世俗的︵非宗
教的︶性格を強めることによって︑より確実に保障されることになる﹂︒村上重良﹃天皇制国家と宗教﹄︵講談社学術文庫︑
二〇〇七年︶一五三頁︒わが国の最高裁は津地鎮祭判決でみられたように︑政教分離を制度的保障と解し︑信教の自由と
峻別して政教分離には限界があるとする︒これは政教分離原則を著しく相対化させて基本権の保障を弱めることになって
いると批判し︑﹁明治憲法時代の沿革を考慮しつつ両者の関係を﹁分離は基本権を保障し基本権は分離を要請する関係にあ
る﹂ことを基本において考える﹂べきとする説が有力である︒芦部信喜・高橋和之補訂﹃憲法 第四版﹄︵岩波書店︑二〇 〇七年︶八五頁︒
︵4︶ 大西・千葉︑前掲︵1︶書︑二二頁︒
︵5︶ フランスのライシテが完全分離とか厳格分離とか︑非友好的分離とか徹底した分離とかラベリングされるのは︑正確で
はないとの批判がある︒そもそも政教分離といっても解釈や運用をつぶさに検討する必要があろう︒大石眞﹃憲法と宗教
制度﹄︵有斐閣︑一九九七年︶第一部︒大石は︑フランス型ライシテでは︑確かに共和主義は政教分離を主要な目標とした
が︑それは厳格でも完全でもなく︑政治権力の世俗化︑良心および宗教活動の自由︑教会に対する国家の好意的中立性の
三つを要素とするものであると分析する︒同上︑六四頁︒︵6︶ 富井幸雄﹁カナダにおける信教の自由﹂法学会雑誌四八巻二号一八一頁︑二〇〇七年︒
︵7︶加藤普章﹁強調と対立の構図ー英系カナダと仏系カナダの関係とカナダ政治﹂法学研究六七巻一二号二七九頁︑一九九
四年︒
︵8︶ Oo⇒︒︒庄巨85︾oT﹂︒︒Φべ9民c︒O節ω﹂≦︒8匡靭ρω°︒°⑩ω゜以下︑一八六七年憲法に言及するときは︑本文で条数のみ掲げ
る︒
︵9︶ 樋口陽一﹃憲法 第三版﹄︵創文社︑二〇〇七年︶二;二頁︒樋口は︑そこでの緊張関係は宗教多数派が教育の場に落ち込まれるのを拒否するのに対し︑親の信教の自由や教育の自由が対抗するという図式であり︑多数派の信仰に対して国家
による少数派宗教の擁護という形になるとし︑信教の自由対政教分離の問題が提起されているとする︒同上︒飴○餌后o呂゜ り
=°Oo目≦P自︒国巳OH自︒︒冒゜・目弓弓8乞§弓臣ξ芝○巨邑﹀ωb︒ω︵心︒aoq﹄OOc︒︶°=Φ苫芦③津26ぽ器︒○Φ目≦国︒◆﹁世界中で教育は
カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵一︶ ︵都法四十九ー一︶ 二二五