奈良教育大学学術リポジトリNEAR
Max Weber 研究 −特にその宗教社会学について−
著者 小笠原 真
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 33
号 1
ページ 49‑68
発行年 1984‑11‑26
その他のタイトル Studie zu Max Weber −Besonders uber seine Religionssoziologie−
URL http://hdl.handle.net/10105/2239
Max Weber研 究
特にその宗教社会学について
小 笠 原 真 (奈艮教育大学社会学教室)
(昭和59年4月25日受理)
Iはじめに
本小稿で私が、MaxWeber研究‑特にその宗教社会学について‑と題して、ドイツの生 んだ20世紀最大の社会科学者であったと称される111MaxWeber(1864‑1920)の宗教社会学 を、正面から取り上げようと企図したのは、次の二つの理由によってである。まず第1に、私が Weberの宗教社会学を取り上げる積極的な理由に、彼の宗教社会学が以下に記述するような意 味をもつことがある。すなわち、Weberの社会学は科学的社会主義の祖であるKarlMarx (1818‑1883)の歴史の体系的構造理論を正に批判し克服するために書かれたものである、とい われる(2)
。つまり、このことを幾分敷術すれば、WeberはMarxの諸概念や歴史の発展法則を
一定の問題意識によって構成された一つの「理念型」(Idealtypus)として、その「乗出的価値」
(heuristischerWert)を十分に認めながらも、経済(「下部構造」‑「土台」)以外の諸要因、
特に宗教および政治(「上部構造」)という要因、もっと正確にいえば、宗教および政治の債域に おける社会的行為(sozialesHandeln)の動機から、歴史的生起の因果関係を理解しようとした ここに彼の社会学の中核を形成する「宗教社会学」(Religionssoziologie)と「支配の(政治) 社会学」(SoziologiederHerrschaftoderpolitischeSoziologie)が成立するのである(3)
。そし
て、Weberは歴史のうちに作用する「変革の原動力」(dierevolution云reMacht)を大別して、
特に宗教の領域における「カリスマ的権威」(diechansmatischeAutorit云t)と政治の領域にお ける「官僚制的合理化」(diebiirokratischeRationahsierung)の二種に求め、そのうち後者の 変革作用が「外面から」「技術的手段によって」行われ,形式合理性(formaleRationalit云t)杏 目指す目的合理性(Zweckrationalit云t)のレヴェルにとどまるものであるのに反して、前者は実 質合理性(materielleRationale凱)としてあらわれるところの価値合理性(Wertrationahtat) の深みから、人間そのものを「内側から」変革し、やがて外面の秩序をも変革する可能性を含む ことになるのであって、こうした意味で前者すなわち「カリスマ的権威」こそが「優れて創造的 な歴史の変革力」であると考えるのである(4)
。それ故、彼の社会学の体系のなかで宗教社会学の
占める比重は、わけても大きいといわなければならない。このことはWeberの社会学的研究が 1903年以来没年に至る17年間に専ら行われているが、(5'彼の宗教社会学的研究も、1904年から05 年にかけての「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(DieprotestantischeEthik undderGeistdesKapitahsmus)で始まり、1915年から19年にかけて発表された「世界諸 宗教の経済倫理‑比較宗教社会学試論」(DieWirtschaftsethikderWeltreligionen:Veト gleichendereligionssoziologischeVersuche)で終わっているのも、あながち偶然とばかりはい 49
50 小笠原 臭 われぬ点からもうかがえる(6)
。次いで第2に、私がWeberの宗教社会学のみをここに取り上げ
るいわば消極的な理由として、次のことがある。すなわち、ドイツの哲学者KarlJaspers(1883
‑1969)がWeberに捧げたその評伝のなかで、「彼の生きた時代の真の哲学者」としてWeber を推奨し、そして政治家、学者、哲学者としての彼の思想の「実例」を示した後、それを「ドイ ツ的な本質」という漠然とした言葉でまとめ、̀7'またイタリアの哲学者CarloAntom(1896‑
)がその著『歴史主義から社会学へ』{DalloStoricismoaliaSociologia,1938)において、
彼を「ドイツのもった最も豊かでまた最も力強い人物の一人」と評している̀8'のをみても、こ のWeberという人物をその全業績との関連で、一つのまとまった「全体像」としてとらえるこ とが、いかに至難であるかを物語っているからである。別言すれば、それは丁度巨峰を仰ぎみる ことができても、それの全貌を容易に明らかにし得ないのと同じであるからである(9)
。
IIMaxWeberの宗教社会学との関連での社会科学方法論の特徴
さて、MaxWeberの社会科学方法論の提案は、この科学の歴史における自然主義、歴史主義 および社会主義という三つの立場の批判的検討を通して行われていた、とわが国の経済学者出口 勇蔵氏(1909‑はいう(10)
。そして,わけてもWeberの宗教社会学を取り上げる際、第
3のマルクス主義的思想との対決が重要であることは、1918年の夏学期にウィーン大学で「宗教 社会学」と「国家社会学」の講義をWeber自身が行ったとき、その宗教社会学の講義に「唯物 史観のポジティヴな批判」(PositiveKritikdermaterialistischenGeschichtsauffassung)と いうタイトルを掲げていた(ll)ことからも容易に推察されよう。
そこでまず、社会科学の方法の問題が特に「ヴェ‑バーとマルクス」という形で示されること に強い魅力を感ずるとすれば、それはわれわれが何らかの程度で、あるいる何らかの形で、ドイ ツの哲学者KarlLowith(1897‑1973)の次のような言葉、つまり「われわれの住む現実社会 と同じく、この社会についての科学もまた一種ではなく二種類である。すなわち、ブルジョア的 社会学とプロレタリア的マルクス主義とである。こういう二つの研究方向の最も重要な代表者は、
マックス・ヴェ‑バーとカール・マルクスとであるが、彼らの探究の領域は同一の領域、つまり 近代の経済および社会全体の資本主義体系である」112)に共感を感ずるからにはかならない。そ れ故、ここでは手始めとしてMarxが1859年に世に問うた『経済学批判』{ZurKritikder
♪olitischenOkonomie)の序文のなかで、「唯物史観」(materialischeGeschichtsauffassung)の 公式を提示している箇所に止目してみたい。そこではMarxいわく「人間は、彼らの生活の社 会的生産において一定の必然的な彼らの意志から独立した諸関係、すなわち彼らの物質的生産話 力のある一定の発展段階に照応する生産諸関係を取り結ぶ。これらの生産諸関係の総体は社会の 経済的構造、つまりその上に一つの法制的および政治的な上層建築がそびえ立ち、そしてそれに 一定の社会的意識諸形態が照応するところの現実的な土台を形成する。物質的生活の生産様式は 社会的・政治的および精神的な生活過程一般を制約する。人間の意識(Bewusstsein)が彼らの 存在(Sein)を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである」(13) と。さて、この有名な章句をいかに理解すべきかについては問題があるけれども、少なくとも人 間したがってまた社会の生産力とそれに照応する生産関係とが、社会の「土台」ニ=「下部構造」
(Unterbau)を構成するものであり、法律・政治・意識の諸形態はその土台に照応する「上部 構造」(Uberbau)であって、その上部構造は土台によって規定されるものであると説かれてい
ることは疑う余地がない。そして、このことをアメリカの社会学者H.H.Gerth(1908‑
とC.W.Mills(1916‑1962)にならっていえば、理念は利害を「表現する」(ideas̀express' interests)ものであるということになる(14)
。しかしながら、Marxの唯物史観をさらに一歩踏み
込んで検討してみると、特に土台の生産力と生産関係の連関を彼は次のように考えていた。つま り、ポ‑ランドの経済学者OskarLange(1904‑1965)もその著『政治経済学』(Ekonomia
Polityczna,1961)第1巻において、「生産関係は生産力の性格に必ず照応するという法則」(15)を 史的唯物論の第1の基本的法則と呼んでいるように、正に唯物史観を生産力と生産関係の統合史 観として把握するところに、Marxのユニークな史観があった。けれども、ここに唯物史観の難 点もまた潜んでいるように思われる。すなわち、生産関係は生産力の発展水準の一意的な従属変 数である、あるいは、生産関係は生産力水準の一価関係である、といった仮説は、ロシア革命に 始まる幾多の後発国革命によって、理論的にはともかく実証的には反証されたといわなければな らないからである。もっともそれに対するマルクシストの反論も、周辺革命論をはじめとして、
執劫に繰り返されて来てはいるけれども。かくして、生産力と生産関係の統合史観とされる史的 唯物論も、「生産関係の一意的照応説」が反証されたとみるかぎり、生産力の発展段階論が欠如 していることになり、その意味では本来生産関係史観であったといわなければならない(16
。'事
実、アメリカの社会学者DanielBell(1919‑も、『脱工業社会の到来』{TheComing
ofPost‑IndustrialSociety,1973)の「日本語版への序文」のなかで、「最近まで西側社会学は、
大部分がマルクス主義の影響下にあったため、社会の発展は単に単一の線上の社会変化としてし か考えることができなかった。そのため困難が起った.物事の継起は封建主義、資本主義、社会 主義というふうに必然的になるものと仮定されていたのである。しかしこれらすべては混同から 発生したことである。なぜならマルクスは生産の社会的諸関係(すなわち所有)と生産力(すな わち技術)の両方をとり、それを単一の様式のなかに入れた。しかし、もし経済学の二つの次元
‑所有と技術の次元‑をはっきり区分し、これらを分析的に別の論理としてみるならば、
≪二つの≫違った継起的展開があり、これが作用していくことがわかるはずである。一つの軸、
所有の鰍こ沿っては、われわれは封建主義、資本主義、社会主義の伝統的なモデルをもつ。他の 軸、技術もしくは知識の鰍こ沿っては、別の継起、すなわち前工業、工業、そして脱工業社会 である」(17)とさえ主張し,Marxの唯物史観を明らかに生産関係史観として認識している。
これに対して、Weberの学問的生涯が1898年の神経疾患によって前期と後期に分たれること は、すでに多くの先学によって指摘されて来た通りであるが、(18}さきのMarxとの関連でWeber の学問的生涯を考えるとき、正に後期が問題となって来る。すなわち具体的には、Weberが神 経疾患からようやく立ち直って、新たな門出を飾った「社会科学的および社会政策的認識の『客 観性』」(Die,,Objektivit甜̀sozialwissenschaftlicherundsozialpolitischerErkenntnis,1904) という社会科学方法論を展開した論文で、彼は上記のマルクス主義の唯物史観に対して、「どの 領域の文化現象についていっても、経済的な原因だけに還元することが周到にできるとは、どん な意味からもいえないし、また『経済的な』現象の嶺域においても、そんなふうにいえるもの ではない」(19)と手厳しい批判を行っている。そして、彼は『宗教社会学論集』(Gesammelte AufsdtzezurReligionssoziologie,3Bde.,1920‑21)のなかでも、「人間の行為を直接に支配する ものは、(物質的ならびに観念的な)利害であって、理念ではない。しかし『理念』によって作 り出された『世界像』(Weltbild)は極めてしばしば転轍手として軌道を決定し、その軌道の上 を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めて来たのである」(20)と述べ、そこでは人間の
52 小笠原 臭
行為を直接に支配するものは、理念でなくして利害であるにしても、理念の作り出した世界像が 主導権を握り、これにしたがって利害のダイナミックスが人間の行為を推進して来たことを主張 し、暗にさきに記述したGerthとMillsの理念は利害を表現するとする史的唯物論を批判する。
それ故、このような所論に接すると、当然わが国の比較経済史学者大塚久雄氏(1907‑が、
その著『社会科学の方法‑ヴェーバーとマルクス‑』において主張する次のような見解も出 て来るわけである。すなわち、Weberの場合には、経済的利害状況による根本的な制約を十分認 めながらも、それだけにはとどまらないで、さらに他の文化諸債域における社会現象が、そうし た経済的利害状況の制約から相対的に独立して、どういう「固有な法則性」(Eigengesetzlichkeit) をもって独自な動きを示すのか。またそれは逆に、経済の動きをどのように制約することになる のか。そういったことをWeberは正面から取り上げて、それを「社会学」的に追究し、理論化 していこうとするわけである。そして、Marxの場合に比べて、一層大きな射程距難をもってあ らわれて来るように思われる、(21)と。要するに、以上長々と述べてきた点をまとめてみると、わ が国の社会学者日高六郎氏(1917‑が、歴史を動かす最終的なあるいは特に有力な要因と して、社会経済的なものを考えたものはMarxであり、イデオロギー的なものを考えたものは Weberであるといっているが、(22)この主張はやや荒っぽい表現ではあるけれども‑存在が意 識を規定するというMarxの命題はWeberの場合妥当しないが、そうかといって、意識が存 在を規定するとはWeber自身決していっていない点を考えると‑、ある程度核心を突いてい るように、私には少なくとも思われるからである。
次いで,Weberの宗教社会学との関連で、かつマルクス主義との関連で、社会科学方法論を めぐって問題になって来ることに、Marxが方法的<社会>主義の立場をとっているのに対して、
Weberは方法的<個人>主義の立場をとっていることがある。このことは、ドイツの社会学者 KarlMayer(1902‑1974)が、1973年ボーデン湖畔のコンスタンツで行った講演「マックス・
ヴェ‑バーのマルクス解釈」(DieMarx‑InterpretationvonMaxWeber,SozialeWelt,Bd.
XXV,1974)のなかですでに指摘するところであるOつまり幾分具体的には、Mayerは「マル クスは、経済的構造と経済的変化が、人間の行為の結果であるという事情によく通じていた。同 様に彼は、経済的変化がいわば『アン・ジッヒ』に社全体における諸変化を惹き起すのではなく、
それはただ人間の行動を介してのみ可能である、という事情にもよく通じていた。しかしながら、
‑これこそはヴェ‑バーとの比較の要となる点だと思われるのだが‑マルクスにとって人間 の行為は、いかに必要なものではあっても、それは‑専門用語を使うなら‑従属変数である にすぎず、独立変数ではない」(23)と主張する。このことは、換言すれば、マルクス主義の社会 科学が、その一般的形態において、社会把盤にあたって内的・主体的な「人間」よりも、むしろ 入間にとって外的・客観的な「社会」を重視するいわゆる方法的<社会>主義の立場をとってい る、ということを意味する。そして、今日一般に認められているように、『経済学・哲学草稿』
(Okonomisch‑philoso♪hischeManuskri♪te,1844)や『ドイツ・イデオロギー』{Diedeutsche Ideologie,mitF.Engels,1845‑46)などに表現された初期のMarxにおいては、優れた意味 での人間主義が強く前面に出ていた。しかし、マルクス主義の社会科学が確立する『経済学批 判』から『資本論』(DasKapiial,3Bde.,1867‑94)にかけての後期Marxになると、「近代 社会の経済的運動法則を明らかにする」という「最終日的」にしたがって、明らかに方法的<社 会>主義が優位して来る(24)
。
これに対して、Weberはまずその遺著『経済と社会』(WirtschaftundGesellschaft,2Bde.,
1921‑22)の第I部第1章「社会学の基礎概念」 (Soziologische Grundbegriffe)において、 「社 会学(この言葉は極めて多義的に用いられているが、ここで理解される意味における)とは、社 会的行為(soziales Handeln)に解明しつつ理解し、これによってその経過と結果とを因果的に 説明しようとする一つの科学のことをいうべきである」(25)と定義するOしかもこの定義に続いて、
彼は「行為」と「社会的行為」について次のように説明する。すなわち「『行為』 (Handeln)と はここでは、行為者または諸行為者がそれに主観的な意味(subjektiver Sinn)を結び付けたと き、またその限りでの人間の態度(それが外的または内的な行動であっても、不作為または忍容 であっても問題ではない)のことをいうべきである。しかし『社会的』行為とは行為者または諸 行為者によって思念された意味(gemeinter Sinn)にしたがって、他人の態度に関係せしめられ、
かつその経過においてこれに方向付けられている行為のことをいうべきである」(26)と。それ故、
Weberは行為者が主観的な意味を付与する行動を行為と名付けるとともに、社会的行為もまた 主観的に意図された影響を他者に課する場合に限り、その社会的行為をその動機に遡って理解す ることを社会学の課題‑このような意味において、 Weberは彼自身の社会学を「理解社会学」
(verstehende Soziologie)と命名している‑とするのである。次いで、 Weberは「理解社会 学の若干のカテゴリーについて」 (Uber einige Kategorien der verstehenden Soziologie, 1913)において、 「理解社会学(われわれの意味での)が単一の個人とその行為とを最小の単位 として、その『原子』として‑こういうたとえ方はもともと慎重にすべきであるが、ここでは 許されるとして‑扱う理由は、結局はその考察の目的が『理解すること』だということにもあ る」(27)と述べているところをみると、 ・理解社会学にとっては正に「個々人とその行為」が「最 小の単位」であるとみなされる。否そればかりか、彼は「社会学の基礎概念」においては、 「社 会学が『国家』とか『国民』とか『株式会社』とか『家族』とか『軍隊』とか、あるいはそれに 似た『形象』 (Gebilde)について語る時、それらでもってむしろ事実的にまたは可能的なものと して構成された個々人の社会的行為について、ただその特殊な経過を意味するだけである」(28) とさえ主張し、そこでは社会学にあっては社会形象は単に個々の人間の特殊な行為の経過および 連関に過ぎないと考えられる。それ故、彼の社会学的方法は正に方法的<個人>主義ないしは個 人主義的方法̀29'であるといえる。それ故、 Mayerもこの点を「ヴェーバーのばあい行為は存在 から導きえないQふたたび専門用語を使うならば、行為は一つの独立変数である。行為はたんに 諸関係とその変化の産物ではない。行為はいわば『自分の足で立っている』」(30)と表現している。
そして、 Weberの理論では社会変動は客観的所与と主観的行為との弁証法的産物であり結果で あると理解されるべきであるけれども、しかしそれがすべてではない。この関連でさらに考えね ばならないことがある。すなわち、 「ヴェ‑バーのばあい社会変動の問題にかんしては、桁はず れの行為というものが存在する。平凡な、自然な、正常な行為があり、他方、非凡な、異常な、
非日常的な行為がある。後者の行為のために、ヴェ‑バーは『カリスマ』という概念を定式化し た。非凡な仕方で行為する人びとがいる。そこでヴェーバーのテーゼはこうである。真に質的な 変動が諸社会体制間に生ずるのは、ただ、 『カリスマ的』といえるような非凡な行為が行われる 場合に限られる」(31)と指摘するMayerの章句は、 Weberの宗教社会学を理解する場合わけて
も重要になって来る。
続いて、 Weberは上述の個々人の社会的行為の意味を理解する場合の理解に、行為をその状 況において理解する「現実的理解」 (aktueiles Verstehen)と、行為に内在する「意味連関」
(Sinnzusammenhang)を動機に遡って理解する「説明的理解」 (erkl云rendes Verstehen)の二
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種類があると考える。すなわち、前者の現実的理解というのは、例えば、(1)2×2‑4という 命題の意味を現実的に理解する場合(思想の合理的現実的理解)、(2)表情や叫び声といった非 合理的な動作のうちに示される怒りを現実的に理解する場合(感情の非合理的現実的理解)、
(3)きこりの動作や戸を閉めるために取っ手に手をかける人の動作や銃をもって動物をねらって いる人の態度を現実的に理解する場合(行為の合理的現実的理解)、である。これに対して後者 の説明的理解というのは、行為者が「かくなしたことにどんな意味を結び合わせたかを動機決定 的(motivationsm云sslg)に『理解する」」(32)ことをいう。例えば、(1)2×2‑4という命題を 語りまたは書いた人が、商売上の打算をしているか、科学的証明をしているか、技術的計算をし ているかをみることによって、動機決定的に理解することができるのである(合理的な動機決定 的な理解)。(2)われわれは怒りが嫉妬によって、傷められた虚栄心によって、そこなわれた名 誉心によって基礎付けられていることを知るときは、怒りを動機決定的に理解することができる のである(非合理的な動機決定的理解)。そして、Weberはこの現実的理解と説明的理解とが相 互補完し合って社会学的認識を成立せしめるとしつつも、特に後者の説明的理解を社会学的方法 として重視するのである(33)
。しかも、以上記述して来た点との関連で特にここで指摘しておきたいことに次のことがある。
つまり、個々人の行為に内在する意味連関を動機に遡って理解するための手段としてWeberが 考え出したものが、いわゆる頻発的現象の純粋類型つまり「理念型」(Idealtypus)である。そし て、ここにいう理念型的構想とは、一定の種類の人間的行為が誤謬や感情によって撹乱されるこ となく、厳密に目的合理的に志向されるときにはいかに経過するかということを叙述するもので あって、この場合現実の行為に影響を及ぼした動作における非合理的な要素に制約された意味連 関は、理念型的構想によって得られた目的合理的な経過からの「偏差」(Ablenkung)として究 明されることになる。それ故、理念型は一つの「恩想像」(Gedankenbild)であって、歴史的実 在であるのでもなければ、まして本来の実在であるわけでも、いわんや実在が類例としてそのな かに配列されるべき一つの図式の役目を果たすためのものでもない。むしろ、それは一つの純粋 に理念的な極限概念という意味をもち、現実をそれによって測定し比較するものである(34)
。し
かも、Weberの場合全体として理念型であるばかりでなく、個々の概念もまた理念型である。
そして、このように彼の社会学が理念型の集合体として一つの壮大な類型論的性格をもつのは、
それが時間・空間を通じての比較を一つの目的とした「比較社会学」(vergleichendeSoziologie) だからであり、時間・空間を超越した比較を可能にするような概念装置を考察するための抽象の 産物だからである(35)
。
IllMaxWeberの宗教社会学(1)‑「プロテスタンティズムの倫理 と資本主義の精神」および「プロテスタンティズムの諸宗派と資本 主義の精神」‑
さて、私は本小稿でMaxWeberの宗教社会学を取り上げるわけであるが、まずWeberの宗 教社会学というとき、ここでは『宗教社会学論集』全3巻(GesammelteAufsatzezurReligions‑
soziologie,3Bde.,1920‑21)と『経済と社会』のなかの第Ⅱ部第5章「宗教社会学‑宗教的 共同体関係の諸類型」(Religionssoziologie:TypenreligioserVergemeinschaftung)とを指 す、としておきたい。そして、彼の『宗教社会学論集』全3巻には、大別して二つの性質を異に
した論文が収録されている。つまり第1は、1904年から翌年にかけて、彼みずからがドイツの経 済史家WernerSombart(1863‑1941)らとともに編集にあたった雑誌『社会科学および社会 政策年報』(ArchivfiirSozialwissenschaftundSozialpolitik)に発表された、有名な「プロテ スタンティズムの倫理と資本主義の精神」と、これの付録小論文「プロテスタンティズムの諸宗 派と資本主義の精神」(DieprotestantischenSektenundderGeistdesKapitalismus)とで
ある。そして、これらの論文が『宗教社会学論集』第1巻の前半を占めている。第2は、「世界 諸宗教の経済倫理‑比較宗教社会学試論」であるが、その内身をさらに『社会科学および社会 政策年報』に発表された年代順に挙げると、「儒教と道教」(KonfuziamsmusundTaoismus, 1915)、「ヒンドゥー教と仏教」(HmduismusundBuddhismus,1916‑17)、そして「古代ユダ ヤ教」(DasantikeJudentum,1917‑19)の三大論文であって、これらが第1巻の後半から第 3巻までに収められている。したがって、私はこの論文ではWeberの宗教社会学を大きく二分 し、まずこの節では「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」および「プロテスタンテ ィズムの諸宗派と資本主義の精神」の二論文を取り上げ、次節では「世界諸宗教の経済倫理‑
比較宗教社会学試論」および『経済と社会』のなかの「宗教社会学‑宗教的共同体関係の諸類 型」を検討した方が、内容の面からみてもまた方法の面からみても的を射ているように考えられ 蝣*0蝣‑
そこでまず、Weberが宗教社会学の下に懐いた問題意識は、ドイツ生まれのアメリカの社会 学者ReinhardBendix(1916‑も、その著『マックス・ウェーバー‑その学問の全体
像‑』{MaxMeher:AnIntellectualPortrait,1960)において巧みに整理しているように、次 の如きものであった。すなわち、(1)主要な宗教思想が平均的な信徒の世俗倫理と経済的行為に 及ぼした影響の問題、(2)社会層形成が宗教思想に与えた影響の問題、(3)異なった諸文明にお ける宗教的信念の生成要因と作用を比較することによって西ヨーロッパに固有のものを確定する という問題、(36)であった。そして、やや結論を先取りしていえば、第3の西ヨーロッパに固有 のものこそがつまり「合理化」(Rationalisierung)であって、西ヨーロッパの特色をなす「合理 化」とは人間にとって一体何なのか、これがWeberの一生を貫く問題意識であったといえようO そこで、Weberによれば合理化という原理は彼の学問における最も一般的な要素であると考え られる。何となれば、もろもろの制度上の構造の成立や崩壊、階級や政党、そして支配者たちの 勃興と没落は、現世の合理化の全般的な方向を与えるからである。そして、この過程で引き起こ す人間の心境や精神性の変化を考察して、彼はドイツの詩人であり劇作家でもあったFriedrich vonSchiller(1759‑1805)の「世界の呪術からの解放」(EntzauberungderWelt)という言
葉を好んで引用する。それ故、Weberの学問においては、合理化の範囲と方向は、消極的には 思考の呪術的な要因の排除の度合いという点で秤量され、積極的には諸理念がどの範囲にまで体 系的な一貫性と自然主義的な整合性を増しているかによって秤量されるのである(37)
。
ところで、前置きが少々長くなったけれども、本題に立ち返って、まず、社会科学における単 一の特殊理論としては最も科学的論争の焦点を提供した、といわれるWeberの「プロテスタ ンティズムの倫理と資本主義の精神」(DieprotestantischeEthikundderGeistdesKapi‑
talismus)の所論の骨子を記述することにしよう。さて、Weber自身の語るところによれば、こ の論文は「そもそも一つの経済形態における『経済心情』(Wirtschaftsgesinnung)の、すなわち
『エートス』(Ethos)の成立が特定の宗教的信仰内容によってどの程度制約されるものであるか、
という最も把握困難な側面における一つの重要側面に接近せんとして、これを近代経済のエート
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スと禁欲的プロテスタンティズムの合理的倫理との関連という具体例について行ってみた」く39) ものである。しかもそれは、すぐ次に明言しているように、(10)複合的因果関係の一面‑つまり、
宗教的信仰内容‑経済倫理(エートス)という一面的因果関係(41)‑が、禁欲的プロテスタ ンティズムと近代経済のエートスとの連関の把握において遂行されたに過ぎない。それ故、さき のBendixが指摘した(1)の経済に及ぼした宗教の影響、もう少しかみ砕いていえば、日常的 な慣習的生活の場所である経済に及ぼした非日常的なカリスマの本来の場所である宗教の影響、
を究めることに終始しているといえる。
すなわち、Weberの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」における所説を幾分 具体的に記述してみるならば、まず、Weberは職業統計および信仰統計の示すところの事実よ り、近代産業における資本家および企業経営者のうち、プロテスタントによって占められている 数字はカトリックに対して著しく高い比率を示している史実を突き止め、近代資本主義社会の基 底をなす経済的合理主義(okonomischerRationahsmus)とプロテスタンティズムとの問に、
宗教的な深い因果関係の存在していることに着目するo'12'次に彼は「資本主義の精神」(Geist desKapitalismus)を「ほとんど古典的な純粋さ」で表現しているものとして、18世紀におけ るアメリカの実業家であって政治家でありかつ科学者でもあったBenjaminFranklin(1706‑
1790)の処世訓‑そこには、(1)貨幣を尊重しなければならない。貨幣は本質上増殖力をもっ ている。人はこの増殖力にしたがってますますそれを増殖することに努力しなければならない。
そのためには、(2)時間を浪費してはならない。(3)信用は最も大切にしなければならない。そ して、この信用を得るためには(4)勤勉でなければならない。(5)節約を守らねばならない。ま たそれとともに(6)約束の正確と公平とを保たねばならない。信用を得るためには、これらにも まして(7)己の真面目と誠実とを人に示さねばならないといったことが説かれている‑を引用 するOそして、このようなFranklinの教訓は見方によれば「蓄番の哲学」に過ぎないかもしれ ないが、Weberにあってはここにこそ近代資本主義の精神が兄いだされるのである。いわく
「われわれがこの『蓄番の哲学』に接してその顕著な特徴と感ずるものは、信用の出来る正直な 人という理想であり、わけても、自分の資本を増加させることを自己目的(Seibstzweck)と考 えることが各人の義務であるとの思想である。実際この説教の内容となるものは単純な処世の技 術ではなく、独自な『倫理』であって、これを犯すものは愚鈍であるにとどまらず、一種の義務 忘却を犯すものとされているのである。このことは何にもまして事柄の本質をなしている。そこ では、『事業の才智』が教えられているだけではない。‑'"‑そこには一つのエートスが表明され ているのであって、このエートスという性格こそがわれわれの関心を呼び起こすのである」=3' と。要するに,WeberはかかるFranklinの処世訓にみられるような倫理的色彩をもつ生活原 理を近代資本主義の精神と呼び、さらにこの精神と南ドイツにおけるアウグスブルクの大高利貸 資本家JakobFugger(1459‑1525)の語る商人的冒険心と道徳に無関心な気質、つまり「捜民 資本主義」(Paria‑Kapitahsmus)の精神とはまったく異質なものであるとみなす(44)
。そしてそ
の当然の結果として、近代資本主義の精神は伝統主義的な商業資本主義の精神から由来したと主 張するLujoBrentano(1844‑1931)やSombartなどのドイツの経済史家の所説に真向から反 対し、むしろ逆に、伝統主義的精神はこの新しい精神を抑制しその発展を妨げるものでさえあっ た、とWeberは考える。したがって近代資本主義の精神が古い伝統主義的精神を打破して、新 しい資本主義を打ち立てるには強固な資本主義の精神でなければならないが、それは一体どこに 淵源したであろうか。この問いがWeberに課せられた次に解明しなければならない課題である。
そこで、最も普通の見方は自由主義的啓蒙主義の精神が古い伝統主義から脱出することのできる 力として、近代産業に適する生活態度の基礎を形成したとするものである。それ故、この立場か らは近代資本主義の精神が宗教や道徳の原理に淵源したものと解することができない。これに対 して、Weberは近代資本主義の精神の淵源をかえって宗教のなかに、つまり禁欲的プロテスタ ンティズムの倫理のなかに求め、その論証に努めるのである。
そこでまず、WeberはMartinLuther(1483‑1546)の職業観念の検討に入り、次のように 主張する。すなわち、ドイツ語のBerufや英語のcallingは「聖詔」と「職業」の二重の意味
をもっているが、この語のなかに含まれている「世俗的職業こそ聖詔に基づく使命なり」という 観念やかかる用語法は、Lutherから新たにはじまったものである。つまり、従来カトリック教 徒は修道院の生活(世俗外的生活)こそ神に喜ばれる道であるとみなしていたが、Lutherはそ れを現世の義務から逃れようとする利己的な産物であり、逆に世俗内的職業労働(weltliche Berufsarbeit)こそ隣人愛の外的なあらわれであると考えたのである。けれども他面彼が「各人 が一度神より与えられた職業と身分のうちに原則としてとどまるべきであり、名人の地上におけ る努力はこの与えられた生活上の地位の枠をこえてはならない」(45)と説くかぎり、その思想は 所詮いまだ経済的伝統主義(okonomischerTraditionalismus)に立脚しているといわざるを得 ない。だからLutherおよびLuther派の信仰が近代資本主義の精神の育成に決定的な役割を果 たしたとは評価し得ない、と。したがって、WeberはLutherおよびLuther派の信仰からカル ヴィニズム(Calvinismus)をはじめ禁欲的プロテスタンティズムの諸派‑敬度派(Pietismus)、
メソジスト派(Methodismus)、再洗礼派(T云ufentum)とその宗派すなわちバプティスト派 (Baptisten)、メノナイト派(Mennomten)、クェイカ一派(Qu独er)の教理へと分析を
進めていき、特にカルヴィニズムの「預定説」(Pr云destmationsiehre)に注目する。それによれ ば、神は自由なる恩寵によって人類の一部を救い残余の者を永遠の亡びに予め定め給うのである。
したがって、神の選択に与らないものは永遠の亡びに陥る運命を担わなければならないが、それ に対しては教説者も聖礼典も教会さえも無力である。このような極めて非人間的な教説を信ずる 人びとの精神において結果したものは、内面的孤独化の感情であった。しかし、この内面的孤独 化の感情はかえって自己の救済に対する契機となるものである。自己の救済に対する確信を得る 道は、まず救済についての疑いを罪悪として斥け、それによって自己の救済を確信することであ る。次にこの確信をさらに強固にするために、神の命ずる仕事に従うことである。カルヴィニ ズムにあっては神がキリスト者に対して望むところは、社会生活すなわち職業労働である。けだ し社会活動は神の栄光を増すものだからである。さらに自己が選ばれているとの確信を常に客観 的効果によって確かめられねばならない。したがって確信は組織的な自己審査(systematische Selbstkontrolle)を必要とするものである。かくしてこの自己審査のために現世の生活が徹底的 に合理化され、それ故信仰は著しく禁欲的傾向を帯びることになるのである(46)
。そこで、Weber
は信仰上の世俗内的禁欲と経済上の近代資本主義の精神との問に存在する関連を、イギリスのピ ュゥリタニズム(Puritanismus)の代表的信徒の一人であったRichardBaxter(1651‑1691)
の著作を通して解明し、次の如く主張する。すなわち「プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は、
無頓着な所有の享楽に全力をあげて反対し、消費ことに蒼移的消費を圧殺した。その反面この禁 欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放ち、利潤の追求を合法化する のみでなく、これを直接神の意志にそうものと考えることによって、その栓楢を破砕してしまっ た」。17'と。かくして弛みない不断の組織的な世俗内的職業労働をおよそ最高の禁欲的手段とし
58 小笠原 夷
て、また再生産とその信仰の正しさについての最も確実かつ明瞭な証明として、宗教的に尊重す る立場は、今まで資本主義の精神と呼んで来たあの人生観の蔓延にとってこの上もなく強力な槙 杵とならずにはいかなかったのである。そして、さきに述べた消費の圧殺とこうした営利の解放 とを結び付けてみるならば、その外面的な結果はおのずから明らかであろう。すなわち禁欲的節 約強制による資本形成(dieKapitalbildungdurchasketischenSparzwang)がそれである。利 得したものの消費的使用を阻止することは、正しくそれの投下資本(Anlagekapital)としての、
生産的利用を促さずにはいなかったのである(48)
。このようにWeberはカルヴィニズムわけて
もピュウリタニズムが「近代の経済人(Wirtschaftsmenschen)の揺り藍をまもった」(49)という のである。
けれども、その後資本主義が発達していくにつれて、近代資本主義の精神は最早宗教的支柱を 必要としないばかりか、かえってプロテスタント的信仰の反マモン(Mammon‑財神)的性格 と、近代資本主義の精神にみられるマモン的性格とが、あらわに衝突するようになり、その結果、
初めのうちプロテスタンティズムと絡み合っていた近代資本主義の精神は、次第にその宗教的扮 装をかなぐり捨て啓蒙主義の方へ崩れ始めるに至った。そして、マモン崇拝と職業倫理の結合物 である「素面の」近代資本主義の精神がその姿をあらわにするようになった。かくして、Weber はこの過程を生き生きと示すものとして、イギリスにおけるメソジスト派の創始者JohnWesley (1703‑1791)の次のような言葉を引用する。つまり「私の思うに、富の増加するところではそ れに比例して宗教の実質は減少した。それ故、自然のままでは真の信仰の復活は長い間継続せし める方法のあることを私は知らない。何となれば、宗教は必然的に勤労と節約とを生むはかなく、
この二つは富をもたらすほかはない。しかし、富が増すとともに高慢、激情、そしてあらゆる形 での現世への愛着も増して来る。それ故、心情の宗教であるメソジストの信仰は、今は青々とし た樹木のように栄えているが、どうしたらこの状態を久しく続けることができるであろうか。ど こまでもメソジスト派の信徒は勤勉であり質素になる。そのため彼らの財産は増加する。そこで、
それに応じて彼らの高慢や激情、肉体および現世の欲望、生活の高慢もそれだけ増加する。こう して宗教の形式は残るけれどもその精神は次第に消えていく。純粋な宗教のこうした絶え間ない 腐敗を防ぎ得る方法はないであろうか。人間が勤勉で節約であるのを妨げるはずはない。われわ れはすべてのキリスト者にできるだけ利得するとともにできるだけ節約すること、つまり、結果 において富裕になることを勧めねばならない」(50)と。なお、このような認識にあって見落とし てならないことに、Weberが近代資本主義の精神における宗教性の喪失過程を、宗教それ自体 の「内部からの世俗化」と考えていた点である。別言すれば、Weberは宗教的理念がこの世の 世俗的な観念的・物質的利害の力に屈服し妥協し適応していった過程とは考えず、むしろ、それ は徹底的に内面的なプロセスとして、宗教それ自体の展開に基づいたおのずからの帰結として把 握していたことがある。そして、アメリカのWeber研究の第一人者であったTalcottParsons (1902‑1979)も、Weberのこうした論旨は次の二点からも明らかであるという。第1には、
カルヴィニストの資本主義的な職業労働への献身は、積極的な宗教的動機(positivereligious motives)に基づいて強制された(wasenjoined)のであって、そのことが許された(permissive) というような形のものではなかったのである。第2には、カルヴィニズムの「禁欲」という要素 は、16世紀から18世紀にかけて利害状況の局面での変化が相当なものであったにもかかわらず、
近代資本主義の精神のうちに明瞭に継承されていった。そして、この継承が客観的な利害状況‑
の倫理的な適応であったとすれば、当然に禁欲の宗教的動機そのものは、いちはやく消失もしく
は弓引ヒする経過をたどることになったであろう.ところが、この歴史過程でみられるカルヴィニ ズムの変化は、そうした利害状況の外面的強制によるのではなく、かえって禁欲の宗教的動機そ のものの世俗化‑功利主義化に起因するものであった。しかも、Parsonsはこの意味でのWebei の論証は成功しているとみるのである(51)
。ところで、こうした強力な宗教運動の経済的発展に
対する意義は、何よりもまずその禁欲的な教育作用にあったが、Wesleyもいっているように、
それが経済上の影響力を全面的にあらわすに至ったのは、普通には純粋に宗教的な熱狂がすでに 頂上を通り過ぎ、神の国を求める激情が次第に冷静な職業道徳にまで解体しはじめ、宗教的根基 が徐々に生命を失って、功利的現世主義がそれにかわるようになった時であった。したがって、
Weberはこの論文の末尾の箇所で、「近代資本主義の精神を構成した要素の一つすなわち職業観 念を基礎とする合理的生活態度が、キリスト教的禁欲(diechristlicheAskese)の精神から誕 生したことを論証する点にあった。読者はここで今一度、この論文で引用したフランクリンの小 論を読み返して、その箇所でわれわれが『資本主義の精神』と呼んだあの精神的態度の本質的要 素が、さきにピュウリタンの職業的禁欲の内容として析出したものと同〜であり、ただフランク リンの場合には、宗教的基礎付けがすでに生命を失って欠落しているに過ぎない、ということを 見極めてほしい」(52)と主張している。
要するに、Weberは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という論文において は、近代資本主義産業における経済主体の大部分がプロテスタントであって、近代資本主義はプ ロテスタンティズムの色彩が著しく濃厚であるという事実に着目し、プロテスタンティズムの禁 欲的職業倫理と資本主義の形成との間に深い因果関係の存在することを、上述の如く禁欲的プロ テスタンティズムー‑近代経済のエートス、という一面的因果関係の分析を通して見事に探し当 て、禁欲的プロテスタンティズムの諸派の栄えた地方つまり西ヨーロッパおよびアメリカ合衆国 においてのみ、近代資本主義の精神が成立したと解するのである。
次いで、Weber自身が「プロテスタンティズムの諸宗派と資本主義の精神」(Dieprotestan‑
tischenSektenundderGeistdesKapitalismus)という論文は、上述の「プロテスタンティズ ムの倫理と資本主義の精神」という論文を、「補うもの」であると記しているけれども、(S3)その 補足論文へと眼を転じてみよう。さて、この論文は1904年にWeberがアメリカ旅行(夏世界科 学者会議に招かれて渡米、年末帰国)で得た体験や観察の圧倒的な印象の下に所説を展開してい るところに、小論文ではあるが説得力があろう。すなわち、幾分説明を加えれば、Weberは一 方で量的のみならず質的にも秀でた宗教的国土のアメリカ合衆国にあって、20世紀初頭までクェ イカ一派やバプティスト派などに代表されるプロテスタンティズムは、ヨーロッパのような「国 家教会」(Staatskirche)としてではなく、優れて「宗派」(Sekte)の形態をとって普及した、
とみなすと同時に、他方で、19世紀半ばのアメリカ合衆国では公的には何らかの宗派に属きぬ人 口が約6%に過ぎなく、しかも、それに属することから生ずる経済的負担をみれば、ドイツ系移 民の労働者の場合年収1,000ドルのうち80ドルが教会献金であって、それは今日ドイツ労働者が これだけ負担できるとは、到底信じられないほどの高額であった、と主張する。では何が今述べ た後段の部分を可能ならしめたであろうか。彼の答えは次の如きものである。つまり、正にアメ リカ合衆国では宗教の主要な形態が「教会」(Kirche)ではなく「宗派」だからであり、しかも それが「普遍的」(universa一)でなく「排他的」(exklusiv)だからであり、そして、この「排他 的」であることこそ、あらゆる生活諸条件の変化にもかかわらず、内的・外的に一定の優越性を 圃持し得たのである、(54)と。このように禁欲的諸宗派の一員であるためには、人は宗派成員と
60 小笠原 臭
しての特質の所有を神の前で「証明」するばかりか、さらに仲間の前で不断に「証明」しなけれ ばならないという社会的圧力の下に置かれていたことが、Weberによって解明されたのである。
それ故、この論文における彼のいう「宗派」は正に宗教生活と経済生活の結び目であり、かつ資 本主義精神陶冶の場であるといえよう(55)
。
続いて、ここで次節‑の橋渡しの意味を込めて、ドイツの神学者ErnstTroeltsch(1865‑
1923)が、1912年に1,000貢に及ぶ文字通りの大著『キリスト教会および諸分派の社会理論』
(DieSoziallehrenderchristlichenKirchenundGruppen)を公刊しているが、この著物に ついて一言付言しておきたい。それというのも、Troeltschがこの書に関する研究を開始したこ とが、僚友であるWeberをしてプロテスタンティズムに関する研究の続行、否もっと厳密にい えば、信徒の秘密集会(Konventikel)から国家に至るまでの諸社会集団の組織と機能に対する禁 欲的合理主義のもつ役割、精神文化財に対する禁欲的合理主義の関係、さらにはプロテスタンテ ィズムの禁欲そのものがその生成と特性とにおいて社会の文化的諸条件特に経済的諸条件からい かに影響されたかなど、を明らかにしようと考えたが、(56)それを取りやめる理由にもなったほど であり、(57)したがって、Weberにおける「プロテスタンティズム論」放棄から、Troeltschの この大著はWeberの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(「プロテスタンティズ ムの諸宗派と資本主義の精神」をも含めて)の発展として定位されよう。換言すれば、未完の「プ ロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の続編が『キリスト教会および諸分派の社会理 論』であり、それ故、Weberの同論稿はTroeltschのこの著との一体において理解されるべき であろう。さらに、Weberによるその後の宗教社会学的研究の展開が、みずからの体系をいわ ば「水平的」に‑少なくとも地理的・空間的に‑発展させたものであるとすれば、Troeltsch によるこの補完の作業は、Weber体系に「垂直的」な‑あるいは歴史的・時間的な‑発展
を与えたものといっても差し支えないであろう。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精 神」は、著者自身のライフ・ワークにおける主要テーマ、つまり「西洋文明の特質把握」に対す る「序論」として定置付けられる運命をもったとみなされるが、逆説的にいえば、Troeltschの
『キリスト教会および諸分派の社会理論』の出現が、Weberをしてキリスト教プロパーに関す る研究から一切解放せしめ、むしろ自由にその後の広汎な研究を推進することを可能とせしめた とも考えられよう(58
。)
IVMaxWeberの宗教社会学(2)「世界諸宗教の経済倫理‑
比較宗教社会学試論」および「宗教社会学‑宗教的共同体関係の 諸類型」‑
さて、キリスト教とりわけプロテスタンティズムプロパーに関する研究から解放されたMax Weberは「世界諸宗教の経済倫理‑比較宗教社会学試論」(DieWirtschaftsethikderWelt‑
rehgionen:Verg】eichendereligionssoziologischeVersuche)および『経済と社会』のなかの第Ⅱ 部第5章「宗教社会学‑宗教的共同体関係の諸類型」(Religionssoziologie:Typenreligioser Vergememschaftung)においては、世界の諸宗教を広く取り上げ、さきにBendixが指摘した 三側面の研究を綿密に行っている。まず、前者すなわち「世界諸宗教の経済倫理‑比較宗教社 会学試論」という論文においては、儒教(KOnfuzianismus)、道教(Taoismus)、ヒンドゥー教 (Hinduismus)、仏教(Buddhismus)、そして古代ユダヤ教(DasantikeJudentum)等の世界
の諸宗教を経済倫理の観点から検討し、また各宗教とそれらに国有の社会層(soziale Schichten) との相互連関についても具体的かつ歴史的に考察し、さらにはキリスト教、仏教、ヒンドゥー教、
儒教等々の宗教を発生し発達し維持せしめたそれぞれの社会構造に鋭い分析のメスを加えている。
そして、それらの内容を『宗教社会学論集』第1巻の後半と第2巻および第3巻において詳述し ており、原書でも1,200頁足らずに及んでいる。次いで、後者つまり「宗教社会学‑宗教的共 同体関係の諸類型」という論文も、その遺著『経済と社会』の第Ⅱ部第5章に挿入されていると はいえ、原書で140頁足らずに及ぶかなり長い論文である。そして、ここでこの論文の構成につ いて一瞥を与えておくと、この論文は大きく二つの部分から成っている。すなわち、第1節から 第7節までと、第8節以下第12節までである。そして前半はさらに三つに分けられる。まず第1 節から第3節までは宗教の合理化ということの意味内容の確定である。次いで第4節から第6節 までは宗教の合理化の担い手となる三つの要因について、予言者(Prophet)、祭司(Priester)、
平信徒(Gefolgschaft)の順で考察されるQ 続いて第7節において社会層と信仰内容との適合関 係が分析される。以上の分析を踏まえて、後半においては宗教倫理そのものが考察の対象とな る。具体的には第8節では神義論(Theodizee)が、第9節においては神義論の根本をなす解説 (Erlosung)と再生(Wiedergeburt)の問題が取り上げられ、第10節では解説の諸相およびそ れが生活態度に及ぼす影響が論ぜられる。そして第11節においては宗教倫理と現世との原理的相 魁が各価値債域にわたって追究され、最後の第12節ではこの相魁が代表的な文化宗教(Kultur‑
religionen)において、どのように合理化されているかが総括的に分析されている。そこで、本 来ならばWeberの「世界諸宗教の経済倫理‑比較宗教社会学試論」および「宗教社会学‑
宗教的共同体関係の諸類型」の二論文における極めて含蓄のある所論を、できるだけ詳しく記述 すべきであるが、残り少なくなった紙数の本小稿ではそれはとても不可能である。それ故、かか る点の考察は他日を期すとして、ただ本稿では彼が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の 精神」および「プロテスタンティズムの諸宗派と資本主義の精神」で論証したところの、いわゆ る「禁欲的プロテスタンティズムの諸派の栄えた地方、つまり西ヨーロッパおよびアメリカ合衆 国においてのみ、近代資本主義の精神が成立した」というテ‑ゼを、いわば間接的に証明すべく、
「なぜ近代資本主義(したがって近代資本主義の精神)は、西ヨーロッパおよびアメリカ合衆国 以外の地域では成立しなかったか」を論究している箇所のみを、幾分吟味検討することでとどめ ておきたい。
まず、 Weberが資本主義は西洋(Okzident)以外には成立しなかったという場合、東洋 (Orient)それも主として旧中国(ここでは1949年10月北京を首都とする中華人民共和国が成立 し、毛沢東が主席となった中国を新中国という意味で、それ以前の中国を旧中国としておきた い)とインドとに分析の矛先を向けていることは、 「世界諸宗教の経済倫理‑比較宗教社会学 試論」を検討する際、ほぼ19世紀末葉から20世紀初頭にかけての西洋と東洋の文化の比較から始 め、そして文化のあらゆる領域において両者の差異の最も根幹的なる点はいわゆる「合理主義」
(Rationalismus)の、そしてまたその最も典型的なる「われわれ近代生活の最も典型的なる力
・資本主義」 (die schicksalsvollste Macht unseres modernen Leben: der Kapitalismus)の 有無である、(59)といっているところからもある程度推測されるけれども、さらに「儒教と道教」
および「ヒンドゥー教と仏教」のタイトルを掲げて、さきの合理主義そしてまたその最も典型的 な資本主義の有無を論究しているところからも一層容易に判断される。しからば彼は具体的にど のような主張をしているであろうか。
62 小笠KA 央
そこでまず、東洋人一般の自己意識の欠如したがって著しく形式道徳的な儀礼主義、倫理生活 と営利生活との不一致から来る精神生活の二面性‑いわゆる「対外道徳」(Aussenmoral)と
「対内道徳」(Bmnenmoral)との分裂・併存の状態‑等が典型的な精神構造として挙げられ る。そして、このような東洋人の精神構造の基底には、いうまでもなく近代西洋の「資本主義の 精神」がそこから極力自己を分離し、絶嫁しようとした一切の伝統的な生活関連そのものが介在 しており、そこには伝統の枠内にあってただそれに順応して生きる安易な生活態度がみられる。
次に、東洋においては禁欲主義的職業倫理がいまだまったく成立せず、営利活動は倫理的に無視 され蔑視され洩民階級に任され、いわゆる「洩民資本主義」(Paria‑Kapitahsmus)あるいは単 なる「拝金主義」(Mammomsmus)が存在するのみであって、一般的には時間の観念を超越し た知足安分の思想が支配的である。これは一言でいえば、東洋社会に一般に認められるように、
いまだ近代資本主義社会に到達せざる身分制社会に停滞するものといえようし、ここで支配的な 精神は「合理主義」に対する「伝統主義」(Traditionalismus)にはかならないであろう。(60)と ころで、Weberによって認められた東洋社会一般のこのような伝統性・停滞性は、彼の宗教社 会学的見地からすれば、当然プロテスタンティズムわけてもカルヴィニズムの精神の欠如と東洋 の宗教の有する諸特質に求められるべきはずである。もとより東洋の宗教といえども彼が考察の 対象とした儒教、道教、ヒンドゥー教、仏教等々は、いずれもそれぞれ独立の宗教としての特色 を有し、これらを一律に捉えることの困難であることはいうまでもない。しかしながら結論的に は、これらの宗教のいずれにおいても、彼によれば前節で考察したようなプロテスタンティズム の精神が欠如している点で一致している、といわれる(61)
。
では具体的に、Weberの考察した順序にしたがって各国の諸宗教のなかから、まず旧中国の 儒教(KOnfuzianismus)と道教(Taoismus)から若干吟味検討してみると、儒教は現世肯定・
現実)IB応主義であるために、現世とその倫理目標との間にプロテスタンティズムのように分離・
対立を生じなかった。したがってそこには伝統主義・因習主義となり魔術性を残存するに至った。
また、儒教倫理はプロテスタンティズムのように超越的神と人間との関係に基づく超越性・彼岸 性を有しなかった。それは自然発生的な人間結合体の内部関係を律する内在性をもつに過ぎない ために、ピュウリタニズムのように峻厳なる倫理約・台理的要請をもち得なかった。かく.して Weberは生の合理化への儒教の影響力は弱いものとなった、(62)と解する。では彼は道教をどの ように把握するであろうか。まず、道教は老荘の神秘思想に起源を有するアニミズム的な神秘主 義であったが故に、まったく合理的要請を欠き、専ら魔術的非合理性の内容のものであった。次 いで、道教にあっては多くの塀憩的神秘と同様に現世に対する宗教的に動機付けられた能動的な 対立性を欠き、不老長生・神仏不死たることが要求されたし、ピュウリタニズムの如く一般に被 造物と神との対立・緊張も存在しなかった。さらに、老子にとっては人間の性は善であることは 自明の理で、それが出発点であったがために、現世無関心(Weltindifferenz)つまり無為はプ ロテスタンティズムにおけるように現世拒否(Weltablehnung)ではなく、現世行為の最小限化 であった(63)
。しかも、儒教的訓練を受け得たのは文書的教養をそなえた官僚層に過ぎず、旧中
国の一般大衆を現実に支配して来たのは道教であったがために、旧中国社会では高度の合理的内 容を有する近代科学・近代工業技術ならびに近代資本主義経済組織を受容するに足るだけの精神 的基礎を欠いていた。
次いで、インドのヒンドゥー教(Hinduismus)と仏教(Buddhismus)について吟味検討し てみると、まずヒンドゥー教およびヒンドゥ‑教徒についてWeberは次のように説明するOす