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― ― (聞き取り) 埼玉県熊谷市における子育て支援拠点の開設と展開

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はじめに

 本稿は,埼玉県熊谷市における主要な子育て支援拠点の開設の背景や展開について聞き取 りを行い,その内容をまとめたものである。本稿も,本誌所収の拙稿「立正大学社会福祉学 部子育て支援センターの開設と展開―初代センター長への聞き取り―」に続き,立正大学社 会福祉学部20周年記念事業の一環として,石橋湛山基金から研究助成を得た。

 熊谷市内で 3 つの保育園(なでしこ保育園,第二なでしこ保育園,第三なでしこ保育園)

を運営する社会福祉法人なでしこ会では,現在 2 つの子育て支援拠点(すずかけ,パーシモ ン)もあわせて運営している。子育て支援拠点の開設についてお話をうかがったのは,門倉 文子同法人理事長と,大谷光代第三なでしこ保育園園長である。

 聞き取りは,2016(平成28)年 2 月 9 日(火)に13時から14時40分まで,なでしこ保育園 に志村がお訪ねし,お二人にともにご同席いただいた上行った。あらかじめお尋ねする内容 をメモにて送付し,当日はメモをもとに進めた。聞き手は志村で,録音を行って後日志村が 書き起こし,文章を構成した。同年 3 月に 1 度大谷園長に確認していただいて修正を行った。

その後同年10月~11月にも,大谷園長とやりとりを重ねて修正を行い,完成稿とした。やり とりの過程で,補足として門倉理事長からご寄稿をいただいたので,本稿に収めた。

 一問一答の形式で進めたので,本稿はその雰囲気のままに構成した。インタビュー中,当 該法人内外でゆかりの方々のお名前に言及がされた箇所がいくつかある。本稿にお名前が掲 載されることについて,大谷園長からすべての方々に了承をとっていただいた。当該法人子 育て支援センターの初代センター長黒沢稔枝氏からは,志村との懇談を通じてご寄稿をいた だいた。これについても掲載した。なお,文中適宜( )で補った箇所は,志村による。

 内容に先立ち,以下に社会福祉法人なでしこ会の沿革をまとめる1)

*立正大学社会福祉学部子ども教育福祉学科

キーワード:埼玉県熊谷市,子育て支援拠点,聞き取り

埼玉県熊谷市における子育て支援拠点の開設と展開

(聞き取り)

―社会福祉法人なでしこ会の 2 拠点を中心に―

Establishment and development of parenting support hubs in Kumagaya City, Saitama

:Special focus on two hub facilities of the Nadeshiko social welfare corporation

志村 聡子

Akiko Shimura

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1964(昭和39)年 なでしこ保育園開園,社会福祉法人なでしこ会設立認可 1979(昭和54)年 第二なでしこ保育園開園

1990(平成 2 )年 なでしこ保育園改築,新園舎完成

1998(平成10)年  第三なでしこ保育園開園,子育て支援センター(のちに子育て支援セ ンターすずかけと改称)開設,一時保育開始

2009(平成21)年  なでしこ保育園新園舎完成(保育室増設,図書館・パーシモン新設),       

子育て支援センターパーシモン開設

1 .子育て支援センター(のちのすずかけ)開設まで 志村 本日はよろしくお願いいたします。

 子育て支援拠点のすずかけが平成10年 4 月に開設されたとのことですが,それは第三 なでしこ保育園開園と同時ということですか?

門倉 そうです。埼玉県では10番目,熊谷市では補助金で運営する第一号の子育て支援セン ターでした。当時は,子育て支援センターと言っておりました。

志村 熊谷市で第一号ということは,とても先駆的な取り組みだったのですね。

門倉 そうですね。熊谷市としても初めての取り組みだったと思います。ちょうどその年に 県内に 5 施設できまして,各施設に補助金,特別補助が1000万円出ました。非常にラッ キーだったんです。

志村 子育て支援センターの開設と第三なでしこ保育園の開園が同時ということですが,動 機としては,どちらが先だったのですか?

門倉 地域で子育て支援の取り組みがあちこちで始まっておりましたので,いくつか見学も して,いずれはやらなくてはという話はしておりました。それで,ちょうど第三(第三 なでしこ保育園のこと)を作るときをきっかけに,始めようということになりました。

なでしこに入園を希望してくださるのに入れない人がどんどん増えていたので,第一の 目的は定員増でした。とすれば,園舎の新築を考えなくてはならないので,子育て支援 センターへの取り組みも一緒に考えたのです。予定地が狭いのですが,設計士さんと相 談の結果,支援センターは 3 階にあげることにして,必要なスペースの確保ができまし た。

 日頃の保育の中で,不安を抱えるおかあさんたちが,確かに増えてきたととらえてい ました。どういう支援をしていくかと考えることが多くなっていて,困っているおかあ さんたちへの支援ということも含めて,支援センターがほしいという考えは持っていま した。発達支援連絡会の発足も,支援センターを作ったことで始まりました。それにつ いては,以前から,あかしあ育成園2)元園長の早野真生子先生が,お世話になっている園 児を介して,保育を見に来てくださったり,いろいろお話ししたりする機会があったん です。なでしこ保育園の開園当初から,軽度の遅れやハンディをもった子どもたちが入

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園していましたが,そんな特別な子どもたちを保育する力が私たちには足りないので,

第三ができたら,「障害のある子どもたちの保育について勉強を深めましょう」と話して いました。第三ができて,専門機関との連携を始めるきっかけとなりました。

志村 あちこち見学なさったとのことですが,どちらに行かれましたか?

門倉 一つは,東京都江東区「みずべ」です。埼玉県の所沢にも行ったように記憶していま す。それから県南部も。 3 つくらい見たと思います。

志村 全国で先駆的な試みを見たのですね。

門倉 支援センターをやろうという話し合いの中で,やっぱり,何をするのか見てこようと いうことで,行きました。見学した支援センターの先生方から,困っているおかあさん たちとか,子育てが非常に苦痛なおかあさんの話をうかがって,おかあさんたちに視点 をあてて見るようになりました。

志村 子育てが苦痛なおかあさんたちというのは,保育園に子どもを預けに来ているおかあ さんたちですか?

門倉 保育園に子どもを預けに来ているおかあさんたち以外ですね。保育園に来ている人は,

職員との連携もでき,仲間もできますから,意外に明るくやっているんです。やっぱり,

家庭で一人でいるおかあさんたちの気持ちが,気になるようになりました。

志村 保育園では,それまではご縁のなかったおかあさんたちですね。

門倉 保育園に来ているおかあさんたち以外に,支援が必要なんだということをだんだん感 じてきたんです。

2 .子育て支援センター開設後の展開

志村 第三と子育て支援センターを作るときに課題意識が重なって,さらに発達支援連絡会 の発足に繋がったのですね。

門倉 支援センターができて,そこでいくつかの事務局を引き受けたことによって,障害児 保育に関して,熊谷市のいろいろな連携が少しずつできてきたように思いますね。 1 つ は,厚労省の子育て基盤事業の補助金をいただいたところから,巡回指導が始まってい ますし。その事務局を支援センターで引き受けてきました。それと,発達支援連絡会の 事務局も引き受けていますし。

志村 支援センターの発足後はどうでしたか。

門倉 子育て支援センターができたと同時に,わぁーと質問とか電話とか,毎日毎日たくさ ん来て追いかけられて大変だったんです。反響が大きかったですね。電話相談もじゃん じゃんじゃんじゃん,かかってきて大変だったようです。実は,昨晩初代支援センター 長であった黒沢稔枝さんに話を聞いてきたんです。そうしたら,開口一番,「私は苦情係 だったんです」と。「苦情係ってなあに」って言ったら,それまでいろんな悩みを抱えて いたおかあさんたちが,一気に押し寄せたと。そして,子育ての悩みやストレスを訴え

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てきた。それを,一人ひとりに対応したという。彼女はそれを「苦情係」と表現したん ですね。目の前で,虐待と思えるような言動を見ることもあったそうです。とにかく,

おかあさんたちはこんなに大変なんだということが最初にわかったと。で,一人ひとり 問題があると思われるおかあさんたちに対しては,市の保健センターと保健所と,もう 一か所と連携をとったんだけれども,難しい問題をもつおかあさんたちを受け入れてく れたのは,保健所だけだったそうです。で,それに対しては,保健師さんたちがずいぶ ん関わってくれたそうです。とにかくひとしきり大変だったということですね。暗中模 索の状態が 3 年近くかかったようです。

志村 大きな反響が 3 年続いたのですね。

門倉 来所する人たちに向かい合う中で,とても上手に子育てをしている人たちをリーダー に育てていく,要するにボランティアを育成していくのに 3 年かかったということもあ ります。だから,いろんなおかあさんたちが入ってきた中で,そのおかあさんたちの力 をうまく生かして,新しく入ってくる人たちの指導にあたってもらったり,グループで 一つのテーマを話し合ったり。とても大変でしたね。私も保育園の方で忙しかったので,

任せっぱなしのところもありました。その時の担当が黒沢と川野真理先生(旧姓押野見)

でした。川野先生には,なでしこ保育園で 5 年間保育を担当したあと,支援センターに 入ってもらいました。約 7 年間担当してくれて,事情でお辞めになりました。当時,話 を聞くというのを普通の保育士では慣れていなかった。ところがこの川野先生は,最初 からよくおかあさんたちの話をよく聞いてくれた。それで大変助かったと黒沢が話して いました。ピアノもうまい,歌もうまいので,子どもたちに手遊びを教えたり,ピアノ を弾いたりする場面で,とても技術的に上手なので助かったそうです。

志村 それと,黒沢先生ですね。

門倉 そう,彼女も話はうまいですね。説得力もあるし。彼女は30年以上なでしこ保育園に 勤務した,なでしこの主任保育士だったんです。実は私のいとこなんです。支援センター の方まで加えると40年ですね。実は,支援センターを始める前に,支援センターの準備 として,いわばリハーサルみたいなことで,第二なでしこ保育園の 0 歳児保育に入って,

一からやり直し,おかあさんたちとも付き合い直しと,半年くらい取り組んだんです。

そんな中,体調を崩して,「仕事に復帰できない」と言っていたのですけど,「復帰しな きゃだめ」と言って来てもらいました。その後,復帰するまで心身ともに大変でしたが,

元気になりました。そして,平成10年 4 月に第三が開園になって,子育て支援センター の所長として再雇用,再就職したんです。で,そこで大変なことが始まったんですけど。

大谷 今,彼女はくまっぺのある子育てネット熊谷さんの代表理事です3)

志村 体調が悪い中ではあったけれど,お仕事に復帰されて,黒沢先生としても,新しい境 地を開いたのですね。

門倉 彼女も大変でしたが,よかったんだと思います。で,川野先生がお辞めになったあと,

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薗田律子先生が入りました。

大谷 薗田先生は,もともとは支援センターの利用者だったんです。

門倉 そう,利用者の中から,資格もありお力もあるので,職員として入っていただきまし た。

志村 では,なでしこの保育から,子育て支援に入られたわけではなかったのですね。

大谷 もともと,幼稚園の先生だったんです。

志村 ほかの先生方については。

門倉 それと,矢田喜美枝先生です。なでしこの主任保育士でしたが,体調のこともあり,

現在は,都合のよい時に来てもらっています。それから,元なでしこ保育園の保育士だっ た河邉陽子先生です。なでしこで19年保育を担当してきた方です。平成26年度の 3 月に 事情で退職なさったんですけど, 1 年経った時に就職を考えているという話を聞いて,

支援センターに入ってもらいました。

大谷 ありがたいことに,戻ってきてくれましたからね。支援センターの働き方というのは,

保育園と違って,ゆるやかに働けるので,そういう意味でも,私たちは小さい子どもを 持ちながら復帰してきた人にはいいので,勧めているんですけどね。

門倉 何か,特別な思い込みがあるらしくて,皆がいやがるんです。

志村 左遷ととらえる向きがあると聞きました。

大谷 そうそう,うちの場合は持ち回りで動かすんじゃなく,支援センターは支援センター でというような位置に,今なってしまっているので。そういう嫌いがあるのかも知れな いですけども。まあ,こういう異動をするポジションをちょっと空けておければね。復 帰して 1 年目はそこにいて,ゆるやかに復帰していくというね。

門倉 そして,おかあさんたちの状況も勉強できるんですね。

大谷 お互いに,いいと思うんですけどね。まだ,なかなかそういうケースはないです。そ ういう復帰の仕方もいいですよね。

3 .子育て支援センターと他機関との連携

志村 あとは,開設した当初の話として,何かございますか。

門倉 あと,特に一番大変だったのは,連携。専門機関との連携をとるのに,黒沢は汗をか いてました。例えば,ある神経科のクリニックの先生のところまで行ってきたと言って。

その行動力に驚きました。相談事業も同時に始まっていましたからね。電話相談だけじゃ なくて,実際に面談で来る人もいました。あとは,どんぐり相談という,臨床心理の先 生をお願いして相談事業が始まったのですが,今は NPO 法人なでしこ保育研究所の事 業として,費用はそこが持って,継続しています。

志村 相談事業における他機関との連携ということですね。

門倉 そうですね,なかなか自分たちだけでは解決できないんです。そういう人材を掘り起

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こして,力になってもらうために,彼女はずいぶん苦労したと思います。で,市の保健 センターの保健師さんたち,通所施設あかしあ育成園との連携,特別支援学校の先生方 にも大きな力をいただいていますね。あとは,支援連絡会の役員とか,役員会の中から,

その先生たちが手を挙げてくださって。で,園児の就学先もそういうところで相談させ ていただいたりしていますね。

志村 子育て支援施設での連携が,保育園の子どもたちにも還元されるんですね。

門倉 園の子どもたちにも関係してくるということですね。で,支援センターで,巡回指導 とか,支援連絡会の事務局までやってるところは,ほかにはないんじゃないかと思うん ですね。これ,自分がやりたくても,任せていただけなければできませんので,ありが たいことです。だから,そういう意味では,私たちはずいぶん勉強させていただいてい ると思います。

志村 それは,なでしこさんの存在感の大きさですね。

門倉 スタッフがいるからこそです。園の保育の中で育ってくれたスタッフが,現場のおか あさんたち,子どもたちを見ながら考えてやってくれたことなんです。だから,それは,

非常に心強いし,やっぱり,地についた活動ではないかというふうに思っています。そ ういう中から,彼女たちは自分のつながりで人的な関係を作り上げていますね。どうい うときには誰がいいとか。何か問題が起きたらこうだよというような,そういう,私た ちが口出ししなくても自分たちで動ける能力が身に付きましたね。

大谷 平成10年の(子育て支援センター)開設当初の状態として,保育園は他機関との連携 はほとんど取っていなかったと思うんです。おかあさんたちが困っている状況に接して,

黒沢先生はやむにやまれぬ状況で連携を模索したんだと思います。ですから,今保育の テキストにあるような,横とつながりを持ちなさいとか,他の機能を持つところとつな がりなさいと言われることが,実際にここのあたりから必要になってきて,実際に黒沢 先生は肌でそれを感じて,これは一人で自分の手の中でどうにもならないもんだという ことで,連携を作り上げてきたんだと理解してますね。

門倉 自分で市役所に行ったり,保健所に行ったり,全部実際に動いてやってくれましたね。

やっぱり,そこの場所が機能する,うまく機能していくというのは,場所があって,人 材がいて,そして連携があって,そういうことだろうと思うんですね。そういう意味で は,長い間なでしこの中でみんな育ったんですけど,育った人たちがみんな外に出て,

そういう活躍を今はできるというか,その力はありがたいと思います。

大谷 保育園だけだったら,こういう展開にはならなかったですよね,この支援センターが あったから,連携が広がったと思うんです。

門倉 しかも,専門のそこの担当者が,きちんとした担当者が専従で問題を考えていくとい うことが重要です。ずっと一日,その問題を考えればいいし。途中の時間から保育に戻 るとか,そういう中途半端なのはちょっとなじまないと思います。

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大谷 子育て支援センターというのは,来るおかあさんとの関わりで,さきほどみたいに問 題があればつなげる。そこで多分終わると思うんですけども,黒沢先生がやってきたこ とというのは,なにか,つなげるだけじゃなくて,次にそこから何を自分たちが学んで いくか,というか,学びの場を作っていったというのはすごいですね。

門倉 おかあさんたちは,子どもたちが幼稚園や保育園に行って,手が空いたらボランティ アで来てくれるんですよ。その人たちが,自分たちで一生懸命お手伝いしてくれる。そ ういう中で,次に発展させてくれていますね。それは,地域の中の大きな力だと思いま す。なでしこの保育園を卒園したのじゃない,ほかの幼稚園を卒園したお子さんのおか あさんが,支援センターつながりで事務採用で入ってくださったり。

志村 先ほど専門機関との連携という話がありましたけれども,本当に難しいケースに接す ることになるというのは,始まる前はあまり実感はなかったでしょうか。

門倉 なかったですね。非常に根が深くて,やっぱり私たちだけではどうにもならないとい うことってずいぶんあったと思います。心配で心配でしかたなかった方のことも思い出 されます。

大谷 うちは,子育て支援で来ていた親子さんで,心細そうな方はお子さんを保育園に入れ るように促してましたね。年少さんとかだったら,お互いそんなに負担も多くないです し。

門倉 直接関われるように,職員が面倒みるようにすると,親の気持ちが楽になりますね。

大谷 そういうおかあさんたちは,子どもが入園してからも自分は 3 階の支援センターに行っ たりして。

志村 子どもたちは保育に入っていて,おかあさんだけ, 3 階へ行くのですか。

大谷 預けたら 3 階に寄って。ちょっと話をして,帰っていくんです。

門倉 ある女の子は,自分は子育て支援センターに行きたいのに,ママにとめられていたと いうことがありました。

大谷 支援センターを卒業して保育園に入ってくる子は,支援センターが心の支えになって たりすることがあるんですよね。

門倉 知ってる先生がいるっていうのは,心強いものですからね。

志村 では,物理的な環境で,何か大切になさったことはありましたか。すずかけには,畳 がありますね。

門倉 そうね,畳は落ち着きますかね。だから,支援センターの中に畳があるっていうのは,

いいですよね。おかあさんたちが何となく落ち着かない,何となくそわそわするという ときに,畳に座って向かい合うというのは,ほっとするんじゃないですかね。

大谷 動き回るところと,静かに過ごすところを分けるという意味で,床の一部に畳を置い ています。

門倉 小さいお子さんを連れてるおかあさんも,畳のところにいて,そこに置いて,目の前

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で動いているのを見ながら,ほっとできるということもありますよね。まあ,それは,

床だって変わりないですけどね。

大谷 多分あれは,年齢的なものを考慮したものだと思います。小さい子はこっちでねとい うことを,物理的に分けることも目的の一つだったと。

門倉 あとは,私が考えたことは,家庭で用意できない玩具,例えば木のおもちゃなんて,

なかなか買えない。それから,知らない。やっぱり,おもちゃと絵本はしっかり揃えま したね。落ち着ける家具と,家庭では揃えにくい玩具を揃えました。で,やっぱり遊び の中心は,絵本をメインに考えましたね。だから,比較的絵本はそろっていると思いま すよ。読み聞かせのボランティアさんも育ちましたね。おかあさんの中には,支援セン ターのボランティアをして,気持ちを落ち着かせた人もいますね。

4 . 2 つ目の子育て支援センターパーシモン

志村 子どもたちのために,というだけじゃなく,おかあさんたちのための環境でもあるん ですね。パーシモンはどうですか。図書館を核にしていますね。木造で,贅沢ですね。

門倉 設計士の方が,敷地の状況に合わせた設計をしてくれました。図書館の中にある階段 は,そこで読み聞かせもできるし,あの階段の高さが,絶妙なんです。いろんなものを 手がけていらっしゃる方で,目的にあったいい設計をしてくれるんです。

大谷 買い足した敷地が低かったから,それを低いところにあわせて,図書館を降りるとい う構造を考えてくれました。

志村 ベンチみたいな感じで,座るのにもいいですね。

門倉 そうでしょう,ちょっとお話し会とか,そういうときもいいですしね。

志村 パーシモンは,地域に開かれた図書館を核にした子育て支援センターですね。

門倉 実は,図書館までできる予算がなかったので,資金では骨を折ったんです。主人が遺 してくれたものと,私の持ち物全部はたいてやりました。まだ借金を自分で返していて,

ちょっとつらい部分もあるんですけど,あれはやってよかったです。あとじゃできませ んよね。園で図書館を持っているところ,少ないですもんね。建物とか施設を作るとき というのは,やっぱりタイミングがあるんだなと思いますね。

大谷 理事長は,パーシモンの図書館にはかなり思い入れがあるんです。

志村 理事長のお連れ合いで,亡くなった門倉新先生の思いも生かされているのですね。

門倉 そうなんです,そうなんです。図書館のこと,「どうすんだ,金を」と心配していまし たが,「何とか借り入れでやっちゃいましょう」と言ったら,「そうか,やるか」と。

志村 お二人の思いが詰まっているのですね。

門倉 ええ。ここのなでしこ保育園の園舎に,小さい部屋で図書室があったんです。でも手 狭になって,20年来「図書館がほしいんだよね」と言い続けて来たんです。やっぱり,

思い切ったことをやるのは,本当,タイミングですね。

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志村 今度は,保育園の子どもたちも,パーシモンの図書館へ行って本を借りるのですね。

門倉 そうですね,本の貸し出しを手伝ってくれるおかあさんたちも作業がしやすくなりま した。園での本の貸し出しは,47~48年になりますが,年数が経ってみないと,成果は わかりませんね。なんでも時間がかかるものなんだな,一つのことを浸透させるのに は,っていうふうに思いますね。

大谷 パーシモンは,親子さんの絵本との出会いの場になってますね。

志村 パーシモンの開設の背景には,図書館を作りたいという思いもあったのですね。

門倉 それともう一つは,第三の支援センターが,実は利用者が多くて大変だったんです。

2 歳を中心に, 2 歳 1 歳でいっぱいで,小さい子が入れなくなってしまっていた。走り 回る子どもが多くいて,小さい子を床に置けない。そういうこともあって,小さい子は 別がいいんじゃないかと考えたんですよ。だから,今では,向こう(すずかけ)は普通 の支援センター,こっち(パーシモン)は乳児向けというふうに分けています。

志村 パーシモンを担当しているのはどなたですか。

門倉 大関友子先生と須賀園子先生です。二人とも,なでしこの元保育士です。

大谷 その前に,開設当時に,立正のM 1 の院生さんたちに来てもらってたんですよ。大学 院は,夜からじゃないですか。みんな保育士資格は持っていたので。

志村 立正の院生がパーシモン開設時に関わったんですね。

大谷 ちょうどいいタイミングでした。立正の大学院生で来た 3 人は,本当に力のある人で した。

志村 そういう時代があって,大関先生に担当が移ったんですね。大関先生は,ここの保育 士だったんですね。

大谷 大関さんは,パーシモンの最初から開設に関わってくれました。院生がいなくなり,

また次の院生がいなくなりってなったときに,なでしこの同僚だった須賀さんに,大関 さんが声をかけた。で,他にもボランティアさんだった人に,スタッフとして入っても らったり。何かしら関わりがあって,その人となりがわかってから,スタッフとしてお 願いすることが多いですね。知らない方を面接していきなり,「じゃあ,支援センター に」っていうことはやったことがないです。保育だったらまだつぶしがきくんですけど,

支援センターって向き不向きってあると思います,保育の現場より。対子どもっていう より,対大人の場面が多いので。

志村 大関先生も須賀先生も,集団保育から離れて子育て支援を専門にしているのですね。

門倉 一度退職して,そのあと支援センターで採用した形です。

志村 すずかけさんの方は開設時から暗中模索で,パーシモンさんの方は,すずかけさんの 経験知を参考にして作ってきている部分もあるでしょうか。

大谷 黒沢先生が,すずかけの方のプログラムで大事にしてきたことって,おかあさんたち が繋がれるシステムを構築してきたことだと思います。それが「グループ子育て」であっ

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たり,サークル支援の強みであったり,そういうつながりを大事にしてましたね。で,

パーシモンの方は,同じものを作っても意味がないので,赤ちゃん専門という筋を通し ました。もちろん,それ以外が来てはいけないということはないんですけど,重点的に 赤ちゃんに来てもらいたいということで。発達段階で曜日を決めたり,そういう流れを 最初に決めました。で,おかあさんたちが望んでるものってなんだろうということを考 えてきました。でもとにかく,来てくれたおかあさんには,必ず関わろうねと。絶対に ひとりにしないで,来てくれたからには,必ず一日に一回は声をかけて話を聞きましょ うということを心がけて来ました。パーシモンの場合は,プログラム云々というのじゃ なく,いかに一人のおかあさんの話を聞けるかというところ,そういう場を作ろうとい うのを気にしてましたね。それから,妊婦さんに来てもらいたいねって,妊婦さん向け のプログラムを考えたんです。でも,妊婦さんは過去 2 人くらいしか来てくれてないで す。妊婦さんと何とかして繋がりたいなと,いまだに思ってます。

志村 パーシモンの方で,始めた時に大変だったことはありましたか。すずかけさんの方は,

先駆的なものだったので反響が大きかったとのことでしたが。

大谷 最初は,本当にもう,誰にも知られてないと言うか,開設したけど,「今日も来なかっ たね」というのが印象に残ってます。

門倉 すずかけには来るけれど,パーシモンには少なかったですね。

大谷 少なかったです。それが,今思うと功を奏したというか,来るとゆっくりできたとい うか。赤ちゃんならではの,環境でしたね。今は,利用者が増えてきまして,ごちゃご ちゃしてますけど。でも,赤ちゃんとおかあさんって,そんなに場所とらないんですよ。

最終的に20人来てても,みんなで輪になってコミュニケーションがとれる。室内はそん なに広くないんですけど,よかったかなと思ってます。

志村 誰も来ないところから,隠れ家というか,知る人ぞ知るみたいな形で少しずつ定着し たんですね。

大谷 そうですね。それで,口コミで広がっていったという。最初の頃のあの,のんびりさ かげんというのは,今からするとなつかしいですよね。焦ってましたけどね。どうすれ ばいいんだろうと。「今日もまたひとりだよ」とか。支援の本質は利用者の数ではないと 言いながらも,そもそも来てないんだから,そこの土台にも乗ってないよねというよう な反省をしながら,毎日どうしたら来てくれるんだろうねって。

志村 パーシモンが出来たころは,いくらか拠点もできていたでしょうしね。

大谷 そうですね,もうあの頃で熊谷市内に14~15拠点あったと思います。うちの次がべア リスさんくらいですね。

志村 そうですね。

大谷 利用者さんにわかりやすいように,パーシモンを卒業したらすずかけの方に行こうねっ ていう,一つのラインは引きました。

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5 .すずかけとパーシモンのこれから

志村 では,すずかけとパーシモン,それぞれできた時と変わったことはありますか。

大谷 多分,おかあさんが変わりました。すずかけ開設当初というのは,おかあさんたちの 自主サークルというのがものすごくあったんですよ。子育てネットくまがやさんもそう なんですけど,あれは,おかあさんのサークルがネット化されて集まったサークルなん です。そういう,おかあさんたちの力を,もしかしたら,そいできちゃったかなかなと いう懸念はあります。正直なところ,サービスと称して,いろいろな情報を与えたり,

手を貸すことが,おかあさんたちのエンパワーみたいなものをそいできちゃったのかも 知れない。だとすると,もう一度立ち止まって,考え直す時期かな。今,そういうター ニングポイントにあるかなと漠然と思ってます。おかあさんたちがサービス慣れしてい ますからね。

門倉 サービスのいいところに動きますよね。

志村 ニーズに応じて,子育て支援拠点を動くといえば聞こえもいいけど,悩ましいですね。

大谷 めんどうじゃないところに行ったりね。やっぱり,面倒なことをどんどん排除してま すね。世の中がね。でも,一方,すずかけもパーシモンも,ずっと,利用者さんから必 要とされているなというのは肌で感じます。それはすごくうれしいです。それは,一つ にはスタッフが変わらないということもいい点としてあるんでしょうね。ただ,来てく れる方には,いろんな支援はできるんですけど,どれだけの人が家から出られなくて困っ ているのか,現状がわからない。どうすればいいのかという方策もわからない。なので,

包括支援センターみたいな考えというのがどんどん広がっていくのだとすると,支援セ ンターの形がそういう方向にいくのかなと。でもそれは,包括支援センターだけでやる ことではないので,一番地域に根差したところでの情報の共有,それがすごくネックに なるかなと思うんですよ。今私たちがくまっしぇ4)で,行政とかなり密接に動いているん ですけど,それでも,例えば,この柿沼地区で今月生まれた赤ちゃんの名前を教えてく ださいなんて,絶対無理なんですよ。でも,それができたら,救われる子も救われるお かあさんもいっぱいいると思うんです。個人情報の保護という壁に阻まれていますね。

母子健にしても,私たちが 1 歳 6 か月健診とか, 4 か月健診だとかのところへ行って何 かできることはないのかとか,そういうことを問いかけてみても,やんわりと断られた り,それが現実ですね。これができれば,熊谷市全体で一つの包括支援センターになれ ますね。

志村 出かけてこれないおかあさんたちに接触しようと思って,いろいろと動こうとなさっ てるけれども,そこがうまく進まないというところですか。

大谷 方法すらわからない。まず,実態が把握できないんですよね。

志村 よく,ブックスタートという取り組みを聞きますが,方法としてはどうですか。

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大谷 熊谷市でもやってます。多分 4 か月健診のところでブックスタートをやってると思う んですけど。検査をしていく流れの一画で,多分あるんでしょうね,たぶん,母子健に 属する人なのか,保育士さんなりが,こう,おかあさんに紹介しながら,絵本を 1 冊読 んでくれるという感じなんでしょうね。そこに私たちを呼んでくれないかとお願いした ことがあるんです。でも,今は手が足りてますということで。例えば,そこで支援拠点 の人間がいければ。おかあさんて,顔と顔が繋がらないとだめなんですよ。匿名だとな かなか勇気がわかない。どこそこの誰べえという,お互いに名前がわかったり,ああ,

あのときのおかあさんねというのがあると行けるんです。だから,そういう意味で,く ま SUN フェスタ5)というのを最初は機能させてたんですけどね。

志村 母子センターの健診とかで,子育て支援拠点のチラシなどを受け取っても,なかなか 効果が期待できないということですか。

大谷 おかあさんたちも,見ないんですよね。

門倉 10数年前の会議で,出産のお祝いにおむつを配っていると聞いたので,それはちょっ ともったいないですよね,おむつは捨てちゃうものでしょと言うと,絶対必要なもので すって。で,同席した方と,絵本にしてくれって,他でもやってるところがあるからっ て,強引に押したことを思い出しました。それが,熊谷市でのブックスタートのはじま りでした。

大谷 あの,この前亡くなった,親から顔に熱湯をかけられた子どもにしても,健診に行っ てないんですよね。そこで行政が訪問して,問題なかったとかって言いますけど,健診 に行かない段階で問題があると思います。

志村 虐待ですよね。

大谷 そうですよ,関心がないんだから。そこでね。

門倉 しっかり家庭訪問すべきですよね。

大谷 家庭訪問の仕方なんですかね。おかあさんの気持ちに寄り添うような,訪問の仕方っ て難しいと思いますけれど,地域の支援センターにそういう情報を回してくれれば,こ う,やんわりとね,「遊びに来ない?」っていう話をできると思うんですよ。保育士なら ではの方法で。少なくとも,何か違う関わりが支援センターだったらできたんじゃない かなって。母子健だって児相だって忙しいんですからね。そういうところをどんどん分 けてもらって,連携について考えてほしいって思いますよ。来れないおかあさんたちを 救うっていうのを,私たちは考えなきゃいけないですよね。これは,すずかけ・パーシ モンだけの問題ではなく。

志村 すずかけとパーシモンの今後について,どのような展望をお持ちですか。

大谷 すずかけは,事務局の機能というか,熊谷市内で何かをまとめなければならないとい う機能は果たしていってほしいなと思います。

門倉 やっぱりね,お世話になっている先生がおっしゃったように,民間がやっている価値

(13)

というのがそこにあるということですね。やっぱり,子育て支援センターの中で,その 人件費を利用して,事務局の事務を担うということは,決して私は損じゃないと思いま す。それに,とても大切なことです。

志村 事務局というと,事務員の方がいらっしゃるのですか。

門倉 いえいえ,支援センターの 2 人 3 人が事務も担当するんです。まあ,一時なんですけ どね。例えば,巡回相談だと, 4 月の末に総会と説明会をやる。次には,巡回相談の具 体的な日程をお知らせして,そこで希望者があったら,各園に送ってもらう。それで今 度は,それを集めて先生方の来られる日をチェックしながら,それを合わせていくんで すね。ちゃんとコーディネートして,お宅は何年何月何日の何時に何先生がうかがいま すというのを出す。

大谷 発達支援連絡会の方は,今は年に 4 回から 3 回集まっています。

門倉 事務局を両方やってるんです。発達支援連絡会も,役員会やります,研修会やりますっ ていうのを必ずセットで出しますから,年に 3 回あるものでは 6 回,手紙が出るんです。

それで巡回相談は必要なところは総会に来ますね。公立も私立も。なるべく市の課長さ んに来ていただいて,ご挨拶していただくようにお願いしています。課長が出たのと,

やっぱり民間の園長が出たのとでは違うんですよ。取り組みは皆さん全部のものですよ という場合には,市役所の顏が必要なんです。それによって,皆安心して預けるという か。それだったら,それを市でやっちゃってくださいよと言うけど,そうはいかないん です。市がそういうことをやるのには,絶対一人いりますから,人件費が。だから,そ れは,なでしこがやっていくと。地域を背負って立ってるような気分でやらないと,で きないですけど,やっぱり,自分たちでがんばってるんだっていうことで。

志村 本当にありがたいことです。

門倉 あっという間に10数年経っちゃいましたからね。

大谷 17年ですね。事務局をやってることによって,いろいろな方との関わりがあるので,

すごいパイプができますので,それは本当にありがたいです。いざというときに,いろ んな方に助けていただけるという。

志村 子育て支援拠点の中での先生方は,保育の方に戻るというふうにはなっていないんで すね。

大谷 今のところ,なってないです。

門倉 職員は専任です。それに合わせた勤務体系です。

志村 保育所保育への還元ということでは,どうですか。

大谷 保護者支援という点では,なでしこの保育現場経験者が支援スタッフでいてくれてい ることにとても安心感を持っています。サービスではなく支える,というスタンスが保 育と保護者支援で食い違うことがあってはいけませんので。意識の共有という意味では 異動があるのも良いことなのでしょうね。しかし,これも普段から情報交換をしていれ

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ば解決できることかもしれません。

 保育所保育への還元からは少しずれますが,保育と保護者支援はお互いに持ちつもた れつっていうところがあるんですよ。いろんな講習をやるときに,お互いに,例えばわ らべうたを支援センターから保育士の方に教えに行くとか,あとは,支援センターの乳 児の講座に主任に来てもらうとか,あと,給食の先生に離乳食の話をしてもらうとか,

歯科のことを話してもらうとか,そういう関わりもあるんですけど,第三なんかは,特 に,すずかけで行っているどんぐり相談で実際に保育士も相談に行ってるし,あと,自 分のクラスの子のこととかも相談に行ってますし,かなりお互いに助け合ってると思い ますね。決して,なでしこにおいて,支援センターが一人歩きはしてなくて,一緒にやっ てますね。

門倉 それから,例えば,すずかけは事務局をやっている関係で,いろんな人の集まりがあ るんですよ。そうすると,手作りおやつのときには,ほとんどその人たちの人数も第三 で用意してくれてますね。いつの間にか,蒸しパンが出てきたり。

大谷 お互いに助け合ってますね。というか,無関心ではない。

門倉 集まりのときに,駐車場の案内に出ようか,とか。そういう連携もよくやってますよ ね。

大谷 ですから,お互いやってることを把握しています。今日は,何々だからこう動こうと か。お互いに,そのあたりは気にしてくれてますね。それはありがたいですよね。お互 いにわかってもらおうと努力はしてます。来月の予定ですって渡したりね。

門倉 ここは,第一があって,第二ができて,さらに第三ができて,常に 3 つの保育園が一 緒に動いてますから。そういう意味では,お互いにわかりあってるというかね。そこは 大きいと思います。

志村 こちらでは「親心を育む会」という組織の事務局もなさっていると聞きますが,その 取り組みと,子育て支援というのは,先生の中では何か共通のものがあるのですか。

門倉 「親心を育む会」は,特にその支援センターとの関わりということではなくて,保育所 保育の問題を語り合う会というのが,元にありました。もうだいぶ前になりますけど,

松居和先生が,県の教育委員長をなさっていた時期があって,その松居先生を囲んだ会 をしたりしています。保育所保育で困った問題をとりあげて,臨床心理の先生を呼んだ り,勉強会を月 1 回ずつ続けています。

大谷 私は,最終的には子育て支援の方にもつながると思うんですよ。松居先生は,この日 本の教育システムは,親と子を長時間無理やり引き離しているものだと。それは不自然 だと。特にこの乳幼児期においてね, 3 歳にも満たない子を長時間引き離すシステムっ ていうのは,おかしいんじゃないかとおっしゃるんです。そういう考え方をベースに,

親の様子ですとか,子どもの様子を考えていくと,支援センターって大事だなって思う んですね。事情が許すのであれば,支援センターを使いながら,「おかあさんがんばって

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ね,せめて子どもが 3 歳になるまでは」って。そういうことが言える環境が,ここには ありますよと伝えられたら,それは心強いですよね。支援センターが,子育てが負担に ならないための手伝いをできたらと思います。保育園の方でも,経済的な理由というの ももちろんあるんでしょうけれども,今はそれ以上に,おかあさんが長時間子どもと離 れたいという思いを持っているのを正直感じますので。「 0 歳から,1 歳からすぐに入れ たいです」という気持ちが強くあるようで。そんな中で,そんなおかあさんたちを支え る保育士も,疲れています。

門倉 おかあさんたちが子どもに関わりたがらないというのは,たいへんな問題です。それ は,子どもたちに大きな影響を与えていますよね。殺人など大きな事件があったときに,

容疑者の背景が報道されますが,容疑者もかつて子どもだったわけです。考えさせられ ます。

6 .くまっしぇについて

志村 熊谷市内19か所の子育て支援拠点,あるいは,くまっしぇについてのお考えはいかが ですか。

大谷 行政とつながるということは,ものすごく重要だなと感じてます。対外的なものもそ うなんですけれど,やってることの厚みが違ってくるんですよ。結果かも知れないんで すけど,共催で熊谷市と何かをやりますっていうと,それだけで,おかあさんたちに対 してもそうですし,他市の人に言うときにもそうですし,県の方にアピールするときも,

私たち民間の一保育士たちが,何か横に繋がったからって,たかが知れてたと思います。

ここに最初から行政がかかわってくれたことの幸運,それは今から考えてもありがたかっ たです。

志村 それは,人ですか,お金ですか。

大谷 人も,お金も。さらに,くまっしぇ立ち上げに関わってくれた課長さん,副課長さん がすばらしい方だったんですよ。

志村 くまっしぇという組織が,子育て支援の中で,取り組んでいる人たちの癒しというか,

リフレッシュ効果になっていると聞きました。他にも何かありますか。

大谷 心強いですよ,とにかく。商売敵っていうイメージはまるでないです。何か,困った ことがあったときには,この中で誰かに聞こうって思いますし。仲がいいですよね。案 外,窓際じゃないですけど,園内では左遷された地位みたいな感覚を持った方も中には いらっしゃったので,くまっしぇで救われてるスタッフさんは多いと思います。だから,

くまっしぇで横につながり始めたら,支援センター楽しくって,来年も希望出しちゃい ましたとか,そういう話も耳にします。

志村 くまっしぇに,課題はありますか。

大谷 やっぱり,さっき言った他組織との連携,母子健だとか児相だとか,そういうところ

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とちょっとでもつながって,少しでも頼りにしていただければ,私たちにもできること はもっとあると思いますし,待ってるだけの支援じゃなくなるかなと。ホームスタート とかって,今始まってますけど,なかなかあれを一支援拠点でやるとなると難しいです けれども,例えばくまっしぇ全体でああいう考えを展開していこうというのは,もしか すると他の機関の人の力を借りればできると思うんですよね。

志村 リスクもありますしね。また,出てこれないおかあさんへの接触をどう考えていくか というのが,大きな一つのテーマになっていくんでしょうね。では,行政のあり方とい うことでいうと,これまで通り,お金の支援も含め,現在のあり方を継続してほしいと いうことですか。

大谷 行政には本当に助けていただいているので。

門倉 支援してくださっているのが,ありがたいね。

大谷 毎月の会議にも必ず出てきてくれてますし。課長補佐の立場の方が来てくださってま すね。

大谷 母子手帳を配るときに,支援センターのあり方を伝える方法がもうちょっといい方法 がないかなと。チラシを配るだけじゃなくって。チラシは,多分,ワンセットの中にが ばっと入れてくれてるのではないかなと思うんですけど。

志村 さきほど,妊婦さんへのアプローチの話がありましたね。妊婦の間だと,まだ子育て への関心が持てないのでしょうね。

大谷 まだそういう気持ちにならないのでしょうね。ですけど,いざ生まれてから心細い思 いをすることのないようにね。支援してくれる人がいる人はいいですよ。本当にね。単 身で,ご主人と一緒に来て,昼の間ご主人がいない中で子育てなんていったらね。「子ど も・子育て支援新制度」が施行されたことで,支援拠点事業も多様化してきましたので,

これからもっとお母さんたちが使いやすい子育て支援拠点へ変わっていくと思います。

志村 長時間にわたり,ありがとうございました。

7 .ご寄稿

 聞き取った内容を書き起こし,原稿を整える過程で,聞き取りの時点で十分理解できてい なかった点について門倉理事長と大谷園長にお尋ねした。その流れで,門倉理事長より,ご 寄稿をいただいたので以下に掲載する。

【門倉先生からのご寄稿】

 子育て支援センターができて,そこでいくつかの事務局を引き受けたことによって,

熊 谷 市 に お け る 障 害 児 保 育 の い ろ い ろ な 連 携 が で き て き た よ う に 思 い ま す。

 一つ目は,平成11年 3 月に,障害児担当保育士が語り合える場を作りたいという動き でした。市内保育所保育園の有志,あかしあ育成園(障害児通所施設),熊谷市母子健康

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センター等の有志が集まっての会で,第三なでしこ保育園に開設された子育て支援セン ターを事務局としました。当初は,障害児担当者会議という名前でした。定期的に集ま るようになり,保育の中で感じた子どもたちのことを「それはある日のできごと」とし て綴り,みんなで読み合うという勉強会をしばらくやっていました。支援センターの中 で始まったこの勉強会から,「発達支援連絡会」という大きな会に成長しました。臨床心 理士や近くにある特別支援学校のコーディネーターの先生方,母子健康センターの保健 師等,専門の方々を交え,年 3 回の研修会を行っています(毎回50人ほど参加します)。

 二つ目は,厚生労働省の子育て基盤事業です。平成18年度と19年度はその事業の補助 金をいただいたところから,巡回指導が始まっています。その事務局も支援センターで 引き受けました。その後も現場の要望が多かったため,20年度からは前年度と同額の補 助金を熊谷市が計上し,公私立各園への巡回指導は 9 年目となっています。気になる子 どもが増え,保育現場では担当保育士が日々悩み戸惑うことの多い毎日でした。巡回指 導によって,関わり方の目安がついたことにより,子どもが少しずつ安定した生活がで きるようになったことは大きな成果でした。

 三つ目は,支援センターに主に県北部の保育関係者が月 1 回集まり,継続している勉 強会「親心を育む会」があります。アドバイザーに松居和先生(元埼玉県教育委員長),

原田壽子先生(立正大学名誉教授)をお迎えし,保育についての情報交換や研修会を行っ ています。子どものため,親子の絆作りのために保育園ができること,やりたいことを 会員みんなで知恵を出し合い取り組んでいます。親の一日保育士体験もこの会の中から 生まれました。

 原稿を整える過程で,志村は初代子育て支援センター長の黒沢稔枝氏と懇談する機会をい ただいた。ご寄稿をいただいたので,以下に掲載する。

【黒沢稔枝先生からのご寄稿】

 第三なでしこ保育園に子育て支援センターが開設されたころは,保育の現場で,保護 者の育児力の低下が気になり始めた時期でもありました。 3 歳児入園児の中に,おむつ が取れていない子どもや,哺乳瓶を必要とする子どもがいたのです。センターを担当し て,核家族化によって「たった一人での子育て」が進んできていたことに気づきました。

 子育て支援センターが開設されて,それをどう運営するべきかは難問でした。「子育て 支援とは何か」という問いについては,お母さんたちの声を大切に受け止め,学ばせて もらう中でそのヒントを得ました。お母さんたちと一緒に,居心地の良い場所づくりに がんばりました。なんと 2 年目から,口コミで利用者は年間9000人に膨れ上がり,受け 入れる私たちは倒れそうでした。

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 保育園内での理解を得る努力もしました。第三なでしこ保育園の 3 階にできた子育て 支援センターでしたが,どんなことが行われているのか見えないこともあってか,「 3 階 は何してるの」という声も聴いたように思います。「仕事してないお母さんていいね」

「仕事してない人に無料サービスなんて必要ない」,そんな声も園内にはありました。そ んな中,支援センター利用者と保育園児の交流,利用者の保育園給食体験,利用者への 看護師による夏冬に向けてのお話,時間差園庭開放,園内「気になる子ども」のための 支援センター環境の活用,利用者による保育園の行事(運動会,秋祭り,もちつき)へ の参加など,いろいろ行いました。そして,外部からの支援センターへの理解は早く進 みましたが,内部からの理解には時間が長くかかりました。子育て支援において,国は

「保育園の力を発揮してください」と言っています。後でわかったことですが,こうした 要請には,園全体を巻き込む事が不可欠でした。

 特に思い出される嬉しかった出来事として,熊谷市子育て支援拠点の連絡会であるく まっしぇの結成があります。たまたま懇意にしていた熊谷ドームの所長さんから,体育 館の利用についてお話をいただいたのをきっかけに,子育て支援拠点が集ってイベント を開催する運びとなったのです。それがいまだに年 1 回継続しているくま SUN フェスタ の始まりで,かつ,連絡会くまっしぇの結成にもつながりました。保育園に併設の子育 て支援拠点では担当者が孤立しがちですが,19拠点の若い方々が集って語り合う場が継 続していることは,本当に喜ばしいことと思っています。

8 .考 察

 当該法人の 3 つの保育園における保育については,以前から観察する機会をいただくなど して,ある程度理解していたつもりであったが,子育て支援の取り組みについて知る機会を 得られずに来た。このたび,聞き取りを通して 2 拠点の開設の経緯や展開,また人的資源の ありようについて知ることができた。わかったこととして,当該法人の子育て支援拠点は,

単体として存在しているのではなく,多様な資源との連関の中にあるということだ。その連 関は,関係者一人ひとりの努力によって形成され,今日に至っている。そしておそらくは,

「〇〇さんだから」「〇〇先生からの頼みだから」というような形で,名前のわかる者同士が 関係し合いながらその連関が持続しているのだと考えられる。当該地域で孤立する母子の支 援は,当該法人のネットワークの中で展開されている。支援スタッフが一人で母子に対応す るように見えても,そのスタッフは豊かな連関の中にあって,結果,自信と安定感をもって 母子に接することができると理解できた。

 その連関の内訳は,子どもの特別支援に関する専門性を有する関係者との連携,そのため の財源を得るための行政担当者との連携,ケアを要する保護者をサポートするための諸資源 との連携,子育て支援のスタッフをサポートする組織との連携,また,法人内の保育所保育

参照

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