常陸国における太閤検地の実態
山田哲好
はじめに
太閤検地についての研究は'一九五三〜四年にかけて'いわゆる「太閤検地論争」が展開され'その後も'近世村
落成立過程の問題と関連して'諸先学より様々な見解が出されてきた。しかしながら現時点での研究の成果を整理(1)Ltまとめることは決して容易なことではなく'いまだ解決されなければならない多‑の問題が残されている。(2)とりわけ'常陸国における太閤検地'及び近世村落の成立過程に関する論考は少なく'太閤換地に関しては'水戸
を中心とした茨城・那珂・久慈の諸郡(‑1佐竹領)を対象にしたものであった。そこで小稿では常陸国一国全般にわ
たる太閤検地の施行過程とその実態を検地帳の分析を中心に紹介しようとするものである。(3)H常陸国における太閤検地の施行過程(4)表1の年表は'常陸国において太閤検地施行年間(天正一〇年
〜
慶長三年)に実施されたと考えられる村を文献'及び史料に基き作成し'出典と検地帳の場合は残存状況を示したものである。これにより'換地施行年代は'文禄三
常陸国における太閤検地の実態(山田)五1
検 地 年 表
残 存 状 況 l 出
仝 8冊 ・写 浜田孝久家文書
全4冊の内 2冊 「土浦市史編集資料」 (第8編) 全 1冊 ・写
「土浦新領引渡帳
」B
(平沢村 結束庄左衛門家文書)
仝13冊の内 6冊 栗原義郎 1
家文書 .
「沢辺村長百姓七人統 之覚
」β
(御田寺義憲家文書) 鈴木政
之助家文書 全 4冊の内
左記 日付 の屋敷帳の
表紙が付せ られた 1冊
があるが内
容は田畑水帳 藤沢勘
兵衛家文書 仝 2冊 カ,
現存する検
地 帳(1冊
)は,元禄 11年土浦領
分 となった 際に.久松
家一族分を 改めたもの
で左記両 日
の改め 日付がある 久松
志治家文書
元禄4年 r明細帳
」A (
藤沢光家文書)
「県方集覧
」6 (
上境村酒井泉家文書)
沼 尻
隆
家
文書4 冊 l小神野藤右
衛門家文書
「田制考証」(「近世地方経済史料」第8
巻所収)I
4 冊 l酒井
治部家文書 全 6冊の内 1冊 本橋こと家文書史料館研究紀要
・郡名 村 名 年 代 政 地 車 二 行 新治 沖 宿 文禄
4 .3 .9 ‑1 4
田辺十郎右衛門 飯 重 圧 助
風祭太郎右衛
門 山 ‑浦 五郎七 神 立 文禄
4 .2 . 2 9 ‑3 0
(破損の為不明)
小 山崎 文禄
3 . l l . 2 8
田 辺 十右衛門 高 野 尊 拾 山 浦 ■弥 蔵 鳥 居 加左緒門 広 岡 (文禄年間)
坂 田 文禄
4 .2 .8 ‑1 8
田 辺 十右衛門 高 野 尊 拾
沢 辺 文禄
2 (3
の誤 カ) 田土部 文禄3 .
ll .2 ‑4
山 浦 弥 蔵 鳥 居 加左衛門 田辺十郎右衛門 高 野 尊 次 古 来 文禄
3 .
ll..晦 加 藤 彦右衛門青 木 勘左衛門 玉 勢 茂右衛門堀 田 長 六
島古来 文禄
3 . l l . 2 8 ‑
晦(同 上)
文禄(同 上)
3
(同 上) (結城様御代検地) 金 田 文禄3 . l l . 2 2 ‑ 2 7
青木勘右衛門尉 城 田 ∵長 六 玉勢代右衛門尉 加藤彦右衛門尉 花 宝 文禄
3 , 1 2 .2
上 宝 文禄
3 . 1 2 .3 ‑
7 青木勘右衛門尉 L 細 田 長 六 1玉勢義右衛門加藤彦右祢門大
史料館研究紀要弟1
0
号)五四残 存 状 況 ㌻典 出
仝 7冊 放浪大 佐 藤 茂家
二全 9破損大冊の内 :6冊 :.大 旦 正 文書
夫家文書 T県方
集覧
」6 1
2冊 .1写 田 上 伝左衛門家文書
「県万兵寛
」6
(同 上) (同 :上
)
:仝 1冊 清 水 昭 家文書 .
「田制考証」
「水戸市史」 (上巻)
・r安得虎子」 (東大史料編某 所).I i仝 1冊 文政6写
酒井林七家文書
会1冊 .写 福 田 姦
1 冊 .写 雄家文書
「土浦市史編集資料」 (第8編) 仝
5冊 広 瀬 正 碓家文書
:仝 6冊の
内 2冊 ・長 南 俊 夫家文書
全 6冊 一部破扱 ー酒 井 和
仝 9冊の内1冊の一部 「土浦市史編集資料」 (男家文書 第8編)
仝 5冊 . 南 貝 十 郎家文
仝 1冊 「土浦市史編集資料」 '書 (
郡名 村 各 年 代 検 地 p 二奉 1
玉取文禄
3 . l l .2‑早
、青木勘右衛 行門尉 掘 田 長 六
玉勢代右衛門尉
加藤彦右衛門尉 田 中 文禄
3 . 1 0
. 2 3
(同 ‑ 上)宇 野 文禄4 (結城様御代御検地
) 大 畑 文
禄 3 . 1 2
文禄3 (結城様御代
卸検地)
田 宮 (同 上) (同 上)
書 淑 文禄4 (大久保十兵衛様御検地)
筑汲 山 口 文禄 3.1
2
佐 竹 義 宣 立又左衛門打口
上 境 文禄
3 . l l . 1 9
青 木 勘右衛 門 城 田 長 六玉 勢 茂右禅 門 作 谷 慶長3以前 文
禄年
門カ) (佐竹奉行カ)
小 高 文
禄3.12.14 佐 竹 義一宣
永 井 文禄3
. 1
2.13 p (同 .信太 土 浦 文禄
4
.3.9 青 木 勘 上)右衛門 城 田 長 六
山 内 弥 作 加 藤 夢右衛門 'Ji 松 文禄4.3.
5
‑ 7 大 久 保 .十兵大岩田 文禄 4.3..̲
1 7
‑ 2 衛1 ・(同 上)
烏 1山
文禄 4.3.
2 3
‑ 28 (同 上) 宍 塚 文禄 4.
2
.24. ‑ (同 . 上) 矢作 文禄 4.2.、
6
⊥ 10永 国
文
禄
3.12.14 玉青 木勢 .勘右ノ儀衛門衛門 , 掘 田 ◆長 六.加藤彦右衛門
河内小野崎文
史料館研究紀要第一
〇
号残 存 状 況 . 出 典
‑「水戸市史」 (上巻) .∫
「水府恵料」(「茨城県 史料」琴世地誌編所収) 「田 制考証」「水戸市史」 (上巻)
・(同 .L 上 )
「水府志料」
(向 上)
「田制 ( 考証」
同 上)「水府志料」
「田制考証
「水戸市史」」(上巻)「田制考証」
(同 上)
仝 1
冊 .矢守.仁太郎家文書、E 「水戸市史」(上巻).̲ 五六年一〇月を最初に'同四年'慶長二年'同三年の四ヶ
年であることが明らかとなる。そこで検地奉
行を検討してみると'大きく五つのグループ
に別けられる。それはtu石田三成tfi佐竹義宣'伶大久保十兵衛(長安)、仙田辺十
右衛門等他六名'仰青木勘右衛門尉等他1
二名である。ここで..論を進めるにあたり'小稿に
おける太閤検地の分析視角に
ついて≡一口しておきたい。太閤検地を'仙豊臣直臣田による検地
㈲
豊臣直臣団が'自領内において伽と同様な方式で実施した検地
仙徳川氏等の大
名
が'自領内で全く独白の方法で実施
し
た検地(
./))以上の三つに分類
し
た。このうち'仙・脚は豊臣直:郡名 村 哀 二本 ∴ L化 二L検L ∴克 ,∴ 二層 ′行 革城
1
l那西台宿 文禄珂 き,ll ,I24 ‑
木琴下 慶長3.:I
牛丸兵左衛門
又 熊 慶長3
:、 (同 L 上)
・那珂 上河内 文禄3,ll.
壷o Lp 石 田 治部少輔 ' 石 神
文禄
3
.ll . I . I 9
(向 上) 栓 沢 文禄3.10.23 , 牛 丸 兵左衛門
屋島 苧 (同 上)
下中瀬 文禄3.10二29 石 田.‑治部少輔
久慈 松 平 文禄3.10.̲6 /
村 井 勝左衛門 .(藤 ,= 菅 沼 彦左衛門 林三石軍門配下カ)
久 米 文禄
3.10..7 石 田 治部少輔 和国 安.田 文禄
3.10.9 下野国 小 一深
文禄3,10.29 :I. 牛 丸 兵左衛門
茂木内 飯 野文禄3.ll.1※山尾の 他田,茂臥大関,出,飯田,大曽根,長 岡,塙瀬の8ケ村秀吉のもとで派遣されたも のである。肘の場合は'秀吉から直接の命
を受けたものではなくt.各々の大名が自領
内で実施した検地であるので純粋な太閤検
地とは言いがたい。「従来のように'単に
太閤検地施行年代に実施された換地という
ことだけで'太閤検地一般の政策基調論に解消さ
せてはならないであろう。ての分析視角によ
って'換地奉行仙〜付のグループを検討し
てみよ,つ。川の石田三成は'言うま
でもな.く秀書の直臣であり'したがって
彼の施行した換地は純粋な太閤検地であっ
て分類では仙となる。その地域は'佐竹氏
の本領であるところの久慈・那珂両部で'この検地出
目に基き、翌文禄四年六月'秀吉からの
史料館研究紀要、廃︼
〇
号妄八倒の佐竹義量の場合を検討してみると'筑波郡山口村'同郡小高村の検地帳の記載形式は'伽石田三成による検地
帳と同じで'石盛も1致する(山口村の検地帳だけに分付記載がある)。さら雪屋敷地にも等級がつけられてい,る
ことも一致する。当時の佐竹氏は'豊臣政権と密接な関係を保っていたことからも'秀吉の命を受けて'佐竹氏が独
自に実施した検地ではな‑'したがって分類では㈲となり純粋な太閤検地と言えよう。その地域は、本領より遠方の
筑波郡や下野国であり'石田三成が実施した地域とは対照的である。文禄三年の佐竹領の検地は翌年六月の知行割の
朱印状切前提となるも.ので,..この朱印状によ.Dt佐竹氏の領国統1が完成されるのである。朱印状で特に注目される
ことは;い義量の蔵人地は以前の凡そ10倍の10万石に増加したことと'これと引香に新たに豊臣氏の蔵人地が設定
されたことである。その地域は'前述したように佐竹氏の本領内でみる.なお'慶長二年'同三年の佐竹氏の直属家
臣による検地は'麦田検地という特殊な検地であるのと'新たな知行割の必要性から佐竹氏独月に実施した検地であ
るので、分類では灯に属すをものである。
樹の大久保十兵衛(長安)は'・徳川氏の地方支配の上で重要な役割を果す代官頭であり'したがって彼を奉行.とす
る検地は徳川検地で分類では灯に属するものである(因みに彼は前年の文禄三年には下総国で惣奉行として検地に臨(6)んでいる)。その地域は'信太郡が中心で佐竹氏1族の蔵人地が全く設定されていない地域である。.",ド(7)次に'紺・悦のグループは結城氏の家臣であることが史料的に判明する。
L
家康の天正l八年関東人封の際の知行割で'結城秀康は家康の努二子で秀吉の養子となっていたが'秀吉の命により関東の名族結城氏の跡を継いで結城に封
ぜられた。さらに慶長六年に越前に転封されるまで土浦城主をも兼ねていた。したがって結城氏は徳川氏の上級家臣
であるので矧と同様徳川換地であって分類では肋に属するものである。その地域は'土浦を中心とする桜川流域で'
やはり億竹武一鹿の属人地が設定されていないことは注目されよう.
ところで'天正一八年'徳川氏の関東人封の際の知行割で秀吉から与えられた領国は'後北条氏の旧領土であり'
常陸国では徳川領が存在しないことになるが'現実に徳川家臣団による換地が施行されていることから、土浦を中心
として新治・筑波・信太の各部に徳川領が複雑に入組んでいたと考・与hLれ'これらの各部が徳川氏と佐竹氏の領国の
接点であったと言えよう。
以下'それぞれの分類ごとに検地帳の分析を中心として検地の実態を検討してみよう。肖検地帳の分析とその検討
(11分類似=石田三成検地
(8)豊臣直臣田‑石田三成による純粋なる太閤検地帳は'現存するものは那珂郡上河内村一村だけである。当村は水戸
に近い那珂川流域の低地に位置する'田畑合わせて二〇町一反余'村有1九五石余の小村で'たびたび那珂川の氾濫
の被害を受けている。まず'換地蝦の表題と記載形式を示そう。・
文禄三年霜月廿日
常陸国那珂郡内上河内相和検地帳
石田治部少輔奉行
藤林三右衛門
やしきのうしろ下田十四間廿八間一反三畝二歩一石一斗七升六合介左衛門
常陸国における太閤検地の実態(山田)五九
同所上田 史料館研究紀要昇一
〇
号十三間升間ー一反三畝同所下々田五間六間1畝 一石六斗九升
七升 七郎四郎
太三
.衷 2 検地 帳分析表
′郡 村 名 二一L那 珂 郡、上 河 内 村
年 代 二文 ,.:禄∴ 串1 年
!
級 . 反 別 1936 畝. 丁 . 09一二‑屋 敷
肴 p無 1 計
・ % : :
冬 請
人 ーl JJ9872反町以上;,,V ‑ 2! 〜 1, 〜 9y ‑ 3町未満反 すLTu0 ll ̲1 1.ll
〜
8 ; r
11 ノ1 11 9.2.・6 0 .
」 7 JV 1 2
階 5 0 ;‑6 ケ
p4 I̲4
‑4 0 ‑ 5
/y 11 4 '5 89.7
磨 3 〟 〜 4 ■(y .5 15 2 // 〜 S P 15(6卜 15(6
) 義 :1 'V T 2 0 写1(
8)I.壷i8)
1 反
.未 満 3I(17. 31川 計
4 83uS). 87uS)
屋敷地名請人
%
4.6
<備考>
「水戸市史」上巻β作製入作2名は除く潔()内は武士的名前を 有するもの打出高195石004 田畑共に四等級で、小字名'竪桟の間数、一筆ごとの反別'分米'名
請人が記され、典型的な太閤検地帳
の記載形式をとっている。又'分付
記載がないのが特徴でありt.検地樺
は六尺三寸梓であったとされてい
る。そこで名請人の階層表を示すと
表2となり'名請人総数八七名は小
村にしては非常に多いことが特徴で
ある。この八七名の内'五反以下の零
細な名請人が七八名で全体の九〇%に
この家は後'庄屋になるいわば草分け的な農民であり'村役人として特権によって屋敷地を免除されたものであろ
う。又'名請人の名前に'弥四良・弥五良・弥八良・弥十良'二良衛門・四良衛門・五良衛門tというような同一家
族と考えられるものがみられ'その中の大多数は零細農民として名請されている.さらに'寛永年中の当村の冠数は
二一軒であると言われ'この検地帳に名詩された者すべてが一軒前の農民として自立経営が可能であったことは考え
られないLt他村からの入作者も少なくなかったとされている。しかしながら換地施行者の意図は'零細農民を一軒
前の自立小農民として公認しようとする'全国的な政策基調である小農民自立政策を箕徹しようとしたものと考えら
れる。I
切分類㈲=佐竹義宣検地
ここでとりあげるのは'筑波郡山口村で'翌文禄四年六月の知行割で佐竹義王の蔵人地とされた地域である。まず
換地帳表題と記載形式を示そう。
文禄三年拾弐月
常陸国筑波郡山口杵御縄打水帳
佐竹義宣奉行立又左衛門打口
やなき町十六問四十二間
九問四十二間 弐反四畝拾六歩三石壱斗八升九合加賀
壱反三畝廿四歩壱石七斗九升四合内膳
常陸国における太閤検地の実態(山田)