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福沢栄司

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福沢栄司

Deutsche Romantheorie vor der Wirkung Huets

EIJI FUKUSAWA

H. Jantzは「任意に択ばれた1600‑1700年というのは機械的で意味がない.なぜなら文学 的意味においても,芸術的意味においてもこの時代にはなにも始まっておらず,またなにも終

っていないのだから」と言う. 17世紀に入ってもHansSachsの5巻本が出版され,民衆本が 版を重ね,また16世紀後半にドイツ語訳の出たAmadis本も広く読まれており, 1668年にな

ってなおJohann Ristをして「Amadis本を読まぬと話上手にもなれなければ,上品な会話 も身につかないのだと考え違いをしない女性はなくて,だから彼女たちときたら自分の聖書や 祈蘭書よりもずっときれいな装丁をさせている.早晩Amadis本は聖書や祈癖書を彼女たち

の手から追い出してしまうだろう」と嘆かせるほどその影響は大きかった.こうした16世紀以来 の文学的伝統が,あるいは16世紀に端を発する活動が17世紀にあっても依然強く流れ,多くの 読者を獲得していたのは事実であり,その意味では16世紀と17世紀を画然と区別することはで きない.今日バロックという用語が時代概念としても,様式概念としても,その使用が意識的 に避けられたり,留保条件がつけられたりするのもこうした事情によっている.しかしながら 当時の翻訳家,小説家,および小説批評家の自負を支えていたものはそれぞれの論拠は種々異 なりはしても,中世後期の文学からの訣別の意志であり,伝統的散文を民衆本と呼び,自らの 文学をヌーボ・ロマンと位置づけようとする意志であったのもまた事実なのであるS.v.

Birkenは「ついにドイツはかような書物で母語を飾り始めたのだ」と『Aramena』の序文

で語っているし, M. Opitzも『Herzinie』の序で同様の発言をしている.また18世紀中葉に Zedlerはその著『Universal Lexicon aller Wissenschaften und Kiinste』の中で17世紀 の小説をそれ以前の散文とはまったく別に分類している.無論16位紀の文学と自らの文学を区 別する論拠は,例えば宮廷歴史小説が中世の韻文小説,中世後期の散文小説,あるいは民衆本 に抗して自らの立場を計り,神学教化的高位小説はアマディス本に抗して自らの立場を計ると いったように種々異なってはいるが,そのどちらもが自らの文学をドイツにかつてなかった文 学ととらえているのである.こうした当時の翻訳家,作家群の小説観が具体的に示されている

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180 惜矧b^^HH

ような詩論は多くない.詩論そのものは数多く出版されているのだが,そのほとんどが小説を 扱っていないのである.つまり当時の一般的文学観からするなら小説は文学にあらずというこ とであり,いまだ認知されていなかったと言える.図Iは17世紀における小説の数を創作,翻 訳の別に示したものであるが,本図申注目されるのは最初新訳点数の方が多く,やがて創作点 数がそれをしのぐこと,そしてその交代期が50年代にあることであり,もうひとつの特長は翻 訳と創作の点数を合わせたピ‑クは80年代にあるということである.このふたつの特長は小説 に言及している様々な著作の数についても言いうる.つまり創作が翻訳をしのぎだすころにな ると,小説に言及する著作が増えだしているし,また80年代にはいままで詩論中で扱われたこ とのなかったものが,扱われ始め,文学の‑ジャンルとしてとりあげられるようになっている のである.

詩論中で小説を論じたドイツ最初の人物はS. v. BirkenでそのrTeutsche Rede‑bind‑

und DichトKunstJは1679年に出版されている.そして翌80年にD. HuetのFTraite de l'origine des Romans』 (1670)のドイツ語訳がE.G. Happelにより出版され,これがドイ ツの小説理論にとって決定的な影響力をもつことになる.

Huetの評価については種々意見のわかれるところであるが,詩論として小説が扱われたと いうこと,またそれが多くの作用を及ぼしたということはS.v.BirkenやD.Huetの論 文の内容にもまして小説が無視しえぬ存在になってきた,ないしは認知さるべきものと考えら れてきたという受容の過程を示している.

詩論中で小説の扱われることのなかったS. v. Birken以前にあっては,小説の序文,対談, 鼎談などでの小説論議が大きな手掛りになってくれる.そのうちもっとも重要なのは小説の序 文である.量的にそれ以外のものにまきっているということもあるが,それ以上に小説の序文 は作品そのものがいかなる意図をもって書かれたかを,つまり当時者あるいはその作品の共感 者の美学観,社会観を直接的に示すものであると同時に,他方序文そのもののもつ性格,作品 と読者との橋渡しをしようとする立場からの発言は,読者と作者とがなにを自明のこととし, その上に作者はなにを語ろうとしたのかを伝えてくれるであろうからである.本稿では80年代 の小説が認知されたと言いうるまでにあらわれた序文,対談,鼎談に見られる代表的な論理だ てをテキストにしてD. Huet受容にいたるまでの過程を追ってみる.

A.新しい手法で a) Barclay, Opitz

1626年Barclayの『Argenis』がOpitzによりドイツ語に訳される.それに添えられ ているルイ13世‑の献辞の冒頭に『いまだかつてラテン語では誰も眼にしたこともないような こうした私の新しい手法を陛下が寛大にもお気に召してくれるだろうと私は考えております』

という一節がある. Barclayの言うこの新しい手法というのは鍵小説の概念を発展させること である.実際の事件や状況をありのままにのべ,王や司教などの言動をそしりなどしたらわが

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17世紀における創作,翻訳別点数

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実線く‑〉創作oy2というのは半分が帝訳により,後の半分が 点線く‑‑一一一一)翻訳創作によってなされた小説

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182 惜狙i^^Kil

身が危い.それにストレートな非難や名誉を傷つけるような言葉で高位の人を攻撃する無思慮 も自分(文中ではNicopompus)は持ちあわせていない.むしろ自分は詩人として違った方法 をとりたい.簡単に言うなら苦い薬に甘いシロップをまぜて薬ざらいな子供に薬を飲ませるや

り方をとるつもりだ.歴史上の人物のよく知れわたった寓話を装って,戦紺,流血,結婚,友 悼,風景など様々なものを措き,知的好奇心Lを満足させつつ,有徳と盛徳とを同時に示すこと で,読者が知らず知らずに自らの惑行を反省し有徳の人物‑と導かれるような,いわば読者自

らの姿をうつしだす鏡のような書物を書こうというのだという.この発言からもわかる通り, 過去の見知らぬ事件や人物に名を借りてはいてもBarclayはきわめて政治的な現代小説を意図

している.この『Argenis』はヨ‑ロッパ中で読まれ,やがてドイツでも模範とされるようにな るのだが,このフランスの中央集権的絶体主義国家の現実を廻り通しながら語ろうとする新し い手法による散文は小国分立のドイツでは違った形をとってくる.ドイツでの高位小説はそれ

が語るべき中央集権的国家を持たぬために,いわば現実なしのユートピアという鍵小説本来の 機能がゆがめられ,一部の小説はかつての神聖ロ‑マ帝国‑の郷愁を背景とするような後向き

のものになってしまわざるをえなかった.そしてこの手法,つまり鍵小説という方法は倭小化 され,ドイツ独特の社交的牧人小説とでも呼ぶべき形をとる.あらかじめ特定された王侯貴族, 学者仲間での事件を語るのであるが,仮の名前や出来事に託して物語り,人物名,事件を推測

しあうという仲間内での娯楽的,即興的作品となってしまっていく.フランスの自然主義小説 が明治の日本に輸入され,田山花袋流の私小説へと変形していく受容のプロセスと類似したも のがある.ともかくもHans Sachsの詩やTil Eulenspiegelなどの民衆本しか持たぬドイ ツにとってBarclay流の外国の高位小説が新しく,意義あるものと認められ,こうしたスタ

イルによる文学活動がドイツにおいても盛んになるのは当然といえた.しかしこの新しい手法 という言葉はドイツにあっては二重の意味を持たされていたし,それだからこそより大きな反 響と読者層の広がりを持ちえたといえる. Opitz訳による『Argenis』を出した出版者の

D. Miillerはこの作品を翻訳する意義を序文で述べているのだが,貴族の責務義務を知らせ, 有徳な人生の手ほどきをし,ありとあらゆる英知を教えるとBarclay自身の意図したことが そのまま述べられていると同時に,優美な話し方,整然とした美しきがそこでは強調されてい る.そしてこの優美さ,美しきが高地ドイツ語に充分に訳せているかどうかをなによりも心配 している.つまり外国語の氾濫と正書法の確立していないドイツでは言葉そのものの問題がこ の当時の緊急な課題であり,いくつかの言語協会が設立され,国語浄化運動が起き,ドイツ語を 詩語にという意欲が外国の模範的文学作品をドイツ語に訳させるのに大きな力になっていたの であり,それ故翻訳が単なる勅訳にとどまらず,訳のよし慈しで創作にもまさる評価を受けて いたのである. 『Argenis』の新しさとはBarclay自身の意図した新しさと同時に,ドイツ ではもう一つ言語上の新しさという意味も持たされていたと言える.事実この20年代から40年 代ごろまでは,作品数そのものが少ないこともあるがAmadis批判も表立ってはおらず,

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小説自体の是非論はない.作品数の増加してくる50年代以降の小説をいかにして文学の‑ジャ ンルとして認知させるかという弁明,弁護のためのややもすれば伝統的文学に対しての申し開 きや弁解めいた口調とは異なり,ドイツ語を詩語にということがすべてに優先しているように みえる.

b)Zesen

ところが45年に出たPh. v. ZesenのfAdriatische Rosemund』の序文になると新しい 手桧の意味はかなり違ってくるし,同時に翻訳に対する考え方も違ってきている. Zesenによ

ればかつてスペイン語,イタリア語,フランス語から語り口や書き方を学ばなければならなか ったドイツ語ではあるが今やドイツ語は詩語になりえており,翻訳に頼る必要はない.むしろ 外国文学の翻訳は活力もないし,内容も広くゆき渡った不正確な無駄話でしかないから,自 前のものを書く方がまきっているのだということになる. Opitz訳の『Argenis』あるいは FHercinie』の序文で強調されていた言葉の問題はすでに解決したとして,そのウエイトを小 説の内容に置くべきだとしている点がZesenの序文では目立つ.そして小説に盛るべき内容

についてZesenはなによりも恋愛を描くものが小説なのだという前提に立ち,老人たちのよ うに理性のみで固苦しく考える者にはいとわしいかも知れぬが,青春の炎を燃やす者には貞淑 な恋愛物語は好ましいだろうし,キリスト教徒にあるまじきということにもなるまいと述べ, それ以上の小説とはの論理を展開していない.恋愛をあつかうのが小説なのだという前提は当 時のタイトルを見ることでもわかる.それは当時小説がどういう散文作品であると作者が考え,

また読者に考えられていたかを端的に示している.今まで無造作に小説(Roman)という語 を用いてきたが,小説の呼び名が今日に近い形で通るようになったのは18世紀であり,17位紀に

はいろんな呼ばれ万をされていた.牧人小説はSchaffereyと,また高位小説ではHelden‑

und Liebes‑GeschichteあるいはWundergeschichte, Geschichtgedichtのタイトルが大体 ついており,たとえば1648年にJohann Helwigの訳したF. Ponaの『L'Ormondo,Padula』

のタイトルはfOrmund das ist, Lieb‑und Helden‑Gedicht』となっている.特に17世紀初 頭のタイトルには英雄勇壮小説に限らず牧人小説にもLiebesbeschreibung* Lieb‑Gedicht, Liebesspiegelなどと書かれているものが多く,その長いタイトルのどこかにLieb,hochver‑

1iebt, verliebt,あるいはIiebstという言葉が入っており, Zesenが小説すなわち恋愛ごと

を語るという前提に立っていたのもごく自然なことだったと言える.この恋愛をあつかってい るということが小説の読者,特に若者や女性の読者をひきつけ,一万では道徳哲学的な非難の

対象になったのであり,その後大きな論点になっていくのである.ただZesenの言う恋愛物 語とはAmadis流の恋愛物語とは根本的に違う.彼が外国文学を無駄話ときめつけているの はまきにAmadis本のことでありAmadis批判はBucholtzやRistになるともっと明 瞭である.

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184 福沢栄司

c) Buchholtz, Rist

BuchholtzはAmadis本に容赦しない. Amadis本を読んで厚顔無恥な人間にはなっても 立派な人物になった者はいないとか,矛盾だらけで子供染みているし,浅薄な人物が粗野な議 諭をし,若い惚れっほい身分の高い人物たちの無作法な振舞いが恥も外聞もなく起きたりで,

上品な人間が読んだら腹を立てずにはおれまいと敵意をむきだしにしている.またRistは 確かにあの偉大なOpitzはAmadis本をはめているが,その時代には他に小説がなかった から大目にみるしかなかったのだ.その大半は軽卒な恋愛沙汰か,世にも不思議な魔力で若者 を魅了しているが,こんな貧弱でくだらぬ本はまたとないときめつけ, Zesen同様に今日フラ ンス語やイタリア語から沢山の本がドイツ語に訳されているが,実際のところその労に値しな

い.と言っている.このZesen. Buchholtz, RistのAmadis批判は,それがAmadis批 判に始まりながら,それにとどまらず, Amadisの非歴史性,反キリスト教性,反事実性の 批判が17世紀の小説理論にとって大きな論点となった事実とフィクションとの関係からの小説 理論に発展していくのである.

B.フィクション

a) Zesen, Buchholtz* Rist

ZesenはFAdriatische RosemundJを出版した1645年にはScuderyの『Ibraim en l'illustre Basse』も訳しており,この頃Scudery流の考え方に対立していたとは考えに くいが, 25年後の1670年に出した『Assenat」の序文ではHeliodorから始まりフランスの小 説理論に続いていく,多かれ少なかれ歴史(聖書的事実)とフィクションとがないまぜにされ た真実とも虚偽ともつかぬ歴史小説と裸を分かつ論理を展開している. FAssenatJの序文で 強調されているのはheiligという言葉で,自分の描こうとするのはnichtheilig, unheilig な恋愛物語ではなく, heiligな物語なのだと言う.しかしドキュメント風聖書物語のような, すべてを出典にならった例証可能な物語として小説を書くのではなくて,その補足的部分に蓋

然性のある考察を加えて『Assenat」を書いたのだと言う.

神学者のBuchholtzは先に述べたように, Amadis本にはまったく否定的であるが, BarclayのfArgenis』, Sidneyの『Arcadia』, Maretsの『ArianaJに対してはそれほど

否定的ではなく,ただそれらの作品の神への畏敬の念が不足している点に不満を述べ,これら の小説のもつ快美な物語とキリスト教的敬度さの結びついた小説こそが小説のあるべき姿であ ると主張している.具体的には『Herukules』のことであるが,彼の主張のより所は歴史的

事実の上に立って,祖国ドイツとキリスト教をたたえることにある.

またRistは同様に『Herukules』をはめたたえ,私たちの精神の教化,キリスト教徒の訓 育,厳粛な教義,戒め,説諭の書をこんな優美な小説に仕立てたのだから真理を愛する者には

‑たな解釈をほどこした聖書注解よりはずっとためになると言っている.

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この三者に共通しているのはすべてに聖書,神学的視点からの判断が優先していることであ る.三者の言う考案概念の肯定,蓋然性の論議も神学的にみて肯定しうる,ないしは反しない 範囲内でのフィクションの肯定であり,蓋然性の有効性であって,小説理論の基礎を信仰の公 準に置き換えてしまっている.年代順でいうならBuchholtz, Ristの主張が先にあり,それ に沿った線上でZesenが『Assenat』,および『Simson』 (1679)を書いたと言える.つまり

ここでは小説が自らの目的を立てることなく,また真理を作り出すこともなく,すでに形成さ れた神学的目的や,聖書で証明済みの真理の伝達,保証に固定化されてしまっているのである.

b) Harsdoffer

これに対して真理とフィクションの関係について対照的な議論を展開しているのがHars‑

dofferの『Frauen‑Zimmer Gespach‑Spiele』中のSpiel vom Verlangen (1641)である.

これは法廷闘争の形をした対話で,ドイツでは最初の,かつ鋭く予見的な小説諭で,以後この 対話形式は,このスタイルによれば確たる決着を筆者自身でつける必要もなく,留保できると

いう利点もあり, 17世紀, 18世紀を通じての小説理論の流行スタイルにもなっている.

対話はまず小説(ここではLusトLiebesgedicht (le Romans)のことを言っている)を是 とするか非とするかで始まる.非とするつまり告訴する側によれば,詩は神事の英知,詩学の 芸であり是とされるべきであるが,小説はくだらぬ夢物語,甘い轟,虚偽であり, 『それ故意 事のチャンスをうかがったり,ずる資こく盛事をなしたり,あるいはそれを頑なに隠したり,

めったやたらに,いや頬茶苦茶なまでに押し通したりするようになってしまう』.そして学問 を甘い口実にしてファ‑スト・レディをも欺くものだから世に出してはならず,火中に授ぜら れるべきものだという.

それに対し被告である小説弁護側はF心に浮かんだままを描いて見せてはいけないものなの か』 『しなやかな筆が内面の心の動きに応じて今までどこでも考えつかなかった下絵や範を示

してはいけないものなのか』と反論している.そして真実とフィクションの関係についての論 争があるのだが,目立つのはBuchholtzなどとは違い,考案の概念を聖書的事実に従属させ ておらず,フィクションの自由を認めている点である. Buchholtzが歴史とフィクションをな いまぜにした小説を虚偽として否定したのに対して, Harsdorfferはたとえそれがまったくの 考案であってもいいではないかという立場で弁護人に語らせている.だからHarsdorfferに あってはAmadis本をその反歴史的性格の故に非難するということはない.現象としてはフ ィクションであり,歴史的事実に反するものであっても,見せかけは事実にそっているものよ りもはるかに真実を語りうることがあると主張する.また読者を誤った方向に導くものだとい う非難には,わずかな人が泥酔の限りを尽したからといって酒を禁ずべきだということになる のかなどいくつもの例を挙げて反論している.そして絵画を例にとり,作中の人物が実在しな い王や貴族だからといって学ぶべきものはなにもないのだろうか.絵に描いてよいものをどう してペンで叙述することが許されないのか,むしろ実際にはないものを叙述することこそ文学

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の特殊な可能性を示しているのであり,それ故文学は哲学や歴史にまきる面を持つものと言い

うるのだと主張する. Zesenの聖書的事実を逸脱しない限りで許される考案概念というのを一 歩踏み越えての議論であり,フィクションの是非は芸術的価値基準から判断されるべきだとし ている. Harsdorfferはここで絵画を引き合いに出しているが,絵画と文学のもつ芸術的機能 を同一視していたわけではない.フィクションの理論的基礎づけのためにはむしろ絵画との違 いが大切になってくる. Harsdorfferは絵は眼で見た通りに措くが,文学は内的事情をもとに するものであると言い,この点でA. BuchnerがFPoetJで文学を絵を措くのと同じ態度で よいとし, Harsdorfferのいう内的事情は哲学や科学の仕事としたのと際立った対照をなして

いる. rPoetischer Trichter」と『Gespr芝ch‑Spiele』からのHarsdorfferの発言を読みと るならば,彼のフィクション概念が二つの側面から論理づけられているのがわかる.一つは今 言った絵画との比較で示された現実をありのままに模写することから独立したフィクションと,

もう一つは歴史離れ,事実離れによるフィクションであり,眼に見えぬ,事実として確かめる ことの出来ぬ真実を語るためにはフィクションによらねばならぬという文学内在的な価値基準 からのフィクション肯定であると言える.

『その状況とは違った状況を許さない真の歴史よりは文学はある事柄を訓練するにははるか に有益である.真の王侯,貴族が舞台に登場しないからといって,悲劇や喜劇からは学ぶべき

ものはなにもないなどということになるのだろうか.そうではないだろう.』

「詩人は自己の作品の師匠であるが,歴史家は真実の下僕である』

『文学というものは宗教的と呼ばれ,世俗的と呼ばれるすべての事柄に手を伸ばす.そして

m

それは現にあるものを,またよしんば現にないものでもありうるごとくに著わすのである.』

文学に対してHarsdorfferは歴史家や神学者,演説家とは違った,聖書や歴史に従属しな いフィクションの機能,つまり対象を直接現在化する能力を,素材を自由に創造変形しうるが ためであるとしているのである.

しかしながらこれら一連の発言を近代小説における個人的主体にかかわった創造の過程を基 礎においての発言とそのまま見なしてしまうことはできない.というのも『Gersprach‑Spiele』

ではherrlich, ansehlich, geistreich, lobreichなものを創るのが文学だと言っており,ま たStubenbergの『Eromena』のための序文では我々不完全な人間の中では完全な徳は存在

しえぬから,いつわりの色彩で描かねばならぬとも言っており,彼もまたアリストテレス的伝 統上にあって,道徳哲学的にしか文学の優位性を考えておらず,彼の言う『真実』も大きなカ

ッコつきであることを示している.しかしながらBuchholtzやRistと異なり,彼の勧善懲 悪的意図は決して教条的ではない. 『Gesprえch‑Spiele』での裁判劇の中で女性に仲裁の発言

をさせているが,芸術や学問から遠ざけられている女性にとって,小説で礼儀作法や,話し方 を学び,現実の出来事をいかに理解したらよいかを学ぶためにも小説は必要なのだという発言 内容からみてもわかる逼り, Harsdorfferの考える徳とは諸事についての知識を広めるという

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啓蒙一般を意味している.特に題名の示す通り女性の啓蒙を意図している.彼もまた17世紀の 教育的に基礎づけられて始めて文学の有効性を語りうるという文学観を脱けでてはいないので あるが,彼の考案概念は作品に内在する芸術的性格によって文学作品をはかるという意識の芽 ばえを示しているし,それは個人の内面心理を文学的考案の主テ‑マにする傾向を先取りして

いるともいえるだろう.

c)Birken

フィクションの是非は小説に内在する必然性から判断されるべきであるという小説理論は Harsdorfferにその芽ばえは見られるものの17世紀においてはほとんどない.フィクションの 是非論の大半を占める価値基準は外在的であり,神学的,歴史哲学的基準によっている.この 神学的,歴史哲学的に基礎づけられた上での小説の虚構性を論理づけ,体系的に小説救済をは かろうとしたのがBirkenである. BirkenはまずGeschichtschriftを三種類に分類してい る. Geschichtschrift, GedichトGeschicht, GeschichトGedichtの三種類である.三つに 分けた最初のGeschichtschriftはその語の示す通り歴史書であり,年代記とか年鑑をさして いる.二番目のGedichトGeschichtは『主たる状況においては真の歴史であるが,多くの副

次的状況を文学的に書き加えており,生起したとおりの順序で事件を語らない』で韻文で書か れている,つまり叙事詩一般をこう名付けている.そして三番目のGeschicht Gedichtが小 説にあてられた名であるが, Birkenはそれを『フィクションのカ‑テンの下に真の歴史を隠 し持ち,その状況を実際に起きたのとは違えて,起こりうるような別の状況をふやしているか,

あるいは作者が考え出したまったくの虚構である』と説明している.そしてこのGeschichト Gedichtの有効性を横極的に評価している.彼がBuchholtzらと異なるのは,まったくのフ ィクションであっても蓋然性があるなら充分な意義を認めている点である.彼の言うところに よれば,フィクションだからこそおおわれた真実を述べ,作者の良き意図,教化に役立つ諸々 のことを一緒にとり入れる自由を持っているのであって,こうしたGeschichLGedichtをそれ が実際には起きていないことを書いたからといって非難するのはあたらないというBirken

のフィクション概念はBuchholtzらと対照的であるが,これは彼の歴史のとらえ方に起因し ている.先にあげた三分類が示す通り,そのいずれにもGeschichtという語を用いている.

この叙事詩をGedichトGeschicht ,小説をGeschichトGedichtと呼ぶ歴史観があるからこ そ,歴史と同時にフィクションも並行的に強調するという一見矛盾した態度が生まれてきてい るのであり,この点で同じフィクションの強調でもHarsdorfferとは著しく違う.

彼の健界解釈を簡明に語っているのは, 『起こったことは,まさにその後も起こることであ

り,太陽の下で新しいことは一つもない』, 『よかれ意しかれふたつのこと(善と悪)が流れて

ゆくのを常とする」という言葉である.つまり彼の歴史観とは年代記的な,時代と共に移り変 り,あるものが滅び,新しいものが生まれるという意味での歴史ではなく,時代は変っても粒 界は変らないという歴史こそが歴史の本質だとする歴史観であり,歴史それ自体‑の関心では

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188 福沢栄司

ないことを示している.しかもよかれ憩しかれこの世には善と意とが流れてゆくという世界観 はAugustinus流の世界解釈につながるものであり,それだからこそrもし人が歴史を熱心 に読み,かつそこからPharao, Jerobeam, Ahab, Julianus等が自分より前に同じようなも くろみで頭をくだいていたのを学ぶならばその人は戦きや迫害,あるいは無信心な端役的行動

を未然に防ぐことになろう』と言いうるのである.歴史を学ぶとは現実世界をより良く神に導 かれて生きるためのものであるから,もし歴史にまきるとも劣らず神へと導いてくれるものが あれば,それは歴史と同様に高く評価されるべきものであり,それ故にフィクションの機能が 評価され,歴史と共に強調されるというBirkenの考え方が出てきているのである.

C.詩論 a)韻文と散文

「ドイツではまずもって小説理論の問題よりも小説弁明の一般的問題が論じられる』という 発言での弁明すべき相手とは,先に挙げた事実に対するフィクションの弁明であり,それは歴 史と小説の比較論の形での展開を持っていた.もう一つ弁明すべき相手として小説は詩文を持 っていた. Barclayがいまだかつてない新しい手法と自負の念をこめてかいた小説であるが, 伝統的な詩学の体系からするならそれは常に異端祝され,非文学としてあつかわれてきた.伝 統的詩学では表現不能な内容と素材を持つ故に小説という散文形式をとるという経緯をたどっ たにもかかわらず,一定の読者を獲得し,それに比例して増加する批判に答えるとき,大半の 小説支持者たちは反伝統的詩論をもって小説の正当性を主張するのではなく,伝統的詩学体系 に小説を組み入れ,それに適合しうることを証明することで小説を文学として認知させようと いう倒錯的方法をとる.そのことは当時における詩文の絶対的権威を物語るとともに,小説を 書く側の意図が自己に内在する必然性に従って書くのではなく,歴史,神学に対し従属的位置 しか与ええないことの結果でもあった.小説を非文学とする大きな理由の一つに,小説が韻文 ではなく,散文であるということがあった.当初小説は無韻であることを理由に文学と修辞学

を区別している韻の有無という基準によって修辞学の位置を与えられる.それ故小説を文学と して扱うためにはまずなによりも韻の有無が文学であるなしの絶対的な基準ではないとするこ とから小説の詩論‑の第一歩が始められなければならなかった.小説はたしかに韻をふんでは いないが,その内容や考案の点を見るなら詩的であるが故に文学として扱うべきだと主張する

ことで小説の救済をはかろうとする. KonradやHarsdorfferのような内容が詩的だからと いう態度は必然的に詩的の意味をめぐっての論議を生む.しかしながらこの詩的という言葉は 自己の文学観に引きつけて,いかようにも解釈可能な語であるために多用されるが言いっぱな しが多く,最大公約数的に共通項を探ってみても,当時の小説弁護論の多くが小説の効用を宗 教的,倫理的有効性に求めているため詩的なる意味は矯小化され,言葉の言いまわし,引用の たくみさ,あるいは考案の見事さなど修辞学的範囲をでない意味におとしめられている.とも あれこうしたプロセスをたどりながら, BirkenのfDichtココKunst」において1679年にドイツ

(11)

で始めて小説が詩論中に登場することになる.

b)叙事詩

rRede‑Kunst」の小説救済の理論はそれほど際立ったものではない. Birken自身の1669 年の『AramenaJのために書いた序文の内容とほとんど変っていない.ここで重要なのは詩 論中で小説を語るという姿勢,伝統的文学理論の体系にその内容がどうあれ小説を組み入れた

という事実である.

主人公の英雄的行為や徳行という高位小説の内容からしても,またそれを端的示している Helden‑Geschichtのタイトルからしてもわかるように,小説の文学としての取り扱いは叙事 請‑の接近と比較によってもたらされた.ただBirkenはその類似点を指摘し, 『小説を書こ うとペンをとる人は自分の書く英雄的行為を述べなければならない』と言うだけでそれ以上に

突込んではいない.小説と叙事詩,英雄詩との比較はBirkenにとどまらず一般的で多い.

㊨ ㊨

Morhof, Rotthなどにも見られる.ただMorhofやRotthの諭は明らかにHuetの影響が 見られHuet以降については稿を攻めて論じたいと思うのでここでは2, 3の点を指摘する にとどめたい.小説弁明の際にこのようにしばしば引き合いに出され,評価の高い,というよ りも絶対視されている観のある叙事詩ではあるが, rBuch Von Der Deutschen PoetereyJ (1624)においてOpitzは自分の時代での叙事詩の可能性については懐疑的であるし,事実17

世紀においては叙事詩はほとんど書かれていないのである.またVergilのFAeneis」など古 典の韻文が散文に訳されて出版されており,しかもその訳本では逆に小説の形式が適用されて, 原典が改作されるという散文が韻文を圧倒する現象が生まれている.

C)戯曲‑喜劇

叙事詩との比較論の多いなかでDaniel Richterの『Thesaurus oratorius novus』 (1660) が目を引く.彼は小説を喜劇との比較で論じている.戯曲への言及はHarsdofferやBirken にもみられるが,それは戯曲のもつ現在化の機能に着目しての発言であって喜劇のそれではな い.

Opitzの定義では喜劇は庶民的人物や性格,結婚式の宴会,遊戯,賭博,下男下女の詐欺や 衣狩,老人の苗番,女街,色恋沙汰,傭兵の野望,若者の軽薄など日常下級の社会で起るよう

な出来事をとり扱うものとなっている.この喜劇に盛り込まれるべき内容はそのほとんどが17 世紀の高位小説にはそぐわぬものばかりである.娯楽的要素の強さをMorhofのように『喜劇 がただ笑わせるだけでなく,多くの有益な,教訓的なことを含んでいるのと同じように,これ

らの小説もまた同じことをしうるだろう』と言ったり,小説の歴史からの自由,多様なエピソ

‑ドを挿入しうる構成上の特長から中級の人物も登場しうると言っているRotthのような場 合もあるが, Richterのような例はない. Richterは喜劇と小説が異なるのは一方が会話で出 来上っている点だけで,あとはその内容,構造に関してもまったく違いを認めていない.しか もその例としてBarclayの「Argenis」をあげている.すくなくとも17世紀ではOpitzの喜

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190 福沢栄"nf]

劇定義が広くまかり通っていたのであり,そこから判断するなら『Argenis』などの高位小説 はむしろ喜劇の対極に位置するものと考えられて当然であり,喜劇との比較ならば下位小説の 万がふさわしいと患われる. Richterは伝統的詩論にのっとって当時の小説の当否を規範的に 諭ずることを最初から拒否しているようにみえる.むしろOpitz乗の詩論に疑いを差しはさむ

ことで高位小説の有効性を弁護しようとしている.

「昔イスラエルで,そして今もまたそれが慣習になっているからといって,なぜ喜劇にも高

位の人物が登場してはならないのかが私には理解できない.』

彼にこうした17世紀では特異な確信をもたらしているのは彼の文学を見つめる社会学的視点 である.彼は喜劇は市民,悲劇は王侯が登場していたギリシャ,ロ‑マの時代にはそれにふさ

わしい社会があったのだと言う.つまりアテネやロ‑マでは一般市民が優位を保ちうるような 民主政体,共和制があり,そうした社会では喜劇に市民や市民的事柄しか取り入れないとして

もそれは正当と言えるだろう.しかし今のことにドイツにあっては君主政体であり,よき政事, よき教えを市民に示すためにも善劇においても高位の人物,低位の人物のどちらも登場させる

万がよいのだと主張している.

こうした主張は18世紀になり,中産階級の読者層が高位小説を読む視点に結びつくものであ ろうし, Richter以外の論者の多くが反伝統的出生の由来を持つ,いわば私生児的ジャンルを 伝統的詩学内において認知させようとするあまり,伝統的詩学に沿う弁明をなし,逆に小説を 外在的理論で拘束する儀向が強まっているのに対し,異なる社会,異なる制度に相応して文学

の形態もまた変って当然なのだと小説弁明の諭を進めている点で特筆に値する.

≫Texte≪

Dieter Kimpel!Conrad Wiedemann (Hrsg.) : Theorie und Technik des Romans im 17. und 18 Jh.

Bd.11970

Eberhard L且mmert, u. a (Hrsg) : Romantheorie. Dokumentation ihrer Geschichte in Deutschland

1620‑一1880. 1971

Albrecht SchOne (Hrsg) : Das Zeitalter des Barock. Die deutsche Literatur, Texte und Zeugnisse, Bd.3 1963

Marian Szyrocki (Hrsg) : Poetik des Barock. 1968 RUB. 9854

Ernst Weber (Hrsg) : Texte z. Romantheorie. 1 : 1626‑1731. Miinchen 1974

Georg Philipp HarsdOrffer : Frauenzimner Gespr丘chspiele. Faksimile‑Neudruck, Bd. I‑N.

1968, Bd. V‑VIII. 1969

>Literatur<

Wolf gang Lockemann : Die Entstehung des Erz邑hlproblems. Untersuchungen zur deutschen Dichtugstheorie im 17. und 18. Jh. 1963

Wilhelm Voβkamp : Romantheorie in Deutschland. Von Martin Opitz bis Friedrich von Blancken‑

burg. 1973

(13)

Volker Meid : Der deutsche Barockroman. Sammlung Metzler Bd. 128. 1974 Ursula StStzer : Deutsche Redekunst im 17. utid 18 Jh. 1962

Ernst‑Peter Wieckenburg : Zur Geschichte der Kapiteluberschrift im deutschen Roman vom 15. Jh. bis zum Ausgang des Barock. 1969

Urs Herzog : Der deutsche Roman des 17. Jhs. 1976 Harold Jantz : Die Erforschung des Barock 1973

Hans Gerd R6tzer : Der Roman des Barock. 1600‑1700. 1972 Helmut Plessner : Die Sp邑tete Nation (stv 66) 1974

Klaus Kaczerowsky : Biirgerliche Romankunst im Zeitalter des Barock. 1969

Anmerkungen

㊨ H. Jantz ; Die Erforschung des Barock. S.16

㊨ Vgl. H. G. Rotzer ; Der Roman des Barock. S.33ff.

⑨ Johann Rist ; Die alleredelste Zeit‑Verkiirzung Der Gantzen Welt‑. Beschrieben und

Fiirgestellet Von Dem R己stigen. 1668. S.235, 6. In Romantheorie. hrsg von E. L五mmert u.

a.S.16

㊨ Sigmund von Birken ; [Vorrede zu Herzog Anton Ulrich,] Die Durchleuchtige Syrerinn Aramena. Der Erster Theil. 1669 S.)(V>. In: Romantheorie S.24

⑤ Mantin Opitz ; Schafferey von der Nimfen Hercinie RUB8594 S.8

㊨ Huetの論文評価については意見が別れているHinterhauserは後向きの性格を強調し彼の時代の理 論的諸傾向の総括,17憧紀フランスの業績の前史的小説史としているが, VoβkampはドイツでのHuet 受容において強く見られる未来的傾向と同時に回顧的傾向というアンビバレンツを指摘している.

Vgl. V. Meid; Der deutsche Barockroman. S.35ff

⑦ Opitzは直接ラテン語から訳したのではなくフランス語版からのドイツ語訳である.献辞はオービッツ のドイツ語訳によっtZ. Vgl. Romantheorie, S.3

㊨ Theorie und Technik des Romans im 17. und 18. Jh. S.3ff

㊨ Vgl. Helmuth Plessner; Die Sp邑tete Nation 1974. S.14f

⑲とはいえドイツでも高位小説とある階層との結びつきは読みとれるAnton Ulrichの『Aramena』と

『Octavia』は絶体主義的ドイツの横主の貴族的状況を特長づけているし, Lohensteinの小説はオース トリア皇帝との結びつきの点で,貴族層の読者ばかりでなく,中位の身分の者にもむけられたものとい ZMM

㊥ちなみにドイツで最初に社交的牧人小説を書いたのは, 『Argenis』を訳したM.Opitzである.

㊨ Theorie und Technick des Romans im 17. und 18. Jh. Sユ. D. Miillerの序文はOpitz自身の手 になる文章ではないかと考えられている.

㊨ Ebd., S.5ff

⑲拙稿「17世紀のドイツ牧人小説」長大教養部紀要人文科学第15巻参照.

⑯小説の起源と概念の発展についてはf Der deutsche Roman des 17. Jhs. von Urs Herzog. Sユ6ff参照.

⑲たとえばZiglerのfAsidtische Banise』はHelden‑und Liebesgeschihte, Lohensteinの

『ArminiusJはStaats‑Liebes‑und Helden‑Geschichte, Zesenの("Assenat』はHeilige Stahts一二Lieb‑und Lebens‑Geschichteとなっている.

㊨ a.噸つぶしでしかない, b・色恋沙汰が多い, C.嘘であるという中世以来の批判理由は17世紀において は根本的に変っておらず,延々と続いているVgl. Volker Meid, der deutsche Barockroman.

S.42, Urs Herzog, Der deutsche Roman des 17. Jhs. S.24

㊨ Romantheorie;Hrsg. von L邑mmert u. a. S.13ff

㊨ Ebd., S.16ff

(14)

192福沢栄司

Ebd.. S.20ff

㊨ ⑲に同じ.

㊨ ⑲に同じ.

㊨ Vgl. Wilhelm Voβkamp; Romantheorie im Deutschland S.65f

㊨ Romantheorie; Hrsg. von L色mmert u. a. S.6

㊨ Ebd.. S.7

㊨ Ebd..㊨Ebd, S.7

㊨ Vgl. Hrsg von W. Lockemann; Die Entstehung des Erz色hlproblems. S. 28ff. und S.48ff

㊨ HarsdSrffer ; Frauen‑Zimmer‑Gespr色ch‑Spiele. V. S.28

㊨ Vorrede zu Eromena; In. Theorie u. Technik des Romans im 17. und 18 Jh. S.7

㊨ In. Voβkamp, Romantheorie S.67

㊨ Theorie u. Technik des Romans im 17. u. 18. Jh. S.7

㊨この傾向はZesenの『Adriatische Rosemund』にみられるという. Vgl.Biirgerliche Romankunst im Zeitalter des Barock von K. Kaczerowsky.

㊨ [Vorrede zu Herzog Anton Ulrich,] Die Durchleuchtige Syrerinn Aramena. In. Romantheorie,

hrsg. v. L邑mmert u. a.. S.23

㊨, ㊨, ㊨ Ebd. S.23ff

㊨ [Vorrede zu Herzog Anton Ulrich,] Die Durchleuchtige Syrerinn Aramena. In. Theorie u.

Technik des Romans im 17. u. 18. Jh. S.10

㊨ GeschichtGedicht, GedichtGeschichtという分類は『Aramena』の序文での使われ方と, 『詩論Jlで の使われ万とが入れ変っている.ただ論理だては同じである. Vgl. W. Voβkamp ; Romantheorie in

Deutschland. S.70

㊨ V. Meid ; Der deutsche Barockroman. S.31

㊨ Vgl. W. Voβkamp ; Romantheorie in Deutschland. S.53

㊨ Ebd, S.53, und Vgl. auch Frauen‑Zimmer‑Gespr色ch‑Spiele

ZesenはHelikonにおいて自分はフランス人やスペイン人が小説と呼ぶWundergeschichteや,そ の他の今迄自分の顧慮してこなかったジャンルを別冊で取り扱うだろうと語っているが実現されなかっ たVgl. Volker Meid; Der deutsche Barockroman S.30

㊨ Romantheorie; hrsg v. L邑mmert u. a. S.26fEbd., S.33

㊨ Ebd., S.34ff

㊨ Ebd., S.34ff

㊨ Vgl. Volker Meid ; Der deutsche Barockroman S.38f

㊨ M. Opitz ; Buch Von der Deutscher Poeterey. RUB 8397/98 S.27f

㊨ Romantheorie ; hrsg v. L五mmert. u. a. S.33f

㊨ Ebd., S.34ff

㊨ W. Voβkamp ; Romantheorie S.64

㊨ Ebd., S.64f

(昭和53年9月30日受理)

参照

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