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社会変化に対応する主体性の問題―一アイデンティティー・自律性

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社会変化に対応す る主体性の問題

―一アイデンティティー・ 自律性0自己生成的人間一一

n Subjectivity ln Changeable Society

Identity O Autonomy O Man as a Beconling―――

高 橋 洸

K6i TAKAHASHI

(平成 5年10月 12日受理

)

1.オ‐ トポイエシスの視点 t

「 オー トポイエンス」 とは、 ギ リシァ語で、「 自己生産」の ことである。「 自己創 出」 とか、

少 し読み込んで「 自己再生産」 とかの訳語がみ られるが、学説的には片仮名表記が通用 してい る。 それは本来的には生物学的な概念 として使用 され始めたものである。すなわちこの概念は、

生物 とは自律的な単体である。〉 ということの提言であった。「生物の もっとも明 らかな特徴 のひとつがその自律性だということは、いえる。……オー トポイエーシスが、生物を自律的 シ ステムとして特徴づけている」①。 オー トポイエシス組織 は、生物 の単体 を して、 自己を実現

し、 自分 自身のダイナ ミクスによって環境か ら区別 されるものとして自己を構成 させるのであ る。

オー トポイエシス組織 は、その構成要素を他の構成要素によって再生産する円環的な組織で あり、 この円環的な因果関係において再帰的に (リ カーシヴに

)自

己に関わ り自己を、組織を 維持、再生産す るのである。 自己が自己に関わる作用は、「 自己言及性 (selfreference)」 と呼 ばれる。 オー トポイエシス組織の作動形式であるこの自己言及性 は、組織内部で形成 された情 報の処理 によって、選択的に新 しい可能性 を創 りだす ことができる。つまりこの組織 は、作動 的 (operational)に は閉 じられてお り、 エネルギー的には開かれているのである②。

自己組織性、作動的に言えば自己組織化の概念 と理論 は、 このオー トポイエシスの原理の も とで、新たな段階にはいり、社会や人間を自己組織化の視点か ら捉え直す試みが展開 されるよ うになったのである。 自己組織化の理論 は、く自律性を科学的に基礎づける理論〉 と しての役 割を引 き受 けることになってきている。「 自主管理の問題か ら、地方の自律、 エ コロジー運動 か らイヴァン・ イ リッチ流の他律性への批判 に至 るまで、社会的、政治的権利要求のすべてが、

その要求を科学的に正当化するものとして自己組織化の理論 に主張の理論装置を見い出 してい る」③のである。

教育の本来的な目的とされる「人格の完成」 というのは、個人が他者か ら識別 され得 る独 自 の諸特性を統合 された全体性へ と高めることと、解することができよう。その「 統合された全 体性」が、 自己組織性の問題 と関連 していることは言 うまで もない。人格は、行為的・ 実践的 にみれば、「主体性」属性を有す るものである。個人が、 自己の内部特性 に基づ いて、 社会 の

(2)

外部特性 と関わることによって、 自己自身および社会集団 との二重の関係を獲得 し、それ ら両 者の関係が一定の適合的な調和を有 している場合に、 自我同一性、 アイデ ンティティーが、 自 己統合性が確保 されている、 とされる。それゆえ、安定 した確固たるアイデ ンティテ ィーの確 立 は人間形成における重要な課題 と考え られている。 アイデ ンティティー形成 は青年のみな ら ずすべての人々にとっての課題 となりうるものである。

しか し、変動性・ 流動性を特徴 とする今 日の社会においては、 アイデンティティーの捉え直 しが求め られている。そのことは同時に、,社会 と個人 との関係、 ひいては社会化理論 に偏重 し た教育理解、要するに主体性・ 自律性 についての再考をせまるものである。そうした問題点の 考察 は、従来の教育学思考を変容 させることが必要か否かを検討 させる動因の一つとなるであ ろう。そ して、その際の検討を方向づけるものと

.し

て仮説的に想定 されているのは、オー トポ イエシス原理に依拠する「 自己組織化」、「 自己言及性 (自己再帰性

)」

のコンセプ トである。

2.〈

社 会化〉 の問題性 と可 変 的 アイデ ンテ ィテ ィーヘ の転 換

「社会化」 という概念 は、E.デュルケームによって学術用語化 された (1922)。 それ は、 自 然的な人間を人々の集合態の中に組み込むことを、若者世代の同化 による社会の再生産を表示 するものである。その社会化の過程で、若者 は社会の行動範型の内に取 り込 まれ、その規範を 受容 し内面化する。社会化は、その後、役割取得 と結びつけられ、その取得過程において同時

に人格的なアイデンティティーが達成 されるとされている。

社会学的な概念 としての社会化 は、教育の過程に全体的かつ集合的な性格を付与する視点で ある。あ らゆる個人的な特殊性 は、社会化において解消 されている。各個人 は、社会的人格 と してのみ、すなわち他者 との相互作用の中に組み込 まれている役割、地位の担い手 としてのみ 登場する。個人 は、その役割に負託 されている期待 によって動機づけられる。換言すれば、役 割の中に含意 されている規範や要請を く内面化〉す ることによって、個人はみずか らを動機づ けるのである。 ここで留意 してお く必要があるのは、く内面化〉によって外部的な規範 や要請 が正当化 されたものとみなす安易な捉え方である。 この点 に関 しては後で触れる6

そ うした役割理論に対 して、役割を失 った人間は社会にとっては実在 しない存在になって し まう、 との異議が示 されている。だが他方 において、く個人であること〉 と く役割 の担 い手〉

とを分離することは、社会に対する 〈私的な自由という概念〉を許容す ることにな り、個人が 社会的現実 と接触す る可能性を衰弱 させ るものである、 との指摘 もあるの。    :

役割 とアイデ ンティティーとを積極的に結びつける試みと して、〈役割づ くりrolemaking〉

概念が提起 されている。単なる役割取得に、く受容 された役割の新たな形成〉 と しての「 役割 づ くり」を対置させたのである。 その役割づ くりは、与え られた役割をどのように解釈するか に係 っている。解釈の在 り様 によって、役割受容の堅固さの度合いや役割内容の変様の程度に 相異が出て くることになる。そこにおいて、個人的で個性的なアイデ ンティティ‐の可能性が 想定 されたのでぁる。

しか し、解釈によって役割を一定の意味づけで粉飾 して も、社会機能的に規定 された役割の 性質や、役割理論 に内在する基本原理 は消滅 しないのである。役割理論 には、統合化の原理 と 画一化の原理 とが含 まれている。 それ らの原理の下での社会的な役割の く内面化〉 は、行動の 有効な制御の受容 にほかならない、 と指摘 されている。要するに、役割の獲得 は社会規範の獲 得なのである。 しか も、そこにおいては、社会の安定性が前提 とされていたのである。

(3)

今 日、社会の高度情報化への進展において、人々の行動原則やエ トスは大 きく変様 しつつあ る。情報革命により脱工業化へ と進み、社会構造に変動が生 じ、文化、社会規範の更新が迫 ら れている。工業社会を支配 していたエ トスは、同時性、標準性

t集

権性、集中性であ り、それ らの もとに、教育 は、時間厳守、画一化教育、既存秩序への順応性、集中力の向上を目指 して きた。そ して程度の差 はあれ、規則正 しく、没個性的で従順な、均質的な能力を有する人的資 源が量産 されてきたのである。 しか し、脱工業化の現在 における支配的なェ トスは、創造性、

自律性、個性であると指摘 されている (A.ト フラー

)。

新たに前面に出てきた創造性、 自律性および個性 といったエ トスは、標準性等の統制的,拘 束的なエ トスとは異なり、む しろ解放的に開かれ、個人特性 に関わるもので、 いわゆる社会的 な規範 とは異質な面をもっていると言えよう。つまり、新たなェ トスは個人の自己意識

t自

概念 と深 く結びついたものであ り、それゆえにこそ新たなエ トスヘの変革 はその背後に自己認 識の問題を問題化 させる状況を産み出 しているのである。

情報の生産・ 処理 に係わる科学技術の発展 と拡張化 を動因 とする社会変動 は、今のところそ の帰結 としての社会全体の構造を予測不可能に している。構造的な変動の継続化 に直面 して、

これまで安定的な構造を追究 してきた社会学 において視点の転換を図 る試みがみ られる。それ は、確実で安定的な構造への固執を断ち切 り、む しろ構造 は不確実性、暫定性をその本質 とし ているという見解を取 るものである。それは革新的な視点である。 ここにおいて、社会学 は、

不確実性を真正面か ら見つめ、 それを異常性 としてではな く正常性 として捉えるのである。

不確実性 を基本特徴 とし、 さらに高度な分化を遂げつつある複合社会 において、人々の規範 意識や欲求 は多様化および流動化の度をつよめている。それによって、社会の集合体 としての アイデ ンティティーも個人の自我 アイデンティティーも確定的なものか ら不確定なものへ と変 様せざるをえな くなってきている。人々を方向づける安定 した世界像を持 ちえな くなった社会、

時代のアイデ ンティティーは、確実で固定的なものとの関わ りにようてではな く、その時々の 状況に応 じた内容 との関わりによって達成 されるものと考えるのが現実的 とみなされるように なってきたのである。すなわち、く状況可変的なアイデ ンティティー〉 こそ変化 す る時代 にお けるアイデ ンティティーの形態 として確認することが必要なのである⑤。

個人が この可変的アイデ ンテ ィテ ィーを形成す るための条件 は、 自己自身 に立 ち帰 り自己を 自省的に捉え直 し、 自己調節力を確保す ることである。つまり自己組織化の能力を獲得するこ とである。学習能力をもち、 自律的に判断 し決定することができる個人が、可変的なアイデ ン ティティーを形成することができるのである。変動す る社会 は、 まさに、そ うした主体的、 自 律的な人間を必要 としているのであ り、従 ってそういう人間の育成 を教育 に期待 していると言 えよう。

社会環境の変化 は、 このようにアイデティテ ィー形成を一層困難 なものに している。大人が 体現すべ きはずの社会規範の変様、相対化 は、大人世代を後続 の若者世代 にとっての対抗対象 にはなりえないものとした。断絶 は、世代間 というよりも年齢層間へ そしてそれぞれの趣味・

関心を共有する諸 グループ間へ と移行 している。 それに応 じて文化 は、社会 一国民文化、世代 文化、特定年齢層文化 (幼児文化 も登場 している。

)、

趣向文化へ と分化 している。そうした細 分化 は近年のニューメディアによって促進 されている。マス ●コ ミは大量性・ 沐課継、 同臥 一方向性を特徴 としていたのに対 して、パ ソコン等のニューメディアによるコ ミュニケーショ

ンは、脱大衆化 (分衆化の用語 もみ られる

)、

非同時性、相互性を特徴 としている。 そ うした

(4)

特徴 は新たな人間関係、社会秩序を産み出 しつつある。パ ソコン通信によるいわば く目に見え ない社会階層〉の出現可能性 は注 目すべきことと言えよう。感覚的に確認 しえない人々の集団 への帰属性は、従来 とは異質の個人アイデンティティーを成立 させるであろう。

大量生産か ら品質重視の個性的な商品の多種少量生産や情報の多様化 は、選択の幅を拡大 さ せ、質的な豊かさの証明 とみなされているが、多面においてそれは、情報社会が個人の動機構 造の内にまで深 く介入 してきていることで もある。消費行動における主体性 は、実は、社会に

よって情報的に制御 されている、 ともいわれている。

こうした社会環境、生活状況において、特に青少年にはアイデ ンティティーの拡散化現象が 指摘 されている。① 対人的距離の失調 :他者への不 自然に儀ネL的な態度 や熱狂的な親密 さ。

② 時間的展望の拡散 :過 去に基づ き現在において将来への見通 しを立 て ることを避 ける、 変 化への恐れ。③ 勤勉 さの拡散 :学 習、作業への集中性を欠 く機械的な持続。 ④ 否定的同一性 の選択 :身近な人がよ じとする生活態度を軽蔑 し、反対の否定的なことを過大評価 し同一視す る⑥これ らは、 自己確立の未成熟 さを示す指標 とも言える。 しか し、青少年の発達段階的な特 性や社会環境、生活や学習の実態を考慮するな らば、それ らは意外な現象ではない。 さらに、

青少年 はその後成人 となって もそうした特徴を引きづ ってゆ く可能性が非常に強 くなっている ことも十分予測されることである。

その拡散化現象の克服 は、確定的なアイデンティティーの確立 にではな く、可変的なそれの 形成 に求めざるをえないであろう。可変的アイデ ンティティーの視点を取るということは、オー トポイエシス的自己組織化 という人間的性能を開発することである。それは、個人の自律的な 自己生産 (創

)性

を向上 させることである。その考察の前提として、人間を 〈生成的な存わ として捉える見解 と、 自律性概念 について検討することが適切であろう。

3。 自律 性 の必要 条件

自律性 は、人格を構成する中枢的な要件である。人格を発展 させることは、教育が目指すべ き理想であるとして も、 これまで教育の直接的な目的 とはされていない。それは、従来、教育 の主要な機能 は、諸世代を統合する集団的な表象体系である共通の認識、規範意識の内に諸個 人を導入 して国民を育成することにある、 と考え られてきたか らである。それに、人格の要件 である自律性 は、国家・ 社会への帰属性を要件 とする国民概念 とは相入れない要素があるとみ なされていたことも、挙げられる。 しか し、すでに指摘 されたように、変化・ 流動性を通常態 とする今後の社会状態を顧慮するな らば、各個人の自律性を発展 させることは、現在の教育が 直面 している具体的な課題である。 自律的な個人の相互作用を要因に して初めて自律的に生成 発展する社会 は形成 されるものだか らである。

自律性 は、一般 に、ルールと結びつけて説明されている。例えば、 ルールを く自分のもの〉

に してゲームに興 じている子供 は、ゲームにおいて自律的である、 とされる。たとえそのルー ルが大人か ら与え られたものであっても、仲間によって認め られていればよいのである。 この 捉え方をもとに して自律性について考察 してみよう。い くつかの問題点が取 り出される。 自律 性 はどうしてルールと結びつれ られるのか。何にも拘束 されない自由とか自立性 とは同 じか否 か。 ルールは、 自分 自身でオ リジナルにつ くらな くて もよいのか。そ して、他者か ら与え られ る外部的なルールを く自分の もの〉 とすること、すなわち 〈内面化〉するとはどういうことな のか。それ ら検討を通 して自律性の特徴が解明されるであろう⑥。

(5)

まず最初に、 自律性 と自由、 自立性 との相異 について。 自由は消極的な概念であり、 自分が 欲す ることに関 しての制限や拘束がないことである。 自由は自律性の十分条件ではない。 とい うのは、 自律性 は自己指導 (self―direction)や 選択の要素 を内 に含んでいるか らである。 例 えば学習の自由は与え られていて も、学習のイニシァティヴがない場合 もある。学習において 自律性の行使を励 ますな らば、学習内容等の選択の自由が認め られな くてはならない。つまり、

自由は自律性を行使す るための必要条件である。 しか し、 自律性を発達 させるための必要条件 とは言えないであろう。 自律性の発達 は、 ピアグループ等他者か らの外部的な指示など経験的 な要素 とも結びついているか らである。

自立性 (independence)な い し自主性 は、動機付 けに関 して他者に依存 していない状態 の こ とである。教師への恐怖心 とか賞罰へのこだわ りか ら学習するのは、 自主的ではない。 自立性 は、他者や物事 に対す る個人の外的な係わ りに関する事柄である。 自律的な主体 は、動機付 け での自立性をもつ必要 はあるが、 しか しそれ と同一視することはできない。

ただ し、 オー トポイエシスの視点か ら、動機の問題に対 して新たな注 目がなされていること を押 さえておかな くてはな らない。不確実性の時代が到来 し、社会科学の手法の伝統的な支配 的パ ラダイムの動揺化の もとで、社会的な ものを無条件に現実的な統一体 とみなす暗黙のコン セ ンサスが疑問視 され、社会化の社会的条件付けの力が相対化 される。それに伴い、主体の哲 学への回帰がみ られ、個人が自己の行為を再編 し方向づけるのを支える 〈自省的な動機〉が重 視 されるようになってきているのである。

自律性の積極的な意味は、〈理性〉 との関係 において捉え られる。思考 し、行為することが、

本人 自身の 〈精神の活動〉 と関連づけて説明 され うる場合に、その人は自律的 と言える。その 精神活動 とは、く選択、熟慮、決定、反省、判断、計画、推理〉である。思考 と行動が、強制、

条件付 け、 インドク トリネーション、承認 していない権威 によって支配 されている時、人 は他 律的なのである。外部か ら取 り入れた内容 はそれ らの精神活動 と関わ らせることによって く内 面化〉 されるのである。だか ら、思考・ 活動 はオ リジナルでな くて もよい。 自分が従 うルール もそうである。学問的に独 自の見解や理論を提示で きる知的な人間だけが自律的なのではない。

また、人の思考や行動 は本人 自身の精神活動 に関連づけて説明 しつ くせないので、 自律性 とい うのは絶対的な ものではないのである。

ここで く内面化〉に関 して もう少 し触れてお こう。〈内面化〉、〈内面性〉 は一見 〈内向性〉

と同義のようにみえるが、そうではない。D。 リースマ ンは内向的な人間を自律的な人間 とは 区別 している。彼によれば、く内向性〉 は 〈他者志向〉の特殊なケースである。 他者 の指示 的 な影響が、幼児期に強制的な形で取 り込 まれ、その指示に従 うことがいわば自分 自身の衝動と なって しまっている場合に、その人 は 〈内向的〉 と呼ばれるのである。

自律性を成立 させる不可欠な要件である 〈内面化〉 は、人間精神の本質的な特徴である 〈内 面性〉の意識を前提 に していることは言 うまで もない。内面性の意識 とは、個人が自分の生 き ていることの意味 と、 自分 と関わる環境世界の意味 とを問い、 また両者の関連 について配慮 し 省察す ることである。

さらに、く内面化〉 との親近性がみ られる 〈受容 (性)Rezeption〉 について。〈内面イDは 外部的な ものを単 に内に取 り込む ことではな く、それを自分の精神活動で媒介的に再構成する

ことであることは、すでに指摘 されたことである。 しか し、その際留意 しな くてはな らないの

(6)

は、精神活動が固定的な方法原理に基づ く客観性に固執するあまりに人間の主体性を、そ して 個人の主観性を消去 して しまうことがないようにすることである。その視点か ら、近年、例え ば 〈受容性〉が新 たな方法概念 として捉え られている。それは、作品の理解 において主観的な 条件 とされる 〈解釈の仕方の働 き〉を重視す るものである。それにより受動的な受容か ら能動 的、生産的な受容への転換が意図 されているのである

0。

自律性を基礎付 けている精神活動である理解、選択、決定などが間違 っていたり、それ らの 規準が不適切である場合、その個人 は自律的ではないのか、否か。 これは学習に発見的な手法 を採用す るとき、教師が直面するディレンマである。子供が自己一指示的に探究活動を展開 し た結果、間違 った解答を出 したり、考慮すべきことを誤解 していたりす ることがある。 それに 対す る教師の応対 は難 しい。 けれども、基本的には、たとえ間違 っていて も自立的に活動す る 構えを有するものとしての自己概念を子供 自身に確認 させ、強化することが大切である。間違 いに関 して子供を訂正す るか否かについては、やはり訂正することが適切である。選択、決定 などの知的活動 は、対象 に応 じた一定の基準ない しルールを適用す ることによって、その知的 性質を確保 しているのである。だか ら、知的反省 はその採用 した基準の適否をめ ぐって行われ るのである。その際、基準、ルールのオ リジナル性 にこだわる必要のないことは前で指摘 され ている。

基準 もしくは規準のない選択 ということは考え られない。採用 される基準 とその妥当性およ び適切性 は、選択 されな くてはな らないものが何であるかに依存 している。そうだとす ると、

採用 される適切な基準 は、個人の特殊な願望 とか目標か ら独立 していることになるも採用すべ き基準か ら引き出される理由は、個人の願望を無視する形で、個人 に対 していわば 〈強要的〉

な ものである。だか らこそ、実存主義者は 〈基準のない自律性〉 とか く理由のない自律性〉を 要求するのである。

基準およびそれか ら引き出される理由づけの強要的な性格 は、人間の理性そのものの特徴に 由来するものである、 とR.F.ディアデ ン(ロ ン ドン大学教育研究所教授

)は

指摘 している。

しか し、選択の基準、理由は一方的に選択対象に委託 されているとしないで、選択主体である 個人の側の意味志向性 と関連づけた捉え方をする必要があろう。 とはいえ、基準が個人の願望 か ら独立 しているか らといって、個人の自律性が侵害 されているとは言えない。なぜな ら、個 人 はその基準を採用 しないことも可能だか らである。要するに、 どのような基準 に準拠 して精 神活動をコントロールす るのか ということが、その意味での く自己一支配〉 こそが く自律性〉

の本質的な標識 と言えるのである。

4.自己生成 的存在 の基本 的 な特 徴

自律性の行使における主要な必要条件についての上の考察か ら、 自律性を形成するための教 育的な基本認識、 そ して方法および内容を組織化す る必要がある。そ してまた、それ らを包括 する基本的な人間理解を構成することも必要である。

自律性の必要要件を考慮 して、陶冶概念を次のように規定するのが適切である。この規定 は、

W.ク ラフキーの概念規定を元 に して筆者なりに部分改訂 した ものである。

新たな陶冶概念の規定:

① 変化する社会環境およびその中で意識的・ 無意識的にで あれ変化 させ られてい る自己存

(7)

在 と自己自身 との間隙を橋渡 しす るために、それ らに対 して絶えず態度決定を遂行するこ とにより、 自己の人格を具体的に形成すること。

② その態度決定の拠 り所 となる基準 (規

)を

、歴史・ 文化・ 伝統 との関わ りにおいて追 究 し、 自分が適用すべき基準の妥当性を吟味 し選択すること。

③ 物事の経験、対話および行為などを通 して自己を乗 り越 えよ うとす る意志 を育成す るこ と。 その際、同時に、 自己を自省的に捉え自己概念の変容への構えを築 くこと。

こうした陶冶概念が想定 している人間理解 は、く生成的な存在〉 としての人間である。 これ Co R.ロージャズゃRoH。 フェニ ックスが提唱 している人間把握である。 ここで は主 と して ロージャズの見解に依拠 して筆者なりにその人間理解の特性を明 らかにしたい③。  

人間は自律的であるかそれ とも他律的であるか と問えば、他律的であると応えた くなる。社 会的存在 としての人間は社会の拘束か ら抜 け出 して超然 と生 きることなど考え られないのであ る。 さらに、人間は生物的な存在 として遺伝子 によって、そ して身体的な諸要因やその疾病に よる制約をうけている。人間には真の自由はないのか も知れない。行動主義的な心理学の中に は、く人間が自由でないという仮説 は、人間行動の研究 に科学的方法を適用す るために不可欠 の ものである。〉 とさえ言い切 っている。その立場か ら見 ると、人間は機械であ り、 不 自由な ものであ り、いかなる意味において も物事や自己自身に対 して主体的に関与することはできな い存在である。人間は外部的な意図的ない し意図 されないもろもろの力によって統制 されてい るにす ぎない存在である、 と捉えることができるのである。

しか し他面 において、人間は 〈自分 自身の選択 によって生 きている〉 という自覚をもちうる 存在で もある。人間の成長0発達 は自由な選択の行使 によって初めて可能 になるものである。

要す るに、人間は自由に選択 し意思決定することができる存在である、 と捉えることも可能な のである。

こうした両面的な人間理解 に基づいて、生成的な人間存在の特徴 は次のようなものとして指 摘 されるのである。

①「態度決定する存在」 :人 間の内的本質 としての自由

人間はいかに厳 しく拘束 された環境条件の下 にあって も、く人間の最後 の自由〉 を保持す る ことができるものである。生死の境に追込 まれた強制収容所の体験 か ら、

V。

フランクル とB.

ベテルハイムは、共に、極限状況 ともいえる苛酷な環境の中で人間として生 きのびるための条 件 は、態度決定を放棄 しないことであると述べている。生 ける屍 としてではな く一個の人間 と して生 きることを模索 した結果、「人間の最後の自由、つまり、 どんな環境 の下 で も自己の態 度を選ぶ自由を依然 として保持 していることを悟 るようにな った」0と ベテルハ イムは記 して いる。 自己の態度を自主的に選ぶか否かが、く人間性〉を持ちつづけるか、 それ とも精神的な 植物人間になって しまうのかの分岐点 となるのである。

こうした自由というのは、人間にとっての く内的な、主体的な、実存的な自由〉である。 こ の自由な態度決定の遂行 は、その個人が自分の生 きる道を選択す ることに他な らない。その選 択 により人 は未知のもつ不確かさの領域に不安な一歩踏みだす ことになる。不安を克服 させる のは、 自分 自身の中か ら新たな意味を発見する充実感である。それゆえ、態度決定を継続的に 遂行することは、 自分を絶えず成長 し続ける過程存在に、 自己生成的な存在にするのである。

態度決定 は自己決断 と同義 と言えよう。 この自己決断の重要性を人間学の立場か ら強調 して

(8)

いるは、MoJ.ラ ンゲフェ ドである。彼 によれば、人格を有する人間は、いつ も「 自己決断す る存在」であり、 したが って、「存在す ると同時に未だ存在 しないところの、 す なわち未 だで き上が って しないところの誰か として、 自己自身を把握する」のである。その視点か ら彼 は、

子供を「 自分にとって全てが可能性 として価値を もつような人間」であると捉えている。そ し て、人間はみずか らを決定 しなければならない存在であるゆえに、 まさに教育を必要 とす るの であり、 また教育が可能である、 と指摘 しているのである⑩。

②「 自己自身でありうる関係を追求する存在」 :役割づ くりをする自由

これは通常の社会的次元における自由である。社会化の過程 において人 は社会に組み込 まれ ることによって社会的な規定を受 ける。その規定 は具体的には帰属する集団での役割を与え ら れ、それを取得することにおいて作動 している。役割の内容 は、基本的には、集団の組織や機 能、 目的によって決定 されてお り、役割の取得には強制的な拘束力が伴 っている。そうした役 割 との自己同一視 によって社会の要求を自己の要求に変換することが行われる。それが社会化 の実態である。 しか しその取得 された役割を媒介 にした人間関係 は組織的かつ機能的な性質を を強 く帯 びたものである。そこで人 は、役割を解釈 し直 し、それに新たな意味付与を して積極 的に自分か ら役割づ くりを試みるのである。それは、役割 に規定 されなが らも、 自分 らしさを 求める人間的な要求 に基づ くものである。つまり、人間は社会的に規定 されていて も、 自己自 身を実現 しようとする意欲を もつ ものであり、 またそのために一定の自由を行使す ることもで

きるのである。

③「 自己成就的予言性を有す る存在」 :個 人的な差異を産み出す自由

心理学的研究 によれば、集団の圧力に弱い人 は情緒的にかた く、 自発性を欠 き、 自分の行動 と動機 について十分理解 していない傾向がみ られる。それに対 して、 自分 自身で選択す る自立 的な人間は開放的で、 自信をもち、 自分 自身をよ く理解 している。そ して、 く青少年 たちの将 来の行動 は…… 彼 らが自己自身やその環境 についてどの程度現実的な理解をもっていたかに よって予測 されるということ〉が立証 されている。 これはピグマ リオン効果 として知 られてい ることと関連 している。

この視点か ら見れば、教育 は知識0技能の伝達ではな く、 自己成就的な個人の発達を支援す ることである。

D。

④「 コ ミットメン トする存在」 :認 識の基礎 と発展方向を生み出す関与    '

この意味は、M.ポ ラニイの く個人的知識〉を参照すれば十分 に理解 されるであろ う。 彼 は 知識を言語表現可能な言説知 とそれが不可能な暗黙知 とに区分する。暗黙知は、個人が物事 に 全心身的に関与す ることの過程 において自分の心身 において感知 される実質的な内容である。

内容 といって も、未だ言語化 されていないものである。その内実 は個人の探究方向を規定 し、

一定の方法手続 きを経て明示的知識を生みだすのである。 したが って、 この暗黙知 は他者か ら 教授伝達 されるものではなく、個人の関与によって獲得 される 〈自分だけの固有な知〉である。

要するに、く関与の本質 は、行為をとお して、暫定的な個人的真理を創 りだす こと〉であ る。

モ ンテッソー リが強調する新生児の 〈吸収する心〉は、暗黙知を把握する働 きの原初的な形 態 と言えよう。く新生児 は自分を取 り巻 く環境の要素を吸収 しつつ、 自らの人格 を形成 してい

くのです。〉(0と の指摘 は、 この視点か らみて、意味深 いものである。

また、 ランゲフェル トは暗黙知か ら言説知への移行を次のように述べている。例えば、高 ぐ 積み上げ られた積木 はそれを突 き崩 して くれるように子供 に訴えかける。そうした く直接的訴

(9)

えかけにたい して反応すること〉の繰 り返 しを経て、そこか ら新 しい く経験の形式〉が形成 さ れ、それが く認知〉 となり、 また く言語的表現〉 として立ち現れて くる、 と。

(。

これはおそ ら

くポラニイの見解に基づいているであろう。 しか し、一層明快な解説になっている。

自己自身への関与 は、 オー トポイエシス理論 において重視 されている 〈自己言及的な自省作 用〉 として捉え直す ことができるであろう。

以上4点が自己生成的な人間存在の主要な特徴である。人間に与え られている自由の余地 は 人間が自律的であることを要請 されている重要な領域なのである。 自由とはまさに自律性への 呼び掛 けである。 それに応えて、精神的な活動である態度決定、意思決定を遂行することによっ て、個人 は自己を生成的に発展 させる契期を成立 させるのである。 また、関与を遂行すること によって、社会現実や物事に即 して、 自己展開の基本的な方向性が生みだされるのである。変 動する時代 においては、 こうした自己倉1出的な人間が求め られると言えよう。

生成的人間の重要な特徴である自己組織性 についての究明は今後の課題 とされる。

主要概念〉

オー トポイエシス、社会化、可変的アイデ ンティティー、内面化、 自律性、生成的存在

参考文献〉

K.‑lDo Revermann:Konstruktion und Selbstorganisationo Peter lang,1989。      R.Huschke―]Rhein:Systematisch― (Dekologische Paedagogiko Rhein… Verlag,1992.

Ro F,Dearden,Po Ho Hirst,Ro So Peters:Education and the developrnent of reason.

ROutledge&Kagan Paul,1972.(EDRと 略訂D

Wo Klafki:Neue Stidien zur Bildungstheorie und Didaktik。 3 Aufl.,Belz Verl.,1993。

J.Derbolav:Grundrisseiner Gesamtpaedagogik.Diesterweg,1987:(GGと 略証D

R.Skager:Organizing Schools to Encourage Self― ]Direction in Learners. PergamOn, 1984.

注〉

1)V.マ トゥラーナ

,F.ヴ

ァレー ラ (菅啓次郎訳)『知恵 の樹』、朝 日出版社1987、 29ペ ー .

2)今田高俊『 自己組織性 ―社会理論 の復活』創文社、1986、 59ペー ジ以下参照

谷本憲治「 〈自己組織化〉図式 ―オー トポイエシスの視点」和歌山大学経済学会『 経済 理論』233、 1990、 41ペー ジ

3)P.デ ュム シェル,」

.̲P.デ

ュ ピュイ (丹生谷貴志訳)「 自己組織化 一物理 学 か ら政 治 学 まで」『 現代思想』1983.12.91ペー ジ

4)GG,S.162.

5)山

之 内靖「 システム社会 の現代的位相 (上

)」

『 思想』No。 804、 1991.6。 参照

6)R.F.Dearden:Autonomy and Education,in EDR.

7)H.R.ヤ ウス「 受容理論 一その知 られざる前史 を顧 み て 一」『 思 想』No.820、 1992.

10.6ペー ジ以下参照

(10)

8)C.R。

ロージャズ(村山正治訳)「自由と関与」 ロージャズ全集第12巻『人間論』 所 収、岩崎学術出版社、1968 参照

9)B.ベ テルハイム (丸山修吉訳)『鍛え られた心』法政大学出版、1975、 157ペ ージ 10)ラ ンゲフェル ト(和田修二訳)『教育の人間学的考察』未来社、1996、 57ペ ージ

同上 (岡田・ 和田監訳訳)『教育 と人間の省察』 玉川大学出版、1994、 97ペ ージ 11)T。 ブラメル ド(教育人類学研究会訳)「教育的展望 ―自己成就的予言をめ ぐって」

島原宣男編『 現代人 と教育の危機』新泉社、1977、 47ページ以下参照

12)E.G.ヘインス トック (平野智美監訳)『モ ンテ ッソー リ教育のすべて』東信堂

1988、 88‑9ページ 13)注10同 本、88‑9ページ

参照

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