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静岡県の海岸 : 地学教材覚え書き(5)

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(1)

静岡県の海岸 : 地学教材覚え書き(5)

著者 北川 光雄

雑誌名 静岡地学

巻 23

ページ 6‑16

発行年 1972‑11‑05

出版者 静岡県地学会

URL http://doi.org/10.14945/00025783

(2)

静 同 地 学 第

23

号 (

1972 ) 

関 の 海

地学教材 事情)

) 1 1

光 雄

は じ め に

海岸付近の地学的現象にはさまざまな興味ある自然、のようすや揚きを教えてくれる材料がふくまれて いるO また津浪や高織の被害をうけた監史,観光化や開発にともなう沿岸防災の側面など、海岸に関する の範囲は広い。教科書にとりあげられている地学の教材としては海岸地形の発達や形態に関連して 地かく運動にともなう汀線変化,波の作用や潜水の作用による海岸地形の紹介が中心であるO ま た 海 底 地 形 や 底 質 の 概 観 も ふ れ ら れ て い る が , そ の 形 態 や 発 達 に つ い て は 新 し い 事 実 の 発 見 , 海 洋 拡 大 説 や プ

レートテクトニクスの理論の進展にともなって追加されなければならない内容がおおい筈であるO

関県の海岸線は相模灘,駿河湾、,遠丹、

i

灘 に わ た り 約

420

Kmの延長をもち,海岸や海底地形は変化に とんでいるO そこで今回は静岡県の海岸についての諸現象や諸問題をこれまでの知見の紹介をもとに

してみたい。海岸地形の理解の基本は対象地域の地形発達をよみとることであり,海岸研究の目的は それをもとにした適切な分類であるともいわれている O そしてそのためにはやはりおおくの事例の が必要で、あるので,これがそのきっかけになればとも思っているO

海岸地形の分類

さまざまな景観をもっ海岸を類型原jに整理し3 共 通 点 を も と に し て 分 類 す る 作 業 は お お く 発 表 さ れ て きたO そこではじめにこれまでに試みられた海岸地形の分類について若干のべておこうo

1919

年 に 発 表 さ れ た ジ ョ ン ソ ン の 分 類 は 発 生 的 な 立 場 か ら な さ れ た も の で , 今 日 で も そ の ひ と つ の 基 準 と さ れ て い る例である O そ れ に よ る と 第 一 は 土 地 が 沈 降 す る か 海 面 が 上 昇 す る 場 合 に お こ る 海 進 に よ っ て で き た 沈 水海岸,第二はその反対の場合の海退によってできた離水海岸,第三は火山,断属,三角説、│の発達など 海 進 や 海 退 と ほ ぼ 無 関 係 に 海 岸 線 が 形 成 さ れ た 中 性 海 岸 , 第 四 は そ れ ら の 接 合 の 結 果 と し て で き た 合 成 海 岸 と し たO コットン

(1952)

は安定地域の滋岸と変動地域の海岸に大別し2 そ れ を 地 か く 運 動 の 種 類により更に細分しているO パレンチン

(1952)

は 前 進 性 の 海 岸 と 後 退 性 の 海 岸 の 二 群 に 大 別 し , そ の細分には堆積,侵蝕などのプロセスや波浪や風などの営力を加味しているO シェバードは

1937

年の 試案をもとに

1963

年 に 海 岸 が 生 成 さ れ た 原 因 を も と に 新 し い 提 案 を お こ な っ た が , 一 次 の 海 岸 と し て 侵 蝕 性 海 岸 , 堆 積 性 海 岸 , 火 山 性 海 岸 , 構 造 性 地 形 の 海 岸 , 二 次 の 海 岸 と し て 波 蝕 に よ る 海 岸 , 海 の 流 れや波による堆積海岸,生物の作用による海岸にわけてそれぞれを具体的な作用や種類、によって細分し ているO ノミスコム

(1951

)は海岸付近の波の大きさ,海岸の型量海浜堆積物の粒度などをもとにそれら の項目の組みあわせによって海岸を記載しようとしたO

後 静 商 英 和 短 大

6 ‑

(3)

海岸の現在みられるすがたはおおくの とそれらの時間的変化の結果であるために,単純に分類す る作業は困難であることが?これらの試案からよみとれるO したがって、海岸の理解には直接それにふれ,

海岸線をふくむ一帯の地形@海蝕の程度やそれをうける土地条件などの吟味が個々の地域について必要 になってくるO 一般に沈水性の海進による海岸は出入りがはげしく,いわゆるリアス式の海岸の様相を して岬や入江にとんだ岩石海岸と小規模な砂浜をもつことがおおく,溜退による離水性の海岸は海底 の堆積面があらわれて海岸平野となり単調な海岸線をもっ地形や梅岸段丘の発達するそデルが考えられ ているO しかし出入りのおおい隆起海岸のみられることもあり,この二つの分類にしても地盤の

と海水面の変動量との量的関係から海岸地形の発達が考えられなくてはならないという批判もあり,分 類については残された課題はおおいO

I I I

静 岡 県 の 海

わが国の海岸線の延長は約 26500 Kmといわれ,静岡県の海岸線の長さは全国の約 2婦にもみたない が,その中には各種の成景によっても知られるように潟洋地形のおおくの種類がふくまれているO 静岡 の海岸も多様性を特色とするが,そのように種類にとんだものとさせた要因についてみると,第一に フォッサマグナの南部に位置する駿河湾をはさんで地かく変動のはげしい地域にあたること,

のi経水量とともに東海型河川とよばれる侵蝕堆積作用のはげしい急流性河川が流入して平野を形成し ていること,第三に富士や伊豆半島を中心とした火山活動がさかんで,その噴出物や運動が溜輝線に

を及ぼしていること,第四に河川のもたらす多量の供給土砂量とともに沿岸流F 季節風,波浪などの が砂丘の発達などに関係していること,などがあげられるO また外洋に面していたり,出入りのお おい海岸線では合風や地震の時に高潮や津浪の害をうけたことのおおかったことも特筆されねばならな O これは日本列 についていえることであるが,海岸線が変化にとんでいる理由は海水面変動,

ことに 20000年前からはじまり,約

6

000

年前の縄文前期までつづいた約

100 m

あまりの溢面上昇に よる海水の進入が現在の海岸線を決定するのに大きく関係しているといえるO また継続的な、海面上昇や 地かく運動とともに地震による一時的隆起もあり,波蝕棚がもちあげられたり,潟湖が陸化したり p 蝕台があらわれたりといった海岸付近の小規模な地形変化の例も重要であるO このような

件のもとにみられる静岡県の海岸地形のあらましを次に地域別に記載したv¥o

1 . 伊 豆 半 島 沿 岸

をもっ条

伊豆半島の湖岸は北部では達磨山,大室山,天城山など活動時期はことにするが,それぞれの火山 の噴出物や溶岩流が海まで達して山のせまった海岸のタイプを示すO 高部も凝灰岩質岩石や火山京か

らなる白浜層や湯ケ島層の山地が急傾斜をもって梅にのぞみ,岩石海岸の分布が広い。のちの構 動は西海岸では直線的な海針崖を形成し,南部梅岸では岬や湾入の配列が一定の方向を示す定向性の 海岸としてその特色をあらわしているO 海蝕による顕著な海蝕庄の発達は伊豆の海岸の大きな魅力で もある O 海蝕躍の形態,悔蝕洞やはなれ岩の分布,海岸線の屈曲の度合などは岩石の軟硬,節理や岩 脈の発達のような構造上の局地的条件をよく反映しているO

)11津)11 ,青野)11 ,仁科)11などの下流には沖積地が発達し多砂浜を発達させているが,砂浜や磯浜の 規模は全体に小さく,位置的には湾奥部のポケットピーチ状の堆積部や地層の差による選択侵蝕の結

‑7‑

(4)

10  kg 

0.1 

0.0 

としての をもとに分 しているO 戸田, にはj窓口をふさぐよう

む か つ て の び て お り であるO や 石 廊 崎 付 近 に

が北に して いる i の形 していること, していることが

1/25

000

地 形 図 に よ っ て も よ み と れ る こ と な ど は , 地 か く に よ る 変 位 の 証 拠 で あ るO あるが

10m

以下,

2 0 ‑ ‑ ‑ ‑ 4 0   m

, 

5 0 ‑ ‑ ‑ ‑ 6 0   m

, 

70‑‑80  m

, 

90""‑120  m

5

段 の

られているO しかし対比に関しては で あ り 今 後 の とされているO

の 海 岸 は 観 学 資 源 と し て も 価 値 の 高 い 地 点 が お お く , そ れ ら は 地 学 的 に も 特 殊 な 現 象 で あ る こ と が 特 筆 さ れ る 円 溶 忠 清 の 形 態 が 海 岸 地 形 に 鹿 接 関 係 し て い る 域 ケ 崎 海 岸 , 千 畳 敷 と よ ば れ る 波 蝕 台 が 須 崎 や 入 間 の 海 岸 に み ら れ , 潮 吹 崎 , 天 窓 洞 , 阿 蒲 陀 窟 な ど の 脊 勝 に 代 表 さ れ る 海 蝕 潟 雪 み の か け 岩 や 千 震 門 な ど に み ら れ る 海 蝕 に よ る 奇 岩 , 波 勝 崎 海 岸 や 土 肥 か ら 戸 田 に か け て の 海 蝕 建 な ど 枚

にいとまがなし'10 これらの に 対 し て 白 砂 の 浜 が る が , そ の 分 布 にも

の 形 成 過 程 を 考 え る こ と が で き る O 海岸地形研究の場としてこんなにめぐまれた地域は他になしサ瓦も しれないO

60 

Km 

大 井 川 河 口 沖 等 深 線 図

i

芳成後~

l

, 

....  ¥ ,0/ 

竿 70 

80  90t i100  Jき 争g1F36 r8 1'1 

JJj  :

, 

、,八1

¥ /  

t 1"  l' 

新 宮J'1liJIJ

遠 州 灘 沿 岸 に お げ る 最 大 級 擦 の 平 均 値 (山内秀天による)

。怠~鳴

ら 町 山 崎 町 幽 目 ‑ 1

事D:

lg90

=  191' 

J9~島守

轍 義 蕗

大 井111河 口 沖 の 底 質 分 布 ( 星 野 通 平 に よ る }

1 1 1

下 流 の 流 路 変 遷 ( 栗 林 沢 ー に よ る )

f :

‑8‑

r‑

{ S 9 0

竿

i

き何年

浜 向 付 近 に お け る 砂 丘 分 布 の 変 遷 ( 栗 林 沢 ー に よ る )

(5)

鞍 河 湾 沿 岸

狩野)

I 1

河口から御前崎にかけての駿河湾に面する海岸線はほぼ平滑な形態を示しているO 狩野

) 1

1

h

安倍)

  I 1

,大井川などの流入河川は河口付近が若干突出しているが,その先端部には砂磯州、│を 発達させ,その内側に扇状地性の平野や三角洲を形成しているO 流域面積や運搬土砂量に比して堆積 区域のせまいのは急、深な海洋に面していることや沿岸流による移動のはげしいことにその原閣は考え られているO 富士川河口以東の海岸は河)

I 1

と沿岸流によってもたらされた砂礁がHと上部の風成砂の堆 した田子浦砂丘によって特色づけられ,狩野Jl

I

河口までのびているO 背後の愛鷹山麓との間は潟湖 のうめたてられた浮島原低地であり海成躍があっし

" 0

富士Jl

I

河口から御前崎までは庵原山地,久能山,

大崩れ山地,牧の原台地などが海にせまり,海蝕崖の地形を示しその間に海岸平野が発達するO 海 浜 堆積物も砂質部と磯質部と局地的変化がはげしく浜堤の発達もみられるO 由比,蒲掠,大崩れなどは 海蝕崖の地形が顕著で地すべりや山腹斜面崩壊のおおい不安定な地域であるO 三保の分岐砂鳴は単調 さをやぶる特異な地形であるが,その生成には安倍)11の供給砂磯や有渡山の隆起にともなう海蝕が沿 岸流とともにあずかっているO 清水港を中心として埋めたてや築堤など人工的改変がすすんでいるO

御前崎の岬端部は第三紀層の上に海成磯層をのせる隆起海蝕台で梅蝕産下には砂浜と波蝕台もみられ,

3Km沖には沖御前岩礁がある

O 御前崎から大井川河口にかけては砂浜の発達がよく,浜堤や局地的に は砂丘もみられるO また榛原町には数列の砂堤列と堤開湿地があり,集落の分布や土地利用にそれが 表現されているO

3 . 遠 州 灘 沿 岸

州灘の沿岸は愛知県伊良湖岬から御前崎まで約

110

Kmは出入りのとぼしい砂浜で,天竜Jl

I

河口の 堆積部がわずかに突出する程度であるO 浜松市以東はほぼ

60

Kmにわたり,大規模な梅岸砂丘が発達 して遠州灘砂丘と総称されているが,中田島,千浜,浜岡,御前崎などにわけられ,規模や形態はこ となっているO これらの砂丘の形成には冬季の強い西風と天竜)11から供給された土砂が大きくあずか っているが,形態的には自然、の改造に働きかけたおおくの人々の歴史的所産も大きいO 砂丘の発達や 地域的特色については問題がおおいが,全体が砂で構成されているというより風成砂が海岸ぞいの 地や丘陵を被覆するような形もあり,台地がせまる所では高位置にまで砂がはいあがっている場合も

あるO 新居町以西の渥美半島南側は天伯原台地が海にせまって海蝕崖を発達させ,漂砂や農の後退が はげしく岩石海岸に移行しているO この海岸の単調さをやぶるのが浜名湖であるO 浜名湖の面積は 内で

11

位であるがF 湖岸線は

120K

m

3

位を示すのは三方原や高師掠台地の侵蝕谷に海水が侵入し ておぼれ谷の地形を示すためであり雪猪鼻湖や引佐細江はその例であるO 現在は今切口によって海と つながっているが,

1498

年の明応地震以前は砂州が湖口を閉じた淡水湖であったO 三方捺台地の 縁は浜松市伊場から雄踏町にかけて直線的な海蝕崖の地形を示しているO この海蝕産以掲の沿岸低地

には海岸線と平行に 6列の砂堤列が発達し璽砂堤列間低湿地の一部は沼地になっている所もあるO 蝕産下に発達する第一堤列が開析谷の出口をふさいでしまったために生じたのが佐鳴湖であると考え

られるO

9 ‑

(6)

N 海 底 地 形

海岸地形を理解するためには陸上の地形とともに海底地形の検討も重要な作業であるO 駿河湾、はブォ ッサマグナの南端に位設する湾入部であり,地質構造上重要な海域であるので海底地形についておおく の調否がすすめられているO 駿河湾、を大井川河口付近から伊豆半島松崎付近にむかつて東西に断面をと ると音波探査の結果,西ーから罰岸沖陸搬,陸棚斜面,西石花海舟状盆地F 石 花 海 堆 , 湾 中 央 深 部 , 伊 豆 半島沖陸相斜面,陸揚などに地形区分できると考えられており,ブォッサマグナの延長は西石花海舟状 盆地につづくとされているO 非常に急深な湾、であることや起伏にとむ複雑な地形であることも知られ,

おおくの特色をもつが量ここでは海岸地形と関係の深い大陸棚について紹介するO

駿河湾、の大陸棚は北部と東部は幅がせまく 9 西部は南下するにしたがって広くなり,御前崎沖では に約

30

Kmの幅をもって発達しているO 石花海とよばれる堆は湾中央の西側にあり南北方肉にのび

32m

の設、捜部をもち,その表面には大井川系に出来する擦が分布するO その撲は小笠山際麿に対比される段

の残りであるとされており,その

20

mほどで大陸棚の地形に類似しているつ対珪棚 の外縁は潜西部で

50‑ 200 m

と南にむかつて深くなり,湾、興で

200m

,内浦湾で

150m

, 密東で

200

mを示しF 湾東ではあまり発達していないO 湾、西部でも蒲原沖から焼津沖にかけては外縁は

50‑‑60m

で,幅は安倍

) [ 1

沖 で

5 . 5

恥,平均

3

KmであるO 焼津沖から御前崎東方沖にかけては

80‑ 120  m

の 外 縁 水深を示し,御前崎東方沖では幅

9

Km,南方沖で約

30

Kmi幅 を も ち 高 方 ほ ど 発 達 は よ く な り 外 縁 水 は大きくなるO 御前崎周辺の大陸棚にはしばしば基盤岩石が露出していることがあり

120m

科 障 の

であることは,大陸期の原面を作ったのがヴルム氷期の最盛期に対応されるとも考えられ ているO 湾奥部は発達はよくないがp 富士)11河 口 部 の 擦 の 堆 積 部 , 清 水 沖 , 沼 津 内 浦 な ど に 若 干 み ら れ O 湾東部は外縁水深

80‑ ‑200 m

で幅は

2‑3

Km,石廊崎南方で

200‑‑‑250m

で幅は約

9

Kmとなるが 外縁部の傾斜の変換が明瞭でなく,それは海水の流動により侵蝕されたためとされているO 伊 豆 半 部の相模湾では全体として外縁水深

1 5 0 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 1 8 0

m,椙は

2 ‑ ‑ ‑ 4

Kmを示しているOちなみに大陸棚の地形

について世界的な視野でまとめたシェパードの説明をみると,平均の幅は

70

Km,外縁の平均水深は

1 3 0

m,いちばん平坦な部分は

70

mの深度付近にあり,平均傾斜は

0

0

07/

,外縁部にくらべて岸に近いとこ ろが傾斜が急であることを指摘しているO

大陸樹上の堆積物や等深線の分布についての資料は海岸線の と深い関係をもっているが,大井川 河口沖の資料は次のようなことを示しているO 河口を頂点とする海岸線のはり出しは

1 0 m

の等深線に もあらわれ,河口北東部では

5‑‑‑10m

の関の勾配が急になっているo

20 m

の線誌河口から

4

Km南で沖 に突き出し ,

50 m

以深では現在の河口前面の突き出しがあり,

200  m

までは同じ傾向にあるO このこ

とは河口の位置の変遷をあらわしているといえるO また大井川河口の成質分布をみると擦の分布が河口 から海岸線と平行した方向にむかつて分布しており,砕け波の作用する

‑5m

以浅と一致するため,波 の進行につれて汀線付近を湾奥にむかつて礁がはこばれたようすを知ることができるO

‑ 1 0  ‑

(7)

上 砂

海岸付近の変化する地形のすがたとして砂丘は好個の対象であるO

i

灘砂丘は表日本の代表的な 大規模な砂丘であるだけに,その性質は局地的に時間的にも変化にとんでいるO 冬の西風のつよいこ と,冬の乾燥した条件,天竜)1Iのはこびだす土砂が東方に移動して砂堤や砂浜を形成し,供給源とし ての役割を果たしていることは一般にいわれている。砂丘にたって衛行や跳躍をしながら砂の移動す る飛砂現象をみるにつけ,自然、の動きを教えられるがF 飛砂は農地の開拓や砂丘の改造には樟害であ

り,その自然、と調和をはかつてきた人々の苦労も同時にしのばれることであるO

砂の移動量は粒径,形態F 傾斜,湿度などによるが,一般に粒径

O .

3 漉~m前後の砂は地上 1

m

の高さ の風速が

5 " ' ‑ '6  m  / s e c .

で動きはじめるというO 浜岡砂丘の資料によると砂丘の砂は

0.15‑0.30

7nm の粒径のものが

92.4%

を 占 め 1 .1 

m

の高度で風速

10 m /   sec.

の場合, 1.

08  t/ m/day, 15 

m /  s e

c;.

17 .   7  0 

m  /  s e c  .の移動最があるといわれ,その移動は 50 c m

以下の高さでおこなわれ るとし1O

州灘砂丘は形態的に,砂の供給がとぼしく風力の弱し1内陸に る風向平行砂丘,風が 強く砂の供給がゆたかな所に主風向の正面に並列しているパルハン的性格をもっ波浪状砂正,明治中 期以後人工的に砂を誘導して植林とともに国定させた人工斜砂丘の三種に分類されているO これらの 砂丘の分布は砂の供給,気象条件,人工的改造の作業などによりきまるが,海岸にはおおくの国千の 作用することが知られるO 砂の移動にともなって河川の流路変遷や河口付近の閉塞と砂鳴の発津など 地形を複雑化させるO また閉塞の結果,池や湿地を形成したあともあり,湖岸平野の発達にともなっ て海岸線と平行する帯状の砂堤と堤間湿地を残すなど,海岸地形の発達にあずかる砂正の役割は大き

し¥

2 .  

汀線付近の徴地形

砂や礁からなる浜にはいろいろな微地形が発達し,バーム〈汀段) , リップ。ノレマーク(波漣) ,カ スプ(海の方へむかつて三角形につき出した地形)などはその例であるO 汀線付近のこれらの微地形 は潮汐や波浪による海面変動によって生ずるが,規模の大きいものは台風時の海面の高い持に形成さ れるO 海面下や沖合にはノミー(海面上の沿岸州) ,バワア(海面下の沿岸チ1'1), トラフ(バーの間の 凹地〉なども形成されて海岸地形に変化を与えているO 特に自につくのはピーチカスプで,これは波 がひくく潮汐のあげ幅やさげ幅の大きな場合に明瞭にあらわれるO 時間的には高潮時に変動量が大 きくあらわれるが,それは海底の抵抗がすくないので力が強くなり,カスプを形成しやすいためと えられるO またあげ潮の時に汀線や砕波線付近に砂擦を堆積し?さげ潮の時に毎散がひろがりカスプ 状を示して移動してゆくO 平面的に海側に突き出した部分は機質ないし粒径の大きい砂で歩陸側には いりこんだ湾入部では砂質がおおいのが一般的であるO あげ潮の時には堆積によりバーム状の段が形 成され事ひき潮の時にはその先端を等間隔に分離させるような形で規則的に砂繰を移動させるように もみえるO カスプのような地形は周期的に短時間のうちに生成事発展9 、消滅する現象で美しい自然、の 造型を示すものであるといえるO

42i 

EA

(8)

3 .

濯 の 後

静 岡 県 の 西 端 に 近 い 潮 見 坂 か ら 西 に の び る 渥 美 半 島 の 遠 州 灘 に 面 し た 港 岸 は , 洪 積 震 を き っ た 海 蝕 があり,波蝕により患が後退していることが知られている O 海岸綾には幅 50m~まどのピーチがあり

は 波 が 崖 下 ま で は 達 し な い が 台 風 時 な ど の 一 時 的 な 影 響 力 が つ よ い 。 後 退 速 度 に は 地 域 差 が あ る

5‑‑‑60

cm/年の

との関係についてみると

に も と づ い て い るO 産下部の地!欝と後 く曹あと黄砂層, シノレト震,お機f

のJl債になっている O と 前 面 の 海 底 の 水 深 と の 関 係 を み る と に な っ て い る こ と は 苦 そ の 地 域 の 波 蝕 捕 が 幅 広 く 発 達 し て い る 結 果 で あ るO また て い る 古 牛 層 が ビ ー チ に 露 出 し て い る 所 ほ ど 後 退 速 度 は お そ く な っ て い るO

1所 ほ ど 遠 浅 の をなし

波 の 衝 撃 や 水 圧 に よ る 破 砕 作 用 は 海 岸 線 を 短 時 間 内 に 変 化 さ せ る が , 躍 の 後 退 は 波 の 物 質 の 抵 抗 力 と の 関 係 で 定 ま るO の 火 成 岩 か ら な る

味あるフィーノレドであり,海岸線の屈曲度が後退の遅速を であるO 全 自 的 に 海 蝕 濯 の 後 退 に と も な っ て 発 達 し た 波

の 大 き い 海 蝕 産 に つ い て の 変 化 は し て い る と い う 考 え 方 も あ っ て 今 後 の

の 縮 か ら 計 測 さ れ た 後 退 速 度 の 平 均 値 は,更新統で1.

6  ' " ' ‑ '   8.0  x  10

cm /年 , 第 三 系 で

O .4  ' " ' ‑ '   2 .   8  x  1  0 

cm /年,

10

cm/年 以 下 と い う 値 が 求 め ら れ て い るO

と 火 成 岩 で 1

4 .

海 浜

汀 線 付 近 に お け る 変 化 に 漂 砂 と よ ば れ る 沿 岸 流 や 波 浪 に よ る 海 浜 堆 詰 物 の 移 動 現 象 が あ り , こ れ は の 面 か ら も 重 視 さ れ 各 地 で 調 査 が す す め ら れ て い るO 漂 砂 量 や 移 動 方 向 を

に 把 握 す る こ と は 国 難 な 作 業 で あ る が , 供 給 源 , 海 浜 の 幅 員 , 粒 径 , 岩 石

J J

Ij講成比,円形度などを指 されているO 例 え ば 新 居 町 付 近 で 、 は 渥 美 半 島 南 岸 の 海 岸 か ら 供 給 さ れ 東 方 に 漂 流 し と天帝;J

[ 1

か ら 供 給 さ れ 西 方 に 移 動 し た 砂 撲 と が 合 し て 幅 広 い 海 浜 を 発 達 さ せ て い るO 天竜)1

1

河口 付 近 の 穣 径 変 化 は 河 口 で 極 大 で な く 書 こ れ よ り

5

Km東に極大があり,擦のひろがりが東におおいこと が 知 ら れ た が , こ の こ と は 擦 が 沖 の 方 ま で 流 出 し , そ れ が 沿 岸 流 に よ っ て 拡 げ ら れ た と 考 え ら れ て い O また天竜)

1 1

か ら 供 給 さ れ た 花 商 岩 の 分 布 を 追 跡 す る と , 河 口 よ り

5

Km東に極大があり F 西 へ は 約

Km,東へは

18Km付近まで拡がっており,天竜川系の擦の分布は横須賀付近までと推定できる

O 高 約

15m

の 高 度 を 示 す 三 保 の 分 岐 砂 鳴 は 浜 の 幅 も 広 く

200m

に 達 す る 地 点 も あ る が , 堆 積 物 は 安 倍

) 1 1

を 供 給 源 と す る 砂 岩 ? 粘 板 岩 礁 が お お い 。 粒 径 の 計 測 に よ る と 安 倍 )

1 1

河 口 か ら 流 出 し た 砂 磯 は 途

で ほ と ん ど 大 き さ を か え ず に 砂 擦 の 先 端 ま で 運 搬 さ れ て い る と も 考 え ら れ るO 円 形 度 は 運 搬 さ れ た 距 離 と と も に 大 き く な り p 移動方向をえミす指標として有効であるO 田 子 の 浦 砂 丘 前 面 の 吉 原 海 岸 の 堆 積 物 に つ い て 調 べ ら れ た 結 果 , 磯 質 か ら 大 部 分 は 富 士 川 起 源 の 漂 礁 で あ る が , 東 端 の 狩 野 ) 11河 口 付 近 で

は 富 士 山 噴 出 物 に 由 来 す る 撲 が お お く な っ て お り , 西 か ら 東 へ の 移 動 が 考 え ら れ るO

の 推 定 は 資 料 不 足 で あ る が , 田 子 浦 港 付 近 で 年 間 約

15 万 d

とされF 港の構築によりこの漂砂 が 港 口 閉 塞 や 衝 撃 の 働 き を す る こ と が 予 想 さ れ て い た が , そ の 実 態 は 不 詳 で あ るO 河)

1 I

の 流 量 や 運 搬

の 測 定 , 沿 岸 部 で の 移 動 の 把 擾 な ど 問 題 は 山 積 し て い る と い え るO

5 .

垂 麗 的 変 化

地 震 の よ う な 地 殻 変 動 に よ り 海 岸 地 形 が 一 時 的 に ま た 急 激 に 変 化 す る 場 合 も み ら れ るO 東 海 道 の 親

‑ 12‑

(9)

不知として知られた由比と興津との間の山地がせまる海蝕躍の部分は,薩蟻峠の山道と磯づたいの道 とがいく度か交代して利用されてきたO しかし安政元年

(1854)

の大地震で海岸の地盤が隆起した 後は街道が海岸ぞいに国定されたO 地震による地形変化がこのような例によっても復元できる。安政 による由比海岸の は不明であるが,この地震により御前崎で

80‑ ‑ ‑1 0 ( )   c m

隆 起 し 雷 相 良 湊 では波蝕台で水面上に顔、を出したことが記録に残っているO

宝 永

4

(1707)

の宝永地震は遠州灘沖に震源をもっ

M==8.4

の地震で,昭和

19

年の東南海地震 と同じ規模であり,この地震の発生から

50

日あとには富士山が噴火し宝永山を形成しているO この 時の大きな地形変化としては小笠山南側の横須賀付近の例があげられるO 小笠山南西斜面の末端の台 地に位寵する横須賀城の周辺は地震以前は入江になっており,砂州や扇状地にかこまれた部分は湖と なっていたし,城のそばの入江の奥は港としての機能をもっていたO このことは正保年間の古地図に も記されているO 宝永地震は横須賀周辺の地域を隆起させたためにこれらの入江や湖は陸化したし雪 港は利用できなくなって福田にそれを移転したO この地震による御前崎の隆起量は 1‑‑‑‑2mといわれ ているO 現在水田化している横須賀西方の!日入江の一部はほぼ 3

m

のコジターでかこまれる盆地状の 形態を示し,そのあとを残しているO

御前崎先端部は地震のたびに隆起運動をくりかえし宮波蝕台が広く分布していることは,その傾向 を示している。また伊豆下田の柿崎海岸では関東地震による隆起があるのに,その東側の外浦には沈 降を示す海蝕澗のあることから地震による変位は局地的に援雑な変化を示すことがわかるO 須崎半島

も御前崎と同じ隆起海蝕台や波蝕台が地形の特性であることは,地質時代を通じてとも がくりかえされてきたことが考えられるO

V I   海岸の災害と保全

海岸災害は熱帯性低気圧や海底地震に起因する海面変動によっておこる高潮や津浪による被害が中心 であるが,それは地形や構築物に影響されて破堤,浸水宮越波多堤防洗堀昔河川遡上,満潮時とャ一致す ると異常高潮などの現象となるO また飛砂や漂砂による河口閉塞p 港湾埋没,海岸侵蝕書台風にともな う 権 害 な ど も 災 害 の 種 類 と し て 重 要 で あ る が , そ れ ら の 災 害 を 防 ぐ た め に 堤 防 の か さ あ げ , テ ト ラ ポ ットによる侵蝕訪止,養浜工による積極的対策などがおこなわれ,それらとともに防潮林F 防風林,砂 妨林などがその機能を果たしているO この項ではそれらのうち津浪と高潮についてこれまでの没害の 例について O

静岡 をおそい,おおくの被害を与えた地震彦津浪については,静岡県がおこなっ

に轄揮され詳述されている。それによると史料によって復元できる津浪は明応 7

( 1 4 9 8 )

以降

1 1

回におよんでいるO この明応、

7

年 の 津 浪 は 浜 名 湖 口 が 切 れ 雪 期 が 外 海 と 通 じ る 今 切 口 の で き た 時の地震によるものである O この発生回数から平均すると

40

数 年 に 一 度 は ど こ か の 地 点 が 津 浪 に お そ われていることになり,

80

年 弱 に 一 度 は お お く の 被 害 を 出 す 場 合 で あ り , 静 岡 県 の 海 岸 は , そ の 点 で 危険性をはらんでいることが指摘されている。特に近年は沿岸部の開発や土地利用の集約化9 人口集中 などの被害要因が急増しているために,被害規模はさらに拡大する傾向 されるO そして水位のか なりひくい津浪でも人災的要素のつよい災害に変貌することも考えられるO

13 ‑

(10)

された によると, におそわれる の関係 とする

されており,

口と

を , 相 模 灘 や 房 総 もある。それによると

をおそっていること,遠升

i

沖を とする場合は伊豆東灘岸から

などをおそっていることが支告ら匂川

とする場合は

を中心とする付近は 災害地と

¥¥えるO

) [ 1

にそって

2K

m

の状況から報告書では

から舞阪があげられているO

で あ り , 例 え ば 約

6 mの水位が

の地点まで海水の侵入すること

,松時, 田 な ど が あ げ ら れ , リ ア ス

,  ) 

11

崎 ,

にわけているが,

A

グラスとしては伊豆南の下田と が 沖 積 低 地 に 密 集 し て い る し て も ( 安 政 元 年 の 津 浪 と 同 程 度 〉 港 か ら 稲 生 沢

えられるo

B

クラスとしては伊東,熱海,

と半円形の湾、興や小沖積地の集落がやはり

, 田 子 浦 , 焼 津 , 気 賀 な ど で 港 湾 施 設 や 貯 木 歩 潮 吹 き 津 浪 , 引 き 津 浪 な ど に 分 類 さ れ

浜 名 湖 口 の 地 理 的 条 件 が

であるo

C

クラスは

な ど も 被 害 拡 大 要 国 と な る の 津 浪 の 形 態 と し て は ま わ

る が , 湾 入 部 の 平 面 形 書 付 近 の 陸 上 地 形 , 海 忠 地 形 の な ど の 条 件 に よ っ て そ の 形 態 は き ま る た めF のためには各地の土地条件の吟味の上考えられなくてはならなし¥ 0 保 令 対 策 と し て は 集 沼 の 品 協 へ の 移 転 , 防 潮 堤 の 建 設 , 防 瀬 林 の 造 林 な ど が あ る が , そ れ ら の 事 業 や 状 況 は 十 分 と い え る 地 域 が す く な ¥ 0

潮 に よ る 被 害 は 吉 原 海 岸 一 替 が 常 襲 地 で , こ れ ま で 数 十 年 に

1

度の裂でみまわれてきているO 昭 和 例 年 の 伊 勢 湾 台 風 に よ る 災 害 を 契 機 に し て 沼 津 か ら 富 士 に か け て の 海 岸 は , 天 端 高 梅 抜

13 mの 訪 潮 堤

が 田 子 浦 砂 丘 と 平 行 し て 作 ら れ , そ の 完 成 に と も な っ て 保 安 林 の 指 定 も 解 除 さ れ 砂 丘 上 の 宅 地 化 も 進 行 したO ところが昭和

41

年 の

26

号 台 風 に よ る 高 潮 は 害 こ の 堤 防 を 越 流 し 富 士 市 大 野 町 , 今 井 東 町 曹 今 井 昆 沙 門 町 な ど を 中 心 に 多 大 の 被 害 を 与 え たO この台風による高潮は田子浦港の検潮器によると 9258

1

33

分に

137 c m

を記録したO そ し て 堤 防 自 身 は あ ま り 大 き く 破 壊 さ れ て い な い の に

1‑ ‑ ‑3

波 の 大 き な 越 波 に よ っ て 大 量 の 海 水 が 侵 入 し た の が 特 長 で あ る と も い わ れ て い るO 被 害 を 大 き く し た 地 形 的 条 件 としては第一にこの地域の砂丘の表層がルーズであるため侵入した海水の流路ぞいに渦穴を生じたこと,

に 海 浜 の 堤 防 の 波 返 し ま で 砂 で う め ら れ て い た た め に 防 潮 堤 の 機 能 が 不 十 分 で あ っ た こ と , 第 三 に 越 波 し た 海 水 が 砂 丘 上 の 谷 状 地 形 に そ っ て 流 下 し た り 湛 水 し た り し て 砂 丘 の 崩 壊 を 発 生 さ せ た こ と な ど があげられているO こ の よ う に 高 潮 に よ る 被 害 を う け や す い た め に 建 設 省 で は 沼 津 市 千 本 か ら 務 原 町 神 沢)

1 I

までを特定海岸に指定し,天端高

17 mの防潮堤を新設する海岸保全能設整備事業に着手し,

がすすめられているO

v n  

海岸の開発とその影響

日 本 人 の 生 活 が 海 に 依 存 す る 割 合 は 大 き い 。 例 え ば

1

l

日あたりの魚、消費量は

88

, で 統 計 に あ ら わ れ て い る 列 国 中

1

位であり,

1970

年 の 漁 獲 高 は

930

万 ト ン で 世 界

2

位をしめているO 工 業 地 帯 も 臨 海部に発達し,原料輪入と製品輸出に基礎をおくのが日本の工業の特色であり,

1970

年 に は 原 油 の

99.5

¢は輸入に依存しているO 海 岸 の 開 発 は 漁 港 づ く り か ら 埋 め た て や 築 堤 な ど の 整 備 に と も な う 工 業 貿 易

A

42A 

(11)

の砕設,経済成長はさらに海洋開発に拍車をかけ海中公園,シートピアなどトピックスもおおいO 発は保全をたてまえとし,その災害を防止する役割も果たさなければならないのに,現実はそれに逆行 する場合もおおいO

地域開発にともなって建設され,おおくの問題を心、かえる結果となった港湾の例として田子浦港につ いて紹介したい。ここは昔,吉原湊とよばれる消口港であったO 吉原湊は何回か高潮の災害をうけ,そ のたびに吉原宿は内陸へ移動したO 高潮とともに地形的にかつて潟湖であり沼沢性湿地の浮島低地を背 後にひかえていたため洪水の害もうけやすかったo

17

世 紀 中 頃 , 雁 堤 の 構 築 に よ り 富 士 川 は 現 在 の 流 路に固定され,その直接の害はなくなったが,湊は潤井

) 1

¥,和田)[,沼)[1の合流する河口にあり排水機 能のとぼしい河川であるだけに問題はおおかったO 漂砂や高波により河口が閉塞されたり,逆流した海 水が湛水したり位置的に不利であり水との闘いはたえなかったO 明治維新に沼

) [ 1

石水門,明治

1

鮮 に 第 二次石水門を作り逆潮の浸入をふせざ,排水路の建設により排水作業もすすめられたO

工業地帯の開発や工場誘致のため昭和

33

年に由子浦港の建設は 湾工業整備地区に指定され,旭化成をはじめ工場誘致も順調に臨海

され,昭和

39

年には東駿河 の形成がすすんだO 貨 物 船 入港のはじまった昭和

37

年には入港船舶数

273

隻,取扱貨物

25

680 t

であったのに,昭和

45

年には

8

629

6

013

259tの実績を示した

O

このような田子浦港の築港が海岸付近の自然、に与えた も大きい。その第一は港湾内の と海水 の汚濁であるO この港は砂丘を据削して作られた堀り込み港であるため,水深は中央で

9 m

,湾 の 奥 で

6 m

を保持するために、凌諜が必要であるO しかし流入する潤井)11は富士大沢崩れをその谷頭にもち流 のおおいこと,沼)11や和田川は製紙工場からの廃液や排出物を搬入してくることなどのために 湾内の堆積ははげしく,ヘドロ公害が処理をめぐって問題となり現在なお約

130

t

が残ってし1るとい われているO 同時に港湾から駿河湾水域にかけての水質の変化もいちぢるしく,死の海として漁業に影 を与え,海況によってはその範囲も拡大するが,それらについては別の機会にのべることとするO 二は汀線変化と海岸侵蝕であるO 港口部の埋積を防ぐために設けられた突堤によって漂砂の移動量と方 向に変化がおこり,西突堤以西では汀線が前進する傾向を示し,年間

30m

も前進した地点もある。また 東突堤以東は後退の傾向を示すが,年によるとその反対の場合もあり変動は複雑である O また潔砂量の 変化は海岸侵蝕をひきおこし,港口から

3.5

Km東の海岸では後退がはげしく,富士川の砂利採取 変化による流出土砂量の減少の影響は,富士市三四軒屋一帯の海岸を侵蝕して広かった砂浜を消してし

まった。これらの作用は沿岸の海底地形にも関係して波浪や沿岸流の性質をかえることも考えられるがp

その面での調査がまたれるコ第三は築港にともなう地下水の塩水化であるO これは使用量や揚水量の増 大とも関連することで,港湾掘削がどの程度のつよさをもっ因子であるかを決定することは困難である が 多 田 子 浦 港 の 開 削 が す す ん だ 昭 和 何 年 墳 か ら 吉 原 駅 付 近 の 井 戸 水 が 塩 か ら く な っ たO そののち塩水 化は由子浦を中心に同心円状に拡大し,昭和

41

年には古原市街地まで達し,地下水層に海水をひきこむ としての港湾建設がとりざたされたO また港を中心とした工業地帯は軟弱地盤の上に立地している ため,地下水くみあげによる深麗収縮により地盤沈下をひきおこすこともあり海岸平野の問題を提起し ているO

これまでの自然災害を防止し,それらを屑がわりする筈であった田子浦港は新しいタイプの災害を地

‑ 15 ‑

(12)

域にもたらす原間にもなってしまったO 自然、の調和を破壊した時に発生する不滅の事態は全く予知し えない場合もあるが,開発にともなう環境破壊の事例の集積はこれからの計画の基礎として,また自然 の{動きを知る材料として大切な作業であるO

寵 あ と が き

関県の海岸地形のあらましとそれに関連する諸問題について紹介をかねて記載したO 海岸を字額と して教材化する場合,さまざまな条件や閤子が関係しあって存在している自然現象が甑岸の場合には比 較的明瞭に理解しやすいこと,ひとつの現象や要閣が変化するとそれが他の現象になんらかの影響を

えるものであること,時間的にも位置的にも人工的改変がすすみやすい対象であるだけに環境や告然保 の側面から実態を把握する手がかりの得やすいこと,などの点に留意、さるべきであろう O 海 岸 が 自 然 観察や自然学習の場として有効であるだけにそれをどのように系統化し,表現すべきかについては更に 地域にそくした考察が必要となってくるO

参 考 @ 引 用 文 献

海岸地形一般

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,海岸。

荒巻学

(1972)

,生きている渚‑海岸の科学

シュパード,氏家宏訳

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(1970)

,海洋の科学一海面と 海底地形・海底地質

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大森品衛他

(1971)

,浅、海地質学。 ρ海洋科学基礎講控11

,東海大学出版会

(1968) 

,駿河湾西域の瓶底地質構造。グフォッサマグナか,地質学会資料 三沢良文他

(1968)

, 駿 河 湾 の 海 底 地 形 。 グ フ ォ ッ サ マ グ グ ナ ヘ 地 質 学 会 資 料

星野通平

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(1972)

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(1970) 

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ρ 

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(1968) 

,遠州灘湖岸東部における海浜擦の分布傾向についてO 群馬大学紀要,

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6626

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‑ 16 ‑

参照

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