商業と經濟
ジヨン・ロツクの自由論
河 野 吉 男
ルネッサンスの洗頑を関して以求︑十六︑十七︑十八の三世紀聞の思想的主潮をなすものは
啓蒙思想である︒筍も常時の思想家だして︑之からの影響を被らないものはあるまい︒しかも
混乱ビ不秩序の間に座して一人一人の思想家が各々その異る特色を把持しっゝ之が潮流に樺し︑
その何れを見ても一つとして常時の錯雑せる慶超を跡づけえないものはない︒殊に英国に於て
はその例の甚しきものがあった.中世の神学的色彩の色泣き雰国東を破って王樺神授の時代を
経︑′ホップス︑ロックの鹿骨契約思想を通じてベンサム︑ミルに至る迄の思想的慶速は除りに
も目まぐるしきものがある︒その内に於でも︑経験論︑社食契約説を唱ふる事により︑リベラ
リズムの先駆ビしてその地位を確立したジョン・ロックは︑誠に英国の生める偉大なる哲学者
であるビ共に俊秀なる政治学者でもあった︒彼自らが﹁私が物心づくや否や私は嵐の中に立っ
て居る事を撥見した︒しかして︑この嵐はこの後もづつビ薦いたのである﹂竺富へるが如く︑
十七世紀の竿ばより終りに至る迄の半世紀間は︑英国史上に於ける束縛封解放︑埠梓封特権︑ 八〇
曹
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議合調図fの反抗刀︿反抗︑抗争又抗争の時代さして著名であるo
この間に庭して或は墜師さな り︑或は秘書任じ︑或は偽関西に走り︑或は和的にかくれ︑特挺五十鈴年を閲して漸く晩年 に至りその思想的具踏化ごも見るぺき三つの賞き紀念物ケ残した︒ぞの一つは認識論上に於け る名著ごして知らる﹀凶
4日
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しかして最後の一つは︑政 治上の守閥的記録の一っさして販はる﹀ヲ
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呂 之 で あ る
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づ最初の二つの著者合中心ざして︑彼のリノペラyズムが如何なる方面にその特色を一不しつ︑三の
るかや採って見たい︒
啓蒙思想の中心的精一仰をなすもの︑一つごして蛍時を極立たしむるものに自然科苧的方法が
ある︒直接経験ご︑精細なる数理的計算に基ける営時の時代精紳の成功は誠に容狭山なるものが
あったが︑デカY
ト ︑
ぺ1コシケ経て高調に達したこの精一仰は︑必然的に甘ヅグのそれにも影
響を奥へやにはおかなかった︒彼は先輩より受ついだ自然科向学的方法を人間知識にも趨用し︑
如何にして知識の成立するや訟後生的に設かんごして先づ第一に本有観念念否定する事によっ
てその反抗の政争胤ゃげたυ
者し論理上︑倫理上の根本前提である紳の観念が本有であるならば︑之等はまづ智識に忠ひ
グヨシ・ロYグの白出論
入
商 業 主 経 済
八
浮ぺら‑る︑最初のものでなくてはならない︒従って︑小児︑野鐙人等もひどしく之を有する答
であるのに貫際は事買に反して居ろo又もし︑ある論者一か一宮ふ如くに︑本来は具有せるも唯之
を意識しない迄さ裕しでも︑心に在りごは立識した事に他ならないから︑意識せられ宇して心に
在りさ一玄ふは矛盾せるものであるoもし本有凱念μ否定せらる︑事以上の如くであるならば︑
私共は之を別の方面に求むるの要があるであらう︒かくして︑智識の起源︑限界を却するもの は経験にある事を後見した︒経験は内外二極に分れ︑外的経験は成見であり内的経験は反省で ある︒外的経験は成官により︑内的経験は心が自身の作用争後みて得るものであって︑私共の もつ程々なる観念はこの二つの窓や通じて陪室に入り来って白紙の上に査かれた無数川先線の
¥ ノ
集合じ過ぎない
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このやうにして入b
来った原始的
ω観念は草純観念であり︑之を材料ごして種々結合の結果
得たものが複雑観念ざなって︑山川態︑買陸︑関係の観念を生じて来る︒この場合無数の観合の合︑
不合によって認識生じ︑ぞの合︑不合が印座し明かさなるものは庇史的認識であり︑何等かの
媒介を通じて詮明し得らる﹀ものは論詮的認識を生子るさなし︑一柳3へも論設によbてその存
¥ ノ
在を明らかにしうるご考へた︒向い
かくの如き過程を採った結果︑彼はその否定せる本有観念をあくまでも批剣の不充分な幻影
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Locke. The essay concerning human understanding. p. IO.
Locke. ibid. p. 11. (1)
(2)
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者は﹁知識の探求を怠る卑怯者のだらしない逃げ注﹂なりぎする︿私共の知りえないものが存在
する故にあらゆる物ケ疑ひきるは︑私共が飛ょに足る籾を有しないが故に空しく坐して死滅せ
︑ ノ
んざする﹂︒に異らない︒放に﹁私共に奥へられた附燭の光で私共の念は充分照らされてゐるの
仁︑ぞれを終税して明らかな太陽の充ケ注文するのは唯愚人の徒事﹂併さなる︒﹁私共ご交渉を
総せる彼岸に於て︑ものが如何なるやは永久に封性られてゐるが︑しかしか︑る限界は何等の 苦痛をも奥へるものではない︒之生活の主要目的を形諮るものは︑私共の賀際の出来事や行動 であって︑それにはこの知識で充分足るからである︒私共は一切の高物迄も認識するを要しな
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このやうに知識の根源ケ経験に求むる事じよって︑彼は}近代的経験折口撃の組さ仰がる︑じ至
つにが︑之が後に〆1クレI
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lムによって大成されたのである︒もごより︑
ロヲクが呆し てその経験論を徹底しえたかピうかは疑問である︒彼の認識論に於ける観念の内容さ起源さの
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混合も問題であるし︑経験
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m 早に偶然的な孤立したものである芯見た事もその侠賂であらう︒
又之を一時的の成先︑反省の基礎ご同一蹴したものであるか︑ぞれさも経験さいふ一一一一日莱の内に
何か理知的な道徳的な意味を合めて使用したものであるかどうかも明らかでない︒観念の内容
グヨン・ロYグの白巾論
八
Locke. ibid. p. 17.
Locke. ibid. p・17. (3)・Lockc.ibid. p. 18.
R. Eucken. wer Lebensanschanung der Grossend巴nkcr.安部能成語引用 p.525・
R. Eucken. ibid. p. 525.
(1) (2) (4) (5)
商 業 さ 経 前
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を翠純のそれに分析して︑複雑なものは之から組織せられるごいふ歴史は︑必しもその観念論の
内容が正しいか否か会決しないし︑経験の調象
γ断片的な孤立したものごして継続的の概念を
忘れるならば︑調象は私共の心に入り来るご共に逃げ去り︑何故に二が三より大であり.白が
剛一一川より臭って居るかも説明しえない︒又経験を一時的な偶然的なものさせ宇して何か理知的な
道徳的な意味?合ませてゐるものごしたならば︑純粋なる意味での経験論ではなくなり何か先
験的な色彩守一夜らなくては到底成り立たない事にもなる︒その何れにせよ彼の論述の大いなる
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瓶取しうるであらう
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殊にもっさ大きな問題は︑複雑観念から生子る 貫位
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の説明に於て︑只その具有しうる性質ケ推測しうるのみで︑資位 そのものは計りえないご極めて殴昧にぼかしてゐる結である
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仲々巧みな叙述であるが︑之 を掘り出す事によって盆々大きくなる破綻の伏線ごなる事を注意深い観察者は見逃さない事さ
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彼が貫肢の性質さ債値さや‑私共の認識の無限の彼方にある計り知るべからゴるものざするぜ同 ︒
時に︑之をそのま﹀その推論の前提ごなし﹁外物さ何等の関係なくしてそれ自身の内にあらゆる
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もの含有するあるもの﹂ σ
さ務して︑他の凡ての外的性質は之より悉く引き出し得るものご解
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の影響の下にある事を一不L
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(G) S. Alexand巴r. Locke"p. 65・
く1)J. Gibson. Locke's Theory of knowlcdgc anu its historical relation. pp. 199‑191.
く2)J. Gibson. ibid. p. 196.
4
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ケ律する一事によって従来の濁断論︑懐疑論争否定せんごした事に相似て居る上︑雨者共に知識
の能力の有限性を徹底して︑暗々一投の内に己自ら再び質在に関する濁断論の観念や﹂輪以想した事
に於て一致してゐる︒もし紳が論詮しうるならば︑経験さ絡する有限の前提から如何にしてか
︑hる無限性含有するものや‑推断しうるか︒科学が怠け者の手遊びでない限り︑﹁限られた経験の
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こうしても認めなレ詳には行かない﹂さ云った1
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要なる箇所に於てはレつの問にやら経験に優越せる理性が助けを呼ばれた︒かくて経験論ご唯 理論︑質在論的ど観念論的の前提さが柏入
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問中間的には説明しえられない印象に指導の地位を許した事が︑彼の哲亭
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他の何れの重要な哲
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だが之等の一平はロックの論文に於ては︑
彼は只質陸ぞ無限の太誌の彼方にあるものさして之を前提ごなし︑
白日の下に照らされたるが如︿表はされてゐる誇
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へえないものさなしたに滋ぎない︒経験論的色彩は依然ざして彼の金位系ケ貫いてゐる︒之等
の取結はロハ彼の周回にまさ起れる施々なる忠忽の滋然ご伏在せるものケ揚挟して之ケ険殺する
時︑始めて彼の意識せ︑ざる思想が4内在せる事を明らかになしえたのである︒一去はい無意識的に
挫淡せる前提守合める経験的認識論なる一事ケ認むれば充分であらう︒例ひ隠3
れたるものさは
グヨシ・口Yグの白山論
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商 業 さ 経 済
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云ふかも知れないoしかしこの事は営時の啓蒙思想の特徴ごして︑先験的観念さ科率的精紳ご
の互に混在した事よりしても営然に詐さるべき事であり︑過去の先験的な色彩子受けながらも
ロックに於ては更に科率的精一紳に洗練された他の別種の陸系が樹立されたものさ見るやみえない
であらうか︒﹁意識に於ける最も軍純な要素を求め出し之等から逐次的な建造を一歩一歩たざっ
て全睦が透明になり︑同時に人間能力が一不される所までやるぜ云ふ立岡を示した
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ロヅグの
経験論は﹁例ひその主要思想を徹底したかJどうかに付ては矛盾があっても︑この明白にして周
密な経験論の取扱ひ方が心生活並びに会人間生存の新しい始以呆多き見方を開いた
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事を認め
ざるをえないであらう︒このやうな認識論的立場に立つ彼の見方が︑やがてその規契?延す事
によって人性論に於ては快楽主義功利主義のヒユl
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ぺンサムの徒に通じ︑宗殺上に於て
は信仰自由の根披ざなって多元的国家論の前提会暗示し︑経済的方面に於ては自由放任の忠怨
にくみ入れられて︑あらゆる方面に力強き経験的色彩の影響を奥ふる本源ざなったのは常然の
過程さも見られうる︒
まづ第一にロヅクの人性視はよほど現代的ざなってゐる︒彼は倫理説営特別じ原理的に設か
も
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R. Eucken. ibid. p. 524. R. El1cken ibid. p. 524・ (1)
(2)
4
4
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十して唯認識論中に断片的絹れたに止ってゐるが︑人間の幸一臓がその情念を勤かす蝶番である
快苦の如何によって定まるものさ見た彼は︑営然快楽
求め苦痛や避けんざする功利的色彩をe T
採るに至った︒故に人間一行須の主要動機は名出合欲ご不名来月ケ畏怖するにゐりさし︑善さは快楽
を増進し苦痛を減退せしれUるもの︑惑どはその反割のものを指示した︒従って彼の意見によれ
ば﹁幸福におする欲求及不幸に濁する嫌悪﹂
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ご云ふ事は人間共通の勤機である︒人間の道徳的成政勤も又その要因は之に蹄着しなく︑
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てはならない︒︒かくの如き考ヘ方は功利主義の基本ごなるものであるがロヅグ自身は之守徹 5
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底しえなかった︒之伝機承して更に問確にしたのがヒユ1ムであるo
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1ムは道徳の標準を
行結局の結果である功利じ求め更に之ケば快楽に蹄したのみなら子︑人々の徳行をなす所以も凡
て快楽にありざして快楽設を主張せんごしたが︑ペシサムの心理的快楽設は更に之を精細に
つの主権者印快楽さ苦痛ごの支配の下におく事によって功利主義を大成した︒
かKAる主肢は他方ロックの民政論に於ても明らかに査かれてをるJ平和なる白然欣態に於け
る特様を撤する事によって図家を契約によって作った各個人は一に一粧台の幸福(︻
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を目的ごしたものでゐゐが︑彼によれば枇合は多数人の皐なる集会ぜ解せらる︑か
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つまり多数人の生命︑自由︑財産を可能なる程度に於て完全に買現せしむるにあった
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グの白由論
八七
Locke. Letters on Toleration. p・3・
Locke. Two treatises of civil government. p. 168. (1)
(2)
商 業 さ 経 済
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だが理性の法に従って設bなかった個人が幸福の標準?快苦の如何によって決せんごしたのに︑
如何にして之を︑多数人の集合善の尺皮である一公衆的の快幾三一致せしめんざするのであるか︒
功利主義に於けるペンサムに件ふ大なる弱黙は既にロックに始まり︑しかも彼は草に之ャ分析
したに止って何等解決の端緒子輿へ宇して終った︒個人的の匹︒
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りに複雑な問題であるQ
要するじ只功利主義を不完全な程反に於て主張した素朴的な先駆さし
ての地位争﹂詐きる﹀に止るであらう︒
次に彼の宗殺論に至つてはy
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yズムの最も徹底したるものごして彼の面白を躍如せしむ
るに足るものがゐる︒彼はまづ岡家ご殺曾さの兵る目的からその推論の絡合引出し︑国家の目
的は生命︑自由︑財産を保護するにあるが︑殺曾の目的は将来に於ける各個人の援魂救済にあ
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︒
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抑も各人の紳謹上の問題に関しての考慮は聖書に於てすらも紳によって之が政府
の手に委託されたぎ見るぺき記事もないし︑叉契約によって之?常局者に譲ったさも信性られ
ない︒何さなれば私共は自己自身の救済の問題を地上の支配者の手に引渡して如何なる信仰を
抱くぺきか争指示される程盲目的ではないからである︒かく前提する事によって︑数合を﹁一柳
に受け入れられ︑霊魂救済に有殺であるが如く一般の信仰ケ来らさんが須︑向分自らの後立で
ー
•
(1) Locke. Letters on Tolcration. p. 4.
4
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結合した人間の随立的の赴曾﹂οであるさなし︑更に進んで蛍局者の有するものは只カのみで
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しかも力は財産を淡牧し︑牢獄じ投入はなしうるも内心の信仰を左右しうる程有力では
ないさ論断した︒この劫に於て︑岡家の械能ケ致︑曾のそれより切然分離せんざする彼の意闘を
窺ひえらる
﹁人は生れながらにして致合の一員ではない︒又必しも彼の父兄さ同様の信仰を‑ 1
抱くの必援もない︒彼が最も︑通留さ倍︑?る信仰に入る一手}そ彼に残されたる唯一つの︑途であるo
之彼自身の魂に関する問題に他ならないからであるよこの事に関するキソストの一一一一口は決定的で
ある︒﹁二三の者我名によりて集ふ時五口その内にあり﹂外的の力何等なすな︿人生れながらにし
て致合迩挫の椛ある以上はお互に採るぺき手段は﹁寛容
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如何なる税︐反に迄之が範回診認むべきであらうか︒彼は一疋ふ︒﹁第一に如何なる数舎も致合法に
一致せ︑ざる者は克容によりて之を保持するの要はない︒第二に何人も彼が他殺舎に屈するの故
を以て他人の市民ごしての享楽を偏見秘するの権合もたない︒第一二に紳事上の事に関しては︑
その椛戚の出所は如何にもゐれ︑段重に制限されて俗事に及んではならない︒何さなれば致合 は切然岡家ご分離し︑双方の本源的の目的︑職務︑その他あらゆる事に於て完全に別途のもの
でゐり無限に異なるものであるLQ
からである︒克容は規則でなければならない︒あくまでも
保持し徹底せしめなければならない︒只人間一枇合に反し之が保持に必裂なる道徳律に背く意見
グヨン・ロYグの自由論
入 九
Locke. Latters on Toleration. p. 5・ Locke. Letters on Toleration p. 6. Locke. Letters on Toleration p. 7・ (1)
(2) (3)
商 業 さ 経 済
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は詐きるぺきではなく︑叉一紳を否認する者も之を殻格じ取締るの必要はあるけれども︑かkAる
危険性の存在しない以上は︑如何なる王候さ雄も︑彼等の魂を救ふを名ざして共同信仰を強ふ
るをえない︒之私共は﹁自己の心から喜ばない手段で金持さなり︑私共の信・ゃない方治で病気
宇治療されるかも知れない︒しかし私共の機感する信仰や崇拝で私共の魂が救はれるごは思は
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ロックによれば図家は只生命︑財産︑自由の匁に力争奥へられ︑宗教上の信仰を強制せんか
結局ではない︒あるひはかく云ふ人もあらう︒園家はあらゆる善き目的の結局に設置せられたもの
である
oしたがって之等の目的の内には常然健全なる宗殺上の殺義や搭布する事も包合さる﹀
甘ヅグは先日ヘて云ふ︒﹁支配者のか︑るカに依頼するの要はない︒各々は白
︑ ︐
J己自身の忽に真理を求めうるし又求むるの義務がある﹂ゆさ︒しかし私はこの甘ヅグの言葉を疑 のではなからうか︒
ひたい︒か︑る論述は一此合契約によって凶家を作った比較的原始的の人にはあてはまらない︒原
始的の人々は今日の野続出人の如きものであり︑自分自身のゑに真理を求むる能力なきものさ見
るのが泊営ではなからうか︒叉官ヅグは図家ど殺合さの目的か限定的に切然さなす事によって
寛容の問題を庖理せんごしたが︑初期の注枠制度に於てはメーンも一エふ如く法伴ご宗殺さは内
面的に混在し宗殺を保持する事が国家の主要目的であった︒宗殺に基く宗数回家さへ生じたの
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(1) LOcke. Letters 00 Toleration p. 9・ (2) Locke. Lctters 00 Toleration p. 11.
4
1:
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も之によるのである︒彼の︑過去︑現在のみなら十更に将来に亙ってすらも高古不縫のものさ考
へてゐた原理も︑越用しえらる﹀は近代の文明岡家のみである事訟看過した︒致合さ岡家さの
分離︑寛容の問題は一此曾契約によって結ばれ始めた頃の原始的の一枇合︑国家には少くも適用し
えない︒宗教が同家の問題て全然別念の立場に立も︑宗教の麓類如何によって閥家の存在を危
︿する恐れいなきものさ考へられた近代に至って始めてか﹀る急進的な意見も安常しうるであら
ぅ︒彼の一つ一つの主肢が歴史的.現質的でなく分析的である弊は︑この場合に於ても彼の一枇
合契約設に於けるさ同様に明らかになしえられるo
寛容を主践し個人的立場ぞ深︿掘り下げん
さした彼の主肢は数舎に於ける信仰殺義の一致よりも一般道徳の樹立を一一般重要視した事は否
まれないoか﹀る考察は同時代のH40同g
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によっても認められない所であった︒殊に営時に
於て倫政府の職務は私似合の指導によって行はる﹀ものさ信じて止まない
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つては︑受け容れらるる所の騒ぎではない頭から問題親しなかった︒彼は徐りに早︿生れ︑徐
りに新奇の主張を出した︒彼は宗殺に於ける本質の問題ご︑附随的の問題ごのば別を
問 ︒
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さ臭った水準から眺めんごした︒か﹀る結果彼の設はその時代め人達
に消化せらる﹀には除︑りに強制恨のものさなった︒何さなれば蛍時の政治家達はピれもこれもが
宗殺からの援助による利盆ぞ見拾てやうざする者はなかったのだから︒更にロックは次の如︿
タヨン
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yグの白由論
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商 業 さ 経 済
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結論してきへも一五ふコ硝一音書に於ては絡調的に基皆殺国家なるものなし﹂ o
こ﹀に至つては︑殺 合凶家に反濁せるものすらも之を受くるに跨塔の色ケ示したのである︒
之?要するに彼は最も急迩的な傾向を有する
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吋笠宮古の立場よりその論述十貫徹
せノ三﹂したのであるが︑この事は彼の出現より此後に亙って久しく岡家ご数合ごの問にが︑ける
問題があらゆる方面より解決せんご企てられた事によっても知られうるであらう︒その上彼の
設は係りに寛容な︑徐りに敬度な合理主義であったが結局遂に宗殺上の無政府欣態を現出するに
至るご云ふ非難も兎れえない︒もし各々の魂の救済にして各々の個人的の永生の問題であるが 故に之が解決含各人に委すごするならば︑そこには恐ら︿殺舎な必要ごする勤機がなくなるの ではなからうか︒数舎の存在を認める以上は︑依然ざして何等かの宗殺的共通伐件の存在する 徐地ケ認めなくては悲しい矛盾が介在してくる
o
彼は各人の剣断の下に宗敬上の真理ケ求ひる 事を人々に委する事によって信仰上の無政府欣態に陥る事さ︑共同的制皮を表現する殺合精紳
の存在ケ承認する事ご営︑如何にして調和せんざするのであらうか︒之彼が一滴一音書にその記裁
の放なきケ以て殺合同家中山否定せんざするやあらゆる方面より猛然ご反射到せられ拒否せられた
所以であるが︑こ︑にも快楽説に於けるさ同じゃうに︑例性ど多数続料の表現なる制皮さの雫
離の問題が残されてゐる︒
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最後に経済上のリノペ一プソズムに五つてはぜうであらうか︒
アダム・スミスによって大成され
た自由放任の思想はその出来する所決して間然ではない︒抗に十七︑十八世紀に於てその精一仰
は茄芽の下地を作︑りつ︑あったのである︒一冗より英国に於てはあらゆる方面より自由要求の惑
は喧ましく叫ばれたのであるが︑最初は主ごして政治上︑宗殺上の自由であって︑経済上のそ れは十七世紀の後竿に至って漸くその姿を表し始めたのでゐった︒之産業の後遣により図王よ
h奥へらる﹀特格制ぃ肢の淑くその弊害ケ表し始めた頃であって︑之が固定化せんぎするや始め
て経済上じ於ける
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へ‑プリズム要求の設相次レで起るに至ったのである︒故に経済上の白出の
要求は︑政治上は勿論︑宗殺上の自由の要求に基いてもあげられたものさも見られえやう︒
チアート王羽時代より非岡敬徒波の法中に政府信頼︑の念漸くうすらぎ︑宗殺上の
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一猛
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ばなる粍︑商工業上の後遣は阻害せら令︑ものさ解するに至った所以ゃ︑宗品以上の自由解放の
運動が必然的に猫占制度に調して反抗の設を件ひ来ったのも一に之に基くのである
o ‑ i 仕事は紳
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の立一応であり︑之が賀行は一仰の怠士山ケ明らかにする基である﹂︿﹁仕事?なす力強まれば強まる
粍繁栄の傾向大ざなり︑商業に於ける成功は一刊の恵みの表れざなり︑失敗は一仰の慌認する詮で
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ある
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ご一去ふ常時の考ヘ方は商工業上の自由解放の要求が︑宗殺上のぞれさ全然関係なきも
のさ見るは少くも決った児併である一宇佐殺ふるであらう︑ロックはか¥為る涼悶気の内に立って
グヨシ・ロY
グの白巾論
九
ス
日.J. Laski. Political thOl;ght in EngJanu. p・p.217-2I8 • 日.J. Laski. ibid. p. 218.
(1) (2)
商 業 さ 経 済
九四
敢然さして労働は所有権の唯一の基礎であり︑人間が自己川一労働の成果を所有するのは高人の︑3J同意を姿せ十﹁その上に彼の枇労働ヤ加へた時は彼のものごする事を詐される﹂ Jさ主張して何人
よりも︑努働設の最も頴著なる代表者さ見倣された︒しかも彼が努働に基く所有権を一切の図 家構成前の自然放惑におき︑所有権の保護を以て凶家の犯しえない基本格の一たる事を主張し たのは︑やがて来らんごする個人主義経済学の某礎?奥へたものであるぎ共に︑努働設を主張
する事によりて近代赴合主義の鼻胤さ見らる﹀所以でもあった︒彼の著作を賂検する事によっ
て彼は経済上に於ても叉種々なる方面に頴著なる影響ケ奥へてゐる事を右過しえない︒
以上は認識論︑人生論︑宗殺論︑経済論の諸方面?貫いて︑経験的色彩の売の下にログクの
特色
を査
当﹂
出
3んごしたものであるが︑認識論に於ける質位に関する断片的な矛盾診兎れ難き
班勃ごして看過するならば︑彼の卒訟の金睦系を貫く一大精一紳は啓茨思想の根流の一つをなす
経験科卒的精紳なる事を印象付けられないVでは止まない
MO
ぞの悟性論にせよ︑究容論にせよ︑
何れもか﹀る立場をその出後貼ごしてゐるJこの意味に於て彼は誠に谷川一水思想の好筒の代表者
でもあった︒彼の存在なくして啓蒙時代の科率的精一川γ抽出するに陪きを嘆争る如︿︑彼の出
現なくしてはyぺ‑ブソズムの何たるか守徹底的に採りえない︒がこの事は残されたる彼の研究
調象の一つの重要なる領域︑政治哲亭に於ても依然ざして終り迄賞かれてゐるであらうか︒私
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(1) Locke. Two treatises of Civirl Government pp. 129‑131.
4
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, . は更にその賞い記録の跡付け?なす事によって之が営否?検する事にしたい︒
偉大なる著惑にして営時の之が背設をなす思想を加賀に表現する事がもし真理であるさする ならば︑次に論述のお象ごなさんごしてをるロヅクの民政二論を産み出した十七世紀中頃より 後竿の名琴革命に至る迄の英国政情念紋する事も欣て無往の業ではあるまい︒否︑君主主義製 民主主義︑特格調議合︑凶王割議官のあくなき抗争の内にト
1 7
1ホイヅグの二銭各々錆を︑
け十って相守ひ︑之に絡まるに新殺説蕊殺の頑迷なる抗争ケ以てし血で血を洗ふ竿世紀に亙る 英図革命史は消し去らんざするには余りに貴い記録である︒武断専制政治の豆頭グロムエ
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死に絞いてチヤIYλ二世倒る﹀や︑王位継承の問題二議ケ往来し︑
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ス二世の弟ジエlムス二世や‑擁立したが頑固なる湾殺徒含以て自認する図王は遂に王様
擁護に狂奔の依り﹁審資枠しゃ﹄践幽する事によってその統治ヤ開始した︒か¥みる暴泉は民主主義
者殊にホイツグ設の反抗心ケ刺戟する事兆一しく輿論は著しく反凶王的立場に傾くに至り念にヂ
エIムス二世も策の施すぺくなき有様ざなり︑一六八入年オレシジ一公クイリアムが武闘民の招待
に応じて兵ケ引いて英闘に上陸するさ同時に︑直もに逃れて仰凶に走
hノ︑議舎はぞの名に於てオ
レンジ一公を救けて同時に王様の制限を明白ならしめた︒君主主義よb
民主主義に移るこさな可
グヨン・ロYグの自由論
五九
商 業 さ 経 済
九六
能ならしめた立法を成立せし一六八八年の名春革命は︑買に十七於紀の革命を総決算した視が
ある
︒
この間に於て後表せられたジョン・ロックの民政二論は︑名答革命の主動力であった
ホイヅグ議の政見後表書である芯共に又ぞの瑚諭の殻謎書でもあった︒この書の京国の那港に
ある
かは
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ロツグ自身がこの書の内容に関して民政一一論の忽頭に﹁吾が偉大なる政格の克復者
クイ
ηノアムの王位ケ確立する匁に凡ての合法的政府の基調たる同志の上に閥王クイyアムの基
礎をおき︑且ロバI
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YマI卿の攻撃に反抗して之争明らかにせん﹂ σ
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ても明らかに知られうるであらう︒
か¥Aる目的の下に︑民政論二篇は名共同革命の後二年印二ハ九O年に匿名を以て出版されたの
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であるが︑その内容は二部より成り︑前者に於ては︑
本より夜きんどの立闘を以てか﹀れ︑後者は︑﹁政府の異目的﹂の項目の下仁︑一九草︑二百四
十三節に亙ってその政治哲率の本領主不さんざしてゐる︒或は自然法を論じ︑或は一肱合契約に
及び︑或は二核分立を明らかにし︑革命の格を鼓吹する等︑あらゆる怠味に於て政治哲率上に
刷新せられたる生気芝︑割気的の目標ごを奥へ︑之に加ふるじ偶人意識の勤続を以てし︑十入
世紀以後の政治思想の中心主流?なしつ﹀︑千七百七十六年の濁立宣言︑千七百人十九年の人
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Lockc's ¥VOlk. VO). V. p・209・ (1)
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しからば彼の全睦系を貫く中心的の精紳は何であったか︒彼の政治哲苧に於ては︑まづ注目 するに値する二つの大いなる前提に気がつかなくてはならない
o自然戒態︑に於て自然法の支配
を認める自然法的学説ご︑之にお燃する一肱合契約設之である︒ユ﹄してこの上に築かれた上部構造
が個人の白山ど︑所有棋の絡調ご一玄ふ蛍時に於ては耳目を笠たしむるやうなこつの主張をなし
て頑固なる保守仮の服装を腿倒した︒﹁もし統治者が被治者の自由ご所有権ごに有害な計査をめ
ぐらせ︑且之を買.行するが如き芯劣もしくは惑立をなす時は︑
ぺき優越カは一枇合が常に之ぞ保持してゐる﹂ ο この計査よりして被治者ケ救ふ
さ云ふロックのニ一一口を見る時︑時代に於ける個人
主義診求なるの響鐙をまづ彼に於て聞くの成なきか︒さは一式へ彼のか︑Aる傾向ケ捕ええたのも
一に過去に於ける思想的潮流の如何を察し︑ホツ﹂プλ︑アイYマ1
等の専制政府を排撃する事 に基いた事は否定しえない︒過去を慧敏に洞察せる彼はかくして新しき蹄越さ目的ぎの到来を 成知し︑自由ご所有権どの確立を議合制民によって求めんざした︒そして︑それは驚くぺき在
皮に迄成功したのである︒この事は一六入入年の名共同革命をより著しく特色付けるぜ共に︑彼
以後に輩出した政治思想家の努力が政治哲苧の基一調ケ探求するよりも︑只その上部構造ごして
の諸保件の解明に止った事によっても知られえやう︒一去はば彼以後の蛍面の問題は
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であったのである
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グヨシ・ロYグの自由論
九七
Lockc. ibid. p. 191. H. J. Laski. ibid. pp. 15‑16. (1)
(2)
商 業 さ い 経 流
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次にロヅダがその民政論︑第二篇三十節より五十七節に亙って﹁理性の法﹂(宮毛色
52 8)
さ名付けだ自然法はダグイト・7
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I殺授によれば︑賞に彼の会政治哲
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ο少くごも之が一枇曾契約設さ相並んでその根源の一っか﹄なしてゐる事は疑
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では﹁理性の法﹂さは何か︒一言にして遜せば自然状態に於て人間を支配する法である︒
一度一此合契約によって政治一枇曾ぎ成文法さの後生ぞ見た暁は︑常に質完治ご相劃して之が改善
の規範さな右ものでみのる︒故にロヅグは一式ふ﹁各図の閣法は向然法に基く限り正蛍であり︑之
によって制限ちれ解秤されるのである﹂ゅ
元来自然法の概念はアy
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Tに於てもその片鱗ケ窺ひえられる︒彼の﹁注律は
自然擦の尺度であり陰影である﹂(門戸当日ω
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O寄である一事を示してゐるが︑くしかしこの事は︑明らかな
意味に於て怠識された事ではなかった︒希脱時代に後したか
¥Aる観念があずやかな形少さって
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D. Ritchie. Natural Rights p. 39・ Locke. ibid. P. 123・
D. Ritchie. ibid. p. 32. (1)
(2) (3)