﹁ここちまとふ﹂攷‑
﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ を 中 心 に
不 破 浩 子
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F
U W
A
は じ め に
﹃伊勢物語﹄は︑数次の段階を経て成立したもので︑主人公の
﹁男﹂の性格は︑章段の成立年次によって異なり︑一律に論じる
ことはできない︒しかし︑第一次成立章段については︑一途な
﹁まめ男﹂であり︑それを端的に示すものとして﹁まとふ﹂とい
う語の存在が夙に指摘︑考察されている︒井上親雄氏は︑﹁まと
ふ﹂の属性を﹁安定せず激し‑揺れ動‑﹂ことと規定され︑それ
が﹁ひたむき﹂にあるいは﹁分別を失う﹂形で具現されると述べ
て お
ら れ
る ︒
1
また︑﹃伊勢物語﹄の章段の中には︑恋愛において男性の行為
のみを記述し︑それに対する女性の反応を記述しない構成をもつ
ものがあることが︑塚原鉄雄氏によって指摘されている︒2それ
は︑﹃伊勢物語﹄が︑業平を主人公とする男性視点の物語として
成長してきたことにもよるが︑作品﹃伊勢物語﹄の主題が﹁まと
ふ﹂男であり︑﹁まとひ﹂を記述してい‑上で︑相手の反応は必 要条件ではないからであろう︒﹃伊勢物語﹄における表現対象と して主要な位置を占める﹁恋﹂は︑人の﹁まとひ﹂の一種として 位置付けられるもので︑男の﹁まとひ﹂は本質的には相手の反応 にかかわるものではない︒女性の反応が記述されないのは︑記述 する必要がないという作品作者3の認識を示す︒
﹃伊勢物語﹄における︑﹁まとふ﹂及び﹁まとふ﹂を構成要素
に持つ複合語は︑次の十例(三条西家本による)である︒
①おもはえすふるさとに︑いとはしたなくてありけれは︑心 地 ま と ひ に け り
︒ ( 1 段 )
② 道 知 れ る 人 も な
‑ て
︑ ま と ひ い き け り
︒ ( 九 段 )
③むかし︑おとこ︑武蔵の国まてまとひありきけり︒(十段)
④いとか‑Lもあらしと恩ふに︑真実に絶えいりにけれは︑
ま と ひ て 願 た て け り
︒ ( 四 十 段 )
長崎大学教養部紀要(人文科学編)第3 5巻第1号七〜二十二(一九九四年七月) ⑤親ききつけて︑泣く泣く告けたりけれは︑まとひ来たりけ
れと︑死にけれは︑つれつれとこもり居りけり︒(四五段)
七
不 破 浩 子
⑥人のもとより︑かさり綜をこせたりける返事に
あやめ刈り君は沼にそまとひける我は野に出ててかる
そ わ ひ し き と て
︑ 経 を な む や り け る
︒ ( 五 二 段 )
⑦おとこ︑いといたう泣きてよめる︒
かきくらす心の闇に割引にき夢うつつとはこよひ定
めよ
と よ み て や り て
︑ 狩 に 出 て ぬ
︒ ( 六 九 段 )
⑧かのあるしなる人︑案を書きて︑かかせてやりけり︒跡i=
ま と ひ に け り
︒ ( 百 七 段 )
⑨‑‑とよみてやれりけれは︑蓑も笠もとりあへて︑Lとと
に 濡 れ て 惑 ひ 来 に け り
︒ ( 百 七 段 )
aa
⑲むかし︑おとこ︑陸奥の国まてまとひいにけり︒
( 一 一 六 段 )
右の諸例に関する中世の注釈書の記述をみると︑①について︑
﹃知顕集﹄は︑﹁心地まとふとは︑むねうちさはき︑恋のこころの
もよをして︑心のそらになりたる也(書陵部本)﹂﹁ここちまとひ
けりとは︑このをんなをみつるより︑いつしか︑むねうちさはき
て︑こひのこころつきそめたるなり(島原本)﹂のように︑﹁まと
ふ﹂を︑恋による精神的惑乱と解している︒しかし︑②の﹁まと
ひいきけり﹂は︑﹃閲疑抄﹄に﹁道を分明にしらさるなり﹂と注 されており︑これは︑﹁道に迷う﹂という解釈がなされていたこ とを示している︒③の例も同様であろう︒
④は︑﹁おや︑あはてにけり﹂を承けて﹁まとひて﹂願を立て
ており︑また︑⑤も﹁いそき‑るに(冷泉家流)﹂と注されてい
るように︑急ぎあわてた様子を表している︒⑥⑦はともに︑恋の
贈答歌において︑恋に起因する心身の惑乱を意味する︒⑥は﹁沼
にまよひ出て(﹃閲疑抄﹄)﹂のように﹁まよふ﹂に置き換えて注
されている︒⑦は︑﹃異本伊勢物語絵巻﹄﹃伊勢物語難義注﹄等に︑
﹁まよふ﹂の異文もある︒即ち︑鎌倉以降の注釈の世界では︑﹁ま
とふ﹂は精神的惑乱を表し︑当代の﹁まよふ﹂と同義であると認
識されていたことがわかる︒
確かに︑﹁まとふ﹂が上代から精神的惑乱を意味していたこと
は﹃古事記﹄﹃万葉集﹄等に・例があり︑﹁まとふ﹂の意味領域が平
安時代後期から﹁まよふ﹂に侵食されていったことは︑夙に指摘
されているところである︒4
ここで︑﹃伊勢物語﹄本文に即して見ると︑②﹁まとひ行‑﹂︑
⑤⑨﹁まとひ来﹂︑③﹁まとひあり‑﹂︑⑲﹁まとひいぬ﹂といっ
た︑ある方向へ移動する動作や︑⑥﹁沼にまとふ﹂といった場所
を表す語とともに用いた例は︑それが頼りな‑ておぼつかない状
態におけ̲ゑ付為であることを示しており︑精神的な惑乱というよ
りも︑動作性の意味が強い︒④﹁まとひて願たつ﹂︑⑧﹁めてま
とふ﹂は︑精神的な動揺︑衝撃が動作に影響を及ぼしている例で
あり︑⑦﹁心のやみにまとひにき﹂という和歌の例は︑﹁まとひ﹂
に身体的惑乱と精神的惑乱とを掛ける修辞の定着を示すものとい
え る
右のようにみてくると︑①の﹁まとふ﹂を精神的惑乱と解する ︒
ことは動かないとしても︑その内容について歴史的に検討し︑明
らかにする必要があるだろう︒
また︑﹁ここちまとふ﹂に比べて︑これに似た語形の﹁こころ
まとふ﹂の例は多い︒例えば﹃源氏物語﹄青表紙本の﹁心まとふ﹂
四八例のうち一例は﹁ここち﹂︑﹁心地まとふ﹂十例のうち六例は
﹁心﹂の異文を持つ︒(以下︑﹃源氏物語大成﹄による)
①において﹁ここちまとひにけり﹂の主体が﹁男﹂であること
は明白であり︑これは終末段の﹁心地死ぬへ‑おはえけれは﹂と
も対応している︒しかし︑第五段の︑男が築地の崩れから女の許
に通って‑ることを知った家の主人が︑そこに番人を置いたため
に女に会えな‑なった︑その結果として︑﹁心やみけり﹂と記さ
れていることについて︑塚原鉄雄氏は︑﹁﹁いといたう心やみけり︒﹂
は︑古来︑諸注が一致して︑女性の心理と説明している︒けれど
も︑卑見では﹁あるじ﹂の︑心理的反応と理解したい︒その理由
は︑この第五段において︑女性は︑直接に登場しないということ
にある︒﹂5と述べておられる︒﹁心地まとふ﹂﹁心やむ﹂は︑精神
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に の負的状態を表すが︑ともに︑単に気分がすぐれないという程度 から︑病気による不快症状︑及び精神の病的疾患まで含む語であ る︒
①において︑﹁こころまとふ﹂ではな‑︑﹁ここちまとふ﹂と書
かれた理由を明確にすることが︑﹁心やむ﹂の主体を明確にする
ことにもつながると考えられる︒
.
まず︑辞書・訓点資料といった漢文訓読及び漢字表記の世界に
おける﹁マトフ﹂について見てみたい︒平安時代初期に成立した
意義分類体の辞書である﹃和名類衆抄﹄は︑先行する漢文訓読の
歴史の集成でもあるが︑その疾病部(十巻本・巻二)に精神的な
疾病を表す語として﹁癒狂﹂﹁失意﹂の二項目が立てられている︒
癒狂唐令云︑癒狂酎酒皆不得居侍衛之官(癒音天︒狂
訓太布流︑俗云毛乃久流比)︒本朝令義解云︑癒 沓時什地吐誕沫無所覚也︒狂或自欲走︑或自高輪 聖 賢 者 也
︒
失意日本紀私記云︑失意(古々路万都比)
﹁ 失 意 ﹂ の 典 拠 は
︑ ﹃ 日 本 書 紀
﹄ の 注 釈 書 で あ る
﹃ 日 本 紀 私 記
九
﹄
不 破 浩 子
で︑景行四十年の﹁峯霧谷唾︑無復可行之路︒乃捷達不知其所抜
渉︒然凌霧強行︑方僅得出︑猶失意如酔﹂という箇所に対する注
釈である︒平安初中期の訓を伝えると見られる﹃日本書紀私記﹄
丙本は﹁牟呂介氏﹂(近世の校訂では﹁乎呂介﹂に同定する)の
訓を載せる︒これは︑意識が腰僻としている所謂﹁失心﹂状態を
表しており︑﹁驚檀失所(武烈即位前紀)﹂や﹁舎人性情弱︑緑樹
失色︑五情無主(雄略紀五年二月)﹂といった表現も同様の状態
を表すものと考えられる︒このうち後者は︑図書寮本に﹁マトヒ
オ ロ
ケ タ
‑ ﹂
と 訓
じ ら
れ て
い る
︒ ﹁
失 所
﹂ ﹁
五 情
無 主
﹂ は
︑ 例
え ば
︑
最古の総合的な病理の書である晴代の﹃諸病源候論﹄に見える
﹁風癒者︑血気虚邪シテ邪陰経二人ル:由ル故也︒人血気有り︑
少ナルトキハ則チ心虚シテ精神離散シ魂塊妄行ス︒因テ風邪ノ為
二傷ラル︒故二邪陰二人ルトキハ則チ癒疾卜為ル(風癒候)﹂﹁凡
ソ人ノ或ヒハ鬼物ノ為二魅スル所有ルトキハ則チ好ク悲シ‑テ心
自ラ動ク︒或ヒハ心乱レテ酔ヱル如シ(鬼魅候)﹂といった考え
方に通じるものであり︑﹃薬経太素﹄の﹁牛黄﹂候の﹁主二狂操
ヲ除キ天行ヲ治シ︑魂ヲ安メ塊ヲ定メ邪悪ヲ除キ﹂という記述も︑
﹁牛黄﹂に﹁癒狂﹂の症状を鎮める効果があることを示している︒
これを︑室町時代の﹃万安方﹄という医書は﹁人︑血気ヨハクス
クナキ時ハ︑心虚シ精ツキテ魂塊離乱ス︒コレニヨ‑テ風邪スデ
ニ入テ此病ヲナスナ‑(癒疾)﹂と記している︒こうした状態は︑ 読
医書等において﹁癒疾(素問)﹂﹁狂癒(難経)﹂﹁風癒(病源論)﹂
﹁失心(広済方)﹂﹁失志(千金方)﹂﹁失心風(証治準縄)﹂﹁心風
( 証
治 要
訣 )
﹂ ﹁
亡 魂
( 千
金 方
) ﹂
﹁ 狐
惑 (
春 秋
) ﹂
﹁ 昏
迷 (
営 林
集 要
) ﹂
のように規定されている︒﹃和名抄﹄にいう﹁失意﹂とは︑心気
の虚に乗じて邪気が侵入し神魂が離れさまよう︑あるいは五臓六
肺に心気が不足し︑魂が定まらないことによる意識が膿瀧とした
状態で︑前傾に配されている﹁癒狂(モノクルヒ)﹂の症状の一
種といえる︒例えば︑﹃苦心方﹄(安政刊本)に﹁失魂塊﹂を﹁マ
トハセ‑﹂と訓じていることから﹁失意﹂とは﹁魂塊ヲ失フ﹂こ
とであり︑これにより︑﹁マトフ﹂が﹁失﹂に当てられているこ
と が
わ か
る ︒
こ れ
に 対
し て
︑ ﹁
治 魔
モ ノ
ニ ヲ
ソ ハ
レ 不
審 サ
メ 方
﹂ の
説 明
に ﹃
諸 病
源 候
論﹄の﹁人睡眠スレバ則チ魂塊外遊シテ鬼/為二魔屈セラル︒其
ノ精神弱キ者ハ魔セラルレバ則チ久シク杵スルヲ得ズ︑乃至ハ気
暴カニ絶ユ﹂という記述を引‑︒﹃福田方﹄では﹁鬼侵モノノケニソコ
ナ ハ
レ テ
﹂ ﹁
鬼 邪
中 之
モ ノ
ノ ケ
ニ ア
タ テ
﹂ と
あ り
︑ ﹁
鬼 気
﹂ を
﹁ モ
ノ ノ
ケ ﹂
︑
ク ル ホ
﹁鬼魅﹂﹁鬼件﹂を﹁パケモノ﹂と訓じている︒﹁鬼魅に著(さ)
マ シ モ ノ ク ル ホ ス モ ノ
る(石山寺本﹃大般淫楽経﹄古点・巻十一)﹂﹁轟魅厭祷
(西大寺本﹃金光明最勝王経﹄)等の例は︑﹁鬼﹂が愚‑ことを
﹁ ク ル フ
﹂ と 称 し た こ と を 表 し
︑ ﹁ 託 ﹂ は ﹃ 新 撰 字 鏡
﹄ に
﹁ 註
﹂ の
義注としてあげられ︑その和訓として﹁伊乃留︑久留比天毛乃伊
不︑又口波之留﹂とあり︑﹁祷﹂は﹁誼﹂の注として﹁久知波之
留︑又太波己止︑又久留比天毛乃云﹂という和訓とともに当てて
ある︒小川本﹃願経四分律﹄には﹁託病﹂を﹁シタウチスル病﹂
と訓じている︒これらの例から︑精神錯乱の症状の一種である自
動言語は︑﹁鬼魅﹂に愚依(クルフ)された結果であることがう
かがえる︒つまり︑﹁クルフ﹂は﹁託(つ‑)﹂に当てられている
のである︒﹁クルフ﹂は︑現在﹁狂﹂字の定訓であるが︑﹁罪人狂
タ フ
( れ
) 怖
テ 頑
ヲ 叩
テ (
石 山
寺 本
﹃ 大
智 度
論 ﹄
) ﹂
﹁ 狂
タ フ
( る
る )
ガ故二食ヲ生ズトイへ‑(石山寺本﹃法華義疏﹄)﹂﹁狂虚太波
毛 乃
( ﹃
新 撰
字 鏡
﹄ )
﹂ ﹁
狂 タ
フ レ
犬 傷
大 方
( ﹃
医 心
方 ﹄
) ﹂
の よ
う に
訓
点資料には﹁タフル﹂と訓ずる例が多‑︑﹁暫ノ善方便ヲモテ狂
[愚也](か)ナル子ヲ治スルタメ︹以︺也(て)ノ故(に)(﹃妙
法蓮華経﹄巻六)﹂のように﹃日本書紀私記﹄の﹁オロケテ﹂に
通ずるものや︑﹁我ヲ(して)発狂オキマトフコト(セ)令(メム)
卜(スル)コト莫レ(石山寺本﹃仏説太子須撃陀経﹄)﹂のように
﹁マトフ﹂の訓も見られるので︑状態としては﹁マトフ﹂と同一
であるといえる︒ があったことがうかがえる︒6
﹁クルフ﹂は︑﹁冷泉院のくるひよりは︑花山院のq副っ叫はす
ちなきものなれ(﹃大鏡﹄伊ヂ侍)﹂のように︑貴族である源俊賢
の発言の中に見え︑また︑女性の発言の中にも﹁モノ﹂を冠して
﹁タフル﹂は︑﹁多夫礼多流しこつ翁(﹃万葉集﹄﹂のよ
うな罵署や︑﹁よからぬきつねなといふもののたふれたるか(﹃源
氏物語﹄若菜下)﹂のように︑人以外の対象に用いられたり︑﹁逆
言︑狂言(﹃万葉集﹄)﹂といった形で見え︑異常を表す強い語感 和らげてはいるものの︑﹁たれてふもの‑るひか︑我人にさおも はれんとおもはん(﹃枕草子﹄二七六段)﹂といった使用例があり︑ 口語としても広‑用いられている︒露骨な表現ではあるが︑それ は内容に起因する必然的なもので︑表現自体が極度に忌避されて いたとはいえない︒﹃福田方﹄に﹁酒ノ酔ノ如ク狂モノクルヒ﹂﹁狂柄 妄語モノニクルヒソソロコトイヒ﹂﹁狂走モノニクルヒハシリ﹂のように﹁狂﹂字と ﹁クルフ﹂の対応も密接になっている︒
以上のように漢語としての﹁癒狂﹂には︑﹁失魂醜(ココロヲ
マトハス)﹂と﹁魔(モノニッカレル)﹂という二つの概念が含ま
れているが︑﹁癒狂﹂に対する﹁タフル﹂と﹁モノクルヒ﹂の和
訓が鬼邪に潰依されることを表すのに対して︑﹁失意(ココロマ
トヒ)﹂は魂塊を失うことを意味するという相違がある︒
﹃色莫芋類抄﹄(前田本)人体部には︑﹁失意﹂に﹁ココロマト
ヒ﹂の訓があり︑一方︑畳字部の﹁悶絶﹂には﹁ウレへマトフ﹂
とあり︑﹁暫疾部/疾病分﹂という割注がある︒﹁悶絶﹂は﹃新
撰字鏡﹄に﹁悶困﹂に対する注として見えるが︑﹁悶困﹂には
﹁己々呂太由﹂という訓が対応され︑﹃東大寺説詞文稿﹄に﹁悶
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に
不 破 浩 子
絶ココロタエ迷フ﹂と見える︒医書を見ると︑﹁衝心悶マトフ﹂﹁間悶イソ
カバシク﹂﹁運悶チマクレ﹂﹁運心悶イキタエ気絶﹂(以上﹃医心方﹄)︑﹁紘
悶 メ
マ ヒ
ワ ヒ
シ ク
﹂ ﹁
心 悶
コ コ
チ ワ
ヒ シ
ク 吐
逆 ﹂
﹁ 心
腹 妨
悶 ワ
ッ ラ
ハ シ
ク ﹂
﹁ 胸
偏 ム
ナ
モ ト 煩 悶 イ キ リ ワ ヒ シ ク ﹂ ﹁ 昏 憤 マ ク レ ニ 心 ミ タ レ 悶 モ タ へ 乱 コ カ レ ﹂ ( 以 上 ﹃ 福 田
方 ﹄ ) の よ う に 心 胸 の 苦 痛 に 悶 絶 す る 状 態 を 示 し て い る ︒ こ れ は ︑
﹁ 博 志 々 呂 津 古 支 之 (
﹃ 日 本 霊 異 記
﹄ 上 序 )
﹂ や
︑ ﹃ 新 撰 字 鏡
﹄ の
<a
﹁ 松 古 恭 反 ︒ 平 ︒ 心 動 也 ︒ 心 心 保 止 波 之 留 ﹂
﹁ 仲 恥 中 反 ︒ 平 ︒ 心 憂 也 ︒ 心 保 止 波 之 留
︒ 又 太 伊 牟 ﹂ ひ い て は
︑ ﹃ 福 田 方 ﹄ に 見 え
る
﹁ 憧 仲 モ ノ ヲ チ セ シ ム ル / ム ナ サ ハ キ
﹂
﹁ 松 惇 モ ノ ヲ チ / サ ハ キ ヲ ツ ル
﹂
といった擬態語的に表現された意味につながる︒﹁惇﹂は﹃医心
方﹄において﹁驚惇﹂﹁惇働﹂﹁恐惇﹂と熟して﹁ココロバシル﹂
﹁ココロサハク﹂と訓じられ﹁惇働不定ココロバシリシツカナラス﹂﹁心惇
働悦惚ココロバシリシホレ﹂のように﹁不定﹂﹁悦惚﹂といった状態と共
存することも多い︒﹃福田方﹄では﹁惇働ヲトリバラタツ﹂﹁驚惇キモツフ
ス﹂﹁心驚臆寒ムネハシ⁚キモツフス﹂﹁心驚ムネバンリ失意[心不定也]悦惚
トホレテ﹂﹁悦惚ココロホレテ﹂﹁心神悦惚ココロホレホルル﹂といった和語が当
てられている︒また︑﹃日本書紀﹄の平安時代の訓と共通する訓
を多‑有する石山寺本﹃大唐西域記﹄長保点に﹁迷(ココロマト
ヒシ)テ不知路﹂の訓があるが︑﹁マトフ﹂を定訓とする﹁迷﹂
字は﹁心迷乱スト(いふ)者︑[如]人ノ疾病︑非人等ノ種々ノ
因縁ヲ以(て)其ノ心迷乱シテ妄(り)ニ浄虚空ノ中(に)種々 ≡
ノ人物形相有(り)ト見テ︑或(いは)怖畏ス可(‑)貧着(す)
可シ(高山寺本﹃大毘慮遮那経疏﹄)﹂は︑抽象的な惑乱の意味で︑
離魂の具体的なイメージは無く︑後に﹁マヨフ﹂﹁マカフ﹂と混
同してい‑ものである︒﹁迷惑﹂に﹁マトフ﹂という同定が固定
してい‑ことが︑和語﹁マトフ﹂に存した﹁失魂塊﹂という具体
的な言語印象を唆味にしてい‑一因と考えられる︒こうして︑
﹁ココロマトフ﹂は﹁魂を失う﹂にかぎらず︑極度の恐怖や邪気
による心臓の動揺や︑悩み心配に胸が馨屈する︑といった心胸の
衝撃一般を指すように変化する︒
二
仮名文学作品では︑和歌と散文とで顕著な違いがあり︑﹃今昔
物語集﹄﹃宇津保物語﹄﹃落窪物語﹄﹃枕草子﹄等の散文では︑激
しい動きを表す意味内容が豊富であるのに対して︑和歌では惑乱
の動作・状態の表現に精神的惑乱が掛けられる︒但し︑これは和
歌に詠まれる題材が限定されており︑﹁まとふ﹂動作は詠歌の対
象とはなりに‑‑︑また︑精神の動きに関連するのでなければ詠
歌対象とはならない︑という事情と関係があるだろう︒﹃源氏物
語﹄には︑歌の修辞をふまえた﹁まとふ﹂が︑精神的な惑乱を表
す表現として確立しているように見える︒﹁まとふ﹂は︑現在は
精神的な動揺・惑乱を表す語と認識されているが︑歴史的に見る
と︑かなり動作性の強い意味を持つ語であったことについては︑
﹃今昔物語集﹄をはじめとする散文を中心に検討したことがあ
る︒7散文における﹁まとふ﹂の用例を整理すると︑次のように
な る
︒
I行‑べき道を失う(道に迷う)
①仏教的な妄執(愛欲・名利)
②狐・惑神による惑い(道に迷う・病気による悶絶︑失
心)
Ⅱ激しい動き
③病気の苦悶による発作︑失心
④動詞に付加して︑その動作が激しいこと︑またあわた
だし‑行われたことを示す︒ れず︑精神的に﹁道に迷っている﹂という比職的な現状把握の中 で︑仏教における理念的惑いと俗信的な迷神による迷いとが混然 としていることである︒なお︑﹁迷ハシ神﹂﹁迷ヒ神﹂や狐狸・物 怪が人に潰依して様々の異常を引き起こすという社会通念から︑ 何かと問題を起こす人騒がせな人︑困ったいたずら者︑といった 意味で﹁すへて君は涼をまとはし給(﹃宇津保﹄蔵閲中)﹂﹁いと かたはに人の心をまとはし給宮なれは(﹃源氏﹄婿蛤)﹂のように 用いることもあり︑いつもすましている相手を少し困らせてやろ うといういたずら心を表すのにも用いられている︒﹁かかるをり にすこしをとしきこえて御心まとはして︑こりぬやといはむ(紅 莱)﹂という︑頑中将の源氏に対する気持ちや︑﹁いとよくすき給
仏教においては︑肉親︑異性︑物質等に対する執着は妄執とさ
れ︑妄執は往生の妨げとなって﹁迷う﹂ことにつながる︒また︑
﹁迷ハシ神﹂﹁迷ヒ神﹂や狐狸・物怪の類に愚依された結果として
﹁ 道
に 迷
う ﹂
﹁ 山
に 迷
う ﹂
状 態
が 引
き 起
こ さ
れ る
と い
う 考
え が
あ る
︒
そして︑こうした﹁迷う﹂状態が︑妄執に囚われている状態の比
職として︑和歌等の文学において修辞として成立している︒ここ
で︑漢字文献と一線を画し︑仮名文学作品に共通する特徴は︑
﹁迷いの原因﹂としての妄執︑迷神といった存在が明確に認識さ
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に ひぬへき心まとはさむとかまへありき給なりけり(壁)﹂といっ た源氏の蛍兵部卿宮に対する気持ちは︑それに当たる︒つまり︑ ﹁まとふ﹂の持つ妖惑性や語感の強さが減退して︑より日常的に 受け入れられやすい比職表現になっていると言える︒これは︑仮 名文学作品の方に︑動作性より精神的惑乱の意味が強いという全 体の傾向に合致する︒また︑これは︑仮名文学作品と仏教説話の テーマ・題材の違いによる当然の帰結でもある︒﹃源氏物語﹄に おける﹁まとふ﹂が︑精神的懐悩・惑乱を表す語として確立して いるのは︑﹃源氏物語﹄が人間の﹁まとひ﹂を明確なテーマとし て構想されているためであろう︒
不 破 浩 子
また︑漢字文献との共通点は︑疾病としての﹁ココロマトヒ﹂
に︑もともと存在した︑激しい苦痛の発作と︑その極限としての
失神という両方の意味内容が︑やはり和語の﹁まとひ﹂にも存す
るということで︑激しい動き︑あわたたしい動きと︑途方にくれ︑
呆然とした状態との両方を表すことである︒したがって︑その動
きも︑単に激しいというのではなく︑発作のような﹁さまあしき﹂
動作映像を伴っており︑物語の理想的人物は﹁まとはない﹂よう
に 設
定 さ
れ る
︒
修辞上では︑漢字文献に見られた﹁心迷肝失﹂といった驚きや
恐怖を表す慣用表現をやわらげた表現も︑﹁心魂まとひてよろす
のことおはえす(忠こそ)﹂﹁心きもをまとはして恩ふ人(国譲上)﹂
﹁魂も消えまとひて物おはえす(嵯峨院)﹂﹁我かきもこころを副
とはすらむ(﹃落窪﹄)﹂のようにあるが︑﹃源氏物語﹄になると
﹁心まとひ﹂﹁御心まとひ﹂﹁心をまとはす﹂といった︑漢文の慣
用表現を下敷きにしたとは思われないような和語の表現として熟
したものになっている︒8
﹁まとふ﹂と﹁まよふ﹂について︑古‑は﹁まとふ﹂であるが︑
﹁﹁道にまとふ﹂﹁闇にまとふ﹂﹁人にまとふ﹂のように︑右往左往
する行為として捉えることができる場合はマヨフになっている異
文が多い﹂中で︑﹁心﹂に下接する時は﹁まとふ﹂が﹁まよふ﹂
になる異文が少ない︒これは︑﹁﹁心﹂の場合はマトフを用いると 苗
いうように︑どの筆者も考えたからであろう﹂と木之下正雄氏が
指摘しておられるように9︑﹁心まとふ﹂は︑平安時代の中期頃
に複合語として固定したものと考えられる︒﹁まとふ﹂と﹁まよ
ふ﹂の異文を大成本によって検索・整理すると︑異文があるのは︑
﹁道﹂﹁闇﹂等に﹁まとふ﹂ことと掛けられている︑子ゆえの﹁ま
とひ﹂一例と︑恋の﹁まとひ﹂八例︑﹁心まとひ﹂三例であり︑
この結果から︑動作性の強い意味内容の例には異文がみられない
という木之下氏の説が確認できる︒
また︑﹁まとふ﹂の語義が精神的惑乱に関する意味に固定する
につれて︑﹁まとふ﹂の中でも﹁しるべとなる立場のものが︑庇
護し導‑べき相手を見失う︑迷子にさせる﹂という状態を﹁庇護
される立場﹂から捉えたという意味内容が︑了解されにくくなる︒
次の例は︑そのために全‑異なる表現に変えられたものである︒
いへのさまもいひしらすあれまとひて(いた‑あれて河内本
(
河
)
)
(
浮
標
)
はかはかしうあひっ‑人もな‑て︑としころあれまとふ(なか
りけるを背表紙本(氏))を恩いてて
はしをみ給人々めもかかやきまとひ給(かかやき給青表紙本
( 横
) か
か や
き て
な ん
別 本
( 保
) )
( 鈴
虫 )
青表紙本の﹁心まとひ﹂二八例︑﹁心をまとはす﹂といった動
詞形態をとるもの二四例︑﹁心地まとふ﹂一一例のうち︑特に︑
﹁心地まとふ(﹁心まとふ﹂の異文一例)﹂に五例の異文があるこ
とは︑﹁まとふ﹂が﹁心地﹂よりも﹁心﹂と結び付いていたこと
を 示
す ︒
御むまよりすへりおりて︑いみし‑御心ちまとひけれは(御心
ま と
ひ の
す れ
ば 別
本 (
別 )
)
これみつ︑心地まとひて(心河内本(河))︑
( 夕
顔 )
( 夕
顔 )
いととみたりかはしき心ちとものまとひ(みたれかはしきみた り心とものまきれ青表紙本(三))に︑きこえさせたかふる こ と も は へ り な む ( 夕 霧 )
‑らうなりにし空のけしきに御心ちまとひ(御心河内本(鳳)
別 本 ( 麦 阿 ) ) に け る を ( 夕 霧 )
すきにし御事にも︑ほとほと御心まとひ(御心ち河内本(七)
別本(陽))ぬへかりしおりおりおは‑はへりLを
( 夕
霧 )
いとあさましくあきれて︑こころもなかりけるよのあやまちを︑ をもふにここちもまとひぬ(心別本(宮陽国麦))へきを
( 浮
丹 )
また︑﹁心地まとふ﹂が︑夕顔巻と夕霧巻の物怪が跳摸する場
面に集中しているのは︑﹁心まとふ﹂に比べ﹁心地まとふ﹂の方
が︑病的︑実質的な異常を表す性格があるためと解され︑少な‑
とも青表紙本では﹁心地まとふ﹂を﹁心まとふ﹂と明確に区別し
ていたことを示している︒したがって︑宇治大君の﹁いと心ちま
とふはかりの御なやみにもあらねと︑ことつけてたいめむし給は
す︒(総角)﹂という態度は︑﹁病気というほどでないが︑気分が
すぐれないので﹂という意味になるであろう︒
疾病表現においても︑﹁心ちあし﹂﹁心ちなやまし﹂﹁心ちむつ
かし﹂﹁心ちさはく﹂﹁心ちたかふ﹂﹁心ちみたる﹂﹁心ち‑るし﹂
﹁目くるる心ち﹂﹁死ぬる心ち﹂﹁物におそはるる心ち﹂﹁むねせき
あ‑る心ち﹂﹁身あつき心ち﹂﹁みたり心ち﹂﹁みたりかはしき心
ち﹂﹁物けたつ心ち﹂﹁例ならぬ心ち﹂のように︑﹁心ち﹂に症状
を表す語を付加して病気であることを示す例が多‑︑疾病で﹁こ
ころ﹂が用いられるのは﹁驚惇ココロバシリス﹂のように心臓を指し
たり︑﹁悦惚ココロホレテ﹂のように精神的な異常の場合に限られて
いる︒10
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に
Eel
不 破 浩 子
三
!ヽ
﹃源氏物語﹄は︑桐壷帝の﹁御心まとひ﹂にはじまり︑薫の
﹁のりのしとたつぬるみちをしるへにておもはぬやまにふみまと
ふ(ふみまよふ)かな﹂に終わる︒先の小考で﹃源氏物語﹄の
﹁心まとひ﹂の中でも︑子に対する親の﹁まとひ﹂について考察
したが1 1︑ここでは︑異性に対する﹁まとひ﹂について検討を加
えておきたい︒
﹁をんなのみちにまとひ給ことは人のみかとにもふるきためし
とも(輯蛤)﹂あり︑﹁すすろなるけそうの人をさへまとはし給て︑
そらことをさへせさせ給よ(浮舟)﹂というように︑同じ妄執で
あっても︑親の︑子ゆえの﹁まとひ﹂が社会的に容認されている
のに対して︑異性に囚われることは罪深いものという共通認識が
う か
が え
る ︒
﹃源氏物語﹄において源氏が﹁まとふ﹂対象は︑空蝉・六条御
息所・夕顔・奏上・藤壷・騰月夜・明石上・紫上であり︑中でも
夕顔に対する七例︑紫上に対する六例が多い︒
ただし︑紫上に対する﹁まとひ﹂はいずれも︑﹁いのちたふま 心くるし﹂﹁世にかしこ‑おはする人も︑いとか‑御心まとふこ とにあたりては︑えしつめたまはぬなりけり(以上︑若菜下)﹂ と同情をあつめている︒源氏自身も﹁めめし‑ひとわろきありさ ま﹂だと自覚しながらも︑自らの愁嘆が社会公認であることを知 悉している︒﹁いまさらに︑我よのすえにかたくなしく心よはき 割引にて世中をなんそむきける(御法)﹂と︑世間から非難さ れるような﹁まとひ﹂であると自己規定しているが︑これと同じ ﹁よにかたくなしきやみの引訓になむ(竹河)﹂という表現が︑ 雲井雁の玉章に対する手紙の中に見え︑それは自らの親馬鹿を日 朝するとともに︑同じ子を持つ親として相手の同情と許しを期待 する表現でもあった︒つまり︑源氏の紫上に対する﹁まとひ﹂は︑ 肉親に対する愛情や︑明石尼の明石入道との別離における﹁まと ひ﹂のように︑肉親に準ずる者故の﹁まとひ﹂であって︑恋の ﹁
ま と
ひ ﹂
と は
異 質
な も
の と
言 え
る ︒
1
2 夕顔に対する﹁まとひ﹂は︑源氏が生前の夕顔に詠みかけた
﹁いにLへもか‑やは人のまとひけん我またしらぬ篠の目のみち
(夕顔)﹂という1例以外は︑物怪発現以降に見える︒﹁身もあっ
し‑身を‑たきておはしまとふ﹂﹁いかさまにせんとおはしまと
ひ﹂﹁おさめんかたなき心まとひ(以上︑若菜下)﹂のように︑紫
上の病気︑死去にかかわるもので︑﹁まとふ﹂源氏は周囲の人々
から﹁いとか‑おはしまとへる御けはひをき‑に︑いといみし‑
き心ちしていと‑るし‑まとはれ﹂るのは物性の仕業であると考
えられるが︑その﹁心まとひ﹂の中でも︑女がもし蘇生したら
﹁みすててゆきあかれにけりとつら‑やおもはむ﹂と恩いやり︑
女の遺骸に﹁め‑れまとふ﹂のは源氏の夕顔に対する恋の気持ち
の深さを示すものであろう︒
一方︑六条御息所に対しては︑﹁よそなりし﹂ときの﹁御心ま
とひ﹂のように﹁あなかち﹂ではな‑︑夕顔に対する﹁あなかち﹂
な気持ちとは対照的である︒
葵上に対しての﹁まとひ﹂は︑前述のように<正妻の退場Vと
いう事態の重大さに伴うもので︑基本的には﹁いとことことしう 藤壷に対する﹁まとひ﹂は︑数量上は多‑はないが︑﹁かかる おりにたにと心もあ‑かれまとひて︑いつ‑にもいつ‑にもまう て給はす(若紫)﹂︑果たされた逢瀬は﹁うつつとほおはえす﹂︑
おもひまとはるる(莱)﹂左大臣に対して﹁心‑るし﹂という気
持ちである︒また︑夕顔にあながちにひかれる源氏を間に︑英上
と六条御息所とを対照化する効果も企図されている︒
明石上に対する﹁まとひ﹂は﹁いつかたの雲路に我もまよひ
(まとひ)なむ月のみるらむこともはつかし(須磨)﹂︑瀧月夜に
対しては﹁心いるかたにならませはゆみはりの月なき空にまよは
(まとは)まLやは(花宴)﹂という歌の中に見え︑空蝉に対する
三例のうちの1例﹁あはめたてまつるもことはりなる心まとひ
(帯木)﹂という発言を含め︑いずれも常套的な求愛表現であり︑
多分に実際以上に大袈裟に表現する挨拶的な性格がある︒しかし︑
﹁ははき木の心をしらてその原のみちにあやな‑まとひぬるかな
(帯木)﹂は拒絶された源氏の独詠で︑あやな‑﹁まとって﹂しまっ
たことをくやんでいる︒この悔いは︑後に﹁つらきおりおりかさ ﹁たくひなくおはえ給に心まとひして(貿木)﹂﹁ここら世をもて しっめ給ふ御心︑みなみたれて︑うつしさまにもあらす﹂という ように︑意志の働きの及ばない夢の世界の出来事であるかのよう に表現されている︒﹃源氏物語﹄の恋の中で﹁あ‑かれまとふ﹂ と規定されているのは︑この例と︑夕霧の落莫宮に対する﹁あ‑ かれまとひたまふはと﹂の二例のみであるが︑その実質は大き‑ 異なる︒夕霧の恋の世俗性は︑夙に指摘されていることであり︑ 対象の女性も源氏の相手とは極めて対照的に造形されている︒し かし︑﹃源氏物語﹄の﹁あくかる﹂三五例を検討すると︑定まっ た場所を離れる︑関係が離れるという物理的な離別を表す例と︑ 魂が身体を離れ︑心ここにあらずという状態を表す場合の二種に 大
別 で
き る
︒
まず︑物理的離別について検討してみる︒﹁なこりなきさまに
あくかれはて給はむはと︑恩給ふるこそときこえもやらす(秦)﹂
は︑英上の死によって︑源氏が左大臣邸からすっかり離れてしま
うことに対する邸の人々の危快であり︑﹁侍従なといひし御めの
ねて心まとはしたまひし(初音)﹂.と苦い体験として回顧されて
い る
︒
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に
とこのみこそ︑としころあくかれはてぬものにて︑さふらひつれ
と(蓬生)﹂﹁か‑おはえぬみちにいさなほれて︑はるかにまかり
痘
不 破 浩 子
as
あくかるることとて(蓬生)﹂は︑末摘花に仕えていた侍従が主
人のもとを離れていくことを指し.ている︒﹁いさよふ月にゆ‑り が疎遠になることを表している︒
なくあくかれんことを女は恩やすらひ(夕顔)﹂は︑夕顔が自分 一方︑﹁なき玉そいととかなしきねしとこのあくかれかたき心
ならひに(莱)﹂のように死者の魂が生前の床を離れる︑﹁物おも
の住まいを離れることを指す︒﹁としころとをき‑ににあ‑かれ︑
はは君もうせ給てのち(椎本)﹂﹁いみたかふとて︑ここかしこに
なんあくかれ給める(東屋)﹂は︑浮舟が自己の住まいを離れて
後︑落ち着く場所なく流浪するといった内容をも含んでいる︒ま ふ人のたましひは︑けにあ‑かるる物になむありける(莱)﹂の ように魂が身体を離れることは︑当時の共通認識であり︑それを ふまえて恋によって心ここにあらずの状態になることを﹁御けし
きなとも︑れいならすあ‑かれたるも(朝顔)﹂﹁いまめかしき御
た︑﹁けふかかる空のけしきにより︑かせのさきにあ‑かれあり
き給ふも︑あはれにみゆ(野分)﹂﹁かう心うけれはこそ︑こよひ
の風にもあくかれなまはしく侍つれ(野分)﹂は︑ある場所を離
れることと風に吹きとばされるといった映像とを重ねて表現して
おり︑﹁おやたちの御うらみを恩て︑の山にもあ‑かれむみちの
をもきはたしなるへくおはえしかは(相木)﹂では︑単に親元を
離れるという具体的な事態から︑世をすてて流浪するといった︑
より象徴的な意味も持つようになっている︒﹁あはれとおもひし
はとに︑わつらはしけにおもひまつはすけしきみえましかは︑か
くもあくからささらまし(苗木)﹂﹁我身をさしもあるましきさま
にあくからし給となかころ恩たたよはれしこと(若菜上)﹂は︑
頭中将︑源氏等が︑妻から離れている状態を指し︑さらに︑﹁こ
のとしころ人にもに給はす︑うつし心なきおりおりおは‑物し給
て︑御中もあくかれてはとへにけれと(真木柱)﹂は︑夫婦の間 ありさまの程にあ‑かれたまうて(横笛)﹂のように﹁あ‑かる﹂ と捉えている︒こうした魂にかかわる二十例のうち︑ここで問題 になるのは︑心ここにあらずという状態を表す十六例である︒ ﹁あ‑かる﹂主体は︑源氏四例︑秋好中宮一例︑明石入道一例︑ 夕霧七例︑蛍兵部卿一例︑薫一例︑浮舟母一例である︒秋好中宮 は草花が野分に荒らされることによって︑明石入道は娘と源氏の 関係の行‑末を心配して︑浮舟の母は︑浮舟が薫に庇護される可 能性を危慎して︑薫は浮舟を引き取るに際して︑世間体をよくす るにはどうしたらよいかという考えに気を取られて︑いずれも ﹁あ‑かる﹂状態になっている︒恋の思いで﹁あ‑かれ﹂ている のは︑源氏︑夕霧︑蛍兵部卿であるが︑このうち源氏の﹁あくか る﹂対象は朝顔斎院と明石上である︒斎院に対する﹁あ‑かれ﹂ は︑中将君への伝言と︑紫上の目を通して見た源氏の様子の規定
であり︑明石上に対しては︑相手への発言として見える︒蛍兵部
卿の玉章への﹁あくかれ﹂も鴬に託して歌に詠まれたもので挨拶
的要素が強い︒地の文で作者によって﹁あ‑かれまとふ﹂と規定
される源氏の藤壷に対する恋︑夕霧の恋の特殊性は明らかであろ
う︒ただ︑夕霧の落莫宮に対する四例の﹁あ‑かれ﹂は︑紫上を
はじめ︑父源氏をめぐる女性への﹁あくかれ﹂を背景にして︑物
に懸かれるように対象を求めて落葉宮に向けられるもので︑恋の
心情描写というよりも︑﹁あ‑かれ﹂に翻弄される人間を描いた
ものと解される︒こうして見ると︑源氏は恋の主体としての重み
を保持しているが︑やはり藤壷への恋は︑人の意志を越えた力に
よるものであることを示している︒したがって︑源氏も藤壷も︑
逃れられない宿世に支配され苦悶しているのである︒
ここで︑源氏の﹁まとひ﹂の対象となった女性の方を見ると︑
夕顔の﹁わななきまとひ﹂︑葵上の﹁まとふわさ﹂は物性愚依に
よるもので源氏に起因するものではない︒瀧月夜自身は﹁まとは﹂
ないで︑事情を知る女房の方が事の露見を恐れて﹁まとって﹂い
る︒
空蝉は︑﹁あさまし‑人たかへにこそ﹂と﹁かりなるうきね
(以上︑苗木)﹂に苦悶している︒身の程をしった苦悶という意味
では明石上と共通するが︑空蝉は源氏の妻としての地位をはじめ
からあきらめていながらも︑源氏にひかれる気持ちは強く︑それ
故に苦しんでいるのに対し︑明石上は源氏の妻という立場におか
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に れ︑困難な宿世に苦しんではいるものの︑源氏への執着に﹁まと ふ﹂人物としては形象されていない︒
空蝉・明石が︑各々の立場で︑源氏の思い及ばない︑また源氏
を思いやるとは言えない物思いに苦しんでいるのに対して︑源氏
と同じ世界で﹁まとひ﹂︑苦しみを共有するのは︑六条御息所と
藤壷である︒﹁わりなき御心まとひとも(賢木)﹂は︑源氏・御息
所︑各々の物思いであり﹁まとひ﹂であるが︑御息所は源氏自ら
の心の鬼でもある︒藤壷とは︑冷泉帝の親という立場と罪を共有
し︑互いに対する口に出せない妄執は︑わが子に対する﹁まとひ﹂
としてのみ意識化され得る︒
夕霧の﹁まとひ﹂三例のうち︑一例は︑雲井雁との間が裂かれ
ているとき︑雲井雁の父である致仕大臣に﹁かかつらひまとはは
(さかんに責め立てて頼む)(質)﹂結婚は許されるだろうという
思量の中に見え︑二例は落莫宮への妄執に囚われた状態で︑雲井
雁は﹁あくかれまとひたまふ(夕霧)﹂と見て思い嘆き︑夕霧自
身も﹁たましいをつれなき袖にととめをきてわか心からまとはる
るかな﹂というように自分の気持ちを︑もてあましている︒
相木の﹁まとひ﹂は︑玉章を実の妹と知らず思いを寄せていた
ことを告げる﹁まとひけるみちをはしらすいもせ山たとたとし‑
そたれもふみみし(藤袴)﹂という歌と︑女三宮との密通が源氏
に露見したと知って病床につき︑瀕死の状態で詠んだ﹁人やりな
一九
不 破 浩 子
C⊃
らぬやみにまとはむみちのひかりにもし侍らむ(相木)﹂という
歌 に
見 え
る ︒
この二人の恋に共通するのは︑相手の女性は男性に対する思い
のゆえに苦しむのではな‑︑社会に身を処してい‑困難さ︑具体
的には︑いかに相手の﹁まとひ﹂を避けるかということで苦しん
でいる点である︒この意味で︑女君をひきつけ︑相手と﹁まとひ﹂
を共にした源氏とは大きく異なる︒また︑落葉宮︑女三宮の二人
の宮は︑ともに男性を思いやり愛し得る気持ちをもった人物とし
ては︑形象されていない︒落葉宮にとっては母︑女三宮にとって
は父の存在が大き‑︑それで充足しているように描かれている︒
源氏世代に比べ︑男女とも未熟で﹁まとひ﹂に直面し得ていない
と い
え る
︒
正篇では恋に﹁まとふ﹂のは︑桐壷帝・源氏・夕霧・相木の主
要人物に限定されていたが︑続篇(宇治十帖)では︑薫と匂宮が
相対化されているとともに︑玉掌大君に対して薫と雲井雁の息子
の少将が対比され︑浮舟に対して思いをよせる中将が配されると
いうように︑﹁まとふ﹂範囲が拡大し︑登場人物たちの﹁まとひ﹂
は正篇ほど︑特殊で深刻なものではな‑なっている︒
匂宮は︑中君への夜がれのいいわけに﹁つねに︑か‑は︑えま
引ありかし(総角)﹂と言い︑浮舟には﹁みねのゆきみきはの
こはりふみわけて君にそまとふ(まよふ)みちはまとはす(まよ
はす)(総角)﹂と詠みかける︒浮舟失院にあたって︑周囲の女房
たちから﹁いかなることに︑か‑おはしまとひ御いのちもあやう
きまてしつみ給らん(晴蛤)﹂と不審に思われるほど取り乱して
いる︒しかし︑浮舟は匂宮を﹁君にそまとふ(まよふ)との給し
人﹂という形で回顧し︑匂宮ゆえに世の中からさすらうことになっ
てしまったのだと︑﹁こころうし﹂と思いはてている︒
源氏が女性と関わることにおける自らの責任を強く感じ︑﹁ま
とひ﹂苦しんだのに対して︑匂宮は妄執のままに﹁人をまとはせ﹂
﹁さわかしきまて色﹂であるが︑相手の立場や行‑末を思いやっ
て苦しむことのない人物として形象されている︒
薫は大君の拒否にあって﹁けにまとひぬへき﹂﹁しるへせし我
やかへりてまとふ(まよふ)へき﹂とかなえられることのない恋
路に嘆き︑大君病気に﹁おはしまとひ﹂︑死去に﹁むしのからの
やうにてもみるわさならましかは﹂と﹁恩まとって﹂いる︒浮舟
をつれて宇治にやってきた時の感慨も﹁たれによりてか‑すすろ
に引ありくものにもあらなくに(東屋)﹂とりもなおさず大
君のゆえの﹁まとひ﹂だと思い︑失院︑出家後の浮舟への使いが
むなしく帰って来た時の﹁おもはぬやまにふみまとふ(ふみまよ
ふ)かな﹂という嘆きにおいても︑薫の心を占めていたのは︑大
君への執着であろう︒数量上からみても︑正篇の源氏の夕顔や紫
上に対する﹁まとひ﹂に括抗するのは︑薫の大君故の﹁まとひ﹂
である︒これを︑大君は︑﹁人やりならぬ道(御自分のせいでしょ
う)﹂と切り返し︑﹁いとか‑おとろおとろし‑︑心うく︑なとり
あつめまとはし給そ(そんなに︑困らせないで‑れ)(総角)﹂︑
と煩わしく思っているが︑薫に自分の喪服の火影を見られて﹁ま
とふ﹂のは︑薫に対する恋の気持ちを基盤にした感情の動きであ
る︒つまり︑大君は薫の﹁まとひ﹂を理解しており︑相手を患っ
て﹁まとふ﹂点において︑源氏以外の人物で﹁まとひ﹂が孤独な
からまわりではな‑︑共感の基盤となっている唯一の例と言える︒ 篇では﹁まとふ﹂人達が︑流され嘆きながら生きているありさま を相対化してみせることで︑救いのない世界を開陳していると考 え
ら れ
る ︒
中君は︑薫の侵入に﹁あきれまとふ﹂が︑亡き大君を慕う﹁はる 冒頭であげた︑﹃伊勢物語﹄第一段の﹁心地まとひにけり﹂を 契機として︑﹁まとふ﹂について︑私見を述べてきた︒
ここでいう﹁心地まとひにけり﹂とは︑結局︑日常の世界から
異常な物語世界へ入ることを示す表現と考えられる︒
﹁心やみけり﹂との関係については︑稿を改めて考えたい︒
やむかしの﹂という思いを共有する点で薫と﹁心をまとはしたま
ふとち﹂である︒お互いに︑相手によって﹁まとふ﹂のではない
が︑生きる﹁まとひ﹂の苦悶の深みにおいて共感するところがあ
る︒
しかし︑薫の﹁まとひ﹂も中将の﹁まとひ﹂等と併記されるこ
とで︑相対化され︑浮舟の母の激しい﹁まとひ﹂に圧倒されて︑
やはり相対的な位置付けになっている︒そして︑こうした登場人
物たちの﹁みな人﹂が︑自分の﹁まとひ﹂を﹁た‑ひなきやうに﹂
思う状況を呈しているのが︑続篇の世界である︒1 4
﹃源氏物語﹄は︑生きることを﹁まとひ﹂であると思い切った
ところで構想され︑正篇では源氏と藤壷という類まれな主人公た
ちが﹁まとひ﹂に直面し︑﹁まとひ﹂の中で生きてみせるが︑続
﹁ここちまとふ﹂致‑﹃伊勢物語﹄を中心に
[ 注
記 ]
‑井上睦雄﹁中古文における(まとふ)と(まよふ)﹂
( ﹃
中 古
文 学
﹄ 7
) 一
九 七
1 年
2塚原鉄雄﹃伊勢物語の章段構成﹄一九八八年新典社
3塚原鉄雄氏は︑実在の作者と考えられる﹁作者素材﹂と︑
﹁作品作者﹂とを区別すべきことを述べておられる︒(﹃王
朝初期の散文構成﹄一九八七年笠間叢書)
4木之下正雄﹃平安女流文学のことば﹄至文堂
服部一枝﹁古今集における﹁まがふ﹂と﹁まどふ﹂﹂(中央
大学大学院研究年報1言三九八二年)
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