国立療養所
邑久光明園・長島愛生園(岡山)
訪 問 先
国立療養所「邑久光明園」
岡山県瀬戸内市邑久町虫明
6253 TEL0869-25-0011
国立療養所「長島愛生園」
岡山県瀬戸内市邑久町虫明
6539 TEL0869 -25-0321
訪 問 日 平成 22年 3 月 29日(月)
スケジュール
小浜サン・サンホーム 小浜駅 高浜駅 舞鶴自動車道 山陽自動車道 ブルーハイウェー岡山
7:00 7:15 7:50
長島愛生園・邑久光明園県人会と交流会 長島愛生園資料館見学
11:30 12:00~14:30 15:00~16:30 17:00 21:30
主 催
社会福祉法人
小浜市社会福祉協議会
ハンセン病回復者と交流を深める会
「この事業は、共同募金助成により実施しています」
訪問交流ツアー報告書
- 若狭東高校生と共に -
昼食
邑久光明園
11:15
小浜着
♪ 演 奏 若狭東高校吹奏楽部
エッセイ詩集「仮名の碑」から
バリアフリー詩に作曲した
「バリアフリー」
岩村雄太さん(若狭東高校職員)
お年寄りや身障者が
生活しやすいようにと段差をなくしたり
手すりをとり付けたりすることが
今いろんな所で見かけられるようになった
優しい家づくり
優しい街づくり
社会の片隅では今もなお 偏見 差別という
古い段差や石ころの路に つまずいている人も多くいる
こんな路も早く舗装されたら どんなに歩きやすくなるだろう
みんなで歌おう
♪
「
春が来た」
♪
「さくら」
♪
「ふるさと」
手話コーラス
山内卓也さん
1 9 3 4 年 福 井 県 生 ま
れ。瀬戸内市虫明の国立療
養所邑久光明園に入所。文
芸、囲碁趣味に療養の日々
を過ごしている。
エッセイ詩集「仮名の碑」
を出版
懇 談
吉田藤作さん 竹村 清さん 宇野登美子さん
竹村貴美子さん
大森文子さん
追悼供養法要
14:00
導師を務めていただいた藤井満孝老師
山口卓三さん
光明園入所者福井県人会納骨諸精霊及び稲葉さん追善供養
導師
光徳寺住職
藤井満孝老師
香
語
堪思差別偏
見
悪
思うに堪
えたり差別偏見の悪
時哉病
没
者
何
去
自哉病没者何れにか
去る
百計千謀何愚甚
百計千謀何ぞ甚だ愚
かしいこと
か
現前衆生棒至
心
現前
の
衆
生
至
心
を
捧ぐ
恭惟
今月今
日
恭しくおもんみれば今月
今
日
ハンセン病
回復者と
交流を深める会の
主
宰
により
当所に就いて法要を厳
修し
以っ
て各各諸精霊
位に
回向し
報地を荘厳す
正与
麼
の
時
報土を
荘
厳するの
一句
如何が追回
に
渉らん
咦
挙頭
望故山里
頭を挙げ
て望
む故
山の里
朝晴晩雨
涙痕新
朝に
晴れ晩に
は
雨ふり涙痕
新
たなり
配役両
班
徳増天
真
天養
寺
住
職
宮崎宗松
西方寺
豊永
真誠
瑞伝寺住
職
記念撮影 邑久光明園納骨堂の前で
患者専用桟橋(上部) 園内には目の不自由な方への対応として
子ども舎跡(赤い屋根) 音楽が流れている
参加者から寄せられた感想
木下景子さん
(小浜駅花いっぱい推進グループ代表)
何年ぶりかの光明園は何らか変
わることなく、とてもなつかし
く和やかな雰囲気でした。
“待っていたんよ”手を握って
下さっ
こぼれま
過去の貴重な実話を今後と
も多くの人々に語り継いでい
かれることを願っています。
池田明子さん
(小浜市社協事務局)
参加41名の皆様お疲れ様でし
た。東高生の若いパワーと学びと
ろうとする姿勢。次の世代に伝え
ていけるよう心砕いておられる
東高の先生。
手紙を交わしながら交流を続け
ておられる一般参加の方・・・大切な家族との別れ、
故郷を失うことの大きさに想いを寄せる参加者の、
優しさが溢れる1日でした。有難うございました。
た時は思わず感動の涙が
した。
浦松艶子さん
(小浜駅花いっぱい推進グループ)
私は始めての参加でした。良い交
流になることを期待し邑久光明
園に着きました。笑顔で迎えて下
さり色々と話をして下さいまし
た。中でも一番思い出に残ってい
る事は「私の二十歳の頃です」と、とてもきれいなお
姿の写真を見せていただきその頃のお話をして下
さいました。
その後、東高校生のバンド演奏とバンドに合わせて
「ふるさと」他二曲歌った時、夢見る故郷の空を思
い出された事でしょう。私達も涙がでました。その
後、全員で七福神大笑音頭を楽しく踊り最高だった
と思います。 今度会える日までお元気で。
徳増天真さん
(
天養寺住職
)
先般大変お世話になりました。
人間の尊厳について、差別、平等、
権利、義務、人権、人間のもつ頓
(とん)貧(じん)痴(ち)につ
いて深く考える縁を頂戴いたし
ました事心より感謝致して居り
ます。時間をかけて勉強させて
頂きます。
又来年も御縁がありましたら
同行させて下さい。
ありがとうございました。
竹田恵子さん(ガラス工芸作家)
この訪問は、私にとって驚きの連続でした。始めの驚きは、気持ちが
ゃないかと思っていた高校生が、実は情熱と優しさにあふれてい
発症した方々が島に集められ、島全体で隔離されていたという事
活されている方々が、想像出来ない程つらい思いをされたのに、とても強くて明るか
った事。私は自分の事ばかりに必死で、世の中を全然見ていなかったんだなぁとショ
ックでした。
でも交流会は、歌あり踊りありマジックショーあり、みなさんニコニコとして暖かい楽しい時間を過ご
し、やっぱり遠路遥々団体で来て良かった、意味があったんだと納得しました。
帰りのバスも賑やかで、世代や立場を越えた交流も出来て意義深い事業でよかったと思う反面、実はひと
つだけ気掛かりに思う事があったのです。それは、私たちが去った後、島に残る皆さん
過ごされるのだろうという事です。私達は帰るふるさとがあり、待っていてくれる家族
来てバスで帰る私達を、どんな気持ちで見送ってくれたんだろうか、「翼を下さい」
どんな気持ちで歌ってくれたんだろうか。それを思うと苦しくなりました。とはいえ、
かった病について、その苦しみ、現状、日本国がしてきた事について学べたことは本当
目をそらしてはいけない、まず知らなければ何の解決にもならないと気付きました。
まだ、強い衝撃で頭が混乱しています。でも時間をかけて向き合わなければ。この
訪問に参加出来て良かったです。有難うございました。
それから、島の方にお手紙を書きたいなあと思っています。
冷めているんじ
た事。そして、病を
実。その島で今も生
はどんな気持ちで
がいます。バスで
を一緒に歌った時、
今まで全く知らな
に良かったです。
上前三博先生
(若狭東高校 教諭人権担当 人権桜教育委員会)
小浜市社会福祉協議会の全面的
な企画運営とサポートを賜った
『若狭東高校生とともに~岡山
訪問交流ツアー』に多数の市民の
方々にご参加いただけましたこ
とに感謝申し上げます。
今年度は放送部・吹奏楽部・地歴部に所属する
14 名の生徒がハンセン病学習に意欲的に取組み、
邑久光明園や長島愛生園の療養者だけでなく市民
の皆様とも楽しく有意義な交流ができましたこと
を嬉しく思います。
この報告書の表紙に載せられている写真のよう
に瀬戸内海の暖かい春の日差しを受けながら吹奏
の手品に老いも若きも心の底か
特に印象に残っております。差
いもあんなふうに朗らかに笑
かやってくることを祈ってお
差別を受けた人の哀しみと差
代にはしっかりと受け継いで
もらいたいものです。
長島愛生園の高瀬重二郎さんに植樹していただい
た『人権桜』は年ごとに花の数を増やしております。
今回の旅を契機にお知り合いになることができた
皆様、どうか一度私どもの『人権桜』をご覧になり
に若狭東高校へお立ち寄りいただければ幸いです。
山田 恭子先生 (若狭東高校 教諭人権担当)
先日、岡山県の邑久光明園と長島
愛生園にお住まいの福井県出身
の方々との交流事業に参加しま
した。私がハンセン病とそれに感
染者の生涯を学ぶきっかけを得
たのは、若狭東高校に勤務するこ
とになってからでした。
ハンセン病回復者との交流事業
があることを知ったのも、本校の人権教育におられ
るWeMae 先生の一声からでした。
交流会で、福井県出身の療養所在住の方々とお話
する機会がありました。
ある女性の方はハンセン病に対する誤解があった
当時の生活の様子から今現在の生活についてまで
様々なことをお話して下さいました。また本校の放
送部が作成したドキュメンタリー映像や、吹奏楽部
の演奏を披露したり、地元の踊りを一緒に踊ったり
することで、故郷を共にする者同士の温かい交流が
できたように思います。長島愛生園資料館では、ハ
ンセン病とそれと共に人生を歩んできた人々の歴
史を、ほんの少しかも知れませんが学ぶことができ
ました。
今回の交流事業で、病気について正しい知識を持
つこと、人権について考える意識を持つこと、そし
て啓発活動によって自分が得た知識や意識を出来
る限り多くの人に行き届かせることなど、自分が出
来ることについて再認識しました。
また事業を通して交流した方々からは、「何かが
おかしい」と思ったときに立ち上がる勇気や、困難
に遭っても前向きに生きていく強さを頂いたよう
に思います。 最後になりました
重な機会を設けて下さいまし
議会の皆様に心より感謝申し上
楽部の演奏や生徒
ら大笑いした光景が
別する人の狭量な思
い飛ばせる日がいつ
ります。そのためには
別を糺す心を若い世
が、このような貴
た小浜市社会福祉協
げます。
岩村雄太先生
(若狭東高校産業技術科実習助手 吹奏楽部副顧問)
今回で訪問は2度目となりますが、昨年は生徒として、
場から勉強させていただくことが出来ました。バリアフリー作詞者の山内氏をは
じめ入所者の方々と一年ぶりにお会いしてそのお元気そうな姿に元気をいただく
ことが出来ました。また、本校吹奏楽部生徒諸君も『また交流したい。』『後輩を
連れて行きたい。』と積極的に来年度のツアーを楽しみにしております。私たち吹
奏楽部のモットーは『音楽を通して人間的に成長してゆこう』ということです。
音楽は心でするものであり、いくら練習しても心が無ければ人々に感動を与えることは出来ません。
今回皆様と一緒にツアーに参加させていただけたこと、また、皆様に私達の演奏を聴いていただけたこ
とは生徒諸君にとってとても有意義な経験となりました。ツアー全体を通して生徒が感じたことや考え
たこと、ハンセン病回復者の方々をはじめ皆様から教えていただいたことは、彼らがこれから社会に巣
立っていったときの貴重な考え方、また問題に直面したときの判断基準になって
ゆくと思っております。
来年もぜひ参加させていただければと思っております。他にも若狭東高校吹奏
楽部に演奏のご依頼等ございましたらお気軽に本校までご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
今年は教員として違う立
清水浩美先生
(若狭東高校 放送部副顧問)
-
邑久光明園・長島愛生園を訪れて -
私は今回両園への交流会に初めて参加しました。高瀬重二郎さんのご講演をお聞き
したり、若狭東高校放送部の取材活動の一環として長島愛生園のご自宅へお伺いす
る機会はこれまでありましたが、他のハンセン病回復者の方々とお会いするのは初
めてでした。今回の交流会についても放送部員の引率という立場からの参加でした
が、昨年以来の高瀬さんとの交流を通じて「他の方ともお会いして直接声を聞いて
みたい。」という思いを個人的にも持っていました。遠方ということもあり、なかな
かそんな機会に巡り会うことができなかったわけですが、今回の小浜市社会福祉協
議会さんからのお声掛けに「参加します」と即答しました。
交流会は本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。これまでの交流からも高瀬さんの穏やかで温か
い人柄を感じていたわけですが、今回お会いできた方々は、高瀬さん同様にいずれも気さくで、緊張ぎみ
の生徒たちも含めて皆を温かく迎えて下さいました。生徒も次第にうち解けて一緒に歌を歌っている姿を
ました。生徒だけでなく、もちろ しむことができました。参加した私た
されたひととき」を与えていただ
ちからは、「純粋にお話が楽しめた ちゃんおばあちゃんのように親し
う声を聞きました。今回のように、 いことを考えずに「楽しむ」こと
が交流の第一歩だと改めて感じました。その心と心 つながる近道であるはずです。
反面、「一回の訪問では分からないことも多くあると思う。これから何回も交流していくことで皆さんの
心に秘めた想いも理解することができるのではないか。」と言う感想もありました。生徒たちも、これが全
てではないことも十分感じています。今後は、交流の輪を広げることと同時に、ハンセン病回復者の方々
の気持ちをより理解しようとする姿勢を、参加した生 たいと思います。
最後に、若狭東高校生にこのような貴重な機会を与 小浜市社会福祉協議会はじめ関係の
皆様に厚くお礼申し上げます。
見て感動さえ覚え
ちの方が逆に「癒
参加した生徒た
みを覚えた」と言
ん私も大いに楽
いた気がします。
」、「自分のおじい
まずはあまり難し
のふれあいが理解に
徒とともに持ち
えていただいた
牧田汐里さん
(若狭東高校 2 年吹奏楽部フルート)
ハンセン病については中学校
の頃にも習いましたが、今回の
訪問でより詳しく勉強できて
良かったです。
入所者の方々はとても明るく笑顔が輝いていまし
た。また交流をさせていただきたいと思います。
高鳥春菜さん
(若狭東高校 2 年吹奏楽部ユーフォニアム)
今回はじめて交流ツアーに参
加させていただき、いろいろな
ことが知れて良かったです。私
は将来福祉関係の仕事をした
いと考えています。今回の訪問
を通して、より差別の無い社会
にしていきたいと思いました。
大宮一樹さん
(若狭東高校 2 年吹奏楽部クラリネット)
皆さんと共にハンセン病回復者の
方々と交流を深めることができて
良かったです。
また、自分たちの演奏を喜んで聞
いてくださって嬉しかったです。
大道雅菜さん
(若狭東高校 3 年吹奏楽部クラリネット)
ハンセン病について今まで以上に
深く知ることができて良かったで
す。また、入所者の方々とふれあ
い、とても暖かい気持ちになるこ
とができました。
米田清華さん
(
若狭東高校
2 年 放送部)
私は、元ハンセン病患者の方とお会いして、一番感じたことは、「皆があたたかい」
ということです。たくさん話をして、本当の祖父母のように思えてきました。話の中で、
自分の実の母親に「死んでくれないか。」と言われた方がいました。
ご本人もハンセン病というだけで、家族までが差別され、何度も死のうとしたことを教
えてくださいました。差別によって、人の命まで失われようとしたことに、深い悲しみ
と憤りを覚えました。
現在は昔に比べると差別が減ってきたと思います。しかし、まだまだハンセン病について充分に理解は
されていません。私は今回の交流で、ハンセン病は感染力が非常に弱く、感染して発症しても治療できる
ことを知りました。正しい知識を学び、それを伝えて行くことで差別がなくなればよいと思っています。
しかし、私自身まだまだハンセン病についてすべてを理解しているわけではありません。今後もハンセン
病の方との交流会に参加し、ハンセン病に関する知識とハンセン病患者の方の思いを理解していきたいと
思っています。
そして、何より差別のない社会を作っていきたいです。
昨年、放送部の先輩たちが、「桜に込めた想い」という題でハンセン病患者の方への差別・偏見につい
て取り上げた番組を制作しました。今後も番組制作という形で、社会全体にハンセン病への理解と差別・
偏見のない社会を呼びかけていきたいです。
細川千夏さん
(
若狭東高校
3 年 放送部)
今回、三度目の訪問で前回、前々回以上に”交流”を楽しむことができました。
また、初めて交流会に参加された方々もいらっしゃって、”交流の輪”が広がってい
るんだ、と実感することができました。
四度目、五度目と交流会が続いていくことをとても楽しみにしています。そして、
その交流会に是非参加したいです。
早川尚志さん
(若狭東高校 3 年吹奏楽部バスクラリネット)
先日、岡山県にある邑久光園と長島愛生園に、
に参加しました。私は、今回の訪問を通して、ハンセン病に対する誤解がわかり、
りました。私たち吹奏楽部は、「ふるさと」。「春が来た」。「さくら」
奏しました。演奏をしている時に元ハンセン病の方々が手拍子を打ちながら自然と笑顔を浮
かべられているのを見てすごく嬉かったです。
私たちの演奏を聴いて、故郷の思い出が戻ってきてくれると思うとやり甲斐がありまし
た。いつもの依頼演奏とは違い、皆さんがニコニコして温かく聴いていただけたので、演奏しやすく楽し
かったです。また、こういう機会がありましたら参加したいと思いました。
福井県出身の元ハンセン病の方々との交流
勉強にな
。「バリアフリー」を演
林 果歩さん
(若狭東高校2 年吹奏楽部トランペット)
今回の訪問で長島愛生園と邑久光明園に訪れることができて良かったと思います。
ハンセン病の辛い過去があったが、それを乗り越えて今は少しずつ変わってきている
ことが分かりました。『人権』とは何なのか、またその大切さについて改めて実感する
ことができました。本当に良い経験でした。
李 軍さん(若狭東高校
3 年地理歴史研究部) -ハンセン病と人権-
私は中学校2年生まで中国に住んでいました。中国では一度もハンセン病という病気
を聞いたことはなかったです。来日して二年後、高校に入ってたくさんの友達もでき、
色んな先生とも仲良くなりました。高校1年生のある日、元ハンセン病の髙瀬重二郎
さんが岡山から来られて私たちに人権ついて講演会されました。私はなぜ人権とハン
セン病は関係あるのだろうと思いながら聞きました。ハンセン病は本当はうつらない
病気なのに、うつる、うつると噂されて差別されるようになりました。
1873 年にライ菌を発見したノルウェーの医師がハンセンという名前で、らい菌に対す
る恐ろしさからハンセン病に変えたそうです。日本でも諸外国と同じように強制的にハンセン病者は隔離
されました。人々はこのことから、ハンセン病は隔離されなければいけない様な怖い病気と思うようにな
りました。ハンセン病の特徴は発疹がでたり、もっとひどくなると知覚障害(手足や顔面などの皮膚の知
覚が麻痺すること)が発症します。現在、日本では発生していないそうですが、発展途上国の多くに発見
されているそうです。2年生になって岡山県の長島愛生園に行くことになりました。そこでたくさんの元
ハンセン病患者の方々と会うことができました。岡山でも高瀬さんから色々と話を聞き
私は高瀬さんに自分のことを覚えてもらうために往きのバスの中で教えてもらった手品
をやりました。高瀬さんが笑ってくれたのですごく嬉しかったです。高瀬さんは高浜町
出身で39才の時にハンセン病にかかたそうです。そして周りから差別され強制的に
ハンセン病療養所に連れていかれました。療養所は岡山県の小さな島にあります。
当時は橋がなかったので非常に困っていたそうです。
入る前には裸になって消毒され、薄い服しかもらえなかったそうです。名前も変えられ
もっと差別はエスカレートし、一般人とハンセン病者との船乗り場も別々だったことや
いために療養所だけで通用する特別のお金をもたされたこと、施設内で結婚する場合は
されていたことなどたくさんのことを聞き残酷だと思いました。
間をかけて、病気を治しました。病気は治りふるさとに戻ることを決心しましたが、家
ったのはいいけれど、家族に迷惑がかかるから帰ってこないで」と言われました。ハン
セン病者は社会や家族に拒否され、高瀬さんも療養所で暮らすことを決めました。髙瀬さんは七十年間も
隔離政策を強制することになったハンセン病に対する誤った法律について国会に是正を求 、
1996 年に「らい予防法」が廃止されました。その時に菅厚生大臣がハンセン病患者の人
とや、ハンセン病患者の隔離が世間に認められる一歩になったのがとてもうれしく感 、
ハンセン病によって後遺症が残るため、法律が廃止された今でも差別は残っています
私はこの差別を無くすには一人でも多くの人がハンセン病について理解を深め、本当 い
人や間違った情報を信じている人に、正しい情報を教えなければ差別が消えないと思います。
人々の見方を変えて、ハンセン病を知ることが大切です。
当時、療養所に
ました。それから
島から逃げられな
断種、堕胎が条件と
高瀬さんは2年
族には「病気は治
め、その結果
に謝罪に行ったこ
じました。しかし
。
のことを知らな
宮崎宗松さん(西方寺)
先日の交流ツアーでは大変お世話になりました。人権学習で元ハンセン病患者の方々
の現状を伺い、機会があったら・・と思っておりましたので、参加させて頂き感謝し
ております。病気や差別の本質を深く知り、その問題によって傷ついてしまった人の
心にいかに寄り添うか(同事行)、先ずは此の事が大切だと痛感致しました。
長島愛生園歴史館の2階に展示してあった子供達の切ない詩、1日でも早く家族の元
に帰りたくて必死に受けた治療や帰る事のできない故郷の話、どれも胸が痛みました。
また無理解から生じた偏見や差別を取り除くのに、心身共に深く傷ついた患者さん達自らが立ち上がるし
かなかったという現実。私を含め一人一人が自分の問題だと気付かないかぎり、
きっと同じことが繰り返されるのではないか・・、色々と考えさせられました。
今回は療養所の方々と直接お話しできませんでした。又機会がありましたらお願い
します。東高校の皆さんの明るさと温かさに光明を感じました。有難うございます。
溝口俊子さん
三月二十九日 私は国立療養所邑久光明園・長島愛生園訪問ツアー“若狭東高校生と
一緒に”に参加させていただきました。
目的地に着いて今日の主役は、高校生ということが理解できました。そこで待つ人達の
出会いの様子。交流会で吹奏楽部の演奏“春が来た”“さくら”“ふるさと”とお土産の
曲は、今時きにピッタリで心を打たれました。
暖かい日が続いていれば園内の桜はピンクに染めていたでしょう。今咲きたいと云わん
ぼみ達が枝をたれておじぎをくれていました。
高浜のお話を少ししていよいよお別れの時間、高瀬さんが見送って下さる様子に、これ
たらと考えてしまいました。皆さんと同じように手は振っているものの何故かこみ上げ
つかその先に見える海に目を置いていました。
四月一日より森林の水のPR館にて押花とパッチワークキルト展の場を持たせていただきました。以前
弟が“車椅子の歌”の詩集を出版させていただきました。出版にあたっては多くの方々にお世話になりま
した。車椅子の歌に、押し花で絵を書いてプレゼントしました。
彼も見に来てくれました。他の作品は桜と決めていました。作品展の初日頃 邑久光明園の青い空は、
一面桜におおわれてピンクの空になっていることでしょう。
今回 若狭東高校のみなさん。みなさんからたくさんのやさしさをいただきました。大きな大きな“力”
もいただきました。その“力”大切に少しづつ使わせていただきます。ありがとうございました。
ばかりに大きなつ
長島愛生園では、
が反対の立場だっ
るものがあって、い
村上 恵先生
(若狭東高校 放送部顧問)
高瀬さんとお別れをする時、私達は絶対に握手をします。高瀬さんの手はとてもあたた
かく、本当に優しい手をしています。「次に逢いに来る日までずっとお元気でいてくださ
い」という想いを込め、包んだ手から若いパワーを送るつもりで、ぎゅっと握ります。
その間、高瀬さんはずっと離さないでいてくれます。握手という何気ない行為ですが、
い様に…。
国大会で5位
に入賞し ハンセン病 もらい
たい」 と放送部 という高
瀬さんの 作後、多 ただき、
その結果、 を得ました り制作し
た番組を今 れが、1人 れば、と
思います。
私は、放送部顧問を続けていける限り、今の3年生から2年生、1年生、先輩から後輩へとずっと引き
継がせこれからも交流の輪を広げてくことを、放送部の大事な活動にしていきたいと思います。高瀬さん
や他の回復者の方と交流をしたことで、生徒達の心の中に自然に生まれた、この温かい気持ちをこれから
も大切にしていって欲しいと思います。そして、どんなときも相手を理解し、誰に対しても優しく行動す
る事ができる大人になってほしいと願います。
とても意味の深い大切な行為だと私は考えています。生徒達も、繋いだ手から伝わるあ
を主役としたドキュメント番組を制作し、全
の差別があったという事実をちゃんと知って
)交流の輪をどんどん広めていって欲しい」
くの方から、見てみたいというお声をかけてい
。高瀬さんの想いを私達放送部が受け取
でも多くの人が事実を知るきっかけにな
たたかさをずっと忘れな
東高校放送部は、昨年の春に高瀬重二郎さん
ました。この番組は、「若い人に、
「せっかくこうして繋がった(高瀬さん
想いを込めて作りました。番組制
たくさんの方に見ていただく機会
後も多くの方に見ていただき、そ