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故殺罪に対する法人の刑事責任(二・完) : イギ リス刑法を中心に

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(1)

故殺罪に対する法人の刑事責任(二・完) : イギ リス刑法を中心に

その他のタイトル Corporate Criminal Liability for Manslaughter in English Law (2)

著者 菅原 正幸

雑誌名 關西大學法學論集

巻 50

号 3

ページ 524‑559

発行年 2000‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00023603

(2)
(3)

第一段として︑一九九二年には殺人罪を除く﹁身体に対する罪﹂︑刑事責任および抗弁の一般原則に関する諮問書と

(3 )

4

)

5

法案を公表し︑翌年には最終法案を提出したが︑故殺罪の規定に関しては一九九四年に諮問書を︑九六年には最終法

(6 ) 

案をそれぞれ公表した︒ここでは九六年の最終法案を検討することにする︒

法律委員会は現行の故殺罪の構成を変更するにあたり︑次に挙げる三つの主な問題点に取り組んで改正を提案して

いる︒第一に︑故殺罪という犯罪の範疇が広すぎ︑謀殺罪その他の犯罪との区別が曖昧になりがちな現状にどう対処

(7 ) 

するか︑という問題である︒故殺罪を明確に定義するにあたり︑例えば行為概念を狭く解釈するとか量刑段階で有責

( c u l p a b i l i t y )

を掛酌することで謀殺罪との区別を図るといった選択肢も検討されたが︑法律委員会は結局︑致死

または重大な身体傷害を惹起する危険を認識していた︑あるいは認識すべきであったという精神状態を明確に要件化

し︑二つの異なる故殺罪︑即ち︵主観的︶無謀による殺害

( r e c k l e s s k i l l i n g )

と重大な不注意による殺害

( k i l l i n g b y  

( 8)  

g r o s s   c a r e l e s s n e s s )   1«1~,..

第二に︑従来から批判の多かった﹁違法行為による故殺罪﹂

( u n l a w f u l a c t   m a n s l a u g h t e r )

あるいは﹁推定故殺罪﹂

( c o n s t r u c t i v e  

manslaughter)~!>J•r"+

,

)

4のる︒この類型においては︑致死または重大な身体傷害を惹起する

危険を認識しておらず︑また予見可能性すらない行為者の違法行為によって生じた被害者の死につき︑行為者は従来

故殺罪の責任を問われていたが︑後に触れるように︑少なくとも致死結果が合理的一般人にとって予見可能性で︑か

つ行為者にそれを予見する能力があった場合にのみ故殺罪の成立を認めるべきであるという刑法の原則を固守し︑法

(9 ) 

律委員会はこの類型を廃止するよう提唱した︒

第三に︑法人の故殺罪責任をどう規定するか︑である︒特に一九七二年のテスコ判決において確立された同一視原

(4)

元来考えを及ぼすことができた

第五

0

巻 第 三 号

理をこのまま故殺罪事例に当てはめ続けるか︑それとも新しい原理を打ち出して前述の

P&o

事件で露呈した同一視

原理の問題点を克服するか︑という選択を迫られた法律委員会は︑結局︑前述の自然人行為者の過失致死罪を修正し

( 11 )  

た管理過失

( m a n a g e m e n t f a i l u r e )

という新しい概念に基づく法人の故殺罪処罰規定の創設を提唱した︒では︑具体

的に法律委員会が提唱した自然人と法人の故殺罪規定の内容を見てみよう︒

まず︑自然人行為者は︑以下の三つの要件を満たした場合に無謀殺

( r e c k l e s s k i l l i n g )  

当該行為が致死または重大な身体侵害をもたらす︑という危険を行為者が認識し︑かつ

行為者が認識又は信じた状況の下で︑そのような危険を犯すことに合理性がない場合︒

伝統的なイギリス刑法の主観主義論

( o r t h o d o x s u b j e c t i v i s t   t h e o r y )

によると︑特定の結果を生ぜしめる危険を犯す

選択をした者のみが道義的責め

( m o r a l g u i l t )

を受け︑従って刑事責任も行為者が意図あるいは認識した結果に対し

( 13 )  

てのみ課される

( 1 1

メンズレア原則︶︒右の要件のうち︑②と③はこの主観主義論を反映したものと言える︒しかし︑

行為者の意図や認識という主観を責任賦課の絶対的条件とすると︑平均的一般人にとって予見可能であった危険を当

該行為者が認識していなかったという過失が問題となる場合︑行為者の不注意による危険引き受け

( i n a d v e r t e n t r i s k

  , t a k i n g )

に対する刑事責任を正当化できないのではないかという問題が生ずる︒これに対し︑法律委員会は︑不

( 1 4 )  

注意は一種の態度であるからなお主観的要素として有責性概念になじむものであるとか︑行為者は自らの行為につき

( h e   c o u l d   h a v e   t h o u g h t   a b o u t   w h a t   h e

  w a

s   d o i n g )

J 9拍 やり ずキ 小" 汗音

Qによってそれ

をなさなかったという意味において︑他になすことができたにも拘らず敢えて犯罪を犯す選択をしたという故意犯の 行為者の行為によって他人の死が惹起され︑

関法

( 12 )  

(5)

⑯行為者が身体傷害を意図したか︑あるいは当該行為が犯罪を構成する身体傷害を惹起する︑という危険を認

右の要件で重要なのは︑②と③が両方満たされなければならないという点である︒即ち︑行為者が平均的一般人な場

合︑同様の行為状況に置かれた他の一般人でさえ予見できない危険を認識しなかったことを理由に処罰されるとなる

( 17 )  

と︑刑法は行為者に格別な予見基準を設けることになってしまい︑妥当ではなく︑他方︑行為当時行為者に予見能力

がない場合︑当該危険が合理的一般人に予見可能だったということで処罰されると︑行為者は本質的に平均人より知

( 18 )  

能が低く分別がないという理由で刑事責任が課されることになってしまい︑これまた正当でない︒右の規定は要件②

と④いによって一般人を基準に︑そして要件③と④⑯によって行為者を基準にそれぞれ注意義務を設け︑各々を組み

合わせることで過失犯処罰の根拠を主観主義︑客観主義のどちらにも偏らない折衷的な立場に依拠せしめたものと評

(2)  (1) 

その行為が当該状況において行為者に合理的に期待される行為基準より著しく劣るか︑あるいは

識し︑その危険を犯したことに合理性がない場合︒ 行為当時︑行為者に危険を認識する能力があり︑かつ 一般人にとって明白であり︑

( 1 5 )  

場合と同様に刑事責任を正当化できるという学説を支持し︑過失致死

( k i l l i n g

by 

g r o s s   c a r e l e s s n e s s )

罪を規定する

ことを提唱するに致った︒これによると︑自然人行為者は︑以下の四つの要件を満たした場合︑過失致死罪で有罪と

( 16 )  

当該行為によって致死または重大な身体傷害をもたらす︑という危険が︑行為者の立場に立った場合︑合理的 行為者の行為によって他人の死が惹起され︑

(6)

価できよう︒

0

他方︑法律委員会は法人処罰規定につき︑自然人行為者とは別個の考察を展開している︒まず︑前述の

P&o

事件

でターナー判事が示した同一視原理の法人故殺事例への適用可能性につき︑法律委員会はそもそも同一視原理に基づ

( 19 )  

く法人処罰が自然人行為者の責任から派生したものに過ぎないという理由で一蹴し︑また一九七四年の労働衛生安全

(H ea lt h an d  S af et y  a t  W

ork  etc 

Ac

1

97 4)

に基づく法人処罰についても︑同法は致死傷結果の有無に拘らず一律

に安全な労働環境を提供する義務を雇用者が怠ったことを理由に少額の罰金を課す取締法規に過ぎず︑故殺罪につき

( 20 )  

刑事責任を法人に課す立法的根拠を与えるものではないということで︑この選択肢も排除している︒そして︑先に提

( 21 )  

唱した自然人行為者の故殺罪規定を当てはめるという結論に達したのであるが︑法律委員会はここで法人は形而上の

(m et ap hy si ca l e nt i t ie s

︵過失致死罪規定)  に過ぎず︑致死結果が生ずる危険が一般人にとって明白であるとか

②)︑行為者が危険を認識したこと︵無謀殺規定②︶︑あるいは行為者に認識する能力があったこと

( 22 )  

③)といった主観的要件を法人行為者に当てはめるのは無意味であるとの立場を採り︑最終的には︑法人は無謀殺を ︵過失致死罪規定

犯すことはできず︑また自然人行為者の過失致死罪規定の要件②︑③並びに①閲を法人行為者の場合は削除すること

( 23 )  

を提唱している︒その結果︑法律委員会が提唱した法人処罰規定は︑自然人行為者の過失致死罪規定における要件①

と④国に依拠する形となった︒法律委員会はまず︑法人の行為を﹁致死又は重大な身体傷害の危険を排除ないしは軽

減するために採用された措置のコスト並びに実用可能性

( pr a c ti c a bi l i ty )

に鑑み︑その活動の社会的有用性に反する

業務﹂としてとらえ︑法人内の特定の個人の行為を法人に帰着する手法からの脱却を図っている︒そして︑判例を辿

( 25 )  

りながら従業員の安全を確保する扉用者のコモンロー上の義務の内容を明らかにし︑雇用者としての法人にもかよう

関法

(7)

な義務が課され︑その義務に著しく違反する業務活動において生じた致死結果につき責任を問われるぺきとの立場を

採用するに致った︒即ち︑法人は︑その業務を管理ないしは組織する際に安全を確保することを怠った場合

( 1 1

管理

( 26 )  

ma na ge me nt f a i l u r e )

︑法人自体の過失を構成し︑処罰されるとしているのである︒

尚︑法律委員会は上の法人処罰規定を提唱するにあたり︑法人内の個人の行為との関連で︑以下の二つを留意点と

して付け加えている︒まず第一に︑自然人は︑正犯としては勿論︑共犯としても︑新設する法人の管理過失に基づく

過失致死罪

( 1 1

co rp or at k i e l l i n g )

につき責任を問われ得ない︒

ギリスの多くの制定法は︑法人に刑事責任が課された場合︑関与した法人の構成員︵特に上級管理職員︶も共犯とし

て処罰する規定を設けているが︑同一視原理で問題とされた法人責任の派生的性質を払拭するため︑法律委員会は︑

法人の管理過失に関与した自然人については︑その行為が同じく新設した自然人行為者の無謀殺ないしは過失致死罪

( 27 )  

に該当しない限り︑法人の共犯として処罰されるべきではないとしている︒第二は因果関係の問題である︒例えば︑

法人の管理過失が存在しても︑致死結果が従業員の故意行為によって惹起されたことが証明されれば︑法人の管理過

失と致死結果との間の因果的連鎖

( ch a o f i n   ca u s at i o n)

が切れる可能性がある︒問題は︑致死結果の直接の原因が

従業員の過失行為にあり︑しかもそれが自然人行為者の過失致死罪を構成する場合︑それをもって法人の管理過失と

致死結果との間の因果的連鎖が切れるかどうかである︒この問題に対して︑法律委員会は当該従業員の過失行為が予

見可能で︑法人がそれに対する予防措置を採っていなかった場合には︑かような自然人の過失も法人の管理過失の結

( 28 )  

果として扱われるべきであり︑その判断は陪審の常識に委ねられるべきであると説明している︒

( 29 )  

以上をまとめると︑以下の﹁企業殺﹂規定の下で法人は処罰されることになる︒

一九七四年の労働衛生安全法をはじめ︑イ

(8)

( 8 )   ( 7 )   ( 6 )  

妨げるものではない︒ (5)  自然人は︑当該致死結果につき︑他の犯罪で有罪となることはあっても︑本条の罪で共犯として

a b e t

t i n g ,   c o u n s e l l i n g   o r r   p o c u r i n g )

0

本条は︑前一条あるいは二条の罪

( 1 1

自然人行為者の無謀殺並びに過失致死規定︶で法人が有罪となることを

本条における﹁法人﹂には法人格を持つあらゆる団体が含まれるが︑

( 4 )   ( 3 )  

本条で有罪となった法人には︑罰金刑が課される︒ , '  , ̲ '

すものと認められる︒   ない場合を言う︒ (a)  2)  には︑企業殺で有罪となる︒

(1) 

( b )   ( a )  

0

( a c o r p o r a t i o n   s o l e )

は除外さ それが当該状況において法人に合理的に期待される行為基準より著しく劣る場合

0 )

( a i d i n g ,  

管理過失とは︑法人がその活動を管理あるいは組織する際に雇用した者または第三者の衛生・安全を確保し

かような過失は︑個人の作為又は不作為が人の死の直接の原因であったとしても︑なお致死結果の原因をな その管理過失が人の死の原因又は原因の︱つをなし︑

関法

10

0 

(9)

この法律委員会の﹁管理過失﹂論に基づく法人処罰で注目されるのは︑故殺罪に対する法人の刑事責任の要件を自

然人のそれとの類比によって構成している点である︒法律委員会は法人処罰理論の選択肢として代位責任論︑集積論︑

そしてフィシー及びブライスウェイトによる対応責任論などを検討しているが︑代位責任論については法人の処罰範

( 30 )  

囲が広すぎ︑また集積論は同一視原理の変形に過ぎないということで除外している︒更に対応責任論も︑もしこれを

採用するとオーソドックスなメンズレアの原則を修正しなけばならず︑故殺罪だけでなく刑法全体の改正という不必

要な作業に従事しなければならないということで一蹴してい酎︒この根本的な刑法の原則との調和の問題︑特に先に

述べた法人特性論の欠点であるメンズレアの種類の特定の問題を克服するために︑自然人行為者と同一の条件の下で

法人を故殺罪で処罰しようと試みている点は︑個々の構成員とは別個の法人特有の責任を構築することだけに着目し

てきた従来の法人特性論にはない︑あるべき方向性を示すものとして評価できよう︒

10

 

この姿勢は︑故殺罪の成立要件の︱つである行為にも反映されている︒従来の見解は︑先に見たように︑責任要素

( f a u l t  

el em en ts )

については法人の特性に着目し︑自然人の責任を法人に帰着する同一視原理や代位責任論を否定し

ていたのに︑アクトスレウスについては尚︑自然人の違反行為を法人に帰着するという手法を捨て去っていなかった︒

法人に刑事責任を問う際︑このような犯罪の主観的要件と客観的要件との不統一なアプローチは︑何故法人は自然人

の行為につき責任を問われるのかという疑問を残すものであったが︑法律委員会は﹁管理過失﹂という新しい概念を

導入することで︑誰の行為を帰着するものではない︑法人そのものの行為を構成し︑自然人行為者の故殺罪規定にお

ける客観的要件との類比を図っている︒﹁管理過失﹂概念は主に︑致死ないし重大な身体傷害の危険を内包する法人

(10)

0

の特定の事業活動において︑その危険を排除あるいは軽減しなかったという︑行為の不作為的側面を強調して構築さ

( 32 )  

れたものであるが︑法律委員会は故殺罪の要素である法人の行為が作為なのか不作為なのかという突っ込んだ議論を

せず︑むしろ致死結果と因果関係にあるかどうかという側面から法人の管理過失の行為性を認めている︒いずれにし

ても特定の構成員の行為を法人に帰着するのではなく︑危険を内包する法人の事業そのものが期待される行動基準と

比較して合理的であったがどうかという観点から法人の行為を概念化している点は注目される︒

しかしながら︑法律委員会のこのような類比的アプローチには致命的な欠陥がある︒それは︑法人が﹁形而上の存

在﹂であるが故に主観的精神状態を享受できないとしている点である︒この理由づけを貫徹するなら︑結局のところ

法人は行為もなしえないということになり︑法律委員会が管理過失という概念を用いて故殺罪の客観的要件を満たそ

うとしていることと大きく矛盾しよう︒仮にこの管理過失という概念を︑法人の行為能力を不作為に限って認めるも

( 33 )  

のと解しても︑不作為は作為可能性を前提とした概念であるから︑法人は不作為すらなしえず︑結局のところ法人に

一定の行動基準を期待することは無意味︑ということになってしまう︒また︑因果関係の問題のところで法律委員会

が︑従業員の過失行為が予見可能で︑それに対する予防措置を法人が採用していない場合にはかような過失行為も法

人の管理過失の結果として扱われるべき︑としているところにも︑同様の矛盾がある︒と言うのも︑法律委員会は︑

一方で︑法人には致死結果が生ずる危険を認識︵無謀殺︶あるいは予見︵過失致死︶する能力がないので︑自然人行

為者の無謀殺と過失致死罪における主観的要件を法人行為者に当てはめることはできないとしながら︑他方で︑法人

の管理過失と致死結果との因果関係の問題においては︑従業員の過失が予見可能であったかという基準を用いている

からである︒このような矛盾を抱えた結果︑法律委員会の法人処罰規定は自然人行為者の故殺罪規定とは大きく異な

関法

10

 

(11)

主観的成立要件の問題を中心に︑私見を展開したい︒ るものとなり︑例えば﹁︵自然人行為者の故殺罪とは︶別個の犯罪を規定すると⁝⁝︑企業殺が持つ犯罪の重大さと汚名

( se r i ou s n es s an d  s ti gm a)

が格下げされてしまい⁝⁝︑違法行為の否定というメッセージを送る公正なラベリ

( 34 )  

( f a i

r , l a

b e l l i n g )

が損なわれてしまう﹂とか︑﹁法人に当てはめられるべき︵刑法の︶根本原則に取り組んでい

( 35 )  

ない﹂といった批判に曝されているのである︒

以上までの考察で︑法律委員会の提案は︑法人処罰規定につき︑自然人行為者の故殺罪規定との類比に基づくアプ

ローチを採用し︑法人特性論が抱えるメンズレアの種類の特定という問題に対してあるべき方向性を示したものの︑

類比が徹底されていないことから同時にその限界をも露呈していることが判った︒それでは︑﹁形而上の存在﹂であ

る法人は故殺罪の主観的要件を満たすことはできないのであろうか︒もしそれが可能だとして︑法人が致死結果の危

険を認識ないし予見するというのは︑具体的に何を意味するのであろうか︒次節では︑今まで見てきた法律委員会の

﹁管理過失﹂論を叩き台にして︑法律委員会が取り組むのを避けたと言われている法人の故殺罪に対する刑事責任の

(1 )  La w  C om mi ss io n  N o . 

14 3,  C o d i f i c a t i o n   o f  t h e   C r im i n al   La w:

  A 

R ep o r t  t o t h   e   L aw   Co m m is s

i on   (

19 85 );

L 

aw   Co mm is

  , 

s i o n   No . 

17 7,

 

C ri m i na l   Co de   fo r   En gl an d  a nd   Wa l e s 

(1 98 9)

 

(2 )

0

(3 )  La w  Comm is si on ,  C o n s u l t a t i o n   Pap er o .   N   1 22 , 

C ri m i na l   La w

O f f e n c e s a g a i n s t   t h e   P e r s o n   an d  G e ne r a l  P r i n c i p l e s  

(1 99 2) . 

(4 )  La w  C om mi ss io n  N o . 

218 

̀ 

L e g i s l a t i n g   t h e   C ri m i na l   Co de

  : 

> / f e n c e s   a g a i n s t   t h e   P e r s o n   a nd   Ge n e ra l   P r i n c i p l e s  

(1 99 3) . 

(5 )  La w  Commiss

io n, o n   C s u l t a t i o n   P ap er o .   N   135, 

C ri m i na l   La w In gl un ta aM a n sl a u gh t e r 

(1 99 4) . 

邦文紹介として︑川

10

(12)

第五

0

崎友巳﹁企業犯罪論の現状と展望日﹂同志社法学四七巻四号︵平成八年︶二九四ページ以下︒

(6 ) 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

L e g i s l a t i n g   t h e   C r i m i n a l   C o d e :   I n v o l u n t a r y

  M a n s l a u g h t e r  

( 19 96 )  

(7 ) 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d . ,   p a r a s .  

3.   3.   4.  

( 8 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d . ,   p a r a s .  

5.  2

5 .  5 . 

尚︑法律委員会は︑従来から判例において使用されてきた

n e g l i g e n c e

という用語は不法行為法上用いられている

n e g l i g e n c e

としばしば混同され︑従って

n e g l i g e n

c e

を構成する注意義務

( d u t y o f   c a r e )

違反の内容も刑法上曖昧になりがちであることを考慮し︑民事上の過失と区別するために敢えて

g r o s c a s r e l e s s   ,  n e s s

という単語を使用することを提唱している︒

I b i d a t   p a r a s

3

.  

. 

3.  1 3.  ここでは﹁不注意﹂という直訳語を当てたが︑

内容的には我が国の刑法における﹁︵認識のない︶過失﹂にほぼ相当すると言ってよかろう︒以下︑

r e c k l e s s k i l l i n g

を無謀

殺 ︑

k i l l i n g b y   g r o s s   c a r e l e s s n e s s

を過失致死と訳すことにする︒

(9 ) 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d . ,   p a r a s

5

.  

. 

14

  , 5 .  16 . 

( 1 0 )  

T e s c o   S u p

e r m a r k e t t d   L

.  

v•

N a t t r a s s  

[ 19 72 ] 

AC. 

15 3.  

( 1 1 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

s u p r a

o   n t e  

( 6)  

a t   p a r a .  

8.  3 5.

 : I ; ! !   律エ安員今ぞはこの他に︑不作為による故殺罪遂行において作為

義務をどう定めるか︑という問題にも取り組んだが

( i b i d , a t   p a r a .  

3.

 14 

3.  1 6.

)︑作為義務の根拠や範囲は故殺罪に限られ

ず︑刑法一般に広がる問題なので︑不本意ながら先送りし︑従来通りコモンローに依拠すると述ぺるにとどまった

( i b i d a t   p a r a s

5

.  

.  4 2.   , 5

.  4

5)

( 1 2 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d .   a t   p a r

a .  

5.  1 3.  

( 1 3 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a s .  

4.   4.  5 . 

( 1 4 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d .   a t   p a r a

4

.  

.  14•

r e

f e r r i n g   t o  

R .  

A•

D u f f ,   I n t e n t i o n ,   A g e n c y n   a d   C r i m i n a l   L i a b i l i t y  

( 19 90 ),   p . 

16 

0.  

( 1 5 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a

4

.  

.  16 . 

̀  c i

t i n g .   H

 

L .  

A•

H a r t P ,   u n i s h m e n t   a n d   R e s p o n s i b i l i t y  

(1 96 8) , 

p p

151

.  

  , 1

52 . 

( 1 6 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a

5

.  

.  34 . 

( 1 7 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a

4

.  

.  18 . 

( 1 8 )  

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a

4

.  

.  20 . 

イギリス刑法において過失は意図︑認識︑無謀と並んで精神状態

( 1 1

10

(13)

故殺罪に対する法人の刑事責任︵ニ・完︶

10

ズレア︶の一種なのか︑それとも単に要求される行動基準の客観的逸脱に過ぎないのかにつき︑争いがある︒即ち︑過失が︑当該行為から生ずる結果につき考えを及ぼさなかったこととして理解されるなら︑それは言ってみれば﹁空白の精神状態( a

b   la nk   s t a t e  o f   m in d)

﹂であり︑空白

(e mp ty )

であれば過失の程度

(d eg re es o f  negligence)

というものは存在し得ない

のではないか︑という問題である︒

S ee , e . g . ,  

R .  

Ca rd ,  Ca rd ,  C ro s s  a nd   Jo ne s  C ri mi na

l  Law  ( 1

9 98 , 1 4  t h  e d. )  a t   p p 7 .   3  ;  J .  C .  Smith,

m  S it h 

Ho ga n  C ri mi na

l  Law 

( 19 9 6 ,  8 th   ed . )   a t   pp . 4   9

;  C . 

M .  

V .   Cl ar ks on  

H .  

M•

Ke at in g, C  ri mi na

l  Law  , 

Te

h  t a

nd   Ma te r届

( 19 9 48 , th   ed . )  a t   pp . 8 5   1 .   これは過失がメンズレアの一種なのかという古典的問題でもあるが︑本文で

あるように︑法律委員会は故殺罪の文脈で折衷的な見解を示していることから︑本稿ではこれには立ち入らない︒ここでは

便宜上︑過失を精神状態の一種ととらえ︑注意義務につき行為者を基準に考える見解を主観主義︑行動基準の客観的逸脱と

してとらえ︑注意義務につき一般人を基準に考える見解を客観主義と呼ぶにとどめる︒

( 1 9 )   La w  C om mi ss io n  N o.   23 7 ,   supra

o  n te   (6 )   a t   pa r a .  7 .   9 .   但1 ( in f r a t e x t  a cc om pa ny in g  n ot e  ( 2 9 ) ,   Su bs ec ti on   (5 ))

︑ 辻

iEk

員 ム

K

T

Pの犯罪につき︑同一視原理によって法人が処罰される可能性を全く否定して

いるわけではない︒これは︑前述のカイト事件に代表されるように︑小規模会社においては法人の頭脳となる管理職員の有

責性を証明するのが大規模会社の場合に比べて容易であるという実態を考慮したものである︒

I bi d . a t   pa r a .  8 .   7 7 .   ( 2 0 )   La w  C om mi ss io n  N o.   23 7 i b ,   i d.   a t  p

a ra . .     7 1 7 .   ( 2 1 )   La w  C om mi ss io n  N o.   23 7 i b ,   i d.   a t  p a ra . .     7 3 6.   ( 2 2 )   La w  C om mi ss io n  N o.   23 7 ,  i b i d.   a t  p a ra . .     8 3 .  

~、この立場はイギリス法において法人処罰がまだ開始されなかった十九

世紀初頭まで︑判例によって繰り返し述べられ︑固守されていた︒

S ee , e . g . ,  

R .  

S .   We ls h, h  T e  C ri mi na l  R e sp o n si b i li t o f y     Co rp or at io ns   (1 9 4 6)   62

  Law 

Qu ar te rl y  R ev ie w  3 45   at   p p.   34 7  , 3 4 8.   ( 2 3 )   La w  C om mi ss io n  N o.   23 7 i b ,   i d.   a t  p a ra . .     8 4 .   ( 2 4 )   La w  C om mi ss io n  N o.   23 7 i b ,   i d.   a t  p

a ra s 8 .   .   6 ,  8 .   8 ,   8 .  

2 0

( 2 5 )   La w  C om mi ss io n  No .  2 3 7,   i bi d .  a t   pa r a s.   8 .  

1 0   , 

8 .   3 3.  

紐益来目U

g但→する義務の内容としては︑①安全な職場を提供

する義務︑②有能な従業員を雇う義務︑③適切な設備を提供・維持する義務︑④安全な労働システムを提供する義務︑など

が挙げられている︒

I bi d . a t  p

a ra .   8 . 1 2   .  

(14)

( 2 6

( 2 7 )  

( 2 8 )  

( 2 9 )  

( 3 0 )  

( 3 )   1 )   ( 3 2

)   関法第五

0

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a

8

.  

.  19 . 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .  

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a s .  

8.  5 7 8.   58 . 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a s .  

8. 3  6 8.   39 . 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   ^ ^  

A p p e n d i x   A

D r a f t I n v o l u n t a r H y   o m i c i d e   B i l l , "

  S e c t i o n  

4 . 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a s .  

7.  2 8 7.   33 . 

L a w   C o m m i s s i o n   N o .

 

2

37 , 

i b i d   a t   p a r a s .  

7.  3 4 7.   35 . 

現に法律委員会は一九九四年の諮問書︵前掲註

(5 )

p a r a .  

5.  7 7)

において︑次のように述べていた︒

﹁我々の見解では︑法人が作為

( a p o s i t i v e   a c t )

をなす︑あるいは特定の主観的精神状態を抱くと言うよりも︑あること

をなさない︑もしくは一定の行為基準を満たさないと言う方がなじみやすい︒﹂

( 3 3 )

例えばアシュワースは﹁刑事責任がある種の不作為に基づいている場合︑人は要求されたことをなしえない限り有罪とさ

れるべきではないというのが公平性の原則

( p r i n c i p l e s o f   f a i r n e s s )

の要求するところである﹂として︑不作為は作為可能

性を前提としていることを明らかにしている︒

A .

A s h w o r t h ,   T h e   S c o p e f     o C r i m i n a l   L i a b i l i t y   f o r   O m i s s i o n s

 

(

19 89 ) 

105 

r e  

Q u a r t e r l y   R e v i e w  

424 

a t   p p .  

44 9 45 0.  *  6 , i .

!   アメリカの細定範副

m i t

血 ハ

( T h e A m e r i c a n   L a w   I n s t i t u d e , M   o d e l   P e n a l   C o d e   a n d   C o m m e n t a r i e s ,

a r   P

t  

(1 98 5) )

・ O

( 3 4 )  

C .   M .  

V .  

C l a r k s o n ,   K i c k i n g

  C o r p o r a t e   B o d i e s   a n d   D a m n i n g   T h e i r   S o u

l s  

(

19 96

)  59 

/ o .  

̀ 

o d e r n   L a w   R e v i e w

 

557 

a t   p p .  

569 

57 0.  このような批判は︑義務違反性を本質とする犯罪につき法人の犯罪能力を肯定する藤木説︵例えば︑藤木英雄面淫i

講義総論﹄︵昭和五0年︶一〇六ページ以下︶や過失を客観的義務違反として捕える企業組織体責任説︵例えば︑板倉宏

﹁現代社会と新しい刑法理論﹄︵昭和五五年︶四四ページ以下︑﹃現代型犯罪と刑法の論点﹄︵平成三年︶二九ページ以下︶

にも共通している︒西田典之﹁団体と刑事罰﹂﹃岩波講座基本法学2ー団体﹂︵昭和五八年︶二八

0

ページ︑二七七ーニ七九

ページ︒尚︑佐藤雅美﹁英米における法人処罰の法理口﹂阪大法学一四七号︵昭和六三年︶一0三ページの註︵九三︶も参 照 ︒ ( 3 5 )  

C .   W e l l s T ,   h e   S o u t h a l l   R a i l   C r a s h :   T e s t i n g

h e   t   T r a c k s   o f   C o r p o r a t e

  M a n s l a u g h t e r  

( 19 99

)  7 

A r c h b o l d   N e w s  

a t  

5.  

10

(15)

を検討していこう︒ 法人の行為と精神状態

10

前説までの考察で︑故殺罪につき法人に刑事責任を問う理論として︑自然人の責任

を法人に帰着させる同一視理論や代位責任論は如何なる者の行為・意思を法人に帰着させるのかが明らかでないとい

う点で︑また法人特性論は法人が如何なる種類のメンズレアで処罰されるのかを特定できないという点で︑それぞれ

限界を抱えていることが判明した︒更に︑これらの問題点を克服するために法律委員会によって提案された管理過失

論は︑自然人行為者の故殺罪規定の要件を当てはめることで立法的解決を図ろうとしているものの︑その類比的試み

が不完全なため︑種々の論理的矛盾を抱えていることが判った︒法人が自然人行為者と同一の成立要件の下で故殺罪

につき処罰され得るためには︑結局法人が①致死結果が生ずる危険を内包する事業活動において︑②期待された危険

回避措置を過失ないしは無謀によって採らなかったことにつき︑③その構成員とは別個に法的批難を浴びるべきであ

る︑ということを法的枠組の中で説明する必要がある︒以下︑法人が故殺罪で処罰されるべき行為と精神状態の内容

まず︑法人がその構成員とは別個独立に刑事責任を負うためには︑構成員には還元され得ない行為をなし得ると言

えなければならない︒この点︑法律委員会が法人の事業活動そのものを自然人行為者の行為と類比させているアプ

ローチは説得的である︒と言うのも︑先に検討した事例で明らかなように︑法人が故殺罪につき責任を問われるべき

事例というのは︑例えば構成員の誰かが雇用の範囲内で法人の利益のために故殺罪を犯した結果︑法人が利益を受け

るといった︑従来英米法体系の下で判例によって代位責任論や同一視理論が適用されてきた典型事例とは異なり︑あ

﹁危険﹂概念に基づく再構築

(16)

r i s k )

もしくは回避しなかったこと

( c r e a t i n g   a n  o b v i o u s   r i s k )  

( t a k i n g   a n   u n j u s t i f i a b l e  

れた︑と構成する方がはるかに自然だと思われる︒

第五 0

巻 第 三 号

る業務活動につき︑構成員の各々が一定の役割を演じながら法人そのものによって採用・実施された危険回避措置が

不十分だったため︑回避できた致死結果が生じてしまった︑という場合が多いからである︒﹁形而上の存在﹂である

法人が自然人と同様の意味で物理的・身体的動作を行うと言うのはフィクションに過ぎないにしても︑多数の構成員

( 36 )  

が一定の業務活動の下で従事する﹁集団行動そのものはフィクションでも比喩でもない﹂︒また︑これら構成員は企

( 37 )

3 8

)  

業の特性を変えることなく絶えず交替し︑﹁半永久的に回る企業という名の車輪の一部品に過ぎない﹂ことから︑特

定の自然人の身体的動作を法人に帰着させることで故殺罪の行為要件を満たすことは実態に則すものではない︒むし

( 3 9 )  

ろ︑﹁自然人行為者の能力を超える知的︑技術的︑そして財政的資源を有する法人﹂が︑個人には還元できない法人

の集団行動たる事業活動において︑効果的な危険回避措置を採用していなかったことから被害者の致死結果が惹起さ

ところで︑イギリス刑法における故殺罪の要件というのは︑行為にしても精神状態にしても︑危険

( r i s k )

という

概念によって構築されている︒行為要件の場合︑例えば正当視し得ない危険を引き受ける

( f a i l i n g   t o   a v e r t   a  r i s k )

︑ 叩

F

43映シ

d i l

j

り出すこと

という形で反映されている︒この危険という語はよく﹁結果が生ずる可能性﹂

( p o s s i b i l i t y o f   t h

e   c

o n s e q u e n c e c   o

  , 

( 4 0 )  

c u r r i n g )

と定義され︑例えば︑被告人はその行為から危害が発生するという危険を予見していたにも拘らず︑不合

理にもその危険を犯した︵作為犯︶︑あるいは危険が具現化するのを許容した︵不作為犯︶︑というように使われる︒

ここで当該危険︵あるいは危険引受行為︶が不合理かどうかというのは︑禁止された結果が生ずる蓋然性と行為の社

( 41 )  

会的有用性との比較衝量によって決定される︒つまり︑ロシアンルーレットのように社会的有用性が全くない場合に

関法

10

(17)

10

は︑結果発生の蓋然性は低くても危険は不合理であり︑逆に︑外科手術のように社会的有用性が非常に高い行為につ

( 42 )  

いては︑危害という結果発生の蓋然性が相当高くないと︑無謀行為として批難するにはできない︑とされている︒

このような比較衝量を法人行為者に当てはめてみると︑通常︑致死結果の危険が内在する法人の業務というのは︑

例えば運送・交通︑製造︑︵公共︶施設の運営といった社会的有用性が高度な場合がほとんどであるから︑そのよう

な業務活動そのものが不合理と言うことができないのは勿論である︒ただ︑先に挙げた法人故殺事例を分析すると︑

この種の業務には︑例えば一定の機械の誤動作︵パイパーアルファー爆発事件やクラプハム列車衝突事件︑ワーナー

ランバート事件など︶︑輸送・運搬の手段として用いられる乗り物の取扱上のミスや瑕疵

( P

&

o

事件︑デンボー事

件)、作業過程で生ずる劣悪な労働環境を構成する有害物質(フィルムリカバリー事件)等、被害者の身体•生命を

脅かす危険源というものが必ず存在し︑この危険源が適切にコントロールされないと致死結果を招く蓋然性が高くな

ることが判る︒更に︑法人の階層内には︑かような危険源の近くに配置された末端の従業員が事業遂行過程において

適切に監督・訓練されていなかったために危険源の処置を誤り︑その結果︵この末端の従業員を含めた︶被害者の死

が生じた︑ということもある︒とすれば︑致死結果を生んだ法人の業務活動が不合理であったかどうかは︑そこに内

( 43 )  

在した危険源︑ないしは危険源に近い従業員に法人がどう対処したかによって決定されると言えよう︒つまり︑高度

な社会的有用性を持つ法人の業務活動においても︑危険源をコントロールしたり従業員を監督するためのシステムを

が可能なのである︒ここで︑このシステムを﹁危険回避システム 全く採用しなければ︑危害結果発生の可能性は高くなるのであるから︑かような業務の遂行が不合理と評価すること

( 44 )  

i s ( r

k   ,  a v

e r t i n g y   s s t e m s )

p付けてみよう︒

さて︑法律委員会の提案によると︑自然人行為者の故殺罪規定の下では︑致死結果が行為から惹起されるという危

参照

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Fitzgerald, Informants, Cooperating Witnesses, and Un dercover Investigations, supra at 371─. Mitchell, Janis Wolak,

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一般法理学の分野ほどイングランドの学問的貢献がわずか

︵13︶ れとも道徳の強制的維持にあるのか︑をめぐる論争の形をとってきた︒その背景には︑問題とされる犯罪カテゴリi

A︑行政取締違反に関する刑罰法規︒たとえば︑フランスでは︑一般警察行政︵良俗︑公共の安全︑公衆衛生︶に