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(1)

大正期の明石女子師範学校附属小学校における修身 科教育の改革 : 永良郡事の教育実践に着目して

その他のタイトル A reformation of the moral education at the elementary school attached to Akasi Women's Teachers College in the Taisho Period:

focusing on the Gunji Nagara's practice

著者 土野 長一

雑誌名 教育科学セミナリー

巻 42

ページ 15‑24

発行年 2011‑03

URL http://hdl.handle.net/10112/4864

(2)

大正期の明石女子師範学校附属小学校における 修身科教育の改革

—永良郡事の教育実践に着目して一

はじめに

本稿の目的は、大正自由教育の先駆者として 名高い及川平治 (18751939)のもとで、彼の 教育理論である「分団式動的教育法」を受容し た永良郡事 (18911971)がどのような修身科 教育を行っていたかを授業レベルから内在的に 究明し、その特質を及川との比較を通して明ら かにしようとするものである。

及川が活動の舞台としたのは兵庫県明石女子 師範学校附属小学校(明石附小)であった。明 石附小は1920年代の大正自由教育の高揚に先立 って先駆的な教育実践を展開していたのであ る。及川が1907年に着任して以降、彼を中心に した教師集団は「分団式動的教育法」を全校あ げて実践し教育改造を試みていた。そのことは 全国的にも注目され及川の著作は多くの読者を 獲得し、明石附小には年間1万人もの参観者が 集まったと言われる(l)。その中で具体的な実践 面で大きな功績をあげたのは永良郡事であっ た。永良は当時からその優れた実践力を認めら れ、「附属の至宝」とまで評価された。そのこ とは訓導中唯一、「動的教育の実際研究J(1920  年)、「国史学習指導原論」 (1923年)という 2 冊の著作をものにしていることからも窺える。

及川の厚い信頼もあり欧米出張中は主事代理を 任されるほどであった(2)。しかし、そのような 評価とは裏腹に永良の教育実践については及川 の影に隠れて詳細な検討・研究がなされていな い状態である(3)

さて、ここで修身科教育を取り上げるのは、

土 野 長 一

この教科が戦前においては首位教科の位置にあ り学校教育に与えた影蓉が大きいと思われるこ と、また、修身科教育が果たしたと言われる「忠 良なる臣民」育成の面ばかりが強調され、その 実態を授業実践から内在的に追究した先行研究 の蓄積に乏しいものがあるからである。イデオ ロギーと結合させて究明するのではない研究が 現在求められているのではないかと考える叫 そして、先行研究は大正期に限定しても及川平 治、沢柳政太郎、小原国芳、野村芳兵衛や奈良 女高師の実践などが論及されているにすぎない のである叫

ところで、大正自由教育の修身科教育改革に 関しての先行研究は、おしなべて改革が目的、

内容面にまでは及ばず方法的な改良に留まった とする(6)。たしかに現在の目からみれば方法的 な側面における改革に終始しているのは事実で はあるが、その当時の現在とは異なる学校教育 の現実を見据えるならば、このような評価だけ で済ますことのできない教育実践の内実を永良 はつくりあげたと考える(7)。及川の理論を受け 継ぎながら、独自の修身科教育をつくりあげた 永良の教育実践を検討していこう。

まず、永良の修身科教育論の独自性を当時の 一般的な修身科教育との違いに留意して論及す る。そして、及川の修身科授業との比較を通し て永良の修身科教育の特質を分析したい。この ことを通して、永良の修身科教育の実相が解明 できると考える。

(3)

永良郡事の修身科教育論

及川の「分団式動的教育法」による修身科教 育は児童の生活に着目し、注入ではなく児童の 能動性主体性を重視する道徳教育であり、修身 科という枠にとらわれない実践であったと言わ れている(8)。当時の一般的な修身科教育が児童 の生活から離れた国定教科書の徳目を教師が一 方的に「一般的」、「概念的」に注入するもので あったこと(9)を考えれば、及川の修身科教育改 革に貢献した役割には大きなものがある。そし て、永良はこのような及川の先駆的な修身科教 育改革に影蓉を受けて実践を展開していたので ある。

永良は「為すことによって学ぶ」という言葉 を引いて修身科教育のすべてを言いつくしてい ると主張する。それは「為す人」を「為さしむ る」ことによって作りあげようということであ る。永良の修身科教育の目的は「為す人」=「正 善を実行する人」をつくることであった。それ は修身科授業などで確定された「実行案」を児 童が学校生活、家庭生活の中で実践することで 達成されるとする(10)。実生活の中で実行する ことを通して徳目を身につけ人格をつくり上げ ていこうとする修身科教育であった。

永良は以下のような教育過程で修身科教育を 実践したのである。みていこう。

第一に、永良の修身科教育は児童に自分の行 動を冷静に省みさせることから始まる。永良は 次のように述べている。

先ず功過自知を為さしめる。功とは成功 と云ふ意味で理想の実現されたこと若くは 実現に近づけることを云ふのである。過と は罪過の略語で理想実現の出来ぬこと又は 理想に遠ざかることを云ふのである。現代 の修身科に於ては児童をして自己の行動を 静かに反省せしむることを欠いて居る。徒 らに賞罰を用ふることを斥け児童をして自

ら反省せしめ自ら功過自知を為さしむる静 思改悟の原則を腺重しなければならぬ。

(略)功過自知を(略)すれば如何にして 功を益々生長発達せしむべきか如何にして 過を改造すべきかと云ふ修養問題は自ら決 定されて来る。修登問題とは(略)正善実 行の仕方を云ふのである(11)

この「功過自知」というのは自らの行動を自 主的に反省することである。自己の行動をその 状況とともに評価、判断するものである。反省 する規準が教科書の徳目にあったとしてもこの 方法は優れたものというべきだろう。そして、

永良は児童自身の自発的主体的な行為である

「静思改悟の原則」のもとで反省することによ り、児童自身が自らの課題をどのようにして改 善するかが明確になるとする。それを「修養問 題」とよんでいる。

第二に、児童に「実行案」を作成させる取り 組みである。修身科授業の中心となる部分であ る。永良は実行案の内容について次のように述 べている。

実行案とは自己の実行すべき実行箇条並 に其の実行箇条を如何にして実行すべきか といふ実行上の具体的方案とを意味する。

唯漫然と実行せよと命じた所で決して児童 は実行するものではない。現代の修身科に 於ては斯かる意味に於ける実行案なるもの

を作製せしめない(12)

このように児童が作成した「実行案」は道徳 的実践の指針になるものである。永良は当時の 修身科教育において、教師の「訓辞」だけで実 行させようとしている現状を憂えている。

第三に、教師は児童を個別的に指導する必要 性を強調していることである。それは次の記述

にあらわれている。

(4)

現代の修身科に於ては、「これ位のこと を注意して置けばよかろう」と五箇条なり 七箇条の訓辞を興へて居るのではないか。

学級児童の夫々は各自性向を異にし品性を 異にし生い立ちを異にし現在の境遇を異に して居る以上決して同一の訓辞を要求する ものではない。如何に教師が七箇条の訓辞 を徹底的に試みても其七箇条の実行されて 居る児童には最早意味を為さぬ。(略)修 身科教育は他教科と異り原則としては純個 別的のものである(13)

ここでは特に修身科教育おいて児童の個性を 蕗重すべきこと、また、それに対応した指郡の 必要性が強調されている。それぞれの児童にあ った指導こそが必要であり有効であることを述 べている。現在から見れば常識的なことだが、

大正期においてはまだまだ一般化されていない 指導観であったといえる。

第四に、「実行案」の工夫改善を行い確信の あるものにするために資料が提供されることで ある。次のように主張している。

実行案を工夫せしむるには、実行せんと する理想の形成発展を必要とする。之が為 めに吾人は例話、格言、裡諺、和歌、訓辞、

規範法則等他人の経験並に他人の道徳的信 条、道徳的知見を資料として提供するので ある(14) 

このように永良は確信のある「実行案」にす るために例話などが利用されるとするのであ る。例話などを手段視していることは注目すべ きことである。永良は「抽象的な徳目の意義取 扱は何等の価値をも有しない。之を児童の過去 現在生活に結合せしむる所に価値がある」(15) 主張している。徳目を児童の生活に結合させな ければ、徳目それ自体に意味はないと明確に言

い切っているのである。この当時の一般的な修 身科教育が抽象的な徳目を注入することに力を いれていたことを考えれば、ここには明確な転 換がみられる。児童の生活を中心に据えた修身 科教育であったといえる。

第五に、教師には児童の実行を確実にするた めの具体的な指導方策が求められることであ る。それを以下のように永良はまとめている。

傾聴に価するものというべきだろう。

第一は児童の環境を整理することであ る。(略)第二は正善実行上の機会を提供 してやることである。(略)実践すべき機 会並に其の具体的手段を指示しなければな らぬ。児童一日の生活暦に網込みて正善実 践の機会を指示するが如きは吾人の最も望 む所である。(略)学校に於て実践し得る ことは学校に於て実践の機会を提供してや らねばならぬ。第三は実行方法を具体的に 指示し実行上の諸注意並に心得を明示して 実行の手引きを興ふることである。第四は 実 践 上 の 批 判 訂 正 奨 励 を 為 す こ と で あ

(16) 

このような「正善実行上の機会」を設定する こと、「実行方法」を教示することなど具体的 に用意周到な指導により児童の実行は可能とな るとするのである。特に児童の実践に対して

「批判訂正奨励」という評価を行っているのは、

児童の意欲喚起につながることであり注目され るところである。

第六に、実行案はより新たな目標のもとに更 新されていくということである。

修身科に於て作製せしめたる実行案は毎 日放課後の数分間を利用して其の実行如何 を反省せしめ其結果を修登録に記入して更 により新善なる実行を工夫せしめるやうに

(5)

しなければならぬ。実行案は単に作製せし むるのみにては何等の価値もないのであ (17) 

このように「実行案」は実行ー反省一実行と いう循環の中でよりよいものに更新されていく ことが求められるのである。

以上、永良の修身科教育は、「功過自知」、「実 行案作成」、「個別指導」、「経験の補充」、「実行 するための具体的な手立て」、「実行」、「評価」

という流れで実施された。

そして、このような実践サイクルの中で「正 善を実行する人」が育成され人格が形成される のである。

明石附小の修身科教育実践 (1)  及川平治の修身科授業の概要

ここで、永良の教育実践に大きな影響を与え た及川の実践について検討しておこう。及川の 修身科の授業過程(「病友を見舞ふ(器常三学 年)」)の概要は以下のようなものであった(18)

(S  児童の発言・作業など、 T 教師の発問・

指示など)

課題の提示

みなさんは病気にかかったことがあ りますか。

自己の経験を述べる。

どんな病気でしたか。どんなに苦し かったか。御医者さんはどなたですか。

見舞いを受けたことがありますか。

JI  課題の追求

誰か小川さんの家を見舞った方はあ りますか。

病態を話す。

然り、小川は一杯の牛乳も飲めず、

夜は眠らず、大層痩せ衰えたが昨日よ りやや快くなったそうだ。然しまだ熱

もある。油断はできない。洵にかわい そうです。みなさんは如何に思います

課題解決の方策如何にして慰めるか。

毎日見舞う。

見舞品を贈る。

見舞品として図画帳をつくろう。

大いに喜ぶ。思い思いの図画を描き 始める。

病友の見て楽しむべき絵画を暗示す る。机間巡視をする。

表紙の図案を描く。軍人軍艦を描く。

滑稽画ポンチ絵を描く。絵画中に面白 き文句を記入する。

課題解決のための行動決定この図画帳を如何にすべきか。

見舞に行くべきものの順番を定め、

当番のものが之を携帯する。

見舞の仕方について注意を与える。

課題解決の方策・行動の反省

学友として外に慰める仕方はないだ ろうか。二日間の作業は病友を慰める のに最善の方法だったか。

雑誌「少年の友」を貸与するのがいい。

VI  課題解決の方策・行動の総括

小川の病気は予想外に早く全快した。

当人の喜は素より父母の心配も漸く消 えた。是偏に家族の看護によると雖も 亦全学友の至情の結果に外ならず、み なさんは共に学び共に修養すべき学友 の昇校を喜ぽう。

さあ、共に「朋友」の歌をうたってl央を祝おう。

教師の言葉が未だ終らないのに全級 は起立し「善きを進め悪しきをこらし 是ぞまことの友よ」とうたい出した。

(6)

授業は、病気の学友を見舞うという課題に対 して、教師は如何に慰めるかという問いを発す ることにより、児童からの発言(見舞品を贈る)

を引き出し、教師がその発言を受ける形で図画 帳の作成を全級に指示している。そして、児童 の意欲的な活動をより高めるために教師は暗示

(病友が見て楽しい図画)を机間巡視の中で行 っている。次に、教師は完成した図画帳をどう するのか、全級に図っている。それは児童の行 動を促す問いかけであった。児童は「見舞に行 くべきものの順番を定め当番のものが之を携帯 する」と答え教師はこれを許可している。そし て、見舞に関しての全級の取組みに対して反省 させる時間を設けている。最後に、教師は学友 小川の病状回復の報告とともに「全学友の至情」

が果たした役割にも言及し賞賛評価を加えた。

児童はそれに応えて「朋友」の歌を全級起立し 合唱して終わった。

(2)  及川平治の修身科授業の特質

及川のこの修身科授業についてはすでに中野 光が修身科教育改革に果たした意義にも言及し て高い評価を与えている。それは、授業の題材 が「教科書の中からとり出されたものではなく、

子どもたちの生活の事実に即したものであるこ と」や「道徳的徳目を教師が解説して子どもに 注入するのではなく、子どもたちの討議と要求 が行動に結合していること」の指摘に見られる。

さらに、病友を思う至情がさまざまな慰める方 法を生み出したことをもって、「修身教育解体 論」にも連絡するような論理が底流していると して、「及川にあっては道徳教育というものは 修身科という一つの教科のわくにとじこめて考 えるべきものではなかった」と強調するのであ (19) 

このように及川の修身科教育を、児童の生活

に着目し児童の自発性や行動を尊重したものと して捉え、大正自由教育における先駆的なもの

として高い評価を与えることは定説化してい (20) 

しかし、実践「病友を見舞ふ」のような偶発 的な出来事を教材化した修身科授業だけで及川 の修身科教育のすべてであったごとく評価する のはどうであろうか。何故なら、及川の修身科 授業はこのような児童の生活の中から題材を発 見し活動させるものばかりではなかった。例え ば「分団式各科動的教育法」に掲載されている 実践「上杉鷹山公(尋常五学年)」においては 教科書の読解や教師の講話などを中心にして上 杉鷹山という人物からさまざまな徳目を児童に 捉えさせるような授業展開が行われている。こ の授業では児童の生活の中からではなく歴史上 の人物の生活から題材を捉えさせる学習をして いるのである。実践「病友を見舞ふ」の題材が

「病友を慰むる仕方」にあり、実践「上杉鷹山公」

の題材が「鷹山公に対する考え方、感じ方、為 す仕方」にあるように、及川にとっては修身科 教育においても「動的教育」の眼目である「学 習方法」の収得こそ中心課題であったことが分 かるのである(21:10

(3)  永良郡事の修身科授業の概要

及川の「分団式動的教育法」の影椰のもとで 実践した永良の修身科の授業過程(「尋常五年 第十七課習慣」)の概要は以下のようなもので あった(22)S 児童の発言・作業など、 T 教師の発問・指示など)

課題の確認

習恨という徳目は大切だ。我々は良習 慣を作りつつあるか。如何にして悪習慣 を打破すべきか。大いに考えてみる必要 がある。

(一週間前に教師は児童に「習恨」とい う課題を提示し、自らの行動を反省して

「良習慣」、「悪習慣」を考えさせ修養録

(7)

に記入することを課す。)

II  課題の再確認

自分の作っている良習慣は何か。(功 の自知)本日以後打破すべき悪習恨はな にか。(過の自知)考えてみよう。

反省黙想し功過自知を行う。

課題解決のための実行案作成

如何にして罪過(悪習恨)を改善すべ きか。

実行案を各自作成する。終われば修養 録に記入する。(実行案は、実行箇条、

実行方案から成る)

実行案作成中は個々に児童の相談に応 じる。

実行案の改善

確信ある実行案にさせるために、教科 書の例話を聴かせる。

教科書の例話について自己の所感を発 表する。

例話について感想(評価)を発表する。

教科書を黙読する。

実行案の決定

教科害を黙読する。

自己の過去経験を確認する。

それぞれ自らの経験や見聞したことな どを発表する。

経験談(失敗、成功を含む)を発表す

黙想し実行案を確定する。確定した実 行案を修養録に記入する。

上述の授業では、課題である「習慣」につい て一週間前に児童に自らの行動を反省させ「良 習慣」「悪習恨」は何かを確認させる作業を課 している。いきなり授業において自己の「習慣」

について反省させるということをせず、事前に 準備を整えることにより児童の動機を高めて授 業が開始されている。児童が反省した「悪習恨」

とは「間食をする。立食ひが多い。勉強すると 直ぐ眠くなる」、「遅刻をよくする。即ち物事に ぐずゞする習恨がある。又物事を乱雑にして整 頓の良習慣がない」などであり、彼らの日常生 活の身近な基本に関わるものであった(23)

そして、授業は自ら「悪習恨」を確認してそ れを克服改善するための実行案作成に入ってい く。教師は児童の個性を尊重し自発性を重んじ て干渉せず、ただ児童の相談相手として振舞っ ている。さらに確信のある実行案にするため に、教科書の「例話」が取り上げられ教師の評 価に導かれた形で児童の感想が発表される。そ して、それぞれの児童が過去に経験したこと、

見聞したことも発表され交流が行われる。ここ では教師の経験談(成功、失敗も含め)も賓料 として提供されている。永良は特にこの教師の 経験談については加藤末吉の「共学的態度」と いう言をも引用して、教師も児童と同じように 努力をしている存在であることを、児童に示す ことの重要性を強調している(24)。ここには教 師のあり方に対する大きな転換がある。このよ うな過程を経て確信のある実行案が出来上がっ てくるのである。

このように永良の修身科授業は自らの生活の 中で如何に行動するかという「実行案」作成に 焦点がおかれている。それは当時の一般的な修 身科教育においては実行を児童に促す手立てに 不備があることを認識した永良の改善策であっ たといえる。

(4)  永良郡事の修身科教育の特質

論及してきたように永良は児童の生活に着目 し、児童の行動を「実行案」によって導き「正 善実行の人」をつくろうとする独自の修身科教 育を開発した。永良の修身科教育は、「学習方 法」の獲得を中心課題とする及川の修身科教育 を受容し、それを変容させたのである。両者と も児童の生活を注視することは共通している

(8)

が、及川は「方法」を重視したのに対し永良は

「実行」を重視したといえる。

さて、永良の修身科教育の特質を究明してい こう。第一に指摘できるのは、道徳的実践のた めの「実行案」作成と自己の行動を記録化する

「修養録」作成である。永良は、毎日授業終了 後の数分間を「黙想」の時間にあて、今日一日 の学校生活を、児童も教師も静かに反省しその 後「修養録」に「善かったこと」「悪かったこ と(改めること)」や明日から実行しようする 事項を具体的に記入させることを続けていると している。「修登録」には、この他に教科書に 記載されている偉人の人格・行動について各自 が共鳴したこと、格言但諺和歌訓辞の中で自己 の自律の信条となるもの、授業において作成し た「実行案」などを記入させるとしている(25) このように「修登録」は児童にとって自己の行 動の記録であり、より善なる行動に踏み出して いくための指針も記入されているものになって いる。この「修養録」によって児童は自己の行 動を振り返り道徳的実践を展開していくことに なる。そして、「修養録」は、一週間に一度提 出させ個別的に批判奨励をしていくとしてい る。その場面での教師の指都は児童の「懺悔を 咎めたり叱責したり」せず、「児童に同情し、

児童を理解し、教師心を捨てて親心」で行うこ とを強調している(26)。児童の自主性、自発性 の尊重がここにおいても貫かれていることがわ かる。要するに、「修養録」は永良の修身科教 育おいて中核的な位置にあるといえる。

次に指摘できることは、児童の道徳的実践に 対する用意周到な具体的な指導の創案である。

「功過自知」という反省をする時の「黙想」の あり方や児童の実行を支えるさまざまな方策

—道徳的実践の機会や手段の指示、具体的な 実行方法、実行上の注意などーにそれは示され ている。特に「黙想」については、「形式の末 に走ってはならぬ。能く落付かせ静かに反省さ

せて、自己を自己の眼前に描き出さしめなけれ ばならぬ」と述べ、このような真の黙想により 児童の行動も変化を見せてきたとし、「出鱈目 に訓辞や小言」を言うよりも有効だと主張する のである。この黙想の時に、教師も教埴から降 りて児童とともに黙想することが重要だと明言 している四)。教師の率先垂範が求められてい る。このような具体的な指導もとで児童の道徳 的実践は始動したといえる。

第三には、日本の伝統的な人間形成の論理で ある修養思想の影椰を見出すことができること である。「修登録」、「修養問題」などの言葉の 使用はもとより「黙想」という形式の実践への 導入、児童の修養団体組織化の提案、自発性の 強調などにそれは示されている(28)。さらに永 良が、校長野口援太郎が指導していた姫路師範 学校を卒業していることも指摘しておきたい。

野口は二宮腺徳を信奉する修登主義者であった ことはつとに知られている(29)。その影蓉は、

永良自身も児童と同じようにその日一日の行動 を反省し明日からの「実行案」を決め、それを

「修養録」という日誌に記入することを通して 自らの修養を行っていた事実にみることができ (30)。永良は教師自身の修養を問題にし、授 業においても「教師の経験談」を活用すること

を主張しているが、及川にはそのような視点は 見えない。

一方、教育内容面については、永良は国定修 身教科書を「児童の聖典」であると言明してい る。その言葉に示されているように教科書の内 容に関して批判的な言説はなく、難字句が多く 児童が読解することに困難である点のみを指摘 するにとどまっている(31)。しかし、授業過程 ですでに見たように、永良は、教科書の内容だ けを注入するような授業はしておらず、教科書 内容は「実行案」作成のための賓料としての位 置づけがなされている。児童の生活と関連なし に一方的に教科書の内容を教えるのではなく、

(9)

児童が生活の中で道徳的実践を展開する上での 指針になる「実行案」作成の賓料として使用さ れているのである。

また、当然のことながら教科書が示す徳目に ついての批判的な言及はない。ただ永良は教科 書の徳目を3つに分類している。それは、児童 が現実に実践可能な徳目を「実践徳目」、「自立 自営」や「国民の公務」など児童の現実生活か ら見て関係が薄い徳目を「将来に於ける実践徳 目」、国民道徳に関係する「天皇陛下」や「忠義」

などの徳目を「理想発展を主としたる徳目」と して分けている(32)。「動的教育の実際研究」に おいて「実践徳目」についての指導方法の説明 が大半を占める中でこの「理想発展を主とした る徳目」に関しての解説がわずかlページしか ないのは何を物語っているのであろうか。永良 にとって児童の道徳的実践こそが修身科教育の 中心課題であったことを考えれば、児童の実生 活の中で実行が困難な徳目(「理想発展を主と したる徳目」)についての説明が少なくなるの は当然のことではなかったか。したがって、実 践的にも永良の修身科教育の中でこのような徳 目を取扱う比重が相対的に小さなものであった ことを推定させる。それは、このような徳目に ついては「実行案」作成を必要としないという

ことや「先入主として或る何等かの深い印象を 興ふる所に努力すべきである」という指摘を繰 り返すだけに終始している所にも現われてい 33)。児童の実生活での道徳的実践を促すこ とに意味を見出している永良にとって、「理想 発展を主としたる徳目」については一方的な教 師の説話で児童に教授するしか方法はあり得な かったと想像させる。

以上、永良の修身科教育の特質と教育内容面 についての彼の実際的な対応を検討してきた。

当時の一般的な実践が教師による講話に終始し ていることや及川の修身科教育が「学習方法」

獲得を課題にした実践であることを踏まえるな

らば、永良が、児童が生活の中で道徳的実践を 展開することに修身科教育の課題を見出したこ とは独自性のあるものとして評価されるべきで あると考える。しかも、その実践が1920年代の 大正自由教育の華々しい展開に先立って行われ ていたことに注目する必要があろう。(奈良女 高師の岩瀬六郎の「生活修身原論」は1932年に 出版されている。)

おわりに

大正期における修身科教育改革の一巽を担っ た永良郡事の1910年代の教育実践を師である及 川平治の実践と比較検討してきた。それは「実 行案」に基づく道徳的実践を重視した道徳教育 であった。永良は児童の作成した修養録をもと に一週間ごとに対話を重ね実行を促し続けてい たのである。

そして、この児童の道徳的実践を実行させよ うとする修身科教育は教師自身の人間形成の努 カである修養とともに行われていたことに注視 せざるをえない。教師のあり方を問う永良の修 身科教育には現代の教師が道徳教育を実践する 上での姿勢に示唆を与えるものがある。教師自 身に対しても一人の人間として道徳的実践を求 める修身科教育であった。

道徳教育の不振が叫ばれて久しい現在、過去 の遣産である大正期も含めた日本の戦前期の修 身科教育を、授業実践レベルから内在的に研究 する必要性が高まっていると考える(34)。本研 究はそのことに寄与したものである。

(1)  中野光「教育名著選集⑥ 大正自由教育 の研究J黎明書房、 1998年。同「教育改革 者の群像」国土社、 1990年。橋本美保「及 川平治による個別化教授プランの受容とそ の実践」「東京学芸大学紀要 総合教育科

(10)

学系」 572005

(2)  神戸大学発達科学部附属明石校園カリキ ュラム開発研究センター編「永良郡事と「分 団式各科動的教育実際案」」及川記念館資 料叢書第1 2008年。兵庫県明石女子師 範学校編「回顧三十年」(復刻版)第一書房、

1983年。小原国芳編「日本新教育百年史」

第六巻、玉川大学出版会、 1969年。志垣寛

「教育界の新人菌人」教育研究会、 1927 (3)  筆者はすでに永良の歴史教育論とその授 業実践については究明した。拙稿「大正期 における歴史教育改革の試みー永良郡事の 歴史教育論と授業実践を手がかりにして ー」「社会科研究」 69号、全国社会科教育 学会、 2008年を参照。

(4)  貝塚茂樹「戦後教育は変われるのか」日 本図書センター、 2008 147154頁。同 監修「戦後道徳教育文献資料集第1期」別 冊解説・解題、日本図書センター、 2003

6 16

(5)  例えば、奥田真丈監修「教科教育百年史」

建吊社、 1985 471476頁を参照。

(6)  永田忠道「大正自由教育期における社会 系教科授業改革の研究一ー初等教育段階を 中心にー」風間書房、 2006年。井ノロ淳三 絹「道徳教育」学文社、 2007 140 藤田昌士編「講座日本の学力 道徳と教育」

11巻、日本標準、 1979

(7)  戦前期の教育実践を研究する視点につい ては以下の論文から大きな示唆を得た。橋 本美保「及川平治「分団式動的教育法」の 系譜—近代日本におけるアメリカ・ヘル バルト主義の受容と新教育ー」「教育学 研究」第72巻第2号、日本教育学会、 2005 年。福田喜彦「戦前期における歴史教育史 研究の方法と課題」「社会科教育研究」 102 号、日本社会科教育学会、 2007

(8)  世界教育史研究会編「世界教育史大系

39  道徳教育史」講談社、 1977 215 218頁。中野光、前掲書。

(9)  川島次郎「修身教育雑感」「教育研究」

209 1920年。当時における一般的な修 身科教育を批判した論稿である。川島は東 京高師附小の訓都であった。竹内途夫「尋 常小学校ものがたり」福武書店、 1991 木山捷平「修身の時間」「木山捷平全集第 4巻」講談社、 1979年。児童にとって修身 の「時間中は、ただぽかあんとして、どん なろくでもないことを考えていようが勝 手」であったという。 1910年代の教師によ る講演で終始する一般的な小学校の修身科 授業のありさまがよく描かれている。

(10)  永良郡事「動的教育の実際研究」弘学館、

1920 235 (11)  同上害、 244245 (12)  同上書、 245 (13)  同上書、 245 (14)  同上書、 246 (15)  同上書、 261 (16)  同上杏、 246247 (17)  同上害、 247

(18)  及川平治「分団式各科動的教育法」弘学 1915 344348頁より筆者作成。

(19)  世界教育史研究会編、前掲書、 218 (20)  中野光、前掲書、 126

(21)  及川、前掲書、 349356頁。及川の「分 団式動的教育法」については、木下繁弥「及 川平治の教育方法論と教育実践の展開」「教 育学研究」第33巻第5号、日本教育学会、

1967年や西口槌太郎「及川平治のカリキュ ラム改造論」黎明書房、 1976年などを参照。

(22)  永良、前掲書、 259274頁より第者作成。

なお、国定修身教科書第十七課「習慣」(尋 常五年)では江戸中期の儒学者滝鶴台の妻 の良習恨を身につける方法が記述されてい る。それは「悪しき心起るときは赤き毬に

(11)

絲を巻きそへ、善き心起れば白き毬に絲を 巻きそへたり」というものであった。児童 にとっては実生活から縁遠い話である。海 後宗臣絹幕「日本教科害大系」近代編第3 巻修身(三)、講談社、 1962 102‑103 頁を参照。

(23)  同上書、 262

(24)  同上書、 272‑273頁。永良は「教育者と ても円満具足な者ではない、功もあれば罪 過もある。罪過を児童に包みかくすことは 既に卑劣である」「教師も亦正善実行の域 に到達すべく努力改善の過程に在るものだ てふ感を児童に興ふるがよい」と述べてい る。教師も児童とレベルは違うが努力する 人であることを強調しているのである。

(25)  永良、同上書、 293‑295 1920年代に 野中吉光(奈良女高師)も「修身学習帳」

を使用した実践を行っている。野中吉光

「修身学習の根本と其の実際J東洋図奢、

1924年を参照。なお、「修養録」という学

習ノートの命名は恐らく、松村介石の「修 養録」(警醒社、 1899年)という書物から ではないかと思われる。和崎光太郎「青年 期自己形成概念としての〈修養〉論の誕生」

「日本の教育史学」第50集、教育史学会、

2007年を参照。

(26)  永良、同上書、 296‑297 (27)  永良、同上蓄、 295‑296 (28)  永良、同上書、 292 306‑307 (29)  清水康幸「修養運動と教育」寺崎昌男編

「近代日本における知の配分と国民統合」

第一法規、 1993年。米山弘「教師論」玉川 大学出版会、 2001 100

(30)  永良、前掲害、 292‑293 (31)  永良、同上書、 271

(32)  永良、同上書、 257 274 289 (33)  永良、同上書、 289‑291

(34)  貝塚、前掲書。同「戦後教育改革と道徳 教育問題J日本図書センター、 2001年など

を参照。

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