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フィエスタのための移民 : メキシコ,オアハカ州 の農村の事例より

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(1)

の農村の事例より

著者 山内 熱人

雑誌名 社会科学

巻 49

号 1

ページ 47‑70

発行年 2019‑05‑31

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000090

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フィエスタのための移民

─ メキシコ,オアハカ州の農村の事例より ─

山 内 熱 人

本論で取り扱うメキシコ南東部のオアハカ州の農村では,アメリカ合衆国への移民 が多く観察されている。人々の語りにおいては移民の動機は「家族のため」というこ とになり,基本的には歓迎されない女性の移民もその動機であれば選択されることが ある。それは具体的には「家族のために」現金を獲得することを目的とした移民を行 うということである。その使途について聞き取りを行うと,その家族の生活費や子供 の学費,家や土地の購入,雑貨店の開店に加えて,フィエスタ開催の資金に充てると いう目的が語られた。調査地におけるフィエスタという言葉は村祭りなどの年中行事 の他,個人の人生儀礼も指し示し,それらに伴ってしばしば行われる私的な宴会もこ の言葉で呼び表している。本調査地のほとんどの人々はキリスト教カトリックを信仰 しており,洗礼や堅信などのサクラメントを経ることが一人前のカトリック教徒とな るための義務であると認識しており,親は子に対してこれらを経験させなければなら ないと考えている。しかし,その儀礼には多くの招待客を呼び,数日に渡って行われ る宴会が伴うために,かなりの資金が必要となるため,その資金獲得が移民の目的の 一つともなるのである。その出費が大きいために人々は様々な支出抑制の工夫を行う が,それでもフィエスタを開催するのは,従来の研究で指摘されてきた社会的,政治 的機能やコンパドラスゴ関係の構築,個人的な宗教的動機だけでなく,自身の持つ人 間関係のしがらみも重要となる。

1 はじめに

筆者はメキシコ,オアハカ州の州都オアハカ市の近郊にある農村を調査地として フィールドワーク調査を続けてきた。幸運なる出会いに恵まれて,そのうちの 1 つの家 族にあたたかく迎え入れられ,幾つかの出会いと別れを経験しながら 10 年以上の長きに わたって付き合いが続いている。私の関心は,人々の移動にあった。どのような要因に よって人々は生まれ育った場所から離れるという決断を下すのか,ということが問いと してあり,90 年代以降にアメリカへの移民が増え始めた地域であるメキシコ南東部の村 落を対象としてフィールドワークを開始したのである。初期の調査から分かったことは,

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調査地において移民という選択をした者たちは「家族のために」その決断を下したと語 ること,そして,女性の国外移民が忌避されがちであるということであった。彼らを村 につなぎとめるもの,魅力としてあるのは,家族とのつながりであり,この地の生活で あり,食事であり,年に何度も行われるフィエスタであると語られた。彼らとともに暮 らしながら調査を続る中で,彼らの生活においてその重要性に徐々に気づいていった。

調査地に住む人々のほとんどはカトリック教徒であり,多くのフィエスタがカトリッ ク的な行事の流れに位置付けることができるが,村祭りやクリスマスなどの共同体的行 事や年中行事に加えて,洗礼や結婚式,誕生祝や卒業祝などといった個人の人生儀礼や 祝い事に伴う宴会などをフィエスタという言葉は総称している。調査地に住む人々の大 部分を占めるカトリック教徒にとって,サクラメントと呼ばれる人生儀礼を経ることが 非常に重要とされており,そのうち,洗礼,堅信,初聖体拝領,結婚の 4 つの人生儀礼 を経ていなければならないと考えられている。結婚を含むこれらの儀礼にはフィエスタ と呼ばれる宴会が伴うのであるが,そこには多くの招待客が呼ばれ,その開催に大きな 費用を必要とするため,これらの人生儀礼の遂行のための資金獲得が移民の目的の一つ となるのである。しかし,その遂行に大きな資金が必要となるからこそ,重要であるは ずのそれらの儀礼が適切な年齢になっても通過できないものも多くいる。本論では,オ アハカ州の州都オアハカ市の近郊にある農村に生きる人々に焦点を当て,彼らの語る移 民の目的,中でも,その目的の一つであるフィエスタに注目し,重要であるからこそ,そ の開催費用がかさみ,時には資金不足によって保留され,しかしそれでも何とか遂行し ようとすることを論じる。

フィエスタに関する研究はコンパドラスゴに関する研究とカルゴシステムと呼ばれる 祭礼組織に関する研究が主になされてきた。個人の人生儀礼やそれに伴う宴会について は前者に,共同体的行事については後者に焦点が当たってきた。コンパドラスゴとは,元 来,サクラメントにおいて,実親以外の成人が代親として受洗子と精神的親子関係を結 ぶ制度,すなわちパドリナスゴから派生した関係性であり,その実親と代親との間の関 係性を指し示している(桜井:2004)。80 年代以降,メキシコでは宗教的行事以外のフィ エスタにおいてもこの関係が構築されることが報告されており(Kemper:1982),調査 地においても様々な機会においてこの関係が結ばれている。

コンパドラスゴの研究においては,どのような相手とこの関係を結んでいるのかにつ いての研究と,この関係をどのように利用しているのかについての研究が多くなされて き た(Mintz & Wolf: 1950; Osborn: 1968; Foster: 1969; Carlos: 1973; Deshon: 1963;

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Kemper: 1982; Nutini: 1984; Baez-Jorge: 1984; Kirk: 1984; Lopez: 1999; Vidal: 1988;

Mordonado: 1999; Kanaʼiaupuni et al.: 2005; Halbich: 2010 など)。これらの研究は,コ ンパドラスゴの関係が開始されるその瞬間と,それを結ぶことがどう役に立つのかとい う視点,及び,どのフィエスタを契機として結ばれたコンパドラスゴの関係がより重要 であるかばかりが重視されてきた。筆者は先に,その関係を結んでいることや,どの関 係を結んでいるのかだけで人々が規定されるかのように分析されてしまうことを批判 し,現実的な制約の中でその運用や規範が移り変わっていくことを指摘した(山内:

2013)。

カルゴシステム論の基本的な特徴は,相互に連関した宗教職と行政職の役職があり,そ れが位階をなしており,その役職を歴任することによって位階を上りつめていく必要が あること,加えて,その役職には大きな経済的負担がかかり,その役職を受けるための 社会的な圧力が存在するということである。カルゴシステム論の研究においては,この システムの存在によって祭礼が運営されると同時に共同体の社会的統合が達成されると いう機能を有すること,そして,その役職者や経験者は人々から尊敬を集め,役職就任 と遂行にかかる経済的出費に対する見返りとして社会的威信を得ると論じてきた(代表 的なものとして,Wolf :1957 やCancian: 1965 など)。黒田はCahnce and Taylor(Cahnce and Taylor: 1985)の歴史的研究を紹介しながらシナカンタンの行政宗教ヒエラルキーの 形成が 19 世紀末からの貨幣経済化の影響によって生じた「伝統的」ではないものであり,

また,その地域特有の歴史的展開と地理的状況が生んだものであると指摘している。故 に,他地域でのカルゴの事例がシナカンタンのそれとは要素において異なっている報告 が多く出されるのは当然であるとしている(黒田:1988)。私の調査地においても,上記 で論じられてきたほどの多くの役職は存在せず,役職によるヒエラルキーとそれに歴任 することによってより上位の役職に就任するという構造は観察されない。

しかし,吉田はこれに対して,今日的な祭りでは,個人的な誓願が動機としてより重 要になっていると論じている(吉田:1994)。誓願とは信仰する対象に対して宗教的な効 力による利益の返ってくることを期待して何らかの奉仕をすることである。すなわち,個 人にとってその役職の就任と祭りの運営によって生じる経済的負担に対する見返りは,

社会的威信の高まりではなく,聖人による加護や奇跡を期待してのことであるというの である。従来の祭り研究では,誓願は共同体と聖人との間に取り決められた約束であり,

その共同体の成員である個人は共同体に対して奉仕すればよく,個人が個別に誓願を立 てる必要はなかったという。ところが,今日的な祭りにおいては,公の祭りの遂行にお

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いても個人が個別に聖人に対して誓願を果たそうとする行為になったとしている。これ は,先住民共同体においても個人主義が浸透し,共同体からの独立度が高まり,共同体 の論理よりも個人の論理が優先されることによって誓願という動機がより重要になって きたと吉田は論じている。彼はそのポイントとして,役職就任の拒否に対する社会的制 裁が行われないようになったことを挙げている。私の調査地においても吉田の誓願論は かなりの程度,当てはまっているように思われる。共同体の祭りを統括するのは推薦に よって選ばれる委員と立候補制のマヨルドモの 2 つであり,これを務めることは名誉な こととは言われるが,委員就任要請を断ることによる社会的な制裁も存在せず,志願の 動機として守護聖人への願いや帰依が語られる。帰依する聖人に対する誓願という動機 で人々のフィエスタでの経済的負担の受け入れとそれにもかかわらずの開催を説明する ことは,かなりの部分において納得できるものではある。しかし,調査地においてはさ らに人生儀礼への注力が強く,その動機付けと経済的負担の受け入れについても考慮す ると,個人主義的な誓願という動機だけでは説明が不足している。そこでは,コンパド ラスゴ研究で語られたようなコンパドラスゴ関係の他,人々が持つ様々な人間関係に突 き動かされてのフィエスタへの注力という側面が強いように思われる。

ここで,本論の構成の概略を述べよう。「2 調査地の概要」で本論で調査した調査地 の概要を述べた後,「3 家族のための移民」において調査地から行われる移民という選 択において「家族のため」という言説が選ばれがちであることを示し,その目的の 1 つ としてフィエスタ開催の資金をためることがあげられることを示す。次に,「4 金のか かるフィエスタ」においては,移民の目的ともなるほどに「金のかかるフィエスタ」が どのような内容による出費が行われるのかを示したうえで,人々がフィエスタに向かう 動機付けについて考察する。

本論は,2006 年 2 月から 8 月,2009 年 1 月から 7 月,2009 年 11 月から 2010 年 1 月,

2010 年 8 月から 10 月,2010 年 12 月から 2011 年 4 月,及び 2013 年の 2 月から 3 月,2014 年 8 月から 9 月,2016 年 7 月から 9 月,2018 年 2 月から 3 月の現地調査において収集し たデータに基づいている。主な調査手法は,聞き取りと,参与観察である。

対象の選定は,無作為訪問と,聞き取りが可能となった相手からの紹介を通じて行っ ているが,中でも,私が主な聞き取り,観察をおこなった対象は,ドロレスとその家族 であり,調査期間中は彼女の家に寝泊りし,生活をともにしながらそのネットワークに 参入していった。したがって,互いに親戚関係や姻戚関係あるいはコンパドラスゴの関 係にあるものが多く,また,市街地の中の西側に偏っている。彼らに対して行った主な

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聞き取りはスペイン語で行い,出来る限り録音し文字起しした上で利用している。

2 調査地の概要

本論の調査地であるサン・ライムンド・ハルパンは,メキシコ南東部に位置するオア ハカ州にある小規模な農村である。メキシコの統計では使用言語が先住民言語であるか どうかによってその対象が先住民族であるのかを弁別する指標としているので,住民の 99%がメキシコの公用語であるスペイン語を話す調査地の人々は,統計上は混血という 扱いになるのであるが,調査地の人々は自らを先住民族であるサポテコ人であると認識 している。州都との距離の近さもあり,キリスト教化が進み,9 割程度がキリスト教カト リックを信仰している。

調査地は,2010 年現在で人口 2079 人(男性 953 人,女性 1126 人),526 世帯と,比較 的小規模な農村である。以下,統計データはメキシコのセンサス1)に基づく。人口は 50 年間にわたって増加傾向にあり,若者の割合も多い。

中心地の市街地にほとんどの住民が住んでおり,市街地以外の領域はほぼ農地となっ ている。都会である州都オアハカ市から南へ 10km程度の場所に位置しており,舗装され た道路がのび,バスや乗り合いタクシーがオアハカ市と接続しているため,非常にアク セスがよい。電気や水道がほとんどの世帯に普及し,テレビなども普及している。固定 電話を持つ世帯は少ないが,2005 年ごろから携帯電話が普及しつつあり,2010 年代にな るとスマートフォンを持つものも増えてきている。その影響は大きく,移民などによっ て離れて暮らすものとの交信がより利便なものとなり,子供たちの娯楽においてもその 比重を高めつつある。

ごく一部の世帯を除いて,広い農地を持つものはなく,農業収入はわずかである。調 査地には,幼稚園,小学校,中学校があるが,高校より上位の教育を受ける場合は,調 査地の外に行かなければならない。教育の浸透度は,文字が読めない人はほとんどいな いが,かつては中学や高校への進学は稀であり,今でも大学に進学する人は稀である。他 に施設としては,役所,墓地,農民集会所,Central Saludと呼ばれる公共施設としての 診療所,タクシー乗り場などがある。

市街地に居住地やその他の施設が集中し,その他の領域の大部分は畑となっている。セ ンサスによると耕作面積 301 ヘクタールのうち,228 ヘクタールをトウモロコシが占め,

フリホルと呼ばれるマメが 22 ヘクタール,その他が 51 ヘクタールとなっている。観察

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した範囲では,トウモロコシとマメ以外では,クルミ,ラッカセイ,カボチャ,サトウ キビ,アルファルファ,スイカ等を栽培している。殆どの住民は灌漑設備のない小規模 の畑が多く,インフォーマントの中には自分の職業が農民であると答える人々は非常に 多いにもかかわらず,収穫物のみでの生活は難しいようである。こういった人々は同時 に,農繁期には日雇い農夫として働いている。日雇い農夫として雇われる人々も,自身 の農地に対する作業の人手が足りない場合に,他の日雇い農夫を雇うことはよくみられ ている。およそ,5 月から 10 月頃までが雨季であり,それ以外が乾季となっているが,ほ とんどの農地が自然雨による農耕を行うために,基本的には雨季に農業を行うことにな る。主要作物であるトウモロコシはこの期間に栽培し,5 月に耕作と種蒔き,9 月から 10 月頃に収穫を行う。農耕は牛鋤やトラクターを使用するが,収穫は機械を使うことはあ まりなく,農作業時は日雇い農夫を雇うことが多い。私が主にお世話になっていた家族 では,日雇い農夫は近親者を 2,3 人から 4,5 人程度雇うことが多く,早朝 5 時に集合 し,朝食を与え,昼過ぎまで農作業の後,昼食を与え,加えて給料を払うのが基本となっ ている。3,40 年前は報酬としてトウモロコシを渡すこともよくあったらしいが,現在で は現金払いが基本であり,半日の雇用に対して 150 ペソを支払うのが通例となってい る2)

昼の食事が一日の最大の食事となることが多く,朝食と夕食は軽めである。朝食や夕 食はパンと砂糖たっぷりのコーヒー,又は飲用チョコレートが基本となる。昼食の中で 最も基本的な食事は先ほど挙げたフリホルというマメを塩茹でしたものをトルティー リャで包んで食べるものである。それ以外に,スープや肉の焼いたもの,蒸し焼き,ケ シージョというチーズ,卵焼き,モーレと呼ばれる様々な香辛料を練り込んだ粘性の高 いスープ等がおかずとして付随することもある。モーレやスープや肉料理は日常の食卓 に並ぶこともあるがやや豪華な食事であり,祝祭に伴う宴会で食す機会の方が多い。し かし,宴会で食べきらなかった食事を持ち帰ることはよくあり,宴会の機会自体も多い ので,これらもそれなりの頻度で食すことになる。

市街地の東側に隣接して道路があり,この道路を北に 10kmほど行くとオアハカ州の州 都であるオアハカ市,南に 2,3kmほど行くと隣町に,西に 2,3kmほどいくと別の村に 接続する。調査地はこれらの地域と人的交流が多く,買い物や労働のために訪れること も多い。大きな買い物は,州都オアハカ市や,隣町の市へ行く必要がある。オアハカ州 の各地域において,それぞれ決まった曜日ごとに定期市が開催されており,調査地に近 接する隣町は,木曜に市が開かれる。この日は,それ以外の日に比べて出ている店が多

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く,家畜や農作物の売買が盛んにおこなわれるようになるので,毎週木曜日にこの定期 市を利用する人が多い。私がお世話になった家族の場合は,トウモロコシ,クルミ,ラッ カセイ,カボチャなどの収穫物の一部の売却,家畜の売買,食材の購入などにこの定期 市を利用している。しかし,毎日の食料や日用品の購入は,村内の小売店を利用するこ とが多い。村内にはかなり多くの小売店が存在しており,2011 年の調査では,調査地の 2 キロメートル四方程度の居住地において,45 店が営業していた。特に雑貨店が多く,日 用品や酒類を含む飲料品,食料品,玩具や菓子等を販売している。後述するが,こういっ た小売店の経営者になることは移民でお金を貯める際の一つの目標ともなっている。

前述した日雇いの農業労働は現金獲得手段としては農繁期に集中する仕事であり,そ の時期以外ではあまり現金収入が見込めない。その他にこれといった産業はないため,調 査地の人々はその他に日雇い土木作業員,州都であるオアハカ市での会社や役所などで の賃金労働,そして移民による送金等で生計を立てている。例えば,私が 2016 年に調査 した 45 人のインフォーマントでは,自身が所属する世帯にとって主な生計手段は何であ るかという問いに対して,土木作業員が 7 人,日雇い農夫が 7 人,移民による送金が 7 人,農業が 6 人,小売店の経営が 4 人,雇われの運転手が 3 人,警察官が 3 人,その他 の公務員が 2 人,行商が 2 人,その他,楽団演奏員,料理人,歯科医,看護師がそれぞ

図 1 メキシコ,オアハカ州

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れ 1 人ずつであった。

3 「家族のための」移民

3.1 女性移民という選択の忌避

かつて筆者は 2006 年の同地域の調査において,24 人のインフォーマントにインタ ビュー調査を行い,国内他地域への 8 人の移動事例と,米国への 14 人の移動事例を基に 報告を行っている(山内:2009)。その調査において,彼らの移動,及び帰郷の動機につ いて聞き取り調査を行った。そこで得られた結論として,1 つには,その動機の語りの文 脈では,「家族のための」選択であったという回答が非常に多かったことであり,もう 1 つは,米国への移動においては男性の比率が高く,女性による米国への移動のほとんど は夫の移動への付随や夫の移動後の呼び寄せにあるという傾向があったことである。

人々の語りのレベルにおいては,移民に至った動機についても,移民先の帰郷を選択 した動機についても,「家族のためである」と語られる。この語りがその動機の真実を表 しているとそのまま断定することはできないが,自分の行動の動機,正当化を語るにお いて家族を持ち出すことが,調査地において共有された価値観として非常に選ばれやす

図 2 オアハカ市と調査地

出典:本地図はAngel García García y Asociados, S.C.: 2003 に掲載の地図を基に作成した

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いということがあるだろう。2006 年の調査では,その移動や帰郷の時期にインフォーマ ントの状況にどのようなことが起こったのかも合わせて聞き取り調査を行っている。そ れによると,自身が結婚して新たな世帯の主になること,子供が誕生すること,世帯内 の稼ぎ手として期待されていた親の死などといった,自身が稼ぎ手とならなければなら ない状況になるイベントが起こった時期に移動の選択をしている。この際,残った世帯 要因の中の年長者が家族を経済的に支えるための移民という選択を取っている。

その新たな稼ぎ手となる人物が女性であることもしばしばある。稼ぎの選択の一つと しての移民であるが,2006 年の調査では,前述したように女性による米国への,特に単 身の移動はほとんど見られなかった。調査地ではシングルマザーや女性世帯主という状 況は多いので,女性が働くこと自体は珍しいものではない。しかし,女性が稼ぎ手とな ることは世帯内に稼ぎ手となる男性が存在する場合においては一般的には歓迎されない のである。

1979 年生まれの女性,チェラは以下のように語った3)

チェラ「…夫次第で,彼に仕事がないときは私が働こうと思う。でも彼はいや,っ ていう。家に残ってやることをやり,家畜の世話をしてほしいと。それをどうやれ というのか,そして食事を用意するのはだれか,服を洗濯するのはだれか。それで 色々と話し合った結果,働きにはいかないことにしたんだ。家に残りやることやっ て,彼との間に問題はないしね。役場で 2 か月ほど働いていたこともあったけど,半 月で 2000 ペソもらっていた。でも時折,彼は怒っていたんだ,11 時や 11 時半など 夜遅くに時折帰ってきたからね。彼はどうしてこんなに遅いのかって言ってたよ。

だって今終わったばかりだから,あるいは集会があったからって答えたんだ。その 集会で話されたことをすべて記録しないといけなかった。で,ここを出て行けって いうから,分かったって言って去った。それで働きに行った。でもそのあと,行か ないでって言うんだ。いや,でも仕事だから行かなきゃって答えた。それで書類に

(辞めるための)サインをした,どうしてと先方が言うから,私の夫が働き続けるこ とを嫌がっていると伝えた。でもそれはなぜって聞くから,なぜなら朝早く起きて 8 時には着替えて水浴びして朝食して。で,2 時になったら役場からバイクタクシーを 拾って家に戻って食事を作る。食事をして水浴びしてもう一回行く。それで 11 時ま でだね。で,彼は言った。お前はまるでこの家をホテルみたいにしている,帰って

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寝るだけ。そういうのはもうするなって。子供たちが去って行ってしまう,どこか へでかけてしまうよって。ここにいないけどどこにいるかわかるかって。それで母 のところにいるはずだって言って確かにそうだった。そこで見つけた。で,もう仕 事はやめろと彼は言った。食事して水浴びして帰ってきて食事して寝る,そんな毎 日は嫌だと。役場と私とどっちを取るんだと。…(中略)…私はそんなにずっと家 にいるのは好きではないけど,でもしなければならない。彼が言うには少しのお金 が稼げていたけれども,食事がなかった。だから,今みたいな生活がいいというん だ。だから仕事を辞めたんだ。」

彼女は夫とは事実婚の状態にあるが,その夫の意向により,働いて稼ぎを得ることは していないのである。この例が典型的に示すように,男性パートナーは女性パートナー が稼ぎ手となることを歓迎しないことが多い。女性が稼ぎ手となるのは,父親や夫といっ た世帯内の稼ぎ手として期待されている男性との死別や離別,ないし不在などによって,

女性が稼ぎ手となることが余儀なくされた状況と考えられている。筆者が調査した女性 インフォーマント 45 人のうち,女性世帯主は 9 人存在しており,調査地における彼女ら の現金獲得手段はトルティーリャを作ること,商店で働くこと,近隣の都市での家政婦,

行商などが観察されている。それ以外の稼ぎの選択の一つとして移民が立ち上がってく るのであるが,前述したように国外への移民は男性パートナーの移動への付随を除いて はほとんど選択されることはない。その理由は,米国への女性移民の危険性の認識が共 有されていることにあるようである。

ここで,1978 年生まれの女性,チャタの事例を紹介したい4)。彼女は 18 歳の時に 10 歳 年上のビクトルという男性の妻となり,彼との間に 2 人の子をもうけている。合衆国へ 行くまでは警備員などの仕事をしていた。しかし,その仕事は親からはあまりよく思わ れていなかったらしい。やがて,2007 年ごろから,ビクトルはお酒を常飲し始め,時折,

妻子に暴力をふるうようになった。彼からの経済的支援が期待されなくなったことも あって,二人の息子を自身の母親に預けて,2008 年に兄であるトニオとともに合衆国へ と向かった。この選択は経済的な理由だけではなく,夫からの暴力を避けることも移民 の理由となっているという。トニオは仕事が合衆国で得られなかったこと,祖母の病気 が悪くなったことを理由として 1 年未満で帰郷しているが,彼女はそのまま 4 年間,合 衆国に滞在することとなった。

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私「なぜ合衆国へ行ったのか」。

チャタ「母がそうするようにいったんだ。ビクトルが酔っ払っていて。私の父が死 んでからは誰が彼から守るのか,と。私の母が娘(チャタ)が殺されてしまうかも と恐れたんだ。ほら,ここ(首筋を指す)にその傷があるだろ。もうそんなに残っ てないけどね。その恐怖から,私を遠くにやるために送ったんだね。私は行きたく なかったし,子供を残したくはなかったんだけれどもね。前はここで警備員として 働いていたけどね」。

彼女は米国での滞在時に様々な理由により,仕事と住む場所を何度か変えている。最 初はフェニックス州の中華料理屋でウイエトレスや掃除婦,料理をするなどの仕事に従 事し,オーナーに住む場所を提供してもらっていたが,賃金交渉(時給 8 ドル)の末,決 裂し,次の仕事を探してユタ州に移り,そこで子羊に粉ミルクを与える仕事を牧場で行っ た。しかし,同僚だったペルー人に三度の暴行を受け,15 日でこの仕事からは去ること になったという。

チャタ「…一人のペルー人が私を襲おうとしたからね。3 回もだよ。だから私を連れ てきた人にもう同じようにはいれないといったんだ。15 分で着くような近場に住ん でいたからね,でも最初の時は何も言えなくてトイレにこもって一時間,一時間半

(泣くしぐさ)。それで仕事を紹介してくれた女性が変に思ってどうしたんだと,前 と一緒な感じじゃないよと。でも何もないよと私は言った。でもその牧場主に彼女 は言いに行ったんだ。何かがあったということをね。それで牧場主は私を召喚して 説明を求められたんだ。それでそのドン・グアダルーペという,あ,メキシコ人ね,

グウアナファトの人,で,もう一回そのペルー人がそういうことをしたら,頭を殴っ てやるよ,と言うんだ。すぐに牢屋にぶち込まれることになるよと。そうなったら もうできないよ,と。だから大丈夫だよ,と。でも結局,私は去ったんだ。15 日し か働かなかったけれども一か月分の給料をくれたよ。それで暫くそこにいたけれど も,もう誰も私の部屋に来ることはなかったよ。そういうことがあったからそこは 去ったよ」。

やがて,知り合ったペルー人を介してホアニトというペルー人の青年と知り合った。彼 はロスアンゼルスに住んでいたが,頻繁に連絡を取り合うようになり,彼の紹介で畑で

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の水遣りやトラクターの運転,苗床づくりの仕事を始めた。その農場オーナーは住居を 提供し,職場への送迎,夕食への招待など,よくしてくれたが,ある日,そこでも強姦 未遂を経験した。

チャタ「…私が住んでいたそこはオーナーが住んでいたところで今は使ってないか ら使うといいよと。それであいつはやってきて,食事や食材をもってきたよと。も う私の分は買ったからいらないよといったんだけどね。それで彼は家にやってきて またそこに住み始めたんだ。私はそういうことだとはちっとも考えていなかったん だけどね,よく車で送ってくれて,食事も用意してくれた。そしてある時,まだ早 朝 5 時くらいで日が昇る前に,また家に送ってくれて。そういう時間だったのは,他 の働き手やペルー人なんかを送っていたから遅くなったと。それは疑っていなかっ たね。それで私を送って,朝にね,で,私は眠たかったから,寝ていたんだ。でも そのオヤジがやってきて胸を触るのを感じたんだ。それで飛び起きて殴って怖がっ たんだ。それで部屋から逃げてホアニトに電話してここに迎えに来てほしいと,こ こから去ると言ったんだ。ユタなりLAなりに去るよと。LAには色々青年がいたけ れども別に私に何もしなかったよって。このオヤジはそんなことをしたんだよって。

襲おうとしたんだよって。彼はすぐさま車を駆って私がいたところにきて,私のい る所に待ってる所に行くよと言った。泣きながらそういうことを言ったんだ。その 後,夜に自分のものを取りに行って,そしてそのオヤジに別れを告げたんだ。そこ からその畑に行ったんだ。オーナーに説明してね。何があったかをね。すると彼女 も怒って。そんなこと考えもしなかったと。それで 2 人でカップル用の家にいた。

一,二ヶ月そこにはいたよ…」。

結局,その半年後,ある種の男性恐怖症のような状態になり,仕事に差し支えが出た ため,ホアニトを連れて帰郷することとなった。もとの夫であったビクトルとは別れ,現 在はホアニトと元夫との間にできた子供たちとで生活している。彼女の出発時には同伴 者としての兄がいたが,米国滞在の大半を随伴男性なしで過ごすこととなってしまった。

彼女の移民生活では,何度かの未遂を含む性的暴行を受け,そのたびごとに職場を変え ることになった。ホアニトと生活を共にするようになって以降はその危険性は薄れるこ ととなったが,良きパートナーとの出会いを評価するものの,基本的には彼女は米国滞 在経験を否定的に語っている。彼女に親しい者たちの間では米国滞在において経験した

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彼女のこのような苦難話が共有され,移民ということに対して否定的な意見がよく出る ようになった。同種の経験談は人々の間で共有され,女性移民の危険性がある程度の共 通認識になっており,その選択はあまりなされないようになっているようである。

3.2 「家族のための」移民

さて,語りでは移民の目的は「家族のため」という回答が得られたわけである。女性 が移民として村を離れる選択をするときも,この動機で語られることになる。前小節の チャタの事例では暴力をふるう夫から逃れることも移民の動機として語られはしたが,

表向きの理由としては「家族のため」と語ることが多く,彼女自身もこれを大きな理由 の一つとして挙げている。前節でみたように基本的に歓迎されない女性の移民という選 択も,「暴力夫からの逃避」や「家族のため」という動機によって正当化される面がある のだろう。しかし,「家族のため」と一口に言っても具体的にその資金の使途について注 目して聞いてみると,主に 4 つあることがわかった。

1 つには,残された世帯要員の生活費や子供の学費である。この点は,世帯を形成せず に出て送金をしていないものを除けばほぼすべての現金獲得を目的とした移民がこれに は当てはまるだろう。

2 つ目は,家や土地の購入である。1975 年生まれの男性,ナルドは,2004 年からの 4 年間の米国への移民によって得た資金を家の建築費に充てている5)。また,1967 年生ま れの男性,ルベンも,5 年間の米国への移民による資金を基に土地を買い,家を建ててい る6)。家や土地はまとまった現金が必要な資産であり,自分のための購入であるだけでな く,次の世代に継承できるものとしても考えられている。

3 つ目は雑貨店等の開店である。1978 年生まれの女性,チャタは,2008 年からの 4 年 間の米国への移民経験を持つが,「現金に比べて所属があやふやになったりしないし,次 世代に現金獲得手段を残してやることができる」と述べ,その際の資金を使っての雑貨 店の開店の計画を筆者に述べた7)。1972 年生まれの男性,オティは 25 歳からの 3 年間,

及び,29 歳からの 4 年間の米国移民を経験しており,その資金を元手にプール付きレス トランを開店している。彼はそのような店を持つことが「昔からの夢であった」と語っ ている8)。1972 年生まれの男性,フラビオは「兄がそうしたように自分も移民によって 獲得した現金で店を開きたい」と述べている。彼によると,調査地となった村には現金 獲得の手段が限られており,雑貨店を開くことによってその手段が得ることができるの だという9)

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しかし,調査地の人々が住むそれほど広くない地域に対して,かなり多くの商店が存 在している。2011 年の調査では,調査地の 2 キロメートル四方程度の居住地において,45 店が営業していた。内訳としては,雑貨店 26 店,床屋 2 店,肉屋 3 店,飲食店 6 店,ト ルティリャ屋 4 店,DVD屋 2 店,工具店 2 店の計 45 店であった。特に雑貨店が多く,日 用品や酒類を含む飲料品,食料品,玩具や菓子等を販売している。雑貨店経営者の 7 人 ほどに聞き取り調査を行ったが,彼らはすべて国内移動や国外移動を経験しており,そ の際に貯めた資金で開店したと語っている。

1963 年生まれの女性,ビセンタは,それほどの収入が店の経営から見込めるわけでは ないと語っている10)

ビセンタ「この商売はほとんど,現金としてはほぼなにも,だよ。食費の分ぐらい だね。お金を計算してみてもね。手に入れたお金も,仕入れで訪れる業者なんかに そのつど払い,そして,食料費を払うと,もうない,という感じだよ。まあ,最低 限のね。1 週間,2 週間でどれぐらいかとなると,わからない。給料のように支払わ れるわけではないからね。食費ぐらいを収入としているだけ。でも,例えば,食料 なんかを自分の商品から得ればいいわけだから,(誰かの店で購入するより)経済的 ではあるよ。何か欲しいとなればね」。

狭い範囲に複数の雑貨店が競合し,それほどの収入になっていないのであれば,なぜ 店を経営しようと思うのかは謎であったが,彼女のように,店の商品を利用すると,他 の店で購入するよりも安く日用品や食料品を利用できるという点もあるのかもしれな い。最初のこのような雑貨店が調査地に開店したのは 1960 年ごろのことで,そのころの 2 つは古い店として現在も続いているという。やがて,開店資金を得た人々が,それぞれ 自分の店を開いていき,現在のように,40 以上の商店がひしめいていく状態になったよ うだ。

獲得された現金の使い道の 4 つ目は,世帯成員のサクラメント(カトリックの人生儀 礼)を済ませることである。調査地においては,真のカトリック教徒となるためにはサ クラメントのうち,洗礼,堅信,初聖体拝領,結婚の 4 つの人生儀礼を経ていなければ ならないと考えられている。結婚には教会婚と法律婚の 2 種類があるが,サクラメント としての人生儀礼とはこの教会婚のことを指しており,教会婚を済ませるためにはその

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前者 3 つ,すなわち,洗礼と堅信と初聖体拝領を経ていなければならないと考えられて いる。教会婚を成すための前者 3 つを子供に課すことによって,教会婚がいつでも可能 なようにしておくことが子に対する親の義務であるという。ところが,結婚を含むこれ らの儀礼にはフィエスタと呼ばれる宴会が伴い,多くの招待客が招待され,もてなされ ることとなり,その開催に大きな費用を必要とするため,その遂行のための資金獲得が 移民の目的の一つとなるのである。次節で,この点についてより詳しく述べる。

4 金のかかるフィエスタ

4.1 金のかかるフィエスタ

フィエスタという言葉は,洗礼や結婚式などの人生儀礼やクリスマスなどの年中行事,

村の守護聖人の祭りなどを表す祝祭を指し示し,また,それらに伴ってしばしば行われ る私的な宴会もこの言葉で呼び表している。そういった様々なフィエスタに自身が開催 したり,開催されたフィエスタへ参加するといった形で非常に高い頻度で,時期によっ ては毎週のように関わることとなる。黒田はフィエスタという言葉が共同体の祭りや個 人の祭りなど様々なことを指し示すことを指摘し,さらに,共同体で行われる祭りを,守 護聖人の祭り,その他の聖人の祭り,カトリックの主要な祭り,シンクレティズムに起 源をもつ祭り,宣教師の主催する新しい祭り,役職交替の祭り,国民祝祭,に大別して いる(黒田:1988)。

共同体の祭りとして調査地で主に行われているのは地域の守護聖人の祭りとカトリッ クの主要な祭である四旬節,復活祭,万霊節,クリスマスに関連するものである。志願 すればこれらの祭りの運営や準備にかかわることもできるが,その開催には人々の募金 だけでは足りず,大きな出費を伴うこととなる。

しかし,共同体の祭りの開催者となることが義務とまではされていないのに比べて,サ クラメントに代表される人生儀礼の遂行はより重要で行うべきことと考えられている。

先程述べたサクラメント以外でも,誕生祝,各学校の卒業式,新車や新築の購入などを 機会として人々は私的な宴会を催すこととなる。そこでは,自らの家に多くの人々を招 待し,特別な食事をもてなし,時には楽団の演奏や夜通しの踊り,ケーキカットやくす 玉割りのイベントを交えることとなる。こういった人生儀礼のそれぞれの機会において,

コンパドラスゴと呼ばれる擬制的な親族関係がその儀礼の立会人との間に結ばれ,その 後に行われる宴会での招待客として換算されるようになる11)。サクラメントに代表され

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る人生儀礼の本質的な部分は教会で執り行われる儀礼であるが,先程述べたようにそれ には招待客を呼んでの私的な宴会の開催が伴うことは当然のことと考えられているた め,その遂行には大きな費用を見込む必要がある。すなわち,半ば義務化している我が 子に対するサクラメントの遂行には,それに必然的に伴うフィエスタ開催のための費用 が必要となるのである。したがって,その費用の捻出が移民の目的の一つともなってい る。

招待客の数はお祝い事の内容の重要性によって増減する。招待客の数は宴会の規模に 影響するので,費用の大きさにも関係している。例えば,誕生祝はそれほど重要なお祝 い事ではないので,招待客の数は比較的少なく,私が観察している家族のそれでは 30 人 から 40 人程度で行われる。それでも,その人数から換算した数の椅子や食卓,鍋,テー ブルクロス,天幕を借り,食材の買い出し,ヤギやヒツジやブタなどの家畜の準備と前 日からの解体,料理の準備と段取り,招待客への告知などの事前準備が必要となる。招 待客の多くは午後から参加し,準備した肉の蒸し焼き料理やスープ,モーレなどといっ た料理を飲食し,しばしば夜中まで音楽に合わせた踊りの催し物も行われる。招待客が 現れるたびに,開催者は彼らを迎え,祝いの言葉と抱擁を受けるとともに贈り物を受け 取ることになる。贈り物はその場で開封することなく保管され,招待客が帰宅した後に,

誰が何を贈ったのかが確認されることとなる。40 人程度の規模の宴会の場合では 2000 ペ ソから 4000 ペソ程度の消費となり,これは例えば,その地方の警察官の半月分程度の給 料に相当する。例えば,2009 年の誕生祝では,45 人の参加者があり,約 3200 ペソを消 費した。その際の使途の内訳は,清涼飲料水 38 ペソ,パン 75 ペソ,食器 150 ペソ,豆 28 ペソ,アルミ箔 14 ペソ,メスカルという蒸留酒 20 ペソ,食卓,イス,テーブルクロ ス,鍋のリースで 240 ペソ,蒸し焼き用の葉 10 ペソ,ニンニク 15 ペソ,トルティーリャ 130 ペソ,ビール 320 ペソ,コレアンダー 10 ペソ,サヤインゲン 20 ペソ,ニンジン 30 ペソ,ジャガイモ 22 ペソ,緑トマト 10 ペソ,トウガラシ 63 ペソ,ブタ 2000 ペソであっ た12)

洗礼のようなサクラメントに伴う宴会となれば招待客の数も宴会の規模もその出費も 非常に大きくなる。私が観察したものでは,300 人程度の招待客が呼ばれ,前日,当日,

翌日の 3 日間にわたって執り行われた。一日目は 40 人程度,二日目は 300 人程度,三日 目は 50 人程度の参加者であった。この際の資金使途の内訳は,食器類 2000 ペソ,牛 9500 ペソ,パン 6000 ペソ,ソフトドリンクで 1360 ペソ,その他の食材(トマト,トウガラ

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シ,ニンジン,ニンニク,ジャガイモ,サヤインゲン,マメ,マカロニ,アボガド,香 辛料,パセリ,キャベツ,トリニク)で 2500 ペソほど,椅子,机,屋根用キャンパスあ わせて 2350 ペソほど。牛の解体,料理を肉屋に頼み,これが 2000 ペソ,ビール 1400 ペ ソ,バンドを呼んで 3500 ペソであった。これら合計で,24610 ペソ程度の出費であっ た13)

前述したように人生儀礼には立会人が伴う。立会人は一般的には教会婚を済ました一 組の夫婦が執り行うこととなり,彼らは儀礼遂行者の代父母となる。宴会は,儀礼遂行 者の家に加えて,代父母の家でも行われることになる。代父母となる家での宴会では,そ の代父母となる人物の関係者が集まり食事を行う。

まず一日目は,それぞれの宴会の準備に費やされる。主な作業としては物品の買い足 し,会場の設営,そして翌日の肉料理のための準備となり,なかでも肉料理の準備が最 も大きな仕事となる。この際に開催者の近親者が集まり,それ自体が一つのフィエスタ のような様相を呈することとなる。前述の洗礼の事例では,開催者の親族や近隣に住む コンパドレ(別の機会のサクラメントで立会人となってもらった人物)らに加えて,事 前に購入していた牛の解体のために専門家を呼び,あわせて 40 人程度が集まった。牛の 屠殺はこの日の早朝から行われ,招聘した専門家の他,数人の男性陣がその指示に従い ながら肉の解体,切り分け,洗浄に従事する。女性陣は男性陣の処理した肉片に対して,

料理の段階からこれに従事することになる。この日は基本的には準備のための日である が,ほかのフィエスタにおける当日のように集まった人々に対する鶏肉料理やこの時に 解体した肉の一部を料理したものがふるまわれる。

次に二日目は,サクラメントの儀礼が行われる一連のフィエスタの最も重要な日とな る。ほとんどの儀礼は正午に教会で行われる。儀礼の際,実父母の宴会の招待客,代父 母の宴会の招待客はそれぞれの宴会場に残り,儀礼遂行者,その実父母,代父母,およ びその追随者数人のみで教会へと向かうことになる。儀式が終わるとその一行は代父母 の宴会場を訪れ,しばらくの間,歓待を受けることになる。やがて,実父母の家から使 者が訪れ,実父母の宴会場へと代父母の宴会場の出席者全員が赴くこととなる。この時 はそれぞれが贈り物を持ち,音楽とともに行進しながら実父母の宴会場へ向かうことに なる。宴会場に着くと宴会場に待機していた音楽隊が代父母一家の到着を知らせる専用 の音楽を鳴らし,代父母一家と実父母一家の対面,贈り物の贈答に続き,爆竹を鳴らし て用意した籠の中のお菓子のばらまきを行う。入場した演奏隊は会場でも演奏を行い,夜 のダンスの音楽も担当する。調査地で催されるフィエスタにおいては,ふるまわれる食

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事やその提供の仕方にある一定のやり方があるようだ。まず,朝の食事は飲用チョコレー トとパンが基本である。フィエスタは招待客の来報を待っていることになっており,早 朝の来訪者に対してはこれがふるまわれるが,その 1 日の間のどの時間にやってきた来 訪者に対しても,その時間がたとえ夜であってもまずこれらをふるまうことになる。し たがって,時間帯によってはこれらが供されてから間髪を入れず次の食事が供されるこ ともしばしばである。その後,昼 12 時ごろと夕方の 15 時から 16 時ごろの 2 回,豪華な 食事がふるまわれる。昼食は鶏肉のスープやモーレ,卵料理等が多い。夕食は前日から 準備していた最も豪華な食事となり,ウシ,ブタ,ヤギ,ヒツジ等の肉のスープや蒸し 焼き,ニワトリやシチメンチョウのスープやモーレ等が多い。全ての食事機会にトル ティーリャが付随する。必ず食事とともに参加者の人数分の袋が配られ,食べ残しを持 ち帰れるように配慮する。これらの料理は日常的に食す機会が全くないわけではないが,

どちらかというとフィエスタの特別な食事といえるだろう。しかし,供される食事の量 は多めなので,残りを持ち帰ることは多く,フィエスタの翌日や翌々日の食事はこれに なることも多い。

そして三日目は,主には会場の片づけが行われるが,代父母一家の再訪というイベン トが行われることが多い。この事例では実父母一家の会場での片づけに 20 人程度が集ま り朝食をとった後,洗礼を受けた子供と実父母,そしてその親の数人で代父母一家の会 場へ向かい,そこで 15 時頃まで歓待を受け鶏肉のスープなどをふるまわれた。その代父 母一家の会場に集まった 30 人ほどとともに実父母一家の会場へ向かった。前日と同じく 中央で両家族の挨拶が交わされ,土産が配られ,紙ふぶきとお菓子がばら撒かれ,肉料 理(牛肉のスープ)がふるまわれた。この日はバンド演奏はなかったが,CDステレオ音 源により 21 時ごろまで前日と同じようにダンスが行われた。

以上で見たように,フィエスタに伴う宴会の費用による負担は大きい。フィエスタの 開催に多額の費用を要するようになってきたことは何人かのインフォーマントが述べて いることである。例えば,1959 年生まれのカルメラは以下のように語っている14)

「かつてはこんなに贈り物の種類はなかったと思う。クッキー,花,蝋燭など,もっ と単純なものだった。飲み物を贈ったり,その程度だった。キンセアニョス(女児 の 15 歳の誕生会)とかもなかったし,誕生祝も家族だけでやるものだったしね。洗 礼と堅信で全てだったしね。大きくなって種類も増えた。」

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同様に,1974 年生まれのルイスは,「音楽を鳴らしたり,ケーキがあったり。前は大人 だけで酒を飲んだりだったけど,子供たちも参加するようになり,若者向けになって,ピ エロを呼んだり玩具を配ったりピニャタ(クス玉)を割る遊びをしたりする」15)とフィ エスタの中の催し物が増えたことに言及している。

フィエスタ開催の出費が大きいため,義務であるはずの子へのサクラメントの資金不 足を理由とした未遂行,ないし保留や,教会婚ではなく事実婚で済ます夫婦もしばしば 観察される。教会婚をしない理由としてはフィエスタ開催の資金不足に加えて,将来の 離別の可能性を考え,教会婚の場合はそれがしにくくなるからと述べるものもいる16)

例えば,ナルドは,息子の洗礼がなされていないが,その資金のために再度の米国行 きも視野に入れていると述べ,また,フィエスタ開催の資金がないために教会婚を済ま していないと述べている17)。また,ルイスは,彼自身,教会婚を済ましていないだけで なく,本来は済ませておくべきである洗礼や堅信や初聖体拝領を,3 人の子供のうち 2 人 について課すことができずにおり,その理由として資金不足を挙げている18)

4.2 費用抑制の工夫

調査地の人々はフィエスタ開催費用の出費を抑えるためのいくつかの対応をしてい る。この点については筆者は別の論文において少し議論した(山内:2013)。1 つは,複 数の人生儀礼の日取りを 1 日にまとめて行うことにより,1 回の宴会ですますことで全体 的な費用を抑える工夫である。例えば,インフォーマントの 1 人のアヘオは本人と妻と の教会婚,息子の誕生祝と洗礼,娘の初聖体拝領の 3 つの人生儀礼を同日に行い,それ らに伴う宴会を 1 回の機会にまとめている19)。これにより,重複する招待客への歓待の 費用も 1 回分に抑えることが可能となるのである。アヘオ夫妻が事実婚状態となり娘が 生まれたのは 2002 年であるが,2010 年になるまで教会婚が保留されていたということに なる。また,ホアンナも息子と娘の堅信と初聖体拝領を一つの機会で開催したのを確認 している。宴会の機会を 1 回にまとめるのはサクラメントだけではなく,複数人の誕生 祝を 1 回のフィエスタで済ましているような事例も存在する。例えばトニオの家では,毎 年,夫婦それぞれの誕生祝を 1 回の機会に統合させているという20)

もう 1 つの工夫は,コンパドレ関係を結ぶ相手を調整することで潜在的なフィエスタ への招待客数を絞ることである。招待客数を減らすことはフィエスタの規模の抑制につ ながるのでフィエスタの出費を抑えるための工夫となるのである。その方法としてコン パドレ関係を結ぶ相手を親族にすることや,複数の実子の代父母を同じ相手に頼むこと

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がよく行われる。実子の親族に代父母を頼むことは来るはずであった代父母の親族と元 から招待される実子の親族が同一であることによって招待客の減少につながり,複数の 実子の代父母を同じ相手に頼むことは,そうしなければ実子の数に応じて膨れ上がるコ ンパドレ関係のある相手の数を抑えることとなる。

4.3 それでもフィエスタを行う

インフォーマントの中には,経済的な理由をもって基本的にはフィエスタを開催した り誰かのそれに参加することはないと宣言している人もいる。ポンチョは「たくさんの 個人的フィエスタに参加することは出費がかさむので自分が開催することも,誰かのそ れに行くことももうしなくなった」と述べている21)。彼は非カトリック教徒というわけ ではないがフィエスタの開催に積極的ではなく,フィエスタの経済的支出負担を重くみ て開催しないというのである。さらに,訪問すべきフィエスタの優先度とそれに訪問す ることに対する義務感が表明されている。自らフィエスタを開催をすることはないが兄 弟姉妹の誕生祝には出席するというのである。フィエスタは開催しないと宣言してはい るが,彼の息子は洗礼や堅信などのサクラメントを済ましている。この点で,非カトリッ ク教徒になることでそういったフィエスタに関連する出費から逃れている人々とは少し 異なっている。息子が洗礼や堅信を経ているということは,彼はコンパドレを持ってい るということになるが,彼が参加すべきフィエスタの開催者として兄弟姉妹と母親のみ を挙げており,そのコンパドレとの関係はあまり親密ではないのかもしれない。とはい え,その息子がもし教会婚をするとなれば,その代父母を招待するだろうとは予想され る。一方で,フィエスタへの消極的態度を表明しつつ姉や兄や母が開催する誕生祝では 出席するということは,その 3 人は彼にとっての非常に重要な相手であることを示して いる。開催するフィエスタに誰を招待し,誰のフィエスタに参加するのかということが その人の持つ人間関係の反映となるのであり,フィエスタの客数は参加者の参加するか どうかという決定に最終的には依存している。

一方,本来は出席し,儀礼に参加しなくてはならない親が移民しているということに よって不在のままでフィエスタが遂行されることもよくある。例えば,チャタやルベン は彼らが米国への移民によって不在の時に,その際の送金を使って自身の子供たちに洗 礼や堅信や初聖体拝領を済ましている。この時には,チャタの場合は夫とも離別してい たため自身の母親,洗礼を受ける息子にとっての祖母が両親に代わって代父母とともに 立ち会っており22),ルベンの場合は彼が不在のまま,妻が一人で代父母とともに二人の

(22)

子供の堅信と初聖体拝領に立ち会っている23)。調査地の人々に対して直接的に,なぜフィ エスタを開催するのかと問うと,ほとんどの人はサクラメントを経ねばならない理由と してそれを説明する。サクラメントを済ますこととフィエスタをするということは人々 のイメージの中でかたく結びついており,フィエスタ開催の当然視とはサクラメントに 対する義務感と結びついている。そしてフィエスタ開催には費用がかさむがゆえにその 資金充当が移民の目的ともなり,フィエスタをしなければならないということとその資 金のために移民する必要があるということが重なって実子のサクラメントへの不在状況 が現出してしまうのである。

調査地に住む人々の大半をカトリック教徒が占めているが,サクラメントに対する義 務感によって,洗礼を経ていない人間という存在はなかなか想像しがたいものであるよ うだ。ある女性は私が洗礼を経ていないことに驚き,そのような人物は人間ではなく悪 魔なのではないかと考え,また別の女性は死後の救済のリストに載るためには洗礼をす ることが必要なので,ぜひとも洗礼をするべきであると勧められた。この時には筆者は はぐらかして断ることはできたが,調査中に迎えた筆者の誕生日の祝い,インフォーマ ントの 1 人の娘の学校の卒業式に立ち会うことによって彼女の代父となること,の 2 つ については断りきることができず,筆者自身がフィエスタの開催者となった。正直に言 うと,当初,筆者はこれらすべてに積極的ではなく,断りたいと考えていたが,それで も何故これらに関わらなければならないと考えたのかというと,筆者が調査者としてそ のような体験をすることが必要だと考えたというよりも,周囲の人間や相手の気持ち,自 分が関係している人々による当然視や期待に応えたいというものであった。実際,誕生 祝を開催した時には,次々とやってくる訪問客を迎え,抱擁をし,祝いの言葉と贈り物 を受け取るたびに,自分がこの地で紡いできた関係性というものを確認できた。

5 おわりに

フィエスタの研究に関してカルゴシステムに関する研究とコンパドラスゴの研究の 2 つの潮流が存在するのは共同体的行事としてのフィエスタと個人の人生儀礼としての フィエスタの弁別しての視点であった。しかし,カルゴシステムについての研究では共 同体的な行事を開催する動機として,社会的,政治的な機能や役職獲得の競争としての 説明が強く,コンパドラスゴ研究では,サクラメントに付随して結ばれる関係であると ころのコンパドラスゴの関係の利用や機能に注目してきた。それらのみではフィエスタ

(23)

開催へ向かう人々の動機としての説明は不十分であると思われるが,吉田の指摘してい る聖人への帰依という動機というのはそれなりに納得がいく。さらに,共同体の祭りだ けでなく個人の人生儀礼も自身の守護聖人への帰依という同様の動機でとらえることも 可能となるだろう。調査地では個人主義の更なる浸透によってなのか,共同体的な行事 の開催よりも人生儀礼の開催がより重視されてきているように思われ,その重要性の高 まりがフィエスタの規模を巨大化させ,その資金が移民へと向かわせる 1 つの理由となっ ている。

この人生儀礼を中心とする個人のためのフィエスタへ向かう動機付けについては吉田 の言うような宗教的動機付けに加えて,人々同士が向ける期待や当然視の目線や,何を 遂行すべきであり,誰のフィエスタに関わり,誰を招待すべきかというある種の人間関 係のしがらみによっても構築されている。とはいえ,それらに完全に縛られているわけ ではなく,宗教的な理由や経済的な理由を名目として,フィエスタを通じたかかわりが 過度に広がりきらないような制限する様々な工夫によって対応する一方,フィエスタと ともに生きるこの地の生活をある種の楽しみとして生き,それが故郷を離れた地で生き る際に望郷の念を募らせるものともなるのである。

1 ) http://www3.inegi.org.mx/sistemas/mexicocifras/

2 )2018 年現在では 1 ペソは 5.8 円程度。

3 )チェラに対して,2018 年 3 月 4 日に聞き取り。

4 )チャタに対して,2014 年 8 月 26 日に聞き取り。

5 )ナルドに対して,2011 年 4 月 8 日に聞き取り。

6 )ルベンに対して,2011 年 4 月 10 日に聞き取り。

7 )チャタに対して,2016 年 8 月 26 日に聞き取り。

8 )オティに対して,2014 年 8 月 27 日に聞き取り。

9 )フラビオに対して,2011 年 4 月 4 日に聞き取り。

10)ビセンタに対して,2011 年 4 月 4 日に聞き取り。

11)コンパドラスゴが調査地においてどのような相手とどのように取り結ばれるかについて は,別の論文において議論した(山内:2013)。

12)2009 年 7 月 2 日に参与観察した。

13)トニオに対して,2006 年 4 月 5 日に聞き取り。

14)カルメラに対して,2010 年 12 月 24 日に聞き取り。

15)ルイスに対して,2010 年 12 月 23 日に聞き取り。

16)チャタ,チェラ,ルイスに対して,それぞれ 2018 年 3 月 3 日,4 日,6 日に聞き取り。

(24)

17)ナルドに対して,2014 年 9 月 2 日に聞き取り。

18)ルイスに対して,2010 年の 8 月 18 日に聞き取り。

19)アヘオに対して,2010 年 8 月 25 日に聞き取り。

20)トニオに対して,2010 年 12 月 25 日に聞き取り。

21)ポンチョに対して,2010 年 12 月 23 日に聞き取り。

22)2011 年 3 月 27 日に参与観察した。

23)2006 年の 5 月 6 日と 5 月 13 日に参与観察した。

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