博士学位論文要約
論文題目: 言論民主化運動から『ハンギョレ新聞』へ
―韓国ジャーナリズムの変動過程に関する一考察―
氏名: 森類臣
本稿は、大韓民国(以下、韓国)における民主化とジャーナリズムの関係について考察 するものである。韓国現代史において民主化運動の大きな結実体の一つとして語られる『ハ ンギョレ新聞』(1988 年 5 月 15 日創刊)に着目し、その背景と創刊過程および理念や報道 活動を中心に分析することを通して、言論民主化運動から『ハンギョレ新聞』に至るダイ ナミズムを解明することを目的とする。
第 1 章では、言論民主化運動について、宋建鎬が提示した理論を援用して言論民主化の 概念整理し、これを基本として李承晩政権期から 1987 年の 6・29 民主化宣言までのジャー ナリズム状況について時期別に辿った。
李承晩政権期は、言論政策 7 項目・国家保安法改定・地方自治法改定案などを通して、
ジャーナリズムは法的に権力監視報道が難しい状況に置かれたが、ジャーナリズムは一斉 に反発し全面的な政権批判を展開した。この動きは、李承晩政権退陣を求める民衆の動き と一体となり、4 月革命が達成されるに至った。
ところが、軍事クーデターによって成立した朴正煕政権は、国家に言論を従属させる言 論政策を基本にし、軍を背景にした徹底弾圧と懐柔の両面から言論を絡め取るプロセスを 進捗させた。政権と言論が癒着・一体化する構造が進む「権言癒着」時代の始まりであっ た。記者らは抵抗して「自由言論実践宣言」など現場レベルで言論内部から民主化運動を 開始したが、経営者はこのような記者を言論界の外に放逐するという行為に走った(75 年 解職事件)。放逐された記者らは、東亜闘委・朝鮮闘委などを結成し、原状回復と名誉回復、
言論界の正常化を求めた。
続く全斗煥政権は言論統制・言論弾圧をさらに苛烈に行った。光州事件に対して報道管 制をしき厳しく統制したが、真相を究明する動きは民衆レベルで起こっており、この経験 は言論民主化運動に合流していくことになった。全政権はメディアの強制的な統廃合を強 行し、同時にメディアが政権に批判的な記者を大量解雇するよう仕向けた。これら一連の 弾圧を「80 年言論大虐殺」という。解職言論人たちは「80 年解職言論人協議会」を結成し、
名誉回復、言論界の正常化を求めて言論民主化運動を展開した。その後、東亜闘委・朝鮮 闘委の一部と 80 年解職言論人協議会などが合流して民主言論運動協議会が結成された。こ の会は、言論民主化運動の広範囲にわたる勢力を結集した運動団体であり、機関紙『マル』
を発行して、全斗煥政権に対抗していくことになった。『マル』のもう一つの重要な役割は、
新たな言論機関設立に向けた基礎メディアとなることであった。創刊号には新たな言論機
関の青写真が展開された。実際に、民主言論運動協議会の主要メンバーはのちに『ハンギ ョレ新聞』創刊に参画することになる。
第 2 章では、創刊運動のプロセスおよび国民株方式を検討した。『ハンギョレ新聞』創刊 の推進体は、言論民主化を推進してきた解職記者たちであり、準備は比較的短期間だった。
新・新聞創刊の目的と方向性を明確にし、各界の民主化勢力の協力を得ながら解職記者を 中心とした人的資源を集中投下した。民衆は、権言癒着の状況に失望と反感を募らせてお り、代案言論を新たに創出することによって既存マスメディアに対抗し、代案言論の力で 言論民主化を成し遂げるという方向性に傾きつつあった。この社会状況が創刊計画の大き な力となった。「国民株方式」の構想は、歴史的・社会的条件のもとで構成された必然的な 流れであった。安鍾柲の構想、『マル』における新たな新聞構想、鄭泰基ら『ハンギョレ新 聞』創刊メンバーの構想など、時期を追って構想がより具体化された。この構想が実行に 移されるきっかけは「6・29 民主化宣言」だったが、構想の現実化そのものを支えたのは幅 広い民衆の支持であった。すなわち、国民株方式が成立する背景には、韓国における言論 民主化運動の歴史があり、運動に対する民衆(民主化運動勢力)の積極的な理解がそれを 支えていたのである。
第 3 章では、『ハンギョレ新聞』の志向するジャーナリズムについて、理念・編集方針・
倫理綱領体系から検討した。第一に、創刊理念は、民主言論・民衆言論・民族言論と要約 できる。まず、民主言論とは権力から自由で独立したジャーナリズムであり、真実追求、
権力監視報道、客観報道などの概念を含む。「歴史は前進し発展するもの」という観点から、
構成的事実を伝えることを報道の使命とする。民衆言論の指す「民衆」とは、被支配層一 般を指す、支配層に対して抵抗的な意味をもつ概念である。ゆえに、民衆言論とは、被抑 圧者・奪われた者・社会的弱者としての「民衆」の側に立つ言論であった。民族言論には
「朝鮮半島の統一を志向するジャーナリズム」と「抵抗のジャーナリズム」という二つの 意味がある。朝鮮半島における統一された民族国家樹立を志向しながら、朝鮮民族の自主 性を守るためのジャーナリズムと説明できる。
第二に編集方針について検討した。編集方針は、理念をより具体化したものであり、「正 論紙」などの概念でくくることができる。概念に広がりが出て、①朝鮮半島の南北緊張緩 和②社会透明化③腐敗構造の清算④社会共同体の構成⑤東北アジア市民連帯の強化⑥貧富 の差の解消になっている。一方で、一部記者の間には編集方針や論調に対する疑問が存在 することも確認された。このようなディレンマについて『ハンギョレ新聞』は社内・社外 の「公共圏」を通した解決を図っている。
第三に、倫理綱領体系について検討した。「言論人の品位」「倫理綱領実践要綱」「金品」
「取材費用と旅行」などが重要項目として挙げられる。これは、韓国言論界において画期 的でありかつ“ハンギョレらしさ”を表す項目であり、非常に詳細に規定されており、『ハ ンギョレ新聞』記者の倫理観維持の基礎になっている。
第 4 章では、『ハンギョレ新聞』が推進した言論民主化運動を論じた。
第一に、記者クラブと『ハンギョレ新聞』の関係性をケーススタディーとして扱った。
記者クラブは、植民地期に日本から韓国に移植されたシステムで、この記者クラブが権力 と癒着せざるを得ない構造を持っていた。『ハンギョレ新聞』は、1991 年 11 月の報道を通 して、このような記者クラブの構造的欠陥・権力と癒着した犯罪的行為を暴露し、記者と 権力との関係性に改善を促した。また、青瓦台記者クラブから締め出されていた『ハンギ ョレ新聞』は、記者クラブの閉鎖性を暴露しつつ、取材源への接近を権利として勝ち取る ために闘争した。『ハンギョレ新聞』は、権力とマスメディアの不健全な敢行を改善し、記 者クラブ内の改革に尽力したものの、そもそも非民主的なシステムである記者クラブの論 理を否定し、記者クラブそのものを解体するには至らなかった。これは『ハンギョレ新聞』
の限界性を指していた。
第二に、『ハンギョレ新聞』と新聞広告の問題を検討した。事例研究として 2007 年 11 月 から始まった三星広告問題を取り扱った。『ハンギョレ新聞』は三星を告発する記事を掲載 したが、その報復として三星から広告収入を得られず、経営が圧迫された。これに対して、
『ハンギョレ新聞』は妥協せずに三星との徹底抗戦を選択した。『ハンギョレ新聞』のこの 選択には創刊精神が受け継がれていると見ることができる。しかし、広告に依存しすぎる 構造を変え、経済権力による編集への圧力を克服するための経営努力を続けなければ本質 的な解決策にならないことも分かった。
第 5 章では、金大中政権期以降の『ハンギョレ新聞』の動向について検討した。
第一に、市民参加型ジャーナリズム論の視点から、『ハンギョレ新聞』が始めたハニレポ ーターを中心に扱った。ハニレポーターは、『オーマイニュース』などと同質のジャーナリ ズムを志向し、その精神は、『ハンギョレ新聞』が創刊時から志向してきた市民参画ジャー ナリズムの延長線上にあるものであった。市民の代弁紙を自認した『ハンギョレ新聞』に とっては、市民が紙面に様々な形で参与していくことを保障することは、メディアアクセ ス権の一形態としても当然の結論であった。
第二に、盧武鉉政権の言論政策を検討した上で、それに対する『ハンギョレ新聞』の反 応を見ることで、政権とジャーナリズムの距離について考察した。その結果、『ハンギョレ 新聞』の記者らは、盧武鉉政権による記者クラブ解体については肯定的に評価しているこ とが分かった。
第三に、事例研究として 2008 年のキャンドルデモ報道を取り上げた。キャンドルデモを どのように報道をしてきたのかを検証することを通して、『ハンギョレ新聞』の近年の動向 を検証した。その結果、『ハンギョレ新聞』はデモ参加者の側に立って報道し、政治権力に 批判的なスタンスを貫いたために民衆の支持をある程度得られたものの、デモを扇動した 点があることが分かった。また、問題の構造解明や相反する事実を適切に俎上に載せて論 評する報道姿勢も不足していたことが確認できた。
第 1 章から第 5 章をまとめた結論として、①言論民主化運動から『ハンギョレ新聞』創 刊には強い因果関係が見られたこと②『ハンギョレ新聞』の持つ正統性は言論民主化運動
の正統性とほぼ同義であり、それは 6・29 民主化宣言後に肯定されたことを以て簡単には 否定できないものとなったこと③『ハンギョレ新聞』は運動体から言論媒体(マスメディ ア)へとそのアイデンティティの段階を移行し、それに伴って求められる役割にも変化が みられること④メディアとしての『ハンギョレ新聞』を考察した場合、既存メディアの枠 を超える独自のモデルが規定できること⑤代案言論から主流言論になるにしたがって、ジ ャーナリズムとして求められる役割が変容してきたこと、の 5 点に集約できる。