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中国・国家図書館所蔵「崇徳三年軍律」の文献学的再検討

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論 文

中国・国家図書館所蔵「崇徳三年軍律」の文献学的再検討

八旗の法から清朝蒙古例への編入過程

萩 原   守

(神戸大学)

The Philological Reexamination of “Military Law in the Third Year (1638) of Chong De 崇徳” Held in the National Library of China

Th e Process of Transference from Eight Banners’s Law into Mongolian Law of the Ch’ing Dynasty

Hagihara, Mamoru

Kobe University

Mongolian nomads have played an important role as one of the major ethnic groups that supported the military power of the Qing 清 Dynasty, China. So the legal treatment of Mongolians has great importance not only in Mongolian history, but also in the early history of the dynasty. But the research of law for Mongolians established by the Qing government is insuffi cient regarding the early period of this dynasty.

In this paper I expanded my former research in 1995 and compared the

“Military Law in the ird Year (1638) of Chong De 崇徳” or Eight Banners’s law held in the National Library of China with three types of Mongolian law established in the Kanxi 康煕 and Qianlong 乾隆 periods. I also examined the process of inserting the military law of 1638 into Mongolian law.

My results clarifi ed that this military law was transferred from the Eight Banners’s law to Mongolian law for the fi rst time in 1696 and continued until the end of the dynasty. e Eight Banners’s law is recognized as one of the sources of Mongolian law from this example. However, it appears there are few articles that transferred from the Eight Banners’s law into the Mongolian law, judging from the fact that this military law was transferred in 1696; in other words, 52 years a er the occupation of mainland China. Now we must analyze all the articles of Mongolian law in the early period of the Qing Dynasty and clarify their origin as far as possible to solve this problem.

Keywords: Military Law in the Third Year (1638) of Chong De, Mongolian Law, Eight Banners, Legal History of Mongolia, Early History of the Qing Dynasty

キーワード : 崇徳三年軍律,蒙古例,八旗,モンゴル法制史,清朝初期史

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はじめに

モンゴル遊牧民は,清王朝の前身である後金国1)の時代から王朝の軍事力の一翼を担う主要 民族として,大きな役割を果たしてきた。したがってモンゴル人に対する清朝の法的処遇の問 題は,モンゴル史のみならず,清朝初期史の面からも決して無視できない重要性を有している。

しかしながら,清朝によるモンゴル人専用法たる蒙古例2)の研究は,入関前から雍正年間に至 る清朝初期の研究が大きく不足している。そこで本稿では,かつて発表した拙稿萩原 1995を さらに発展させ,その後発見された新出史料を含めて北京,ウランバートル,台北等に所蔵さ れている法制史料をより詳しく比較検討することにより,清朝前半期の蒙古例に対する総合的 研究への糸口を探ってみたいと思う。

一,従来の研究と問題の所在

a. 先行研究と新出史料

筆者は清代モンゴルの法制史研究の課題として,かねてより以下の三点を意識してきた。清 代モンゴルにおける具体的な裁判制度の解明,裁判文書を含む満蒙漢文公文書の書式研究,そ して,モンゴル人専用法たる蒙古例法典の研究である。この内,前二者に関してはさしあたっ ての研究成果(拙稿萩原 2006)を提出することができたので,次の段階の課題として,清朝 前半期における蒙古例の研究が浮上してくる。清朝の蒙古例は,永年にわたる島田正郎氏の詳 しい研究(島田 1982,同 1986,同 1992)によって,初めてその全貌が明らかになったわけ であるが,氏の研究は,その大部分が乾隆年間の『蒙古律例』と嘉慶年間以降の『理藩院則例』

に関する研究であった(しかも両法典ともに漢文版のみが利用されてきた)。したがって,『蒙 はじめに

一,従来の研究と問題の所在 a. 先行研究と新出史料

b. 国家図書館所蔵「崇徳三年軍律」につ

いて 二,漢文版の調査

三, 「崇徳三年軍律」の規定内容はいつ頃蒙

古例に入ったのか

a. 康煕6年法典中での対応する条文

b. 康煕35年頃の法典と乾隆54年版『蒙

古律例』における対応条文

c. 『崇徳三年軍律』が蒙古例中に入った際

の変更点 おわりに

1) 本稿では便宜上,崇徳元(1636)年の国号改訂以前の時代をも含めて清朝と呼ぶことにする。

2) 蒙古例とは,清朝政府が必要に応じてモンゴル人向けに満漢蒙の3言語によって順次制定していっ た諸条文の総称であるが,しばしば一冊の法典として集成・出版された。そのうち『蒙古律例』は 乾隆年間に何度か出版された集成法典の名称であり,『理藩院則例』は嘉慶年間以降に何度も出版 された集成法典の名称である。島田 1982: 117-174参照。また清王朝は,建前上藩部地域の主要な 民族集団ごとに別々の法を用意しようとした形跡が見られる。たとえば,「蒙古例」,『回疆則例』,「西 蔵通制」などである。もちろん後二者は刑法としての内容を含有しない簡略な行政法であるに過ぎ ないため,厳密な法的効力を伴わない単なる建前上の法であった可能性も強い。しかし少なくとも 蒙古例に関しては,清末まで刑法としての強い法的効力を有していたことが確認できている。拙稿 萩原 2006: 23-32, 52-90参照。

(3)

古律例』成立以前の蒙古例の姿や蒙古例の起源・淵源の問題は,その後もなお未解明の課題と して残されている(萩原 2006: 37-39参照)。

この問題に関して,筆者は既に簡略な研究を二点発表したことがあり(拙稿萩原 1993,同

1995),その内の萩原 1995は,旧北京図書館(現国家図書館)に所蔵されている「崇徳三(1638)

年軍律」と呼ばれるモンゴル文木版印刷の法規(八旗兵を対象とした軍規。以下,国家図書館 の頭文字を取って,K本と呼ぶ)が,後に蒙古例集成法典の中に一つの条文として入ったこ とを手がかりにして,蒙古例の起源・淵源を探ろうとする研究であった。その後この法規に関 しては,松浦 2008も,清初期における法の姿を復元する一環として研究している。

一方現在の所,この八旗兵のための法である「崇徳三(1638)年軍律」以外に,乾隆年間 の『蒙古律例』よりも古い蒙古例集成法典,すなわち島田正郎氏の研究が及んでいない法典と して,以下の二点が存在する。一点は清朝実録の記事から島田氏自身が崇徳8(1643)年の蒙 古例法典(現存せず)とともに存在を予測(島田 1982: 124-130)していた康煕6(1667)年 の蒙古例法典である。この法典はその後,1992年7月に北京の中国第一歴史檔案館において 同檔案館職員であるモンゴル人の李保文氏によって実際に発見され,李 2002の中国語訳によっ て初めてその実在が紹介された。これもモンゴル文木版印刷による法典である。筆者も2002 年8月12-14日に李保文氏の協力を得て実見することができた。2005年には『清内閣蒙古堂檔』

(dumdadu ulus-un teüke-yin nigedüger arkib, öbür mongγul-un yeke surγaγuli-yin mongγul

sudulul-un degedü surγaγuli 2005)第22巻,pp. 263-360に影印版で収録,出版されている。

さらにその後,李 2006によって,中国語訳の再録とともに独自の手法によるローマ字転写,

モンゴル文字による翻刻テキストも出されている。

もう一点は,1920年代頃にブリヤート人研究者ツェウェーン・ジャムツァラーノ氏によっ て外モンゴルで発見され,現在ウランバートルのモンゴル国立図書館に所蔵されている康煕 35(1696)年頃出版のモンゴル文木版印刷による蒙古例法典である。出版年次は明記されてお らず,康煕35(1696)年頃とのみ分かっている。こちらは,もともとリャザノフスキー氏が 発見者ジャムツァラーノ氏からの伝聞に基づいて『蒙古法の基本原理』の中で言及した3)ため に有名になったが,その後の所在は永らく不明であった。ところが,1982年に二木博史氏(東 京外国語大学)によってモンゴル国立図書館にて再発見されると(二木 1983,同 1987参照), Дылыков 1998によるロシア語訳,Heuschert 1998によるドイツ語訳,李 2004と達力扎布 2004による別々の中国語訳が相次いで発表されている。筆者も1992年8月18日に実見,撮 影することができた4)。二木氏を除く上記4氏の研究の中では康煕6年の法典と比較対照させ た達力扎布 2004のみが,法典条文の内容に入り込んだ研究であるが,島田氏の詳細な研究手 法に比すればまだまだ充分な研究とはいえず,達力扎布氏もより本格的な研究書を出版準備中 であると聞く。

筆者も,上記のような法規・法典類を総合的に研究して蒙古例の初期の姿を探ろうという意 図を持ち,その手始めのつもりで萩原 1995を発表したのであるが,上述のように学界の進歩 は著しく,新発見の史料も登場した現在では,「崇徳三年軍律」自体を先に再検討しておく必 3) Riasanovsky 1965(初出は1937年):63(n.73).和訳版ではリャザノフスキー 1975(初出は1943

年):70-71, 98(n.73)

4) この年は社会主義崩壊直後の混乱期で,運良くこの時だけ複写許可をとれたのであるが,ゼロック スコピー機は故障,写真で撮影するにもフィルムが不足という状況で,やむなくビデオ撮影させて いただいた。

(4)

要が出てきた。さらに,清朝蒙古例の起源に関連する研究として,島田1986: 383-712に続いて,

その後,岡2007:26-43,楠木2009: 113-144といった優れた研究が登場し,いよいよ入関前に おける蒙古例の研究環境も整いつつある。特に楠木2009: 114-138は,天聡2-8(1628-1634)

年に太宗ホンタイジがホルチン,ハラチン,トゥメトらのモンゴル諸部に対してマンジュ国軍 と同一の軍規を守らせようという強い意図を持っていたことを丹念に証明した。したがって次 の段階としては,八旗の法と蒙古例とがいかなる関係にあったのか,同じ法を共有していたこ とが本当に法典の条文レベルで証明できるのか,ということを確認する作業が必要になるであ ろう。そこで本稿では,清朝前半期における蒙古例の全体像を探る今後の計画の最初の糸口と して,上記の作業にもかかわる本「軍律」の蒙古例への編入過程をより深く追究して見たい。

前稿で既に述べたことについては極力繰り返しを避け要約する形で進めたいので,萩原 1995 をも参照していただけると幸いである。

b. 国家図書館所蔵「崇徳三年軍律」について

まず前稿,萩原 1995で述べた内容をここで短くまとめておこう。この文献は北京の国家図 書館に所蔵されており,古くは蒙文史料目録である八省区蒙古語文工作協作小組弁公室 1979:

165でも0553番「(満蒙合璧)八旗律」(実際には蒙文のみ現存)として登録されていたが,

広く知られるようになったのは,同図書館のモンゴル文文献担当者である申暁亭氏が申 1985 によって紹介してからである。また,窪田 1986: 26, 28でも言及されている。筆者が実際に閲 覧できたのは,1992年8月25-26日であった。

次に内容であるが,本文献で述べられている法規は,崇徳三(1638)年八月二二日に,対 明遠征に先立って太宗ホンタイジが八旗の軍人たちを対象にして述べた軍事上の訓示,すな わち「軍律」である。「崇徳三年軍律」という名は図書館側が付した仮名であって,表紙と冒 頭部分が欠損しているため,本来の名称は不明。モンゴル文木版印刷であるが,最後の日付

「二十二日に」の部分のみ手書き(後述の資料目録に掲載されている写真を参照)。冊子本で,

冒頭部分に紙葉の欠損が,また冊子全体の右下部分に若干の破損がある(これも同じ写真を参 照)。残存部分は,計19ページであり,筆者はそれを仮に1葉表から10葉表と名付けている。

大きさは,上下22センチメートル,幅17センチメートル(閉じた状態で)。

八旗の兵が満漢蒙の三民族からなっていたことを考えると,この軍律の満文版や漢文版の存 在も当然予期できるが,満文版の存在は現在の所知られていない。一方,漢文版は台北に存在 していて,『明清史料』(中央研究院歴史語言研究所 1972)の丙編第一本59葉表裏に,「崇徳 三年諭王貝勒貝子(原係印本)」と題する漢文文書として活字組にて収録されている。その内 容は国家図書館所蔵の蒙文版や太宗実録,内国史院満文檔案5)の対応記事とよく一致しており,

蒙文版と同時に出版された漢文版の方であると判断できるが,活字で組み直されているため原 文の状況は不明であった。以上が萩原 1995の要約である。

そ の 後, 新 た に 出 た 蒙 文 資 料 目 録 で あ る《dumdadu ulus-un erdem-ün mongγul nom bičig-ün yerünkei γarčiγ》-un nayiraγulqu j.

ˇöblel 1999,degedü(『中国蒙古文古籍総目,上巻』)

の巻頭口絵3ページ目の最下段部分に,本文献の最後の部分である9葉裏と10葉表の明瞭な カラー写真一枚が掲載された。本文献の持つ希少性の故に選定されたのであろう。そして,同 5) 萩原 1995: 56-57に,順治初纂本『清太宗実録』の対応記事を掲載している。『清実録』(蒙文版)

で言うと,対応する記事は第三冊目のpp. 295-297にある。また,後述するように,『内国史院満 文檔案』の対応する満洲文テキスト(河内 2010: 570-573)を本稿末尾で提示している。

(5)

書p. 1101でも06311番として,短い解説が掲載された。この写真を見れば,一部とはいえ,

本文献のほぼ正確なイメージがつかめるであろう。

二,漢文版の調査

筆者はその後,台湾でも史料調査をする機会を得,2007年3月15日に台北の中央研究院,

歴史語言研究所,明清檔案室にて,この漢文版原本(以下,中央研究院の頭文字を取って,C 本と呼ぶ)をも閲覧複写することができた6)

漢文版C本の登録番号は「123158-001」,題名は「皇帝諭諸親王郡王貝勒貝子上陣事」と登 録されている。ただし,この名称も研究院側が付した名称であって,原史料にはやはり題名が ない。漢文の木版印刷による冊子本であって,閉じた状態での寸法は,縦25.7センチメート ル,横17.5センチメートル。蒙文版よりはやや大きい。右端がこよりで二カ所綴じられている。

白く薄い紙で,印字の色は黒。印刷は実に鮮明で,破れも欠けもない完本である。おもて表紙 を除いて全8葉。おもて表紙は何も記されておらず,真っ白な表紙の下の方に,研究院の小さ な所蔵印と登録番号とがあるのみ。本文は8葉表の4行目で終了していて,8葉裏には,中央 に一行「崇徳三年 月」とのみ記されている。本文は木版印刷特有の鋭利な書体であるが,こ の年月表記,特に「徳」の字はやや手書き風にゆがんでいる。あるいは木版印刷の後,誰かが 上から手書きでなぞったのかもしれない。各葉表裏ともに7行ずつで,擡頭分を除けば一行に 10文字が印刷されている。

この原本と比較すると,『明清史料』所収の活字版は,葉数,行数や擡頭の表示が全くなく,

一部の文字は同意の別字に入れ替えられている。やはり原本を見る価値はあるといえよう。本 校末尾の「崇徳三年軍律」テキストの各3行目に,この漢文版テキストC本の原文を掲示し ておく。

また満文版「崇徳三年軍律」はなお未発見であるが,実録に比して満文原本により近い記述 を含むと思われる『内国史院満文檔案』の訳註が河内良弘氏によって最近出版されたため,本 稿末尾のテキスト各4,5行目にその満文ローマ字転写(河内 2010: 570-573による)と筆者 自身による日本語訳とを提示している(以後,この条文を内国史院の頭文字を取って,N条 と呼ぶ)。K本,N条ともに,もともとの意味が不明瞭なために誤訳の見られた部分を,今回,

K本,C本,N条と三種類そろったことによって,何カ所か訂正することができた。

三,「崇徳三年軍律」の規定内容はいつ頃蒙古例に入ったのか

a. 康煕6年法典中での対応する条文

拙稿萩原 1995では,本来八旗兵のみを対象としていたはずのこの「崇徳三年軍律」の条文が,

少し形を変えた上でその後の乾隆期の『蒙古律例』や嘉慶期以降の『理藩院則例』,さらには 清末の『理藩部則例』にまで収録され,蒙古例の一つとして結果的に20世紀初頭まで法的効 力を有していた可能性を指摘した。

ここではその前段階として,この軍律が蒙古例条文に入ったおおよその時期や経緯,入った

6) この調査に際しては,白石典之氏(新潟大学),加藤雄三氏(京都大学人文科学研究所),市野美夏 氏(お茶の水女子大学),野田仁氏(東京大学)にお世話になった。ここに謝意を表したい。

(6)

際の条文自体の変化等について,より詳しく検討してみたい。前述のように,崇徳年間以降,

雍正年間以前の時期の現存する蒙古例集成法典としては,新発見の康煕6年の法典と康煕35 年頃の法典の二種が知られている。そこで,まず康煕6年の法典を調べてみると,やや類似す る条文として,24葉裏(『清内閣蒙古堂檔』第22巻,p. 311)の2行目から6行目までの部 分に第65番目の条文として,以下の短い規定が見つかる(以下,発見者李保文氏の頭文字を 取って,この法典をL本,この条文をL条と呼ぶ)7)

24b 2----○ vang, noyad, qosiγun-u tayij.

ˇi, güng-üd,

王, ノヨンたち,旗 の台吉,公 たち,

3 tayijˇi-nar dayisun-ača buruγulabasu,, ulus-i inu bügüde abumu,, qaraču.

台吉たちが敵 から逃げれば,その 民を 皆 取り上げる。平 4 kümün bolbasu bey-e-yi inu čabčijˇu alaγad, ger mal kiged, em-e keüked-i. 民 ならばその身 を 斬り 殺して,その天幕,家畜と 妻 子 を 5 inu keyiskemü,, tayijˇi-nar ba, qaraču kümün, ken urid qosiγuraj. .

ˇu dayisun-i 没収する。 台吉たちや 平 民の 誰かが先に 率先して 敵 を 6 darubasu šangnamu,,

鎮圧すれば,賞する。

康煕6年のL本では,「崇徳三年軍律」の主な内容に相当するような条文はこれ以外に存在 しない。この条文は,「崇徳三年軍律」で言うと,最も最初の,欠損部分から1葉表にかけて の規定にやや似ている(本稿末尾のテキストを参照)。しかしながら,このたった5行の条文 ではあまりにも簡略であるから,康煕6年の段階では,八旗兵を対象とした「崇徳三年軍律」

の法規が蒙古例集成法典の中に入っているとはとても言えないであろう。

この点で萩原1995での検討はやはりなお大きな限界を持っていたことがわかる。また,前 述した,八旗の法と蒙古例とが同じ法を共有していたのかどうかという点に関して言うと,楠

木氏自身(2009: 124)が「少なくともその一部」と述べている通り,マンジュ国軍の軍規(八

旗に対する軍規)が最初から全て蒙古例に入っていたわけではないことは,ここからも明白と なる。

b. 康煕35年頃の法典と乾隆54年版『蒙古律例』における対応条文

これに対して,康煕35年頃の法典では,24葉表から29葉裏にかけての部分に第63番目の 条文として,かなり長い規定が収録されていて(以下,発見者ジャムツァラーノ氏の頭文字を 取ってこの法典をJ本,この条文をJ条と呼ぶ)8),その規定内容から叙述の順番に至るまで,「崇 7) 李 2002: 7に中国語訳がある。また李 2006: 498に中国語訳の再録が,李 2006: 509に独自の手法 によるローマ字転写が,李 2006: 522にモンゴル文字の活字テキストが収録されている。なお,モ ンゴル文字テキストでは,各葉数がその終了場所に表示されている。

8) この条文は,Дылыков 1998: 25-26にローマ字転写が,同68-70にロシア語訳が,同170-180に手 書きのモンゴル文字テキストが収録されている。一方,Heuschert 1998によるドイツ語訳本では,

この条文は転写文もドイツ語訳も収録されていない。達力扎布 2004では,p. 109の表で康煕6年 の法典の第65条と康煕35年頃の法典のこの第63条とが対応関係にあることが示され,pp. 129- 131に中国語訳が,pp. 173-176にローマ字転写が掲載されている。李 2004では,pp. 259-260に 中国語訳が,pp. 281-282にモンゴル文が翻刻の上,収録されている。しかしながら,達力扎布

2004: 99が一言だけ指摘している点を除けば,以上いずれの研究でも「崇徳三年軍律」との関 ↗

(7)

徳三年軍律」とかなりよく対応している。

また,萩原 1995では最も代表的な『蒙古律例』である乾隆54年版『蒙古律例』中の条文 と比較する際に漢文版『蒙古律例』を利用したが,その後,モンゴル国のバヤルサイハン氏に よって,モンゴル国立中央文書館所蔵の木版印刷による乾隆54年版モンゴル文『蒙古律例』

がБаярсайхан 2004として影印出版された。この本は木版印刷本の影印本であり信頼性が高い

ので,本稿ではこれを利用してモンゴル語版同士で比較することとする。Баярсайхан 2004の 版を見ると,第4巻の9葉表から15葉表にかけて,この法規に対応する条文が収録されてい る(以下,『蒙古律例』の頭文字を取って,この法典をM本,この条文をM条と呼ぶ)9)

さて,そこで「崇徳三年軍律」モンゴル語版K本の転写・和訳を中心にして,同漢文版C 本テキスト,『内国史院満文檔案』N条の転写・和訳,康煕35年頃のJ条の転写・和訳,乾隆 54年のM条の転写・和訳を一覧にして本稿末尾に掲げた。

今,この5点の条文に上記康煕6年のL条のテキストを含めて比較してみると,まずL条が,

J条最初の5行目前半までの部分に収録されているテキストと,完全に一致していることがわ かる。一文字の異動もない。すなわち上記L条の短いテキストは,康煕35年頃のJ条でも削 除されておらず,残されたL条部分の後ろに引き続いてそのままK本の内容が追加されたと いうことがわかる。そして,乾隆54年のM条では,L条を引き継いだJ条最初の部分は,冒 頭部分ではなくて,関連する規定のあるM条10b6-8行目と11a1行目に移されて,うまく整 理吸収されている。

これを逆に言うと,康煕6年の段階ではこのK本の軍律は,後述するごく一部を除いてい まだ蒙古例の中には入っておらず,ただL条のごく簡略な規定があるのみであった。J条の 23b7行目から24a4行目の記述を見ると,この規定があまりに簡略すぎるが故に,康煕35年 頃の段階でK本の軍律をやや改変してここに追加した,ということがわかるであろう。J条

24a3-4行目にある「またこの条は決して功罪を区別して定めたわけではない」という主張は,

次行に出てくる「官僚たる我々」すなわち理藩院の官僚たちが,このL条の規定が簡略すぎ て不十分であると判断したことを述べていると思われる。そこで,その対策として「官僚たる 我々が話し合ったのは,」という文が来てK本の軍律をほぼ全文追加導入し,一番最後のJ条 29a1行目にある「と話し合った」の部分にまでつながるわけである。

このJ条での理藩院の官僚たちによる発言から,次のことが明らかになる。K本の軍律は,

蒙古例の中に軍律規定が全く存在しなかったために丸ごと新たに単独で導入されたという訳で はなくて,康煕6年段階での規定L条が不充分であるとたまたま理藩院の官僚たちが判断し たからこそ,康煕35年頃,L条の収録されている所に追加導入されたのである。これは,こ の種の「八旗の法が蒙古例へと転用された事例」が決して豊富に存在するわけではないという ことを暗示しているのかもしれない。この点の解明は,今後の課題である。

次に,このJ条の最初と最後の部分の記述を見ると,K本やM条での文章に比して,律や 例等の中国流の法律条文にはいかにも似つかわしくない口語風あるいは公文書風の文体であっ

↗ わりは,全く考慮されて居らず,ただ翻訳したに過ぎない。なおДылыков 1998,李 2004ともに,

モンゴル文字テキストでは,各葉数がその終了場所に表示されている。

9) Баярсайхан 2004: 108-115.この本では,見開きの右側ページに影印版モンゴル文字テキストが,

左側ページにはそれに対応するローマ字転写とキリル文字転写とが収録されている。さらにpp.

19-26にはテキスト全体の目次を備え,pp. 249-376にはモンゴル語の全単語にわたる索引が完備

されている。

(8)

て,官僚たちが軍律導入の内幕までも説明している「未整理の条文」であるというような印象 を受ける。これはおそらくK本の軍律がここに追加導入されたまさにその時であったために,

理藩院の官僚たちによる導入事情の説明までもが未整理のまま入ったものと思われる。それ故 に乾隆54年のM条以降の条文では,このJ条の持つ最初と最後の口語風の内幕説明部分が移 転削除されて,法律条文らしい文章へと整理されたのであろう。

c.『崇徳三年軍律』が蒙古例中に入った際の変更点

続いて,K本が蒙古例の中に入った際に変更された点を探してみよう。ここからも,「八旗 の法が蒙古例へと転用された事例」の持つ意義が検討できるであろう。まず,萩原 1995でも 述べたように,K本・C本の「一旗----七旗」等の八旗を表す言葉は,J条・M条では「一旗 ----他旗」等へと言い換えられている。したがって,八旗兵専用の軍律が八旗以外の(例えば 一般ザサク旗の)モンゴル兵用に改変されたということ自体は,明瞭に判断できる。

次に,K本とC本で八旗内の軍人官僚たちの称号として出てくる語は,蒙古例に転用され たJ条とM条では,当然一般ザサク旗内でのそれに対応するモンゴル貴族の称号という形で 出てくる。また同じ称号のモンゴル語名称も年代の経過とともに変更されている。

たとえば,K本1aの1-2行目では,八旗内の満洲語称号beileに対する訳語と思われるも の(N条の満文参照)が,漢文版C本では「貝勒」,モンゴル語版K本ではnoyad(ノヨン つまり貴族,の複数形)となっている。この語は,康煕35年頃のJ本でも同じnoyadである から,満洲語beileに対するモンゴル語の訳語がかなり長い間noyadであったことが確認で きる。そして乾隆54年のM条になってようやく,後代のモンゴル文公文書でもおなじみの

beyileになっている。beyileという,後にはごく当たり前のようになってしまうこの満洲語か

らモンゴル語への借用語が,清朝の初期から用いられていた訳ではないというある意味では当 たり前のことが理解できるであろう。また,満洲語称号beiseに対する訳語と思われるもの(こ れもN条の満文参照)は,漢文版C本では「貝子」,モンゴル語版K本ではtayij.

ˇi-nar(台吉 たち)となっている。この語はJ条でもqosiγun-u tayij.ˇi(旗の台吉)となっており,乾隆54 年のM条でようやく,後代でおなじみの借用語beyiseとなっている。

同じように,K本5bの2-3行目を見ると,満洲語の職名gūsa i ejenに対する訳語と思わ れるもの(これもN条の満文参照)が,漢文版C本では「固山額眞」であり,モンゴル語 版K本ではqosiγun-u ej.

ˇen(旗の主)となっているようである(qosiγun-uの部分は破損して いるためK本6aの4行目等から推定)。漢語は音訳,モンゴル語は直訳である。しかもこれ またJ本ではK本と同じ語が使われていて,M本になってようやくおなじみの語qosiγu-yi j.

ˇakiraγči j.

ˇanggi(管旗章京)が登場する。このような官称号・職名の訳語の問題は,八旗の中

の官称号・職名がそのままモンゴルのザサク旗内での官称号・職名に転用されていたという基 本的な問題とも関わる。つまり同じ名称が導入されていたために,八旗の法をザサク旗の法に 転用しても,当時は官称号・職名を変える必要がなく,その意味では大変転用しやすかったと いえるであろう。

次に,文章の追加に関しては,K本1a2行目部分にJ条・M条ともに1行分程度の追加が 見られ,9a4-6行目の部分にもJ条・M条ともに3行分程度の追加が見られる。ただこれら は規定をやや詳しめに改変しただけである。もう一点,K本9a6行目の後ろのあたりには,J条・

M条ともに全く新しい規定が17ないし18行分程度追加されている。J条とM条の間ではよ く対応しているので,この追加規定は明らかに康煕35年頃,K本の軍律が蒙古例中に導入さ

(9)

れるに際して追加され,乾隆54年のM条にも残ったものである。

逆に,K本から削除された文章はかなり多い。それをまとまりごとに列記すると,K本

2b1-3行目部分,4a3-5行目部分,4b1行目部分,6a1行目部分,6a6行目から6b1行目部分,

6b2行目から7a5行目部分,7b1-3行目部分,8a5-6行目部分,9b1-6行目部分である。以上 のうち,大部分は単に記述を簡略化したものに過ぎないが,K本6b2行目から7a5行目部分 の武器や馬に自分の名前を書かせるという規定のみは9行分ほどまるまる削除されている。た だJ本では少し前の第61番目の条文10)に,またM本でも少し前の第60及び61番目の条文11)に,

類似のより詳しい規定が定められている。さらに武器や馬に自分の名前を書かせるという規定 は,康煕6年のL本の段階で既に,第63番目の条文12)として規定されている。したがって,

康煕35年頃にK本の軍律を蒙古例中に入れるに際して,既に他の条文で定められていたこの 部分のみを削除して入れたものと判断できるであろう。そしてこの,武器や馬に自分の名前を 書かせるという規定自体は,L本の段階から一足先に蒙古例集成法典に入っていたわけである から,八旗の法が早くから蒙古例中にも共有されていた一つの例として,あげることができる であろう。

一方,罰則規定は明らかにゆるやかな方向へと変化している。例えば,K本5a6行目の「耳 を突き刺せ」がJ条・M条では「打て」となり,K本7b6行目の「耳を突き刺せ」もJ条・

M条では「罪である」に改変されている。K本8a1-4行目に登場する残虐な刑罰「脊椎(背骨) を折る」,「口を裂く」,「アキレス腱を断つ」は,いずれもJ条・M条では少し位置が前より にずれた上で「盗人に準じて鞭で打つ」とゆるやかな刑罰に変化している。また,賞与の規定 では,K本6a5行目の「三両の銀を受け取れ」が「一頭の去勢雄牛を受け取れ」に改変され ている。これらの改変は,明との激しい抗争を繰り返していた清初期のいわば職業軍人のため の法が,平時における予備役のようなモンゴル遊牧民向けの法へと改変された結果だと見るこ とも可能であろう。

おわりに

本稿では,太宗ホンタイジの定めた「崇徳三(1638)年軍律」と呼ばれる八旗兵専用の法 規と,新発見史料を含む康煕―乾隆年間の蒙古例集成法典3種における対応条文とを,テキス トレベルで細かく比較検討し,この法規が蒙古例中に編入されたおおよその時期と編入過程と を検討した。その結果,この軍律は,武器や馬に自分の名前を書かせるという一部分を除いて,

康煕6(1667)年段階ではなお蒙古例中に編入されておらず,康煕35(1696)年頃の段階で初 めて編入されたということが明らかになった。編入の理由は康煕6年の法典での軍律規定が簡 略すぎたためと見られ,最も手近で転用しやすい八旗の法を編入したものと思われる。また編 入に際して,軍律で言及される八旗内での官称号・職名が一般ザサク旗内での官称号・職名に 変わるという変化が後代からは一見想像されやすいかも知れないが,編入当初の名称に大きな 変化は見られず,官称号・職名のモンゴル語名が整備されるのはもう少し後のことであったと 10) Heuschert 1998: 204-205の転写とドイツ語訳,Дылыков 1998: 24, 67, 168-170の転写とロシア 語訳とモンゴル文字テキスト,また達力扎布 2004: 128-129, 172-173の中国語訳と転写,また李 2004: 258-259, 280-281の中国語訳とモンゴル文字テキストを参照。

11)Баярсайхан 2004: 21, 104-105参照。

12)『清内閣蒙古堂檔』第22巻,pp. 309-310,李 2002: 7参照。

(10)

いうことがわかる。

この「崇徳三年軍律」は八旗兵専用法が一般ザサク旗等のモンゴル遊牧民に対する蒙古例へ と転用・編入されていった法であるから,萩原1995でも述べたように,これを逆方向から見 ると,蒙古例の淵源の一つとして,八旗兵専用法があげられることになる。したがって蒙古例 の淵源の多様性がうかがえるという点では,この事実自体は否定しがたい重要性を持っている。

しかしながら,このような形で八旗兵専用法から転用されてできあがった条文が,蒙古例全体 の中ではたしてどの程度の比率を占めていたのかについては,なお判然としない面も強い。こ の条文が編入された康煕35年というと,入関後既に52年も経過した時期であり,蒙古例集 成法典も何度目かの改訂を経ている。この時点で初めて編入されたということも,この種の「八 旗の法に起源を持つ蒙古例条文」の数が最終的には決して多くはないことを物語っているのか もしれない。それを解明するためにも,清朝初期の蒙古例法典を総合的に分析し,入関前にま で遡って各条文の起源を探っていく今後の地道な努力が必要となろう。それを今後の課題とし たい。

国家図書館所蔵「崇徳三年軍律」及び関係史料提示に関する凡例

・K本(国家図書館本)の冒頭部分に若干の欠損があるが,便宜上残存部分の最初を第一葉 とみなす。////はテキストの欠損部分であり,斜字体は欠損部分を萩原が推定復元した 和訳。( )内は,文意を明確にするために訳者,萩原が補った補足。

・基本的に,年代の古い順に以下の九行をワンセットにして掲げた。国家図書館本の一行が終 わるごとに,次行と区別すべく下線を引いている。J本(ジャムツァラーノ本)は,前文の ような物(L条と同じ文)が添付されているため,最初の部分は,J本のみを提示する。

一行目:K:1638年:国家図書館(北京)所蔵「崇徳三年軍律」モンゴル文テキスト(冒頭 部分欠損)

二行目:同上和訳

三行目:C:1638年:中央研究院(台北)所蔵「崇徳三年諭諸王貝勒貝子」漢文テキスト 四行目:N:『内国史院満文档案』対応部分の満文テキスト(河内 2010: 570-573)

五行目:同上和訳(筆者自身による和訳)

六行目:J:1696年頃:ジャムツァラーノ氏発見モンゴル国立図書館(ウランバートル)所蔵 康煕35年頃の法典,第63条のモンゴル文テキスト(前文から始まる)

七行目:同上和訳

八行目:M:1789年:モンゴル国立中央文書館(ウランバートル)所蔵乾隆54年版『蒙古律 例』,第66条のモンゴル文テキスト

九行目:同上和訳

J (23b) 7○ nigen jˇüil, vang, noyad, qosiγun-u tayij. .

ˇi, güng-üd tayij.

ˇi-nar 8 dayisun-ača ○ 一 条。「王,ノヨンたち,旗 の 台吉, 公たち, 台吉たちが 敵 から J buruγulabasu,, ulus-i inu bügüde abumu,, qaraču kümün 9 bolbasu bey-e-yi inu 逃げれば,その 民を 全て 取り上げる。平 民 ならばその身 を

(11)

J čabčij.ˇu alaγad, ger mal kiged, em-e (24a) 1 keüked-i inu keyiskemü,, tayij.

ˇi-nar ba, 斬り 殺して,その天幕,家畜と 妻 子を 没収する。 台吉たち や J qaraču kümün ken urid2 qosiγuraj.

ˇu dayisun-i darubasu šangnamu kemej.

ˇüküi,, qaraču

平 民の 誰かが先に 率先して 敵 を鎮圧すれば,賞する」 と言った。 平

J kümün buruγulabasu, 3 mön kü ene yosuγar bolγay-a,, basa ene j.

ˇüil yerü güng

民が 逃げれば, まさに この方法に 従わせよう。 また この条は決して功

J 4yal-a-yi ilγajˇu ese toγtuγaj. .

ˇuqui,, tüsimel man-u kelelčegsen anu,

罪 を 区別して定めたわけではない。(理藩院の)官僚たる我々が 話し合ったのは,(以下の通り。)

K (冒頭部分欠損)

C (1a.)1(2字擡頭) 寛 温 仁 聖 皇帝,諭。

N419【ume】○ orin juwe de gosin onco hūwaliyasun enduringge han i hesei toktobuha,,

(崇徳三年八月)二十二 日。寛 温 仁 聖 汗の 上諭で定めた。

J (対応する記述なし)

M(対応する記述なし) K (冒頭部分欠損)

C 親 王・ 郡 王・貝 N hošoi cin wang,, doroi jiyūn wang, 和碩 親 王, 多羅 郡 王,

J5 aliba vang, 「凡そ 王,

M(4巻9a.) 2 nigen j.

ˇüyil, aliba vang,

(1字擡頭) 一 条, 凡そ 王,

K (冒頭部分欠損)

C2 勒・ 貝子, 上陣之時, 若七固 N doroi beile,, gūsai beisese dain afarade,, nadan gūsai 多羅貝勒, 固山 貝子等が 敵と 戦うとき, 七 旗の J noyan, qosiγun-u tayij.

ˇi, güng, tayijˇi tabunung-ud 6 dayisun-luγ-a alalduqui-dur, busu qosiγu.

ノヨン,旗 の 台吉,公, 台吉,タブナンたちが敵 と 殺し合う際に, 他 旗が

M beyile, beyise, güng, tayijˇi, 3 tabunang-ud, dayisun-luγ-a bayilduqui-dur, busu qosiγu. 貝勒, 貝子, 公, 台吉, タブナンたちが 敵 と 戦う 際に, 他 旗が K (冒頭部分欠損)

C3 山王・ 貝勒・貝子 敗走, 一 固 N wang, beile, beisese burlara (burulara),, emu gūsai 王, 貝勒,貝子等が敗走し, 一 旗 の J buruγulaqu ba, γaγča 7 nigen qosiγun-u 逃げて, ただ 一 旗 の M4 buruγudqu boluγad γaγča nige qosiγun-u 逃げて ただ 一 旗 の

(12)

K (冒頭部分欠損)

C4 山王・ 貝勒・貝子 上陣, 有益

N wang, beile, beisese afafi , nadan gūsade 王, 貝勒,貝子等が 戦い, 七 旗 に J vang, noyad alaldujˇu busu qosiγun-dur. 王, ノヨンたちが 殺し合って,他の 旗 に M vang noyad 5 bayildun, busu qosiγun-dur 王 ノヨンたちが 戦って 他 旗 に K(冒頭部分欠損)

C5 于七固山者, 将 七 固山,撥 N tusa oci, burlaha, nadan gūsai 益と なれば, 敗走した 七 旗 の

J tusa 8 bolbasu buruγulaγsan vang, noyan, qosiγun-u tayij.

ˇi güng, tayij. ˇi, 9 益と なれば, 逃げた 王, ノヨン, 旗 の台吉,公, 台吉,

M tusatai bolbasu, buruγuduγsan 6 qosiγun-u vang, beyile, beyise, güng tayij. ˇi, 益があったならば, 逃げた 旗 の 王, 貝勒, 貝子, 公 台吉 K (冒頭部分欠損)

C6 出七 牛禄 人, 與上陣的。 若 N nadan nirui jušen gaifi afaha niyalma de bumbi,, 七 佐領の臣僕を取り,戦った人 に 与える。

J tabunung-ud-ača nijˇeged sumun-u ulus-i abuγad alalduγsan (24b) 1 kümün-dür öggüy-e,. タブナンたちから各一 佐領 の民を取り上げて,殺し合った 人 に 与えよう。

M tabunang-ud 7-ača nij.ˇeged sumun-u albatu-yi abuγad, bayilduγsan 8 kümün-dür öggüy-e, タブナンたちから各一 佐領 の アルバトを取って,戦った 人 に 与えよう。

K (冒頭部分欠損)

C7 七 固山 王・ 貝勒・貝子 N nadan gūsai wang, beile, beisese 七 旗の 王, 貝勒,貝子らが J busu qosiγun-u vang, noyad

他 旗 の 王, ノヨンたちが M basa busu qosiγun-u vang (9b.) 1 noyad

また 他 旗 の 王 ノヨンたちが K (1a.) 1 qadquldujˇu,, γaγča qosiγun-u vang-ud, noyad,.

戦って, 一 旗 の 王たち, ノヨンたち,

C 上陣, (1b.)1 一 固山 王・ 貝勒・

N afara,, emu gūsai wang, beile, 戦い, 一 旗 の 王, 貝勒,

J alalduqu ba, 2 nigen qosiγun-u vang noyad, 殺し合い,また 一 旗 の 王 ノヨンたち,

M bayilduqui böged, nigen qosiγun-u vang, beyile,

戦った のに, 一 旗 の 王, 貝勒,

(13)

K2 tayij.ˇi-nar bügüdeger dutaγabasu,, dutaγaγsan タイジたちが皆 逃げたならば,逃げた C 貝子 倶各2 敗走, 将敗走的 N beisese gemu burlaci,, burlaka 貝子たちが 皆 敗走すれば, 敗走した J qosiγun-u tayij.

ˇi, güng, tayijˇi, 3 tabunung-ud buruγulabasu, buruγulaγsan vang, noyan,. 旗 の 台吉, 公, 台吉,タブナンたちが逃げれば, 逃げた 王, ノヨン,

J qosiγun-u tayij.

ˇi 4 güng tayij.

ˇi tabunung-ud -un ergügsen 旗 の 台吉 公 台吉 タブナンたちの, 授与した

M 2 beyise, güng, tayijˇi, tabunang-ud buruγudqu bolbasu, 3 buruγuduγsan vang, beyile,. 貝子, 公, 台吉, タブナンたちが逃げた ならば, 逃げた 王, 貝勒 M beyise, güng tayij.

ˇi, tabunang-ud-un 4 ergümj. ˇilegsen

貝子, 公 台吉 タブナンたちの, 授与した K3 qosiγun-i ebdejˇü,, ulus-i inu doluγan qosiγu.

旗 を とりつぶして,その民を 七 旗 C 一固山 人3 等,

N gūsabe efuleme jušen be wacihiyame gaifi nadan gūsa 旗 を とりつぶして,臣僕 を ことごとく 取り,七 旗が J čola-yi inu ebdej.

ˇü, 5 ulus-i その称号を剥奪して, 民 を M čola-yi inu ebdejˇü, qaraču kümün bolγaγad, 5 albatu-yi inu.

その称号を剥奪して,平 民と 為し,その 領民 を K4 bügüdeger qubiyajˇu abqu,, γaγča qosiγu. 皆で 分割して 取る。 一 旗 C 分與七固山。 一 固山 N dendembi,, emu gūsa 分け合う。 一 旗 J bürin abuγad, alalduγsan vang-ud-tur ögčü, qaraču 6 kümün bolγay-a,, nigen qosiγu 全て 取って, 殺し合った 王たち に 与え,平 民に しよう。 一 旗 M bürin abuγad, bayilduγsan vang-ud-tur 6 öggüy-e, nige qosiγu 全て 取って, 戦った 王たち に 与えよう。 一 旗 K5 boluγad,, j.

ˇarim-ud inu qadqulduj. ˇu j.

ˇarim-ud にして ある者たちが 戦い ある者たちが C 中4 王・貝勒・貝子,有上陣者, 有

N bime dulin niyalma afara, dulin niyalma にして 半ばの者が 戦い, 半ばの 者が J böged, qaγas kümün alalduqu, qaγas 7 kümün にして, 半分の者が 殺し合い, 半分の 者が M böged qaγas kümün bayilduqu, 7 qaγas kümün にして 半分の者が 戦い, 半分の 者が

(14)

K6 inu dutaγabasu,, dutaγaγsan///////////////////////

逃げたならば,逃げた//////

C5 敗走者, 将敗走的人

N burlaci, burlaha niyalmai jušen be

敗走すれば, 敗走した者の臣僕を

J buruγulabasu, buruγulaγsan vang, noyan, qosiγun-u tayij.

ˇi, güng, 8 tayij.

ˇi, tabunung-ud-un čola-yi 逃げれば, 逃げた 王, ノヨン,旗 の 台吉,公, 台吉,タブナンたちの 称号を M buruγudqu bolbasu, buruγuduγsan vang beyile 8 beyise, güng tayij.

ˇi, tabunang-ud-un čola-yi inu 逃げる ならば,逃げた 王, 貝勒, 貝子, 公 台吉 タブナンたちの称号を K (1b.) 1 inu abču,, mön tere qosiγun/////////////////////

取って,またその 旗/////

C 分與6上陣的 N gemu gaifi ini gūsai afaha 皆 取り, その 旗の 戦った

J ebdejˇü, qaraču kümün bolγay-a 9 uluṣ-i čöm abuγad, öber-ün qosiγun-u alalduγsan. 剥奪し,平 民に しよう。 民 を 全て取り上げて,自分の 旗 の 殺し合った M (10a.) 1 ebdejˇü qaraču kümün bolγay-a, albatu-yi inu čöm 2 abuγad, öber-ün qosiγun-u bayilduγsan. 剥奪して平 民に しよう。その領民を全て 取って 自分の 旗の 戦った K2 kümün-dür ögkü bui,, es-e qadquldubasu ber //////////

人 に 与える。 戦わなくても ///

C 人。 有本固山王・貝7勒・貝子 因在別 N niyalma de bumbi,, afahakū bicibe gūwa 者 に 与える。 戦わなくても, 別の

J kümün-dür (25a) 1 öggüy-e kedüi qaγaṣ qosiγu alaldujˇu buruγulabaču, qaγaṣ qosiγu. 人 に 与えよう。 いくら 旗の半分が 殺し合って逃げても, 旗の(残り)半分が M kümün-dür 3 öggüy-e,, kedüi qaγas qosiγu bayilduγad buruγudbaču 4 qaγas qosiγu

人 に 与えよう。たとえ旗の半分が 戦って 逃げても, 旗の(残り)半分が

K3 γaj.

ˇar-a bayijˇu, yala ügei bolbasu, qosiγun-i inu. 場所に居て 罪がなければ, その旗 を

C 處,雖不在(2a.)1上陣之中,其本 固山的人

N bade bifi weile akū oci inu gūsa be 場所に 居て 罪が なければ また旗 を J 2kürkü arγ-a ügei bolbasu, yal-a

到着する方法がなければ, 罪は

M kürkü arγ-a ügei bolbasu, yal-a

到着する方法がなければ, 罪は K4 ebdekü ügei, tere qosiγun-u yala ügei, vang-ud

とりつぶさない。その旗 の 罪の ない 王 たち C2 不分與別固山。 即與 此王・

N efulerakū,, gūsai weile akū wang, 取りつぶさず, 旗 の 罪の ない 王,

(15)

J ügei,, buruγulaγsan vang, 3 qosiγun-u tayij.

ˇi-nar-un ergügsen čola-yi ebdej.

ˇü, qaraču 4 kümün

ない。逃げた 王, 旗 の 台吉たちの,授与した称号を剥奪して,平 民

J bolγajˇu, ulus-i čöm abuγad, öber-ün qosiγun-u 5 yal-a ügei vang,. にして,民を 全て取り上げ, 自分の 旗 の 罪のない 王,

M ügei, 5 buruγuduγsan vang noyad-i ergümj.

ˇilegsen čola-yi 6 ebdej.

ˇü, qaraču kümün

ない。逃げた 王, ノヨンたちの,授与した 称号を 剥奪して平 民

M bolγajˇu albatu-yi inu čöm 7 abuγad, öber-ün qosiγun-u yal-a ügei vang, 8.

にし,そのアルバトを 全て 取って,自分の 旗 の 罪のない 王,

K5 noyad, tayij.

ˇi-nar-tur ögkü bui,, tere ノヨンたち,タイジたちに与える。 その C3 貝勒・ 貝子。 其 N beile, beisese de bumbi,, tere 貝勒, 貝子たちに 与える。 その J noyan, qosiγun-u tayij.

ˇi, güng, tayij.

ˇi, 6 tabunung-ud-tur öggüy-e,, ノヨン, 旗 の 台吉, 公, 台吉, タブナンたちに 与えよう。

M beyile, beyise, güng, tayij.

ˇi, tabunang-ud-tur öggüy-e,, 貝勒, 貝子, 公, 台吉, タブナンたちに 与えよう。

K6 qadqulduγsan qosiγun-u vang-ud, noyad,, 戦った 旗 の 王たち, ノヨンたち,

C 上陣的 王・ 貝4勒・

N afaha gūsai wang, beile, 戦った 旗の 王, 貝勒,

J alalduγsan vang, noyan, 殺し合った 王, ノヨン,

M (10b) 1 bayilduγsan vang, beyile, 戦った 王, 貝勒,

( šangnaquの誤り) K (2a) 1 tayij.ˇi-nar-tur öber-e yaγum-a sangnaqu bui,, タイジたちに別の 物を 賞与する。

C 貝子, 另 賞。

N beisese de yaya jaka 420/ šangnambi,, 貝子たちに 全ての物を 賞与する。

J qosiγun-u 7 tayij.

ˇi, güng, tayij.

ˇi, tabunung-ud-tur šangnay-a,, 旗 の7台吉, 公, 台吉, タブナンたちを 賞しよう。

M beyise, güng, tayij.

ˇi, tabung-ud 2-tur šangnay-a, 貝子, 公, 台吉, タブナンたち2を賞しよう。

K2 ker-ber doluγan qosiγu jˇabduγ-a ügei bolj. . ˇu,, もしも 七 旗が 間に 合わなくなり,

C 若是 七 固山 5 未及齊備,

N aikabade nadan gūsa jabdurakū, もしも 七 旗に 暇がなくて,

(16)

J ker-be 8 olan qosiγu j.

ˇab ügei, もしも 多数の 旗に 暇が なくて,

M kerbe olan qosiγu j.

ˇabudul ügegüy-e 3 もしも 多数の 旗が 間に 合わなくて,

K3 γaγča qosiγun-u, vang-ud, noyad, tayij. ˇi-nar,

一 旗のみの 王たち, ノヤンたち,タイジたちが

C 一 固山 王・ 貝勒・ 6 貝子 N emu gūsai wang, beile, beisese 一 旗の 王, 貝勒, 貝子たちに J γaγča nigen qosiγun-u vang, noyan, 9 qosiγun-u tayij.

ˇi, güng tayij.

ˇi, tabunung-ud ただ 一 旗 の 王, ノヨン,9 旗 の 台吉,公 台吉,タブナンたちが M γaγča nigen qosiγun-u vang, beyile, beyise, güng, 4 tayij.

ˇi tabunang-ud ただ 一 旗 の 王, 貝勒, 貝子, 公,4 台吉,タブナンたちが K4 urid j.

ˇabduj.

ˇu qadquldubasu,, yabudal-i inu 先に間に合って 戦ったならば,その 行為 を C 齊備 上陣得功者, 論7功之 N jabdufi afaha de inu gung ni 暇があって 戦った際も 功績 の J j.

ˇab boljˇu (25b) 1 alalduγsan-dur, güng inu.

暇 になって, 殺し合った際には,その功績の

M j. ˇab bolj.

ˇu bayilduqu bolbasu, küčün 5 öggügsen-ü 間に合って 戦うことになれば, 尽 力 の K5 tengseged,, olj.

ˇa-yin olan čögen-i medej.

ˇü sangnaqu 調査して, 戦利品の 多 寡 を 知って 賞 する。

C 大小, 量所得之 多 寡, (2b.) 1 賞之。

N amban ajigan, baha ambula komso be tuwame šangnambi,, 大 小, 戦利品の 多 寡 を 見て 賞する。

J yeke baγ-a, ilegüü čöken-i 2 üj. ˇej.

ˇü šangnay-a,, 大 小, 多 少 を 見て 賞しよう。

M yeke baγ-a, oljˇa oluγsan-u ilegüü 6 čöken-i inu üj. . ˇej.

ˇü šangnay-a,, qaraču kümün 7 大 小, 戦利品 の 多6 寡 を 見て 賞しよう。 平 民が M dayisun-ača dutaγabasu bey-e-yi inu čabčij.ˇu 8 alaγad, ger mal, em-e keüked-i keyiskemüi,, tayij.

ˇinar

敵 から逃げれば,その身を 斬り 殺し, 天幕, 家畜,妻子を没収する。台吉たち

M (11a.) 1 bolbaču, qaraču kümün bolbaču, ken urida oruj.

ˇu dayisun-i 2 darubasu, šangnamui,,

であれ,平 民 であれ, 誰でも先に入って敵を 鎮圧すれば賞する。

K6 bui,, tala-dur čerig oči//////////////////////////////////

平原で 兵が 行/////////

C 在野地 遇敵兵, 管固2山 N tala de cooha acaci, gūsai 平原で(敵)兵に 遭えば,旗の

(17)

J aliba tala-yin čerig alalduqui-dur 凡そ 平原の 兵が 殺し合う 際には,

M aliba tala γaj.

ˇar-a čirig bayilduqui-dur,

凡そ 平 地 で 兵が 戦う 際には,

K (2b.) 1 sayid čerig-üd-iyen abun //////////////////////////////

サイトは兵たち を 連れて///////

C 大人等 帶領固山下人, 3 下馬,

N ambasa, gūsai niyalma be gaifi ebu,, bayara be 大人は,旗 の者 を 連れて下馬せよ。護衛兵 を J (対応する記述なし)

M(対応する記述なし) K2 vang-ud, noyad, tayij.

ˇi-nar abču,, gej. ˇige 王 たち,ノヨンたち,タイジたちが連れてあとに C 王・ 貝勒・ 貝子 帶領擺4牙喇,

N wang, beile, beisese gaifi amala 王, 貝勒, 貝子たちが 連れて後方に J (対応する記述なし)

M(対応する記述なし) K3 darun morilaγsaγar ber,, dayisung-luγ-a

ついて乗馬したままで 敵 と C 騎馬,在後站立, 若往5敵營 N morilafi ili,, dain i baru 騎馬して立て。 (敵)軍 の方に J3 dayisun-u j.

ˇüg 敵 の 方に M3 dayisun-u j.

ˇüg

敵 の方に K4 jˇolγalduqui-dur,, vang-ud, noyad, tayij. .

ˇi-nar 出会った 際, 王たち, ノヨンたち,台吉たち,

C 進敵 時, 王・ 貝勒・ 貝子・

N dere acame dosire bade,, wang, beile, beisese, 相 対して突入する所で, 王, 貝勒, 貝子たち,

J tesergü oruqu γajˇar-a vang noyan, 4 qosiγun-u tayij. . ˇi 対して 突入する所で 王 ノヨン, 旗 の台吉 M niγurlan oruqu čaγ-tur, vang, beyile, 4 beyise,

向いて 突入する時, 王, 貝勒, 貝子 K5 tüsimed,, jˇerge-eče urid samaγuran orubasu ba. 役人たちが, 列 より 先に 混乱して(敵陣に)突入すれば,そして C6 大人 不顧隊伍整齊, 輕自7 突入,

(18)

(cocarameの誤り) N ambasa jergi be tuwarakū coocarame dosici 大人たちが 列 を 見ずに やみくもに突 進すれば J güng-üd, sayid-un j.

ˇerge-yi üj.

ˇekü 5 ügei, demei orubasu, 公たち,サイトが 列 を 見5ずに, 無益に(敵陣に) 突入したり,

M güng-üd, sayid-un j.

ˇerge-ben ülü üj.ˇen, 5 samaγuran oruqu ba,

公たち,サイトが 列 を 見ずに,5 混乱して(敵陣に) 突入したり,そして

( bolγuγalの誤り) K6 bas-a čögen čerig-i üjˇeged, bolγaγal ügei. また 少数の(敵)兵を 見て, 用心せ ずに C 不察 敵兵虚實, 輕

N komso cooha be sabufi dacilarakū

少数の(敵)兵 を 見て 調べ ずに J čöken dayisun-i üjˇebesü, asaγul 6 ügei. 少数の 敵 を 見て, 疑問6 なく ( lablalの誤り) M čögen dayisun-i üj.

ˇeged lablan 6 ügei 少数の 敵 を 見て 確かめること6なく

K (3a.) 1 samaγuran dobtulbasu, unuγsan morin-i inu abuγad 混乱して 攻撃すれば,その騎乗した馬を 没収し,

C 自 (3a.) 1 突入 将所騎之馬及

N balai coocarame feksici yaluha morin gaimbi,,

軽々しくやみくもに突進し疾駆すれば, 騎乗した馬を 没収する。

J demei dobtulbasu, unuγsan mori-yi abuy-a,, 無益に 攻撃すれば, 騎乗した馬を 没収しよう。

M samaγuran dobtulbasu, unuγsan mori-yi inu 7 abuy-a, 混乱して 攻撃すれば,その騎乗した馬を 没収しよう。

K2 tere yabudal-un olj.

ˇa-yi inu abqu bui,, aliba その 活動 の 戦利品を 没収する。 凡そ C 此 番 2 所得之物 倶入官。 凡 N tere mudan i olji faitambi,, yaya その 際 の 戦利品を 没収する。 凡そ J tere 7 yabudal-un olj.

ˇa-yi tasuluy-a, aliba

その 活動 の 戦利品(の供与)を停止しよう。凡そ

M tere yabudal-un olj.

ˇa-yi tasuluy-a, aliba 8 その 活動 の 戦利品(の供与)を停止しよう。凡そ K3 dayisun-luγ-a qadqulduqui-dur, j.

ˇergelen 敵 と 交戦する 際は, 一列に並んで C 兩軍3 對面 上陣 時, 須齊齊擺列 N dain de dere acafi faitafi afara bade oci, teksin faidafi 敵 に 顔を合わせて 斬り 戦う 所では, 一列に並んで

(19)

J dayisun-dur 8 niγur jˇolγaj. . ˇu j.

ˇergečejˇü alalduqui γaj. .

ˇar-a bolbasu,, tegsi-ber 9 j.

ˇergečegülj. ˇü

敵 に 顔を 合わせて一列に並んで殺し合う 所になれば, 一列に 並ばせて

M dayisun-dur niγurlan j.

ˇergečejˇü bayilduqu γaj. .

ˇar bolbasu, (11b.) 1 tegsi j. ˇergečej.

ˇü 敵 に 向き合って 一列に並んで戦う 所 では, 一列に並んで K4 bayilaγad alγur-iyar qatarij.

ˇu,, öber-ün 点検し ゆっくりとだく足で進み,各 C 4 徐徐

N elhei katarame meni ゆっくりとだく足で進み 各 J alγur-iyar qatarij.

ˇu öber ゆっくりとだく足で進み,各 M alγur-iyar qatarij.

ˇu, öber

ゆっくりとだく足で進み,各 K5 öber-ün tus tus-iyar orudqun,, tere

々 それ ぞれに(敵陣に)突入するように。その C 照信地而 進。 若 N meni teisu teisu dosi,, tere 々 それ ぞれに(敵陣に)突入せよ。 その J öber-ün tuṣ (26a) 1 tus-iyar oruγtun,, tere 々 それ ぞれに(敵陣に)突入するように。その M öber-ün 2 čiγ čiγ-iyar oruγtun,, tere

々2 それ ぞれに(敵陣に)突入するように。その K6 oruqui-dur,, öber-ün ////////////////////////////

突入する際には,自分の ///////

C 有 不5從信地

N dosire de ini teisu babe dosirakū 突入する際にその自分の 持ち場に 突入せず J oruqui-daγan öber-ün tuslaγsan 2 γaj.

ˇar-i oruqu ügei,

突入する際に, 自分の 受け持った所 に 突入せず,

M oruqui-daγan, öber-ün 3 tuslaγsan γaj.

ˇar-iyar orul ügei, 突入する際に, 自分の 受け持った所 に 突入せず,

K (3b.) 1 j.

ˇayilajˇu,, busu qosiγun-u ////////////////////////. 離れて 他 旗の /////

C 進, 閃在他人之尾者, 有不從所分信地,

N biyalufi gūwai uncehen de dayanara,, ini jurgan be waliyafi 逸脱して 他の者の後尾 に 付いていき,その道筋 を 棄てて J öber dasi bolj.

ˇu, busud-un segül-tür 3 neyilej.

ˇü öber-ün yabuqu j.

ˇirum-i orkij. ˇu 自ら飾り物となって,他人 の 後尾に 付いて 自分の 行く 道筋を 棄て M qalurij.

ˇu busud-un 4 segül-dür neyilekü kiged, öber-ün yabuqu j.

ˇirum-iyan 5 orkij. ˇu,

おじけづいて他人の後尾に 付いたり, 自分の 行く 筋道を 棄てて

(20)

K2 mör-iyen gegej.

ˇü busud-un mör-tür orubasu /////////////

跡 を 追って 他人 の 跡に付いて(敵陣へ)突入すれば,///

C6 從7 他人之信地而 入者,

N gūwai jurgan be dosire, 他の者の 道筋 に 突入し,

J busud-un yabuqu 4 j.

ˇirum-dur oruqu ba, 他人 の 行く 道筋に 突入したり,

M busud-un yabuqu j.

ˇirum-dur oruqu ba, 他人 の 行く 筋道に 突入したり,

K3 busu qosiγun-i orutala, orul ügei bayibasu 他 旗 が 突入するのに突入せずにおれば,

C 有他(3b.)1人皆進, 彼獨立不進者,

N gūwa dosici, ilihai tutara oci,, 他の者が 突入しても 立ち止まったまま 残る ならば,

J busud oruqul-a bayiγsaγar üj.

ˇekü 5 bolbasu,

他の者が 突入しても(そのまま)居続けて 見て おれば,

M busud 6 oruqui-dur ütele qaraj.

ˇu bayiqu bolbasu,

他の者が 突入しているのに弱々しく 見て いたり すれば,

K4 alaqu, talaqu, j.ˇančiqu, baγuraγulqu, yala abuqu,

殺すか,(家産を) 没収するか,打つか,失脚させるか, 罰金を 取る。

C 或2殺, 或抄家, 或革職, 或罰,或3責治。

N wara, 421/ boigon talara, tantara, hafan efulere,

殺すか, 家産を 没収するか,打つか,職位を 剥奪するか,

J alaqu keyiskekü j.

ˇančiqu, tüsimel ebdekü, yal-a abqu

殺すか,(家産を) 没収するか,打つか,職位を 剥奪するか, 罰金を取るなどの

M alaqu, 7 keyiskekü, j.

ˇančiqu, kergem-i inu ebdekü, yal-a abqu 8 terigüten

殺すか,(家産を) 没収するか,打つか,爵位を 剥奪するか,罰金を取るなどの

K5 yala-yin kündü könggen-i inu tengsej.

ˇü jˇasaγ-iyar. その罪 の 重い 軽い を 調べて 律13)に C 量 罪, 施

N weile gaijara babe weile be tuwame fafun i 罰を 受けるかの所を,罪 を 見て 法 に従って J6 yabudal-i yal-a-yi inu üj.

ˇej.

ˇü jˇasaγ-iyar. ことを,その罪 を 見て, 律 に M üiles-i, yal-a-yi inu üj.

ˇejˇü čaγaj. .

ˇa-bar (12a.) 1 行為を,その罪 を 見て 律 で K6 bolqu,, j.

ˇerge j. ˇasaj.

ˇu oruqui-dur öčügüken

従う。 隊列を整えて(敵陣に)突入する際に 少し

C 法。 進兵時, 既4照信地而入, 如少 13)この「律」が具体的に何を指すのかは,今のところ明らかでない。

(21)

N gamambi,, teksilefi dosire de majige

処置する。隊列を整えて(敵陣に)突入する際, 少し

J bolγay-a,, tegsilej.

ˇü 7 oruqu ba, baqan

従おう。 一斉に (敵陣に)突入するのであって,少し

M jˇasaγlay-a, tegsilej. ˇü oruqui-dur, baγa.

裁こう。 一斉に (敵陣に)突入する際, 少し K (4a.) 1 uridaγsan, öčügüken qojˇidaγsan-iyan, bi uridaba.

先んじたとか少し 遅れたとかを, 「俺は先んじた,

C 有前後5不齊者,

N nendere, majige tutaha be bi nendehe 先んじたり,少し 遅れたりしたのを「俺は先んじた。

J urid kiged, baqan qojˇid boluγsan-i 8 bi uriddaba. 先 や 少し 後になったのを 「俺は先んじた,

M urid baγa 2 qojˇid boluγsan-i, bi uriddaba,. 先や 少し 後になったのを, 「俺は先んじた,

K2 tere qoj.

ˇidaba gej.

ˇü buu kelelče,, teyimü üge-yi

あいつは遅れた」 といって 議論するな。そのような発言を

C 勿得 争講。 即争講6者,亦 N tere tutaha seme ume gisurere

あいつは遅れた」 と 言い立てるな。

J tere qoj.

ˇid-daba kemen buu kelelče,,

あいつは遅れた」 といって 議論するな。

M tere qoj.

ˇiddaba kemen 3 buu kelelče,

あいつは遅れた といって 議論するな。

K3 ülü yabuγulqu bui,, öber-ün tuslaγsan 行なわせない。 自分の ぶつかった C 不 准。 既不退縮,

N daburakū,, ini teisu 認めない。 その者の分の J toγaqu 9 ügei bui,,

考慮し ない。

M toγaqu ügei bui,

考慮し ない。

K4 dayisun-iyan darubasu tedüi kü bui-j.

ˇ-a,, teyimü

敵 を 打ち破ればそれだけ(で充分)であろう。そのような

C 能敗7信地之敵兵。 如此 N bata be biyalurakū gidaci tetendere,, tenteke 敵を 逸脱せずにうち破ればそれでよい。 そのようなこと J (記述なし)

M(記述なし)

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