色彩語における漢字の果たす役割について : 赤・
紅・朱をめぐって
著者 木村 一紀
雑誌名 主流
号 59
ページ 63‑84
発行年 1998‑03‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015141
色彩諸における漢字の呆たす役割について
色彩語における漢字の果たす役割について
一 赤 ・ 紅 ・ 朱 を め ぐ っ て 一
木 村 一 紀
I
序 1 問題提起63
漢字という言語の視覚的要素が私たちの対象認識にどのように影響を与え ているのか.これが本論考の課題である.
この問題に関して鈴木 (1990)の次のような主張がある.すなわち日本語 は(1)音声構造に制約があって,音素が少なく, (2)和語を中心として語の抽象 度が高く, (3)同音異義語が多数存在する,という点から,視覚的な情報であ る漢字が加味されて意味伝達がなされる,というものである.鈴木は次のよ うに言う
日本語では音声は伝達に必要な情報の一部であって,文字情報(あるい はその記憶)が音の情報に加重されたとき,始めて全体としての伝達が 成立することが多い.だからこそ漢字語の場合に表記が,それも日常的 でない高級語集の場合には,とりわけ不可欠のものとなるのである.
しかしながら,視覚的な情報が大きな役割を果たす書き言葉とは異なって,
話し言葉での伝達においては,漢字のはたす役割はほとんど無視できる.こ うした直感から,伝達における漢字の果たす役割を評価する前提として,木 村(1995)では,漢字によって区別される同音異義語や類義語が,そもそも,
どの程度言語使用者の間で区別されているのかを調査した
64 色彩語における漢字の果たす役割について
鈴木は,漢字が伝達における必要不可欠な要素であると主張する.しかし,
そもそも,言語使用者が,書き言葉においてであれ,話し言葉においてであ れ,そうした視覚的要素である漢字による区別ができていなければ,情報伝 達にそうしたものが付随しているとはいえない.すなわち,特定の指示対象 物や,或る動調が指し示す特定の様態と,その特定の漢字が直接,言語使用 者のうちでリンクしていなければ,もともとの区別だてなどない.もし,そ のリンクがうまく成り立っていないのなら,文字情報が加わって伝達が成り 立つなどとは,到底言えないことになる.
先の拙稿では,例えば「足/脚
J r
見る/観る/視る」などが指示対象物 や行為の様態によって使い分けができているのかを調べた.また同時に先の 調査では,同じ音をもちながら漢字の異なる色彩語「あか」をとりあげた.その調査の詳細や結果は先の拙稿にゆずるが,色彩語の調査に関しては,何 ら決定的な結論を下すには至らなかった.その理由として, (1)色彩語の認識 には個人差が大きい.(2)にもかかわらず,対面調査で、あったため,サンプル 数が 11と極めて少なかった,という問題があげられる.
そこで今回は,より大人数をサンプルとした調査を行い,それを集計する 中から,用いられる漢字によって,認識対象である指定された色の範囲が同 じなのか異なっているのか,もし異なっているとすればどのように異なって いるのかを,明らかにしてみたいと考えた.
2 仮説
先の論考に引き続いて今回の調査で取り上げたのは,
r
あか」と読み「赤」「紅
J r
朱J
と書き分けられる色彩語である.色彩語を取り上げた理由は,語 の指し示す対象や範囲が線引きや指示などを通して物理的,客観的に明示さ れるという利点があるためだ.数を用いた調査が可能となれば,その全体的 な傾向も数量的に把握でき,統計的な処理にもなじむ.鈴木が主張するように,伝達が視覚的要素を伴って初めて完結する,とい
色彩語における漢字の果たす役割について 65 うのがもし正しいとすれば,どの言語使用者も,その前提として,同じ音で あっても漢字の異なる語を,それぞれに重なった部分があるにせよ,異なっ たものとして認識しているはずで、ある.そしてその異なりというのは,被験 者の間で相当程度一致を見るものと推定される.なぜなら,
I
赤J I
紅J I
朱」 が違うものであり,どのように違っているのかという共通理解が言語使用者 の関になければ,漢字という視覚的要素が絶えず付随した伝達など成立しょ うもないからである.こうした考え方を「強い説」とする.一方,筆者の立場は,語が独立した環境で用いられる場合は,さほど漢字 に応じた違いというのは意識されず,区別する必要に迫られたときにのみ違 ったものとして認識されるというものである.これを今仮に「弱い説」とす る.従って,同じ音であれば,話し言葉の場合は,その漢字の違いというの は何ら問題とはならず,伝達において漢字が果たす役割は無視できるほどで あるはずだ.同じ音であれば,その視覚的な要素である漢字の違いゆえに,
絶えず違ったものとして認知されるとは必ずしもいえない.
今仮に,独立な孤立した環境の下で認知される赤を
R i
,紅をB i
,朱をS i
とし,対照,弁別の必要下での赤を
R c
,紅をB c
,朱をS c
と,説明の便宜 上呼ぶことにする. (iはINDEPENDENT
[独立]c はCONTRAST
[対照]の略というほどの意味である.)
強い説によれば,次のように表されるであろう.
(1)
R i
ヰB i
宇S i R c
宇B c
宇S c R i = R c B i = B c S i = S c
すなわち,漢字によって区別される色彩語の認知は一定で,どのような環境 の下でも,お互い同士の区別は明瞭であるということになる.
ところが,弱い説によれば,次のような推定が成り立つ.
(2)
R i
キB i
とS i
Rc中B c
宇S c R i
とRcB i
宇B c S i
宇S c
6 6
色彩語における漢字の果たす役割について漢字の違いによらず,別々に調査すれば,三種類の「あか
J
は,ほとんど 変わらないものとして認知される.区別が意識された下で、は当然違ったもの として認知される.だから,必ずしも,r
赤j,r
紅j,r
朱」の認知対象とす る範囲が一定不変のものとは言えない.ただし,r
赤J
だけは,r
あか」とど のような場合でも結びっく一般形として,ほほ変わらないのではないか.そ の意味で「赤」だけはRi
キRc
としておいた.こうした単純な定式化は,もちろん,極論であって,筆者もこうしたすっ きりした形で結果が出てくるものとは考えない.現実の結果はよりこみいっ たものであろうし, (1)と(2)の中聞に位置するものであろう.
今回の調査では,色に伴うイメージについて被験者に聞いてみた.もしタ
「赤j
r
紅jr
朱」について,被験者が違ったものとして認識しているならば,そこから任意に導きだされる「物」ゃ「事柄」もおのずと異なってくるであ ろう.
E 調査方法
方法や材料は前回の調査と同じく,
B e r l i n & Kay ( 1 9 6 9 )
に基づく 3B e r l i n
&Ka
yでも用いられたカラーチャートの上に,質問が記された透明 なOHP
用紙を重ねて,その上に特殊なベンで回答をマークしてもらうとい う形式である 4質問は次のふたつである.
r
(1)次の言葉で表される色の範囲を枠で囲むこ とにより指定してください.j f(2)次の語で表される色でもっとも典型的なも のを黒く塗りつぶすことで指摘してください.j調査は合計4回にわたって 行われた.一度目は「赤J
二度目は「紅」三度目は「朱J
である.ダミーと して,r
赤」の時は「緑」を,r
紅」の時は「青」を「朱J
の時は「黄」を同 時に質問に加えておいた.そして最後の四回目は別々の三枚の用紙に「赤」「紅j
r
朱J
を答えてもらった.一度目から三度目までの調査では「次の色で 思い浮かべる物や事柄を自由に連想して書いてください」という質問も併せ色彩語における漢字の果たす役割について 67 でした.
調査の説明の際,調査者は「紅
J r
朱」のときも「べにJ r
しゅJ
と読むの ではなく「あか」と読むように注意を払った被験者は,園立,私立の大学生約200名であるe 年齢は19歳から23歳ま で.うち女性は30名程度であった.調査は97年5月の終わりから6月の半 ばごろまでの 4回の授業の中で行われ,要した時聞は約 10分ほどであった.
授業に出席する学生が必ずしも同じとは限らないので,調査の震ごとに全体 のサンプル数は異なるし9 メンバーには異同がある。
E 結果および考察
1 データ及びカイ 2乗分析
サンプル全体のうち何パーセントが枠で囲ったか,あるいは印をつけたか を示したものがAppendixA‑1, A‑2である。 A圃1¥まタ最初の賀間すなわち,
次の言葉で、表される色の範囲を枠で囲むことにより指定してください」
に対して囲った部分を集計したものである。例えば,第一回目の
i
赤」の調 査では,カラーチャート中ElヲE2,E3ヲF40のマスは,サンプル中100%が 枠で酉ったことを示している.A ‑ l a .
は独立した環境で尋ねた前3
回のデー タを示し,A ‑ l b .
i土四度目のテストすなわち,一度に「赤J r
紅J r
朱」を訊 いたときのデータを示している。典型的な一枚を指摘させる2番目の質問の結果はA‑2に示す。
以下ヲ説明の便宜上 1章2節で用いた略称を用いて,結果を概観する.
範囲指定については次のようなことが言える。 RiとRciま被験者の聞で一 致度が極めて高いのに対して, Bi, Bc, Si, Scいずれもばらつきが大きい。
範囲指定している部分について, Ri, RcとBi,Bcとの聞ではそう大きな 差はないが, Si, Scは明らかにそれらとは異なってp 明度の高い,カラー チャートの上の方にシフトしている。いずれの色に関しても9 独立した環境 下で指定された範囲と,対照の必要な環境下で指定された範囲には,おおむ
68 色彩諸における漢字の果たす役割について
ね変わりがないことが見て取れる.ただ, Riよりも R心の方が範囲指定をし ている面積が狭くなっている傾向が見て取れる.すなわち,
r
赤J
では,対 照下ではより限定的な指定がなされている.典型色の指定に関しては,範囲指定とは様相を異にする.典型的な一枚は どれかと訊かれたときには9 独立テストでは, Ri, Bi, Si,いずれもが,カ ラーチャート中の間一箇所
F3
をもっとも多くの被験者が指摘しているが,Riはばらつきが広く,より明るい色の方を指示している傾向が見て取れる.
また Siでは, D6 ~ 8の部分を指定している被験者も散見される.一方,
対照テストでは,三種類の間で異なった場所を指定していて, Rcについて はRiとそう指定位置は変わらないのに対して, Bcでは多くが日音色系にシフ トしている.ただし一部は同じく
F3
を示している被験者も残る.また,Sc でも明度の高いカラチャート中 D4~8を多くの被験者が指し示してい る.すなわち9 明らかにう対照テスト時には,独立テスト時とは違った部分 を多くの被験者は指定していると見なしてよいであろう.
毎回約200名弱の被験者中より 4固とも調査を受けたサンプル100名を 抽出し,範囲指定の質問で出たデータに関して,カイ
2
乗分析を行った.そ の際,計算の便宜上9 カラーチャート中の限られた範囲( D‑H
,1‑6 )
までの合計30の枠に出たデータを対象とする.なお,カイ 2乗分析に当た っては,データ処理やその値の算定方法に工夫を加えている.カイ2
乗分析 の方法や,本調査でのデータの処理方法は本文では割愛する独立・対照各テスト時における赤・紅・朱どうしの曙たり
x 2 1 i
直 Ri & Bi & Si 49.938 Rc & Bc & Sc 129.482 5 %点はl=79.819
自由度:::58色彩語における漢字の果たす役割jについて 独立・対照各テスト時における
2
色聞の隔たりx
2値Ri&Bi 8 . 0 4 1 Ri &Si 3 3 . 3 0 4 Rc&Bc 3 7 . 0 8 4 Rc&Sc 9 9 . 9 2 5
5 %
点はX2 = 4 2 . 5 5 7
自由度=29
同一色の独立テストと対照テストの間での隔たり
X 2
値Ri&Rc Bi&Bc S i & Sc
3 4 . 5 1 0 1
1.058 4 . 7 0 9 5 %
点はX 2 = 4 2 . 5 5 7
自由度=29
69
ここでは,統計上の有意差があるかないかは問題としない.相対的な尺度 として差の大きさを表す数値に着目すれば,先の
A p p e n d i xA
において色の 濃淡で直観的に表されていた差が,量として表現されていることがわかる.すなわち,
r
赤j,r
紅j,r
朱」の3つを比べれば,対照テスト時の方が差 が大きい.独立テストでは,r
赤」と「紅」とはそう変わらないが,r
赤」と「朱」はより異なる.対照テストでは,独立テスト時より,
r
赤」と「紅j,「赤j と「朱」の差が大きく,
r
朱」は「赤」ともっとも異なったものとして 認識されている.同じ色を独立テストと対照テストで比較してみると,もっ とも異なっているのは,意外なことに「赤J
である.これは9 対照テストでは,指定する範囲が狭くなったことが反映されている.独立テストと対照テ ストでず、れが少なかったのは,
r
朱」であった.範囲指定に関する以上のデータを整理すると,次のようになるであろう.
7 0
色彩諸における漢字の果たす役割についてR i
キB i
宇S i Rc
宇Bc
中S c B i
キBc S i = S c
R i
とRc
はRc
で範囲が狭くなったとが値に出たためで,指定している部分 がずれているわけではない.違いとまでは言えないであろう.2
r
朱」弁別群の存在次に,本調査で明らかになった興味深いデータについて指摘しておきた
し、
ここでは,被験者が,範囲指定した面積に着目する.面積とは,この場合9
カラーチャート中の一枚,すなわち,一区画をマークしたなら 1と見なす.
例えば,
R i
テスト時に抽出対象となった1 0 0
名の被験者がマ}クした平均 的な面積は, 37.9であった.すなわち,平均37.9区画を「赤」の範囲とし て指定したことになる.これに対してRc
テスト時は2 8 . 9
区画であった.対 照テスト時はその範囲を限定して認識していることが明らかである.この範囲指定した広さに関して「朱」で下のグラフに見られるような特徴 が現れた.これは縦軸に被験者数,横軸に面積をとった,
S c
テスト時のデ )タである.色彩語における漢字の果たす役割について 71 グラフに明らかなように, Rcの範囲を極めて限定的に認識しているグル ープと,そうではなくて,
r
赤」とはそう違わない広さで(その位置はとも かくとして)範囲指定しているグループとに分けられる.限定的に範囲指定した被験者を弁別群と仮に呼ぶとする.さらに,
S i
テスト時,Sc
テスト時 いずれにおいても面積1 5
以下しか範囲指定しなかった被験者を抽出して,その範囲指定した位置を調べてみる。(全サンプル100名中30名であった.) すると,いずれも,カラーチャート中の明度の高い部分 (D4 ~ 8, E 6 ~ 8)にかたまっており,典型色の指摘においても同様の一帯に分布していた.
Appendix A‑3に弁別群とそれ以外のサンプル (70名)の対照テスト時の範 囲指定を集計したものをそれぞれ分割した形で示す. (百分率を色分けで示 す.弁別群の分母は30.非弁別群の分母は70.)
また,色にまつわる物や事柄を問う質問においては,弁別群では,次のよ うな回答があったa 同一内容で表記の異なるもの(例:リンゴ, りんご,夕 陽,夕日など)は一つにまとめである.
朱 肉 (5例),血 (417U), 鳥 居 (3例), 朝 焼 け (3例), 印 鑑 (3例) はんこ,印,夕焼け (2例), 夕 日 (2例),あずき,ぜんざい,沖縄,
中国,オウム,寿,クジャク,封筒, トマト,口紅,赤,薄い赤,ヒガ ンバナ,紅, 怒,太陽,柿,花,危険,テストの点数,ミカン,熱,
紅葉,もみじ,チューリップ,輪島塗,朱の盆,イチゴ,平安神宮の柱
弁別群を除いたサンプルの回答は次のようなものであった.
血 (21例), トマト (11例),リンゴ (8例), 炎 (7例),
イチゴc7例),信号c7例),太陽(
6
例),パラ(6
例),夕日c7例),火 (5例),夕焼け (4例),情熱 (4例),ポスト (3例),印鑑(2例),
インク (2例), も み じ (2例)危険 (2例),口柾 (2例),神社 (2 例),鳥居(2例),お祝い事,朝日,マンゴスチン,スイカの中身,肉,
72 色彩語における漢字の呆たす役割について
朱ぞめ,昔,冬,危険,マグマ,消防車,たいまつの火,紅,唇,ほお ずき,消防車,チューリップ,スイカ,歯ぐき,闘志,愛,力,ケガ,
烏,秋,止まれ,花,旗,坂,うそ, トナカイの鼻,着物,サクランボ,
いちじく,アツイ,目立つ,悪,うめぼし,オレンジ,お面の模様
ここで同じ被験者
1 0 0
名の「赤jでの回答を示す.血
( 7 3
例),血液( 4
例),火( 2 6
例),太陽( 2 6
例),信号( 2 2
例),情熱
( 2 0
例),リンゴ( 1 6
例), トマト( 1 5
例),炎( 1 1
例),夕日( 1 1
例),ポスト( 1 0
例),パラ( 7
例),イチゴ( 6
例),日の丸( 4
例)消 防車 (4例),ワイン (3例),戦争 (3例),広島カーブ (3例),うそ( 3
例), トマトジュース( 2
例),夏( 2
例),闘牛( 2
例),車( 2
例),怒り
( 2
例)夕焼け( 2
例)チューリップ( 2
例),危険( 2
例),温かい (2例),火事,紅葉, 注意,熱血,サクランボ,力,生命,活発,フ エラーリ,熱い,花,止まれ,危険,口紅,赤ボールベン,チョーク,危険を知らせる,ヒガンバナ,カーネーション,うさぎの目,フエラー リ,ポルシェ,激しさ,暑さ,活山,月,日,ヴァンパイア,興奮,赤 とんぼ,はげしさ, 暖色,救急車,緊急, トラクター,熱,まちがい,
カピ,印鑑,ハチマキ,夕方,肉,英雄,象徴,星,女性,口紅,秋,
もみじ,タイ,夕暮れ,リチウム燃焼, トンボ,花,屋根,看板,マル ボロ,チェリー,コカコーラ,緊張感,愛,赤ベン,赤い服,赤インク,
標識
色と結びっく物や事柄を尋ねた場合,非弁別群では「赤」とそう変わらな い回答を示した.すなわち,
r
朱」といえども,想起される物事は,r
赤」と 同じく「血J r
火J r
炎」等々である.これに対して,弁別群では,被験者は「朱肉
J r
印鑑J r
鳥居」など,特異な物事と結び付けている.むろん,非弁 別群にも「鳥居J r
神社」などが散見されるが.色彩語における漢字の果たす役割について 73 つまり,
r
朱」の色としての認知対象が「赤」にたいして限定的,弁別的 である被験者は,その色で想起される物事もきっちり区別されている。ここから次のようなことが結論づけられはしまいか.
r
赤」とは異なる正 しい,すなわち広く一般的に受け入れられた「朱」の色イメ}ジを持つもの は,その「朱」の色を持つ具体的な物事,例えば「朱肉J r
印鑑J r
鳥居」な どと密接に関連させてそのイメージを構成していると.ただ,改めて強調し ておけば,それができているのは全被験者中の30%にしか過ぎないという ことだ.「赤
J
と「朱」の違いを認識しているものが,一部にとどまったという事 実に対してどのような説明が可能であろうか.漢字を習得し,その視覚的要 素と認知対象である色のイメージをきっちりリンクさせているかどうかは,その被験者がこれまでに負ってきた経験や受けてきた教育によるところが大 きいと考えられはしまいか.
3
色彩カテゴリー論の観点から「朱」弁別群の存在に関して,色彩カテゴリー論で提起されている問題点 に論及しておきたい.
内川(1
9 9 5 )
は,色のカテゴリカルな認知に関して,さまざまな実験結果 や先行研究を引用しつつ,1 1
の基本色に対応する神経生理学的なメカニズ ムが脳内にあることを示唆する 7いっぽうで
Wierzbicka( 1 9 9 6 )
はDespitet h e i r i n d i r e c t l i n k s with human neurophysiology , the meanings o f c o l o u r terms a r e c u l t u r a l a r t e f a c t s . "
であるとして,知覚にかかわる脳の神経生理と色のカテゴリー の結ぴっきはむしろ間接的なものであって,色のカテゴリーを形作るのは,人間の経験から導きだされる概念
c o n c e p t "
だとする 8経験世界を取り巻 く物事に密接にかかわる形で,色カテゴリーが名付けられていて,それらが 普遍的であるのは,ある物事については人類にとって普遍的であり,他方,7 4
色彩語における漢字の果たす役割について相対的に見えるのは,必ずしも,もろもろの物が全ての文化社会に共通しで あるとは限らないからである.そして,そのカテゴリー形成が文化社会によ ってなにほどか恋意的であることも,相対化に寄与する.
Wierzbicka
は,ブラジルのタリアナ語のデータを引きつつ,いかに言語 使用者の身近な事物(例えば,夜,日光,火,太陽,空)などとカテゴリー が結び付きながら基本色彩語が決定づけられているかを述べる.また,人間 の脳内に知覚のメカニズムが内在することは否定しないけれども,色の認識 なるものが他者とのコミュニケーションにかかわるとき,人間の外側にある 経験世界の事物に何らかの形で投影されなければ,うまく伝わりも,一つの イメージとして他者との聞で共有もされないだろうと主張する.上述のように「朱
J
という色カテゴリーを形成している者は,その色カテ ゴリーを持つ物事(例えば朱肉,鳥居)を想起しうるという観察が得られた.これは,色の区別が経験世界に存在する物を媒介としてなされるということ を示唆するものであり,それは
Wierzbicka
の観察を裏付けるものである.しかし,
I
朱」は,基礎語葉とは言えず,むしろ,経験や学習を通して習 得されるものである.内川やWierzbicka
が問題にしているのは,あくまで 基礎語棄で表される色カテゴリーであろうから,そうした事実をもって,色 カテゴリーが脳内の神経生理メカニズムに内在するのか,あるいは,人間の 経験世界から導きだされるものかという議論にまで踏み込むものではない.町 結 び
本調査の結果を概観すると次のようにまとめることができる.
I
赤」につ いては,どのような環境下にあっても一貫した,被験者間で一致できる認知 領域が存在する.I
紅」については,その領域は,おおむね「赤」と変わら ないが,いくぶんぱらつきがある.また,一部の被験者が比較対照の下でそ の典型色について異なりを見せる.I
朱J
については,それを明確に異なっ て限定的なものと認識できる被験者が3
割存在する.色彩語における漢字の果たす役割について 75 こうした観察に基づくなら,少なくとも,先述の「強い説」は棄却される.
被験者だけに限って言えば,彼らすべてが,終始一貫して,
r
赤J r
紅J r
朱」ど う し を 違 っ た も の と し て 認 識 し て い る と は い え な い こ と が 明 ら か と な っ た.
少なくとも「赤」と「紅」については,それらを比較対照する環境下に置 かなければ,きわめて似通ったものとして認識しているといえる。
ただし,本調査の結果をもって,言語使用者全体の傾向として一般化する ことには無理がある.とりわけ活字離れが著しいとの批判もある若年層に被 験者が限定されている.同種の調査の場合,今後は,調査対象をより幅広と っていく必要を痛感させられた.
注
1 鈴木孝夫『日本語と外国語j(東京:岩波新書, 1990), p. 201.
なお本書は一般向けである.この主張はさまざまな著書で繰り返されているが,
その出発点となっているのは, Takao Suzuki, A Semαntic Anαlysis of Present‑ Dα:y J.αpαnese: with Pαrticulαr Reference to the Role of Chinese Chαrαcters (Tokyo: The Keiko Institute of Cultural and Linguistic Studies, 1963)である.
2木村一紀「日本語使用における漢字の機能に関する一考祭
J r
宮崎産業経営大学 研究紀要.J, 8巻2号, (1995), 95‑115.3 Brent Berlin and Paul Kay, Bαsic Color Terms: Their Universαlity and Evolution (Berkley: University of California Press, 1969).
4 今回,事情によりこのカラーチャートは割愛せざるを得なかった.
Berlin & Kayを是非参照していただくようお願いする.また近著C.L. Hardin and Luisa Maffi (eds.), Color Categories in Thought and Lαnguage (Cambridge:
Cambridge University Press, 1997)の表紙にもこのカラーチャートが採用されて いる.
5被験者にこのように注意を促したとしても,紅を「べに」とよみ朱を「しゅ」と 読むという音声上の影響は排除されない.となると,必ずしも同音異義語を調査し たことにはならず,
I
赤J I
朱(しゅ) JI
紅(べに) J
の3つの異なった語の認知範 囲の調査をしているにすぎないとの批判も生じるであろう.この点は,確かに本調 査の限界といってもよいであろう.ただそのように仮にみなしたとしても,結果に おいてそれぞ、れがそう違わないものであったなら,音が同じとみなすのであれ,異 なっているとみなすのであれ,同じなわけだから,強い説は否定されるであろうB76 色彩語における漢字の呆たす役割について
ただし,もし,結呆において違いが生じたのなら,音の違いという要素の介在が疑 われることはやむを得ない.
6 カイ 2乗分析のあらましは次の通りである.
今仮にいびつに形がゆがんでいるかどうかわからないサイコロが在ったとする.
これが実際にゆがんでいるかどうかを調べるにはどうすればよいか.合計60回サ イコロを振って1から6までの日が次のように出たとする.
(1)
1 2 3 4 5 6
0
,
15 7 4 11 6 17~ 10 10 10 10 10 10 もしこのサイコロが完全に均等であったら ,e
iにあるように10回ずつ出るのが 理想的な値である.これを期待度数とよぶ.この理想的な値に実際の観測したデー タがどれほど一致しているかをはかる尺度が,カイ 2乗値と呼ばれるもので,それ は次の式(2)で表される.
つ も (0,‑e)2 (2)
x "
= ...,2戸"1 ei
0,とe,は i番目の観測度数と期待度数をあらわわし,kはマス自の数を意味する.
すなわちここでは6である.このサイコロの場合の
x
2の値は次の(3)のようになる.(3) X2(15‑10)2(71012(4‑10)2(11ー10)2. (6 ‑10)2 +一一一一一一一 +一一←一一一+,‑‑ +一一一一一一一 10 10 10 10 10 (17一10)2
一一一一一 = 13.6 10
もしこのサイコロが期待値と完全に一致するなら ,X2=0である.しかし,偶然 によるぱらつきもあるだろう
x
2値が,非常に小さな確率でしか,例えば,5 % 未満でしか起こらないような大きなものであれば,このサイコロは,偶然の確率を 超えて有意にいびつなサイコロであると認定することができる.これをカイ2乗分 布の表で調べる.この場合は,自国度は h・1で与えられるから,ここでは 5である.自由度の考え方についてはここでは省略する.自由度5の5 %点、は ,X2=11.07で ある.従ってこの場合は,期待度数と観測度数との議離は危険率5 %で有意に大き
くて,サイコロはいびつで、あったと認定される.以上は次の文献を参考にしている.
P.G,ホエール著,浅井晃,村上正康共訳『初等統計学.1 (東京:培風館, 1970). さてこうした手法を本調査で上がってきたデータに適用するとどうなるか.まず,
分析のデータの範囲を確定する.多くのサンプルがマークした区画を抽出する.そ
色彩語における漢字の果たす役割について 77 れらは,カラーチャート中, Dl ~ D6, E1 ~ E6, F1 ‑ F6, Gl ~ G6, H1 ‑ H6 の合計30区画のデータである.その度数は次の表(4)の通りである.
(4)
D1 D2 D3 … … 廷5 H6 Ri 54 57 印 …・・ 12 4 Bi 50 50 67 … お 10
つまり「赤」の独立テストの範囲指定の課題では, 100名中54名が枠のうちに納 めたことを表している.
もし, RiがBiと全く同じであったなら,カイ 2乗値はOになるであろう.しか し,違ったものであったら,その違いに応じてカイ 2乗値は大きくなるであろう.
そこで, Riに出た度数を期待度数とし, Biを観測度数として公式(2)を当てはめれ ばよい.こここでの自由度は29である.
以下にまとめて, Riを期待値としてBiとSiとの隔たりを, Rcを期待値として BcとScとの隔たりを示すと次のようになる.
(5)
x
2Ri&Bi 148.016 Ri&Si 281.076 Rc&Sc 186.847
Rc & Sc 335.068 5 %点は X2=42.557 自由度=29 つぎに独立テストのデータを期待値として,対照テストにおける同じ色の隔たり を調べてみる.
(6)
X2 Ri & Rc 113.724 Bi & Bc 104.287
Si & Sc 100.078 5 %点は X2=42.557 自由度=29 いずれの X2値も,すべて棄却域に落ちて,差があるものと認められる.しかし,
今回の調査のデータは,必ずしも厳密な意味でカイ 2乗分析になじむものとは言え ない.この数値を統計上有意差があるないといった意味でとらえらえるのではなく,
数値を差(すなわち大きいほど差がある)のひとつの目安と考えればよいであろ
っ .
それは次のような理由による.すなわち,枠の中に納められる度数の総数が,先 のサイコロの場合のように,観測度数,期待度数いずれも 60というように一定に 決められているわけではない.この場合,全体としてはRi,Biいずれもが一定の
78 色彩語における漢字の呆たす役割について
同じ度数を枠へ分配し,そのお互い同士の偏りを検定しているわけではない.被験 者は各自が任意にカラーチャート中の適切と思う範囲を囲んだに過ぎないからであ る.事実, RiのD1‑H6の度数の合計は2430であり, Biは1666であった.全 体としてのこうした差が,結果としてでた比較的大きなカイ 2乗値に反映している ものと見られる.有意差を問題とせず,値の相対的な大小を問題とすべきだとした のは,このような点からである.
そこでこうした難点を克服するために,次のような前提を立てる.もし,
r
赤」「紅
J r
朱」が同じであったなら,各々は各々の合計度数を反映してデータがでるで あろう.この「赤J r
紅J r
朱」の割合を反映した度数を,期待度数として,それからの隔たりをカイ2乗値とすればどうか.
(7)
D1 D2 D3 D4 H6 合計 Ri r] r2 r
,
r,
rn r却 a] Bi b] b2 b, b, bn b却 a, Si s. s. s 30 ‑‑3 合計 A] A, A,
A,
An A30 N 表(7)ではA]はD1の枠におけるRi,Bi, Siの度数の合計であり, a]はRiのす べての枠の度数の合計である.そこで,先の前提に基づけば,例えば, RiのD1での期待度数は, A]xa/Nと なる.これに従って期待度数を表にすると.
(8)
D1 D2 ・H ・H ・ H6 Ri ai' A/N a]・A
f N
a]・A/N a]・A,/N Bi a2・AlN a2・Af N
a2・A/N a,・ A,/N Si a,・ AlN a・, Af N
a,・ AJN a,・A,/N 表(8)を期待度数とし表(7)を現実の観測度数としてカイ2乗値を計算すればよい.その式は次の(9)のようになる.
(9)
X 2 = Z (ヘ乎 Y ( b
n ‑a~r. k 手 r
一 一 一
α人 α人 αβ
N N N
この場合の自由度は, 30列3行の表だから,それぞれより Iづっヲ│いた29x 2=58である.2種類の色でやる場合は, 2つを合計した総数をNとし,それぞれの 色の合計を N で割って比率を求め,その比率を各枠で合計したものに掛け合わせ
色彩語における漢字の呆たす役割について 79 て期待度数とすればよい.本文に示してある数値はこうした計算方法に基づいて算 出されたものである.
ここでの問題点は,逆に,被験者が範囲指定した総数,すなわち面積の広さが捨 象されてカイ2乗値がでてしまうという点だろう.従って,どの数値も概して低く,
有意差なしの判定が多くなっている.有意差のあるなしでなく,ここでも,相対的 な大小を問題とすべきであろう.
7内川恵二「色の見えのモード,恒常性,カテゴリー,記憶 脳の高次レベルに おける色覚の心理物理学
J r
科学j65巻7号 (1995),429‑437.8 Anna Wierzbicka
,
Semαntics: Primes αnd Universαls (Oxford: Oxford University Press, 1996), pp. 287‑334.なおこの色に関する章の初出は "The Meaning of Colour Terms: Semantics, Culture, and Cognition," Cognitive Linguistics 1, 1 (1990), 99‑150.である.80 色彩語における漢字の果たす役割について APPENDIX A‑la
赤 ・独 立・範 囲 指 定 Ri
紅 ・ 独 立 ・ 範 囲 指 定 Bi
朱 ・ 独 立・範 囲 指 定 Si
色彩諸における漢字の果たす役割について 81
APPENDIX A‑lb 赤 ・ 対 照 ・ 範 間 指 定 Rc
紅 ・ 対 照・範 囲 指 定 Bc
朱 ・対 照 ・ 範 囲 指 定 Sc
82 色彩語における漢字の果たす役割について
APPENDIXA司2a
赤 ・ 独 立 ・ 典 型 1 2 3 4 B
C D
i
覇 再
E F G H I J
紅 ・独 立 ・ 典 型 1 2 3 4 B
C D E F G H I J
朱・独 立 ・ 典 型 1 2 3 4 B
C D E F G H I
5 6 7 8 9 110 33 36
5 6 7 8 9 10 33 34
5 6 7 8 9 10 33 34
37 39 40
37 40
37 139 40
色彩語における漢字の果たす役割について
APPENDIX A‑2b 赤 ・対 照 ・ 典 型
1 2 3 4 B
C D
E
量 霊
F G H I J
紅 ・ 対 照 ・ 典 型 1 1 2 314 B
C D E F G H I J
朱 ・ 対 照 ・ 典 型 1 1 2 314 B
C D E F G H I
5 6
516
516
7 8 9 10 33 34 36 137
718 9110 33 34 35 36 37
718 9110
一
33 34 35 36 37品 :
83
39
38 39 40
38 39 40
84 色彩語における漢字の果たす役割について
APPENDIX A‑3
朱 対 照 テ ス ト 範 閥 指 定 弁 別 群 サンプル数 30名
1 2 3 4 5 6 7 8 9
133 35 36 39
四 空
B
C
圃 , .;
D E F G 日
I J
朱 対 照 テ ス ト 範 囲 指定 非 弁 別 群 サンプル数 70名