を考えるために : 神山町のまちづくりについての 事例調査
著者 梅原 豊
雑誌名 同志社政策科学院生論集
巻 8
ページ 15‑27
発行年 2019‑02‑25
権利 同志社大学政策学部・総合政策科学研究科政策学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000407
概 要
日本社会は今後、長期にわたる人口減少が続 き、また、これまでの学生生活→就職→引退と いう決まったルートとは異なる人生100年時代 をどう生きるのかという新たな課題に直面して いくことになる。
その一方では、AIやスマートロボット等の 新しい技術が産業や日常生活、地域へとあまね く活用が進み、これまでのあたり前のシステム が180度覆されると予想されるなど、大きな変 化にさらされることになる。
その最前線といえる市町村や地域のコミュニ ティにおいて、持続可能性のある社会づくり、
地域で弱者を孤立させない社会的包摂、内発的 なイノベーション等を含めた地域のつくり直し に向けて、今後どのようにしてローカル・ガバ ナンスを構築していけるのか。毎年地域を襲う 災害対応にも追われる中、もはや市町村ではガ バメント単独での対応は不可能といえる。地域 での新しいガバナンスのあり方について考察を 進めるため、今回は独自の地域づくりを先駆的 に行ってきた徳島県神山町にスポットを当て事 例調査を行うものである。
1 はじめに
最近は地域創生のモデルとしても取り上げら れることが多い神山町であるが、30年近いチャ レンジと試行錯誤の結果として今の神山町があ る。まさしく神山町は一夜にしてならずである。
本論文では、神山町におけるまちづくりの変遷を たどりながら、なぜ神山町が神山町となったのか、
その革新性と普遍性を分析し、神山町で自然発 生的につくり上げられてきたローカル・ガバナン スのメカニズムについて明らかにするとともに、
まとめとして、神山町にみるローカル・ガバナン ス形成・運営の構成要素を整理している。
2 神山町の概要
神山町は徳島県東部に属し、徳島市役所とは 車で約45分の距離にある。面積は徳島県内24 自治体中9番目の173.31㎢、町中央を鮎あ喰く い川が わ が東西に流れ、上中流域に農地と集落が点在し、
300〜1,500メートル級の山々が集落を囲んで
いる。年平均気温は14℃前後、年間降水量は
2,100㎜前後で、寒暖の差が激しく、地区によっ
ては冬に数センチの積雪がある。
町としての沿革は、1889年(明治22年)市 制町村制施行により広野・阿川両村が合併した
「阿野村」、下分上山・左右内両村が合併した「下 分上山村」に、「神領村」、「鬼籠野村」「上分上 山村」を合わせた5村ができ、1955年、5村が 合併して「神山町」が誕生し、現在に至ってい る(神山町 2011:4-5)。
3 データでみる神山町の過去、現在、
未来
~ 神山町の地方創生戦略、人口ビジョ ン等から~
3. 1 人口関係
神山町はかつて林業で栄え、1950年の21,241
人口減少社会に向けてのローカル・ガバナンス構築を考えるために
〜神山町のまちづくりについての事例調査〜
梅 原 豊
人をピークに減少(神山町 2018:57)し、国勢 調査では1990年に9,468人、近年では2000年 に7,798人、2005年に6,924人、2010年に6,038 人、2015年に5,357人となっている。
2005年度は117人の自然減、84人の社会減、
2010年度は103人の自然減、24人の社会減、
2015年度は111人の自然減、14人の社会減、
直近の2017年度は127人の自然減、50人の社 会減、2,461世帯(神山町ホームページ「人口 と世帯数」)となっており、2011年度は町史上 初めて12人の社会増を記録している。
町人口ビジョンでは、
○ このままでは、2040年には2,443人、2060
年には1,145人まで減少する見込み(神山
町 2018:57)。
○ 2010年に6.5%だった年少人口(0〜14歳)
は今後もそのまま低い水準で推移、高齢化 率のピークは2030年の58.4%、以降も横 ばい(神山町 2018:57)。
○ 転出入をみると、男女とも15〜34歳で多 くの転出(高校や大学、就職、結婚などが 転出の契機)があり、35〜74歳で転入超 過、女性は40歳前後、男性は50〜64歳 で転入が多い(神山町 2018:59)。
○ 0〜9歳児の転入増があり、子育て世代の 転入もみられる(神山町 2018:60)。
○ 合計特殊出生率は、近隣市町村と大きく変 わらず1.41となっているが、人口を保つ ために必要とされる水準2.07からは大き く下回っている(神山町 2018:58)。
となっている。
3. 2 小中学校
小学校は、2015年で、神領小学校・児童数 89人、広野小学校・児童数37人の2校。1学 級当たりの児童数は神領小学校が14.8人、広 野小学校が6.2人、中学校は、神山中学校・生 徒数38人、神山東中学校・生徒数32人、1学 級当たりの生徒数は神山中学校が12.7人、神 山東中学校が10.7人(神山東中学校は、2016 年からは神山中学校へ統合)となっている(神 山町 2018:60-61)。
人口ビジョンでは、「現在の小学校2校を維 持しつつ、競争や多様性をいかして確かな学力 や豊かな心を育むには、現在の1学年20人程
度の子どもの数は欠かせないと考える(神山町 2018:61)。」と述べられている。
3. 3 経済の規模と構造
2012年の町内総生産額は約120億円、町民 一人当たりでは横ばいで推移、業種別では農 業と不動産に関する生産額は安定しているが、
サービス業と製造業が年々縮小している。総所 得は総生産額と同様の動きをしており、人口一 人当たり雇用者報酬では安定しているが、総額 は人口減少と連動して減少していっている(神 山町 2018:66)。
3. 4 業種別従業者数と業種別事業所規模
地域経済の縮小とともに事業所数は減少、サービス業の生産額は減少しているが、従業者 数は増加傾向にある。2006年と2011年の比較 では、農林水産業が大きく従業者数を増加させ ている。一方、建設業、製造業、卸売・小売業 の従業者数は年々減少している(神山町 2018:
67-68)。
事業所規模では、町全体では2011年で平均 4.8人/事業所と、零細事業所が多く、大口事 業所の上位2つは神山町役場の106人、㈱神山 温泉の60人。平均では農林水産業が20人以上 と一番多く、個人あるいは零細事業所の廃業・
閉鎖・集約が進んでおり、廃業による雇用減が 多いのは製造業、小売業、建設業となっている
(神山町 2018:68-69)。
4 神山町におけるまちづくりの変遷
ここでは便宜上、3つの区分に分けて、神山 町のまちづくりの変遷を追ってみたい。4. 1 民からの発信、まちづくり模索の時 代(1991 ~ 2007 年)
これまでのまちづくりの担い手であるNPO 法人グリーンバレー(以下NPO法人は省略)
の前理事長、大南 信也氏がいうように、神山 町は全国にどこにでもある普通の田舎である。
この普通の田舎で現在につながる最初の活動
が起きたのは、1991年3月。戦前に米国から 神山町に贈られてきたアリスの人形(1927年、
当時日本人移民排斥問題で日米関係が悪化し、
親日家が全米に呼びかけ、友好の印として日本 の小学校や幼稚園に贈ったもの)を、つくられ た故郷に帰すため、民間有志による「アリス里 帰り推進委員会」が結成され、小学生を含む訪 問団30人がペンシルバニア州を訪問した。
アリスの里帰り推進委員会が結成された発端 は、神山町で生まれ、スタンフォード大学の大 学院に2年間の留学後、神山町に戻り、父親 の会社を継いで建設業を営んでいた大南氏が、
PTAの会合で訪ねた神領小学校の廊下に飾られ ていたアリスの人形をみて、里帰りを思いつい たのが始まりである。帰国後、訪問メンバーが 核となって1992年3月に、民間組織「神山町 国際交流協会」が設立され、徳島県の小中学校 で日本人教師をサポートする外国語指導助手、
30〜50名の研修を毎年神山町に受け入れ、ホー ムステイを実施し、2005年までの13年間、活 動が続けられた。
1997年1月、徳島県が新長期計画を策定。
その中に「とくしま国際文化村構想」が記載さ れているのをみて、神山町こそふさわしいと、
神山町内で「国際文化村委員会」が設立され、
1999年からは「神山アーティスト・イン・レ ジデンス」の事業をスタートさせている。
本事業は、神山町に国際文化村をといっても 何をしたらよいのかわからない大南氏たちが、
県職員に相談に行き知ったのである。メンバー 14人と関西の先進地への視察、町と県からの 補助金獲得、計440万円の寄付金も集め、アト リエとして小学校の空き教室を、宿としてキャ ンプ場のキャビンを確保し、神山町国際交流協 会により(現在は実行委員会で実施)事業の準 備が進められ、1999年秋、英仏日から1人ず つの計3人のアーティストが神山町に滞在、作 品の制作を行った。
神山アーティスト・イン・レジデンス事業は 行政の補助金を得て実施しているとはいえ、小 学校やもと保育所などの空き施設をアトリエや 宿舎に活用し、住民によるアーティストの選考 と作品づくりのサポート(アーティストの日常
生活のお世話をする「お母さん役」と作品づく りをサポートする「お父さん役」をグリーンバ レーが住民の中から決定)による運営が行わ れていることが特徴である。絵画や彫刻、写 真、ビデオ作品、空間芸術など多彩な芸術活動 を受け入れ、心温まるもてなしと細かいルール を課さない人間本位のプログラムを提供する神 山町のプログラムに若いアーティストたちは心 を惹かれるようになる。「2年目に4人だった
(アーティストの)応募者は年々増え、17回目 の2015年には163人、うち141人が国外から」
(朝日新聞「神山町の挑戦 1部 グリーンバ レーの軌跡 No.09」(2016.10.14))となってい る。
このころから、「単発的なイベント実施」か ら未来の姿を描いて、現在やることを決め、継 続して実施していくまちづくりのスタイルが確 立1していき、2004年11月、まちづくり推進 のエンジンとしてグリーンバレーを設立、2007 年4月からは神山町農村環境改善センターの指 定管理を町から受託している。
アリスの里帰りで集まった住民から始まった 神山町でのまちづくりの活動は、神山町国際交 流協会、国際文化村委員会、グリーンバレーと 組織を変えていく。また、住民を巻き込んだ国 際交流、アーティスト・イン・レジデンス、そ して次のまちづくりへと事業の形を変えつつ、
成功体験を重ねながら、あるべき未来の姿を描 き、より多くの人と共有しながら、それに向かっ て継続して試行錯誤を重ねるまちづくりのスタ イルを確立させていった時代である。
4. 2 「創造的過疎」づくりに向けて神山 プロジェクトの確立と推進(2007
~ 2015 年)
4. 2. 1 創造的過疎
2007年、「過疎、人口減少の趨勢は変えられ ない。それを受け入れるが、内容は変えること ができる。」ということで、「創造的過疎(外部 から若者やクリエイティブな人材を誘致するこ とにより人口構成を健全化させたり、多様な働
1 2017年2月14日、筆者が神山町に調査に訪れた際、大南氏本人から聞いた言葉。
き方を実現できるビジネスの場としての価値を 高め、農林業だけに頼らない、バランスのとれ た、持続可能な地域をめざす。)」という言葉を 確立させている。
4. 2. 2 ワーク・イン・レジデンス
2007年10月、グリーンバレーが神山町移住 交流支援センターの運営を町から受託し、2008 年、総務省のモデル事業としてウェブサイト「イ ン神山」を公開した。アート関連の情報発信が 目的であったが、一番人気は「神山に暮らす」
というコーナーであった。
移住の一番の問題は雇用先がないことという 認識から、神山町にない仕事の働き手や起業者 を逆指定して、空き家の活用募集を実施する
「ワーク・イン・レジデンス」をスタートさせた。
誰でもいいからではなく、また、農林水産業に 従事する人にこだわるのではなく、力がある人 で地域に相性が合う人を優先して空き家を紹介 し誘致する、それにより相対的に人口は減って いっても、人の循環、経済の循環を地域でつく ることをめざした。
第1号として2008年10月、大阪府藤井寺 市に住んでいた上本 光則氏と奥さんの直美氏 が、長女と3人で神山町に移住、2010年4月
「薪パン」を開店した。その後も移住者は続き、
2013年には齊藤 郁子オーナーと長谷川 浩代 シェフがもと造り酒店をリノベーションして、
南仏家庭料理店カフェ オニヴァをオープンさ せた。齊藤氏は移住前まで東京でアップルに勤 務し、環境問題のボランティアで知り合った友 人の長谷川氏(オーガニックワインの輸入会社 で勤務)と、「作り手の顔が見えて、消費だけ でなく、循環のある暮らし」を求めて神山町を 選択したものであった。
さらに、国内の専門学校で靴づくりを学び、
ドイツで1年間修行した愛知県出身の金澤 光 記氏が2015年1月にオーダーメイドの靴屋「リ ヒトリヒト」を開店させている。
4. 2. 3 サテライトオフィス
2010年10月、個人の名刺のIT管理サービ スをしているSansan㈱(2007年、寺田 親弘社 長が東京都渋谷区に設立)が最初に、サテライ トオフィス「Sansan神山ラボ」を神山町の民 家に設置した。
三井物産時代シリコンバレーで働いた経験の ある寺田社長が、日本人の働き方を変え、エン ジニアの創造性や生産性を高めようと、友人の 紹介で大南氏に会い、光ファイバー網も整備さ れていることもあり、古民家をオフィスとして 利用できるようにしたものである。
2017年2月13〜14日、筆者は神山町で現 地調査を行い、14日、Sansan神山ラボを訪問、
当時在勤の辰濱エンジニアから話を聞く機会が あった。冬場は2人(東京本社からの移住者と 徳島県での採用者)が常駐、お互い関係のない 仕事に従事しており、夏場には、他のプログラ マーや営業の人がそれぞれの期間で滞在、2階 等で宿泊しており、本社とは常時オンラインで つながり、モニターを通じて打合せが行え、営 業もウェブ会議システムを使ってやっていると のことであった。
2013年7月、東京恵比寿に本社がある、隅 田 徹取締役会長の㈱プラットイーズのサテラ イトオフィス「えんがわオフィス」が神山町で 開所された。東日本大震災があり、BCPの関 係で、地方にサテライトオフィスを捜している ところであった。えんがわオフィスに入居して いる㈱えんがわ2(㈱プラットイーズの子会社、
本社は神山町)の谷脇 研二氏によると、
○ 2017年2月14日現在で、社員約80人中、
20人がサテライトオフィスに勤務。
○ うち約80%は徳島県出身、残りの20%の
うち2人は東京で働いていた人で、あとは 神山塾に参加した移住者。
○ 仕事はテレビ会議やPCテレビ等を活用し、
東京と同じ仕事をしている。
○地元小学校の体験学習受入れなども実施 ということであった。
後藤 正和町長は町内にサテライトオフィス が次々開設されることに、「最初のうち、正直
2 ㈱えんがわのサテライトオフィスでの事業内容は、4K8K映像素材のアーカイブ代行サービス、地域映像アーカイブの規格、制作等。
言ってさほど魅力を感じなかった。」と述べて いる(朝日新聞「神山町の挑戦 2部 IT企業 が来たNo.26」(2016.11.9))。ところが、「えん がわオフィス」は新しい雇用をつくり出すこと になった。隅田取締役会長は、サテライトオ フィス開設後も、積極的に神山町とかかわり、
田んぼを借りて社員総出でコメをつくったり、
築60年の古民家を改修し、2015年7月から WEEK神山という宿泊施設も運営している。
4. 2. 4 神山塾
2010年12月、もう一つの新しい取組として、
神山塾が開設されている。
事業の提案を行ったのは、祁け答ど う院い ん 弘智氏(後 にグリーンバレーの理事に就任)。徳島市で会 社を立ち上げた祁答院氏が、神山町を取り上げ た徳島新聞の記事をみて、大南氏を訪ね、ボラ ンティアで大学生らとともに神山町に通い、棚 田の再生を行ったのち、国が民間による職業訓 練制度を始めたのを知り、地域滞在型人材研修 事業として神山塾を始めたものである。
内容は、「町に半年滞在して研修を受け、イ ベントプランナーや地域コーディネーターをめ ざす。国の人材育成プログラムなので月に10 万円(現在は14万円)が支給される(朝日新 聞「神山町の挑戦 3部 移住者たち No.37」
(2016.11.25))」というもの。塾での座学は6時 間ぐらいで、残りの時間はソバの種まき・収穫、
住民との環境活動、サテライトオフィスの企業 での研修など実習体験のプログラム、夜な夜な 開かれる飲み会となっている。
これまで卒業生の半分弱が神山町に定住し、
えんがわオフィスやグリーンバレーで雇用され たり、WEEK神山の女将となったり、染め物 の工房を開くなどしている。
「創造的過疎」というまちづくりの理念を発 見した神山町が、その推進のエンジンであるグ リーンバレーのもと、ワーク・イン・レジデンス、
サテライトオフィス、神山塾の3つの柱となる 事業を確立、推進し、それにより多様な人たち の集積が進み、地の人、移住者、外の人たちと の間でマルチに化学反応が起こり、さらに様々 な動きが起こっていくのがこの時代である。
4. 2. 5 未来に向けて 官民連携へのチャレンジ
(2015 年~)
民間が主体であった神山町のまちづくりに役 場での新しい動きが加わる。2015年12月、神 山町は「神山町創生戦略、人口ビジョン まち を将来世代につなぐプロジェクト」を策定、創 生戦略に基づき、2016年4月、官民連携組織、
一般財団法人「神山つなぐ公社」が設立され、
官民の協働事業がスタートしたのである。
創生戦略策定の担当となった総務課の杼と も谷た に 学主査は「どうせなら実効性のある戦略をつ くりたい。それなら住民と一緒に議論しな がら戦略をつくるべきだ(朝日新聞「神山 町の挑戦 4部 せかいのかみやま No.42」
(2016.12.2))。」と考え、ワーク・イン・レジデ ンスの考え方をアドバイスし、後に神山町に移 住した西村 佳哲氏や大南氏、後藤町長、若手 町職員らも加わりコアチームをつくり、40歳 代以下で、役場職員と町民半々の28人で構成 するワーキンググループで一から戦略をつくる 方式をとった。
ワーキンググループでの策定手順の設計を 行った西村氏は、「将来を自分事として受け止 める世代に限定し、役場と民間、旧来の住民と 移住者が入り交じり、熱を持つ『るつぼ』をつ くりたかった。」と語っている(朝日新聞「神 山町の挑戦 4部 せかいのかみやま No.44」
(2016.12.6))。西村氏が設計したワークショッ プは、参加者から思いついたアイデアを聞くも のとは違い、手あげ方式であった。ワークショッ プでは創生戦略として参加者が出すアイデアで も、一人称で自分がやるという人がいるプロ ジェクトのみを戦略の中に掲載することにした のである。
こうしてまとめられた神山町創生戦略には、
「2060年時点で3,000人を下回らない人口を維 持し、かつ小中学校の各学級人数が20人以上 を保つ均衡状態に入るためには、子どもを含む 44人/年の転入が要る」(神山町 2018:7)と され、まちを将来世代につなぐための基本目標 として、「人がいる」、「いい住居がある」、「よ い学校と教育がある」など7つをあげ(神山町 2018:13)、この基本目標に基づき、
○子育て世代を軸にした「集合住宅」の開発
○ 「古民家リノベーション」による社会資本
の形成
○ 多様な人的資源を活かす「神山まなぶ・つ なぐスキーム」
○ 地域の営農と食文化を進化させる「農業生 産法人・フードハブ」の設立
○ 高齢者の在宅生活を支える、新しい仕事づ くり
などの25の施策が書き込まれている(神山町 2018:21-22)。
重要なのは、25の具体的施策を推進するた め、2016年4月、一般財団法人「神山つなぐ 公社」が設立されたことである。理事には西村 氏、大南氏も加わり、戦略づくりの担当者であっ た杼谷氏が出向して代表理事に就いた。スタッ フは役場からの出向者、町外から参加した人な ど5人で、神山町の木材活用と町内在住の大工 に任せる集合住宅の建設、民家を改修して移住 者向け「お試し住宅」の整備等の事業が取り組 まれている。
また、創生戦略策定のワーキンググルーブに 参加した、サテライトオフィスのIT企業「㈱
モノサス」に勤める真鍋 太一氏と町職員の白桃 薫氏が意気投合して生まれた「㈱フードハブ・
プロジェクト」(2016年4月、町、神山つなぐ 公社、㈱モノサスの3者がそれぞれ1千万円を 出資して設立)は、耕作放棄地等を借り、働き 手を受け入れ、コメや野菜等を栽培し、神山で 育てた食材を使った料理やパン等を、食堂の「か ま屋」と「かまパン&ストア」で提供し、食の 地域循環の実現をめざし事業を展開している。
これまでやりたいと思った民(町で生まれ 育った人、移住者、外から訪れまちづくりに参 加してきた人など様々な民間の人たち)中心で 行われてきた神山のまちづくりが、役場や今ま で関心がなかったより多くの住民を舞台に上げ て、未来につなぐ、官民連携、内外の神山町に かかわる人たちの総参加によるチャレンジが新 たに始まっている。
5 神山プロジェクトが生み出した成果
以上の点を踏まえ、神山プロジェクトの3つ の事業の内容と同プロジェクトが生み出した成 果をまとめると表1のとおりとなる。6 なぜ神山町は神山町となったのか、
その革新性と普遍性
神山町もまだまだまちづくりの途上である が、「なぜ神山町は神山町となったのか」、その 要因を探ることは、単純に神山町の事業を他地 域で真似るよりも重要である。
前述したように当時京都府職員であった筆者 は、京都府の過疎地域で新しい施策を企画、実 施する際、神山町に調査に訪れ、2017年2月 14日、大南氏からこれまでの神山町のまちづ くりについて話を聞く機会を持てた。
その内容は、これまでのこの事例調査の内容
事業名 内 容 成 果
ワーク・イン・レジ デンス
町の将来にとって必 要になる働き手や起業 者の誘致、率先して空 き家を提供
・ ビストロ、カフェ、パン屋、ピザ屋、靴屋、惣菜店、ゲストハウス などが開業
・ 商店街への展開によって、今までに類を見ない中山間における商店 街モデルの誕生
・まちのデザインが可能に
サテライトオフィス IT、映像、デザイン など働く場所を選ばな い企業の誘致
・ 2017年1月現在、16社がサテライトオフィス設置、本社移転、新
・ 会社設立合計30名の新規雇用。数年後に30名程度の新たな雇用が生まれる
・ 見込みエンジニアやプログラマーだけでなく、営業部門(オンラインによ る営業)も展開
神山塾 厚生労働省の基金訓 練・求職者支援訓練に よる後継人材の育成
・ 訓練生の属性:独身女性、30歳前後、首都圏出身、クリエイター系
・ 2015が多数年2月現在、6期77名修了。移住者が約50%、サテライトオフィ ス就職10名、婚活(カップル10組誕生)
・第7期・第8期50余名が町内4企業において訓練修了
(注)2017年2月14日、筆者が神山町に調査に訪れた際、大南氏か ら提供された資料を基にまとめたもの。
表 1 神山プロジェクトの 3 つの事業と成果
にも反映しているが、以下、「なぜ神山町は神山 町となったのか」という考察に当たり、大南氏 の言葉で印象に残ったものを書き出してみる。
<大南氏の言葉>
○ グリーバレーのモットーは、「できない理 由よりできる方法を」、「とにかく始めろ」、
共有ワードは「やったらいいんちゃうん」。
○ ゆるい場所としても神山が、多様な人を集 めている。国際交流で外国人が大勢ホーム ステイをしていたことも外の人を受け入れ る素地ができた一因。
○ アーティスト・イン・レジデンスや移住サ イトなど、人とのつながりづくりをしてい ると、サテライトオフィスの設置になった。
最初からめざしたものではない。
○ えんがわオフィスを設置した㈱プラット イーズの隅田社長、カフェ オニヴァの齊 藤オーナーのような力のある人が集まって いるのが神山の強み。
○ 地域づくりに農業振興から入らず、文化、
芸術(アート・イン・レジデンス)からスター ト、次に起業者(ワーク・イン・レジデンス)、
IT・デザイン・映像(サテライトオフィス)、
そしてビストロやビザ屋、靴屋などサービ ス産業の担い手誘致ときて、今は中山間地 域の本丸、農業に影響を与え始めていると いう感じ。
○ 結果論ではあるが、地域内にサービス業を 再生させ、地域の外に出ていったものを自 分たちで少しずつ呼び込んでくる、つむぎ 直しが地方創生では重要。
○ 好きな場所を好きなまま置いておいても変 わらない。答えは外ではなく、内にある。
クリエイティブな人間が集まると何かが起 こる。
○ 行動することで、行動しやすい地域・環境 をつくっていく。本物、いいもの、今年よ り来年よりいいものをつくる、地道に積み 重ねていくことが大事。
6. 1 ソーシャル・イノベーターとしての 大南氏の存在
野中 郁次郎氏等著『実践ソーシャルイノベー ション 知を価値に変えたコミュニティ・企業・ NPO』では、地域や社会を変えるうえで、ガバ
メントだけではなく、ソーシャル・イノベーター の存在が重要であることが述べられている。
神山町で今も起こり続けている変化は、大南 氏1人に起因するものではないが、以下、野中 氏らの考えも参考にしながら、大南氏のとった、
ソーシャル・イノベーターとしての特色ある行 動を整理・分類してみたい。
6. 1. 1 いい出し、やってみせるパブリック・
スターターとしての役割
神山町のまちづくりの変遷で最初の動きとし てあげたのが、1991年のアリスの里帰りの活 動である。小学校の廊下に飾られていたアリス の人形をみて人形の里帰りを思いつき、早速大 南氏は、人形の出身地であるペンシルベニア州 ウィルキンスバーグ市長あてに手紙を書き、当 時の神領小学校のPTA会長や町内の親しい人 に声を掛け、委員会を立ち上げる。
1997年2月、「とくしま国際文化村構想」が 記載されているのを新聞でみつけると、これこ そ神山町にふさわしいと、徳島県の職員に相談 に行き、仲間とともに先進地への視察、町と県 からの補助金支出と寄附金の確保、招聘する アーティストのアトリエや宿泊施設の確保な ど、準備を一気呵成に進め、1999年秋に第1 回目のアーティスト・イン・レジデンス事業を 実現させている。
地域の課題や資源、政策シーズを発見し、い い出し、仲間を巻き込み、やってみるパブリッ ク・スターターとしての大南氏の存在が浮かび あがる。
6. 1. 2 人と人、人と地域をつなぎ、関係性を 変える
アリスの里帰り事業でできた仲間や成功体 験、小さなグルーブでの関係性の変化が神山町 国際交流協会設立につながり、外国語指導助手 のホームステイ受入、さらにはアーティスト・
イン・レジデンスの実施により、中心メンバー が拡がるたけでなく、招聘したアーティストの 世話をする「お母さん役」、「お父さん役」など 住民を巻き込んだ活動が、大南氏や一緒に事業 を行う仲間たちと他の住民との関係性を変えて いく。
さらに、それまで町内を中心とした人と人と の関係性の変化が、2004年のグリーンバレー の設立、ワーク・イン・レジデンス、サテライ トオフィス、神山塾と事業が発展していくとと もに、今度は、大南氏を中心に神山町の内の人 と外の人、神山町という土地と外の人、外の人 と外の人との関係性を変えていくことになる。
ワーク・イン・レジデンスという考え方を提 示した西村氏は、ウェブサイト神山をつくる際、
大南氏が知り合いの四国経済産業局職員に紹介 された3人のうちの1人であり、すぐに大南氏 は東京に出かけ西村氏に直接会っている。
神山塾の提案を行った祁答院氏は、一度話し でも聞いてみるかと軽い気持ちで大南氏に会い に行き、大南氏はじゃあ棚田の再生事業でもや らんかと持ちかけ、地元のおっちゃんたちにつ なぎ、3年間無給で大学生らを連れ神山町に通 い、棚田の再生とコメづくりを行っている。
「グリーンバレーがやりよることに価値を見 つけて、それをつなげてくれる人やったら、よ その人であろうが、地の人であろうが全く関係 ないです。とにかく神山に来た人間は、その 日からよそ者という意識はあんまりなくて。」
(NPO法人グリーンバレー・信時 2016:108- 109)と、大南氏自身が語っている。これはと 思った人にはすぐ会いに行き、訪ねてきた人誰 にでも町を案内し、受け入れる大南氏の基本的 姿勢と、神山町自体が全国に知られ始めたこと もあって、大南氏を起点に神山町の内の人と外 の人、神山町という土地と外の人がつながって、
これまでにない多様で豊かな関係性が生まれる ことになる。
6. 1. 3 共有ビジョンの提示と発信
アーティスト・イン・レジデンス事業を始め た頃、「プロジェクトをやればその先に何かが 見えるだろうと思っていたけど、この時に発想 を逆にした。つまり、初めに10年、20年後を 予見して、そこに行くために何をしなければな らないか、未来からの発想に転換したんやな。」
(篠原 2014:173)と大南氏が語っている。あ るべき姿を描き、それに向かって皆がベクトル を合わせて、できることからやっていくため、
ビジョンを提示し、発信する大南氏の役割が新 たに加わってくる。
祁答院氏が大南氏から話を聞いて、「こんな 田舎の町が大きな目標を掲げて、おおらかで面 白そうな町だ(朝日新聞「神山町の挑戦 4部 せかいのかみやま No.44」(2016.12.6))。」
と感じた「日本の田舎をステキに変える!」と いうグリーンバレーのミッションもビジョンの 一つである。
人口が減少することを受け入れ、数ではなく 内容を改善していこう、力のある人材を誘致し ていこう、農林業だけに頼らないバランスのと れた持続可能な地域をめざそうとする「創造的 過疎」の考えは秀逸である。
「とにかくクリエイティブな人が入ってきと るから、その力を信じてその子らが何かが起 こしやすい状況を整えるのが、僕らができる こと。」(NPO法人グリーンバレー・信 2016:
140)
大南氏が発信する言葉は、他の人が話すのと は違い、魅力に満ちており、人を惹きつける力 を持っている。
6. 2 やったらいいんちゃうん、実験の場 としての神山プロジェト
「グリーバレーのモットーは、「できない理由 よりできる方法を」、「とにかく始めろ」、共有 ワードは「やったらいいんちゃうん」」。「アー ティスト・イン・レジデンスや移住サイトなど、
人とのつながりづくりをしていると、サテライ トオフィスの設置になった。最初からめざした ものではない。」2017年2月、大南氏から聞い た言葉である。
神山町でやられてきた活動は、地方創生戦略 のように5年計画のようなものを策定し、それ に合わせて予算を立て、粛々とやってきたもの ではない。
神山が地方創生のロールモデルといわれてい ることに対してどう思うかという質問に対し て、「あんまり、モデルという意識はないです ね。いま起きていることは結果でしかないわけ です。神山をモデルとするならば、一つ言える ことは面白い人を集めれば必ず何かが起きると いうことだと思います。そのイメージを持ちな がら、現状を見て、そこに向かうにはどうした らいいのかと、面白がりながらひたすら実験を 繰り返す。その結果として、もしかしたら人が
集まりたくなるような空気とか雰囲気とか土壌 が神山にできてきたということやろね。」(NPO 法人グリーンバレー・信時 2016:361-362)と いうのが、大南氏の答えである。
そもそも実行すれば必ず目的が達成されるな どという完璧な計画はつくれないし、環境の変 化が高速化し、次々と想定外のことが起こる現 代社会では、めまぐるしい状況の変化対応した 意志決定と行動のサイクルが向いていると思わ れる。官であろうと、民であろうと気がついた 人が、できるところからまずは始めてみる。そ の行動が、他の人や地域、行政に影響を与え、
新しい変化が発生する。その変化を観察して、
次の動きを決めていく。一見、無見識のように みえるかもしれないが、5年後、10年後までの 計画を決め、事業をこなしていくやり方よりも、
こうしたやり方が実際に現実を変えていく現在 の行動パターンではないだろうか。このサイク ルの繰り返しが、大南氏たちがいう「偶然の必 然」を生んだのではないだろうか。
6. 3 フラットな関係性を持ち、多様で多 彩なまちの共同経営者たち
神山町にかかわる人たちは、年齢、性別、職 業、地の人・外の人にかかわらず多様で、多彩 である。もちろんこうした人材の集積は、長い 時間をかけて実現されたものである。
今では、他地域が羨む人材が多数集まる神山 町であるが、大南氏たちが活動を始めた時は、
同じようにまちづくりの人材不足に悩む、どこ にでもある多数派に属する地域であり、現在の 姿を予測する人は一人もいなかったであろう。
アリスの里帰りの活動やアーティスト・イン・
レジデンスの活動を進める中で、神山町に住ん でいる人が、活動に参画し、人材に変わり、ワー ク・イン・レジデンスやサテライトオフィスの 設置、神山塾の開設により、外部から多様で、
多彩な人材が加わり、彼ら一人ひとりがそれぞ れのミッションを持ち、自律的に活動しながら、
さらに周りの人とフラットな関係で結びつき、
新しい協働を連鎖反応的に生み出していく。
神山町でオートキャンプ場を経営している森
昌槻氏は、国際文化村を呼び込もうとしたもう 一人であり、アート・イン・レジデンスではアー ティストの宿泊施設としてキャンプ場を提供す るなど、その実行役となっている。グリーンバ レー理事の岩丸 潔氏は毎年、神山塾の塾生を 自宅に下宿させており、岩丸百貨店は夜の神山 塾の会場でもあり、両者とも神山のまちづくり に重要な役割を果たしている。まちづくりの活 動が地域に広がるためには、最初にいい出し、
始める人だけではなく、活動の賛同者を地域の 中に広げていく人、あるいは組織を固める人な どの存在が不可欠である。さらに大南氏をはじ めとしたグリーンバレーの仲間たちは、アー ティスト・イン・レジデンスでの「おとうさん 役」、「お母さん役」を住民の中から毎年指定す るなど、住民を巻き込み、共感を広げていくこ とで、住民と住民の関係性を変え、町内での活 動人口3を増やしていく。
大南氏がいうように、サテライトオフィスや ワーク・イン・レジデンスは人材誘致であった。
今度は外部から、全く違ったバックグラウンド を持った人たちを、数ではなくこの人と思う人 たちを誘致することで、気づきとつながりの機 会をさらに増やし、地の人たちと外部から神山 町に新しく移住してきた人たち、町の外から通 いまちにかかわる人たちとのフラットな関係性 がさらに拡大し、多様で多彩なまちの経営者た ちが生まれていくことになる。
カフェ オニヴァの齋藤オーナーは、直接地 元の農家に出向き説得し、有機野菜の栽培をお 願いし、地元の農家が栽培した野菜をレスト ランで調理して提供している。2016年4月に、
神山で育てた食材を神山で提供、消費する目的 で設立された㈱フードハブ・プロジェクトは、
町にサテライトオフィスを構えるIT企業㈱モ ノサスに勤める真鍋 太一氏と町職員の白桃 薫 氏の協働の結果生まれたものであった。
「自分らの場所をクリエイティブな場にし とったら、クリエイティブな人間は集まってく るということやと思う。」(NPO法人グリーン バレー・信時 2016:108)と大南氏は語っている。
3「仕事やお金儲けとは異なる価値を基準に、何らかの形で地域社会にかかわっている人たちのことを指す。」(山崎 2016:22)
6. 4 寛容性 ゆるい場としての神山町
こうした自律的で協働型の人材はどうして神 山町で生まれ、集まるのか、どうして神山町で は創造的な動きが不断に起きるのか。まちづく りの当初は、大南氏等の個人やグリーンバレー という1団体の働きによるところが大きかった のかもしれないが、現在では神山町という場所 そのものに、クリエイティブな人を惹きつける 力が蓄えられてきているように思える。Sansan㈱の寺田社長は、「ヨソ者をオープン に受け入れ、多様性を認める。自分の考えを押 しつけない。そのゆるさ加減が最高だと思う。」
(朝日新聞「神山町の挑戦 4部 せかいのか みやま No.52」(2016.12.16))と発言している。
また、㈱プラットイーズの隅田取締役会長は、
「神山には出入り自由の雰囲気があって、それ
(『定住するよな』っていう圧力)がないんです よ。自分の考えを押しつけないし、人との距離 感が柔らかい。そのゆるさ加減が最高と思いま した。」(朝日新聞「神山町の挑戦 2部 IT企 業が来た No.25」(2016.11.8))と発言している。
大南氏自身も、「神山の一番ええところは何 かというたら、たぶん、ゆるいところやと思い ます。例えば若い人たちから何かしたいって話 が持ち込まれた時に、普通の地方では、聞いた 瞬間に、「やめといてくれ」と制止するんじゃ ないかと思います。」、「ところが神山がやりよ るのは、この止めるタイミングを、ワンテンポ ずらしている。君が言いよることは僕ら理解で きんから、まずやってみてくれって。やらせる ところに一つのポイントがあると思います。だ から予想せんようなことが神山で起こってい く。」(NPO法人グリーンバレー・信時 2016:
48)と語っている。
こうした神山町が持つゆるさ、寛容性は、外 国語指導助手の町内ホームステイの経験、大南 氏やグリーンバレーの日々の活動やそのやり 方を通して育まれている。そして、齋藤オー ナーが経営するカフェ オニヴァ4や神山塾、
WEEK神山などが、多様な人が集まり、様々
な協働の企画が生まれる公共空間として機能を 果たすことで、個人や団体、施設等が持つ場の 力が、神山町全体が持つ場の力、神山町そのも のが持つ価値に昇華していくことになる。
創造性は心地よい場所を求め、「才能にあふ れたクリエイティブな人々が集まると、アイデ アは無限に湧き出し、個人および集団の才能が 飛躍的に増大する。」、「このような集積によっ て各自が創造的になり、その場所さえもクリ エイティビティに満ちあふれる。」(フロリダ 2009:81)のであり、そして今度は、創造性に あふれた神山町が持つ場の力が、人をクリエイ ティブに変えていくことになる。神山町が育ん できたゆるさ、寛容さは、持続ある地域づくり に必要な新しい社会インフラの一つといえるで あろう。
7 神山町にみるガバナンスの機能メカ ニズム
ゆるい神山町に惹かれ出会った人たちそれぞ れが独立したミッションを持ち、自律した活動 を続けながら、さらにフラットな関係で結びつ き、ネットワークが連鎖のように広がっていく。
さらに行政も加わり、ベクトル合わせが行われ、
まちを次世代につなぐ新しい実験がまた始まっ ていく。神山町のまちづくりの歴史は、1人の 突出したリーダーの指導で行われてきたもので もなく、大いなる設計図のもとで取り組まれて きたものでもない。神山町創生戦略が策定され 25の施策が掲載されているが、神山町のまち づくりの神髄はやはり自律協働型のリーダーた ちと相互のゆるい関係性、そしてその関係が創 り出す自律分散型のプロジェクトにある。
こうした神山町のまちづくりは、働き蜂が巣 をつくるとき、誰にも命じられることもなく自 分の持ち場で状況を認識し、役割を果たし、結 果として巣を構築する働きを連想させる。もち ろん、人間の社会は働き蜂のように単純ではな いが、ソーシャル・イノベーターとしての大南
4 カフェ オニヴァでは、山の手入れをした間伐材、製材所の端材を持参してきた人にコーヒーを無料で提供する薪通貨や月に一度、お
客さんがクジを引いて、バラバラの席となり、一つのテーブルを囲んで食事をする「みんなでごはん」というプログラムを実施してい る。
氏とまちづくりの中心的存在のグリーンバレー 等が潤滑油となり、①実験の場としての活動を まずやってみる→②活動を通じて、町内外で公 共の人材が集積する→③共有ビジョンを提示 し、活動のベクトルを合わせる→④多様で多彩 なまちの共同経営者たちが、それぞれのミッ ションに応じて活動を実践→⑤自律したまちの 共同経営者がいろいろな場所、機会で出会い、
フラットな関係性が生まれ、新しい協働が創発
→⑥さらに、それぞれの力が分散しないよう共 有ビジョンを再提示し、ベクトルの調整が行わ れ、また新しい実験的活動が始まっていく。そ して、ゆるい場としての神山町がこうした運動 の流れを加速させていく(図1参照)というサ イクルが一種のカオスの中から自然発生的に生 まれてきているようにみえる。
実際の神山町のまちづくりの変遷は、このよ うにきれいにプロセスが回って進んできたわけ ではないし、起こった事象とは時系列的には多 少異なるところもあるが、そこには一定自己組 織化的なローカル・ガバナンスの存在を感じさ せるものがあり、これからのまちづくりに大き なヒントを与えるものであるといえる。
8 神山町にみるガバナンス形成・運営 の構成要素
7でみた、神山町にみるガバナンスの機能メ カニズムは、アーティスト・イン・レジデンス 事業や、ワーク・イン・レジデンス事業、サテ ライトオフィス、神山塾の3つの事業からなる 神山プロジェクト、さらには一般財団法人「神 山つなぐ公社」の設立を通して、段階的に形成 されていったものであろう。
神山町の事例を通して地域におけるガバナン ス形成に必要な構成要素を、「人」「場」、「ビジョ ン」に分類し以下整理してみる。
8. 1 人的要素
8. 1. 1 スタートアップと中間的支援を行う人材
①パブリック・スターター
地域で最初の動きを起こす人。神山町では、
アリスの里帰り運動やアーティスト・イン・レ ジデンスの実施などで大南氏が担った役割。平 穏な日常の連続を破る人でもある。
②活動を広げる人
パブリック・スターターに共感し、その活動
①やったらいいんちゃうん
・アリスの里帰り、ワーク・イン レジデンス、サテライトオフィ ス、神山塾など
・実験の場としての活動
神山町にみる自己組織化型ガバナンスの機能メカニズム
②公共の人材の集積
・住民の巻き込み 住民→公共人材に転換
・外部の力のある人材の誘致
・活動人口の拡大
いい出し、
やってみせ る
人と人とをつ なぎ、関係性 を変える
④多様で多彩なまちの共同経 営者たち
・それぞれのミッションに応じ た活動の実践
・食と農の循環、働き方改革など
⑤協働の創発
・自律協働型リーダーへの成長
・フラットな関係性
・町内外で様々な協働事業が創発
放 置 容 認 協働の場
を整える
⑥ベクトル調整
「神山町創生戦略、人口ビジョ ンまちを将来世代につなぐプ ロジェクト」
ゆるい場としての神山町
・寛容性 ・公共空間
・制止のタイミングをワンテンポずらす。
・枠にとらわれない。
共有ビジョ ンの再提示 と発信
③ ベクトル合わせ
・未来からの発想
・日本の田舎をステキに変える!
・創造的過疎 大南氏
グリーンバレー 神山町
共有ビジ ョンの提 示と発信
図1 神山町にみる自己組織化型ガバナンスのメカニズム
図1 神山町にみる自己組織化型ガバナンスのメカニズム
に参画し、他の住民を巻き込み、活動を地域で 横に広げていく人。この人たちの参画がなけれ ば、パブリック・スターターは往々にして孤立 し、変わり者だけに終わってしまう。アリスの 里帰りで大南氏が最初に声をかけ、グリーンバ レーの夜の宴会部長を自認する佐藤氏、夜の神 山塾の会場である岩丸百貨店の店主、岩丸氏な どがこの役割を果たしている。
③コネクター
人と人と、人と地域をつなぎ、関係性を変え る人。グリーンバレーに参加している理事たち の多くは多かれ少なかれ、この役割を果たして いると思われるが、特に大南氏は神山町の外と 内の人をつなぐにあたり、大きな役割を果たし ている。
④ビジョン提示者
息の長い活動が必要とされるまちづくりは、
未来の姿を想定し、今やれることを根気よく積 み重ねていくバックキャスティングのやり方が 重要である。皆が共感できるビジョンを適当な ところで提示してくれる存在は不可欠である。
大南氏はいうに及ばず、ワーク・イン・レジデ ンスの考え方をアドバイスした西村氏もその一 人である。
8. 1. 2 まちづくの共同経営者たち
まちづくりは10年、20年、30年と時間がか り、面的な変革も必要であり、一個人や一団体 の活躍や成功でなせるものではない。神山町の 場合、大南氏やグリーンバレーの活動や、活動 が発する理念、神山町が持つゆるい雰囲気、ク リエイティブで面白い活動をする人たちに惹か れ、カフェ オニヴァの齋藤さん、神山塾を運 営する祁答院氏などそれぞれのミッションを持 ち、自律分散して存在する人材が豊富に集まり、
その多様さ、多彩さは際立っている。
8. 2 場の要素
8. 2. 1 協働を促すインフラ
市民が集まって議論し、公共価値を創造し共 有していく場としての公共空間が 民主主義に とり重要であるそのことは、ユルゲン・ハバー マスが指摘したところであるが、まちづくりに
ついても同様である。
それぞれミッションを持った自律型のまちの 共同経営者が、出会い、協働することで、より 多くの、より質の高い公共の価値が生まれ、ま ちの持続可能性を支えていくことになる。サテ ライトオフィスの関係者、県外・国外からの神 山町への視察者など、様々な人が集まり、神山 町の情報集積発信地、新しいコラボが生まれる 場所となっているカフェ オニヴァ、夜な夜な 開かれる夜の神山塾、神山町創生戦略を策定す る際に設けたワーキンググループなどが、人と 人をつなぎ、協働を促す地域のインフラとなっ ている。
8. 2. 2 まちや地域が持つ寛容性、ゆるさ 新しいことを取り入れようとする、または拒 否をしないという、まちや地域が持つ雰囲気は、
地域内に在住する若者がチャレンジしたり、外 部のクリエイティブな人材がその地域に移住し たり、かかわったりする際に重要である。神山 町の場合、「ヨソ者をオープンに受け入れ、多 様性を認める。自分の考えを押しつけない。」、
「人との距離感が柔らかい。」など、多くの移住 者やIT企業の経営者たちがこのように語って いる。こうした雰囲気は、一朝一夕で形成され たものではなく、外国語指導助手の町内ホーム ステイ、アーティスト・イン・レジデンスによ る外国人アーティストの滞在、グリーバレーの 活動等を通じて育まれてきたものである。
8. 3 ビジョンの要素
まちづくりのビジョンがあり、それがより多 くの人に共有されていることもガバナンス形成 の構成要素として重要である。
個々の活動にあっては、環境の変化により事 業の形を臨機応変に変え、試行錯誤を重ねるこ とが重要であるが、それゆえにあるべき姿を見 失わないためにもビジョンの共有は大切であ る。また、自律分散型の共同経営者の蓄積が進 めば進むほど、彼らのモチベーションを阻害せ ず、ベクトルを合わせた自主的活動を生み出す
「自律分散協働のガバナンス」をつくりだすた めにも、共通ビジョンの存在が不可欠である。
9 おわりに
神山町で起こったことは、当然ながら他の町 で真似をしたからといって、同じようなまちづ くりができるものではない。地域やまちは、そ れぞれ固有の歴史と文化、資源があり、なによ りもそこに暮らしている人たち、かかわりを持 つ人たちの意識や行動様式は千差万別であり、
まちづくりの変遷も多種多様である。
住民参画によるローカル・ガバナンス形成の 取組としては、イギリスのブレア政権時代に取 り組まれた地域戦略パートナーシップ等が有名 であるが、政府主導の取組は時の政権の状況に 左右され、政策実施年度に期限が設けられるな ど、持続可能性に常に疑問がある。また、事業 が長く続くと、今度は参画メンバーが固定化し ダイナミズムを失うという問題もある。
神山町でみられる、まずやってみるというス ターターの存在、共感に基づく協力関係、自律 分散型のまちの共同経営者たちの存在、そして 彼らが相互に刺激し合い、協働が創発的に起こ るための公共空間の存在、さらには、それらを 包含する未来のビジョンの共有、まち全体の寛 容性などは、制度やルールづくりから始まるガ バナンスではない、自己組織型ガバナンスの可 能性を感じさせる。果たしてこうした自己組織 型のガバナンスは、神山町でしか生まれないの か、生まれるとすればどのようなプロセスを踏 む必要があるのか、今後さらに他の事例考察を 進め、一般化していきたい。
参考文献
朝日新聞(2016)「神山町の挑戦 No.01-52」。
NPO法人グリーンバレー・信時正人(2016)『神山プロジェク トという可能性 〜地方創生、循環の未来について〜』廣済 堂出版。
神山町(2011)『第4次神山町総合計画』。
神山町(2018)『神山町創生戦略、人口ビジョン まちを将来世 代につなぐプロジェクト v.1.2』。
篠原匡(2014)『神山プロジェクト 未来の働き方を実験する』
日経BPマーケティング。
ジョセフ ・L・ バダラッコ〔夏里尚子訳〕(2002)『静かなリーダー シップ』翔永社。
デービット ・ ボーンスティン〔井上英之監訳、有賀祐子訳〕(2007)
『世界を変える人たちー社会起業家たちの勇気とアイデアの
力』ダイヤモンド社。
野中郁次郎・広瀬文乃・平田透(2014)『実践ソーシャルイノベー ション 知を価値に変えたコミュニティ・企業・NPO』千倉 書房。
田中輝美 (2017)『関係人口をつくる 定住でも交流でもないロー カルイノベーション』木楽舎。
山崎亮(2016)『縮充する日本 「参加」が創り出す人口減少社会
の希望』(PHP研究所)
リチャード・フロリダ〔井口典夫訳〕(2009)『クリエイティブ 都市論―創造性は居心地のよい場所を求める』ダイヤモンド 社。
参考資料
神山町ホームページ「人口と世帯数」 http://www.town.kamiyama.
lg.jp/。(2018.7.4)