消費者問題と商品 についての一考察
守 屋 晴 雄
はじめに
Ⅰ 消費者の概念 1.消費者の概念 2.消費と生産
Ⅱ 現代の消費の特質 1.現代の消費の特質 2.商品と消費者の対応
Ⅲ 消費者問題の考え方 1.消費者問題のとらえ方 2.消費者の特質と消費者問題 3.消費者問題の態様 4.消費者問題の考え方 おわりに
は じ め に
本稿では,現代における 消費者問題と商品 について若干の考察を施す。
消費者には,商品生産のために原材料を消費するといった生産的消費者もあるが,本 稿では,生活のために消費する者(最終消費者,消費生活者)を中心に考える。最終消 費者によって購入された後の商品は基本的にもはや再商品化されない。本稿では,商品 の消費者問題とのかかわりの問題を整理することを目的として日本に題材を求めて次の ように考察する。Ⅰでは,この はじめに の冒頭ですでに使用している消費概念,消 費者概念について改めて考察する。Ⅱでは消費内容に現われる現代の消費者の特質につ いて考察する。現代における消費生活の傾向はどのような商品がどの程度存在するかと いうことと関連する。家族内生産の外部化の進展は傾向の
1
つである。さらに 消費者 と商品との対応 について個別対応の進展の問題を中心に考える。Ⅲでは構造的性格を 持つところの消費者問題の考え方を述べる。いずれの章も,消費を孤立した形ではなく,生産との関係を考察の視野に入れながら 展開される。
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Ⅰ 消費者の概念
1.消費者の概念
本章では,まず, はじめに の冒頭ですでに使用した消費の概念,消費者の概念に ついて考察する。両概念に対し考えられる一般的規定から始めて,冒頭で筆者が想定し た意味合い−生活のための消費,最終消費者−に両概念を到達させよう。
ある主体を考え,消費する者としてみたときの主体が消費者(消費主体)である。考 える順序として 主体→消費→消費者 とするのである。ここでは,主体が消費対象を 消費することに着眼している。(消費は,何を消費するかということと結合する概念で ある。)この視点の下で消費の概念,消費者の概念について考えてみる。主体を消費者 として抽象するが,主体には消費者以外の側面も存在することに注意する。
まず,主体に着眼する。猫が魚を食べることを(猫による)消費現象と見たとき,消 費対象は魚であり,消費者は猫という生物である。プランクトンを食べる魚に着目すれ ば,魚は(消費対象ではなく)消費者である。発酵は,通常は,微生物による分解作用 としてとらえられるが,微生物による分解対象の消費としてとらえられる。生物学にお ける考え方である自然界における食物連鎖における消費は,生物をその主体とする消費 の連鎖である。主体を生物という限定からさらに拡張すると, パソコンの電力消費 , 自動車のガソリン消費 のように非生物を消費主体( 消費者 )ととらえることも可 能である。しかし, パソコンが(表示のツールである)液晶を消費する という表現 は日常耳にしないように,非生物の消費対象は,(素材や部品とは違って,使うと消え てしまう)エネルギーであることが多いように思われ
1
る。自動車のガソリン消費といっ ても,本質的には,自動車の使用者がガソリンを消費している。自動車の使用者による ガソリン消費は,使用者が自動車を消費する,自動車がガソリンを消費する−この
2
つ の消費の合成としてとらえられる。次に消費について吟味する。消費とは,語義的には,一般には費してなくす(消す)
ことであ
2
る。消費の概念は,費すこととなくすことを包含している。まず, なくす に着眼すると, 機械を消費する とする場合のように,消費対象(機械)の繰り返し 使用の意味で消費対象が消えない消費もある。耐久消費財という用語は,このような即 時的には消えない消費も消費に含める考え方を前提としたものであるといえる。しか し,このように即時的には消費対象を見ている者の眼前から消えないケースがあるにし
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1 一定量の製品を生産するのに使用される原材料,エネルギー,労働力の量である原単位の概念にも消費 主体を製品とする見方が見出せる。ここには消費対象をエネルギーだけに限定する思想はない。
2 新村出編『広辞苑』(第五版)岩波書店,1998年,1328ページ。
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ても,消費は,語義としては,人間の視覚上消えるものに着目したときの概念である。
眼前からなくなることを消えるとする認識は,食べれば体内に入るため眼前からなくな る食品に典型的である。しかし,消費の 費 に着目すると,犠牲を払うことを含意す る 費 には,役立つからこそ犠牲を払うことを勘案すると,何らかの役立ちが想定さ れている。費すという犠牲の背後には何らかの役立ちが潜んでいることに,消費が即時 的に消えるという概念であるという考え方から発展することの素地がある。前掲の 機 械を消費する のように即時的に消えなくても役立てば消費であるととらえるのであ る。この意味では,消費は,その目的と連結する 費 のほうに本質があるととらえら れる。消える(なくなる)ことは,役立つときにしばしば起きる現象である。
本稿では,消費者と消費対象について次のように考える。すなわち,まず,消費者を 生活者としての人間とし,さらに,人間が生活上の欲望の充足のために財やサービスを 使用する行為を消費としてとらえる。使用を通して消費することから,使用と消費の間 には本質的な共通項を指摘できる。人間には会社のような擬人も入れる方が,多くの場 合,論理構成上好都合であるが,この稿では消費者のうち生産的消費者ではない最終消 費者−生身の人間としての消費者−を中心に着目する。事業を行う会社組織をした最終 消費者は存在しない。また,家族を消費者単位(
1
つ の消費者)と考えることがで きることを指摘しておく。上記の意味で,本稿では,消費者は最終消費者に限定し,消費対象は,単に消えるも のよりも拡大的にとらえることが基本的なスタンスである。しかし,議論の過程上の必 要性から消費者をより広い意味で使うなど用語の乱用もあるが,使われ方は前後関係か ら明らかと思われるので,必ずしもそのことをいちいち断らないことにする。
2.消費と生産
1
の叙述に対し,注釈を施そう。原理的考察のために,消費者を必ずしも最終消費者 に限定しない。消費と生産は,お互いを前提とする関係にあることを指摘したい。工場 などでの生産によって生じたものに着目した場合が生産である。しかし,一方で,工場 での生産行為は,原材料などの消費を不可欠とすることに着目すれば,消費行為でもあ る。最終消費者の消費対象は農地や工場などで生産されたものなどである。最終消費者 の消費行為は,本質的には,生活を生産すると考えることができる。生活は,通常,生 産物として認識されないが,本質的にはこのように見ることが可能であろう。食べ物 は,生活の前提である生命の持続を生産する。食べ物を含めた種々のものの消費の複合 の結果,生活が構成される。‘produce A for B’では,Aは生産物,Bは消費対象,‘con-sume A for B’
ではA
は消費対象,Bは生産物となる。(ここで 物 は必ずしも有体 物でなくともよい。)以上の意味で消費は,工場での生産者を含めた人間の行為におけ消費者問題と商品 についての一考察(守屋) (777)163
る一種の抽象概念である。‘A→B→C’ という関係,すなわち,Aにより
B
を生産し,B
によりC
を生産することを考えると,‘A→B’ では,Bは生産物であるが,‘B→C’では
B
は消費対象である。たとえば,Aは原材料,Bは製品,Cは生活を想起された い。Bが有体物の場合は,具体的定在となる。Bがサービスの場合は,その生産と消費 は同時的である。コンサートの生産には楽器など(A)が消費される。聴衆という消費 者にとりコンサートの消費は,楽団による生産と同時的に,ある種の 快 という満足(C)を生産する。
同一生活者(同一家族としてもよい)が,ある対象について生産かつ消費する場合 は,消費という概念は,当人はもとより人々の意識になかなか顕在化しない。たとえば 家族において台所で食事を作って(生産)それを食べる(消費)という内食の場合にお いては,生産主体と消費主体は同一である。生産概念の非顕在化についても同様であ る。生産したり消費したりする事実は確かに客観的にはあるが,一般になかなか対象化 して生産,消費いずれもが分離的に認識されない。生活においてそのような認識の実際 上の必要がないことがこのことの主因であろう。消費者や生産者なる概念の認識につい ても同様である。しかし,大量生産などを背景にして生産主体と消費主体の分離−同一 家族の中で行われない−が深く進行するにつれて,消費などの概念はより顕在化してき た。消費を起点に考えると,消費対象を作る行為は生産である。なお,次の場合も,生 活上問題性がないので,消費を通常意識しない。空気のような人間による生産物でない もので,消費に対し十分潤沢に存在するものの 消費 である。努力(金銭支出などの 犠牲)なしに消費できる自由財に対しては,消費概念は認識されにくいものである。
消費者について,消費者(生活者)の立場で自己反省的にとらえる立場と生産者の立 場で購入者としてとらえる立場が少なくとも存在する。 消費者として自覚する は,
前者の立場, 消費者に売る は,後者の立場に,それぞれ立脚する。
本章では,消費者と消費対象なる概念を
1
つの規定から発展的に理解することによっ て通常の理解を導いた。消費者は主体を抽象する方法の1
つであることを指摘した。そ の後,消費は生産と不即不離の関係にあるという観点から注釈を施した。Ⅱ 現代の消費の特質
1.現代の消費の特質
本章では,本稿に関連する限りでの現代の消費の特質を指摘する。ここでの消費,消 費者は,基本的には,前章の
1
で帰着させた意味合いのそれらである。消費現象は,生産についてもそうであるが,社会から隔離されたものでは決してな い。自然的環境,社会的環境など環境のなかで行われる消費は,環境の影響を受けると
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ともに環境に影響を与える。人によって環境の違うこともあり,消費内容は各消費者,
各家族によって一般には異なる。戦前と戦後は生活環境がかなり異なるといったように 時代によっても消費者の環境は異なる。しかし,時代や地域を限定すると,全体的に見 て,消費現象について特徴的なことが指摘できることは事実である。
消費内容の考察に当たっては家計というものをまず意識しよう。消費者という側面を 持つ経済単位としての家族に立脚して消費を見るわけである。家計という表現を含んだ 表現である家計簿の存在が,家族を単位とするとらえ方の意義の存在を象徴していると いえよう。家族の経済的側面である家計と外部(家計以外の主体)との経済的やりとり として貨幣を用いる売買取引などが存在する。家計以外の主体としては企業,政府が主 に挙げられるが,NGO(非政府組織)なども今後は比重を高めていこう。その統制性 の程度において,組織には緩やかな組織もあり,企業のようなタイトな組織もある。市 場は組織としばしば対比される。商業を介した農村の生産者と都会の消費者の間の経済 的やりとりは市場において遂行される。なお,企業間の経済的やりとりは日常的である が,家計間の経済的やりとりはそうではないことを注意しておく。家計と家計の間では 深いレベルでの持続的な経済的やりとりが実際上困難であるからこそ,生産力の発展に 伴い生産者と消費者が分離する中で,商品が社会の中に発生し,定着したのである。家 計間では持続的な深い経済的やりとりのないことは構造的,必然的なことである。
二階堂達郎氏は,家計での生産を担う家事労働の特徴として次の
3
点を指摘してい3
る。(ここでの生産は商品の生産ではない。)賃金が支払われず貨幣的価値を持っていな い,多面的・包括的・継続的な性格を持っている,利潤や効率性などの追求が目的とさ れないため,経済的原理が働かない−この
3
点である。個々の家計によってむろん収支 状況は異なるが,それについて全体的な傾向を指摘することはできる。戦後スパンで支 出を見ると,消費支出に占める食料費の割合の年次的減少,非消費支出の割合の年次的 増大などを指摘できる。食品,衣料,住居,耐久消費財の消費内容も変化してきてい る。支出構造は,関連需要構造という環境の中で生じるニーズを反映している。電気洗 濯機の普及した現代では洗たく板や洗たく用固形石けんへのニーズは存在しないといっ ても過言でないであろう。その反対に多くの人が携帯電話機を所有している現代では,携帯電話機へのニーズは大きいものがある。携帯電話機の普及自体がその有用度を増し ていき,同時にそれが必需品的なものとなりつつある。現代社会は電話の存在を前提と して成立する社会になっている。電話通信システムなどの電気通信システムは,人工環 境の一種である。現代消費は,電気通信に典型的に見られるように,端末としての操作 機を含むシステムという人工環境内に存在していることが多い。今では姿を消したかま どや囲炉裏は,電気や都市ガスによる熱源の場合とは異なって,局所完結性が強い。
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3 二階堂達郎ほか編『くらしの経済学』ナカニシヤ出版,1996年,7ページ(二階堂氏執筆分)。
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上述を受けて,現代の消費の特質を商品の観点から考えてみる。二階堂氏は,家事労 働の内容(の現在までの時代変化)を規定するものとして,家庭電化製品の普及と既製 品・加工品の普及などを挙げてい
4
る。これらのものは商品として購入されることが支配 的である。加工品という商品を買ってそれを消費することが増えているという加工品へ の傾斜を指摘できる。そのため,原材料を購入してそれをもとに家族で製品を作り,そ して使うというということがかつてより少なくなっている。食生活では,かなり前のこ とであるが,味噌も家族で作るのが珍しくなかったし,現代では内食,外食ではない中 食(なかしょく)の消費が増加してきてい
5
る。炊事の時間と手間を省くという側面を持 つ中食は,内食に比べ,消費者に時間を生産するという側面を持つ。必要とする洗濯労 力を激減させた電気洗濯機も,消費者に同じ作用をしたということができる。生産され た時間が趣味活動などに消費されるのである。
現代の商品は,戦後のスパンをとって見るとかつてと比べて質量ともに豊富といえ る。カメラにもデジタルカメラなど多様なものが出現している。しかし,選択幅の拡大 は,一方的に単調な拡大ではない。ワープロ単体機などのように,ピーク時に比べ,そ の生産が激減しているものもある。車掌が配備された路線バスはめったに見られなくな った。選択幅の拡大は,貨幣から見ればその交換可能相手の拡大を意味する。このこと の反射として貨幣の 有用性 が増大した。貨幣の選択能力の拡大は,商品が豊富にな ったことの反射現象である。また,小売業態という概念の一般化が象徴するように,た とえばどこで購入するかといった購入方法の選択幅も多様化している。むろん選択幅の 拡大は,同量の貨幣でより多くのものが買えるということではない。なお,ニーズには 一定程度満たされれば弱くなる性格のものとさらに強く生じるものとがあることに注意 しておく。後者に対応する商品は前者対応のものより豊富になっていく,といえよう。
後者には,同一消費者において指摘される場合と新規消費者への拡大による場合があ る。
2.商品と消費者の対応
以下では,商品と消費者の間の対応に着目する。
対応についてまず戦後の放送受信用のテレビを題材にして述べる。昭和
30
年代前半 ころの普通の家庭では,所得が低かったので,高価なテレビを買えず,人々は街頭テレ ビや所有する家のテレビで番組を見た。所得が向上してきたことと大量生産により許容 価格となってきたことにより,番組の魅力と相俟って各家族でテレビを持つようになっ────────────
4 同書,8−10ページ。
5 中食ビジネスについては次の研究がある。見目洋子「 中食 ビジネスの市場ダイナミズム−惣菜製造 業の事業展開と商品開発から−」『商品研究』第48巻第3・4号,1997年;同「中食ビジネスの市場ダ イナミズム(Ⅱ)−新たな商品性の創出と戦略の高度化−」『商品研究』第50巻第1・2号,1999年。
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ていった。しかし,家族共同使用のテレビであった。その後,番組のカラー化を伴いな がら白黒テレビからカラーテレビへの代替が進行した。白黒テレビの衰退は,所得や価 格も要因であるが,カラーテレビ自身が白黒テレビの機能を持つことによる。近年では 第
2
テレビ の時代である。以上は対応の個別化の一形態としてとらえられる。自動 車,電話でも同様のことが指摘され,1つの家族で大きい車と小さい車を持っているの は決して珍しいことではない。同一商品種において多様な選択肢から複数のものを選択 することが可能になったのである。次に
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人の消費者を固定しておいて1
つの種類の商品における対応を考える。ビデオ のように,ハード(ビデオデッキ)というベースに多様なソフト(ビデオソフト)を結 合させるというソフトによる対応が考えられる。テレビというハードに対する主要なソ フトであるテレビ番組の多様化は,ブロードバンド化やデジタル化の進展によってます ます進む。レンタルビデオのテレビによる再生は,テレビで視聴するものを テレビ番 組 と見る見方によれば, テレビ番組 の拡大といえよう。このようなベースへの付 加物を選択することによる解決は商品内対応の個別化である。ここで,次のことに注意する必要がある。所得水準の長期的スパンでの上昇と安定も 確かにいえるが,収入やそれに基づく可処分所得には絶対的限界はあるので,支出項目 の限界,支出金額の限界はある。限りある資源(収入や時間など)のなかで消費者は最 適の消費行動をしようとするのである。ここに概してコストのかかる個別対応化の限界 が指摘される。上記に指摘したテレビ番組の多様化は,あくまでも従来と比べてのもの であって,各消費者に別々の内容の番組が放送局から配信され得るということではな い。個人所有のテレビでテレビ番組を見ていることは事実であるが,実はその同じテレ ビ番組を同時に多くの人が別のテレビで見ているのである。
消費者は選択,購入を媒介として商品と対応するし,また,使用を媒介として,購入 した商品と対応する。すべての消費者にそれぞれ考えられるこれらの対応の内容は,人 により,また家族により一般には相異なる。消費者は,限りある資源のなかで,購入し た多くの種類の商品の使用を最適に組み合わせようとすることによって生活を構成する のである。
次に,商品と消費者の対応を商品の使用方法に着目して考察する。ここでは,簡単な 操作で確実な応答をする自動応答機械(たとえばテレビ,そのリモコン)とそれを使用 する人間心性の関連を考察する。
まず機械について一言しておく。原動機構,伝導機構,作業機構から構成されるとこ ろの機械の主要なエネルギー源として化石燃料,電力などが使用される。制御機構もす こぶる大切であって,たとえば自動車のエンジンにおいて噴射するガソリンのコントロ ールには電子技術が寄与するように,制御機構には情報処理技術が貢献している。この
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ことは機械のエネルギー消費の問題に属する。
自動応答機械のように消費者に利便性を与える商品の副次的作用として次のことが考 えられる。使用者の心性としては,依存しながら 支配 の心性が出てく
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る。これは支 配的依存の心性である。自動応答機械は,依存しているという意識を改めて消費者にも たせないからこそ普及したともいえる。このことを考えれば,この心性は決して偶発的 なことではなく,むしろ構造的なことである。また,即時に結果を出そうとする心性の 発生も副次的作用といえよう。自動には即時というニュアンスが潜んでいるように思わ れる。結果が出るまでに必要な時間を必要な時間として受け入れる心性が弱くなる。
商品として得たものが消費者の人工環境を形成している。消費者は,機械の利用能力
(操作能力の形態をとることが多い)には長けているが,同時にそのことは,弱くなっ ている能力も結果として副産している。自動応答機械はその作動原理などの商品知識を 不要とする方向をもたらす。また,自動応答機械へののめりこみによる弊害もある。携 帯電話の利用に夢中になるあまり,踏み切りで電車にはねられるという深刻な事故はそ の一例である。携帯電話による小世界がそのときの消費者にとって全世界になってしま うのである。このような意識対象の狭隘化(注ぐべき意識対象が意識されないという空 洞化)は,人間のワーキングメモリーの有限性から十分考えられる。携帯電話の事例 は,携帯電話に責任を負わす問題ではないかもしれないが,筆者は,小世界の形成が消 費者のワーキングメモリーを奪ってしまうことによる消費者問題の可能性を指摘したい のである。
以上,本稿の議論において現代の消費の特質として指摘しておくべきことを述べた。
Ⅲ 消費者問題の考え方
1.消費者問題のとらえ方
Ⅰでは消費の概念,消費者の概念などを述べ,Ⅱでは現代の消費の特質として生活に おける既製品,加工品や自動応答機械の浸透や個別対応化の進展などを指摘した。
この章では,Ⅰ,Ⅱを踏まえて,消費者問題の考え方について商品とのかかわりを意 識しながら考える。Ⅰで限定したように,ここでの消費者は生活のために消費する者を 指す。消費者に対応する概念は事業者であるととらえるとき,消費は生活のためのもの であって,事業としてとらえられていない。しかし,消費者と抽象される主体が,家計 における生産のように生産者の側面も有することに注意が必要である。
生活していく上で,人間は種々の満たされない心を持つ。それが,具体的にどのよう
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6 小此木啓吾『モラトリアム人間を考える 全能の錯覚に生きる現代人』中央公論社,1982年,31−32 ページ。
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なことか,どこから,どのような機序で生じるか,は多様である。満足の充足が緊急の もの,不要不急のものといった点でもまちまちである。その満たされない心は,満たす ためのものへのニーズを形成する。このニーズを満たす手段の
1
つである商7
品は有体物 である必要はない。ここでニーズは欲求と同じ意味合いとしてよい。消費行動の説明と してよく引き合いに出される
A. H.マズローの欲求 5
段階8
説における
5
段階は,生理 的,安全と安定,愛情・集団帰属,自尊心,自己実現,という段階である。生理的欲求 から自己実現欲求まで欲求を段階的に把握し,前のものから後のものへ消費者の関心の 重点が移っていくというものである。もちろん低位のものの客観的重要性が減じるとい うことでは決してなく,それの充足が上への関心を可能にしているのである。この意味 では低位のものの客観的重要性は増しているといえよう。関心の対象として認識されな いことと重要でないこととは別のことである。商品は,消費者によって欲求に基づいて選択・購入され,そして使用されるが,多く の場合は購入された商品は,使用を通して消費者に満足や納得を与える。だからこそ,
売り手の利潤獲得欲求の満足と相俟って,売買現象が日常現象として続いているのであ る。同じ商品のリピート購入は相互満足という事実の一実証例である。しかし,往々に して満足を消費者に与えない結果となる場合も多く,そのようなケースの中で,ある種 の薬害のように商品がその効果に比し,消費者への提供方法と相俟って余りにも深刻な 損失を消費者に与える事態となることもある。消費者に十分満足を与えないとき,消費 者の責にかなりの程度帰す(この判定は一般には単純ではない)のが妥当な場合も多々 あるが,本章では,必ずしもそうとはいい得ない不満を生じさせる問題を構造的な問題 としてとらえ,その本質を探る。供給側の故意,過失によるところの大きい不満の発生 は,消費者の責には帰さない。
さて,消費者問題は,たとえば次のように定義される。「人間らしい生活を営むうえ で,障害となる商品・サービスの購買・利用,さらには環境に由来する諸問
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題」;「経済 社会の仕組みの中で,家族・個人がその自己実現を妨げられている状
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態」。それぞれの 定義において 人間らしい生活 , 自己実現 がキーワードである。ここでの自己実現 は,マズローにおけるそれよりも広い意味合いである。本章では,消費者を弱者性,被 害者性においてとらえるこれらの定義を念頭において議論が展開される。ただ,消費者 問題には,消費者個人のレベルの問題という側面に加えて,持続的社会や社会的厚生の 実現を阻害するという社会的性格も存在することにも注意する必要がある。
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7 ニーズの分析とその製品化については次を見られたい。守屋晴雄「商品開発の考え方についての一覚 書」『社会科学研究年報』(龍谷大学)第32号,2002年。
8 マズローの欲求段階理論については次の研究がある。松井 剛「マズローの欲求段階理論とマーケティ ング・コンセプト」『一橋論叢』第126巻第5号,2001年。
9 二階堂,前掲書,37ページ(岡部昭二氏執筆分)。
10 日本消費者教育学会編『新・消費者保護論』光生館,1ページ(木全敬止氏執筆分)。
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経済学で,互いに排除し合う概念である 消費と貯蓄 の概念がある。しかし,貯蓄 に関しても消費者問題を構成し得る。定期預金などのペイオフ解禁に際しての安全な金 融機関を見分ける情報の不足は消費者問題につながる一例である。確かに貯蓄は消費で はないが,いずれ消費に向けられる貯蓄も多いし,また,貯蓄の元金が戻らず,消費に 回らないという危険を免れ得ない可能性がある。このときの主体は,消費主体という側 面に加えて,貯蓄主体という側面においてとらえられている。また,消費者が,限定生 産品を購入し,(それを購入者自身の消費生活に供するのではなく,)ネットオークショ ンにかけて差益を得ようとするこ
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とは,消費行動とはいえないが,個人レベルの行為 で,また業として上記行動を行っていないときに,不当な被害を受けたような場合は消 費者問題を構成するとみられる。
2.消費者の特質と消費者問題
生産者は自由主義経済の仕組みの中で,競争下で利潤を追求する主体であること(私 的性格),生産物は他人によって消費されること(社会的性格),に現代の消費者問題の 発生の根源がある。そして,消費者問題が実際に,量的に,質的に,無視できないレベ ルで社会において発生していることが,消費者問題の重要性の認識の要因である。
まず,われわれは 消費者問題 ということばはよく耳にするが, 生産者問題 と いうことばはそうではないことに着目することから考察を始める。この違いは,前者は 消費者問題として総称的にくくれる共通面をもつが,後者はそうではない,ということ に関連するものと思われる。生産者には社会的分業の進展のなかで,さまざまな生産者 が存在しており,たとえば農業生産者の抱える問題は,工業品の生産者の抱える問題と はかなり異質といえよう。明らかに生産における土地への依存の状況と度合が農業と工 業とでは本質的に異なる。農業では後継者不在問題が深刻であるが,工業では,その問 題は,「匠」の継承者の問題などがあるが,農業におけるレベルほどは深刻化してはい ないといえよう。後継者問題については,同じ第
1
次産業でも農業よりも林業のほうが 深刻な状況かもしれない。このように問題が生産者によってかなり異質であるので,生 産者問題は包括的な問題としてとらえることになじまないといえる。また,熾烈な競争 下にある生産者間では利害の対立が厳しいケースも多いことも,包括的問題というとら え方を妨げる要因である。そこで生産者問題という言葉も余り用いられないということ になるという考え方が導かれる。しかし,農業という産業名を冠した農業問題という表 現はよく耳にする。ここでは農業生産者を保護対象としてとらえる側面が濃厚である。中小企業問題における中小企業も保護対象としてとらえられている面が強い。
そこで,各消費者を越えての消費者問題の共通性について考えてみる。消費者は,
────────────
11 『日本経済新聞』2002年11月24日付にこのことの例や影響についての記載がある。
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個人で,多品種,少量のものを消費生活用に 購入する。マイカーを使い,スーパー などで翌週分の消費対象を週末に一括購入するにしてもその量は高が知れている。小売 りの存在意義はまさしくこのことに立脚する。正田彬氏は消費者の特徴として次の
4
点 を指摘してい12
る。 生命・健康を害される危険性に常にさらされている。商品を正しく 認識する能力を持ちえない。価格,取引条件を強制される場合が少なくない。人間性の 弱みをもつ。 過度の見栄っ張りとか,生活を破壊するほどの賭け事への過度ののめり こみ(依存症につながりかねない)は人間性の弱みと関連しよう。この特徴は 賢い消 費者 からの乖離につながる。4つの特徴がしばしば消費者問題の素地になっている。
もちろん実際には,消費者問題が具現する人とそうでない人がいるが,すべての消費者 は消費者問題と生活上関わる可能性を持つのである。
消費者問題の認識には個々の消費者は弱く保護される立場にあるという見方が底流に ある。消費者と違って事業者は業として消費者との取引を行うプロであるから,両者に は商品知識など種々の能力に格差がある,と見るのである。このような事業者,消費者 の規定はやや理念型過ぎるかもしれないが,本質的には,実態とさほど離れていないと 思われる。もちろん貸し渋り倒産がしばしば起こる中小企業の問題が示すように事業者 にも強い事業者,弱い事業者が歴然としてあることは事実である。企業の商品をこぞっ て買わなければその企業は倒産を余儀なくされるので,この意味では消費者は 強い といえる。(生活上必須の電力のようにいつでも不買が無条件で可能というわけではな い。この場合は,消費者は強いとはいえない。)購入者としてマスとして強い,という ことである。しかし,上記の商品知識のことや被害救済などを考えると 弱い 面を確 かに持つといえる。企業は企業組織全体としての力,消費者は個々人の力に立脚してい る。情報所有,資金所有などで企業とは雲泥の差である消費者は概してアマチュアなの である。消費者が十分な商品知識の獲得などそうでなくするためにはかなりのコスト
(金銭支出のみならず時間や手間が要ることも含む)がかかるため,消費者のアマチュ ア性は構造的なことといえる。その克服などのために インフォマーシャル な雑誌の 購読など種々の方策が考えられるものの,消費者のアマチュア性の克服には構造的な限 界がある。
消費者は,Ⅰで指摘したように生活を生産する存在である。経済の進展によって,従 来に比し,多様な生活の仕方が可能になっている。消費者は,多様な商品などの組み合 わせによって生活を組み立てる存在である。その加工度が進むほど商品は市場において 多様になる傾向がある。消費者は,その生活コンセプトにしたがって多様な商品から合 理的な組み合わせを選択しなければならない。賢くない組み合わせの選択に通じる人間 性の弱みが出てこないとも限らない。親身の関係を作り出すことによる同一消費者への
────────────
12 正田 彬『消費者の権利』岩波書店,1972年,25−26ページ。
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次々販
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売 によって例示する。孤独な高齢者が売り手との人間関係による愛情欲求の 充足を単なる用具の購入によって満たそうとすることは,人間性の弱みを突かれた結果 であるという側面を否定できない。また,組み合わせるものが確定したとしてもそれら を使用する技術を消費者が十分持っていないことも少なくない。
さらに,消費者問題について次の点に注意することが大切である。消費者問題を消費 者問題として社会に認識されるためには経済のある程度の発展が前提であるということ である。一人一人の所得レベルが経済発展程度の指標の一つである。前述の マズロー の欲求
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段階説 では,一番下の段階(この充足に消費者は関心のほとんどを注ぐ)で は,消費者はその欲求を満たすこと自体に腐心してしまい,問題の指摘どころではない であろう。(客観的には,この段階の不充足による餓死の問題などは 消費者問題の中 の消費者問題 といってもよい。)欲求を満たす選択肢が少ない,適切なものが乏しい ことは,消費者問題の定義を想起すれば,明らかに客観的には消費者問題を構成する が,さほど消費者問題としては認識されない。消費者や社会に,ある程度のエネルギー が消費者問題の顕現化のためには必要なのである。このことは商品の需給関係の視点か らも説明できる。生産力が豊富になり,また所得が上昇すれば,代替的な供給が可能に なるので,問題化することのデメリットが消費者にさほど生じない。ここから 消費者 問題の顕現化の最低レベル という考え方が誘導される。また,その問題の顕現化のた めには,国家などによる消費者問題関連の情報の統制が厳格でないことも必要であろ う。かつての社会主義国家では,消費者問題といえる問題が客観的事実として存在して いたとしても,それは国民の間には問題意識として顕在化しないことも多かったことで あろう。一般には,顕在化したほうがよいことはいうまでもない。それは,1つには,社会的に見てさらなる再発やさらなる悪化を防ぐための貴重なシグナルになり得るから である。
3.消費者問題の態様
消費者問題という問題は昔からあった。10世紀くらい前のアラビアの商業書にも商 業者向けに偽の商品に気をつけるべきである旨の精神に基づいたものがある。最古の
(少なくとも最古に近い)商業書とされるアリー・ディマシュキーによる『商業の美』
の副題は 善良な商品と粗悪な商品との弁識ならびに商品詐欺師の偽造に関する指針 となってい
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る。ただし,この書物は事業者(輸入商人など)向けのものであって,商品 詐欺師の問題は 事業者問題 に属するといえよう。しかし,粗悪な商品がそのまま消
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13 次々販売 とは,一人暮らしのさびしい高齢者などが,販売員との交流を失いたくないために不要な ものを言葉巧みに次々と買わされることをいう。
14 風巻義孝『商品学の誕生 ディマシュキーからベックマンまで』東洋経済新報社,1976年,50−52ペ ージ。
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費者に売られれば,消費者問題に結び付く可能性はある。弱者性ということに着目すれ ば,輸出業者に対する輸入業者の弱者性を指摘できる。フランスのルイ
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世時代(15 世紀)には腐った卵を消費者に売る者が絶えなかったそうである。そのような者は,さ らし台に乗せられ,頭に腐った卵を投げつけられる刑罰を受けた。水増しミルクを売っ た者も 目には目を,歯には歯を で体罰を受け15
た。現代では,消費者問題の内容は,
それへの対処を含め,はるかに複雑化している。かつては大量生産体制やマスメディア の発達は見られなかった。現代の消費者問題は,きわめて広範にわたり,表示の問題,
品質の問題,安全性の問題,価格の問題などは消費者問題に重なる部分を少なからず持 つ。
悪徳商法,問題商法ともいわれるいわゆる悪質商法に着目しよう。それは,売り方
(商法)の問題なので,必ずしも直接的には商品そのものの問題ではないが,多くの場 合,商品が関与する。業者側の意図的なものである悪質商法による消費者被害は事業者 の 故意・過失 のうちの業者の故意によるものである。この悪質商法の問題は,消費 者問題の一部を構成する。悪質商法として古典的なものであるマルチ・マルチまがい商 法では,そのシステム上,被害者が加害者となってしまうことも多い。結婚相談商法 は,結婚情報の提供を名目に消費者を呼び出し,アクセサリーなどの購入勧誘をする商 法であるが,この事業者は,実体としては結婚相談事業者とはいえないであろう。
悪質商法の具体的態様は,時代によって一定ではない。昨今の高失業率のリストラ時 代につけ込んで一定金額を払えば部長待遇で採用するとし,リストラの犠牲者である退 職者が事業者にその金額を支払った後,その事業者が姿を消す,という商法はかつてこ れほどなかったのではないかと思われる。この商法は,消費の資金(お金)を就職によ って得るという点で,消費者問題につながる悪質商法であるといえよう。かつてはなか ったインターネット通販が絡んだ問題もある。昨今,ネットを用いた電子商取引が増え てきたし,これからも増えるであろう。電子商取引には,事業者対事業者のものもある し,事業者対消費者のものもあるが,後者が悪質商法を含む消費者問題と関連する。消 費者保護のための新法である電子契約法が
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年に施行されるようになったことの背 景には,電子商取引契約をめぐるトラブルが増えていること,放置しておけばさらにそ れが増え続けるであろうこと,が挙げられる。4.消費者問題の考え方
本章の最後に,従前の叙述にすでに陰伏的に示されていることではあるが,消費者問 題の考え方について改めて述べる。
以下では,1つのまとめ方として消費者問題の考え方を
4
点箇条書き的に指摘する。────────────
15 二階堂,前掲書,42ページ(岡部昭二氏執筆分)。
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( )まず消費者問題の派生的性格を指摘する。消費者問題は,孤立的に,独立的に 生じるのではなく,何らかの意図を持つ消費者の行動に付随する形で発生することが多 いことをこの性格は意味する。たとえば,電子商取引において生じる消費者問題は,そ の方式の取引が行われることを前提とするものであり,それから結果的に派生するもの である。派生する問題を未然に十分処理することは往々にしてコストがかかるので,本 来の目的ではないことも相俟って消費者や関連当局の意が回らないことが多いのであ る。また,商品が普及していくと,消費者にそれへの信頼感が醸成され,問題の可能性 の認識が少なくなっていくこともあろう。消費者問題はこのような一種の油断の状況の 下で起こることが多い。
(
)次にその構造的性格を指摘す16
る。
商品や入手方法の選択肢の拡大は,誤った選択を通しての消費者問題が生じる可能性 の拡大の可能性につながる。生活において商品への依存が大きい(この意味では商品と 消費者の間の 距離 は小さい)一方で, 距離 は大きいという面をもつことも事実 である。ここで,大きい距離は,消費者の購入商品に使われた素材がどこで得られたと か,商品がどのように生産されたかなどは,消費者にとりブラックボックスであるのが 支配的であることなどを含意している。すぐ使用できる加工品では,その実際の入手ま でには実に多くの条件(生産など)が満たされている。
また,生産行為のためのものとしての消費者の消費には,その能力において量的な,
質的な個人差がある。パソコンなどの情報機器の使用を想起すればよい。表計算などの 生産はパソコンだけによっては行われず,消費者の使用能力など条件を必要とする。ま た,商品と商品を組み合わせて消費することが多いことにも着目を要する。酸性洗浄剤 と塩素系洗浄剤の混合使用による死亡事故のように混合(一種の組み合わせ)ゆえに生 じるケースもある。個々の商品は,それ自体としては,消費者にとって
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つの定在に過 ぎない。多くの消費行動などによって構成される生活の統合的性格と商品のこの定在性 は消費者問題を引き起こす素地を構成するのである。また,個別対応性の進んだ商品の 場合,Ⅱの末尾で述べたようなストーリーで消費者問題が発生する可能性を指摘でき る。(
)次に消費者問題への対応を,被害者救済の局面で考える。ここでは簡単な法的 考察例から始める。ここでは川角由和氏の考え方を紹介す
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る。
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16 次の文献における考え方が参考になった。村田和彦『市場創造の経営学』千倉書房,1999年,の第6 章。
17 川角由和「生活者と法(総論)」『生活者と法』龍谷大学法学部創設30周年記念事業実施委員会,1998 年,10−12ページ。同氏の挙げる事例は次の文献による。本田純一,村千鶴子,角田真理子『消費者紛 争ハンドブック』弘文堂,1988年,14−15ページ。本稿では,川角氏の分析についてはすこぶる簡略 化して記載している。
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同氏の挙げる事例は次のようなものである。クーリング・オフ制限特約に関するもの である。
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日前,隣家でのホームパーティでのセールスマンの実演に魅せられ,鍋のセット を分割払いで購入することにした。申込書に記入,捺印した。付随の約定書に「1点で も使った場合は解約できない」という特約が書かれていた(その説明はなかった)。余 りにも高価なので,一部をすでに使ってはいるが,解約したくなった。同氏は,この事例について次のように分析している。分析において,弱い立場の消費 者を保護する方向性が指摘される。同氏による分析がなされた
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年の時点において は,消費者契約法は成立していない。(訪問販売法は,現在,特定商取引法となってい る。)①割賦販売方式が採用されているので,割賦販売法によってクーリング・オフ適用が 可能である。
②特約の意味が説明されていない以上,特約に法的拘束力がない。
③特約の説明がされていたとしても,訪問販売法という消費者特別法上,消費者にと って不利な契約という点から,クーリング・オフが可能である。
④民法に内在する規範的価値(公の秩序)基準に十分注目すべきである。
以上が事例に対する同氏の分析の一端である。消費者の立場を考慮した同氏の見解 は,また,公序(公の秩序)に高い優先性を与えている。民法に内在する公序の基準か ら事例の問題を照射している。
さて,上記の事例とその分析は,大きな視点からは, 買い手注意から売り手注意へ の中でとらえることができる。注意は,用心,危険持ちなどと表現されることもある。
結果として粗悪品を買わされた場合,それは基本的に買い手の不明に帰すもので,売り 手は責任を負わない,という考え方が 買い手注意 ( 買い手危険持ち )である。 目 の不自由なろばの例 のように歴史的には,買い手は,商品に対し,‘千の目’をもたな ければならないとされるこの考え方が踏襲されてきた。消費者が商品の欠陥を購買前に 見抜けなかったほうに問題があったと考えた。実際,商品の作りも単純なので,消費者 は欠陥を相応の努力の範囲内で比較的容易に見抜けたのである。 売り手注意 は,消 費者問題が起こったとき,売り手に責任を求めようとするスタンスの考え方であり,
買い手注意 より歴史的には新しい考え方である。商品の高度化,複雑化を伴った大 量生産,大量消費体制といった状況の下で事業者の責任が厳しく問われるようになった ことが, 売り手注意 の考え方の基礎にある。ともすれば消費者の利益の軽視につな がりかねない熾烈な企業間競争の視点,商品そのものに加えて取引内容の高度化,複雑 化の視点によって 売り手注意 の考え方の促進を説明できよう。公序のための市民生 活の維持という国家や地方公共団体の存在理由が,この促進の内実化の背景に存在す
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る。また,その移行においては消費者の運動の積重ね,権利意識の高揚による後押しと いう面も重要である。以上から
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つ目の消費者問題の性格として,(近年においては)消費者保護基本法,製造物責任法,消費者契約法などによる支援を受けつつの,売り手 注意への移行の進展を指摘したい。
(
)最後に消費者問題の発生と顕在化の意義を考える。消費者問題は,消費生活に 付随して発生する。消費生活を適正にすることによって生活の円滑な再生産が可能にな る。現代では消費生活への商品の入りこみが質量ともに高レベル化しているので,消費 者問題の発生を過度に恐れるあまり消費者が消費生活を余りにも自制したら,一般的に は生活そのものがかなり乏しくまた不便になろう。消費者問題の経験によって消費者は 社会の仕組みとそれへの対応を知ることができることを考えると,ある程度のレベルの 消費者問題の経験も必ずしも無益ではない。その消費者個人の経験を社会的なものにす るためには,口コミによる伝達に加えて,その経験に関連した情報の社会への開示が必 須の前提である。より賢い消費者,よりよい社会への1
ステップの面を消費者問題はも つ。以上は,消費者問題のステップ的性格とでも表現できよう。上記の
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つの性格には相互関連がある。たとえば,派生的性格であるからこそ,消費 生活の複雑化,高度化などに伴って,消費者問題が構造的に発生する可能性につながる のである。また,消費者問題は,確かに消費者個人に具現するものの,すぐれて社会的 問題であることがこれらの性格から看取される。本章では消費者が受ける被害という視点から消費者問題をみてきたが,実際は,この 視点のみで消費者問題をとらえ切ることはできない。消費者による加害の面も今後は考 える必要がより高まるであろう。そこでは消費者の倫理の問題も考えていかなければな らないであろう。倫理の問題は加害者としての消費者から誘導されるものが多い。加害 の面の一例として沿道の住民が被る自動車の排気ガスや騒音の問題を考える。消費生活 のためのマイカーの使用(消費)の場合,その運転手は消費者である。車でスーパーへ 行く消費者が,消費者(生活者)である沿道の住民に加害しているのである。 消費者 から消費者へ のケースである。消費者が商品の購入過程,消費過程,廃棄過程で周囲 の者や社会に迷惑を及ぼす面は,消費者に関する考察対象の(どちらかといえば)周辺 にとどまってきたが,現代ではこの視点は重要性を増している。
上記でマイカーでの買い物を取り上げたが,関連して
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点指摘する。1点目は,タク シーで買い物をする場合は,直接的には,加害は消費者への乗車サービスという産業活 動によるが,住民への加害はタクシー事業者によるものだけではなく消費者も関与する ことは明らかであることである。2点目は,マイカーでの買い物の場合,加害者は,消 費者のみではなく,その自動車のメーカーにも,その大きさは自動車における環境配慮 の情況にもよるが,加害者性の存在することは明らかであることである。この2
つの点同志社商学 第54巻 第5・6号(2003年3月)
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の指摘は,加害の視点で消費者問題を見るにしても,より大きな視座で消費者問題を見 ることの必要性を示唆している。
しかし,消費者問題として顕現化しているのは,被害を受ける消費者といえる。そこ で弱い立場としての消費者に着目するのである。消費者問題というとき,考察対象のメ インは消費者の被害者的側面であるというスタンスのもとに本稿の議論も展開された。
お わ り に
本稿では, 消費者問題と商品 についての考察の一例を示した。
1
では,消費,消費者の概念の理解の仕方の一例を示した。Ⅱでは,現代の消費の特 質の一端を指摘した。Ⅲでは,消費者問題の考え方を商品とのかかわりに留意しながら 考察した。消費者は,基本的には保護対象としてとらえられている。消費者の生活問題 の1
つとしての消費者問題を,商品の生活へのインパクトの大きさなどを要因とする構 造的な問題としてとらえた。消費者問題は,消費者の生活の円滑な再生産を阻害することを意味するのみにとどま らない。(ここで,生産という語が使われていることに注意されたい。消費は生産とい わば表裏の関係にある。)消費者は,社会とのかかわりの中で生活しているので,消費 者問題は,社会的問題となる契機を常に包蔵している。消費者問題を考えるとき,この ような視点からとらえ返すことが,その本質の理解のためには不可欠であろう。この理 解の過程において商品が直接に,間接に深く関与しているという事実を看過できないの である。
本稿は,表題のテーマのためのきわめてラフな,かつ部分的なスケッチに過ぎない。
本稿での考察をささやかな土台にして,より本質に肉薄すべくさらに努力を重ねたい。
(付記)岩下正弘先生には,私は,大学院在学時より多大のご指導を賜ってきた。龍谷大学赴任後も,勤務 地が同じ京都と近いこともあって,懇切なご指導を継続して承った。その結果,ありがたくも何冊か 先生との共著を公刊することもできた。同志社大学を主要会場とした日本商品学会の第34回全国大 会(1983年),京都国際会館国際会議場などでの第6回国際商品学会シンポジウム(1987年)を成功 裡に導くべく,両大会いずれもその準備委員長として粉骨砕身のご努力を傾けておられたことなど,
10年を超える前のことなのに,私の記憶に新しいものがある。先生のご指導に深謝申し上げるとと もに,先生の今後の人生において,公私ともどもご多幸であられることを心より念じてやまない。
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