2005/08/04
我が国にとってのセキュリティ文化とは何か。
*醸成する必要があるのは、「国民的なセキュリティ意識の高まり」であり、それは、
セキュリティということに対する国民的認識の確立と、それに基づく、セキュリティ に関する「価値の体系化」であると思われる。 「価値の体系化」こそ、 「文化」たる所 以であるからである。
*それが何故必要かといえば、地球的規模でのボーダレス時代にある現代において、 「国 家の独自性」に対する相互理解を深め、その相互理解の上での「協調」こそが、地球 人類を生き延びさせる唯一の道だとすると、自らの「安全」を、自らの「責任」にお いて認識し、実現しなければならないということを、国民一人一人が認識し意識する ためには、自らが、日々発信し受信する「情報」の「セキュリティ(安全)」に対す る意識の高まりこそが、その基礎となるからである。
*セキュリティを高めることにおいて、利便性とプライバシーは相反するかもしれない。
国家の安全保障という観点からは、個人のプライバシーとの間で、同じく、相反する 可能性もあると思われる。しかしながら、蒸気機関やガソリン自動車による交通革命 が、交通ルールの確立と相俟って発展してきたように、ルールづくりによって、そう した利益相反は免れると思われる。但し、物理的世界の事象ではなく、人間の精神活 動に関わる世界での事象であるが故の困難さには、十分に配慮すべきであろう。
以上のように考えると、本委員会において検討すべきは以下のとおりかと思われる。
・「セキュリティ」に対する日本国民の意識レベル
・恐らく稀薄であろう、そうした意識の、由って来たる所以
・ネット社会の特質
・ネット社会において、現状のままの国民意識がもたらすリスク
・「セキュリティ」に見出すべき「価値」とは何か、その体系は如何なるものか
・国民の意識変容の方向性とその方法、要する時間等
以上
株式会社電通 アカウント・プランニング計画局 志波 幹雄