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『教行信証』の構成について

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一、問題の所在   親鸞(一一七三―一二六二)は畢生の書である『顕浄土真実教行証文類』(以下『教行信証』)を、どうして二序六巻から構成したのだろうか。その構成に託された意義とは、いかなるものであろうか。拙稿は、この問題について考察を試みるものである。

  もちろん『教行信証』は非常に重層的な内容を持っており、巻の分け方を基準とした視点だけでは、その思想の全体を窺うことは不可能である。また『教行信証』を読む視 座は固定されるべきものではなく、様々な視点からの読解が試みられるべきである。ただ二序六巻という独特の構成が、何の意図も無しに成立したとは考えられない。むしろこの構成を通して親鸞が表現し、伝えようとしたものがあったはずである。『教行信証』を読む者は、その意味をも汲み取る必要があるだろう。  事実、この問題に取り組んできた先学は極めて多く、すでに様々な見解が提示されている。しかし、それらの見解は十分に整理・検証されてきたとは言い難く、定説と言えるような理解も見られないのが現状である。そこで拙稿では『教行信証』の構成に関する研究史を追跡し、親鸞が二 1

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《研究論文》

『教行信証』の構成について

親鸞仏教センター研究員

          

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序六巻という構成に籠めた意義を、改めて考えてみたい。

二、近世以前における『教行信証』の構成理解

『教行信証』研究の嚆矢となる著作は、鎌倉時代の末に造られた『教行信証大意』(以下『大意』)である。『教行信証』という略称も、この著作に由来するとされる。しかし『大意』は『教行信証』の構成を体系的に把握しようとするものではなく、各巻の要旨を並列的に記述するのみである。

  これに対して『教行信証』の構成を初めて論じるのが、存覚(一二九〇―一三七三)の『六要鈔』である。

経論釈義の常の例に准依して、文を分かちて三と為す。一には序、即ち序分。二には標列より下、第六の末に『論語』の文を引くに至るまでは是、正宗分なり。三には「竊以」より下、終わり巻を尽くすに至るまでは、流通分なり。

(『真聖全』二・二〇六頁)   このように存覚は、仏典の解釈法である三分科を『教行信証』に適用し、「総序」を「序分」に、「教巻」から「化身土巻」の『論語』引文までを「正宗分」に、「化身土巻」の「窃以聖道諸教」以降(以下「後跋」)を「流通分」に、それぞれ配当している。この理解は以後の宗学においても、広く踏襲されたものである。

  ただ『六要鈔』は、「正宗分」六巻の展開を詳しく論じてはいない。そのため以後の『教行信証』研究では、この点が課題となっている。これに対する最も早い解答例は、室町時代に造られた『相伝義書』の「深解科文」であろう。その特徴は「証巻」の前半までを往相回向に、以降を還相回向に配当した点である。これは「往還科」と呼ばれる。確かに「教巻」の冒頭において親鸞は、

謹んで浄土真宗を按ずるに、二種の回向有り。一には往相、二には還相なり。往相の回向に就いて、真実の教行信証有り。

(『定本』九頁)

と述べており、二回向が『教行信証』において重要なテー 3

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マであることは言を俟たない。しかしながら親鸞は、二回向を基準に巻を分けているわけではない。そのためか江戸宗学においては、この「深解科文」の説はほとんど継承されなかった。また拙稿も、二序六巻という『教行信証』の書誌的特徴の意味を問うものであるため、この問題については割愛する。

  代わって近世以降の構成理解に大きな影響を与えたのが、本願寺派・智暹(一七〇二―一七六八)の『教行信証文類樹心録』(以下『樹心録』)である。この著作は、「教巻」から「真仏土巻」までを「明真実六法」として一括する一方、「化身土巻」は「明方便六法」と「分別時教」を扱うものとして、明確に区別している。すなわち『教行信証』の構成を、真実五巻と方便一巻の二部作として捉えたのである。これは「真仮科」と呼ばれる。これは以後の構成理解の基本となるものであり、大谷派の鳳嶺(一七四八―一八一六)や法海(一七六八―一八三四)も、これを全く踏襲している。

  しかし、どうして『樹心録』の理解は、これほど広く浸透したのだろうか。もちろん親鸞自身が、前五巻の題号には「真実」または「真」の字を付しており、「化身土巻」 の題号には「方便」の文字を掲げている。そのため「真仮科」は、書誌的に見てわかりやすい分科である。ただ、この理解が浸透する背景としては、真宗を教団として自立させる理論的根拠が、『教行信証』に求められてきたという事情も、併せて考える必要があるだろう。たとえば『大意』には、次のような記述が見られる。

しかれば当流聖人の一義には、教行信証といへる一段の名目をたてゝ一宗の規模として、この宗をばひらかれたるところなり。このゆへに親鸞聖人、一部六巻の書をつくりて『教行信証文類』と号して、くはしくこの一流の教相をあらはしたまへり。

(『真聖全』三・五八頁)

  このように『教行信証』が、浄土真宗を開いた書物として位置付けられている。同様に、『教行信証』を「立教開宗の根本聖典」であるとする視座は、以後の研究において基本的に踏襲されたものであり、『教行信証』を読み解く前提となったものであると言えるだろう。そして『教行信 8

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証』が立教開宗の書である以上、その重点も真実の巻(「教巻」から「真仏土巻」)に見るべきだとされたのは、ある意味では当然の帰結である。

  特に近世では、様々な異安心問題や他宗との論争に取り組むためにも、真実を明示して仮・偽を批判し、真宗教団の意義を主張する必要があった。智暹の「真仮科」が広く受容された背景の一つにも、このような時代の要請を見る必要がある。

  ただ、真仮の分判を強調する『教行信証』理解は、弊害を伴うものでもあった。そもそも親鸞は、独自の宗派を開くために『教行信証』を著わしたのではない。確かに歴史的事実として、『教行信証』は立教開宗の根拠となったものである。しかし親鸞自身に、その意思が有ったとは考え難い。

  また構成理解に関しても、「真仮科」は真実五巻ばかりを重視し、「化身土巻」を軽んじる風潮を生み出していった。しかし『教行信証』の造意を考えた場合、「後跋」を生み出していく「化身土巻」の位置は、決して軽んじられるものではないだろう。   事実、近代における『教行信証』の構成研究では、このような見方が批判されることとなる。

三、近代における『教行信証』の構成理解

  智暹に始まる「真仮科」は、現代においても一定の影響力を持った構成理解である。たとえば本願寺派が、親鸞聖人七百五十回大遠忌の際に刊行した『『顕浄土真実教行証文類』解説論集』でも、「真仮科」に基づいて『教行信証』の組織が解説されている。

  しかし一方で、この理解を問い直す動きもあった。特に注目されるのが、曽我量深(一八七五―一九七一)と金子大榮(一八八一―一九七六)の二人である。両者は極めて親しい関係にあり、共に「真仮科」を批判して新たな構成理解を提示しているのだが、その内容は全く異なったものとなっている。よって本節では、近代における構成研究の展開として、両者の理解を概観してみたい。 11

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  三―Ⅰ、曽我の構成理解        ―「伝承」と「己証」―

   三―Ⅰ―A、曽我の背景としての近世宗学   曽我が提示する『教行信証』の構成理解は、「総序」から「行巻」までを「伝承」の第一部とし、「別序」から「化身土巻」までを「己証」の第二部とするものである。これを拙稿では「行・別区分」と呼ぶ。この構成理解が初めて公にされたのは、大正一四年(一九二五年)に大谷大学で行われた、宗祖降誕会の場であったとされる。この講演の正確な筆録は残されていないようだが、その要旨が当時の学内新聞にまとめられていた。

私は親鸞聖人のその著「教行信証」を単なる文字の羅列としてヾはなく、伝承と己証といふ深刻な意味の表示であると思ふ。いま教行信証を伺ふとき先輩の人々は四法の順序といふことを重く考へられてゐられるが然し私は行巻は正信偈を以て前二巻が先づ帰結されて ゐると思ふ。そして信巻の初めには別序がある、このことはまた考ふべきことで、単に信巻のみの序ではなく信、証、真、化の四巻の序であると思ふ。そこで便宜上前二巻は伝承の意義をあらはし、後四巻は己証の意義を明かされたと云ってもよかろうと考へてゐる。(中略)信巻已後は信ぜねばならぬ理由が述べられてゐる己証の真実が肯定されてゐる。また聖人は信巻と化身土巻とに於て問答を記述してゐられるのは着眼すべきことヽ私は思ふ。この問答が聖人の疑問とせられたことでもあり、然も的確に解答が与へられてゐる。

(中略筆者『大谷大学新報』三一・一頁)

  このように曽我は、「行巻」の結びに「正信偈」が置かれ、「信巻」の直前に「別序」が設けられるという特異な体裁に着目し、ここに主題の転換を見たのである。

  この理解に至った経緯を、曽我自身は特に述べていない。しかし「行巻」から「別序」「信巻」への展開については、古くから議論されてきた事柄である。そこで一度、曽我以前の議論の展開を概観しておきたい。 18

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  まず『六要鈔』では「行」「信」の関係について、「信行離れず、機法是一なり」と述べるように、両者の不離・一具を強調する場合と、「行は所行の法、信は是能信なり」として、両者に差異を見る場合とがある。そのためか近世の宗学においても、「行巻」と「信巻」の関係は両様の視点から論じられていたらしい。これを深励が「行巻」の位置を論じる際に、次のように整理している。

教文類已でに終りて今行文類を明す。その来意は如何と云ふに。これに二の義門あり。一には教と義とに約す。これは能詮の教。所詮の義のことなり。二には法と教とに約す。初めに教と義とに約すと云ふは。上の教巻に能詮の教を明せり。今この行巻より下は所詮の義を明す。その所詮の義の中に於いて。行と信の二つは衆生往生の因なり。証の一つは衆生往生の果なり。

(中略)その往生の因につきて。聞其名号。信心歓喜とありて。名号の行を信ずる信心なれば。行は先にして信は後なり。故に今はまづ教巻に次いで真実の行を明かすなり。これが一の来意なり。 二つに法と機とに約せば。教行信証の四法二つにわかれて。教と行とは能被の法の上にあり。信と証とは所被の機の上にあらはる。(中略)今浄土真宗の教と云ふは。弥陀の本願の勅命を。釈迦諸仏が伝えて衆生へ教ゆる教法ゆへに。これ機と法の中では法でなければならぬ。ときに。その教は仏の名号を以て体とする。教の体は南無阿弥陀仏の名号の行也。故に教巻の次に行巻来る也。この行巻に明す処の名号の行を。衆生の機の方へうけたすがたが。次の信巻の信心なり。

(改行・中略筆者

  『仏教大系』教行信証第一

四一六―四一七頁)

  ここから近世では「行巻」の位置について、①「信巻」と共に「衆生往生の因」を明らかにする巻、②「教巻」と共に真宗の法(名号)を明らかにする巻、という二つの見方があったと推測される。ただ深励自身は、

然れば教行信証の四につきて機法を分れば。教行は法の上にあり。信証は機の上にある。今はその法の中で。 20

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正しく仏の教へ給ふ処の教法は。上の教巻に明しおはり。夫れにつぎて。今は教の体の名号を明させらるる。これで教巻行巻と次第することがよく聞こへるなり。

(『仏教大系』教行信証第一・四一七―四一八頁)

と述べていることから、②の方が妥当であると見ていたようである。確かに、「行」「信」不離の強調に親鸞の主眼があったのであれば、「行巻」と別に「信巻」が開設されることはなかったであろう。しかし深励は「正信偈」や「別序」の位置に対して、積極的な思索を加えてはいない。

  この問題に改めて着目したのは、大谷派の了祥(一七八

八―一八四二)である。

行の巻の中に正信偈か有る。略文類ては終りにある。念仏を正信する偈なら。同しくは信巻の終りに置て貰ひたひ。行の巻に出たは如何と底すみかせなんた。亦初めと終とに序の有も。多く例の有事。書物の真中に序か有る。これは例かまれな。爾るに御本書には。信の巻に別に序がある。これも古来の説合点行す。爾る に今四法建立の意味を呑込に。道綽・恵心・元祖に依て教行を立て出る。浄土論に依て信証に法を開ひて出る。教行と信証と。其元に分れかありて。正信偈を行巻の終に置て。一段ぎり信の巻に。論主に依て序文を別に添たまふ思召。今の訳てみるとよく分る。

(『一枚起請文講義』『真宗全書』五八・二一一頁)

  このように了祥は、「行巻」の末尾に「正信偈」が置かれ、「信巻」に再び序文があるという、構成上の問題を取り上げている。そして「教」「行」二巻と「信巻」以降では、基づく背景が違うのではないかという説を提示している。

  さらに了祥の弟子である法住(一八〇六―一八七四)は、『教行信証金剛録』(以下『金剛録』)において、次のように述べている。

上来は元祖相承の教行二法を明かしおはりて、行巻の終に『正信偈』を置かせられて一大段落を示し、已下の信証二法は、吾祖の御己証故に、別序を造りて、又 22

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端を改めたまふ。

(『続真宗大系』八・一頁)

  このように法住は、「教」「行」の二法は「元祖相承」、「信」「証」の二法は親鸞の「御己証」として理解している。曽我の区分も研究史の上では、これらを受けたものとして位置付けられるだろう。ただ、曽我の「行・別区分」は、法住の単なる踏襲ではない。よって拙稿では以下において、曽我の理解の特徴を、法住との比較を通して考えてみたい。

   三―Ⅰ―B、「真仮分判」について   まず法住の『金剛録』についてだが、この著作は浄土宗の批判に応えようとした了祥の影響を受けて、『教行信証』が『選択本願念仏集』(以下『選択集』)の相伝であることを、極めて強調するものである。

是れ後序の文と云ひ『古徳伝』と云ひ、決定して元祖十三回忌の御追善の御師匠の恩徳を報ぜんが為に、悲 喜の涙にむせばれて、此の『広本』を作られたに相違なし。

(『続真宗大系』七・一〇頁)

此の書は何を因として作れるや。解して云ふ、『選択集』を以て因とす、是れ此の『広本』を学ぶ眼目なり。

(同右)

  このように法住は、『選択集』が『教行信証』の「因」であるとまで述べる。これは「後跋」の記述に基づく思索であり、確かに親鸞の生涯において『選択集』の附属は、極めて大きな意味を持った。しかし法住は『教行信証』が、『選択集』の焼き直しだと見たのではない。

『選択集』に、第一には教相章、第二には二行章、

(中略)第三の本願章より下の十四章は、教相章に明かす正明往生之教の三経によって、選択の念仏を明かす。三経は是れ教なり。選択の念仏は是れ行なり。三心章に信を明かせども、念仏行者必具の三心にして、行中に具する信なり。是れ『選択集』一部は教行二法 23

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の建立なり。吾祖之を受けて教行二法を明かし、『行巻』の終に『正信偈』をおきて総結し、一大段落を示したまう。

(中略筆者『続真宗大系』七・一八頁)

と述べているように、そもそも法住は『選択集』の主題が、選択本願念仏の「教行二法」を明かすことに尽きると考えている。そして『教行信証』の前二巻は、これを正しく受け継ぐものであると見ており、その意味で「相承」と呼んだのであろう。

  これに対して、「信」「証」の二法が「己証」として別開される理由は、次のように示されている。

さて『選択集』の三心章に「当知生死之家以疑為所止」との給へり。この文が信証二法を別開し給ふ根本となる。涅槃に入るべき能入の門を明かすが『信巻』なり。(中略)所入の涅槃之城を明かす『証巻』『真仏土巻』なり。『化巻』は此の涅槃之城の外の疑城胎宮・懈慢界を明かす。然れば『信巻』より下は三心章の御私釈より開けて出る。

(中略筆者『続真宗大系』七・一九頁)

  信心の問題は確かに、『選択集』の「三心章」で扱われている。しかし源空の遺弟たちの間では、「涅槃之城以信為能入」と言い得る道理は、必ずしも明瞭になっていなかった。そのため、この点を問題としたのが『教行信証』の「己証」であると、法住は見たのである。つまり『金剛録』で用いられる「己証」とは、源空の真意を明らかにするための親鸞の思索、という意味で領解することができるだろう。

  曽我も「行・別区分」の意義を『選択集』を軸に語る場合があり、この点で両者に差異は見られない。

  次に相違点だが、これは両者の「破邪顕正」に対する態度が、最も明確であろう。まず『金剛録』の冒頭には、次のような記述が見られる。

此の『教行信証』は高祖聖人の真撰にして、(中略)その明かす所の法門は、黒谷聖人より御相伝ましましたる選択本願の謂れを他力真宗の教行信証と開かせら 2728

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れ、或は聖道及び浄土門内の邪義を摧き、一代仏教の真仮を判じ、内道外道の真偽を決し給ふところのものなり。

(中略筆者『続真宗大系』七・一頁)

  このように法住は、『教行信証』が源空の教えを批判した聖道門や、曲解した浄土異流等の「邪義を摧」くものであると理解している。さらには、

六巻の文類が破邪顕正のためなれば、(中略)全体此の書が文々句々は破邪顕正のためと云ふことを忘れては解せざるなり。

(中略筆者『続真宗大系』七・三二三頁)

とまで言い切るのである。そのため「化身土巻」は、選択本願によって選び捨てられたものを明かす巻、或いは親鸞が「帰本願」に際して棄て去った「雑行」を示す箇所として見做されている。つまり法住は従来の「真仮科」を排して、「伝承」と「己証」という構成理解を提示したのではなかった。むしろ「破邪顕正」を『教行信証』の主題として理解したのが、法住の『金剛録』である。   しかし曽我の「行・別区分」は、むしろこの「破邪顕正」という視座を批判していくものである。たとえば『教行信証「信巻」聴記』では、次のように述べられている。

昔から、前五巻は「真実の巻」、第六巻は「方便の巻」といわれています。即ち破邪顕正ということを、六巻をもって明らかにされたのであると、領解されておったのであって、これは一応、尤もなことであると思います。しかし、浄土真宗においては単なる破邪などということはないと信じます。破邪などということはないのが浄土真宗であると、信ずるのであります。

(『曽我量深選集』八・一四頁)

  ただ曽我は『教行信証』に、「真仮分判」という課題が無いと考えていたわけではない。曽我が批判しているのは親鸞の「真仮分判」を、対他的な「破邪顕正」の論理にのみ用いる宗学の姿勢である。これを『大無量寿経聴記』では、次のように述べている。 29

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法然上人が未だ残してをられたところの仕事といふものがある、それをこれから明らかにしなければならぬといふのがつまり、御開山聖人の真仮分判の問題であります。その真仮分判の問題が「信巻」のところにはじめて現はれた。これは何も自分が自分の見識でもつて人に批判を加へるといふのではないのでありまして、畢竟ずるに自分自身に対し、自己批判といふものをされたのでありませう。(中略)それは決して、西山がどうだ鎮西がどうだやらかうだやらと、そんなその時代だけの問題でないと思ふ。

(中略筆者『曽我量深選集』七・三四七―三四八頁)

  このように曽我は「真仮分判」自体を否定しているのではない。むしろこの問題こそ、親鸞に「己証」の巻を開かせたものであったと考えている。確かに親鸞は「信巻」以降において二双四重の教判を設け、「仮」「偽」を定義し、三機と三往生を弁別するなど、「真」「正」とは何かを徹底して問うていく。しかし曽我はこれらが自己を正当化し、他者を批判するためのものとしては捉えなかった。親鸞の 「真仮分判」は、あくまでも「自己批判」の営みであると、曽我は理解したのである。ここは法住と曽我の、明確な相違点だと言えるだろう。  なお、ここでの「自己批判」は、自力の執心に対する批判であると推測される。曽我は自力心を全く捨て去った先に、第十八願の他力信心があるとは考えていない。自力性を自覚し、批判していくという能動性を持つものとして、真実信心を捉えているのである。そのため、

本当に至心・信楽・欲生の三心といふものを持つその仏の前において自分の信心が正しいか正しくないかといふこと、それの本当の批判といふものがこの「信の巻」から始つて、正しく信の問題といふものがそれから起つて来るやうであります。

(『大無量寿経聴記』『曽我量深選集』七・三四七頁)

という言葉が見られるように、「信巻」以降が課題とする「顕真実信」という営為は、自身の信心を批判することを通して初めて成り立つと、曽我は考えていたのだろう。だ 34

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からこそ曽我は、自力心や仏智疑惑の問題が扱われる「化身土巻」を、「信巻」と表裏の関係にあるものとして再評価していったのだろう。

   三―Ⅰ―C、本願の論書として   また曽我は「行・別区分」を、『選択集』ではなく天親の『浄土論』を通して論述する場合がある。これも、法住には見られない視点である。『浄土論』は、前半の「願生偈」と呼ばれる偈文(「総説分」)と後半の長行(「解義分」)から成る小部の著作だが、曽我は『教行信証』の体裁も同様であると考えている。たとえば「己証の開展」の中では、次のように述べられている。

だから、『教行信証』というものをみていると、ちょうど「解義分」、―つまり『浄土論』には「総説分」と「解義分」というものがあるが、「信巻」以後は、『浄土論』で申しますならば「解義分」に当たるものである。「行巻」は、要するに、天親菩薩の『浄土 論』でいえば「総説分」、すなわちいわゆる偈文に当たるものである。『教行信証』では、偈文というものは「正信偈」だけであります。

(『親鸞教学』三七・九一―九二頁)

  この講義は『教行信証』の構成を、「伝承」と「己証」に二分して見るところから始まっているものである。そのため曽我は、「伝承」の二巻を「総説分」に、「己証」の四巻を「解義分」に配当していると見て、間違いないだろう。

  しかしこれは一見すると、突飛な発想である。なぜ曽我は『教行信証』の構成を、『浄土論』に対応させて理解していったのだろうか。

  まず考えられるのは、『浄土論』が『大経』の論書であり、本願の論書だからだろう。同様に『教行信証』も、『大経』を「顕真実教」と位置付け、「仏の本願を説きて経の宗致とす」と述べて、その本願を軸に論を展開させるものである。つまり曽我は、『選択集』を軸とした法住の理解を超えて、阿弥陀仏の本願を明らかにする論書として、『教行信証』をより根源的に捉え直したと言えるだろう。 39

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  ただ曽我は、四十八願を並列には見ていない。四十八願の根本は一つの願であると述べ、その根本本願が二つに分かれたものとして、第十七願と第十八願の関係を考えている。この二願は、前者が「行巻」の標挙であり、後者は「信巻」の標挙である。つまりは「行・別区分」という曽我の理解も、根本本願のはたらきを問う思索の一環であったのだろう。

  では具体的に、「伝承」の巻から「己証」の巻への展開を、曽我はどのように考えていたのだろうか。

  曽我は『浄土論』について、天親が三部経の精神に相応した願生心を表明しているのが「総説分」であり、その偈文に籠められた意義を問答しているのが「解義分」であると理解している。同様に曽我は『教行信証』の構成に関しても、「伝承」の巻と別個の主題を扱うのが、「己証」の巻だとは考えていない。まず「教」「行」の二巻は、親鸞が第十七願のはたらきである諸仏の称名に随順して、三経七祖の伝統を連ね、「正信偈」として讃嘆したものであるとする。つまり「伝承」の巻の中心は、「正信偈」であると見做すのである。   これに対して「信巻」以降は、「別序」に、

然るに末代の道俗近世の宗師、自性唯心に沈みて、浄土の真証を貶す。定散の自心に迷いて、金剛の真信に昏し。爰に愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家釈家の宗義を披閲す。広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。且く疑問を至して、遂に明証を出だす。

(『定本』九五頁)

とあるように、「沈」「迷」という問題を見据えて、「金剛の真信」が衆生に実現する道理を究明するものだと理解される。そして信心の道理を明らかにするために重視されたのが「疑問」、すなわち問答である。「浄土論偈講讃聞書」では、次のように述べられている。

  行巻には信は説かれても未だ行中摂信されてゐる。『信巻別序』には「且至疑問遂出明証」とある。問をもつこと、疑をもつことが学である。真宗では疑は信を障げると言ふが、又、疑がなければものの道理は解 46

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らぬものである。

(『開神』八一・四頁)

  「教」

「行」の二巻では、「明証」は引文で示されていた。しかし「別序」では経論釈の引文に「疑問」を加えて、「明証を出す」とされている。これが、「己証」なのであろう。そしてここでの「疑問」は、具体的には「信巻」と「化身土巻」で展開される、二つの問答を指すと考えられる。曽我はこれらの問答が、「己証」の巻の中心であると見たのであろう。

  以上のように曽我の「行・別区分」は、法住の説を換骨奪胎させたものであったと言うことができるだろう。法住が、源空との師資相承を軸に「伝承」と「己証」を考えていたのに対し、曽我の「行・別区分」は、その根源を本願に求める思索であった。すなわち親鸞の『教行信証』は、自らが帰依した本願とその伝統を「偈頌」によって讃嘆するものであり、かつ「問答」によって信心の根源を推究し、どこまでも人間の自力心を批判していくという能動的な信仰の表現として、捉え直されたのである。

  しかし、どうして親鸞は「問答」を、「信巻」と「化身 土巻」に分けて配置したのだろうか。しかも「化身土巻」は「真仏土巻」と共に、仏身仏土の問題を扱う体裁を採っている。なぜ親鸞は「己証」の巻の中で、浄土を主題とする二つの巻を設けねばならなかったのだろうか。この点に関して曽我の思索は、なお課題を残すものであったように思われる。

  三―Ⅱ、金子の構成理解        ―「回向」と「摂化」―

  金子は『教行信証』を、前四巻と後二巻の二部作として捉えたことが知られている。この理解を初めて明示した論文が、「二部作『教行信証』」(一九六五年)である。

『教行信証』は前四巻を第一部とし、これに対して後二巻を第二部として領解してよいものではないであろうか。

(『金子大榮著作集』一二・一三頁)

しかしてその第一部は願心の回向を顕わし、第二部は 52

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光明の摂化を説くものである。

(『金子大榮著作集』一二・二七頁)

  このように金子は前四巻を「願心の回向」、後二巻を「光明の摂化」と位置付け、「証巻」と「真仏土巻」の間に区切りを設けた。これを拙稿では、「証・真区分」と呼ぶ。ただ金子がこの理解を提示するのは、晩年のことである。この理解へと行き着いた問題意識を、金子自身は次のように語っている。

『教行信証』六巻を、前四巻・後二巻の二部作と着眼して已来、私の真宗学はさらに具体的となった。前四巻は絶対普遍の真実を顕わし、後の一巻は往生浄土への方便を説けるものである。そのことは文にありて明らかなることである。されど、第五の真仏土巻の重要さは十分に了解されない。そのために後二巻に心ひかれながらも、顕真実は前四巻に尽されていると思想されて来たのである。それは真実への方便は即ち真実を顕わす方便であることを思わなかったからではないだ ろうか。

(『金子大榮著作集』一二・五頁)

  ここで金子は、「真仏土巻の重要さ」が十分に了解されていなかったと表白し、その原因を真実と方便の関係に対する、思索の不徹底に求めている。確かに金子の『教行信証』理解が、「真仏土巻」の位置付けを通して変化していたのは事実である。では、この段階において見出された「真仏土巻の重要さ」とは、いかなるものであろうか。以下ではこの点を軸に、「証・真区分」の意義を考えてみたい。

  ただし、前四巻から「真仏土巻」への展開については、すでに存覚の『六要鈔』が問題にしている。

上来の四巻は能帰の機に約す。教より証に至る、然して後、宜しく所帰の身土を知るべし。是の故に能所由有りて、四五、其の次第を成ず。

(『真聖全』二・三四七頁)

  このように「所帰の身土」を明かす巻として「真仏土 55

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巻」を捉える理解は、江戸宗学においても広く踏襲されたものである。しかし金子は、この見解を採っていない。「真宗の二方面」において、

ただ二部作という着眼において改めたいものは、前五巻を真実として第六巻を方便とすることである。これもその内容から見れば、否認することのできぬことではあるが、真仏土という名は、いかにしても化身土と呼応するものである。したがって前四巻は能帰の法、第五巻は所帰の身土というようなものとは思われない。

(『金子大栄著作集』一二・五七頁)

と述べているように、従来の見解を明確に否定している。そして代わりに「化身土巻」と「呼応」するものとして、「真仏土巻」の位置を確かめていく。この視座において見出される「真」「化」二巻の意義を、金子は次のように語っている。

教・行・信・証を相対して真実か方便かを決定するこ とはできない。ここに先ず以て真仏土を顕わし、それを証せざるものを方便教とせられたのであろう。それのみではない。方便とは、それが方便であることを知ることにおいて、そのまま真実に帰するものである。それでなければ方便とは虚仮であるということになってしまうであろう。方便は虚仮ではなく善巧であることを知らしめるものは、その底にある真実に他ならぬのである。(「二部作『教行信証』」『金子大榮著作集』一二・一四頁)

  ここで金子は「真」「化」二巻の意義を、二方面から論じている。一つは、前四巻との関係である。『大経』の本願によって開かれた教・行・信・証が真実であるか否かは、前四巻だけでは証明されない。この課題を担うものとして、金子はまず後二巻の意義を確認している。

  もう一つは、方便と真実の関係である。方便とは衆生を真実へ導くものだが、真実へ帰するということが無ければ、衆生は虚仮と方便を峻別することができない。真実が明瞭

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になって初めて、衆生は方便が何かを知ることができるのである。そのため金子は「真仏土巻」を、「方便化身の意義を顕わす前提」と呼ぶ。

  ではどうして「真仏土巻」は、前四巻の真実を証明することになるのだろうか。また、なぜそこから「化身土巻」は開かれねばならなかったのだろうか。

  金子は「真宗の二方面」において、「真仏土巻」理解の要点を二つ挙げている。

真巻には、二つの重要なる問題がある。一には真仏土それ自体の性格である。二は方便化身土とのかかわりである。(中略)この真仏土の性格は、大涅槃と浄土との無別を顕わすものである。

(中略筆者『金子大榮著作集』一二・八六―八七頁)

  一つ目の「大涅槃と浄土との無別を顕わす」とは、単に浄土が「涅槃界」であることを説明する、という意味ではない。 浄土は涅槃界であることは已に「証巻」に十分に顕わされた。改めて「真仏土巻」を編集する必要は大涅槃界は浄土のほかにはないことを顕わさんがためであった。これ即ちいかにしても聖道では大涅槃を証することができぬことを語るものである。(「二部作『教行信証』」『金子大榮著作集』一二・三六頁)

という記述が見られるように、浄土の他に「大涅槃」は無く、聖道門において「大涅槃」を証することは不可能であることを示すのが、「真仏土巻」の主旨であると金子は考えている。有限な人間の身に実証されるような証果を「光明無量」「寿命無量」の「真仏土=大涅槃」と呼ぶことはできず、衆生に「大涅槃」を実現しない仏道を真実と言うことはできない。この事実を明瞭にし、衆生に「大涅槃」を実現する真宗の教・行・信・証の意義を明確化することが、「真仏土巻」を開く理由なのである。

  また金子は「大涅槃」が、衆生にとっては永遠に彼岸でありながら、今現に衆生を包むものであると語る。 57

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〔浄土の〕彼岸的性格とは、この世と次元を異にするということである。それは、この世を超えてこの世を包み、この世に内感せられつつこの世でないものである。したがって、それは永遠の未来にありて現在を照らし、現在に内感されつつ現在にあらざるものである。それこそ光寿無量の世界というものであろう。

(括弧内筆者「真宗の二方面」『金子大榮著作集』一二・八八―八九頁)

  では、「この世を超えてこの世を包む」とは、いかなることなのであろうか。これが二つ目の、「方便化身土とのかかわり」へと繋がる問題であろう。金子は先の引文の後に、次のように述べている。

その化身土を感見するほかに、真仏土に帰入する道がないとすれば、真化一如といわねばならないのだろう。これによりて、特に方便化身土といわれた。その方便とは、真実に帰入すべきものというだけではなく、能く真実を感知せしめるものということであろう。そこ に、化身土は真仏土を象徴するという意味があるのである。したがって、その真意を知るものにとりては、真化二土は一如であり、その実相に達しないものにとりては、真土というも化土にあるものといわねばならぬのであろう。

(「真宗の二方面」『金子大榮著作集』一二・八九頁)

  このように金子は、「真仏土」を「象徴」するものが「化身土」であると述べる。金子が提示した「証・真区分」の要も、この点にあるだろう。従来の「真仮科」では、「化身土巻」は真実でない仏道を明かす巻だとされていた。しかし金子はこれを排して、「化身土巻」こそ、如来の摂化の具体性を語るものであると捉え直したのである。これは「真仏土巻」の結びに置かれた、

然るに願海に就いて、真有り仮有り。是を以てまた仏土に就いて、真有り仮有り。(中略)仮の仏土とは、下に在りて知るべし。既に真仮皆是、大悲の願海に酬報せり。故に知りぬ、報仏土なりということを。良に 61

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仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。是を方便化身化土と名づく。真仮を知らざるに由って、如来広大の恩徳を迷失す。

(中略筆者『定本』二六五―二六六頁)

という親鸞自身の言葉から見ても、極めて適当な見解である。つまり金子が「証・真区分」において示した思索は「如来広大の恩徳」を回復するものであったと言えるだろう。

  以上のように金子の構成理解は、「真仏土巻」と「化身土巻」の関係を再考することに、重点が置かれたものであった。「証巻」と「真仏土巻」の間に、何らかの転換を読み込もうとするものではない。また金子は、前四巻と後二巻を「互いに表裏」の関係にあるものと考えている。しかし前四巻は「回向」の巻として一括されており、「別序」の意義を構成の上から論じてはいない。そのため金子の理解も、なお課題を残すものであったと言えるだろう。 四、結びにかえて   ―「別序」と「化身土巻」の位置:再考―

  曽我と金子は共に「真仮科」を批判しながら、異なった構成理解を提示している。そして互いの説を融和させるという方向での議論は、基本的に行っていない。しかし両者の説は、本当に排他的な関係にあるのだろうか。互いの説の不備を補い合える部分も、あるのではないだろうか。特に両者の構成理解は、どちらも「真仮科」の問い直しであるため、「化身土巻」の位置を再考する側面が見られる。そのため拙稿では最後に、この点を中心として、改めて親鸞が『教行信証』の構成に託した意義を考えてみたい。

  そこでまず注目したいのが、「別序」である。一つの著作が二つの序文を持つのは、構成として異例である。なぜ「行巻」と「信巻」の間に、親鸞は改めて序文を置いたのだろうか。これは『教行信証』の構成について考える場合、まず扱われねばならない問題である。

  これに対して曽我の「行・別区分」は、一つの有効な解 62

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答となるものだろう。この理解を軸に『教行信証』を概観すると、まず「総序」は『教行信証』全体の序文であると同時に、「伝承」の巻の序文であると見ることができる。次に「教」「行」の二巻は、『大経』に始まり、七高僧を通して伝承された真宗の全体を語るものであると言えるだろう。そのため親鸞は、自身にまで伝承された真宗への帰入を「正信偈」によって表明し、「行巻」を結ぶのである。

  そして「信巻」以降の「己証」の巻を開いてくるのは、

然るに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す。定散の自心に迷うて、金剛の真信に昏し。

(『定本』九五頁)

という問題である。すなわち、出遇うべきものに出遇いながら真実から背き続ける人間の事実が、「信巻」以降の論述を展開させるのである。そしてこの問題意識は、

然るに濁世の群萌、穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて半満権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚 だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり。偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し。

(『定本』二六九頁)

という「化身土巻」の課題と呼応するものであろう。ここから見れば「別序」は、「化身土巻」までを射程に入れた序文であると言えるだろう。

  しかし親鸞は両巻の間に、「証巻」と「真仏土巻」を設けている。なぜ「化身土巻」は、この二巻を経た後でなければ開くことができなかったのだろうか。曽我は、この点を構成論としては、示していないように思う。この点を問題にしているのは、むしろ金子の思索であろう。すなわち「真実証」「大涅槃」の問題が明らかになって初めて、「半満権実の法門」の意味を語る「化身土巻」を開くことができるのである。では、「大涅槃」を鍵語として「信巻」以降の展開を見ていくと、どうなるであろうか。

  まず「信巻」だが、ここでは「真実信心」が「証大涅槃の真因」であると語られる。この原理を解き明かすことが、「信巻」の課題の一つであると言って良いだろう。これに 65

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対して「証巻」は、「無上涅槃の極果」を語るものである。ただ親鸞の言う「無上涅槃」とは、獲信を経た後に、新たに生み出されるものではない。「証巻」の冒頭では、次のように述べられている。

然るに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するが故に、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは、即ち是、常楽なり。常楽は即ち是、(中略)真如なり。真如は即ち是、一如なり。然れば弥陀如来は如より来生して、報応化種種の身を示し現したまうなり。

(中略筆者『定本』一九五頁)

  このように衆生が至るべき大涅槃は、衆生の獲信に先んじてすでに存在し、衆生に「心行」を獲得させるべく、如来するものなのである。これに関して金子は、

その信証の感情は、然者弥陀如来「従」如来生、示現報応化種々身也と語らざるを得ないことになった。こ れは、われらにとりて終極であるものが、如来にありては起原であったという感激にほかならぬのであろう。ここには、如来の摂化と衆生の求道との値遇の必然なることが感じられている。

(「真宗の二方面」『金子大榮著作集』一二・八二頁)

と述べている。「信証の感情」とは、獲信によって証知・実感されるもの、というほどの意味であろう。つまり獲信とは、「報応化種種の身」を示現して衆生を摂化する、如来のはたらきを知るという内容を持つと、金子は捉えたのだろう。親鸞は信心の利益として「摂取不捨」を語るが、そこにも「光明の摂化」を知るという意味が含まれていると言える。

  さらに金子が言うように、化身土が真仏土を「象徴」するものであるなら、「化身土巻」が課題とする方便仮門の教説は、「摂取不捨」のはたらきの具体相として理解できるだろう。

  また、真仏土(=大涅槃)を知るということは、真宗の教・行・信・証の真実性を知るということである。それは 68

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曽我の言う「真仮分判」の歩み、すなわち非真実なる自他を批判し続ける、という歩みを生み出すものであろう。このように曽我と金子の思索を踏まえて『教行信証』の構成を改めて考えるのであれば、二序六巻という『教行信証』の独特の構成は、親鸞自身における真宗への値遇と、そこからの歩みを、率直に表現したものとして受け取ることができるのではないだろうか。

  ただ、先にも述べたように『教行信証』の内容は、極めて重層的なものである。一つの構成理解に依拠するだけでは、見落とすものが必ず出てしまうだろう。そのため『教行信証』の論理構造の解明は、今後とも様々な視点から行われるべきだろう。このことを以て、拙稿の結びとしたい。

凡例一、原漢文のものは筆者が書き下し、読み易さを考慮して適宜整文した。また句読点やルビ等を付した。二、引用文中に旧字体がある場合には、全て現行の字体に改めた。また仮名は全て平仮名に統一し、左訓等は省略した。三、主な引用文の出典は、次のように略記した。

      『定本教行信証』(法藏館)→『定本』       『定本親鸞聖人全集』(法藏館)→『定親全』

      『真宗聖教全書』(大八木興文堂)→『真聖全』

参考文献

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      『真宗全書』  蔵経書院  一九一四年

      『真宗大系』  真宗典籍刊行会  一九一八年

      『続真宗大系』  真宗典籍刊行会  一九三八年

      『仏教大系』  仏教大系刊行会  一九一八年東  真行

  「金

子大榮の『教行信証』構造理解―真実と方便―」『印度學佛敎學硏究』六五(一)  日本印度学仏教学会  二〇一六年東  真行

  『金 子大榮研究―浄土顕揚の課題―』(学位請求論文)  大谷大学  二〇一六年 http://id.nii.ac.jp/1374/00005265/稲葉秀賢

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  法藏館  一九六一年井上  円

加来雄之   連合学会一九九二年   「  『教行信証』構造論序説」『真宗研究』三六真宗

  「如

来の智慧の中に生きる意味―還相回向と仏身仏土」『智慧の潮』  武蔵野大学出版会  二〇一七年加来雄之

  「伝

承と己証―なぜ『教行信証』には二つの序があ

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るのか」『『教行信証』の思想』  筑摩書房  二〇一一年金子大榮   『金子大榮著作集』

  春秋社  一九七七―一九八六年木場明志

黒田浩明 年   『   『宗名往復録』註解』東本願寺出版部二〇〇八

重見一行    一(一)日本印度学仏教学会二〇一二年   「『教行信証大意』の研究」『印度學佛敎學硏究』六

  『教行信証の研究』

  法藏館  一九八一年曽我量深

  『曽我量深選集』

  彌生書房  一九七〇―一九七二年曽我量深

  「己証の開展」

『親鸞教学』三七  大谷大学真宗学会 一九八〇年曽我量深

  「浄土論偈講讃聞書」

『開神』八一  開神舎  一九四二年曽我量深

  『教行信証大綱』

  春秋社  二〇一一年延塚知道

  『教行信証の核心』

  法藏館  二〇一三年廣瀬  惺

  廣瀬杲   出版部二〇一四年   『  「顕浄土真実行文類」講讃―御自釈―』東本願寺

  『序説浄土真宗の教学』

  法藏館  一九九二年安田理深

  『安田理深選集』

  文栄堂書店  一九八三―一九九四年安田理深

  『教行信証

  真仏土巻聴記』  文栄堂書店  一九九七年吉谷覺壽

  『教行信証六要鈔講讃』

  法藏館  一九一二年 もちろん、「化身土巻」の跋文を「後序」と呼び、『教行信証』の構成を「三序六巻」と見做す場合もある。しかし「後序」は「化身土巻」の一部という体裁になっており、親鸞が題号を付して六巻から独立させている「総序」や「別序」と同等に見ることは、必ずしも適切でないだろう。よって拙稿では親鸞が付した題号を基準に、『教行信証』の構成は二序六巻であると捉え、その意義を考えたい。親鸞真蹟の『教行信証』である坂東本の研究によれば、『教行信証』の六巻は場当たり的に造られたものではなく、初めから構想されていたものであると推測される(重見一行『教行信証の研究』六五頁、参照)。そのため『教行信証』の構成の意味を考えることは、その内容を読み解く上でも重要であろう。稲葉秀賢『教行信証の諸問題』一四―二三頁、参照。黒田浩明「『教行信証大意』の研究」(『印度學佛敎學硏究』六一(一))、参照。『定本』三八〇頁。これに関して廣瀬惺は、次のように述べている。三分科は仏教の経論釈の通規であり、それは、『教行信証』が仏道の書であることを確定していることを意味している。(中略)すなわちそれは、『教行信証』が「出離生死」を求める要求、宗教的要求によって学ば ()1

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れる書であることを示しているのである。単なる知的関心によって学ばれる書ではないということである。

(中略筆者

  『「顕浄土真実行文類」講讃

―御自釈―』五六頁)ただ『六要鈔』が用いる「序分」「正宗分」「流通分」という呼称は、経典の解釈に用いられるものである。しかし『教行信証』は経典ではないため、「序分」「正宗分」「流通分」という呼称は不適当とする見解も少なくない。たとえば高田派・慧雲(一六一三―一六九一)の『教行信証鈔』では、「序」「文類」「後序」という呼び方を採用しており、本願寺派・興隆(一七五九―一八四二)の『顕浄土真実教行証文類徴決』(以下『徴決』)では、「序文」「正文」「後述」に分科されている。また大谷派・宣明(一七四九―一八二一)の『広文類聞誌』では「序題」「正文」「縁起」、深励(一七四九―一八一七)の『教行信証講義』では「総序」「正説」「結勧」という呼称を用いている。しかしいずれも、『教行信証』の構成を三分して理解するという点では一致している。たとえば本願寺派の興隆は、この理解を『徴決』において、次のように批判している。若し文に従えば、則ち允わず。何なれば、往還二向は前の四巻に在りて尽く。第五巻已下は能化の身土を明かす。何を以て之を還相に属す。往還の名は固、所化 の衆生に約して立つるが故に。(『真宗全書』二二・一七頁)しかし近世においても、本願寺派・芳英(一七六二―一八二八)の『教行信証集成記』のように、「往還科」へ一定の評価を与える先学も少数ながら存在した(『真宗全書』三二・九―一〇頁、『真宗全書』三三・三九―四〇頁、参照)。また近代以降でも、稲葉秀賢『教行信証の諸問題』や、加来雄之「如来の智慧のなかに生きる意味―還相回向と仏身仏土」(『智慧の潮』)など、「往還科」を積極的に考察する研究が見られる。しかし同じ「化身土巻」の中にありながら、末法の問題を扱う箇所以降を、「顕化身土」という課題の外に見ることは無理があろう。ただ拙稿は二序六巻という書誌的構成の意味を問うものであるため、この問題に対する議論は割愛する。また本願寺派の玄智(一七三四―一七九四)の『顕浄土真実教行証文類光融録』や芳英の『教行信証集成記』は、「化身土巻」の「三願転入」以降を「流通分」として捉えているが、ここにも智暹の影響を認め得るだろう。浄土宗との宗名論争が、その代表的なものである。木場明志『『宗名往復録』註解』、参照。この点に関してはすでに、井上円が論文「『教行信証』構造論序説」の中で、次のように指摘している。 ()7

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この真実方便という見解が一般的になるのは、親鸞以降の宗学(現在の状況も含まれる)がかかえ続けてきた問題の反映というものがあったと考える。つまり「西鎮今」という言葉で今義である真宗の見解を明かすように、封建制度の中で、西山や鎮西の浄土異流の宗学や聖道の諸宗に対抗しうる、真宗の宗学の独自性を鮮明にし強調する必要があったからではないだろうか。(『真宗研究』三六・九七頁)たとえば『高僧和讃』には、次のような一首が見られる。

  智慧光のちからより  本師源空あらわれて

   浄土真宗をひらきつゝ  選択本願のべたまふ

(『定親全』二・和讃篇・一二七頁)ここでは明らかに浄土真宗の開宗が、源空の功績として語られている。井上前掲論文参照。廣瀬杲『序説浄土真宗の教学』、九六―一〇二頁参照。『『顕浄土真実教行証文類』解説論集』、二六―二七頁、参照。曽我と金子が共に「真仮科」を批判した理由について、井上円は前掲論文の中で、次のような私見を提示している。二人が指摘するように、真実五巻・方便一巻という見解は、破邪顕正・勧信誡疑という言葉で表現され、一歩過てば対他的に異端視する見方であるばかりでなく、 『教行信証』自体の表現形体からも無理があるように思われる。(中略)これは一つの推量であるが、真実方便という見解が一般化するところには、単に学説として妥当であるかを検証する必要性があるだけでなく、その波及するところの社会的問題をも検討すべき質を充分に持つと考える。曽我・金子両氏が、共に批判非難するのもそのためではないだろうか。(中略筆者『真宗研究』三六・九六―九七頁)『曽我量深選集』一一・一八四―一八五頁、参照。なお、教授就任の挨拶を兼ねた講演だった。曽我はこの理解を、晩年に至るまで堅持する。たとえば昭和三十五年(一九六〇年)の安居の講義録である『教行信証「信巻」聴記』でも、次のような発言が見られる。

  そもそも『教行信証』六巻の聖典は、長い間、幾度も拝読してみて、大体、前後の二部に分れるということを知ることができたのであります。

  先ず「教」・「行」二巻が第一部であります。第一部は、第十七願、諸仏称名の願によって、本願における仏祖の伝統を明らかになされたものである。したがって「行巻」を読んでみますと、『大無量寿経』の第十七願をはじめとして、諸経をお引きになり、三国七高僧の「論釈」を順序正しくご引用になりまして、浄土真宗の伝統相承を明らかにされたのであります。そし ()13

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て「行巻」の終りに「正信念仏偈」を安置されて、『大無量寿経』および三国七高僧の「解釈」についての、わが宗祖親鸞聖人のご領解を明らかに述べられ、「教」・「行」二巻――第一部「伝統相承の巻」をば「正信偈」をもって結んであるのであります。次に「信巻」以降の四巻は、「教」・「行」二巻が「伝統の巻」であるのにたいし、親鸞聖人の「己証の巻」であると信ずるものであります。

(『曽我量深選集』八・一三―一四頁)『真聖全』二・二一二頁。同右。原文ママ。「信証二法」か。ただ法住の言う「信」「証」二法は、「信巻」と「証巻」という意味ではない。

  今教行二法は元祖相承なるが故に『行巻』の終りに『正信偈』を置きて、其の『正信偈』は元祖の下に至極せり。是れ『御本書』一部が、教行二巻で一段きれて、一部は此の二法に摂まることを示し、而も其の信証以下の四巻は、吾祖の御己証にして『選択集』の微意相承なることをこヽへ示して、「信心能入」の文を置かせられて、此の信心を開く『信巻』、「速入寂静」を開く『証巻』、「寂静無為涅槃」を開く『真仏土巻』、疑城(原文ママ。疑情か?)の人の入る疑城胎宮の 『化巻』、皆此の吾祖の下より出づることを示す。是れ教行二巻で一段きれて、而もこヽから開き出たる鉤鎖連貫を示す此の文なり。(括弧内発表者『続真宗大系』七・三六四頁)という記述が見られるように、「信」「証」二法と言われる場合の「証」は、「真仏土巻」と「化身土巻」を含む概念であろう。なお法住自身も、この理解は三河和尚(了祥)の「発揮」であると述べている。『続真宗大系』七・一七頁、参照。曽我自身は「行・別区分」について、一九二五年に「仏祖の御指導をいたゞいて知らしめられた」(「象徴世界観」『曽我量深選集』一一・一八四一―八五頁)と述べるのみであり、了祥や法住との思想的連関については言及しない。確かに、法住の『金剛録』を収録した『続真宗大系』が刊行されるのは、一九三八年である。これ以前に曽我が、『金剛録』に目を通していた確証は無い。ただ、一九一五年に発刊された『真宗全書』所収の『一枚起請文講義』を参照していたのは確実であり(『曽我量深研究誌―行信の道―』一・四六―四七頁、参照)、また吉谷覺壽(一八四三―一九一四)の『教行信証六要鈔講讃』には、法住の『金剛録』に基づく言及が見られる(二四―三六頁、参照)。そのため曽我が、法住の思想と全く無縁であったと ()20

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は考え難い。以上の点から曽我の「行・別区分」も、これら先学の影響下に成立したものであると言えるだろう。なお法住と曽我の思想的連関については、すでに加来雄之が「伝承と己証―なぜ『教行信証』には二つの序があるのか」(『『教行信証』の思想』)において言及している。『定本』三八〇―三八三頁、参照。『真聖全』一・九六七頁。たとえば「伝承」の巻について『大無量寿経聴記』の中では、だいたい『教行信証』は「教」・「行」二巻でもつて一応終りを告げてゐるやうである。「行の巻」で終りを告げてをるからして、最後に「正信念仏偈」を掲げられまして、さうして、それをもつて一応、御開山聖人の法然上人に報いられるところのだいたいの仕事は終つたのであります。(『曽我量深選集』七・三四五頁)と述べており、また「己証」の巻が開かれる由縁については、『教行信証「信巻」聴記』の中で次のように語っている。『選択集』は他の一段は一応整っているが、ただ「三心章」には善導大師のお釈だけを引用してある。善導大師の釈には色々深い問題がかかげてあるのであって、それを明らかにしていくことになれば、それでもって自分の重い使命を果されるわけだけれども、自分では 果されない。だから『選択集』を附属なされた。その『選択集』附属の思召しというものを親鸞聖人が感得して、それを明らかになされるのが「信巻」以後の四巻の聖典であり、特に「信巻」がその根幹になると私は思うのであります。(『曽我量深選集』八・二五三頁)これらは大枠として、法住と同様の理解である。『続真宗大系』八・二二八頁、参照。『定本』三八一頁。同右。『続真宗大系』七・一二―一三頁、参照。法住は『教行信証』の「破邪」の対象を、次のように分類している。『続真宗大系』七・二―一〇頁、参照。一、聖道難破(南北奏達、建仁寺栄西、栂尾明恵上人、並榎定照)二、浄土異流(幸西の一念義、行空の一念義、西山義、諸行本願義、鎮西義、多念義)三、外教邪宗(儒家、道家、神道など)『定本』一四一頁、参照。『定本』一五二―一五三頁、参照。なお管見の限り、曽我は「偽」の問題にはほとんど言及しない。『曽我量深選集』八・四五四頁、参照。 ()26

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