小尾淳著『近現代南インドのバラモンと賛歌 バクティから芸術、そして「文化資源」へ』
青弓社、2020、368頁、6,000円+税、ISBN:978‑4‑7872‑7428‑1
書 評
北田 信
本書は、南インド伝統音楽の歴史とその現状の詳細な概説書である 。1
著者の長年にわたる現地調査に基づくもので、主な調査地はタミル地方 の歴史的な芸術文化の中心地として栄えたタンジャーヴール県である。
研究対象となる人々は、この地に12世紀以来 栄えるバクティ信仰を受2
け継ぎ神への賛歌を歌うことに携わるバラモン音楽集団バーガヴァタル である。サンスクリット古典詩論では、詩人の理想的な姿は、vāggeyakāra 訳すると singer song-writer つまり諸学を修め、霊感(prabhā)に溢れ 言葉と楽音を巧みに織り合わせて音響のオブジェを創作する 言葉の錬3
金術師、つまり「思想家であり、詩人であり、作曲家でもある人々」
[p. 16]であると言われるが、そういった中世の楽聖達の作品を今もな お歌い継ぎ、また自らも作詞作曲を行う音楽家たちがいる、というので ある。
本書の目次はネットで参照することが可能だから省略する。以下、所 感を述べる。
第1章では、今日バーガヴァタル達が行う音楽的宗教実践を記述する。
幾つかの音楽的儀礼の式次第と演目が具体的にリストアップされ解説さ れる。本書の核となる部分は、著者の地道な現地調査の結果、集積され た詳細であるが、それを評価することは私の能力を超えることであるの で踏み込まない(踏み込めない)。ただ面白く感じたのは、クリシュナ やラーマなどの神を祭る儀礼が、神とその妃を新郎新婦に見立てて結婚 させる一種の演劇として執り行われることである[pp. 85ff.]。筆者によ れば、この事にはタンジャーヴールと関わりの深かったマラーターの影 響が見られる。16世紀以来クリシュナやシヴァなどの神々の婚礼を描い た多数の戯曲がマラーティー語で書かれているという。私は同時期のデ カン地方のムスリム王朝で著されたダカニー・ウルドゥー語の物語詩を 調べたことがあるが、それらにおいても、主人公の婚姻は物語のクライ マックスをなす重要な場面である 。ダカニー・ウルドゥー語文学は、4
ヒンドゥー教徒の文学の影響を強く受けているから、共通の文化的背景 を反映しているのかもしれない。
第2章は、バーガヴァタルの演目として人気ある中世バクティの楽聖 達を紹介する。本書が扱うのはタミル地方であるが、意外なことに、伝 統的に頻繁に演奏されてきたのはサンスクリット語とテルグ語の楽曲で あり、1940年代にタミル音楽運動が活発になるまでは、タミル語の楽曲 はあまり人気がなかったという[pp. 245 f.]。したがって、この章で紹介 されるのは12世紀ベンガルのサンスクリット詩人ジャヤデーヴァ、15−
16世紀のテルグ語詩人アンナマーチャーリヤ、さらにマハーラーシュト ラ地方のサント(聖者)詩人達(マラーティー語)である。
文献学を齧った者として私が興奮を覚えたのは、テルグ語詩人アンナ マーチャールヤの作品再発見のセンセーショナルな経緯である。彼は死 後、完全に忘却されていたが、1922年に彼の作品を刻んだ2701枚の銅板 が、寺院の壁龕の中に封印されているのが発見され、1950年からそれを 楽曲として復興・普及する活動が盛んになった[p. 138, pp. 273 ff.]。400 年間失われていた歌声が甦ったというのである。ただし南アジアの古い 音楽文献の常として 、銅板には詩とそれが歌われるべき旋律形(ラー5
ガ)名のみが記されており、その旋律がどのようなものだったかを再現 することは不可能であったから、新しく旋律を作り直した、とある[p.
274]。本書にははっきりと書かれていないので私が誤解していたら申し 訳ないのだが、この詩人はカルナータカ音楽形成期に重要な役割を果た したということだけが知られていたものの、実際の楽曲は廃れてしまっ ており、伝統的な音楽的宗教実践の中にも含まれていなかったが、銅板 の発見後、20世紀中旬に新たに作られた現代曲が、「作られた伝統」と して普及している、ということのようだ。近現代になってから時代的・
社会的なニーズを踏まえて新たに伝統が造られることが、本書の一貫し たテーマとなっている。
ところでベンガルのサンスクリット詩人ジャヤデーヴァの作品『ギー タゴーヴィンダ』がいつ、どのようにして南インドに伝えられたかは定 かではない[p. 127]とある。しかし、以前、ベンガル語雑誌 Deś がベ ンガル・ヴィシュヌ派の開祖チャイタニヤと舞踊・御詠歌(kīrtan)と の繋がりを特集したことがあり、或る記事が、チャイタニヤが南インド を遊行した際に『ギータゴーヴィンダ』を歌い踊ることによって南イン
ドの舞踊に大きな影響を与えた、としていたのを私は読んだことがある のをふと思い出した 。ベンガル人の学者がお国贔屓で書いた論説だか6
ら、慎重に再検討してみる必要はあるだろうが、一つの参考として挙げ ておく。
バクティ運動期(12−17世紀)に続いて第3章は、タンジャーヴー ル・マラーター時代の楽聖達を扱う。この時代、タンジャーヴールは西 インド出身のマラーター王朝に支配され、マハーラーシュトラ地方との つながりが強まる[p. 165]。この時代に、カルナータカ音楽に多くのマ ラーティー語楽曲が組み入れられることとなった。この王朝の末期(18 世紀後半から19世紀後半)には、同時代のウルドゥー語文学との平行現 象がみられ興味深い。次のようなことである。王朝末期のサルフォージ 二世(在位1800−32)はイギリス東インド会社によって実権を奪われ、
王位は有名無実のものとなってしまう。しかし、その鬱屈を晴らすべく、
文化振興に力を入れるようになる[p. 167]。カルナータカ音楽の三人の 代表的楽聖 Tyāgarāja, Muttusvāmi Dīks
̇itar, Śyāma Śāstri はこの時代 に活躍した。同じ頃、ラクナウー王国の最後の王ワージド・アリー・
シャーも同様に政治的実権を失い、歌舞音曲にうつつを抜かした。宮殿 の敷地内で自作の演劇を上演させ、自ら女装したり乞食の姿に扮装して みたり、その奇矯が知られているが、音楽理論書を著すなど実は優れた 芸術家であったことが知られている。ともあれ、今日、古典音楽と言わ れているものが完成したのは、さほど古い時代ではなかったということ が私にとっては意外であった。
意外だと言えば、ドラヴィダ語圏の音楽にも、マラーティー語の楽曲 が多く含まれる。南アジア音楽の概説書では、まず、南アジアの音楽は 北インド(ヒンドゥスターニー)音楽と南インド(カルナータカ)音楽 の二つに大分される、と習うわけだが、実践の場では、そうハッキリと 分けられない例が出てくるようである。二つの潮流の区別が明確に認識 されるようになったのは1883年頃からであるという[p. 229]。
第4章〜第6章は、上に見たような音楽伝統が、近現代社会において どのように再評価再解釈されていったかを扱う。この時代を通じて、音 楽と切っても切れない関係にあるのが言語問題である。例えばカルナー タカ音楽においてタミル語の楽曲は元々あまり人気がなかったそうで、
これが「ドラヴィダ民族運動」に伴うタミル民族意識の高揚を受けて、
新しいタミル語の作曲が大々的に振興されるようになる[p. 256]。その ピークとなったのは、1956年に行われた言語州再編によりマドラス州が 成立し、ついにタミル語が公用語として採用された、という出来事であ る。この時代の状況を複雑にするのは、タミル至上主義は「反バラモ ン」感情とセットになっていた、ということである。この動きに対応し て、バラモンに属するバーガヴァタルは集団化・組織化し、様々な戦略 を練ってゆくことになる[p. 300]。
さて、バラモン伝統文化の 復活 に力を入れた主導的人物として、
マドラス大学サンスクリット学部の学部長を務め た ラ ー ガ ヴ ァ ン
(1908−79)が挙げられる[pp. 262 ff.]。彼はケーララ地方に伝わる、世 に現存する唯一のサンスクリット演劇伝統クーリヤーッタムの復興に助 力し、またバーガヴァタルの音楽的宗教実践において重要な位置を占め る楽聖ナーラーヤナ・ティールタを再発見・再評価した[p. 190, p. 264]。 ラーガヴァンは、サンスクリット美文学を学ぶ者なら誰もが知る大学者 であり、また故上村勝彦先生がマドラスに留学なさっていた時の指導教 官であった。本書を読みながら、生前、上村先生が「ラーガヴァン先生 は真の粋人(rasika)であって、文献研究だけでなく、舞踊音楽をこよ なく愛され、造詣が深かった」と敬慕の情を込めて語っていらっしゃっ たのを懐かしく思い出した。とはいえ、本書によれば、ラーガヴァンの サンスクリット文化復興運動は、二十世紀初頭から高まってきた「ドラ ヴィダ民族運動」[p. 224]や、二十世紀中期に盛んだった「タミル至上 主義」などの、非バラモンの人々による反バラモン感情に満ちた動き
[p. 260]に危機感を持つバラモン知識層による文化的抵抗運動の流れの 中に位置づけられる[p. 261]。楽聖ナーラーヤナ・ティールタの慰霊祭
(ārādhanā)を古典音楽の一大イヴェントとして振興する際に、史実と は異なる、誤った楽聖の埋葬地を会場に設定してしまう[p. 269]など、
ここでも、 伝統 が現代の特定の状況や特定の集団の必要により新た に創造、あるいは悪く言えば 捏造 されてしまった例が言及されてい る。
とはいえ、南アジアの伝統音楽では、そもそも即興の大きな自由が許 されており、個々の楽曲も旋律の骨格が大まかに決められるだけであっ て、ヨーロッパ音楽のように細部まで記譜し、楽譜をそっくり忠実に再 現しよう、という性格のものではなかった。紙に記して固定するよりも、
口で諳んじて覚えることが、伝承方法としては主であった。実践の場で は音楽家のその時々の気分に応じて装飾音を付加したり、時には旋律の 構造を大幅に改変したりしてしまう。そのような状況下で祖型を忠実に 復元しようとする試みは、あまり意味を持たないことかもしれない。初 めから動いていて変化することを止めなかったものが、今も活発に動い ており変化し続けている。
ところで近現代ナショナリズムの形成過程において、心からの自己犠 牲的な愛を呼び起こすような美しい詩や音楽が大きな役割を果たした 。7
つまり大衆の意識を操作する為の道具として利用された、と言われる。
この種の問題を考察する際の材料としても、本書は役立つように思う。
日々の生活に追われる庶民は、あまり読書などしないだろう。しかし、
娯楽的な映画を観、流行歌を聴いて、心を動かさない人は少ない。俗曲 が大衆意識の形成と社会の動向に及ぼす影響は少なくないと思われる。
本書は、この問いについて示唆に富むものである。
註
1 本書の内容と問題意識は、小尾の指導教員であった井上貴子の『近代インドにおける音楽 学と芸能の変容』(青弓社 2006)と重なるところが大きい。両者を合わせて読むと、南イ ンド音楽に関する十全な理解と知識が得られるだろう。
2 タミル地方におけるバクティ信仰の起源は7世紀まで遡れる[p. 120]が、本書で扱う音 楽伝統に直接関連するのは12世紀以降の動きである[p. 119]。
3 Cf. Siegfried Lienhard, A History of Classical Poetry. Sanskrit-Pali-Prakrit. Otto Har- rassowitz, Wiesbaden 1984 : pp. 13‑21.
4 北田信「デカンの美食と聖婚ダカニー・ウルドゥー語の詩人ヌスラティー」、『イスラーム 世界研究』京都大学 2019, pp. 222‑251
5 例えば新期インド・アーリア語東部諸方言の最古の文献とされる仏教儀礼歌集『チャ リャーパダ』においても、各歌詞の冒頭でラーガ(旋法)名・ターラ(拍節形)名が記さ れるのみで、具体的な旋律については分からない。Cf. 北田信「千年前の歌声(続)カト マンドゥ盆地のチャチャー歌」、『南アジア古典学』九州大学 2010, pp. 161‑176
6 Mahuẏā Mukhopādhyāẏ, “Dhrupadī nr
˚tyer gauṙīẏa janmasūtra”,Des'6 Mārc 1999, pp. 51‑
58
7 ベネディクト・アンダーソン『定本想像の共同体』書籍工房早山 2015, p. 232
きただ まこと ●大阪大学