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アトピー性皮膚炎の語り

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ア トピー性皮膚炎の語 り

19061063  園   真梨子

[指 導教員 ]立 木茂雄教授

(2)

ア トピー 性 皮 膚 炎 の 語 り

[キ ー ワー ド ]ア トピー性皮膚炎 、脱近代の病い、語 り

「病気 になれば病院へ行 く」 とい う考 えは世間に浸透 しているが、 これ は、人が患者 と して、医師の指示 に従 うことを受 け入れ てい る とい うこ とである。治療 の行為者 で ある医 師 に英雄性 があ り、病 む人 の耐 えることには英雄性 は見 出 され ない。 しか し、人 々の病 い の経験 を 「医師 に よつて症状 としてカルテ に記載 され るもの」 とす るのではな く、ひ とつ の経験 として語 つてい くことで、力 をふ る う英雄 か ら苦 しみ を耐 え抜いてい く英雄へ の移 行 が要求 され るよ うにな る。病 い を探求す る英雄 は、その病 いの証人 とな るのである。

この論文 は、病 いの証人 とな るために、 どの よ うに 自らの経験 を語 つてい くかについて い くつかの語 りの類型 を示す。「病む」 とい う経験 を 「語 り」 とい う視点で とらえ直 し、身 体 と自己、 さらには他者 との関係 が どの よ うな もので あるか分析 してい き、病 いの真 実 を 語 つてい くのであ る。 著者 のア トピー性皮膚炎 の経験 を通 して語 られ 、著者 が体験 したア

トピー性皮膚炎 の真実 を語 つてい こ うとす るものである。

(3)

ア トピー性皮膚炎 の語 り

1、 は じめに

2、 ア トピー性皮膚炎 について

2‐ 1  ア トピー性皮膚炎 の現状

2‐ 2  ステ ロイ ドとリバ ウン ド

3、 先行研 究

3‐ 1  身体 の諸問題

3‐ 2  語 りの類型 (1)回 復 の語 り (2)混 沌 の語 り (3)探 求の語 り

4、 体験記

4‐ 1 0歳 lヶ 月〜大学 1回 生の夏まで

4‐ 2  大学 1回 生の夏〜冬まで

4‐ 3  大学 1回 生の冬以降

5、 分析

5‐ 1 0歳 lヶ 月〜大学 1回 生 の夏まで

5‐ 2  大学 1回 生の夏〜冬 まで

5‐ 3  大学 1回 生の冬以降

6、 ま とめ

⌒       7, Iお わ りに

参考文献

園   真梨子

1、 は じめに

過去 20年 の間に、人々が 自分 自身や 自分 の世界 についていだ く考 え方 に、ひ とつの呼び 名 を与 えた るに足 るだけの変化 が生 じた とい う。 その呼び名 として最 も受 け入れ られ てい るものが 「脱近代」である。病い もまた、次第 に違 った感 じ方 を され るよ うになつてきた。

その変化 の前 と後 として、近代 0脱 近代 を使 い分 け、病 いについて語 つてい こ うと思 う。

近代的 な病 いの経験 とは、人が、患者 として、な じみ のない威圧 的な専門用語 を用 いて

彼 らの痛 み を症状 として解釈 し直 し、その報酬 を受 け取 る専 門家 の も とへ赴 いてい くこ と

で ある。病 いは、医師 によつて症状 としてカル テに次 々 と記載 され 、一人ひ と りの経験 は

重視 され ない。

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今 日、「病気 にな る と病院 に行 く」 とい う考 えが当た り前 の よ うに存在 してい るが、それ は、 タル コッ ト。パー ソンズの病人役割 の理論 が関係 してい る。病人役割 の理論 について は後 の章 で詳 しく説 明す るが、 ここでかかわってい る点 を端 的 に述べ る と、病人 に対 して 社会 が向 ける中心的な期待 は、医師 のケアに身 を委ね るこ とにある とい う点である。 医学 的 ケアを受 けなけれ ばな らない とい うこの義務 が、人 々を病院へ 向かわせ る。 そ して、病 む人間は、単 に指示 され た医学的治療法 に したが うこ とに同意す るだけでな く、同時 に 自

らの物語 を医学用語 で語 るこ とについて も暗黙 の うちに同意す ることにな るのである。

これ に対 し、脱近代的な病 いの経験 は、医学的物語 に よつて語 りうる以上の ものが 自ら の経験 に含 まれ てい る と、病む人 が認識す る ところか らは じまる。脱近代 の病 い とは、症 状 としてカル テ に記載 され 、整理 され る もの以上 の何 か を引き出す 、ひ とつ の経験 なので ある。

近代 では、 自らの個人的な苦 しみ の個別性 を医学の一般 的視 点へ と還元す るこ とを受 け 入れ 、人 々は、ただ患者 として回復す るこ とにのみ責任 が あつた。 しか し、脱近代 では、

これ に不信 を表 明す るかわ りに、病 いが 自己の人生の中で持つ意 味 に対 して責任 を負 わな けれ ばな らない。 その責任 とは、「その病 いの証人 として真 実 を語 る責任」である。病いの 経験 は、過去 とな るこ とを拒絶 し、現在 にま とわ りつ く未 消化 の断片 である。病 いが回復 した として も、その病 いの時点でな され るべ きであつた語 りを一度 も受 け入れ ることのな か つた過去 と闘わねばな らないので ある。 この闘いは 「その人生 を生 きてい る人間の肩か ら他 の誰 も完全 にお ろ してあげるこ とので きない責任 」 =「 その病 いの証人 として真 実 を 語 る責任 」 なので ある。病 い の経験 を 自ら語 つてい くこ とで、 自らの苦 しみ の経験 を取 り 戻す だけでな く、その苦 しみ を証言へ と転 じ、証人 として真 実 を語 つてい く責任 が あるの である。

私 は、ア トピー性皮膚炎 の証人 とな りたい と思 う。私 がア トピー性皮膚炎 と診断 され た のは生後 lヶ 月の こ とで、それ か ら 21年 間 この病い と付 き合 つてきた。 この論文で、証人

として真 実 を語 つてい きたい と思 う。

尚、本文では特 に記述 がある場合 を除 き、アーサー OWOフ ランク (2002)の 文献 を参

考 、 も しくは引用 してい るもの とす る。

2、 ア トピー性皮膚炎 について

2‐ 1  ア トピー性皮膚炎 の現状

ア トピー性皮膚炎 (AD:Atopic Dermatitis)は 、憎悪 。寛解 を繰

り返す掻痒 のある湿疹 を主病変 とす る疾患 であ り、患者 の多 くはア トピー素因 を持つ と定

義 され てい る。乳児期 に発症 し、多 くは思春期 までに 自然 に軽快す る とされ ていたが、近

年 、乳児期 に発症 した まま持続す る例や思春期 以降 に発症す る例 も見 られ 、 ADの 慢性化

が問題 となってい る。小児 の AD罹 患状況 として、 1981年 は 3歳 よ り 15歳 までの小児 の

占有病率が 2。 8%で あつた。 その後 3〜 4年 毎 に有意 な増加 を続 け、 1992年 では 6。 6%、

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1999年 で も 6。 6%と 、高値 で安定 を示 し、 1999年 の年齢別有病率では保育園児 4。 2%、

小学生 6。 8%、 中学生 6。 9%で あった。 この結果 は、幼児・児童・生徒 の AD罹 患率が約

20年 で倍増 し、幼児期以降罹患率が上昇 してい ることを示 してい る (横 山 2005)。

2‐ 2  ステ ロイ ドとリバ ウン ド

ア トピー性皮膚炎 の人が病院 をお とずれ る と、ステ ロイ ド外用薬 を処方 され る場合 が多 い。 しか し、ステ ロイ ド外用薬 の使用 は対症療法 なので、ア トピー体質 の改善な しに これ を続 ける と、薬 が切れ る とまた発疹 が現われ るこ とになる。 そのため、薬 を塗 り続 け、ス テ ロイ ドに依存す ることにな る。

ステ ロイ ド依存 のア トピー性皮膚炎患者 は激 しい免疫抑制状態 になつてい る。 ステ ロイ ド離脱 の治療 を始 める と、 さらに この免疫 系の機能低 下が強 くな る。 これがア トピー性皮 膚炎 の悪化 、 リバ ウン ドの実体で あ る。 ステ ロイ ドの使用期 間が長 い人 は、 リバ ウン ド反 応 も強 く生 じ、離脱期 間 も長 くな る。 しか し、 リバ ウン ドを克服 しない限 り、本 当のステ

ロイ ド離脱 はあ りえない (安 保 2001)。

3、 先行研 究

3‐ 1  身体 の諸 問題

病 い を患 ってい る間、それ まで も常 に身体 であった人 々は、 さらに身体 であ り続 ける と い う課題 、 とりわ けそれ まで と同 じ種類 の身体 であ り続 ける とい う特別 な課題 を担 うこと にな る。病 い を患 うこ とによつて、身体 にはまった く新 しい課題 が課せ られ るわけではな い。身体であるとい うことは、常 に何 らかの問題 を伴 うものであるか らだ。しか し病いは、

その一般的な問題 に、新 たな、 よ り自覚的 な解決 を要求す る。

そ こで、身体 に関す る 4つ の一般的問題 を提示す る。統制、身体 とのかかわ り、他者 と のかかわ り、欲望がそれである。

<統 制 の問題 >〜 「予測可能」か 「偶発的」か

人 々は、それ ぞれ の身体 の さま ざまに異 な る統制 の可能性 に応 じて、 自己を規定 してい る。 その可能性 が予測可能 な範 囲 にある限 りは、行為 をす るために身体 の統制 を必要 とす る とい うこ とが 自覚的 な 自己点検 を要求す るこ とはない。 しか し、疾患 はそれ 自体予測可 能性 の喪失 であ り、 さらにそれ以上 の喪失 を もた らす ものである。疾患 の よ うな偶発 的な 事態 に容易 に適応 できない人 は、統制 の危機 を経験す る。病 い とは、統制 の喪失 とともに 生 きるすべ を学んでい くことである。

<身 体 とのかかわ り >〜 「分離的」か 「統合的」か

自己 と身体 は、統合的であつた り分離 的で あつた りす る。分離 的 とは、 自己 と身体 を切

り離 して生 きるこ と。 身体の不調 を 「それ」 として切 り離 して しま う状態の ことである。

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統合 的 とは、身体 と結 びついて生 きてい るこ とで ある。近代 医療 は、身体 との結びつ きを 後退 させ る もの として、大 きな力 を及 ば してい る。近代 の医師は、患者 が何 を感 じてい る のか とい うことよ りも、数値や診断画像や心電図の方 を頼 りに してい る。 これ に対 し、代 替的治療 は患者 に対 して 自分 が感 じてい る事へ の感受性 をみが きあげ、その感 覚 を信頼す るよ う教 える。代替的治療へ のシフ トは、脱近代的 になった ことを示すひ とつ の指標 であ る。

<他 者 とのかかわ り >〜 「個 々に閉 ざされている」か 「互いに開かれている」か

自己が行為 をす るために他者 とのかかわ りを規定す る必要 があ る とい う問題 は、身体 と して存在す る とい う共有 され た条件 が、いかに生 きてい る者 たちの間での共感 的関係 の基 礎 となるのか とい う点 に関わつてい る。

互い に開かれ た関係 とは、他者 が私 の外部 にあ る身体 として 「私 に対峙す る」 ものだ と して も、他者 は私 にかかわ らな くてはな らず 、私 もまた他者 にかかわ らな くてはな らない と認識す る関係 の ことである。病 む人は完全 に個人的である と同時 に、他者 と共有 されて もい る苦 しみの中に身 をひた してい る。病 む人 は、 自らの痛 み に よつて他者 の痛 み を理解 す る。物語 を語 る とい うことは、互い に開かれ た身体 が、自らの痛 み を さしだす と同時 に、

何 がその身体 を悩 ませ てい るのか を他者 が理解 して くれ る とい う保証 を受 け取 るためのひ とつの媒体である。

開かれ た身体 の対極 にあるもの として、個 々に閉 ざされ た身体 があ る。本質的 に他者 か ら隔 て られ 、孤立 した もの と して理解す る身体 の こ とであ る。 医学 は さま ざまな形 で個 々 に閉 ざされ た身体 の成 立 を促す。近代 医療 の管理 システムは他者 との接触 を排 除 して しま うだ けの距離 を生み 出 してい る。 患者 は医療 ス タ ッフに対 して、患者 同士の集 団 としてで はな く、個 々ば らば らに関係 を持つ。 医療実践 を義務づ けてい る疾患モデル が、身体 に対 す るその他 の見方 を許容す る余地 をほ とん ど持 つていない のであ る。 医学が求 める個 々に 閉 ざされ た身体 は、教育や市場 において個 々人 の業績 を強調す る近代社会 の考 え方 と うま

く接合す るのである。

<欲 望 >〜 「欠落」か 「産出的」か

欲求 (desire)を 、欲望 (need)と 要求 (demand)の 三者 関係 の うちに位置づ けるジャ ック・ ラカ ンの精神分析学 を起点 とす る。欲望 とは、完全 に肉体的 な現実で あ り、その水 準 において充足 され る もので ある。欲求 の表現 が要求 であ る。 それ が表現 しよ うとしてい る欲求以上の ものを請 い求 めてい る。欲望 とは、 この よ り以上の ものの質である。欲望 は 充足す ることができない。 そ こには常 によ り以上の ものが求 め られ てい るのである。

ある種 の身体、と りわ け病 める身体 は、欲望す るこ とをや めて しま う。欲望 の欠落 とは、

自分が欲望す るに値す る者 である と見 なす ことを止 めて しま うことである。

病 い は、ほぼ一様 に身体 を欲望 の欠落状態へ と陥れ るのであるが、そのかわ りに、 ど う

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すれ ば欲望 を生み出す よ うな身体 で あ りうるのかについて新 たな考察 を促す こ とに もな る。

3‐ 2  語 りの類型

語 りの類型 とは、個 々の物語 のプ ロッ トやテ ンシ ョンの基礎 と見 な され うるよ うな、き わ めて概略的な物語 の筋書 きをい う。病 いの語 りの 「諸類型」 を提示す るこ とは、個 々人 の経験 の個別性 を包摂す る 「一般的で統一的な視 点」 を作 り上げて しま う危 険がある。 し か しその一方 で、病む人々が語 る物語へ の よ り密接 な関心 を促 し、最終的 には病者 の言葉 を聴 くこ とを助 ける とい う利点がある。実際の語 りは、以下 に提起す る語 りの 3類 型 のす

べ てを組み合わせ た ものであ り、それぞれ の経験 の段階 ご との特異性 は、その時点 におい て支配的な語 りの類型 によつて記述す ることができる。

(1)回 復 の語 り

回復 の語 りは、多 くの人 々の物語 の中にあつて支配 的な もので あ るが、 と りわけ病気 に なって間 もない人 々に顕著で、慢性疾患 の場合 にはその頻度 が低 くなる。誰 であれ 、病気 になつた者 は、再び健康 にな りたい と願 うものである。 しか も今 日の文化 の中では、健康 は取 り戻 さなけれ ばな らない正常な状態 と見な され てい る。 つま り、病者 自身 の回復 への 欲望 の中には、その回復 の物語 を聴 きたい と願 う他 の人 々の期待 が混入 してい るのである。

回復 のプ ロ ッ トには、「昨 日私 は健康 であつた。今 日私 は病気 である。 しか し、明 日には 再び健康 にな るで あろ う」 とい う基本的 な筋書 きが存在す る。 この筋書 きが、検査や その 説 明、治療や そ こか ら生 じる結果 、医者 の腕前 、代替療法 な どの話 によつてふ くらま され てい く。

最 も広 く浸透 し、そ して考 え よ うに よつては最 もた ちの悪 い回復 の物語 のモデル は、市 販薬 の コマー シャル である。 プ ロッ トは、 3つ の場面 によつて展開 され る。 まず は じめに、

病人 が身体的 に辛い状態 で映 し出 され、社会的役割 を果 たす こ とができな くな る。 第二の 場 面で医薬 品が登場 し、使用 され る。第二 の場 面では快適 な身体状態 を取 り戻 し、社会的 役割 も果 た され るこ とにな る。現代社会 を生 きる とい うこ とは、 この よ うな コマー シャル

を、特 に注意 を向けることがな くとも見て しま うとい うことである。

病院 の冊子や コマー シャル の背後 には、 どの よ うな苦痛 に対 して も医薬 品が存在す るは ず だ とい う、近代 主義的 な期待 が横 たわ ってい る。 この支配 的語 りの もた らす帰結 は複雑 であ る。物語 の結末 を回復 とす る時、苦 しみの本質 は謎 か らパズルヘ と転 じて しまつてい る。謎 とは、ただ直面す るこ としかできない ものであるのに対 し、パ ズル は解決す ること のできるものなのであ る。物語 の中で、パ ズル が どの よ うに解 かれ たか明 らかになってい ない として も、回復 はパ ズル が解 かれた事へ の ご褒美 なので ある。 回復す る こ とがなけれ ば、苦 しみは謎 のままに とどま り、混舌 Lを もた らす もの となる。謎 は解 くことができない。

この答 えの不在が、謎 を近代社会 に とつての不名誉 としてい るのである。

近代社会 は、謎 をパ ズルヘ と転 じよ うとす る。 それ が近代 の英雄性 であ り、その限界

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で もある。社会学 は、 この近代主義的想像力 の一翼 を担 うもの として、病い を回復 の物語 に書 き込んでい く。 タル コッ ト・パー ソンズの 「病人役割 」の理論 がそれである。役割 と い う概念 に よつて、パー ソンズは相補的 な行動 の期待 にかかわる行為 を指 してい る。 した が つて 「病人役割 」 とは、病人が他者 に対 して期待 し、他者 が病人 に期待す る行動 を指 し 示す ものである。 こ うした期待 は、病気 による休職 とか医療 ケア とい う形 を とうて制度化

され 、社会規範 によつて正 当化 され る。

パー ソンズは病いの社会的意味に関 しての 3つ の仮定 を置いてい る。 まず第一 に、病い は病人 の過失 とみな され ない こと。病気 になる とい うことは、道徳 的な過 ちの しる しでは な く、単 に何 らかの過剰 なス トレスの結果 である。パー ソンズは、そのス トレスを、社会 的 である と同時 に生理 的 な もの と見 な してい る。第二 に、病人 は、職場 において も家庭 に おいて も、通常の責任 を免 除 され る とい うこと。病む人 々は、その免 除 を期待す ることが で きる し、他 の人 々は逆 に免 除 を与 える義務 を負 う。 第二 に、その特権 が濫用 され ない よ う通常の責任 の免 除が社会的 に統制 されね ばな らないた めに、病人 は公認 の専門家 の権威 に従 うこ とを義務つ け られ る とい うこと。 医師 に対す る従順 さは、病人役割 の社会的統制 の基礎 となるものである。 こ うして免 除は義務 によつて埋 め合 わ され ることになる。

病人役割 は、近代 主義的な社会統制 の語 りであ る、パー ソンズの見方 によれ ば、人々は 通常の責任 が過重 な負担 となった り、相互 に衝突 し合 うよ うになった時 に病気 にな る。病 気 は、過剰 な社会的圧力か らの避難弁 として、社会 に とつて も機 能的な ものなのである。

機 能主義的観 点か ら見た病気 の問題 は、社会生活 か らの脱落者 を生みだ さない よ うに、人 々 に復帰 のための十分 な時間を与 えることにある。免 除は認 め られ なけれ ばな らない。 しか し、同時 にそれ は規制 され なけれ ばな らない。 医師 は、まぎれ もな く社会統制 の担い手な のである。

おそ らく、病人役割概念 の主要 な潜在的仮定 となってい るのは、人 々は必ず よ くなる と い う信念 である。 そ して、今 はまだ よくなっていない他 の多 くの人 々 も、いつかは よくな る と信 じ続 けよ うとしてい る。 しか し、慢性病 を患 う人 々に対 しては、パー ソンズの描 く 病 人役割 はほ とん ど適合性 を持 たない。 それ らの人 々は、 ある程度 までの病 い を、 自分 た ちの生活 の恒常的な背景 として、そ して時には前景化 して くるもの として受 け入れ てい る。

パー ソンズに とつて、病いの王国ヽ の旅 はいつ も期 間限定の ものである。そのたびか らの 帰還 が望 まれ てい る し、それ はまた可能 な こ とで もあ るのだ。病気 に よって もた らされ た 身体能力 の変化 が、社会的義務や個人的アイデ ンテ ィテ ィにかかわ る不断の再交渉 を要求 す る とい う考 え方 は、パー ソンズの理解 の中には含 まれ ていない。

よ くな る (=健 康 を取 り戻す )と い うこ とが、パー ソンズに とつて受 け入れ るこ とので きる唯一 の帰結 である。 ま さにこの点に置いて、彼 の病人役割 の理論 は、近代 医療 の諸前 提 を反映す る とともに、それ らの諸前提 が妥 当な ものであることを含意 してい るのである。

回復 の物語 は、テ レビコマー シャル に よつて語 られ るにせ よ、社会学や 医療 に よつて語

られ るにせ よ、文化的 に最 も好 まれ る語 りの形式である。 この種 の語 りが好 まれ るのは、

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ジグム ン ト・ バ ウマ ンが 「致死 とい う現実 の解体」 と呼んでい る、近代主義 のプ ロジェク トに他 な らない。 近代性 とは、病 い を典型 とす る さま ざまな脅威 をよ り小 さな単位へ と分 解 してい くこ とに よつて、致死 の恐怖 を払 いの けよ うとす るものである。 医療 が個 々の専 門領域 に分化す るこ とで、「致死 とい う現実」 は解体 され るのである。小 さく解体 された課 題 をひ とつひ とつ済ませ てい くことは、小 さな勝利 であ り、セ ラピー としての効果 を持つ。

しか し最終的 には、致死 の現実 と責任 、そ してその謎 に直面 しなけれ ばな らない。 そのた めには、回復 の語 りとは別 の物語 が必要 となるのである。

回復 の物語 では、病 いの起源 は明示 され ないまま、身体の不運な 「故障」と見な され る。

身体 をテ レビとして とらえてみ る。 テ レビは壊れ るものだ し、壊れれ ば修理 しなけれ ばな らない。身体 も同 じで、原 因は何 か とい うことよ りも、テ レビを ど うや って も う三度作動 させ るのか に関心が向 く。病人役割 を負 つた人 が、病気 にかかつて しまつた時 と同 じ状況 に戻 つてい くことがなぜ 問題視 され ないか とい うと、再度病気 になった として も、いつで も医薬 品 を使 うこ とができるか らである。将来の病気 はあ らか じめ治療済みなのである。

回復 の物語 は、それ が しば しば真 実 を語 るがゆえに抗 いがたい。 多 くの人 々は遅 かれ早 かれ、新 品の よ うによ くなって病 いの王国 を退 出 してい く。彼 らは患者 としての 自分 の仕 事 を果 た し、病気後 の未来 に向けて準備 し、 自分 自身 のその 日その 日を乗 り切 つてい くこ とで、病 い を生 き抜 いてい る。 回復 の語 りは、ま さにあ りふれた もの と見なす ことによつ て、身体 の故障 に相対す る英雄性 を示す。 しか し、 この病 む人の英雄性 は必ず、 よ り能動 的 な治療者 の英雄性 と結びつ け られ てい る。 医師 と患者 のそれぞれ の英雄性 は補完的であ るが、医師 は能動的な英雄性 を、患者 は受動的 な英雄性 を担 う。 この非対称性 が問題 なの で はな く、 こ うした語 りを 自己物語 として採 り入れ る病者 は、それ によって、一個人 とし ての 自己を従属 させ るひ とつの道徳的秩序 の うちに位置 を占めることになる。

回復 の物語 は、病 いの経験 と医療処置 の双方 に、近代主義的な語 りを刻 み込む。 回復 の 物語 の第一 の限界 は、致死 の現実 の近代的解体 とい う限界 である。 回復 の物語 が機能 しえ ない時 には、頼 りにす ることので きる別 の物語 が準備 され なけれ ば、語 りの難破 が現実の もの とな って しま う。 も うひ とつ の限界 は、回復 の物語 が病 いの語 りとして広 め られ てい なが らも、回復 の手段 がその人 に購入可能 であるか不可能 であるかによつて、実質的な適 用範 囲が限定 され た もの となってい くこ とにあ る。 回復 の物語 の究極 の限界 は、死 の不可 避性 である。

医療 専門職 は、生存 のための言語 を越 えて言 うべ き こ とは何ひ とつ ない、 とい う事態 を 制度化 してい るのであ る。 これ は英雄性 の核 をなす もので ある。脱近代 の時代 において、

その核 にはます ます大 きな亀裂が広が り始 めてい る。

ひ とたび回復 の語 りの生命力 が失 われ て しまったあ とで、それ まで 自分 の経験 を生存 の

た めの言語 で語 つてきた人 々が、 もはや 自分 自身 については何 も言 うこ とがない とい うこ

とを発 見す る とした ら、そ こには何 が生 じるのであろ うか。 回復 の物語 を越 えて生 を肯定

す る物語 のあ りよ うを描 き出す前 に、回復 の可能性 を否定す る物語 に耳 を傾 けなけれ ばな

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らないのである。

(2)混 沌 の語 り

混沌 の語 りとは、回復 の対立項 である。 回復 の物語 が好 んで語 られ るのに対 して、混沌 の物語 は不安 をか きたて るものである。 回復 の語 りの持つ力が、苦 しみの力 を しのいだ り 上回 つた りす る可能性 を約束す るのだ とすれ ば、 これ に対 して、混沌の語 りは、いかに私 た ちがその苦 しみの中に取 り込 まれ て しま うのか を語 る。混沌の語 りは、決 して快癒す る こ とのない生命 の像 を描 き出す。物語 は、その語 りの秩序 の不在 の中で混沌 とした ものに な るため、語 り手 は 「適切 な」物語 を語 つてい る とは理解 され ない。 しか し、 よ り重要な こ とは、混沌 の物語 の語 り手 は 「確 かな」生 を生 きてい るもの として、その言葉 を聴 いて もら うこ とができな とい う点にある。

混沌 の物語 を聴 き取 るのは容易 な ことではない。 さま ざまな出来事 は、物語 の語 り手が 生 を経験 してい くままに語 られ てい く。物語 は語 りとしての継続性 を持 たず 、記憶 され る べ き過去 も予期 に値す るだけの未来 も伴わない、絶 え間のない現在 だけが存在 している。

「ひ とつの出来事が次の出来事 を導 く」 とい う聴 く側 の期待 を裏切 るこの語 りは、聴 き取 りがたい もの となるのである。

本 当の混沌 を現 に生 きてい る人 々は言葉 に よって語 るこ とがで きない。現 に生 き られ て い る混沌 においては、媒介 は存在せず、ただ直接性 だけがある。身体は、その瞬間 ごとに 満 た され ない欲求 に とらわれ てい る。混沌 の語 りを生 きてい る人 は、 自らの生 に対 して距 離 を とるこ とも、それ を反省 的 に把握す ることもできない。 しか し、語 りえない ものであ

る として も、混沌 の声 を聴 き とめ、物語 を再構築す ることはできる。

混沌 の物語 の課題 は、ただ聴 くこ とにある。聴 くこ とが困難 なのは、聞き手が語 られ て い る事柄 を、容易 には 自分 自身の生の可能性 または現実 として受 け止 めえない とい うこと だ けに よる ものではない。 同時 に、混沌 の語 りが多 くの場合 に深 く身体化 され た物語 の形 式 を取 るが ゆえに、聴 くことが困難 にな るのである 6混 沌 の語 りが、傷 国の縁 の上で語 ら れ てい るのだ とすれ ば、それ らはまた発せ られ た言葉 の縁 の上で語 られ てい るものである。

つ ま り、混沌 とは、言葉が見通す ことも照 らし出す こともできない沈黙 の中で語 られ るの で ある。混沌 の語 りは常に語 られ た言葉 を超 えて存在す る。 したがつてそれ は、語 られた 言葉 の中には常 に欠落 してい る。混沌 は、決 して語 ることのできない ものであ り、語 りの 中に穿たれ た穴である。

混沌 の身体 は、統制、身体 とのかかわ り、他者 とのかかわ り、お よび欲望 のそれ ぞれ の 次元 について記述す ることができる。

統制 の次元 では、偶発性 は、正確 には受 け入れ られ るものではな く、む しろやむ を得 な い もの として受 け取 られ る。予測可能性 を取 り戻そ うとす る努力は繰 り返 し失敗 に終わ り、

その失敗 のたび に代償 を支払 うことになる。 ある種 の混沌 の外 に置かれ てい る私たちは、

誰 で も、 自分が落 ち込 んだ ところか らは 自力 で抜 け出す こ とがで きるものだ と保証 したが

(11)

る。 しか し、混沌 の語 りは、そんな約束 を超 えた ところにある。

他者 に対す る関係 もまた、失敗 の連続 をた どる。 したがつて、他者 とのかかわ りおいて は、身体 は個 々に閉 ざされ た もの となる。 それ ぞれ の内に閉 じて しまお うとす るこの方向 性 が身体 の痛 み と苦 しみ に対す る承認や支援 を見出す ことをます ます 困難 な ものに して し ま う。 ここに循環的な関係 が生 じる。混沌 の物語 が語 り手 の周囲に壁 を築 きあげ、それ に よつて他者 に助 け られ た り、慰 め られた りす ることが妨 げ られて しま う。そ して、援助や 慰 めを得 ることが困難 になれ ばな るだけ、語 り手は、一貫 した継続性 を欠いてい るモ ノロ ー グを語 ることによつて この壁 を突破 しなけれ ばな らない と感 じるよ うになる。

慰 めを受 け取 るこ とができない とい うことは、身体 にお ける欲望の欠落 を反映す るもの であ る と同時 に、それ を強化す るものである。 かつて身体が抱いていた欲望 は、それが何 であれ 、何度 も充足 されず に終わ る。偶発性 に侵 され 、それ が悪い結果 ばか りもた らす よ うな世界 においては、他者 との関係 が危険 な もの とな る と同時に、欲望 もまた、単 に行 き 場 をな くす だけではす まず、危険な もの となるのである。

自らの身体 との結 びつ き もまた危険である。身体 は、疾患 と社会的 な対応 の悪 さによる 重層 的な決 定 の中でひ どく傷つ け られ て しまってい るので、身体的 な苦 しみがその人 の送 りうる生活 を支配 してい るに もかかわ らず 、 自己をその身体 か ら切 り離す こ とが生 き延び てい くための条件 とな る。 しか し、問題 は単 に 「自己」が 自分の身体か ら切 り離 され る と い う以上 に複雑である。 まだ痛み を経験 し始 めたばか りの人は、「それ」が 「私」 を傷つけ

るのだ とい う言 い方 を して、 この 「それ」 を切 り離 してみせ るこ とがで きる。 しか し、混 沌 の物語 は、「それ」が 「私」 をたたきのめ して、 自己認識 がままな らな くなった時 に始 ま る。混沌 の物語 は、その人の世界 を解体す るのである。

混沌 の物語 に敬意 を払 うこ とが、道徳 的 に も臨床的 に も求 め られ る。混沌 の語 りに敬意 が払 われ るよ うにな るまで、その世界 はすべての可能性 において否認 され続 ける。混沌の 物語 を否認す るこ とは、その物語 を語 る人間 を否認す るこ とであ り、否認 され てい る人間 にケアが さ し向け られ ることはあ りえない。 その現実 を否認 され た人間はただ治療 とサー ビスの受取人 に とどま り、ケアに もとづ く共感 的な関係 に加 わることはできない。混沌の 身体 は、ケアに もとづ く関係 に入 つてい こ うとす る上 で無力 である。 この身体 は何 を必要 としてい るのか を言い表 して援助 を求 めることができるほ ど、 自分 自身 の物語 を うま く語 るこ とがで きないので ある。 そ して時には、 さしだ され た援助 さえ も受 け取 りそ こね るこ とになる。

混沌 の物語 が他 の人 々の うちに不安 を呼び起 こす と、それ を 「抑鬱」 と記録す ることで

臨床 的 に処理 して しま うとい うあ りが ちな帰結 が もた らされ る。 こ うして、混沌 を治療可

能 な状態 として再定義す るこ とで、回復 の物語 が取 り戻 され る。混沌 は、患者 の個人的な

不調 として処理す るこ とが可能 にな る。 これ は、社会 が、何 を社会体の一部 と認 めるのか

にかかわ る前提 に大幅 な変更 を要求す るよ うな社会的判断 よ りも、治療 を可能 にす る医学

的判 断の方 を好 む結果 である。 この よ うな社会 では、混沌 の世界 に生 きる人 々の居場所 を

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残 さない こ とにな る。今必要 とされ てい るのは、混沌 を人生の物語 の一部分 として受容す る力 を高めることである。

(3)探 求 の語 り

回復 の物語 は、病 い を一過性 の もの と見なす こ とに よって死の問題 を遠 ざけて しまお う とす る。混沌 の物語 は、深 み を流れ る病 いの暗流 とそれ によって巻 き起 こされ る困難 に吸 い込 まれ てい く。 これ に対 して、探求の物語 は、苦 しみに真 つ向か ら立 ち向かお うとす る ものであ る。 それ は病 い を受 け入れ 、病 い を利用 しよ うとす る。病 いは探求へ とつながる 旅 の機 会 である。何 が探求 され てい るのかがすべ て明確 にな るこ とはない。 しか し、経験 を通 じて何 かが獲得 され るのだ とい う病む人の信念 が、探求 を成 立 させ る。病む人 自身の 視 点か ら語 られ る。

探求 の語 りは、病む人 に、その人 自身 の物語 の語 り手 として声 を与 える。回復 の語 りに お いては、能動的な行為者 は治療者 の側 にある。それ は医薬 品その ものであることもある し、医師であるこ ともある。混沌 の物語 は、苦 しむ人 自身の物語 であ り続 けるが、その苦 しみがあま りに も大 きいために、 自己はそれ を語 ることができない。探求の語 りが前面に 出て くる ときで も回復 の語 りや混沌 の語 りはその背後 に控 えてい るのではあるが、探求の 語 りは病 む人 自身 の視 点か ら語 られ、混沌 を隅へ と追いや って しま うのである。

探求 の語 りは、病者 であるこ との新 たなあ り方 の追求 について語 る。病む人 が、少 しず つ 目的の感覚 を形作 ってい くことによって、病 いは旅 であつたのだ とい う捉 え方が浮上 し て くる。 ジ ョゼ フ・ キャンベル は、英雄 の旅 の語 りの構造 を示 した。 ここでキャンベル の 言 う英雄 とは、苦 しみ を経験す るための新 たな方法 を見出す者 の ことである。

旅 は、 3つ の段階 にま とめることができる。第一の段階は、呼びかけ とともには じまる「出 立」である。病いの物語 においては、症状がその呼びかけ役 とな る。腫れ物や 日眩、 ある い は身体 があるべ き姿 を とつていない こ とを示すその他 のサイ ンがそれ である。 しか し、

呼びかけは時 に拒絶 され る。拒絶 は、病む人 による症状の否認 とい う形 を取 る。

しか し、結局 は呼びか けを拒み続 けることがで きな くな る。症状 はすでにごまか しよ う がな く、 これ について診断が下 され て しま うのである。病 いの広が りをはつき りとさせ る 診断が下 され て、第二の段階が始 まる。「試練 の道」の段階である。その試練 の過程 は、病 い に付随 して生 じる、身体的であるばか りでな く感情的で もあ り社会的で もあるよ うな さ ま ざまな苦 しみ とい う形 を取 つて、 どんな病いの物語 の中に も容易 に見出す ことのできる ものである。 この道 は、誘惑や贖罪 といつた他 の段階 を経 て、結末へ と導かれ る。

最後 の段階 は帰還 である。語 り手は もはや病人 ではないが、病 いの しる しを とどめた者

として帰還す る。 この しる しを負 った人間は、 自らが踏み越 えてきた世界の中に生 きてい

る。 さま ざまな経験 に出会い、 さま ざまな知識 を得 て帰還す るのだが、それ は、病 いの探

求 の物語 は、語 り手の経験 に よって何 かを与 え られ た とい うことを前提 としてい るか らで

ある。

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探求 の物語 の取 りうる幅 は相 当に広い ものであるので、その内訳 を さらに明 らかに して い くことが必要である。探求の物語 は少な くとも 3つ の顔 を持 つてい る。これ を、回想録、

宣言 、 自己神話 と呼ぶ。

回想録 は、病 いについての語 りを、その人の人生 にお けるその他 の出来事の語 リヘ と結 びつ ける。 中断 され た 自伝 である とい うこともできる。回想録 は、探求の物語 の中で、最 も穏や かな様式である。回想 を通 じて、その人の人生の中に病いが組み込まれ るのである。

最 も穏や かでない探求の物語 は宣言 である。宣言 は、病いが単なる個人的な苦痛 ではな く、社会的な問題 であることを主張す る。 宣言 は、疾患 に伴 う身体的問題 に社会が どれ ほ ど荷担 してきたのかを証言 し、苦 しむ ものたちの連帯の上 に、変化 を呼びかける。

探求 の語 りの第二の顔 は、 自己神話 と呼ばれ るものである。病 い を経て、 自己がまった く新 しい姿 に再生す る過程 が描 かれ る。個人的変貌 が強調 され、その書 き手が、その変貌 の模範 と見な され る。

探求 の物語 は、病 む人 々を責任 ある道徳的行為主体 と見なす。近代 の精神 は、医師 を病 いの物語 の主人公 =英 雄 としてきた。英雄性 は忍耐 にではな く、行為す ることにある。

探求 の物語 が語 られ ることに よって、また混沌 の物語 に敬意 が払 われ ることに よって、

力 をふ る う英雄 か ら苦 しみ を耐 え抜 いてい く英雄への移行 が要求 され る。物語 は、他者 に 手 を さ しのべ、それ 自体の倫理 を確 かな ものにす ることに よつて、忍耐 を能動的な ものヘ と転 じさせ る手段 である。病 いの物語 の傷ついた英雄 は、ただ 自らの経験 した ことを語 る だ けであ る。個人的な経験 を他 の個人 に提示す ることによつて、病 いを探求す る英雄 は、

その病いの証人 となる。

証人 にな るためには、起 こった こ とを語 る とい う責任 を引き受 けなけれ ばな らない。証 人 は、一般 には認知 され ていないかあるいは抑圧 され てい る心理 に証言 を与 える。病いの 物語 を語 る人 々は証人 とな り、病いを道徳的責任へ と転換 させ るのである。

4、 体験記

ア トピー性皮膚炎 の証人 として、 自分 の経験 を語 つてい こ うと思 う。 ステ ロイ ドを使 つ ていた時期・ リバ ウン ドの時期・ リバ ウン ドを経 た時期の 3つ の時期 に分 けて語 つてい く。

4‐ 1 0歳 lヶ 月〜大学 1回 生 の夏 まで

私 がア トピー と診断 され たのは、生後 lヶ 月 の ことである。物心ついた頃 には、既 にア

トピーで ある とい う感 覚だったので、毎 日朝 と晩 に薬 を塗 ることに疑間 を感 じることはな

か つた。 当た り前 の生活 の習慣 として受 け入れ ていたのである。 かゆ くて辛い と思 うこと

はあったが、ア トピーであることで特 に差別 され るよ うな こ とはな く、学校生活 で、ア ト

ピーであることに よって不利益 を被 った と感 じることはなかった。例 えば、ア レル ギーが

あ るため、友人 と同 じ給食 が食べ られ なかった り、林 間学校 な どの泊ま り行事 の時 に、特

別 に保健 の先生の世話 になることな どはあった。別行動 を とることは、面倒 ではあったが、

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それ について何 か嫌 な ことを言われ た ことはな く、む しろ肌が荒れている時には心配 して くれ る友人 ばか りだった。

小学 4年 生の時に母親 の判断で 1回 日の脱 ステ ロィ ドを した。 ステ ロィ ドについての知 識 は私 にはな く、「薬 を必要以上に塗 りす ぎてはぃけない」 とたびたび母親か ら言われてい たのだが、なぜ なのか考 えも しなかった。脱ステ ロイ ドをは じめた ら、 しば らくの後に肌 はぼ ろば ろになった。母親 が、食べ るものや服 の素材 に気 を配 るな どして、少 しで も悪化 の要因を少 な くしよ うと努力 して くれたが、悪化す るばか りで、結局脱ステ ロイ ドを中止 した。荒れ た肌 を戻すために、lヶ 月間入院 を して、またステ ロィ ドを使 う生活 を開始 した。

中学生 になった時 は、私 は中学受験 を したため、少 し肌 が悪化 していた。私服 の学校 を 選 んだた め、夏 で もできるだけ長袖 を着 て、肌 を隠す よ うに していた。 中学校 でも、幸い な こ とに、周 囲の人か らア トピー であることで差別 を受 けることもな く、快適な学校生活 を送 るこ とができた。 ただ、月に 1回 のペースで病院に通 つていたのだが、家か ら 1時 間 ほ どかか る病院で、中学校 か らは さらに時間がかかったため、早退 しなけれ ば病院に通え ない ことが嫌 だった。 しか も、診察時間は 5分 ほ どで、いつ も同 じ薬 を渡 され るだけであ る。私 のア トピーの話 を聴 くために診察 をす るのではな く、薬 を渡すために形式的に診察 を してい る とい う印象 を受 けた。それ でも、中学生の時は、ずっ と同 じ病院に通 つていた。

中高一貫校 であったため、高校生になって も学校生活 においては、特 に変化はなかった。

時間のかか る病院 に通 うことはや め、近 くの病院に通 うよ うになった。そ こで も診察時間 は 5分 ほ どで、「薬 を渡すために形式的に診察 を している」 とい う印象 は変わ らなかった。

ア トピー の治療 のため、他 の病院 に行 つた こともあるが、いつ も 「薬 を塗 り続 けて くださ い」 と言われ るだけである。 どこの病院で も変わ らないのだな、 と感 じた。

4‐ 2  大学 1回 生の夏〜冬まで

大学 1回 生 の夏休 み に、母親 の判断で、代替的治療 に移行 し再び脱 ステ ロイ ドをは じめ た。 なぜ、 この時期 に脱ステ ロイ ドを しよ うと思ったのかは、「大学生活に慣れ、就職する までにある程度 よくす るため」だ と後か ら聞いた。私は、「違 う治療法に替 えるんだ」 とい

うくらい に しか考 えていなかった。

代替的治療 をは じめるにあたって、担 当の先生か ら、まずアンケー トに答 えてほ しい と 言 われ た。脱 ステ ロイ ドは リバ ウン ドとい う現象が起 きるため、それ に耐え られ るか どう か を問 うものであった。その内容 は、「ステ ロィ ドを使い続 け、社会復帰できな くなった人 がい ることを知 っていますか」「プ ロ トピックとい う薬 に発ガン性物質が含まれていること を知 っていますか」な どで、脅 されているよ うな印象 を受 け、正直驚いた。

私 は、今 まで もず っ とア トピー と付 き合 つてきて耐 えてきたのだか ら、 どんな治療法 を

試 そ うとも耐 え られ る と思 っていた。 しか し、完全 にステ ロイ ドをや め、 1週 間ほ どたった

ら、肌 はぼろぼろになった。特 に、顔 の状態がひ どく、真 っ赤 に腫れ上が り、黄色い滲出

液 がかたまって鱗 の よ うに顔 の表面に くっついていた。誰 とも会 う気 になれず、 どこかに

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行 こ うとも思 えず、夏休みだった こともあ り、外出は、代替的治療機関 と家の往復のみだ つた。それ も母親 に車でそれぞれ の場所まで送ってもらっていたので、 1人 で出歩 くことは なか った。夏休 み明けにはま しになってい ることを祈 ったが、そんなに早 くよくなるはず もな く、顔 が荒れ てい る状態 で学校 に行かなけれ ばな らなかった。 しば らく休む とい う選 択肢 もあったが、一度休 む癖 がつ くと学校 に行 く気がな くなって しま うよ うな気が して、

意地 だけで通 っていた。 ア トピーの人は夜寝ている間に無意識 に掻 きむ しって しま うこと が よ くある。掻 きむ しって しまった らどうしょ ぅと思 うと、夜眠 るのが怖 く、朝 目を覚ま す こ とが怖 かった。 できる限 り眠 らないよ うに しよ うと思っていたため、寝不足の状態が 続 き、学校 に行 って も授業 中はほ とん ど寝 ていた。 下を向いていると、少な くともその間 だ けは顔 を見 られず にすむ と思い、ず っ と下を向いて寝ていた。顔全体が腫れ、 日の端が 切れ て、目をつぶってぃ る方が楽だった とぃ うこともあ り、この頃は本 当によく寝ていた。

また、 日の端 も切れ、あま り大 きな 口を開けることができず、食べ ることに苦労す ること もあった。普段 は、定期的 にファッシ ョン雑誌 を買い、季節が変わると新 しい服が欲 しく な るのだが、 この時は 「お しゃれ して も何 の意味 もない」 とぃ ぅ気持 ちがあ り、雑誌 を買

うこ ともな く、新 しい服 を欲 しい ともまった く思わなかった。鏡で 自分の顔 を見るたびに 悲 しくな るほ どばろば ろの状態であったのに、変わ らずに接 して くれた友人のおかげで、

何 とか学校 に通い続 けることができた。

この時期 に、ア トピーの治療 ではな く、風邪 をひいて病院に行ったことがある。その病 院 は内科以外 に皮膚科 も してい る。 そ この医師に、風邪 の治療 に行 ったのに、顔がひ どく 荒れ た状態の私 を見ただけで、「ひ とまずステ ロィ ドでぉ さぇた方がいいん じゃない」 と言 われ た こ とがあった。 まずステ ロィ ドを塗 る、 とい う考えを持 っている医師にひ どく嫌悪 感 を感 じた ことを覚 えてい る。 この よ うに、ステ ロィ ドをすすめ られ ることは他の病院で

もあ り、改めて 「まずステ ロィ ド」 とぃ う考 えが浸透 しているのだ と感 じた。

4‐ 3  大学 1回 生の冬以降

少 しずつだが、肌 の荒れ はま しになっていった。滲出液 は顔 の顎の一部分だけ出続 けた が、他 の箇所 か らは出な くなった。顔 の腫れ もお さま り、ステ ロィ ドを塗 らな くても、少 し顔 の赤い人、とい うくらいまで肌 の状態はよくなった。一番顔が荒れていた時期 を過 ぎ、

前 向 きな気持 ちになれ るよ うになった。夜 もよく眠れ るよ うにな り、 自分にとって普通の 生活 を取 り戻せ るよ うになった。肌 の状態がひ どくなった り、ま しになった りすることも、

生 きていれ ば当た り前の ことなのだ と考 え られ るよ うになった。 またファッシ ョン雑誌を

買 うよ うにな り、新 しい服 をほ しい と思 うよ うになった。一時期、他者 に自分か ら話 しか

けることをあま りせず、消極的になっていた時 もあったが、また 自分か ら積極的に話そ う

と思 えるよ うになった。 この時に、は じめて、いっかア トピーの体験を述べたい と思 うよ

うになった。

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5、 分析

先 に述べ た 4つ の変数 と 3つ の語 りの形式 を用い、 自らのア トピー性皮膚炎の体験を分 析 してい こ ぅと思 う。

まず、自分の体験 の主なイベ ン トごとに、統制、身体 とのかかわ り、他者 とのかか わ り、

欲望の 4変

数が、それぞれ何 にあたるのかをふ り分けて、その時の状況 を分析する。

表   ア トピー体験 の主なイベ ン トがそれぞれの変数において何があてはまるかについて

統 制 身 体 との

かか Jbり 他者 とのかか わ り 欲 望

① ア トピー と診断 され る (0歳 lヶ 月 )

予測可能 分離的 個 々に閉 ざされ ている 産 出的

② ステ ロイ ド治療

(―

/Jヽ

4) 予測 可能 分離的 個 々に閉 ざされ ている 産 出的

③ 脱 ステ ロィ ドをす る

(/Jヽ 4) 予測可能 分離的 個 々に閉 ざされ てい る 産 出的

④ 脱 ステ を中止 して入院

(/Jヽ 4) 予測 可能 分離的 個 々に閉 ざされ てい る 産 出的

⑤ ステ ロイ ド治療継続

(〜 大学 1回 生夏 まで )

予測可能 分離的 個 々に閉 ざされてい る 産 出的

⑥ 代替的治療 に移行

(大 学 1回 生夏 ) 予測 可能 分離的 個 々に閉 ざされ ている 産 出的

⑦ リバ ウン ドに悩 ま され る

(大 学 1回 生夏〜冬 ) 偶発 的 分離的 個 々に閉 ざされ てい る 欠 落

③ 少 しずつ良 くなって くる

(大 学 1回 生冬以降 ) 偶発 的 統合的 互 い に開かれ てい る 産 出的

5‐ l o歳 lヶ 月〜大学 1回 生の夏 まで (表 で示 した①〜⑤ の時期 )

統制 の次元 では、治療 のための生活管理 を通 じて予測可能性 を確保 しょ ぅとしていた。

治療 のための生活管理 とは、つま り、毎 日朝 と晩に薬 を塗 ることである。薬 を塗ることで 管理 し、身体 は受 け入れがたい偶発性 を埋 め合わせ よ うとす るのである。薬 を塗 り続 ける こ とで、医師に対 して従順 な 「よい患者」 となっていた。 よい患者 は、生活管理 を正 しく 行 うとい うことを重要視す る。薬 を塗 らない と悪化 して しま うとい うこともあ り、私の中 で、薬 を塗 り続 けることが 目的化 して しまっていた。肌の状態が悪化す ると、医師か らは きちん と薬 を塗 り続 けてい るかを問われ ることもあった。

こ うして、ひたす ら生活管理 を してい くことは、身体を治療 され るべき 「それ」へ と変

形 させ 、 自己の 「それ」か ら切 り離 され た もの となる。身体 を、医師に診察 され るもの と

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見 な し、薬 を塗 る対象 と考 える。 ア トピーは命 にかかゎる病いでは ない。治療 され るべ き

「それ」 として、ひ とっのコンプ レックスのよ うな もの と見なす ことで、正面か ら向き合 わず とも、なん とかゃ り過 ごす ことができたのである。身体 とのかか わ りは分離的である。

自らの身体か ら切 り離 された 自己は、他者 との結びつきをほとん ど 求 めな くな り、個 々に 閉 ざされ た もの となる。 ア トピーでぁるのは私で、ア トピーでぁるとい うこ とで、他者 と かかわ ろ うとは しなかった。欲望については、 自分が欲望す るに 値 す る者 である と見なす こ とを止 めて しま うことはなかったため、産出的だった とぃえる 。 ア レル ギーがあ り、望 んで も食べ られない ものはあったが、そのことで欲望がな くなるとい うことはなからた。

脱 ステ ロィ ドを体験 した小学 4年 生 の時 も、ステ ロィ ドについての知識がな く、 自分の 中では 「薬 を使 わない」 とぃ ぅ生活管理 にかわるだけであったので、統制、身体 とのかか わ り、他者 とのかかわ り、欲望の 4次 元 についての私 の認識 は同 じであった。

5‐ 2  大学 1回 生の夏〜冬まで (表 で示 した⑥〜⑦の時期 )

大学 1回 生の夏 に代替的治療 に移行 し、脱ステ ロィ ドをは じめた。表でい う⑥の時期で ある。1回 目の脱ステ ロィ ドを経験 した小学 4年 生の頃 よ りはステ ロィ ドの知識 もあった し、

担 当の先生か らの説明 も受 けたため、脱ステ ロィ ドに取 り組む とい うことはわかってぃた のだが、それ で もまだ、治療 の方法 を別 の ものにするだけだ とぃ う感覚 しかなかった。 そ のため、統制、身体 とのかかわ り、他者 とのかかわ り、欲望の 4次 元 については、上記 と 同様 であ る。統制 については、代替的治療機 関に通 うとい うことによって、治療のための 生活管理 を通 じて予測可能性 を確保 しよ うとした し、身体を治療 され るべき 「それ」 と見 なす ことで、身体 とのかかわ りは分離的であった。他者 との結びつき求めることもなく、

欲望 が欠落す ることもなかった。

変化 が訪れ たのは、 リバ ウン ドに悩 ま され るよ うになってか ら、表でい う⑦の時期であ る。統制 の次元 では、偶発性 は、正確 には受 け入れ られ るものではな く、む しろやむを得 ない もの として受 け取 られ るのである。顔が赤 く腫れ、滲出液が出るな どの予測す ること のできない変化が次々 と現れ、ただひたす ら耐えること以外できることは何 もなかった。

他者 とのかかわ りにおいては、個々に閉 ざされている。できる限 り人 と会 うのを避け、

他者 とかかゎ り合 いた くない と思 っていた。 リバ ウン ドに悩まされたは じめの時期は夏休 み の間で、友人 と遊び に行 く約束 を していたのだが断った。 また、小学校の同窓会がある と聞いたが、久 しぶ りの再会なのに、肌がひ どい状態で会いた くない と思い、これにも行 かなかった。 リバ ウン ドの苦 しみは私 に しかわか らない ものだ と思い、誰かが手を差 し出

して くれ よ うと、見向きもしなかった。 自分の内に閉 じこもる状態が続いた。

身体 とのかかわ りは、分離的である。顔 の腫れ な ど、身体的な苦 しみが 自分の生活を支 配 してい るに もかかわ らず、 自己をその身体か ら切 り離す ことが生き延びてい くための条 件 となるのである。

欲 望 は欠落 してい る。偶発性 に侵 され、それが悪い結果 ばか りもた らすため、 自分が欲

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望す るに値す る者 であると見なす ことを止 めて しま う状態になっ た。 できる限 り人 と会い た くない、 どこに も行 きた くない、新 しい服が欲 しくない な ど、今 まで 当た り前の よ うに 持 ってぃた欲望がまった くな くなった。

5‐ 3  大学 1回 生の冬以降 (表 で示 した③ の時期

)

大学 1回 生 の冬以降は、少 しずっ、でも確実によくなってきて、統制、身体 とのか かわ り、他者 とのかかわ り、欲望の 4次 元 について もまた変化 した。

統制は、⑦の時期 で も偶発的であったが、それはやむを得ず受け入れていただ けである。

この時になって、は じめて偶発性 を受 け入れ ることができるようになっ た。健康 について の表 面的な統制 を放棄 し、変化 し、成長す るための資源 として危機 に 対 して開かれ てい る こ とが現実的な確実性 なのだ とい ぅことを学んだ。

欲望 は産 出的である。人 に会 うことに積極的にな り、新 しい服 も欲 しい と思 うよ うにな り、 当た り前 に持 っていた欲望 を取 り戻す ことができた。 また、ア トピーの 体験 の証言 を したい とい う欲望は、他者 に触れ ることにつながる。他者 とのかかわ りは互い に開かれ た もの とな る。証言 をす るとい うことは、 自分 自身の身体か ら自己を切 り離すための手段 で はない。 自己の身体 を痛みや醜 さまで も含 めて証言 し、他者の肉体にその 痛み を見 る こと を可能にす る。身体 と自己は結びついてぃる。

6、 ま とめ 生後 lヶ

月 でア トピー と診断 され 、 リバ ウン ドを経験す るまでは、私は回復の語 りの中 で生 きてぃた。 ァ トピーであるか ら、病院に通 う。医師の指示に従い、回復するために 薬 を塗 る。 回復 は、身体の外部か らの働 きかけ、すなわち外科的治療や薬品を通 じて 作用す る医療 に よって もた らされ る。 それ で身体その ものの偶発性 は治療 され るかもしれない 。 ア トピーの症状は、ステ ロィ ドを塗 り続 けることでお さまったょぅに感 じられるのであ る。

しか し、それ は、ただ身体の外 にあるものか らの働 きかけ (っ ま り、ステ ロィ ド剤 )に よ つてのみ可能 となる。 この ことが、医療への依存が新たにそれ 自体の偶発性 =条 件依存性

(コ ンテ ィンジェンシー )を 生み出す、 とい ぅ回復 と逆の状態になっているのである。ア トピーのステ ロィ ド治療 はま さにこの条件依存性である。薬 を塗 り続 け、効かなくなれば さらに強い薬 を塗 る とい う繰 り返 しで、治療は行われてい く。そ して、それは身体に蓄積 され てい き、脱 ステ ロィ ドを した時の リバ ウン ドが耐え難い もの となるのだ。また、身体 を治療す るものは、薬 品やサー ビス とぃ ぅ形 を とるに しても、やは り商品である。テ レビ コマー シャル は、 どんな不調 にもそれ に対応 しうる医薬品・治療手段があるのだ とい う観 念 を浸透 させ るもの として、強力な支配的語 りなのであるが、それだけには とどまらない。

それ はまた、医薬品・ 治療手段 を購入 され るべ き品物 として提示す ることにもなっていた

のである。 回復 は単に可能であるばか りではない。それは商品化 されているのである。 ス

テ ロイ ドとい う商品を買 うことで、ア トピー とい う肌が荒れ る不調に対応できると、知 ら

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ず知 らず の うちに思い こま されているのである。 こうして 、統制 は薬 によって予測可能な もの とな り、身体 を治療 され るべ き 「それ」 として自己か ら 切 り離 し、他者 とのかかわ り は個 々に閉 ざされ る。欲望は欠落することはな く、産出的であ り 続 ける。

表 を見 て もわか るよ うに、私の意識が徹底的に変化 したのが リバ ウン ドを体験 した時で ある。 この時期 は、ま さに混沌期 である。物語は語 りとしての継続性を 持 たず、「ひ とっの 出来事が次 の出来事 を導 く」 とぃ ぅ物語 を聴 く側の期待にも応え ず 、ただただ 自分 の身 に 起 こった悪 い結果や苦 しみ を記述す る。今、混沌を言語化 された 物語へ と転換 させ、反省 的 に把握す ることで記述 してぃるが、本 当に混沌の中にいると思ってぃ た時期 は、誰かに 語 ろ うとはまった く思 えなかった ものである。処置をほどこすことので きない苦 しみの中 にいて、耐 えることが唯一のできることでぁった。欲望が欠落 した と感 じたのは この時期 だ けで、何かを欲 して も意味がない と思ってぃた。統制はやむな く偶発的な もの とな り、

身体 と自己が分離す ることが生 きてぃ く条件 とな り、他者 と向き合お うとし ない状態 であ つた。

探求 の語 りを してぃ こ ぅと思 うよ ぅになったのが、 リバ ウン ドを経て少 し ずっ ょ くなっ て きた頃である。語 る言葉 を持たず、ただ 自分め内に閉 じこもっていた 混沌 の時期 とは違 い、 自らの経験 を語 ってい こ ぅと思 うよ ぅになったのである 。統制 の次元では偶発性 を受 け入れ るこ とができるよ うになった。身体 と自己は結びつき、他者 とは 自己の苦 しみ を提 示す ることで、他者 の苦 しみ も理解 し、互いに開かれている関係性である 。欲望 は欠落か

ら立 ち直 り、産出的である。

7、   おわ りに

ア トピーであることを、私は誰で も持っているよ うなコンプ レックスのひ とっ と して認 識す るこ とで今 まで生 きてきた。そ ぅす ることで、 自分の中で折 り合いをつけて きたので あ る。 しか し、脱 ステ ロィ ドとリバ ウン ドを経験 し、今までア トピー と向き合 お うと して いなかった とぃ うことに気付いて しまった。 この病い と何 らかの 形 で向 き合 いたい と考 え るよ うになったが、なぜそ う感 じるのか、はっき りした理由は自分でもよくわか らなか っ た。

そんな時に出会 ったのが、アーサー・w・ フランクの 『 傷ついた物語 の語 り手』である。

この本 は、私 に病い との向き合い方 を教えて くれた。

病 いについての記憶 は、 しば しばその正確 さと持続力 において並はずれたものであると

い う。実際、私 もこの語 りを書 くにあたって、特に混沌の語 りの中にいたと 思われ る時期

についてはっき りと覚 えてぃた。過去の ことが これ ほ どまでに際立った明晰 さをもって 想

起 され るのは、それが過去 として経験 されていないか らだ とい ぅ文章を読み、まった くそ

の通 りだ と感 じた。肌 の状態がかな りよくなってきた と思われ る今でも、その 病 いの時点

でな され るべ きであった語 りを一度 も受 け入れ ることのなかった過去 と闘わねばならない

のである。 この闘いを哲学者 のデ ヴィッ ドOヵ ―は 「その人生を生きてぃる人 間の肩 か ら

(20)

ついには他 の誰 も完全 におろ してぁげることので きない責任」なのだ と述べてぃる。そ し て、その責任 こそが 「その病いの証人 として真実を語る 責任 」なのである。 この ことを学 び、ど うして私がア トピーの体験 を書きたぃ と思 うのか 、説 明 して もらった気分になった。

病 む人が直面す る問題 は、「それ に対 して何をするか」 とぃ ぅところにはない。それはむ しろ、「ぃかにその状況 を受 けとめて応 えるか」にあるの である。私はア トピーの治療に対 して何 をす るかばか り考え、 自ら身体を治療 されるべ き 「それ」 と見な してぃた。 そ ぅで はな く、ァ トピー を受 け とめることが必要であると教えて もらった。ず っ と向き合 うこと を拒絶 してきた問題 とやっ と向き合 うことができたょぅに思 う。

この論文 を書 くことで証言に したぃ と思 う。

[参 考文調

アーサー OwOフ ランク著

;鈴 木智之訳 ,2002,『 傷ついた物語の語 り手―身体・病い・倫理』

,

ゆみる出版

アンソニー・ ギデンズ著 ;松 尾精文 Dま ]訳 ,2004,『 社会学』 ,而 立書房 安保徹 ,2001,『 医療が病いをつ くるァ免疫からの警鐘』 ,岩 波書店

横 山葉子 に関わる母親の認識― ,2005,ア トピーの子を持つ母親が補完・代替医療を選ぶまで一補完 0代 ,奈 良女子大学社会学論集 ;12:195‐ 214. 替医療選択

参照

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