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欧州の大学における日本語教育はどうあるべ舎か 「変則イマーション

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欧州の大学における日本語教育はどうあるべ舎か

「変則イマーション J のすすめ

竹 下 利 明 *

キーワ}ド: ヨーロッパ,変則イマーション,教材,内容,文化史

要 旨

ヨ}ロッパの大学の人文科学系学部で、行われる日本語教育は,外国語教育の新しい理念に沿 いつつも, 「どこの国の国民でもが,学校の教室で学び, また教科書を通じて知的に獲得して いく類の知識 J という意味における「内容 J を持つものでなければならない. カナダの学校教 育における「イマ}ション J はこの要件を満たすが,筆者のところの日本語教育プログラムは 非常に小さく,カナダ方式の本格的なイマ}ションを実施することができないので,「変則イマ

}ション J とでも呼び得るものを考案し,それを試行中である.本稿はその中間報告である.

「変貝 j l 」というのは,①まず,ある学問分野(日本文学・日本経済など)を学生の母語で記述 したテキストを学生に勉強させる.②ついで,学生の頭の中にすでにあるはずの知識を簡潔に 表現した日本語の文章を読ませ,③さらには,同じその知識をこれまた簡潔に口頭日本語で語 って聞かせたり,逆に敷街したり, あるいは質問をして日本語で答えさせたりするという方式 のものという意味である.

筆者が試行中の「変則イマ}ション J は,教師が一人,日本語教育のための総時間数 2 年間で 200 時間(基礎日本語教育 1 6 0 時間+「変則イマーション J 40 時間)というきつい条件の下で行 われており,実施に必要な教材として開発された 2 種類の教科書とそれの活用状況や問題点を 紹介する.

1 .   本稿の目的とその背景ならびに構成 1 ‑ 1 .   本稿の目的と構成

本稿は,主として欧州の大学, それも(科学を人文科学,社会科学, 自然科学と三分した場合 の)人文科学系の学部における日本語教育のあるべき姿の内の一つを示唆し,あわせてそのため の教科書開発と授業活動についての筆者の試行を中間報告しようとするものである。

*  TAKESHITA Tosr 由 k i : ボローニャ大学文学部東洋史学科助教授.

[  2 . 9   ] 

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3 0  

なぜあることを「示唆」し,また「試行 J しているのか,その理由を理解いただくためには(あ るいは同様のことが北米の大学についてもいえるのかもしれないが,その点筆者はよく承知して いないので,今は措き),ヨーロッパの大学の人文科学系学部にしかみられないだろうと推測され る事情を予めご承知願う必要がある.そこで,まず現実に「試行」を実施しているコースを取り 巻く環境を「 1 ‑ 2 . 背景の事情(その l ) J に述べる・この部分は単なる現況報告にすぎ、ないが,上

の「なぜ」に答えるためには是非必要なので記した・ついで,筆者が捉えた上記「推測される事 情 J を「 1 ‑ 3 . 背景の事情(その 2 )」で説明し,それに対処するため「 2 . 変則イマ}ション J に てヨーロッパの大学の人文科学系学部における日本語教育のあり方の一つを示唆し, r 3 . 教科 書 J の項で,それを筆者自らが試みるために新たに開発し,目下実験的に使用中の教材群を紹介 する. そして最後に, その教材をどのように活用しているのかを「 4 . 授業活動 J のところで述 べる.なお,簡潔を旨とし筆者は以下単に「ヨ}ロッパ(ないし欧州)の大学 J といういい方をす るが,その際 r 上記の意における(つまり狭義の)人文科学 J 系の学部を念頭においていっている.

1 ‑ 2 .   背景の事情(その 1 )

筆者が勤務するボロ}ニャ大学には,日本関係教科専任の教官としては筆者がただ一人いるの みである.担当科目は「日本語・日本文学 J で , これは文学部東洋史学科のー選択科目であり,

この他に同学部文学科に「日本語・日本文学・日本歴史 J という包括的な教科(選択科目)があっ て,筆者が兼任している.東洋史学科には日本歴史がなく,文学科にそれがあるのはどのような 深遠な配慮があってのことなのか筆者は未だ承知していないが,講座の名称が「日本語 J ,「日本 語・日本文学 J ,「日本語・日本文学@日本歴史 J ,「日本語・日本文化」のいずれであっても,内 容に大した違いがあろうわけがない。

コースは 2 年制で, 1 年次・ 2 年次コースとも教室での学習時間数は年間で各 1 0 0 時間ぐらい なので, 2 年間では合計約 200 時間。これが使える時間のすべてである。学生数は 1 年次・ 2 年 次いずれも 20 名前後である・

欧州では, EC 統合に歩調をあわせ,教育と学問の分野でも数年前域内大学生交流と単位の相 立認定のための ERASMUSと呼ばれるプロジェクトが発足したので,イタリア以外の欧州諸国 の学生の出席が目立つようになってきた. 自分が勤務する機関がある閣の言葉と学生のみを考え ていれば事足りた時代は急速に過去のものになりつつある.

ボローニャ大学文学部は,イタリアはおろか,ヨーロッパにおいてもおそらくは最大級の文学

部の一つなのであろう, 400 近い教科がオファーされていて壮観で、ある.外国語・外国文学科も

勿論設置されていて, その内部に言語学・言語教育専修課程というのがあるが,(筆者のような

外国語教師の眼からみて)もっとも必要と思われる外国語教授法とか英語教授法,フランス語教

授法といった近代外国語教授法は, 1 9 9 3 〜 9 4 学年度現在では,教科目一覧表に未だ一つも載って

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いない.但し, 00 語教授法なるものがまったくないわけではなく,文学科で古代ギリシア語教 授法とラテン語教授法がオファーされている.古代語教授法の方が近代語教授法に優先するので ある.なお,外国語・外国文学科のすべての専修課程において「 00 文献学(英語の人.. p h i l o l

ogy ) J というのが必修であることも付け加えておこう.筆者は, 日本人の限には古色がかつて みえるこの文学部のあり方が,ヨーロッパの文学部における教科縞成の典型であるということを 積極的に主張するに十分な材料を持ち合わせていないから, そんなふうにいう積もりはないが,

でも,並み外れの例外であるとも思っていない・いずれも大同小異なればこそ単位の相互認定が 可能なのであろうからである.

1 ‑ 3 .   背景の事情(その 2 )

次の会話は日本語教育関係の論文(国立国語研究所日本語教育研修室, 1 9 8 9 )からの引用であ る

. F: 

J  : 

F: 

J  : 

F: 

F: 

J  : 

F: 

J  : 

F: 

J  : 

F: 

J  : 

あのう,すみません.

はい.

インタビュー,よろしいですか.

えっ,インタビュー,なんの.

日本人の労働意識についてです.

へえー,労働意識ですか. ・…・・まあ,いいですよ.

まず,仕事は何時からですか.

仕事…… 9 時からですよ.

何時までですか.

えーと, …・・・いちおう 5 時 1 5 分までです.

5 時…… 1 5 分ですね.

ええ, 5 時 1 5 分 .

きのうも 5 時 1 5 分でしたか.

えーと,きのうは……編集会議がのびちゃったから……何時までいたかな,一…たし か 8時半ごろだったと思いますよ.

F:  え}と, 8 時 ・ ・ ・ ・ ・ ・

J  :  ええ, 8時半です.

もうかなり以前からコミュニカティブ・アプローチの名の下に,少なくとも日本国内において

は,このタイプの日本語が教室でますます盛んに取り扱われるようになってきているようであ

る .

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3 2  

今,この種の日:本語を獲得させるための訓練を欧リ、|、 i の大学の教室で

者.考古学者.歴史家といつた, 日本語教育の何たるかについては,関心も知識も教授技術もな い教官は,口では何もいわないだろうが,心の中では正直なところ,どう思うだろうか.筆者は 正面切って質問をしてみたことはないが,諸般の事情を考慮して察するに,今でも依然として

「大学をなんと心得とる! 大学は外国語を教えたり,学んだりするところではないんだぞ.で も,もし卒業論文を書くためにはどうしても外国語をやらざるを得ないというのなら,あんな中 身が空のおしゃべりをさせるのではなく,文法を教えて翻訳ができるようにしてやれ J と思うだ ろうと推測したら,的外れだろうか.いや,そんなことはあるまい。筆者が身を置く文学部の本 年度講義題目一覧にある「 00 語」講座および「××語・××文学 J 講座のほとんどすべてにお いては文学の講義しか行われず,稀に言葉も射程距離に収められている場合でも γ 文学: 1 9 世 紀ムム文学概説//ムム語:音韻論,形態論,統語論初歩,演習」と書かれているし,また,これ は日付がすでにやや古く, カナダの大学でのことではあるが, γ 大学においては,外国語のコー スもアカデミックなコ}スとしての条件を満たさなければいけないと考えられている.このた め,ここに述べたような方法論(コミュニケーションの能力開発を目指した方法論:筆者注)は概 してアカデミックでない(文法を組織的に教えない)という理由だけで無視されがちである」(蛍作 1 9 8 5 )という証言もある.

水谷( 1 9 9 0 )は「一見(従来と日本語学習の:筆者注)目的が同じように思える人たちでむ実質的

な目的が変化している場合もある.たとえば,アメリカやヨーロッパの日本学の専門家たちが日

本語を勉強して,研究の土台にしようとするのにも, 20 年前には,読めるということが非常に

重要であったのが,どんどん日本人の学者と交際し,フィ}ルドワークをするという目的の必要

性も高まって,話すことが重要だという認識が大きくなってきた.現在では話す日本語,話され

る日本語というものを学習することが常識になってきている J というが,この発言は誤解を招き

やすい. 日本のことを研究している若いヨーロッパ入学者が口頭言語を重視するようになってき

ているのは確かだが,この先もう 20 年ぐらいはヨーロッパの日本学を采配していくことになる

はずの教官の聞では「話す日本語,話される日本語というものを学習することが常識になってき

ている J とは未だ必ずしもいえないのではないか.この点,ゲーネンツ( 1 9 9 1 )個人には前向きの

姿勢がみえるが, 1 0 年ぐらい以前の西ドイツについてくdt i s   e s p e c i a l l y   i r r i t a t i n g   t h a t   t h e r e  

i s   h a r d l y   a s u 日 c i e n t c o n s e n s u s   c o n c e r n i n g   t h e   t y p e   o f   l a n g u a g e   competence  which  i s  

t o   be t r a i n e d .   On t h e  o n e  hand t h e r e  i s   s t i l l   t h e   n o t i o n   t h a t   i t   i s   s u f f i c i e n t   t o   be a b l e  

t o decode  J a p a n e s e  t e x t s  ( e s p e c i a l l y  p r e

modernt e x t s ) ,   and on t h e  o t h e r  hand emphasis 

i s   p l a c e d  on competence i n  t h e  spoken l a n g u a g e .   I t   i s   s t i l l   by no means commonly c l e a r  

t o   what  e x t e n t   t h e   f o l l o w i n g   a b i l i t i e s   s h o u l d   be d e v e l o p e d :   1 )   r e a d i n g   a b i l i t y ,   modern 

t e x t s ;   2 )   r e a d i n g   a b i l i t y ,   p r e

modernt e x t s  ;  3 )   t h e   a b i l i t y   t o   w r i t e  t e x t s   i n  J a p a n e s e  ;  4 )  

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3 3   t h e   a b i l i t y   t o   s p e a k  J a p a n e s e  and u n d e r s t a n d  t h e   s p o k e n  l a n g u a g e . ≫   ( K r a c h t ,  1 9 8 5 )とも読 める.僅か 5 〜 1 0 年の歳月で, ドイツ人日本学教官の考えが一致して,今では大多数の学者が

「話す日本語, 話される日本語を学習せよ J との考えをもつに至っているとは, いかにも考えに くいだろう.最近, ドイツ語圏のある有力な日本研究センターにおける日本語教育の授業を参観 したことのある方にお話を伺う機会があったが,そこでは,今でもまず文法を教え,直ちに古典 読解の訓練にかかるのだそうである. 日本側が,いつでも少数特定の外国人学者にしか日本語教 育について意見を徴さないとでもいった事情があるのだろうか,現場欧州の大学に身を置く者の 眼からみれば,こと狭義の人文科学系のヨーロッパ入学者に関する限り,引用の水谷発言は「木 を見て,森を見ず J の感がある.

1 ‑ 3 ‑ 2 .  

筆者は,ヨーロッパ人大学教授一般の外国語教育というものに対する姿勢と日本学専攻のヨ}

ロッパ入学者の日本語教育に対する姿勢を,例外は勿論あるだろうが,大体上記のようなものと して捉えている.体験と見開が深まるにつれ,この方々が,なぜこうゅう考え方をするのか分か るような気がするようになったので,これらの諸先生について云々しようとは思わない.欧州人 同士の聞では,隣の国へ出稼ぎに行き,数年間建築現場で一心不乱に働いてお金を貯め,帰国し てからハッと気が付いてみたら,その国の言葉をほぼ完壁に操る能力まで持ち帰っていたという ことがおこるのは少しも驚くにあたらないことなのであるし,また,ギリシアや中近東,アフリ カなどから欧州 i へ移住した者が,半年〜 1 年もしたら,移住先の国の言葉を器用に操って,その 国の官憲を相手に互角に口論すらできるようになるといった現実を目の当たりに嫌というほどみ ているのだ.外国語(とくにコロクイアルな言葉)などなにも大学の教室で教えたり学んだりする ほどのものではないとする気持ちが分かろうというものである.

「あのう,すみません J ,「はい J ,「インタビュー,よろしいで、すか J ,「えっ,インタビュー,な

んの」といった日本語の訓練を,事情の分かる日本学の学者はいずれは認めてくれるものと思う

が,西洋哲学,英文学,西洋中世史,あるいは,美学といった日本ととくに関係があるわけでも

ない学問をしている圧倒的多数の教官は,半世紀先, 1 世紀先はいざ知らず,今後ともまだまだ

かなり長い間認めではくれないものと思わねばならない・ もっとも,彼らが認めないのは,基本

的にはその彼らの関心が欧州の域外にまではなかなか及ばないからなのだが,それを突いていて

もはじまらないし,また突くべきでもない.効果的な日本語教育がヨーロッパの大学にも本当に

根付くためには, ほんの一握りのそのまた 1 〜 2 パーセントばかりの日本学の教官のみに認めら

れただけではまことに不十分なのであって,いかなる専門の学者にも大学教育に相応しいものと

して承認される必要がある.そして,そのためには, 日本語教育(さらには,一般に外国語教育

というもの)の方が外国語教育の新しい理念に沿いつつも,ヨ}ロッパ入学者の考える基準に合

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3 4  

うものになるよう己れのあり方を改めていかなければならないのだ.さもなかったら《Language programs  a r e   b a s i c a l l y   s u p p o r t e d   by t h e   c h a r i t y   o f   t h e  t e a c h e r s .   [  . . .  ]  t h e   d i r e c t o r  o f   t h e  l a n g u a g e  program i s   n o t  a  l a n g u a g e  t e a c h e r   b u t  a  J a p a n e s e  s t u d y  p r o f e s s o r .   In s h o r t ,   t h e  l a n g u a g e  program h a s  been a l w a y s  c o n s i d e r e d  a s   a  s u b o r d i n a t e  i n  t h i s  s c h o o l . ≫   ( I i n o   1 9 9 3 )といった情けない状態からなかなか抜け出すことができないだろう. この引用は米国のペ

ンシルベニア大学の現状を語る論文の一部であるが,これはこのままヨーロッパの大学の偽らざ る実情でもある.そこでは,習得の難易度が先にみた程度のものでしかない独仏語などの教育が 二軍ないしそれ以下なのは蓋し当然なのであろうが,それとは同列に扱えないはずの日本語教育 などもやはり二軍なのであり,そのような扱いの教育に質的向上など望むべくもないこと論を侠 たない.昇格のためには究極的には政治レベノレの施策が必要で、あるが,それに先立ってしなけれ ばならないことがある.そこで重ねて言うが, 日本語教育・外国語教育のあり方を抜本的に改革 し,以て「外国語教育も大学教育に相応しい(というより,必要な)ものだ」と認、識を改めてもら える方式のものを開発せねばならないのだ。実は,外国語教育の側にも解決すべき問題があるの だからどんな問題があるのか.

1 ‑ 3 ‑ 3 .  

いわゆる「新しい」教授法ないし r 新しい J 理念が叫ばれるようになってから新たに発生した 問題がそれである.その最たるものの一つは,少なくとも初級段階においては「内容がない J と いうことであろう. こういうと,国立国語研究所から,「 1 ‑ 3 ‑ 1 に引用の当研究所著作のモデ、ル 会話は無内容だというのか」とお叱りを受けそうである.でもここにいう「内容 J というのは日 本語教師の限でみた γ 内容 J とは別物なのである.「お父さん J などという言葉を教える手間に,

なぜ「資本主義 J という言葉を教えないのかと関われるのである.「こうゅうものこそ学生に読 ませなくては J といって r 万葉集 J を教室で読むことを勧められるのである.つまり,ここにい う「内容」とは,どこの国の国民でもが,学校の教室で学び, また,教科書を通じて知的に獲得 していく類の知識・情報のことである.それを初歩の段階から何とか巧く日本語教育の中に織り 込んでいく(というより,日本語教育と日本史なり日本文学なりの教育を一体化する)必要があ る.こういうソフトウェアを備えた日本語教育・外国語教育でなければ,ヨーロッパの大学で、は そこでの教育に相応しいものとして一人前に扱ってもらえそうもないと思う.そして,そのソフ トウェアを巧く利用して,たとえ 1 ‑ 3 ‑ 1 のモデル会話ほどこなれたものではないにもせよ,口頭 言語の訓練も同時にすることができたら,日本語教師にとってもかなり満足のいくものといって

よいのではないだろうか.

でも,こう欲張ってみても,一体そんなことが「 1 ‑ 2 . 背景の事情(その 1 )」に述べたような微

微たる存在の日本語コースでも可能なのだろうか.

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3 5  

2 .   変則イマーション

筆者に課せられた任務は,「一人で、 J , r z 年開に J 「200 時開」という枠内で日本語,日本文学,

日本歴史についてそれだけで纏まりのある何かを学生に与えることである.

今から 1 0 年近く前に 3 年間 ( 1 9 8 5 〜87 )にわたって,毎年秋に,新学年度授業開始までの 2 ヵ 月間を利用して日本詩集中コースを実施したことがある.その時の備忘録(Takeshita1 9 8 9 )に は,筆者の念頭にあったさまざまな目的の中に「将来日本語・日本文学が必修科目になった場合 に備えて, 日本歴史, 日本文学,文語, 日本語学などの講義を日本語で行うことができるように するためには,何をどうしなければならないのかについて手掛かりをつかんでおくこと」とあ

, 1 9 8 7 年に集中コースを終えた時には「予め学生に多少の日本語運用能力を与えた後,教師が 己れの日本語をコントローノレし, かつ学生がその日の講義の内容を予め知って(つまり, 知識を すでにもって)教室に臨むのならば,日本語で講義をすることは可能である」という結論がださ れている. 日本における留学生予備教育では,日本語で地理も歴史も数学も教授するのが当たり 前なのであろうが,それに「似たようなこと」を海外で 200 時間という時間的制約の下でやって みることにした.いつだったかどこかで,韓国では大学の 3 年次・ 4 年次には日本関係の教科は 日本語で講義されるという話を聞いたか読んだ、記憶があったし,またヨーロッパでもワルシャワ 大学では「2年からは翻訳以外の講義をすべて日本語で、行い,語葉解説,文法説明などの際もポ

}ランド語は使わないようにしている」(岡崎 1 9 8 9 )ことも後に知った. 同種の試みは世界の方 方で行われているに違いない・

筆者が集中コースでの経験で得た結論を端的にいえば,「変則的なイマーションなら可能だ J

ということである.「変則的な J というのは,①まず日本史なり日本文学なりについての知識を イタリア語を通じて学生に与え,②ついで(学生の頭の中にすでに入っているはずの)その知識 を簡潔に表現した日本語を読ませ,③さらには同じその知識をこれまた簡潔に口頭日本語で語 って聞かせたり,逆に敷街したり,あるいは質問をして日本語で答えさせたりするという形式の ものだからである.換言すれば,カナダのパイリンガノレ教育における本来のイマーションが第二 言語を通じて新たな知識を獲得させるのと違って,未知の知識・情報なりを「いきなり J 日本語 で獲得させようとするものではない(つまり,変則的だ)からである.この点に基本的な替想があ った.外国語を勉強したことのある人ならば,自分がまったく知らないことを外国語で勉強する のは辛いが,多少なりとも知っていることが書いである文章なら,たとえそれが外国語で書かれ ていても,比較的容易に読み進むことができるし,読みも深いという経験を必ずやしたことがあ

るに違いない.

上記の意味における「変則イマーション」のための教材はどこにもなかったから, 日本語教育

と日本史・日本文学の教育を統合・一体化し, 「内容」のあることを日本語で扱うための教材を

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3 6  

開発する必要があった.筆者の頭に浮かんだ、構想は「基本教材として対を成す教科書をこ種作成 する.一つは,学生に母語を通じて知識・情報を与えるためのく母語による教科書〉. もう一つ は , 日本語を読ませるためのく日本語による教科書〉」というものであった.

3 . 教 科 書 3 ‑ 1 .  

丁度その頃,日本語教育学会から日本事情シリ}ズの一つ,農田・阿部著「日本の歴史』( 1 9 8 8 ) が刊行になった. 痘ちに考えたことは, 同書のテキストを敷街して 4 〜 5 倍にしたものをイタリ ア語で書くということであった.しかし,これは恐ろしく困難な作業であったし,また,そこに 用いられている日本語が,いかに上記 2 . のごとき「変則的な」措置を講じて,ワンクッションを 置いたにもせよ, 200 時間という制約の下では余りに難しすぎるように思えたので(現に「本書 は , 400 時間程度の日本語学習を終えた者を対象に作成しである J と書かれている),一切を放棄

し目的にあった教材を新たに開発することにした.

3 ‑ 2 .   学生の母語による日本文化史の教材

まず最初に,学生に母語イタリア語を通じて知識を与えると共に専門用語・固有名詞をコンテ クストの中で提出するための教材を作ることにした.内容は,担当の教科との関

b

連で「日本文化 史」が最適に思えた.幸いなことに, 日本語を教えるようになってから, 日本文学, 日本歴史,

仏教,儒教, 日本文化一般について岩波新書, 中公新書,講談社現代新書などを少なくとも s o

冊ぐらいは読んであったので,文部省検定済み中学校・高等学校用日本史の教科書数冊を参考 に,結構楽しく作業を進めることができた.参考資料 1 はその見本のページである.

このイタリア語版日本文化史の教材は,学生にとっては「解くべき日本語」を読むに先立つて 解答と解説に接するためのいわば「虎の巻 J であり, したがって筆者にとってはあくまでも日本 語教育用教材なのであるが,その性質上日本史,または日本文化史の入門書として読むことも可 能である.ただし,その場合には記述の態度がイタリアにおける日本学の伝統に沿ったものでな ければならない・でなければ読む者は迷惑を被るだろう・この点が心配だ、ったので,稿が成った 時,東アジアの歴史と文明を専攻のある高名なイタリア人の先生にお願いして添削していただい た・この種の教科書は,最初から日本語教師と,ある分野の専門家とが組んで作業をしたら,優 れたものができるだろうと思われる.

専門用語・固有名詞の採録・不採録については確固たる基準があったわけではない・検定済み

教科書に出ているか否か,出ていたらゴシック体で印刷されているか否かがきわめて大まかな基

準になったにすぎない・日本文化史としての内容に葉点を置いたので, r この漢字は難しそうだ、 J

(9)

とか逆に「易しそうだ J といったことは一切考慮しなかった.

3 7  

記述の程度は,政治史については日本の中学校用日本史教科書の程度をやや下回り,文化史に ついてはほぼ高等学校の程度といったところだろうと思う.分量は政治史が全体の 1 / 3 ,文化史 が 2 / 3 で,全 3 0 0 ページ強である.巻末に非常に詳しい語句索引を添えた.

3 ‑ 3 .   日本語による日本文化史の教材 3 ‑ 3 ‑ 1 .  

日本語版の日本文化史(以下単にく日本語版〉という.参考資料 2はその見本)作成作業の中心 となったのは,上記イタリア語版の日本文化史(以下単にく伊語版〉という)の各ノ f ラグラフの内 容を 1 / 4 〜 1 / 5 (場合によっては 1 / 1 0 )に圧縮し,最初の 1 5 0 〜 2 0 0 時間の基礎日本語学習で普通習 得が期待されているだろうと思われる構文を用いて簡潔に表現することであったが,この点をや や敷街すると,次の諸点を指摘することができる.

1 .   伊語版と日本語版が密接に連動されているということが,伊語版が「虎の巻 J として有効 に作動し日本語版の理解を助けることになるポイントである.母語版の内容に沿って学生の 母語で講義をすれば,なお一層よいのはいうまでもない・時間に余裕があったらすべきであ る.時間が少なく,講義と母語版のいずれかを省略せざるをえない場合には,講義を省略 し,母語版を是非作って学生に与えるべきである.その方が教室での時間を有効に使うこと ができるし,学生はいつでも参照できる「虎の巻」が手もとにあって好都合であろう.

2 .   日本史・日本文化史を語る日本語として自然に響くものであることに意を用いた.伊語版 で提出した専門用語・固有名詞はそのままゴシック体の漢字で提出したし,一般用語や表現 も,原則として心に浮かぶままのものを用いた.そのため,高級に思える言葉(日本人には錯 覚でそう思えるにすぎないのかもしれない)でページが埋まったし,「最初の 1 5 0 〜 2 0 0 時間 の基礎日本語学習で普通習得が期待されているだろうと思われる構文を用いて簡潔に表現す ること J も守ることができないこと頻繁であった.この鍛寄せを次項で述べる単語リストで 何とか解決しなければならないこととなった.

学習者が自習の際も「質問一応答」の練習を自分一人ですることができるように,これまたテ キストに密着した質問を多数用意し,巻末に添えた(参考資料 3 ).質問は,原則として,テキス トの一部を読めば, それがそのまま解答になるように作つである.ただし, 単調を破るために,

非常に稀ではあるが,伊語版にも日本語版にも書いてないことに触れることもあった.この日本

語版により,伊語版で、身につけた日本史・日本文化史上の事実,事項についての知識が「日本語

を通じて」一層確実なものになることのみならず,母語版で一応は身につけた専門用語が日本語

の文脈の中で改めて把撞されることも大いに期待されている.歴史用語や人名は,日本語で日本

史を勉強したか否かで理解度にとくに大きな差が生じる(柳田・小泉 1 9 9 0 )のだそうである.

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3 8  

読解を「文章を目で追って,その意味を理解し,新たな知識・情報を獲得すること J と解釈す ると, 日本語版を読むことは(そこに何が書いであるのか読み始める前にすでに知っているので あるから)読解ではなく,初級の学習要領の域を出るものではないといわねばならない・

3 ‑ 3 ‑ 2 .  

日本語版の日本語は「日本史・日本文化史を語る日本語として自然に響くもの J である.とい うことは,ひたすら論理的・客観的に事実を述べる文章であり,言葉の持つ感性的・情緒的な面 や社会言語学的な面がほとんど抜け落ちてしまっているということを意味する.これは重大な欠 陥である.この欠陥は教室における授業活動や他の教材で補われなければならない.

「母語版の教科書」と「日本語版の教科書」は,ページ数に差があっても,原理的には情報量 はほぼ同じと考えられるが, 片方がもう片方の単なる翻訳(対訳)であってはならない・ 「日本語 版 J は「母語版」の要約でなければならない・ただし,何ノ ξ 一セントぐらいに縮めるのが効果的

なのか今の筆者には分からない・

今年(1 9 9 3 〜9 4 学年度)は「変則イマーション」の試み 2 年目で,昨年も今年も,基礎日本語教 育を大体 1 6 0 時間施した時点でなんとか「試行」をはじめることができた.現在はこの基礎日本 語教育には国際交流基金の「日本語初歩 J を用いているが, 日本語版へスム}スに移行するのは なかなか困難で,かなりの工夫をしなければならない.合目的的な教材の必要を感じる.

3 ‑ 4 .   単語リスト

日本語版は,窪田( 1 9 8 9 :1 0 5 )が「煙突方式」とよぶ方法論のための教科書のーっといってよ い ・ ということは,これを読むためには充実した辞書が必要不可欠だということである.

日本語教育の分野で開発がもっとも遅れているのは日本語学習辞典であろう. 日本人用に数多 ある「和 O 辞典」は,いずれも編者・執筆者の精魂がこもっていて芸術品の香りすら漂わせてい るが,外国人用日本語学習辞典としてははなはだ不満なものであること我々の世界では常識であ ろう.

そこで,上記 3 ‑ 3 の敏寄せの問題もあり,どうしても自分の手で日本語版を読むのに必要な限 りの単言苦リストを作らざるを得なかった.これがなかったら,そもそも「変則イマ}ション J は 実施不可能なのである.柏岡 ( 1 9 9 3 )に啓発されたり, 日本留学から帰国したばかりの若いイタリ

ア入学者に協力してもらったりで,最終的には参考資料 4 のごときものとなった・辞書, 文法

書,注釈書,それに練習帳を一緒にしたものを 4で割ったといった雑然とした内容である.いず

れは学生に「使用後感 J を徴する予定である.

(11)

3 9  

4 . 授 業 活 動 4 ‑ 1 .  

すでに少し触れた通り,目下のところでは「変則イマ}ション J 開始以前に基礎日本語教育が 約 1 6 0 時間行われる.これは教室での授業活動を原則として日本語で行うのに最低限必要な日本 語運用能力を与えることを専ら目指したものである. したがって,この教育がしかるべき効果を 上げ得なかったら,如何なる方式のものであれ,「イマ}ション」は実施不可能なのであるから,

日本語教育のプログラム全体の成否は,この基礎教育を如何に効果的に行うかにかかっていると いわねばならない. 1 年次のはじめに方法論の背景を説明し, その時に差し当つての到達目標

(すなわち,「変則イマ}ション J 実施に必要な最低限の日本語運用能力の獲得)を示し,それま での間は内容が幼稚である旨を伝える.

4 ‑ 2 .  

「変則イマーション J については, その効果的なクラス運営のあり方を模索中であるが, 現在 のところは,

1 .   伊語版は宿題として家で学習させる.学年度末の試験の際にその内容についてイタリア語 で口頭試問を行う. 1 年次は縄文時代から江戸時代末まで, 2 年次は明治維新から太平洋戦 争終結までである.口頭試問の際に,日本語で提出されている専門用語・固有名詞の主なも のは正確な発音でいうことができるのは求めるが,それを読んだり,書いたりすることは要 求しない.

2 .   日本語版は,つぎのレッスンで学習するところを予め筆者が 1 回読んで聞かせる.学生は 次回のレッスンまでに伊語版の関係箇所を読んで復習し,その内容を自分なりに(勿論イタ リア語で)要約する. ついで, 単語リストを参照しながら日本語版を読む. 1 回読み終わっ たら,すらすらと読めるようになるまで 1 0 回でも 2 0 回でも繰り返し音読する. 少なくと も,以上の準備をするのでないならば教室に出てきても無駄である旨学生はいい渡されてい る.(しかし,この努力を全員に期待することはできるものではないらしい.)

3 .   教室では,私も学生も繰り返し(勿論日本語版の)テキストを朗読した後,質問を交えなが

ら筆者がコントロールされた日本語でパラフレーズしたり,多少敷街したり,地図を用い

たり,あるいは図・絵などで表現したりして意味を説明する.学生がすでに意味を解してい

ると思えても,行うこと自体に意義があるので,やはり行う.(イタリア語への翻訳は,その

必要がないこともあり,まったくしたことがない)その後, 参考資料 3の質問をし,答えさ

せる.すらすら朗読できる者は答えることができるが,読めない者(上記 2 . の予習をせずに

(12)

出席した者)は,そもそも質問の意味が分からないのであろうから,当然答えられない・

4 .   新出の文法事項は,単語リストにも説明しであるが,教室でも改めて手際よくイタリア諾 で説明する. さまざまなことで教室の中にイタリア語が響くのは 4 5 分間中平均 5 分間ぐら いだろうか.

5 .   2 年次の学年末試験では日本語版のテキストを音読させ,内容について日本語で初歩の(幼 稚な)口頭試問を行う.言葉の正確さよりも即座に応答できるか否かをみる.

6 .   「変則イマーション J 開始後も時間を特定し,基金の「日本語初歩」を並行して使用し続 ける.

書く訓練の指導が疎かになっている.その解決のために一つ考えられることは,宿題として日 本語版巻末の質問(参考資料 3 )に筆記で答えさせ,添削して返すというものであるが, まだ実施 したことがない・いずれしなければならない. しかし,一人で何もかもというのはなかなか大変 なことではある.

5 . お わ り に

以上で,骨子にあたる部分のみを述べた.全体がまだ荒削りだし,これから準備しなければ、な らない教材(とくに,漢字の教材と「変則イマーション J をはじめるまでの基礎日本語教育用の 教科書)の問題もあるし,指導上も改善すべき点は多々あると承知しているが, 1 0 年近くも前に はじめた暗中模索がやっと具体的なものになってきて,どうやら一段落したようだとこの頃感じ ている. 「日本語・日本文学 J が将来 4 年制の教科に格上げになった場合, 4 年次のカリキュラ ムの一環として行うことになるはずの翻訳の訓練は別として, 1 年次の第 1 時間目から 4 年次の 最後の日に杢るまで,文学や歴史などの指導も含め教室での授業活動を一貫して日本語で行うの

に必要なノウハウを握ることができたかなとも思っている.

くどいようだが,最後にもう一言.拙稿で示唆した方法は,いわば苦肉の策なのであって,現 在の支配的な外国語教育理念からかなり外れたものであると筆者は自覚している.でも,声高に 叫ばれる理念にただただ翻弄されるばかりで,ヨーロッパの大学の人文科学系学部の伝統(見方 によっては, 問題)を無視して突っ走ろうとする外国語教育は, 己れの活動の基盤・環境を改革 していくための原動力には遂になり得ず,長期的にみて結局たいした実を結ぶことはできないで あろう.

謝 辞

起稿に当たりペニス大学外国語・外国文学部日本科の浅井朋子先生に御教示をいただくところ

があった.記して御厚意を謝する.

(13)

参考資料 1 

P a c o  p r i m a  d e i   t e m p i  d i   N o b u n a g a  e 丘 i ば θ yoshi e r a   P R I 阿 IC O N T A T T  I  I  i n t e r v e n u t o  u n  e l e m e n t o  d e c i s a m e n t e  n u o v o   n e l  l a   C O N  G L  I  E U R O P E  I  I  s t o r i a  d e l  G i a p p o n e ,   a p r e n d o  q u e l l '  a r e a  d i   c i r c a   c e n t o  a n n i   c h e   g l i   s t u d i o s i  o c c i d e n t a l i  d i   s t o ‑ r i a  g i a p p o n e s e  c h i a r n a n o   ≪ s e c o l o  c r i s t i a n o 》 (t r a d o t t o i n  g i a p p o n e s e   s o l  i  t a r n e n t e  c o m e  k i r i s h i t a 刀 刀 O S θ i l u キリシタンの世紀 m e t a  d e l   XVI  s e c .  ‑m e t a  d e  1  X V I I   s e c .  )  . 

I n  s e g u i t o  a l l e  g r a n d i   s c o p e r t e  g e o g r a f i c h e  e f f e t t u a t e  i n t o r n o  a l   1 5 0 0   d a  n a v i g a t o r i  e d  e s p l o r a t o r i  e u r o p e i ,   i l   XVI  s e c o l o  v i d e  p o r ‑ t o g h e s i  e  s p a g n o l i  e s p a n d e r s i  o l t r e m a r e .   I  d u e  p o p o l i ,   i n  p a r t i c o l a ‑ r e   i  p o r t o g h e s i ,   c o n d u c e v a n o  a l l o r a  i n t e n s e  a t t i v i t a  c o m r n e r c i a l i   i n   A s i a ,   s e r v e n d o s i  c o m e  b a s e  d e i   l o r o  p o s s e d i m e n t i   i n   I n d i a   ( G o a ,   p o r ‑ t o g h e s i ) ,   s u l l a   p e n i s o l a   d i   M a l a c c a  ( M a l a c c a ,   p o r t o g h e s i ) ,   i n   C i n a   ( M a c a o → c a r t a  1 1 ,   p o r t o g h e s i )   e  n e l l e  F i l i p p i n e   ( M a n i l a ,   s p a g n o l i ) .   L a  l o r o  v e n u t a  i n  G i a p p o n e  e r a  i n   o g n i  c a s o  s c o n t a t a .  

N e l   1 5 4 3 ,   n e l  b e l  m e z z o  d e l  c a o s  d e l   p e r i o d o   S θ o n g o l w   a p p r o d o  a c  ‑ c i d e n t a l r n e n t e   a l l '  i s o l a   d i   n o r n e   J ' a n e g a s M m a   (種子島→ c a r t a3 ) ,   a  s u d  d e l   ! { y ( } s h u ,   u n a  n a v e  m e r c a n t i l e  s t r a n i e r a  c h e  e r a  d i r e t t a  i n   C i  ‑ n a .   A  b o r d o  ce r a  u n  f o r t e  n u m e r o  d i   p o r t o g h e s i .   I  g i a p p o n e s i  e b b e ‑ r o ,   c o s i ,   i l   p r i m o  c o n t a t t o  d i r e t t o  c o n  g l i   e u r o p e i   e  v e n n e r o  a  c o ・

n o s c e r e  c o n   lo c c a s i o n e  i l   f u c i l e   ( p e r   le s a t t e z z a  a r c h i b u g i o  a  r n i c ‑ c i a   [ h i n a w a j ( i 火縄銃]→ i l l . 8 2 ) .  

0  L  d f  f 山 山 t ( ‑ . ‑ . i l l .   8 3 )   d  a r t i g i a n i ,   s p e c i e  d e l l a  c i t t a  d iぬkai ( → § 2 9 ) .   S i   d i c e  c h e  d o p o   s o l o  a l c u n i  a n n i  d a l l '  a r r i v o  du n  p a i o  d i   p r i m i   e s e r n p l a r i   Nobu

a g a d i s p o n e s s e  g i a  d i   u n  r e p a r t o  d i   f u c i l i e r i .   I l   r e p a r t o ,   u t i  

l i z z a t o  a b i l m e n t e  d a  Nobu 刀 ・ a g a , s v o l s e  u n  r u o l o  f o n d a m e n t a l e   p e r   lo p e r a  d i   u n i f i c a z i o n e  n a z i o n a l e .   ( → i l l .   8 4 )  

L a  v e n u t a  d e i   r n e r c a n t i   p o r t o g h e s i  f u  s e g u i t a  d a l  la r ・ r i v od i   n u r n e ‑ r o s i  m i s s i o n a r i  c a t t o l i c i ,   d i   c u i   i l   p r i r n o  a  m e t t e r e  p i e d e  i n  G i a p ‑ p o n e  n e l   1 5 4 9   f u  F r a n c e s c o  S a v e r i o   ( s p .   F r a n c i s c o  d e  X a v i e r ,   g i a p p .   F u r a n s h i s u k o   Zabiθ•r

d e l l a  C o m p a g n i a  d i   G e s 色 ( I i θ , z u s u k a iイエズ、ス会 d e t t oa n c h e  f 註 s o k a 1 , 耶 蘇会). I  g i a p p o n e s i  da l l o r 、 au s a v a n o  i  l  t e r 、 m i n ekirishitan  (キリシタ

ン d a lp o r t o g h ,   c h r i s t a o )   p e r  r i f e r i r s i   s i a  a l l a  r e l i g i o n e  c a t t o l i ‑ cache a i   c a t t o l i c i .   I  r n i s s i o n a r i   v e n n e r o  c h i a r n a t i   b a t e r e n   (伴天連 d a l   p o r t o g h .   p a d r e ) .  

N e l   1 5 8 4   g i u n s e r o  a n c h e   i  p r i r n i   r n e r c a n t i   s p a g n o l  i .   I  p o r t o g h e s i  e  g l i   s p a g n o l i ,   f r a  i  q u a l i  g l i   i t a l i a n i   s i a  p u r e  p o c o  n u m e r o s i ,   f u r o ‑ n o  c h i a m a t i   nanbanjin  (南蜜人 b a r b a r i  d e l   s u d )   s u l le s e m p i o  d e i   c i ‑ n e s i  c h e   l i   c h i a m a v a n o  a p p u n t o

b a r b a r id e l   s u d

》,

s i ap e r c h e  i  c i n e  

s i   e r a n o  f o r t e r n e n t e  e t n o c e n t r i c i   ( c h u k a  s h i s 6 → § 8 ) ,   s i a  p e r c h e  q u e ‑

s t i   e u r o p e i  v e n i v a n o  v i a  m a r e  d a l   s u d ,   e i n  g e n e r a l e   q u a l s i a s i  c o s a  

c h e  a v e s s e  ache f a r e  c o n   l o r o   p r e s e  n e i  r e l a t i v i  v o c a b o l i   i l   p r e ‑

f i s s o  nanban ( p .  e s .   nanbanji 南蛮寺 t e m p i o  d e i  b a r b a r i  d e l   s u d , .   o s

(14)

参考資料 2

成することが j できなかった。信畏の死後、その家臣だ

せい l で き ま せ ん で し t 。 し ご

った豊臣秀吉(1 5 3 6 〜9 8 )が統一事業を引き継いで、 1 5 9 0

とよとみひでよし ひ っ

年に日本全国を統一 j した。

l し ま し t o , 

秀吉は太閤検地や万狩を行 j った。また、武士は城

たいこうけんち かたながりおこな, l い ま し L ふ し じよう

下町に住まなければならなく j なった。こうして、徳川

か ま ち す ,  l な り ま し t 。 とくがわ

封建社会の基礎が l できた。

ほうけんしやかい き そ l で き ま し た 。

[ヨーロッパ人との接触 J 1 5 4 3 年にポルトガル人が鉄

せっしょく てつ

砲を伝えた。信長は統一事業に鉄抱を活用した。 1 5 4 9 年

ぽう った かつよう

にはイエズス会宣教師フランシスコ=ザピエルが日本

かいせんきょうし Francisco  de  X

vi

参考資料 3 

太閤検地というのは「秀吉が行った検地 j という意味

おこな

い司弘

なのですね。//武士はどこに住まなければならなくな

ぷ し す

りましたか。//それは城の周りにできた町ですか。

し ろ ま わ まち

( d ) l 5 4 3 年にどんな事がありましたか。//鉄砲は信長の統

こと てつ £ 1 う とう

一事業に役立ちましたか。//1 5 4 9 年にはどんな出来事

い つ じ ぎ よ う や く だ で き ど と

がありましたか。//そのキリスト教はカトリックでし たか、それとも、プロテスタントでしたか。//当時の 日本人はキリスト教を何といいましたか。//キリシタ

なん

ンという言葉には別の意味があります。どんな意味で

こ と ば ベつ い み

にキリスト教を伝えた。当時の日本人はキリスト教もキ すか。 //細川|ガラシア(G r a c i a ; 1 5 6 3 ‑ 1 6 0 0 )という

きょう とうじ ほそかわ

リスト教徒もキリシタンと呼んだ。また、九州の平戸 女性がいました。信長を殺した明智光秀の娘で、ガラ

きょうと よ きゅうしゅうひらど じょせい こ乃 島 け ち み つ ひ で む す め

や長崎で南蛮貿易が始まった。 シアというのは n o m ed i   b a t t e s i m oです。 細川ガラ

なが色き なんぱんぼうえき はじ

信長はキリスト教を保護した。秀吉は、初めはキリス シアはキリシタンでしたね。

l まこ 1 :

;じ

ト教を黙認していた。しかし、キリスト教が全国統一の ( e )ポルトガルやスペインの商人は日本と貿易をしまし

もくにん しようにん 1 まうえき

妨げになるのを恐れて、後には禁止するようになった。 た。この貿易を何といいますか。//それはどこの潜で

さまた お そ の ち き ん し みなと

秀吉の死後、関ケ原の戦い(1 6 0 0 )が行われ 行われましたか。//信長はキリスト教を保護しました

おこな おこな l ま こ

か。//秀吉はどうでしたか。

とくがわいえやす

将軍に任命されて、江戸(今の東京)に幕府(徳川幕 ( f )将軍に任命され、江戸に幕府を開いたのは誰ですか。

しようぐん にんめい いま とうきょう ば く ふ

府・江戸幕府 1 6 0 3 〜1 8 6 7 )を聞いた。

ひら

しょうぐん にんめい え ど はくふ ひら だれ

//信長も秀吉も将軍に任命されましたか。//では、信

長も秀吉も幕府を聞かなかったので、すね。//家康が開

(15)

参考資料 4 

のこす{残す]①〔〜をのこす] l a s c i a r e   ( n e l   s e n s o   d i

l a s c i r eu n  t e   s t a m e n t o

en o n  n e l   s e n s o  d i   ≪ l a s c i a r e  R o m a

》).

のこる[残る]①[〜がのこる]需お金(納)が 1 万円(いちまんえん)ありました。そ のお金で2 5 0 0 円の本を質(か)いました。いくらのこりましたか。 一一一一 7 5 0 0 円のこりました。

②[〜がのこっている J r i m a n e r e .   司法隆寺(ほうりゅうじ)は全支主(a n c h ea   ・ d e s s o / t u t t o r a )奈良県( N a r a ‑ k e n ) 斑鳩町( I k a r u g a ‑ m a c h  i )にのこっていま す 。

※参考(さんとう)

ぽいる(<文法(ぷぽう)>) m o m e n t a  i n   c u i   s i   p a r l a  

噛 1 1 万 円 あ り ま し た の I 7 5 0 0 円 高 っ て い ま し ι I~亜矢いますの I  7 0 0 0 円 高 っ て い ま す の i 崎

↑ ↑ ↑  

(捌円の材買いました。 7 5 0 0 円残つ附。 日 0 0 円酬います

0

7 5 0 0 円 高 り ま し た 。 ¥ 7 0 0 0 円 残 り ま す 。

ので[V I E N EU S A T O  P E R  U N I R E  D U E  F R A S I  T R A  C U I   E S I S T E  I L  R A P P O R T O  L O G I ・   C O  D I

C A U S A

》 −

≪ E F F E T T O ≫ .   LI N T E R A  D E S C R I Z I O N E  E  Q U A L C O S A  C O M E  U N A   C O N S T A T A Z I O N E  O G G E T T I V A / D I S T A C C A T A / D I S I N T E R E S S A T A  D I   U N A  T E R Z A  P E R ・   S O N A .   D I   C O N S E G U E N Z E  L A  S E C O N D A  M E T A  N O N  P U O  C O N T E N E R E  E S P R E S S I O N I   C H E  D E N O T I N O  L A  S O G G E T T I V I T A  ( C O M A N D O ,   D E S I D E R I O  E C C . )   D E L  P A R L A N ・   T E . ]   p o i c h e ,   s i c c o m e .   市夏(なっ)が来(き)ました。暑(あっ)くなりました。

→夏が来たので、暑くなりました。ぽから 2

〜のである[S IU S A  P E R  S E G N A R E  LA V V E N U T A  C O D I F I C A Z I O N E  D I   U NI 刊 F O R M A ・ Z I O N E   ( S P E S S O  A S S A I  V A G A ,   C O M U N Q U E )   P R E S E N T E   N E L  C O N T E S T O  L I N G U I ・   S T I C O  E / 0  S I T U A Z I O N A L E ]   ( I n   i t a l i a n o  t a l e  f u n z i o n e

p u o

e s s e r e s v o l t a  d a  d i v e r s e  e s p r e s s i o n i   c o m e  q u e s t e :   f a t t o  s t a  c h e 〜 , s t a  d i   f a t t o  c h e 〜 ; c i o  v u o l  d i r e  c h e〜 , v a l e  a  d i r e  c h e 〜 , i n t e n d o  d i r e   c h e 〜 ; m  c o n s e g u e  c h e 〜 ; s i   v e d e  c h e〜 , s i   c a p i s c e  c h e〜 e c c . )  

市「一<文法(ぷんほう)>一一一 S ic o n f r o n t i n o :  

C a r l o :   ≪ I e r i  h o  t e n u t o   i  C a r l o : 《 I e r ih o  t e n u t o  u n a  c o n f e ・   u n a  c o n f e r e n z a ≫ .   l  r e n z a .   C θ

r a n o  a n c h θ q u θ Jlj 

A n n a :   「車窓(ちょうしゅう p u b ・ I  c h θ a s c o l t a v a n o  i n  pi θ d 1

味》.

b l i c o )がおおぜい I  A n n a :「聴衆がおおぜい来たのです 来(き)ましたか。」 !  か。」

C a r l o :「ええ、おおぜい i  C a r  l o :「ええ、おおぜい来ました/

来ました o ≪ S i ,   I  おおぜい来たのです判。

S i , c 色 s t a t a u n a   I  ce  s t a t a  u n a  g r a n d e  a f f l u ・   g r a n d e  a f f l u e n z a

》. 1 

e n z a

》.

* =   L a  f r a s e  i n   c o r s i v o  t r a s m e t t e  i n d i r e t t a m e n t e / i m p l i c i t a ・   m e n t e  u ni n f o r m a z i o n e  c o m e  q u e s t a :   H o  a v u t o  m o l t i  u d i t o r i .  

口 : Lu s o  o  m e n o  d iのです d i p e n d e  d a  c o m e  v i e n e  p r e s o   i l   c o n t e s t o  d a  C a r l o .  

市 「今日(きょう)はエ盛(ごうじよう f a b b r i c a )に誰(出)もいません。 ストライキ ( s c i o p e r o )をしているのです。市「盛巳(いたい A h i )! 」 一一一 「どうした のですか。」 C h etie s u c c e s s o ?一一 「誰か(が)わたしの星(あし p i e d e ) を踏企(納 p e s t a r e )だので与す。 J 市 [ S i   d i a  i l   c a s o  c h e   c i   s i a  u n   g i a p p o n e s e   c o m p l e t a m e n t e  p r e s o  d a l l a  l e t t u r a .   Du n  t r a t t o   s e n t e  

4 3  

(16)

参 考 文 献

問崎恒男( 1 9 8 9 ) 「ワノレシャワ大学に於ける日本語教育事情 J , I i ' 日本語学 J v o l .   8 ,   1 2 月号,明治書院.

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国立国語研究所日本語教育研修室( 1 9 8 9 ) 「異文化接触と日本語教育 J , I i ' 日本語学 . d i v o l .   8 ,   1 2 月号,明治書 院 .

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5 6 号,日本語教育学会.

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柳田利夫@小泉智永子( 1 9 9 0 ) 日本語教育学会大会発表要旨「日本語教育と日本史 J , r 日本語教育 . J J 7 0 号 , 日本語教育学会.

Genenz, Kay J .   1 9 9 1 .   D e s i d e r a t a  f o r  a  new g e n e r a t i o n  o f  nihongo k y o z a i  i n  Germany. 

J a p a n e s e

l a n g u α g ee d u c a t i o n   around t h e  g l o b e ,   v o l .   1 .   The Japan Foundation J a p a n e s e   Language I n s t i t u t e .  

I i n o ,   Masakazu.  1 9 9 3 .   Language 目 前 回 r e s o u r c ef o r  whom? Foreign l a n g u a g e  p l a n n i n g  i n   h i g h e r  e d u c a t i o n :  I t s   g o a l  and i m p l e m e n t a t i o n .   J a p a n e s e

l a n g u α g ee d u e i α t i o n α r o u n d  t h e   g l o b e ,   v o l .   3 .   The Japan Foundation J a p a n e s e  Language I n s t i t u t e .  

K r a c h t ,  K l a u s .   1 9 8 5 .   C r i t i c a l  v i e w p o i n t .   J i α r p a n e s e  s t u d i e s  i n  Euro ρ e .   The Japan Foun

d a t i o n .  

T a k e s h i t a ,  T o s h i a k i .   1 9 8 9 .   Tre a n n i   d i   s p e r i m e n t a z i o n i   d i d a t t i c h e   ed  o r g a n i z z a t i v e .  

N e w s l e t t e r   l ,   A s s o c i a z i o n e  I t a l i a n a  D i d a t t i c a  Lingua G i a p p o n e s e .  

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