印度學佛敎學硏究第67巻第2号 平成31年3月 (171) ― 872 ―
シャーキャ・チョクデンにおける
自立論証派の世俗観
彭 毛 才 旦
0.問題の所在 本稿の目的は,自立論証派の世俗観に関するシャーキャ・チョクデン(Shākya mchog ldan: 1428–1507)の理解を,ツォンカパ(Tsong kha pa: 1357–1419) 等のゲルク派の理解と比較しながら明らかにすることである.既に先行研究1)に
よって明らかにされているように,ゲルク派の創始者ツォンカパは,自相による 成立 (rang gi mtshan nyid kyis grub pa)を言語的慣習(tha snyad)において認めるのが自 立論証派であり,それを認めないのが帰 論証派であると理解した上で,世俗の レベルにおいて両派には思想的な相違があると論じている.これに対し,サキャ 派のシャーキャ・チョクデンは,世俗諦を「考察しない限りにおいて措定される もの」とみなし,勝義諦を「あらゆる戯論を離れ,言葉・分別の領域を超えたも の」とみなす点で,自立論証派と帰 論証派の間に思想的な違いはないと論じ, 両派の相違点はむしろ勝義諦を確定する論理と,その論理に悟入する入口にある に過ぎないと主張し,ツォンカパの見解を批判している. シャーキャ・チョクデンのツォンカパ批判は,ゲルク派では帰 論証派に比 べて低く評価されることが多い自立論証派の世俗観の本質に迫る点で重要であ る.以下では,シャーキャ・チョクデンのDbu ma rnam nges第二章に論じられる ジュニャーナガルバ(Jñānagarbha: ca. 700–760)とシャーンタラクシタ(Śāntarakṣita: ca. 725–788)の世俗観に焦点を当て,ツォンカパ等のゲルク派の解釈と比較しなが ら,その再検討を試みる.
1. ジ ュ ニ ャ ー ナ ガ ル バ の 世 俗 観 ジ ュ ニ ャ ー ナ ガ ル バ はSDVV
(Satyadvayavibhaṅgavṛtti)において「ある者が勝義と見なすもの,それは他者にとっ
ての世俗である.」2)という出典不明の経典の詩節を引用している.ケードゥプ
ジェ(Mkhas grub rje: 1385–1438)はこの詩節を,ジュニャーナガルバが世俗(言語的 慣習)として自相による成立を認めることを示す根拠の一つであると考えてい る.なぜなら,毘婆沙師・経量部・瑜伽行派等の実有論者は事物の自相による成
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シャーキャ・チョクデンにおける自立論証派の世俗観(彭 毛)
立を認め,さらにそれを勝義とみなすが,まさにそれを中観派は世俗とみなすと いうことが,詩節によって示されるからである3).しかし,シャーキャ・チョク
デンはDbu ma rnam ngesでこの詩節の別解釈を提示する.第一解釈によれば,詩 節は「世間の人々が勝義諦として認める生起は,中観派にとっての世俗諦である」 という意味である.第二解釈によれば,「中観派が暫定的に勝義諦として認める 『生起の否定』は,中観派の最終見解によれば世俗諦である」という意味である. 経典に現れる「ある者」を毘婆沙師・経量部とし,「他者」を中観派とする根拠 はどこにもないとシャーキャ・チョクデンは主張する4).また,彼によれば,経 量部は論理による考察に耐える勝義諦を認めるが,ジュニャーナガルバは世俗の 観点においても「一切は論理による考察に耐えるものではない」と主張する5). このことを示すために,シャーキャ・チョクデンはSDV(Satyadvayavibhaṅgavṛtti)の 次の詩節を引用する. ここに顕れる通りのものこそが世俗であり,それ以外は他方のもの(勝義)である.6) この記述は,対象顕現を有する感官知には,対象そのものが直接的に顕れるこ と,その感官知に顕れる外界対象が世俗であることを示唆する.それゆえ,ジュ ニャーナガルバは経量部のような有形象知識論の立場から,世俗諦を措定してい るのではないとシャーキャ・チョクデンは理解している.彼が理解するジュ ニャーナガルバの世俗観はSDVの「〔世俗は〕顕れる通りの存在であるがゆえ に,これ(世俗)に対して考察は起こらない.」7)という一節に表されている.こ の記述は,世俗は感官知に顕れる通りに存在すること,それは「離一多」の論理 などによる考察の対象ではないことを明らかにしている.以上のことから, シャーキャ・チョクデンは,ジュニャーナガルバが「世俗を論理的考察によって 措定している」という解釈を否定している8).
2.シャーンタラクシタの世俗観 ツォンカパはLegs bshad snying poで次のよ
うに述べている.
量七部論(tshad ma sde bdun)などにある,因果関係を措定する論理は〔中観派と唯識派の
二者に〕共通するものであるとお認めになることからも知られる.9)
ダルマキールティ(Dharmakīrti: ca. 600–660)の論理は,諸事物の自相による成立 を前提とするものである.Tattvasaṃgrahaなどに見られるように,シャーンタラク シタは世俗としてダルマキールティの論理を受け入れるのであるから,世俗にお
(173) ― 870 ― シャーキャ・チョクデンにおける自立論証派の世俗観(彭 毛) いて自相による成立を認めるとツォンカパは理解する.一方,シャーキャ・チョ クデンによれば,ダルマキールティの量七部論では,外界対象および対象顕現を 有する知の実在性を共に否定しており,シャーンタラクシタもその論理を自説と して受け入れている.シャーンタラクシタが世俗として外界対象(極微),対象の 形相,二取空の知の「自性による成立」を認めるということもない.したがって, 彼によれば,シャーンタラクシタが世俗として唯識説を認めるという理解は正し くなく,「量七部論の論理は中観派と唯識派の二者に共通するものであるとシャー ンタラクシタ・カマラシーラがお認めになる」という見解も無意味である10). シャーンタラクシタにとって世俗(言語活動の対象)は三つの特徴を具える.す なわち,[1]考察しない限りにおいて受け入れられるべきものであり,[2]生滅 を属性とし,[3]自身の結果を生み出す能力を持つものである11).シャーンタラ クシタは「瑜伽行派の論理によって考察した上で措定されるもの」が世俗である とは決して述べていない.シャーキャ・チョクデンによれば,シャーンタラクシ タの外界対象否定の論理は,世俗諦を措定するために説かれたのではなく,世俗 諦の措定後に,段階的に勝義諦に悟入するための方便として説かれたものであ る.それゆえ,シャーンタラクシタが瑜伽行派の学説に従って世俗諦を措定する というゲルク派の理解は正しくないとシャーキャ・チョクデンは主張する. 3.ジュニャナーガルバとシャーンタラクシタの相違 ゲルク派の見解によ れば,ジュニャーナガルバとシャーンタラクシタは共に世俗として自相による成 立を認める.シャーンタラクシタは量七部論に従って,世俗においては,中観派 と唯識派に共通する「因果関係措定」の論理を認める.ジュニャーナガルバは世 俗として経量部の学説を承認し(経量行中観自立論証派),シャーンタラクシタは世 俗として唯識派の学説を承認する(瑜伽行中観自立論証派).シャーキャ・チョクデ ンの見解によれば,ジュニャーナガルバとシャーンタラクシタは共に世俗として 自相による成立を認めず,世俗を「考察しない限りにおいて受け入れられるべき もの」とみなす.シャーンタラクシタは量七部論の論理を受け入れるが,唯識説 を認めるのではなく,対象と対象顕現を有する知を共に否定する.ジュニャーナ ガルバが世俗として経量部の学説を承認することはなく,シャーンタラクシタが 世俗として唯識派の学説を承認することもない.二者の相違は,所化に空性を理 解させるために,唯識説の学習を必要とみなすか否かという点にある. シャーキャ・チョクデンは,インド中観派の論師達の間に異なった世俗諦・勝 義諦の解釈があるとは考えない.彼が違いを認めるのは,所化を勝義諦の理解へ
(174) ― 869 ― シャーキャ・チョクデンにおける自立論証派の世俗観(彭 毛) と導く方法のみである.教導法にインド中観派の論師達の違いを認めるのは シャーキャ・チョクデンの独自の見解であり,ここにゲルク派の論敵達による中 観理解との大きな相違がある.
1)松本1984,吉水1992,福田2000などを参照. 2) SDVV 10a3–4. 3) Stong thun chen
mo 136, 3–5を参照. 4) Dbu ma rnam nges 342, 14–19を参照. 5) Dbu ma rnam nges 342, 20–22を参照. 6)SDV 4a2. 7) SDV 10a7. 8)松本1978はダルマキール ティの認める勝義有がジュニャーナガルバにとっては正世俗であると理解する.松本(1978, 122):「Dharmakīrtiによって勝義有,世俗有と呼ばれたものが,Jñānagarbhaによって,正 しい世俗,正しくない世俗と解されたことが分かるだろう.」しかし,シャーキャ・チョク デンによれば,ダルマキールティは勝義有を「論理による考察に耐えるもの」として認め るが,ジュニャーナガルバは世俗としても「論理による考察に耐えるもの」を認めないの
で,松本1978の見解はシャーキャ・チョクデンとは大きく異なる. 9) Legs bshad snying po
153, 12–13. 10) SDV 2a4–2a5. 11) MAV k.64を参照. 〈略号および一次資料〉
MAV Śāntarakṣita, Madhyamakālaṃkārākārikā; Tibetan Sde dge ed. Dbu ma Sa. Tohoku No. 3884. SDV Jñānagarbha, Satyadvayavibhaṅga; Tibetan Sde dge ed. Dbu ma Sa. Tohoku No. 3881. SDVV Jñānagarbha, Satyadvayavibhaṅgavṛtti; Tibetan Sde dge ed. Dbu ma Sa. Tohoku No. 3882.
Dbu ma rnam nges Gser mdog paṇ chen shākya mchog ldan, Dbu ma rnam par nges pa'i bang
mdzod lung dang rigs pa'i rgya mtsho; Gser mdog paṇ chen shākya mchog ldan gyi gsung 'bum,
vol. 14. Beijing: Krung go i bod rig pa dpe skrun khang. 2013.
Legs bshad snying po Tsong kha ba blo bzang grags pa, Drang pa dang nges pa'i don rnam par 'byed
pa'i bstan bcos legs bshad snying po. Lhasa: Ser gtsug nang bstan dpe rnying 'tshol bsdu phyogs
sgrig khang. 2009.
Stong thun chen mo Mkhas grub rje dge legs dpal bzang, Dbu ma'i stong thun skal bzang mig 'byed. Lhasa: Ser gtsug nang bstan dpe rnying tshol bsdu phyogs sgrig khang. 2009.
〈参考文献〉
福田洋一2000「ツォンカパにおける中観自立派の存在論」『日本西蔵学会々報』45: 13–27.
松本史朗1984「ツォンカパの中観思想に関する考察―否定対象の確認における言説有の
設定について―」『日本西蔵学会会報』30: 1–7.
松本史朗1978「Jñānagarbhaの二諦説」『佛教学』5: 109–137.
吉水千鶴子1992「rang gi mtshan nyid kyis grub paについて」『成田山仏教研究所紀要』15: 609–656.
〈キーワード〉 シャーキャ・チョクデン,自立論証派,世俗観