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趙宋天台における修性離合義の解釈について

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(1)

趙宋天台における修性離合義の解釈について一三一 一 はじめに

  天台智顗の創基になる天台宗の教学は︑第六祖荊渓湛然による解

釈を経由して︑宋代の後裔らへと受け継がれた︒湛然の三大部註釈

は︑智顗の原意を祖述することを第一の目的として著されたものと

はいえ︑そこにおいては独自の発展も少なからず認められる︒修性

義に照らした三法の解釈もまたその一つと言えるだろう︒そもそも︑

智顗における三法説とは︑真性・観照・資成からなる三軌を設ける

ことによって︑一切諸法をその弁証法的円融論理の中に該摂するこ

とを図るものであった︒このことを考えるに︑湛然が修性義に基づ

く三法解釈を新たに彰明し︑十種三法にまでこれを適用したことは︑

甚だ意味深い出来事であったと評し得る︒

  のちに宋代の天台宗においては湛然の﹃十不二門﹄に対する研究

が盛んに行われ︑山家山外の別に関わらず多くの学匠らによって註 釈書がつくられたという︒法雲や可度ら︑山家派の後代の手に成る論書の記述を閲するに︑そのなか︑修性不二門に説かれる修性離合義を如何に解するかという問題は︑門流を同じくする者たちの間にあっても見解を異にするところであったことが窺われる︒詳しくは後述に譲るが︑ここで言うところの離義とは修性各三︑合義とは修二性一の型式からなる三法解釈を指すもので︑安藤俊雄氏は山家は離義︑山外は合義をそれぞれ重視したと評し︑この離合義によっても山家山外の立場の違いを説明している

︶1

︒両派の所論に鑑みて︑こ

れは至極尤もな見方であると言い得るが

︑しかしながら

︑この離

義・合義のそれぞれが如何なる内容を持つものであるかという点に

ついては先に触れたように学匠によって意見の異なるところであり︑

また従来の研究においてもやや不明瞭な部分が多いようにも思う

︶2

本稿では︑智顗から湛然へと変遷するなかで生じた修性離合義が︑

宋代の学匠らによってどのように解釈されたかという問題を検討す

るとともに︑これを通して四明知礼以降の天台教学における思想的

趙宋天台における修性離合義の解釈について

弓  場  苗生子

(2)

一三二

潮流を概観することを目的としたい︒

二 智顗の三軌三法説と湛然による修性解釈

  宋代における議論を扱う前に︑まずその前提となる湛然の修性義

理解について確認するため︑その発揮が元の智顗による教説に対し

て如何なる意義を持つものであったかを︑三軌三法の教説とこれに

対する解釈を通して見ていくこととする︒いわゆる三軌とは︑真性

軌・観照軌・資成軌の三から成り立つ︒教説箇所は智顗の著作中に

広く見えるが︑﹃法華玄義﹄巻五下の三法妙段に最も詳細である︒

ここにおいては︑初めに﹁三法妙者︑斯乃妙位所住之法也︒言

w

三法

q

者即三軌也︒軌名

w

軌範

z

還是三法可

w

軌範

q

︶3

︒﹂と︑三法が玄妙な

分限でありつつ︑かつそれがそのまま三軌であり︑軌範の義を有す

ることを明かす︒その後に続けて七意を設け︑四教各々における別

判や十種三法の類通等を詳述し︑三軌三法の説を極めて広範に展開

している︒そもそも︑法数によって諸法を一定の観点の下に分類し︑

説明の便を図る手法は仏教において広く用いられるところではある︒

しかるに︑智顗による三法妙段の説示からは︑一切の法数をしばら

く三の数から成る十種によって代表せしめ︑更に三軌三法という独

自の軌範の下に統摂しようとする意図が認められる︒すなわち︑三

軌三法の開説とは︑この三からなる軌範を以て無量の諸法を遍く円

教のうちに摂取することを目的とするものであり︑その大綱として 明かされる三軌には︑天台一家の円融論理が象徴されていると言っても差し支えないだろう︒したがって︑この三軌三法の各々がどのように定義され︑また相互に如何なる関係性で以て捉えられているかということは︑智顗の円融観を知る上で甚だ重要である︒三法妙段の最初に当たる総明三軌の部分では︑次のように述べている︒

一︑総明三軌者︑一︑真性軌︒二︑観照軌︒三︑資成軌︒名雖

p

p

三︑䝆是一大乗法也︒経曰︑十方諦求︑更無

w

餘乗

a

唯一

仏乗︒一仏乗即具

w

三法

a

亦名

w

第一義諦

a

亦名

w

第一義空

a

w

如来蔵

z

此三不

w

定三

a

三而論

p

一︑一不

w

定一

a

一而論

p

三︑

不可思議︑不並不別︑伊字天目

︶4

  最初に︑三軌の名目を挙げて真性軌・観照軌・資成軌の三から成

ることを明かした上で︑これら三法は一大乗法に他ならないとして︑

三軌三法の義が﹃法華経﹄の唯一仏乗の教説に連なるものであるこ

とを説く︒ここで智顗は︑真性軌・観照軌・資成軌をそれぞれ第一

義諦・第一義空・如来蔵に対応させることで︑これら各々の持つ意

味内容を説明している︒三軌と諸三法との対応については後の部分

に広く類通されるところであるものの︑ここに示される真性軌と第

一義諦︑観照軌と第一義空︑資成軌と如来蔵という配当は︑三軌そ

れぞれの持つ性格に対する基本的な位置づけと見て良いだろう︒続

く箇所においては︑さらにこれら三法を唯一仏乗に対比させた上で︑

(3)

趙宋天台における修性離合義の解釈について一三三 両者において一即三・三即一の相即が成り立つことを説き︑また同時に三法相互の関係性を表すに﹃大般涅槃経﹄所説の三徳秘密蔵における不縦不横のあり方を以てしている

︒以後の文で歴別

・ 判麁

妙・開麁顕妙・明始終の四の見地に照らして三法を論じたのち︑類

通三法の段においていわゆる十種三法の説が明かされる︒

六︑類通三法者︑前以

w

三軌之法

a

p

始以至

p

終︑即是豎通無礙︒

今欲

i

横通

w

諸法

a

悉使

u

無礙

h

-w

通諸三法

z

何者︑赴

p

縁名異︑

p

意義同︒粗通

w

十條

a

餘者可

p

領︒三道・三識・三仏性・三

般若・三菩提・三大乗・三身・三涅槃・三宝・三徳︒諸三法無

量︑止用

p

十者︑挙

w

其大要

q

w

始終

q

︶5

  まず︑上述の部分においては始終の次第にしたがって縦義の該摂

を行ったのに対して︑ここでは横義の類通を試みんとすることを初

めに表明する︒そして︑無量数存する三法の中から三道・三識・三

仏性・三般若・三菩提・三大乗・三身・三涅槃・三宝・三徳の十を

略挙し︑これらを以て一切諸法を代表せしめるのであると言う︒こ

れは言い換えるならば︑この類通を経て三軌三法による該摂が達成

されるとともに︑一切諸法が円教の秩序の中に網羅され︑収尽され

ることを説くものと評し得るだろう︒

  このように︑智顗の所論においては︑三軌三法の説が言わば天台

の教学そのものの綱格とすら言い得る程の重要な意義を持っている ことが窺える︒しかるに︑後世湛然によって註釈研究が加えられるに至っては︑そのなかで三法に対する捉え方に若干の変化が認められるように思う︒すなわち︑湛然が従来の三軌による類通に留まらず︑新たに修性三因の義に基づく解釈を付した点である︒例えば︑﹃法華文句﹄巻九には如来寿量品の良医狂子の譬喩を釈義するなか︑

﹁菩薩之子﹂の義について三種を設けて分別する箇所が存する

︶6

︒こ

れは三因仏性の各々に随って仏子の義を明かし︑正・縁・了の一々

に性徳の三因が具わると説くものである︒これに対して︑﹃法華文

句記﹄巻一〇上では次のように解釈を加えている︒文は第三義に当

たる了因仏子の部分について註釈した箇所である︒

⁝ 此亦有

w

三因

q

w

了因仏子

q

者︑対

w

前縁

・正

a

w

但云

o

了︒

又云

p

亦者︑前二各三︑故今亦三︒従

p

強受

p

名︑並束

p

三従

p

一︒

-w

以束

q

︑衆生無始非

p

p

p

三︒以

p

p

迷故

︑従

p

理立

p

名︒

故理中三︑皆為

w

迷摂

z

p

縁従

p

了︑準

p

例可

p

知︒

⁝⁝修性三因︑玄・文・止観倶有

w

此意

a

唯此文中文相顕著︒

p

p

w

昔聞経力大

q

故︑束

w

性三

a

倶為

w

正因

z

縁了各合︑倶

名為

p

一︒故知︑諸文約

p

修以説︑縁了各三︒或但論

w

理性

a

終具

p

三︒如

p

w

三道・三徳・三仏性等

z

具如

w

修性不二門説

z

九門共成︑方了

w

此旨

z

若得

w

此意

a

円教行理︑骨目自成︑皮膚

毛彩︑出在

w

衆典

z

故知︑此経是紀定大綱之教︑不

p

i

w

綱目

q

t

之︒若得

w

此意

a

則一家教旨︑大理可

p

通︑欲

p

w

観門

a

(4)

一三四

行有

p

地︑聞

w

衆怪説

a

情慮坦然︑覩

w

諸権経

a

p

心不

p

謬︑融

-w

通名相

a

豁矣無

p

疑︑法数増減︑離合可

p

見︑与

-w

奪他釈

a

p

w

大途

z

e

前三教無

w

此事

q

︶7

  湛然はここで︑自らの修性義によって以下のように三因仏性を解

釈している︒すなわち︑もとの﹃法華文句﹄に説くところの如く︑

正・縁・了の三因は本来各々三を具しているが︑説法の便宜に随っ

て︑性の三は合して一の正因となり︑その他の修の二徳もまた各々

三を束ねて縁因・了因の二法となると説くのである︒しかしながら︑

これは修の側面に立った場合に言うもので︑実には縁・了の二のう

ちにはそれぞれ三法が存する︒よって理性の側面に立つときは︑諸

三法によって示されるが如く︑因果の始終に亙って三の法数が具わ

ることとなる︒この修性義を了解したならば円教の行理は自ずと綱

格を成すのであり︑他の経典に用いられる諸教説はその枝葉の展開︑

具体性の発露に他ならない︒

  このように述べたのち︑﹁紀定大綱之教﹂たる﹃法華経﹄とこれ

を奉ずる天台の妙旨もまたここに集約し得るとまで明言するのであ

る︒ここにおいて湛然が﹁如

p

w

三道・三徳・三仏性等

z

﹂として

十種三法について言及することで︑天台一家の教学の大綱を修性三

因の義によって再解釈したことは︑甚だ意味深い出来事であったよ

うに思う︒既に触れたように︑智顗は真性軌・観照軌・資成軌の三

軌でもって諸の三法を類通し︑十種三法を数えることで教学全体の 依って立つところの師軌を示した︒このことを思えば︑湛然のここでの解釈は︑修性三因の義に代表される新たな﹁大綱﹂で以て︑天台の一切法門を該摂することを図ったものとも言い得るだろう︒また︑文中に﹁具如

w

修性不二門説

z

﹂として指示される﹃十不二門﹄

修性不二門においては︑次のように説かれる︒

三︑修性不二門者︑性徳䝆是界如一念︑此内界如三法具足︒性

w

本爾

a

p

智起

p

修︑由

p

修照

p

性︑由

p

性発

p

修︒存

p

性則全

p

p

性︑起

p

修則全

p

性成

p

修︒性無

p

p

移︑修常宛爾︒修又二種︒

順修︑逆修︒順謂

w

p

性為

o

行︑逆謂

w

p

性成

o

迷︒迷了二心︑

心雖

w

不二

a

逆順二性︑性事恒殊︒可

w

p

事不

o

p

心︑則令

w

修成

o

了︑故須

w

一期迷了

z

p

性成

p

修︑見

p

性修

p

心︑二心倶泯︒

又了︑順修対

p

性︑有

p

離有

p

合︒離謂

w

修性各三

a

合謂

w

修二性

z

修二各三︑共発

w

性三

z

是則修雖

p

p

九︑九䝆是三︒為

w

p

性明

o

修故︑合

p

修為

p

二︒二与

w

一性

a

w

水為

o

波︑二亦無

p

二︑

亦如

w

波水

z

p

知︑性指

w

三障

a

是故具

p

三︒修従

p

性成︑成

p

法爾︒達

p

w

修性

a

唯一妙乗︑無

p

w

分別

a

法界洞朗︒此由

w

内外不二門

q

︶8

  詳しい内容については後述するが︑ここに示される修性による不

二解釈︑とりわけ修二性一・修性各三の離合義を如何に解するかと

いう問題に対しては︑後代の諸学匠においても見解の相異が少なか

(5)

趙宋天台における修性離合義の解釈について一三五 らず存するところであるものの︑いま特に離合義の解釈に注目して大意を取れば︑以下の如くである︒まず︑文の初めにおいては︑性には本爾として三法が具わることを言い︑性が存するときは修の全体がこれを成り立たしめるのであり︑修が起きるときもまた性の全体が修を成すのであると位置づける︒このように修と性とは本来一体の関係にあるが︑修の中においてはまた二種が存する︒これは修の側から見た際︑理性に対するに逆・順という二の方向があるためである︒順とは本有の性を如実に了解して修行することであり︑逆とは性に背いて迷妄を生じることである︒このような前提のもと︑﹁又了︑順修対

p

性有

p

離有

p

合︒﹂として︑しばらく順修について修

二性一・修性各三の離合義を述べる︒まず︑修・性という二分が存

するとする︒このうち︑修においてはさらに逆・順の二修があり︑

この二を一の性に対立させたものが修二性一の合義である

︒また

逆・順二修は各々三徳を具有するので︑この修における六と︑性が

具えるところの三とを合計して九となる︒これを修性各三の離義と

いう︒つまり修性各三とは修二性一の各法を展開させたものであり︑

基本となるのは波水によって譬えられるところの一性と逆順二修と

の構図であるということが了解される︒

  以上は略に文意を取ったものであるが︑山家派の流れを汲む学匠

らの間ではこの修性解釈のうち︑特に離義の示す内容について意見

の衝突を生むこととなった︒既に述べたように︑ここで言う修性各

三とは修二性一を各々開いた九法を示すものと考えるのが自然であ るが︑後代の智湧了然などはこの箇所を註釈するに際して︑文中で先に﹁離謂

w

修性各三

q

﹂とあるのに対しては修三性三の六法の意で

あると解し︑直後の﹁修二各三︑共発

w

性三

z

﹂の一文については修

六性三の九法を説くものであると解している

︶9

︒元の文脈から考える

に︑ここで敢えて﹁修性各三﹂の語を以て修三性三を言うものであ

ると解釈するのは︑やや強引なようにも思われる︒修性不二門の原

文には明説されていない修三性三の六法義が︑後代の末註において

このように盛り込まれるに至った背景には︑知礼による離合義の解

釈の影響が存するように思う︒次節では︑宋代の山家派における離

合解釈の展開について扱うこととする︒

三 山家派による修性離合義の発展的解釈

  ここではまず︑知礼による﹃十不二門﹄修性不二門の当該部分に

対する解釈を確認したい︒﹃十不二門指要鈔﹄巻下では前掲の修性

不二門の文中︑﹁又了︑順修対

p

性︑有

p

離有

p

合︒離謂

w

修性各三

a

合謂

w

修二性一

z

修二各三︑共発

w

性三

z

是則修雖

p

p

九︑九䝆是三︒

w

p

性明

o

修故︑合

p

修為

p

二︒﹂とあるのに対して︑次のように解

釈している︒

初︑約

p

法明

w

離合相異

q

者︑復置

w

逆修

a

但論

w

順修法相離合

z

蓋此修性︑在

w

諸経論

a

p

w

條流

z

若得

w

此離合意

a

則不

p

w

(6)

一三六

修性多少

z

w

金光明玄義十種三法

a

乃是采

-w

取経論修性法相

q

故︑具

w

離合両説

z

w

三徳・三宝

a

w

是修徳之極

a

義必該

p

性︒

三身・三智︑文雖

p

p

悟︑理必通

p

迷︒三識・三道︑既指

p

事即

︑必全

p

性起

p

︒ 此六豈非

w

修性各三

z

三因既以

w

一性

q

w

智・行二修

a

三菩提・三大乗・三涅槃︑並以

w

一性

q

w

証理・

起用二修

a

此四豈非

w

修二性一

z

若各三者︑唯属

w

於円

z

w

各相主対︑全

p

性起

o

修故︒修二性一︑

則兼

w

於別

z

直以

w

修二

q

w

於性一

a

則教道所詮

︒若知

w

p

o

三︑復是円義︒此文多用

w

各三

a

p

i

性指

w

三障

a

是故具

p

三︑修従

p

性成︑成

p

三法爾

n

又云︑一念心因︑既具

w

三軌

a

因成

p

果︑名

w

三涅槃

z

w

後結文三法相符

a

p

w

修二性一

a

乃合

p

九為

p

三也︒

修二各三等者︑就

p

合各開︒如

w

三般若等

a

是了因之三︒如

w

菩提等

a

是縁因之三︒共発三道等︑正因之三︒既発

w

性三

a

倶云

w

修九

q

者︑雖

p

w

性三

a

咸為

w

所発

a

故皆属

p

修︒又凡論

p

修者︑

必須

p

p

性︒九䝆是三者︑如

w

三般若

q

䝆是了因︑如

w

三解脱

q

是縁因︑如

w

三道等

q

䝆是正因︒為対等者︑釈

w

前合意

z

性既唯立

w

正因

a

w

p

性以成

o

三故︑修但縁・了也︒諸合三義︑例皆如

p

︶10

  まず︑ここでの所説が順修の法相をのみ明かすものであることを

前置きした上︑この修二性一・修性各三の離合釈が諸経論の教説に あまねく通用し得ることを歎じ︑この二義によって﹃金光明玄義﹄所説の十種三法をそれぞれ分類している︒十種三法への言及自体は前の﹃法華文句記﹄巻一〇上の箇所の文旨を受け継ぐものであるが

︶11

さらに十種三法のうち六を離義︑四を合義へとそれぞれ配する︑い

わゆる六離四合の釈を付した点は知礼による新たな創見と言える︒

ここでの記述にしたがって見ていくと︑まず三徳・三宝を修徳︑三

身・三智を性徳︑三識・三道を指事即理・全性起修の三法であると

分類し︑これら六を以て修性各三の離義に当てる︒次に三因の構造

が既に修二性一によるものであることを述べた上で︑三菩提・三大

乗・三涅槃もまた同様であるとして︑これら四を合義に配している︒

  続けて︑各三の語を釈するに当たっては︑修性各三を唯円義︑修

二性一を兼別義へとそれぞれ配している︒元の﹃十不二門﹄の文を

確認すると︑離合の二義は対比の関係にこそあるものの︑特段これ

らに対して教判の意味を付するような記述はなく︑三法における修

性の関係を示す為に両釈を挙げて説明しているに過ぎないように思

われる︒よって湛然の原意にしたがうならば︑離合の両義はいずれ

も無分別境である﹁唯一妙乗﹂の所対と捉えられるべきであるが︑

知礼は敢えて修二性一と修性各三との間に兼別・唯円の対比を設け︑

離義を以て勝義と位置づけるのである︒そして︑修二性一は﹁教道

所詮﹂として修性各三の唯円義と対比されるところとなるが︑修二

性一の三が修性各三の九を合したものであるということを覚ったな

らば︑これもまた円義に他ならないと言う︒

(7)

趙宋天台における修性離合義の解釈について一三七   ここで合義を釈するに﹁若知

w

p

九為

o

三︑復是円義︒﹂と言い︑

また続く部分で﹁修二各三等者︑就

p

合各開︒﹂と述べていることか

らも知られるように︑知礼はこの箇所を解釈するに当たって︑離義

が修二性一の合義を基とする展開に他ならないことを認めていると

いう点が注意される︒すなわちここでの解釈によれば︑円教の修性

義においては離義・合義のいずれをも所説とするが︑その基本とな

るのは詰まるところ修二性一の構図ということになるだろう︒

  同時に︑これは取りも直さず修性各三を修六性三の九法義で解す

るものであるため︑知礼は修性不二門の修性各三義を註釈するに際

しては︑修三性三の六法義に基づく解釈を付していないかのように

も思われる︒しかしながら︑三識・三道が離義に当たることを明か

して﹁既指

p

事即理︑必全

p

性起

p

修︒﹂と言い︑また唯円の教たる各

三義を説明するに﹁以

w

各相主対︑全

p

性起

o

修故︒﹂と述べたことは︑

むしろ当体全是の即義を根拠とする︑性三と修三との本来不二の関

係を示したものと解するべきであろう︒さらに︑﹁此文多用

w

各三

a

⁝⁝﹂と述べ︑修性不二門及び因果不二門の記述を各三の義の文証

として引いている点もまた留意されるべき部分と言える︒ここで知

礼が修性不二門の﹁性指

w

三障

a

是故具

p

三︑修従

p

性成︑成

p

三法爾︒﹂

の箇所を引用するのは︑この文を以て性の差別と修の差別との相即

を説くものと解し︑修三性三義の証権と見なしたためであると考え

られる︒のみならず︑同じく引かれる因果不二門の﹁衆生心因︑既

w

三軌

z

此因成

p

果︑名

w

三涅槃

z

﹂とある一節などは︑まさしく心 因における三軌と果徳の三法である三涅槃との相即を説くものである

︶12

︒したがって︑ここに言う各三の語においては︑修三性三の義が

意識されていたと見て相違ないものと思われる︒ただし︑﹃十不二

門﹄の文旨はそれ自体曖昧な部分も存するため︑このような知礼の

解釈が果たして湛然のここにおける原意を正確に汲んだものである

かは定めがたいものがある︒

  このように︑﹃十不二門指要鈔﹄の離義解釈においては︑修六性

三の九法義に加えて修三性三の六法義までもが併せて示されたが︑

知礼がこの両義を如何なるものとして位置づけていたかという点に

関しては未だ判然としない︒まずは︑知礼の他の著作において認め

られる︑修性各三の離義を以て明確に修三性三の六法からなる構図

として捉える例について検討していきたい︒﹃金光明玄義拾遺記﹄

巻二では︑十種三法について各々解説するなか︑最後の三道を明か

す部分で次のように問答を設ける︒

問︑前明

w

三識

a

第九一性対

w

八・七二修

z

p

w

離合

q

故︑類

w

三徳

z

今明

w

三道

a

三俱逆修︑如何説

w

於修二性一

z

此義不

p

成︑

則与

w

諸三

a

p

二有

p

別︒豈是三字所譬之法︒

答︑即

p

事而理︑事理無差︒且如

i

事中惑起

w

於業

a

業感

w

於苦

a

苦還起

t

惑︑此三修悪︑即是性悪︑乃名

w

性三

z

亦即

w

因法

q

転名

w

三識・三仏性・三般若・三菩提・三大乗

a

亦即

w

果法

q

転名

w

身・三涅槃

a

亦即

w

果用

q

転名

w

三宝

a

亦即

w

秘蔵

q

転名

w

三徳

z

(8)

一三八

知︑節節但転

w

其名

a

p

w

其法

z

故不二門云︑性指

w

三障

a

故具

p

三︒修従

p

性成︑成

p

三法爾︒其義既爾︑安云

w

三道不

o

w

離合

z

w

金光明

a

w

於三道

a

其意略爾

︶13

  十種三法中の三道については︑前掲の﹃十不二門指要鈔﹄におけ

る六離四合の説では離義の所摂とされていたことが注意される︒こ

の三道について修性の離合を考えるに︑惑・業・苦の三はいずれも

等しく逆修の所摂であるから︑基本となる修二性一の構図を適用す

ることが出来ないため︑他の三法と隔別を生じてしまうのではない

かという疑問に対して︑知礼は事理不二の相即に基づいて次のよう

に答える︒すなわち︑惑・業・苦はいずれも修悪の三法でありつつ︑

これらはそのまま性の三法でもある︒このことは他の諸三法におい

ても同様であるから︑因果の別はあるにせよ︑同一の三法が所即の

法に随ってその名を転じているに過ぎない︒つまり︑三道において

も他の三法と同じく︑修三即性三の修性各三の義が成り立ち得るの

である︒そして︑文中で前出の﹁性指

w

三障

a

是故具

p

三︒修従

p

性成︑

p

三法爾﹂という修性不二門の所説を引き

︶14

︑これを根拠として事

中の修悪である三道が他の三法と本来不二の関係にあることを明か

している点からも︑知礼がこの文を以て修三性三の義の明証として

用いていることが知られる︒

  前掲の﹃十不二門指要鈔﹄の例をも併せて考えるに︑知礼による

修性各三義の解釈においては︑修六性三とする例と修三性三とする 例とのいずれもが確認される︒しかるに︑離義を修三性三の六法として解することについては︑確かに修性不二門の原文においては明説されていないものの︑これを完全に知礼の発揮に成る新釈と見るべきではない︒むしろ既存の天台教学︑とりわけ湛然の思想のうちに特徴的である性徳三因の思想をより強調し︑展開させたものと評し得るのではないかと思う︒前掲の﹃十不二門﹄の文証の他にも

︶15

例えば﹃止観輔行伝弘決﹄巻五之三では闡提と如来とについて性の

善悪および修の善悪の義を論じて問答を設けるなか︑二者の相異を

性悪・修悪への了達に約して説明している︒そこにおいて湛然は︑

闡提が修悪に了達したならばすなわち如来と異ならないことを明か

して︑﹁故知︑於

p

善於

p

悪︑善達

w

修性

a

p

修照

p

性︑以

p

性了

p

修︒

能知

p

此者︑方可

e

与論

w

性徳三因

z

生死涅槃︑煩悩菩提︑十二因縁

即是三徳︒如

p

是無量︑理無

p

p

通︒﹂と説き︑修と性の両方の境界

において善悪の差別が存することを前提に︑各々の善悪法が互いに

対応し︑本来不二であることを示しているのである

︶16

︒前掲の﹃金光

明玄義拾遺記﹄巻二の箇所にも引かれるところの修性不二門の﹁性

w

三障

q

﹂の文と同様

︶17

︑湛然によるこのような修三性三型の判釈が︑

知礼に至って大いに依用されるところとなったのは︑理性の境界に

おいても差別相が宛然として存することを主張し︑世間差別相の当

体がそのまま理性の差別であると説く山家の教学に鑑みても︑極め

て自然な成り行きと言えるだろう︒

  また︑﹃十不二門指要鈔﹄の離義解釈と同じく︑六法義と九法義

(9)

趙宋天台における修性離合義の解釈について一三九 を併用する例として︑﹃観音玄義記﹄巻一の記述について言及して

おきたい︒ここにおいては︑修三と性三の対応を指して修性各三と

し︑これによって因果不二を説明する一方︑三徳一々に三法が具わ

るとする修六性三の離義をも用いている︒

二︑若論下︑明示

w

法無

o

遺︒涅槃既摂

w

鈍機

a

故始窮

w

本性

a

w

極果

a

十義整足︒故以

w

性三

q

w

於修三

z

既修性各三︑則因

果不二︒双非

w

縁了

a

即是中道正因之体︒而此正体︑必具

w

双照

之徳

z

故至

w

修成

a

三点法身也︒例知︑縁・了亦各具

w

三修徳

z

p

w

三点般若・三点解脱等

q

︶18

  修三と性三の因果不二を以て修性各三義としている点は︑前掲の

﹃金光明玄義拾遺記﹄巻二の記述に通ずるものである︒ここではこ

れに続けて︑さらに正・了・縁各々に三徳が具わることを説く︒つ

まり︑正因の修三と性三は本来不二であり︑ここにおいて六法の義

が成り立つ︒ここで言う正因とは修の側面に照らして言うもので︑

修成の境地に至ったなら︑法身の三法と称し得る︒また縁・了二因

も同様に各々に修徳の三法を具え︑性の側面よりすればこれらはた

だちに三点般若・三点解脱である︒ここにおける知礼の釈義による

ならば︑修三性三の六法義と同時に︑修六性三の九法の義もまた成

り立つこととなるだろう︒すなわち︑知礼においては六法の義と九

法の義とは何ら矛盾するものではなく︑説明の便宜にしたがって使 い分けているに過ぎないように思われる︒しかしながら︑いずれの解釈をも一様に修性各三の離義と呼んで用いた為に︑これら知礼による修性離合義の解釈は山家派の後代に至って少しく論諍を招くこととなったようである︒﹃仏祖統記﹄巻一五の載せるところによると︑

広智系の学匠で草堂処元の門下である息庵道淵には︑次のように修

性離合を論ずる文章が存したという︒

⁝⁝嘗謂︑修性離合之旨︑指要雖

p

w

其妙

a

後人或成

w

異説

z

師収

-w

束諸文

a

立為

w

二義

z

一者︑約

e

修三性三与

w

修性対論三

a

以明

w

離合

z

二者︑約

e

修九性九与

w

修性対論三

a

以明

w

離合

z

初︑修三性三者︑如

w

不二門

a

性指

w

三障

a

是故具

p

三︑修従

p

成︑成

p

三法爾︒又云︑一念心因︑既具

w

三軌

a

此因成

p

果︑名

w

三涅槃

z

又金錍云︑本有

w

三種

a

三理元遍︑達

p

性成

p

修︑修三

亦遍︒此皆性三修三六法明

w

離合

q

也︒言

w

修性対論三

q

者︑以

p

w

能対

a

性為

w

所対

z

w

不二門

q

云︑為

w

p

性明

o

修故

︑合為

p

二︒則修二性一︑三法明

p

合也︒

次義言

w

修九

q

者︑如

w

不二門

q

云︑是則修雖

p

p

九︒則法身・般

若・解脱︑各各具

p

三︒此乃修中自論

w

九法

q

以明

p

離也︒然法身

中三

︑雖

w

本属

o

︑ 指要判云

︑雖

p

w

性三

a

咸為

w

所発

a

故皆

p

修︒言

w

性九

q

者︑如

w

光明句

a

w

金鼓

a

具有

w

円・空・鳴三

a

即是一境三諦︒又於

w

円・空・鳴中

a

各各自具

w

姝大等三

a

遂 有

w

z

既 得

w

a

性 徳 中

論︑

p

w

起 修

z

此 則 就

w

(10)

一四〇

a

自論

w

九法

q

以明

p

離也︒修性対論九者︑如

w

涅槃疏明

z

体・

宗・用︑各有

w

三義

z

体有

w

礼・底・達

a

宗有

w

本・要・助

a

用有

w

本・当・自在

z

此約

w

修六性三

q

以明

p

離也︵云 

︶ ︒ ︶19

  初めに︑離合義においては︑第一に修三性三と修性対論の三とに

約する場合︑第二に修九性九と修性対論の三とに約する場合という

二種があると説く︒第一の修三性三とは︑﹃十不二門﹄の﹁性指

w

q

﹂の説をはじめ︑湛然の諸釈に見えるところの修三性三の六法

義を指すものであると言う︒修性対論の三というのは︑修と性とを

能所の一対として見るもので︑この第一義においては修二性一の合

義がこれに当たるとする︒続いて第二の修九性九では︑修中の九法

を論じる例と性中の九法を論じる例とを各々祖文より引く︒これら

は修・性各々の側面について九法を説いたものであるが︑修二性一

の対立から成る三法において各々が三を具することを言う時は︑修

六性三の九法義によって離義を明かすのであると判じている︒文初

に見えるように︑道淵によるこの離合解釈は当時の山家派内での異

見を批正することを目的として説示されたものとされる︒このこと

から︑修性離合義の解釈問題に関してこの頃既に物議を醸していた

ことが推察される︒

  この他︑南屏系の景徳法雲︵一〇八七?│一一五八︵七一歳︶│︶

の所著﹃翻訳名義集﹄巻六においては︑諸師による修性離合解釈を

列挙するなか︑山家所説の離合義を明かして次のように述べる︒ 又山家離合︑大有

w

二義

z

一︑約

w

修性相成

z

p

性則全

p

修成

p

性︑

性自有

p

三︒起

p

修則全

p

性成

p

修︑修自具

p

三︒二︑約

w

修性相対

z

離謂

w

修性各三

a

合謂

w

修二性一

z

今用

w

修性各三

a

而解

w

修六性

a

此混

w

相成・相対之門

a

復乱

w

六法・九法之数

z

斯背

p

義焉

︶20

  法雲の述べるところによると︑山家の離合解釈においては修性相

成門と修性相対門の二義が存するという︒修性相成とは全修成性・

全性成修の観点から修三と性三の相即を説くものであり︑一方修性

相対は前掲の修性不二門の原文同様︑三法のなかに修二性一の相対

を設け︑その上で三法各々に更に三徳が具わるとする釈がこれに当

たると思われる︒ここで法雲によって﹁今用

w

修性各三

a

而解

w

修六

性三

q

﹂などとして批判されている対象が具体的にいずれの学匠の

説に当たるかは詳らかでないものの︑いずれにしても︑文脈から判

断して︑ここに言うところの相成門は修三性三︑相対門は修六性三

の義にそれぞれ当てられていると見て良いだろう︒法雲によるこの

ような言及もまた道淵の所論同様︑当時における宗内の異説を反映

したものと考えられ︑知礼が離合解釈に際して二義を併用したこと

によって︑後代において些かの混乱がもたらされたことは疑いのな

いところと言える︒さきに言及した了然︵一〇七六│一一四一︶も

道淵や法雲らと概ね同じ時期に属する人物であるから︑この頃山家

派の内部において離合義の解釈が学匠らの注目を集めたことは確か

(11)

趙宋天台における修性離合義の解釈について一四一 であろう︒彼らが離義の解釈に際して︑修六性三の九法義のみならず修三性三の六法義をも併せて説き得ると釈したことは︑恐らくこのような宗内の疑問に対して一応の解決を図るものだったのではないかと考えられる︒

四 まとめ

  湛然が三大部註釈の過程で新たに付した修性三因義に基づく三法

解釈は︑従来の三軌三法に基づく教学体系に対して多大な変革をも

たらすものであった︒この修二性一と修性各三から成る修性離合義

をどのように解釈し︑自らの教説内に取り入れるかという問題は︑

とりわけ宋代の山家派において重要な課題となった︒知礼は修性各

三の離義を説くに当たっては﹃十不二門﹄所説の修六性三義のみな

らず︑湛然の他の教説中から修三性三義をも発掘し︑ともに修性各

三義として位置づけ大いに強調した︒これによって知礼の没後︑山

家派の後裔らにおいては離義の解釈をめぐっていささか議論を生じ

たことが伝えられる︒従来の研究では︑山家派は修性各三の離義を︑

山外派は修二性一の合義をそれぞれ重視したとのみ説明されていた

が︑この離合義を如何なるものとして捉えるかということは︑それ

自体が問題を有する部分である︒本稿での検討を通して︑この点に

ついては確認出来たと思う︒山家派において離義を解釈するに当た

り修三性三義が大いに顕揚されたことは︑当体全是を重視する山家 の教説から鑑みるに︑その思想的特色を反映する一例と言える︒今回は紙幅の都合上︑基礎的な部分の確認と山家派側の展開を概観するに留まることとなったが︑山外派による離合解釈およびその所説と山家派説との相異という点については︑またの機会において扱いたいと思う︒

︵1︶ 安藤俊雄﹃天台性具思想論﹄︵法蔵館・一九五三年︶一一四頁︒

︵2︶ 修性離合を扱った先学の研究としては︑島地大等﹃十不二門論講議﹄︵光

融館・一九〇九年︶︑安藤氏前掲﹃天台性具思想論﹄及び﹃天台思想史﹄︵法

蔵館・一九五九年︶︑池田魯参﹁十不二の範疇論︵二︶指要鈔を通路とし

て﹂︵﹃駒沢大学仏教学部研究紀要﹄三七・一九七九年︶等がある︒

︵3︶ 大正三三・七四一頁中︒

︵4︶ 大正三三・七四一頁中︒

︵5︶ 大正三三・七四四頁上︒

︵6︶ 大正三三・一三四頁中下︒

︵7︶ 大正三四・三四〇頁上︒

︵8︶ 大正四六・七〇三頁中︒

︵9︶ ﹃十不二門枢要﹄巻上︑続蔵二︲五・一二一丁左下│一二二丁右上︒ま

た大宝守脱もこの箇所に対して同様の解釈を示している︒︵﹃十不二門指要

鈔講述﹄巻下︑﹃天台宗全書﹄巻二・四四頁・五七頁︶

10︶ 大正四六・七一四頁上中︒

11︶ 註︵7︶参照︒

12︶ 因果不二門の該当箇所は大正四六・七〇三頁中に見える︒

13︶ 大正三九・二三頁中下︒

14︶ 註︵8︶参照︒

(12)

一四二

15︶  註 ︵ 10︶参照︒

16︶ 大正四六・二九六頁中︒

17︶ 註︵8︶参照︒

18︶ 大正三四・八九六頁上中︒

19︶ 大正四九・二二六頁中下︒この道淵の生没年は不明であるが︑神智従義

︵一〇四二│一〇九一︶の同門に当たる草堂処元︵生没年未詳︶の法嗣と

伝えられる︒また︑仏光法照︵一一八五│一二七三︶の﹃法華経三大部読

教記﹄には神照系の寿安良弼の言として︑﹁修三性三︑修性対論三︒修九

性九︑修性対論九︒六離四合︑約w名義偏強z若拠w法体a離合自在︒﹂︵続

蔵一︲四三・三三五丁右上︶と引用する記述が認められる︒この良弼の生

没年もまた伝わらないが︑﹃仏祖統紀﹄巻一四の記載︵大正四九・二二〇

頁上︶の如く神悟処謙︵一〇〇〇│一〇七五︶の門弟であるとすれば︑道

淵よりもやや上の世代に当たる可能性があるため︑一応ここで触れておく︒

この箇所については鳳潭﹃十不二門指要鈔詳解選翼﹄︵善通寺蔵本︶巻下︑

三〇丁左にも指摘がある︒

20︶ 大正五四・一一四八頁上中︒

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