安 祥 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 ○
安
群
寺
と
五
智
如
來
像
と
に
就
い
て
金
森
建
藪 に 言 ふ 安 群 寺 五 智 如 來 像 と は 同 寺 よ り 恩 賜 京 都 博 物 館 に 出 陳 さ れ て 居 る 五 盟 の 佛 像 で 、 大 日 如 來 、 阿 閾 如 來 、 寳 生 如 來 、 阿 彌 陀 如 來 、 繹 遡 如 來 と 呼 ば れ て 居 る 諸 像 を 指 す 。 此 の 小 丈 は 主 と し て 安 鮮 寺 資 財 帳 に 見 出 さ れ る 同 種 の 五 魑 の 佛 像 と の 關 係 を 考 へ 、 そ れ に ょ つ て 現 存 像 の 造 立 年 代 を 考 へ る の を 目 的 と す る の で あ る が 、 此 の 五 智 如 來 像 に 關 し て 必 然 的 に 稽 へ な け れ ば な ら な い 安 祥 寺 自 體 に 就 い て も 考 察 を 加 へ 、 そ れ よ り 佛 像 の 問 題 に 及 ば ん と す る も の で あ (1) る 。 な ほ 私 は 最 近 此 の 五 像 に 關 係 す る 問 題 に つ い て 小 考 を 公 け に し た の で 、 や ゝ そ れ と 重 複 す る 點 も あ る が 、 記 述 の 便 宣 上 煩 を 再 ひ せ ざ る を 得 な い 事 情 に あ る 事 を 附 記 し て 置 く 。 一 資 財 帳 の 五 智 如 來 像 は 安 鮮 寺 の 草 創 と 重 大 な 關 係 が あ る の で 、 先 づ 壁 頭 に 安 鮮 寺 の 開 創 よ り 整 備 に 至 る 間 の 釈 況 を 稽 へ る の が 順 序 の や う で あ る 。 此 の 寺 に 關 し て は 他 に 若 干 の 丈 獄 が な い で は な い が 、 草 創 時 の 治 息 を 傳 へ て 居 る の は 安 鮮 寺 資 財 帳 の 他 に は 見 出 さ れ な い 。 此 の 資 財 帳 は 貞 觀 九 年 に 開 創 者 た る 曾 恵 運 の 勘 記 に 成 る も の で あ る の で 、 同 寺 の 草 創 に 就 い て は 之 以 上 確 實 な 丈 職 は 考 へ ら れ な い わ け で あ る 。 そ し て 安 群 寺 資 財 帳 は 其 の 冒 頭 に 建 寺 の 由 縁 を 記 し て 居 る が 、 そ の 中 に 見 ゆ る 左 の 個 所 ( 大 日 本 佛 教 全 音 本 に よ る ) が 具 體 的 な 同 寺 の 創 建 事 情 を 語 つ て 居 る の で あ る 。嘉 群 元 年 歳 家 戊 辰 秋 八 月 得 前 撮 津 國 少 橡 上 毛 野 朝 臣 松 雄 之 松 山 一 箇 峰 謹 奉 爲 太 皇 太 后 並 四 恩 始 建 立 安 詳 寺 仁 壽 元 年 歳 次 辛 未 春 三 月 太 皇 太 后 宮 始 置 七 僧 以 持 念 薫 修 二 年 秋 閏 八 月 穎 稻 一 千 斤 以 爲 常 燈 分 印 下 官 符 付 之 山 城 國 齊 衡 二 年 歳 衣 乙 亥 言 上 編 官 額 三 年 歳 次 丙 子 冬 十 月 施 入 寺 之 四 邊 山 貞 觀 元 年 歳 次 己 卯 夏 四 月 上 啓 講 毎 年 度 僧 以 冷 恒 轄 諸 宗 法 輪 殿 下 允 許 途 獲 勝 願 建 立 堂 宇 圖 書 尊 像 繕 爲 大 乗 始 度 年 分 書 夜 無 間 韓 法 輪 今 、 之 を 了 解 の 便 宜 の 爲 に 表 示 す れ ば 、 嘉 鮮 元 年 八 月 上 毛 野 松 雄 の 松 山 一 箇 峰 を 得 て 太 皇 太 后 並 に 四 恩 の 御 爲 に 安 鮮 寺 を 始 め て 建 つ 仁 壽 元 年 三 月 太 皇 太 后 始 め て 七 曾 を 置 き 給 ふ 齊 衡 三 年 十 月 寺 の 四 邊 の 山 を 寺 に 施 入 し 給 ふ 貞 觀 元 年 四 月 年 分 度 僧 を 允 許 さ れ 堂 宇 を 建 立 し 尊 像 を 圖 書 す そ し て 此 の 資 財 帳 に 見 ゆ る 如 き 堂 塔 尊 像 は 貞 觀 九 年 の 頃 に は 大 凡 完 成 し て 居 た も の と 解 さ れ る 。 勿 論 、 貞 觀 元 年 の ﹁ 圖 書 奪 像 ﹂と あ る の は , 此 の 年 に 尊 像 が 出 來 上 つ た と 言 ふ の で は な く 、 此 の 年 に 造 り 始 め た と 言 ふ 意 で あ り 、 又 ﹁ 圖 書 ﹂乏 あ る の ば 字 義 通 り に 書 像 の 製 作 と 解 す べ き で な い 事 は 言 ふ 迄 も あ る ま い 。 更 に 嘉 群 元 年 に ﹁ 始 建 立 安 群 寺 ﹂と あ る の は 、 奈 良 時 代 以 來 の 通 法 の 如 く 、 ﹁ 造 始 ﹂の 意 と 解 す べ き で あ つ て 、 嘉 鮮 元 年 に は 安 鮮 寺 は 造 螢 の 緒 に つ い た に 過 ぎ な の い で あ つ て 、 そ れ も 、 資 財 帳 に 見 ゆ る 様 な 堂 塔 が 着 工 さ れ た と 言 ふ の で は な く 、 極 め て 小 規 模 な も の で あ つ た と 考 へ ら れ 、 本 當 の 造 螢 は 前 述 の 如 く 貞 觀 元 年 に 始 め ら れ た わ け で あ る 。 そ し て 、 此 の 寺 け 太 皇 太 后 宮 の 御 爲 に 恵 運 の 個 人 的 な 造 立 の 如 く に も 解 さ れ る が 、 仁 壽 元 年 の 記 事 は 寧 ろ 積 極 的 に 太 皇 太 后 宮 の 御 願 で あ る か に 思 は し め る も の が あ り 、 更 に 此 の 資 財 帳 の 雀 尾 に 見 ゆ る 貞 觀 十 三 年 の 追 記 に 、 安 群 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 一
安 詳 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 二 彼 寺 是 太 皇 太 后 宮 御 願 建 立 也 宜 以 職 家 印 令 捺 之 者 (2) と あ る の は そ れ を 有 力 に 裏 書 す る も の で あ ゐ 。 な ほ 此 の 資 財 帳 に 記 す 太 后 太 皇 宮 と は 仁 明 天 皇 の 順 子 皇 后 の 御 事 を 指 し 奉 つ て 居 る の で あ る 。 斯 く の 如 く し て 、 安 群 寺 の 草 創 は 嘉 鮮 元 年 に あ る が 、 資 財 帳 に 記 さ れ て 居 る 諸 堂 舎 は 主 と し て 貞 觀 元 年 か ら 同 九 年 の 間 に 造 立 さ れ た 事 が 知 ら れ な 。 併 し 、 各 堂 塔 の 造 立 順 序 は 資 財 幌 に よ つ て は 知 る す べ も な く 、 從 つ て 各 奪 像 の 造 立 年 次 も 明 確 を 鉄 き 、 資 財 帳 に 載 せ て ゐ る 五 智 如 來 像 も 貞 觀 元 年 か ら 同 九 年 迄 の 間 の 造 畢 と 判 ぜ む れ る に 過 ぎ な い の で あ る 。 な ほ 、 資 財 帳 の 堂 院 の 項 の 記 載 に よ れ ば 安 鮮 寺 に は 上 寺 と 下 寺 と の 二 廓 の あ つ た 事 が 知 ら れ る が 、 そ の 事 に 就 い て は 縁 起 丈 は 全 然 言 及 し て 居 な い 。 唯 、 首 丈 の 最 後 に 次 の 如 き 記 事 が あ る の で 、 山 五 十 町 四 至 東 限 大 樫 大 谷 南 限 山 陵 西 限 堺 峯 北 限 檜 尾 古 寺 所 在 山 城 國 宇 治 郡 飴 戸 郷 北 方 安 群 寺 上 寺 在 其 裏 建 立 己 後 経 九 年 至 齊 衡 三 年 歳 家 丙 子 冬 十 月 太 皇 太 后 后 宮 買 上 件 山 施 入 於 安 群 寺 藪 に 辛 じ て 上 寺 の 名 を 見 出 す が 、 右 の 齊 衡 三 年 の 事 は 前 掲 首 丈 の 齊 衡 三 年 の 記 事 を 指 す の で あ る し 、 叉 齊 衡 三 年 よ り 九 箇 年 を 湖 れ ば 嘉 鮮 元 年 に 當 る の で あ つ て 見 れ ば 、 上 來 に 謂 ふ 所 の 安 鮮 寺 と は そ の 上 寺 の み を 指 す 様 に も 解 さ れ る が 、 此 の 費 財 帳 の 首 丈 に 記 す 所 は そ の 丈 意 か ら 推 し て も 當 然 安 鮮 寺 全 體 に 及 ぶ も の で な け れ ば な ら な い 。 何 と な れ ば 、 此 の 首 文 は 之 の み を 以 て 完 結 し て 居 る の で あ つ て 、 然 も 資 財 の 項 に は 上 寺 下 寺 の 尊 像 を 併 せ 含 ん で 居 る か ら で あ る 。 從 つ て 、 此 の 首 文 の 認 述 に は や 論 矛 盾 が あ る 様 で あ る が 、 佛 教 全 書 本 の 資 財 帳 に 誤 植 の な い 脹 り ( 績 群 書 類 從 本
も 同 断 で あ る ) 、 ﹁ 太 皇 太 后 宮 買 上 件 山 施 入 於 安 群 寺 ﹂に 言 ふ ﹁ 安 鮮 寺 ﹂と は 正 し く 安 鮮 寺 そ の も の を 指 す の で あ つ て 、 決 し て 上 寺 に 限 定 さ れ る も の で は な い 。 從 つ て 前 の ﹁ 施 入 寺 之 四 邊 山 ﹂の ﹁ 寺 ﹂と 言 ふ の も 総 括 し た 安 群 寺 を 意 昧 す ゐ の で あ つ て 、 上 寺 の み を 指 し て 居 な い と 解 さ れ る 。 斯 く ず れ ば ﹁ 安 鮮 寺 上 寺 在 其 裏 ﹂の ﹁ 裏 ﹂の 字 が 改 め て 考 察 に 上 さ れ る の で あ る が 、 前 記 の 様 な 矛 盾 は 畢 寛 此 の ﹁ 裏 ﹂を ﹁ う ち ﹂と 解 す る 事 に 獲 す る の で あ つ て 、 之 を ﹁ う ら ﹂と 解 す れ ば 、 さ う し た 矛 盾 は 無 く な る 筈 で あ る 。 印 ち 山 五 十 町 は 上 寺 の み の も の で は な く 、 安 群 寺 全 體 に 屡 す る の で あ つ て 、 上 寺 は 山 五 十 町 の 裏 側 に あ つ た わ け で あ る 。 そ し て 、 此 の 裏 と 言 ふ の は 山 五 十 町 を 外 れ た の で は な く 、 當 然 五 十 町 の う ち で そ の (3) 外 側 -安 群 寺 地 の 地 勢 よ り 判 じ て 恐 ら く 北 側 で あ ら う -に 位 し て 居 た も の と 解 さ れ る 。 以 上 の 様 な 觀 察 に よ つ て 、 安 鮮 寺 を 構 成 し て 居 た 上 寺 と 下 寺 の 爾 廓 と も に そ の 結 構 は 等 し く 貞 觀 元 年 と 同 九 年 の 間 に 行 は れ た も の で あ る 事 が 推 定 さ れ る の で あ る 。 二 前 段 に よ つ て 資 財 帳 所 載 の 五 智 如 來 像 は 、 そ の 所 在 が 上 寺 で あ る に せ よ 、 下 寺 で あ つ た に せ よ 、 そ の 造 立 年 代 が 貞 觀 元 年 と 同 九 年 と の 間 に あ る 事 が 確 認 さ れ る が 、 そ の 九 年 間 の ど の 頃 に 於 て 實 際 に 製 作 さ れ た か に 就 い て は 、 前 述 の 如 き 文 献 的 な 歓 陪 に よ つ て 之 を 詳 に す る 事 は 不 可 能 で あ る 事 は 言 ふ 迄 も あ る ま い 。 資 財 帳 に 所 載 の 五 智 如 來 像 に 封 す る そ の 造 立 年 代 の 追 求 は 以 上 に よ つ て 完 了 す る わ け で あ る が 、 資 財 帳 の 豊 富 な 記 述 の う ち に は な ほ 多 く の 論 材 を 含 ん で 居 り 、 就 中 、 そ の 堂 塔 と 尊 像 と の 關 係 は 最 も 興 味 深 く 見 ら れ る が 、 そ れ が 五 智 如 來 像 に 殊 に 關 す る と 考 へ ら れ る の で あ る の で 、 論 考 の 本 道 を 外 れ る 感 は あ る が 、 若 干 の 考 察 を 加 へ て 、 五 智 如 來 像 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 三
安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 四 の 考 察 の 資 と し た い 。 安 群 寺 資 財 帳 は 開 創 者 自 ら が 記 し た 精 細 な 記 録 で あ つ て 、 安 鮮 寺 に 關 す る 唯 一 無 二 の 確 實 な 資 料 で あ る が 、 そ れ に も 拘 ら す 重 大 な る 歓 點 が 見 出 さ れ る 。 既 記 の 様 嬢 上 寺 と 下 寺 と の 造 立 事 惰 を 審 に し な か つ た の は そ の 一 つ で あ る が 、 更 に 、 佛 像 法 具 等 に 就 い て 詳 細 な 記 述 を な し 、 堂 舎 に 關 し て も 鹸 す 所 が な い に も 拘 ら す 、 通 途 の 資 財 帳 の 如 く 、 そ の 佛 像 と 堂 塔 と を 全 然 別 項 と し て 墨 け 、 爾 者 の 關 係 を 殆 ど 明 確 に し て 居 な い 爲 に 、 大 部 分 の 尊 像 の 安 置 場 所 が 判 然 と し な い の で あ る 。 從 つ て 、 叢 に 読 く 五 智 如 來 像 と て も そ の 所 在 は 資 財 帳 の 記 事 か ら 直 接 に は 知 る 事 が 出 來 な い わ け で あ る 。 今 、 資 財 帳 の 堂 院 の 項 よ り そ の 記 載 に 順 つ て 、 貞 觀 九 年 に 於 け る 安 鮮 寺 の 主 要 な 堂 塔 房 含 を 學 け る と す れ ば 、 右 の 如 き も の と な る 。 即 ち 、 上 寺 禮 佛 堂 一 間 長 五 丈 五 大 堂 一 間 長 四 丈 費 憧 工 二 基 各 高 四 丈 一 尺 太 皇 太 后 順 子 御 願 曾 房 東 西 各 二 闇 下 寺 毘 盧 舎 那 五 輪 卒 都 婆 一 基 金 翅 鳥 王 賓 憧 二 基 各 高 四 丈 一 尺
檜 皮 蓋 佛 堂 一 間 長 五 丈 六 尺 四 面 有 庇 僧 房 二 間 な ほ 下 寺 堂 院 の 最 後 に は 、 築 垣 内 縦 七 十 二 丈 五 尺 廣 光 二 丈 と 言 ふ 記 載 が あ る の で 、 そ れ に ょ つ て 下 寺 の 伽 藍 の 大 さ を 推 察 し 得 ゐ と 共 に 、 下 寺 が 少 く と も 開 闊 地 に あ つ て 、 上 寺 の 占 地 の 地 勢 と は 可 成 り 趣 を 異 に し て 居 た 事 が 知 ら れ る 。 右 の 諸 建 物 の う ち で 、 上 下 爾 寺 に 共 に 見 ら れ る 各 二 基 の 寳 橦 は 唐 代 の 寺 院 で 行 は れ て 居 た や う な 寺 院 荘 嚴 の 爲 の 憧 で あ る 事 は 明 白 で あ つ て 、 從 つ て そ の 中 に 佛 像 を 牧 め た も の で な か つ た 事 は 論 を 要 し な い 。 そ れ と 計 六 宇 の 櫓 房 と を 除 け ば 、 佛 像 を 安 置 す る た め の 建 造 物 は 上 寺 で は 禮 佛 堂 と 五 大 堂 で あ り 、 下 寺 で は 毘 盧 舎 那 五 輪 卒 都 婆 と 檜 皮 葺 佛 堂 と の 四 宇 の 堂 塔 に 殆 ど 限 定 し 得 る 。 そ し て 、 そ れ ら の う ち で は 下 寺 の 檜 皮 葺 佛 堂 は 最 も 大 き く 、 庇 を 併 せ れ ば 大 凡 七 (4) 丈 飴 の 長 さ が 考 へ ら れ る 。 叉 毘 盧 舎 那 五 輪 卒 都 婆 は 嘗 つ て 故 足 立 博 士 に よ つ て 考 究 さ れ た や う に 、 高 野 山 の 大 塔 の 形 (5) 式 に 從 ふ 塔 婆 で あ つ て 、 少 く と も 現 構 の 多 寳 塔 形 式 の 建 物 で あ つ た と 判 ぜ ら れ る 。 そ の 大 さ に 就 い て は 資 財 帳 に は 記 載 を 歓 い て 居 る が 、 下 寺 の 他 の 主 要 建 物 で あ る 佛 堂 の 大 さ か ら 推 定 し て も 、 そ の 初 暦 の 一 邊 が 四 丈 を 多 く 超 過 し た と は 考 へ ら れ な い 。 更 に 又 、 資 財 帳 の 記 載 要 領 に よ れ ば 、 上 寺 に あ つ て は 禮 佛 堂 が 湘 下 寺 に あ つ て は 毘 盧 含 那 五 輪 卒 塔 婆 が 中 心 を な し て 居 た と 思 は れ る が 、 安 群 寺 全 體 と し て は 上 下 爾 寺 の 敦 れ に 重 點 が あ つ た か は 明 瞭 で な い 。 併 し 我 國 上 代 寺 院 の 通 念 か ら し て も 、 又 宗 租 室 海 の 大 塔 に 封 す る 遺 志 か ら 考 へ て も 、 塔 婆 を 有 せ る 下 寺 に 中 橿 的 な 意 義 が あ つ た や う に 解 さ れ る 。 そ れ は 丁 度 醍 醐 寺 の 後 例 と ほ ゞ 同 檬 に 考 ふ べ き で あ ら う 。 醍 醐 寺 の 場 合 で は 、 上 醍 醐 が 先 づ 開 か 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 五
安 祥 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 六 れ て 本 來 は 上 醍 醐 に 重 要 性 が あ つ た の が 、 下 醍 醐 が 啓 か れ 整 備 さ れ る に 及 ん で 、 醍 醐 寺 の 重 點 は 山 下 に 移 つ た の で あ つ た 。
三
次 い で 、 こ れ ら の 諸 堂 宇 に 牧 め ら れ た 奪 像 の 主 な る も の を 、 堂 院 の 場 合 と 同 様 に 、 首 文 に 綾 い て 記 さ れ て 居 る 佛 菩 薩 像 の 項 よ り 抽 き 出 せ ば 、 左 の 如 く で あ る 。 五 智 如 來 像 五 駆 純 銀 佛 像 六 駆 太 皇 太 后 順 子 御 願 金 銅 小 佛 像 七 旛 五 大 虚 室 藏 像 五 艦 唐 佛 五 大 明 王 像 五 駆 毘 沙 門 天 王 像 一 鋪 毘 盧 舎 那 五 輪 卒 都 婆 一 基 樫 木 高 五 尺 五 寸 丈 徳 天 皇 御 願 金 泥 爾 部 曼 茶 羅 二 鋪 、 各 有 天 盃 等 身 十 一 面 觀 世 音 像 一 塞 白 檀 如 意 輪 觀 音 像 一 旛 毘 盧 遮 那 佛 像 一 艦 女 御 古 子 御 願等 身 地 藏 菩 薩 像 一 艦 下 寺 安 置 尚 侍 廣 井 女 王 御 願 爾 部 大 曼 茶 羅 二 鋪 各 六 罰 爾 部 壇 面 二 鋪 密 教 傳 法 組 師 像 十 六 艦 そ し て 最 初 の 五 智 如 來 像 は 資 財 帳 の 原 丈 で も 佛 像 の 項 の 筆 頭 に 記 さ れ て 居 る の で あ る 。 右 の 諸 像 の う ち で 草 創 安 鮮 寺 の 伽 藍 配 置 に つ い て 重 要 な 意 義 を 持 つ の は 言 ふ 迄 も な く 、 五 智 如 來 像 、 五 大 虚 室 藏 ⋮像 、 五 大 明 王 像 の 三 群 の 彫 像 で あ る が 、 そ れ ら に 就 い て は 後 に 述 べ る と し て 、 こ れ ら の 多 く の 尊 像 が 殆 ど 安 置 場 所 を 記 さ れ て 居 な い で 、 唯 、 廣 井 女 王 (6) 御 願 の 等 身 地 藏 菩 薩 像 の み に 例 外 的 に 下 寺 に 安 置 の 旨 の 註 記 が あ る に 過 ぎ な い 。 そ の 他 の う ち で は 十 六 癒 の 租 師 影 像 は 費 財 帳 の 他 の 個 所 に ﹁ 東 西 影 堂 ﹂と 言 ふ 記 載 が あ る 所 を 以 て 見 れ ば 、 六 宇 の 僧 房 の う ち の 二 宇 ( 恐 ら く は 上 寺 に あ る 四 宇 の う ち の も の で あ ら う ) に 租 師 像 が 安 置 さ れ て 居 て 御 影 堂 に 相 當 し て 居 た 事 が 推 定 さ れ 、 唐 佛 の 五 大 虚 室 藏 像 が も し 觀 智 院 に 現 存 す る 同 名 の 五 像 で あ れ ば 、 そ の 台 座 裏 の 墨 書 銘 に よ つ て 往 時 は 上 寺 に あ つ た 事 が 知 ら れ て 、 そ の 原 所 在 の 一 端 を 探 知 し 得 ら れ る 。 更 に 五 大 明 王 像 は そ の 名 構 よ り 推 し て も 上 寺 の 五 大 堂 に あ つ た 筈 で あ る 。 自 鯨 の 諸 像 の う ち で 、 順 子 太 皇 太 后 御 願 の 銀 佛 像 六 魑 と 唐 佛 の 小 金 銅 佛 七 駆 と 古 子 女 御 御 願 の 白 壇 如 意 輪 觀 音 像 と は 小 像 で あ る た め ど の 堂 に も 牧 め ら れ 得 た わ け で あ つ て 、 敢 へ て 問 題 と す る に 當 ら な い 。 更 に 等 身 十 一 面 觀 音 像 及 び 像 高 未 詳 の 毘 (7) 盧 舎 那 佛 像 -邸 ち 大 日 如 來 像 も そ の 安 置 場 所 に 就 い て は 丈 厭 的 な 微 櫨 は 見 出 さ れ な い 。 叉 女 御 古 子 御 願 の 金 泥 爾 部 曼 茶 羅 は ﹁ 各 有 天 蓋 ﹂と あ る の と 、 後 出 の 大 曼 茶 羅 に は ﹁ 各 六 副 ﹂と 註 記 の あ る 事 と に よ つ て 、 此 の 金 泥 曼 茶 羅 が 小 形 の も の で あ つ た 事 を 推 察 し 得 る 。 從 つ て 、 之 叉 そ の 所 在 に 就 い て は 規 定 さ れ る 所 は 極 め て 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 七
安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 八 少 い が 、 そ の 小 形 で あ る 所 か ら し て 、 堂 宇 の 本 尊 と し て は 適 當 し な い 。 そ れ に 反 し て 六 副 の 爾 界 大 曼 茶 羅 は そ の 大 さ に 於 て 、 不 安 朝 初 期 の 諸 例 の や う に 、 堂 宇 の 本 奪 と し て 適 合 す る も の で あ つ た わ け で あ る 。 最 後 に 、 こ れ ら の 諸 像 に 混 じ て 資 財 帳 の 佛 菩 薩 像 の 項 に 見 出 さ れ る 木 造 の 毘 盧 含 那 五 輪 卒 都 婆 は そ の 五 尺 五 寸 と 言 ふ 大 さ か ら 考 へ て も 堂 外 に 置 か れ た も の で は な く て 、 寧 ろ 之 に 佛 性 を 認 め て 、 或 は 大 日 如 來 を 此 の 塔 の 中 に 見 出 し た の で あ る か も 知 れ な い 。 勿 論 そ の 中 に 佛 體 の 安 置 さ れ た 可 能 性 は あ り 得 る が 、 塔 婆 自 ら の 大 き さ か ら 考 へ て 小 像 で あ つ た 事 は 論 す る 迄 も あ る ま い 。 そ し て そ の 安 置 場 所 に つ い て は 、 上 寺 よ り は 下 寺 が 適 當 し て 居 た 事 は 後 に 記 す 如 く で あ る 。 な ほ こ の 毘 盧 含 那 五 輪 卒 都 婆 は 別 に 堂 院 の 項 に 認 さ れ て あ る 毘 盧 金 那 五 輪 卒 都 婆 と 全 然 同 名 で あ る 所 か ら 、 同 一 の 塔 が 重 出 し て 居 る の で は な い か と の 疑 念 も 生 す る が 、 恵 蓮 の 佛 像 の 項 と 堂 含 の 項 と に 樹 す る 記 述 態 度 よ り 見 て も ( 特 に 資 財 帳 で 佛 像 の 項 の 五 輪 塔 婆 を 殊 更 ら ﹁ 一 艦 ﹂と 籔 へ て 居 る こ と は 注 目 に 儂 す る ) 堂 外 造 螢 物 を 堂 内 物 に 混 入 せ し め た と は 考 へ ら れ す 、 更 に 佛 像 の 項 の 五 輪 卒 都 婆 が 木 造 で 診 つ て 僅 か 五 尺 五 寸 の 高 さ を 有 す る 事 を 以 て す れ ば 、 そ れ が ﹁ 五 丈 六 尺 四 面 有 庇 ﹂の 佛 堂 と 並 ん で 一 廓 を な す 事 の 不 合 理 さ は 論 す る 迄 も あ る ま い 。 ま し て や 、 下 寺 の 五 輪 卒 都 婆 は そ の 一 廓 と し て は 第 一 の 建 造 物 で あ つ た の で あ る か ら 、 檜 皮 葺 佛 堂 に 封 し て 均 衡 を 失 す る 様 な 過 小 さ で あ つ た と は 考 へ 得 ら れ な い 。 四 以 上 の 如 く 見 れ ば 資 財 帳 所 載 の 諸 佛 菩 薩 像 の う ち で 、 安 置 場 所 が 明 記 さ れ て 居 る の は 等 身 地 藏 菩 薩 像 に 過 ぎ な い で 、 下 寺 の 恐 ら く は 檜 皮 葺 佛 堂 に 置 か れ て あ つ た と 考 へ ら れ る が 、 そ れ に し て も 同 堂 の 本 奪 と は 考 へ 難 く 、 本 尊 は 當 然 他
の 諸 像 の 中 に 見 出 さ れ る 筈 で あ る 。 次 い で そ の 所 在 の 確 認 し 得 る の は 丈 徳 天 皇 御 願 の 五 大 明 王 像 で あ つ て 、 そ れ に は 上 寺 の 五 大 堂 が 宛 て ら れ な ひ 五 大 堂 の 初 例 に 就 い て は 今 論 す べ き 鹸 裕 も 無 い が 、 現 在 迄 に 知 ら れ て 居 る 文 嶽 上 及 び 遺 品 の 諸 例 で は 五 大 堂 に は 例 外 な く 五 大 明 王 像 が 本 尊 と し て 安 置 さ れ て 居 る 所 か ら 推 せ ば 、 此 の 寺 の 五 大 堂 に 五 大 明 王 像 が 本 尊 と し て 安 置 さ れ て あ つ た 事 は 實 例 を 墨 け る ま で も な く 極 め て 明 瞭 な 所 で あ る 。 同 じ く ﹁ 五 大 ﹂の 二 字 を 冠 す る 五 大 虚 室 藏 像 に 封 し て も 名 構 の 上 か ら で は 五 大 堂 に 安 置 の 可 能 性 が あ る や う に も 思 は れ る が 、 我 國 の 密 教 寺 院 史 を 通 じ て 五 大 堂 の 本 尊 と し て 五 大 虚 室 藏 像 が 牧 め ら れ た 例 も な く 、 此 の 想 像 は 成 立 の 可 能 性 が 全 然 な く 、 五 大 虚 室 藏 像 の 爲 に は 別 の 堂 宇 を 考 へ な く て は な ら な い 。 尤 も 五 大 堂 に 五 大 尊 像 の 他 に 五 大 盧 室 藏 像 を 併 せ 置 く と 言 ふ 事 も 、 現 實 の 問 題 と し て は 絶 封 的 に は 否 定 し 得 な い わ け で あ る が 、 之 に 就 い て は 後 に 言 及 す る 。 所 で 安 群 寺 資 財 帳 に は 五 大 虚 室 藏 像 は 一 具 の み 載 せ ら れ 、 そ の 條 下 に ﹁ 唐 佛 ﹂と あ る 事 に よ つ て 、 該 像 五 旛 は 恵 蓮 が 唐 よ り 蹄 朝 に 際 し て 請 來 し た も の で あ る こ と が 知 ら れ る 。 そ れ に 關 し て 、 現 在 東 寺 塔 頭 の 觀 智 院 の 佛 殿 に 安 置 さ れ て 居 る 五 大 盧 室 藏 像 は 、 そ の 卒 毫 の 裏 面 に 法 印 宗 賢 に よ つ て 墨 書 さ れ て 居 る 永 享 七 年 の 修 理 銘 文 の 中 に 左 の 如 き 記 丈 が あ つ て 、 安 詳 寺 金 堂 先 年 大 風 之 時 顛 倒 本 尊 以 下 檸 而 混 合 塵 土 予 参 詣 之 塵 圃 涙 傷 墜 銘 肝 五 大 虚 塞 藏 根 本 上 安 詳 寺 安 置 唐 軍 躰 也 禾 隼 緩 以 残 御 光 持 物 等 塞 落 年 樹 御 座 獣 等 如 形 相 残 永 和 二 年 二 月 申 請 勧 修 寺 先 門 主 親 王 寛 口 奉 遽 渡 彼 璽 像 於 東 寺 觀 智 院 漸 女 所 奉 加 修 複 也 請 來 大 師 恵 運 三 修 等 早 廻 慈 眼 速 成 令 成 心 願 給 構 少 僧 都 賢 寳 生 年 四 十 四 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 八 九
安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 ○ 之 は そ の 頭 書 に ﹁ 先 師 賢 寳 法 印 記 云 ﹂と あ る 事 に よ つ て 知 ら れ る や う に 、 法 弟 宗 賢 が 先 師 の 記 丈 を 蔽 に 再 録 し た も の で あ る が 、 之 に ょ つ て 、 觀 智 院 の 五 大 虚 室 藏 像 の 様 式 並 び に 手 法 上 の 特 色 を 槍 す れ ば 、 我 國 の 何 の 時 代 の そ れ と も 適 合 (8) (9) し な い し 、 大 陸 に あ つ て は 宋 代 以 降 の も の と も 手 法 を 異 に す る 所 を 以 て 見 れ ば 、 此 の 現 存 五 大 虚 室 藏 像 を 、所 謂 ﹁ 唐 佛 ﹂ と 断 す る 事 は 些 も 支 障 が な く 、 從 つ て 、 此 の 觀 智 院 像 が 安 鮮 寺 上 寺 に あ つ た 請 來 佛 像 で あ つ 、た 事 は 疑 ふ 鯨 地 が な い 。 や ゝ 本 題 を 逸 し た 感 が あ つ た が 、 以 上 の 檬 な 考 察 に ょ つ て 、 觀 智 院 に 現 存 す る 五 大 虚 室 藏 像 が 安 鮮 寺 上 寺 の 二 つ の 堂 の 敦 れ か に 安 置 さ れ て あ つ た わ け で あ る が 、 二 堂 の う ち で 、 五 大 堂 は 前 述 の 如 く 五 大 明 王 像 が 既 に 本 奪 と し て あ る 事 な の で 、 残 る 禮 佛 堂 の 場 合 を 考 へ て 見 る に 、 禮 佛 堂 は 五 大 堂 よ り 一 段 と 堂 が 大 で あ つ た 事 が 知 ら れ る か ら 、 そ の 堂 (10) が 現 五 大 虚 室 藏 像 の 如 き 比 較 的 小 像 の み に よ つ て 占 め ら れ 弛 筈 は な く 、 當 然 相 當 大 量 の 面 積 が 残 さ れ て 居 た 筈 で あ つ て 、 五 大 虚 室 藏 像 が 該 堂 の 本 奪 で あ つ た に せ よ 客 佛 で あ つ た に せ よ 、 併 せ 置 か れ た 佛 像 は 五 大 虚 室 藏 像 よ り 遙 か に 大 き な 像 高 を 有 し 、 然 も 激 駆 に 及 ん だ 事 が 察 せ ら れ る 。 そ し て 禮 佛 堂 内 に 五 大 虚 室 藏 が 他 像 と 併 置 さ れ 得 る と す れ ば 、 五 大 堂 で 五 大 奪 像 と の 併 置 の 可 能 性 も 考 へ ら れ る が 、 二 つ の 堂 の 大 さ よ り 考 へ て 、 禮 佛 堂 に 併 置 の 方 が 遙 か に 可 能 性 が 多 く 、 從 つ て 禮 佛 堂 に は 現 存 五 大 虚 室 藏 像 の 他 に そ れ よ り 大 形 の 佛 像 撒 臆 が 牧 め ら れ て 居 た と 断 じ て も 過 り 無 い と 考 へ ら れ る 。 と す れ ば 、 此 の 堂 に 就 い て 残 さ れ た 問 題 は 五 大 虚 室 藏 像 と 共 に 併 せ 置 か れ た 尊 像 が 資 財 帳 所 載 の 諸 像 の う ち の 何 れ に 該 當 す る か と 言 仏 事 で あ る 。 勿 論 、 銀 佛 像 と か 白 檀 の 如 意 輪 觀 音 像 な ど の や う な 小 佛 像 が 、 さ う し た 場 入 冒 に 主 要 な 役 割 を な ず と は 考 へ ら れ な い で 、 唯 、 前 に や ゝ 言 及 し た や う に 十 一 面 觀 音 像 に は 多 少 そ れ に 適 し た 丈 厭 的 な 背 景 が あ る が 、 よ し そ れ を 認 め る と し て も そ の 、 文 獄 の み か ら で は 上 寺 の 敦 れ の 堂 に あ つ た の か は 判 じ 得 な い の で あ る し 、 此 の 場 合 で は そ の や う な 逗 汝 の 佛 像 は 考 へ る に は 及 ば な い 事 で 、 む し ろ 互 像 か 、 一 群 を な す 大 像 か に 限 定 し
て 考 ふ べ き な の で あ る 。 そ の や う に 考 へ て 見 れ ば 、 此 の 考 察 に 上 す べ き も の は 資 財 帳 の 上 か ら で は 五 智 如 來 像 と 六 副 の 大 曼 茶 羅 を 措 い て は 他 に な い 筈 で あ る 。 五 藪 で 一 、鷹 硯 野 を 下 寺 へ 移 し 度 い 。 以 上 の 考 察 に よ つ て 上 寺 に 就 い て は 或 程 度 の 概 念 を 得 る 事 が 出 來 た が 、 下 寺 の 安 置 佛 像 に 關 し て は 等 身 の 地 藏 菩 薩 像 が 知 ら れ る に 過 ぎ な い 。 然 も 下 寺 の 檜 皮 葺 佛 堂 は 上 寺 爾 伽 藍 を 通 じ て 最 大 の 建 造 物 で あ り 、 そ れ に 並 ぶ 五 輪 卒 都 婆 も 當 然 そ れ に 匹 敵 す る 規 模 を も つ て 居 た と 考 へ ち れ る の で 、 そ の 中 に は 相 當 大 形 の 彫 像 が 安 置 さ れ 得 た 筈 で あ つ て 、 そ れ に 封 し て は 資 財 帳 に 首 記 さ れ て 居 る 五 智 如 來 像 が 最 も 有 力 な 候 補 と な る や う に 考 へ ら れ る 。 所 謂 多 寳 塔 に 金 剛 界 或 は 胎 藏 界 の 五 智 如 來 像 を 本 奪 と し て 安 置 す る 事 は 通 途 の 例 で あ つ て 、 そ の 點 か ら 言 へ ば 、 此 の 安 鮮 寺 多 寳 塔 に 五 智 如 來 像 を 安 置 し た と 考 へ る の は 極 め て 自 然 で あ り 、 叉 合 理 的 で も あ る わ け で あ る 。 併 し 、 多 寳 塔 に 五 智 如 來 像 を 安 置 す る と 冒 ふ 事 は 寧 ろ 後 天 的 に 規 定 さ れ た の で あ つ て 、 眞 言 密 教 を 開 い た 察 海 の 大 理 想 が 言 は ゞ 蹟 行 的 に 形 式 化 さ れ た 結 果 に 過 ぎ な い や う に 考 へ ら れ 、 室 海 の 當 初 の 創 案 は 爾 界 曼 茶 羅 を 寺 院 内 に 形 成 さ せ て 、 そ れ (11) を 中 心 と し て 眞 言 秘 密 の 宗 教 的 世 界 を 具 現 す る の に あ つ た 事 は 、 室 海 の 高 野 山 開 創 の 経 緯 に 就 い て 極 め て 明 白 で あ る 。 畢 寛 、 多 寳 塔 は 室 海 が 高 野 山 に 創 め た 大 塔 の 簡 單 化 さ れ た 形 式 で あ つ て 、 爾 界 曼 茶 羅 の 世 界 を 容 れ る 爲 め 造 螢 物 で あ つ た の で あ る 。 安 群 寺 は 室 海 の 残 後 程 な く し て 開 創 さ れ た 事 ゆ え 、 恵 運 の 此 の 寺 に 封 す る 経 螢 方 針 も 、 彼 の 在 唐 時 の 所 見 を 加 味 す る 所 の あ つ た 事 は 自 然 で あ る が 、 室 海 の 先 鞭 に 順 ふ 點 の 多 か つ た 事 は 論 を 要 し な い 次 第 で あ つ て 、 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 一
安 騨 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 二 此 の 多 寳 塔 の 場 合 で も 室 海 の 前 例 が 有 力 な 資 料 と な つ た 筈 で 、 必 す し も 五 智 如 來 像 を 一 方 的 に そ の 内 に 牧 め た と は 断 ぜ ら れ な い 。 寧 ろ 紳 護 寺 の や う に 五 智 如 來 の 爲 に は 、 別 に 五 尊 堂 と 言 つ 露 や う な も の を 肘 意 し た 可 能 性 が 多 い と 言 ひ 得 る 。 そ し て 、 も し 多 寳 塔 に 五 智 如 來 像 を 置 か な か つ た と す れ ば 、 何 を そ の 中 に 置 い た か ゞ 問 題 と 准 ら な け れ ば な ら な い が 、 そ れ に 樹 し て は 本 顧 を 記 さ な い 爾 部 大 曼 茶 羅 が 、 そ の 六 副 と 言 ふ 大 さ と 、 多 寳 塔 と 爾 界 曼 茶 羅 と の 關 係 と か ら し て 頗 る 可 能 性 が 多 く 考 へ ら れ る 。 勿 論 、 多 寳 塔 内 に 爾 界 曼 茶 羅 を 奉 懸 す る と い ふ 形 式 は 丈 獄 的 に も 遺 晶 的 に も 遺 例 が (12) 見 出 さ れ な い が 、 室 海 の 高 野 山 に 於 け る 双 塔 併 立 案 と 言 ふ 前 例 と 肺 護 寺 の 眞 言 堂 ( 後 に 言 ふ 講 堂 ) に 於 け る 近 似 例 と に よ つ て 、 そ の 様 な 安 置 形 式 は 當 然 あ る べ き で あ 、つ て 、 後 世 の 多 寳 塔 安 置 佛 の 諸 例 に よ つ て 密 教 開 創 期 の 古 例 を 規 定 す る 事 は 適 當 で な い の で あ み 。 此 の や う に し て 、 下 寺 の 多 寳 塔 に は 五 智 如 來 像 と 六 副 爾 界 曼 茶 羅 と の 敦 れ か ゞ 本 尊 と し て 牧 め ら れ て 居 た 事 が 推 定 さ れ る が 、 私 見 に よ れ ば 後 者 の 方 に 可 能 性 が 多 い と 考 へ ら れ る 。 從 つ て 、 も し 此 の 考 察 が 成 立 す る と す れ ば 、 五 智 如 來 像 の 安 置 場 所 を 何 庭 に 求 め る べ き で あ ら う か 。 之 を 資 財 帳 に 就 い て 索 む れ ば 下 寺 の 檜 皮 葺 佛 堂 が 上 寺 の 禮 佛 堂 の 敦 れ か で な け れ ば な ら な い 。 所 で 、 藪 に 現 騨 抄 の 五 大 虚 室 藏 法 下 に 歎 個 掲 出 さ れ て 居 る 五 大 虚 室 藏 像 の 例 の 中 の 一 例 に 左 の 如 き 註 記 が あ つ て 、 唐 佛 の 五 大 虚 室 藏 像 が 嘗 て 同 寺 の 大 日 堂 に あ つ た 事 が 知 ら れ る 。 大 日 堂 勧 修 寺 西 也 る ス ノ ニ 三 修 律 師 請 來 唐 本 五 大 盧 室 藏 木 像 安 置 安 群 寺 大 日 堂 其 堂 破 損 伍 移 置 金 堂 坤 角 云 汝 所 で 畳 騨 抄 の 五 大 盧 室 藏 法 上 の 末 尾 に 近 く 、
安 群 寺 五 大 虚 室 藏 有 爾 本 等 身 叉 三 尺 像 也 三 尺 像 青 龍 寺 本 鰍 (13) と あ る 事 に よ つ て 、 畳 禮 の 在 世 し た 建 久 前 後 に は 安 群 寺 に は 五 大 盧 室 藏 像 が 二 具 あ つ た 事 が 知 ら れ る が 、 そ の 中 の 二 具 は 嘗 て 大 日 堂 に あ つ た も の を 該 堂 の 破 損 の 爲 に 金 堂 へ 移 し た と 言 ふ の で あ る が 、 薙 に 記 す 金 堂 が 資 財 帳 の 檜 皮 葺 佛 堂 に 當 る 事 は 言 ふ 迄 も あ る ま い が 、 他 の 大 日 堂 と 言 ふ の も 、 現 灘 抄 の 同 じ 項 に 此 の 大 日 堂 の 前 に 例 示 さ れ て あ る 他 (註 (9) 参 照 ) の 一 具 の 像 に 記 さ れ て 居 る 左 の 如 き 註 記 に よ つ て 、
安
奪
馨
五
大
塞
藏
魏
袈 裟 井 身 赤 色 當 時 の 安 鮮 寺 の 多 寳 塔 に は 別 具 の 五 大 虚 室 藏 像 が あ つ た 事 が 知 ら れ る の で 、 右 に 言 ふ 大 日 堂 が 下 寺 の 多 寳 塔 に 相 當 し (14) な い 事 が 推 定 さ れ 、 從 つ て 此 の 大 日 堂 は 上 寺 に 於 て 求 め な け れ ば な ら な い 。 上 寺 の 一 廓 に ﹁ 大 日 堂 ﹂を 、 求 め る と す れ ば 、 畳 灘 抄 當 寺 の 安 群 寺 に は 草 創 時 よ り 後 に 攣 動 が あ つ た か も 知 れ な い が 、 上 寺 の 二 宇 の 舎 堂 の う ち で は 禮 佛 堂 を 大 日 堂 に 擬 す る の が 自 然 で あ ら う 。 師 ち 禮 佛 堂 で は 大 日 如 來 像 を 本 奪 と な つ て 居 た か 、 少 く と も 大 日 如 來 像 が 重 要 な 安 置 佛 と な つ て 居 た 事 が 知 ら れ る 。 然 る に 草 創 資 財 幌 に よ れ ば 安 鮮 寺 に は , 大 ぼ 如 來 像 は 五 智 如 來 像 の 中 の 大 日 像 の 他 に 、 女 御 古 子 の 御 願 で あ つ た 眺 盧 遮 那 佛 像 が あ る の で 、 此 の 禮 佛 堂 に は 五 智 如 來 像 か 古 子 御 願 の 大 日 如 來 像 か の 敦 れ か ゞ 五 大 虚 室 藏 像 と 併 置 さ れ て 居 た 筈 で あ る 。 所 で 、 安 鮮 寺 資 財 帳 は 堂 院 の 項 の 上 寺 か ら 下 寺 に 及 ぶ 整 然 た る 記 述 に 反 し 、 佛 菩 薩 像 の 項 に あ つ て は そ の 記 述 の 方 針 が 頗 る 不 分 明 で あ つ て 、 造 像 の 本 願 に よ つ て ま と め た も の と 見 る の が 最 も 近 い 檬 で あ る が 、 そ れ に し て も 太 皇 太 后 順 子 御 願 の 佛 像 六 騙 が 上 位 に 一 括 し て 記 さ れ 乍 ら 、 中 程 に 再 び 同 じ 御 本 願 に よ る 八 大 明 王 像 が 記 さ れ て 居 り 、 太 皇 太 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 三安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い で 九 四 后 御 願 の 六 鴉 の 奪 像 と 文 徳 天 皇 御 願 の 佛 像 と の 間 に は 唐 佛 が 介 在 し 、 又 筆 頭 に 寺 造 立 と 見 倣 さ れ る 五 智 如 來 像 が 記 さ れ て 居 る と 言 ふ が 如 く で 、 此 の 記 載 は 本 願 に よ つ て 一 括 さ れ た も の で は な い こ と が 知 ら れ る 。 叉 佛 體 の 尊 卑 や 像 の 素 材 の 別 に よ つ た も の で も な い 事 は そ の 記 載 の 順 序 を 見 れ ば 一 目 瞭 然 で あ る 。 残 る 所 は 安 置 場 所 に よ る 配 列 で あ る が 、 そ れ に 就 い て は 上 寺 に 安 置 と 確 定 し 得 る 五 大 虚 室 藏 像 と 五 大 奪 像 と が そ れ ぐ 第 四 位 と 第 五 位 と を 占 め て 居 り ( 第 二 位 の 純 銀 佛 像 と 第 三 位 の 金 銅 佛 像 と は 小 像 で あ る か ら 考 慮 に 入 れ る 必 要 は あ る ま い -上 寺 の 敦 れ か の 堂 に あ つ た も の と 見 て 支 障 な い ) 、 下 寺 に 安 置 の 等 身 地 藏 像 が 下 位 に 近 く 記 さ れ て 居 る 事 を 思 へ ば 、 此 の 佛 菩 薩 の 項 の 序 列 は 堂 院 の 項 の そ れ と 同 様 に 原 則 的 に 上 寺 よ り 下 寺 へ 記 載 を 進 め た も の と 推 断 し 得 る 。 か く 考 へ て 、 資 財 帳 の 五 智 如 來 像 を 見 れ ば 、 之 は 正 に 筆 頭 に 位 し て 居 る の で あ る 。 從 つ て 、 此 の や う な 見 地 か ら で は 此 の 五 智 如 來 像 は 上 寺 に あ つ た も の と 考 (15) へ ら れ 、 更 に 詳 し く 言 べ ば 上 寺 の 禮 佛 堂 に あ つ た と 推 定 す べ き で あ る 。 斯 く て 、 上 來 の 考 察 を 要 約 す れ ば 、 安 群 寺 資 財 帳 に 見 ゆ る 金 剛 界 の 五 智 如 來 像 は 貞 觀 元 年 よ り 同 九 年 の 間 に 造 立 さ れ 、 同 寺 上 寺 の 禮 佛 堂 に 恐 ら く は 本 尊 と し て 、 五 大 盧 室 藏 像 と 共 に 併 置 さ れ て 居 た も の と 推 定 さ れ る の で あ る 。 薙 に 於 て 、 此 の 丈 獄 上 の 五 智 如 來 像 と 現 存 の 五 智 如 來 像 と の 關 係 が 問 題 と な る 筈 で あ る 。 六 安 群 寺 に 現 存 す る 五 管 如 來 像 は 五 脇 と も 、 完 全 に 揃 つ て 淺 つ て 居 る 點 で 確 か に 一 偉 觀 で あ る 。 併 し 幾 星 霜 の 間 に は 自 然 と 損 傷 も あ つ た も の と 見 え 、 各 像 庵 光 背 は 後 世 の 補 作 に 成 り 、 毫 座 も 完 全 に 薦 形 を 傳 へ る も の は な い が 、 綜 合 す れ ば 李 安 朝 初 期 の 鮭 大 な 形 式 を 具 へ て 居 た 事 が 知 ら れ ( 蓮 辮 は 悉 く 後 補 と 見 ら れ る ) 、 殊 に そ の 反 花 は 美 事 で あ つ て 、
他 に 絵 り 多 く の 遺 例 は 無 い が 、 所 謂 貞 觀 式 蔓 座 の 特 色 的 な 形 式 を 示 し て 居 る 。 叉 佛 身 に 就 い て も 損 傷 が あ つ た ら し く 、 阿 悶 如 來 像 の 爾 手 先 の 補 作 の 如 き 著 し い 例 で 、 大 日 如 來 像 の 寳 髪 の 如 き も 修 補 を 受 け て 居 る 様 に 見 え る 。 勿 論 螺 髪 な ど は 殆 ど 補 加 と 見 て よ い で あ ら う 。 像 身 は 木 造 漆 箔 の 手 法 に ょ つ て 製 作 さ れ て 居 る が 部 分 的 に は 抹 香 漆 を 盛 上 げ ( 乾 漆 暦 の 厚 薄 は 不 定 で あ る ) 、 叉 所 に よ つ て は 木 地 上 布 貼 を な し て 居 る 。 次 い で 、 木 地 構 成 に つ い て 言 へ ば 、 木 寄 の 組 合 せ 要 領 が 判 然 し な い が 、 背 劇 り が 行 は れ て 居 て 、 そ の 範 園 は 可 成 り 廣 く 深 い や う で 、 背 板 も 亦 從 つ て 薄 い と 判 ぜ ら れ る 。 以 上 の や う な 技 法 上 の 特 色 は 之 を 概 し て 言 へ ば 貞 觀 、 藤 原 爾 時 代 の 過 渡 期 の 遺 像 に 多 く 見 ら れ る 所 で あ つ て 、 紳 護 寺 五 大 虚 室 藏 像 や 觀 心 寺 如 來 輪 觀 音 像 な ど の 如 き 貞 觀 盛 期 像 の 手 法 に 比 す れ ば 一 段 と 藤 原 佛 の 手 法 に 接 近 し て 居 る 事 が 知 ら れ る 。 更 に 様 式 上 の 點 に 就 い て 見 れ ば 、 此 の 點 で も 觀 心 寺 如 意 輪 觀 音 像 の や う な 量 感 に 充 ち た 盛 期 像 に 比 す れ ば 、 遙 か に 李 明 さ を 加 べ 、 拝 者 を 墜 し 去 ら ん と す る が 如 き 威 力 に は 嵌 け て 居 る 。 肉 取 り 叉 從 つ て 抑 揚 に 乏 し く 亭 調 で あ つ て 、 概 し て 言 へ ば 藤 原 佛 の 一 般 に 近 い 事 は 否 定 す べ く も な い 。 像 身 の 部 分 的 な 特 色 に 於 て は 、 頬 に は 膨 ら み が あ る と は 言 へ 、 顔 面 の 全 面 と し て は 盛 期 像 に 比 し て は 面 長 に な つ て 居 り 、 頭 部 の 點 で も 大 日 如 來 像 の 寳 髪 は 神 護 寺 五 大 虚 室 藏 像 の 充 實 し た 形 歌 に 比 し て は 著 し く 惰 性 的 な 形 式 主 義 的 傾 向 を 露 は し 、 他 の 四 佛 に 於 て も 頭 頂 の 肉 髪 が 甚 し く 低 干 で あ つ て 、 貞 觀 佛 に 通 有 の 肉 髪 基 部 の 強 い 緊 張 が 見 ら れ な く な つ て 居 る 。 そ の 他 、 比 較 的 に 小 形 の 眼 、 鼻 、 口 唇 等 も 此 の 像 の 亭 明 な 表 現 数 果 の 重 要 な 因 子 を な し て 居 る 。 最 後 に 此 の 五 像 の 檬 式 的 な 特 色 で 看 過 し 得 な い の は そ の 衣 文 の 形 成 法 で あ る 。 正 確 に 言 へ ば 、 此 の 五 智 如 來 像 の 衣 文 法 は 一 途 で な く 、 大 日 如 來 像 の そ れ と 、 他 の 四 像 の そ れ 吐 の 二 つ に 分 け ら れ る 。 前 者 は 奈 良 末 期 の 一 部 の 佛 像 -安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 五
安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 六 例 せ ば 西 大 寺 四 佛 中 の 或 像 や 法 隆 寺 西 圓 堂 の 藥 師 如 來 像 の 如 き I l に 見 ら れ た や う な や ゝ 尖 つ た 高 い 峰 を も つ た 襲 に 近 い が 、 襲 の か さ な り 具 合 は 全 く 異 つ て 、 弱 く 緩 い そ し て ま ば ら な 平 行 線 を 形 成 し 、 頗 る 單 調 で あ る 。 之 に 謝 し て 四 佛 像 に 見 ら れ た 衣 文 は 薮 の か さ ね 法 は 中 奪 像 の そ れ と ほ ゞ 同 戦 で あ る が 、 襲 そ の も の 、 造 ら れ 方 は 全 然 趣 を 異 に し 、 所 謂 醗 波 式 衣 丈 を あ ら は し て 居 る 。 尤 も 均 し く 翻 波 式 衣 丈 と は 言 つ て も 、 此 四 佛 像 の も の は 法 華 寺 十 一 面 觀 膏 像 や 橘 寺 日 羅 像 の や う な 隆 起 が 強 く 線 の 鋭 い も の と も 異 つ て 、 低 ∼ v 弱 く そ し て 間 遠 ほ で あ る が 、 さ り と て 新 藥 師 寺 の 藥 師 如 來 坐 像 の や う な 貞 觀 初 期 像 に 見 ら れ る 、 低 く は あ る が 強 い 緊 張 に 満 ち た も の と も 趣 を 異 に し て 居 て 、 要 す る に 頗 る 形 式 的 な 退 化 し た 翻 波 式 衣 文 と 言 ふ 事 が 出 來 、 礎 つ て そ の 種 の 衣 文 線 と し て は 末 期 的 な も の で あ る 事 は 明 瞭 で あ つ て 、 (16) か の 室 生 寺 金 堂 の 繹 迦 如 來 立 像 の 特 殊 な 翻 波 式 衣 文 を 作 り 出 す 前 程 と も な つ た も の と 解 さ れ る 。 此 の 故 に 、 此 の 四 佛 像 の 衣 丈 線 は 貞 觀 末 期 像 と し て の 必 然 的 な 特 色 を な し て 居 る 事 が 知 ら れ る 。 尤 も 、 此 の 一 具 の 五 像 に 於 て 、 何 故 に 斯 く 二 檬 の 衣 文 法 が 行 は れ た か は 看 過 し 得 な い 所 で あ つ て 、 貞 觀 盛 期 の 彫 像 に あ つ て は 、 此 の 二 つ の 衣 丈 線 は 通 常 各 々 全 然 別 群 の 佛 像 に 現 は れ て 居 る の で あ つ て 、 此 の 安 鮮 寺 像 の や り に 一 群 の う ち に 併 せ 用 ひ ら れ て 居 る 例 は 見 出 さ れ て 居 な い や う で あ る 。 そ の 點 で も 、 此 の 五 智 如 來 像 が 貞 觀 中 期 に 上 り 得 な い 事 が 察 知 せ ら れ る わ け で あ る 。 以 上 の 考 察 は 眼 に ょ つ て 行 は る べ き 様 式 手 法 の 觀 察 を 筆 に よ つ て 行 つ た も の で あ つ て 、 も と よ り 不 完 全 で は あ る が 然 も 之 に よ つ て 此 の 五 智 如 來 像 の 檬 式 上 の 特 色 に 就 い て ほ ゞ 觀 る 事 を 得 た と 思 ふ が 、 そ の や う な 觀 察 の 結 果 は 、 此 の 五 駆 の 彫 像 が 檬 式 的 に は 貞 觀 後 期 頃 に 當 る こ と を 大 凡 指 示 し て 居 る 筈 で あ つ て 、 貞 觀 年 間 と 言 ふ や う な 時 間 的 位 置 は そ の や う な 檬 式 的 儲 論 を ほ ゞ 滞 足 さ せ る も の と 考 へ ら れ る 。 從 つ て 、 上 來 安 群 寺 資 財 帳 に 載 せ て 居 る 同 寺 の 五 智 如 來
像 に 就 い て 丈 厭 的 な 考 察 の 結 果 得 た 所 の 造 立 年 代 と も 合 致 し 得 る 所 を 以 て す れ ば 、 現 存 の 安 鮮 寺 五 智 如 來 像 は 同 寺 資 財 帳 の 同 名 像 と 同 } の も の で あ つ て 、 そ の 造 立 年 代 は 貞 觀 元 年 よ り 同 九 年 の 欄 に あ る を 断 じ 得 る と 信 す る 。 七 薙 に 於 て 、 再 び 筆 端 を 先 の 多 實 塔 の 問 題 に 渓 し て 同 塔 安 置 佛 の 問 題 に 觸 れ て 此 の 小 考 を 終 り た い 。 上 述 の 如 く 、 資 財 帳 所 載 の 五 智 如 來 像 が 現 存 像 で あ る と す れ ば 、 も し 安 鮮 寺 多 寳 塔 に 五 智 如 來 像 が 牧 め ら れ て 居 た と す る 場 合 は 、 此 (17) の 五 智 如 來 像 の 像 高 に よ つ て 、 そ の 多 寳 塔 の 大 さ が 必 然 的 に 知 ら れ る 筈 で あ る 。 叢 に 、 そ の 計 算 を 詳 記 す る 煩 を 遜 け 、 そ の 大 凡 の 撒 値 を 記 せ ば 、 該 多 寳 塔 初 暦 の 一 邊 は 少 く と も 五 丈 近 ぐ で あ つ た 筈 で あ り 、 若 し そ れ が 大 塔 形 式 の 構 架 法 に ょ つ た も の と す れ ば 最 少 一 邊 七 丈 を 要 し た と 考 へ ら れ る 。 此 の 初 暦 二 邊 の 大 さ 五 丈 乃 至 七 丈 と 言 ふ 多 寳 塔 は 、 安 群 寺 下 寺 に 於 て は 過 大 で あ つ て 、 多 寳 塔 と 共 に 一 廓 を な す 檜 皮 葺 佛 堂 と の 均 齊 を 破 る も の で あ る 事 慧 既 述 の 通 り で あ つ て 、 そ の や う な 大 さ の 多 寳 塔 は 貞 觀 年 代 の 安 鮮 寺 に は 存 在 し 得 な か つ た 筈 で あ る 。 從 つ て 、 草 創 の 安 詳 寺 に 於 て は 下 寺 の 多 寳 塔 に は 爾 界 曼 茶 羅 を 奉 懸 し 、 五 智 如 來 像 は 上 寺 の 禮 佛 堂 に 恐 ら く 本 奪 と し て 安 置 さ れ 、 そ れ に 五 大 盧 室 藏 像 が 客 佛 と し て あ つ た と 考 へ る の が 順 當 で あ ら う と 思 ふ 。 ( 昭 和 十 五 、 一 ○ 、 八 稿 ・ 昭 十 七 、 十 一 、 廿 五 補 ) 註 (1) 國 華 第 五 十 二 編 第 十 一 ・ 十 二 珊 の 拙 稿 ﹁ 密 教 寺 院 に 於 け る 多 寳 塔 の 意 義 ﹂に 於 て 、 我 國 の 初 期 密 教 寺 院 の 多 費 塔 を 論 ず る に 當 つ て 、 安 鮮 寺 多 寳 塔 の 安 置 佛 像 に 言 及 し 、 大 凡 本 小 丈 に て 考 察 し た や う な 主 題 に 就 い て 提 題 的 に 結 (2) 論 を 流 働べ る 所 が あ つ た 。 嘉 鮮 の 時 は 確 か に 恵 蓮 自 ら の 意 志 に よ つ て 一 箇 峯 を 得 て 安 鮮 寺 開 創 の 緒 に 就 い た 亀 の で あ ら う が 、 そ れ が 順 子 太 皇 太 后 の 御 願 と な つ た の は 恐 ら く 仁 壽 の 疇 の 事 で あ つ た 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 七
安 詳 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い で 九 八 か と 思 は れ る 。 そ れ は 貞 觀 元 年 の 順 子 太 皇 太 后 の 造 立 御 願 丈 の う ち に ﹁ 去 仁 壽 年 中 初 建 此 伽 藍 ﹂と あ る 事 に よ つ て 首 肯 さ れ る で あ ら う 。 (3) な ほ 資 財 縦 の 他 の 個 所 に は 下 寺 地 拾 町 八 段 十 二 歩 四 至 東 限 諸 羽 山 南 限 興 福 寺 地 西 限 山 陵 北 限 山 川 と あ つ て 、 下 寺 の 寺 地 と し て 別 に 約 十 町 が 見 呂 さ れ る が 、 之 と 前 掲 の 山 五 十 町 と が 如 何 な る 關 係 に あ つ た か 貸 剣 然 し な い 。 爾 寺 地 の 四 至 の う ち で 現 在 判 然 す る の は そ の 一 部 分 に 過 ぎ な い か ら 、 爾 寺 地 と も 具 體 的 な 地 域 に 就 い で は 後 一考 を 期 し な け れ ば な ら な い か ら で あ る 。 大 凡 の 概 念 と し て は ﹁ 山 五 十 町 ﹂は 山 地 の 方 に 當 り 、 ﹁ 下 寺 地 五 十 町 ﹂は 卒 地 の 如 く に 亀 考 へ ら れ る が 、 下 寺 地 の 十 町 と 云 ふ 亀 の が 五 十 町 の 中 に 介 在 し 得 な い と 電 断 じ 切 れ な い の も あ る 。 從 っ て 、 爾 寺 地 の 問 題 は 今 後 に 残 さ れ た 宿 題 と 言 へ る 。 (4) 足 立 康 博 士 は 建 築 史 第 二 巻 第 六 號 の ﹁ 安 鮮 寺 五 智 如 來 像 の 造 顯 年 代 ﹂に 於 て 鋭 利 な る 論 考 を 加 へ ら れ た が 、 玉 稿 中 に 於 て ﹁ 毘 盧 舎 那 五 輪 率 都 婆 ﹂に 就 い て 、 高 野 山 大 塔 を 引 用 し つ ゝ 、 右 の 塔 が 大 塔 形 式 に よ る も の で 少 く と 竜 多 賓 塔 で あ つ た 事 を 推 論 さ れ た が 、 故 博 士 の 此 の 考 察 は 絶 . 封 的 な 竜 の で あ つ て 、 今 日 に 於 て 毘 盧 舎 那 五 輪 牽 都 婆 -即 ち 大 日 五 輪 塔 を 所 謂 五 輪 塔 と を 同 一 視 す る 事 は 全 然 根 櫨 }の な い 湘仔 読 に 過 ぎ な い 。 (5) 大 塔 造 螢 を 去 る 事 程 近 く 、 初 期 密 教 の 緊 張 時 代 で あ つ た 當 時 と し て は 、 此 の 安 詳 寺 の 大 日 五 輪 塔 は 恐 ら く 大 塔 の 構 架 嶺 縫 承 し た で あ ら う 事 が 最 も 相 鷹 し く 考 へ ら れ る 。 現 制 の 多 寳 塔 形 式 は 大 塔 造 螢 後 の 時 間 的 輕 過 に 件 ふ 便 化 形 式 に 當 る の で あ ら う 。 (6) 養 財 帳 に 載 せ る ﹁ 租 密 教 傳 法 縄 師 ﹂十 六 點 の う ち 大 部 分 は 彫 像 で あ る が 、 ﹁ 蓮 磨 掬 多 像 ﹂一 點 の み は 二 鋪 ﹂と 籔 へ て 居 る 所 か ら 甕 像 の 如 く に 見 受 け ら れ る が 、 他 の 十 五 躯 を 併 せ 考 ふ れ ば 、 此 の ﹁ 一 鋪 ﹂は ﹁ 一 躯 ﹂の 誤 字 で あ る 事 が 推 定 さ れ る 。 (7) 山 城 名 勝 志 の 安 鮮 寺 の 條 下 に 左 の 如 く あ つ て 、 今 有 觀 音 堂 十 二 面 像 長 八 尺 傳 云 此 堂 元 在 如 意 山 壇 谷 是 眞 言 傳 謂 上 寺 乎 慶 長 年 中 遷 此 地 云 此 の 十 一 面 觀 音 像 が 贅 財 脹 の 同 名 像 と 同 じ 竜 の で あ れ ば 、 甕 財 帳 の 十 一 面 觀 音 像 は 上 寺 に あ つ た も の と 言 ひ 得 る が 、 此 の 程 度 の 丈 献 を 鵜 呑 み し て 早 急 に 断 定 す る 事 は 避 く べ き で あ る 。 (8) 此 の 小 稿 執 筆 中 に 到 着 し た 史 述 と 美 術 第 十 三 輯 十 一 號 誌 上 で 、 田 中 重 久 氏 が 玉 稿 ﹁安 群 寺 の 五 智 如 來 像 と 同 寺 奮 藏 五 大 虚 空 藏 菩 薩 像 の 研 究 ﹂に 於 て 、 觀 智 院 に 現 在 す る 五 大 虚 空 藏 像 を 藤 原 初 期 に 我 國 で 造 ら れ た 竜 の と 論 じ て 居 ら れ る が 、 之 は 恐 ら く 同 氏 の 誤 解 に よ る 亀 の と 考 へ ら れ る 。 觀 智 院 像 の や う な 檬 式 手 法 は 我 國 で は 全 然 見 田 す
事 を 得 な い も の で 幅 勿 論 藤 原 初 期 に 竜 寡 聞 に し て 類 例 に 接 し な い 。 そ れ に 就 い て は 色 々 な 徴 謹 を 墾 げ る 事 が 出 來 る の で あ つ て 、 面 貌 其 他 躰 躯 各 部 の 李 面 的 な 肉 取 り と 衣 交 の 特 殊 な 手 法 は 容 易 に 氣 付 か れ る が 、 細 部 的 に 見 て 竜 特 異 な 形 駅 の 眼 に 瞳 と し て 吹 玉 を 嵌 入 す る 事 、 理 略 を 別 木 で 細 く 刻 ん で 肉 身 に 埋 め 込 む 手 法 や 耳 飾 の 形 式 な ど 、 全 く 特 殊 で 亀 あ 哲 、 又 著 し く 末 梢 紳 経 的 で あ つ て 、 我 國 佛 像 の 大 ま か さ と は 全 く 背 反 す る も の で あ る 。 又 基 本 的 な 問 題 と し て 電 此 の 像 が 坐 像 で あ る 佛 身 を 蓮 肉 と 同 木 よ り 彫 出 さ れ て 居 る の 竜 京 都 附 近 の 佛 像 と し て は 全 然 そ の 例 を 見 な い 異 法 と 言 ふ べ き で 、 田 中 氏 の 指 摘 さ れ て ゐ る 東 寺 兜 蹟 毘 沙 門 像 の 顔 貌 と の 相 似 點 の 如 き 、 私 は 不 敏 に し て そ れ を 感 得 す る 事 が 田 來 な い の で あ る 。 依 つ て 此 の 腫 像 は 私 見 で は 絶 封 に 我 國 の 製 作 で は な い と 信 ず る の で あ つ て 、 異 國 の 造 顯 に 成 る 事 は 絶 封 的 で あ る と 思 ふ 。 唯 そ れ が 唐 代 の 造 立 で あ る か 否 か に 就 い て は 愼 重 な 考 察 を 必 要 と し や う 。 (9) 畳 輝 抄 の 五 大 虚 空 藏 法 (大 正 新 修 大 藏 経 圖 像 部 に よ る ) に は 多 藪 の 五 大 虚 笙 藏 像 の 圖 様 を 掲 出 し て 居 る が 、 そ の 註 記 を 叢 に 抽 き 、出 せ ば 家 の 如 く で あ ろ 。 一 、 安 鮮 寺 多 寳 塔 五 大 虚 空 藏 向 南 璃 像 袈 裟 井 身 赤 色 二 、 大 日 堂 渤 修 寺 西 也 三 修 律 師 請 來 唐 本 五 大 虚 空 藏 木 像 安 置 安 鮮 寺 大 日 堂 ス ノ ニ 其 堂 破 損 衡 移 置 金 堂 坤 角 云 々 三 、 安 鮮 寺 北 堂 圖 也 四 、 唐 圖 安 鮮 寺 五 、 唐 圖 以 上 の う ち ( 一 ) ( 二 ) に 就 い て は 本 丈 後 }段 で 言 及 し た が 、 ( 四 ) と (五 ) は ( 二 ) と 同 一 佛 と 剣 ぜ ら れ 、 唯 (三 ) の 北 堂 と 言 ふ の が 稽 判 断 に 苦 し む が (下 寺 で 多 寳 塔 の 北 に 檜 皮 葺 佛 堂 が あ つ た と す れ ば 之 は 下 寺 の 佛 堂 の 事 で 、 畳 輝 の 嘗 ふ 金 堂 と 解 さ れ る ) 、 ( 二 ) 以 下 は 敦 れ も 獣 座 を 具 す る も の で あ る の で 同 像 の 重 田 と 判 ぜ ら れ 、 唯 ( 一 ) 像 の み が 獣 座 を 訣 い て 居 る 點 及 び 持 物 の 點 で 別 像 と 考 へ 得 る 。 尤 も 持 物 は 抄 に 圖 示 の ど の 像 竜 現 存 觀 智 院 像 と 一 致 し な い が 、 之 は 現 存 像 が 幾 度 か の 修 補 を 纏 て 、 持 物 な ど に 憂 動 を 生 じ た 爲 で あ ら う 。 又 ﹁ 唐 佛 ﹂と 言 ふ の は 必 ず し も 唐 代 の 佛 像 の 意 と の み 解 す る 必 要 は 無 く 、 唐 よ り 請 來 さ れ た 佛 像 と 言 ふ 廣 義 の 名 稻 と 考 へ ら れ る 。 (10) 觀 智 院 五 大 虚 空 藏 像 は 前 引 ﹁ 史 迩 と 美 術 ﹂誌 上 の 田 中 氏 の 實 測 に よ れ ば 総 高 は 六 尺 よ り 五 尺 七 寸 の 間 に み り 、 佛 身 の 全 高 は 二 尺 四 寸 五 分 を 前 後 し 、 髪 際 以 下 の 高 さ は 二 尺 弱 で あ る 。 な ぼ 此 の 像 高 の 藪 値 は 後 禺 の 畳 輝 抄 五 大 虚 空 藏 法 上 に 記 す ﹁ 三 尺 像 ﹂と 合 敷 し な い 様 で あ る が 、 此 の ﹁ 三 尺 ﹂と 言 ふ の は 當 時 多 く 用 ひ ら れ て 居 る 周 尺 に よ る 測 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 九 九
安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 一 ○○ 定 で は な い か と 考 へ ら れ る 。 (11) 前 引 の 拙 稿 ﹁ 密 教 寺 院 に 於 け る 多 寳 塔 の 意 義 ﹂に 於 て 、 高 鴫 野 山 大 塔 は 本 來 爾 界 曼 茶 羅 各 一 具 を 分 置 す る 爲 の 爾 塔 の 中 の 東 塔 の み が 結 果 的 に 残 つ た 庵 の で あ る 事 を 、 性 蟹 俺 木 所 輯 の 聖 海 筆 と 推 定 さ れ る 承 和 元 年 八 月 三 日 附 の 渤 進 知 識 書 の 卑 の 左 の 字 句 に よ う て 推 論 し 、 更 に 現 在 に 傳 は る 多 費 塔 (密 教 寺 院 の ) 安 置 佛 像 は 、 此 の 寓 野 山 大 塔 の 場 合 が 後 天 的 に 典 例 と な つ た 竜 の で あ る 事 を 述 べ た 。 此 年 爲 技 濟 四 恩 具 足 二 利 於 金 剛 羅 寺 奉 建 毘 盧 遮 那 怯 界 體 性 塔 二 基 及 胎 藏 金 剛 爾 部 曼 茶 羅 (12) 紳 護 寺 め 承 年 實 錐 帳 に は 根 本 翼 言 堂 の 堂 内 物 と し て 六 副 の 爾 界 昌 葦 余 羅 を 墾 げ て 居 る が 、 そ の 記 載 の 要 領 よ り 見 て そ れ が 同 堂 の 本 貧 りで あ つ 、た 事 は 疑 ひ な い 。 他 方 此 め 承 丞 男 實 録 帳 に よ れ ば 嘗 時 の 紳 護 寺 に あ つ て は 、 十 一 面 觀 音 像 を 本 尊 と す る 根 本 堂 が 寺 の 中 心 を な す 堂 宇 (即 ち 金 堂 に 相 當 す る ) で あ っ た 事 が 知 ち れ る が 、 そ れ は 紳 護 寺 が 本 來 は 顯 教 寺 院 で あ り て 、 窒 海 に よ つ て そ の 後 密 教 寺 院 と し て 更 生 し た 竜 の で あ る 爲 、 顯 教 寺 院 と し て の 魂醤 の 帖姿 を 根 本 堂 に よ う て 示 し 、 そ の 上 に 根 本 眞 言 堂 を 造 加 し て 講 堂 の 形 を と ち し め た の で あ る が 、 ぬ 兀 全 に 密 教 化 し 属 空 海 以 後 の 瀞 護 寺 に あ つ て は 爾 界 曼 茶 羅 を 奉 懸 し た 根 本 眞 雷 堂 が 實 質 的 に は 金 堂 で あ つ た 事 は 論 を 要 し な い 。 安 膵 寺 ( 少 く 乏 亀 妥 の 下 寺 甚 あ り ご も 汰 膚 竃 輪 塔 が 金 窒 霜 當 す る 位 置 に あ つ た わ け で あ る 。 (13) 註 (9) に 於 て 言 及 し 麦 や う に 雌 の 大 日 堂 像 が 現 存 の 觀 智 院 像 に 相 當 す る と 考 へ ら れ る 、 な ほ 此 の 大 日 堂 像 の 註 記 中 に ﹁ 論二 修 律 師 芸 々 ﹂と あ る の は 當 然 恵 運 の 誤 記 で あ ち う 。 尤 竜 三 修 は 悪 勅連 の 付 法 で あ つ で 、 憲 蓮 の 渡 麿 に 随 行 し た の で あ る か ら 、 此 の 五 大 虚 空 藏 像 の 請 家 に は 三 修 亀 關 係 し て 居 旋 事 倣 事 實 で あ る と 言 へ る 。 (14) 此 の 畳 輝 抄 所 引 の 五 大 虚 空 藏 圓 像 の 大 日 堂 本 に ﹁ 大 目 堂 勧 修 寺 西 也 ﹂と あ る の は 、 頗 る 曖 昧 な 記 入 で あ り て 、 一 本 に は ﹁ 鋤 修 寺 圖 也 ﹂ と あ る が 、 落 し そ れ を 誤 記 と 見 る に し て も 、 ﹁ 勘 修 寺 西 也 ﹂と 言 ふ の は そ れ に 綾 く 字 句 よ り 判 ず れ ば 、 必 ず し も 大 目 堂 の 位 置 を 指 す も の と は 解 さ れ ず 、 寧 る 後 丈 中 に 見 ゆ る 金 堂 の 位 置 を 示 す 竜 の と 考 へ ら れ る 。 (15) 都 名 所 圖 維 拾 逡 に よ れ ば 、 安 群 寺 の 多 費 塔 に は 五 智 如 來 像 を 安 置 の 妖 態 を 傳 へ て 居 る が 、 畳 輝 抄 に 慨 に 五 大 虚 甕 藏 像 を 同 塔 安 置 と 記 し て 居 る 事 で あ る か ら 、 都 名 所 圖 檜 拾 逡 の 記 載 は 同 塔 め 安 貴 佛 に 就 い て は 少 く 電 三 韓 (尤 も 塔 嶺 ら の 愛 遷 も あ つ た 筈 で あ る ) し た 欺 態 を 示 し て 居 る わ け で あ り て 、 そ れ に よ つ て 、 當 初 の 安 鮮 寺 多 寳 塔 の 安 畳 佛 像 を 推 察 す る 事 は 危 険 で あ る 。 (16) 室 生 寺 金 堂 繹 迦 如 來 立 像 の 衣 丈 は 廣 義 の 所 謂 醗 波 式 衣 丈 に 屡 す る も の で は あ る が 、 正 確 に 言 へ ば 、 通 途 の も の と 拡 異 つ て や ゝ 複 難 な 形 式 を な し て 居 る が 、 之 は 謙 波 衣 丈
と し て は 末 梢 神 経 的 な 竜 の で あ つ て 隔 本 來 の 竜 の か ら 分 化 し た 後 起 的 な 手 法 で 、 衣 丈 の 波 自 體 は 著 し く 弱 く な っ て 居 て 、 醗 波 式 衣 丈 の 本 領 で あ る 所 の 力 強 さ は 全 然 見 ら れ ず 、 全 く 末 期 的 な 電 の で あ る 。 因 み に 私 は 、 此 の 室 生 寺 金 堂 の 五 像 の う ち 、 繹 迦 如 來 、 十 一 面 觀 音 、 虚 空 藏 菩 薩 の 三 像 は 藤 原 初 期 の 造 立 と 確 信 す る 。 (17) 安 鮮 寺 五 智 如 來 像 の 法 量 の 基 本 は 恩 賜 京 都 博 物 館 の 土 居 家 義 氏 の 御 教 示 に よ れ ば 左 の 如 く で あ る 。 大 日 如 來 像 像 高 髪 際 以 下 四 佛 像 像 高 髪 際 以 下 な ほ 、 現 在 五 智 如 來 像 の 墓 座 は 丈 中 で 竜 言 及 し た や う に 不 完 全 な 電 の で あ る が 、 就 中 そ の 高 さ は 奮 形 を 傳 へ る 亀 の で は な く 、 少 く と 亀 下 権 は 全 然 奮 態 を 失 ひ 、 な ほ 一 二 段 を 補 ふ べ き で あ る 事 が ﹁ 現 歌 並 び に 他 の 遣 例 ﹂に よ つ て 推 知 し 得 る 。 附 記 安 鮮 寺 問 題 に 就 い て 深 い 考 察 を な さ れ た の は 故 足 立 博 士 を 初 め と す る や う に 思 は れ 、 前 引 の 建 築 史 所 載 の 御 論 丈 は 故 傅 士 の さ う し た 考 察 の 一 斑 の 顯 は れ た 亀 の で あ つ て 、 私 亀 亦 安 詳 寺 に 就 い て は 数 博 士 に 負 ふ 所 が 極 め て 多 か つ た の で あ る 。 然 も 結 果 的 に は 故 博 士 の 論 考 を 駁 す る 如 き 小 考 を 公 に す る 事 は 、 尊 現 に 封 し 禮 を 失 す る 所 な き や を 顧 み て 内 心 に 怪 .幌 た る も の が 無 い で 竜 な い が 、 學 問 の 爲 と あ ら ば 故 博 士 竜 泉 下 よ り 赦 し て 下 さ る で あ ら う と 敢 へ て 自 ら 安 ん ぜ ん と す る 次 第 で あ る 。 唯 考 へ の 至 ら ざ る を 嘆 く の み 。 安 鮮 寺 と 五 智 如 來 像 と に 就 い て 一 〇 一