例会報告(東風谷) 1 第466回例会報告(2019 年 10 月 19 日)
ビール醸造業と都市の互酬性
―近代移行期の南ドイツを中心に― 東風谷 太一 問題の所在 近年、人文社会科学のさまざまな領域で市場と資本についての問い直しが進められている。歴 史学でも資本主義の歴史について長期的な視座に立った研究が活発化している反面、その対象は 工業化が早期に進展した地域に偏りがちである。しかし、資本主義のグローバル化を歴史的に再 検討するには、資本主義市場経済の「外部」だった地域にその論理が浸透する過程をこそ明らか にすべきであり、そのためには工業化の「遅れた」地域との比較考察が不可欠である。それゆえ 本報告では、工業化・営業自由化がドイツ地域でももっとも「遅れた」とされる領邦のひとつバ イエルン王国を対象に、独占的な営業体制が維持された中での市場社会化の進行過程を具体的に 解明することを試みた。 その際本報告は、物的営業権(Real-Gewerberecht)に着目した。先行研究では、18 世紀に慣 習的に私有財産化し高額で取引されるようになった商工業の開業権であり、領邦政府の廃止政策 に反して存続し、19 世紀前半の 2 度にわたる営業自由化政策を挫折させた最大の要因と位置づ けられてきた。しかし、以上のような理解が自明視されてきた結果、物的営業権の運用実態を一 次史料にもとづいて分析した研究は管見の限り見当たらない。本報告ではミュンヒェン市立文書 館所蔵の『営業権目録』に依拠してその取引のありかたを分析し、都市・営業体制の変容にとも なって同営業権が性格を変え、ミュンヒェンの主要産業にもたらした影響を検討した。 19 世紀前半におけるバイエルンの都市・営業体制の変容 以上のような問題設定のもとで本報告は、まず 19 世紀前半のバイエルン政府の都市・営業政 策の概要を示した。第一に、19 世紀前半のバイエルンでは世紀初頭と 1825 年の 2 度にわたっ て営業自由化が試みられた。前者においては、宰相マクシミリアン・フォン・モンジュラの国制 改革の一環としてツンフト的特権が撤廃されるとともに、物的営業権の漸次廃止を目的に「営業 認可制度」が導入された。事務手数料と親方資格にもとづいて開業を許可する制度である。また 後者においては、モンジュラ改革期の営業政策を精緻化・体系化した法令が施行された。しか し、双方とも物的営業権占有者の激しい反発を招いた結果、「認可制度」は撤廃され 34 年以降 は独占的営業体制が復活する。 ただしその一方で、これらの営業政策を通じて物的営業権は経済財としての法的位置づけを確 立し、慣習的な取引規制――原則 1 人 1 つの占有、親方資格の保有等――が廃止された。さら にモンジュラ改革期の都市自治制度の再編過程においては、こうした規制のひとつであった都市 市民権保有との連関も断たれる。これら営業権占有に関する数々の規制は、商工業の営みから営 利を得る代わりに、都市共同体の維持・再生産に関して責任を負うという前近代的な互酬性を表 象しており、とりわけ物的営業権の典型例であったビール醸造業においてそのような認識の強固 だったことを示した。しかし、こうした関係性は解体に向かいつつあり、確かにバイエルンの営 業自由化政策そのものは失敗に終わった反面、「営業権取引の自由」が確立されたのである。2 比較都市史研究 第39巻(2020) モンジュラと物的営業権 続いて本報告は、「営業権取引の自由」が実際の物的営業権取引にもたらした影響を検討し た。第一に、取引頻度の急増が確認できた。19 世紀前半を通じてミュンヒェンの物的営業権の 総数はほとんど変わっていないにもかかわらず、取引が自由化された 1820 年代後半から営業権 取引は急激に活発化している。 第二に、取引価格が 30 年代以降急騰したことを指摘した。ビール産業では、世紀初頭には 3 ~ 4 万 fl ほどでの取引が一般的だったが、倍以上の価格が散見されるようになり、十数万から 数十万 fl での取引も珍しくなくなった。ビール産業の場合、高額化の背景には醸造業の工業化・ 寡占化も関連しているが、同様の傾向はとりわけ商業関係の職種で顕著だった。 次いで第三に、営業権取引に貴族や銀行家が参入し始めたことを示した。彼らは商工業の親方 資格も持たず、貴族の場合は都市市民権を保有することもなかったため、従来であれば物的営業 権を占有しえなかった人々である。さらに、ビール醸造業の営業権目録からは、「マクシミリア ン・フォン・モンジュラ伯爵」が 1837 年以降のべ 7 回の営業権取引を行い、数万 fl の差益を 得ていたことを確認した。モンジュラ伯爵の取引において顕著なのは、占有期間の短さ(数カ月 ~ 3、4 年)、親方資格を持つ者との用益契約にもとづく代理営業、同一人物との営業権売買の 繰り返し、そして取引前後での営業権価格の乱高下である。したがって本報告は、1830 年代後 半以降、物的営業権の取引が営業目的ではなく投機取引と化していたことを主張した。 このような取引傾向は、モンジュラ伯爵に限らず同時期に数多く確認できた。しかもそのなか には、鉄道車両やタバコ・マニュファクチュアの経営者だったマッファイや市参事や邦議会議員 も務めた大商人のクノルといったミュンヒェンの主要産業の担い手たちが含まれていた。なお ビール産業の営業権取引に関しては、当然ながらプショル(プショル醸造所)、ゼドルマイアー (シュパーテン醸造所)、ツァッヒアール(パウラーナー醸造所)といった大醸造業者の関与も見 られ、マッファイやクノル同様にミュンヒェンの基幹産業を牽引していた彼らもまた、「営業権 取引の自由化」によって事業規模の拡大という恩恵に浴したのである。 しかし、こうした物的営業権運用の変化は、都市社会からはきわめて批判的に受け止められ た。ビール産業の営業権を占有した貴族たちは「醸造貴族」と揶揄され、大醸造業者も含めて小 規模経営を圧迫する独占行為と見なされ、1840 年代には 2 度にわたる「ビール騒擾」の間接的 な原因ともなったのである。 課題と展望 最後に本報告では「営業権取引の自由化」は、ビール産業をはじめとする各種商工業の営業権 取引の活発化を通じてミュンヒェンの主要産業の資本蓄積を支えた可能性を指摘した。その際、 1834 年以降に独占的な営業体制へと復帰していたことは、営業権取引に関与した企業家にとっ て競争の抑制という点で有利に働いたといえる。むろん、これらの企業家のもとでたとえば業態 の変化といった具体的な資本蓄積のありようを実証するという課題は残されているが、しかし、 営業自由化政策の失敗の一方で生成した「営業権取引の自由」およびそのもとでの物的営業権の 新たな運用実践は、ミュンヒェンの主要産業の成長と都市の市場社会化を後押ししたのである。