Title
ペイトン会計学における経済学思想
Author(s)
奥山, 正剛
Citation
沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 18(1): 1-20
Issue Date
1994-12-10
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6851
ペイトン会計学における経済学思想
奥山正剛
目次 1.はじめに 2.『経済学談義」に見る生産的観点 3.古典派思想の影響 4.企業観 5.貸借対照表観 6.支配理論の損益計算書観 7.ペイトンにおける損益計算の意義 8.おわりに 1.はじめに 1922年、ペイトンはその箸『会計理論』において、ハットフィールド等 を代表とした、言わば当時の支配的理論とも言うべき見解に対し、損益勘定あ るいは損益計算書の意義の点で以下のような批判を行った。「資本主説は重大 な過ちを犯して来た、と筆者は信じている。資本主会計を擁護する人々によっ て説明されて来たところの営業諸勘定についての考えは、損益計算書の識別的 分析への道を閉ざして来た。その結果、一般的な損益計算書は、非論理・非解 明的分類のゴタ混ぜとなっている。この点での会計理論の改訂は急務であ る。」と。’ この批判は、単に、支配理論における損益計算書の分類や表示の不適切さを 批判したのではなく、むしろ支配理論における損益計算書の意義に対しての批 1-判により強い意味が込められているのである。 つまり、ペイトンは、経営者的観点から、意志決定のための会計という立場 に立ち、損益計算に対し、当時の支配理論には見られなかったところの業績尺 度性という独自の性格付けを行ったのである。 ハットフィールド等を代表とした支配理論においては、財産計算目的であっ たがために、損益計算には大きな関心が払われなかったし、損益計算書が作成 されたとしても、それは財産の増減変化の計算という役割が担わされたに過ぎ ず、そこに、経営活動・生産活動の業績表現という目的が顧みられることはな かったのである。 何故、ペイトンにおいてはこうした独自の見解が展開されたのか。そのこと の根本的な理由は、ペイトンが古典派の影響を受けた経済学者としての側面を もっていた事に求めることができる。古典派においては、生産に大きな関心が 向けられていた。 本稿では、ペイトンが古典派に影響を受けていたが為に、業績尺度性として の利益計算の展開を試みたことを明らかにしたい。 2.「経済学談義』に見る生産的観点 1952年にペイトンが公刊した『経済学談義」は経済学者としてのペイト ンを感じさせてくれる書物である。ペイトンの経済学観を、そして、ひいては 会計本質観を知るうえで好適である。 山桝博士も以下のような指摘をされている。「ここでとりあげることにした 『経済学談義』は、このように、元来は経済学者でありながら、ついにアメリ カ会計学界の中心的存在ともなった、このペイトン教授が、1952年に公に した、かれのもっともあたらしい著書であり、経済学者にして会計学者でもあ るかれの面目を如実に発揮した異色ある経済学書である。とくに、われわれ曰
頃かれの会計学説を中心にアメリカの財務会計ないし財務会計学の研究に専念
しているものにとっては、かれの会計学の学問的素姓ないし学問的性格を、そ -2-してまた、ひいては、かれを主流とするアメリカ財務会計学の基盤をさぐるう えに、まことに興味ぶかい書物でもある。」z やや長くなるが、ペイトンが記した同書のプロローグをまず見てみよう。 「数カ月前のある夜、私は政府立法という便法によってなされた-つの提案 を読んだ。その提案は我々に経済的安全と満足をもたらすらしい。その夜、私 は異常に鮮明な夢を見た。ここでそれについて話そう。夢の中での心理的経験 をそのまま聞き手や読み手に伝えることの困難さは十分承知しているが、最善 を尽くしてみよう。 突然、私は広大な平原を自分が見渡しているのに気づいた。平原の先は紫色 の霧に霞んで見えない。平原の中央に、巨大な、ガラス製のようなタンクがあ り、それは蓋はなく、暖かいアイルランド・シチューを思わせる蒸気を発して いた。このタンクの回りには、人間のようでありながらも、しかし、最近の映 画で見た想像上の火星人を思わせるような生物が多数いた。彼らは、大きさ等 において差異はあるが、共通する主な特徴は太鼓腹である事だった。また、彼 らのほとんどは注入用と吸収用の二本の長いパイプをも備えていた。彼らの通 常の作業は、タンクの上で、注入用のパイプを通して、シチューを作り上げる ための原料を注入するのに相当の時間を費やし、努力することであった。そし て、時々は、その注入用のパイプを外し、吸収用のパイプでこの薫りの良い煮 物を吸い上げていた。ところが、この奇妙な光景を眺めている内に、ある変化 が生じ始めた。注入を怠り、吸収に多くの時間をかけるものが出始めたのであ る。初めはさほど目立つ状態ではなく、大多数は依然として注入、吸収の活動 を繰り返し続けていたが、しだいにシチューの消費にのみ専念する者の数が増 え、注入を行う者の数が減少していった。注入活動を行っていた者も、何が起 こっているかに気づき始めた。彼らは、増加しつつある吸収活動を行う者によ って食い物にされていることを知った。そのとき、この変化のプロセスは驚く べき速さでクライマックスを迎えた。数秒も待たずに、注入、吸収のリズミカ ルな活動は私の目の前で崩壊していった。注入に努めていた者も、注入用のパ イプを投げ捨て、狂ったように吸収用のパイプをつかんだ。タンクの中身は急 速に減少し、回りにいた生物達は恐ろしい叫び声を上げ、タンクに押し寄せ、 -3-
命の源であるシチューを吸収すべく、必死でパイプを突き出すのであった。そ のとき、夢の中でよくあることだが、単に眠りを妨げているに過ぎなかったこ とが恐ろしい悪夢と化したのである。この気違いじみた殺到で、多数の生物が タンクの回りで踏み付けにされた。辛うじて生きている者は死体によじ登り、 そして、タンクの上に登って減少しつつあるシチューを吸える場所に到達する 戦いの中で死んで行った。彼らの叫びは耐え難いものとなり、芳香は悪臭と化 した。私は目覚めた。冷や汗をかき、吐き気を感じていた。 普通、夢の後は、その経験は急速に萎え、着替えの時にはすべてを忘れてし まうものだ。しかし、この悪夢は、ずっと私の心につきまとい、本書を執筆さ せる動機となった一連の諸事象の中で、決定的要因となったのである。」ヨ 生産活動を怠り、消費にのみ専念することによって、一つの共同体が破滅に 追い込まれて行く事を説く寓話である。 この夢が同書執筆の動機であったとペイトンが述べているように、同書を貫 いて、この寓話に示された生産活動の重要性が力強く説かれる。明確に、「こ の著書の中心的命題は単純である。それは、我々は、生産する以上に消費は出 来ないのであり、生産の増大に因ってのみ、より高い生活水準が達成出来る、 という事である。」4と述べている。 ペイトンにおいては、生産は最も基本的かつ根本的な経済活動である。生産 無くしては、市場機構も貨幣制度も分配問題も存在し得ないし、経済財の存在 しない状況では、いかなる経済システムも経済現象も経済問題も存在しないと 考えられている。経済活動において生産に目を向けることは、野球においてポ ールに目を向けることと同じく重要であり、生産は経済活動の心臓部と比嗽す る。5 こうしたペイトンの見解の中に、古典派の思想を見ることができる。 -4-
3.古典派思想の影響 スミス以前、イギリスには16世紀の終わりに、いわゆる重商主義学派が出 現する。そこでは、一国の富は金、銀、貨幣に存するという観念に基礎をおい ており、こうした富の獲得の手段を貿易に置いた。 こうした重商主義に対する批判が、フランスで重農主義学派として現れた。 その中心となる思想は、「あらゆる富の源泉としての農業の役割」という点に あったと言える。‘ つまり、富の源は貨幣には無く、農業生産物にあり、したがって、その獲得 は農業的生産にあると考えられた。重農主義では、重商主義と違い、富の源は 生産にあると認識されたのである。アダム・スミスは重農主義学者の影響を受 けた。7 スミスの「富を社会の労働によって年々再生産される消費財とみる命題や、 生産的労働に関する学説や、生産と分配の過程が本質的には循環的なものであ るとの強調を引き出した」のは、重農学派の影響である。8 スミス国富論第一篇について、スミスは、「労働の生産諸力における改善の 諸原因と、またその生産物が社会のさまざまの階級や境遇の人々のあいだに自 然に分配される秩序とは、本研究の第一編の主題である。」,と述べている。 ここではスミスが生産、価格、分配の問題を扱っていると解することができ、 生産に関心が向けられていたことが分かる。 -国民の富を蓄積された金銀とみなす旧来の重商主義と異なり、スミスは国 民の年々生産される生活必需品や便益品を富の本源と考えた。そして、人間の 労働は、富であるこれらの生活必需品や便益品を生産する源である、という労 働価値説に立ったが故に、労働生産力(労働の熟練、技巧、判断に依存する) の大小が-国民の富を決定する上での一つの大きな要因であると考えた。労働 生産力を高めるには分業が必要であると考えた。’0 スミスにおいては、重商主義には見られなかったところの、生産への大いな る関心が向けられたのである。 こうしたスミスの思考は、セイの法則の中に典型的に見ることが出来る。 -5-
セイ法則の解釈については論者の間で意見の一致は見られていないが、セイ 法則は重農主義の影響を受けている事がしばしば指摘される。グローブは、セ イの“供給はみずからの需要を創造する”という言葉は、ケネーの“購買はす べて販売であり、販売はすべて購買である”という言葉から発しているのであ り、ケネーの経済表の要旨は、貨幣は交換手段に過ぎず、取引は本質的には物 々交換に還元されてしまい、産出量の創造は自動的に所得を生み出し、所得の 支出は新しい生産の循環の開始を可能にする、ということであった、と指摘し ている。’1 また、ジョーン・ロビンソンは、セイの分析は二つの主題が中心になってお り、第一は重商主義者がもっていたと考えられていた貨幣と富との間の混乱に 対する攻撃であったが、第二は重農主義的なものであり、循環的生産の流れを 使って財と財が交換され、貨幣と交換されるものではないという考えを繰り返 し主張したものであった、と指摘している。このロビンソンの指摘について、 美濃ロ教授は「すなわち、J、B・セイは、生産物は生産物自体によって購入 されるのであり、貨幣はただ交換を容易にするための手段にすぎないというこ とを述べたのであるが、それは重商主義者の誤った国富観を重農主義者の経済 循環の考え方を用いて批判するという意味をもっているというのである。」’2 と説明される。 また、シュンペーターによって以下のような適切な解釈がなされている。
「われわれの最初の課題はセーの最初の意味が実際に何であったかを発見する
ことである。・・・彼が上げている例示や結論によって在るがままに説明され ているので、彼の意味するところは全く明瞭である。そこでわれわれはこれら の諸例の一つから始めたい。これは、セーが1810年頃のイギリスの輸出産業の窮境に対する注釈というつもりで付加したものであり・・・・セーの議論
は、困難となされる点がイギリスの生産物の過剰にあるのではなくして、これ
を購入すると予期されている諸国民の貧困に基づくものだとなした。ブラジル
の場合を採ろう。若し、イギリスの生産者たちがこの国へ輸出しようと試みた商品を処分しえないとせば、その理由は二つ以外にありえないであろう。一つ
は、イギリスの輸出業者がブラジル人の欲している商品に関して誤算をおかし -6-たにあるか、或はそうでなければ、ブラジル人が、イギリスの生産者に支払う べき代金を得るために、代償に提供したり第三国に輸出したりする何ものをも 持たなかったによるであろう。換言するならば、困難とする点はイギリスが過 剰に生産したことではなくて、ブラジルが過小にしか生産しなかったことにあ る。・・・セーの以上の議論が、同じく国内取引にも当てはまり更に一般的な 原理から導きだされることを看破した。分業が行われる場合に、何びとにとっ ても自分の持ちたい商品や用役を得るために通例用いられる唯一の手段は、こ れらのものの対価となる何ものかを生産する-若しくはその生産に参加する- ことにある。従ってそれからして、生産は単に市場における財貨の供給を増加 せしめるのみならず、また通例これらに対する需要も増すこととなるのであ る。この意味において生産物に対する需要が流れでる「基金」を造りだすもの は、その生産自体(「供給」)である。すなわち生産物は「終局において は」、国内取引であれ外国貿易であれ、生産物をもって支払われる。かくし て、あらゆるラインにおける生産の(均整のとれた)拡張は、或る個別産業若 しくは或る産業群の産出量における一方的な増加とは、甚だ異なるものであ る。この点の理論的な意味内容を看取したのは、セーの主要な業績の一つであ る。」’a このように、様々な論述からして、セイ法則は生産に関心をしめしたもので あることは疑い無い。セイが重農主義の影響を受けていた事、また、セイの 『経済学概論』がスミスの『国富論』のフランスにおける普及を目的で書かれ た物である'4,ということから当然であったかもしれない。セイ法則は古典派 を貫いている。 さらに、古典派においては、生産自体に大いなる関心が向けられた事は、ヒ ックスが、古典派は生産の理論であった事を指摘している事からも分かる。’5 美濃口教授はかかるヒックスの指摘について以下のように述べられろ。「以 上、ヒックスの古典派経済学観、ないしポリティカル・エコノミー観を紹介し たけれども、要するに古典派経済学では、社会的生産物の生産に主たる関心が あった。ただ、社会的生産物の増大には、資本の蓄積が必要であり、資本の蓄 積は分配に左右されるがゆえに、分配の理論が論ぜられたにすぎない。また、 -7-
社会的生産物という以上は、異質な財貨を集計しなければならないが、その集 計には共通の価値尺度が必要である。その意味で価値論が展開されたのであっ てあくまでも問題の中心は一国全体としての生産にあったというのである。」 と。’6
前述した、ペイトンの生産活動を重視する思想は、こうした古典派の影響で
あると思われる。 ペイトンは『経済学談義』の中で、「ナイト教授が指摘したように、現代は、経済思想においても経済政策においても不振の時代である。先例の無いほ
どの経済的無知と無責任が、あらゆる階層の人々にはびこっている時代であ
る。」’7と批判している。 即ち、経済プロセスにおける生産活動の重要性という事実が、現在では、一 般社会において忘れられ、無視されつつあるようだと批判し、また、生産にど う影響するかを考慮する事なく、単に転換のみを強調する社会規制なども存在 する、と批判している。’8一般市民や専門家が、生産の重要性を忘れ去ることは、混乱や不健全な結果
を招くことになり、それゆえ、あらゆる経済問題や経済活動を検討して行く場
合に、生産の重要性が基本的視点として再認識されるべきであるし、経済の識
別においての第一歩は、経済プロセスから生産を取り除いてしまえば、そこには何も残らないという明確なことを鋭く認識すべき事である、’9と言う。
したがって、現在の経済問題を考えるにおいて、なんらかの計画や提案の生
産に対する影響を見失ってはならないし、生産を抑制し、生産への刺激を損な
うような、計画、政策、プログラム等は、疑いの目でもって見なければならな い。また、生産を制限したり、抑制する傾向のある影響や発展を、用心して阻止し続けて行かなければならないと言う。生産を制限したり削減するような提
案を行う場合、それが正当であることの証明を提案者がなすべきである、とま
で言う。20本書においてのペイトンのこうした批判は、ペイトンが古典派の立場に立つ
が故に行った、当時のケインズ的政策への批判ではないだろうか。
ケインズの主張の要点は、不況克服政策をそれに対する古典派の制約から解
-8-放しようという端的な狙いをもつものであった。以下のように主張された。近 代経済は必ずしも完全雇用水準で均衡を見いだすとは限らない。失業を伴って 均衡することも有り得る。不完全雇用均衡である。セイの法則はもはや通用し ない。需要不足は有り得る。政府はそれを克服する措置を取ることが出来る し、またそうすべきである。不況にあっては、財政健全の説教はこの必要に道 を譲るべきである、と。2’ ケインズにおいては、古典派を貫くセイ法則が否定された。古典派における ほど生産に関心は向けられなかった。 ペイトンのこうした批判は、ペイトンが古典派の経済思想を受け継いでいる ことを如実に示している。 4.企業観 スプレイグは、「企業の経営的努力の主たる目的は、正味財産の増加、つま り、所有主持分の増加にある。」22と明言した。即ち、当時の支配理論におい ては、企業は所有主の私的所有物であり、所有主の正味財産の増殖を目的とし て活動する用具と見なし得る、そうした企業観が採られていたと考えることが できる。 こうした企業観の下で展開された所有主理論に対してペイトンは以下のよう に批判する。「スプレイグ、ハットフィールド等によって主張された所有主理 論は現在の企業形態の下での会計理論としては十分に適切な理論とは言えない であろう。会計技術は大企業に合致するよう急速に発達して来たが、理論は (よくあることだが)実務に大きく遅れている。いわゆる個人企業あるいは組 合企業においては、所有主持分はそれを中心として必要な会計フレームワーク が形成される際の十分に満足すべき中枢カテゴリーであるが、現代社会の主要 な企業形態である株式会社の会計システムの説明としては、そういう会計原理 は不完全なものと言えよう。」23と。 ペイトンの企業観は異なっていた。『経済学談義』に見られたように、生産 -9-
活動の重要性を認めていたがゆえに、企業を生産的制度と見たのである。「企 業は生産というプロセスに従事する制度であり、・・・現代の大量生産を遂行 するための、また、交換経済の、極めて重要な機構であり、全くなくてはなら ない道具である。」24と述べられる。 現代経済においての生産活動の主たる担い手として企業を位置付け、そこで は、もはや企業は所有主の私的所有物ではあり得ず、社会における経済的制度 と観念される。所有主の正味財産増殖でなく、社会に対する生産物の提供とい う役割を担う機構と見なされる。 そうした企業観の下での理論展開の必要をペイトンは、「本書においては、
単純かつ原始的な企業形態に対してと同様、大規模な株式会社形態にも適用し
得るような会計理論の提示を試みている。いかなる場合においても、別個の実 体・人格(企業体の虚構の拡大)としての企業概念が採用される。・・・企業は実在であり、重要な経済的制度であり、会計の領域において最高の意義をも
つ。」25と述べる。 株式会社の出現、所有と経営の分離という状況下で、所有主とは別個の存在 としての企業が考えられたと同時に、経済的制度と化し、経済的生産を遂行する目的をもった生産的単位としての、巨大資本を擁した企業、かかる株式会社
形態での企業に妥当する会計理論の展開が試みられた。 経済社会における生産機能を担う役割を持つ企業という、支配理論には見ら れなかった企業観の下で、そこに適合する会計の論理が追究されたのである。青柳教授はペイトンの企業体理論をして、「この自由競争を前提とする生産第
一主義の経済観、社会観は、とりもなおさず、生産能率の向上を第一義とする
企業観に導く。」26と述べられ、「ペイトン会計学の基礎に横たわる即物観
は、さらに根もとにさかのぼれば、すでにみた生産第一主義の思想に淵源する
とみてよい。」と適確に指摘されている。27 -10-5.貸借対照表観 ハットフィールド、スプレイグ等によって代表される支配理論の一つの特徴 は、財産計算を目的とした点であろう。貸借対照表が会計報告書として重視さ れたのはこの理由による。 そこでは、資産を積極財産、負債を消極財産とし、資産と負債の差額を所有 主持分、つまり、企業所有主の純財産と観念する。所有主持分を中核として諸 勘定が体系化され、取引分析の原理が確立され、諸概念が規定される。資産、 負債は所有主持分の従属的概念となり、所有主持分を算定するための要因であ るという観点から重要視される。企業はかかる所有主持分、純財産を増加させ る役割を持たされる。貸借対照表は、かかる財産状態を表示する役割を担わさ れる。 財産計算が目的とされたことの一つの理由は、15世紀以降の会計思想の影 響がある。リトルトンによれば、独立財務諸表作成の動機として先駆をなした ものは課税上の要求であり、そのために、資本に関する報告が要請されたので あった。イタリア都市国家の1427年の法律、ドイツ都市法がその例であろ う。2s もう一つの理由として、当時のアメリカにおける社会的経済的状況を上げる ことができよう。当時のアメリカにおいては、銀行が事業会社との信用関係を 維持する場合に、受信者の貸借対照表を分析して、信用能力を判定する慣行が 発達していた。この判定のための基礎として、会計士による監査済貸借対照表 の提示を受信者に要求したのである。いわゆる貸借対照表監査である。そこで は、貸借対照表の記載項目の正確性が検証され、企業の支払能力を明らかにす ることに主眼がおかれた。貸借対照表監査は非常な勢いで普及するに至り、貸 借対照表重点主義の会計学の発展を見たのである。2, こうした理由から当時の支配理論では、貸借対照表は支払能力表示目的をも ち、会計報告書として損益計算書以上に重視されたのである。ハットフィール ドは、「会計の神髄は、第一に一定時点における企業の財政状態の表示であ り、・・・」30と述べ、「貸借対照表の主たる目的は会社の支払能力に関する -11-
情報を与え、財政状態を表示することだ。」31と、貸借対照表に大きな関心を 示す。『近代会計学』が資産評価に関心を示しているのである。 ここでは、生産との関連で、貸借対照表が意義づけられたり、資産の概念規 定がされることはない。 しかし、ペイトンにおいては異なっている。「企業の財政状態を、資産、負 債、所有主持分という三つの互いに異なったカテゴリーに区分して示し、前二 者は、その差額が最後者を算定するという意味で特に重要である、という見解 は、論理的であろうか。」32と問い掛ける。ペイトンにおいては、そうした論 理は棄却され、「会計システムの理論は、資産と持分という二つの基本的ディ メンションで提示されるべきだ。」33と述べる。 負債と資本は資金の調達源泉として同質視される。資産は資金の運用の形態 と観念される。34そこでは、資産は財産でなく、生産に役立つべく待機したサ ービスと概念規定される。「(資産)すべては、経営活動にとって不可欠なサ ービスを表す。」35と。 それゆえに、有形、無形を問わず、財貨、用役を問わず、企業にとどまる期 間の長短を問わず、企業が購入した、企業の生産にとってのサービスを提供す る価値は資産として認識される。36 ハットフィールドにとって、購入した用役が資産として認識されることはな かった。財産性を有しないためである。 ペイトンが、資産をassetでなく、propertyとしばしば表現するのは、こ うした理由からであろう。propertyという表現が必ずしも当を得たものでは なく、aSSetの方が妥当であろうとしながらもである。37 両見解の差異は、「所有主的観点か経営的観点か、いずれが採られるのか、
その差異だ。・・・つまり、勘定や取引が、経済的単位としての企業の立場か
ら分類され、分析されるのか、あるいは、所有主という単一の利害関係の立場
から分類され、分析されるのか。」38であるとペイトンはいう。
そこでは、もはや貸借対照表は財産状態報告書ではない。生産的組織体とし ての企業の財務データである。 -12-6.支配理論の損益計算書観 かかる財産計算としての会計として特質付けられる支配的見解においては、 利益は所有主持分の純増加を意味し、純財産増加説的利益概念が妥当する。そ こでは、利益は貸借対照表を作成する事の結果生じる副産物に過ぎない。利益 は単に財産の増加を意味するに過ぎない。たとえ、費用と収益とを捕らえて損 益計算書のうえで損益計算を行うとしても、それは費用と収益との単なる比較 計算に過ぎず、財産の増減変化の計算に過ぎない。 ここに、やはり伝統的な会計思想が引き継がれて来ていると見なければなら ない。つまり、17世紀には、ジモン・ステピンは貸借対照表に対し、“資本 有高借方、資本有高貸方”というタイトルを付し、損益データに対しては“資 本の証明”と称される程度の下位的・従属的な報告書としての地位しか与えな かったし、また、1818年には、クロンヘルムにおいては、損益勘定は、個 々の取引が生じる毎に、所有主持分勘定に記入するという不便を避けるために 設定されたものであり、所有主持分勘定への定期的振替のための集合場所に過 ぎず、所有主持分勘定の単なる分岐に過ぎないと考えられたのである。a, こうした思想を継承する中で、ハットフィールドあるいはスプレイグは、収 益を所有主持分あるいは純財産の増加を意味するものと解し、費用を所有主持 分あるいは純財産の減少を意味するものと解し、したがって、損益勘定は、所 有主持分の純変化額の内訳明細表であり、所有主持分勘定に従属する一時的、 暫定的な性格の勘定となる。ハットフィールドは以下のように述べる。「損益 勘定、それは、様々な類似の名称で呼ばれるが、一時的、集合的勘定であり、 一定期間の企業の活動に起因する純財産の変化を記録する。・・・それゆえ に、それは、資本金、もしくは、他の主たる所有主持分勘定に従属する。」4o ここには、ペイトンに見られるような、業績尺度性という思想は無い。そこ では生産あるいは経営活動という思想が欠落している。損益計算書に対し、生 産業績の表現という、後述するごとくペイトンに見られる性格付けが入り込む 余地はあろうはずはない。ペイトンの指摘する通り、ここでの費用収益は“所 有主持分のアクセサリー”に過ぎない。そこでは、後述するごとく、ペイトン -13-
においてなされた費用と損失との区別、あるいは、収益と利得との区別はな い。営業活動と営業外活動との明確な区別はない。ハットフィールドにおいて
は費用と損失との区別はされなかった。所有主持分のアクセサリーとして、両
者は共に財産の減少を意味する点で同質なのである。 7.ペイトンにおける損益計算の意義経済的制度として、生産システムとして社会的存在意義を有するに至ったと
みる企業観の下での会計論理を説こうとするペイトンにとっては、スプレイ
グ、ハットフィールド等によって展開された理論は満足し得るものではなかっ
た。企業の経営活動は所有主に帰属する財産の増加を目指す活動ではなく、財
の生産と販売のための活動と観念された。ペイトンが「会計人は、経営活動
を、販売目的をもった財貨・用役を生産するための種々の財貨・用役の利用過
程として捕らえるべきだ。」41という表現をするのはこの意味である。
その結果、ペイトン独自の意義が損益計算に付与されることになる。「利益
は、生産的単位としての企業の成功度を測るゲージ・尺度である。」42という
表現に如実に見ることが出来る。生産的単位としての企業の経営活動の業績・
達成度を示す利益概念が説かれた。企業の経営活動の成果としての利益が問題
とされたのである。それゆえに、費用収益は所有主の財産の増減変化に結び付けられることはな
い。「費用、収益の分類、それは、営業諸勘定であり、経営の成果を表すもの
として考えられるべきだ。」43と、生産、販売の経営活動に結び付けられる。
「(費用の)数値は経営の立場から極めて重要である。」44とか、「総収益
は、経営判断の基準として、経営にとって極めて重要である。」45と述べら
れ、経営的意志決定への役立ちという側面が強調される。
損益計算に経営の成果の判断尺度としての性格を付与したことから、必然的
に費用と損失とが明確に区別されなければならなかった。「ある資産が、いか
なる形においてでも、生産活動と関連する事なく消失・破壊・消費された場合
-14-には、そこに損失が生じる。」46と述べ、生産活動への貢献との関連で、収益
を生み出すための消費たる費用と、そうではない損失とが区別される。「損失
という用語は、現在の会計では無差別的に用いられており、通常の営業費用
も、真の損失も混同されている。」47と当時の会計実務を批判する。
ハットフィールド等においては、費用と損失とを区別する理論的根拠はない。共に財産の減少を意味する。ペイトンが当時一般に用いられなかったex-pensarevenueという語を用いたのは、こうした支配理論に見られていた費用
と損失との混同を避けようとしていた理由による。ペイトンはこの点を以下の
ように述べている。「実務において、lossとgain、あるいはprofitとloss
という用語が、expenseとrevenueという用語より一般的である。こういっ
た表現は、これらの概念が所有主持分の直接的なアクセサリーであるという教
義に一致する。」4Bこうした支配理論の提示する損益計算書は、ペイトンの立場からすれば、ゴ
タ混ぜの論理の産物なのである。以下のように述べている。「本書で展開され
た純利益(netrevenue)概念は、所有主的、残余的純利益(netprofit)概
念とは全く異なっている。我々の見解によれば、費用の分類の中には、・・・
借入金の利息、株主への配当を含めるべきではない。持分権者への利益の処分
と収益のコストである費用とは明確に区別されねばならない。この点で、会計
実務は明らかに不合理である。典型的な損益計算書は、費用と利益分配との間
に明確な一線を画していない。費用、損失、税金、利息等が-つのゴタ混ぜの
損益計算書の中に区別なく投げ込まれている。それは、所有主にとっての利益
という唯一の数字を強調する論理である。この不満足な損益計算書実務は所有主持分概念の過大強調の結果である。も
し会計構造が所有主持分を中核的概念として組織され、すべての勘定、会計手
続、分類が、所有主の立場からのみ構成され、定義されるとすれば、無分類の
損益計算書がその必然的結果となろう。何故なら、残余持分の立場からすれ
ば、所有主への配当は別にして、費用と利益処分の間に差異は無いのだから。
株主にとって、税金、社債利息、損失等は、賃金、材料費と全く同じ性質のも
のであり、すべて、配当可能利益が算定される前に控除されるべきという点で -15-共通しているのだから。」4, ペイトンの損益計算に対するこうした業績尺度性という性格付けは、ペイト ン会計学に一貫している。 18年『会計学原理』においては、「経営者は、資源の効率的利用のための
合理的意志決定を行う際に、不可欠な情報を基礎にしなければならない」soの
であり、会計はそのための用具でなければならないという立場から、「損益計 算書は経営目的のために利用される。」51と述べられ、こうした観点から、 「純利益は、経営者と従業員の努力の結果を反映する限り、業績(efficienc y)の概略のテストとして、比較目的のために用いられる。」52と損益計算の 性格付けがなされる。 38年『会計学大要』では、「会計は、効率的コントロールと管理のため に、特定企業の経済的データが、分類され、記録され、提示され、解釈される ところの、原理と技術メカニズムの体系であると定義される。」53と、会計観 が述べられ、「利益率はエンティティとしての企業の達成した成功度を表現 し、・・・経営の業績(performance)のレベルを表している。」54と利益の 性格付けがされる。 49年『会計学大要』では、「損益計算書は経営活動の結果を開示する…企業は単なる資産の集合体ではなく、その第一の特性は、利益を生み出す力で
ある。そして、利益額と利益率は、企業の経営活動に伴う成功の程度の最も重 要な評価基準である。」55 52年『株式会社会計と財務諸表』では、「利益の水準は、財務的達成度の基本的バロメーターであり、最高経営者の業績(effectiveness)を判断する
尺度として重要である。」56 8.おわりに 会計学者であると同時に経済学者でもあったが故に、ペイトンは、経済における生産活動の重要性に目を向けた。企業をこの生産活動の第一の担い手とし
-16-て位置付けた。 それゆえに、ペイトンにおいては、損益計算には、処分可能性というよりも 業績尺度性という性格付けがなされた。つまり、損益計算は、企業の生産活動 を明示する役割を持たされたのである。 こうした思想の背後には、会計を意志決定の為の用具として見る会計本質観 があったことは、もちろんである。「会計は、価格データを、組織的かつ明瞭 な方法で利用可能な状態にすることで、初めて存在意義をもった手段となり得 るのである。その手段を通じて、経営者は経営活動を合理的に導くことができ るのである。」57と述べている。 損益計算書は、生産活動の業績を数的に表現することで、経営者の経営活動 の意志決定に役立つ用具としての役割が持たされたのである。 ハットフィールド等に代表される支配理論においては、損益計算は財産の増 加減少に結び付いた。財産の増加の成功度を判断する役割があった。それゆ え、損益計算書もこうした所有主の私的な財産計算的観点からの意志決定のた めの用具にすぎなかった。スプレイグは述べる。「所有主持分勘定の最も重要 な目的は、所有主持分・正味財産の増殖活動における成功・失敗を示し、そし て将来の指針とするべく、その成功・失敗を分析し、その原因を確かめること である。」58と。 こうしたペイトンの思想は、当時の支配的見解においては見られなかった、 費用収益の対応という思考を生み出すことになるのである。それだけに革命的 であった。その後のアメリカ会計学の発展にとって多大な影響をもたらしたの であった。 -17-
【注】 1)W、A・PatonAccountingTheory,1973(reprint),p、53. 2)山桝忠恕著『アメリカ財務会計」中央経済社、昭和30年、203頁。 3)W・APaton,ShirtsleeveEconomics,1952,p、2. 4)Ibid.,prefacev、 5)Ibid.,p、22. 6)』.K・ガルプレイス箸鈴木哲太郎訳『経済学の歴史』ダイヤモンド 社、1988年、69頁。 7)美濃ロ武雄箸『経済学説史』青林書院新社、昭和56年、12頁、22頁。 8)M・グローブ箸、久保芳和・真実一男訳「経済理論の歴史I』東洋経済 新報社、昭和57年、41頁。 9)アダム・スミス箸、大内兵衛・松川七郎訳「諸国民の富』岩波書店、昭 和44年、63頁。 10)同上書、67-80頁。 11)グローブ箸、前掲書、49頁。 12)美濃ロ箸、前掲書、146-147頁。 13)LA・シュムペーター箸、東畑精一訳『経済分析の歴史4』岩波書 店、1980年、1295-1296頁。 14)美濃口著、前掲書、146頁。ガルブレイズ箸、前掲書、107頁。 15)JR・Hicks,“RevolutioninEconomics"inMethodinEconomics, editedbySpiroLatsis,1976,p、209. 16)美濃ロ箸、前掲書、202頁。 17)Paton,Shirtsleeve,p3. 18)Ibid.,prefacev、 19)Ibid.,p、22. 20)Ibid.,pp、22-23. 21)ガルブレイス著、前掲書、319頁。 22)GE・Sprague,ThePhilosophyofAccounts,1972(reprint),p、67. 23)PatonAccounting,prefacexiii. -18-
24)Paton,Shirtsleeve,p、216. 25)Paton,Accountingprefacexiii-xiv、