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米国教育視察報告~バージニア州・メリーランド州の教育事情と地域社会活動から学んだこと~: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

米国教育視察報告∼バージニア州・メリーランド州の教

育事情と地域社会活動から学んだこと∼

Author(s)

嘉納, 英明

Citation

沖縄大学地域研究所所報(18): 29-42

Issue Date

1999-03-26

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/9782

Rights

沖縄大学地域研究所

(2)

米国教育視察報告

∼バージニア州 ・メリーラン ド州の教育事情 と地域社会活動か ら学んだこと∼ 沖縄県具志川市立具志川小学校教諭

幕納

英明

1

.はじめに 私は、平成 10年 9月 16日から12月 14日までの 3ケ月間、文部省の日米国民 交流 ・若手教員米国派適のプロジェク トにより、バージニア州並びにメ リーラン ド州 に派遣された。 このプロジェク トの目的は、日本の若手教員 (およそ

3

5

歳未満)を米 国に派遣 し、米国の学校、教育関係機関における交流活動、一般の家庭での滞在、地 域社会活動への参加をとお して、米国と日本 との相互理解に資することを目的として、 昨年度か ら実施 されているものである。今年度、全国か ら推薦 ・応募 された中か ら 182名の小中高の教員が選考され、私が派遣されたバー ジニア州を含めて、 コロラ ド、イリノイ、 ミシガン、 ミズー リ、オハイオ等、全米九っの州に派遣 された。各州 への派遣は

、1

団につき20名程度で構成 された。沖縄県か らは、私

1

人であった。 旅費、滞在費等に要 した費用は総額 300万円に及んだが、文部省 と沖縄県からそれ ぞれ 110万円の補助があったため、自己負担金は、 80万円となった。 大金を費や しての海外研修ではあったが、パ ック旅行では経験できない研修内容が 盛 り込まれていたため、 トライすることにした。幼少期にアメ リカ世を過 ごし-沖縄 の日本本土復帰

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日)の時、私は、小学校

3

年生であった-、現在、教 職の立場にある私にとって、今回の教育視察を中心 とした米国派遣は、当初から大い に期待するものであった。

2.

BUCKINGHAMCOUNTYとDILLWYNPRIMARYSCHOOLについて

バージニア州都の リッチモン ドの滞在先で、ホームステイ並びに学校研修に必要な 事項について、4日間、まさに缶詰研修 といえるほどの集中講義を受けた。主宰 した のは、メリーランド大学教育学部内に設置されている、XARJIS(Hid-AtlanticRegion

Japan-in-the-SchoolsProgram.責任者-Dr.BarbaraFinkelstein教授)である。米 国の歴史や文化の概要、人種構成 と言語間題、マイノリティーの問題、ホームステイ 中の注意事項、タブーの話、現地校における授業実践の事例研究等、興味の尽きない 内容ばかりであったが、ハー ドな内容に、最終日には、さすがに疲れたものである。 研修後、いよいよ1ケ月間の BUCKINGHllCOUNTYにおける生活がスター トした. 私が滞在 したCOUNTYは、 リッチモンドか ら西へ約

6

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マイル (約 100キロ)、バー ジニア州のはば中央部に位置 している。 ジェームズ河 とアポマ トックス河に挟まれ、 ー 2

(3)

9-面積は約1500平方KJnと広いが、人口12000人の長閑なCOUNTYである.主要 な産業 は林 業 と牧畜、特産のスレー ト製造 ぐらいであり、住民の多 くは近郊の都市やCOUNTY内に ある

2

つの刑務所職員 として通勤 している。住民の平均収入はバージニア州の他の COUNTYと比較 して も低いといわれ、そのため、財政事情は厳 しく、教育の条件整備に おいてもその影響がみ られた。例えば、それは、学校の施設 ・設備の不足や老朽化で あったり、教員の給与の低 さに端的に表れた。一般に、教員の給与は、教員を雇用 し ているCOUNTYの財政事情に依存 しているのであるから、COUNTYが異なれば、教員の給 与には、当然、差が出て くる。連邦政府の担当官の話によれば、財政事情が厳 しい COUNTYにおいては、教員が、高給を得るために転職 したり (特に、若手教員)、財政 基盤が強固な都市部や他のCOUNTYに移動希望が多いという。同 じバージニア団の日本 人教員の話によると、数は少ないとはいえ、教員の中には、週末、生活費を稼 ぐため にレス トランや売店でアルバイ トを している者 もいるという。 さて、BUCKINGIAHCOUNTYには4つの小学校 と中高各

1

校、計6校の公立学校があ った.私が

1

ケ月間お世話になったDILLYYNPRIMARYSCHOOLは、幼稚園か ら

3

年生ま での児童

330

余名の小規模校である。教職員は、学校長を含めて圧倒的に女性が占 めていた.DILLYYNPRIHARYSCHOOLは、以前、YHITESCHOOLであり、隣校のGOLDHILL ELEyENTARYSCEOOLは、BLACKSCH00Lであった.公民権運動以後、強制バス通学によ り、DILLYYNは、BLACKの児童を受け入れ、GOLI)は、YHITEの児童を受け入れ ることに より、双方 とも混合された学校になった。 ところが、混合が強制的に図 られたため、 GOLDの近郊に住むYfIITEの家庭か ら、 「なぜ、 もともと、BLACKの学校であった

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LDに、 われわれYHITEの子 どもが行かなければな らないのか?」 とい う不満が渦巻 き、 I)ILLYYNへの転校手続 きが相次いだ.そのため、GOLDの在籍児童が急減 し、教育委員 会が調整に乗 り出 したこともあったという。南部の州では、よく見 られたことではあ ったというが、米国における人種差別の問題の根深さを垣間みた思いであった。 3.DILLWYNPRIMARYSCHOOLの1日 DILLYYNPRImRYSCHOOLの通学区は広範囲であるため、児童は、スクールバスまた は自家用車に乗 って登校する。学校に到着すると、まずカフェテ リア (食堂)にてク ラス別に着席 し、欠食児童のために朝食が準備されている。 この朝食に係る経費の一 部は、連邦政府の補助金である。朝食を終えた頃、担任は、自分のクラスの児童を教 室まで引率 し、学級事務連絡や宿題の点検をする。それが終わると、 8時40分、学 校長の校内放送が始まる。 まず、①学校長の合図で、右手を胸にあて、国家への忠誠を誓 う、ApLEⅨ;ETOTHE FLAG"を暗唱する (「PLEI)GETOTHEFLAG」を参照).次に、②今 日の出来事、 ト ピックスの紹介、③各学級の出席率の紹介を して終了となる。毎朝、全児童が、国家 (国放)へ忠誠を誓 う光景を目の当たりにすると、なんともいえない気分になったが、 ー 30

(4)

-†国旗に向かって rPLE粥ETOTHEFLAG」 ∴(∴ I. 多民族 ・多文化国家で ある米国にとって、幼 少期か ら "国家"を意 識 させることは、重要 な教育的指導だと考え られている。また、当 初、なぜ、出席率まで 発表するのか、疑問に 思 ったものだが、同州 がSOL(Standardsof Leaning)とい う州統 一テス トを毎年春に実 施 し、各児童の学習到 PLEDGETOTHEFLAG

ⅠpledgeallegiancetotheflagoftheUnitedStatesofA皿ericaandto theRepublicforvhichitstands,oneNationunderGod,indivisible,With 速度を測っているため、学校 (学校長)は、学習内容の定着を図るうえか らも出席率 については、常に関心を払 っていた。ちなみに、BUCKINGHAXCX)UNTYのSOLのスコアは、 概 して低いため、教育委員会か らスコアを上げるよう、各学校に指導がなされ、学校 長 も職員会議でテス ト結果の分析 と対応のあり方を職員に説いていたことが印象に残 っている。SOLについて学校長に質問 した時、 「テス ト前になると校長 も、教職員も、 神経が ピリピリして くるのよ」 と苦笑いしていた。 学校長の校内アナウンスが終了すると、第

1

時間目が始まる。各学級の時間割は、 日本のそれが毎 日時間割 りが異なるのと比べると、ここの学校の時間割は、毎 日、ほ ぼ同一の内容 となっている (「Xrs.Layton'sclassSchedule」を参照)。授業時間 は、およそ30分 と、スケジュールには書かれてはいたが、lathやReadingの時には、

1

時間に及ぶことも度々あった。また、最 も驚いた点は、子どもや教員にとって、休 み時間が確保されていないことであった。 1日に1-2回、BathRoomBreakの時間が 設けられ、担任の引率のもと、児童は廊下に一列に並び、指示に従 って一人ずつ トイ レに入る。 もちろん、 トイレに行 きたくない児童がいるはずであるが、それにはお構 いなLである。BathRoomBreakにしても、給食時間にしても、児童は、教員の徹底 し た指導 ・管理の下にあり、自分勝手な行動は、厳 しく注意 される。 渡米前、米国の学校は、テレビ ドラマや映画のワンシーンのように、児童 ・生徒は ー 31

(5)

-自由を満喫 し、学校行事 もまた、 「生徒会」のような組織によって、運営され、活性 化 しているものと考えていた。だが、実態は、そうではなかった。児童は、教員によ り徹底 した管理下におかれ、学校のルールを守ることが要求される。 学級の掲示物は、カラフルであり、教員の自作 したものも多数見 られた。だが、学 級における指導方法は、教科書中心であり、知識を詰め込むといった感 じを受けた。 学級内で班討議を したり、班活動を したりするといった、 日本の学校では、好んでと られている教育方法 も、私が配置された学校では、ほとんどみることがなかった。日 本の教員は、授業の導入を-工夫 したり、児童 ・生徒の興味 ・関心を引き出す教材開 発や発間の研究等を、精力的に進めていると思われるが

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では、教員の力量 を高め合 う校内研修会等はなかった。

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主に授業を担当する教員以外にも、学校には、多 くの職員がいた。なかでも、教員 の教科指導を助け、児童の しつけ面までの責任を負 う

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名いた。彼女 らには、特に、教員免許状が必要 とされているわけではな く、 1年間の期限付き任用である (再任は妨げない)。優秀な児童には、教育委員会 派通の

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年前か らである

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内の小学 校 と中学校の優秀な児童 ・生徒を教育指導 し、高校では、-イタレン トの生徒を大学 レベルのカ リキュラムが準備されているガバナースクール (マグネッ トスクール)に 送る職務を担 っている。学習遅滞児には

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は、学校の環境整備 の仕事、校舎や教室内外の清掃に至るまで一手に引き受けている。米国の児童 ・教員 -32

(6)

-は、学校の清掃を しないので、CUSTOI)IANの存在は貴重である。GUIDANSETEAC旺Rは、 一般に、中学生や高校生の進路指導面で関わって くるが、小学校においては、週 1回、 安全な学校生活を送るための指導であるとか、交友関係の大切 さ等を指導内容 として いる。 日本の学級活動の内容に近いものがあった。GUIDANSEの授業を観察 した日、 GUII)1NSETEACHERは、SCHOOLBUSの利用の仕方をビデオを交えて指導 していた.授業 では、①バスの待ち方、②運転手 さんへの挨拶の仕方、③バスの乗 り降 りの仕方、 ④バスの中でふざけない等、バス利用のあり方について児童の体験をもとに、話 し合 い活動を進めていた。 先にふれたSOLテス トの影響のため、担任は、Reading、yath、SocialStudyのテス ト教科については、熱心に指導するが、他の教科、例えば、図工や音楽、体育等の技 能系の教科指導については、明らかに軽視 していた。同校には、図工室はな く、スク ールバスを改造 して代用 し、担当の図工科教師も

3

校を受け持っていた。 これは音楽 や、体育の場合にも同様なことがいえた。音楽室はなく、教員が持参 したCDプレーヤ ーの音に合わせて歌ったり、踊ったりする程度の内容であった。体育の時間 も、教員 が用具、例えば、ボール

1

個を持参 してきて、サッカー ・ベースボールを楽 しむとい った具合である。Reading等の主要教科が長時間の授業であることに対 し、 これ らの 教科の授業は

、20-30

分程度であった。 午前中の授業が終了すると、カフェテ リアに移動 して給食の時間である。給食は児 童にとって最 も楽 しい時間のはずであるが、食事中、厳 しいマナーが要求 され る CAFETERIARULES 1.USEAQUIETVOICE 2.CLEANUPYOURXESS 3.KEEPHANI)SANDFEETTOYOURSELF 4.LⅠSTENTOT什EADULTS! 5.USEGOODTARLEXANNERS,EEC(氾L, (「CAFETERIARULES」を参照)。教員は、 カフェテ リア内で食事をす るが、児童の テーブルとは区別 されている。教員の食 事中、児童の世話をするのは、AIDEであ る。カフェテ リア自体が小規模 なので、 各クラスの昼食時間には時間差があった。 基本的に下の学年か ら引率 されて きて、 給食をとる。児童は、バイキ ング方式 で 一品ずつ料理を トレイにのせ、 ラ ンチチ ケットのチェックを調理員か ら受 けて初 めて食べることができる。 このランチチケ ットは

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枚で

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回利用することができ る(1枚

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ドル)。但 し、教育委員会で認定 された低所得層の児童は、無料でチケッ トが配 られることになっている。児童や教員の中には、給食をとらずに弁当を もって くる人 もいたが、それは認められている。 午後の授業 (1コマ)が終了すると、児童は、カフェテ リアに再度集合 し、バスを 待つ。朝、登校 したときには、各学級毎に着席 していたが、下校の場合は、バスの行 き先毎に整列 して放送を待つのである。AIDEによる学校到着のバスの番号が次々と読 - 3

(7)

3-み上げられると、児童は、バスに乗 り込む。黄色のスクールバスの運転手には、退職 者や主婦が採用 されている。 児童が下校すると、教員は、翌 日の準備を したり、

過1

回の職員会義 (およそ

30

分程度、連絡事項が主たる内容)を終えて、 4時までには、ほとんどの教員が帰宅す る。 日本の教員が、午後

6-8

時まで居残 り、教材研究や部活動の指導を していると 聞いたDILLYYNの教且は、 「いっ、日本の教員は、自分の時間を確保するのか

?

」と、 怪冴そうに質問 してきた。 ここの教員は、仕事としての教職 とプライバ シーとしての 家庭生活を峻別 しているため、家庭で過 ごす時間を削ってまで、教員が、部活動の面 倒をみるというのは稀である。部活動の世話をするのは、地域の父母と決まっている。 以上の学校観察か らいえたことは、学校 ・学級の規律 (ルール)が重視 され、児童 はそれを順守することが求められていた。換言すれば、児童は教員によってかなり管 理的に指導 されていた。また、学校には多 くの教職員がみ られたが、各自の職務内容 が分業化され、それにともない責任 も分散 しているかのようにみえた0

4.

Mrs.Branchの教室経営と授業観察 私のHOSTTEACfIERは、教職

20

年目になるXrs.Branchであった

。3

年生担任の彼女 は、COUNTYの教育財政が厳 しいため、冷房完備とはいえ、移動用 トレーラーハウスの 中で授業を している。学級の児童は、 17名であり

、8

名はBlackの子である。教室 には、国旗 とCLASSROOyRULESが、ひときわ目立つ位置に掲げられている。 CLASSROOHRULES 1.BePolite 2.Raiseyourhand 3.Yorkquietly_anddoyouroⅥtVOrk 4.Keepyourhandsandfeettoyourself

教室には

2

台のパソコンとOHP、 テープ ・レコーダー、図書資料等、基 本的な教具は、準備され、効果的に使 われていた。 算数の授業を観察 したが、担任の説 明に対 して、挙手をさせたり、一斉に 声を出させて答えあわせをさせるとこ ろは、日本の教員の指導 と似たような ところがあった。lrs.Branch以外の授 業で もそうだったが、教員は、児童にノー ト指導 というものをするわけでもなく、い かにノー トを使おうと児童に任せきりだった。そのうえ、日本では、国語の漢字練習 や算数の計算 ドリル等、習熟 しなければならない事項については徹底 した ドリルとテ ス トを課すことがあるが、ここでは習熟の時間が十分 とられているわけではなかった。 概 してDILLYYNの教員は、指導方法や教育内容についてお互いが研究 し高め合 うと いうようにはみえなかった。実際、Xrs.Branchに聞いて も、日本の学校で盛んな研究 授業や教材開発等は皆無に等 しく、指導方法は個人に任せ られているということであ る。確かに、 1ケ月間、学校観察を しても教員相互が学び合 う時間が確保されている -34

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-わけではな く (職員室自体がない)、指導案なるもの もみたことがないという教員が 多かった。 ■

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における授業実践 授業観察 と平行 しなが ら、 日本語の挨拶やひらがなの紹介、折 り紙の楽 しみ方、玩 具紹介、日本硬貨

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o門)の紹介、そ して、沖縄の民舞であるエイサ ーの披露 と指導を した。授業をするにあたって、まず、同校の児童が園児か ら

3

年生 までなので、高度な学習内容は避けた。例えば、園児 と

1

年生への折り紙の指導では、 数回の折 りで出来上がる "Dog"であったり、 2年生か ら3年生の授業では Ⅷabuto" であったりした。特に、児童の関心を引き出 した授業は、玩具の紹介であった。凧、 コマ、ベ-ゴマ、紙風船、 ヨーヨー、剣玉等の遊び方を教え、自由に遊んでもらうと、 児童は、はしゃぎなが ら日本の玩具に挑戦 した。 また、児童にとって、最 も印象深かったものとしてはエイサーを観たことと、実際 に踊 りに挑戦 したことであろう。渡米前に

1

曲分のエイサーの振 り付けを習得 した私 † 児童 とエイサーを踊る ,ド 沖縄の玩具の紹介-は、パーランク

-5

個 と衣装

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人分を持 ってきていた. まず

、3

年生の学級で私が "ミルクムナ リ"を舞い、今度は、児童

4

人 と一緒になって演 じた。初めて沖縄の民 族衣装を着た児童は、興奮を隠 し切れず、また、パーランクーを手にすると、パ ンパ ン叩いて音を楽 しんだ。学校の授業でエイサーを演 じたことが教育委員会にも伝わり、 それで新聞社 (

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5-年10月16日午後

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時放映、 「DATELINE29NEYS」)を受けた。学校研修の最終日には、 カフェテ リアで全体集会が持たれたり、PTA総会の出し物で児童 と共に演 じることに なった。私は、その総会でエイサーを演 じる前に、自己紹介があったので、チャンス とばかりに沖縄の紹介 も兼ねることにした。以下は、そのときの自己紹介文である。 XynameislideakiKano.Iamanelementaryschoolteacher.Iteachsixth gradeinJapaneseschoolnowandhavebeenateacherfortenyears.Ienjoy teachingeveryday.

BeforewecametotheU.S.A.Wethoughtitwasadangerousplacefor foreigners,butvehavefoundthatBuckinghanCountyisverysafeforall Japaneseteachers.IhavebeenlntheU.S.Aforonemonthanditisour firstvisittotheUnitedStates.†ehaveenjoyedourvisit.

Theschoolsystemareverydifferencehere.†edonothavebreakfastor schoolbuses.Yeeatschoollunchinourclassrooms.Yedonothavea cafeteria.Theteacherseattheirschoollunchintheclassroomwiththe children.Afterschoollunch,vehavetocleantheclassroomeverydayalong Withthestudents.Japanesestudentshaveten'ninutesofresttineafter forty-fiveminutesofinstruction.Japaneseteacher′sschooldayismuch longer.Wehavetoworkuntilsixorsevenintheeveningusually.

Bytheray,IanfromOkinawa,Japan.HaveyoueverheardofOkinava? OkinavaislocatedinthesouthernpartofJapan.Okinavaconsistsofmany smallislands.Duringthetouristseason,aboutfourmillionstouristscome toOkinawaayeartoseethesightsortogoswimming.Internationalresort hotelswerebuiltinOkinawaislands.Thereareonemilliontwohundreds thousandOkinavanpeopleandmanyforeignersliveinOkinava.Okinava islandswereunderoccupationbyU.S.Afrom1945to1972.Alargenumberof U.SbaseswerebuiltinOkinava,forinstance,KADENAandFUTENIA.Hany AmericansoldiersarestationedinOkinawa.SometimesOkinawaiscalledthe "Keystoneofthepacific"becauseofitsstrategicmilitarylocation.

Thereareelementaryschools,middleschools,andhighschoolsonthe militarybasesinOkinawa.ThebasesalsohaveaboutfourlJniversities.At present,OkinawanpeoplecangototheUniversitiesonbaseiftheysucceed inentranceexamination.

IthinkOkinawaisexcitingislands.Someofthecharacteristiccultures areOkinawamusic,language,dancing,andsoon.Here,IshowyouOkinawan dancing.Yesay"EISA".EISAismostpopulardancinginOkinava.Fromthe

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バージニア州の

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で、沖縄の紹介が出来たことが何よりも嬉 しく、また、児童 と共にエイサーの踊 りをとお して、沖縄の文化を少 しで も伝えることがで きたのでは ないかと考えている。

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地域社会活動に参加 して∼メ リーラン ド州の

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を学ぶ∼

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ケ月の学校研修後、メリーラン ド州に移動 した。州立メ リーラン ド大学のカンフ ァレンス ・センターで滞在 しなが ら

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週間余、米国のボランティア活動について学 ー37

(11)

-ぶ機会を得た。だが、われわれがいうところのボランティア活動 とメ リーランド州で 実践 されているボランティアとは、意味 も形態 も微妙に異なるものであった。 ボランティア活動研修を主宰 している

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によると、ボランティアとサービス ・ ラーニング、コミニティ ・サーゼスは、それぞれ異なるものであるという。ボランテ ィアは、日本で考え られているものとほぼ同 じ意味であるが、米国では、制度化され たボランティア組織があり、そこで、給与を得なが ら従事する者 も多数存在する。日 本では、ボランティアとは、奉仕的な意味合いが強いが、ここでは、ボランティアが 職業 として確立 していることにまず驚いた。次に、サービス ・ラーニ ングとは、学校 のカ リキュラムの中に位置づけられているものである。特に、同州では

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2

年か ら 高校卒業までの一定期間、非営利団体でボランティア活動に従事することが義務付け られ、 "ボランティアの学び"をすることが求められている。コミュニティ ・サービ スとは、罪を犯 した者が、一定期間、ボランティア活動をとおして地域社会へ貢献す ることを指す。そのため、学校では、用語 としても実践的にも使われることはない。 メリーラン ド州内の中学校や高校におけるサービス ・ラーニングの実践を直接、参 観する機会を得たが、実践の内容は様々であった。、老人ホームの慰問であるとか、動 物保護施設における動物の世話であるとか、あるいは、地域社会における特定の調査 をとおして、問題の所在を明 らかにし、これを地域へ遭元することもサービス ・ラー ニ ングとしてとらえられていた。 学校で取 り入れ られている、サービス ・ラーニングは、P岨E(PREPARATION、ACTION、 REFLECTION、EVALUATION)の段階を経なが ら実践されている。まず、PREPARATIONは、 生徒にサービス ・ラーニングの意義や目的を理解 させ、活動に必要なことを準備させ ることを意味 し、次のlCTIONでは、行動 (実践)の日時、場所、活動内容を把握させ ることに重点がおかれる。REFLECTIONは、行動 (実践)に意味があったのか、効果は あったのかを反省する。最終のEVALUATIONは、評価 と呼ばれるもので、当初の目的は 達成 されたのか、準備は妥当であったのか、次のサービスをどのように計画すればい いのかを生徒自身に考えさせる機会である。学校のカ リキュラムに位置づけられてい るサービス ・ラーニ ングだが、留意点 としては、①学校のカ リキュラムの中に位置づ けるのであるか ら、子どもの視点か ら構成 されなければならない、②サービス ・ラー ニ ングは、地域社会 との関わ りの中でどのように進めていくべきかが常に検討されな ければならない、③生徒が地域社会に貢献できるプログラムを作る必要がある、以上 の三点である。 I)r.Barbara教授は、以上のサービス ・ラーニングの体験により、生徒が社会的な弱 者を理解 し、他者への思いやりの心情が芽生えて くるものだと力説 した。確かに、サ ービス ・ラーニ ングの教育的な効果は、Barbara教授の指摘する通 りだと思う。だが、 連邦政府や州政府が当然保障 しなければならない福祉制度を、民間活力 (ボランティ ア)によって支え られている米国社会の不安定な一面をみた思いである。 - 38

(12)

-7.

ホーム レスの人たちへのボランティア IARJISによる理論研修 と学校視察か ら学びつつ、われわれ派通教員は、実際のボラ ンティア活動に従事 した.その中で最 も印象に残 っているのは、ホーム レスの人々へ の朝食の準備 と提供であった。大都市では、ホームレスの問題は深刻であり、冬季に なると、凍死 して しまう者 もいる。それで、ボランティア団体 としては、民間の会社 や レス トラン、ホテルか ら要 らな くなった衣料品や、賞味期限の切れた食品 (チキン、 ピザ、パ ン、ケーキ頬)を取 り寄せ、 これ らをホーム レスの人々に提供 しているので ある。その量は膨大であ り、多 くのスタッフの手により、ホーム レスの人々の空腹を 満た している。 ある日、ホーム レスの人々への食事を提供 している民間のボランティア団体に出か けた。目的は、朝食の準備 とそれの提供である。専属のスタッフと共に、大 きな鍋に チーズがたっぷ り入 ったスープを作 り、電子 レンジで ピザやパ ンを温め、 ジュースの 準備を して飢える人々を待 った。定刻の

7

時になると、一人また一人 と、空腹を満た すためにホームレスの人たちが続々とやってきた

。6:4

の割合で、Blackの人が多 く、女性は、 1割程度であった。彼 らは、小奇麗であり、礼儀正 しかった。 見慣れない東洋人が入 り口で立 っていたのが気になったらしく、 しば らくして初老 の男性が私に声をかけてきた。最初、その男性は、 「どこか ら来たのか ?

「ここで 何を しているのか

?

」等 と親 しげに話 しかけてきたが、次第に真剣な顔つ きになり、 次のようにホームレスのことについて語 りだ した。 「お前たち日本 は、アメ リカに戦 争で負けたのに、今では、 トヨタとか、ニ ッサ ンとか、沢山の自動車を売 って金持ち になっているじゃないか。アメ リカは戦争に勝 ったのに、俺たちみたいなホームレス が沢山いる。要す るに、アメ リカは、海軍 とか陸軍 とか、軍隊が好 きでそこに金をか けているので、俺たちには、金が回ってこないんだ」 と。 米国は軍事に莫大な費用をかけているが、教育や福祉予算は緊縮型であると聞いて いたので、初老の男性の説明に妙に納得 して しまった。世界一の軍事力を持ち、スペ ースシャ トルを打ち上げる米国の威信を感 じなが ら、ボランティア団体の世話になっ ている多 くのホーム レスや貧困層のおかれている現状をみる時、ア ンバランスな社会 構造がみえてきた。 8.日本人 (請)補習校の参観 在米の日本人主婦か ら、カンファレンス ・センターの近郊に日本人 (請)補習校が あることを聞 き、山RJISをとお して、単独で参観する機会を得た. ワシン トン虻の近 郊にある補習校は

、1

校であ り、それが

4

つの地区 ごとに分かれている。 ワシン トン H:には

、1-3

年生が通 う学校

、4-6

年生が通 う学校及び中学 ・高校の学校、そ し て、バージニア州にもワシン トンⅨ:に近接 して1校存在 している。補習校には、総計

500

人の児童 ・生徒が在籍 し、文部省派遣の

3

人の教員 と現地採用教員

31

名が指 - 39

(13)

-導にあたっている。現地採用の中には、教職経験者 もいるが、主婦や教職未経験者 も 多数採用されている。児童は、平 日は、現地校に通 うが、土曜日に補習校に通い、日 本の授業に準 じた内容を学習 している.派遣教員

3

名は、平日は、 ワシントンKにあ る日本大使館の一室を借用 して事務管理に従事 し、毎週土曜日に、 4つの分校を管理 運営 している。実際に、授業をするのは、現地採用教員である。補習校は、父母代表

19

名か ら構成 される運営委員会の管理下におかれ、同委員会は、教員の採用やカリ キュラムを実質的に決定する機構である。 私が訪問 した補習校は、文部省からの補助金と児童 (父母)の納める授業料で運営 されている。各学期毎に

1

250

ドルの授業料 と教材費

30

ドルを納めるため

、1

年間におよそ

840

ドルを納めていることになる。 こうした補習校があるのは

、1-2年間の短期駐在の父母か らの要求があるか らである。近い将来、帰国するのである か ら、日本の学校に適応させるための準備を補習校に求めている、というわけである。 訪問 した当日、日本か ら私立学校教員

3

名 と日本人学校ロスアンジェルス校の教員 1名によるパネルディスカッションが開かれていた。ディスカッションで問題となっ ていたのが、 日本での受け入れ問題、すなわち、帰国子女問題であった。 パネラーが所属する私立学校は、帰国子女に対 して門戸を開いており、ユニークな 学校経営を しているが、フロアからは、 「絶対数の公立校では、帰国子女の受け入れ 体制は十分ではなく、いじめ問題 も確実にある」 という現状の厳 しさを指摘する声 も あがった。 このパネルディスカッションでは、帰国子女の受け入れに関する問題の深 刻さが指摘されたが、現状を打開する方向性までは兄いだすことができなかった。 ここで、補習校訪問を終えての感想をメモ程度に書き出してみた。 ①補習校に対する文部省 と外務省か らの補助が十分でないため、父母の負担が大きい。 ②教会学校 (私立校)を借用 しているため、賃貸料が高 く、学校の財政を圧迫 してい る。公立校を借用 しようとしても管理 ・安全面の不安か らか、教育委員会から許可 が出ない。 (卦児童の帰国を前提 とした日本語 と教育課程 (カ リキュラム)の保障が十分でない.

9.

補習クラスでの飛び入 り授業 補習校の

6

年生の教室に招かれ

、32

名の児童が一人ずつ自己紹介 して くれた。担 任は、大阪府内で教職経験のある女性であった。結婚後、米国へ移住 し、現地採用さ れたという。担任の 「沖縄について知 っていること、ありますか?」の質問に、児童 は、次々に答えて くれた。 「さとうきびやパイナップルがたくさん とれる

「アメリ カ軍の基地がある

「アムロやSPEEDの出身地である

「台風が多いため、家の造 り も木造ではない

「九州の南の方にある

「アメ リカ人がいっぱいいる

「ナ- とい う大 きな町がある」等。 日本本土の児童 も、 この程度の知識を持 っているだろうか。 確かに、小学校4年 と6年の社会科の授業で沖縄のことを学習するが、本当に知識 と - 40

(14)

-して定着 しているな、 と感心 した。 担任に促され、児童の質問に答えたりしたが、ついには、沖縄の歴史について授業 をすることになった。要点 としては、①かつて沖縄は、琉球 という独立王国であった こと、②薩摩の侵略により日本国の一県 として位置づけられたこと、③太平洋戦争で は激戦地 となり、戦後、米軍の占領下におかれたこと、④

1

9

7

2

5

月に沖縄は日本に 返遺されたこと、等であった。児童は、興味深そうに聞いていた。 突然の飛び入 り授業で、教材の準備を しないままの授業だったが、米国で生活 して いる日本人の児童に授業をするという貴重な経験を得た。 1

0

.

メリーラン ド大学教育学部の講義への参加 大学の授業に興味があったので、yARJISに打診 した。幸いにも、TEACHER′smSTORY を受講することができた。 この講義は、ディスカッションやディベー トの練習をする 場 と聞いていたが、 1週間前に受講 した教員の話によれば、ルールに則 ったディベー トでもなく、ただ教育についての私見を述べ合 うだけの議論の場だったという。 しか も、学生 と対等に議論するだけの語学力を有 していない日本人教員にとっては、大変 苦痛だったようだ。 というのは、学部学生か ら、 「原子爆弾を広島と長崎に落 とした のは、戦争を終結 させるためには必要だった !

「君たち、 日本人教員は、米国の教 育か ら何を学び、何を日本に導入 したいのか

?」

「日本人は、質問されて も答えきれ ない.議論が苦手だ」等、高圧的な態度に閉口したようだ.私は、大学の授業に出席 するからには、前 もって質問事項を準備 し、積極的に講義に参加する方がより実 りの あるものになると考え、前日、他のメンバーに 「勉強会」を提案 した0 当日、 「勉強会」は、決 して無駄ではなかった。む しろ、質問事項に至っては、見 事にヒットした。講義担当の教授は、ゲス トに

6

人の日本人教員がいること、 ビデオ の視聴をとお して講義を進める旨を説明 した。 ビデオは、黒人差別の ものであり、1 本6分のビデオを4本視聴 し、ディスカッションするものであった。 ビデオ視聴の前 に、教授は、 「日本には奴隷制度がなかったよね」 と確認 し、スター トボタンを押

た。 ビデオの内容 は、①Blackの大学生が、警官 に護衛 されて通学 しているシー ン (Yhiteの学生に妨害されるため)、②YhiteとBlackの児童を強制的にバ ス通学 によ って混合させるシーン、③ "IHAVEAI)RElr で有名なキング牧師の運動、④公民権 運動の高揚期のシーン、以上であった。 ビデオ視聴後、教授か ら質問やディスカッシ ョンをしたいことはないかと聞かれた。前夜の 「勉強会」で、米国における黒人差別 のことについて質問 したいと考えていたので、積極的に拙い英語で質問を した。 質問の内容は、①米国には黒人差別が過去にあったし、現在でもあると思 う。君た ち学生は、近い将来教員 となるのだか ら、黒人差別を子どもたちにどのように教える のか、②バージニア州の学校では、確かに、miteとBlackの児童が同 じ教室で同 じ教 -4

(15)

1-科書を使い学習 していたが、放課後は、YhiteはYhite、BlackはBlackとだけ しか交 流 しなかった。父母の交際 も同様である、これをどう考えるか、③差別のあった歴史 について教員がきちんと学習する必要があるのではないか、以上の

3

点である。私の 質問に正面か ら答えて くれた学生はいなかったが、ある女子学生は、感想 として次の ように述べた。 「米国に差別がまだあることは確かであるし、私たちが もっと差別に ついて考えなければならない」 と。 講義の最終ではフリー ・トーキングの時間となった.それで、 日本の教育事情を紹 介するのも意味のあることだと考え、日本の教員の現況について、語 った。 日本の教 員は比較的、教材研究をするといわれ、また、公開の研究授業や教材開発に関する出 版活動 も精力的に行 っていることを述べた。 さらに、米国の教員 も教育方法学につい て、校内の研修会等で討議する必要があるのではないか、とコメン トした

。70

分の 講義はアッという間に終了 した。 講義を受けての感想 としては、 リッチモン ドでの事前研修会では、黒人差別の話は タブーであると聞かされていたが、大学の講義で取 り扱われていることに正直言って 驚いた。学生にとっては、差別の歴史を持ち、現在 も差別の残る自国で生活 している ことをあらためて考える機会になったようだ。

11

.おわ リに 戦後、 日本 と米国は、 日米安保を基軸にした関係が構築 され、 日本政府が外交上最 も重視 しているのが米国との関係であることは疑いない。沖縄にとっては、戦後

27

年間の米国占領、米軍基地問題等で、米国との間で緊張関係がみ られるが、米国によ る長期占領ゆえの影響を少なか らず受けてきた側面 も見逃せない。例えば、コザ (現 在の沖縄市)の-- ド・ロックバ ン ドは、アメリカ世でなかったら生まれてこなかっ たであろうし、毎年、米国の独立記念 日に開催されるカデナ ・カーニバル (於、嘉手 納基地)は、沖縄が米国の占領下にあった時か ら開催されているものであり、現在で もその時期になると、多 くの県民が押 し寄せ、普段、立ち入ることができない基地内 を見学することができる。 このように、沖縄でも、米国を感 じることができるが、今 回、米国本土に渡 り、一般家庭で生活 しなが ら、直接、肌で米国の社会 と学校を感 じ 取 ってきたことは、貴重な経験だった。 研修を終えた今、米国はあまりにも広大であり、地方分権が進んでいるため、いろ んな表情を併せ持 っているのではないか、というのが率直な感想である。また、意外 にも

、O

K

I

N

A

Y

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が多 くの人々に知 られていることに驚きと戸惑いを感 じた

。O

K

I

N

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A

は、米国民にとって、 日本の一部であるには疑いないが、特殊な地方であるという認 識が一般的ではないか。今回の研修により、沖縄 と日本、米国との関係をあらためて 考え直すことになりそうだ。 ー42

参照

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