DOI 10.18957/rr.9.3.166
SPring-8/SACLA 利用研究成果集
Section A166
2015A1279 BL39XU
スピン状態転移が形成する単分子磁石の局所構造研究
Local Structure Study on Molecular Magnet with Spin-State Transition
富安 啓輔a,b, 林 好一a,c, 山本 篤史郎d, 八方 直久e, 橋本 耕平a, 下村 紗耶a,
鈴木 基寛f, 水牧 仁一朗f
Keisuke Tomiyasua,b, Kouichi Hayashia,c, Tokujiro Yamamotod, Naohisa Happoe, Kouhei Hashimotoa,
Saya Shimomuraa, Motohiro Suzukif, Masaichiro Mizumakif
a東北大学, b株式会社日産アーク, c名古屋工業大学, d宇都宮大学, e広島市立大学, f高輝度光科学研究センター
aTohoku University, bNISSAN ARC, Ltd., cNagoya Institute of Technology, dUtsunomiya University, eHiroshima City University, f Japan Synchrotron Radiation Research Institute
LaCoO3の希薄 Ni 置換系 LaCo0.99Ni0.01O3は、既報の希薄ホールドープ系と異なり、巨大な磁気
応答と顕著な磁気異方性を併せ持つ。その起源として、先行研究では、Ni 周囲に局所的に形成さ れる「スピン状態転移型の異方的形状を持つ分子磁石(スピン・軌道・格子のマルチオーダー)」 が提案された [K. Tomiyasu et al., Phys. Rev. B, 87, 224409 (2013)]。そこで、本研究では、分子磁石の 立体形状を蛍光X 線ホログラフィ法により調査した。その結果、予想に反し、形状は等方的であ り、分子磁石内のスピン・電子状態や磁気異方性の起源には再考を要することが明らかにされた。 キーワード: スピンクロスオーバー、スピン分子磁石、蛍光 X 線ホログラフィ 背景と研究目的: スピン状態転移(スピンクロスオーバー)とは、フント則を満たす高スピン状態、満たさない低 スピン状態や中間スピン状態の間の移り変わりを指す。スピンクロスオーバーは、物理学では大 きな熱起電力や磁気応答、地学では下部マントル中の鉄化合物の圧力誘起クロスオーバー、生物 学では生体内ヘム蛋白質の酸素の結合と解離にまつわり、理学における広汎な基幹現象である。 ペロフスカイト型コバルト酸化物LaCoO3 (Co3+: d6) は、典型的だが無機酸化物では非常に珍しい スピンクロスオーバー系として知られ、化学ドーピングに対し巨大な応答を示す。例えば、ノンド ープの母相は、温度T が約 100 K 以下で低スピン状態 (スピン S = 0) にある非磁性絶縁体だが、 これにホールを僅かにドープした (La1-xSrx)CoO3 (x = 0.002) は、10 µB/ホール 以上もの巨大磁気モ ーメントを示す [1]。その起源は、ホールドープにより生ずる Co4+ (d5) が、二重交換相互作用エ ネルギーを得るため、周囲の Co3+を低スピンから中間スピン状態 (S = 1) へ局所的に誘起し、図 1(a) に示されるような等方的形状の磁石構造体を形成することと考えられている [2-4]。また、ホ ール濃度が十分薄いため、磁石構造体は互いによく孤立した分子磁石と見なされる。 一方、磁気異方性を伴う分子磁石は、分子エレクトロニクスやスピントロニクスの中核となる 分子型磁気メモリや量子コンピューターの構成要素として期待され、錯体化合物や有機物を中心 に一大分野が形成されている。そこで、我々は、上記の局所スピン状態転移を分子磁石の新たなメ カニズムに発展させることを念頭に、希薄元素置換系 (La1-xSrx)CoO3 (x = 0.01) と LaCo1-yMyO3 (M
= Cr, Mn, Fe, Ni; y = 0.01) の純良単結晶試料を作製し、方位ごとに磁化を測定した。その結果、Ni 置換系だけが、d 電子の理論的最大値である 5 µB/Ni を超える巨大磁気モーメントと顕著な磁気異 方性の両方を示すことを発見した [5]。また、X 線吸収スペクトル測定により、Ni 価数は 3 価と見 積もられた。これらのことから、図1(b) に示されるように、低スピン Ni3+ (d7) が Jahn-Teller 効果 による格子ひずみと二重交換機構によるeg電子の軌道秩序を伴って引き起こす「異方的形状の分 子磁石モデル」を提案した。その後、米国グループの中性子非弾性散乱により、分子磁石に特有の 量子力学的な離散励起準位群も報告された [6]。 しかしながら、現状、分子磁石の立体形状に関する微視的な観測情報が欠けている。そこで、本 研究では、元素選択性を持つ蛍光X 線ホログラフィにより、活性サイトである Ni 周りの局所構造 を直接観測することに挑戦する。
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Section A167 実験:
SPring-8 の BL39XU にて LaCo0.99Ni0.01O3の蛍光X 線ホログラフィ測定を実施した。入射 X 線エ
ネルギーは9.5 keV から 13.0 keV まで 0.5 keV 刻みで設定した。円筒型集光分光結晶アナライザと アヴァランシェ・フォトダイオード(APD)検出器を用いることにより高カウントレートを実現し た。光学系配置や測定原理は文献 [7-8] に記されている。ヘリウム吹き付け冷凍機により温度を 制御した。以上の測定条件において、単結晶試料の方位を操作しながら蛍光X 線強度変化を検出 することにより、多波長ホログラムデータを測定した。測定したデータに多波長再生アルゴリズ ム(バートン法 [9])を適用し、Ni 原子周囲の原子像を再生した。 本測定では、微量のNi 原子からの蛍光線を検出する必要がある。しかしながら、マジョリティ のCo 原子からの Kβ 蛍光線 (7.6 keV) が、Ni Kα蛍光線 (7.5 keV) とほぼ重なってしまうため、最 も強度の高いNi Kα 蛍光線を用いることができない(分光には概ね 0.5 keV 以上の差が必要であ る)。そこで、Co 蛍光線の混入をできるだけ避けつつ Ni のみの信号を選択的に抽出するため、Ni Kβ 蛍光線 (8.3 keV) のエネルギー領域のみを切り出すという工夫を行った。 LaCo0.99Ni0.01O3の単結晶は溶融帯域法により育成した。ラウエ回折により方位を決定し、(100)面 を結晶カッターにより切断し、表面研磨を行った。本物質は三方晶系であり、本単結晶試料はシン グルドメインではなくマルチドメインであるが、三方晶歪みはホログラフィ実験の分解能と比べ てとても小さいので、実効的に立方晶と見なすことができる。磁化測定データは文献 [5] に報告 されている。 図1.非磁性低スピン状態 Co3+ マトリックス中に発現する分子磁石のモデル。(a) 非磁性ノン ドープ系中に希薄ドープされたホール (Co4+) が周囲に局所的なスピン状態転移を引き起こす ことにより発現する分子磁石。(b) Co サイトに置換された Ni3+ が誘起する分子磁石の例(左)。 比較のため、非磁性のノンドープ系(右)も示す。このモデルの場合、分子磁石の発現に伴い、 点線から実線のように格子がひずむと予想される(Jahn-Teller ひずみ)。
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Section A 168 結果: 図2 は測定と再生計算により得られた原子像を示す。黄色点線の丸で示されるように、室温と T = 10 K ともに、最近接 Co 原子像の観測に成功している。また、室温における Ni(中心の原点) と最近接Co 間の距離は T = 10 K におけるそれより長く、このことからも、本 Co 原子像は熱膨張 を反映した合理的な結果と考えられる。 Co 原子像における顕著な分裂や楕円変形の有無を検証する。これらの異常は、もし図 1(b) のよ うな格子ひずみが発生すれば、観測が期待されるものである。まず、図2(a) に示されるように、 室温においてこれらは観測されていない。このことは、室温ではNi 周囲に限らず全ての Co 原子 が熱的スピンクロスオーバーを起こしてしまい、そもそも分子磁石が発現できる条件が満たされ ていないためと自然に理解できる。次に、図2(b) に示されるように、T = 10 K においても図 2(a) と比較して有意な異常は観測されていない。このことは、図1(b) のような異方的形状という予想 に反し、Ni 周囲の NiCo6八面体が等方的であること、すなわち、むしろ図1(a) が立体構造モデル としてより正しいことを示唆する。 丸で囲んだ最近接Co 以外の有限の原子像強度部分は、ゴーストと判断している。表示領域には Ni と Co の間に O 原子が存在するはずだが、軽元素の O の信号は重金属の Co のそれよりもずっ と弱いはずであり、そのような信号の存在は判別できない。このような著しいゴーストが現れた 理由として、実験セクションで記したように、高強度のNi Ka 蛍光線を使えなかったことが挙げ られる。にもかかわらず、一部でも原子像を再生できたことは、技術的にも注目すべきことと言え るだろう。 以上、本ホログラフィ研究の結果により、低温においてNi 周囲に発現する分子磁石は、異方的 ではなく等方的形状を示すことが初めて示された。 考察: 分子磁石の形状が等方的であるという上記の結果は、Ni3+の電子状態がJahn-Teller 不活性である ことを示唆する。そこで、Jahn-Teller 不活性を生成する Ni3+の電子・スピン状態を考察する。以下、 二つのモデルを取り上げる。 第一のモデルは、Ni3+が高スピン状態 (d7: t 2g5, eg2; Jahn-Teller 不活性) にあるケースだろう。この 場合、ホールドープ系のような強磁性二重交換相互作用ではなく、反強磁性交換相互作用のエネ ルギーの利得により、最近接 Co3+は低スピン状態から中間スピン状態に転移し、分子磁石が形成 されると考えられる。また、Ni3+の高スピン状態では、Co2+と同様、軌道角運動量が凍結しないた め、これが磁気異方性の起源だと考えられる。しかしながら、我々の知る限り、高スピン Ni3+ (Ni3+O 6) の確認事例はない。そのため、もし高スピン Ni3+モデルが正しければ、スピンクロスオー 図2.本ホログラフィ実験データから再生された実空間における原子像。縦軸と横軸は座標、 カラースケールは原子像の強度(任意単位)を示す。(a) 室温。(b) T = 10 K。中心の原点が Ni 位置、黄色の点線の丸で囲まれた部分が再近接Co の原子像を表す。DOI 10.18957/rr.9.3.166
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Section A 169 バーの科学と制御にとって重要な進展の端緒になると期待される。 第二のモデルは、Ni3+が |d8 L_>状態 (L_はリガンドホール; Jahn-Teller 不活性) にあるケースか もしれない。これは、同じくJahn-Teller 不活性且つペロフスカイト型の Ni 酸化物 NdNiO3に対し、 非弾性共鳴X 線散乱法 (RIXS) と理論計算により報告されたものである [10]。|d8 L_>状態は、Ni サイトだけを見ればNi2+ (d8: t 2g6, eg2; Jahn-Teller 不活性) となる。しかしながら、Ni 原子に陽に軌 道角運動量が発生せず、これは顕著な磁気異方性の報告 [5] と相容れない。実際、NdNiO3は温度 を下げてゆくとT ~ 150 K で金属絶縁体転移を起こすのだが、|d8 L_> 状態は金属相を記述するモ デルであり [10]、この観点からも軌道角運動量という局在電子的な特性を獲得することには反す ると思われる。よって、現状、|d8 L_>状態モデルは LaCo 0.99Ni0.01O3に当てはまらない可能性は高 い。 結論と今後の課題: 本蛍光X 線ホログラフィ研究により、LaCo0.99Ni0.01O3の低温において、Ni 周囲に発現する分子 磁石は、先行研究 [5] の予想に反し、異方的ではなく等方的形状を持つことが初めて示された。 これは、Ni3+の電子状態がJahn-Teller 不活性であること、この分子磁石には、中間スピン Co3+ に 加え、例えば、高スピンNi3+ のような特殊なスピン・電子状態が潜むことを示唆する。 我々は、別途、精密磁化測定、EXAFS、中性子研究を並行している。今後、総合的に、Ni 周囲 に発現する分子磁石の電子・スピン状態を明らかにしていく予定である。 謝辞: 本研究活動は科研費 (JP17H06137, JP18K03503) に支援を受けた。 参考文献:[1] S. Yamaguchi et al., Phys. Rev. B, 53, R2926 (1996). [2] A. Podlesnyak et al., Phys. Rev. Lett., 101, 247603 (2008). [3] K. Sato et al., J. Phys. Soc. Jpn., 80, 104702 (2011). [4] R. Suzuki et al., Phys. Rev. B, 80, 054410 (2009). [5] K. Tomiyasu et al., Phys. Rev. B, 87, 224409 (2013). [6] J. Yu et al., J. Supercond. Nov. Magn., 26, 2627 (2013). [7] N. Happo et al., Jpn. J. Appl. Phys., 57, 058006 (2018). [8] K. Hayashi et al., J. Phys. Soc. Jpn., 87, 061003 (2018). [9] J. J. Barton, Phys. Rev. Lett., 67, 3106 (1991).
[10] V. Bisogni et al., Nat. Commun., 7, 13017 (2016).