二重の基準論の応用と展望
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(2) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月) 【アメリカで} 口印:典型的なもの(と、日本では理解されている). 睡麺K…m・』U・i・・dS・・…323USユ14(醐 オ格審査Gr甜er肌Bolllng叫5391J.S.306(2003) {{㎡_ ■ ■ .ヒ_. ド. 中離査」醜瀬輌繍繊.{2詞994) i魑‘c魂鋤甑纏遮・9α(・97葦≧二 _」. v」. 一 一 一 戸 .「〔 「←“ 1− ’一’ 一人 .1 ’^ ・ 一 Lユ .“ .1 、 、 F −. _一_rA 一一一一一. 一☆. ゚ニニ三董亘あ鷲漣性Ω難燕撫無gd壇姓⊇烈02元1). 。一.L卓. @ 合理性の基準Ro阻en Evans,517U.S.620(1996) f. @ ロ理性の基準W鋤描o肌d」エ{輌{五〇蜘隅珊U且4田(1955). Un直ea States v. Carolene Products Co叩304 V..S.!4ヰ(1938). 鐵格審査 i5{ric15cr湘1y〕. 目的. 手段. 立証責任. やむにやまれぬ(非常に重要な). 必要最小限. 合憲測. ic・mpelling int¢耐)・. iessel寵I rehli・nshiP/ 獅≠窒秩Ewly tail・red). 中間審査. 籔な n 一 ッmporlallt輌漉rest) 、 − 1. iin出rm醐鵬撤e】. 漢質的曄鍵のある. .?. @(帥5剛1in[祀1ai撤5蹄i耐乱ct1’・. P㌧T:.. k緬・破 台理性の基準. 何らかの合理的な征当な) ileg油]at曲紀res1) 一. irロ1i椰司ha±1蝋}. 何らかの合理的な. 違憲側. ir韮tional rel田i。nshiP). ★中璃審査:「厳格な合理性」の基準、合理性の基準:緩やかな審査、とも紹介される. 挙権の事‖約,それに人種差別のケースなどでは合憲性の推定を及ぽさない態度 を採ったS)。これは「二重の墓準」論と呼ばれたが,非常に硬直的で,最初か. ら金憲’違憲の結論の見えたもので,中弼領域をおよそ救済しないものだなど の批判を浴び9)tその中でt1970年代に中悶的な基準を産むこととなった1% 「二重の基準」論は,主として伊藤正己による紹介川,芦部信喜による展摺 により8本でも定着した。担し,芦部説は、各人権に単一の審査基準を充てず.. Lかも表麗の舳の時璃所方法の規$杜経灘舶由の消駈的規制の審 査1まギほぽ覇じ基準」であるi2)などとした。更に,政治的言論と非政治的言 論など:を分けm.後者に中縄審査基準{「厳絡な合理性」の基準)を適用しようと. する学説も有力であるなど.霧麟準酬llかい上げ下げ碑こよ瞬1接部分の. 憲鍵礫を趨纏査の亥橡とLてLまづたのである議鑑日本の学説ではX二 2.
(3) 二重の基準論の応用と展望 芦部信喜 ※:LRAの基準、「厳格な合理性Gの基準、実質的な合理的関連性の基準 精神的自由 検閲・過度広汎規制. 文面判断 事実. 1醐各. サ断. ※. 経済的自由. 表現内容の規制 一 声. P表現の時・所・方法の規制七 ’. 明白性. 消極目鰯酬. 鞠. その他. 人種・門地. 人格的自律、選挙権. 性・社会的身分 」. 生存楓労働基本橿. 積極目的規制. 典型パターン:横田耕一「合理性の基鞠芦部摘r講座憲法訴訟第2巻』192−196頁(1987)より. 「二重の基準論」の肯定→事実上の「三重の基準論」へのなし崩し的移行 精神的自由 1醐者審査. 中間審査. 経済的自由. 0非酎酬営利的)表現内容の馴Oi表現の時叉’所.・方法の鋤非. 轄. 14条列挙. 表現内容の規制 消極目的規制. o. 積極目的規制. ,生存権. 一 「. 柱 .. 台理牲の姻旦. その他. 選挙権. 一般. 伊藤正己:審査基準に基づき人権を分類する. 松井茂記:プロセス理治. 重の基準」は事実上「三重の基準」となり,アメリカの判例とも異なって,特 に中間審査の守備範囲が圧倒的に広大なものとなったのである15)。「通常審査」. を軸に「厳格審査」と「敬譲審査」(緩やかな審査)を脇役とする,高橋和之に よる日本版「三重の基準」論の説明IG)により,それは極に達した。 3.
(4) 横浜国際経満法学第17巻第2号(2008年12月). 佐藤幸治 精神的自由.. 審査基準. 厳格審査. 経済的自由. 、中間酌審査 ・. 鞠. 14条1項列挙事由. 一般的な表現規制 ≡』一. 消極規制 1 ヲE難麟差別’. −. 一 “ 」. P,営利的表現規制、、 − r 4、. P;縫刷翻の皿宋な剛階網控呂11 −一. PF一. │r,卓, 合理性の基準. 穣極規制. 一般的な差別. 高橋和之:「三重の基準論」の積極的肯定 庁広大な「通常審査」. 人権の序列× 二重の基準論を前提× 裁判所の責務O 少数者の保護O ¥’−EiE21tls2ig. 精宇軸勺自由、. 巌絡な基準. o表現のll;前祈1制・内容規}i山. ロ自己決定権. ロ信教の自由の直接的規制.. D選挙権制限. 経済的自由. 聯. その他. 騨騨i…繁繊鞭鐘 ≡〔』雪:㌧蕊三:!1−・三終1誤 ⊥ ”運:三運翻鷲li欝三溺一ぢ一.v「’ . t ロ Aピ エ. _rr− “ll’. 、∵㌦ 」・. 緩やかな審査. ピ,三籔註㍉1,.…潔鶯蕪蕊熟曇ニー. 璽耀墜讐灘蓮墾墜;1熱 ロ非パブリック・フt一ラム. Oi硅業活動の内容・態様の規制. O政府の援助の場合. 0積極規制のうち弱者保謹. だが 日本版「三重の基準」論には,日本国憲法が類型的にまとめた同じ種 類の人権の制限でありながら,審査基準を分けることについて,理念の問題と,. 区分という作業に不可避な技術的な問題があった。例えば,テレビ・アニメな どで背景色を短時聞で連続して点滅させる技法の制限17)などのように,表現 内容中立的な態様規澗であるのかが微妙なものもある。まして,政治的表現と 非政治的表現:8〕などの区別は更に困難である19}。そして,そもそもなぜ,当. 該表現活動の規制であ,6ことに変わりはないにも拘わら市ある種の表現規制 について審査基準を下げるべきなのかも疑問であった。同様の問題は,経済的 自由の規制に関しても,森林法違憲判決2°)などを契機として認識されている。 同一一i規制に社会国家的政策的規制・自由国家的内在的規制が混在することが一. 般的であれば,区分は困難である21}。また,何ゆえに前者の事案が,後者の事 4.
(5) 二重の基準論の応用と展望. 案に比しても,特段に緩やかな審査基準に服するのかもまた不明である鋤。平. 等権を巡っても,多数説鋤は14条1項後段列挙事由による差別には高められ た審査基準を用いるべきとしているが,性別,社会的身分の差別などに潤して. は中間審査基準が妥当するとの主張もある聞。だが,日本国憲法14条がその 一体の文言として歴史的に差別対象であったもの,最も許し難い「生まれ」に よる差別で民主的過程での多数形成によってその差別を解消が困難なものを列 挙している以上,その全てを厳格審査の対象とすることが自然であった2㌔ 表現の自由の規制,「生まれ」の差別という厳格審査が及ぶべき領域の一部 を中間審査に引き下げ,経済的自由の規制の一部を中間審査に引き上げtその 他,諸々の事案を中問審査の広大な守備範囲としてきたのが日本の憲法学であ るが,この組立てが理論的にも実践的にも有効であったかは疑問なのである。 第1に,もともと厳格審査が及ぶべきものに中間審査を及ぼすということは.. 違憲の結論の回避を意図し,合憲の結論を期待する姿勢と思われる。対して, 本来が合理性の基準の領域に中間審査を及ぼすことは,違憲の結論を期待する. 姿勢である。同じ中問審査と言いながら,経済的自由の内在的規制の方が精 神的自由の時・場所・態様規制よりも,実態としては審査基準の厳格度は高い ことになろう2S)。このことは,人権を規制により得られる専ら国家利益の側か. らしか見ないと批判される香城理論27)と大差ないところに達している2S)e実. 践的にも,その多くの領域に中間審査を適用するということは,裁判所はごく 一一. 狽フ事例以外にほおよそ違憲判断に踏み込まないことであり,精神的自由の. 分野で厳格な審査基準を適用せず,違憲判決が少ない遠因とも考えられるLM)。. また,何をもってその審査基準が選択されるのかの根拠を暖昧にし,裁判官に よるその選択を恣意的にしてしまう危険性が高いのである:°)e. 第2に,中問審査で審査される事例では,争点は手段審査,即ち実質的関連 性の有無になろう・川がこの実質的関連性という折衷的な基準が何をもたら すのかを考えねばならない。例えば,民法733条の女性の再婚禁止期問につい て,性差別事例に中間審査が妥当するとした説は,現行の6カ月という期間は 5.
(6) 横浜国際経済法学第17巻第2号{2008年12月). パラドクス入権抑圧的な規制の方が合憲になる危険 例;再婚禁止期間 合理性. 0 100 180 300 日. ←一一一一→下位法令=民法772条の規定の仕方で左右. 違憲であるが,100日であれば父の確定という目的と実質的関連性があり,違 憲ではないとするようである:↓%しかし,もし再婚禁止期聞が,一般的な妊娠. 期間という自然科学的事実を前提に,10カ月、300日程度というドイツやフラ ンスに以前あったような規定:”1}であるときにも,それは実質的関連性を有す. るであろう。この結果,6カ月は違憲だがそれより制限の程度が大きい10カ 月は合憲という事態を引き起こし一”},同様に,50日や75日は違憲だが100日 ならば合憲だという結果を蟻こう35)。表現の自由の時・場所・態様規制でも,. 中間審査の下では,より広汎な規制の方が合憲となる場合が生じ得る36)。この. ような基準が重要な人権制限の場面で用いられるべきか,疑問がある。 第3に,厳格審査であれば立証責任(証明責任,挙証責任)3・)は合憲主張側に. あり,合理性の基準であれば違憲主張側にあるとされるが中問審査において,. この点は暖昧にされているeあることの主張立証が両当事者共に不十分である ときには裁判官に全く委ねるような理論はt少なくとも,憲法裁判所ではない, 日本の司法裁判所の議論糾としては採用できない:9)。もし,事案に違憲の疑 いをかける審査方法として中聞審査を捉えれば4°),その基準は厳格審査ではな. いがそれに準ずる「緩やかな厳格審査」のようなもの4nであり,逆のものが あれば「厳格な合理性の基準」とでも名付ければよく,この間に明快な一線が あると言うべきである。全くの申間審査,通常審査は幻影田であろう。 6.
(7) 二重の基準論の応用と展望. このような「二重の基準論」への回帰の議論に対しては,旧来のアメリカ最 高裁が陥った硬直的な二分法の二の舞4‘i)だとの批判もあろうが,そこまで硬. 直的に考えなければよい。文字適り,やむにやまれぬ,非常に重要な目的とt 必要最小限の手段という要件“)をクリアしたものは合憲と考えればアファー ニと;■と. マティヴ・アクション(積極的差別是正)や名誉殿損的言論規制を尽く違憲にす るのかという批判にも耐え得る+i5}。アメリカでも,厳格審査を「致命的(fatal)」. とは考えない合憲判決岨,合理性の基準の下での違憲判決一mは散見される。 また,高められてきた中問審査+tB>と緩和された厳格審査とを日本では一体化 させても,大きな問題は生じまい1%合理性の基準に関しても,法原理部門SC) である裁判所による審査がおよそ無審査に等しくてよい理由はなく5]),人権規 制としての最低限の合理性さえないものは違憲と言えばよいsu) e. だとすれば,適当な結論を得るために,根本の司法審査基準を上げ下げして,. 中間審査に多大な期待をかけることは,やはり疑問である醐。中間審査は,時 代状況や政治,何よりも多数派の「常識」に流されやすく,政治的に迫害され た者の保護やマイナーな表現の保護の場面では一切使うべきではない「M)。民主. 主義国家であり,かつ付随的違憲審査制であるので,合理性の基準をベース・ ラインと考えSS)t民主的多数決を政治アリーナでの敗者である少数者がどのよ. うな人権侵害の場面で覆せるかss)は,究極のところ日本国憲法全体の解釈に 拠るものと言える。これは「アメリカ」の「特殊な事情」57}ではない。. 結局,厳格審査と合理性の基準を極度に硬直的にではなく使い分けることが, 妥当である。表現の自由や参政権の規制,「生まれ」による差別などは厳格審査,. 経済的自由の規制などは合理性の基準がやはり妥当しよう。言い換えれば,民 主主義だからと言って多数決で決まったものを裁判所が覆せるのは,一定の繊 細な人権の規制と,およそ不合理な規制なのである部。 この帰結として,個人の生存に関わる財産権(いわゆる「小さな財産」)の制限. は合憲となり易い・・}が狽褻的表現の規制は違憲となり易いなどのことにな る゜u)。この結果に違和感がないではないが,それよりも各解釈者の主観を前河 7.
(8) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月) ありうるモデル 許されぬ‘‘民主ES’決定・およそ不台理な決定は覆す. 審査基準 厳格基準. 可能性(?) 精神的自由規制 14条頭列挙、13条特殊. 刑事処罰、31条. 合理性の 社会権規制. 嚇やかな厳格審査 嚇格な合]雛の基準. 経済的自由規制 一般の差別、13条一般 に出すことの弊害刷)こそ甚大であると考えるべきではなかろうか。. 2 精神的自由・経済的自由・平等以外の場面の司法審査基準 以上のように,司法審査基準は3つではなく,「二重の基準」を文字通りに 捉えて2つを基本線と考えるべきだと思えるが,審査基準を2つと断ずること には疑念がないではない。これまでの司法審査基準に関する議論は,精神的自 由と経済的自由の審査基準という,いかにも古典的な命題に対する解答を中心 にしてきた傾向にあるが,他方で刑事手続上の人権や人身の自由,社会権的基 本権などについては必ずしも視野に入れてこなかったように思われる肥〕。. これらの人権については,価値のレベルが精神的自由と経済的自由の何れと も異なる,もしくは民主的過程の決定への疑わしさが異なる,そもそも伝統的 な裁判所の営みから考えてその能力に関する判断が異なる,第一,条文が異な る゜n)という反論は,確かにあり得るであろう。そうなると,司法審査基準も,. 厳格審査と合理性の基準以外の,いわば「緩やかな厳格審査」や「厳格な合理 性の基準」の存在する余地をいよいよ検討せねばならないかとも思えなくもな い。また,それ以外にも検討を要する癌法規定はあるのである。. (t)刑事手続上の人権及び人身の自由. 粥事手続上の人権については,伝統的に国家権力による侵害が疑わしいもの であり,その糧害も,究極的には不名誉な形で生命すら奪うものであること, 8.
(9) 二重の基準温の応用と展望. 近代立憲主義国家では,刑事法の制定は政治部門に委ねながら、その適用は裁. 判所に当然のように委ねられていることを考えればそれは,厳格審査の対象 サイドに属すると考えられる6%即ち,適用に当たり,刑事法令を審査し,過 剰な適用等を忌避することは,日本国憲法の解釈としても,裁判所に予定され ているものと解することができよう。その多くは罪刑法定主義などとして刑法. の一般原則となっているが,憲法の通説的見解も,刑事実体法の適正は憲法 31条の保障する内容としておりfifi),既にこれが憲法原則であると考え得るCfi) e. これらは,刑事法の解釈・適用に関して,単なる合理性を要求するものではな く,目的及び手段に高度の要求をしているものと解される。白地刑罰法規の禁 止,事後法の禁止など,法令そのものを無効とする解釈が主体となる点も,表 現の自由の規制の場面の司法審査と共通する。また,刑事法の適用に関しては,. 原告に当たる検察側に立証責任があるとするのが一般的であり,これは厳格審 査基準の場合と一致しよう。. そして,同じ人権の中に様々な要素,特に審査基準を異にするものを抱え込 むのはなるべく回避すべきである。憲法31条を、刑事法には特に厳密な解釈を,. という要請であると考え,刑事手続等の特別法を理解するのであればそれ以 外の場面の一般的な手続の適正については同条の適用または準用があるが,そ の実体の法定や適正は同条の問題としないとすることは,いかにも一貫性を欠 あまね くew}。また,行政手続の適正については,それに普く厳格な審査基準を適用で きないということもあり,その保障は13条の問題と考えるべきであるCf’}。. 問題は,刑事手続上の人権の制約は表現の自由や参政権の制約と同様に考え てよいか,である。この点,歴史的に,あるいは理論的に,裁判所が政治部門 の決定に口を出せる程度が異なるという主藤は.確かにあり得る。∼刑事手続 刑罰法規の合憲性判断の場合,過度に広汎な規定であってもこれを文面違憲と はせず,縮小解釈,即ち合憲限定解釈が許されるように見える点は,表現の自 由規制とは異なる印象がある。これらの点を考慮すれば,表現の自由規制の場 面とは異なる審査基準,即ち「緩やかな厳格審査」とでも言うべき基準が,刑 9.
(10) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2908年12月). 事法の違憲審査の場合に妥当するとの考え方も成り立ち得る。 しかし,これらは,司法審査基準と区別されるべき合憲性判断基準くテスト). が,表現の自由規制の場面と刑事法の場面とでは異なるに過ぎず,或いは,同 じ審査基準の下で法令やその適用が違憲となる確率が異なるだけであると考え. られなくもない。そうであればt合憲性の推定の度合いや立証責任によって二. 分されることを原則と考えるべき司法審査基準に早々に例外を作ることは欝 踏すべきではないかと思、えるのである。. (2)社会権. 社会権的基本権凹}については,それが限りある財源をどのように使い,そ のために誰からどの程度b)税を徴収するかという.民主的決定を避けられない. 経済問題であること,つまり,本来は裁判所の任務とは思えないことを考えれ ば,これが合理性の基準サイドに属すことは否めない了%日本国憲法が,社会 国家・福祉国家原理を取り入れ,特に社会権的基本権規定を挿入した点を強調 しても.そのことが厳格度の高い司法審査基準を妥当とする根拠とはならない。. 経済的自由の社会国家的政策的規制について合理性の基準(明白性の基準)を 妥当としてきた憲法学が,同様に生存に潤わる,つまりは経済的事象の社会国 家的政策的規澗問題に,特に厳格度の高い審査基準を当てはめることは,一貫 性を欠こう71)。寧ろ、社会権的基本権に括られてきた内容でも,精神的な人権. の摺題と恩われる,職場や学校生活における精神活動,例えば政治スト呼労 働紐合の政党支持決議違反XI)などの事案,それに君が代伴奏拒否事件剛のよ うな事例は,一方当事者が公的機関の一部であることに注意しながらも,内心 の自由や表現の自由,端的に結社の自由の問題と捉え直すべきではなかろうか. m。これにより,社会権の問題は経済的自由の修正として純化することができ るように思われ,合理性の基準が妥当すると言い易いと思える。. しかし,社会権的基本権の制約は経済的自由の制約と全く同様に考えてよい のかという点は,確かに論点となり得る。社会権については,社会保障等を求 描.
(11) 二重の基準温の応用と展望. める者が必然的に弱者であり相対的少数者であることなどから,民主的過程へ. の疑いも経済的自由規制の場合よりも高いとも考えられなくはない7%もしそ うであれば司法審査基準として.合憲性の推定は及ぶが,その程度の点で経 済的自由の制約の事例とは異なると考え,「厳格な合理性の基準」と言うべき ものが妥当する可能性も,ないではないのかもしれない。. だがこれも、刑事法についてとパラレルであるが,経済的自由の制約と合憲 判断の確率が微妙に異なることに過ぎず,司法審査基準そのものが異なるべき なのか:否かは微妙である。生存に関わる問題であれば当該権利を侵害する立. 法が不合理と判断され易いと考えるのが普通だからである。だとすればやは り,合理性の基準を二段階に分割する必要はないのではなかろうか。. それでもなお,更に人権の分類を精綴に行い,司法審査基準を増やす見解も 或いはあるのかもしれない。だが,少なくとも,「対称性の破れ」なき均衡あ る増加を考えれば審査基準の数は偶数であることが自然であり,少なくとも審. 査基準が1つmであるとか3つであるとかいうことはないということは確認 されるべきである。また,審査基準の数の増加は精緻化を伴うが,精緻化は, そのままなぜそこで審査基準を区切るのかという説明を,理念と技術の両面で 困難にするという欠点を抱える。細分化の過剰はスライディング・スケール化 を招き,基準選択は恣意性を帯びてしまうであろう。結局,刑事手続上の人権 等と精紳的自由権,社会権的基本権と経済的自由権との各々の憲法判断におけ. る違いとは,司法饗査基準の違いというよりも同じ司法審査基準の下で合憲 となり易い事案かどうかの違いに過ぎないとは言えまいか。だとすれば司法 審査基準が2つでは不足であるということは,必ずしも言えなかったように恩 われるのである7S)。. (3)包括的基本権. 憲法13条については,一般的自由権説〒田と人格的自律説剛などの対立が蕊 る。31条について議諭したように,同一条文には同一審…慌』量準が及ぶとす熟 ii.
(12) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月). ことが,各人権の性格や射程を明確にし,司法審査の在り方を明快にする点で は確かに望ましいと言えよう。. この観点からすれば,人格的自律権説などのように,ユ3条の保護範囲を限 定する立場が妥当かとも思えるが,他面,14条についてもそうであっrgように.. 包括的人権では両芳の場面を抱え込むことも自然な流れであるように思える。. 前述のように,行政手続の適正が13条の問題だというのであればTますます そうであると言えようSl)。一般的自由権説ほどではないが比較的広汎な保護範. 囲を憲法13条に予定しながら,その核心部分と周辺部分で審査基準を二分す ることは十分考えられるように思われる鵬 そう考えると,この問題は,一般的自由権説によっても,保護範囲の一部は 厳格な審査基準が,ほかは緩やかな審査基準が適用される筈であり,人格的自 律権説などが保誰範囲を絞ってこれに厳格な審査基準を当てるのと結論は大差 ない。その隈りにおいて,実は本条を巡る学説の対立は,その実効的な保護の 程度を考慮すれば,見かけほど大きくないes)のかもしれなかった8㌔しかし,. 13条の保護範囲の問題は,日本国癌法の人権体系・構造に関わる問題であり、 機能的な結論に満足せず,今後なお考察を深める必要を感じるas)。. (4)人権に関わらない問題. なお,人権条項に無関係の問題は,一般的に司法審査基準の問題ではないと 思われる。通説に従い,安保・防衛・外交問題は一般的には人権侵害そのも{p. ではなく,これを統治行為論と名付けるか否かに関わらず,裁判所による憲法 判断の対象ではないと思われる。確かに,平和的生存権を憲法上の具体的権利 と解する見解も有力Sfi}である。しかし,人権規定ではない9条や前文から人 権を引き出すこともさることながら37),果たして特定の戦略が平和に寄与する. か否かも不明でありsa),誰のどんな権利なのかも明確ではなく叫これを憲法 上の具体的権利だとは言い難い。仮に,憲法上の権利であるとしても,国の「平. 和」をいかにして守るかという問題はあまりにも政策的課題換言すれば高度 ユ2.
(13) 二重の基準論の応用と展望. に政治的問題であり,個別の事件で裁判所の司法判断に委ね得るものとは言い 難い。防衛政策の転換は,衆議院の解散・総選挙において最も民意が問われる べき問題と言うべきである‘c°)。その意味で,2008年の自衛隊イラク派遣に関. する名古屋高裁の違懲判断E1)は,精神的自由の問題である靖国訴訟における 違憲判断: 9:)の場合などとは異なり,勇み足ではなかったかと思われる。. 3 司法審査基準論の与える影響 (1)裁量及び司法積極主義・司法消極主義の問題. 審査基準の議論は,別角度から見れば,立法裁量の議論であると言える9㌔ 司法審査基準の厳格度と立法裁量は反比例する。審査基準を2つとすることは,. 立法裁量についても,狭いか広いかの二択にすることを意昧しよう。行政裁量 についても,基本的には政治部門の判断という点で同様に考えられよう≡ト㌔. 本稿の立場は,司法審査基準を大きく二分し,厳格審査では裁判所は当該 法令等を違憲と疑え,合理性の基準では合憲を推定せよというものであるの で,両基準は司法裁量が狭いという点で共通する95)。これに対し.適説的な見 解は,中間審査ないし通常審査の領域を広く考えるものであ1) ,言い換えれば. 裁判所の裁量を広く考えているものであると考えられる。しかし事案の殆どを 中間審査とする立場PG)は,何が違憲か合憲かの判断を具体的事案に即して一 から考えよと言うに等しく,多くの学説による平等権に関する「合理性」の基 準…}に対する,内容が空虚で基準の名に値せず,恣意的運用の恐れが大であ るという痛烈な批判がそのまま当てはまろうeなお,司法審査基準の議論を・ 憲法13条を根拠とする比例原則gs)に還元し,事案毎の判断に委ねる考え方で も,その問題点は同様であろう。民主的立法の当否は,殆どの場面で,どんな 人権をどのように制約するかに関わらず,偶然に事件を担当する、選挙で選ば れていない裁判官の判断に委ねることであるE・E・)。この点から考えても,解釈者. の結論に関する裁量を広く認める中間審査基準を広く用いるべしという主張に.
(14) 横浜国際経済法学第17巻第2号(2008年12月) (注)裁量との関係. 繊準. 政治部門. 司法機関. 厳格審査. 狭い. 狭い. 中間審査. 中聞. 広い. 合理性の基準. 広い. 狭い. eありうるか?実践上問題はないか?. は,賛同し難い。加えて,主に民事・刑事事件を担当する適常司法裁判所の裁 判官に,滅多にやってこない(不慣れな)憲法判断に閤して広汎な裁量を与え・. 同一憲法条文で複数の複雑な審査基準を使いこなすことを要求するということ が,実践的に見ても適切な選択なのかという点も,検討を要しよう1°°}。. 司法積極主義・消極主義の議論脚に関しては,何れかの立場が絶対的に妥 当であるわけではなく,人権の種類により使い分けるべきである1°「!)が.それ に付随する議論(いわゆる「テクニック」)の行方が関心事となろう。. 司法消極主義の手法である憲法判断回避側,合憲限定解釈1°1)などは,原則. としては,本来的に厳格審査が妥当し,換言すれば司法積極主義の場面であ る表現規制などではおよそ用いられるべきではないこととなろうT°S)。癒法判 断回避は主に付随的繊藩査ililJの願樋りに適用審査が行わilる1°°),審査基. 準が合理性の基準が妥当する場面,典型的には経済的自由規制などの場面で用 いられるべきことになろうIC「「)。即ち,当事者が憲法問題としないときは勿論. 憲法問題として主張しても,法律問題や事実問題として解決が可能であるとき. に憲法判断を伴うべきではない。対して,合憲限定解釈は、厳格審査の際は 勿論1°S),合理性の基準の際も,そもそも何らかの合理的目的と手段が認めら. れるべきものを違憲と言う必要がないため、基本的には避けられる。そこで, この手法は,法文の大きさに比例して用いられるものと考えるべきである1C「’}。 そして,その最も典型的な場合は一般条項ということになろう11°)。. (2)合憲性判断基準(テスト〕. 合憲性判断基準(テスト)は,人権に閏する条文解釈によって導き出される 14.
(15) 二重の基準論の応用と展望. 審査越瑳. 審査方法. 憲法判断回避. 合憲性判断基準 i立証責任. 厳格審査. 文面審査の可能性. 例外. 様々な合憲性判断基準. @令審査原則 合理性の基準. 適用審査原則. 合粛則. i目的・手段審査を含む). 原則. 目的・手段審査 i違憲側. いずれにせよ、合憲限定解釈:法文の大きさに比例(fWcは私法の一般条項). 実体的判定基準であり111〕.いわばいかなる物差しを用いるかの問題である】1㌔. これは,その物差しをどのように用いるか,どの程度厳密に用いるかという司 法審査基準の問題とは区別されるべきである1]”)。. しかし,必ずしも両者は区別されてこなかったようにも思われ,特にLRA の基準について,それが顕著であった。「より制限的でない他に選択し得る手段」. の基準と訳されるその基準が注目されたのは,猿払事件第一審時國判決11噌)に. おいてであった。この事件で,LRAの基準は,規制目的を達成するためには 刑事罰まで必要ないとの結論を導くものとして用いられた。ところがときに LRAの基準は,過度に広汎ゆえ無効の法理と同じように用いられることはおろ か,時・場所・態様規制のときに用いられる,厳格審査より緩やかな司法審査 基準のように用いられることさえあった11s〕ように思える。猿払一審の趣旨に. 立ち帰れば,より軽い制裁で規制目的が達成できるときに過剰な制裁をすべき ではないという合憲性判断基準としてそれは用いられるべきであり,当然のこ とながら,一つの審査基準でもないと思われる・・㌔また,そうであれば.LRA の基準を,経済的自由の場面にも妥当する基準である117}かのように考えるこ とは避けるべきである,11s)。このような場面で違憲という結論を導くときには,. 目的に比べあまりにも規制手段が厳しすぎ,およそ不合理である,と言えば十 分なのであった11Y)e「より制限的でない他に選択し得る手段」という基準の文 言は,やはり厳格審査の適用場面でこそ相応しいものであるIu°)。. 同様に,「明白かつ現在の危険」基準もしくはブランデンバーグ・テスト,. 明確性の原則,セントラル・ハドソン・テストなども司法審査基準脚ではな く,実体的な合憲性判断基準で言うべきである12L)。これらは厳格審査の下で. 15.
(16) 横浜国際経済法学第17巷第2号(2008年12月). 用いられるものである。このため,過剰な規制を許さない基準とすることが厳 密に求められるのであるから,例えば,煽動規制には「明白かつ現在の危険」’基. 準⑳ではなく,より厳密なブランデンバーグ基準が用いられるべきである1L’Oe. そう考えれば,合憲性判断基準とは,厳格審査の下で目的・手段の審査を行っ た結果,結晶した幾つかのカタログであるとも言えよう。. 司法積極主義の手法の最たるものである,事前抑制禁止の法理や過度に広汎 ゆえ無効の法理,曖味・漠然ゆえ無効の法理などの文面審査は,厳格審査の上 の基準であるかのような説明もある1:°コ)。しかし,これらは寧ろ,表現の自由. という場而では合憲性の推定が及ばず,その規制の萎縮的効果のため適用審査 を不十分として,これを原則とする付随的違癌審査制の例外t:fi)として法令審 査を施すことになるものと言うべきである::’7)。そして,「物差し」であるとい. う意味では,合憲性判断基準の一種と考えられる。これらは言うまでもなく. 厳格審査基準の下で,厳密に用いられるべきものである1es)。. 緩やかな司法審査基準の下では,およそ不合理でなければ合憲となる以上,. 特に合憲性判断基準劔を設定する意味はない。合理性の基準に沿うように用 意された合憲性判断基準も,耳にしない。その意味では,司法審査基準と合憲 性判断テストとは連動し,合憲性判断テストを厳格審査の下で用いることこそ が,これを生かす途だと言えるであろう。そして,その究極のものが文面審査 の場面であるとも言えなくはない。合憲性判断基準が表現の自由の領域に集中 していることには確かな理由があると考えられる。. (3)人権総論. 司法審査基準を厳格審査と緩やかな基準とに二分すれば,「人権総論」で解 説されてきた問題の多くも,ここに解消されるようにも思われる。特別権力関 係論は,契約や強制により国家と特別な関係に入った国民は公権力の包括的支 配権の下に属し,法治主義が排除され,司法審査の外に置かれるとする明治懲 法以来の理論であった1:t°)。だが,それは日本国竃法下では存続は無理である 16.
(17) 二重の基準論の応用と展望 1: 1)。そこで,一般的権力関係よりも広汎な権利制限は必要であるとして,これ. を修正した「特別な公法関係」の理論が生まれてきた1:U}。だが,これすらも. 否定し,「規律するそれぞれの実定法規と関連させて個別・具体的に考察し, そこにおいていかなる人権が,いかなる根拠に基づいて.どの程度制約される 、かを具体的に明らかにされるかを具体的に明らかにすることこそが重要」1[La). などとする,特別権力関係論否定説も現在では非常に強くなっている1: 4)oこ. れによれば公務員関係,在監関係などもt憲法論としては一般的権力関係と して処理できるので,二重の基準論の基本的枠組みで考えればよいこととなろ う1:{㌔. そして,人権の種類ctよる司法審査基準決定論を貫くとすれば,厳格な審査 基準が妥当するところでは,包括的な特別権力関係論という説明はおろか,公 務員閲係11 C,)である,在監関係であるという説明だけでは,やむにやまれぬ,. き め もしくは非常に重要な目的という基準を突破できず,立法者はより肌理細やか な目的を掲げなければこれを突破できない筈である1: 7)。逆に,もし合理性の. 基準の下であれば,「公務員の中立性」や「刑事施設内の秩序維持」程度の目. 的は一般に合理性を有すると思われるのでT特に特別権力関係論などの立論を する必要がない。そこで,後から,特別な公法関係であることを理由に司法審 査基準を操作する必要はまずないのである。このため,特別権力関係論及びそ の継承者たる「特別な公法関係」の理論は,この観点からも,消え去る運命に あるのではないかと思われる。. 私人聞効力論についても,私法の一般条項の合憲限定解釈の中で,経済的自 由を理由にある一般条項の解釈を違憲とすることは稀である一方.「生まれ」 の差別や思想信条の制限などを理由にするときには,このような私人の活動を 許容するような一般条項解釈を,国の機関である裁判所がすることは憲法上疑 わしいであろう1:1・)。後者の事案では、一般条項が大きく合憲限定解釈される と考えればよいのである”spt。この問題も,特殊な問題ではなく,憲法の一一・・L般. 理論に解消されていくものと思われる14・)。このため,「私人間効力論」という. 17.
(18) 杣i兵国陪1経i肖芒1ミ学第17巻第2号 (2008ゴF12月). 場の設定は必要なく,司法審査基準を「二重の基準」論に的確に回帰させるこ とで,巡法学上の数多くの難問は明快に解決できるのではなかろうか。. そうであれば,「人権総論」の問題として特に項目を設けてきたものは,人 権享有主体の問題だけが残ることとなる。これがもし,憲法制定権力としての. 国民ということで単純化できるのであればそしてこれによって,重要な人権 ほどこれを必要とする在日非EI本国籍者に付与しない’・11}ことを解消できるの. であれば,人権論全体をクリアにできる可能性もあるのである。. おわりに 本稿は,人権の種類が司法審査基準を決めtそれも二分されるべきではない か,そしてtその発展・応用・展開により,その延長上に解決できる問題が多 いということを述べるものであった。このかなり単純な主張についてはt不安 に思う向きがあることも筆者は予想している。果たしてその論理構成や議論の 帰結は妥当なのか,今後も更なる検証は必要であろうHL}。. しかし,司法審査基準を上げ下げして事例の殆どに,しっかりした理由も掲 げぬまま,半ば恣意的に中間審査を適用かつ展開し,これを機械的に当てはめ る弊害は,白日の下に晒されたと言わねばならない。最高裁が,精神的自由が 優越的地位を判決理由中では度々触れる1・1 :Oものの,その分野で殆ど違憲判断. を行っていない1’M)ことを許した責任の一端が憲法学界サイドにもあると言っ. ても過言ではない。このような状況を是認するような「三重の基準」論は早々 に是正されるべきである。やはり,「二重の基準」を復活,確立させ,これに 基づく明快な訴訟論を組み立てることが必要であると思われるのである。. 工〕 詳しい内容は.君塚正臣「二重の基準論の根拠について」横浜国際経済法学16巻1号[以 下、君塚前掲註1〕1論文.と弓1用]1頁(2007>,同「二重の基準論の意義と展開PP「二垂」. は『三重」ではない」佐藤幸治古稀「国民主権と法の支配下巻」31頁(成文堂,2008)[以 18.
(19) 二重の基準温の応用と展望. 下、君塚前掲註1)虹論文,と引用]などを参考にされたい。また,同「司法審査基識」公 法研究71号掲載予定(2009)も参照。なお.藤井樹也『「権利」の発想転換』107頁(成文堂,. 1998)は.「基準」というより「尺度」であると指摘する。. 2)司法審査基準論はあくまでも態法解釈の問題で,人権が何かで合憲性を疑う度合いが異なる という理論であり.実体法か手続法かに閲わらず,いかなる法令にも用いられる。行政事件 訴訟法の解釈の問題,抗告訴訟独特の問題,ましてや行政行為の取消訴訟の問題ではない。 訴訟類型が何であれ,何の憲法問題であるかによって司法審査基準が決まるということは, 憲法が諸法の上位法である以上,当然である。また,理論的には,憲法判断の対象は法令の 内容,適用,運用.即ち訴訟の全部であり,憲法違反の識論は訴訟のどこでしてもよいとい うのが理の必然である。例えばt取消訴訟で,取消しの対象が教科書検定不合格などのよう な表現活動であれば.訴訟全編で厳格な審査基革をもって対応すべきであ1〕,この例では事 前抑制とされれば更に文面審査が施されるべきだということになる。しかし,行政事件訴訟 法を含む幾つもの制度が壁となって,諸法学の側から,憲法論の方を改めよとする傾向もな いではない。訴訟法上の訴えの利益がなければ却下が原則という主張もありそうだが,これ は根本的に訴訟法の規定が意法上の椛利実現を阻害する本末転倒の詰識であって,特に表現 の自由規制などの事例ではそうだと言える。この点,ときに「憲法具体化法」であるとも言 われながら,ドイッ法の強い影響下にある行政法学にも,ドイツ行政法的な枠組みを不動の ものとし,アメリカ判例法由来の司法審査基準論などの理解に不足があったとは言えまいか。 3) これを表題としたものに,松井茂記『二重の基準論」(有斐闇.1994)があるが,同書316頁は,. 「本書の立場では」この「言葉を用いない方が適切」とも述べている。 4〕 大須賀明ほか爾『三省堂憲法辞典]262頁(三省堂,2001)[戸松秀典]は,「審査基準」を,「裁. 判所が司法審査権(述憲審査権)を行使し合憲・違憲の結論に至った理由中で示す判断の基 準。判例を通して確認できる斑法判断の準則。審査の厳格度によって,厳格な基準,厳格な 合理性の基準ないし中間の基準,および緩やかな基準ないし合理性の基準の三段階に分けら れるとされる。これに対して.そのような段階の区別に疑問を投じる見解がある。アメリカ 合衆国最高裁判所の憲法判例は辞査基準が明示的だが,日本では不明確なことが多い」と説 明する。伊藤正己ほか編f悲法小辞典』〔増郁版〕274頁(有斐1#1,1978)は.「二垂の基準. 説」を,「アメリカの違憲審査制の発展の過程で現れた考え方で,言論・出版・集会の自由 などの精神曲自由権は,その他の基本的人権,特に財産権などの経済的自由権よりも厚く保 障されねばならず,後者を制限する立法の合避性を測る基準よりもきびしい基準で,前者を 制限する立法の合憲性が測られねばならない,とする。その理由は,経済的社会生活を規制 する立法についてはt国民から選挙された立法府の多数による『突験」に裁判官の杜会哲学 をもって対抗するのは民主主義的でないのに対し,精神的直由権の方は,立法による「実験1. が明日の多数者によって平和的・民主的にやり直されることを保障するものである,という 点に求められた」と説明する。芦部信喜(高橋和之補訂)『齪去」〔第4版〕181頁(岩波書 店,2007)は,「二重の基準温」を,「表現の自由を中心とする精神的自由を規制する立法の. 合悲性は.経済的自由を規制する立法よりも,とくに厳しい基準によって審査されなければ ならない,という理論」と説明する。内閣法制周法令用語研究会紹『有斐問法律用語辞典」 19.
(20) 横浜国綴経済法学第17巻第2号{2008年12月) 1048頁(有斐閤,ユ993〕もほほ同様。しかし,杉原泰雄謡『新版体系違法事典」(青林]1;:院,. 2008)には「辞査基準」「二重の基準」という何れの項目もなく,金子宏ほか編『法律学小 辞典」〔第3版〕631頁(有i生閣.1999)には「審査基埠」に,「行政庁が,申請により求め られた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために定める基準」とい う説明しかない。もっとも.同轡880頁には「二重の基準」のifi rjがある。 5)小林直樹「撞法保難と裁判所」法学セミナー増刊『現代の裁判」31頁(日本評詮社,1984),. 長谷川正安「憲法判例訂冴究」法律時報57巻6号』23頁(1985),大久保史郎「憲法裁判と憲. 法訴訟諭上」法律時報70巻1号42頁(199S〕,浦部法穂「避法訴訟瞼」法律時報58巻6号 60頁(19S6)など。長尾一紘「立法裁量の法理」比較法雑誌41巻4号41頁,5354頁(200S) は,芦部信喜説を「審査±雲準避元論」と評して,「鑑査基準とは,f法」そのものなのであろ うか.それともぎ法技術」とみるべき」thL,として,これが明らかにされていないと批判し.. その方法治に批判的である。また近年では,法科大学院の既修者認定試験や期末試験,新司 法試験の受験者が.設問の11[例にやみくもにまず司法審査塞準を設定し,あとは特段の検討 も加えることなく、「思うに」「けだし!として述憲もしくは合意の結論をただ書き,最後に「こ. のあたりが妥当であろう」と述べて平然としているような,いわゆる「司法審査基準機械的. 当てはめ」への継町の矛先も司法網藤酬そのものに向けるf魅見受けられる。市川正 人ほか「学界展望・憲法」公法研究70号230頁,25与256頁(2008)[工藤達期]が‘「違憲. 審査悲準論からの離反は,法科大学院教育のめざすところ」としながら,fドイツ憲法学の 三段階雅査図式への注i垂」があるなどと述べるように,ドイツ意法研究者に共通する傾向の ように見受けられる。また、阪本昌成「公共の福祉vs.人権保障」霊1斎の窓510号16頁,19 頁(2001)は.「硬泣した司法審査基準論へと逃避している憲法学に,人椛保隣を託してい いものだろうか」と述べている。. 6)]1排来帆搬螂訟・鰍・1蜥につVて考える」{訓戊く学繍学論集58号2碩,37頁(2008) は、審査塞準論が「極めて一般的な牲格を持っている」と述べる。 7} Unitedi States v. Carolene Predlicts Co.,304 U.S,144(1938).. 8)端1は樹機記fアメ肋憲法入f・si (第5版} ff7貰怖斐閣、2004)洞li幽註3)i臼・ 9頁以下e厳格審査の最初の!1‘例は.Kerematsu v. United States,323 U.S. 214(1944)とされ. ている。f9し.本件は厳格羅査でありながら,軍の決定を垂く見た合憲判決であった。典型 的嫌酬縮こよる違憲判顕こは,ib・i・g v, Vl・gi nia, 388 U.S. 1 ’(1967)などがある。 tの点,. 阪口正二郎「人権細・違嗣苦査基準の二つの機能j法綱…蜘80巻ユ1号74頁(酬)が 指摘するように厳楕辮査が「二重の基準論」と共に誕生したものではないことには注意が 必要である。なお,そうでない事例では,合理性の基準が妥当する。See, WiHiamson v. Lee O耳}tica】Co. Old臼h‘}肛華a,348 U.S.483(1CJ55).. 9)Gunther, The SiePreJne Ceurt,1971 Tenn−Fereivord: Jid Search ofEvolviirg DoCtriJte on CeUrt; A Mode’ノbr押迦臼E卯焔∫丹of招ε∫∫θ〃, SS Hary, L、 Rev. 1,8(1972)、. ]0〕C・aig・v…9・・en・429・V・S・190(1976),先のfleed・v.・Regd,404 U.S.・71(197エ)で.最≡搬は,. 手段審盗について「鍍質的側述性」を要求して違癌判iJtを下していたが, FrOfitiero v. Ricl】ardSOfi,4]l U.S、677(ICjア3)では厳格審壷適月」論は法廷意見とはならず,性遊別事例の. 2e.
(21) 二重の基準論の応用と展望. 司法審査基準は未決着であった。君塚正臣『性差別司法審査基準論」15頁以下(信山社. 1996)。このほか,非嫡出子差別事例も一般に中1‖]審査が妥当するとされる。See, Clarl{ v. Jeter,486 US、456〔1988).. 11}但}藤正己『言論・出版の自由」(岩波i11:店t 1959)。平等権に関して.同「法の下の平等」公 言去研夢ピ18号17頁, 24頁 (1958} も参11{!。. 12)芦部イ語蔓・「憲法学皿』227頁{有斐阻L1994)。. 13)この立場に立つと考えられるものとしてt戸波江二「憲法』〔新版〕24⑪頁〔ぎょうせい、 1998)などが挙げられるeこのため,11tl田孝「違憲審査における『1ヨ的審査」の検討(1)」. 広島法学31巻2号145頁t167頁注36(2007)のように,戸波説を審査基準二分説に分類 するのは誤解のように思われる。. 14)その極にある,藤井正希「二重の基皐論の批判的検討及び再構成」早大院社学研論集7号 152頁.163頁{2006)は,「マスコミ資本と一個人の場合で述悲審査基準を変えることも考 えられてよい」とするほか,同論文ユ66頁は「エロ本を販売する自由.あるいは,弁護士を 職業として選択する自曲というが如く,自由権をより具体的に把握」すべきであり.これら により「違惣密査基準の強弱を変えていったらどうだろうか」と述べている。. 15)芦部信喜「宗教・人権・憲法学」209頁(有斐閣,1999)の述べるように,表現「内容規制 よりも内容中立規制のほうがはるかに数も多い」のであれば,なおさらである。関連して, 長尾前掲註5)論文96頁は,「われわれは,背の高い人,低い人,中ぐらいの人,などという・. また.野球の上手な人,下手な人,中ぐらいの人,などとしてt日常的にi三基準を用いる傾 向がある」などとしているが,印象論に過ぎない。中谷実編『ハイブリッド憲法』110−111頁(勤. 草書房,1995}[君塚正臣]も参照。. 16)「まず立法事実をその存在を推定することなく自ら審査し.それを基礎に利益衡]itを行って. 合窟か述宙かの判断をし,その結論に説得的な理由を付記するという」レベルの癖査を「通 常審査」と名付けた。高橋和之『現代立憲主義の制度構想」190頁(有斐闇,2006)。そして,「多. 数派が少数派の人権を侵害する危険が非常に大きい場合には,裁判所は厳格雑査を行う必要. があるが,小さい場合には敬譲審査でよいということになろう」とするe同害191頁。この 議論は,「事件の類型により特に理由がある場合には、よりr厳格な韓査』あるいはよりr紐 やかな琳査』も認められる」とあるように,既に人権の種類によって審査基準を決定するア プローチではないことには注意が必要であろう。同斑憲主義と日本画繍圭』364頁〔有斐田. 2005)[以下、高橋前掲註16)ll ti!. ]:,と引用]。なおi巷美矢紀f個人としての尊重と公共性」. 安iLq文雄ほか『憲法学の現代的論点」257頁,278頁(有斐閣、200S}は.「このような高橋 の試みは,法の支配を重視するものであり,二重の基準論の原則性に疑問を払拭し得ない現 在,それに代わる魅力的なもの」と評している。. 17)君塚正臣[ヨ本国憲法21条の『表現』と『逝信」の問に」関西大学法学論集51巻6号1頁,, 51頁注193(2002)参照宙この技法は通称パ声バカと1呼ばれる・ IS)この区別は,日本より寧ろアメリカで有力に展開されている。樋1コlifS 一一ほか「i:i三解法律学全. 集2・憲法nt 17頁(i‘f林“t:院,1997)[llii部法穂]など参照。戸松秀典『避法詐訟」〔第2版〕. 203頁(布斐閲,2008)は,・表現の自由規制でも,「当融具体の事案では,紐やかな審査で 21.
(22) 横浜国際経済法学第17巻第2骨(2008年12月) 処理してよい例外的場合」があるとして,「わいせつ表現,名誉鍛損表現,在監者の表現等 に対する規制」を挙げる。 一 ユ9)例は,君塚正臣「米判批」ジュリスト1110号161頁, 164頁注19(1997)参照。宍戸常寿「二. 重の基準または審査密度」法学セミナー645号78頁,82頁(2008)も.営利的広告一般と 弁謹士の営利的広告が分けられるかを指摘する。. 20)最大判昭和62年4月22日民集41巻3号408頁。 21)その場合の審査基準は高い方の中間審査か.低い方の紐やかな合理性の基準か不明であり, もし、中聞籍査と考えるべきであるとするならば,合理性の基準が妥当する場面などおよそ. あるか疑問である。君塚前掲註1)n論文35頁。 22)棟居快行『人権論の再帯成』223頁(信山社,1992}.松本哲治「経済的自由椛を規制する 立法の合憲性審査基準(1)」民商法雑誌113巻4=5・号260頁,262頁(1996),松井ii8掲註3) 巴F291頁など。 23)戸松秀典『平等原則と司法審査』325頁(有斐閣,1990〕,佐藤幸治『憲法』〔第3版〕478頁〔青. 林書院,1995),中村睦男r論点憲法教室』82頁(有斐閣,1995)t松井茂記『日本国憲法』 〔第3版〕376頁{有斐閣,2007),辻村みよ子『憲法』〔第3版〕186187頁(日本評論社,. 2008),君塚前掲註10)書123頁以下t戸波前掲註ユ3)書195頁など。 24)芦部信喜『憲法学皿』〔増補版〕27頁以下(有斐閣,2000)t米沢広一「平等原則」阿部照哉=. 松井幸夫「HAND BOOK憲法』70頁,73頁(宥信堂,1990),阪本昌成『憲法理論n』273 頁〔成文堂,1993)ほか。. 25)このほか.租極的差別是正(アファーマティヴ・アクション)についても,マイノリティを 優遇するかのように見える措世が差別を恒常化するもの,その意図は善意であっても逆効果 であるもの,是正節の存在を恒久化してしまうと思われることもままあり,審査を始めなけ. れぱそれが積極的差別是正か否かは不明である。君塚正臣「司法審査と平等権」自由人権 協会縄『憲法の現在」23頁,53−54頁(信山社,2005)。よ6て,同様に厳格審査を適用し.. 必要最小韻度の手段として認められる手法のみが悲法上許されると考えるであるように思わ. れる。戸波前掲註13)書212頁など。これに対して,間接差別禁止の議論は,厳格審査を 貰いても.動機を疑い真の立法目的を探るアプロ・・一チとして可能である。. 26)君塚同上5&59頁。. 27)規制によって得られる国家利益による分類である租極的規制/消極的規制と,規制対象行為 の権利性・利益がどの程度か.規制で失われる国民の利益がどの程度かに関わる直接的規制/. 問接的・付随的規制という分類に分け,4分割により審査基準を決めるものである。香城敏 麿「憲法解釈の法理」28頁以下{信山社,2004)のほか,芦部信喜ほか「研究会・意法判 例の30年」ジaリスト638・号452頁,474頁(1977)[香城発言],芦部ほか「研究会・憲 法判断の基準と方法」ジュリスト789号14頁.22頁(1983)[香城発言],芦部ほか「研究会・ 憲法裁判の客観性と創造性」ジュリスト835号6頁,1()12頁(1985)[香城発言]も参照。 28)なお,高橋和之「審査基準論の理論的基礎(上)」ジュリスト1363号64頁.69頁(2008)もまた,. これを批判するe 29)例えば,浦部法穂f惣法学教室』〔全訂第2版〕89頁(El本評論社,2006)参照。 22.
(23) 二重の基準論の応用と展望. 30)藤井前掲註1)書110頁。 31)目的・手段審査は同レベルのものが連動して機能するものではないか。戸別訪問全面規制遮 憲論などは,その典型のように思われる。この点,阪口前掲註8)治文75−76頁が,決め手 を手段審査にしてきたのは厳格審査や中間審査を利益衡量の手法と見倣してきたことにある と指摘し,目的審査は,「政府の規制の違意な目的を洗い出す手法としても機能する」と述 べているe. 32)この問題については,君塚前掲註10)書178頁以下参照。. 33)オランダ{306日)は19呂7年, ドイツ(10カ月)は1998年,フランス(300日)は2004 年に廃止した。タイ(310日)では,医師の証明沓があれば再婚可能である。. 34)この点,中間審査基準を主張しなカ;ら,100日は合麗だが,それ以上長い300日余は述憲と する論者があるとすればt制限の少ない手段が存在する限り,それ以上の規制を伴う手段を 否定しているのであるから,それは中間より厳格度の問い基革を想定しているのである。 35)そもそも憲法の下位法令である民法772条の定め方によ1) ,憲法上許容される日数が決まる のかも不可思識である。. 36)君塚前掲註10)書140141頁。 37)この点,内野正幸『憲法解釈の論点』〔第4版〕ユ68頁(日本評論社、2005)は,この意味は,「規. 制法規は合憲となるのが原則であり.例外を主張する側で説得直駈な論拠を示す必要がある, といったあいまいな意味をもつにとどまるであろう」し,「最終的な憲法判断は.裁判官が, 当皐者の「主張・立証」のうまさにかかわりなく一存で行うべきもの」であると述べており,. 林屋礼二『憲法訴訟の手続理論』155頁(信山社,1999)も,「当事者は.J「裁判所がこの 法律問題について正しく判断するための賢料を蒐集する作業に協力しているという閏係にあ る」と述べているが,当皐者の主張が十分でなければ.法の適用と同様,その基準の原則通 り,厳格審査では述癒.そして特に合理性の基準では合憲(もしくは憲法判断をしない)と の結論を下すべきではなかろうか。内野説が主張されたのは,中間審査領域が広大であるた めではないかe 38)棟居快行臼泣高裁は何処へ?」悲法問題19号59頁, 62頁以下(200S)は.「ミクロの正義」と「真. 理発見」による「小さな司法」が,事件の適切な解決を第一義に考えるものの.その弱者保. 護的姿勢がゆえに制度改革にも詰びつく事例もあると指摘する。樋口陽一司栗城蕎夫撞法 と裁判』214.216頁(法律文化社t1988)[栗城]の指摘のように,憲法裁判所における抽象 的違憲審査の下で,立証ift任の問題が回避できるならば.中llll的基準が存在し得るのかもし れない。. 39)君塚前掲註10)書138頁。青井前掲註6)論文36頁は、一般的民]lr訴訟などと異なってt ルールとの強い側連性を有している点を強調する。およそ訴訟法一般のルールであるばかり か,自然科学の議論においてすら,科学的常識でない主張を行う者に立証責任があることは 当然と受け止められている。民事訴訟に関して,中野貞一郎ほか編r新民那訴訟法講義]〔第 2版〕347頁{有斐閣t2005)[11『111善充],刑箏訴訟に閏して,三井誠[刑‡1[訴訟法m」61. 頁{有斐冊,2004)など参照e池内了『疑似科学入門』1920頁(岩波i1糖,2008)は,宇 宙人の存否に関する議論では,存在肯定論者の側に立証責任があると述べている。 23.
(24) 横浜国際繍肖法学第17巻第2号(2008年12月) 40)芦部前掲謹15){!1:237頁は,最高裁の判例状況を批判して,「表現の時・場所・方法に困す. る規制と言われる規制については,『より制限的でない他の選びうる手段]の基準という『厳. 格な合理性」の基準は排除され.杣象的危険説の考え方に従ってかなり形式的に,立法裁量 を広く認める敬01的な(deferentialな)司法審査力;行われているにとどまっている」と述べ ているのを反対解釈すれば,芦部説では,「厳格な合理性」の基準は合憲性の推定を排除した,. 比蚊的厳格度の商い基埠と理解されていることになろう。 41)君塚前掲謡1)n稔文42頁。松井前掲註23)St1i: 119頁は,表現内容中立規制には「厳格審査」. ではない「厳しい審査」が及ぷとしているが,この意昧と思われる。また,藤井俊夫『司法 椛と憲法訴訟1214頁(成文堂.2007)は,「厳格な合理性」の基準は,「比例原則の要求の ような厳格な審査基準から発して,その要求を適宜緩めた基準という方向から理解すべきで ある」と述べる。. 42)何れにせよ,民主国家の立法の全てにつき,f司法部が独自の視点から立法事雲に基づく審. 査を行い,編缶にいたる理由を丁寧に説示する」(高橋前掲註28)論文69頁注15)わけに はいかない。. 43)藤井前掲註1)書109頁もまた,「結果志向アプローチの審査基準論」を否定する。硬直的二 分法の「致命的」な厳格籍査は,田畑忍『憲法学講義』148頁(憲法研究所出版会,1964). などに見られるような,平等描を巡る絶対的平等説の欠陥を共有していよう。君塚前掲註 25) 孟缶「文41−42頁参燕to. 44)IN連して.団的・手段璃蹴は同レベルのものが連動して機能するものではないか。戸別訪問 全而規制違懲論などは,その典型のように思われる。この点.阪口前掲註8)論文7576頁が.. 決め手を手段審査にしてきたのは厳格審査や中聞審査を利益衡量の手法と見倣してきたこと にあると指摘し.目的審査は,「政府の規制の述憲な目的を洗い出す手法としても機能する」 と述べている。. 45)謄井前掲註1)書114頁もこのような方向性を評価する。 46)Adarand Constructors, Inc. v. Pena. 515 U.S.200,237(1995);Grutter v. Bollinger, 539 U.S.306. (2003).邦文では,前者につき,君塚正臣「米判批」東海大学文明研究所記要17骨27頁(1997),. 有澤知子「秋極的平等施策と合衆国最高裁判所」中大法學新報103巻2=3号209頁(1997〕 など参照。オコナー判事法廷意見は,アファーマティヴ・アクションの事例でそう判示した。. 後者につき,安西文雄「米判批」ジュリスト1260号227頁(2004),統谷雅子「米判批」ア. メリカ法[2004]53頁,植木淳「アファーマティプアクションの再検討」北九州市立大学 法政論集32巻1号118頁(2004)など参照。 47)City of Cleburne v. C]eburne I」ving Center,473 U.S.432(1985);Romer vv. EΨans,517 U.S,620. (1996),邦文では,前者は青柳幸一「米el…)1批」ジュリスト870号88頁(1986),西村裕三「米判批」. 判例タイムズ611号111頁(1986),後者は紙谷雅子「米判批」ジュリスト1148号333頁(1999) など参照。 48)J.E.B.肌Ala』ma,511 U.S.127(1994);United States v. Virginia,518 U.S.515(1996).邦文では.. 前者は紙谷雅子「米判批」アメリカ法[1995]139頁,中山道子「米判批」ジュ亀リスト1082 ’S3L 172;1− (ユ996), f麦者}ま渠「塚iE[証 「])1…」Pl”1ヒ」 ジュリス ト 1237号237頁, 24(P241頁 (2003),.
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