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18世紀~19世紀のドイツ鍵盤楽器における運指練習についての試論 : 二人のトーマスカントールをつなぐ運指ドリル

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(1)Title. 18世紀∼19世紀のドイツ鍵盤楽器における運指練習についての試論 : 二人のトーマスカントールをつなぐ運指ドリル. Author(s). 小野, 亮祐. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 62(2): 95-104. Issue Date. 2012-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2833. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第62巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.62,No.2. 平成凶年2月 February,2012. 18世紀∼19世紀ドイツの鍵盤楽器における運指練習についての試論 −「人のトーマスカントールをつなぐ違指ドリルー. 小 野 亮 祐 北海道教育大学釧路枚音楽教育教室. AnEssayonFinger−TrainingofPianoplaying. from18thto19thcenturyinGermany. −“Fingerdrill”oftwoThomascantorsinLeipzlg−. ONO Ryosuke DepartmentofMusicEducation,KushiroCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 今日,町のピアノ教室,音楽大学をはじめ,教育大学の教員養成の場でも欠かせないピアノ教授で,教材 として用いられるのがいわゆる練習曲・教則本である。近年は新しいメソッドの開発によって影響力は少な. くなっているが,19世紀のドイツで生まれた練習曲・教則本が今でも頻繁に用いられている。これらの練習 曲・教則本の特徴として,違指練習があげられる。これらはさしずめ指ドリルと言われ得るような,程度差 こそあれ同じ音型の繰り返しを執拗に学習者に求めることによって,演奏に必要な指のメカニックな技能を. 身につけさせるという代物である。この違指練習が練習曲・教則本に現れるのは19世紀以降なのだが1,本 論ではその起源を18世紀のJ.S.バッハなどに探ることによって,元来作曲の準備としてもとらえられてい た古い鍵盤楽器教授上の教程が,換骨奪胎されて19世紀以降今日に至る指ドリルに変容したことが示唆され た。. れは,端的に言って,小学校の計算ドリルか,ま 1.はじめに 初心者がピアノ実技に取り組もうという場合,. 楽曲に取り組む前にまず教則本,ないしは練習曲 (エチュード)にあたることが少なくない。それ. たは「漢字を百回書いて覚える」ように,習得す べき指の運動に特化された音型を執拗に何度も何 度も演奏させることによって,とりあえずはピア ノ演奏の大前碇である(とされる)指先の運動能. らは,「ある習得すべき指の運動」に特化した曲. 力を鍛えるものである。ハノンほど極端ではなく. 集であり,時としてハノンiiのように楽曲とは言. とも,今でも用いられているというチェルニーの. い難い指のドリルともいうべきものでもある。そ. 練習曲iiiはその類である。本校が学部生の必修科. 95.

(3) 小 野 亮 祐. 目として開設している初等音楽でも,教則本「バ. 的なものとしては,チェルニーの書いた練習曲な. イエル」に取り組ませている。まさしくこの「バ. いしは教則本があげられる。チェルニーは数多く. イエル」も,特定の習得課題を取り扱うものであ. の練習曲を書いているが,現在の日本のピアノ. るが,ドリル仕立てにするのではなく,なじみや. レッスンでも使用される,いわゆる100番,30番,. すい小曲として比較的美しくまとめあげられた例. 60番ivなどと番号で呼ばれているものを挙げる. であるといえる。前述の練習曲もハノンを除いて. と,それらも,何らかの習得課題をもった練習用. は19世紀のドイツに由来し,バイエルもまさにこ. の曲の集合体としてできている。また,チェルニー. のような時代背景のなかドイツで生まれたもので. の書いた教則本Ⅴは,前述の練習曲と違って初歩. ある。. 的な楽典に始まり,違指法や装飾音などを含み,. ところで,現在の北海道をはじめとして,全国. 最後には高度な演奏論に至る。つまり,鍵盤楽器. の教員候補者採用検査(いわゆる教員採用試験). を習う初歩からある程度のレベルの教程までを包. や保育士の採用試験でも,試験課題として「バイ. 括的に含むものといえよう。ここで,チェルニー. エル」は根強く取り上げられている。学校教育の. の鍵盤楽器のための教則本の内容を若干詳しく確. 現場において用いられることはなくとも,教育界. 認しておきたい。. に根強く用いられているものといえよう。しかし 本稿の議論は,こうした旧来の練習曲必須主義と もいうべき現今のピアノ教育,教育界でのピアノ の在り方に向けられたものではない。むしろ,100. 年以上前のドイツに端を発し,歴史的必然の帰結 によって現在の日本においても影響を与え続けて. いる練習の在り方が,元来いかなる意味を持って いたのかを冷静に振り返ろうというものである。. まず本論の考察範囲は18∼19世紀ドイツであ る。18世紀から,練習曲が多く出版される19世紀. 表1 チェルニーの教本第1巻の内容構成 第1巻. 前書き 事前の注意 第1章 姿勢や手の形,鍵盤について 第2章 はじめの指の練習と打鍵についての規則 第3章 音符について,ヴァイオリンの音符(高音部の音符) 第4章 指の練習,練習曲 第5章 低音の音符. 第6章 黒鍵で演奏する音符と,変位記号 第7章 親指の交差について 第8章 すべての長短調における音階練習. にかけての鍵盤楽器教授の実態とその変遷を,先. 第9章 音符の音価. 行研究ならびにそれらが取り上げてきた鍵盤楽器. 第10章 付点,タイとスラー 第11章 休符,シンコペーション. 教本を概観することで明らかになる範囲で提示す る。それに対して,「レーラインの鍵盤楽器教本」 とJ.S.バッハの鍵盤楽器教授についての証言お. よび,バッハ自身が弟子の教育に使ったとされる 「インヴェンション」を手掛かりに,違った角度 から19世紀の「指ドリル」ともいうべき練習曲の. 第12章 拍子. 第13章 拍子とテンポの保持. 第14章 繰り返し・短縮記号・その他の記号 第15章 テンポについて 第16章 装飾音とその記号 第17章 トリルについて. 第18章 演奏表現とそのための記号 第19章 24の調性. 源泉を新たに提示することを試みることが本研究 の目的である。. 3巻構成をとっているが,それと対応して大き. く分けて3つの部分から構成されている。第1巻. 2.カペルマイスター的鍵盤楽器奏者からヴィ. はいわゆる楽典の部分であり,ピアノを実際に演 奏する前に必要な楽譜の知識を習得する導入部分. ルトウオーゾ的鍵盤楽器奏者へという図式. だといえる。第2巻はすべて違指練習に充てられ 前述のように現在使われている練習曲,教則本 は19世紀に由来するものが多い。その中でも代表. り6. ていて,いわゆる練習曲集の様相を呈している。 チェルニーは第2巻の意図を,第3巻の導入の§.

(4) 18世紀−19世紀ドイツの鍵盤楽箸別こおける運精練習についての試論. 1で,ピアニストに必要不可欠な「指の機械的な. 表2 チェルニーの教本第2巻の内容構成. 熟練MechanischeGeschicklichkeitderFinger」 と位置付けているように,いわゆる指の機械的な 練習の部分としている。とはいえ,無作為に練習. 曲を羅列しているのではない。第2巻の日次(表 2)をみると一目瞭然であるが,まず習得内容に 整理して練習曲を配列している。また,システマ. テイツタな配列にも配慮がなされている。たとえ ば,第1章では音階練習をさせながら,いわゆる 順次進行の基礎を習得させ,第2章では,さらに 一歩進んで跳躍音程の練習へと進んでいる。つま. 第 2 巻 事前の注意 導入 第1章 音階の指使いと,そこから派生するパッセージ. ハ長調の音階の指使い ハ長調の音階の青からなるパッセージと練習曲 そのほかの音階練習 短調 音階についての特別な規則 グリッサンド. 半音階の指使い 半音階からなるパッセージ 第2章 3度,4度,5度,6度,8度の跳躍の指使い 第3章 和音からなるパッセージ. り,指の運動として換言するならば,第1章です. a)長調,短調の3和音からなるパッセージ. ぐ隣の鍵盤へと動く練習をさせているに対して,. b)ひとつ黒鍵を伴う和音. 第2章では遠くの鍵盤へと大きく移動する練習を. C)二つの黒鍵を伴う和音 d)黒鍵のみの和音. させている。加えて,第2章内でも指の移動距離,. 第4章 付加音付きの和音パッセージ. すなわち音楽的にいうところの跳躍音程を順次拡. 第5章 7の和音のパッセージ. 大させている。 語例1は練習曲の一部であるが,ここからは, 前述のいわゆる練習曲と同じように,同じ音型,. すなわちある種の指の運動を執拗に反復させるこ とで,機械的な指の熟練を期していることがわか. 第6章 音階や和音のパッセージにおける二重打鍵. 二重打鍵による半音階 5度のパッセージ 6度のパッセージ 8度のパッセージ. いくつかの新しいパッセージ 第8章 同音連打と音階における指の交代 第9章 トリルの指使い. る。他の作曲家による練習曲の例もまた,同様で ある(譜例2,3)。. 第3巻は「演奏についてVomVortrage」と題. 二重打鍵における単純トリル 二重トリル 第10章 手の挿入と,手の交差 第11章 音数の多い和音の打鍵. され,第1,2巻を踏まえた上での演奏上に必要. 第12章 変え指. な知識がかかれている。演奏の目的・哲学が冒頭. 第13章 同一指での連続打鍵. で語られたあと,ダイナミクス,タッチ,テンポ が主要事項として述べられ,さらに第1,2巻で. 第14章 大きな音程の跳躍 第15章 多声部での指使い. 第16章 2本の指による一つの鍵盤の打鍵. 取り上げられなかったことが掲載されている。. 以上のように,ある程度包括的に鍵盤楽器の教 授を網羅したチェルニーの鍵盤楽器教本の中で も,練習曲は全体のある程度(三分の一)のボ リュームを占め,さらに今日用いられている19世. 紀に由来する練習曲と同様の性格,すなわち指ド リル的な性格を有していたことがわかる。しかも, それはチェルニーに限らないことが,他の作曲家 の教則本や練習曲からも明らかである。. それでは,時代をさかのぼって18世紀の教則 本・練習曲はどういったものだったかを検討した. 語例1 チェルニーの教則本の練習曲. い。18世紀の鍵盤楽器用の教本として有名なもの. 97.

(5) 小 野 亮 祐. 表4 表1C,P,Eノヾッハの教本第2部の内容構成 導 入. 第31章 の装飾法. 各音程とそこから派生する和音 第32章. 語例2 エルツの教本の練習曲扇. オルデルプンクト. 第33章 上の注意. 前打昔 シンコペーション 付点付き複前打昔 付点シュライフアー 演奏について 終止カデンツ フェルマー一夕. 第別事 寸けの必要性 第35章 同 日. 第36章 タティーヴオ伴奏. 第37章 日 第38章 主題 第39章 なファンタジー(即興). ほぼ同時期に出版された,マールプルクFried−. richWilhelmMarpurgの鍵盤楽器教本ixも,2 部編成であり,第1部冒頭に楽典の部分が付され ている以外は,C.P.Eバッハのとほぼ同様の内 容を有している。 語例3 フンメルの教本の練習曲浦. ただ,これらの教本の運精練習の部分に関して いうと,ほとんどが言葉の説明によっていて,譜. は,C.P.Eノマッハの「正しい鍵盤楽器奏法の試. 例は付されていても,先のチェルニーの教則本を. 論」Ⅷである。. はじめとした19世紀の教則本,練習曲のようにひ. この教本は2部に分かれており,. それぞれ1753年(第1部),1762年(第2部)に. かせて練習をさせるということを主眼にはしてい. 出版されている。これらの内容構成は表3の通り. ない。練習用の楽曲が,バッハの教本には付され. である。. ているが,付録の扱いであって,あくまでも通常 の楽曲として演奏できるものである。. 表3 C.P.Eノヾッハの教本第1部の内容構成 表5 レーラインの教本第1部の内容構成. 序 論 1.概説,2.指の交差(音階練習), 3.音程ごとの運指(2度∼7度), 4.指の置き換え,5.同音連打. 第1章 運指法. 茅7i謬 第1章. 奏法蔚 概論. 第2章∼5章 楽典 トリル,プラルトリラー,モルデント, ドッペルシュラク,後打音付きアブツーク,. 1.概説,2.前打音,3.トリル, 4.ドッペルシュラク,5.モルデント,. 第2章 装飾音. 6.複前打音,7.シュライフアー,. 第6章. 装飾音. シュライフアー,アンシュラク,. 付加音付きドッペルシュラク. 8.シュネラー,9.フェルマータの装飾. 第3章 演奏に つい. て. 音楽とアフェクト(情念)の関係,. 概説,禁止される親指と小指の使用法,指を. 第7章. 運指法. 第8章. 旋律と演奏. 第9章. 正確な読譜. 第10章. 調律の方法 実施方法を説明(第2版で付加). 曲げること,指の交差(音階練習). テンポ,タッチ,レガート,. スタッカート,カデンツア,強弱. 演奏時の姿勢,練習曲の用い方, 音楽とアフユタト(情念)の関係,. テンポ(発想記号一覧),タッチ,強弱. 第1部は,楽典の章はないものの,運指法の基 礎から各種装飾音,最後には先のチェルニーの教 則本第3部のように,演奏とアフェクトとの関係. また,1765年に出版されたレーラインの鍵盤楽. についての哲学的な論考が冒頭に置かれたのち,. 器教本も,バッハないしはマールプルクとほぼ同. テンポ,タッチ,ダイナミクスが論じられている。. 様の構成をとっている。内容構成は表5,6のと. 第2部は,18世紀半ばまでの演奏習慣であった通. おりである。第1部の第8章と第9章はバッハや. 奏低音を実施するための内容と,その延長で即興. マールプルクの教本での演奏についての章にあた. 演奏までが取り扱われている。. る。. 98.

(6) 18世紀∼19世紀ドイツの鍵盤楽著削こおける運指練習についての試論. 表6 レーラインの教本第2部の内容構成. 1765年に初版が出版された後,8回にわたって. 第1章. 概説. 1848年の第9版に至るまで改訂されては出版され. 第2章. 伴奏における和音 各音程とそこから派生する和音. 続けたベストセラーにしてロングセラーの教本. 第17章. そのほかの和音(実習曲付き). ある程度当時の鍵盤楽器教授の変遷を追うことが. 第18章. レチタティーヴオ伴奏(実習曲付き). 第19章. 数字のない伴奏. 第20章. ファンタジー(即興)(実習曲付き). 第3章∼16章. (実習曲付き). だった。したがって,本教本の改訂を追うことで. できるものと考えられる。. ここで,少しレーラインの教本の変遷をまとめ たい。初めての改訂である第2版では第10章の調. また,本教本の違指教程はバッハ同様に,言葉. 律についての辛が付け加えられた以外はほとんど. による説明が大半を占めており,楽譜はその例を. 変わりがない。その後第3版,第4版と,同じレー. 示すにとどまっている(譜例4参照)。バッハの. ラインの手による改訂が入っているが大きな変化. 教本と同じように楽曲が付されている。この楽曲. はない。第5版になって,初めて改訂者が変わる。. は,チェルニーのそれとは違って指の機械的な練. これは,原著者レーラインの死去によるもので,. 習をさせるドリルと違って通常の楽曲であり,さ. その弟子のヴイトハウア一によって1791年に改訂. らには違指法の教程ではなく,いわゆる演奏につ. された。この第5版も初版∼第4版と同様に2部. いての教程に含まれるものである。つまり,バッ. 構成をとっていて,第1部は楽典から違指法,装. ハの教本と同様に,チェルニーないしは19世紀に. 飾音,演奏について善かれていて,第2部は通奏. おけるような練習曲の位置づけ・性格ではないこ. 低音のための教程となっている。その他詳細は割. とがわかる。. 愛するが,大きく変化したところは,通奏低音の. 教程から即興演奏が除かれたという点である。つ まり,少なくともバッハのころから18世紀の終わ. りごろまでは,枠組みそのもには大きな変化がな. I−■I − 一 考琵‥ . . …丁・芦章 +一■一 ■ l■ 一 ● ■ ■ 一 点芦l■一 ■ l− =■■ ==. 靂. 語例4 レーラインの教本での逼指譜例. かったといえるのである。. 次の第6版はまた改訂者が変わってミュラー AugustEberhardMtlllerの手による。内容構成 は表7のとおりである。. また,レーラインの教本は,作者とともに現在. 表記上は,本編と付録という形であるが,通奏. は日本ドイツ共に無名の存在であるが,当時のド. 低音の部分が付録という形で位置づけが下がって. イツでは最も多く売れた教本であった。しかも,. いるものの,事実上18世紀以来の2部編成が温存 されているといってよいだろう。本編も,18世紀. 劉胸中諸輝…. 1岬ml抑如肋如軌脚曲明 紳助I呵‖舶争㈹m勅 瞞 血崩尋帥Il血. のマールプルク,バッハ,レーラインと同様,楽 典,装飾音,違指,演奏についての項目でほぼ占 められている。つまり,章立ての上では19世紀に なってもほぼバロック時代以来の鍵盤楽器の教育 課程は残っていたと見てよいのである。しかし, この第6版の運指の教程は,従来に全く見られな. 叫吻鵬恥. ■岬b■申聖≠・−㌍≒…≡三軍て 1 叫∼. かったもので(譜例6),むしろ先に見たチェル ニーなどの19世紀の練習曲・教則本が有している. 特徴を備えている。それらの練習曲は合計で800 図1 レーラインの教本初版表紙. あまりにのぼり,その紙面は240ページで,結果. 99.

(7) 小 野 亮 祐. として違指法教程は教本全体の3分の2をしめる. ある。すなわち,最終的には通奏低音を演奏し,. 大教程となった。つまり,全体に占める違指法教. オペラではレチタティーヴオの伴奏ができるその. 程の存在感も,チェルニーの教則本のように大き. ような鍵盤楽器奏者の育成が目指されていたとい. なものとなっているのである。. える。レーラインの教本には第8版(1825年)ま. 以上のことから,チェルニーなどの教本・練習. で通奏低音の教程が残ることから,そのような古. 曲の有する特徴(違指練習が主要課題となってい. いタイプの枠組みは明確に受け継がれつつ,徐々. る学習者に弾かせるべきテクニック上の練習課題. に換骨奪胎されながらヴイルトウオーゾピアニス. の特定,短いパッセージの繰り返し練習=いわゆ. トの育成が始まるといえよう。. る指のドリルは,このころにはじまったものと考. つまり,19世紀初頭を皮切りにした,鍵盤楽器 奏者育成の歴史には,カペルマイスター型鍵盤楽. えられるのである。. この事態については,一般的な音楽史でのピア. 器奏者から,ヴイルトウオーゾ型鍵盤楽器奏者(ピ. ノ音楽の通念とほぼ合致する。すなわち,ショパ. アニスト)へという転換図式が,鍵盤楽器教本の. ンFredericChopinやリストFranzLiszt,また. 歴史的検討と音楽史上の通念からは浮かび上がっ. 先のチェルニーにしても同様だが,いわゆる超絶. てくるのである。. 技巧を誇るピアニスト=ヴイルトウオーゾとして のピアニストの登場と活躍である。それに対して, 18世紀までの鍵盤楽器奏者は,アンサンブルをま とめるカペルマイスター(楽長)としてのそれで. 3.19世紀ピアノ教育成立の再検討 先に検討したような転換図式が浮かび上がるこ とはわかった。しかし,ここで素朴な疑問が指摘. 表7 レーラインの教本第6版 内容構成 本. ±ら二 臼. 導入. 編. 鍵盤楽器について。教師と教授法一般。 鍵盤と音符とそれらに必要な知識. いった指の訓練は全くせずに演奏ができるように なっていたのかということ,2点目に枠組みは古 いものが受け継がれながらも,19世紀の初頭に. 3. 音符ならびに休符,付点の音価 変位記号. 4. 音階,調性,調号. 5. 曲・演奏の長さをしめす特別な記号. 6. 装飾音. 常として歴史区分に沿って明確に割り切って事象. 7. 拍子. が生起することはありえないことからも,大きな. 8. 指使い. 9. 演奏について. 疑問として残ることは明らかであろう。むしろ,. 音律と調律. この2つの疑問を受けて考えられる仮説は,指ド. 2. 10. 真付録(通奏低音編) 和声・和音・伴奏について. なってなぜ突如として指ドリルだけが現れたの か,ということである。後者については,歴史の. リル登場に以前にも鍵盤楽器教育の中には指ドリ. 2. 音程について. ル,ないしはそれに近い教育方式はあって,単に. 3. 音程の進行について. 教本の中に現れていなかったものと考えるのが妥. 4. 禁則. 5. 特に伴奏について. 6. 三和音. 7. 六の和音. 8. 四六の和音. 9. 七の和音. あるJ.S.バッハJohannSebastianBachの鍵盤. 五六の和音. 楽器教育を一瞥しておきたい。バッハにはその生. 10. 三四の和音 12. 100. される。1点目に,はたして18世紀以前にはこう. 二の和音. 当ではないだろうか。 教本から離れて18世紀の鍵盤楽器教育を検討し. たいのだが,本稿では先のC.P.E.バッハの父で. 涯において大変多くの弟子がおり,その教育方式. 13. 減七の和音. についての証言を残している。そのなかでもフォ. 14. 偶発的な不協和音(掛留,予備). ルケルJohannNikolausForkelの証言とゲル.

(8) 18世紀∼19世紀ドイツの鍵盤楽著削こおける運指練習についての試論. バーHeinrichNikolausGerberの証言が比較的. だったといえよう。. 具体的な内容を示している。そこから抽出される. また,インヴェンションとこの楽句との関係で. バッハの教育課程と,その際に用いられる教材を. あるが,最後の一文に「指の練習のために善かれ. 図式にすると以下とおりであるⅩ。. た小曲」という表現があることからは,やはり楽 句の延長上にあることは間違いない。つまり,総. 1.打鍵法・装飾音習得のための楽句. 合すると,楽句の無味乾燥な(指ドリル的)練習. 2.インヴ工ンション. に耐えられなくなってしまった弟子のための代替. 3.組曲. 教材だったといえよう。. 4.平均律クラヴイーア曲集. そう考えるならば,インヴェンションの中には. 5.通奏低音奏法. 指ドリル的な要素が含まれていると考えられるの. 6.コラールの和声付け. ではないだろうか。ここで一度簡単にインヴェン. 7.フーガ(対位法). ションを検討してみたい。. インヴェンションは現在のピアノ教育でも教材 注目したいのは,初めの方にある打鍵法・装飾. として用いられているが,バッハ自身が弟子のた. 音習得のための楽句とインヴェンションである。. めの教材として用いていた。その成立事情はすで. この点について,実際のフォルケルの証言を引用. に多くの先行研究で言われているが,弟子の教育. して検討したい。. 用に折に触れて作られた別々の小品であったもの を,まず息子のフリーデマンのための音楽帳にま. 彼がそこで最初にやったのは,すでに述べたよう. とめ,最終的に1722年にバッハが教育目的の但し. な彼独自の打鍵法(ArtdesAnschlags)を教える. 書きを付してまとめられた。その但し書きには,. ことであった。この目的のために弟子達は,この. 以下のようなインヴェンションの教材としての目. 明確(deutlich)できれいな打鍵を常に心がけなが. 的が掲げられている。. ら,何ケ月ものあいだ両手の全ての指のための独. クラヴイーアの愛好家,とりわけ学習希望者が. 立した発句ばかり(einzelneSatze)を練習しなけ. (1)2声できれいに奏するだけでなく,さらに. ればならなかった。(中略)しかし,弟子の誰かが. 上達したならば,. 数ヶ月たって忍耐力を失いそうになると,バッハ. (2)3つの主要声部を正しくそして上手に処理. は親切にも,全ての練習課題を採り入れた一連の. することを学び,それと同時に優れた楽想を. 小品を書いてやった。初心者のための6つの小前. 手に入れるだけでなく,それらを巧みに展開. 奏曲集や,さらには15曲の『2声のインヴェンショ. すること,そしてとりわけカンタービレな奏. ン』がその例である。指の練習のための独立した. 法を習得し,それとともに作曲の予備知識を. 発句であれ,そのために善かれた′ト曲であれ(以. 得るために。. 下略)Ⅹi。 つまり,インヴェンションには指ドリルの代わり 打鍵法・装飾音習得のための楽句とは,打鍵法,. に演奏方法を習得すると同時に,作曲の準備のた. すなわち演奏というよりも指の使い方の習得に特. めのものとしてまとめられたのである。. 化され,これは楽曲ではない楽句=Satzであり,. また,従来からもしばしばバッハ研究では言わ. またこれに比較的長く時間を割いていたことが分. れてきたことであるが,インヴェンションは数少. かる。この楽句自体は残っていないが,以上から. ない材料を転回,拡大などを駆使して作られた曲. はまさにチェルニーなどの19世紀以降の教則本・. であるといわれている。たとえば,譜例5に挙げ. 練習曲の違指練習,すなわち指ドリルに近いもの. たインヴェンションハ長調第1番は,わずか1つ. 101.

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(10) 18世紀∼19世紀ドイツの鍵盤楽器における運指練習についての試論. とで指に叩き込むそのような役割があったものと 考えられるのである。 以上の知見を19世紀の指ドリルに引き付けて考. えると,19世紀の違指練習の姿は,単に19世紀に おいてピアノ演奏・楽曲が超絶技巧化した帰結で はなかったといえるのである。つまり,19世紀の 違指練習は,少なくとも18世紀から存在しており, それは作曲の準備であったものの名残であったと 書普例8. 最後には,それらから生み出された即興演奏例 が譜面として示されている(譜例9)。. さえいえるのである。. 4.おわりに 本論では試論として,限定された材料からでは あるが,18世紀∼19世紀の教則本・練習曲と,二 人のトーマスカントールの作った逼指練習用の教 材から19世紀の指ドリルの成立を論じてみた。そ. の結果,指ドリルは単なる19世紀の特異現象では なく,18世紀の違指練習はもちろんのこと作曲の 勉強の準備としてすら機能していた教材・教程に 由来するものであるという仮説が立てられた。 ここでもう少し19世紀のショパンやリストなど. の天才といわれたピアニストを,技巧的な面とは 別の角度から思い返してみれば,彼らも確かに即 興演奏の天才であった。つまり,以上の試論的考. 察から導き出される仮説と合わせて考えるなら ば,18世紀のバッハの教授のような鍵盤楽器教授 が19世紀になってもまだ十分有効性を持っていた. ということさえ視野に入ってくるのである。少な 言普例9. くとも,表面上は華々しいヴイルトウオーゾの時 代と見える19世紀のピアノ音楽の真には,確固と. つまり,当時の音楽の作り方として,まず基本. したバロック時代以来の古い伝統的な教育の支え. にバスの流れがあり,その上に和声の流れが作ら. があったとみるべきだろう。奇しくも二人の時代. れ,それをさまざまな音楽的なアイディア(楽句. を超えた見知らぬトーマスカントールたちの教材. =Tnventio)でパラフレーズすることで,1曲が. は,そのことを示しているのである。. 仕上がるという流儀があったといえるのである。 つまり,これを踏まえると,バッハの音楽教授で. は,この初めの楽句練習並びにインヴェンション の段階で,違指法を習得するのはもちろんのこと,. ゆくゆくは通奏低音を習いそのあとに作曲・即興 演奏を勉強するための着想を,繰り返して弾くこ. 注 iたとえば,岡田暁生『ピアニストになりたい19世紀も うひとつの音楽史』2008春秋社. iichareleLouisHanon.LePianisie−Virtuose,60etudes Prog7VSSives,Boulonge1873. 103.

(11) 小 野 亮 祢 ih例えば100番練習曲といわれる,CarlCyerny, /川り/りりJぶ−∫∫/、・J■・人・■∫JJ/…小■ソナ一・■∫/■〃−い・川・−/ノ=〃ぶ−り−.. 139,MtlnchenundWieno.J. ivlOO番は注iii参照。30番=J〃丘f〟dどぶdゼ∽gCα〃オ∫∽ゼ op.839,50番=蔀=肋批正成γ属地野が奴晦何滴Op.740.. V carlCzerny.Vollstandigetheoretisch−Practische 月払勒伽廉−5cゐ〟Jgop.500.Wien.1839.. ViHenriHerz.Phmq7brte−Schuleop.100,Mainz,1838. JohannNcpomukHummcl.Anu,eisungzurPiano一. Vn. 九γわー秘方βJ,Wien1828. 沌 carlPhulippEmanuelBach.侮7TuChiiberdiewahre. ArtdasClavierzu車ielen.1753,1762.Berlin. ix FriedrichWilhelmMarpurg,Die肋nstdasClavierzu 頭ielen.Berlin,1750u.1761. XJ.N.Forkel.UberJohannSebastianBachsLeben, KunstundKunstuJerke.Leipzig1802(『バッハの生涯 と作品と芸術』)ならびに,E.L.Gerber.Historische Bibliogr(ゆhishesLexconderTonhiinstler.Leipzig 1790−1792.. XiForkel(1802)S.38 裏i全曲の詳細な分析については,小鍛冶邦隆『バッハイ ンヴェンション分析と演奏の手引き』2005ショパンを. 参照. 付 記 本論文は第4回歴史的認知音楽研究会(於:奈 良教育大学)での発表に基づく。. (釧路校准教授). 104.

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参照

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