一、河森正治氏の現在
平林 本日はお忙しい中、インタビューに応じていただき、誠 にありがとうございます。 二〇一六年には近畿大学にて創作をめぐる講演をしていただ きましたが 、 ︵ 1 ︶ 学生のみならず一般の来場者の方々にも大変好評 でした。あらためて御礼申し上げます。 また近畿大学の講演とは別件ですが、二〇一七年には能楽学 会 ︵ 能 と 狂 言 の 全 国 学 会 ︶ に て 、 能 と ア ニ メ ー シ ョ ン を め ぐ る ト ー ク セ ッ シ ョ ン に お 付 き 合 い 頂 き ま し た 。 ︵ 2 ︶ ﹃ マ ク ロ ス ﹄ シ リーズのメカデザインおよび監督で有名な河森さんが、若い頃 から世阿弥の〝花〟を意識しておられたという内容は、学会に も驚きをもって迎えられました。アニメーションは言うに及ば ず、現代の日本文化を読み解く際にも貴重な御発表であったと 思います。重ねて御礼申し上げます ︵﹃能と狂言﹄第 16号参照 ︶ ︵ 3 ︶ 。 さ て 、 今 回 の イ ン タ ビ ュ ー で す が 、 河 森 さ ん が デ ザ イ ン な さ っ た バ ル キ リ ー ︵﹃ マ ク ロ ス ﹄ シ リ ー ズ の 主 役 機 で 三 つ の 形 態 に 完 全 変 形 。 イ ン タ ビ ュ ー の 場 で は フ ィ ギ ュ ア を 用 意 ︶ を 折 に 触 れ 変 形 さ せ な が ら 、 デ ザ イ ン や 演 出 面 ︵ 監 督 ・ 脚 本 ・ 絵 コ ン テ ・ 原 案 等 ︶ のみならず、人間の認識の変容といったことにもお話を広げて いきたいと思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。 ところで、常に分刻みのスケジュールをこなしておられる河 森さんですが、昨今ではメカデザインや監督・演出等のお仕事 に 加 え 、 二 〇 二 五 年 開 催 予 定 の 大 阪 万 博 の プ ロ デ ュ ー サ ー ︵﹁ い のちを育む﹂担当︶ の大任にも就かれました。 ますます御活躍の幅が広がっているように感じますが、現在 の河森さんが手がけておられるお仕事について、差し支えない 程度で結構ですのでお聞かせくださればと思います。 河 森 監 督 と し て の メ イ ン の 仕 事 の 一 つ は 、 ず っ と 以 前 か ら やっている﹃マクロス﹄シリーズの最新作﹃マクロスΔ﹄の劇平林
一成
河森正治氏インタビュー
〝花〟と〝融合〟
、そして〝変容〟へ
場版です。 ﹃ マ ク ロ ス Δ 絶 対 L I V E ! ! ! ! ! ! ﹄ と い う 作 品 で す が、全体の設計図にあたる絵コンテは数ヶ月前に描き終わって、 今、作画さんや、CG担当や背景担当の人たち、音楽担当の人 たちから上がってくるものを確認している最中ですね。 これが大きな仕事としてまずあって、デザイン関係になりま すと、あまり詳細は言えないのですが、色々なゲーム会社のメ カデザインであったり、あとはおもちゃメーカーのデザインを 行っています。現在進行形です。 あと、このインタビューを受けた時点のものとしては、リン クアンドコー ︵ Lynk & Co ︶ という自動車メーカーの新型車を 中 国 で 発 表 ・ 発 売 す る と き の イ ベ ン ト 用 に 、 車 の モ チ ー フ を 使ったロボットキャラクターのデザインもしています。 他には、今年の六月に東京の有明でオープンした﹁スモール ワールズ﹂ ︵ SMALL WORLDS TOKYO ︶ というミニチュアパー クの仕事があります。その中の主に宇宙エリアの監修であった り、未来の宇宙エリアのデザインをやっているところです。こ の﹁スモールワールズ﹂の特別演出や今後の企画についても現 在進行形ですね。 平林 やはり多岐に渡りますね。 河 森 そ う で す ね 。﹁ ス モ ー ル ワ ー ル ズ ﹂ 関 連 で は 、 専 門 学 校 の学生にアドバイスをしながら彼らがデザインしたものをモデ リングして、物を作っていく過程を指導する講座も担当してい ます。 平林 デザイン面の教育活動もなさっているのですね? 河森 はい。あとは映画やアニメーションの企画も多数進行中 といったところです。 それに加えて万博ですね。万博は去年から内々に話はあった の で す が 、 今 年 の 七 月 に 正 式 に 、 テ ー マ 事 業 の 八 人 い る プ ロ デューサーの中の一人という形で入って、そこの一部を受け持 つ形になっています。 平 林 相 変 わ ら ず 精 力 的 に 活 動 し て お ら れ 、 驚 く ば か り で す 。 大阪万博に関しましては、インタビューの最後にあらためて抱 負をお聞かせください。
二、
〝花〟
平林 本日のインタビューは〝花〟と〝融合〟 、そして〝変容〟 がテーマですが、本題に入る前に、まずは河森さんのキャリア の出発点について振り返ってみたいと思います。 高校時代からアニメーションの企画・制作集団﹁スタジオぬ え﹂に出入りしておられ、慶応義塾大学工学部へ進学して間も な く 、﹃ 闘 将 ダ イ モ ス ﹄ ︵ 一 九 七 八 ︶ の ゲ ス ト メ カ デ ザ イ ン で 実 質上のデビューを果たしたと伺っております。ところで先の能楽学会の御発表では、若くして参加した﹁ス タジオぬえ﹂の現場において﹁このデザインには〝花〟がある ︵ も し く は な い ︶ ﹂ と い っ た 会 話 が 飛 び 交 っ て い た と 触 れ て お ら れました。こうしたことが契機となり、おのずから世阿弥﹃風 姿花伝﹄の〝花〟にも関心を寄せるようになったわけですね? 能 を 大 成 し た 世 阿 弥 の 初 期 理 論 で あ る ﹃ 風 姿 花 伝 ﹄ に は 、 〝 花 〟 と は ﹁ 面 白 き ﹂ こ と で あ り 、 ま た ﹁ 面 白 き ﹂ こ と と は す な わ ち ﹁ め づ ら し き ﹂ こ と で あ る 、 と 記 さ れ て い ま す ︵ 第 七 篇 ﹁ 別 紙 口 伝 ﹂︶ 。 こ の 世 阿 弥 の 〝 花 〟 と 河 森 さ ん の 創 作 の 方 向 性 に は、何か共鳴する部分があったのでしょうか? 河 森 そ う で す ね 。〝 花 〟 に つ い て 読 ん で い て 、 自 分 が 探 求 し たいこと、やっていきたいことが表されている言葉だと思いま したね。 人と違うことや新しいことが大好きだし、新しいものという のは﹁めづらしき﹂ことにもなりやすい。子どもの頃から今ま でになかったもの、見たこともないようなものに興味があった のは確かですね。 平 林 昨 年 ︵ 二 〇 一 九 年 ︶ に 開 催 さ れ た ﹁ 河 森 正 治 E X P O ﹂ ︵ 4 ︶ の と き の キ ャ ッ チ コ ピ ー が 、﹁ 誰 も 見 た 事 の 無 い ﹃ 何 か ﹄ を 産 み 出 し た い ﹂ ︵ 5 ︶ で し た 。 そ れ を 見 た と き に 、〝 花 〟 に 共 鳴 す る 部 分があるとあらためて感じました。 河森 そうですね。ああ、こんなことを何百年も前に言ってい る 人 が い た ん だ あ 、 す ご い な あ 、っ て 、 若 い 頃 は や は り 思 い ま したよね。 当時は〝花〟について理解できるっていうよりは、それがと ても重要であるということで凄く興味を持っていましたね。実 際に﹁スタジオぬえ﹂の中で、このデザインには〝花〟がある とか、この絵には果たして〝花〟があるのかとか、そういう話 題が本当によく出ていたんですね。 平 林 ﹁ め づ ら し き ﹂ こ と と 、﹁ 誰 も 見 た 事 の 無 い ﹂
︱
そ れ は 深く共鳴するところがあったのでしょうか。 河森 ありますね。 平林 四十周年の﹁河森正治EXPO﹂のときに膨大な資料を 御 自 身 で 整 理 を な さ っ て お ら れ ま し た が 、〝 花 〟 と ﹁ 誰 も 見 た 事の無い﹃何か﹄を産み出したい﹂ということは、振り返って 如何でしょうか。ずっと一直線に突き進んでこられたのでしょ うか? 河森 いえ、一直線ではなく、やっぱり途中で行き詰ったとこ ろはありますよね。よく言われることですが、物語の原型はほ とんどシェイクスピアの頃には出尽くしていますし。 もしかしたら自分がSFに興味を持ったのは、人間社会で新 しい科学的な発明や発見があると、それによってSFでも新し いものが生み出されやすくなる︱
そういう部分があったので はないかって気はしていますね。実際、二十代半ばくらいのときには、自分の企画と似たこと を他の人が先に発表してしまうと、もうやる気をなくしてしま うようなことがありました。 平林 もはや﹁めづらしき﹂ことではないと感じてしまうので しょうか? 河森 そうなってしまったのです。他の人がやれるのだったら 自 分 が や っ て も し ょ う が な い と い う 気 持 ち に な っ て し ま っ て
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それが極端だったんですよね。 で、そこから一年二年かけて脱した頃から、百パーセント全 部が新しくはなくても、ホップ・ステップ・ジャンプのように できないかと考えるようになりました。 どんな偉そうなことを言ったって、結局、言語にしても、音 楽にしても、絵画にしても、誰かが以前発明して作られている ものだから、それを使ってないわけではないので、ホップ・ス テップの段階は使って、最後のジャンプとか決め手になるとこ ろだけは、せめて新しいものをとか、新しい感覚を入れられた らいいなというように︱
そんな風に切り替えていったんです よね。 平 林 十 代 後 半 か ら プ ロ と し て ご 活 躍 な さ っ て お ら れ ま す が 、 最初は﹁めづらしき﹂ことに徹底しておられて、人がちょっと でもやったらもうやらない、それはもう〝花〟じゃない、とい う 厳 し い 基 準 を 自 ら に 課 し て お ら れ た︱
そ れ が ホ ッ プ ・ ス テップ・ジャンプのジャンプの段階で新たな要素を入れようと いうように、徐々に手法が確立されていくわけですね。 河森 そうですね。発明されてから十年も二十年もすると、そ れがスタンダードになるので、それはもう、仕方がないとして。 でも先端の部分に関しては、なるべく﹁めづらしき﹂ことや 新しいもの、あるいは少なくとも自分がやっているジャンルで は他の人がやってないことを︱
そういう何かを発想すること を強く意識していますよね。 平林 世阿弥が能を作るときに、中心的素材を〝 本 ほん 説 ぜつ 〟と言い まして、それを大切にしますね。無論、その上で様々な工夫を 凝らしてアレンジしていくわけですが。 河森 自分の場合だと 本 ほん 説 ぜつ は、他の人の創作物というよりは極 力 、 現 実 の 自 然 現 象 や 創 作 物 以 外 の 実 用 品 ︵ 飛 行 機 や 車 な ど ︶ に求めていきますよね。 いったん映画用とかゲーム用のデザインになったものは極力 参考にしないとかね。そういう風に、二次創作以降のものにし たくないっていうのは、今でも守りつづけたいと思っているん です。 平林 別のジャンルのものに目を向けて、そこから素材を持っ てきて構築する。 河森 そうです。別のジャンルといっても、アニメーションを 作っている場合には、映画や漫画だと近すぎてしまうので、せめて演劇、みたいな感覚ってありますよね。少しでも遠いもの みたいな。それで、本来一番遠いといったら、もう、自然現象 か、心の現象みたいなことになる。そんな感覚ですよね。 平林 そうやって〝花〟のあるものを生み出そうと試みていく わけですね。 河 森 そ う で す ね 。 で も そ の と き に 、 今 度 は ね 、 本 当 に そ の 〝 花 〟っ て 、﹁ 面 白 き ﹂ こ と と ﹁ め づ ら し き ﹂ こ と の 両 立 な ん で すよね。 珍しいんだけと面白くないっていうのは結構あるんですよね。 創 作 し て い て 、 そ こ が と て も 難 し い と こ ろ で す よ ね 。 や は り ﹁面白き﹂ことがないと。 平 林 〝 花 〟 と ﹁ 面 白 き ﹂ こ と と ﹁ め づ ら し き ﹂ こ と は 、 三 つ 揃わないといけないと。 河森 そうそう。三つ揃ってこそ、真の意味での〝花〟ではな いでしょうか。そこが要求されるなあっていうのは、とても感 じますよね。 平林 珍しいだけのものって、 〝花〟がないと思われます? 河 森 〝 花 〟 に な り に く い で す よ ね 。 ご く 一 部 の 、 特 定 の ジ ャ ンルに詳しい人にとっては〝花〟かもしれないけれども。 自分がメインで活躍しているフィールドは、アニメーション やゲーム関係になるので、そうなるとどうしてもマスプロダク トで、多くの人数にアピールしなければいけないので、珍しい だけだとなかなか〝花〟とは言いきれないところがあって。 その辺が常に問われる訳ですよね。 平林 まさに﹁花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同 じ 心 な り ﹂ ︵ 6 ︶ ︵﹃ 風 姿 花 伝 ﹄︶ で す ね 。 時 代 や ジ ャ ン ル が ま っ た く 異 な る に も か か わ ら ず 、〝 花 〟 を め ぐ る 理 解 が こ こ ま で 共 鳴 す る とは。 河森 〝面白き〟ですよね! 平林 〝面白き〟ですね! 河 森 あ と こ れ は 、﹁ ス タ ジ オ ぬ え ﹂ で よ く 話 し て い た 〝 花 〟 が あ る ︵ な い ︶ の 一 部 に な る の で す が 、﹁ 絵 が 死 ぬ ﹂ と い う の があって。 特に漫画家さんでもイラストレーターでも、とにかく絵が上 手い人が、ある時期を越えた途端に絵に魅力をなくすケースが あ っ て 。﹁ あ ん な に 上 手 か っ た の に 絵 が 死 ん じ ゃ っ た ね ﹂ み た いな。 これはもう、ある種恐怖のようなところがありますよね。い つ死ぬんだろうとか、絵が死ぬってなんだろうとか凄く考えて。 でも絵が生きているか死んでいるかを見分けるのって、描い ている本人には難しいわけですよね。 先 ほ ど 述 べ た よ う に 観 客 と し て 見 た 場 合 に は 、﹁ ぬ え ﹂ の メ ン バ ー や 当 時 の 友 人 た ち が ﹁ あ あ 、 こ の 人 の 絵 、 死 ん だ ね ﹂っ て 、 同 じ よ う な 話 題 を 共 有 で き て し ま う 。 で も 描 い た 本 人 は
きっとそうは思ってないのだろうと。 その辺は今でも謎ですよね。同じ人が描いているのに、ある 時死んでしまう。でも稀にそこから復活する人もいるんですよ ね。 ﹁あっ、命が戻った﹂みたいな感覚。 平 林 お 話 を 伺 っ て い て 興 味 深 い の は 、〝 花 〟 が あ る ︵ な い ︶ の判別が現場では歴然としている点です。 河 森 そ う な ん で す よ 。﹁ ぬ え ﹂ の メ ン バ ー は 、 最 先 端 の ﹁ め づらしき﹂ことや変わったことをやりたいっていうのは共通し ていますが、個性も違えば感受性や志向性もまったく違うタイ プが揃っているんです。 そんなメンバーが同じ人の絵を見て同じように感じるってい うのは、面白くもありましたが怖かったですよね、やはり。 平林 そんなに明瞭かつ歴然としたものなのかと。 河 森 そ う で す 。 あ と 当 時 は 、 特 に ﹁ ぬ え ﹂ の 中 や 周 辺 で ﹁ 三 十 五 歳 に な っ た ら も う ア イ デ ィ ア が 枯 渇 す る ﹂ と い っ た 、 まるで都市伝説のようなものが蔓延していて。 だから﹁三十五歳を過ぎたら死んだほうがましなんじゃない か﹂みたいなことが、冗談半分、本気半分で語られていたんで すよね。 平林 お話を伺っていると、河森さんにとっての〝花〟とは決 して抽象的な理念ではなく、徹頭徹尾、実践的なものだったの ですね? こうした経緯があって、世阿弥の伝書に関心を寄せるように なったと考えてよろしいでしょうか? 河森 そうです。リアリティをもって感じていたところですよ ね。 平林 世阿弥と河森さんの間に約六百年の歳月を越えた共鳴が あるというのは、最初は意外にも思われましたが、こうしてお 話を伺っているとクリエーターならではの内的な必然性を強く 感じます。世阿弥が提起した〝花〟は、時代やジャンルを遥か に越えていくのかもしれません。 そ し て 、 こ の 〝 花 〟 を 追 求 す る 創 作 態 度 か ら 、 人 ︵ バ ト ロ イ ド ︶ と 鳥 ︵ 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶ が 融 合 し た よ う な 独 特 の デ ザ イ ン ︵ ガ ウ ォ ー ク と 呼 称 さ れ る ︶ や 、 三 つ の 形 態 に 完 全 変 形 す る バ ル キ リ ー が 生み出されていくわけですが、そろそろ〝花〟から〝融合〟へ と話を移していきたいと思います。
三
、〝
融
合
〟
あ
る
い
は
﹁
陽
中
に
陰
あ
り
、
陰
中
に
陽
あ
り﹂
平林 先ほどの﹁河森正治EXPO﹂には私も足を運び、貴重 な資料を拝見しました。とりわけ興味深かったのは、ゲストメ カデザインを担当されていた﹃闘将ダイモス﹄の脚本の裏に描 かれていたラフ画です。これは実は﹃闘将ダイモス﹄とは関係なく、当時企画中だった﹃ジェノサイダス﹄という別の作品の メカデザインを、手近にあった脚本の裏にスケッチしたものと 伺っております。 いくつかのヴァリエーションがある中、やはり真っ先に目が 留 ま っ た の は 、 鳥 ︵ 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶ に 人 間 ︵ バ ト ロ イ ド ︶ の 両 腕 が 生 え た、まるで鳥と人とが融合したかのようなデザインです 。 ︵ 7 ︶ SF 作品に登場するメカでありながら、原始の洞窟壁画に描かれた 半人半獣をも髣髴とさせるイメージで、とにかく強烈な印象を 残 し ま し た 。﹁ 花 と 、 面 白 き と 、 め づ ら し き と 、 こ れ 三 つ は 同 じ 心 な り ﹂ ︵ 前 掲 ﹃ 風 姿 花 伝 ﹄︶ と さ れ る 〝 花 〟 が 、 そ こ に は 確 かにあったように思います。 こ の 半 人 半 獣 ︵ 鳥 -人 間 ︶ の よ う な デ ザ イ ン は ガ ウ ォ ー ク と 命 名 さ れ 、 主 役 機 と し て 活 躍 す る 予 定 だ っ た と の こ と で す が 、 残念ながらデビュー間もない河森さんが情熱を傾けた﹃ジェノ サイダス﹄は企画倒れに終わってしまったと伺っております。 し か し そ の 後 、 様 々 な 紆 余 曲 折 を 経 て 、﹃ 超 時 空 要 塞 マ ク ロ ス﹄の主役機であるバルキリーのデザインを考案中に、このガ ウ ォ ー ク を 活 か す こ と が で き る と お 気 づ き に な っ た 。 バ ル キ リ ー は 人 間 の 形 態 ︵ バ ト ロ イ ド と 呼 称 さ れ る 人 型 ロ ボ ッ ト ︶ と 鳥 ︵ F -14ト ム キ ャ ッ ト の よ う な フ ォ ル ム の 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶ に 変 形 し ま す が 、 その変形機構の中に先のガウォークを嵌め込むことができた訳 ですね? こ の 河 森 さ ん の 閃 き に よ っ て 、 最 終 的 に は 三 つ の 形 態 ︵ バ ト ロ イ ド 、 ガ ウ ォ ー ク 、 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶ に 変 形 す る バ ル キ リ ー の デ ザ イ ン が 完 成 し 、﹃ マ ク ロ ス ﹄ シ リ ー ズ の 顔 と い っ て も 過 言 で は な い 存在になりました。 そ し て 、 も と も と ﹃ ジ ェ ノ サ イ ダ ス ﹄ の 主 役 機 で あ っ た ガ ウ ォ ー ク は 、 人 ︵ バ ト ロ イ ド ︶ か ら 鳥 ︵ 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶ へ 、 あ る い は そ の逆へ変形する途中の〝中間形態〟として、一般に位置づけら れ る よ う に な り ま し た 。 こ の 〝 中 間 形 態 〟 の 定 義 は 、 バ ル キ リーの変形機構とも相俟ってファンの間にも受け入れられ、現 在ではすっかり定着したように思います。 こ こ ま で は 雑 誌 等 で 繰 り 返 し 述 べ ら れ て き た お 話 で す が 、 ﹁ 河 森 正 治 E X P O ﹂ で 膨 大 な 資 料 を 拝 見 し て い た と き 、 一 つ 素朴な疑問が浮かんできました。 のちに完成したバルキリーのデザインを基準とし、その変形 機 構 に 引 き つ け て 解 す る な ら ば 、 た し か に ガ ウ ォ ー ク は 人 ︵ バ トロイド︶ と鳥 ︵ 戦 フ ァ イ タ ー 闘機 ︶ の〝中間形態〟として位置づけられる と思います。実際に私も﹁河森正治EXPO﹂に足を運ぶまで は〝中間形態〟と理解していました。 しかしながら他方、このわかりやすい定義のために、河森さ んの本来的な志向性が覆い隠されてしまったようにも感じるの です。 そこでもう一度原点に立ち返ってみますと、幻の企画﹃ジェ
ノサイダス﹄のガウォークは
︱
先に﹁まるで鳥と人とが融合 したかのようなデザイン﹂と図らずも形容してしまいましたが︱
、 い う な れ ば 若 き ク リ エ ー タ ー が 到 達 し た 純 粋 な 〝 融 合 体〟であった筈です。すなわちガウォークにこそ河森さんの生 来の志向性が︱
ひいてはデザインや演出の基本理念が︱
そ のまま体現されているように思えてなりません。 こんな風にガウォークを〝融合体〟として位置づけ、バルキ リーのそれぞれの形態がそこへ収斂されていくものと解してみ ま す 。 河 森 さ ん を 前 に し て 大 変 恥 ず か し い の で す が 、 こ こ で ちょっとバルキリーのフィギュアを触らせてください。 まず人間 ︵バトロイド︶ の状態があります。 こ れ を 変 形 さ せ て い く と 、 鳥 ︵ 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶ に 変 わ り ま す 。 い わ ば人間であることを捨てて鳥にメタモルフォーゼした状態です。 これをさらに変形させ、脚を逆関節の鳥の脚のように曲げつ つ両腕を出していくと、人間であり、かつ、鳥でもあるような 〝融合体〟 ︵半人半獣のガウォーク、鳥 -人間︶ が誕生します。 このようにガウォークを到達点としての〝融合体〟と位置づ け、全てがそこへ収斂されると考えてみると、河森さんの発想 の根幹に融合への志向性が強くあることが如実に浮かび上がっ てくると思うのですが、いかがでしょうか? 無論、のちのバルキリーの変形に照らした〝中間形態〟の定 義も河森さんの一面をよく表しており、私自身も使わせていた だくことが多いと思います。それに加えてもう一つ、今申し上 げた〝融合体〟という観点でもガウォークを眺めてみると、河 森さんの中にある様々な要素を把握しやすくなるのではないか と考えているのですが。 〝 中 間 形 態 〟 と し て の ガ ウ ォ ー ク と 〝 融 合 体 〟 と し て の ガ ウォーク︱
これら二つの側面から、河森さんの生来の志向性 について伺えればと思います。 河森 そうですね。まずは自分の子どもの頃から、順を追って 話を進めていってもいいですか? 平林 はい。よろしくお願いします。 河森 もともと、自分が生まれたのは富山の山奥で、今だと世 界遺産にも指定されている村からちょっと歩いてすぐの所なん ですけれども、まあほんとに、生まれた当時は日本の三大秘境 の一つと言われていて。 冬になったら豪雪のため車では無理で、舟を乗り継いで川を さかのぼらないと行けないぐらいの所で。当時の日本でも、昔 の暮らしが残っているようなところの一つだったんですね。 そこから三歳のときに横浜に引っ越すことになって。 山を越えたら、もっとも古いところから最先端に行ったみた いな、そういう感覚があって。世界がもう激変して、そのとき のカルチャーショックというのが三つ子の魂みたいになって。 そ こ か ら 二 十 年 間 く ら い の 間 は 、 富 山 と は 打 っ て 変 わ っ て 、テクノロジー万能主義じゃないですけれども
︱
そうそう、三 歳の子どもにとっては、まさに﹁めづらしき﹂ものだったわけ ですよね、横浜自体が。 し か も そ の 横 よこ 浜 はま 人 じん の 気 質 っ て い う の が 、﹁ 東 京 は 日 本 の 中 心 として語られることが多いけれど、でも横浜って世界への窓と し て 語 ら れ る こ と が 多 い ﹂ ︵ あ く ま で 自 分 が 描 い て い る イ メ ー ジ で すが︶ 。 つまり日本が中心っていう感覚をまったく持たずに育ったみ たいなところがあるんですよね。 日本で初っていうのにまったく興味がなくて、世界初じゃな きゃ初じゃないみたいな。自分がもともとそういう気質を持っ ていた上で、それが横浜で増大し、拡大されて。 こういった経緯があるので、愚痴じゃないですけれども、日 本のアートでも暫く前のCMでも、海外でやっている色々なも ののパクリを日本初と呼んでしまうみたいな、そんな風潮が大 嫌 い で 、﹁ 日 本 初 は 初 じ ゃ な い か ら ﹂ と い つ も 言 っ て た ん で す よね。まあそれは﹁ぬえ﹂全体の気風でもあったのですが。 平林 横浜にいたからこそ、河森さんの生来の志向性が拡張さ れていった。 河森 横浜にいたからこそ、だと思います。 あ と 自 分 の 家 は 、 横 浜 の 一 番 海 側 じ ゃ な く て 内 陸 側 の 方 の 、 上も下も見渡せるような丘の中腹の傾斜地にあって、田んぼや 雑木林がいっぱいあったんです。ですから昆虫とかカエルとか ヘビとか、捕って遊べたんですね。子どもだからけっこう残酷 な遊びもしてるんですが。 でもそうやって昆虫を見ていると、サナギからチョウへの羽 化であったり、他にもセミやトンボだって羽化しますよね? 先ほどの〝中間形態〟じゃないですけど、変形していく過程 が形で見える。外から見える。 で、カエルもそうですよね。オタマジャクシにまず足が生え て、手が生えて、上陸する。これってあとから思えば、バルキ リーの 戦 フ ァ イ タ ー 闘機 にまず足が出て次に手が生えてガウォークになっ て人型になるっていう変形で、その元になるようなものがカエ ルの観察をしていた頃に根深くインプリントされている。 同 時 に 自 分 の 家 で は 、 け っ こ う 大 型 の イ ン コ を 飼 っ て い て 、 それがよく喋るインコで。長いときは十五分くらい、ずーっと 喋ってますからね。そのためか、今でも動物とはコミュニケー ションがとれると思っていますし。 それから鳥の歩行も見なれているわけですよ。大き過ぎるの で逃げ出さないように 風 かざ 切 き り 羽 ば ね を切ってありますが、それが喋 りながら走り回っているんです、家の中を。 平林 家の中を。 河森 そうです。ですから鳥脚のガウォーク形態には子どもの 頃から馴染みがあったって、あとから思ったんですね。平林 話しながら歩く鳥というのはやはり、人と鳥が合わさっ た鳥 -人間のような。 河森 そうなんです。そういうのに囲まれて育っていたんだな と、あらためて思い出すというか。 平 林 こ こ ま で の お 話 で す が 、 三 歳 の 河 森 さ ん に カ ル チ ャ ー ショックを与えた横浜には、世界初の﹁めづらしき﹂ものや新 し い も の を 目 指 し て い く よ う な 、﹁ 世 界 へ の 窓 ﹂ と い っ た 気 風 があって。 さ ら に 自 然 と 市 街 地 が 共 存 し た 〝 融 合 体 〟 の よ う な 環 境 に なっていて、河森さんはその横浜の上も下も見渡せるところに 住んでいて。 雑木林や田んぼで自然を観察すれば〝中間形態〟を見出すし、 また家に帰ると人と鳥の〝融合体〟のような大型インコが喋り ながら歩き回っている
︱
なにか、 相 あい 反 はん する要素が様々なレベ ルで渾然一体となっているように感じますが。 河森 そうです。あと先ほどのガウォークに関する質問で洞窟 壁画って話、ちらっと伺いましたが、実は洞窟大好きなんです よ、自分が。 平林 えっ。 河森 洞窟が大好きで、横浜の実家には掘り炬燵があったので その中に潜って。電熱器の明かりに照らされたオレンジ色の天 井を見ながら、中で転がって、色々なことを考えたり、中で物 を作ったり。 その時にこうね、ずーっと洞窟の中で見上げている感覚。こ れって凄くよくわかるんですよね。 あと当時の横浜にはまだ埋めていない防空壕がいっぱいあっ たので、その中に潜って探検したり。 とにかく洞窟が大好きですよね。何回旅しても洞窟があるっ ていうと潜りに行くんですよ。世界中のあらゆる洞窟を探訪し たいですよね。 平林 なるほど。先ほど質問するときガウォークについて﹁S F作品に登場するメカでありながら、原始の洞窟壁画に描かれ た 半 人 半 獣 を も 髣 髴 と さ せ る イ メ ー ジ ﹂ ︵ 前 述 ︶ と 無 意 識 に 言ってしまいましたが、実は﹁洞窟壁画﹂と形容したことにも 何らかの必然性があったわけですね。驚きました。 や は り こ の 洞 窟 ︵ 防 空 壕 ︶ の 探 検 も 含 め て 、 横 浜 が 河 森 さ ん の志向性を様々な形で助長していったのは確かなようですね。 河森 やっぱり、そこはありますね。でも富山で生まれている ことと横浜で育っていることの、この両極端っていうのが、の ちのち影響してきますね。 平林 お生まれになった富山と、三歳で移り住んだ横浜︱
た だ、一方の極である横浜だけに焦点を絞って眺めてみても、そ こには 相 あい 反 はん する要素が様々なレベルで融合していて、決して一 筋縄ではいかないですね。河森 そうなんですよ。そういう意味では富山も田舎ではある んですが、昔の段階だと加賀藩の火薬を作る場所で。 平林 あっ。 河森 合掌造りの里の、その合掌造りの家の床下で、火薬の原 料を作っていたので。自分のロケット花火好きも、ここから来 てるんだなあって思いますよね。 平林 なるほど。かつてテクノロジーを担っていた場所でもあ るんですよね。 河森 そうなんですよ。あと自分が生まれ育った家の、川をは さんだ反対側っていうのが流刑地で、加賀藩の政治犯が流され ていた場所なんですよね。なんかそういうの、凄く感じますよ ね。だいたい余計なことを言って流される側にいるので、自分 も ︵笑︶ 平林 富山は富山で、やはり色々な要素が融合していると。 河森 うん。合掌造りもね、世界的にも最大級の木造家屋です からね、寺院や王宮などを除けば。あの構造っていうのも、雪 の重みに耐えるための多層構造を成していて。 あと雪といえば、日本屈指の豪雪地帯で二メーター四十とか 五十とか平気で積もるエリアだったものだから、冬になると二 階の窓から出入りするんですよね。 一階の玄関ではなくて二階から出入りする
︱
つまり日常が 非日常に変わるというのでしょうか。夏場と冬場で世界が激変 す る 場 所 に 幼 少 期 か ら い た っ て い う の は 凄 く 大 き い で す よ ね 。 立体的な思考っていうのはその辺から身についている気がしま すね。 平林 わかりやすく図式化したい人は、富山は山奥の秘境で横 浜の方は開けた土地で︱
という風に両極端に分けて考えがち ですが、お話を聞いていると、富山もかつては技術面を担って いた場所ですし、その中には更に夏と冬、日常と非日常といっ た 相 あい 反 はん する要素が融合している。 河 森 う ん 、 ま っ た く そ う で す ね 。 こ の 理 解 は 面 白 い で す ね 。 今まで自分でしゃべるときも両極化していた気がしたのですが。 たとえば太極図ってありますよね、陰陽の。 こ の 太 極 図 の 一 番 重 要 な の は 黒 ︵ 陰 ︶ の 中 の 白 丸 ︵ 陽 ︶ 、 白 ︵陽︶ の中の黒丸 ︵陰︶ 。 雪国の富山の中にテクノロジーの黒丸が入っていて、黒船が 来た横浜にはね、この残された自然という白丸が入っているみ たいな。そういう感覚っていうのは今までちゃんと持てたこと がなかったのですが、これ、非常に面白いですよね。 そ れ で 、 今 こ う や っ て 話 し て い る と き に 気 づ い た の で す が 、 陽の中に陰があって、陰の中に陽がある︱
すなわち﹁陽中に 陰あり、陰中に陽あり﹂︱
この状態がもう、 〝花〟の条件です よね。 平林 なるほど。河 森 間 違 い な く 、 こ れ を 最 低 条 件 と し て 満 た せ て い な い と 〝花〟にならないだろうなあと。 平 林 ﹁ 面 白 き ﹂ こ と に も ﹁ め づ ら し き ﹂ こ と に も な ら な い だ ろうと。 河 森 そ う で す 。 面 白 い だ け で も な く 、 珍 し い だ け で も な く 、 ﹁めづらしき﹂ことと﹁面白き﹂ことが両立する。 それも 相 あい 反 はん するぐらい珍しくて 相 あい 反 はん するぐらい面白いことが 両立するのが〝花〟の条件かもしれないですよね。 平林 長年にわたって第一線で活躍してこられた河森さんなら で は の ご 指 摘 で す ね 。 数 々 の 修 羅 場 を く ぐ り ぬ け て き た ク リ エーターの〝花〟の理解には、やはり強い説得力を感じます。 ここで更にもう一つ、二十代の河森さんの到達点ともいえる 初期﹃マクロス﹄の演出についても伺っておきたいのですが。 こ の ﹃ マ ク ロ ス ﹄ は 最 初 の テ レ ビ シ リ ー ズ の 放 映 当 時 か ら 、 作り手と受け手の年齢があまり変わらないものとして語られて きました。 河森 その走りですよね、ほんとに。 平林 あれからもう、四十年近くになりますか? 河 森 そ う な ん で す よ 。 最 初 の テ レ ビ シ リ ー ズ の 放 映 が 一九八二年なので、もう四十周年間近ですね。おそろしいです ね。 平林 おそろしいですね、あっと言う間に時が流れていきます ね 。 そ れ で 、 あ く ま で 私 見 な の で す が 、﹃ マ ク ロ ス ﹄ も こ れ だ け続くと、芸能ジャンルの一つとして見なさざるをえないと思 うのですが。 河森 本当にそうなんですよ、これが。 平 林 〝 花 〟 に つ い て 話 題 に の ぼ っ て お り ま す の で 、 今 度 は 能 というジャンル自体と﹃マクロス﹄を比べてみますと、これが なかなか興味深いです。 も と も と 能 ︵ 猿 楽 ︶ は 写 実 的 な 物 ま ね や 当 意 即 妙 な 問 答 が 主 体でしたが、観阿弥・世阿弥時代を通じて、叙事的な歌謡や幽 玄 ︵ 優 美 ︶ な 舞 が 取 り 入 れ ら れ て 、 い う な れ ば 劇 的 な も の 、 舞 踊 的 な も の 、 歌 謡 的 な も の の 三 者 が 完 全 に 融 合 す る の で す が
︱
まず﹃マクロス﹄における劇的なものとしては、男女の三 角関係がそれにあたるのでしょうか。 河森 そうですよね。ドラマの基本の一つですよね。 平林 あと歌謡的なものとしては、作品世界の中のアイドルの 歌がありますね。 河森 はい。 平林 最後に舞踊的なものとしては、河森さんがデザインした バルキリー等のアクションや戦闘シーン。 河森 ええ、ええ。 平 林 こ う し た 三 者 を 融 合 さ せ て い っ た 結 果 と し て ﹃ マ ク ロ ス﹄が誕生したとすると、まさに芸能ジャンルの形成過程を見るようなのですが。 河森 そうですよね、結果的にそうなっていきましたよね、実 際。 平林 制作当時、異質なものや 相 あい 反 はん するものを融合させるよう な感覚はありましたか。 河森 相 あい 反 はん するものを入れるっていうのは、やっぱりちょっと 考えていたところがあって。 アイディアの基本として、日常的なものと非日常的なものが
︱
つまり懸け離れたものが︱
化学反応を起こすというのが まずあって。 これは定理とまでは言えないのですが、そういう風にしてい くとアイディアが面白くなるという話が﹁ぬえ﹂などでよく出 ていたんですね。 たとえば非日常的なものに同じ非日常的なものを掛け合わせ ても、それこそ珍しすぎるものになるだけで、誰もついてこれ なくなるので。 また、当時の漫画やSFでは日常と非日常をどう結びつける かということで、学園から出発するものが多かったりもしたん ですよね、自分たちよりも一つ前の世代のSFって。 特 に 永 井 豪 さ ん が そ う で す が 、 学 校 が 出 て き て そ こ か ら ロ ボ ッ ト に 乗 り 込 み に 行 く と い っ た 、 日 常 と 非 日 常 の 懸 け 橋 を ちゃんと作っていた。 まずそういった創作のスタンスがあったのですが、自分の場 合は極端に走るほうなので、それを拡大して、最大規模の宇宙 戦争と最もせこい恋愛︱
つまり三角関係︱
をコンセプトに したんですよね。 平林 両極端のものを融合させていくように。 河森 はい。 平林 ﹃マクロス﹄の十八番ともいえるアイドルの歌と戦闘場面 の融合については、当時はひどく叱られたとおっしゃっていま したが。 河森 そうです。不謹慎だってよくいわれましたよね、最初は。 これも歌を考えたときに、クラシックで戦闘というのは他で もやっているし、あくまでBGMレベルであったり、あるいは 戦意高揚として音楽が使われるなんていうのは、実際の歴史に い く ら で も あ っ た の で 、﹃ マ ク ロ ス ﹄ で は ﹁ 戦 意 高 揚 の た め だ けじゃないものを﹂と思っていたんです。 戦 争 を 終 結 さ せ る の が 強 力 な 兵 器 だ っ た り 、 主 人 公 の ス ー パーパワーだったり、いずれにしても普通の意味での力であっ た場合、結局、力に対して力で勝ったことになり、あたりまえ すぎるだろうってね。 もう、どんな作品も基本はそうだったから、じゃあまったく 異 質 な も の で 戦 闘 を 終 結 さ せ ら れ た ら と 考 え て い く う ち に 、 ﹁ そ う だ 、 相 手 は 文 化 を 持 っ て い な い 異 星 人 に 設 定 し た し 、 こち ら に は リ ン ・ ミ ン メ イ ︵﹃ マ ク ロ ス ﹄ の ヒ ロ イ ン の 一 人 ︶ の 歌 が あるから、じゃあこの歌で終結するっていうのをやったらどう なるだろう﹂と思いついたわけですよね。 平林 懸け離れたものを融合させることや﹁誰も見た事の無い ﹃何か﹄ ﹂を求める姿勢が﹃マクロス﹄を誕生させたのでしょう ね。 河森 そうですね。 遠く懸け離れたものといえば、先ほどの横浜と富山の話では、 富山の方にも数百年前の先端テクノロジーだった火薬の製造と いう要素があったわけですが、もしかしたらもう一つの柱とし て 自 分 の 祖 父 ︵ 母 方 の 祖 父 ︶ の 存 在 が あ る の で は と 思 っ て い ま す。 その祖父が、富山の 五 ご 箇 か 山 やま 地方で伝承されてきた踊りとか民 謡の復興をやっていたんですよ、 麦 むぎ 屋 や 節 ぶし といって。 逆にそれに関わりすぎて家を潰したとまで言われている人な んです、じいちゃんは。 平林 芸能に尽力なさった方なんですね。 河 森 そ う な ん で す よ 、 そ れ に 傾 倒 し す ぎ て 、 も と も と 村 長 だったんですけれども、職を追われたかして、町の真ん中から 一番外れに追いやられたらしくて。 富山で一緒にいたのは三歳までですが、横浜に引っ越したあ とも夏休みには戻って遊びに行って。 小学校二年くらいのときに亡くなったので、深い話ができた というわけではないのですが、親族からよく﹁あの名物じいさ ん﹂として語られていたところがあって。 平林 河森さんには芸能気質も受け継がれているのでしょうか。 河森 間違いなく、血の中にあるとしか思えないところはあり ますよね。母方はみんな踊ることのできる家でしたし。何かそ ういう感覚はあったんですね。 五 ご 箇 か 山 やま の 平 たいら 村 むら と い う と こ ろ で ︵ 現 在 は 南 なん 砺 と 市 ︶ 、 上 かみ 梨 なし ・ 下 しも 梨 なし とある中の、うちは 下 しも の方になるんですけど。 上 かみ の方には、こきりこ 節 ぶし という別の芸能もあるのですが、う ちは 麦 むぎ 屋 や 節 ぶし の方をやっていた感じですね。 平 林 横 浜 と 富 山 。 そ し て 富 山 の お じ い さ ま が 芸 能 に 尽 力 な さっていたと。 河森 本人も歌っていたし、あとで聞いたら民謡のレコードに も出演しているとか。なんかねえ。 平 林 そ う い っ た 背 景 が あ っ て 、〝 花 〟 や 融 合 や 、 そ し て 芸 能 の素地が。 河森 笑いますよね。先端メカの方は横浜の方だし、芸能系は こっちの富山の系列ですよね。 本当にそんなことで決まっちゃったらいやだなあってね。決 定論にはしたくないけれど、でもやっぱり影響は間違いなくあ りますよね。
平 林 富 山 と 横 浜 の お 話 を 聞 い て い る と 、 太 極 図 の 陰 ︵ た だ し 陽の白丸を含む︶ と陽 ︵ただし陰の黒丸を含む︶ が激しく回転しな がら〝花〟を形成していくようなイメージが湧いてきますね。 これまで〝花〟や〝融合〟についてお話しいただきましたが、 大変興味深いインタビューとなりました。 こ こ か ら 後 半 と な り ま す が 、 前 半 と は 多 少 趣 おもむ き を 変 え 、 今 度は〝融合〟とも密接な〝変容〟に焦点をあてていきたいと思 います。 河森さんはネイティブアメリカンの鹿狩りのメソッドを習い、 これを通じて認識の〝変容〟を御自身で体験なさっているとの ことですが、この点を中心にお話を広げていければと考えてい ます。どうぞよろしくお願い致します。
四、
〝変容〟あるいは鹿狩りの体験
平 林 人 間 の 認 識 の 〝 変 容 〟 と い っ た 場 合 、 そ の 根 源 に は 、 シャーマニズムやアニミズム、祭祀等、様々な要素が︱
すな わち舞台芸術を生み出す母胎となったものが︱
横たわってい ると思うのですが、先の能楽学会において河森さんは興味深い 発言をなさっておられます。それは先住民族の狩りについてで す。 通常、狩りと申しますと、人間と動物を区別し、前者が後者 を狩る、といった単純な図式を思い浮かべますが、河森さんが 実地に体験なさったネイティブアメリカンのメソッドは、まず 狩猟者としての人間が鹿に成りきることを学ぶとおっしゃって いました。成りきることによって鹿の足跡を追い、行動を読み、 徐々に接近していく︱
それはまるで舞台上の演技の原型のよ うでもあり、能楽学会では﹁こうした発想がおそらく能も含め た芸能の源流にあるのではないか ﹂ ︵ 8 ︶ と言及しておられます。先 ほど洞窟の話が出ましたが、たとえばフランスのトロワ洞窟に は 、﹁ 魔 術 師 ﹂ と 呼 ば れ る 人 間 と 鹿 の 〝 融 合 体 〟 の よ う な 半 人 半獣の壁画が描かれており、これを鹿狩りの扮装と推測する研 究者もおります 。 ︵9 ︶ 前置きはこのくらいにいたしまして、今回のインタビューで 是非ともお聞きしたいのは、河森さんが鹿に成りきって追跡し ていたときの認識の〝変容〟についてです。 実 は 民 俗 学 の 方 面 で は 、 こ う し た 研 究 は 進 ん で お り ま し て 、 レ ー ン ・ ウ ィ ラ ー ス レ フ は 狩 猟 対 象 ︵ 動 物 ︶ に 成 り き っ て 狩 り をする人間の意識状態を次のように説明しています。やや難解 ではありますが、そのまま引用しておきます。 ⋮⋮ ﹁ 私 ﹂ と ﹁ 私 = で は な い ﹂ が ﹁ 私 = で は な い = の で は ない﹂になるような、奇妙な融合もしくは統合である。 ︵レーン・ウィラースレフ﹃ソウル・ハンターズ ﹄ ︶10 ︵ ︶まるで謎かけのようですが、再びバルキリーを触りながら順 を 追 っ て 説 明 さ せ て い た だ き ま す と 、 ま ず ﹁ 私 ﹂ は 人 間 ︵ バ ト ロイド︶ の状態です。 こ こ か ら 訓 練 を 始 め て 、﹁ 私 = で は な い ﹂ 状 態 に な っ た の が 、 鳥 ︵ 戦 フ ァ イ タ ー 闘 機 ︶
︱
も ち ろ ん 、 鹿 狩 り の 場 合 は 鳥 で は な く 鹿 で す が︱
に メ タ モ ル フ ォ ー ゼ し た 状 態 で す 。 し か し メ タ モ ル フォーゼを遂げたままですと、獲物を狩るという目的性を失い、 果ては自分が人間であることすら忘れてしまう危険性があると いいます。レーン・ウィラースレフは具体的な例として、トナ カイの群れを追跡していた男が対象に同化してしまい、一か月 以上もトナカイの群れの中で苔を食べて暮らしていた逸話を紹 介 し て い ま す 。 こ れ は い わ ば 、﹁ 私 = で は な い ﹂ 状 態 を 続 け 、 ﹁⋮⋮彼が次第に人間ではなくなっていった事例 ﹂ ︶11︵ です。 そ し て 最 後 の 、﹁ 私 = で は な い = の で は な い ﹂ は 、 ガ ウ ォ ー クになぞらえるとわかりやすいと思います。つまり狩猟対象に 成 り き っ て い る が 、 狩 猟 者 と し て の 目 的 性 ︵ 動 物 を 狩 る ︶ を 喪 失 し て い る わ け で も な い ︵﹁ 私 = で は な い = の で は な い ﹂︶ 。 ま さ に人と動物の〝融合体〟とも呼ぶべき状態ではないでしょうか。 このようにレーン・ウィラースレフは、いわく言い難い〝融 合 体 〟 の 意 識 状 態 を 二 重 否 定 ︵﹁ 私 = で は な い = の で は な い ﹂︶ の 微妙なニュアンスで規定しようと試みましたが、如何でしょう か? 河森さんの鹿狩りの体験について、差し支えない程度で結構 ですのでお聞かせくださればと思います。 河森 自分が体験したのはネイティブアメリカンに伝承されて いるメソッドの基本なのですが、もともとの彼らの社会では生 き 残 る た め に ど う し て も 狩 り を し な く て は い け な か っ た の で ︵ 無 論 、 植 物 を 採 取 し た り 、 植 え た り も し て い ま す が ︶ 、 徹 底 的 に 観 察しているんですよね、動物を。 でも現代人である我々が彼らのように実地に観察することは 困難なので、資料を読み込んだりしながら、あたかも役者が演 じるように動物に成りきっていくわけです。 自分が体験したのは、正確には鹿ではなくてカモシカとイノ シシだったのですが、それらにもし成りきった状態で自分が一 番 行 き た い 場 所 に 行 け ば 、 そ こ に は 必 ず 目 当 て の 動 物 が い る︱
たとえば﹁自分がイノシシに成りきっていればそこにはイ ノシシがいるはずだ。自分がカモシカに成りきっていればそこ にはカモシカがいるはずだ﹂といったような感覚ですね。 つまり狩りをするというのは、自分が他者である獲物を狩る のではなくて、自分自身を狩りに行く︱
これがとても魅力的 で。 自分自身を狩りに行くから乱獲なんかしないわけですよね。 それで実際に行ってみて、まずイノシシの場合ですが︱
イ ノシシに成ったつもりで夜中に森を歩いたのですが、そのときに出会うことはできませんでした。 ところが翌朝もう一回行くと、そこはもう、イノシシの足跡 だらけで
︱
しかもね、行った場所が人間の活動場所のすぐ近 くなんですよ。 つまりイノシシが痕跡を残しているなんて思いも寄らなかっ たところに、やっぱり行っていたわけですよね、自分が。 それで、足跡を見ながらちょっとイノシシの巣のことを思っ たときに、 ﹁あれ?﹂ って何か、引き寄せられるんですよ、ちょ うど道路を挟んだ向こう側の斜面へ。 自分がイノシシに成っているのか、そこへどんどん引き寄せ られて︱
﹁どうして普通に車が通っている道路の向こうに呼 ば れ る ん だ ろ う ﹂っ て 思 い な が ら 斜 面 を 登 っ て 行 く と 、 そ こ に 巣があったんですよ、とても素敵な形の巣が。 平 林 完 全 に 我 を 忘 れ た わ け で は な く 、﹁ 何 で 呼 ば れ る ん だ ろ う﹂という、人間としての意識はあったのですね。 河森 あります。そこがとても面白かったですね。 カモシカの場合も、メソッドを習っているキャンプ小屋を出 発して山の中へと続く道を︱
つまりカモシカがいそうな山へ と向かう道を︱
歩いている途中で、もう、何か崖を登りたく なるんですよね。 ﹁ あ れ ? あ の 山 に 行 く つ も り な の に 崖 を 登 り た く な っ ち ゃ っ た﹂ ってそちらへ登って行くと、カモシカの足跡があるんです。 そ れ を 辿 っ て い く わ け で す が 、 い っ た ん 足 跡 を 見 失 っ て も 、 近 く に カ モ シ カ が 食 べ る 草 が 生 え て い る の が 感 じ ら れ て ﹁ あ っ ! ﹂ と 思 っ て そ こ へ 移 動 す る と 、 や っ ぱ り 次 の 足 跡 が あ るんです。 平 林 ﹁ 何 で だ ろ う ﹂ と 思 っ て い る と い う こ と は 、 イ ノ シ シ の ときと同様、まだこちら側に踏み留まっているのですよね。 河森 まだ人間は残ってますよね。 平林 人間としての意識が残っているから理性的に動けている わけで、もしそれがなかったら、それこそイノシシやカモシカ になってしまうんでしょうか。 河森 じゃないですかね。所詮、現代人がほんのちょっとの日 数、体験するだけでもこの感覚なんで。 狩猟がメインだった時代にいつも練習していた人たちという の は 、 相 当 だ っ た ん だ ろ う な あ と 思 わ ざ る を え な い で す よ ね 。 あくまで、検証もしようのない感覚ではあるんですけれども。 平林 人と動物の〝融合体〟になった感覚はありましたか? 河森 〝融合体〟の感覚もちょっと途中ですよね。 最初に触れたイノシシの巣のとき、若干そのようになったと 思うのは︱
巣に寝転んだとき、何とも言えず気持ちよかった ん で す よ 。﹁ う わ ー 、 こ ん な 巣 を 作 る ん だ 、 落 ち 着 く な あ ﹂ み たいな。 次のカモシカの場合も、 ﹁あれ? 何で急に崖を登りたくなった ん だ ろ う ﹂っ て 思 っ て 行 っ た ら 足 跡 が あ っ た の で 、 そ の 時 点 でもう引き寄せられてはいるんですけれども。それで、先ほど 述 べ た よ う に 足 跡 を 辿 っ て い っ て 、 や が て 見 失 っ た と き に 、 ﹁ は っ ﹂ と 見 渡 し た ら 、 二 十 メ ー ト ル か ら 三 十 メ ー ト ル 離 れ て いるところに草が生えていて。 ﹁あっ! あそこに自分の食べる草がある!﹂ って反応すると、 やっぱり次の足跡が見つかるという
︱
それはとにかく普段の 自 分 か ら は 信 じ ら れ な い よ う な 感 覚 で 、﹁ ち ょ っ と 近 づ い た の かな﹂ って思いましたね。 平 林 動 物 に 招 か れ て 奥 へ 奥 へ と 行 っ て し ま う よ う で す ね 。 けっこう怖いといえば怖い話で。 河森 たしかに怖いですよ、ほんと。 平 林 レ ー ン ・ ウ ィ ラ ー ス レ フ は 、﹁ 私 = で は な い ﹂ 状 態 ︵ 動 物 に 成 り き っ て そ の ま ま に な っ た 状 態 ︶ の 例 と し て 、 ト ナ カ イ の 群れの中で苔を食べて暮らしていた男の逸話を紹介していまし たが、妙なリアリティがありますね。 河森 ありますよね。帰ってこれなくなるんだよね。 平林 ところでこの鹿狩りのメソッドについては、師からの 口 く 伝 でん で の み 教 授 さ れ る 部 分 が 大 き い と 伺 っ て お り ま す が 、 私 も ちょっと気になり、文献をあたってみました。 すると確かに河森さんのおっしゃるとおり、コンセプトや概 略を述べたものは何冊かあるものの、具体的かつ詳細にメソッ ド自体を記述したものはなかなか出てこないですね。 河森 技法それ自体を書かないんですよね、あえて。 あえて書かない理由っていうのも大体わかっていて。 彼 ら は コ ヨ ー テ ・ テ ィ ー チ ン グ ︵ 解 答 を 直 接 示 す の で は な く 、 本人が自力で到達できるように導く教授法︶ をすごく大事にしてい て 、 口 く 伝 でん じ ゃ な い と 大 切 な ニ ュ ア ン ス が 曲 が る こ と︱
い や 、 その 口 く 伝 でん でさえ曲がることまで、とてもよくわかっているみた いなんですよね。 な ぜ か と 言 う と 、 そ れ は 一 人 一 人 の メ デ ィ ス ン ︵ こ こ で は 個 々 人 が 持 つ 特 性 や 力 ︶ が 違 う 。 そ れ が あ ま り に も 違 う ん で 、 同 じ言葉を言っても違うように受け取られるのが大前提になるの で。 だからこそ体験によってしか学べないっていうことを凄く重 視してるんだなって、最近わかってきて。 平林 結局は以心伝心なんですね。 河森 それに近いと思います。 現代ではこうした教育方法が本当にやりにくくなってきてい る︱
でもそれをやらないと、今後のAI時代に人間らしさや 生きる価値をね、残せないんじゃないかと。それくらい重要な 部分だと思っているんですよね。 平 林 鹿 狩 り に お け る 認 識 の 変 容 や メ ソ ッ ド の 伝 承 に つ い て 、 実際に体験した河森さんからお話を伺える機会は滅多にないと思っていましたが、今日はそれが叶いました。ありがとうござ いました。 最後にもう一つだけ、今度はアニメーション作品と鹿狩りの 関係について質問をさせていただいてもよろしいでしょうか? 河森さんが原案を担当した﹃あにゃまる探偵 キルミンずぅ﹄ ︵ 二 〇 〇 九 ︱ 二 〇 一 〇 ︶ で す が 、 鹿 狩 り に と て も よ く 似 た エ ピ ソードがありますね。 それは第五話﹁追跡!まろちゃんを探せ !?﹂で、小学校五年 生の主人公たちが﹁着ぐるみモード﹂という、動物のぬいぐる み を 着 た よ う な 姿 に 変 身 し て 、 迷 い ネ コ ︵ ま ろ ち ゃ ん ︶ の 痕 跡 を 追 っ て い き ま す よ ね 。 と て も 不 思 議 な エ ピ ソ ー ド で 印 象 的 だったのですが、調べてみたら河森さんが脚本を担当なさって いました ︵﹁黒河影次﹂名義で担当︶ 。 この第五話にはやはり、鹿狩りの体験が反映されているので しょうか? 河森 まさにそうです。あれは説明するより書いた方が早いっ ていう内容だったので。 平 林 ﹁ 着 ぐ る み モ ー ド ﹂ は 大 変 可 愛 ら し い の で す が 、 今 回 の イ ン タ ビ ュ ー の 文 脈 に 照 ら し た 場 合 は 、 あ れ は 人 間 と 動 物 の 、 いうなれば〝融合体〟 ︵あるいは〝中間形態〟 ︶ なのでしょうね。 その﹁着ぐるみモード﹂になった小学生たちが失踪したネコ の臭いや足跡を追っていくのは、まさに鹿狩りと思いました。 河森 確かに。それでもし動物に成りきってしまうと、動物の 能力はあるんだけど人間としての力を失うっていうね。 平林 可愛らしい﹁着ぐるみモード﹂は人間であり同時に動物 の 状 態 で す が 、 今 お っ し ゃ っ た ﹁ ア ニ マ ル モ ー ド ﹂ の 場 合 は 、 それこそ﹁私=ではない﹂のように、完全な動物になっちゃう んですね。 河 森 な っ ち ゃ う ん で す 。﹃ キ ル ミ ン ず ぅ ﹄ の 場 合 の ポ イ ン トっていうのは世界最弱の変身ものみたいなコンセプトで。要 す る に 変 身 し た ら 強 く な る ん じ ゃ な く て 、 変 身 し て ネ ズ ミ に なっちゃったらネズミの能力しかなくなるっていう。 平林 そして先ほどの話ではありませんが、ネズミに成りきっ たままの状態を続けると帰ってこられなくなる。 河森 そうですよね。 この辺が実際の例もあって面白いところですよね。やっぱり 人間の意識って興味をひかれますね。未知の大陸じゃないです けれども。 平 林 と こ ろ で イ ン タ ビ ュ ー の 前 半 で 、 創 作 の 際 の 本 ほん 説 ぜつ ︵ 中 心 的 素 材 ︶ を ど の よ う に 求 め る か と い う お 話 が あ り ま し た が 、 河 森さんにとってはやはり、こういった鹿狩りのような体験が重 要になってくるのでしょうね。 河森 自分の一次体験を素材にすれば、もうパクリとかってい う問題にはならないだろうというのはありますよね。
平林 それは〝花〟の話にも繋がりますよね。 河森 〝花〟とオリジナリティですね。 特にオリジナリティの部分に関していうと、やっぱり文献を 読んだだけだとそこからの二次創作ともいえてしまうので。 仮にコンセプト自体をそこから得たとしても、やはり可能な かぎり自分で体験しておきたいですよね。 ま た 、 自 分 で 体 験 し た こ と が 世 界 中 の 一 部 族 の 誰 か だ け が や っ て い る ス キ ル だ と 直 接 の 真 似 に な っ て し ま う の で 、 極 力 、 普遍性を追求したいですね。たとえば、アフリカでもやってる、 アボリジニもやってる、ネイティブアメリカンもやってる、ア イヌもやっている、ということになってくると、もうこれは普 遍的な人類の技術ということになってきますから。 平林 なるほど。体験を通じて普遍性を追求することがオリジ ナリティの基盤となるわけですね。 ﹃あにゃまる探偵 キルミン ずぅ﹄第五話の不思議な魅力についても、ようやく腑に落ちた ような気がします。
五、現代における〝変容〟
、そして万博
平 林 今 回 は 世 阿 弥 の 〝 花 〟 と の 共 鳴 か ら 始 ま り 、〝 融 合 〟 へ の志向性、そして河森さん御自身が体験した鹿狩りへとお話を 進めてまいりました。 これ以降は、まずは私の方から河森さんの興味関心や映像作 品について駆け足で触れつつ、現代において〝変容〟を問う意 味を︱
そして大阪万博への抱負を︱
伺っていきたいと思い ます。 ところで先ほどの鹿狩りの体験ですが、ある対象に成りきる ということに関しては、河森さんが興味を抱く深層心理学にも 繋がってくるそうですね? 河 森 自 分 が 体 験 し た 鹿 狩 り は ま だ ま だ 初 歩 の 基 本 に 過 ぎ ず 、 その上での話ですが、動物に成りきるメソッドに関しては深層 心理学でも似たテクニックを使いますよね。 深層心理学では、相手のクライアントに成りきる技術︱
す なわち〝成りきり技術〟とでもいうべきもの︱
が凄く要求さ れるわけで。 勿論、本当に成っているわけではありませんが、こうした技 術には、どうやって自分のエゴから抜け出して相手に歩み寄る かということが問われる面があって。 そういった技術自体がやはり、現象的な鹿狩りと密接に関係 し て い る ん だ ろ う な っ て 思 い ま す よ ね 。 実 際 、 自 分 が 興 味 を もっている深層心理学の専門家の中には、先住民族のことを研 究している方も多いので。 平林 鹿狩りと深層心理学︱
あと、これは能楽学会の際にも 伺ったのですが、今おっしゃった〝成りきり技術〟という点で、世 阿 弥 ﹃ 風 姿 花 伝 ﹄ の ﹁ 似 せ ぬ 位 ﹂ ︵ 似 せ よ う と す る 意 識 す ら な い 状 態 で 演 技 対 象 に 成 り き る 境 地 ︶ に も 関 心 を 寄 せ ら れ た わ け で すね? 世 阿 弥 の ﹁ 似 せ ぬ 位 ﹂ は 老 人 の 役 を 演 じ る 際 の 理 論 で す が 、 衰えた外見を似せることを越えて、その本質
︱
老人の場合は 外見とは裏腹に〝若くありたい〟と切望すること︱
に完全に 没入するように説きます。 これだけでも驚きがありますが、更に続きがあって︱
この 老 人 の 本 質 ︵〝 若 く あ り た い 〟︶ に 成 り き り つ つ 、 器 楽 伴 奏 に つ れて舞を舞うとき、あえて所作を少し遅らせるようにと世阿弥 は述べています。それこそレーン・ウィラースレフではありま せんが、演技対象に成りきるだけで終わるのではなく、その演 技 対 象 と 役 者 と し て の 意 識 を 統 合 し つ つ 〝 花 〟 ︵ こ こ で は 〝 若 く あ り た い 〟 と 望 み つ つ も 所 作 が 遅 れ る 演 技 で 観 客 を 引 き つ け る こ と ︶ を創意工夫することが必要なのかもしれませんね。 河森 そうですね。この、ちょっと遅らせるは凄いですね。一 周まわって本当に凄いなと思いましたね。 平林 能楽学会のときには、世阿弥の﹁似せぬ位﹂が﹃創聖の アクエリオン﹄第十八話 や ︶12︵ ﹃マクロスF ﹄ ︶13 ︵ にも応用されている 点を御教示いただきましたが、しかしあらためてお話を伺って みると、それは鹿狩りや深層心理学への興味とも多層的に結び ついていたわけですね。 ところで、最初に﹁似せぬ位﹂の応用を試みたという﹃創聖 のアクエリオン﹄第十八話ですが、徹頭徹尾喜劇でありながら も、まるで一篇の演劇論のようですね。 エピソードの冒頭部、登場人物たちがあまりに仲が悪いので、 相手の身に成りきる訓練を行うことから始まって︱
それで相 互に外見を真似る初歩段階を経て、ついには﹁似せぬ位﹂のよ うに相手の本質に成りきることに成功する。 でも、それぞれが仲の悪かった相手に完全に成りきったとし ても、相変わらずバラバラのままで終わってしまう。 河森 そう、そう。 平 林 そ れ で 最 終 段 階 で 、﹁ 私 は 私 ﹂ と 言 っ て 、 そ れ ぞ れ が 相 手に成りきった経験を踏まえつつ、自我を再統合していく︱
基本的にはこのような理解でよろしいでしょうか? 河森 ええ、ええ。 平林 あらためて考えますと、前半で仲が悪かった相手には自 身 が 抑 圧 し て き た 様 々 な 要 素︱
た と え ば C ・ G ・ ユ ン グ ︵ 一 八 七 五 ︱ 一 九 六 一 ︶ の 心 理 学 で い う と こ ろ の ﹁ シ ャ ド ウ ﹂ ︵影︶︱
を無意識に投影していたわけですよね。 それが、苦手な相手に成りきる訓練を経た上で、最後に﹁私 は私﹂と再統合したときには、自身の内側に抑圧してきた都合 の 悪 い も の ︵﹁ シ ャ ド ウ ﹂︶ も 包 み 込 み つ つ 、 同 時 に 他 者 に も 開 かれた新たな自我を形成している︱
つまり人間として成長を遂げていると理解してよろしいのでしょうか? 河森 やっぱりそういう想いがあって