日
蓮
聖
人
に
b
け
る
時
機
観
町 回 是正
問 題 の 視 点 ︿ 1 ﹀ ︽ 2 v 日蓮聖人に於ける﹁時﹂と﹁機﹂の認識の特色は、その所依とした﹃法華経﹄の受持信行という、宗教的実践との 関わりのなかで、展開されていることである。即ち信行の所依とした﹃法華経﹄をして﹁未来記﹂と受けとめ、その 周知のごとく、日蓮聖人の生涯の評価については、 ﹁ 時 ﹂ と ﹁ 機 ﹂ を 確 め て い っ た こ と に あ ろ う 。 ﹁ 法 華 経 の 行 者 ﹂ と か ﹁ 殉 教 の 如 来 使 ﹂ と い う 呼 称 を も っ て 、 ( 29) 滅後の弘通を勧奨した説示に触発をされ、忍難色読を媒体として、 特徴的に表現をされ、また云い慣わされてきている。事実、日蓮聖人の遺文を鎖仰すれば、 勧 持 品 云 有 − 詣 無 智 人 − 悪 口 罵 雪 等 云 云 。 日 蓮 当 − − 此 経 文 − 。 及 加 万 杖 者 等 云 云 。 日 蓮 読 エ 此 経 文 一 ︵ ﹁ 寺 泊 御 書 ﹂ 定 遺 五 一 四 ﹀ 日 蓮 な く ば 此 一 一 備 の 未 来 記 は 妄 語 と な り ぬ ︵ ﹁ 関 目 紗 ﹂ 定 遺 五 五 九 ﹀ 等と、法華経を忍難色読した自覚が宣明されている。 猟 し で も 、 また、日蓮聖人の時機観を主題として、特に仏教哲学との関わりに於て問題とした場合、実は日蓮遺文の全編を渉 ハ 6 ﹀ ﹁時﹂と﹁機﹂に関する体系的な思索書が見当らない事である。たとえば﹃撰時抄﹄という﹁時機﹂に関 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀ する主著があったとしても、本抄の主題は、 ﹁未来記﹂に予見された﹁滅後の流通の時﹂とは、末法の法華経行者に よって選び択られた﹁時﹂であるとする。法華経行者の主体的行動と、未来記の流布の必然性を説き明かし、不惜身 命の弘経を門下に嘱望したものである。 このことは、道元禅師の﹃正法限蔵﹄ ︵﹁有時ノ巻﹂︶に見られる如く、恰もハイデガ l の﹁存在と時間﹂を想起 させるような、精織にして壮大な仏教哲学の論著と比較した場合、日蓮聖人は、 時の性質について、哲学的思索をなした宗教者ではなく、迫害多難の生涯が如実に語る加く、 ﹁ 時 の 量 と か 、 時 の 諸 相 と か 、 或 は ﹁ 未 来 記 ﹂ の 受 持 信 行 にこそ特色があったのである。 以 上 の 事 か ら 、 日 蓮 聖 人 に 於 け る 時 機 観 の 問 題 は 、 ﹁未来記﹂の忍難色読を媒体として、未来記たる﹃法華経﹄の 流布される﹁時﹂を見定め、また滅後末法時に下種結縁にあずかるべき﹁機﹂を見極めていった所にあろう。 ( 30 ) ﹁ 時 ﹂ と
属
の
認
識
︹ 弘 貝 沢 一 克 三 二 六 ご 年 四 十 歳 ︶ 日蓮聖人の﹁時﹂と﹁機﹂に対する宗教的認識は、伊豆流罪を契機として深まりを示すのである。即ち流罪の翌年 に 配 所 の 伊 豆 に 於 て 、 ﹃教機時国紗﹄と﹃顕語法紗﹄の二著を作して、所調、教・機・時・国・師︵序︶という﹁五 綱教判﹂を創唱して、自己の宗教思想の輪廓と行動の原理を明かにしたのである。 こ の ﹁ 五 綱 教 判 ﹂ は 、 五つの範時ハ綱︶により構成され、 五 綱 が 相 対 的 に 関 連 し て い る 。 即 ち ﹁ 時 ﹂ と ﹁ 教 ﹂ 、 ﹁ 機 ﹂ と ﹁ 教 ﹂ 、 ﹁ 時 ﹂ と ﹁ 国 ﹂ 、 ﹁機﹂と﹁時﹂という相関に於て論じられ、その中で﹁時﹂と﹁機﹂の認識が深 め ら れ て い る の で あ る 。たとえば、﹃教機時国紗﹄の中で、﹁時﹂について次のように論じている。
−
T テ R a w − − kvb 弘 一 仏 詐 人 必 可 レ 倶 時 : ・ 不 レ 知 レ 時 弘 れ 法 無 レ 益 上 還 堕 = 悪 道 一 也 : : : 縦 有 レ 機 無 レ 時 故 四 十 余 年 不 ν 説 − −W
経 一 。 キ フ 説 時 未 レ 至 故 等 云 云 : ・ 当 世 入 − − 末 法 二 一 百 一 十 余 年 也 。 権 経 念 仏 等 時 欺 。 法 華 経 時 欺 。 能 能 可 レ 勘 − 一 時 刻 − 也 ︵ ﹁ 教 機 故 経 云 時国紗﹂定遺二四二l
二 四 三 ﹀ 右 の 遺 文 の な か で 、 ﹁ 能 能 可 レ 勘 − 一 時 刻 一 也 ﹂ と 強 調 す る 意 味 は 、 如 来 誠 後 の 末 法 に 入 っ て 、 ︿ 品 a v いまだ法華正法の開法 の縁に結ばれない本未有普の﹁機﹂を見極めよ、と喚起する所であり、同時に日蓮自身が末法の現実に生きて在るこ と の 確 か め で も あ る 。 日蓮聖人にとって、本未有善の﹁機﹂に対する記別の問題は、法華経行者の実践の成否に関わる大事であり、同時 に下種結縁の構索を設けることが課題であったのである。﹃曽谷入道殿許御番﹄の冒頭に於て、 夫 以 療 − 一 治 匙 −R
構 − − 久 良 諌 町 一 教 − − 助 匙 一 色 不 ν 机 − 要 一 品 一 所 謂 払 断 正 像 末 : ・ ︵ 定 遺 八 九 五 ﹀ ( 31) と云い、また﹃報恩抄﹄に於ても 世末になれば人の智はあさく、仏教はふかくなる事なり。例せば軽病は凡薬、重病には仙薬、弱人には強きわた う と 有 て 扶 る こ れ な り 。 ︵ 定 遺 一 二 四 八 ﹀ と強調する如く、末法劣機のためには﹁要法﹂を構索しなければならない、としている。前の両番の中で、﹁良薬﹂ とか﹁要法﹂と云い、﹁仙薬﹂と云っているのは、云うまでもなく、法華経本門の﹁妙法五字﹂の教法のことである。 三 代 三 段 ・ − 径 三 段 ・ ︿ 関 目 紗 ︶ と ﹁ 四 種 三 段 ﹂ ︵ 観 ﹁ 五 重 相 対 ﹂ この﹁妙法五字﹂をもって、下種結縁の構索の要法とするに当っては、 二 径 六 段 ・ 本 法 三 段 ︾ 心本尊抄﹀の重要教判を論拠として、選択されていることは云うまでもない。 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀回 避 聖 人 に お け る 時 横 観 ︵ 町 田 ﹀ ちなみに、下種結縁の﹁要法﹂の内容について、次の如く示している。 於 − − 末 法 一 者 大 小 権 実 、 顕 密 共 一 一 か 札 一 得 − − 得 道 二 関 浮 提 皆 乱 − 誘 一 民 一 了 。 丸 一 − 逆 風 − 久 氏 − 妙 法 蓮 華 経 五 字 J 耳 。 加 仰 が 一 不 軽 品 − ︵ ﹁ 法 華 取 要 抄 ﹂ 定 遺 八 二 ハ ﹀ 地 涌 千 界 末 法 始 必 可 − − 出 現 − 今 遺 使 選 告 地 涌 也 。 是 好 良 薬 寿 量 品 肝 要 名 体 宗 用 教 南 無 妙 法 蓮 華 経 是 也 ︵ ﹁ 観 心 本 尊 抄 ﹂ 七 一 七 ﹀ 今 留 在 比 ﹂ 末法の本未有普の﹁機﹂に対する下種のための要法は、寿量品に説示される﹁遺使選告﹂の鵬首説と、 門 教 判 ﹁ 四 極 = 一 段 ﹂ 中 の 本 法 = 一 段 に 基 づ き 、 末 法 下 舗 の 要 法 は 文 底 に 沈 め た 周 目 五 字 を 韮 宗 と な す ﹀ の末法結縁の要文に基づき、寿量品の肝要たる妙法五字を以って当てるとする。 ﹁ 是 好 良 薬 ・ 而して、日蓮聖人にとって、末法の逆縁誘法者に対する下種結縁の方途を構索することが、仏の予見に叶うか否か に関わる大事と受けとめたのである。その下種化導の立場について、 ﹃ 関 目 紗 ﹄ の な か で 、 無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行口聞のごとし。邪智誘法の者多き時は折伏を前とす。常不軽の ごとし︵定遺六
O
六 ︶ と 示 し 、 ま た ﹃ 佐 渡 御 番 ﹄ に 於 て も 、 仏法は摂受折伏時によるべし。響えば世間の文武の如し︵定遺六一一︶ と云うごとく、逆縁誘法の﹁機﹂に対する結縁下種に当って、 ﹁無智恵人﹂と﹁邪智誇法﹂の二種に分かって、前 者に対しては摂受の教化と為し、後者には折伏逆化の要を強調されている。実は、この摂受と折伏の化導法の選択は、 日蓮聖人の法華経行者の岐路にも関わる大事であったのである。此処に、自己の化導の立場を明確にするのである。 m a テ 晶 J J h a v テ J F キ R V テ S ム ル 今 既 入 = 末 法 一 在 世 結 縁 者 漸 々 衰 微 権 実 二 機 皆 悉 尽 。 彼 不 軽 菩 麓 出 − 一 現 於 末 世 − 令 レ 撃 − − 毒 鼓 − 之 時 也 ・ 今 時 学 者 迷 − −すなわち、末法逆縁、務法の機に対する化噂は、 ︿ 9 ﹀ しにもすぐれ﹂などの不軽菩慶の但行礼拝の故事に徴して、忍難の菩薩行でなければならないと、勧奨するところで ヲ キ 克 也 F 惑 於 時 機 − : : : 以 = 題 目 之 五 字 − 可 レ 為 − 一 下 種 一 之 由 来 不 レ 知 歎 ︵ ﹁ 曽 谷 入 道 殿 許 御 番 ﹂ 定 遺 八 九 五 ︶ ﹁ 背 は 聞 く 不 撃 音 醸 の 杖 木 等 ﹂ v .﹁彼の不軽菩薩の杖木の難に値 あ る 。 以上のごとく、法華経行者の殉教忍難の軌跡を踏まえて、日蓮聖人の時機観を問うてみれば、それは理論としての 時機観、思索の対象としての時機、哲学する為の時機を問題としたのではない。自ら忍辱の鎧を身にまとい、法華経 の 受 持 信 行 を 媒 体 と し て 、 ﹁ 時 ﹂ を 選 び と り 、 ﹁ 機 ﹂ を 見 極 め て い っ た の で あ る 。 正法を修して仏になる行は時によるベし︵﹁日妙聖人御書﹂定遺六四五﹀ ( 33 ) 仏法は時によるべし︿﹁関目紗﹂定遺六
O
九 ﹀ 夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべしハ﹁撰時抄﹂定遺一OO
三 ﹀ 等々の一連の教示は、日蓮聖人の時機の認識・時機の相闘について簡潔に示していよう。簡潔だと云う事は、その 裏付に血潮が澗れ、骨の砕ける忍難色読のあった事に、思いをいたさねばならない。 次 に 、 日蓮聖人における時機観を論.するとき、もう一つ喚起される事がある。それは、遺文の処々に於て次のよう な字句がみられることである。 是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむ耳︵﹁報恩抄﹂定遺一二四九﹀ 身の智分をば且く置ぬ。法華経の方人として難を忍び庇を蒙る事は漢土の天台大師にも超へ日域の伝教大師にも 勝れたり。是は時の然らしむる故なりハ﹁四条金吾殿御返事﹂定遺一八OO
﹀ 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ︵ 町 田 ﹀日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀ 仏限を以て一切衆生の心根を御覧ずる 如 コ 是 経 文 一 仏 限 以 照 = 見 末 法 始 − ︵ ﹁ 聖 愚 問 答 紗 ﹂ 定 遺 三 六
O
﹀ ︵ ﹁ 波 木 井 三 郎 殿 御 返 事 ﹂ 定 遺 七 四 六 ﹀ 即 ち 、 ﹁ 智 分 は 置 く ﹂ ﹁ 智 の か し こ き に 非 ず ﹂ と か 、 ﹁ 仏 眼 を も っ て ﹂ 、 ﹁時の然らしむる﹂と云う表現がみら れる事である。この事は端的に云えば、対象の認識に当って、主観的判断とか、自己の知性的判断を否定する立場の 表 明 で は な か ろ う か 。 ﹁時﹂と﹁機﹂の認識に当って、思索的判断とか、智性的判断の領域を超えて、 ﹁ 信 ﹂ の 世 界 を基調とした認識の主張であり、仏限に教示されて認識することである。 日蓮聖人が、学の道を志して、天台宗の名刺・清澄寺に入門し、﹁いささかの事ありて、此事を疑ひし故に一の願 ︿ 却 ﹀ ︽ U V ︹ U ︶ をおこす﹂と云い、﹁日蓮が愚案晴れがたし。一つの願を立つ﹂と為し、﹁日本第一の智者となし給え﹂と、虚空蔵 菩蕗に対して、智者替願を立て、鎌倉・高野・三井・京都・比叡山など処々をめぐる修学であったが、いま、日蓮聖 人が若き修学期の﹁智者普願﹂を懐古して云う﹁智者﹂とは、所謂、知識者とか智慧者となる為の発願ではなく、仏 ほ と け の ま な こ の智怒︵仏限﹀の信解を欲した哲顕であった事は、論ずるまでもなかろう。 こ う し た 認 識 の 基 調 に 立 っ て 、 ﹁時機﹂を論ずるに当って、必ず﹁経ニ云ク﹂とか﹁仏記シテ云ク﹂の如く、仏説 に徴して論を展開されるのである。調うまでもなく、仏限とは、仏の智慈・悟りを開いた識見の事である。その仏限 を以って、時機を見定めよと喚起するのである。 何に況んや、仏教を修行せんに時を糾ざるぺしゃ。機の熱不熱はさておきぬ。時の至れる故なり o 経ゴ令Lf
其 ナ リ Vテ
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P F F 時 決 定 説 コ 大 乗 − 等 : : : 問 云 い か な る 時 に 小 乗 権 経 を と き 、 い か な る 時 に か 法 華 経 を 説 ペ き や : : : 答 云 仏 限 を か っ て時機をかんがえよ︵﹁撰時抄﹂定遺一OO
五 ﹀と論じているが、これは明らかに主観的判断を否定した認識の主張であり、仏限に基づく認識の強調である。 ー寸 イ ム 限をかつて時機を勘えよ﹂とは、仏の予見に映じ、仏の智慧によって照し出された教えを、基調とせよと云うのであ る
。
すでに見た如く、伊豆流罪を契機として、法華経色読の自覚を深め、弘経との関わりに於て、 ﹁ 時 機 ﹂ の 認 識 を 強 めてゆくのである o n h ヲ ハ テ 畠 弘 − − 仏 教 − 人 必 可 ν知 − 一 機 根 − : : : 弘 三 仏 教 − 人 必 可 ν知 レ 時 : : : 当 世 入 − 一 末 法 二 一 百 一 十 余 年 也 。 権 経 念 仏 等 時 歎 ・ 法 華 キ ヲ 経 時 欺 。 能 能 可 レ 勘 − 一 時 刻 一 也 ︿ ﹁ 教 機 時 国 紗 ﹂ 定 造 二 四 二 ︶ 右の﹃教機時国紗﹄に於て、 ﹁権経等時鍬・法華経時欺・能能可勘時刻﹂と喚起するのは、 ﹃ 法 華 経 ﹄ の 弘 経 実 践 見定への喚起である。そして﹁勘う﹂ ︵ 思 考 す る ﹀ と い う の は 、 ﹁未来記﹂の流布の﹁時﹂の見極めと、その弘経者 ( 35) による﹁未来記﹂の体現を意味しているが、その場合、特に﹁能能可レ勘=時刻ことは、﹃法華経﹄の流布の﹁時﹂の としての日進自身の確かめを意味している。その﹁未来記﹂の流布の﹁時﹂について、 法 華 経 の 弘 ま ら せ 給 べ き 時 有 三 一 度 一 所 謂 在 世 与 − − 末 法 − 也 : : : 日 蓮 は 今 時 を 得 た り 。 立 此 所 嘱 の 本 門 を 弘 め ざ ら ん テ タ ’ A 守 晶 や ・ : ・ : 天 親 龍 樹 内 鑑 冷 然 等 云 云 : : : 伝 教 大 師 云 正 像 末 梢 過 己 末 法 太 有 レ 近 法 華 一 乗 機 今 正 是 其 時 何 以 得 レ 知 。 安 楽 行品云末世法減時云云︿定遺一七九八﹀ ﹃ 妙 一 女 御 返 事 ﹄ の 中 で 、 と論じ、また﹃撰時抄﹄ ︵ 定 遺 一OO
八︶に於ても、同文同意の形で論じられている。そして、方便品の﹁所以未曽 説・説時未至故・今正是其時・決定説大町との教示、また宝塔ロ聞の ︽ 恒 M V 時﹂の仏記を所依として、自ら﹁日蓮は今時を得たり﹂と為し、 --, 今 既 に 2祭器
れ れ h −此 乙何裟 とv置
土 末吉
盛
き
2
妄霊
け制エ と め 今 て 正 い 是 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀ る の で あ る 。 ﹁ 時 ﹂ を 超 え る 門 家 法 ︾ 日蓮聖人における﹁時﹂の認識には、自己が生かされている現実の中で、 ﹁未来記﹂を弘経するという、歴史的時 聞と関わる認識と、もう一つは、宗教者として歴史的時聞を超えて、純粋絶対の時間︵宗教的時間﹀にも思索を深め て い る の で あ る 。 回 避 聖 人 が 、 ハ﹁妙一女御返事﹂二七九八己 ﹁ 今 時 を 得 た り ﹂ と か 、 ハ ﹁ 法 奉 行 者 飽 難 事 ﹂ 円 七 九 九 ︶ ︶ ﹁今既に時来れり﹂と、末法当今の現実を受けとめる意識には、むしろ、末 法の歴史的現実と対決して、能動的に現実を超える理念を確立したいとする意識が、 つよく作用しているように思え る
。
回避聖人が末法当今の現実を超えると云う意識は、時間の物理的長短とか、時間の物理的流れを否定しないと成り 立 た な い 論 理 で あ る 。 つ ま り 、 ﹁仏の在世﹂と﹁末法当今﹂の二つの次元を対比して、むしろ、 ﹁ 末 法 当 今 ﹂ の 時 に ついて、宗教的意義を見い出そうとする事である。 ノ ︿ 腿 ﹀ 聖人が自ら﹁此事日蓮当身大事也﹂と称した。 ﹃観心本尊抄﹄の中で、法華経の本迩二門にみえる時機観を基調と し て 、 次 の よ う に 論 じ て い る 。 aHZ , テ ヲ V チ ’ R ト V ハ テ , 異 色 F 迩 門 十 四 口 問 正 宗 八 品 一 往 見 レ 之 以 − 三 乗 − 為 レ 正 以 − − 菩 薩 凡 夫 − 為 ν傍。再往勘 ν以 = 凡 夫 正 像 末 − 為 レ 正 。 正 像 末 三 時 之 テ P S F モ ハ J R,
V ヤ J ヲ ヤ 晶 Pム ,
h v テ 中 以 − − 末 法 始 − 為 − − 正 中 正 − 。 問 日 其 証 如 何 。 答 日 法 師 品 云 而 此 経 者 如 来 現 在 猶 多 = 怨 嫉 − 況 減 度 後 。 宝 塔 口 問 云 令 − − 法 久 Y テ ヲ 且 ν バ , 品 テ , 且 住 − 乃 至 所 ν 来化仏当 ν 知 − − 此 意 − 等 。 勧 持 安 楽 等 可 レ 見 ν 之。迩門如 ν是 。 以 − − 本 門 一 論 ν 之 一 向 以 = 末 法 之 初 一 為 − 一 正 機 − 。ル ル ヲ ハ テ ’ v b , テ テ 品 ム ’ a 所 調 一 往 見 レ 之 時 以 − − 久 種 − 為 − − 下 種 一 大 通 前 回 味 迩 門 為 ν熟 至 − 一 本 門 − 令 レ 登 − 一 等 妙 − 。 正 流 通 倶 以 = 末 法 之 始 − 為 ν詮。在世本門末法之初一同純円也︵﹁観心本尊抄﹂定遺七一四
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七 一 五 ﹀ 再 往 見 レ 之 不 ν 以 − − 諒 一 門 − 。 本 門ー 序一 即ち法華経の本迩二門に於て、教示されていると受けとめた、 ﹁末法為正論﹂を基調とされて、自己の末法為正論 を主張した条りである。すなわち、迩門の﹁為正論﹂についてご往之ヲ見﹂ ﹁ 再 往 之 ヲ 勘 ﹂ の 二 つ の 観 方 を 示 し 、 本門の﹁為正論﹂について﹁一往之ヲ見﹂ ﹁再往之ヲ勘﹂とのこつの観方を示すのである。先ず﹁機﹂について云え ば、末法の我等は二乗や菩薩ではなく、凡夫なりと規定し、 ﹁ 時 ﹂ に つ い て 云 え ば 、 我 等 は 仏 在 世 の 衆 生 で は な く 、 滅後の衆生であることを明確にして、迩門の正宗分はコ往之ヲ文上カラ見レパ﹂在世衆生の得脱の如くであるが、 然し迩門の流通分から﹁再往之ヲ文底カラ勘ウレパ﹂実は迩門正宗分は、滅後の衆生を得脱させんが為に遣し置かれ 繰り返して云えば、在世得脱の為の迩門正宗分は、実は流通分から逆次に読んでみると、滅後の凡夫の得脱下種の ( 37) た大良薬であると、解されているのである。 為 に 遣 し お か れ た ﹁ 教 ﹂ ︵仏記︶と解し、此処に迩門の﹁末法為正論﹂を提示するのである。 尚、﹃法華経﹄の迩門を逆読する論理については、﹃法華取要抄﹄の中で具体的に次のように示している。 問 日 法 華 経 為 コ 誰 人 − 説 ν之 乎 。 答 日 自 = 方 便 品 − 至 コ 干 人 記 品 一 八 品 有 = 二 窓 一 。 自 レ 上 向 ν下次第読 ν之第一菩薩第二二 テ 且 V 同 乗第三凡夫也。自=安楽行−勧持提婆宝塔法師逆次読 ν 之 以 = 減 後 衆 生 − 為 ν 本 。 在 世 衆 生 傍 也 。 以 = 滅 後 一 論 レ 之 正 法 見 a F J z h テ 一 千 年 像 一 千 年 傍 也 。 以 = 末 法 一 為 レ 正 。 末 法 中 以 ニ 日 蓮 − 為 ν正也︿﹁法華取要抄﹂定遺八一三﹀ 此処でも迩門の時機観について、 二つの観方を提示している。その一は、 ﹃法華経﹄迩門の章節に随って、上から 下へと順次に読む﹁順読法華﹂と、そのこは、章節を下から上へと逆次に読む﹁逆読法華﹂である。先の﹃観心本尊 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ︵ 町 田 ﹀ 抄 ﹄ に 依 れ ば 、 ﹁ 順 読 法 華 ﹂ と は 、 文 上 の 説 相 と 示 さ れ 、 ﹁ 逆 説 法 華 ﹂ に 就 て は 、 ﹁再往之ヲ勘ウレパ﹂と約し、文 底に秘し沈めた仏の心に依る説相としている。 日蓮聖人は、自己の忍難色読を踏まえて、殊に﹁逆読法華﹂の立場を強調するのであるが、その﹁逆読﹂とは、如 来滅後の立場から読むこと、流通分の立場で読むこと、末法当今の日蓮聖人の立場から読むことを意味している。即 ︵ 滅 後 の 弘 径 を 勧 奨 し た 流 通 分 を ぬ い 読 ︾ ち 、 ﹁ 逆 読 法 華 ﹂ と は 、 末 法 の 日 蓮 聖 人 の 立 場 か ら す れ ば 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ 迩 門 の 流 通 分 は 、 ま さ に ﹁ 以 = 滅 後 衆 生 − 為 レ 本 ﹂ テ ヲ R ト ためであり、﹁以=末法一為レ正﹂ことであったのである。日蓮聖人の独特の法華経観の展開である。 ︵ 在 世 衆 生 得 脱 ︶ 衆 得 脱 ﹃ 法 華 経 ﹄ 本 門 の 正 宗 分 に 於 け る 時 機 観 に つ い て 、 ﹃ 法 華 取 要 抄 ﹄ に 於 て 、 ﹁ 略 閲 近 ﹂ と ﹁ 広 開 近 ﹂ ー と い う 、 次 に 、 二 つ の 説 相 か ら 論 じ て い る 。
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M V テ , p y 拘 本 聞 は 一 五 − 二 心 二 狩 出 品 略 開 近 顕 車 問 四 味 並 迩 門 諸 衆 為 レ 令 レ 脱 也 。 二 宵 出 品 動 執 生 疑 一 半 並 新 量 品 分 別 功 徳 ロ 辛 品 h v テ 品 目 巳 上 一 口 問 二 半 名 = 広 開 近 顕 遠 − 。 一 向 為 = 滅 後 − 也 : : : 法 華 経 本 門 来 − − 至 略 開 近 顕 速 一 自 = 華 厳 − 大 菩 薩 二 乗 大 焚 天 帝 釈 完 ル ヤ J ’ テ P J ハ 日 月 四 天 龍 王 等 位 隣 −b
覚 一 叉 入 − − 妙 覚 位 − 也 : : : 為 − 註 人 − 演 エ 説 広 開 近 顕 遠 寿 量 品 − 乎 。 答 日 寿 量 品 一 品 二 半 自 レ 始 噌 テ F ナ p 至 − − 干 終 − 正 為 − 一 滅 後 衆 生 一 。 滅 後 之 中 末 法 今 時 日 蓮 等 為 也 ︵ ﹁ 法 華 取 要 抄 ﹂ 定 遺 八 = ニ ﹀ 即ち﹁略閲近顕逮﹂段は、釈尊在世の﹁現在﹂に立たれた説示であるが、その釈尊の在世の﹁現在﹂は、﹃法華経﹄ の文底に秘した﹁広開近顕遠段﹂からすれば、 永 遠 の 未 来 を 含 む ﹁ 現 在 ﹂ と 解 す る の で あ る 。 そ し て ﹁ 略 閲 近 顕 遠 段﹂は在世得脱の為となし、﹁広閥近顕逮段﹂は滅後末法の得脱の為となし、 ま さ に そ の と き ま さ に そ う で あ る して、末法当今を以って、﹁正時﹂となし、﹁正為﹂とするのである。この時機観を、端的に﹁末法為正﹂の四文字 ﹁略開近﹂と﹁広開近﹂の説相を対比 で 象 徴 的 に 示 す の で あ る 。以上の時観を踏まえて、日蓮聖人は語調を整えて次のように云うのである。 在世本門末法之初一同純円也︵﹁観心本尊抄﹂定遺七一五﹀ 在世は今に在り。今は在世なり︿﹁種種御振舞御書﹂定遺九七一﹀ 而して、右に示した﹁仏の在世は末法の今﹂ ・﹁末法の今は仏の在世﹂という論理が成り立つ為には、時間倒錯の 論理思考が必要ではなかろうか。日蓮聖人は、﹁仏在世﹂と﹁末法当今﹂という次元の異なる概念を同質となす為に、 即ち時聞を超克して次元の壁を超えるために、法華経を逆次に読む受持信行を媒体として、本門寿量の本仏の生命を 関 顕 し て 、 ﹁ 仏 在 世 の 今 ﹂ を 、 ﹁ 末 法 の 今 ﹂ へ と た ぐ り 寄 せ 、 ﹁ 在 世 は 今 ・ 今 は 在 世 ﹀ と 主 張 す る の で あ る 。 繰 返 し て 云 え ば 、 ﹁末法為正﹂と主張するのは、法華経の色読を媒体として、寿量本仏の世界に生かされていると の ﹁ 信 ﹂ の 発 露 で あ る 。 ( 39) 日連聖人は、寿量口聞で開顕された無始無終・久遠本仏の世界のことを、特に﹁本時﹂と呼称している。その久遠本 仏の性格について、﹃観心本尊抄﹄の中で、 我等己心釈尊五百盛点乃至所顕三身無始古仏也︵定遺七一二﹀ 円 過 去 ﹀ ﹁無始古仏﹂の﹁無始﹂とは、古仏が無始と云うことであって、伽耶始成の釈迦が無始だと云う と 説 明 し て い る 。 のではない。若しも、古仏が時間的に﹁無始﹂であるならば、未来も﹁無終﹂でなければならない。日蓮聖人が単に ﹁無始古仏﹂と云わないで、先の﹃本尊抄﹄の中で、寿量品の五百塵点劫という天文学的数量を鶏りて、而も、 ー寸 乃 至所顕﹂と形容認句を付して表現する意味は、伽耶始成の歴史的釈尊の寿命が永遠だと云うのではなく、仏陀となら ︵ 久 遠 の 過 去 ︶ 門 永 遠 の 未 来 ︶ れた其の寿命が久遠だと云うのである。歴史的時間を超えた無始・無終の常住不滅の存在、久遠本仏を閥顕し、その 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ︵ 町 田 ﹀
日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ︵ 町 田 ︶ い の も 本仏の生命である﹁本時﹂の中に生きたいとされたのである。 い の ち 日蓮聖人が、本仏の寿命である﹁本時﹂について、端的に言及しているのは、 ﹃ 観 心 本 尊 抄 ﹄ の 中 の 所 調 、 ﹁ 四 十 五 字 法 体 段 ﹂ の 条 り で あ る 。 p h
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J ナ リ 品 ユ 骨 占 有 a e 苛 テ ナ ’ 今 本 時 裟 婆 世 界 離 三 ニ 災 − 出 エ 四 劫 一 常 住 浄 土 。 仏 既 過 去 不 レ 滅 未 来 不 レ 生 。 所 化 以 同 体 。 此 即 己 心 三 千 具 足 三 種 世 間 也︵﹁観心本尊抄﹂定遺七一二﹀ こ の 四 十 五 文 字 の 法 体 段 に つ い て は 、 わが日蓮教団では、仏陀釈尊の久遠常住を開顕した法体段として格別に重要 と し て い る 。 さて、時機観との関わりで、特に問題とする所は、官頭の﹁今本時﹂の三文字の解釈であろう。日蓮聖人が示され るように、若し﹁本時﹂が、無始無終の絶対時間を意味しているならば、その冠頭の﹁今﹂は、 一 体 な に を 意 味 す る の で あ る う か 。 ﹁今本時﹂の読み方について、若し﹁今がそのまま︿即﹀本時﹂と読み、また﹁本時がそのまま︵即﹀今﹂と読む ︿ 裟 聾 ︶ ことが許されるならば、我々の立って居る現在が其のまま本時であり、叉、本時がそのまま現在だと、読めるのでは ないか。筆者はこの読み方が許されてよいと思っている。それは、 ﹁今本時﹂の三文字の直後に、続けて﹁裟婆世界 離 = 三 災 − 出 − 一 四 劫 − 常 住 浄 土 ﹂ と 示 し 、 更 に ﹁ 仏 既 過 去 不 レ 滅 未 来 不 レ 生 ﹂ と 云 い 、 ﹁ 大 火 所 焼 時 ・ 我 此 土 安 弘m v
等を典拠として、寂光浄土︿絶対空間﹀の思想を生み出 ︿ 却 ︶ し、また﹁我成仏己来・甚大久遠・寿命無量・阿僧紙劫・常住不滅﹂などを依拠として、久遠本時︵絶対時間︶の思 寿 量 品 の ﹁ 而 実 不 滅 度 ・ 常 住 此 説 法 ﹁ 我 常 在 此 裟 婆 世 界 ﹂ 想が生みだされているからである。以 上 の 事 か ら 、 ﹁今本時﹂とは、久遠本仏の生命に包みこまれた今、と云う事になる。随って、﹁今本時﹂の﹁今﹂ は、久遠の過去から永遠の未来に関わる、永遠の相下に観られた﹁今﹂である。そして、この﹁今﹂が﹁本時﹂と云 わ れ る の は 、 ﹁今﹂の永遠の相を示したに他ならないのである。 日蓮聖人における﹁時﹂を超える意味は、裟婆の現実をそのまま、 ﹁本時﹂と為すことである。つまり本仏の﹁本 時﹂と感応道交する、法悦の﹁信﹂の世界に在ることであった。いかに厳しい忍難色読であろうとも、 ﹁ 本 時 ﹂ と 感 応道交する一瞬、法悦の一瞬の軌跡であったならば、当に﹁今本時﹂の中に生かされていたのである。
四
結語
日蓮聖人は、所依とした﹃法華経﹄の﹁逆説法華﹂の帰結として、末法為正と論じ、 ﹁ 本 時 ﹂ の 世 界 と 感 応 道 交 す ( 41 ) る﹁今﹂に生きる法悦をかみしめたのである。 日蓮聖人の高弟・日興は、次の如く釈している。 時 安 感 応 末 良 時 也 : : : 陣 忠 告 本 時 裟 一 婆 世 界 時 也 : : : 除 若 末 法 第 五 時 昨 也 : ・ : ・ 今 日 蓮 等 之 類 酢 旦 一 南 無 妙 法 蓮 華 紘 一 者住所説也︿﹁御義口伝巻下﹂定遺二六六八所収︶ 日蓮聖人に於ける時機観とは、自己が﹁本時﹂の中に生かされているとの﹁信﹂の確かめであった。即ち、時間と ︿ 無 始 無 終 の 本 仏 の 時 間 V 空間を超えた本有の世界の内に、自己が同時同居している事の﹁信﹂の自覚でもあった。このことを、﹃観心本尊抄﹄ の﹁四十五字法体段﹂で明確にされたのである。 日蓮聖人は、末法という歴史的時間の中で、逆読法華の受持信行という実践を媒体として、実存する自己を、本仏 日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀日 蓮 聖 人 に お け る 時 機 観 ハ 町 田 ﹀ の生命たる﹁本時﹂と感応道交することで、 ﹁ 末 法 即 在 世 ﹂ ハ今本時・裟婆即寂光﹀という宗教的時間を体現してい ったのである。 ︹ 註 ︺ ︿ 1 ﹀ ﹁ 時 ﹂ ・ : 日 蓮 聖 人 の 遺 文 ︵ ﹁ 昭 和 定 本 日 蓮 聖 人 遺 文 ﹂ 全 四 巻 ・ 以 下 ﹁ 定 遺 ﹂ と 略 す ﹀ に 出 自 す る ﹁ 時 ﹂ に つ い て 、 ﹁ じ ﹂ と 音読みする出自が七回、﹁とき﹂と訓読みが二十四ケ所であるハ遺文索引 2 m 義﹂の﹁じ﹂﹁とき﹂の項参︶。この読みの 違 い は 文 章 体 裁 と 調 子 に 依 る も の で 、 ﹁ 時 ﹂ に 対 す る 認 識 の 違 い で は な い 。 ﹁ 機 ﹂ ・ : ﹁ 機 犠 ﹂ の こ と で 、 英 語 の ﹁ 宮 自 制
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﹂ の ユ ュ ア ン ス に 当 る 。 衆 生 が 内 に 秘 め て い る 可 能性・本来的能力の意である。日蓮聖人が問題とする﹁機﹂もそうした意味合いで捉えているが、特にその﹁機﹂は、個と し て の ﹁ 機 ﹂ で は な く 、 ﹁ 一 切 衆 生 ﹂ と い う ﹁ 通 機 ﹂ を 対 象 と し て い る 。 ハ 3 ︶﹁未来記﹂・:日蓮聖人にとって﹁未来記﹂とは、例えば﹃関目紗﹄の中で﹁回避なくば此一備の未来記は妄語となりぬ﹂ ︵ 定 遺 五 九 九 ﹀ と 表 現 さ れ る 事 で 明 に ﹃ 法 華 経 ﹄ を 指 し て い る 。 就 中 、 減 後 の 弘 経 を 勧 奨 し た 次 の 要 文 を 未 来 記 と 受 け と め ている。法師品﹁而此経者・如来現在・猶多怨嫉・況滅度後﹂。安楽行品﹁此法華経・能令衆生至一切知・一切世間・多怨 難 信 ﹂ 。 勧 持 品 ﹁ 有 諸 無 智 人 ・ 悪 口 周 智 等 ・ 及 加 万 杖 者 ・ ・ : 数 数 見 損 出 ・ 逮 離 於 塔 寺 ・ : ﹂ 等 の 二 十 行 偏 文 。 常 不 軽 菩 麗 品 ﹁ 而 作 是 言 ・ 我 深 敬 汝 等 ・ 不 敢 軽 慢 ・ 所 以 者 何 ・ 汝 等 皆 行 菩 麓 道 ・ 当 得 作 仏 ﹂ 0 薬 王 菩 醸 品 ﹁ 嘱 累 於 汝 我 減 度 後 ・ 後 百 歳 中 ・ 広 宣 流 布 於 閤 浮 提 無 令 断 絶 ﹂ ︿ 大 正 蔵 経 第 九 巻 付 ノ 三 六 ・ 三 九 ・ 豆0
・ 五 回 ︶ 即 ち 、 日 蓮 聖 人 の 忍 難 色 読 と 関 わ る 要 文 の こ と で あ る 。 ハ4 ﹀﹁法華経行者﹂の呼称については、日蓮聖人の遺文の臨所に於て﹁日蓮は日本第一の法華経行者也﹂︵南条兵衛七郎股御告 ・ 定 遺 三 二 七 ﹀ 。 ﹁ 日 蓮 は 日 本 第 一 の 法 華 経 の 行 者 な る 事 あ え て 疑 ひ な し ﹂ ︵ 撰 時 抄 ・ 定 遺 一O
四 八 ︶ と 自 覚 の 宣 明 に 基 づ く 所 で あ り 、 そ の 意 味 は 、 法 師 品 以 下 で 説 示 さ れ る ﹁ 菩 盛 行 者 ﹂ の こ と で あ る 。 こ の 呼 称 が 世 に 喧 伝 さ れ る に 至 っ た の は 、 姉 崎 正 治 博 士 の 名 著 ﹃ 法 華 経 の 行 者 日 蓮 ﹄ に 依 る 所 が 多 い 。 ︵5 ﹀﹁殉教の如来使﹂とは、法華経の忍難色読者﹁日蓮聖人﹂のことで、その如来使の文証は、従地涌出品﹁是四菩薩・於其衆 中 ・ 最 為 上 首 ・ 唱 導 之 師 ・ : ﹂ の 上 行 等 の 涌 現 、 如 来 神 力 品 ﹁ 爾 時 仏 告 ・ 上 行 等 菩 腫 大 衆 ・ : ﹂ の 妙 法 結 要 別 付 嘱 の 勧 奨 文 に 求 め 、 そ の 内 証 は ﹃ 開 目 紗 ﹄ ︿ 定 遺 六O
一 ﹀ 。 ﹃ 法 華 取 要 抄 ﹄ ハ 定 遺 八 一 二l
八 一 五 ﹀ 。 ﹃ 骨 谷 入 道 服 許 御 密 ﹄ ︵ 定 遺 九 の む ︶ 。 ﹃ 顕 仏 未 来 記 ﹄ ︿ 定 遺 七 三 九 ﹀ 。 ﹃ 法 華 行 者 値 難 事 ﹄ ︿ 定 遺 七 九 八 ﹀ 等 に 示 さ れ る 。 田 村 芳 朗 教 授 の ﹃ 日 蓮l
殉 教 の 如 来 使 ﹄ ︿ 2 ﹀ ( 42 )ハ 6 ︶ ハ 7 ﹀ ハ 8 ﹀ ︿ 9 ﹀ ハ 却 ﹀ ︵ U ﹀ ハ ロ ﹀ ハ 日 ﹀ ハ U ﹀ ハ 路 ﹀ ハ 路 ﹀ ︿ NHK ブックス︶にも副題として用いられているが、筆者が特に﹁殉教﹂の意味を強調したいのは、イエスの十字架上の 犠牲、使徒達の殉教と対比して、日蓮聖人の忍難慈勝の信に生きた色読の軌跡を鎖仰せんが為である。 撰 時 抄 ・ 定 遺 一