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系統農協の農村管理体制への発展(7) : 1970年代の日本の農業問題(8)

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系統農協の農村管理体制への発展(7)

1

9

7

0

(

8

)

Agricultural Problem of Japan in the 1970's (8)

Masahisa Suganuma

目 次 Ⅰ 序 説,.農協の理論的解明の課題 ⅠⅠ 農村 の変貌 と農協組織 ⅠⅠⅠ 農村経済の変化 と農協運営

I

V

流通機構 としての系統農協

(

1

)

農村経済 と流通問題 (2) 系統農協 と農村流通

(

3

)

農協連合会 (以上,前号 まで連載)

(

4

)

連合会経済の系列下 の農協 (以上,本号掲載)

農村管理体制-の発展 以上

流通機構 としての系統農協

(

4

)

連 合 会経 済 の系 列 下 の農 協

1

系統 関係の系列関係への転化 肥大 し独 占的地位 に立 った連 合会経 済 の も と で,農協 における系統関係は系列的関係 に転化 し た とみ る ことがで きる。 この系列関係はすでに, 信用事業 ,共済事業の分野では早期 に存在 し,食 糧管理制 度 の もとでの米販事業 の分野 で も成 立 し, また 「肥料 カルテル法」 と称 され る 「肥料価 格安定等臨時措置法」 の もとでの肥料購買事業 で も成立 していた。 これを云 い換 えると,従来 の系統関係 とい う慣 用語 のなかに, ここでい う系列関係が包含 され て いた。その系列関係は事業種類 によって濃淡の程 度 の差 はあれ,連合会 の農協 に対す る優位 は法律 上,行政指導上保障 されていた。 あ るいは連合会 は政府 に働 らきかけて,与党 の協力 を得て,その よ うな立法 と行政指導 を実現 した。そ して法律上, 行政指導上の保障の もとで,各事業分野 における 連合会の巨大 な事業量 を保有 し, 巨額 な事業収益 による資本蓄積 を達成 した。 以上 の経過 にもかかわ らず,系統関係が系列関 係に転化 した とみ るのは,必 らず Lも法律 と行政 指導 に依存 しない事業分野 において,法律 と行政 指導 とい う手段 に依存 しない手法 に よって,つ ま り主 として経済的手法 によって,連合会事業が肥 大化,農協 に対す る独 占的地位を保有 し,農協 を 連合会 の系列関係の もとに置 く状況が出現 したか らであ る。その系列関係は しばしば商社 の農家 に 対す る垂直的統合 との対抗 関係 の なかで発展 し た。 そ うした新 たな系列関係の発展 を象徴す るも のは,配合飼料

,A

コープ印生活資材 などの購買 品の流通であ り,畜産物,青果物 な どの販売品の 流通 である。 連合会 と農協 の新たな関係 としての系列関係の 背骨 をなすのは,系統農協 の 「総 合3カ年計画」 (1971年∼73年)が提示 した 「農畜産物 の生産販売 一貫体制」であ り, また 「系統農協 を一貫す る総 合的 な物的流通管理体制」である。 「第2次総合 3 カ年計画」(1974-76年)は前者 について訂正を加 え

,

「営農団地 を軸 とす る生産販売一貫体制 の強 化」 と改め,連合会 の承認 を得た登録営農団地 を 提唱 し,連合会 が直接 に営農集団を掌握 して,辛 業運営 の基礎 とす る道 を開いた。 この種 の流通体制,物的流通管理体制が発展す るにつれて,系統農協 において全 国連合会 を起点 とした価格が貫徹す るよ うにな り,系統農協 は全 国連合会を頂点 として農協 にいた る価格転嫁機構 となる。いわゆ る 「全農建値」 は この価格転嫁機 構 の特質を体現 した もので,配合飼料,化学肥料,

(2)

農薬,Aコープ印生活資材 などの購買品,肉畜, 鶏卵 な どの販売 品について示 されている。全農建 値 は系統内流通 の各段階において, これに経済連 手数料が加算 もしくは控除 されて,農協 の仕入れ 支払価格 もしくは販売受取価格が形成 される。 全農建値 はその形成 において商系価格 と競争関 係にあるが,全農か ら農協 にいた る系統 内流通 に おいては非競争的価格,一種 の独 占価格 として形 成 され る。そ して農協 と農家のあいだの取引段階 において再 び商系価格 と競争関係に入 りこみ,そ の優劣が問われ ることになる。系統内流通におけ る価格 の非競争的形成 を前提 とし,事後 の価格修 正が加わ らない と前提す ると,農協 は価格の優劣 の結果を負担す るものでなければならない。具体 的 には農協 は仕入価格 (購買品) もしくは受取価 格 (販売品) に利潤 (事業直接費,事業管理費お よび純利益をふ くむ) を加算 もしくは控除す るこ とがで きない場合,そ こか ら生ず る欠損を処理 し うるものでなけれ ばな らない。 これは連合会 の系 列関係 に置 かれた農協 が回避 で きない負担 であ る。農協 によるこの種 の欠損 の処理 は,部門別損 益計算の方法 によると,金融事業純利益 の充当に 待つ。 また,農協 における欠損の処理 は,労働生 産性 の向上 に よる支 出費用 の節 約志 向を生 み, 1960年代か ら70年代 にかけて進展 した農協合併に 論拠 を与 えた。 農協 における系統関係の系列関係への転化 は, 食糧管理制度 に代表 され る立法上,行政指導上 の 系列関係 と経済的事情 による系列関係が合流す る ことによって進行 した。その所産 は系列型農協の 出現である。系列型農協の特徴 は,事業上 におけ る連合会利用率 の高水準 と自立的商業的政構 の退 化傾 向であ り, また,連合会事業 に追随 した事業 選択 の傾 向であ る。 この傾 向は農協事業 の農家経 済か らの串離をひき起 こすのであ るが,逆 に,逮 合会追随の事業 にたいす る農家経済の追随をひき 起 こす場合 もあ りうる。 農協 の連合会系列関係への編入 は,連合会 によ って積極的に促進 された。登録営農団地制度 はそ の一つの典型であ る。 この制度 は第2次総合3カ 年計画 に もとづいて設 けられたが,その主眼 は, 「農協 (団地)における計画生産,出荷 と連合会 に よる責任販売の機能 を結合す ることによ り,系統 農協 の畜産 事業 の基盤 とな る事業方式 を確保す る」 ことであった。 また,登録団地 はすべて県登 録団地,全 国登錠団地のいずれかにぞ くし,それ ぞれ県連 もしくは全国連 の販売 に直結す る(1975 年4月,農畜産物生産流通 基本対策本部 「今後 の 畜産登録団地制度の推進 につ いて」)。畜産登録団 地 は 「系統農協 の畜産事業 の基盤」をなす もので あって,連合会 の直接的 な系列下 に置かれ,農協 は単 なる事務機構 と化す こ とになる。 連合会系列型の農協の特 徴 は, いわゆる農協農 政活動 の 自己規制 において顕著である。1974年産 米の生産者米価要求の農民運動 はかつてな く高揚 し,農協 をまき込 んだかた ちで進展 した。 とくに 宮城県大崎地方 をはじめ とす る東北6県,北蒲原, 三市 中蒲原お よび上越地方 を拠点 とした新潟県に おいては,高揚す る農民の米価要求運動を背景 に して,一部の農協 において農協組合長が政府委託 保管米の出庫拒否戦術を実 行 した。 これを違法 と す る農協中央機関 と戦術上 の対立 を深めた。全国 農協中央会 は同年9月か ら半年間 の討議をふまえ て,75年2月理事会で 「農協農政活動体制 の整備 強化方針」 を決定 した。 決定 は 「農協農政活動の性格」 をつ ぎの ように 規 定 した。「本 来,農業協 同組合 は農業者がその 政 治 ・宗教 的信条 のいか ん にかかわ らず, 自ら の農業生産及 び生活面の経 済活動 を協 同 して行 う ことによ り,その経済的 ・社会的地位 の向上をは か ることを 目的 として,法 律 に基づ き組織 された 経済団体であ り,その農政 活動 は農協 の協 同活動 の一環 をなす ものである。 今 日,農業者が抱 える経 済的困難 は,政治によ らね は解決 しえないものが多 く,農業者がその解 決を 自らの組織体である農業協同組合 に期待す る のは当然であるが,経済団体 であ る農業協 同組合 と,政治活動を主 とす る農 民組織 を同一視 して, 農業協 同組合に農民組織 と同様の活動 と期待を求 め ることは,事態を正 しく解決す る方向に導 くも のにはな らない」。 決定 は農政活動の原則 として,農政 は 「政府, 国会にかかわ る全国的な課 題 につ いて,系統農協 一体 の全国統一運動の展開 に よって,その解決 を ほか る」 として,中央機関 の指導的地位 と運動の 統制 を明 らかにした。運動 の統制 に関 しては

,

「そ

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の運動方法 は農協 の組織 目的を達成す ることが基 本であるこ とに鑑み,組織 の破壊や農協 の経済活 動 に著 しい障害を もた らす ものはとらない」 とし た 。 農協組合長 による出庫拒否手段 を用いた生産米 価要求運動 は,従来の農協中央機関の主催す る米 価大会 な どの運動が,要求貫徹 の決め手を欠 く陳 情 に終始 した欠陥を批判 し, また,農協中央機関 それ 自体を批判す るものであった。 したが って, 米価要求 とい う 「全国的 な課題」の運動であった が, はじめか ら 「系統農協一体の全国統一運動」 ではなかった。 この農協 と農民の自発的な運動形 態 は,農協 中央機関に とって青天の霞産であった。 そ して農協 中央機関は, この運動が提起 した要 求 貫徹 の決め手 を明 らかにす るか,それ ともこの運 動を抑 えて従来 の運動方法を墨守す るかの,二者 択一 の立場 に立た されたのであ るが,予想 された よ うに後者 を選択 した。 む しろ この運動を 「組織の破壊や農協の経済活 動 に著 しい障害を もた らす もの」 と見 なして,運 動 における 「責任ある運動体制」の名 目によって 統制色の濃 い 「農協農政活動体制 の整備」 を決定 した.運動 は中央機関の主導す る 「系統農協一体 の全国統一運動」でなければならなかった。 これ はすでに着手 された 「第2次総合 3カ年計画」 が 一面では,肥大化 し独 占的地位 を強めた連合会経 済の要求に こた えた系列的 な系統農協の出現を期 待 した もの と軌 を一 に した ものである。 しか し,反面では 「第 2次総合 3カ年計画」 が 「全組合員 の創意ある参加 と,全組織 の積極的実践 の組織運動」 を よびかけた ことに反 し,その参加 を農協中央機関の主導す る 「系統農協一体 の全国 統一運動」 の枠 に とどめ,組合員農家の創意を拒 む ことになった。 この意味で全国農協中央会理事 会 の決定 は,経済事業 における系統農協の系列的 関係に照応 して,農政運動 もまた中央機関主導 の 「全国統一運動」でなければならない ことを鮮明に した ものであ る。 系統農協 の組織問題 として,農協の全国連合会 (全農,全国共済連)への直接加入を看過で きない。 農協 の全国連合会加入問題 は1966年8月,大規模 農協協議会 が加入申込書 を提出 して以来,すで に 9年 を経過 した。1973年10月の第13回全国農協大 会の決定にもとず いて,全国中央会総合審議会 は 農協制度問題検討専門委員会 に解決方策 の検討 を 託 した。総合審議会は1975年3月に 「農協 の全国 連直接加入について」 (答 申)を決定 した。 答申は加入の 目的について

,

「農協,県連,全国 遵問の意思疎通 の緊密化 と各段階機能 の有機的結 合によ り,組合員農家の経済的利益 の増大 をはか ること」 とし,それに 「加入農協 は当分の間,全 国連施設 (事業) の直接利用 は原則 として行 なわ ない」という条件 を付 した。この加入 は認 めるが事 業利用関係は変更 しない とす る措置 は,「直接的 な 事業利用のない加入,全国連運営への意思反映の 加入で よろ しい とい うのが組織の大勢であった」 (国井守正全中組織部長

,

F農業協同組合11975年 4月号)こと, また 「直接加入が系統組織3段階制 を前提 とした ものであ り, また主た る加入 目的が 意思疎通の組織 の確立,民主的運営 の徹底 にあ る こと」(国井守正,同前)な どによるもの と説明 さ れた。 農協 の全国達直接加入 は,組織3段階制 に照応 した事業利用3段階制 の流通経済上 の不 合理 を是 正 し

,

「系統事業方式 の合理化」(前出,答申) を ほかることに意義 があった。 しか し,総審の答申 はこの点について,「系統事業方式合理化方策 の策 定」 は 「系統組織 の事業2段階制指向を前提 とす るものではな

」 とい う説 明を補足 した。その結 果,組織形態 としては「連合会の連合会」(県連が 全国連 の会員 となる) とい う組織上,事業上 の制 度が残 ることになった。 「連合会の連合会」とい う制度は,全国連合会の 上級か ら下級-の事業推進 にとっては存在の意義 があるとしても,農協 による下級か ら上級への事 業集積 としては必 らず Lも必要ではない。 したが って

,

「直接的 な事業利用 のない加入」は,単 に組 織制度 に変更を加 えないだけのものではな く,全 国連合会の系列下 の農協 にたいして事業 を推進す るにあたって,県連合会 のはたす機能を積極的 に 保存す る措置であ った と云 える。「直接的 な事業利 用 のない加入」 は,当初か ら加入行為 を空洞化す るものであったが,加入をつ うじて 「全 国連合会 問題」が農協の視野に入 った ことは,長期的にみ ると一定の意義 を有す るとみ るべ きであろ う。

(4)

2

中央機関主導 の農協合併 農協合併 の推進過程 1961年 に施行 された農協 合併助成法 による合併 は

, 5

次 にわた る法 の延長 をへて,1981年 度末を以 って終了 した。 その間 に 総合農協数 は1960年度末12,050組合か ら,1981年 度末4,473組合へ約3分 の 1に減少 した。1組合平 均 の組合員規模 は約3倍 に拡大 し,正組合員戸数 は471戸か ら1,136戸 となった。職員数 は13.5人か ら64.2人 となった。全国農協 についてその総数 を み ると,1960年 度末 には正組合員数5,780,308人, 5,072,240戸,准組合員732,270人,23,413団体, 職員145,642人であ った。1981年度末 には,正組合 員5,619,705人,5,071,182戸,6,069団体,准組合 員2,242,378人,62,320団体,職員数286,539人 と なった。 この20年 間に総合農協 は1組合 当 り平均 規模 が拡大 し, またその組織構成員 の絶対数 も増 加 した。正組合員戸数 は減少 したが,団体数 は増 加 し,准組合員 は人数,団体 ともに増加 した。 農協合併 は農協 合併助成法 に もとづ く推進 とし ては,1961年度 には じま り,1981年度 に終 る20年 を経過 した。 それ には前史 があった。1956年度か ら58年度 まで に指定 を した「農協整備特別措置法

(1956年 5月施行)に よる合併であ る。 3年間に 453組合が 合併 して198組合 の合併農協 が生 まれた。 法 の主 旨か ら云 うと

,

「農協再建整備法」(1951年 ・3月) の延長 であ り,合併措置 に よって不振組合 (1955年 当時,推定1,075組合)の再建 を はか ろ う とす るも のであ った。 第1期,行政主導 の農協合併 (1961年度∼1968 年度)0

5

年時限法 としての農協合併助成法 の施行 には じま り,法 の第1次延長 (1966年度∼1968年 1961 - 81年度の農協合併の実績 年 度 合併件数 合併組合数 うち専門農協 年度末組合数 前年比増減 備 考 1960 - - - 12,050 -1961 137 541 6 ll.586 △ 3.9 農協合併助成法施行 1962 210 912 10 10,813 ・△ 6.7 1961.4.1- 1966.3.31 1963 216 967 12 10,083 △ 6.8 1964 237 1,066 18 9,135 △ 5.4 1965 578 2,599 34 7,320 △ 19.9 1966 35 135 15 7,209 △ 1ー5 1966.5.9- 1969.3.31 1967 58 169 3 7,074 △ 1.9 法第1次改正 1968 218 829 8 6,470 △ 8.5 1969 99 378 7 6,185 △ 4.4 1970.5.23- 1972.3.31 1970 42 162 2 6.049 △ 2.2 法第2次改正、自主合併 1971 102 439 5 5.688 △ 6.0 1972 101 393 2 5,488 △ 3.5 1972.3.22- 1975.3.31 1973 67 286 4 5,198 △ 5.3 法第3次改正 1974 119 434

0

4.942 △ 4.9 1975 60 225 5 4,803 △ 2.2 1975.3.31- 1978.3.31 1976 25 65

0

4,763 △ 0.8 法第4次改正 1977 56 160 3 4.657 △ 2.2 1978 53 148 1 4,583 △ 1.6 1979 ll 32 1 4,546 △ 0.8 1980 18 54 3 4,528 △ 0.4 1980.3.21- 1982.3.31 1981 35 85

0

4,473 △ 2.2 法第5次改正 注 1・農水省 「合併農協の概況」による。 1978年以降は.各年度発表による。 2.年度末組合数は農水省 「虚業協同組合等現在数統計」による.

(5)

皮)の期限終了 にいた る8年間である。農業基本 法 の施行 とそれに ともな う農業構造改善事業 の実 施 にみ るよ うに,農業近代化政策が農政の基本 と な り,行政庁が前面 に出た時期であった。農協合 併 は近代化 農政 の主要 な骨格をなす もの として位 置づけられ,行政庁 (農林省,府県庁)主導 によ って促進 された。当時,全国中央会 は農協合併, と くに法律 による促進 には消極的であった。 農協合併助成法 は 「町村合併促進法」(1953年) と異 な り一,助成法 (税法上の減免 と事務費助成) であって促進法ではない。法 の建前 は助成法であ ったが,農林省,府県庁 は促進的であった。農林 省 は法施行 の

5

カ年期限内に,「経営組織上か らも 事業経営 上 か らも,少 な くとも正組合員戸数 が 1,000戸以上」を標準 とし,すでに正組合員戸数 1,500戸以上 の組合,1市町村1組合 となっている 組合,山村地帯 など特殊 な立地条件下にある組合 を除いて,約7,000組合を対象 として合併を促進 し た。 その結果,合併 は進展 して法の期限切れ となる 1966年3月末 までに6,035組合が合併 に参加 して, 1,378組合 の合併農協が成立 した。この実績 に立 っ て農林省 は 「当初計画のほぼ90%の組合が法の適 用 を受けて合併 し,おおむね所期の 目的を達成 し た」(1966年6月2日,事務次官)とす る見解 を明 らかにした。農協中央機関 は当初,法 による合併 促進 に消極的であったが,官側主導 によって合併 が進展す るにつれて,態度の表明に迫 られた。全 国農協中央会「単協合併の方針 について」(1963年 7月23日) は,合併 について基本的見解を明 らか に した ものであ る。 (1) 経済 の高度成長 の もとで農家 と他産業従事 者 の所得 を均衡す るた めに,農業の規模拡大,協 業経営 な ど合理化 に努め る必要がある。(2)農協 がそ うした機能 を発揮す るには,山村,漁村,平 野部,都市近 郊な どの条件 に応 じて規模を拡大 し, 事業基盤 と資本装備 の拡充,経営管理の高度化 を はか る必要 がある。 (3) 合併 は協同組合の原則 を 基本 とし, 自主的 に決定す る。 (4) 農協の規模 は 組合員の意志 の反映で きる範囲を 目途 とす る。そ れ はおおむね経済圏 と行政区域 (1市町村 ない し 数町村) の一致す るところである

(F農協年鑑

1964年,p.86)

0

農協中央機関は農林省が とった法律 にもとづ く 合併 を終結す る態度 とは対照的に,法 の延長に よ る合併促進 とい う態度を表明 した。1966年5月9 日,同法 は農林省が議会-の提案を拒否 したため, 議員立法 として提出 され,1969年3月末 まで延長 され ることになった。全国農協中央会 は1966年5 月

4

,

「農協合併助成法 の一部改正 を契機 とす る 合併指導 について」意見 をまとめ,次のよ うな指 導方針を明らかにした。

(

1

)

組合事業 の拡充,開発,経営 の合理化,系 統組織 の整備 のため, 3年間に同規模程度 の単協 を府県別 に均衡が とれ るよ うに整備す る。 (2)組 合員経済を組合 に結集す るため,営農 田地の造成, 生活事業 の推進, ならびにこれを基盤 に した長期 計画運動を通 じて,合併 の実効をあげる

。(

3

) 3

カ年後 に合併農協が府県総合農協 数の過半数 を占 めることを目標 とする

。(

r

農協年鑑11967年版,p. 46)

0

農協合併問題の核心 は規模問題であ る。 この規 模問題 は合併問題 の きっか け とな った町村合 併 (1953)以来,組合員戸数,職員数,資本金額のい ずれを指標す るかの論争 の経過 に照 らして考察す ると,農林省は当初か ら正組合員戸数1,000戸説 を とっていたが, これは事実上 は町村区域規模の別 の平均的 な表現であ り, したがって行政区域準拠 を方針 とす るものであった。 これ と比べて全国中 央会 は 「協同組合の原則を基本 とす る」立場に立 ち,行政区域準拠 を極力回避 した。「組合員の意志 の反映で きる範囲」 と 「経営 の安定 を確保できる 範囲」とい う二つの指標を挙 げたが

,

「経済圏 と行 政区域 (1市町村 ない し数町村) の一致す るとこ ろ」 とな り,農林省方針 と比べてはるかに大規模 の合併 を志向す るかにみ えた。 しか し一般的には 事実上 「行政区域」準拠であ って,農林省方針 に 追随す る結果 となった。 農協合併の第1期には,7,218農協 (うち専門農 協107組合)が合併 して1,689の合併農協 が生まれ た。 その結果,総合農協数 は1960年度末12,050組 合か ら1968年度末6,470組合に減少 した。合併20年 の期間のなかで,農林省,各府県庁主導 によって もっとも急速 に合併が進行 した時期 であ った。 第2期,広 域 合 併 の 促 進 (1969年 度∼1974年

(6)

皮)。全国中央会 が合併 に積極的 にな り

,

「自主合 併運動」を呼びかけたのにはじま り,助成法第

2

次延長 (1970年5月∼1972年3月),第3次延長 (1972年4月∼1975年3月)の期間をふ くみ,系統 農協の2次の総合3カ年計画(1次,1971年度∼73 年度, 2次,1974年度∼76年度)をふ くむ時期で ある。農協合併 について農林省,府県庁,府県中 央会 と比べて数歩 の立ちお くれを とった全国中央 会 は,漸や く合併促進の方針 と措置を定めて合併 促進 にの り出 した。全国農協中央会理事会 は1969 年11月25日 「農協 の合併方針について」を決定 し, 1970年度か ら75年度 にいた る5カ年 を 「自主合併 運動」と性格づけた。「はげ しく変化す る経済,農 業情勢のもとでは,農協が 自らの体質を強め活動 を活発 にし,本来の機能 と役割を果す体制整備」 が 自主合併の本 旨であって,その必要性をつ ぎの よ うに説明 した。. (1) 現在多数 の小規模農協が存在 し,経済的基 醍,執行体制 ともに弱小であ り,各種事業 を専門 的かつ総合 して運営す る経営体制 を右 しない。 (2) 合併の進行につれて農協間の経営規模格差が拡大 し, これが農協 の事業方式,経営管理 に質的差異 を もた らす とともに,農協 の事業活動を補充す る 連合会 の対応が不十分であることと相 まって,系 統事業 の効率化 を妨 げる要因 となった。 (3) 農村 地域の農協 の組織,事業活動は基幹作 目を中心 と す る計画生産, 出荷の体制強化が必要である。全 体的 な都市化のなかで,地域の実態 に応 じて,級 合員の生活向上 の活動が必要であ る。 このために は合併 による組織 の整備強化が必要である。 つ ぎに注 目すべ きことは全中理事会決定が,農 協合併 と合わせ て連合会の改革を提起 した ことで ある。すなわち

,

「系統農協 は今後 自主合併 を基本 とし,系統農協組織 の強い連帯意識 のもとに農協 の合併 を推進 し, これを基礎 として系統農協 の組 織,事業の整備を行 う」。そ して合併規模 もやがて 整備 され る連合会の組織,事業 との関連で捉起 さ れた よ うで,次の如 くであ る。 (1) 小規模農協 を解消 し農協 の事業活動,経営 体制 の全般的水準向上をはか る

。(

2

)

合併の規模 は地域 の条件 を考慮 し,同一経済圏ない しは生活 圏の範囲 とし,行政区域 との関係 は

1

市町 ない し は数市町村の範 囲 とす る。農村地域農協 は営農団 地造成規模を 目途 とす る。 合併規模の基準を営農団地造成規模 に もとめた ことは重要である。第

1

に造成 された営農団地規 模が大 きく,それに見合 って農協 の合併規模 も相 当大 き くなるか らである。例 えば1970年3月末の 全中 とりまとめによると,すでに造成 された稲作 モデル営農団地 は,総合団地 をふ くめて41団地, 13万9,064ha,関係農協141組合であった。1団地平 均で3.4農協,3,392haとなる

(

F農協年鑑』1971年 版,p.39)。第2は,農協合併が連合会の組織制度, 事業体制 の改革 と結 びつ き, さらに農業改革 とし ての営農団地造成 とも結 びついて提起 されたか ら であ る。この三者関連 の構想 は,「総合3カ年計画」 の骨格 となった 「生産販売一貫体制」の思想 に由 来 した よ うである。 全国中央会 は1970年7月6日,合併助成法の2 カ年延長 の決定にさい し,「今後 の合併指導 につい て」の方針を明 らかにし,合併規模の 目標 をよ り 具体的 に しめ した。(1) 農協 の規模 は正組合員戸 数2,000戸以上6,000戸の範囲 とし,職員数100名以 上 とし,各種事業 を専門的かつ総合 して運営す る 体制 を確保す る。 (2) 行政区域 との関係では市町 村未満農協 を解消す る

。(

3

)

数市町村 を区域 とす る合併 は,地域 内の組合員の経済,営農団地の造 成,都市化地帯の信用事業 の体制整備 を検討 し, 農協 の経済的基盤並 びに事業活動が適切 に行 なわ れ る範囲 とす る。なお,行政区域を分 ける合併 は 避 ける

(

F農協年鑑』1971年版,p.113)0 全国中央会 は前述 のよ うに1966年5月の当時, 行政区域準拠 の合併を回避 し

,

「組合員 の意志 の反 映で きる範囲」の合併を提唱 したが

,

「自主的合併 5カ年運動」 にさい しては,行政区域 に準拠 した 広域合併 に傾斜 した感が強い。 この点で 「総合3 カ年計画」はその主要施策の第5,組織 ・経営の 充実強化 において,合併規模 目標の根拠を明解 に しめ した。「合併の規模は地域の条件 を考慮 し,同 一経済圏ない し生活圏の範囲 とし,行政区域 との 関係 は1市町村 ない し数市町村の範囲 とす る。 と くに農村地域の農協 にあっては営農団地規模を 目 途 とす る

(F農協年鑑』1972年,p.390)0 「自主合併」推進 による農協合併 は,一面では

「1

町村

1

組合」原則の合併であったが,反面では広 域市田,数町村,郡区域 にわた る広域合併であ っ

(7)

た。 その基調 に行政区域準拠 の思想が作用 した こ とは看過で きない。総 じて

1

9

5

3

年の町村合併以来, 行政区域拡大 が先行 し,農協設立区域 と轟離 した が, その轟離 を解消 して

「1

町村 1組合」原則 を 回復 す る志 向が強 く作 用 した と云 うことがで き る。 しか し, いわゆる広域合併 にはそれ とは異質 の志 向が作用 した とみ るべ きであろ う。広域合併 構想 は主 として府県庁,府県中央会の合併担当職 員 の問か ら生 まれ,全国中央会 の構想 に影響 して, 次第 に一つ の潮流を形成 した。その潮流 は農林省 に波及 し,助成法第

3

次延長

(

1

9

7

2

3

-1

9

7

5

年 3月) による合併推進の一 つの指導思想 と化 した。 広域合併 の思想は,各府県中央会が立案 した当 時 の合併推進計画 (大部分が

1

9

7

4

年度未完成を 目 途 とす る) にみ ることがで きる

。1

9

72年

5

月の全 国中央会 の集約 によると,推進計画完成後の全国 農協数 は

1,

9

5

1

組合

(

1

9

7

4

年度末 の実際は

4,

9

4

2

組 令)

, 1

組合平均組合員数

3,

7

0

7

人(正組合員

3,

0

1

0

人),職員数

1

2

7

人 と予想 された。全国中央会理事 会 は

1,

9

72年

5

2

3

日,広域合併構想 の時流 にの り,助成法第

3

次合併 にさい し

,

「今後の農協合併 について」 を決定 した。 この決定の骨子 は次の と お りである。 (1) 農協 合併 の態様については,農村地域 にお いてほ,営農団地 (作 目複合団地)区域での合併 をすすめ,営農団地造成 の担い手た る広域農協 を 育成す る。都市化地域においては,農業 の確立 と 地域協 同活動 の展開に主体的 に取組み うる広域的 な農協 を育成す る

。(

2

)

広域農協合併の推進 につ いては,農協合併の進捗状況 など都道府県の実情 によ り,(7) 行政区域単位 の合併をすすめ,つい で広域農協合併をすすめ る段階的推進, (1) 行政 区域単位の合併 と広域農協合併 の並行的推進,(ラ) 広 域農協合 併 の推進 のいず れ か の方法 を選択す る。 (3) 合併経営計画の策定 にあた っては,農業 基本構想お よび生活基本構想を軸 として総合3カ 年 の主要施策 を も り込み,合併経営計画を もって 総合3カ年計画 とす ることに努め る。 農林省 も全 国中央会の働 らきかけを受けて,広域 合併構想の潮流に乗った。助成法第3次延長 による 農協合併推進 にさい し,全国中央会 は農林省に広 域合併を指導す るように求めたが,農林省 は

1

9

7

2

5

1

0

日,農政局長通達 を以 ってそれに答 えて, 従来 の正組合員戸数

1,

0

0

0

戸 を 目安 とす る合併規 模 を訂正 した。 「最近 における一般経済の発展,通信交通検閲の 発達,農産物流通市場 の拡大,市町村合併 などに ついて,農村 において も社会経済圏等 がいちじる し く拡大 されていることに ともない, よ りいっそ う規模 の拡大 をはかることが必要 となっていると ともに, こんごの農業生産,流通の発展方 向に即 応す るためには生産,流通 の団地的整備 と有機的 関連 を もって適正かつ能率的 な事業経営 を行 うこ とがで きるよ うに組合 を育成す ることが必要であ る。 このため合併の推進 にあた っては,合併後 の 組合の区域 は少な くとも市町村の区域 を下 らない ことを原則 とす るとともに, こんごの社会的,経 済的諸条件の進展 と相 まって,広域 にわた る範囲 の区域 となるよ う努め ること

」(

F農協年鑑

』1

9

7

3

年版

,p.

9

3

-9

4

)

。 全国中央会,農林省 ともに, 全国中央会,農林省 ともに,営農団地 とくに広 域営農団地の区域 に準拠 した広域農協合併 を提唱 した。営農団地 は全国連合会 を頂点 とした 「生産 販売一貫体制」の末端単位 をなす ものであるが, 稲作団地,青果物団地,畜産団地 とい う作 目によ って規模 に大小がある。広域営農団地 は主たる事 業が流通加工施設の広域利用であ り, その規模 は 施設の処理能力 (みかん選果所

1,

0

0

0

h

a

,食肉処理 所,肉豚

1

5

0

0

頭,食鶏年間処理

1

0

0

万羽 な ど)に 左右 され,その利用農協の範囲は数組合,郡一 円, さらには県一 円が予想 され る。いずれ にせ よ広域 合併 である。 合併農協 の適正規模を規定す る基準 と合併構想 は帰す るところ,社会経済 の変化,行政区域の変 化 な どの諸事情 に対 して,主 として農協合併を以 て対処 し適応す るか,それ とも主 としては連合会 事業体制 の改革を以て適応す るかである。「農協整 備特別措置法」以来の農林省の合併構想 は,基本 的 には不振組合対策であ り,経営論 に由来す る合 併であった。 そ して規模拡大 の限度 は行政区域範 囲であった。 その限 りでは,農林省の合併構想 に は連合会 の組織,事業体制 の改革 とい う問題 は介 在す る余地がなか った と云 える。 しか し,全国中央会 の合併構想 は合併助成法の 第一次延長

(

1

9

6

6

5

月)にさい しての見解

,

「組 合事業 の拡充,開発,経営 の合理化,系統組織 の

(8)

整備 を積極的 に実現す るため, この3年間に同規 模程度 の単協 を府県別 に均衡 が とれ るよう整備す る

(F農協年

j1967年版,p.46)にみ るよ うに, 事業,経営,連合会制度 な ど多岐 にわた る問題を 内包す るものであ った。 そ して 「自主合併

5

カ年 運動」 にさい して,農協合併が連合会整備,営農 団地造成 と連動 して提起 され るに及 んで,全国中 央会 の合併構想 はよ り複雑性 を増 した感があるo この全国中央会 の構想 にそ くして云 うな らば, 組合員の技術,経済問題 をふ くむ社会経済の変化 に対 して,系統農協 は主 として農協合併を以て対 処 し,合併農協 との関連で連合会 の組織,事業体 制 を改革す るのか,それ とも農協 は組合員農家 と の組織関係の緊密化 につ とめ,社会経済の変化 に 由来す る諸課題 は,主 として連合会事業 の強化を 以て対処す るのか, とい う基本的問題があった。 しか し, この基本的 な選択 にかかわ る問題 につい ては, いわば先験的 に前者の道,農協合併 の促進 策 が とられた。 これは1953年町村合併 にさい して の全国指導連 の幹部取員の農協規模拡大 -合併の 構想,農林省の不振組合対策 としての農協合併の 構想以来,後者 の道 は議論 されなか った とい う歴 史的経過が有力 に作用 したか らであろ う。そ うで あった として も不振組合対策 としての合併 と,そ の後捉起 された事業,経営の発展策 としての合併 とでは,農協合併が解決すべ き課題が異なるので あるか ら,事業,経営 の発展策 を主 として農協合 併 に期待す るか,あるいは主 として連合会事業体 制 の整備 に期待す るかの論議 と選択 は欠 くことが で きなかったはずであ る。 「自主合併」の旗 じるLをかかげてはじま.り,級 半 に 「広域合併」を 日硬 とした,第2期農協合併 は6年間に2,092組合 (うち専門農協20組合)の参 加 を得 て530組合の合併農協 が生 まれた。平均3.9 組合 の合併であ り, 1年 当 り106件 の合併 であ っ た。これは1961年∼68年度 に平均4.2組合合併,1 年 当 り

2

11件の合併 であったの と比べて,進度 も遅 くな り,合併規模 も小 さ くなった と云 える。ちな み に1974年度末 の農協数 は4,942組合で,1960年度 末 と比べて

7,

1

0

8

組合 の減少 とな った。 しか し, 1961年度か ら1974年度 にいた る期間の合併農協 は 2,219組合であ って,1974年度末4,942組合の うち 2,723組合が合併 しない従来 の ままの農協 であ っ て,その うち500戸未満 の小規模農協 が1,700組合 を数 えた。 総合農協の正組合員戸数規模別組合数 (単位 :組合,%) 年 度 農協総数(A)500戸未満(B)3000戸以上 B/A C/Atc) 1969 6,083 2,555 238 42.0 i.9 1970 5,996 2,501 232 41.7 3.9 1971 5,799 2.345 235 40.4 4.1. 1972 5,485 2,095 268_ 38.2 4.9 1973 5,267 1.949 286 37.0 5.4 1974 4,991 1,782 301 35.7 6.0 1975 4,765 '1,634 316 34.3 6.6 1976 4,716 1.621 318 34.4 6.7 1977 4,648 1,593 314 35.0 6.8 1978 4,535 I.514 332 33.4 7.3 1979 4,519 1,504 332 33.3 7.3 1980 4,488 1,500 331 33.4 7.4 1981 4,464 1,481 334 33.2 7.4 幽 農林水産省F総合農協統計表」による. 行政庁,全国 と府県の中央会が ともに広域合併 に傾斜 した1972-73年度 の時期 には,正組合員戸 数3,000戸以上の合併農協 が輩出 した。r総合農協 統計表 」によると,1972年度末268組合 (前年比33 組合増),1973年度末286組合 (前年比18組合増), 1974年度末301組合 (前年 比15組合増),1975年度 末316組合 (前年比15組合増)であって,総合農協 に しめ る割合 も4.9%か ら6.6%に高 くなった。他 方,小規模農協 と云あれ る500戸未満農協 は38.2% か ら34.3%-低下 した。 これが農協 の規模格差 の 拡大 といわれ る現象であ る。 こ うした 「農協規模 格差の拡大 は,農協の事業方式,経営管理 などの 差異を大 きくし,同一地域 に大規模組合 と小規模 組合が混在す ることか ら,連合会 の対応 を複雑化 し,有機的 な系統事業の前進 をはばむ重要 な要因 となっている

(F農協年 鑑

J

1975年版,p.102)0 第3期,農 喝 合 併 の 総 仕 上 げ (1975年 4月 ∼1982年3月)。合併助成法第 4次延長 (1975年3 月∼1978年3月)と第 5次延長 (1980年3月∼1982 年3月) の期間をふ くみ, その間 に1978,79両年 度 の助成法空 白期 をはさんだ時期 である。 この期 問の前半期 に第2次総合 3カ年計画 (1974-1976 年 度)が完 了 し,つづい て協 同活動3カ年 運 動

(9)

(1977-1979年度)および協同活動第2次3カ年運 動 (1980-82年度)が展開 された。 この7年 間,農協合併 は全国中央会の主導 の も とに促進 されたが,合併進度 は低下 し,合併規模 は縮小された。広域合併 はなお尾を引いたが,そ の退潮 は明 らかであった。合併助成法第3次延長 の最終期限 の1974年度 は 「農協合併の総仕上 げ」 と予定 されたが,実現 は不可能であった。そのた め全国中央会 は1975年2月20日の理事会 において 「農協合併助成法の単純延長」を国会 に要請す るこ とを決定 した。延長 の理 由は次 の とお りであった。 (1) 正組合員戸数500戸未満 の農家が1,700組合 あ り,合併 の意志あ る農協 が相当あること。(2) 最 近 の食糧, 石油等をめ ぐる厳 しい情勢の もとで, 農協の組織,事業,経営体制 の整備が必要であ る こと。 (3) 農協 の全国遵加入 による農家の経済的 利益 の増大 をはか るためには,農協の規模格差 の 是正が重要 であ ること。 簡単に云 うと

,

「農協合併の総仕上 げ」と 「農協 の規模格差 の是正」のために,助成法の延長 をは か るとい うことである。 この点では農林省 も全 国 中央会 に同調 した。農林省の農協制度問題研究会 は,1975年3月1日,助成法延長 と助成措置の継 続 が望 ましい として,次の ことを指摘 した。 (1) 小規模農協 のなかには合併 にふみ きらざる を得 ない農協があ る

。(

2

)

農協間の規模 にいち じ るしい格差 のあ ることは,単協,連合会 を通ず る 系統の組織 ,事業活動 の推進 に とって円滑 を欠 く こと(「農協 合併 に関す る検討結果の中間報告

F農 協年鑑』1976年,p.91)。 「農協合併 の総仕上 げ」工作 は,合併の意見 お よ び予定のあ る農協 は云 うまで もな く,合併の意志 のない農協 に対 して も圧 力 を加 える こ とに な っ た。全国中央会 は助成法延長 の力を借 りて 「総仕 上 げ」を急 ぎ,1975年9月3日の理事会で 「今後 の農協合併 の促進 について」 を決定 して,主 とし て府県中央会 に対 して次の3点を提起 した。

(

1

)

合併構想 のない地域の農協 にあっては,也 域 内関係農協 の組合長会議等 において,合併構想 を策定 し合併助成法期限内に,その合併を実現す る。 (2) 合併構憩のあ る地域の農協および合併推 進中の農協 にあ っては,その合併のすみやかな実 現をはか る。 (3) 合併農協 にあっては合併後 の組 織 ・事業運営体制 の整備 をはかるとともに,組合 員 と組合 との結合関係の確保 をはか るため,組合 員組織 の育成強化,広報活動および相談機能の強 化をはかる。 ちなみに同理事会 は中央模関7団体 をもって 「農協合併促進対策中央本部」 の設置 を きめ,10月3日, 同本部 は発足 した

(

r

農協年鑑

j

1977年版,p.86)

0

また,農林省 は助成法第4次延長 に伴 ない1975 年

5

月30日付で事務次官通達を発 し,次 の ように 指摘 した。(1) 小規模組合の合併 に重点 をお く。 (2) 中央会 を中心 に合併促進体制 を整備す る。 (3) 合併農協 は役員 の執行体制,監査体制,企画管理 機能 を強化す る

。(

4

)

組合員組織 の育成強化,広 報活動 ・相談機能 の強化,部落座談会の開催等 の 充実 をはか る (同上,p.86)0 全国中央会 は 「合併構想のない」農協 に対 して も,合併推進 の圧力をかける意向を明 らかに した。 農林省は当時1,700組合 と推定 された末 合併 の小 規模農協 を重点 とした合併推進の方針を明 らか に した。いずれ も政策 の表現 はちが うが,すべての 農協 を合併農協 の水路 にひき入れ ることには変 り はなかった。 しか し,助成法第

4

次延長 の初年度 にあた る1975年度 の実績 は低調を極め,60件,秦 加農協219組合に とどまった。その内容は小規模農 協 の参加 した小範 囲合併であった。全国中央会 に 報告 された合併参加181組合 についてみ ると,約半 数の92組合が組合 員数500人未満 の組合 であ り, 1,000人未満の小規模農協 が90%近 くを しめた。ま た合併規模 は2- 3組合合併が,参加農協 の

7

2

%

をしめた。合併農協 の正組合員数 は平均2,225人で あ って,「広域合併」は凋落す る気配を しめ した(同 上,p.87)

0

合併件数が少 な く,小範囲小規模合併 とい う傾 向が一般的 となった。助成法第

4

次延長期間にあ たる1975-78年度 の3年間,合併件数141件,参加 農協450組合, 1件 当 り3.2組合の実績であ った。 1976年度 の実績25件,参加農協65組合 についてみ ると市町村一円合併が12件,正組合員3,000人以下 の合併が20件であ った。大勢 として行政 区域の範 囲の合併が進 んだ。 助成法第4次延長の最終期限の1978年3月末 ま での合併農協 は,1961年 度か らの累 続 で2,360件 (組合)であった. したが って同期 の総合農協数

(10)

4,657組 合 の うち2,297組 合 が未 合併組 合 で あ っ た。1978年3月末 にお いて,合併農 協 と未 合併 農協 が半数 づつ とな ったわけ で,17年 間の政 策 的推進 によって も,全国中央会,行政庁の呼 びか けに応 じなかった農協 がなお相当数存在す る結果 となった。農協 合併の促進

,

「総仕上 げ」がいち じ るしく難 しい状態 にあることを しめ している。 そ して この農協合併 の困難が,ほかな らぬ農協合併 によってもた らされた。それは合併農協 において, 農協 と農家の結 びつ きが疎遠 となった とい う組織 問題, また農家 の農協利用高が非合併農協 に劣 る とい う事業体制,低水準の固定比率が象徴す る財 務問題 な ど,端的 に云 って合併農協 の事業 と経営 の実鼠 を以て しては,非合併農協 に対 して農協合 併を説得す ることが困難であったか らであろ う。 この時期 に系 統農協 活動 の総 目標 を しめ した 「協同活動強化3カ年運動」(1977年∼79年度)は, その主題 に農協合併を加 えず,む しろ 「組合員の 営農,生活両面 にわた る多様化,農協 の規模拡大, 事業運営の複雑 ・高度化 な どによって組合員の農 協運営-の参加 は難 しくなってきている」 と,令 併農協の欠陥を指摘 した (F農協年鑑j1977年版, p.336)

0

また,「協 同活動強化第2次3カ年運動」(1980 年∼82年度) は主題の一つに農協合併 の推進 を加 えはしたが,そ こに障害のあることも指摘 した。 「組織経営基盤が弱 く,地域農業振興等,組合員の 期待 に応 える経営体制 を強化す ることが困難 な農 協 は,組合員の理解 と関係組合の協調の もとに, これ までの合併への取 り組みを十分点検 し,固有 の障害事項 の解消 につ とめ,行政 との連携 をはか って,積極的 に合併をすすめる」(F農協年鑑出980 年版,p.363)0 全 国農 協 大 会 は第14回 (1976年10月),第15回 (1979年10月)の両次にわたって 「協同活動強化運 動 の細 目を決議 したが,それぞれが合併農協 の運 営上 の欠陥,農協合併推進上の障害を指摘 した。 それは農協合併 の遅滞 をつ うじて,農協 中央機関 の幹部が漠然 とではあるが,そ うした欠陥や障害 を認識 しはじめた ことを反映 した ものであろ う。 しか し,農協 中央楼関の大勢 は合併推進であって, 1978年3月末 に期限切 れ となる合併助成法を更に 延長 して,合併 を促進す る方向に向った。1978年 11月20日の全国中央会理事会 は助成法 の再延長の 要請を決定 したが, ロッキー ド問題 に揺れ る国会 では議決 に至 らなか った。合併助成法第5次延長 は1980年3月,漸や く国会の議決 をへて3月22日 に1982年3月末 までの時限法 として公布施行をみ た。 同法の公布 にさい して同 日,農林省は事務次官 通達 を以て,今後 の農協合併 は正組合員戸数が500 戸未満の組合,農協 の設立区域が町村区域 の一部 である組合,農協 の設立区域が町村区域の一部で あ る組合 の合併 に重点 をお くこ とを明 らか に し た。ちなみに農林省 「総合農協合併状況調査」 に よると,1978年3月末で正組合員戸数500戸未満の 農協 は1,530組合, うち非合併農協1,459組合1 町 村区域未満の農協977組合, うち非合併農協876組 合であ った (F農協年鑑』1981年版,p.112)O 農水省,農協中央税関 ともに,小規模,非合併 の農協 は経営基盤が弱体であって, この弱体 は合 併 によって解決 され るとい う判断であった。1980 年8月11日,全国中央会総合審議会 は全国中央会会 長 の諮問に答 えて 「こん ごの農協合併 について」 を とりまとめた。総馨の答申は,18年間の合併推 進 にもかかわ らず,今 日「なお,正組合員戸数500 戸未満 あ るいは町村 区域未満 の農協 が多数存在 し, これ らの中には組織,経営基盤が弱体で合併 を必要 とす る農協が相当残 っている。一方,農業, 農村の著 しい変貌 のなかで,系統農協 は地域農業 の再編,地域環境の整備 な ど重要 な課題 に直面 し ている。(これに対処す るには)系統各段階を通 じ て組織,経営体制 の整備 をはか ることが必要であ るが, とりわけ農協段階 においては,合併 による 規模拡大によ り,組織,経営基盤 の強化が重要で ある」 と強調 した。 農協 中央機関 は,かつて農協合併を 「生産販売 一貫体制」の基礎固め として,あ るいは広域営農 団地構想の一環 として,換言す ると,農協を連合 会体制の事業的基層 とみな し,その農協再編策 と して提唱 した。今回の総審答申は一転 して農協合 併を 「地域 の農業再編」に貢献す る農協の強化策 として提唱 した。答 申は 「農業合併の今 日的意義」 として次の4点を指摘 した。 (1)「1980年代 日本農業 の課題 と農協 の対策」 (1979年10月,第15回全国農協大会決議- 引用老

(11)

註) にもとづ き,地域 の農業再編を担 うにふ さわ しい機能 を整備す る.

(

2

)

都市化 がすすみ,農村の混住化,農家の兼 業化が進行す るなかで,組合員の生活防衛,向上 をはかるため に,組合員相互の心のふれあいを深 め,地域環 境 の整備,生活活動への取 り組みを強 化す る。 (3) 低成長経済のもとで健全経営を維持 し,令 種事業 を専 門的かつ総合的 に運営す るために,一 定数以上の組合員規模の確保 と職員体制の整備 に よ り,経済的基盤および事業体制を強化す る。 (4)農協 間 の規模格 差 の拡大 が農協 の事業 方 式,経営管理 に質的 な差異 をもた らす とともに, 連合会の誕1織運営,事業対応を複雑化 してい るこ とか ら,系統各段階を通ず る事業,経営の効率化 をすすめ るため,農協規模の平準化をはか る(F農 協年鑑

j1

981

,p.

3

9

1)O ここにあげ られた農協合併の意義 と, はた して どの よ うに関連す るか,必 らず Lも明 らかではな いが,総審 の答申は合併の 目標規模を 「おおむね 正組合員戸数

2,

0

0

0

戸以上」 とし

,

「事業量 を も考 慮す る」 とした。 この 目標規模 にかんしては,紘 審 の委員のあいだで議論があ り, なかに次の見解 があった (同上

,p.

1

1

3

)

0

(

1

)

今 日の経済的社 会的 な条件 の もとで は,

3,

0

0

0

戸程度 の規模が望 ましい とす る意見

(

2

)

全 国的範囲でみた現状か らす ると,現段階では

2,

0

0

0

戸程度の規模 を 目標 とす るとい う意見

。(

3

)

組合 員戸数を基準 とす ることは必 らず Lも実情 を反映 しないか ら,む しろ事業量規模で基準をしめすべ Lとす る意見。 これはいわゆる 「適正規模」論議であって,論議 の水準は

1

95

3

年 当時,町村合併の進展にともな って 農協合併推進 が討論 された当時の水準 と大 きな懸 隔はない。少な くとも

1

9

61

年,合併助成法による合 併が促進 された

2

0

年 の経験 と教訓を反映 した もの とは云 えない。ただ漠然 としてではあるが,例 え ば

1

9

7

0

年 の当時,全国中央会が合併規模の 目標 を

2,

0

0

0

戸 ない し

6,

0

0

0

戸程度 とした(「農協の合併方 針について」),あの 「広域合併」論は否定 された と云 うことがで きる。 全国中央会理事会 は

1

9

8

0

9

3

日,前述 の総 審の答 申を受 けて

,

「農協合併推進方針」を決定 し た。 この方 針 は合併 の 目標規模 を正組 合員戸数

2,

0

0

0-3,

0

0

0戸 とし,職員数

1

0

0

人以上 とした。ま た,地域 としてほ郡,市 の区域を上限 とした。事 業量規模の基準 は経済地帯別の差異 な ど地域の実 情 に応 じた もの とし,府県 ごとに指漂を定め る。 合併の推進期間 は

1

9

8

0

4

月か ら

8

2

3

月 まで と す る。 この期問 に町村区域未満の農協 の合併を重 点的に推進す る。 ちなみ に全国中央会の調査 によると (未回答3 県)

,1

9

7

9

年 度末 現 在 で町 村 区域 未 満 の農 協 は

1,

1

1

1

組合 (うち未合併

9

5

5

組合)であって,農協 総数

4,

2

9

3

組合(農林省統計

4,

5

4

6

組合 と一致せず) の

2

6

%

を しめる

。5

0

0

戸未満 の小規模農協 は

1,

3

5

0

組合 (うち未合併

1,

2

9

0

組合)で,農協総数の

31

%

を しめ る。そ して町村区域未満,戸数

5

0

0

戸未満の いずれかに該当す る農協 は

1,

8

8

4

組合,農協総数の

4

4

%

を しめる

1

96

1

年 か ら

7

9

年 にいた る

1

9

年間 に,

7,

5

0

4

組合の農協 が合併 した実績に よると,その年 平均数 は

3

9

5

組合 であったか ら,この進捗度 による と

,1,

8

8

4

組合の合併 には

5

年 を要す る

。2

年間で 町村区域未満の小規模農協を解消す ることは困難 であった。したが って,この2年間推進 の計画 は, 合併助成法の延長期限である

1

9

8

2

3

月末 まで, 目算はな くとも推進だけはしてみ るとい う計画で あって,事実上,合併推進 は系統農協 の当面 の課 題か ら除外 された と云 うべ きであろ う。 合併農協の実情 農協合併助成法 に もとづ く合 併 は

,1

9

6

1

年度 にはじま り

1

9

81

年度 に至 る

2

1

年間 にわた って推進 された。系統農協 としては珍 らし く息の長 い事業 であった。 この農協合併 は推進 の 過程で,合併の 目的や 目標規模が変化 したため, 合併が達成 した成果を認定す る基準 は必 らず Lも 一義的ではない。 あ る時 は経済圏,生活圏をふ く んだ区域の合併が提唱 された。ある時 は広域営農 団地の範囲の合併が提唱 された。 ある時 は広域営 農団地 の範囲の合併が提唱 された。 あ る時 は町村 区域一 円の合併 が提唱され,一般的に広域 を意味 す る市域一円の合併が提唱 された。 この合併区域 はそれぞれの合併 目的に由来 して定め られた。 し か し,例 えば市,郡域一 円の合併が提唱 されたが, 結果 としては町村区域の合併 に終 った り,市域2 分の合併 に終 った例が少 な くない。 このよ うに合

(12)

併 の 目的, 目標規模が未達成 に終 った場合, 目的 と目標 を基準 として合併 の成果を評定す ることは 困難である。 しか し,洞察 して云 うならば,合併の 目的, 目 漂規模 として提唱 された経済圏,生活圏,広域営 農団地 の区域な どは,提唱 された程 の意味 はなか ったのではないか。漠然 として,例 えは広域合併 論が台頭 した ときは,その時流に乗 って広域合併 に傾斜 し,その事後 の論拠 として経済圏や生活圏 や営農団地範囲が提唱 されたにす ぎなか った例 も 少 な くなか った と思われ る。 したが って,合併の 実績を評定す るに さい して,その都度の 目的, 目 標規模 に準拠す る必要 はない と云 える。 しか し, きわめて一般的 な 目的があった。それは,農協合 併 によって農協 の組織基盤,経営基盤を強化す る こと, また事業運営上で専門的 と総合的の二つの 琉能を強化す ることであった と思 う. これ は1953 年町村合併着手 の当時に捉起 された合併論,規模 論以来 の ものであ る。 合併実績 の評定 にさい しては, この一般的な 目 的に準拠す ることが妥当である。 しか し,評定に は若干の歳月が必要であ る。例 えば組織 と経営の 基盤の強化 は, あ くまで も基盤にぞ くす ることで あるか ら,その基盤の うえにその基盤に適合 した 組織方式や経営方策が不可欠である。そ してその よ うな組織方式や経営方策が効果を発揮す るには 試行錯誤の猶余期間を要す る。 とくに組織方式に ついて云 うことがで きる。例 えば,従来 の部落 ご との農家組合が支所区域,本所区域 とい った重層 的 にして広域 にわた る合併農協組織 の構成部分 と して, あるべ き機能 を発揮 して成熟 の時代 を迎 え るには,場合に よっては世代交代の一期間をさえ 予想 され る。作 目別専門の生産部会 について も同 様 であ り,作 目別 の利用施設の性能,施設 の運営, 農協の関連部課 との事業上の結 びつ きを考慮に入 れ ると,その成果評定は短兵急 は許 され ない。 合併農協 の成果評定にあた っては,す こぶ る現 実的な比較基準 は未合併 もしくは非合併農協の存 在であ る。系統農協 の現状においては,合併農協 の成果評定 の方法 としては適切ではないにもかか わ らず,非 (未)合併農協 との比較 はかな り有力 な方法 となる可能性がある。恐 らく組合員農家は そのよ うな比較 によって得失を考 えるであろ う。 この比較 は適切でない としても,合併農協の当局 者 はあえて甘受すべ きであろ う。 合併農協の成果評定 にあた って,看過 し得 ない 一つの事情がある。それ は連合会 の事業推進 との 関係で位置づけられた合併農協 の機能である。全 国お よび府県の中央会 は, これについて二つの問 題 を提起 した。その一つ は,全国中央会の総合審 議会の課題 として上皇 された。農協合併の進展 に 伴なった連合会の組織体制,事業体制 の 「整備」 であ る。 これ は1966年8月に多数の合併 -大規模 農協 が全国連へ直接加入の申込書 を提出 したのを きっかけに表面化 した。全購連 と全販連の合併に よ る全農の発足(1972年3月)も直接的ではないが, 農協合併にともな う連合会組織体制の整備であろ う。 も う一つの問題 は,農協合併 に ともな う農協間 の規模格差の拡大に対処す る 「規模格差の是正」 策である。 これは一見 奇妙 な因果関係である。 ある固有の 目的を もった農協合併が,その進行過 程 において非合併農協 との間に規模格差をつ くり 出す のは当然である。 しか し規模格差の是正論 は 合併農協 をて こに して農協 合併 を促進す るもの で,促進の対象 とされた農協 は,そ こに 目的がな くて も合併す ることにな り,いわ ば合併が手段か ら自己 目的に転化す ることになる。合併助成法 に よる農協合併 はその推進のあ る時期以降,合併が 目的 となった と思 う。私 はその転機が 「総合3カ 年計画」(1971年∼73年度)の時期,助成法の第2 次延長 (1970年5月∼72年3月)の時期,全国中 央会が 「自主合併」を提唱 した時期 にあるとみ る (前出,全国中央会理事会「農協 の合併方式 につい て」1969年11月25日,および 「今後 の合併指導 に ついて」1970年7月6日を参照)0 合併を自己 目的 とす るよ うな農協合併推進 は, 合併助成法による合併推進その もののなかに,そ の当初か らあ る程度ふ くまれていた。それ は行政 庁 による推進,農協中央会 による推進 に共通す る ものであった。その ことは推進の当局者 によって も肯定 された。全国中央会 は1978年7-10月に府 県中央会の協力を得て,いわゆる総点検調査を実 施 した。 F農協 合併17年 の成果 と残 された課題j (1979年3月16日作成 F農 協 年 鑑j1980年 版,p. 109)はその集約である (以下

,

F成果 と課題J と 略称)。 まず

,

F成果 と課題』 は合併推進の反省を - 12

(13)

次 の よ うに記録 してい る。 (1) 「合 併 問題 を組合員段階か ら,地域農業振興 や農協 の組 織,事業 をいか に発展 させ るか とい っ た観点で取 り組 む ことが弱 く,組合 員 との対話 や 各種組合 員 組織 で の研究 が不足 した。 また,県計 画 ,地 区計 画 の決定 にあた り,組合長 らに本音 と 建 前 の違 い がみ られた

。(

2

)

「県段階 の推進体制 と比較 し, 合併計画地 区 の体制 が整備 されていな か った」。 この反 省 は農協 合併 が農協 中央機 関 の農林 省 に 対 す る 「自主的合併」 であ った が, 当事者 であ る 農協 の 「自主的合併」 にはな らなか った ことを意 味 してい る。 また,合併 が 白的 とな ったため に, 合併 が解 決 す べ き課題 を鮮 明にで きなか った, と い う倒錯 を告 白す る もので もあ った。 しか し,辛 段 の 目的化 とい う倒錯 が あ った にせ よ,合併 の課 題 が鮮 明 を欠 いた にせ よ

,3-4

農協 が合併す る とい う変 化 それ 自体 に由来す る結果 は当然存在す るのであ るか ら, いぜ ん として 「成果 と課題」 は 論ず る こ とがで きる。文献 F成果 と課題』 は合併 の成果 を次 の よ うに概 括 した。 第1,「激動す る社会経済環鏡下 で,合併 に よ り 農協 の組織,経営基盤 の強化 をはか って きた。 こ れ は未合併小規 模農協 に とどまっていれ ば,事業 停止や解散 に追 い込 まれた と思わ れ る組合 が少 な か らず見込 め るなかで, これ ら農協 の存続,発展 を果 しえた ことで もあ る」。 第

2

,「合併農協 は合併基本構想 の実現,地域農 業振興確立 に向 けて, 人的物的体制 を整備 し,組 合員 の多様 な期待 に応 え られ るよ う, 積極的 に事 業展開 をはか って きた ことであ る」。 ここに指摘 され るよ うな成果 を上 げた農協 のあ った ことは否定 で きないであ ろ う。 しか し,農協 合併 の成果 を論 ず るにはつ ぎの2点 に留意 す る必 要 があ る。 その一つ は基盤 の変化 とそ の基盤 に即 応 した組織方式,経営方策の選択 とは別 のことであ って,農協 合併 は何 よ りもまず基 盤 の変化 にす ぎ ない ことで あ る。 も う一つ は,合併 に よる「組織 , 経営基 盤 の強化」 と云 う場合, それ は主 として企 業経 営基盤つ ま り資本規模 の拡大 と して表 現 され 合併農協 と未合併農協の事業比数 (1975年度 ) 1組合員平均 (千円) 1組合平均 (百万円) 全国構成比(52年度末X%) 合併組合 未合併組合 合併組合 未合併組合 合併組合 末合併組合 事業刺 用 高 貯 金 額 1,723 2,127 5.644 1.323 68.0 32.0 長 期 貸 付 金 額 627 573 3.054 609 67.7 32.3 販 売 額 628 466 2,043 228 67.0 33.0 購 売 顎 400 313 1,302 194 68.4 31.6 長 期 共 済 保有 高 (908) (805) (25,843) (7.000) 73.6 26.4 指 導 事 業 費 ( 7) ( 7) ( 14) ( 5) 69.6 30.4 ≠教科 販 売 事 業 - - 1,79% 1.83% - -購 貝 事 業

-

- 10.88 12.02 - -系 統 販 売 事 業

-

- 93.9 92.7 - -利用率 購 員 事 業

-

- 76_4 70.3 - -貯 貸 率

-

- 54.1 46.1 - -紐 農 協 数 - - (1,956組合)(2,595組合) 43.0 57.0 級 正 組 合 員 数 (2,501 人)( 447 人) 71.9 28.1 状 准 組 合 員 数 〔1取日当り組合B] (32.7ノU ( 742 ) (250 ) 69.1 30.9 況 職 員 数 (26.8人) ( 122 ) ( 19 ) 71.9 28.1 注 1

.

F農協年鑑』 1980年版、Pl12 2.組合員平均の数字は全申 「合併、末合併農協の比数調査」による。同調査は農水省 「総合農協統計表」の個表か ら合併農協 (昭和40年度に合併した正組合員1(XO戸以上の農協 )および未合併農協(昭和50辛皮末未合併農協で正 組合員数300- 500戸の農協 )をそれぞれ無作為に 200組合を抽出し、50事業年度をもって比較した。 3.全国構成比および( )内数字は全中 「農協合併総点検調査」によった。

(14)

ることである。 組合員規模が

5

0

0

戸か ら

2,

0

0

0

戸に拡大 された と き,それは組合員数の集続であ り,それ 自体 とし ては経済上の変化 を論ず る余地 は少ない。しか し, 組織基盤の拡大,組合員数の集積 は一般的に資本 (出資金)の集積 を伴な うものである.資本の集積, 企業規模の拡大を伴な うことによって,組織基盤 の拡大 は経済上の意義 を有す る。云い換 えると組 織基盤の拡大 は,資本の集積,企業規模の拡大を 介 して, はじめて経済上 の効能 を発揮す るもので ある。そして この経済上の効能 は単純 に組合員農 家が吸収す るとは云 えず,主 として連合会が吸収 す ることもあ り得 るのであるか ら,条件的である と云 うべ きであろ う。多 くの大規模農協が合併の 効果を取得す る目的を以て, 2段階連合会体制の 改革,全国連合会-の直接加入を要求 した ことが, この ことを物語 っている。 '農協合併 の効果を評定す るには, まず資本の集 積,企業規模の拡大に準拠 し, また,その経済的 効能 の帰属 を決定す る系統制度 を考慮 しなければ な らない. しか し,前出 F成果 と課題』 は, しば しば資本集積の属性 にす ぎない指標 を以て評定 し た。表示の 「合併農協 と未合併農協の事業比較」 がそれをしめ している。 F成果 と課題』は主 として 表示 の数値 にもとづいて,合併農協の効果を次の よ うに指摘 した。 (1)営農,生活指導が強化 された。例 えば営農 指導員 は末合併農協

1

人で あ るの に対 して平均

8.

3

人である。職員数 は合併農協

1

2

2

人,末合併農 協

1

9

人であって,合併農協 は各事業部門に多 くの 人員を配置 し,職員の専門化が可能である。職員

1

人 当 り組合 員 は合 併農 協

2

0.

5

人,末 合併 農協

2

3.

5

人であ り,組合員によ り濃密なサー ビスを提 供 している。〔但 し,この数字 は別の ことを も意味 している。すなわち,合併農協では職員1人,営 農指導員

1

人をそれぞれ組合員

2

0.

5

,

3

01

人で負 担 しているが,末合併農協 は組合員

2

3.

5

,4

4

7

人 で負担 しているのであ るか ら,未合併農協での組 合員の負担 は軽い〕。 (2)合併農協 は組合員の期待 に応 えるべ く,多 面的 な事業 を展開 している。組合員1人当 り事業 利用高 は貯金を例外 として,長期貸付金,販売額, 購買額,長期共済保有高 とも合併農協が多い。貯 金吸収力 は未合併農協が強 い。手数料 は合併農協 が低い。系統利用率 は合併農協が高い 〔これは末 合併農協 の方が独 自の販売,購買事業 を実行 し易 いが,合併農協 は事業量規模 が大 きいため,綿密 な事業 が難 しく連合会 まかせ となるとい う傾 向を も表現 している〕。貯貸率 は合併農協が高い。〔こ れは合併農協 は豊富 な資金 を もち,貸付戟能 も強 化 されたために貸付額が多 い ことを表現 している が,准組合員貸 付額 が伸張 した ことも見逃 せ な い〕。 F成果 と課題』は「これまで の この種の大規模(令 併)農協 と小規模 (末合併)農協 との事業比較結 果では,後者が前者 よりも相対的 に優位 とされて きたが,今回の比較結果で は, これまでの反対の 結果 となっている」 と注釈 してい る。 これ も比較 数字の使い方如何である。表示の 「合併農協 と未 合併農協の現勢比較」は

,

「これまでの--事業比 較結果」のごとくである。生活資材購買 と長期共 済保有高を除 くと,値 はすべ て末合併農協が 「優 位」を しめている。掲出の両表 は ともに

1

9

7

5

年度 合併農協と未合併農協の現勢比較(1975年度 ) 合 末台併組合 合 計 調 査 組 合 1,890 2,830 4.720 調 査 組 合 数 40.0 60.0 l ⊥oo 構 正 組 合 員 数准 組 合 員 数 70,966.5 29.133.5 100100 成 職貯 金員 数額 69.765.2 30.334.8 100100 比 販貸 付売金 額額 65.164.9 34.435.1 100100 (%) 慧 員 {慧 …冨 67.462.1 32.637.9 100100 長期共 済保有高 73.9 26.1 100 正 貯 金 額 2,377 2,738 2,491 級 A 貸 付 金 額 1,260 1,423 1,312 口 良 販 売 額 738 860 777 芸員 農 芸冨 335 396 354 人( 平 苗 ⊥54 153 154 注 1

.

『農 協年鑑』1978年版 p.84によ り作成 2. 全国中央会調査によ る もので 1977年 4月調査 3. 縫合 農協総数は農林省 『昭和51年度農協等現在 数統計」 によると4,803組合 であ る。

参照

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