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英語教育42年に学んだこと

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長野大学紀要 第

1

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巻第

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英語教育42年に学 んだ こと

What I Have Learned in Teaching English for 42 Years

これは

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日最終講義 として長野大学 において教職員、学生約

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人 を前に して述べ た も のに補足 を加 えてまとめた ものである。 Ⅰ は じめに- 私の教育者 としての原点、前程 1. 日本 帝 国の植 民 地 朝 鮮 で生 まれ 育 った こ との意 味 。他 民族 支配の不 幸 私 は大正

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に朝鮮半島の北部、鴨緑 江のほ とりにある町で生 まれた。 この町は後年で きたダムの湖底になっている。父は福 島県の出身 で朝鮮総督府の役人であった。母 も福 島の出身で ある。父の転勤のため私は生 まれてか ら小学校5 午 (11才) まで 5つの町 (昌城-秦)1卜→義州一江 罪-消原)に住んだ

。 3

年か ら

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年 までに通 った 消原小学校 は児童数20名たらずで、 1人の先生が

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教主の中で全学年に全教科 を教 えた。

1

つの民族が他の民族 を支配す る不幸、矛盾は 子 どもの 目を通 して具体的に私 の記憶 に残 ってい る。その事 は戦後歴史の真実 を知 ることを通 して 確 固 とした ものになっていった。当時は何 も知 ら なか ったので、無 自覚に楽 しいことも当然のこ と と思 ってす ごしていたのだが、その間にも土地取 り上げ、言葉の取 り上げ、名前の取 り上げ (創氏 改名)、命取 り上げ (強制連行や徴兵制度)とい う 冷酷な政策が着々 とお し進め られていたのである。 具体的な細いことは省略す るが、幼少の頃の朝 鮮の大 自然 (山、川、森、葦、花、樹、魚、鳥、 け もの-)の豊 さ、美 しきの何 と素晴 らしか った こ とかo 私 自身の小 さな植民地時代の生活体験 を通 して も民族 同士の関係は平等で互恵でなければならな い と痛感す る。 まさに

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日太平洋戦争が真珠 湾奇襲 を以って開始 された。 旧制 山口高校の1年 生であった。行末の不安 を直感 した。 当時の 日米

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の生産力や 資源量の差 はけた違 いであったか らで ある。高校 を卒業 した昭和18年 (1943)には学徒 出陣式典が神宮競技場 で行われ、私 は観覧席で先 輩たちを送 った。私 自身は翌年 (1944)海軍予備 学生 として中国の旅順港 に送 られた。敗戦は九州 長崎県北部の田平町 で迎 えた。その年の碁 までの 命 と覚悟 していた私 に とって敗戦 は突如 として 洋々たる生 きる展望 を示 して くれた。絶望 して若 い生命 を絶 った純粋 な人びともいたか ら、不謹慎 とい うとがめはあるが私 は目前の死か ら解 き放た れた喜 びを味わった。 それが正直の感想であった。 それに して も戦争は幾 多の悲劇 をもたらした。 出身中学や高校の同窓会名簿 を関山 ど、学友の戦 死は数 多い。予科練 に志願 した

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君は敗戦 を目前 に して沖縄 で特攻隊員 として若い命 を失 った

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君は ビルマ戦線で、K君はフイ リッピン沖で海没、 生前の生 き生 きした姿が思い出され痛惜の念にた えない。 身内の両親の痛恨はいかばか りであった ろう。私の従兄 はガ タルカナル島の戦場で悲惨 な 死 をとげた。叔母の もとに送 りかえされた遺骨の 箱には石 ころが入っていた。 一夜に して10万の命 を奪 った昭和20年3月10日 の東京大空襲、 8月の広島と長崎の原爆の悲惨は 言 うまで もない。 朝鮮に在住の両親 と弟は

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年の抑留生活 とい う 辛苦 を経て翌1946年秋 にや っ と帰国 し、経済基盤 が失われた結果、我が家の生活は極貧の水準 をし ば ら く低迷す るのであ る。戦後衣食住の状況は極 度の悪化 とな り 「一億総乞食」 とい う言葉 をしば しば耳にす るこ とがあ った。 戦争は 日本に惨害 を もたらしただけでな く、周 辺のア ジア近隣の諸国 (中国、朝鮮、台湾、フィ リピン、マ レー シア、イン ドネ シア、ベ トナム等) に も惨禍 を与えたこ とを忘れてはならない。最近 問題化 した朝鮮人従軍慰安婦のこ とはその片鱗に す ぎないこ とを思い知 らねばな らない。 自国の被害、他国へ の加害の重大、深刻 さを思 うとき戦争 を二度 とお こ してはな らぬ、おこさせ てはならぬ と思 う。 4. 旧制 高校 (1941- 43)の 自治 と自由の 中で 批 判 的思 考 に 目覚 め る 軍国主義、国家主義漬けの私 に とって、 自治 と 自由の雰囲気 を残 していた旧制高校の学園生活は 別天地であった。軍事教練はあった し、 ファシス ト的言動 を持つ教授 も何人かはいたけれ ど、新 入 生の私に とってこんな世界が あったのか とい う思 いがあった。 このような自由な雰囲気の中で、私の心の中に は 「本 当の学問 とは何か」 を問 う探求心 と批判的 精神の芽ばえがあった と思 う。末 だ過去の殻か ら 脱皮 しきれない点が多々あったけれ ども。 一つだけェ ピソー ドをつけ加 えてお くと、「経済 学」 を数 えられた某教授は講義の終 りに必ず 「-とい うことになってお りますが、 これで良いので しょうか」 としめ くくってお られ ましたが これは 学生に 「懐疑の精神、批判の心が なければ真理 は 発展 しないのだ」 とい うことを暗黙の うちに示唆 されていた と今 になって思いあた るのですが、半 世紀 をへだてて しまった今 日確かめ るすべ はあ り ません。思い出に残 る言葉です。 この ように して旧制高校は私に偉大 な精神的贈 り物 を与えて くれた と思 う。 5. 日本 国憲 法 の理 念 に納 得 し、教 師 の使 命 感 を確信 して ス ター ト 私 は戦後2年 たってや っと、昭和18年9月に入 学 した東京帝国大学文学部に復学 し、昭和24年9 月に卒業 した。通常

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年の課程に

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年かかった。 経済的に苦 しかったか ら授業料は滞納 となった。 卒業 を前 に して安 田講堂の下にある事務局に未納 の250円を納めた。その時窓 口の事務職月が「ご苦 労様 で した」 と言葉 をかけて くれた。思いや りと 励 ましの言葉であった。私 は感激 した。 何 とか卒業 し、東京都の教員採用試験 を受けて 都立高校の教員になった。先輩の 口ぞえで名 門都 立戸山高校 に就職 した。高校生がいやに大 きく見 えた。未熟な新米教師であった。 私は 日本国憲法の理念である民主主義、平和主 義に納得 し、そ うい う民主的平和国家に役立つ人 間 を育て るとい う使命観に燃えて1949年10月教師 としてスター トを切 った。 当時、民主的平和主義的教育 を求め、期待 し、 実現 しようとい う意気込みは教師に も生徒 に もそ して父母 に も火のように熱い ものがあった。 しか し1949年 とい う時は翌年勃発す る朝鮮戦争

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石井清 美語教育42年に学 んだ こ と の前夜で、松川、下山、三鷹事件等が続発 し、 日 本 とい う巨舟削ままた もや平和主義、民主主義に逆 らう方向に進路 をか えようとしていた。その年に 私は教師 としての仕事 を始めた。波乱にみちた前 途 を予見す る力 は当時の私にはなかった。 以上の5点が私の教 師を始め るに当っての前程 であ り、原点であった。 ⅠⅠ 英語 (外国語)教育の意義 と日的 1.外国語教育 は国際理解、他民族 とその文化 の 尊重、敬意 を通 じて世界平和 に貢献す るこ とが 目 的である。利 己的、非平和的なE]的 を目指す もの であってはな らない。 2.私 が英 文科 を選 んだわ け -私 は父の仕事 (当時は官舎 と役所が隣接 し、父 の仕事ぶ りが よ く見 えた。)や助言の影響 を受けて 将来は大学の法学部 を出て父のような仕事 をしよ うと思 っていた。 しか し山口高校の文科 甲類 を卒 業 した時、東大法学部 を受験 したが、勉強不足 と 学力不足で失敗 した。戦争は激化の一途 をたどり 浪人 して再受験す る状況ではなかった。第

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志望 で文学部の英吉利文学科 に入学す ることを許 され た。 当時英語は適性語 ということで風あた りが強 かった。野球か ら英語は追放 され 「ス トライク」 「ポール」は 「よし一本

「だめ」と言わねばなら なか った。音楽の世界では 「オルガン」は 「あ し ぶみお とだ し

「サ キソフォン」は 「たけべ らつ きふ きならし」- と言 うことを強制 された。陸軍 では 「ライスカレー」は 「か らみい りしるかけめ し」 と言 うことになった。狂気の時代 である。 私 は陸軍見習士官候補生の受験 をしたが面接試 験の時、試験官の大佐殿か ら、「お前は何故英文科 に入 ったのか」 と非難が ましく詰問 され、孫子の 言葉 「敵 を知 り己れ を知 らば、百戦危 うか らず」 を引用 し、叱責 をまぬがれた体験 を持つ。 ことほ ど左様 に狭量で野蛮 な風潮が支配的であった。戦 争に負けたの も当然であろう。 私が英文科 を選んだのはやは り西欧の文化への 憧れがそ うさせ たのだ と思 う。 ロマ ンティシズム である。 授業や講義 は どうか と言 うと、先輩たちは戦場 にか り出され、英作文の演習は3人 くらいで、佐々 木達先生の指導 をうけた。 中野好夫先生はすでに 助教授 でシュイクスピアの作品の講義等に出席 し たが、比叡 山の荒法師 を思わせ る風貌であった。 荒々 しく、 口の悪い所があったが、気持 ちの優 し い人が らであった。 当時東京帝国大学には女子学生は1人 もいなか った。 だか ら昭和

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年 に名称 も変 った東京大学に 復学 して驚いたのは、かな りの女子学生が入って いたこ とである。世 の中変ったなあ と実感 した。 III 感銘 を受 けた人物 と著書

1.

バ ー トラ ン ド・ラ ッセ

BertrandRus -sell(1872-1970) 昭和

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年代の後半あた り、難関 といわれ る東大 等の入試 には ラ ッセルやサマー セ ッ ト ・モー ム (SomersetMaugham-1874-1965)の著作か ら の出題が多か った と思 う。だか らとい う訳で もな いが、 ラッセルの作品は副教材 として戸 山高校 の 3年生 には良 く使われた。 ラッセルは数学者であ り、哲学者であ り、平和 主 義 者 で あ っ た。彼 は 祖 父 John Russell (1792-1878)が英国の首相 を2度にわたって勤 めたこ ともある名 門の出身であ り貴族であった。 彼のpacifistとしての主義、主張 と活動 は生涯一 貫 し不変であった。 以下、生徒 と共 に学んだい くつかの彼の著作に 簡略にふれて見たい。 ①portraitsfrom Memories(追憶の 肖像) この中の一章にAutobiographicalTalks(自伝 的談話)があ り、そこでExperiencesofaPacifist intheFirstWorldWar(第1次世界大戦 中の一 平和主義者の体験)がのべ られている。 その一部

を下 に紹介 してお きたい。

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(訳)- 時には私は懐疑のために正 しい思考力 を 失 うこともあった、 また時には人間の善意に対す る不信に とらわれ、 さらにはまた どうで もいいや とい う気分 になることもあった、 しか し戦争が起 こった とき私 は天の声 を闘いたかのごとき感 じで あった。た とえ抗議がいかにむなしくとも、 そ う す ることが私の任務 であると知 った。私の人格全 体が この任務 にかかわった。真実 を愛す るもの と しては、仝交戦国の国家主義的宣伝 に吐 き気 をも よお した し、文明 を愛す るもの としては、(殺我 の) 野蛮時代-の逆行 は私 を戦懐 させ た。 また子に対 す る親の愛 を阻止 され るもの として青年 たちが大 量に虐殺 され ることには胸 をさかれ る苦悩カであっ た。 戦争に反対 して もそこか ら大 した効果が生 じる とも思 えなか ったが、私は人間性の名誉のために、 正気 を失 っていない人間達 は、 自分 たちは毅然 と して立 っているとい うことを示すべ きだ と思 った。

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ヶ月半、平和主義宣伝活動の故に、 私 は獄につ ながれた。--ラッセルの平和主義者 としての毅然たる姿に、 戦争体験の記憶 をなまなましくもつ私 たちは、教 えるもの も教 えられ る生徒 も深 く共感 し、いかに 生 きるべ きかの典型 を見 る思 いがあった。 @

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月ラッセル卿は夫人 と共に

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才 の高 齢 をもかえ りみず、陣頭に立 って、核兵器反対の 「座 り込みデモ」 を行 った。英国防省の玄関前で 逮捕 され、一週間の投奇談生活 を送 ったのである0

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才の彼 をこの ような行動にか りたてた ものは 何か。米 ソの核軍備競走、核実験の強行 とい う当 時の状勢は人類 を自滅-導 く可能性 をは らんでい た。そ うい うさ し迫 った状勢の中の

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年に書か れたのがこの書であ り、彼の人間愛の深 さと情熱 そして予言的提言に多 くの もの を学んだ。 ③

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年に 日本 では安保大闘争があった。 この年、 南ベ トナム解放民族戦線が結成 された

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年の トンキン湾事件 をきっかけにベ トナム戦争は一挙 に拡大 していった。残虐 な戦がつづ き米軍の戦死 者は

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万人以上、帰還兵士の うち

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万人が米国で 自殺 していると

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月のテ レビは報 じている。 いかに非人間的戦争であったかが分 る。ベ トナム 側の被害者はこれ をはるかに上 まわった。 この教材の一部 を使 った。なぜベ トナム戦争が 起 こったか を分 りやす く述べ ている。ベ トナム戦 争の実態が良 く分 った。平和主義者 ラッセルの偉 大 さに感動す る感想文が多数提 出された。ベ トナ ム戟争は私 たちに平和の問題 を深 く考 えさせ てい た。 そのような時代 であった。正義の小国ベ トナ ムは、不正義の軍事大国を見事 に打ちやぶ った。 全ベ トナムが解放 されたのは

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年の こ とであっ た。 これは世界史の流れ をかえる大事件 であった。 ⑥

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(宗教 と科学) この書は青春の思い出 と重な り、敗戦前後の激 変 と重な り、教材 として教 えた時

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年)の私 と生徒の感動 とも重 な り忘れ難い。 既 にのべ たように私 は旧制高校時代 を山口市で 送 ったが、文科 の学生 ではあったが、深い感銘 を 受けた講義は

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先生の物理史であった。その要 旨 は 「ニュー トンが光の性質につ いて光粒子説 を唱 えたが、それは光の仝現象 を説明 しきれず、そこ か ら波動説が生 まれ、 さらに量子論、相対性原理 へ と発展 して きたこと、つ ま りいかなる理論に も 綻び、矛盾があ り、それがかえってバネ とな り、 よ り良い理論- と発展 してい く」 とい うものであ った。 ラッセルのこの書には、天動説の矛盾か ら地動 説-、聖書の記述 と事実の矛盾か ら進化論への闘 いへ と発展が述べ られている。例 えば

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世紀、当 時絶対的権威 をもつア リス トテ レスの理論は、実

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石井清 英語教育42年 に学んだこと 験 によれば事実 と矛盾す ると述べ たガ リレオは、 彼の支持す る地動説の故にローマ法王か ら弾圧 さ れた。「それで も地球 は動 く」と咳 きなが らも弾圧 に屈 したガ リレオの抵抗 と闘いがあったか らこそ、 科学は今 日の盛大に至 っている。真理に対す る権 力側の弾圧の歴史 をかみ しめなければならない と 思 う。 絶対的天皇制下の軍国主義、国家主義教育に培 われた私 たち世代 の価値観は、敗戦 を境に劇的に 変転 した。 まさに コペルニ クス的転回であった。 その体験が、価値観 を激変 させ たガ リレオ、ダー ウィン等の戦の記述 を共感 をもって読み とらせ た のである。 次の二つの文 は学問に志す ものに とって大切 な 教 訓 と思 うので英文 と訳文 をかかげてお きたい。

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(訳) 科学的精神 は、用心深 く、仮説的で、漸進的で ある。つ ま りそれは真理の全部 を知 っているとか、 その最高の知識でも全面的に真であるとは考 えて いない。 それはあらゆ る学説はおそかれ早かれ修 正 されなければならない とい うこと、そ してな く てはな らない修正には研究の 自由 と討論の自由を 必要 とす る。

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(釈) 知的 自由が個人的に重要 な人び とは社会 では少 数派か も知れない。 しか しそ うい う人び との中に 未来に とって最 も重要な人間たちがいる。我々は 人類の歴史の中で コペルニ クス、 ガ リレオそ して ダー ウィンの重要 さを見て きた。 そ して未来が こ うい う人間を最早生みださない とい うことを想像 す ることはで きない。 もしこうい う人び とが彼 ら の仕事 をした り、 しか るべ き影響 を及ぼすことが で きなければ人類の進歩は停滞 し、中世 の暗黒時 代 が ギ リシァ、ローマの光輝 く時代に引 きつづ い た ように、新 しい暗黒時代がや って くるだろう。 新 しい真理は しば しば不快 なことがあ る、特に権 力 を握 っているものに とっては不愉快 な ものであ る。に もかかわらず、それは残酷 と頑迷 固値の長 い歴史の中で、我われ人間 とい う知力 を持つが気 ま ぐれな種 (生 き物)の最 も重要 な業績 なのである。 2.米 国 の独立 宣 言

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年はアメリカ独立

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周年であった。アメ リ カの民主主義 の流れ を くむベ トナム の独立宣 言

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年) を高校

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年生の 自主教材 として読む こ とに した

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年はベ トナム勝利の年 であ り、翌

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年にはベ トナムに対す る関心、興 味は高 まっ ていた。 この教材はタイム リーであった と思 うO この宣言にはフランス帝国主義、そ して 日本帝国 主義の罪悪が前半に述べ られている。 日本がアジ アの近隣諸匡=こ第

2

次世界大戦中にいかにひどい 迷惑損害 を加 えていたかO それが ここに も述べ ら れている。国際理解、特に近隣アジア諸国の理解 を進め、国際的視野、感覚 を育てる上 でこの教材 は適切 な ものであった と思 う。アメ リカ独立宣言 での

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l.(すべ ての人間 は創 られて平等である。)とい う言葉がベ トナム独 立宣言では、冒頭で紹介 したように

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l.(世界のすべての民族、 国民は生 まれなが らにして平等である) に発展 し ているのが素晴 らしかった。 これ を読んで生徒 は 世 界史的認識 (日本 とベ トナムのかかわ りの認識) を深め ると共にベ トナム民族への尊敬 をあらたに している読後感想文が多か った。 資料 としてベ トナム独立宣言 (英文) と訳文の 一部 を以下に紹介す る。

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(釈)ベ トナム独立宣言 (1945年9月2日) 「すべ ての人間は創 られて平等である。人々は 創造主に よって奪 うことので きない権利 をきずけ られてい る。 これ らの中には生存権、 自由権 そ し て幸福追求の権利がふ くまれ る。 これ ら不滅の言葉は1776年のア メ リカ合衆国独 立宣言に由来す る。意味 を広げて考 えるならば、 これ らの言葉は 「世界のすべての民族、国民は生 まれなが らに して平等である。すなわちすべての 民族、国民は生 きる権利、 自由になる権利、幸福 になる権利 を持つのである」 とい うことを意味す る。 (以下略) 3.マーテ ィン ・ルーサ ー ・キ ング

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(1929-68) 彼は黒人出身の牧師であ り、アメ リカ黒人の公 民権獲得運動の指導者であ り、その運動 は非暴力 主義の立 ち場で行 われたが、彼はその活動の最 中 暗殺 された。 1963年、ワシン トン大行進の時、 リンカー ン記 念堂の前 で行 われた彼の演説

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は英語で述べ られた演説の最 もす ぐれた ものの-つであろ う。 テープに残 されたキング牧師のスピ ーチは大河のごとくである。真実 と正義 と理想 を 語 る英語 とはこんなに素晴 らしい ものか。 このス ピーチは生徒 に心の底か らゆ り動かす ような感動 を与 えたのである。 最 も感銘の深い部分 を生徒 に問 う。圧倒的に多 か ったのは次の一節であった。

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(訳)私 には夢がある。 それは、私の小 さな

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人の子供がいつの 日か、そこでは人の値打 ちが肌 の色ではな く、人格の中味によって判断 され る国 に住むであろうとい う夢である。 このような偉大 な黒人の政治的指導者の演説 を 学び、 また人類の普遍的理想の語 られ るベ トナム 憲法 を読み学ぶ とき、本当の意味 での国際理解 と 世界的人類的視野が身につ くのではないだろうか。

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.チャーリー ・チャップリン

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(1889-1977) 私 はチャップ リンの伝記 (易 しい英文で書いた もの)の編注 を行 ったことがある。 その書 (桐原 書店刊)の 「まえが き」に大むね次のようなこと を記 した。 「チャップ リン !何 とい う偉大 な人間、何 とい う人間 らしい天才 を現代 は生み出 したので しょう。 しか も今 なお私達 はその優 しくも偉大 な業績に、 映画 とい う生 き生 きした姿で触れ ることがで きる のです。 彼は1889年 ロン ドンに芸人 を両親 として生 まれ ました。当初一家は比較的豊かな生活 を営 んでい ました。 しか しその後父はアル コール中毒 で37

で死亡、母は過労 と病で歌手 としての仕事 を失い、 さらに精神の錯乱で精神病院に送 られ、一家は悲 惨 な境遇 を強い られ ることにな ります。チャップ リンは幼少 とは言え、非情 な社会の現実の中で文 字通 りどん底の生活 を余儀 な くされたので したo ただこうした体験 こそ、彼の人間性 を鍛 え、深め、 後の映画俳優及び製作者 としての豊かな稔 りの肥 料 になった といえましょう。傑作 「街の灯」 を撮

(7)

石井清 美語教育42年に学 んだこ と 影す るに際 してチャップ リンはこう言 っています、 一 美は悲 しみの中にあ ります。言い知れぬ辛酸 を なめてなお希望 を捨てなか ったチャップ リンの芸 術観がここには簡潔に表出されているように思 え ます。 しか し、チャップ リンは単 なる芸術家には とど まりませんで した。 チャップ リンは第一次、第二次世界大戦の時代 を生 きています。 それは人間が大量に虫け らのよ うに殺 され る戦乱の時代で した。 また大衆 を酷使 し、 その人間性 を破壊す る時代 で した。彼は、そ うい う時代 を生 きた良心の人 として、平和 と人間 を愛 し、戦争 を憎み、人々 を酷使す る機構 を批判 し、「モダン ・タイムズ

「独裁者

「殺人狂時代」 等の映画 を製作 したのでした。チャップ リンの人 間観、政治的信念は 「独裁者」の演説の中に凝縮 されています。その中には、平和 と人間の 自由を 奪 うものへの怒 りと、名 もない人々への愛がみな ぎっています。 私 たちをとりま く世界状勢 は不穏 で相変わらず 平和 は脅か されているように思 えます。 こうした 現代 にあってこそチャップ リンの生 き方、考 え方 が真 に理解 されねばな らない と思い ます。- 以下 略」 上の文は

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年春に書いた ものである。 私 は彼の作 品の 中か ら 「独 裁 者

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年) をとり上げたい。 これは前年

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年) ポー ラン ド侵攻によって第二次世界大 戟 を引 き起 こしたヒ トラー

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を批判 し、攻撃 した映画である。その映画の末尾で彼は 演説 を行 っている。 これは英語で行 われた名演説 と して、既 にのべ た キ ン グ牧 師 の

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と並ぶ ものであろ う。 彼は人類の将来について先見的な考 え方 をもっ ていると思 う。彼は独裁者の演説の中で

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年に製作 された 「殺人狂時代

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に示 さ れている。「一人殺せば殺人罪だが、戦争では大量 殺人者は英雄 になる」そうい う道徳の二重性 を痛 烈に批判 したのである。 チャ ップ リンを教 えることは、平和主義 と人類 の未来-の展望 を教 えることになると思 う。

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盲 目、聾、唖、三重苦 を克服 した偉大 な女性-レン ・ケラーの 自伝

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は感 動的であるばか りでな く、文芸的に も見事 とい う ほかないO 四季の移 り変 りを触覚 で とらえて表現 した情景、 散歩の途中で突然嵐に襲 われ る様子 を嘆覚 をも働 かせて描写す る迫真の場面、ギ リシァ彫刻の美 し きを手 ぎわ りで鑑賞 し感動す るシー ン等のい くつ かが生 き生 きと記憶 によみがえって くる。 - レン ・ケラーのこの 自伝 は英語 を学ぶ ものに 是非 とも読 ませ たい作 品の一つである。 そこか ら 私 たちは生 きる知恵、人生 をいかに味わ うべ きか について多 くのことを学 び とることがで きる。

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本名 は

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、大英帝国植民地の イン ドに、 税関官吏の子 として生 まれた。 イギ リスの上流階 級の子弟 を教育するパブ リック ・スクー ルの名 門 校 イー トンに学んだが、 当然予想 され るケンブ リ ッジ大学には進学せず、英国の植民地 ビルマ (現 在の ミャンマー)の警察官 として就職 した。植民 地政策機構の最前線 とい うか、末端にある警官 と い う立場 はビルマ民衆の利益 と鋭 く対立 し矛盾す る。彼はそのはぎまにあって人間 として苦悩 し、 植 民地 における強権支配のむなしさを実感 した。 それは彼の随筆

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に生 き生 きとえがかれている。 この作品は文部省検定の教 科書 (一部分省略)に もとり上げ られていたが、 私 の場合は原文で数 えた。 次の一節は私に とって感銘が深かった。それは 自分 の幼少年時代 におけ る植民地朝鮮 の見聞 と重 なる所があったか らである。

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(釈) この一瞬の間に、 白人が暴君になっとき彼 が打 ち壊 しているのは実 は 自らの 自由 であるこ と

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を私は悟 った。 オー ウェルの作 品 はそのほか

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「動物農場」が 多 くの高校で副教材 として好んで 読 まれたが、 この作 品は1945年に書かれてお り、 当時独裁者 スター リンの手に落 ちていたソビエ ト 連邦の今 日の崩壊 を予 見 した作品 として、彼の先 見的力量に驚 きの念 を禁 じえない。

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. アルバ ー ト・セ ン ト・ジ ョル ジ

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(何故 人類 は全 くの 阿呆者 の よ うに振 る舞 うの か) とい うシ ョッキングな一文で始 まる、彼の著 書

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は滅亡の危機に直面す る人類 に対す る警告 の書 で あ り、啓蒙 (

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の書 であろう。 筆者は今世紀貴大 の生化学者であ り、ヴィタ ミ ンCの発見 などの業績 でノーベル賞 を受けたアル バー ト・セ ン ト・ジ ョルジ博士 である。 博士は1986年93才 の高齢で他界 されたが、死の 直前 まで癌の生態 と治療法の解明に努力 された。 同博士 は単 なる科学者 ではない。- ンガ リーの名 家に生 まれた彼は青年期から壮年期 にかけて、欧 州政局の激動に身 をさ らし、 ヒ トラーの秘密警察 に追われ、スター リンに批判的直言 を行 ってその 機嫌 を損 じ、そのため ソ連を逃れて避難 を希望 し たアメ リカか らはソ連 に近す ぎることを理由に入 国を保留され るなど多粍な生涯 を送 って来てい る。 一度はナチ ・ドイツの滅亡後の- ンガ リー大統領 に推 されたこ ともあって第二次大戦前後の激 しく 動 く国際政治の中に身 をおいた。 博士は一貫 して平和 主義者の立ち場 に立って き た。第一次大戦 中、 イタ リー戦線に従軍中なんの 恨み もない 「敵兵」 を殺す とい う非道徳性 と愚か しさに耐え きれず 自らの右手 を射 ち戦線か ら後送 され、処罰 され るこ ともあった。 彼の著書では、人類 は現代の困難 な状況 をいか に生 きのぴて行 くか とい う視点か ら、 また教育的 な視点か ら次の四点 を重視 したい。 1.世界の愚劣 な政 治状況の認識 これは

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年頃の世 界の政治状況であるが、彼 はつ ぎのようにのべ て いる。

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, -(釈)世界で最 も富裕 な国 (米国)においてさえ、 国民の5%が飢えている。世界のその他の地域で は50%の人が飢 えてい る- そ こでは子供 たち は健全 な身心 をつ くるのに十分 な食べ物 もえられ ず、空腹 をかかえて床 に就 く。 こうい う状況が進 行 している一方、米合衆国だけで も第二次世界大 戦以後1兆 ドル を 「防衛」 (か っこつ きの防衛)つ ま り大量殺人兵器 (核兵器)に注 ぎ込んでい る。 もちろんソ連 もお くれ をとってはいない。 -これは真 に犯罪的な話であ る、いや犯罪的で あるばか りではない。 それは愚劣極 まることで も ある--昨年 (1991)秋 であった と思 うが、 日本経済新 聞の記事 の中で、元米国国防長官マ クナマ ラ氏は、 「現在、年間全世界では

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億 ドルの巨費が軍備 に消費されてい るが、その半分 で も福祉、民生に つかわれれば、人類の生活水準は大 き く向上す る だろう (趣 旨)」 とのべ ている。 国防長官 といえ ば、 日本の防衛庁長官に当るわけでそ うい う人物 が この愚劣 な状況 を認識す るほ どに状況は深刻化 しているのであって、私 たちはこ うい う現状 を未 来 を背負 って立つ若い世代に伝 え認識 させ る責任 があると思 う。

2.

道徳の

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重性 このこ とは、既 にのべ たようにチャップ リンの 考 え方 と共に先見的な、人類が未来に生 きのびて 行 く上 で重要 な知恵 とい うべ きであろ う。 この著書の

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(道徳の

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重性) とい う章か ら次の一節 を紹介す る。

(9)

石井清 英語教育42年 に学んだこ と

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__二 二 二 (訳) この2重の道徳規範は外交政策の問題 で、 諸国政府 によって全体 として受け入れ られ用 いら れている。問題点は現代科学が国家 と国家 を分け る要素 としての時間 と空間 を消滅 した とい うこと である。我々の縮小 して しまった今 日の地球上 に は一つの集団つ ま り、人類家族 をうけ入れ る余地 しかないのである。 こうい うわけで一つの道徳規 範 しかない。「良 くも悪 くも自分の国は」とい う考 え方は諸国家が距離によってへだてられている時 にのみ有効 であった。距艶が消滅 して事実上、一 つの グループにまとめ られている以上、我われは、 殺 された人び との皮膚の色、制服、国籍にかかわ りな く殺人は 「殺人」 と呼ばなければならないだ ろ う。同様 に、個人的殺害であれ大量殺害で為 れ 殺人は殺人 として等 しく処罰 しなければならない だろう、た とえ政治が動機 として導入 されて もそ れ を免罪す ることはで きない。 戦前、私 たちの世代の 日本人の受けた軍国主義 的、国家主義的、絶対的天皇制主義の教育の三本 柱 は、 日の丸、君が代、教育勅語であった と言え る。 教育勅語は次のように言 う。 (前略)・・・爾臣民父母二孝二兄弟二友二夫婦相 和 シ朋友相信 シ恭倹 己 レヲ持 シ博 愛衆二及 ホ シ -- (略)-一旦緩急ア レ-義勇公二奉 シ以テ天 壌無窮 ノ皇運 ヲ扶翼 ス- シ- (略) 上 にのべ た道徳律につ いては 「博愛衆二及ホシ -」 までには異論 はない、普遍的なもの として受 け入れ られ る。 しか しその後の

一旦緩急アレ--」に至 って大逆転があ る。戦争があった時には 前の一切 をなげ うって天皇のため、国家のため奉 公 しなさい、場合によっては生命 をささげて敵 を 撃滅 (殺害) しなさい。 そうゆ うことになる。 こ こに道徳の2重性が明 白に語 られている。 これが 国家主義的倫理の正体 である。 すでにのべ られたようにこの縮小 した地球 では こ うい う

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重性 は時代遅れの もの となったのであ る。 この ような

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重性 を持つ道徳に固執す る国民 にそ して人類には未来がない とジョル ジは言って いるし、私 もその通 りと思 うのである。道徳の1 元化 を青少年に理解 させ たい と思 う。 3.科学的精神 人類 を破滅か ら放 出す る原則は何か。 ジョル ジ 博士 は、宗教 にはその力量はない と宗教の血なま ぐさい歴史を回顧 してのべ る。 そ して次のように 言っている。

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(釈) 科学の精神 は善意 と、相互尊敬 と人類的 団結の精神 である。 これは、科学はいかなる単一 の民族や人種によって作 られた ものではな く、人 類共通の財産であって、それは極めて違 った歴史 的伝統的背景 を持つ諸国民、諸民族に よって作 ら れた ものである。科学者 たちはいかな る空間的、 時間的境界をも持 たない単一の社会 を形成 してい

(10)

る。私はある一定の時代のある一定の場所 に生 き ているのだけれ ど、ニュー トン、パ ス トゥールそ してバ ッ- は私の 日頃親 しんでいる仲間である。 科学者は誰であれ私 に とっては私の牛乳配達人以 上に親密な間柄 であ り、バ グウォシ会議が示 した ように、た とえ諸国政府が我われ科学者が敵、味 方 として分裂 しているのを期待 していて も、 自ら の問題 を平和的に論ず ることがで きるのである。 (注)

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バ グウォ ッシ 会議。1955年にアインシュタイン博士 とB・ラッ セル卿が行 った核兵器絶滅声明に応 じて、1957年

7

月カナダのバ グウォッシで世界中の物理学者 を 集めて開かれた会議。 日本か らも湯川秀樹、朝永 振一郎教授等が参加 した。 ジ ョルジ博士は世界平和 を確立す る上で国境 を 超 える科学的精神が基本 になると確信 をもっての べ る。 これは貴重 な提言 として傾聴すべ きである。 4.学力観 私 はこの本 を読んで、学力の質 を考 える上 で特 に感銘 し共感 を覚 えたのは、第10章

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の次の一節である。

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(釈)私がアス コ- ビック酸 (ヴィタ ミン

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を 発見 した時、私 は人殺 しには役立つ ことのない貢 献 を科学に対 して行 った とい う思いで誇 らしか っ た。 しか しその誇 らしさも短命であった。-ある日 のこ と、ある工場 を訪れていた時に、大瓶がた く さん集め られてい るのに気がつ き、そ してそれ ら の瓶 にはアス コ- ビック酸の粗製品が入 っている ことを聞いた。 これ らは ドイツの潜水艦につみ こ まれ、そのおかげで乗組員は壊血病 にかか らずに、 人殺 しの任務 を遂行 で きたのである。 人の病気、生命 を致 うために作 られたはずの薬 が、間接的だが殺人任務遂行 のために使 われてい ることを知 って博士は衝撃 を受 けたのである。 核兵器は人類の最高の科学によって生み出され て しまった。人類 自らの学力 と抜荷 によって作 り 出 した滅亡 とい う悲劇 に人類は直面 している。核 とい う刃物 を扱 うものが狂人であっては困る。 学力は人間 を生かすために、幸せ にす るために 使われねばならない。 このことを教 える もの も、 学ぶ もの も肝に銘 じておかねばな らない。 この項の終 りに

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の読後感想文 (高校3年男子・1975年) を紹介 してお きたい。

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男) 読み始めて感激、その ままずんずん読んでい く と、つ ぎにはジェルジュ博士 は未来の現実的展望 を欠いているのではないか とい う疑問が起 り、 さ らに読み続け

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の終章 において再 び意見が一致 して共感。 とくに、読みなが ら思 ったのは、 これか らの時 代は科学者が政治 を論 じ、哲学 を論ず るべ きであ るとい うことであった。逆に言えば、科学者は研 究室に閉 じこ もった単 なる技術屋か ら脱皮 し、 自 己の作 り出 した技術が社会に どの ような影響 をも たらすか とい う責任 を背負い、 よ り大 きい視点に 立って生 きるべ きである。 こうしたことか らさらに言いかえれば、博士 も 言 っているように政治が二枚舌の レ トリックで行 われ るのではな く、科学的認識に基づ いて運営 さ れ るべ きであ り、 したが って社会科学の分野にお いて客観的で、実証的に認識方法が確立 され、普 及 してい くこと、そ して国会の答弁に見 られ るよ うな、言葉 をこね くりまわ しなが らなん とか ウソ の上に 自らの政権 を維持 しつづ け ようとす る政治 屋たちを一 日も早 く過去の遺物に して しまわな く てほならない とい うことである。 それ らのこ とを 痛感 して、私は正義感にか きたて られた。 Ⅳ 主体的、能動的学習を目指す - 自己表現 外国語授業 を効果的に進めて行 く上 で重要 な視 点の一つは 自己表現である。

(11)

石井清 英語教育42年 に学 んだこ と 自己表現 はなぜ授業や学習 を活性化 で きるか。 その理 由は次の通 りである。 ① 人間疎外の学習ではな く主体 的 な学習であ り、 人間性 の回復 され る学習である。 ② 丸暗記の模倣学習 を超 える創造的 な学習であ る。 (診 学習集団の中での 自己表現 は他 の 自己表現 と 交流発展 し、相互評価 をへ て質 の高い集団-成 長 してい く。 そ して集団の中でそれぞれの個性 と学力は豊かに成長 してい く。 1.英作 文 の 授 業 で 私 は英作文の授業 では、教科書 の問題文 をや る ばか りでな く、教 師の 自己表現 である自作 の問題 を与 えた。 その例 (丑 文型 仮定法過去完 了の文 問題 もし私が平安時代 の中頃に京都 で生 まれ ていた ら、紫式部や清少納 言に会 えたか もし れない。

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② 文型

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比較級 -問題 地価が上 れば、上が るほ どマ イホームの 夢 は遠 くな る。 訳例

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③ 文型 結果の表現法 (不定詞) 問題 青年 は 目をさまして見 る とゴキブ リ (a

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になっていた。

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(注) こ れ は オ ー ス ト リ ア の 作 家

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(1883-1924)の小 説 「変身」 に ヒン トを得 た。 ⑥ 文型

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・・・ 問題 ナマ コはあ ま りに もグロテス クで私 には 食べ られない。

訳例

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ll (注)生徒 が ドッ ト笑 い、反応 を示す問題 であ った。私 はナマ コは好 きであ るが、-次に、生徒 に問題 を作 らせ た。 その作品例 (》 文 型

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+比較級 -問題 ホーム ランを打てば打つ ほ ど月給が上 る。 訳例

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(注) これは大 ヒッ ト作。男子高校生 な らでは の作品。教師には思 いつか ない。 ② 譲 歩の表現法

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主語 十動詞 +-問題 どんなに沢 山 ピーナツをたべて も、政治 家 は腹痛 を起 さない。 (高3男子) 訳例

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(注)訊刺が きいている。何年か たって ピーナ ツ、 ピー シズの意味 もピン とこな くなってい る。言葉 は まさに生 きてい る。 これ はスーパ ー ヒッ ト作。1976年の作品であ る。最近 も佐 川急便等のスキャンダルが続発 し、政 界は一 向に浄化 しない。 ③ 結果の表現法

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・ -問題 私 の心 はさめす ぎて恋 に落 ちられ ない。 訳例

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(注)教 師の私 には思 い及 ばない心境。作者 (高 3女) は大学の仏文科 に進学 した。 ① 仮定法過去 問題 あなたな しで生 きてゆけた らなあ。 訳例

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(注)高

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女子の生徒 のデ リケー トな心理が よ く出ている。 生徒 の英作文問題作 品例 はこのへ んで打 ち切 り た い 。 2.生 徒 の 作 るス ピーチ か ら 生徒 たちの作 る英作文 問題か ら発展 して、生徒 たちの英語 によるス ピーチに至 るが、 その作品数 は実 に

1

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0

0

をこえると思 う。 その中か ら印象的な もの を

2

つ紹介 したい。 因みに、私 は生徒 、学生 のス ピーチは もれな くすべ て録音 テープ にお さめ てあ る。

参照

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