リーソーズ園The Leasowes : 詩心に捧げる趣味の人の名園
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(2) 60. 岩切. た 庭も地形に恵まれたピクチャレスクの. 正介. 名園。 広さもほ ほ 同じでおよそ 64ha だった。 ェン ヴィル 庭. 園を作ったのは 第四代伯爵スタムファドで、 これも装飾庭園の 構想によった。 シェンストンも 手を 貸したのでは、 と言われる。 装飾農園 fermeorn. る. e はフランス語。 多分、フランスにこの 種の庭が作られたのが 始まりで、 1730. 年頃 とされるが、 まだ素朴なものだったらしい。 誕生はしたが、 フランスでは 貴族の庭園として 洗 練 ・発展してはいかなかったらしい。 フランスの庭園 史 がこれを取り 上げるのは逆にイギリスで 完 成した装飾農園を 受容してからであ る。 イギリスで見ると、 詩人・国務長官。 ジャーナリストなど 多彩な活動をしたアディソン. Addison (1672-1719) が「自分の地所全体を 美しい景色、 一種の庭のように 作るのもいい」 と 提唱したのが. Joseph (要約 ). 最もはや い 。 イメージされていたのはフランスやイタリアの 整形庭園でなく、 イギ. リスにふさわし い 新たな自然風景 式 庭園で、 1713 年のこと。 次に 1718 年、 理論と実作で 活躍した ス イ ソ ツァー. StephenSwitzer(1682-1745). も 作った (サイレンセスター・. パ一. ク. が 庭 造りの基本として. 提唱し、 それに基づいた 貴族の庭. などが代表 ) 。 屋敷と農園を 広い直線路で 繋いで骨格とするま. だ 折衷式の庭園であ った。 そこでは実際にはフランス 幾何学 式 庭園で多用された 直線の長いアヴェ ニュー. ( 並木. 路 ) や散策略、 運河 (長方形の池 ) 、 パルテールなどが 組み合わされていたが、 スイッ. 、ソ ァ一の頭にあ ったのは古代ローマに 遡る農園庭園であ った。 スイッツァーはこれを. rural. gardening の名で 18 世紀のイギリス 貴族に示したのであ る。 ローマ時代も 当時のイギリスでも、 地 所こそ貴族の 本拠。 かってローマの 農園がそうであ ったよ ギリス貴族の 農園を大規模に 屋敷と一体化して. 美化する、. う. に. ( と スイッツァーは. 考えていた ) 、. という考え方が 核心にあ. WoburnFarm. イギリスの本格的な 装飾農園の始まりはウオーバーン・ファーム. イ. った。 とされる。 サリ. 一 州のウェイブリッジ 近郊でサウスコート 卿が 1734 年から作り始めた。 ヴ オーバーン・ファームで は 150エーカ一の地所のうち、. 35m 一 カーを対象に 美化した。 一巡する回遊路を 設け、 路端 を花、 低. 木 、 樹で飾った。 もっとも手のこんだところでは、 まず縁取りは セキ チク タチアオイ、 アキノキリンソウ、 ョウラクュリ 、 ラ. 、 バイカ. ウ ツギ、. ュリ. ( ナデシコ ) 、. その奥に、. などのボーダー、 その背後にライラック、 バ. スイートバライアなどの 潅 木などを置き、 さらにその背後にブナ、 ハン /. キな. どの高木を並べた。 また、 塵覚のさまざまな 風景を楽しむ 眺望点を随所に 設定。 八角形の建物、 礼 拝堂の廃嫡、 ゴシックの建物、 動物舎、 椅子やべンチ、 アルコーブ. ( 園 亭の古語 ) 、. 橋も置いた。 地. 域内には蛇行する 川があ った。 35ェ 一力一の内部は 放牧地と耕地であ った。 サウスコート 卿は、 ひ とつにこのような 庭園のヒントを. 教養旅行の途次、. イタリアでみた 農村風景から. 得たという。 シェ. ンストンの周辺では サ クスコート卿の 装飾農園をモデルにした 庭もすでに二 つ 三 つ 造られていた。 シェンストンが 実際に目にして 参考にしたのはこれらの 装飾農園であ. ったといわれる。. この意味で. シェンストンのリーソー ズ はサウスコート 卿のクオーバーン・ファームに 遡るものといえる。 シェンストン 等の理解する 装飾庭園は、 地所の周辺 を 設け、 路傍を低木や. 花で彩る。. (正確には庭園と. 定めた地域 ) を巡る散策 略. 方だと、 牧草地や耕地はそのまま 使えて経済的で あ った。 散策略にはピチャレスクの 点景物が装飾に 置かれた。 ケントの風景 式庭園と同じように、 装飾農園でも 大切なのは、 見ると連想する、 あ るいは見ると 想像するという 体験であ る。 風景画の ような美景を 眺め、 点景物によって 連想や想像が 誘発される。 庭園を廻りながら、 二層にわたる、 しかし分かちがたい 庭園体験をするのが 基本と想定されていた。 違いは花の楽しみであ る。 このような造り. 庭園の周辺を 巡る散策略自体は 、 早い時期のものではストウ. 園. (1727より ) に見られた。 これは.
(3) 61. リーソーズ 園 探訪. 庭園という限られた 空間を散策する 者が 、 外の広い空間を 見るために工夫されたものであ った。 外 をみる、 それも四壁の 所々に設けられた 透かし柵のような 狭い所から外の 風景を覗くのではなく、 できるだけ広く 外を見る、 これが時代の 新しい感覚の 求めるものであ ったから。 ただし、 ブリッジ. マンが作り出した、 庭 外の広い景と 対面するためのこのストウ 園の散策 略 はまだ直線であ った。. さ. らにここから 進んで、 庭の端といわず 内といわず、 散策略のすべてが 曲線化するのはケントの 造っ た ロ ウシャム (1738)からとされる。 ほ ほ 同じ頃 、 素人造園家の 小貴族ハミルトンが 曲線の散策略 を. 一周させながら 順次ピクチャレスクの 点景物を味わわせ、 また随所で美しい 眺望. (庭園の内外 ) を. 楽しませる庭を 作り始めている (1738-1773) 。 サウスコート 卿の庭はそれらに 先駆けるものと 位置. づけられる。 18 世紀の半ば頃 、 装飾庭園を造ったシェンストン 等教養あ る農園主たちは、 シャフ ッベリや アデ ィソン、 またポープやランバレ 一など新しい 時代のイギリス 庭園を語る言葉の 他に、 これらイギリ スの 造園の実際の 展開を知っていたであ ろう。 装飾農園は英語では Ornamentalfarm. という。 18. 世紀の半ば 頃 イギリスでは、 この名で作られた 庭は多かったとされる。 しかし、 この呼称はいま 振 返ってみれば、 おもに構想の 由来を知ろ. り. う. とする場合にだけ 意味があ るようだ。 実際に作られた. 庭はい わ める「ピクチャレスクの 庭園」と区別がつきがたい。 またあ えて区別をつける 必要があ る よ. う. にも 思、えない。 シェンストン 自身も、 丁 造園断章 コ では Landskip garden 面 g を Picturesque. gardening と言い換えている。 いわゆる「ピクチャレスクの 庭 」とは、 風景 式 庭園として展開してきたイギリス 18世紀の庭の 一. 類型を後代ひとくくりにしたものだろう。 つまり後 (18世紀末 ) に、 ピクチャレスクという 便利な 言葉が一般化したことにともなって 生まれた呼称であ る。ペインズヒル・パーク やスタウ アヘッド 、 あ るいはマウント・. ェジ カムやホークスト 一 ン. ・. パ一 ク. などが代表とされる。 これらの庭でも 回遊. 路 をたどると美景と 連想、との複合した 楽しみが与えられる。 装飾農園といい、 「ピクチヤレスクの 庭 」といい、 この二つの庭の 類型は、 結局、 ひとっに吸飲する。 美景と連想の 庭であ る。 美しい眺 めの中に廃 嘘や グロット、 神殿や彫像、 流れや橋、 滝や潮、 そして小森が 点在する。 変化に富む 庭 の外の眺望も 楽しむ。 そして、 またこうした 造りが想像力を 喚起する。 このようなタイプの 庭は、 イギリス風景 式庭園を最初に 作り出したケントの 総合的な庭を 洗練さ せたものとも 見ることができる。 ちなみに、 ケントの庭から 展開したも ンの緑 一色の風景 式 庭園であ ろう。 ブラウンの庭は と. ( できるだけ ). う. ひとっの類型は、 ブラウ. 点景物や花を 排除し、 芝生と 樹. 湖で構成される。 これはケントの 庭に含まれていたふたりの 要素のうち文化的連想を 誘 3 点景物. をできるだけ 取り去り、 もう一方の要素であ ったイギリスの 風景をより明確に 純化したものと 考え ることができる。. 2.. リーソース園を 廻る. 名園の名残でもいいから 実際に見られるか。 事前に分かっていたのは、 リーソー ズ が今は市有地 で、 中心部分がゴルフ 場になっているという 程度のことであ った。 イギリスの詳細地図. ( コリンズ. 社 ) で調べると、 ここと思われる 場所にゴルフ 場の旗印がついていた。 今回の一泊庭園探訪. (1999 年9. 月. 11 日 ) の途中、 バーミンガム 駅の乗り換えの 時間に、 ともかく. なにか最新の 情報が得られるかも 知れないと思い、 構内のインフォーメーションに 寄った。 そこは 観光でなく交通のインフォーメーションで、 係官は「聞いたこともない」と 言った。 しかし、 拡げ.
(4) 62. 岩切. てくれた地図. (バス路線図 ). 正介. をのぞき込んだ 連れ合 いが 目ざとくも LeasowesPark. なるものを見. つけた。 それはかなり 大きな地図の 下方にあ った。 きっとここだ。 よくぞ見つけたとうれしくなる。 バスの路線図と 運行時刻表をもら い ホームに戻った。 バーミンガム 駅の乗り換え 時間 Wg 分で、 その 間のすばらしい 成果だった。 それでは二泊旅行にしょう、 リーソー ズ にも行く、 と改めて決めた。 リーソー ズ ヘ向かう日も 晴れ、 暖かかった。 この日の予定は Shrewsbury-Birmingham一 LeasowesPark-. Vバス ) 一 Blrmingham-York. リーソー ズ はハドリー Hudley. という. Vバス ). であ った。. W の所有する公園になっていた。 バス停で降りて 公園へ入. っていくと、 プレハブの公園管理事務所があ る。 ちょうど無人で、 机の上に簡単なパンフが 置かれ ていた。 傍らに小さな 駐車場。 右手に運河の 土手。 そこをまず歩く。 左手に湖が見えてくる。 土手 を降りて 湖へ 。 これでいよいよリーソーズ 園に踏み込むことになる。 イギリスの庭園用語では 大小. にかかわらず 湖 lake 備の感じで. ゴミ. と言. う. 。 ここの湖は形はいいが、 小さい。 日本人の感覚では 池 だろう。 未 整. も枯木も目に 付く。 釣り人が数人。 右手に芝生の 小 丘 。 形は良く、 斜面の起伏が 絶. 妙 。 犬を放ちながら 散歩する人がいる。 その不正にあ がって先を窺 うが、 何もない。 湖の岸に戻っ て、. 藪を潜り修道院跡地にでる。 今はゴルフコースの 下端。 そこから芝生の 広い斜面が見上げられ. る。. かなりの傾斜があ って 、 我々の感覚ではむしろスキ 一場のゲレンデのようだと 感じる。 丘の上. にはクラブハウスが 見える。 改めて足下の 四角い跡地を 見る。 いまは 2 ホール目のティーバラウン ド。. かってここには 点景物として 有名な廃 嘘 弍の修道院があ った。 図版でみた姿を 思い浮かべる。. 修道院の廃 城 とはい. う. が、 それは見かけ 上のこと。 新築されたもので、 外観はゴシックの 廃嘘夙 に. 作り、 内部は住宅としてこぎれいに 整えてあ った。 シェンストンはこれを 老夫婦に貸し、 乏しい収 入の足しにした。 湖の岸に戻り、 そこから谷の 渓流を遡る。 木立の下で暗い。 整備は進んでいない。 倒れたままの 樹もあ. り、 荒廃の気配が 漂う。. 庭園書などでは 当国随一の見所とされる「ウェルギリ. ウスの森」へいたる。 必見の点景物であ った「高い段々 滝 」やバロット 、 オベリスクもない。 オベ. リスクにはウェルギリウスの 詩句が刻まれていた。 右手の木立を 抜けて再び丘の 斜面にでる。. クラ. ブハウスはまだ 見上げる位置にあ る。 クラブハウスの 前でパットを 練習しているゴルファ 一の姿も 見える。 芝生ではプレイ 中のゴルファーもいる。 ボールが木立の 中に消えたらしく、 しばらく中断。 様子をみて、 我々は芝生を 横切って 、 向こう側を探索。 あ るはずのアルコーブ. ( 園亭 ). はなかった。. 代わりに何か 専門学校らしい 軽物があ って 、 門が閉まっている。 試しにその下方の 数の多い 林へ踏 み人 み、 斜面を降りると 谷川の様な水の 乏しい 川へ 出る。 そこから戻り、 さらに芝生に 沿って斜面 を上る。 木立ちの途切れた 所があ るので、 中を覗く。 コースの一部と 思しき芝生が 広がり木立に 取 り. 囲まれている。 引き返し、 クラブハウス ヘ近 づき、 昼食が取れるか 思案。. あ. えて入れば食べられ. そうであ ったが、 閑人者と見られそうだ。 諦めて、 空腹 を我慢して見物を 続ける。 クラブハウスの 位置にはかってシェンストンの 屋敷があ った。 ここからの眺めは 絶景の一つ。 往時、 芝生の斜面を 下ったところに 修道院の廃 櫨が 見え、遠方にへイルズ・ オ ウエン教会の 尖塔が見えた。 肖像画 (1761) の ポーズもここで 取られた。 渓流の谷に戻りまたしばらく 登ると小池があ る。 一息ついて、 また登 る。 森の中の斜面を 登り、 丘の尾根に至る。 これを 左. (正確にい うと 西方 ). にたどって行くと、 や. がて森の開けたところに 出る。 いまはなにもないが、 かって「牧神パーンの 神殿」があ った。 ここ. は良き眺望点と 考えられ、 ベンチが整えてあ った。 南西方面には へ イルズ オ ウェン教会の 尖塔やク レント・ヒル、 フランクリー・ビーチ ィズ が格別美しく 眺められた。 庭園が 傭 敵され、 所領の放牧 地で草をは か 羊も点景となった。 さらに少し西寄りに 進むと台地があ り、北西の方面にリーキン. 出、.
(5) 63. リーソーズ 園 探訪. その遠方にウェールズ 山地が見えた。 帰路は道なき 斜面を降りいささか 難儀。 上から見た目以上に 草が密で起伏があ り、 樹間には細流 れもあ って渡る場所を 探さなくてはならなかった。 事務所に立ち 寄ると女性がひとり。 壁に展示してあ るリーソー ズ の古い絵図や 復元予定図など 十 点ほどをカメラに 収めた。 女性が主任 chef を呼んでこようかという。 イェス. と 答え、. 奥の空から. 出てきた主任にあ れこれ質問。 いろいろ教わった。 カスケードなど 大関係のものは 一年以内に復元 するという。 ハドリ一の町のホームページで 復元の進展を 見られるともい 姿の肖像画 は、. (1761) の複製も見せてくれた。. 繊細な人かと. う. 。 シェンストンの 立ち. 予想はれるかもしれないが、 シェンストン. 肥満体、 丸顔の人であ る。 主任はシェンストンの 立っている場所、 開けた扉から 見える背景の. 廃 嘘を指さした。 遠くには へ イルズ オ ウエン教会の 尖塔も描かれている。 シェンストンの 遺体はい まここに眠る。 それが教区の 教会だったから。 これほどの名園もシェンストンの 死後はすぐに 売却され、 人手を転々とした。 庭園は荒れる 一方 であ った。 およそ十年後、 ここを訪れた 作家ゴールドスミスは、 もしシェンストンがこの 庭に戻っ てきたらその 変容に驚くだろう、 シベリアの荒野にいきなり 俘む 思いがするはずだ、 といった。 名園を訪れた 人物は、 このゴールドスミスの 他に、 サミュエル・ジョンソン 博士、 トマス・バレ. イ. ジョン・ウェ ズリ 、 ウィリアム・ピット、 トマス・ジェファーソン、. る。. [ 四季団の詩人トムソンもいる。. ジラルダン侯爵などがい. 半年のヨーク 大学研修の期間 (1999年前期 ) におよそ 80 ほど巡ったイギリスの 庭で最後になった のが、 奇しくもリーソー ズ であ った。 復元未だし、 との印象は強かったが 満足した。. 3.. ド. ズリ一の. V. リーソース回遊. 言已山. 以下、 シェンストンの 死後、 友人達が編んで 出版した『リーソーズ 回遊記. LeasoWes1764 によって、 回遊 路 をたどってみたい。 ロバート・. ド ズリー. コ. ADescriptionofThe. 託 とされているが、 友人. の トマス・パーシーやリチャード・ジェイ ゴウ 等が作成し、 ド ズリーが出版したというのが 正しい. ようだ。 『リーソーズ 回遊記』を読む 上では、 ハドリ一町の 担当部局が作成した「復元計画書」 The LeasowesRestorationMasterPlan. と「表示一覧」 Key ぬ RestorationFeatures. がよい手助けに. なる。 ともに事務所の 展示パネルになっている。 これを見てはじめて、 我々が見て廻ったのは、 西 半分で、 東半分が未整備のままの 残されていることが 分かった。 回遊は樹下の 渓流の中ほどから 下方へ向い、 湖と 修道院 廃 嘘を経て、 およそ 左 廻り、 もう一つの 渓流の段々滝をみ、 東丘 になる. ). ( と仮に呼ぶ ). へ 上って眺めを 楽しみ、 そこから庭園の 上方 (屋敷の背後. を西に向かって 横切り、 もう一つのさらに 高い 西丘. ( とこれも仮に 呼ぶ ) へ 上り、. 「牧神パ. 一ン の神殿」やテラスから 眺望を楽しんでから、 西の境近くの 斜面を下り、 最後は出発点近くへ 戻. り、 渓流の上流例すぐの 所に造られた「ウェル ギ リクスの森」 なるよ. う. へ 至る。 回遊のハイライトが 最後に. に造られていた。 回遊は、 たとえば物語の 起承転結といった 展開に沿. う. よ. う. に考えられて. いたのかもしれない。 シェンストンの 言葉でいえば、 叙事詩あ るいは劇詩の 展開であ る。 以下、. 『リ. ーソーズ回遊記 コの 概要であ る。 リーソー ズ は サ ロップ州の小さな 市場町ヘイルズ オ ウェンの教区にあ る。 シュルーズベリから 30.
(6) 64. 岩切. 正介. マイルで、 シュロップ州の 州境からがよそ 10 マイルあ る。父の代にはとくに 美しいとの評判はなく、 美しさを発見し、 これを十分に 発現させたのは シヱ ンストンであ る。 現在では趣味の 人がぜひ訪れ ぅ. 一級の地所となっている。 シェンストンの 努力は、 自然の美しさを 少しも損なうこ. となく、 それを十分に 引き出すことにあ った。 今のような姿になったのは、 熟慮と工夫の 結果であ る。. しかし、 地形、 樹木の配置、 段々滝など、 どこにも人工が 感じられない。 さらに詳しく 述べよう。. バーミンガムからビュードリヘ 向かう道を来て、 ヘイルズ オ ウェンの手前約 半 マイルのところで 左へ 折れて緑の小道へ 入る。 小道はうねって 樹下の谷へ下る。 目に入るのは 廃櫨 風の石塀とそこに くり抜かれた か t. な アーチ門で、. それには「修道院の. 門」. PrioryGate の名が刻まれている。 (注. :. これは後出の 記述では渓流を 渡った向こう 岸、 つまり左岸にあ るよさに書かれている ) 。 ここから来 訪者は回遊を 始めてよい。しかしふつ. ぅ. は馬や馬車を 屋敷まで進める。屋敷から芝生を 越えて戻り、. 小さな門を潜って 谷へ 降りる。 入るとすぐ右手に 小池があ る。 散策路は屈曲している。 小池も散策 路も樹陰に覆われ、 谷は狭い。 谷はひんやりと. 暗く. 、 厳かで、 別世界であ る。 今までの明るい 世界. との対照がつよく 感じられ、 とっぜん地下世界へやってきたような 感じがする。 我々は谷の散策略 (左岸 ). を下りて行く。 傍らに木の根で 造った小さな 小屋があ る。 銘 板に詩が刻まれている。 この涼しいグロット 、 苔むす小屋にわれら 田舎の妖精は 住む。 人目には見えないが、 中天の月が菩提樹の 枝を通して月光を 送ってくると、 われら妖精は 水晶のような 水の流れのそばで 月の光に戯れる。 月光は流れに 跳ね返り 我 らを輝かせる。 芝生は雛菊で 刺繍され、 あ のパリアン白磁を. 敷き詰めた 床 よりすばらしい。. 我 らは巧みな人工の 調べを求めない。 そのかわりに 水が静かに落ち 行く昔を耳にする。 われわれの平穏な 光景を味わえば、 君の胸の内も 澄んでくる。 悩みは消え、 争いを忘れる。 人を毒するものがすべてなくなる。 それに代わって 人への愛が芽生える。 畏敬をもってこの 木陰を歩いてほしいものだ。 ホは 折らず、 花は傷つけないでほしい。 そ. う. すれ ば 君の通る道は 芳香に満たされる。. 作法を心得ず 我ら 妖精の世界を 傷つける者は、. 身の災いを覚悟しなくてはならない。 (江. この妖精の国のような 雰囲気は、 さらに谷を下っていく. やがて先述した「修道院の 門」を潜る. (注. 原詩は 4 聯で、 1 聯 6 行 ). 間もしばらく 続く。. : ここの記述では 左岸にあ るよ. う. に読める ) 。 ここから. 世界が変わる。 高い樹々、 見上げる不規則な 地形、 ごつごつした 岩 崖の景観になる。 右手 にはとても自然に 見えるひとつの 段々滝が見える。 左手. ( 下流 ). (上流 ). には急斜面を 上る樫の木があ る。. 中央には樹間を 通して美景がみえ、 ヘイルズ オ ウェン教会の 尖塔が遠くに 見える。 廃嫡風の壁があ.
(7) 65. リーソーズ 園 探訪. りその下にべンチがあ る。 それにウェルギリウスの 詩句が刻まれている。 樹下こそわれらが 住処. 岸辺は臥所、 草原は住処 すこし下ると 切り株に板を 渡した簡単なべンチがあ. リーソー ズ では見所を観賞してもら ると滝は内部にアーチを. 抱えて、. う. る。そこから先ほどの 段々滝が正面にみえる。. ためにこの種のべンチが 随所に置かれている。 ベンチから見. 美しい一幅の 絵をなしている。 右手に渓流の 瀬音を聞きながらさ. らに下る。 またべンチがあ る。 そのべンチから、 先ほどの へ イルズ オ ウエン教会の 尖塔を含む景色. が違った形で 眺められる。 驚くほど美しい。 右手は小森が 斜面を上っている。 水は小石の上を 流れ てやがて湖に 入る。 湖はよそでは 見たこともないほど、 自然で夫 い 。 岸にシートがあ り、 農園の外 の美しい変化に 富んだ風景と 村 々が眺められる。 近くにはかって 修道院の僧たちが 造った養魚油. が. 連なっているが、 これは見えない。 「. 廃 嘘の修道院」. Prlo. 「. y を左にして、 湖から、 もう一つの 谷 ( かりに乗合 と 呼ぶ ) へ 向かう。. 谷 には空地があ る。 ここは両岸とも 樫と ブナで覆われている。 左手にべンチがあ る。 人目を離れた ひっそりしたところで、 目はしばらく 緑の野外. 場 といった趣のその 場で 憩、ぅ 。 そこから少し 進む. と、 樫の木が一本、 天蓋のように 大きく枝を広げ、 その下にシートがあ る。 シートの背面に 銘があ る。 シートからこの 農園の美しい 眺めが得られる。 小さいが変化に 富む芝生が、 よく育った樫の 木々 と 丘陵に囲まれている。. 左手の斜面の 上に 、 笛を吹くファウ ヌス の像があ る。 この像は樹に 囲まれ. ている。 右手には飾り 壷が置かれている。 表に「天性と 友情へ。 G. ソマヴィル ヘ 捧ぐ」という 銘、. 裏 には「涙して 灰をまく」と 刻まれている。 ここは左右と 背後から木に 取り囲まれ、 前方に開ける 芝生は起伏してやがて 視界から消える。 ここで門を入り、 いろいろな種類の 柳の木の間を 抜けていく。 すると、 ホの 根で造った大きな 小 屋へ導かれる。 小屋はスタムファド 伯に捧げられたものであ る。 ここから 150 ヤードほどの 長さを 流れ落ちてくる 滝を目の当たりにする。 段は 20 を越える。 滝は 、 荒々しく、 ロマンチックで、 不規. 則 、 そして同時に 自然にみえる。 滝は 、 樹で覆われた 所から落ちてくる。 樹はおもに様であ る。 滝 の眺めは複雑絶妙であ る。 景の全体は比較的小規模だが、 大きく見えるよ. う. に工夫されている。 滝. は 壮麗で美しく、 他の園では見られない。. 道を右に取る。 シェンストンが「林の. 景」 伍 rest. ground. と呼んだところに 差しかかる。 樹影. の 濃い小谷を通して 荒々しい緑の 斜面が見える。 そこには耕地も 混在する。 これも農園内の 景色だ. が、 サルヴァト一 ル ・ローザの絵筆にふさわしい 眺めであ る。 芝生の傍らを 上っていくと、 ときお り. 、 ヘイルズ オ ウェン教会の 尖塔がオベリスクのように 見える。 やがて樫の木が 円形に並び、 あ た. かも天然の園事といった 趣のあ る所へ出る。 ここに. ドズリー氏に捧げた. ドズリー 氏へ. 友よ 、 ここへ来て牧歌の 趣味を見せてくれたまえ. 君がくれたファウ ヌス が田舎の調べを 吹くのを聞きたまえ あ あ 、 むしろ、 ここの渓谷では. 他人の調べではなく、 君の調べを奏でたまえ. 碑文があ る。.
(8) 66. 岩切. 正介. ここから土手に 上がれ ば 、 先述した笛を 吹くファウ ヌス 像が樫の古木に 囲まれて良い 位置に見え る 。 ファウ ヌス の像は屋敷の 前庭からも見えるし、 ほかのいろいろの 所からも見える。 先ほどの三. 方を樹に囲まれた 芝生も、 農園 外の グロテスクで 丘陵の多い景色も、 樹間から透かし 見えたり、 ま た 隠れたりする。. つぎのべンチ ヘ 至るとはじめて「 廃 嘘の修道院」が 見える。 ここから見ると「 廃. 嘘の修道院」は か C?いが威厳が感じられる。 門を通って疎林へ 入る。 ここのシートに 座れば樹間に ピクチャレスクの 眺めが得られる。 遠方に 、 緑の丘が見え、 そこに白い小屋が 立ち、 樫の樹 群 に覆. われている。 ここから円形のブナの 神殿はごく近い。 それはブナの 木がドームを 形 造っているもの だ。 シェンストンはこの 中央に古代の 祭壇、. あ るいは牧神パーンの. 像を置こうと 考えていた。. ここから森をすこし 上ると、 ベンチがあ る。 背面に 、 「ここはびっそりした 隠遁の森であ る」と語 る銘文が刻まれている。 左手の丘の上にはシェンストンの 白い屋敷が見え、 右手の丸い斜面に 、 大. きな縦の林の 中にピラミッド 風の建物に収まるシートが 見える。 そのシートに 向かう途中、 樹間を 通して、 緑の斜面を越えた 先に、 廃 嘘の修道院」が 先ほどより美しく 見える。 緑の斜面には 樫の樹 「. が 美しく配置されている。. さらに回遊路を 進むと、 小さなべンチがあ り、 ここから周辺の 地域へ向. かって眺望が 開けてくる。 4 マイル先にピラミッドに 似た温室がひとつ 見える。 この地方の温室は み かそのように 見える。 ゴシックの形をしたシート. ( ピラミッド形のシート ). からは、 森と 芝生、. 丘陵と谷、 低木林と平野がほどよく 混じり合った 外の風景がもっとよく 見える。 シートの背面に 詩 が 刻まれている。. 羊飼い. よ. 、 ここには田舎の 楽しみがあ る。 田舎にふさわしい 静かな喜びだ。. 緑の谷と輝く 泉 、 丘の斜面にゆれる 樹、 小川の音がこだまする 洞があ る。 花の咲くつ ぽ みに魅力を感じなければ、 人の群れに戻って 、 金を探すがよい。. 静かな喜びは 飽きがこない。. ぅ. るさい喜びを 遠ざける。. 愛だけが霊感を 与え、 優しく願い、 暖かく励ます。 理性の声に耳を 傾けよ。 羊の毛の衣装を 笑. う. 女は羊飼いを 愛せない。 純朴な行いと 飾らない着物こそ. 羊飼いの女のもの。 礼節を知り、 よく考え、 率直に話す。 わざとらしい 風は避け、 慈悲深く、 子羊が死ねば 悲しむ。 金銭や騎 慢 のために、 このような魅力を 斥けるな。 これもひとっの 世界。 穏やかな感情が 支配する。 君の憩いを増すために 花はっ ぽ みをつけ、 泉はあ ふれる。 健康な食卓を 飾るため、 ミルクと果物があ る。 これ以上のことを 求めるな。 他のことは虚しい。 楽しみは苦しみに 終わるもの。 金のメッキははがれて 苦悶が顔を出す。 願いは塞がれて 終わる。 これ以上のことを 求めるな。 (注 :. 原詩は 12 聯で、 1 聯 47 〒). ここから緑の E の裏 側を通って頂上へ 至る。 小門を潜ると 頂上. (東 E). になる。 頂上には縦の 木. に囲まれた八角形のべンチが 用意されている。 ベンチの背面には「リーキン 山 周辺の友すべてに」 という 剰軽 な銘文が刻まれている。 リーキン山は 30 マイルの遠方. (西方 ). に望まれる。 また、 長い. 小川が丘の裾を 蛇行し 、 橋がひとつ架かり、 それを越えて 農園外の眺めが 広がっていくのが 見られ.
(9) 67. リーソーズ 園 探訪. る。. 風景は限りなく 多様で、 どこを切り取っても 喰 えようなく美しい。 八角形のべンチはこの 周辺. の景色を眺めるためのものであ る。眺める方向は 八つで、 縦の木が額縁になるよさに 配されている。 正確にい うと、 縦の木が八つの 小部屋を作り 出すのだ。. あ る景色は、. 小屋と屋敷裏 のうねる道と 芝. 生の丘。 あ る景色は、 ヘイルズ オ ウエンの町、 そして 湖と 緩やかな土手であ る。 全体のパノラマを いえば、 丘と 谷、 平野と 森 、 村々と屋敷があ り、 緑の丘陵が 中景 、 遠方の青い山が 遠景である。 れらがロマンチックに 混ざり合っている。. 頂から下り、 二つの 小 t. な べンチの間を. 1. こ. エーカーとして 平らが土地は 見当たらない。. 通る。 ベンチからの 眺めはそれぞれ 趣きがあ り、 洗練さ. れた趣味の持主には 見逃せない。 われわれは低木の 密生する林を 抜けて窪地に 至る。 ここが流れの 発する所で、 下方には川の 姿が 橋 と一緒に見られる。 窪地から上り、 「ゴシックのアルコーブ. (国事. の古語 ) Gothic Ⅲcove に至る。 ここから、 樫の大木と高いブナの 木が左右にあ る斜面を見下ろす。 」. ゴシックの. 園 亭の背面に銘文があ る。. 宮廷で幸せに 暮らす者も 金稼ぎに勤しむ 者も ここに満足して 暮らす者を不幸と 思 屋敷の素朴な 家具や調度を 喘. う. うな. な. 朝夕に世俗の 憂いもなく散策すること 花咲く芝生のそぼで 無為の一日を 過ごすこと これを許してほしい 欺楠 や手 いが 宮廷で見られても 大目にみよう この渓谷はそれと 無縁で平和なのだから (注 :. 「ゴシックのアルコーヴ」から、. 原詩は 4 聯で、 1 聯 4 行 ). 木立で囲まれた 大きな芝生の 斜面が眺望される。 芝生には一本. 立ちの 樫 、 また一群れをなす 樫が点在し、 下方では先ほど 見た屈曲する 川が芝生を横切っている。 ここの景色は 変化に富んでいる。 五々は起伏しうねって 長い 合 へ続いている。 また、 森の斜面と ヒ 一スが 対照的に見られる。 ヒースは道路で 区切られている。 「ゴシックのアルコーヴ」のすぐ. 近くに. シートがあ って、 ここから川の 流れがかなりの 長さに渡ってさまざまの 姿で見られる。 小さい門を潜ると、 別の芝生に出るが、 左右は倭林の 崖で、 その間に起伏する 丘が続き、 今まで とは対照的な 景色になっている。 芝生の上辺を 歩いていくと 枝を広げたブナの 下にシートがあ る。 そこの銘文は「耕地は 広くない。 庭も広くはない。 近くに 泉と 少々の森があ る。 神々がもっと 増や してくれますよ. う. 」であ る。 シートからさらに 行くと、 斜面の芝生の 真ん中に 、 樹と 低木に半 は 隠. れてシェンストンの 屋敷が見える。 右手には立派な 樫と ブナの小森があ り、 そこから出る 流れが 見 える。 10マイルから 12 マイルの遠方にはスタムファド 卿の地所が見え、 そのまた遠方にクレー・. ヒ. ルズが見える。 ここからの眺めは 変化に富み、 すばらしい。 さらに進みまた 小門を潜ると、 (屋敷を囲む ) 柵を過ぎて、 合 へ下り始める。 その途中にべンチが.
(10) 68. 岩切. あ り、. 斜面を覆. う森と. 正介. 荒れた傾斜地、 そこに混ざる 滑らかな緑の 斜面と耕地が 近くに眺められる。. 回遊路は広い 芝生の端へ至る。 まもなくシートがあ る。 右手には先ほど 見た流れが、 樫と ブナの 幹 の間に見え、 樹が谷を下って 続いていくのが 見える。 左手には樹木に 囲まれた屋敷、 その遠方にク レント・ヒル. ( クレントの丘 ). の頂き付近が 見え、 中央には長い 芝生の斜面を 下ってその向こうに、. ヘイルズ オ ウェンの町と 教会の尖塔、 さらにピクチャレスクで 美しい背景が 見える。 回遊路からすこし 逸れたところに、 ジョゼフ・スペンス 氏に捧げられたシートが 堂々としたブナ に 囲まれて置かれている。 銘は「ミューズにこと 寄せ、 友情に捧げる。 1758 年」 (要約 ) であ る。. さて我々は小さな 門を通って、 「恋人の散策略」. Lover.sWalk. にやって来る。 形のよい池の 全景. が 樹木に縁取られて 眺められる。 一方にハンノキ、 他方に 樫と ブナがあ る。 中央の池越しにへ 々ル. ズオ ウエン教会が、 背後の丘陵に 立つ一群の家屋とともに 見え、 森の広がりが 空と接しているのが 眺められる。 池辺にもう一つのべンチが 用意されており、 少し異なる景色を 見せてくれる。 樹間に 白い家々が散在する 兄上の村が先の 景に加わるのであ ート」. る。 流れに沿って 少し上がると、. 「達引きのシ. Assi 糾 ationSeat に出る " 一本のブナの 枝がシートを 覆っている。 背面に銘文が 刻まれている。 ヒ ブラ山の花より. 白く. 白鳥より白く き づ たより晴れやかな. 上っていく。 小川のせせらぎの 音を耳にし、 穏やかな 哀 進むと、 飾り壺に至る。 「ドルマン嬢に 捧げる」と文字が 刻まれている。 天. 散策略はここから 深い樹陰をゆるやかに 愁 的な景を目にしながら. 然痘 のために 21歳で急逝した (1746)シェンストンの 従姉妹であ る。 裏 面に、 もっとも惜しい 人を失 った情が刻まれている。 もっとも優雅な 乙女マリア 急逝した美しい 花よ さようなら この世に残る 者といても. 何の甲斐があ. ろう. 私を思い出してほしい. ここから昇りが 急になる。. ハリ ェ ニシダの茂る 不規則な凹凸の. 地面を行くと か t. な 池にでる。 こ. こから樹間に 屋敷が見える。 この辺りの景色は 全体に楽しくない。 丘の斜面をうねりながらさらに 上ると小さなべンチがあ り、 A. ポープの詩句が 刻まれている。. 「思慮少なき. 事は 、 神に忘れられる」. (Eloisめ 。 前方に開けているのは 樹木および茂みからなる 寂しい眺めで、 その先は 、 頂に縦を戴く 緑の丘であ る。 この丘を上って 行くが、 ここではうねる 散策路の便利 t と美しさをともに 味わう。 最初にあ るシートには、 そこから眺められる 田舎の景色に 合わせたウェルギリウスの 詩句が刻まれ ている。.
(11) 69. リーソーズ 園 探訪. 広い農園には、 気ままな閑暇があ る。 洞穴、 湖 、 涼しい谷があ り、. 牛の哺き、 木陰のまどちながあ る。 (注. : 『農耕 詩 』 二 より ). まず左右に 樫と ブナが腕のように 伸び、 その下に ハリェ ニシダの茂みが 広がり、 池を越えた向こ うに広くうねる 芝生が見え、 その真ん中に 屋敷がたち、 その向こうに 再び ハリェ ニシダが広がって いるのが眺められる。 ハリエニシダの 広がりは小屋によって 変化が与えられている。 屋敷と屋敷を 囲む半円の樹 群 、 その背後を通る 道も同時に見える。 このような農園内の 眺めの背景にあ るのは、 農園の外およそ 4,. 5. マイル離れた 半円形の丘陵で、 そこは森や畑地、 地所に彩られている。. 散策略をさらに 上るとシートがあ り、 樹の間から約半マイル 先の大きな湖に 架かる橋が見える。 橋は 5 つの橋脚を持っている。 また上がって 別のシートに 至る。 ここはかなり 高い崖の縁にあ り、 ここから、 崖 沿いの不規則な、 しかし 快 い眺めを楽しむ。 我々はここからすぐに 真っ直ぐな森中の 路 に入っていく。 真っ直ぐであ るが、 上下するので 規則的な感じはしない。 頭上は高い樹に 覆われ ている。 この路の途中に 、 品のよいゴシックの シ一 トが 置かれ、 先刻の眺めがさらに 美しく眺めら. れる。 左右の樹林の 間から、 変化に富んだ 斜面が谷を下り、 湖に至る。 湖の土手は一本の 川のよう に見え、 その向こうの 土地は次第に 3, 4 マイル先のクレント・ヒル ヘ 高まって行く。 ヘイルズ オ. ウェンの町、 故 ダ ドリー卿の屋敷、 リトルトン 卿 所有の広い森がこの 眺めに変化をつける。 このよ うな美しい眺めが 生まれる元はといえば、 土地の形の美しさ、 目に入る多様な 点景物、 個々の物が はっきり見える 程 良い距離であ る。 直線の樹下略 は 「牧神パーンの 神殿」℡ mpleofPan に 造られている。. 牧神パーンはティビア. ロフィーを持っている。 神殿の入り. に至る。 神殿は、 高価でない荒石で 田舎風. ( オーボエ系の. ロ には銘文があ. 楽器 ). と シュリンクス. (芦笛 ). のついた. ト. る。. 牧神パーンは 芦の茎を蝋でっなぐことを 教えた 牧神パーンは 羊 たちと羊飼いを 司る 樹下 略 をさらに右手に 進むと、 とっぜん明るい 天然のテラスに 出る。 ここで、 これまで見てきた すべての景色が 一度に眺められる。 しかも、 新たに加わるものもあ る。 テラスは崖のような 急な 斜 面 に臨んでいる。 テラスにもシートがあ る。 シートの銘文は 短い一句であ る。 この上ない田舎の 栄光へ !. この無上の眺めをもし 二 つに 分けるとすれば、 ひとっは正面の 盆地、 もうひとっは 右手の谷であ る。. 盆地は見事な 変化に富み、 その縁取りも 同様であ る。 盆地を縁取る 地平線は、 クレー・ヒルズ、. リーキン. する。. 出、. ウェールズ山地、 CaerCaradoc. むろん美しさの. (不明 ). であ る。 CaerCaradic. ははるか遠方に 位置. 中心は、 遠景でなく、 はっきりと物が 見分けられる 近景と中 具 にあ る。 そこ. は至る所、 中国人が思いつくロマンティックな 景で飾られている。 盆地をパンチ・ボウルに 楡 えて はおかしいだろうか。 中国人が考えるこの 世の最上の幸せの 世界. (桃源郷 ). を表わしてしているか.
(12) 70. 岩切. 正介. のようだ。 中国人なら、 この中で泳ぎだすだ るぅ 。. 右手に見える 谷の豊かな変化も 見事であ る。 谷の向こう側は 美しい森に縁取られている。 谷は ぅ ねりながら長く. 伸び、. それに沿. う. 一方の丘陵は 見事な起伏の 後に、 やがて他方に 現れる窪地に 下り. ていく。 ここで目にする 個々の物の絶妙な 美しさは、 筆舌を越え、 納得してもら. う. には一見しても. もう 他にない。. 森へ 引き返し、 「牧神パーンの 神殿」を越え、 右手の坂を下りる。 リーソー ズ らしい凹凸の 見事な 地形の中を下りていくと、 高貴なブナの 木の下にシートがあ り、 ここからまた 農園の変化に 富んだ 姿を見ることができる。 半 マイル先の E の森の中に「ゴシックのアルコーヴ」が 見え、 さらにその 先の窪地にきれいな 小屋が樹陰に 見える。 右手には農作業用の 建物が一棟みえる。 すべてピクチャ レスクな点景であ る。 散策路の次のシートではこの 眺めがさらに 近距離に見え、 リトルトン卿の 地 所の隣にあ るフランキー・ビーチ. ズと. 呼ばれる森も 視界に入る。. さらに下りると、 形の良いゴシック 風の遮 壁. ( スクリーン ). が縦の木を背負って 立っている。. こ. こからの眺めは、 世を退いた田舎暮らしの 静穏に 、満たされた典型的な 眺めであ る。 前面には、 ポプ うの濃い木陰から 発する段々滝が 谷に落ちるのが 眺められる。 盛り上がる大きな 芝生の真ん中に 樹 林 に囲まれた屋敷が 見え、窪みまた膨らむ 滑らかな芝生はやがて 粗い地肌、つまり耕作 地に 換わる。 次のシートは 綺. な 柵に囲まれている。. 背後にあ るのは、 ここでも縦の 木であ る。 ここからまず. 谷を遡る景が 眺められる。 谷は次第に小さくなって 、 大きな 樫と ブナの一群の 中に消える。 右手に 、. 二つのすばらしい 段々滝が見え、 樹間を通して 流れ下っていく 渓流がみえる。 左手には、 斜面に懸 かる 森 とその真ん中にゴシックの 遮壁. ( スクリーン ). が見える。 このシートはリトルトン 卿に捧げ. られたもので、 そのことを述べる 銘が刻まれている。 散策路を曲がりながらさらに 下りると、 小さなシートがあ り、 谷の森を越えて、 高い E の上に立 っ 小屋、 それから農作業小屋がみえる。 この眺めは、 ロマンティックな 変化に富んだこの 地方の地. 形を特徴づける 突然な高低差の 現れのよい例で、 眺めて快い。 次のシートは 同じ合の別の 景をみせ るもので、 段々滝はなく、 水は森の間を 静かに滑り落ちていく。 先ほどの段々滝のあ る谷の景色と は 対照的であ る。 ここにヴェル ギ リウスの. T 農事 詩 三 %. から取った詩句があ る。. 田舎、 そして谷を流れる 川が私の喜びとなり、 無名のまま、 森と 川を愛して行けばよい さてここから 我々は、 ほの暗い美しい 景の場へ入る。 「ウェルギリウスの. 森」. V Ⅱ田 l㎏ Grove と呼. ばれているところであ る。 入ると右手に 小さなオベリスクがあ り、 「境界 石は森 ともども神聖であ ね 」という句が 刻まれている。 オベリスクの 前にべンチがあ り、 これまで見た 物がいく っか、 新し い角度から眺められる。 この魅力的な 場所の姿は、 ペンによるにしろ 絵によるにしろ、 伝えること は 難しい。 ともあ れ、 まず、 全景はほの暗く、 一つの深い小谷で、 両岸は ハ シバ. ミ. などの下生えが. あ り、 全体は、 谷の底の地面から 伸びる高木に 覆われ、 豊かな流れが 苔むす川岸を 洗っている。 川 岸 にはプリムローズが 群生し、 いろいろな野生の 森の花が咲いている。 最初のシートは、 急峻な 川 岸の上. (谷の縁 ). にあ り、 次のような銘文が 刻まれている。. もっとも有名な 詩人ジェイムズ・トムソンに 捧げる.
(13) 訪. 園探. ズ. ソ. @. 71. つ. たし。. で. 飾. 歌 を ト. /. カ G.S. で. の. ま | そ. の. 泉. 適意. このような歌のお 返しに何をしようか 君の歌はなによりも 素晴らしかった 南風に鳴る葉音よりも、 また 浜を打つ律動的な 波音よりも、 また 岩間を流れ下る 渓流の音楽よりも (注. :n 牧歌』 五 より ). ここに座れば 目はまず、 前方の微光に 導かれて下方の 谷の平地に引寄せられる。 渓流は 、 幾 っか の 異なる段々滝を 落ちて行く。 渓流の屈曲するその 姿は美しく、 滝の音も快い。 両岸には、 窪地が あ って、そこから出る 水が. シダや 苔の間を滴り 落ちる。 流れは谷の真ん 中の緑の地帯を 縫って流れ、. この緑の部分はこれ 以上あ りえないほど 美しく造られている。流れは ワ ン・アーチの 橋の下を潜り、 下方の小さな 湖に落ちる。 以上が右手の 景であ る。. 目を左に転ずると、. 樹の間に開けた 通 素線を通して 偶然のように、 崖を落ちる美しい 段々滝がひ. とつ目に入る。 この段々滝はもっとも 美しいものの 一つに数えられ、 樹のアーチを 戴いている。 不. 意を打たれるだけに、 これを見て覚える 喜びは格別であ る。 私はこの「ク エルギ リウスの森」を 見て、 十全な満足を 覚えない者はいないと 信ずる。 完全に ア ルカディア風のこのリーソーズ 農園で、 見所を一 つ 挙げるとすれば、 ここになるであ ろう。 ただ、 この景は先ほどのテラスやその 他の幾っかの 景 と見事な対照を 成しているので、 これひとっを 切り. 離して見ることは、 誰が望むものでもない。 我々は次に 、 大きな樹の根の 下に設けられたシート ヘ 進む。 ここには次の 詩が刻まれている。 この平和な木陰を 歩かせてほしいもの 野心は入り込まないでほしいもの この緑の亭の 住人たちは. 野心の道を塞ぎ、 その力を減じてほしい やさしいカワセミは 草地から、. また空からここへ 飛んでくる この森の小川の 流れに身を任せ か り色の羽根をここに 隠す マスは紅色の 斑点を つ け. 大川の住処を 捨て 太陽の輝きを 捨て この小さな流れに 潜む. 水 の精 々一 イアスの声が 聞こえる.
(14) 72. 岩切. 正介. の. も. レ. し. て. ま. れ. を. 流. 筋. つ. た. カ. の. 曲 れ 折. こえ﹂. く. 冷. 川 ぎで がらん 我空 澄. ょ耳た. 地肌土日 卜 は. れは. ﹁氷水. 「流れよ、 優しい流れよ、 虚栄の人がこの 小さな花の国を 蔑むことを許さないでほしいもの 物思わしげな 賢人が、 うねる川筋をみて 自分の 思いに似ていると 嘆くのを止めてほしいもの」 ここからの眺めには 段々滝は入らない。 水は樹下を静かに 流れて小橋を 潜り、 小さな池に人. る。. 両岸は下草や 野生の花に覆われており、 段々滝を含む 眺めでは、 草が短く刈 られていたのとは 対照 的になっている。 小池に落ちた 流れの先はもう 見えない。 瀬音だけが聞こえてくる。 中国人が「魔 法の景」. scenesofenchantment. 次に我々は突然という 感じで、. を演出する手法であ る。 「高い段々. 滝. て目にした滝であ る。 周り thescenearoundit. 」. High Cascade の前に出る。 先ほど通量線を 通し (段々滝の落ちる. 崖 ) はあ たかも自然石による 天. 然の グロットになっており、 樹の根が庇のように 懸かり、 段々 滝 全体は暗い陰に 覆われている。我々 がまず近づくのは 左手の鉄分を 含んだ鉱泉で、 鉄のカップが 鎖に止めてあ る。 岩に「健康の 女神へ」 の 銘が打たれている。. 鉄分を含んだ 女神の泉 女神の恵みで、 この 秘泉を 味わう 右手に進むと、 石のシートがあ る。 これは先ほど 述べた 洞. ( グロット ). の一部で、 銘文は次の通. りであ る。 甘き水の申 石の椅子で暮らす ニ ンフたちの住処. これはシェンストン 氏がよく言っていたグロットの 定義であ る。 我々は左手の 樹下道を上り、 「高い段々 滝 」の上を横切り、 段々滝の上流に 沿って歩き、 それから 屋敷へ向かって 芝生を上っていく。 途中、 一本の樫の下にシートがあ る。 屋敷の周囲を 半円形で囲 む 低木の間に格別の 友人に捧げた 二つのシートがあ る。 ひとっはリチャード。 グレイヴ ズ 、 もうひ とっは リチ ヤード。 ジェイ ゴウへ のものであ る。 グレイヴ ズ のシートの銘文は 、 「この松 、 この 泉、. この叢林さえ、 君を呼んだ」、 ジェイ ゴウ への銘文は「友情と 行いのために」となっている。 このシ ートからの眺めは 快い一枚の絵であ る。 谷へ 下っていく広い 芝生の左右を 絶妙に樫の木が 縁取り、 その先の平野では 立派な橋が水面に 架かり、 ヘイルズ オ ウェン教会の 尖塔が見え、 樹の間に村があ る。 我々はこのシートから 花木の間を曲がりながら 進み、 鳩 小屋のわきを 過ぎ、 厩に至る。 しかし、. メディチ家のヴィーナスのことを 忘れるわけにはいかない。 これは花木のところに 入るとすぐ目に.
(15) 73. リーソーズ 園 探訪. 入る。 オリジナルの 半分の大きさに 造られ、 金魚のいる池の 側に置かれている。 銘文はこう読める。 費を尽くしてきらびやかに 造る庭 豪華で三多に 飾りつけた王侯の 庭 これを避けよ 隠し、 一部を見せ、 想像させる 慎み深き美しさ. これこそ原理 以上がドスリー. (編 ) の. (注. ニ. : 要約であ る ). リーソー ズ の回遊記』の 概要であ る。. 簡単に繰り返す。 回遊 路 は た 廻り、 つまり時計の 逆の回りで、 まず、 酉の谷. ( と仮に呼ぶ ). の中. 流から 湖へ 下り、 農園の下辺を 東に進み、 途中で、 150 ヤードの段々滝を 見て、 さらに東進し、 東の 丘. ( と仮に呼ぶ ). の 頂ぺ 至り、 ゴシックのアルコーヴを 経て、 屋敷の裏 手を通って 西 へ進み、 ビ一. チ・ウオータ 一のところで 北へ折れ、 逢い引きのシートを 過ぎ、 斜面を上ってから 西方向、 丘の背 の森の中の直線路を 西の丘へ向い、 「牧神パーンの 神殿」、 その先の天然のテラス ヘ 至り、 今度は西 の端の斜面を 降り、 酉の谷の中流付近に 戻ると、 「ウェルギリウスの 森」というハイライトが 待って いるのであ る。 回遊して見るのは、 農園内の景と 農園外の景の 双方で、 シェンストンの 言葉でいえば、 Landskip と. Prospect であ る。 様々な景が用意され、 同じ景が角度や 方向、 高さや距離をかえて 幾度か 柴 し. まれる。 外に眺望するのは、 遠い山と丘陵、 中近景の森や 村、 耕地と放牧地、 他人の農園、 湖 や橋。 農園内には、 丘陵と渓谷があ る。 段々滝も多い。 農園の樹は、 樫 、 ブナ、 縦に代表される。 農園の 景の中には、 森や芝生の他に 耕地やヒースもあ る。 屋敷や小屋は 景色にバランスと 変化を与える。. 散策略、 流れはたえずうねり、 上下する。 景は見下ろし、 見上げ、 透かし見る。 変化、 多彩、. コン. トラストの景であ る。 シェンストンの 言葉で言えば、 穿 andelmr(theWeat),beauty(thebeauti ぬ 1),. varietメthevarious) ン はい. う. の 景 。 あ るいは. thesublime,thebeautiful,themelanchory ともシェンスト. 。. 彫像や銘文、 飾り壺は、 古典世界や詩の 世界、 趣味や交遊、 そして人生観を 含む道徳を語り、 連. 想を喚起きせるもの。 自然と文化、. 美景と教養の 混じり合. う. 繊細な楽しみの 庭園であ. る。. 4. ウエルギリウスの 世界に重ねて リーソーズ園の 文化連想はウェルギリウスの 世界に濃く彩られている。 ウェルギリウスが T 牧歌 Eclogae. (紀元前 43. コ. 一 37 項 ) でかたる牧人達の 居場所アルカディアには、 ブナの木陰や 谷があ って、. 洞窟があ り、 苔 蒸す川岸があ る、 と歌われている。 今もギリシャの ぺ ロポ キソス 半島にあ るあ る 実 際の アルカディアの 地は、 楽園とは程遠い 峻厳の地。 四方を高い出で 囲まれ、 その内部も高い 稜線. で細かに分けられている。 寒冷でひとびとの 暮らしも苦しかったといわれる。 F 牧歌』の楽園アルカ.
(16) 74. 岩切. ヂノ. 正介. アはウェルギリウスの 筆から生まれたもので、 現実のどの 地 とも似ていない。 牧人達が羊を 飼. い、 歌 比べをし、 恋をする楽園として 描かれた。 風景にしても、 ウェルギリウスが 合成したとされ る。. 曲がりくねる 川、 岸辺の芦、 湿地などはウェルギリウスの 故郷マント. 森はマント. ヴァ. ヴァ. のもの、 暗いブナの. からガルダ 湖へ 至る高地あ るいはシチリアにみられるもの、 苔むした洞穴や 木々に. 取り囲まれた 泉はシチリアのもの、 とされる。 アルカディー プ の実際の山も 二 つ 二つ取り込まれて いるといわれる。 もともと楽園アルカディアも エーリュ シオンの 野 ( ラテン語ではエーリ. ス シウムの 野 ) とともに、. 古代ギリシャ 人の想像力から 生まれた楽園であ る。 ツキジデス、 ヘロドトス、 ポリビウスなどの 歴 史家に始まる。 かれらは神代と 歴史を連続するものとして 語る。 こうして彼らによって 作られた楽 園は、 牧人と音楽と 恋いの憂いなき 楽園のイメージとして 伝承され、 後の文学や絵画にしばしば 描 かれ、 豊かに膨らんだ。 ウェルギリウスは. 丁. 牧歌』によって 楽園アルカディアの 決定的なイメージ. 作りに貢献したひとりであ る。 牧神パーンはアルカディアの 神。 一方、 牧歌というジャンルはもともと 紀元前 3 世紀の テオクリ トスに遡る。 シチリア島のシュラ クサイに生まれ、 詩壇の中心地コス 島に渡って修行し、 大都会のアレキサンドリアで 活躍した。 テ オクリ トスは、 シチリア やコス の自然を思い 出しながら、 素朴な農園の 生活への郷愁や 憧れを詩に 託した。. リーソーズ園には、 ウェルギリウスの いる。. ぽ. 農耕青き』は 農業の勧めといった. そ. 農耕 詩コ Geor 紐con. (紀元前 36 一 29 項 ). も織り込まれて. 内容の詩。 そこに田舎住まいの 良さも歌われている。 第一巻. 「穀物」、 第二巻「樹木」第姉巻「家畜」、 える。. 下. 構成される。 ひとっに農業技術を. 教. さしながら、 みずから 額 63汗して農作業をし、 自然と調和し、 平和な田舎で、 無名の民. と. 第四巻「蜂蜜」から. して生きることを 歌っていく。 農業技術は、 ウェルギリウスが 当時の農書から 学んだもの。 完全で も、 網羅的でもない。 むしろ、 帰農、 田舎住まい、 自然の良さを 歌うところに 重点があ る。 当時の ローマの農業はほとんどがすでに 大農園で、 奴隷を使って、 小麦、 オリーヴ、 葡萄などを栽培して いた。 時代の流れの 中では自由農民は 消えていく存在であ った。 ウェルギリウスと 同時代の M.T. プ ロ一の. ニ. 農業読本』 RerumRusticarum. ウ. は大農園経営の 指南書であ ったし、 すでに一世紀以上遡. る頃 に書かれた大力ト 一の『農業論』 DeA 穿 iCultura. (紀元前 160 年頃 ). もすでに当時のローマの. 農業を反映して 大農園向けの 指南書であ った。 このような事情のなかで、 ウェルギリウスが 自由農 民にあ てて農耕詩を 書いたのは、 アントニウスとの 戦い. (ペルージア戦争、. 紀元前 41-40) に勝った. オクタ グノアヌス が w0 万人の退役兵のために、 敵方の支配地やカ エ サル暗殺に荷担した 者が支配し ていた地域の 農地を強制没収し、 これを退役兵に 分配したからであ った。 退役兵は農業を 知らなか った 。 そして、 大部分の者は 農業をする気もなかった。 土地を売り払い、 遊び、 金がなくなると、. 都会へ出て遊民となった。 ウェルギリウスはこのような 事情のなかで 農耕詩を書くことをオクタ ノ ア ヌス. グ. の政治顧問であ った てェ ケナスから勧められたのだという。 自由農民はもう 消えかかって. いたが、 自由農民こそローマの 礎 との考えは強かったからであ る。 ガイクス・マ エ ケナスは富裕な 貴族で、 政治手腕に勝れ、 公職に就かないままオクタヴィア ヌス の軍事・外交を 陰で支えた。 文芸 の保護者としても 有名で、 ウェルギリウスの 他に、 ホラティウス、 プロペルティウス、 ウィリウス などを支援した。 ローマ市内の 丘に立派な邸宅と 庭を構えていた。 シェンストンは、 「宮廷生活の 栄耀や激情から 離れた、 心 穏やかな田舎住まいこそ 理想」 (要約 ) とする処世詩を 屋敷の庭のシートに 刻していた。 ウェルギリウスの 農耕蒜コから 同じ趣旨の詩句 正.
(17) をふたつとって、 それぞれ回遊 路の シートの銘文にしている。 いずれも. 丁. 5. 7. リーソーズ 園 探訪. 農耕 詩二 』から取られた. もので、 ひとつは「広い 農園には、 気ままな閑暇があ る。 洞穴、 湖 、 涼しい谷があ り、 牛の哺き、. 木陰のま. ど ろみがあ る」 (再出 ). 川と森を愛したい」. (要約再出 ). であ り、 もうひとっは「田舎の 野と谷をわが 喜びとし、無名のまま、 であ る。 シェンストンはさらに、 回遊路の最後の「ヴェル. ギ. リウス. の森」に入る 所に、 「ウェルギリウスに 捧げる」という 銘をおいている。 「ウェルギリウスの 森」に. 入って最初のシートには、 「君の歌は、 (要約再出 ). ても勝る」. 南風の葉を鳴らす. 昔、 岸打つ波の音、 渓流の瀬音、 何に較べ. という詩句が 刻まれていた。 これは. められている「君の 歌」とはメチルカスの 歌った. う. 丁. 牧歌 五からとられた 詩句であ る。 褒 コ. た。 褒めているのは 歌合戦の相手 を プススであ. リーソーズ訪問 (1746)の後に急逝した 詩人トムソン. る。 このシートが 捧げられたトムソンとは、. (1700-1748) 。 ヮ一ズヮスやコ ウルリッジに 先駆け、 いちはやく自然を 歌い始めた詩人で、 代表作 が『四季. コ. TheSeasons. あ った。 しかし、. (1726-1730) であ る。 シートを捧げたのは、 トムソンの詩才を 称える意味で. ウェルギリウスの. T 牧歌団を引用してのことだから、. やはりウェルギリウスの 世. 界に 繋がる。 このようにみてくれば、 このリーソーズ 園はひとつにウェルギリウスの 詩と 思想の精髄を 盛り込 んだ、 シェンストンのウェルギリウス 尽くし、 いった側面をはっきりともっているのがわかる。. 回. 遊 路は ウェルギリウスの 牧歌 コや. ウ. 丁. 丁農事 詩コを. 下敷きにした 世界をまわり、 見事なハイライト「. エ ルギリウスの 森」で締めくくられるのだから。. それにしてもシェンストンはなぜ「ウェルギリウスの 森」を、 木陰の暗い深い 小谷に作ることに したのだろうか。 最後に思 、 ぅ のは、 このことであ る。. それが. 丁. 牧歌口や. T 農耕 詩コ. の風景だから、 ではないであ ろう。 T 牧歌. の風景は出てこない。 それならシェンストンが り. [ 牧歌コや. 丁. 団. や下農耕 詩コ にそっくり. 農耕 詩コに 描かれた風景をもとに、. よ. 美しく作りあ げたということになる。 しかし、 それだけであ ろうか。 ひとっに、 トムソンのシートの 詩句を考えてみたい。 F 牧歌口五では、 まず モ プススがダフニスの. 死を惜しむ歌を 歌 う 。 この『牧歌 コで ダフニスは仲間の 牧人で詩人であ る。 もともと伝説上の ダプ ニスは牧歌の 発明者とされる 美少年。 他の神々やニンフ 神からは愛されるのに 自分しか愛さなかっ たために、 愛の女神アプロ ヂ イテ一の怒りを 買い、 激しい恋にとりつかれ 死んだとされる。 で 意味があ るのは、 この美少年のダフニスでも、 牧人で詩人のダフニスでもない。. 圧. 『牧歌』. 牧歌』のダフニ. スは悲運の暗殺にあ って倒れたカ エ サルを暗示しているとの 解釈が有力であ る。 カエサルは紀元前. AA 年に暗殺され、 元老院の決定で 紀元前 42 年に「 神 」ときれた。 ウェルギリウスはカエサルの 支持 者であ った。 『牧歌』五において、 ダフニスの死を 惜しむ モ プススの歌に 対して、 メチルカスが 歌. う. のは、 ダフニスの神化であ る。 このメチルカスはウェルギリウスその 人と解釈されている。 そのメ チルカス歌を モ プススが何よりの 素晴らしいと 称える。 それがトムソンのシートに 刻まれた。 シ一 トの 詩句は、 ウェルギリウスを 知る人には、. 化の物語を含んだものと. 前後の詩句を 連想いせ、 偉人力エサルの 死と 、 その神. 当然受け取られる。 庭 廻りをする教養人はそれを 想像することができた。. ウェル ギ リクスの叙事詩. 丁. アエネーイスコにもこの 神化に似た趣向が 見られる。 汚れた魂から 清. 浄な魂への進展であ る。 アエネーイス は古代トロヤの 敗将アエネーイスによるローマ 建国を語る 丁. ロ. ウェルギリウスの 代表作。 その第六巻で、 アエネーイスは 女神シビュル ラ に導かれて、 地下の冥界 に亡き 父 アン キ セ ー スを訪ねる。 ここに「さて 入りこんだ谷深く、 かくれた 森と 何に鳴る、 潅 木林 と 穏やかな、. 家 々の前を流れゆく、 レーテ 河 とがこの時に、 アエネーイスの 目にとまる」. (泉井 久之.
(18) 76. 岩切. 正介. 功課。 以下同じ ) という一節があ る。 また、 アン キ セ ー スの居場所を 尋ねる女神にムーサ ェ ウス英. 定まる家はない。 われらは自由に 蔭 多い、 森 としとねの川岸. 雄 ( の 霊 ) は「誰にも ( どの霊にも ) と、. 小川の水うけ 新鮮な緑を見せる 牧場とを、 住居ときめてここに 棲む」と答える。 リーソー ズ の. 「ウェルギリウスの 森」がひとつにこのような. 丁. アエネーイスコの 冥界のイメージを 背景にしてい. るとも考えられる。 すると、 そのあ たりは当然、 暗い。 ムーサ ェウス の英雄は、 さらに「しかし、 その気があ るならば、 この山の背をのり 越えてあ なた がたは行くがよい。 山の向こうの 道は楽、 そこへ案内 い たしましょう」とっけ 加える。 山の向こう には楽園 エーリュ シウムがあ る。. 亡き. 父 アン キ セ ー スはそこにいる。 楽園 エーリュ シウムとは、 選. ばれた少数の 霊が清浄に清められて、 やがて本来生まれた 場所であ る天上へ戻るまで 滞在する快い. ところであ る。 多くの霊の行き 先は異なる。 多くの霊はふたたび 肉体を得て地上に 戻り、 地上の苦 しみを味わい、 また罪を犯す、 とされていた。 『ア エ ネーイス』が. エーリュ シウムについて 語っていることは「 (浄化の呵責を ) 忍 んだのちにわ. れわれは、 ェ 一リ ュ シウムの広大な、 場所を通じて 送られて、 ごく少数のものだけは、 このわしの. よう悦楽の、 野に住みついて 時の輪が、 めぐり終える 長い間に、 われらの心に 浸みついた、 汚れを 去って感覚を、 神のごとくに 純粋に、 浄めて心に清浄な、 天火を残してくれるまで、 長い時間をこ こに待ち、 遂に天に立ち 帰る」であ る。 暗い谷底に位置するリーソー ズ の「ウェルギリウスの. 森」. は「山の向こうの」「楽園」、 そして「天上」を 予測させるものであ ったとも考えられないか。 回遊 する者も、 いずれ「ウェルギリウスの 森」を出て 、 上の明るい芝生の 中に立つシェンストンの 屋敷 へ 上っていくことになるのだから。 ウェルギリウスの 世界に重ねてみれば、 リーソーズ園を 巡る、. とはとどのつまり、 ウェルギリウスの 牧歌の世界を 巡って、 最後に天上へ 行くことを伺. う. 、 だった. のかもしれない。 牧歌的な風景を 廻り、 さいごに冥界と 天上への道行きを 連想、させる、 であ る。 当のシェンストンは 意図してそのように 庭を造ったのか、 それは分からない。 これすべて、 シェ. ンストン流にいえば、 想像を楽しむ、. であ. るともいえる。 楽しむ、 楽しまないは、 回遊者の側に 委. ねられていたことだったのかもしれない。 とはいえ、 シェンストンが、 庭 造りを. 詩の展開あ るい. は 叙事詩の構成に 楡 えたことが裏 に推測 t れる。. 「ウェルギリウスの 森」は『牧歌』 や. 丁農耕 詩コの 谷 や 川、 洞穴や木陰の. 描写を越え、 また『. ア. ェネ 一 イスコの描写を 越えて美しい。 異なる高さ 、 異なる姿の滝を 適所に配し、 中島を二つ設けて 流れが幅広く 見えるよ. う. に工夫した。 川岸には苔の 緑、 プリムローズの 花や野の花があ り、 下生え. が 斜面を覆い、 ほどよい数の 高木が垂直性を. 作る。. その景色はバランスと. 変化を堪能させる。. 作り. 出されたのは、 風景画の美しさ、 一望される優れたピクチャレスクの 景であ る。 これがシェンスト ンの 造園の腕、 あ るいは良きセンスであ ったといえるであ. ろう。. 最後のハイライトの 景を高木の蔭. で暗くしたのは、 いわゆる「メランコリ 一の 景 」が、 もっとも洗練された 趣味の人に応えるもの、 と シェンストンは 考えたからでもあ る。美学から. Mason ・. の版画で偲ぶことができる。. F. を暗く作った。 往時の姿は 、 メ イソン James. ウェルギリウスの 森のあ る眺め. AViewinVirgil.sGrove,afterapaintingbyThomasSmith,1748. (. トマス・スミスの 絵による M. であ る。.
(19) 77. リーソーズ 園 探訪. 参考文献 1@ Shenston s@ W8lks:@ The@ Genesis@ of@The@ Leasowes , John@Riely , APollo@ 111(1979), pp ・. ・. 20. 2-209. 2@. The@ English@ Garden. ・. Literary@ Sources@ &@ Documents. , ed , Michael@ Charlsworth. , 3vols ,. Helm!nformation1993.. 3@ The@oxford@Companion@to@Gardens,@oxford@University@Press@ 4@. The@Genius@of@the@Place. ・. The@English@Landscape@Garden@. John@Dixon@Hunt@and@Peter@Willis 5@. Virgil , The@Eclogues@and@The@Georgics. , London@. 1991.. 1620-1820 , ed. ・. 1988.. , tr by@C , D Lewis , Oxford ・. ・. World'sCl;assl<Cspaperbacks@oxfordUniversltyPress 1999. 6. 『ウェルギリウス (訳と. 牧歌・農耕 詩 』河津千代 訳. 未来社. 1981年。. 解説は大いに 利用させていただいた ) 。. 次頁上. リーソーズ 園 。. 次頁 下. 『ウェルギリウスの 森のあ る眺め 凹 1748. --. はド ズリ一編. 7 回遊記団の回遊路を (参考文献. 示す (参考文献 2 より ). 4 より ). ・.
(20) 78. 岩切. 正介. Ⅲ 毎 m Shen 鮭 0ne,s 舟 ㎜00rn お .Ⅱ化 b ㏄ s0wes.Wo 忙es ㏄は hlre Dmwlng ㎞ R 机だ 丘 v/i@am$.bas 田 0nnlne 正en 伍 cenm Ⅱ map5.. 珂 anofW. ぷ @ 化ふ. ].heL suwCss,Shropshlee.En Ⅰれ. Ⅰ. G. ィ. ove.. ど億 eⅠⅠ. p. 廿. 甘. Ⅰ. れⅤ. ln目 bVJames5%ason0. lnlln Ⅹ bv.Thl)m. れ. SS ⅠⅠllh,. @AV. Ⅴ. l 4ti 甘. ⅡⅠ. 咄. lnV Ⅰ イヌ Ⅱ "s.
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