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わたしと民俗学--宮田登先生・野本寛一先生の思い出を交えて

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Academic year: 2021

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(1)わ た し と民 俗 学. 一宮 田 登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い出 を交 え て 一. わ た しと民 俗 学 一 宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て一. 戸井 田 1.は. 克. 己*. じめ に. す で に一 昨年 の こ と に な った が、2005年12月1日 会 」(第8回)で. 、 近 畿 大 学 教 職 教 育 部 恒 例 の 「教 育 談 話. 話 す機 会 を得 た。 この時 世 話 役 と して様 々段 取 りを い た だ い た の が 岡 本 哲 雄 先. 生 で 、 この場 を借 りて まず 御 礼 申 し上 げ る。. さて こ の時 、 演 題 に選 ん だ のが 、 本 稿 の表 題 で もあ る 「わ た し と民 俗 学 」 とい う もの で、10 名 余 りの先 生 方 にお 集 ま りい た だ い た。 筆 者 の専 攻 か ら地 理 教 育 の話 、 あ る い は 同年3月. に出. 版 した拙 著 ωに ち な む 内容 を予 想 され た 方 も多 か った の で は な い か と思 うが 、 今 回 は、 も と民 俗 学 に無 縁 だ っ た筆 者 が 、 いか に して 斯 学 に接 し、 現 在 ど の よ うな勉 強 を行 って い る か とい う こ とを テ ー マ にお 話 しさせ て い ただ い た。 「わ た し と○ ○ 」 「× × と と もに歩 ん だ 道 」 と い った類 の タ イ トル は、 あ たか も定 年 や還 暦 、 古 稀 を 迎 え ん とす る、 そ れ も並 大 抵 で はな い大 学 者 が 、 我 が 半 生 を振 り返 って っ け る演 題 の よ うで あ る。 そ の意 味 で 僧 越 な感 じ も した が 、 これ に はそ う大 層 な意 味 はな く、 「本 来 民 俗 学 と は関係 あ りそ う もな い 自分 の 雑 録 」 とで も い う ほ どの 気 持 ちだ っ た。 本 稿 は、 こ の時 の話 の中 身 を ベ ー ス に 、 そ の 後 の 民 俗 調 査 に関 す る新 た な 取 り組 み 、 また 、 当 日時 間 の 都 合 で 十 分 にお 話 しで きな か った 、 お 世話 に な った 先生 方 との 思 い 出 や 、 手 持 ちの 資 史 料 類 を 追 加 し、 こ こ に 一 個 の記 録 と して 残 そ う とす る もの で あ る。「わ た しと民 俗 学 」 との 私 的 な か か わ りを 語 る こ と で、 筆 者 の 目か ら見 た 日本 民 俗 学 の一 断章 を記 憶 に と どめ て お きた い と思 う。 筆 者 と民 俗 学 と の 出会 い は、1993年 秋 の 東 京 都 武 蔵 村 山市 史 編 集 委 員(民 を嗜 矢 とす る。 この 時、 就 任 の労 を取 って くだ さ った の は神 奈川 大学 教 授(当 生(資 料1)で. あ った。 先 生 に は そ の後 、 約6年. 教授. 一1一. の就 任. 時)の 宮 田 登 先. 間 に わ た って市 史 の調 査 と編 集 で ご指 導 を い. た だ い た。 ま た筆 者 は現 在 、 近 畿 大 学 民 俗 学 研 究 所 所 員(兼 任)と. *近 畿 大学 教職教育部. 俗 編)へ. して継 続 的 に民 俗 調 査 を 行.

(2) 人聞の一生には樋々な 羅 があり、私た房 日 々の生活は数誓 の年聯 行事で彩られている。伝 疏的な翼愉は現鐘 育 も忍ついてはいるが、. 葎 謡 く庫舅 し. r. 冒. さを訴える意兜もある。 展俗学者の宮田登さん は、慣習や儀礼に込めら れた意味を分析しなが ら、そこから学ぶべき先 人の知嬰 涌出す毫 Il考えてみれは、私たち のまわりには本当にたくさん の儀礼や行孤がありますo人 の一生の折員 ﹂とに哲う通 過難 だけで登 かなり歌 です奄 ﹁ 通過儀礼をこまやかに行う のは、日古人の醤 のひとつと いえるでしょう9妊振五か月の 帯祝いから始まり、七五一 一 や成 人式、厄年、 さらに週腰、古希、 嘉簿、傘野、米寿など-翼にき ちんと人生の段取りを決めてい る。こうした銭建 ある霞随 から次の段階に移行したことを 袖金的に示すと同時に、その人 の内面的成熟を促すわけです﹂ ﹁ かつて入生の折り目や移行 期は、いろいろな面で危険な状 怨だと考えられていたため、通 過選礼には囑蝿的な憩味も込 められています。嬰ん ぱ、成人式 で女性が親る振り麟り 元々・ 袖を 蝦るのは函鉢が神鑑を醤 さ せる時のパフォーマンスであ り℃それは顯霊を振り払う刀を 持っことも慰味しているので す﹂ lI現代では、隣礼に込め らnた愈瞭まで思い及ぷ樋会 は、なかなかないでしょうo 成人武の豪圃な晴れ濁の是非 が議齢になったことはあり浅 したが。 ﹁ もちろん必塑以上に甜美に することはないでしょうnoた. '. ロ. ﹂. 9. ー .. ・. ,. 亀. つ.  . 聞 に わ た っ て励 ま しの言 葉 を か け て い た だ い た こ と は、何 に も 幽. こ. い 出が 本 稿 の主 要 な一 部 分 と な る。 教 育 談 話 会 で は、 単 に 「わ. しと民 俗 学 」 と い う演 題 で話 させ て い た だ い た が、 本稿 で は. 醒. ',. L. .. た. ■・. ●. ・.誉. (2000年 撮 影). 本 題 に入 る前 に、 まず は こ の 機 会 を 借 り て、 話 を す る場 と. 登 さんと考 える. 卜. のなかにも先入の, 文化的遍伝 た心性や都市文化の地下水脈に 子﹂が組轟込まれているからかo 迫る。宮田さんのまなざしは過 伝琉竺四のプラス・マイナス 去との往還を繰り返しつつも. 両面を見つめ、学ぶべき知愚を つねに現在に注がれている9そ 掘り出していこうとの掘宮は璋 んな一連の辻胆は魅力的耀 属 考になる。﹁若著組﹂﹁ 長老の 俗学という生活に密恕し蓮 間 よろ宣相麟﹂ といつた具体簾は、 を刺激的な形で展開し続ける、 今日的なアレンジは必囲だが、 梁軟で広い視野を持つた学界の 欝 に健す愛 思う。 窟鎖である。 地遍なフィールドワークをべ 文 ・ 小赫 敬和 ースに、現代入の内奥に隠され 写真・ 秋元 謝契. ". 野本 寛一 先 生 の 御 写真 岐阜 県での講演 を終 えて. 写 真1. う副 題 を付 けて 語 りを進 あ よ うと思 う。. ●伝統的習俗の知恵. 艶弔 馨輕. 常に現在 へ視線 環ツ 泌悲. r. た七星 私婆馨 あまり嵐翻するこ となく多くの鍍礼や行田に参加 する規モの深層に晩術的・ 宗教 的な意味が込められているとい う話には、 改めて驚かされ菟 迷 籔 儀礼をやらないと、 な ぜか気持ちが瓢いのは、現代入. ﹂. ム 澄 などと呼び毒 明治以 ことができるのでしまう。 工夫をしてみてはどうでしょ 降の近代化の過裡で消滅したの ﹁いじめ問題にからんで時折、 うo伝琉竺躍には潮腰喬主腫 ではなく、現鐘 菖 の榎っこに 耳にずる﹃ 若者組﹄ や﹃ 若置 といって、一般人でありながら も生きています。その特徴は自 など穫 潟少年期の囚面の成熟 神耶をとり母 つ長老がいて、共 然と入閏の共生を深く融塩して という面で馨 になると思いま 同体の秩序を回響 Φような役 いるワ ξ そして神や仏を拡じ すo若者組は地域共同体におい 割も与えられていたoっまり知 めとしたスピリチュアルな存 て一定の年齢に逗した膏年たち 患に塩付けらηた老人の柵威は 荏、神秘的な世界に対する関心 の組織で、 夜警や消防、 祭りの準 強く、越破もされていたのです﹂ が強いことです﹂ 鋼など梯々な活励を行いまし ﹁現代にも人生径験豊蜜で、 ﹁現代人にしても程匿の蓮は た。 彼らは、若衆宿とか寝宿と呼 入格的に遜むた老人ほたくさん あれ、霊ζか神といった存在は ばれる銀で共同生酒したりもず いるはずです。例えば任期を決 無視できないのでほないでしょ る。ここで性の知欝や共団生播 めて彼らに地域の∂ よろず相諌 うかoどこか終束照を濃わす都 のルールを身につけるのです﹂ 役'になっていただく。しかも 市籍 のなかで、オカルトや超 ﹁ただし、ルル を破った場 勘発ではなく、行政的な制匿と 常現薙への関心も依然として高 合には仲間はずれにするといっ゜して定漕させていくo今後の高 いですし。儀礼をやらないと何 た制裁がありまし花 しかし、 鍵 蹴 で、老人の知霧 に 現代のいじめ乙違って徽底的に 傍わないのは、もったいない話 排除することなく、制裁が済め です﹂ ° ぱ元に戻ることになっていた。 1⊥伝墾 冨には学ぶぺき さらに着者組内部で問題を解決 点が多々ある一方で、ひとつ できない時は、上の世代の岡宿 閏違うと因習とか封建道偲と 親蹟蘭与して珊態を収拾した。 いつた方向に、傾きかねない と警 気掩ちが思いのは、無意 ζε た仕組みが嚢 んとつく 恐れもあるのではないです 謝であっても、そこに込められ られていた点が通饗なんです。 か。 た呪術的・補秘的慧味をみんな だから、制戴が溝過儘礼的なト ﹁ 冠からこモ、プ7スとマイ 感じ取ってい呂がら添もしれま レーニングの搬能を果たしてい ナスの両面をしっかりと見るこ せん﹂ たξもいえます﹂ と恭天切なんですゆそこから現 ー そういえは-大ヒット - 現代の地域社会でも祭 代に生がせる知愚を掘り出し、 した宮崎駿さんのアニメ映圖. めめ実施などを通して、連帯 取り込んでいくo私泥ちは現に 感を強筆 つとの努力は見ら 極々な儀礼や行駆をやっている れますが、若暫組みたいな青 し、形は変わっても儀礼や行駆 マであり、スピリチュアルな 少鋸を組み込んだ相互扶助組 はなお存続すると思います。先 存窪が琶 しました。境代人 織をつくるのは、大変に離し ぼども召ったさつに、ただ形式 のなかにも、伝琉社会の心性 いのでは。 的に行うのではなく、その込め ﹁たしかに鑑しいとは思いま られた窟味を知る努力から始め 、は患ついているようですが、 具体的にはどんな知田を学ぶ すoモこで、老人の知恵を便う てみてはいかがでしょう﹂. 形変 わ っても なお存 続 生か せる点掘り 出そう. ・刻 磁. k U瀞. 灘盤 翻1盤難鐡 麟灘 趨 だ、 振り樒を親ることによって、 があった。ところ規 本来の慧 多少なりとも意熾が変化すると 味が扱け蒙 樽饗 今や虚礼 いう効用はあるはずです。無駄 になったり、揚げ句の果てには といえぱ無駄なんですが、やら 贈収賄に堕したりしているわけ ないと何となくすっきりしない で芝 のが儀礼というもの。振り抽に 毒 統的な羅 の深層に こだわる必要はないけれど、そ は呪蓼 添神鐙といった、か れに代わる通過儀礼のための なリスどリチュアル驚 のが タ晴れ蕊4を何にするかは、烈 泌んでいるさつです紐。 外と難しい問題¢んです﹂ ﹁熟λ。これまでお語しして ﹁ まず、醗礼の意味を知るこ き奪 うな懐礼の原逞 約二 と契 切望 思蕾籍 。そこ 百隼前、つまり十八世紀の末ご のところがわかれば、取り組み ろに出来上がったものです。当 方も目然と違ってくるのではな 時のことを民俗学では謬澆社 いでしょ} 暴 o一例を攣げるζ、 お中一響 ほ元来、体の弱つた親 の生命力を強化するまじないで した。他の贈笛にも、やはり生 動嚢 互いに強めるという瓢翻 終戦の翌年、文邸暫ム はむ ﹁迷償 認査協議会﹂ を設置k干支や占 9いのたぐいを爵象に調査・研究 を試み菟 そこには文化国塞を 目指し、 醸々な迷信を排腺する 狙いがあった。迷鱈の疋義など について腫論はなされたもの の、結局、結鎗は掘られなかっ. '. 先生 で あ った。. た の は所 長 (当時) の野 本 寛 一 先 生 (写真1. δ O 人 インタビュ 占 宮田. 畠. え る幸 運 に恵 ま れ て い る。 所 員 へ の就 任 の労 を取 って くだ さ.  . 豊. r. r. この会 が 発 足 した 当時 の教 職 教 育 部 の様 子 に っ い て 少 し記 し. た、. な っ た教 育 談 話 会 の こ と、 ま. 闘. 刊 夕. 醒. との で き た経 験 や知 見 、 先生方 との思. 以 上 の経 緯 か ら得 る. 野 本 寛 一 先 生 の 思 い 出 を 交 え て」 と い. 「 宮 田登 先生. そ こに、. 、 大 学 な らび に研 究 所 を定 年 退 職 さ れ た が 、 丸6年 は こ の3月. 謹. 付 、 読売新聞夕刊). 宮田登 先生 へ の イン タビ ュー記 事 (1998年10月6日 資料1. 塒楓幽'. ζ割 三種塑便犠廊可⊃. 成10年)10月6日(火 躍日). 1998年(平. 黍浄. (2007・. 9) 第1号 第19巻. 近畿大学教育論叢. 代 え が た い財 産 に な って い る。. [. 一. 2. 1. ﹂. ' り. ' 呂. 占. ﹂. ●. ,. 慮﹁. ■. 7 も 畠. 9. .. 1. ・. ,. ﹂. 置. .. .. ,. ﹂. 1. ,. 7. r. 1. 7. ﹂. 卜.

(3) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の 思 い 出 を 交 え て 一. て お きた い。. 第1回. の教 育 談 話 会 が 開 催 され た の は、 記 憶 に よ れ ば 、2002年. ユ1月6日 の こ とで あ る。 場. 所 は本 館6階 資 料 室 で あ った 。 この 資 料 室 の存 在 を知 らな い方 も しだ い に増 え、 教 職 教 育 部 が 本 館6階 を 住 み か と して いた こ と さえ 遠 い過 去 に な った感 が あ る。 当 時 、 「教 職 教 育 部 は教 育 ・心 理 ・歴 史 ・地 理 ・哲 学 ・自然 科 学 ・語 学 ・教 科 教 育 等 々、 多 分 野 の専 門 家 が せ っか く膝 を 付 き合 わ せ て 同 居 して い る のだ か ら、 互 い の知 見 を広 め合 い、 よ り高 次 の学 問 を 目指 しま しょ う」 とい うよ うな 提 案 が 岡 本 先 生 か らあ り、 皆 も これ に賛 同 して 、 第1回. の会 合 が 開催 され た と記 憶 す る。 副 次 的 に は専 任 教 員 相 互 の 親 睦 を 深 め 合 うこ と も目的. だ った し、 将 来 、 共 同 で単 行 本 を 出版 で きな い か とい う 目論 見 もあ った 。 以 来 、 目標 と した概 ね年2回. ず っ の開 催 を維 持 し、 現 在 に至 って い る。. 教 育 談 話 会 の 発 足 と相 前 後 して 、 教 職 教 育 部 で は知 的 な、 そ して、 い た って 職 務 遂 行 的 な 数 々 の取 り組 みが み られ た。 ま た、 そ う した取 り組 み を推 進 しよ う とい う機 運 と意 欲 とが 横 溢 して い た。 例 え ば 、 現 在 も続 く 「論 作 文 対 策Eメ. ー ル講 座 」 の初 回 が 行 わ れ た の は2001年. 度. で(た だ し、 当時 は 「論 作 文 」 で は な く、 「小 論 文 」 と い う言 葉 を 使 って い た)、 そ の成 果 を も と に した最 初 の著 作(2)が刊 行 され たの は2002年3月. の こ とで あ る。 講 座 の運 営 に も、 単 行 本 の. 刊 行 に も、 山 口和 宏 先 生 の ご尽 力 が 大 き な部 分 を 占 め て い た。 以 後 、 これ らの取 り組 み も脈 々 と受 け継 が れ 、 論 作 文 指 導 の成 果 を ま と め た単 行 本 は、2006年 度 末 の 時点 で6冊 ま た2002年7月6日. に は、 〔 仮 称 〕 「現 代 教 育 問 題 研 究 会 」 が 本 館4-3会. 行 って い る。 これ は論 作 文 対 策Eメ. 目(3)を 数 え た。. 議室 で発会式 を. ール 講 座 の教 育 実 習 版 と もい うべ き もので 、 教 職 教 育 部 専. 任 教 員 と非 常 勤 講 師 ・学 内兼 担 教 員 とが一 丸 とな って 、 教 育 実 習 指 導 を よ り実 りあ る もの に し て い こ う とす る試 み で あ る。 内容 的 に は、 専 任 ・非 常 勤 ・兼 担 の 三 者 が 手 を 携 え て 優 れ た内 容 の単 行 本 、 〔 仮 題 〕 『教 育 実 習 の 手 引 き』(近 畿 大 学 教 職 教 育 部 編)を 刊 行 す る こ と に よ り、 相 互 に意 思 疎 通 を深 め合 い、 この書 籍 を通 じて教 育 実 習 の意 義 や方 法 を よ り効 果 的 に指 導 す る こ とを 目指 した。 ま た、 そ の よ うに優 れ た実 践 を、 書 籍 を通 じて全 国 の教 職 課 程 を運 営 す る大学 に発 信 す る こ とで、 近 畿 大 学 教 職 教 育 部 の存 在 感 を ア ピー ル しよ う と した。 な お、 現 在 同 じ表 題 の小 冊 子 を 「教 育 実 習 直 前 ガ イ ダ ンス」 で実 習 予 定 者 に配 布 し指 導 して い るが、 この冊 子 を 抜 本 的 に改 訂 した うえ 、 内 容 を大 幅 に増 補 す る こ とを予 定 した。 しか し、 単 行 本 の版 元 が 内 定 し、 章 立 て や 執 筆 分 担 も固 ま って、 筆 者 が あ る一 節 の 「サ ンプ. 一3一.

(4) 近畿 大学 教 育 論 叢. 第19巻. 第1号(2007・9). ル 原 稿 」 を 書 き終 え た 同 年10月. の 時 点 で 、 諸 般 の 事 情 に よ り この 試 み は御 破 算 に な って し. ま った 。 結 局 、 当 時 の 教 職 課 程 を め ぐる学 内 外 の環 境 が 、 そ う した取 り組 み を遂 行 す るに はや や 時 期 尚 早 だ っ た と い うこ とで あ ろ う。 教 育 談 話 会 が 発 足 した背 景 に は、 こ う した取 り組 みへ の挫 折 感 や、 味 わ った辛 酸 も関係 して いた よ う に思 わ れ る。. 2.出. 自. (1)学 部 時 代 出 自 と い うほ ど血 統 あ る もので は な いが 、 の ち の研 究 者 と して の筆 者 の ス ター トライ ン は、 「比 較 文 化 論 」 も し く は 「現 代 思 想 学 」 とい った 学 問 領 域 に あ る。 学 部 学 生 時 代 、 茨 城 県 新 治 郡 桜 村(現 っ くば市)の 筑 波 大 学 第 二 学 群 比 較 文 化 学 類 、 現 代 思 想 学 専 攻 に在 籍 し、 そ こで学 ぶ 者 と して の原 体 験 的 な手 ほ ど き を受 け た。 現 在 は地 理 教 育 を主 専 攻 に しっ っ、 地 理 学 と も、 民 俗 学 と もっ か ぬ領 域 を副 専 攻 に して い るが 、 これ らは そ の後 、 い ず れ も高 校 ・大 学 教 育 に身 を 置 く 「職 業 人 」 と して の立 場 か ら、 必 要 に迫 られ て 自己流 的 に 開拓 した専 攻 で あ り、 そ もそ もの出 自 と な る もので は なか った。 学 部 で の卒 業 論 文 の 表 題 は、 『P.F.ド 察 』(1984年3月)で. ラ ッカ ー にお け る"自 由"の 概 念 につ い て の一 考. あ る。 親 日家 で もあ っ た ドラ ッカ ー は、 日本 の 経 営 学 界 で は特 に著 名 な. 学 者 だ が 、 彼 が 狭 義 の経 営 学 に ス タ ンス を定 め る の は む しろ学 者 と して後 半 生 の こ とで あ る。 彼 は もと、 産 業 革 命 期 に お け る ヨー ロ ッパ 人 の勤 勉 性 や、 日本 の合 理 的 な企 業 経 営 シ ス テ ムを 思 想 面 か ら追 究 した思 想 家 兼 歴 史 学 者 で あ り、 そ の根 底 に はキ リス ト教 思 想 に対 す る造 詣 が横 た わ って い た。 表 題 に あ る 「"自由"の 概 念 」 と は、 ヨー ロ ッパ 思 想 に通 底 す る基 本 意 識 に ほ か な らず 、 卒 論 は そ の基 底 を なす キ リス ト教 思 想 の理 解 を モ チ ー フに した もの だ った。 学 部 入 学 前 夜 、 『不 確 実 性 の 時 代 』(ガ ル ブ レイ ス)や 、 『第 三 の 波 』(ト フ ラー)と い った 現 代 社 会 の本 質 を歴 史 的 に読 み解 こ う とす る著 書 が相 次 い で刊 行 ・翻 訳 され て い た。 また 、 や や 以 前 の刊 行 に な るが 、 『自由 か らの 逃 走 』(フロ ム)や 、 『プ ロテ ス タ ンテ ィズ ムの倫 理 と資 本 主 義 の精 神 』(ウェ ーバ ー)な ど も、 現 代 思 想 学 専 攻 学 生 の 向学 心 を そ そ る著 作 で あ った。 初 期 に お け る ドラ ッカ ー の諸 著 作(例. え ば 『経 済 人 の終 焉 』 『断 絶 の 時 代 』 『傍 観 者 の 時代 』 な ど)も. これ らの著 作 と軌 を一 にす る壮 大 な現 代 社 会 思 想 論 で あ り、 そ う した形 而 上 学 的 な思 索 が学 部 時 代 の関 心 事 だ った。. 一4一.

(5) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先生 ・野 本 寛一 先生 の 思 い 出 を 交 え て 一. の ち に地 理 学 を学 ぶ機 会 を得 て初 め て気 づ い た こ とだ が 、 地 図 の 読 図 や 、 調 査 結 果 の 地 図 化 表 現 、 少 数 精 鋭 の論 文 を熟 読 玩 味 す る こ とに よ る研 究 テ ー マ の 獲 得 法 や 、 先 行 研 究 に ヒ ン トを 得 た章 立 て の しか た等 々 とい った、 学 問上 の トレー ニ ン グ法 が か な り明 確 に確 立 して い る地 理 学 と比 べ 、 比 較 文 化 論(あ. る い は現 代 思 想 学)と. は 、 ま った くも って 曖 昧 模 糊 と した 混 沌 た る. 学 問 で あ る。 研 究 者 と して飛 躍 す る も、 凡 人 と して埋 没 す る も、 す べ て は学 び 手 の あ りよ う し だ い と い った と ころ が あ り、 そ れ だ け に、 個 人 と して の 自立 が早 くか ら求 め られ た 。 筆 者 の そ の後 の 「無 手 勝 流 」 は、 そ う した原 体 験 が少 な か らず 反面 教 師 と して 影 響 して い る よ う に思 わ れ る。 比 較 文 化 学 類 の定 員 は少 な か った が、 狭 い枠 に収 ま らな い 自由 な 発 想 の 同 級 生 が 少 な く なか った よ うに思 う。. (2)院 生 時 代 烈. 学 部卒 業 と同 時 に東 京 都立 武 蔵 村 山高 等 学 校 教諭 と して赴 任 し、もっぱ ら 「地 理 」を教 え る こと にな った。高 校2年 生 ・3単 位必 修 の地理 を5ク ラス担 当 す るの が条 件 で、形 式 的 な面 だ けで 言 え ば、 教 科指 導 の負 担 の小 ささ は これ以 上 には ない と い うほ ど恵 まれ た ものだ った。 大 学 で は専攻 し なか った もの の、 地 理 は中学 以来 の得 意科 目で 、 当初 か ら自信 を持 って授 業 に臨 む こ とが で きた。 しか しそれ で も、 大 学 で地 理 学 の専 門 教 養 を学 ば な か った とい う 「負 い 目」 は常 にっ き ま と い、 学 校 が 引 け た夕 刻 か ら夜 に か け て、 地 理 教 育 の研 究 会 に毎 月 の よ うに 足 を 運 ぶ こ とで 、 そ の負 い 目 を払 拭 しよ うと した。 この時 、 先 輩 た ち が語 る地 理 教 育 へ の熱 い思 い は、 地 理 教 育 者 と して の そ の後 の血 肉 と な って い る。 現 職 派 遣 の形 で、 東 京 都 教 育 委 員 会 か ら新 設 の 大 学 院 大 学 で 勉 強 す る機 会 を与 え られ た の は、 そ う した生 活 が5年. も続 い た 頃 だ った。. 入 学 した の は新 潟 県 上 越 市 に あ る上 越 教 育 大 学 大 学 院(修 士 課 程)で 、 専 攻 は教 科 ・領 域 教 育 専 攻 社 会 系 コ ー ス とい う と こ ろ だ った。 この 年 、 社 会 系 コー ス に は全 国 か ら25名 ほ ど の 現 職 派 遣 の教 師 た ちが 入 学 したが 、 そ の多 くが 専 攻 に地 歴 公 民 の教 科 指 導 を選 ぶ な か、 筆者 が 専 攻 したの は人 文 地 理 学(農 業 ・農 村 地 理)だ. った 。 制 度 上 、 「教 科 教 育 学 」(社 会 科 教 育 学 専 修). を専 攻 す る こ と も、 そ の根 幹 を なす 「社 会 諸 科 学 」(人文 地 理 学 専 修 を含 む)を 専 攻 す る こ と も 認 め られ て い た ので 、 学 部 時 代 の 「負 い 目」 と な った地 理 学 の専 門教 養 を身 に っ け た い と考 え た た めで あ る。 2年 間 、 長 野 県 須 坂 市 の実 家 に近 い フ ィー ル ドに何 度 も通 い、 フ ィ ー ル ドワー クの 「勘 所 」 を少 しず っ 会 得 しな が ら、 『長 野 盆 地"ア. ッ プ ル ラ イ ゾ'周 辺 に お け る 果 樹 農 業 の 新 展 開 』. 一5一.

(6) f. 近畿大学教育論叢. 第19巻. 第1号(2007・9). (1991年3月)と. い う表 題 の修 士 論 文 を ま と め た。 フ ィー ル ドは 長 野 県 を 代 表 す る果 樹 地 帯 の. 一 角 で 、 そ こで の 農 家 の 前 向 き な取 り組 み か ら}衰 退 著 しい 日本 農 業 に一 筋 の光 明 を 見 出 せ な い か とい うの が 趣 旨だ っ た。 この2年 間 の 経 験 は、 の ち に民 俗 学 と接 して 以 降 も、 フ ィー ル ドワー カ ー と して の原 体 験 と して 生 き て い る。 また 、 フ ィー ル ドは長 野 市 ・豊 野 町(現 長 野 市)・ 小 布 施 町 の3市 町 に ま た が る地 域 だ った が 、 た び た び 足 を 運 ん だ 豊 野 町 は、 宮 田登 先 生 が 戦 時 中 の学 童 疎 開 で幼 少 時代 を送 った土 地 とい う こ とを の ち に知 った 。 先 生 も豊 野 町 で の原 体 験 が 、 の ち の民 俗 学 者 と して の あ りよ うに 大 き く影 響 した こ とを 『宮 田 登. 日本 を 語 る』 シ リー ズ(吉 川 弘 文 館 刊)の 第1. 巻@)に 書 き記 して い る。 宮 田先 生 は2000年2月10日. 、 惜 し くも63歳 の 若 さで 永 眠 され た。 本 シ リー ズ は生 前 先 生 が. 書 き残 した講 演 記 録 や、 エ ッセ イ、 著書 へ の 未 収 録 論 文 な ど、 一 般 読 者 の 手 に入 りに くい文 献 を 中心 に、 先 生 ゆ か りの方 々 に よ って編 纂 され た もの で 、2006年2月 以 後 毎 月 一 巻 ず っ 刊 行 され 、2007年5月. 刊 の第1巻. を皮 切 りに、. 、 第 ユ6巻の 刊 行 を 以 て完 結 した(資 料2)。. リー ズ に っ いて 、 か っ て拙 い 評 を させ て い た だ い た こ とが あ るが 、 死 して な お16冊. 、、. 一6一. この シ もの 新 刊.

(7) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て 一. 本 が 出 る と い う話 は あ ま り聞 い た こ とが な く、 民 俗 学 に対 す る造 詣 や、 執 筆 活 動 へ の情 熱 、 幅 広 く厚 み の あ る知 見 は もと よ り、 何 よ り も先 生 の お人 柄 を よ く表 して い る と思 う。. 3.民. 俗 学 との 出 会 い. (1)突 然 の 誘 い 上 越 教 育 大 学 大 学 院 か ら帰 京 した1991年 春 、 そ れ まで 在 籍 した 武 蔵 村 山高 校 を 離 籍 し、 東 京都 立 国 際 高 等 学 校 に異 動 す る こ と に な る。 開 校 して3年. 目、 いわ ゆ る完 成 年 度 を迎 え た新 設. 高校 で、 国 際理 解 教 育 の パ イ ロ ッ ト校 を 標 榜 す る全 国 的 に も知 られ た学 校 だ っ た。 こ こで筆 者 は、 皮 肉 に も上 越 に学 び に行 った 「地 理 」 で は な く、 東 京 都 が 新 規 に開 設 した いわ ゆ る 「国 際 理 解 科 目」 の一 っ 、 「比 較 文 化 」(2単. 位必 修)の 担 当 者 と して 着 任 す る こ と に な る。 大 学 で の. 「比 較 文 化 」 の学 び手 が 、 高 校 の 「比 較 文 化 」 の教 え手 に な った わ け で あ る。 国 際高 校 に着 任 して3年. 目の あ る 日、 武 蔵 村 山 高 校 の元 同 僚 、 藤 森 裕 治 君 か ら連 絡 が 入 っ た。. 藤 森 君 は大 学 時代 の ク ラ ス メイ トで、 筆 者 と同 時 に筑 波 大 学 を 卒 業 し、 そ ろ って 武 蔵 村 山 高 校 に着 任 した知 己 で あ る。 筆 者 の採 用 教 科 が 社 会(地 理)、 彼 の 採 用 教 科 が 国 語 で あ った た め実 現 した奇 遇 で あ り、 大 職 員 室 の机 ま で 隣 同士 にな る と い うオ マ ケ まで っ いて い た。 彼 は学 部 で は民 俗 学 を専 攻 し、 当 時筑 波 大 学 教 授 で あ った宮 田 登 先生 に卒 論 を 読 ん で いた だ いて い た。 聞 け ば先 生 か ら連 絡 が入 り、 先 生 が武 蔵 村 山市 史(民 俗 編)の 編 集 委 員 を す る こ と にな っ たが 、 武 蔵 村 山 に は不 案 内 だ か ら、 武 蔵 村 山高 校 の君 が編 集 を手 伝 って くれ な い か と言 わ れ た と い う (じ っ さい 、 先 生 は当 初 、 武 蔵 村 山 と東 村 山 の 区 別 が お 付 きで な い よ うだ った)。 っ いて は、 民 俗 編 の編 集 委 員 の枠 は3人 だ か ら、 「戸 井 田、 お 前 も一 緒 にや っ て み な い か 」 と い う こ とだ っ た。 学 部 時 代 、 社 会 科 教 員 免 許 の関 係 か ら宮 田先 生 の 「日本 民 俗 学 」 を取 って はい た の で(ち な み に、 直 江 広 治 先 生 の 「口承 文 芸 」 な ど も受 講 は して い た)、 先 生 の こ とは 存 じ上 げ て い た。 けれ ど も一 度 もお話 し した こ とは な く、 民 俗 学 の 「み」 の字 も知 らな い と言 った ほ うが正 確 な あ りさ まで 、 とて も先 生 の よ うな方 と一 緒 に編 集 委 員 を や らせ て い た だ け るよ うな器 で はな い と思 っ た。 が 、 そ こは生 来 の い い加 減 さで 、 ま あ なん とか な る だ ろ う とす ぐに思 い 直 し、 と も か く もや って み る こと に した。 これ が1993年10月. の こ とで あ る。 冒頭 に も書 い た が、 こ こに、. 以 後 約6年 間 にわ た る宮 田登 先 生 と のお 付 き合 いが 始 ま る こ とに な った。. 一7一.

(8) 近畿大学教育論叢. 第19巻. 第1号(2007・9). (2)武 蔵 村 山市 史 で の活 動 活 動 は現 地 調 査 と、 報 告 書 そ の他 の執 筆 ・編 集 が 中心 に な った。 民 俗 編 で は宮 田 ・藤 森 ・戸 井 田 の編 集 委 員 の ほか 、 専 門 調 査 員 と、 調 査 協 力 員 とい う枠 が設 け られ て お り、 合 わ せ て 十数 名 の メ ンバ ーが 衣 食 住 ・生 業 文 化 ・年 中行 事 ・人 生 儀 礼 ・信 仰 ・社 会 生 活 ・民 具 ・芸 能 ・口承. 一8一.

(9) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て 一. 文 芸 ・女 性 の民 俗 等 々 と い った分 担 を決 あ て調 査 ・執 筆 を進 め た。 調 査 は基 本 的 に 各 自が通 い で 行 うが、 毎 年8月. に は3∼4泊. 程 度 の合 宿 集 中 調 査 も実 施 した(写 真2)。. こ の ほ か、 情 報. 交 換 を図 る た め、 月 に一 度 は民 俗 部 会 の会 合 を開 催 して各 人 の進 捗 状 況 を交 換 しあ った。 筆 者 は藤 森君 と と もに生業 文化 を担 当 し、 現地 調査 に際 して はほ とん どいっ も行動 を共 に した(写 真3)。 東 京 都 武 蔵 村 山市 は、 東 京 都 下 で唯 一 鉄 道 が 通 らな い市 と して知 られ(た だ し、 か っ て軽 便 鉄 道 が 存 在 した こ と は あ る)、 交 通 不 便 な土 地 柄 だ った。 しか しこ の不 便 さが 、 東 京 近 郊 と し て は めず ら しい ほ ど古 い生 業 や 習 慣 を残 す こ と に寄 与 し、 民 俗 調 査 の フ ィー ル ドと して は た い へ ん 興 味 深 い地 域 だ っ た。 や や古 い時 代 設 定 に な る が、 ア ニ メ 映 画 『とな りの ト トロ』 は、 昭 和30年 代 初 頭 の 武蔵 村 山周 辺 を 舞 台 に して お り、 「トトロ」(森 の主 で あ り、風 の精 で もあ る主人 公 の ひ と り)が 風 に乗 って 上 空 を飛 び回 っ た深 い山林 や、 雑 木 か らな る平 地 林、 谷 津 田、畑 地 な どの風 景 も、 調 査 で歩 き回 っ た ユ990年 代 にお い て な お 豊 富 に残 され て い た。 この ほか 、 茶 業 や 酪 農 、 果 樹 農 業(写 真4)な. ど の ほか、 一 部 には養 蚕 も残存 し、 生 業文 化 の調査 地 域 と して は. 打 ってっ けの土 地 だ った。 毎 月 一 回 の民 俗 部 会 の会 合 は、二 っ の意 味 で 緊 張 の連 続 だ った 。 一 っ は、 「専 門 調 査 員 」 と いえ ば 民 俗 学 を き ちん と学 ん だ 専 門 家 が ほ とん どで 、 筆 者 は 「編 集 委 員 」 と して、 形 式 上 そ の 人 た ちの 上 に立 っ こ と にな っ た こ とで あ る。 素 人 の 自分 が 、 専 門 家 を前 に会 を切 り盛 りす る の はな か な か の 気 苦 労 だ った 。 しか し筆 者 の そ う した心 境 を見 抜 か れ て い た の だ ろ う、 折 に触 れ、. 一9一.

(10) 近畿大学教育論叢. 第19巻. 第1号(2007・9). 宮 田先 生 が 励 ま しの言 葉 を掛 け て くだ さ る こ とに心 が救 わ れ た もの で あ る(資 料3)。 も う一 っ は、 レ ジュ メ を用 意 して過 去 一 か月 の調 査 の進 捗 を報 告 す るが、 席 上 、 宮 田 先生 が しば しば 「お休 み」 に な られ る こ とで あ る。 これ は お疲 れ ゆ え の こ とで はな く、 報 告 内容 が詰 ま らな い と眠 って しま う ら しい こ とに気 づ い て以 降 、 い か に眠 気 を催 さな い調 査 報 告 が行 え る か と い うプ レ ッ シ ャー と闘 った もので あ る。 今 し方 眠 って い た か と思 った先 生 が、 話 が佳 境 に 入 る と ム ック と起 き 出 し、 「そ れ はお も しろ いで す ね 」 な ど と言 わ れ る ので 驚 い た ことが あ る。 寝 て い る よ うで いて 寝 て は い な い、 よ い発 表 に は ね ぎ らい の言 葉 を掛 け て くだ さ る先 生 だ った。 ま た、 当 時 宮 田先 生 は本 当 にお 忙 しい毎 日を送 られ て お り、 海 外 出張 も しば しば だ った が、 そ れ こそ 体 が 日本 に あ る限 りは、 民 俗 部 会 の 会 合 に 出 席 さ れ て い た よ う に思 う。 な か に は、 「中 国 か ら当 日成 田 に着 くの で 少 し遅 れ ま す が 」 な ど と お っ し ゃ っ て、 終 了 聞 際 に菓 子 折 を 持 って 駆 け込 まれ る よ うな こ と も幾 度 か あ った と記 憶 す る。 た い て い10人 ち ょ っ と は 出席 し て い た が 、 終 了 後 の 「打 ち上 げ」 に も必 ず 顔 を 出 され 、 しか も全 員 分 の支 払 い を済 ませ て か ら 一 足 先 に席 を 立 たれ るの が 常 だ っ た。 「藤 森 君 との名 コ ン ビ、 これ か ら もよ ろ し く頼 み ます。」 な ど と い うい う決 ま り文 句 の入 った、 資 料3の. よ うな お 便 りを 、 年 に ユ度 か2度. は必 ず い ただ い た と記 憶 す る。 筆 者 か ら見 れ ば そ れ. こそ 雲 の 上 の よ うな 存 在 だ が 、 本 当 に よ く小 事 に さえ 心 を 配 り、 気 さ くに お話 しい た だ い た も の と思 う。. 一10一.

(11) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て 一. (3)活 動 の 成 果 後 述 す る よ うに、 編 集 委 員 に な って2年 余 りが経 っ た1996年4月. 、近畿大学 に赴任す る こ. とに な り、 東 京都 青 梅 市 か ら奈 良 県 奈 良 市 に居 を 移 した。 以 後 、 調 査 も民 俗 部 会 の運 営 も不 自 表1武 刊行 年 月. 蔵 村 山市史(民 俗編)の 刊行 成果. 編 者 (編集 委員). 「書 名』 (報告 書 名). 発行 元 (総頁 数). 11996年3月. 武蔵 村 山市 史編集 委員 会編 (宮田登 ・藤 森裕 治 ・戸井 田克 己). 『 武 蔵 村山 の民 俗 その 一』 (武蔵村 山市 調査 報告 書 第2集). 武蔵 村 山市. 21997年3月. 武蔵村 山 市史 編集 委員 会編 (宮田登 ・藤 森裕 治 ・戸井 田克 己). 『 武 蔵 村山 の民 俗 その 二』 (武蔵 村 山市 調査 報告 書 第4集). 武蔵 村 山市 (406頁). 31997年3月. 武 蔵村 山市 史編 集委 員会 (宮田登 ・藤 森裕 治 ・戸井 田克 己). 『 武 蔵村 山 の民具 』(民 具資 料集1) 一 旧岸 村 原 田家の 生活 用具 か ら一. 武蔵 村 山市 (105頁). 41998年3月. 武 蔵村 山 市史編 集 委員 会編 (宮田登 ・藤森 裕 治 ・戸井 田克 己). 「 武 蔵村 山の 民俗 その三 』 (武蔵 村 山市 調査報 告 書 第7集). 武蔵 村 山市 (385頁). 51998年3月. 武 蔵村 山市 史編 集委 員会 (宮田登 ・藤森 裕治 ・戸 井 田克 己). 『 武蔵 村 山の 民具 』(民具 資料 集2) 一 旧 中藤 村原 山 渡辺 家 の生活 用具 か ら一. 武蔵 村 山市 (97頁). 61999年3月. 武 蔵村 山市 史編 集委 員会 編 (宮田登 ・藤森 裕治 ・戸 井 田克 己). 『 武蔵 村 山の民 俗 その 四』 (武蔵 村 山市調 査報 告書 第8集). 武 蔵 村山 市 (368頁). 71999年3月. 武蔵 村 山市 史編 集委 員会 『 武蔵 村 山の民 具 』(民具 資料 集3) (宮田登 ・藤 森 裕治 ・戸 井 田克 己) 一 旧 中藤 村萩 ノ尾 乙幡家 の生 活 用具 か ら一. 82000年11月. 武 蔵村 山市 史編 さん委 員会編 (宮田 登 ・藤 森 裕治 ・戸 井田 克 己). 92001年11月. 武蔵 村 山市 史編 集委 員会編 (藤森裕 治 ・戸 井田克 己). 由 さは募 った が、 そ れ で も2002年3月. 『 武蔵 村 山市 史. 民 俗編 』. (250頁). 武 蔵村 山 市 (61頁) ぎ よ うせ い (925頁). 『 武蔵 村 山の民 俗 その五 』 (武蔵村 山 市調 査報 告書 第11集). 武 蔵村 山市 (142頁). に委 員 を辞 め る ま で の 間、 調 査 も、 執 筆 ・編 集 も、 そ し. て毎 月 の民 俗 部 会 の会 合 も、 何 とか 穴 を 空 けず に勤 め通 す こ とが で き た。 こ の間 に成 果 と して 刊 行 で きた もの は次 の9点 で あ る(表1)。 この う ち、 「8」 が武 蔵 村 山 市 史(民 俗 編)の 本 編 で あ り、 他 はす べ て 中 間 報 告 的 な意 味 合 い を持 っ 調 査 報 告 集 で あ る。 筆 者 は これ らの文 献 の い ず れ に も編 集 委 員 と して 名 を 連 ね て い る が 、 この うち 「3」 「5」 「7」 に っ い て は、 橋 立 ま す み氏 を 中心 とす る民 具 担 当 の メ ンバ ーが も っぱ ら調 査 ・執 筆 を行 った もの で あ る。 なお 、 市 史 本 編 の 「8」 の刊 行 を 目前 に、 宮 田先 生 は急 逝 され た。 そ の た め 「9」 の調 査 報 告 集 だ け は、 形 式 上 、 藤 森 君 と筆 者 二 人 で の編 集 とい う扱 い に な って い る。. 一11一.

(12) 第1号(2007・9). 京 か ら関 西 へ. 1996年4月2日. 、近畿 大学 に赴任 す るた め東京. 誓. か ら関 西 へ と車 で 向 か った 。 途 中 、 中 央 自動 車 道 沿.  . い の 長 野 県 飯 田 市 内 に一 泊 し、 翌3日 午 前 、 奈 良 市. 乞 入 り した。 新 住 所 に選 ん だ 「奈 良 」 は、 中 学2年. の. 自慧 霧 宮 宅. 先. 先. 夏 、1週 間 ほ どか けて ユ ー ス ホ ス テル を 泊 ま り歩 き、. 〒 〒 338221 FT与T巌 大神. ひ と り リュ ックを 背 負 って 訪 ね 回 った あ こが れ の土. 会畢 叢 鳶 田. 地 だ った。. 艦 葛葉歴大 八 八 合 五 川 史学. 近 畿 大学 に着 任 後 、 真 っ先 にや った こ とが あ る。 そ れ は民 俗 学 研 究 所 の 野 本 寛 一 先 生 へ の ご挨 拶 で あ. 絃 抵奪 院 務身 窃ち.. 4.東. 第19巻. 織. 六三料 文. 室!学 化. 先生 か らの 指 示 で 一 枚 の 名 刺 を 託 され て お り(資 料. 野撫 登 6一 耕 所. 4)、 そ れ に刷 り上 が った ば か りの 『武 蔵 村 山 の 民 俗. そ の一(武. 1)を. 蔵村山市調査報告書. 添 え て 、 文 芸 学 部 棟(E館)6階. 第2集)』(表 の研究室 に. 儲. 熟. る。 この 時 、 先 生 と は一 面 識 もな か った が 、 宮 田登. 嫌毒 絵 婁 舞 欧. 近 畿 大学 教 育 論 叢. 資 料4宮 田先 生 か ら託 された名 刺(野 本 先生 へ の依頼 文 が した ため られて い る). お じ ゃま した。 野 本 先 生 は歓 待 して くだ さ り、 「こ の辺 りに は う まい コー ヒー が な い ん で す よ 」 な ど とっ ぶ や きな が ら、 わ ざわ ざ西 門 近 くの数 少 な い純 喫茶 ま で 筆者 を 連 れ て 行 き、 そ の 「う まい コ ー ヒー」 を ご馳 走 して くだ さ っ た。 聞 け ば 時 々 こ こに 来 られ る との こ とだ った が 、 や が て 時 が 経 ち、 近 鉄 奈 良 駅 近 くの 喫 茶 店 で も、 幾 度 か美 味 しい コー ヒー を ご馳 走 に な った こ とが あ る。 コ ー ヒー好 きな 野 本 先 生 で あ る。 と ころ で この 名 刺 は、 そ の 時 、 先生 に お 渡 し して い た もの を 、 この 度 、 ご退 職 に伴 う研 究 室 の片 づ け の最 中、 机 の 奥 か ら出 て きた とか い う こ とで 、 返 却 い た だ い た もの で あ る。 わ ざわ ざ 拙 宅 ま で電 話 を くだ さ り、 「先 生 、 い い ものが 出 て きま した よ」 とい う切 り出 しで そ の 「発 見 」 を伝 え られ た。 筆 者 の気 持 ち に な り代 わ って 喜 ん で お られ た ご様 子 が 、 い か に も野 本 先 生 ら し い。 宮 田先 生 亡 きい ま 、筆 者 に と って この 名 刺 は言 い よ う もな い ほ ど懐 か し く、 ま さ し く宝 物 の よ うに な って い る。 ち な み に、 名刺 中 に 「筑 波 大学 院 出 身 で す 」 と書 か れ て い るが 、 これ は 宮 田先 生 の思 い込 み で あ ろ う。. そ の よ うに して野 本 先 生 に お会 い した もの の、 そ の 後 は再 会 す る こ と もな く、 しだ い に時 が. 一12一.

(13) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て 一. 経 って い っ たo 筆 者 の担 当 授 業 科 目 は 「地 理 歴 史 科 教 育 法 」2コ 週5コ. マ と、 「公 民 科 教 育 法 」3コ. マの合 わせて. マで 、 現 在 か ら考 え れ ば恐 ろ し く恵 まれ た条 件 だ ったが 、 そ れ で も月3∼4回. の東 京 往. 復(武 蔵 村 山 市 史 の 調 査 や 会 合 、 教 科 書 関 係 の 仕 事 、 東 京 時 代 か ら継 続 す る研 究 会 へ の 出席 等)を 維 持 しっ っ 、 日 々の 授 業 準 備 に追 わ れ る と い う、 そ の 日暮 ら しの生 活 が 始 ま った。 そ う して しだ い に、 民 俗 学 研 究 所 の こ と は忘 却 の彼 方 へ と消 えて い った。. 5.民. 俗 学研 究所 兼任 へ. (1)毎 年 の 活 動 あ れ は2000年. の 何 月 だ った か 、近 畿 大 学 に着 任 して5年. 目の 確 か 秋 頃 、 この 間 一 度 もお話. し して い な か った 野 本 先 生 か ら突 然 お 電 話 を い ただ い た。 電 話 口 の先 生 は、 気 のせ いか 幾 分 興 奮 して い る よ うな ご様 子 で、 「や っ と先 生 に手 伝 って も ら う こ と に な りま した。 今 度 所 長 に な る の で 大 学 当 局 に 要 望 し た と こ ろ、 先 生 に 手 伝 っ て も ら え る こ と に な り ま した。」 と お っ しゃ った 。 民 俗 学 研 究 所(以 下 、 民 俗 研 と略 称 す る)の 初 代 所 長 は地 名 研 究 で 著 名 な谷 川 健 一 先生 で あ った が 、 谷 川 先 生 が 退 任 され て 以 後 、 久 し く所 長 不 在 の 状 態 が 続 いて い た。 それ が こ の た び 、 野 本 先 生 が 第 二 代 所 長 と して 就 任 され る こ と に な っ た ので あ る。 筆 者 が 驚 い た の は、 この 間 ず っ と、5年 前 の 筆 者 の 表 敬 訪 問 の こ と、 名 刺 に託 され た宮 田登 先 生 の 思 い を心 に留 め て お られ た こ とで あ る。 この よ うに して 翌2001年4月. 、 近 畿 大 学 に お け る民 俗 研 兼 任 と して の 筆 者 の新 しい 研 究 生. 活 が始 ま る こ と とな った。. ① 所 員 と して の1年. 目. 民 俗 研 の年 間 事 業 は大 き く二 っ あ る。 一 っ は年 ご と に フ ィ ール ドを 設 定 して 現 地 調 査 を 行 い、 紀 要 『民 俗 文 化」 に 成 果 を 発 表 す る こ と、 そ して も う一 っ は年1回 、 公 開 の 民 俗 学 講 演 会 を 開 催 す る こ とで あ る。 この うち前 者 は、 基 本 的 に 個 人 調 査 の 形 で 進 め られ 、 大 学 か らは原 則 と し て、7泊8日. 分 の調 査 費 用等 が 支給 され る。. 武 蔵 村 山市 史 で、 ま た、 修 論 で フ ィ ー ル ドワ ー ク の 経 験 が あ る と は い え 、 筆 者 が い ち ば ん 困 った の は、 この 時 な お 「民 俗 学 」 とい う もの が ど うい う学 問 で あ るか 、 何 を どの よ う に調 査 す れ ば 「民 俗 学 」 に な るか とい う こ とが、 本 当 の意 味 で実 感 で きて い な か った こ とで あ る。 民. 一13一.

(14) 近畿大学教育論叢. 第19巻. 第1号(2007・9). 俗 研 へ の就 任 は亡 くな った宮 田登 先 生 へ の 恩返 しで もあ り、 研 究 生 活 上 も ま た と な い チ ャ ンス で は あ った が、 そ の重 責 を い か に結 果 と して残 す か が 強 く問 わ れ る こ と に な っ た。 ま た、 教 職 教 育 部 で は2001年. 度 か ら前 述 した論 作 文 対 策Eメ. ー ル 講 座 が 始 ま って お り、 こ. の2年 ほ ど前 か らは 「教 員 採 用 試 験 対 策 講 座 」 と称 す る講義 中 心 の連 続 ・集 中 講 座 も開 始 さ れ て い た。 これ ら は、1年. の うち で は最 も暇 とい え る入 学 試 験 後 の2月 中 旬 か ら3月 一 杯 頃 を 中. 心 に行 わ れ た が、 そ の 時期 が 『民 俗 文 化 』 の執 筆 時 期 と も概 ね 重 な って い た。 さ らに は、2003 年4月. か らの3年 間、 大 学 入 試 セ ン ター の委 員 を務 め たが 、 これ に よ り夏 の現 地 調 査 の重 点 期. 聞 の ほ う も制 約 され る こ とに な った。 これ らの課 題 や 問 題 点 が 複 合 的 に の しか か り、 野 本 先 生 の、 ま た故 宮 田先 生 の期 待 に応 え るべ く、 相 当 の プ レ ッシ ャ ーを 味 わ う こ と に な っ て い った。 この時 救 わ れ た の は、 「何 を 調 べ て もい いで す よ。 ど れ だ け書 い て もい い で す よ。」 と い う野 本 先 生 の お 言 葉 で あ る。 先 生 が 注 文 を っ け られ る の は 「フ ィ ー ル ドワ ー クの 頻 度 と精 度 」 で あ って、 これ が十 分 で な い論 文 に対 して は手 厳 しい評 価 を 下 され たが 、 一 次 資 料 が き ち ん と収 集 さ れ て い る報 告 な ら、 理 屈 や能 書 き は二 の次 と い う と こ ろが あ っ た。 じっ さ い、 理 論 は世 に あ ま た あ り、 しか も理 論 の 主 流 は時 々 刻 々 と変 化 す る。 が 、 話 者 が語 っ た 「あ りの ま ま の事 実 」 は、 時 が経 っ ほ どに輝 きを増 して い く。 筆 者 は、 「何 を 調 べ て もい い で す よ。」 と い う野 本 先 生 の 言 葉 を 真 に受 け て 、 活 動 初 年 の 2001年 度 に設 定 され て い た 「北 関 東 」 と い う フ ィー ル ドの括 りの な か で、 群 馬 県 太 田 市 周 辺 を調 査 地 域 に決 め、 日系 人 労 働 者 問題 の実 態 を 調 査 す る こ と に した。 彼 らの急 増 に よ って生 じ る地 域 住 民 との対 立 や共 生 の構 図 は、 ま さ し く 「現 代 社 会 にお け る 日本 民 俗 」 の一 コ マ に ほ か な らな い の で は な い か、 とい う考 え か らで あ る。 この や や 拡 大 解 釈 的 と も言 え る理 由づ け に対 して も、 野 本 先 生 の指 導 ・助 言 は、 「い い で す ね。 お も しろ そ うで す ね 。 十 分 に調 べ て くだ さ い。」 と い う もの だ っ た。 こ の言 葉 に励 ま され な が ら、新 幹 線 と東 武 伊 勢 崎 線 を乗 り継 いで 何 度 か フ ィー ル ドに足 を運 ん だ もの で あ る。 1年 目、 筆 者 が 日系 人 労 働 者 問題 を テ ー マ に選 ん だ の は、 じっ は と言 え ば、 多 少 不 純 な動 機 も重 な って い た。 そ れ は この 時 ち ょ う ど、 文部 科 学 省 に検 定 申請 す る高 等 学 校 地 理 歴 史 科 用 教 科 書 ⑤の 分 担 執 筆 を控 え て い たが 、 書 か な け れ ば な らな い あ る一 節 の 内 容 に、 日系 人 労 働 者 (外 国 人 労 働 者)の 題 材 が 使 え る と考 え た た あ で あ る。 そ の 経 緯 の詳 細 は拙 著 ωに記 したが 、 学 習 指 導 要 領 と の 関 係 で 、 「身 近 な 地 域 の国 際化 の進 展 」 を地 域 調 査(フ. ィー ル ドワ ー ク)を. 通 じて学 習 す る とい う設 定 で書 く こ とが必 要 にな って いた。 っ ま り、 教 科 書 の執 筆 と民 俗 研 の 一14一.

(15) わ た しと民 俗 学. 表2『 年 度 ブ イール ド. 2001年 度 北 関東. 号 数 刊行年月 第14号. 民 俗文 化』 にお ける筆者 の歩 み(2006年 タ イ トル ー 副題 等一. 1. 日系 人 と暮 らす 町 一 群馬 県 太田 市 ・大泉 町の 「 内 な る国際 化」 とその課 題一. 195-236頁. 群馬 の郷 土 カル タと子育 て信 仰 一 その予察 的考 察一. 237-254頁. 2002年3月. 東. 海. 2003年 度 中国山地. 2004年 度 五島 列 島 2005年 度 東 北. 第15号 2003年3月. 第16号 2004年3月. 第17号 2005年3月 第18号 2006年3月. 第19号 2007年3月. (論 文). (論 文) 321-325頁. ニ ュー カマ ーが集 う町 一 東海 地方 で 暮 らす 日系人 と地域 社 会一. 163-232頁. 5. 小 国喜弘 著 『 民俗 学 運動 と学校 教 育』 (東京 大学 出版 会 、2001年 刊). 317-322頁. 奥 出雲 の タ タラ製 鉄 をめ ぐる民 俗 連鎖 一 雲州 そ ろば んへ の波 及 とその消 品. 133-205頁. 6. 7. 千 田稔著 『 地 名 の巨 人 吉 田東 吾 』 (角川 叢書 、2003年 刊). 303-311頁. 4. (書 評). (論 文). (書 評). (論 文). (書 評). 青潮 の民 俗 一 五島 列島 ・福 江島 の生 業 と生活 一. 131-189頁. 9. 飛島 の民 俗 一 青潮 に漁 る人 々一. 179-236頁. 10. 新 しき村 の入 植者 た ち(前 編) 一 新生 の大 地 ・秋 田県大 潟村 物語一. 237-280頁. 8. 11. 2006年 度 北海道. 掲載頁 (種別). 藤森 裕治 著 『 死 と豊穣 の民 俗 文化 』 (吉川 弘文 館 、2000年 刊). 3. 度. 度末 現在). 通し 番号. 2. 2002年. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い出 を交 え て 一. (論 文). (論 文). (論 文) 293-302頁. 宮田 登著 『 民 俗学 へ の道』 (吉川弘 文館 、2006年 刊). (書 評). 12. 江 差 ・奥 尻民 俗紀 行 一 「 青潮 」 と 「白潮 」 の出会 う海 域一. 201-272頁. 13. 新 し き村 の入 植者 た ち(後 編) 一 新生 の大 地 ・秋田 県大 潟村物 語一. 365-423頁. 14. 『会 津 学 』(創 刊 号 、 第 二 号) (奥 会 津 書 房 、2005・2006年. (論 文). (論 文) 437-445頁. 刊). (書 評). 現 地 調 査 、 両 者 の 一 石 二 鳥 を 狙 っ た わ け で あ る。 こ こ で 、2001年. 度 か ら2006年. 度 ま で の フ ィ ー ル ドと 、 筆 者 が 書 い た 論 文 等 の タ イ トル を ま. と め て 示 せ ば 次 の と お り で あ る(表2)。 こ の 間 、 論 文9本. と 書 評5本. 、 計500頁. 余 り を 書 か せ て い た だ い た こ と に な る。 ま さ し く. 「何 を 調 べ て も い い で す よ 。 ど れ だ け 書 い て も い い で す よ 。」 と い う野 本 先 生 の お 言 葉 ど お り、 自 由 に調 べ 、 奔 放 に書 か せ て も らえ た こと に感 謝 して い る。. 一15一.

(16) 近畿大学教育論叢. 第19巻. 第1号(2007・9). ② 日系 ニ ュ ー カ マ ー研 究 を単 行 本 に 表 に示 した よ うに、 民 俗 研 の所 員2年. 目 の2002年. 度 は、 「東 海」 とい う大 きな 括 りで フ ィー. ル ドが 設 定 さ れ た。 「東 海 地 方 に三 重 県 や 岐 阜 県 は含 まれ るか 」 「東 海 地方 の 中 心 は何 県 か 」 と い う問 い が 示 す よ うに、 「東 海 」 は地 理 的 にみ て お も しろ い地 域 で あ る。 当 初 は そ う した 事 柄 を テ ー マ に調 査 して み よ うか と も考 え た が、 結 局 、 前 年 の 日系 人労 働者 問 題 を 引 き続 き追 って み る こ と に した。 東 海 地 方 に は静 岡県 浜 松 市 や、 愛 知 県 豊 田市 とい った 全 国 的 に も顕 著 な 外 国 人(日 系 人)の 集 住 都 市 が あ り、 この2都 市 に、 三 重 県 鈴 鹿 市 を加 え た3都 市 を 中心 に 広 域 的 な 調 査 地 域 を 設 定 した。 ま た、 前 年 の群 馬 県 太 田市 と大 泉 町 で は、 調 査 初年 度 の 限 られ た 知 識 とい う こ と もあ り、 「日系 人 」 を キ ー ワ ー ドに タ イ トル を 設 定 した が、2年. 目 に は これ を も う少 し広 く取 り、. 「ニ ュー カ マ ー」 と い う概 念 で 調 査 を 進 め る こ と に した。 結 局 、1年 ま と め た が 、2年. 目 に は40頁. ほ どの 論 文 に. 目 に は倍 近 い70頁 ほ どの 成 果 とな って 、 日系 ニ ュ ー カ マ ー研 究 を今 後 も続. け るか 、 そ れ と も こ こで一 応 の 区切 りを っ け るか の判 断 を迫 られ る状 態 に ま で 持 って い くこ と が で き た。 こ の時 、 野 本 先 生 か らの指 導 ・助 言 は いっ に な く強 力 だ った。 先 生 は、 「今 後 もニ ュー カマ ー 研 究 を続 け るか ど うか は別 に して、 こ れ ま で の 内 容 はす ぐに 本 に して しま い な さ い。」 とい う 趣 旨 の こ とを 繰 り返 しお話 しに な った。 「も し出版 社 の 目処 が っ か な い な ら、 紹 介 しま す よ。」 と も言 わ れ た。 当初 筆 者 に は そ の気 は な か った が、 あ ま り何 度 も勧 め られ るの で 、 っ い に はそ の気 に な って 出版 を 目指 す こ とに した。 この 時、 野 本 先 生 に は二 っ の 懸念 が あ った よ うで あ る。 一 っ は、 単 著 の経 験 の な い者 は そ れ を あ ま りに重 大 に考 え す ぎ る結 果、 結 局 は書 けず じまい に な って しま う こ とが あ る とい う こ とで あ る。 も う一 っ は、 テ ー マ が テ ー マ だ けに 、 速報 性 が 大 事 だ と い う こ とで あ る。 と は い え 、 前 述 した よ うに、2003年 度 か ら大 学 入 試 セ ンタ ー通 い が 始 ま り、 平 均 して毎 月 1週 間 近 く も東 京 生 活 を行 うよ うに な った の で、 一 度 書 い た原 稿 とは い え、 これ を一 編 に ま と め る作 業 は難 航 を極 め た。 結 局 、 学 内 の研 究 助 成 金 制 度(刊 行 助 成)に 応 募 し、 これ に 認 め ら れ た こと を以 て、 向 こ う1年 間 で 出版 に漕 ぎ っ け な け れ ば な らな い とい う ノル マ を設 定 す る こ とが で き た。 そ の よ うに して この1年 後 、 な ん とか拙 著 を物 す る こ とが で きた わ けで あ る。 出 版 社 こそ 自力 で探 した が、 これ は ひ と え に野 本 先 生 の励 ま し と、 近 畿 大 学 当局 の 支援 の お か げ と思 って い る。. 一16一.

(17) わ た しと民 俗 学. 2005年3月. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て 一. 末 、 出 来 た て ホ ヤ ホ ヤ の 拙 著 を 野 本 先 生 の 研 究 室 に お 持 ち し た 。 あ い に く先 生. は ご 不 在 だ っ た の で 、 先 生 の メ ー ル ボ ッ ク ス に 御 礼 状 を 添 え て 投 函 して 帰 っ た 。 す る と 翌 々 日 に は お 電 話 を い た だ き 、 す で に お 読 み い た だ い た ご 様 子 で 、 い た く感 動 し た 旨 を 伝 え ら れ た 。 「こ れ は ス ゴ イ 本 で す 。 出 版 お め で と う 。 売 れ に 売 れ て す ぐ に も再 版 さ れ る の は 間 違 い な い で し ょ う。」 と い う よ う な 内 容 だ っ た 。 実 際 に は そ ん な は ず も な く 、 事 実 、 現 在 に 至 る ま で 出 版 社 か ら再 版 の 知 らせ は な い 。 しか し あ の 時 、 無 理 を して 書 い て し ま っ て 本 当 に よ か っ た と 実 感 して い る 。 野 本 先 生 の こ 懸 念 ど お り、 も し今 頃 に な っ て ま と め よ う と す れ ば 補 充 調 査 が 必 要 な 心 持 ち に な り 、 そ れ が 何 度 も繰 り返 さ れ て 、 い っ ま で た っ て も 出 版 に は 至 ら な く な っ た よ う な 気 が す る 。 そ して ま た 、 ま だ2冊. 目は. 出 せ て い な い が 、 今 度 は ず っ と軽 い 気 持 ち で 本 が 書 け る よ う な 心 境 に な っ て い る 。. (2)調 査 で の記 憶 民 俗 研 で の調 査 は ま だ6回(6年)し. た だ けだ が 、 そ れ で も調 査 を通 じて い ろ い ろ な人 た ち. に 出会 い、 様 々 な経 験 を させ て い た だ い た。 こ こで は調 査 旅 行 で 出 会 った 人 た ちの こ と、 ま た、 調 査 で の忘 れ られ な い思 い 出 に っ い て少 しだ け記 して み た い。. ① 旅 先 で 出会 った人 た ち 市 田敏 夫 さん(雲 州 そ ろ ばん 伝 統 工 芸 士). 一17一.

(18) 近畿大学教育論叢. 第19巻. 第1号(2007・9). 1920(大 正9)年12月 町 に9人. 、 島根 県 仁 多 郡 横 田 町 に生 まれ た市 田敏 夫 さ ん(写 真5)は. 、現在. い る 雲 州 そ ろ ば ん の 「伝 統 工 芸 士 」 の う ち、 最 高 齢 に な る 方 で あ る。 市 田 さ ん は. 1934(昭 和9)年. 、 尋 常 小 学 校 高 等 科1年. の 時 、早 くもそ ろば ん 造 りの 師 匠 の もと に弟 子 入 り. して い る。 た だ し、 彼 が そ ろ ば ん 造 り の名 士 と して 一 本 立 ち す る の は、長 い長 い 旅 を経 た後 だ った。 1941(昭 和16)年12月1日. 、 赤 紙 令 状 の招 集 で入 隊 した 。 二 十 歳 の時 だ った。 任 地 は 日 中. 戦 争 、 太 平 洋 戦 争 下 の 中 国南 部 で、 最 前 線 の歩 兵 と して そ れ こそ 何 十 回 も銃 弾 の雨 霰 をか い く ぐ った。 や が て1945(昭. 和20)年5月. 、 中 国 東 北 部 、 旧満 州 の 警 備 部 隊 に配 置 換 え に な り、. こ こで終 戦 を迎 え る。 しか し、 この 時 な だ れ込 ん で きた 旧 ソ連 軍 に囚 わ れ の 身 と な り、 シベ リ ア で の抑 留 生 活 が始 ま る こ とに な る。 市 田 さ ん が連 行 され た の は現 カ ザ フス タ ン共 和 国 の カ ラ ガ ンダ炭 田 で 、 そ こで 坑 夫 と して 石 炭 掘 りを命 じ られ た。 寒 さの 中、 栄 養 失 調 で亡 くな る仲 間 も少 な くなか っ た。 や が て 現 ウ ズ ベ キ ス タ ン共 和 国 の サ マ ル カ ン ド収 容 所 に配 置換 え にな り、 そ こで 貨 車 の 荷 役 と して 積 み 荷 の上 げ下 ろ しを させ られ た。 そ の よ うに して 昭 和23年(1948)10月. 、 や っ と抑 留 が解 けて 復 員 で. きる こ とに な った。 ソ連 領 内 を 遠 路 移 動 して 日本 海 岸 の ナ ホ トカ ま で 出 た。 これ だ け で20日 以 上 を要 した と記 憶 す る。 そ こか ら船 に乗 り、 舞 鶴 港 に着 い て や っ と祖 国 の土 を踏 む こ とが で き た。 舞 鶴 か らは 汽 車 を乗 り継 ぎ、10月30日. 頃、 よ うや く横 田 に た ど り着 い た 。 赤 紙 で 日本 を後 に して か ら丸. 7年 、 抑 留 生 活 が始 ま って か らは丸3年 、27歳 の 秋 だ った 。 師 匠 の も とで、 市 田 さ んが そ ろ ば ん造 りに打 ち込 む の は この後 の こ とで あ る。 彼 の 造 る精 巧 堅 牢 な一 っ ひ とっ の雲 州 そ ろ ば ん に は、 そ う した長 旅 の記 憶 が刻 み込 まれ て い るの だ ろ う。. 高 野 繁 さん(大 潟 村 第3次 入 植 者 、 岩 城 農 場 経 営) 1934(昭 44)年4月. 和9)年. 、 秋 田 県 由利 郡 岩 城 町 に生 ま れ た 高 野 繁 さ ん(写 真6)は. 、1969(昭. 和. 、 第3次 入 植 者 と して秋 田県 大 潟 村 に入 植 した。 この モ デ ル農 村 に は、 全 国1都1. 道36県 か ら589名(秋. 田県 営 事 業 の9名 を含 む)の 入 植 者 家 族 が集 った が、 高 野 さん は地 元 秋. 田か らの入 植 者 の一 人 だ った。 た だ し、 高 野 さ ん が大 潟 村 に た ど り着 くま で の 道 の り は、 決 し て 短 く直 線 的 な もので は なか った。 農 家 の次 男 と して 生 ま れ た高 野 さん は、 北 海 道 で の農 業 修 業 を経 た あ と、 ブ ラ ジル の あ る団. 一18一.

(19) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を交 え て 一. 体 が 主 催 す る 「日本 青 年 受 け 入 れ 事 業 」 に 応 募 し て 、 彼 の 地 へ 渡 る こ と を 決 意 す る。 事 業 計 画 で は 任 期 は2年. 、1955(昭. 和30)年. 、21歳. で の 出 発 だ っ た。 行 程 は まず 汽 車 で 秋 田 を発 ち、. 神 戸 ま で 行 っ た 。 三 宮 に 「移 住 斡 旋 所 」 と い う も の が あ り、 そ こ に1週. 間 ほ ど寝 泊 ま り して ポ. ル トガ ル 語 と ブ ラ ジル の 習 慣 に 関 す る 特 訓 を 受 け た 。 そ の 後 、 神 戸 港 か ら オ ラ ン ダ船 に 乗 り込 み 、 一 路 ブ ラ ジル の サ ン トス 港 を 目 指 し た 。 沖 縄 ・ホ ン コ ン ・ シ ン ガ ポ ー ル ・モ ー リ シ ャ ス ・ ケ ー プ タ ウ ン と 経 由 し、 そ こ か ら大 西 洋 を 一 気 に 渡 っ て 、 よ うや く ブ ラ ジ ル に 到 着 し た 。 家 を 出 て か ら58日. 、 初 あ て 経 験 す る 長 旅 だ っ た 。 船 が 沖 縄 を 出 る と き、 自然 に 涙 が 湧 い て き た 。. 渡 伯 後 、 多 くの 曲 折 を 経 て 、 サ ンパ ウ ロ 郊 外 の ア チ バ イ ア ー 市 と い う と こ ろ に 小 作 で 働 け る 日 本 人 農 家 を 探 し出 し、 そ こ で 住 み 込 み で 働 か せ て も ら う こ と に な る 。 主 作 物 は バ レ イ シ ョ と 陸 稲 、 フ ォ ー ドや フ ァ ガ ー ソ ン と い っ た 大 型 農 機 を 操 っ て の 農 作 業 で あ る 。 や が て 大 型 コ ンバ イ ン の 操 作 に も 習 熟 し、 しだ い に メ カ に も 強 く な っ て い っ た 。 こ の 時 の 経 験 が 、 の ち の 大 潟 村 で も 生 き て い る。 結 局 ブ ラ ジ ル に7年. ほ ど も 滞 在 し て 、1962(昭. 和37)年. 、28歳. の時 に帰 国. した。 帰 国 後 、 郷 里 の 岩 城 町 で し ば ら く実 家 の 農 業 を 手 伝 う が 、 や が て 大 潟 村 入 植 事 業 に 合 格 して 、 晴 れ て 一 国 一 城 の 主 と な っ た 。 こ の 時 、 迷 わ ず 「岩 城 農 場 」 を 名 乗 る が 、 岩 城 町 で 生 ま れ た 高 野 さ ん が 大 い な る 世 界 旅 行 の 末 に 地 元 大 潟 村 に た ど り着 き、 そ し て 今 、 大 潟 村 の 地 に 岩 城 農 場 を打 ち立 て て い る。 人 生 と は不 思 議 な もの で あ る。. 一19一.

(20) 近 畿 大 学 教 育論 叢. 第19巻. 第1号(2007・9). 米 川 綾 さん(日 系 ブ ラ ジル 人 二 世 、 外 国 人 指 導 助 手) 三 重 県 鈴 鹿 市 立 神 戸 中 学 校 で 「外 国 人 指 導 助 手 」 と して 勤 め る米 川 綾 さん(写 真7)は 1963(昭. 和38)年. 、. 生 ま れ、 日系 ブ ラ ジ ル 人 二 世 で あ る。 ブ ラ ジ ル へ の 「戦 後 移 民(Japao. novo)」(新 しい移 民=戦 後 移 民)と. して 渡 伯 した両 親 が 、 日伯 合 弁 の製 鉄 所 が あ る こ とで も知. られ た ミナ ス ジェ ラ イ ス州 イパ チ ンガ市 で 次 女 と して設 け た。 家 に は現 地 で 日本 語 教 師 と して 働 く祖 母 もお り、 家 の 中で は 日本 語 、 一 歩 外 に 出 る と ポ ル トガ ル語 と い うバ イ リ ンガ ル な環 境 で 大 き くな っ た。 ず っ と 日本 に興 味 を抱 い て い た米 川 さん は、1990(平. 成2)年. 認 め られ た 在 留 資 格(「 定 住 者 」 の資 格)を 活 用 して1993年. か ら 日系 二 世 ・三 世 に新 た に に来 日、 しば し両 親 の 「ふ る さ. と」 で 働 い て み る こ と に した。30歳 だ っ た。 場 所 は京 都 府 最 南 の村 、 奈 良 県 と三 重 県 と も境 を接 す る相 楽 郡 南 山 城 村 の 、 あ る総 合 レク リェ ー シ ョ ン施 設 で、 仕 事 は住 み 込 み の ゴ ル フ場 キ ャデ ィと して で あ る。 こ こで 友 人 か ら紹 介 さ れ た鈴 鹿 市 在 住 の 日本 人 男 性 と知 り合 い、2年 後 、 めで た く結 婚 す る こ と に な る。 米 川 さん は現 在 、 日本 人 の配 偶 者 と して、 日本 で の永 住 資 格 を取 得 して い る。 自動 車 を は じめ とす る諸 工 業 が 盛 ん な鈴 鹿 市 で は、 この と ころ米 川 さ ん と同 じ在 留 資 格 を 使 っ た 日系 人 が 急 増 して い る。 自然 、 小 ・中学 校 な ど で もポ ル トガ ル語 や ス ペ イ ン語 を話 す子 供 た ちが 増 えて い るが 、 そ の親 た ちが 地 域 社 会 に な じめ な い問 題 も目立 って きて い る。 彼 女 は ポ ル トガ ル語 の 外 国 人 指 導 助 手 と して 中 学 校 で 勤 務 す る傍 ら、 現 地 の 日系 人 コ ミュニ テ ィの. 一20一.

(21) わ た しと民 俗 学. 一宮 田登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の思 い 出 を 交 え て 一. リー ダ ー的 存 在 と して 、 日系 人 と 日本 人 と の共 生 の あ り方 を模 索 して い る。 そ の米 川 さん が 、 日系 人 の 「先 輩 」 と して 新 た に 来 日 して く る 「後 輩 」、 と りわ け現 在 面 倒 を み て い る 中 学 生 た ち に掛 けて や りた い言 葉 が あ る。 そ れ は、 「日系 人 同士 で 固 ま らず、 日本 人 の 友 達 に 自分 の ほ うか ら飛 び込 ん で い っ て欲 しい。 今 は高 校 進 学 な ん て ど うで もよ い と思 っ て い るか も知 れ な いが 、 あ とで 必 ず 必 要 だ っ た と思 うと きが 来 る か ら、 とに か く勉 強 を頑 張 り な さ い。」 と い う もの で あ る。 わ た した ち 日本 の 受 け入 れ側 も、 彼 らを 特 別 な 存 在 と して た だ 「保 護 」 す る とい う意 識 で は な く、 自 らの意 思 で や って 来 た 人 た ち と して 、 「対 等 」 に付 き合 っ て い こ う とす る発 想 の転 換 が 必 要 だ ろ う。 彼 らは単 な る外 国 人 一 般 で は な く、 父 母 ・祖 父 母 を 日本 人 に持 つ 「日系 人 」 で あ る。 厳 しさ は優 しさ の裏 返 しな の で あ る。. リヤ カ ー で 全 国 を 旅 す るAさ ん 2006年8月 は、 御 年65歳. 、 北 海 道 松 前 郡 松 前 町 で 出会 った1941(昭. 和16)年. の 生 まれ のAさ ん(写 真8). の 風 来 坊 で あ る。 名 前 を 伺 わ な か っ た の でAさ ん と して お くが、 荷 物 を積 ん だ. リヤ カー を 自 ら引 き、 全 国 津 々浦 々を 徒 歩 で 巡 って い る と い う。 先 ごろ本 州 を隈 な く回 り終 え、 っ い に北 海 道 へ と突 入 して き た。 Aさ ん が この孤 独 な 旅 へ の 挑 戦 を 始 め た の は57歳 の 時、 会社 を 早 期 退 職 して の こ とだ っ た。 30代 で 家 を2軒 建 て て い た の で、1軒. を 処 分 し、 早 期 割 り増 しの退 職 金 と合 わ せ 長 旅 の 「路. 銀 」 に充 て て い る。 一 度旅 に出 る と数 か 月 戻 らな い こ と もあ り、 野 宿 も交 え て倹 約 して い る が、. 一21一.

(22) 近 畿 大 学 教 育論 叢. 第19巻. 第1号(2007・9). そ れ で も多 くの 元 手 が 必 要 で あ る。 昨 日 は37キ. ロ ほ ど歩 い た が 、 丸 一 日、 誰 と も口 を きか ず に た だ ひ たす ら歩 い て い る と、 言. い よ う もな い 孤 独 感 に襲 わ れ る こ とが あ る。 けれ ど も、 それ が 来 し方 、 行 く末 を振 り返 れ る何 に も代 え が た い 時 間 な の で あ る。 今 日 は これ か ら30キ ロ ば か り歩 き、 少 し早 め に 宿 に入 りた い と思 って い る。 「ご縁 が あ れ ば、 ま た ど こか で お会 い しま し ょ う。」 と言 い残 し、 ま だ朝 早 い 松 前 の 町 を リヤ カー を 引 い て 後 に した 。. ② 調 査 で の エ ピソ ー ド 調 査 は 命 が けの こ とも あ る 2005年12月. の調 査 で、 危 う く列 車 事 故 に巻 き込 ま れ そ うに な った。12月24日. 、京都駅か ら. 寝 台特 急 「日本 海 」 に乗 って まず は山 形 県 酒 田 市 を 目指 す こ と にな って い た。 翌 朝 、 酒 田港 か ら定 期 船 で 日本 海 に浮 か ぶ 飛 島 に 向 か うた め で あ る。 と ころ が 気 象 庁 か ら 「平 成18年. 豪雪」. と命 名 され た大 雪 に阻 ま れ て、 「日本 海 」 が 運 休 と な り、 や む な く奈 良 の 自宅 に 引 き返 した。 翌 朝 、 東 海 道 ・東 北 ・山形 の新 幹 線 を乗 り継 い で 酒 田 入 り した が 、 日中 の 穏 や か な好 天 が 嘘 の よ うに、 到 着 した 夕刻 近 くに はす で に 吹 雪 模 様 にな って いた 。 羽 越 線 の 特 急 「い な ほ」 が 脱 線 転 覆 事 故 を起 こ した の は、 酒 田 に到 着 した わ ず か後 の こ とで あ る(写 真9)。. そ の2∼3時. 間. 前 、 転 覆 現 場 を通 過 した者 と して は とて も人 ご と と は思 え な か った 。 お ま け に、 酒 田 到着 後 す ぐに、 か っ て調 査 で お 世 話 にな った 現 在 入 院 中 の 話 者 、 飛 島 の斎 藤. 一22一.

(23) わ た し と民 俗 学. 一 宮 田 登 先 生 ・野 本 寛 一 先 生 の 思 い出 を 交 え て 一. 正 一 さ ん を 日本 海 病 院 に見 舞 った が、 駅 前 の ビ ジ ネス ホ テル に戻 って テ レ ビを っ けて み る と、 事 故 の一 報 が 入 って い た。 そ して、 そ の 日本 海 病 院 が 中継 地 点 の一 っ にな って い た。 この 病 院 は事 故 現 場 に比 較 的 近 く、 怪 我 人 が運 び込 ま れ て い た た あ で あ る。 タ ッチ の 差 で 病 院 を 引 き揚 げ た た め慌 た だ しい光 景 に は遭 遇 しなか った が、 羽 越 線 とい い、 日本海 病 院 とい い、 す ん で の と ころで 災 難 を逃 れ た とい って も過 言 で は な い一 日だ った。 事 故 に遭 われ た方 々 に は、 た だ た だ お見 舞 い を 申 し上 げ るば か りで あ る。. 調 査 で の ん び り、 ゆ った りで き る こ と もあ る 2004年2月. の調 査 で 、 島 根 県 仁 多 郡 横 田 町 の斐 伊 川 の最 上 流 、 船 通 山(別 名 、 鳥 上 山)山. 腹 の 斐 乃 上 温 泉 に逗 留 した(写 真10)。 旅 館 は斐 伊 川 の清 流 沿 い に 建 っ 一 軒 宿 で 、 泉 質 は 白濁 して いて ぬ め り気 が あ り、 源 泉 掛 け流 しの湯 が 湯 船 か ら こん こん と湧 き出 して い る。 島根 ・鳥 取 一 円 か ら多 くの 温 泉 好 きの 訪 れ る風 情 の あ る温 泉 だ が 、 こ こに連 日、 ほ とん ど貸 し切 り状 態 で 泊 め て も らっ た。 日中 は麓 の 横 田 市 街 まで 車 で 降 りて 、 新 旧 の タ タ ラ場 や そ ろ ばん 造 りの現 場 な ど を取 材 して 回 った。 くた くた にな る ほ ど聞 き書 きを して 、 疲 れ 切 っ た体 を 引 きず る よ うに宿 に戻 るが 、 あ の 白濁 す べ す べ が 毎 晩 の よ う に心 と体 を 癒 して くれ た。 宿 周 辺 に は積 雪 も多 く、 た った ひ と り の 「雪 見風 呂」 と はな か な か お っ な もの で あ る。 そ の よ うな 体 験 が で き るの も、 鄙 び た土 地 を 回 り歩 く民 俗 調 査 な らで はの醍 醐 味 とい え よ う。. 一23一.

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