特許法104条の3と公知技術の抗弁
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(2) 特許法1 0 4条の 3と公知技術の抗弁. 特許権の侵害訴訟と特許の無効手続との関係を処理する理論としては,上記 とは異なるアプローチとして,いわゆる公知技術の抗弁がある o キルビー事件 判決も特許法 1 0 4条の 3も,公知技術の抗弁のようなアプローチを採用しな かったのであるが,近時再び公知技術の抗弁の有用性に着目する研究 2)が行わ. 0 4条の 3の運用が定着する中, れていることが注目される O 本稿では,特許法 1 公知技術の抗弁がどのような役割を演じることができるかを考察しようとする ものである。. n . キルビー事件判決 1 . 特許権の侵害訴訟において,裁判所は特許権の有効性について判断する ことは許されず,特許庁の無効審判で無効とされるまでは特許権は有効なもの として扱わなければならないというのが伝統的な裁判所の見解であった 3。 ) そのような制約のもとで,無効原因を含む特許権に基づく侵害訴訟を判断す るにあたり,妥当な結論を導くために権利範囲の解釈についてさまざまな工夫 を凝らすのが裁判所の基本的な姿勢であった。すなわち特許権の権利範囲の確 定にあたっては,出願当時の技術水準を考慮すべきものとされ4),また公知部 分を除外して認定すべきであるとされた 5)。 さらに特許発明が全部公知の場合 には,権利範囲は特許請求の範囲に記載されたものと同ーのものに限定される としたり川実施例に一致する対象に限定されるとする7)などの見解が採用 された。しかしそれでも,特許権の有効性を争うためには無効審判を請求する 2 ) 古城春実「特許侵害訴訟と公知技術一自由技術の抗弁再考一」日本工業所有権法学会年報 2 9号 ( 2 0 0 5 )4 7頁 。 3) 大判明治 3 7 年 9月 1 5日刑録 1 0輯 1 6 7 9頁,大判大正 6年 4月2 3日民録 2 3輯 6 5 4頁。 7 年1 2月 7日民集 1 6巻 1 2号 2 3 2 1頁(炭車トロ脱線防止装置事件)。 4)最判昭和 3 5)最判昭和 3 9 年 8月 4日民集 1 8巻 7号 1 3 1 9頁(液体燃料燃焼装置事件)。 6 ) 大阪地判昭和 5 0年 3月2 8日無体集 7巻 1号 6 4頁(線材錆取装置事件) 。 1年 2月 1 0日無体集 8巻 1号 8 5頁(金属編龍事件)。 7)大阪高判昭和 5. - 2-.
(3) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. ことが不可欠であり,権利行使を受けた側はその負担を被った。侵害訴訟の係 属中に無効審判が請求された場合,裁判所は訴訟手続を中止することができる. 068条 2項)。訴訟手続の中止は義務ではないが,審判の行方を見定めようと 手続を中止した場合には,訴訟が長期化することは必至であった。 これに対して,侵害訴訟のみで適切な結論に至るためのさまざまな見解が主 張された。無効の抗弁 8)は,特許を付与した特許庁の処分が当然無効である場 合には,無効審判の確定を待たずに侵害訴訟において特許の無効を主張するこ とを認めようとするものである o 権利濫用の抗弁 9)は,特許発明が全部公知で あることが侵害訴訟における審理の結果明白であり,無効審判請求によりその 特許が無効になることが確実である場合,特許権を有することを理由に差止め あるいは損害賠償を請求することは権利の濫用として許されないとするもので ある o 公知技術の抗弁 10) は,公知技術は誰もが自由に実施できる技術であり, 自己の実施している技術が公知技術を実施しているにすぎないことを証明すれ ば侵害が否定されるとするものである o 技術範囲確定不能説 11)は,裁判所は公 知技術を含まないように技術的範囲を認定すべきであるが,クレームにどのよ うな要件を付加して全部公知でないクレームにすべきかは本来特許権者のみが 訂正審判で決めうることであり,それがない以上対象物件がその技術的範囲に 含まれることを確定できないので請求は棄却されざるをえないとするものであ る 。. 2 . このような状況に対し,キルビー事件判決において最高裁は「特許の無 効審決が確定する以前であっても,特許権侵害訴訟を審理する裁判所は,特許 に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができ 8)羽柴隆「公知技術 と特許当然無効」企業法研究 1 4 8輯 1 2頁。 9)竹田稔 『知的財産権侵害要論〔特許・意匠・商標編〕改訂版 J( 19 9 9 )8 0頁。 1 0 ) 中山信弘「特許侵害訴訟と公知技術」法学協会雑誌 9 8 巻 9号 1 1 1 5頁 。 1 1 ) 設楽隆一 「特許発明が全部公知である場合の技術的範囲の解釈」牧野利秋編『工業所有権訴訟法 )J( 19 8 5 )1 3 5頁 , 1 4 6頁。 (裁判実務大系 9. -3-.
(4) 特許法 1 0 4条の. 3と公知技術の抗弁. ると解すべきであり,審理の結果,当該特許に無効理由が存在することが明ら かであるときは,その特許権に基づく差止め,損害賠償等の請求は,特段の事 情がない限り,権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である」との 判断を示した。その理由として最高裁は以下の 3つの理由を示す。「付このよ うな特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め,これについての損害賠償等 を請求することを容認することは,実質的に見て,特許権者に不当な利益を与 え,右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので,衡平の理念に反する 結果となる。また,(=>紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望 ましいものであるところ,右のような特許権に基づく侵害訴訟において,まず 特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ,当該特許に無 効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許 されないとすることは,特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に 無効審判の手続を強いることとなり,また,訴訟経済にも反する。さらに,同 特許法一六八条二項は,特許に無効理由が存在することが明らかで・あって前記 のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中 止すべき旨を規定したものと解することはできない。」 最高裁は 1 0 0年近く続いた判例を変更し,権利濫用説を採用して無効原因の ある特許権に基づく権利行使を否定することとした。この判決の後,同様に権 利濫用説を採用して特許権者の請求を斥ける下級審判決が多数現れた。. m . 特許法 104条の 3 1 . 平成 1 6( 2 0 0 4 ) 年の改正 12) において,特許法 1 0 4条の 3 (以下「本条」 という)が新設された。その内容は以下のとおりである。. 1 2 )平成 1 6 年法律第 1 2 0 号。. - 4一.
(5) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. 第 1項「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において,当該特許が特許 無効審判により無効にされるべきものと認められるときは,特許権者又は 専用実施権者は,相手方に対しその権利を行使することができない。」 第 2項. 「前項の規定による攻撃又は防御の方法については,これが審理を. 不当に遅延させることを目的として提出されたものと認められるときは, 裁判所は,申立てにより又は職権で,却下の決定をすることができる。」 本条はキルビー事件判決をふまえたものであるが,判決の内容をそのまま成 文化したものではな L、。本条についてしばしば議論される項目は,キルビー事 件判決との相異点,および特許庁の審判手続との関係の 2つの論点に大別する ことができる。以下では,これらの点から考察を加えたい。. 2 . 本条とキルビー事件判決との相違をめぐる論点として,以下のものがあ る 。 (吋無効理由存在の明白性. キルビー事件判決では,. I 当該特許に無効理由が. 存在することが明らかで・あるとき」には,権利濫用として権利行使を認めない ことができるとされている。これは第 1に,無効審決の確定までは特許権が有 効に存在するのであり,その権利行使を許さないとするには無効理由の存在が 明らかであることが必要と考えられること,第 2に,無効審判のルートと侵害 訴訟の判断とが組踊を来すと,法的安定性を著しく害するおそれがあるため, そのような事態が生じないようにするために明白性の要件が不可欠であると解 されることが理由とされている 13)。これに対して本条では,そのような明白性 の要件は設けられていな L、。その理由としては,明白性の要件がはっきりしな いために,当事者が念のために無効審判を請求しなければならなくなる事態を 回避しようとすることを考慮したことが指摘されている 14)。もっとも実務にお いては,従来と同様に無効審判の審決と組踊を来さないような慎重な判断が行 1 3 ) 高部員規子 「特許法 1 0 4条の 3を考える」知的財産法政策学研究 1 1号 ( 2 0 0 6 )1 2 7頁。 1 4 )牧野利秋「キルビー最高裁判決その後」 ジュリスト 1 2 9 5号 ( 2 0 0 5 )1 8 2頁。. -5-.
(6) 特許法 1 0 4条の 3と公知技術の抗弁. われているようであり 15¥ キルビー事件判決の要求する水準は実際上維持され ている様子である。 (イ)無効審判請求の要否. 本条は「当該特許が特許無効審判により無効にされ. るべきものと認められるとき」に適用が認められるものであるが,実際に無効 審判を請求していなければならないのであろうか。これについては,無効審判 請求が必要であるとする見解も主張されている 1 6 )。しかし最高裁は,キルビー 判決において紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいこ とを示した上で, I まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定し なければ,当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する 防御方法とすることが許されないとすることは,特許の対世的な無効までも求 める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり,また,訴訟経済 にも反する」と述べており,立法担当者も,個別具体的に無効審判が請求され たことは要件としない旨を述べていることから 17¥ 無効審判請求は要件とされ ていないと解するべきであろう。 (ウ)特段の事情. キルビー事件判決において最高裁は,特段の事情がある場合. には権利濫用を認められないとしており,特段の事情の例として訂正審判の請 求がされていることを挙げているが,本条においてはそのような条件は付され ていな L、。これについては,訂正審判により無効理由が解消されると確実に予 測される場合には, I 当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと 認められるとき」に該当しないと考えるべきであるとされている o. 3 . 本条と,審判手続 18) との関係はいっそう複雑である o 従来は,特許権の. 1 5 ) 牧野・前掲注 1 4 )。 1 6 ) 村林隆一「特許法第 1 0 4条の 3の改正を求める」知財ぷりずむ 3巻 3 5号 ( 2 0 0 5 )8 5頁。 1 7 ) 安部一正他「知財高裁の設置と今後の知財訴訟のあり方」ジュリスト 1 2 9 3号 ( 2 0 0 5年) 4 6頁〔吉 村真幸発言〕。. 1 8 ) 以下では,審判手続に続く審決取消訴訟手続を含めて「審判手続」と表記し,また審決が確定す る場合には,審決取消訴訟手続を経て確定する場合も含むものとする 。. -6-.
(7) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. 侵害の成否と特許権の有効性の判断は別の手続で行われていたものの,有効性 の判断については特許庁のみが判断できることとなっていた。これに対し,本 条のもとでは,侵害事件の裁判所も特許権の有効性を直接判断することになっ たので,判断結果の整合性についても考慮する必要が生じることになった。 (力無効審判との関係. 侵害訴訟における特許の有効性の判断と,無効審判に. おける特許の有効性の判断については,それぞれの結論と確定の先後を基準と していくつかに場合を分けて考察する。 ( 1 ) 侵害訴訟と無効審判の結論が一致する場合には,問題は生じな L、。侵. 害訴訟において特許が無効にされるべきであるとして本条を適用する判 決が確定し,その後に特許を無効とする審決が確定した場合も,その逆 の順で確定した場合も特に問題が生じることはない。また,侵害訴訟に おいて特許が無効とされるべきでないとして本条の適用を認めない判決 が確定し,その後に無効審判の請求を排斥する審決が確定した場合,あ るいはその逆の順で確定した場合も同様である o この場合,本条の適用 を否定する侵害訴訟の結論としては,特許権の侵害を認める場合と,特 許権の有効性を前提に侵害を否定する場合があり得るが,いずれであっ ても問題が生じないことに変わりはな L 。 、. 訪 (. 侵害訴訟において本条の適用を否定する判決が確定し,その後に特許 を無効とする審決が確定した場合には,特許権は初めから存在しなかっ たものとみなされる(特許 1 2 5条)ので,判決の基礎となった行政処分 が後の行政処分によって変更されたことになり,再審事由に該当する (民訴 3 3 8条 1項 8号)。先に特許を無効とする審決が確定した場合には,. 特許権は初めから存在しなかったものとみなされるので,侵害訴訟にお いては本条を適用するまでもなく,特許権者の請求は棄却される。. ( 3 ) 一番問題となるのが,侵害訴訟の裁判所が特許が無効にされるべきと 判断しているが,無効審判では請求に理由がないと判断されている場合. -7-.
(8) 特許法 1 0 4条の. 3と公知技術の抗弁. である。まず,先に無効審判で請求に理由がないという審決が確定して いる場合であるが,この場合には,無効審判を請求したのが誰であるか によって分けて考える必要がある o 無効審判請求を斥ける審決が確定した場合,何人も同一の事実および 同一の証拠に基っ・いて審判を請求することが許されなくなる(特許 1 6 7 条)。侵害訴訟とは無関係な者がすでに無効審判を請求して斥けられ確 定している場合,侵害訴訟においてその審判手続と同一の事実および同 一の証拠に基づいて本条の適用を求めることが許されるであろうか。特 許法 1 6 7条が第三者に及ぼす効力はたいへん問題視されており 19),第三 者の行った審判手続の結論によって侵害訴訟における無効の主張が妨げ られるべきではないという見解が主流である 20)。これに対して無効審判 の当事者と侵害訴訟の当事者が同一である場合には,そもそも特許法. 1 6 7条の適用を爵踏させる事情は存在しないので,そのまま同条の効果 を認めて主張を許さないことは肯定されるであろうし,同一当事者間で 無効審判の請求が排斥されている以上,そもそも無効審判により無効に されるべきものとは認められないであろう 21)。ただし,本条に基づいて 主張される無効理由が,既に確定した無効審判と異なるものである場合 には,なお本条を適用する余地があるといえよう o 先に侵害訴訟において本条を適用して特許権者の請求を棄却する判決 が確定した後,無効審判の請求を斥ける審決が確定した場合にはどうな るであろうか。この場合には,侵害訴訟の基礎となった行政処分は変更 されていないので再審事由には該当せず,特許権者は救済されないと解 1 9 )滝川叡ー 「オーストリア特許法における一時不再理規定の廃止」同・ 『特許訴訟手続論考J( 1 9 91 ) 1 0 1頁,君嶋祐子「特許無効とその手続(到」法学研究6 9巻 3号 1 5頁。 2 0 ) 牧野・前掲注 1 4 )1 8 5頁,近藤恵嗣「特許法第 1 0 4条の 3をめぐる解釈上の問題点」知財ぷりずむ 3巻 3 6号 ( 2 0 0 5 )7 5頁,高部・前掲注 1 3 )1 3 6頁。 2 1)牧野・前掲注 1 4 )1 8 5頁は,解決済みの紛争の蒸し返しであり民事訴訟法 2条の趣旨によって許 されないと解すべきであるとする 。. - 8一.
(9) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. されている 22)。特許の有効性を特許庁のみが判断しえた時期であれば, 裁判所は特許が有効なものであることを前提に判断せざるをえなかった し,無効審判を経てもなおそのまま有効と判断される特許権であれば, 請求が棄却されない可能性も高かったのではないかと推測される。この ような状況がどれくらいの確率で生じうるかという点はさておき,少な くとも特許権者にとっては無効審判で無効理由がないとされても侵害訴 訟で無効理由ありと判断される可能性が生じることになる。また結果的 には当該特許は無効審判により無効にされるべきものではなかったので あり,本条の適用を誤ったことになる以上,何らかの救済措置を設ける 必要があるのではないだろうか。 (イ)特許権者は,特許権の範囲を訂正することができる。これには,単独で訂 正審判を請求する場合と,無効審判手続のなかで訂正請求を行うことの双方が 含まれる。 ( 1 ) 訂正が認められる場合というのは,技術的範囲の中に公知技術が含ま れる状態であるが,その場合の取扱いは,キルビー事件判決において次 のように考えられたとされる o すなわち,特許請求の範囲が構成要件. A ・B ・Cから成る場合において, AがA, 1 A2の上位概念であって, A2 ・B ・Cという構成が公知であるときは,特許請求の範囲 A ・B• Cを Al ・B ・Cと減縮する訂正をすれば,訂正が認められ,無効理由 が解消されることから特段の事情が存在する 23)。その結果,被告の実施 形態が Al ・B • Cという構成であれば特段の事情ありとして権利行使 が肯定され,被告の実施形態が A2・B ・Cという構成であれば特段の 4 )。 事情がないので権利行使が否定(請求棄却)されることになった 2. 2 2 )牧野・前掲注 1 4 )1 8 4頁,高部・前掲注目) 1 4 2頁 。 2 3 ) 高部部員規子「最高裁判所判例解説」法曹時報 5 4巻 5号 1 5 1 3頁,高部・前掲注 1 3 )1 3 8頁 。 2 4 ) 高部・前掲注 1 3 )1 4 2頁 。. -9-.
(10) 特許法 1 0 4条の 3と公知技術の抗弁. 本条のもとでも結論に変更はないとされているが 25),従来は被告の実. r. 施形態により「特段の事情なし(請求棄却 ) J, 特段の事情あり(請求 認容) Jとされていたものが,今度は同じ特許権について被告の実施形態. B・ Cの場合は「無効理由あり(請求棄却 )J,被告の実施形態 がA2・ がA1 ・ B・ Cの場合は「無効理由なし(請求認容) J となってしまうの か,それとも後者の場合 AはA1を意味するというように, A特許権の 権利範囲を限定的に解釈する伝統的な手法を採用するのか不明である 2 6) 。 ( 2 ) 侵害訴訟の判決が確定した後で訂正審決や訂正の請求を認める無効審. 判の審決が確定した場合にはどうなるであろうか。訂正が確定した場合 には,その内容は出願時に遡って反映されるので(特許 1 2 8条 , 1 3 4条の. 2第 5項),判決の基礎となった行政処分が後の行政処分によって変更 された(民訴 3 3 8条 1項 8号)ことになる。 侵害訴訟で特許権者の請求が認容され,訂正の結果,被告の実施形態 が特許権の権利範囲に属さなくなった場合には,被告が再審を請求でき ることは明らかである。 特許権者が侵害訴訟において本条を適用され請求を棄却された後に訂 正が認められた場合には,一律に再審請求が認められるとする考え方も ある。この場合,訂正後の特許権の範囲を織り込んだ侵害訴訟判決の趣 旨が大きく減殺されるかもしれないが,侵害訴訟判決が前提とした特許 権の範囲と訂正後の特許権の範囲が同じである以上,再審請求がされる ことはほとんど予想できないであろう O これに対して,侵害訴訟におい て特許権者等に訂正の可能性を主張,立証することを許すから,訂正前 の特許請求の範囲の記載は民事訴訟法3 3 8条 1項 8号の「判決の基礎と なった」行政処分にあたらないとして,訂正審決の確定を再審自由に該 2 5 ) 牧野利秋他「座談会知的財産高等裁判所設置法及び裁判所法の 一部を改正する法律について」 知財管理 5 5巻 4号 ( 2 0 0 5 )4 7 3頁〔大測哲也発言〕。 2 6 ) 高部・前掲注目) 1 4 2頁。. - 10-.
(11) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. 当しないという見解もある 27)。侵害訴訟において請求を棄却されたが, 訂正後の特許権に基っ・いてなお侵害が認められる場合には,再審を認め なければならないはずである o その判断が微妙な場合には,これを拒む ことは適切でないと考えられるので,結局は実際の必要性がふるいにか けるという前提で,一律に再審請求を認めざるをえないのではないであ ろうか。. I V . 公知技術の抗弁 公知技術の抗弁は,自由技術の抗弁とも言われ,. ドイツにおいて提唱された. E i n w a n dd e sf r e i e nS t a n d e sd e rT e c h n i k ) に基礎を 自由な技術水準の抗弁 ( 置くものである o ドイツの自由な技術水準の抗弁は,まだ特許無効審判の請求 に除斥期間が存在した頃,除斥期間経過後の侵害訴訟において公知技術を含む 特許権が行使された場合に,適切な結論を導くために提唱された 28)。自由な技 術水準の抗弁は,主として学説上主張されたものであり,判例の主流となるこ. 9 8 1年の特許法改正の後, 1 9 8 6年の連邦裁判所の F o r m s t e i n とはなかったが, 1 判決 29)が自由な技術水準の抗弁を正式に認めることによって,現在は判例上も 承認されたものとなっている O 公知技術の抗弁とは,対象物件が特許権の権利範囲に属するか否かを問わず, 自己の実施している技術が公知技術であれば侵害を免れるというものであり, それは,公知技術は万人共有の公共財産であるという特許法の根本原理に立脚 したものである 30)。公知技術の抗弁の本質的な特徴は,実施行為と公知技術と 2 7 ) 近藤・前掲注 2 0 )7 7頁 。 2 8 ) 中山信弘「特許侵害訴訟と公知技術」法学協会雑誌 9 8巻 9号 1 1 4 2頁,松本重敏『特許発明の保護 範囲〔新版)J 有斐閣 ( 2 0 0 0 )1 6 2頁 。 2 9 ) BGHZ9 8,1 2 . 3 0 ) 中山信弘 『工業所有権法上〔第 2版増補版)J弘文堂 ( 20 0 0 )4 1 1頁.同・前掲注2 8 )1 1 6 2頁 。. -11-.
(12) 特許法 1 0 4条の. 3と公知技術の抗弁. の対比によって侵害の成否を判断する点である o 先に述べた権利範囲の限定解 釈,権利濫用の抗弁,無効の抗弁,技術範囲確定不能説は,いずれも実施行為 と特許権との対比によって結論を導き出す考え方であり,この点において公知 技術の抗弁とは根本的に相違する。無効の抗弁など他の理論との比重は様々で あるが,公知技術の抗弁を認める見解は多数存在する 31 ) 。 これに対して裁判所は公知技術の抗弁に対して消極的であり,これを認めた ものは以下のようにわずかしかな L、。金属編能事件 32)は実用新案権の侵害事 件である O 第 1審判決は「単に出願時公知公用の技術を用いたに過ぎない商品 を他人が製造販売する行為について,実用新案権者は右技術が自己が権利を有 する実用新案の技術的範囲と一致する故をもって,右第三者に対し禁止権を行 使することは許されず,第三者の右技術を用いる行為はなんら右実用新案権を 侵害するものではないと解するのが相当である」として実用新案権者の請求を 棄却したが,控訴審 33) は,控訴は棄却したものの,公知技術の抗弁を認めると 「結局実用新案の全てが自由な実施に委ねられることになり,実用新案権は形 骸のみが残って内容の全くないものとなることに帰着し,事実上実用新案権を 無効として取扱うことになる」としてその適用を否定し,実用新案権の権利範 囲を実用新案公報に記載されている字義どおりの内容をもつものに限定して解 釈した。意匠権の侵害に関するゴム紐事件 34) では, I 権利成立上の暇庇のある 意匠権に基づく差止請求その他の請求を受けた相手方としては,右のような意 匠登録を無効とする審判の請求ができることとは別に,自己の実施している意 匠が当該登録意匠との関係での公知意匠と同一あるいは実質的に同一であるこ とを主張,立証して,当該登録意匠の範囲に含まれないという意味での請求権 31)中山・前掲注2 8 )1 1 1 5頁,同・前掲書注 3 0 )4 1 1頁,羽柴・前掲注 8) 1 6頁,田村善之『機能的 知的財産法の理論』信 山社(19 9 6 )9 5頁,松本・前掲書注2 8 )3 1 4頁,大瀬戸豪志「特許侵害訴訟 における自由技術の抗弁」パテント 4 6巻 7号 (993) 1 1頁,古城・前掲注1) 4 1頁 。. 3 2 ) 大阪地裁昭和 4 5年 4月 1 1日判決無体裁集 2巻 l号 1 5 1頁 。 3 3 ) 大阪高裁昭和 5 1年 2月 1 0日判決無体裁集 8巻 l号 8 5頁。 3 4 ) 知的裁集2 9巻 2号 4 3 5頁 。. - 12-.
(13) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. 不発生の抗弁(これを名付けるならば『出願前公知意匠の抗弁』と呼ぶことが できょう。)とすることができるものと解するのが相当である」として意匠権 者の請求が棄却されており,この判断は控訴審 35) でも維持された。 公知技術の抗弁を否定する見解の主な根拠となっているのは,上記金属編能 事件の控訴審も示されているように,公知技術の抗弁を認めると最終的に無内 容な特許権が出現することになり,それは事実上特許権を無効として扱うこと となって,裁判所と特許庁との役割の分配に反するということであろう o しか しこの点に関しては,キルビー事件判決以来,侵害訴訟の裁判所は新規性のみ ならず進歩性にまで踏み込んで特許に無効理由があるかどうかを審理するよう になっており,さらに,平成 1 6年の改正で本条が新設されて侵害訴訟で特許の 無効を抗弁として主張しうることが明文で認めらるようになった結果,否定説 の最大の論拠はもはや失われていることが指摘されている 36)。. v .特許法 104条の 3のもとにおける公知技術の抗弁 1 . 公知技術の抗弁は,もともと特許権の侵害訴訟において,侵害訴訟の裁 判所が特許権の有効性について判断できない場合にも妥当な結論を導き出すた めに考えられてきたものである o しかし現在では,キルビー事件判決や本条の 新設を経て,侵害訴訟の裁判所は特許権の有効性を結論に反映させることが可 能となっている O キルビー事件判決により「特許無効を理由とする権利濫用の 抗弁が認められた後において,なお自由技術の抗弁を認める余地があるかどう かは,疑問である」という見解も主張されている 37)。 このような現行制度のも とで,公知技術の抗弁にどのような意味を見出せるのか,さらに公知技術の抗 弁に関するいくつかの論点についてここでは考察を加える。なお,現在の制度 3 5 ) 知的裁集3 0巻 1号 1 0 2頁 。 3 6 ) 古城・前掲注1) 4 8頁 。 3 7)三村量一 ・最高裁判所判例解説民事篇平成 1 0年度(上) 1 7 0頁(注一七), 1 7 8頁(注六五)。.
(14) 特許法 1 0 4条の 3と公知技術の抗弁. はキルビー判決後の実務を相当程度引き継いでいるので,ここではキルビー判 決以前の状況を「従前の制度」と呼ぶことにする。. 2 .乃 ( 現在の制度と従前の制度とで一番明確に差が出るのが,侵害訴訟の 判決が確定した後に,無効審判請求を斥ける審決が確定した場合である o 侵害 訴訟の裁判所が特許権の有効無効を判断できない制度のもとでは,特許を無効 とする審決が確定するまでは特許権を有効として扱わなければならないという 原則に従って,特許権は有効であるという前提のもとで判断された。これに対 して現在の制度では,侵害訴訟の裁判所が本条を適用して特許権者の請求を棄 却した後に無効審判請求を斥ける審決が確定する可能性がある。無効審判で特 許の無効が否定されているにもかかわらず,侵害訴訟で特許が無効と判断され る事態はこれまで考えられなかった。さらにこの場合,前述したように特許権 者は侵害訴訟の判決に対して再審請求をすることができないと解されている O そして,明らかに特許が特許無効審判によって無効にされるべきでないにもか かわらず,本条が適用されたという状態が残ることになる。これに対して,公 知技術の抗弁によって侵害訴訟の請求が棄却された場合には,実施形態と公知 技術の関係しか判断されていないわけであるから,このような問題は生じな L 。 、 ただ,現実問題としてこのような判断のくいちがいが生じるかというと,そ の可能性はきわめて少ないであろう o 無効審判が請求され,本条の適用に迷い を生じるような場面であれば,侵害訴訟の裁判所はほぼ間違いなく無効審判の 結論を待つはずだからである。しかし,そうすると侵害訴訟の審理期間は長期 化せざるをえなくなる。本条は,侵害訴訟に一本化して処理する場合に最も効 果を発揮するものであるから,侵害訴訟と無効審判が並行して係属する場合に は,従前のように審理が長期化する場面が生じるのは仕方のないことである o しかし公知技術の抗弁を使えば,無効審判の結論が出るのを待たずに判断する ことができる。公知技術の抗弁の実際的な効用は,むしろこのような場合に あっても審理の長期化を避けることができる点に求められるべきであろう o. - 14-.
(15) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. ( イ ) 本条に基づいて特許権者の請求を斥ける侵害訴訟の判決が確定した後,. 訂正審判や無効審判における訂正の請求によって特許の訂正があった場合には どうであろうか。訂正可能な特許であるにもかかわらず裁判所が本条を適用し たということは,被告の実施行為が訂正後の特許の権利範囲に属さないと裁判 所が判断したことが推測される。しかし訂正が行われた場合,特許の内容は遡 及的に変更されたことになり(特許 1 2 8条),判決の基礎となった行政処分が後 の行政処分によって変更された(民訴3 3 8条 1項 8号)状況が生じていること になる o 侵害訴訟の判決が訂正後の特許権の内容を織り込んでいるとは L、 え , 裁判所がどのような訂正を予想しているかを判決は明示しているわけではない ので,再審の請求を認めざるをえないであろう O 同様の場合を公知技術の抗弁 で処理すると,被告の実施行為は公知技術を実施したにすぎないという認定の もとに特許権者の請求が棄却されるので,特許の訂正は判決の基礎となった行 政処分が後の行政処分によって変更されたことを意味しないので,再審請求を 回避できるのではないであろうか。また,侵害訴訟の係属中に訂正が行われる 場合にも,公知技術の抗弁であればその結論が出るのを待たずに判断できるこ とは,無効審判が請求されている場合と同じである。 ( ウ ) 本条を活用する現在の制度は,裁判所の訴訟運営や裁量に依存する要素. がたいへん多 L、。裁判所は,従来は守備範囲の外とされていた特許の有効性に まで踏み込んで判断し,無効審判手続との整合性を失わないようにしながら迅 速に適切な結論に至ろうとするのであるから,本条を設けた成果を十分に発揮 しようとすれば,その適切な舵取りが重要になってくるのは当然である O それ は同時に,当事者にとっては手続の見通しがわかりづらくなることを意味する であろう o ( 1 ) 裁判所の訴訟運営の中で,最も影響のあるのは言うまでもなく訴訟手. 6 8条 2項)であろう o 特許権の侵害を認める判決の後 続の中止(特許 1 で特許を無効とする審決が確定したり,特許権の侵害を否定する判決の.
(16) 特許法 1 0 4条の. 3と公知技術の抗弁. 後で特許の訂正が認められたりした場合には,判決が上級審で取り消さ れたり,再審が行われたりすることになる。このような事態を避ける一 番確実な方法は,訴訟手続を中止して審決の確定を待つことである O し かしそれでは侵害訴訟の審理期間が長期化してしまうため,一律にその ような扱いをするのは好ましくないことは明らかである。裁判所は,審 判の行方を予想し,訴訟手続を中止するかどうかを判断している。しか し,侵害訴訟がかなり経過した時点で無効審判や訂正審判が請求された 場合などは,手続の中止によって当事者が受ける影響もいっそう大きい ため,裁判所は難しい判断を迫られることになるであろう。. ( 2 ) 本条 2項は,本条 1項の攻撃防御方法が審理を不当に遅延させること を目的として提出されたものと認められるときは,裁判所は,申立てに より又は職権で,却下することができる旨を規定する。本条 2項は,時 機に遅れた攻撃防御方法の却下(民訴 1 5 7条)とは異なった制度である。 したがって,本条 1項による攻撃防御方法は,時機に遅れた攻撃防御方 法に該当する場合だけではなく,時機に遅れていなくても,審理を不当 に遅延させることを目的とすると認められた場合には却下されることに なる o たとえば被告が大量の無効理由を主張している場合など,裁判所 が一定のものに絞り込むのかどうか,どれくらいの無効理由まで主張を 許されるのかなどは,事件ごとに様々であろう。 公知技術の抗弁によって判断するのであれば,特許の有効性と関連した内容 の審理から開放されるので,上記(1)および ( 2 )の相当部分から開放されることに なる。. 3 . 公知技術の抗弁では,実施行為と公知技術との関係だけで結論に至るた め,最終的に認定・判断される内容は少ないことになる O しかし,そこに至る までの審理自体も簡略化されるかというと,一概にそうとは L、えないであろう o 実際の訴訟ではさまざまな攻撃防御方法が提出されるであろうし,公知技術の. - 16-.
(17) 法 科 大 学 院 論 集 第 4号. 抗弁以外の,より簡明に結論に至ることのできる観点があれば当然それが採用 されるであろう。もちろん公知技術の抗弁によって最終的な認定・判断が簡明 になることは大きなメリットであるが,そこへ至るまでの審理も必然的に簡略 化されるかどうかは個々の事例によることになるのであろう o. 4 . 公知技術の抗弁を認める見解の中においても,必ずしも見解の一致して いない部分がある O 一つは,公知技術からどこまで拡張して公知技術の抗弁を 認めるかで・ある。これには,侵害者の実施している技術が公知技術と同一であ るか,または公知技術に近似していることが明らかな場合に限られるとする見 解約と,公知技術から容易に到達しうる程度のものまで認められるとする見 解 39)がある。公知技術の抗弁は,侵害訴訟を合理的に処理できることを目的と して提唱されてきたものであるから,前者の見解が適切といえるであろう o 他の一つは,実施行為がクレームの語義の範囲内にあるときも公知技術の抗 弁を認めてよ L、かというものである o これを認める多数説に対し,. ドイツにお. ける自由な技術水準の抗弁と同様に,認めるべきでないとする見解 40) もある。 特許を実質的に無効なものとして取り扱う等しい結果になるということが理由 であるが,すでにキルビー事件判決や本条において実質的な無効が肯定されて いるので,現在の状況ではその根拠は失われていると言わなければならないで あろう。. V I . おわりに すでに随所で指摘されているように,キルビー事件判決以前においても,侵 害訴訟の裁判所は,無効原因を含む特許権の行使に関して不合理な結論を出し. 3 8 ) 中山・前掲注 2 8 )1 1 6 0頁,田村・前掲書注1 3 )1 0 1頁,古城・前掲注 1) 6 6頁。 3 9 ) 松本・前掲書注2 8 )3 1 5頁。 4 0 ) 大瀬戸 ・前掲注 31 )2 1頁。. - 17-.
(18) 特許法 1 0 4条の. 3と公知技術の抗弁. たことがないとされている o 公知技術の抗弁を採用した場合に,実際の事件の 結論に差が出ることはほとんど期待できないことは,特許法 1 0 4条の 3が導入 された後でも変わらないであろう。したがってこの点に関しては,公知技術の 抗弁の価値は,主として理論的な整合性の点において見出される。 特許法 1 0 4条の 3は,無効原因のある特許権に基づく権利行使において,特許 権を無理に有効なものとして扱う負担から裁判所を開放した。しかしその結果, 裁判所は自ら特許権の有効性について判断することになり,特許庁の審判によ る有効性の判断との整合性をとる必要が増加した。同時にこれは,特許権の侵 害訴訟において,これまで特許庁と分担していた特許権の有効性についてまで 全て裁判所で処理することを意味し,侵害訴訟において処理すべき論点は増加 した。 公知技術の抗弁は,特許庁の審決との整合性を配慮する必要性から裁判所を 開放する。その結果,裁判所は審決の確定を待たずに結論を出すことができる ため,これまで手続を中止していた事件に関してはずっと早く処理することが 可能になる。また公知技術の抗弁は,審理の対象を簡略にする。このことは, 裁判所には負担の軽減を,当事者には見通しのよい手続を提供するであろう O キルビー事件判決や特許法 1 0 4条の 3は,公知技術の抗弁を不必要なものと するのではなく,むしろその長所をいっそう際立たせるものである。公知技術 の抗弁はすべての無効理由を処理できるものではなく,その点でも特許法 1 0 4 条の 3と公知技術の抗弁は,互いに排斥するものではなく共存するものといえ るであろう o 適切な場面で公知技術の抗弁を活用することは,わが国の特許制 度にとって好ましいものであるといえる O. - 18-.
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