• 検索結果がありません。

生涯学習社会における「体験」の意義 : 体験活動を中心として

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "生涯学習社会における「体験」の意義 : 体験活動を中心として"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Ⅰ.はじめに 子どもたちへの体験活動が、学校教育や社 会教育の分野で重要視されてきている。その 主な背景は、人・社会・自然を含む他者とか かわる直接的な体験の不足があげられる。ま た、それに関連して、いじめ、不登校、ひき こもり、暴力行為、犯罪など、青少年をとり まく社会問題の深刻化も指摘されている。 すでに到来しつつある生涯学習社会におい て、体験活動の「体験」は、自己に新たな視 点をもたらし、自己確立とともに自己の視野 の拡大をもたらすべきものである。このよう な観点から、体験活動における「体験」も含 め、意義のある「体験」について、いくつか の観点から考察したい。 Ⅱ.行政施策の流れから ここでは、行政施策の視点から、特に文部 科学省を中心とした国の施策の流れを中心に、 体験活動についてみていくことにする。 体験活動については、特に平成14年7月29 日に出された中央教育審議会答申「青少年の 奉仕活動・体験活動の推進方策などについて 」1)(以下、中教審答申)が最も新しい。こ の答申には、体験活動の必要性や意義、さら に今後の推進、取組などについて、今までの

生涯学習社会における「体験」の意義

− 体験活動を中心として

五十嵐

牧 子

The Meaning of Experiences in Life-Long Learning Society

−Focusing the Experience Activities

Makiko IGARASHI

The experience activities have been emphasized in the area of the school education and the social education. The experiences bring a new viewpoint to oneself. I viewed the meaningful experience from the tide of administrative policy, the meaning of experiences, and the way and contents of education.

At first, I view the meaning of experience from the body sense of oneself. Then I view it in connection with a human nature and one's learning.

Next, I pick up the learning way by experiences and the environmental education. Because they are learning that is taken in density time and places.

The experience of the experience activities connects a desire for an identity that is hidden in oneself with one's learning. So, the meaningful experiences are realized a philosophy of life-long learning that human continue to learn for oneself.

(2)

施策の流れを踏まえてまとめられている。な お、この答申では、奉仕活動と体験活動が並 列して記述されているが、本論では特に体験 活動に焦点を当てて、見ていくことにする。 中教審答申によれば、青少年への体験活動 の推進が必要である背景として「いじめ、暴 力行為、ひきこもり、凶悪犯罪の増加など青 少年をめぐり様々な問題が発生し、深刻な社 会的問題となっている」ことがあげられてい る。また、現状として「都市化や核家族化・ 少子化などの進展により、地域の連帯感、人 間関係の希薄化が進み、個人が主体的に地域 や社会のために活動することが少なくなって いる」こともあげられている。 これらのことから、そのための対策として 「人、社会、自然とかかわる直接的な体験を 通じて、青少年の望ましい人格形成に寄与す る」奉仕活動や体験活動が「問題解決の糸口」 とされている。そのため、青少年の時期にお ける、学校内外における多様な体験活動の機 会を充実させていくことが、提言されている のである。 中教審答申では、さらに青少年の「経験」 の意義に関しても言及している。以下、長く なるが「奉仕活動・体験活動」の意義につい て、青少年の側から捉えたものとして言及さ れた部分を引用する。 「人間は生まれてから、次々と経験を蓄積 して人間としての成長を遂げていく。新たな 経験をすると、それがすでに蓄積されている 経験の中の関連する要素と結合して、その一 部を変形したり、切り捨てたりしながら、新 たに蓄積されている経験を形成していく。そ のような経験には、奉仕活動・体験活動など のような直接経験もあるし、書物、テレビや コンピュータなどによる間接経験もある。そ れらが様々に結合して、その人の行動の仕方 やものの考え方を形成していく。 したがって、経験は直接、間接の両方をバ ランスよく豊かにした方がよいとされる。青 少年の奉仕活動・体験活動は、まだ直接経験 の乏しい段階において、直接経験を豊かにす るという貢献をする。」 ここでは「経験」の意義にもとづいて、直 接体験の必要性が強調されている。そして、 現在の社会状況も視野に含めると、「青少年 の豊かな成長を支えるためには、学校や地域 において、青少年に対し意図的、 計画的に 『奉仕活動』をはじめ多様な体験活動の機会 の充実を図り、思いやりのある心や豊かな人 間性や社会性、自ら考え行動できる力などを 培っていくことが必要である」とされている。 以上の流れを踏まえ、中教審答申では「体 験活動」の概念を以下のように捉えている。 「『体験活動』については、特に初等中等 教育段階の青少年がその成長段階において必 要な体験をすることの教育的側面に注目し、 社会、自然などに積極的に関わる様々な活動 と捉えることとする。」 このような体験活動は、もちろん学校教育 だけでなく、社会教育や家庭教育などにおい て、様々な種類や形態の活動が存在している。 特に、学校教育においては「総合的な学習の 時間」の導入や学校週五日制の完全実施など に伴い、今までよりも柔軟な体制づくりが求 められている。学校教育における多様な体験 活動として例示されているのは、以下のとお りである。 ①ボランティア活動など社会奉仕にかかわ る体験活動 ②自然にかかわる体験活動 ③勤労生産にかかわる体験活動 ④職場や就学にかかわる体験活動 ⑤文化や芸術にかかわる体験活動 ⑥交流にかかわる体験活動 以上のように、現在、体験活動の重要性が 注目され、国や地方の教育行政において、あ るいは多様な団体において、様々な活動が行

(3)

われている。この体験活動の重要性は、子ど もたちに直接体験の機会を増やすことが必要 であるとの認識から導き出されたものである。 これらの背景には、学校の空間だけで断片化 された知識を教えるといった教育の在り方に 対する反省も含まれている。「総合的な学習 の時間」は、それらの認識が実現化されたも のでもあり、今後の教育の在り方の方向性を 示すものと考えられる。 ただし、このような体験活動を含んだ「体 験」や「経験」の意義については、人間の生 き方や生涯学習の理念と関連する部分におけ る理解が必要であるように感じられる。以下、 この点についてみていきたい。 Ⅲ.体験・経験の意義 1.体験することと身体感覚 直接体験の意義は、体験する人間が、自己 の五感や身体の感覚に基づいて、直接的に多 様なものを体得していくことにあるだろう。 なお、前章にも見られるように、「体験」 と似た言葉として「経験」がある。この言葉 の違いについては「厳密に言えば異なるが、 同じように使う場合が多い。」2)という解釈で よいと思われる。ただし、経験や体験が、自 己の身体感覚を問うものであるという点は、 共通している重要なポイントである。 例えば、『教育思想辞典』によると、「経験」 とは、その内実は幅広く多種多様であること を踏まえながら「経験概念を規定する上で、 必要な共通項を抽出するとなると、感覚を通 して実感されるという特質が浮かんでくる。 つまり、経験概念は、感覚(感性)という生 物的・心理的な要素と不可分の関係にあると いうことである。」3)と述べられている。 このように、人間はその自己の身体感覚を 基本として、様々な物事を経験しながら、成 長していく。前述の中教審答申にあるように、 「新たな経験をすると、それがすでに蓄積さ れている経験の中の関連する要素と結合して、 その一部を変形したり、切り捨てたりしなが ら、新たに蓄積されている経験を形成してい く」ことは、自己を変容させていくことであ り、その意味において身体感覚が問われるも のである。 この身体感覚という点について、斎藤孝は、 その身体感覚を文化的なものと捉えている4) 日本の伝統的な身体文化を〈腰肚文化〉と表 現し、それらは「人間ならば生まれつき誰で もがもっているという感覚ではなく、文化に よって身につけられる身体感覚である」5) いう。そしてかつては自己の感覚を育てる身 体技法は常識であったが、現在は「自然に感 じられる中心軸の感覚を会得するための鍛錬 の方法が見失われた」とし、「確固たる自己 の感覚をもちえない現状の根底的な原因の一 つだ。」6)と述べている。 そして、身体感覚が文化的なものであるこ とから、「身体感覚の技化」が必要であると している。つまり、「自然の中での直接的な 経験が減少し、仮想現実が現実と混同されや すい状況が進む中で、自己の〈中心感覚〉を 身体感覚として感じられることは重要な基本 技である」7)というのである。 斎藤は、このような自己の内部に中心を持 つ〈中心感覚〉は、「精神の安定に役立つ」 としている8)「中心感覚があることで余裕が 生まれ、〈距離感覚〉をもって、他者と触れ 合うこともできる」という9) つまり、この〈中心感覚〉と〈距離感覚〉 とを身体的に感じられなくなったところに、 様々な問題の根本が潜んでいるようである。 そこには、〈ムカツク〉や〈キレル〉といっ た現象が生まれる原因をも存在するのである。 また〈距離感覚〉をもって他者と触れ合うこ とができれば「カプセルの中にひきこもり、 身の保全をはかる必要はそのぶん少なくな る」10)のである。 別の言葉でいえば、「内的主観的に感じら れるものと外的客観的な視点から得られる情 報との『すり合わせ』『重ね合わせ』の技術 である」という。これは、ものごとの「上達 の一つのヒント」であるとも斎藤は述べてい る。そして、その技化の方法として、多様な

(4)

人と関わる経験の蓄積をあげているのである。 以上の文脈から考えられることは、自分が 経験したものを、自己の身体感覚を基本とし た感受性によって、自分自身のこと、自分の 問題として感じ、それを自分の方向へ引き寄 せていくことが重要であるということである。 それが自分にとっての現実味というものとも 言える。人、社会、自然をすべて含みこんだ 意味における「他者」を自分へ引き寄せて、 自分の問題として感じるには、自分の〈中心 感覚〉を踏まえつつ、他者との〈距離感覚〉 をつかんでいかなければならない。その上で、 その「ズレを認識」していくことが、生涯に わたって学びながら成長していく人間にとっ て、重要な点であると考えられる。 2.ズレの認識と人間性 その「ズレの認識」の重要性は、いくつか の観点から説明することができる。その一つ は人間性との関連からである。 例えば、小浜逸郎は人間が「何かある対象 を感知したり、記憶にとどめたり、表象した り、予期したりする」意識のはたらきに意味 があるのは、「主体が、自分の身体とその問 題になっている対象との関係を迅速に変える 可能性、つまり行動能力を持っているから」 と述べている11) そして、人間は、自分の身体の限界を自分 の可能性として繰り込んだ上で、空間的・時 間的な限界にかかわりなく、意識をいくらで も自分の身体との関係に引きつけて、その可 能性の範囲を想像レベルで広げていける、と している12)。つまり、「私」にとっての主体 的な問題として引きつけられる度合いが、 「知覚」とか「情緒」といったものである、 とする13) さらに、このような能力は人間の「能力特 性」14)であるとし、これこそが、人間が植物 や他の動物と違った点であるとする。 つまり、この「能力特性」が、人間特有の 特性であるとすれば、この能力が人間性と密 接に結びつくものであると言える。従って、 前述したような他者との「ズレの認識」は、 自己と他者への理解を深めるとともに、中教 審答申における「思いやりのある心や豊かな 人間性や社会性、自ら考え行動できる力」を はぐくむ土台と考えられる。 3.「ズレの認識」と学び もう一つ「ズレの認識」の重要性は、学び との関連から説明できる。つまり、それがで きて、初めて、自分にとっての現実味が生ま れ、「そこに意味を見出すことができる」と いう点である。この「そこに意味を見出す」 ことは、学ぶことのエッセンスである。 例えば、佐藤学は、「学びの活動」を「意味 と人の関係の編み直し(retexturing relation)」 として再認識し、「学びの実践」を「学習者 と対象との関係」「学習者と自己との関係」 「学習者と他者との関係」という三つの関係 の編み直す実践として再定義している。すな わち、「学びと言う実践は、対象と自己と他 者に関する『語り』を通して『意味』を構成 し『関係』を築き直す実践」であるという15) さらに、佐藤は「学びの実践とは、教育内 容の意味を構成する対象との対話的実践であ・・ り、自分自身と反省的に対峙して自己を析出 し続ける自己内の対話的実践であり、同時に、・・・ その二つの実践を社会的に構成する他者との・・ 対話的実践である。」16)(傍点筆者)と述べて いる。 これらのことは、前述したような「他者と のズレを認識し、そこに意味を見出していく」 というプロセスと一致するものと考えられる。 また、体験学習や体験活動の教育方法として 関連のある「経験主義」の学習方法は、上記 のような「学び」の概念の捉え方自体に意義 が存在するのである。そして、それにもとづ いて、学習者の興味関心を中心とした問題解 決的な学習を進めていくのである。 この学び(学習)の捉え方は、長野県師範 付属小学校研究学級の実践者である淀川茂重 (1894∼1951)の実践も示唆的である。岩川 直樹は、淀川の実践の中からその学びの捉え

(5)

方を次のように述べている。 「淀川は、ひとつの学びが成立してゆくプ ロセスを、自己と事象の関係の形成→関係の 意味の自覚→意味関連の広がり→関係の成熟 といった、体験の意味の繰り返しつかみ直す らせんのプロセスとして捉えている。」17) 「彼がみつめているのは、経験そのものが 何らかの核のまわりに豊かな意味関連のネッ トワークを形成してゆくプロセスだからであ る。・・・(中略)・・・知というものを、 私が成果や他者と交渉するなかでたえず生成 されつづけていくものとみなすなら、その系 統は経験の外部に構築されるものではなく、 経験そのものの中で網の目がゆたかになるよ うに成熟していく。」18) 「一つの経験が、時間と場所を隔てた異な る文脈の中で、繰り返し経験されるとき、そ こに新たな経験=意味が成立する。その繰り 返しは、たんなる円環運動ではなく、過去と 現在のプレテクスト−テクスト連関によって たえず更新されてゆくらせん運動として捉え られている。」19) このように、様々な事象を自分の問題とし て捉え(自分のところに引き寄せ)、他者と の距離感覚をつかんでいくことによって、何 らかの違いを感じ、そこから、そこに何らか の意味を見出す、という循環過程は、学ぶこ とのエッセンスである。 体験学習の意義も、この「学習」を一連の 経験(プロセス)として捉え、その学習経験 そのもののプロセスを重視しているところに あるのである。 Ⅳ.体験の意義と教育方法・内容 1.教育(学習)方法として 前章のような学習と成長のプロセスを、最 も直接的なやり方で行う教育方法(学習方法) が、「体験活動」や「体験学習」と呼ばれる ものである。 前述の中教審答申では、体験活動を「特に 初等中等教育段階の青少年がその成長段階に おいて必要な体験をすることの教育的側面に 注目し、社会、自然などに積極的に関わる様々 な活動」と捉えている。なお、ここでは、特 に青少年を対象として記述されているが、生 涯学習の観点から見れば、これは対象年齢を 青少年と限定する活動ではないと考えられる。 このような教育的側面に注目した体験活動 を行っていく上での教育方法・学習方法は、 体験学習的な方法に代表される活動に見出さ れる。その多くは、環境教育や野外教育の分 野における活動、ワークショップ的な活動な ど、その学習のプロセスそのものに主眼をお く活動(学習)となっている。これは、学習 した結果、何を知識として得たか、という 「学習の結果」に主眼をおく学習とは、その 主眼点の違いという意味において異なってい る。体験学習法とは、西田真哉によれば、次 のように定義されている。 「体験学習法とは、何らかの体験をすれ ば、そのことだけで、学習したとするもの ではない。今、ここでの体験によっての気 づきにこだわり、さらには、ともに体験し て、気づいたこと、感じたことをわかちあ い、その解釈から、学びを深めて、次の行動 へと生かしていく循環過程として、構造化 される教育方法のことを指すのである。」20) このような体験学習の前提条件としては、 以下のことがあげられている。 ①学習者(参加者)中心の学習 ②体験は理論との統合によって概念化され、 さらに活かされる。 ③知識の蓄積ではなく、「学び方を学ぶ学習」 であること。 さらに、西田は「体験学習法の循環過程」 として、以下のステップを説明している。 ①体験する(Experience)DO、やってみる。

(6)

②指摘する(Identifying)LOOK、観てみる。 ③分析する(Analyzing)THINK、考えてみ る。 ④概念化する(Hypothesizing)PLAN、まと める。 これらの②③④は、「ふりかえり」と呼ば れる大事な部分で、経験共有者との「わかち あい」によっても効果が高まるという。つま り、いろいろな体験をした後に、個人でふり かえり、それを他者とわかちあい、さらに自 由に話し合う中で学びを深めていく、という 構成となっている。このような循環過程を経 る体験学習は、自己の身体感覚をとぎすませ、 自己と他者の尊重を基本にした上で、斎藤の いう〈中心感覚〉と〈距離感覚〉を身体感覚 として感じることが重要な前提となっている。 この点については、例えば中野民夫がワーク ショップの意義として、以下のように述べて いる。 「知識偏重の教育に対する反省から出てき たとも言えるワークショップでは、言葉だけ の理解よりも、身体を使ってやってみること、 感じてみることなど、心身まるごとの『体験』 を重視する。『知性(Mind)』だけでなく、 『からだ (Body)』 を使い、 時には 『感情 (Mind)』に触れたり、『直感・霊性(Mind)』 も動員するホリスティック(全体包括的)な 学びなのだ。」21) さらに、一方で配慮しなければならないこ とは、即効的な結果を求めすぎない、という ことである。中野は、貴重な体験というのは、 そのときうまく理解、整理、記憶できなくて も、むしろあとでじわじわいい形で思い出さ れたり、効いたりしてくるものだ、という。 一度すっかり忘れてしまっても、それでも残 る体験を味わい、深めつづければ十分である、 ということである22) このように体験学習法は、このような循環 過程を経る学習を、より密度の濃い時間と空 間、あるいはプログラムの中で行うものであ り、様々な体験活動の意義もここにあるとい える。 この点については、伊藤俊夫も「体験学習」 を「主知的な教育(知識教育)のように、整 理された情報(知識化)を学習するのではな く、未整理状態の事象から体験によって気づ いたり、学んだりする方法である」と定義し た上で、「体験学習は、実感が強く働き、情 動と認知がともにかかわることから興味や関 心を刺激し、学習の定着度は高く、他方では 個性の気づきを容易にし、その発動を促す可 能性が大きい」23)と述べている。 「気づき」「ふりかえり」「わかちあい」と 呼ばれるような循環過程において、そこでお こったプロセスに各自が意識的に意味を見出 すようにしていく。この循環過程は、人間の 人間的な成長の過程とも言える。ここに、生 きることと学ぶことの一致が見られるのであ り、生涯学習の理念を具現化するものと捉え ることができる。 2.教育(学習)内容として また、前述の学習の循環過程が最も直接的、 全面的に考えられなければならないのが、環 境教育における学習である。レイチェル・カー ソンが、「知ることは感じることの半分も重 要ではない」24)と言ったように、環境教育の 主要な目的は、人間の身体感覚を取り戻し、 環境に対する感受性を身につけることと言え る。 実際、環境教育の国際的な会議における憲 章の目標段階に、その点が示されている。例 えば、「ベオグラード憲章における環境教育 の6つの目標段階」のうち、第一段階として 「全環境とそれに関わる問題に対する関心と 感受性を身につけること」があげられている。 そして、その上で「現在の問題を解決するこ とや新たな問題の発生を防止することに向け て、個人や団体で行動するために必要な知識、 技能、態度、意欲、実行力を身につけた人々 を世界中で育成すること」となっている25)

(7)

て、環境改善と自然を守ることに積極的 に参加する動機づけを援助する。 (4) 技能:環境問題を識別し、解決する 技能を得ることを援助する。 (5) 参加:環境問題の実際の解決に向け て、あらゆるレベルを含む行動をとる機 会を与える。 表1 ベオグラード憲章における環境教育の 6つの目標段階 (1) 関心:全環境とそれに関わる問題に 対する関心と感受性を身につけること。 (2) 知識:全環境とそれに関わる問題お よび人間の環境に対する厳しい責任や使 命についての基本的な理解を身につける こと。 (3) 態度:社会的価値や環境に対する強 い感受性、環境の保護と改善に積極的に 参加する意欲などを身につけること。 (4) 技能:環境問題を解決するための技 能を身につけること。 (5) 評価能力:環境状況の測定や、教育 のプログラムを生態学的、政治的、経済 的、社会的、美的、そのほかの教育的見 地に立って評価できること。 (6) 参加:環境問題に関する責任と事態 の緊急性についての認識を深めて、環境 問題を解決するための行動を確実にする こと。 表2 トビリシ憲章における環境教育を進め る際の5つの目標段階 (1) 気づき:環境全般とそれに関する問 題に対する自覚と感受性を習得すること を援助する。 (2) 知識:環境とそれに関連する問題に ついてのさまざまな経験と基本的な理解 を獲得することを援助する。 (3) 態度:環境に対する価値観と感性を得 (表1参照) また、ベオグラード憲章を踏まえたトビリ シ憲章においても、「環境教育を進める際の 5つの目標段階」のうち第一段階として「気 づき(環境全般とそれに関連する問題に対す る自覚と感受性を習得することを援助するこ と)」があげられている。その上で、知識、 態度、技能、参加、といった項目が並んでい る26)。(表2参照) また、トビリシ宣言では、12項目からなる 「環境教育に含まれるべき基本原則」がまと められており、その1項目として以下の原則 があげられている27) 「さまざまな学習手段や教育方法について の広範な教育理論などを利用して、環境につ いて学び、また環境から学び、実践的な活動 と直接的な体験をするよう強調する。」 この点は、前述の体験的な教育(学習)方 法とも関連するものとして示唆的である。 このように、環境教育が、環境に対する関 心や自覚、そして感受性を身につけることを その目標段階の最初に設定していることは、 このような人間の身体感覚を取り戻すことが、 環境教育のベースにあるということと言える。 それは、環境教育の必要性が、近代科学技術 の進展が、人間の精神的な身体や文化的な価 値観も変えてきたことに起因することとも関 連している。 あるいは、環境問題は「個人と他者との関 係性がたたれること。関係が希薄になること によって生じている」28)とも言われている。 従って、環境教育を「人間相互の関係を含め た人間と自然との関係の改善」29)と捉えるこ とができるのである。そのために「環境と自 分とを一体にとらえ、鋭い感受性と認識力を 用いて環境のシステムをとらえ、環境問題や 環境の質の向上について、価値判断に基づく 実践的関係行動をする人間的資質・能力」30) の育成が大切になってくるのである。この点 は、前述の中教審答申における体験活動の必 要性の背景である「人間関係の希薄化」の改

(8)

善を目指すものであり、この点においても示 唆的である。 Ⅴ. 考 察 以上、体験活動を含む「体験」や「経験」 の意義を、自己の身体感覚という点を出発点 に、その人間性や学び(学習)との関連から 見てきた。 これらのことから、体験活動の 「体験」は、自己に内面化されている主体性 への欲求と、自己の学びを結び付けるもので あることが分かる。そして、この点は、生き 方と結びついた学習を生涯にたって進めてい く、という生涯学習の理念を実現するもので ある。 さらに、それを密度の濃い時空間で行う教 育(学習)方法や教育(学習)内容として、 体験学習的な方法や環境教育を取りあげた。 ただ、ここで注意しなければならないこと は、生涯学習の理念は、自分の生き方と結び ついた学びを実践することに意義があるので あり、学習内容や表面的な学習スタイルにあ るわけではない。 私たちは、日常、様々な体験・経験をしな がら生活している。しかし、普段は主体性に もとづく学びの欲求が意識化されていないこ とが多い。そこで、体験学習的な学びによっ て、日頃の経験の積み重ねを基礎として、自 己に新たな視点をもたらし、自己の視野の拡 大を促す、つまり自己の学びの拡大へとつな げることができる。体験学習法における体験 活動は、その時空間の密度が濃いところに、 その意義がある。そのような、密度の濃い経 験・体験は、自己と他者に対する理解をより 深めていく。 そして、特に成長発達の重要な時期にある 子どもたちには、その経験をより積極的な意 味で自己成長へとつなげられることが考えら れなければならない。それが、大人になって からの生き方や存在様式に大きく影響を与え ると考えられるからである。ここでは、自己 と他者とのズレを認識していくこと、そして 自己の身体感覚や感受性などを養っていくこ とが重要なのである。 また、視点を変えればその「ズレの認識」 は社会状況の反映とも捉えることができる。 そして社会の中に生きる自己を安定に保つも のであり、その自己に基づいた学びへの欲求 や促進でもある。 このように体験の意義を捉えていくと、今 までの教育の在り方との関連において、その 何が問題であったかについても、以下のよう に考えられる。 つまり、現在、求められている、いわゆる 「体験活動」は、今までの教育の在り方(知 識詰め込みがたの教育、それゆえの直接体験 不足への反省)から出発している。あるいは、 社会状況(少子化、都市化、人間関係の希薄 化など)が背景に考えられている。そして、 それらの問題は、実際の教育施策の中で、 「生きる力」や生涯学習などと結びつきなが ら展開されることが多い。 しかし、もしも今までの教育の在り方(知 識詰め込みがたの教育、直接体験の不足)が 問題であったとすれば、それのどこが問題で あったのかを明確にしていかなければならな い。つまり、問題は、「知」を伝えるという 教育の営みに対する考え方を問わなければな らないのではないだろうか。知識が、単なる 情報(物)として捉えられてきたこと、そし て、そのことが、いわゆる「身体感覚」を感 じられなくなってきた原因の一端であると考 えられるのである。人間が生み出した「知」 が、どのように人、社会、自然と結びついて いるか、という点が考えられていないことに、 その問題点が含まれているのである。それは、 「知」を伝えていく教師にとっても、自己矛 盾をもたらすものであり、またそのようにし て生きる姿を子どもたちは敏感に感じ取って いく。 以上のことから、現在多様に行われつつあ る「体験活動」を、既存の教科学習に対する ものとして行うものではなく、子どもたちの 学習の一環として捉える必要があることが分 かる。そうでなければ、いわゆる体験活動が、

(9)

「知識の詰め込み」と似た「体験の詰め込み」 となってしまう、あるいは教科学習の体験が 現実味のない体験になってしまう恐れがある。 この点については、中教審答申においても学 校における体験活動の実施上の配慮として、 教育活動全体を見直すことに言及している。 具体的には、各領域・各教科において、体験 活動を適切に位置付けることや、学習指導と の関連を図ること、また、発達段階に即した 活動内容や期間を工夫することなどである。 つまり、重要なことは、教育活動全体を、 自己の主体性の欲求を身体感覚において感じ られるような、密度の濃い活動にする必要が あるということである。その中で、学習者が 何を学び取っていくかは、個々それぞれであ る。そして、その密度の濃い活動のスタイル には、体験学習を含めて様々なスタイルがあ るのである。逆に言えば、体験学習は教育・ 学習の一つのスタイルにすぎない。そのスタ イルは、教育内容や学習者の発達段階等の状 態によって、臨機応変に選び取られていくも のであろう。 このような点については、さらに教育者と 学習者の関係の在り方や、「知」の伝達の捉 え方、また、体験学習のみならず、子ども時 代における「体験」のその後の意味合いなど の検討が必要である。これらの点については、 今後の課題としたい。 【引用文献】 1)中央教育審議会答申「青少年の奉仕活動・体 験活動の推進方策などについて」平成14年7月29 日 2)伊藤俊夫編「学校と地域の教育力を結ぶ」全 日本社会教育連合会、p.6、2001 3)市村尚久「経験」、教育思想史学会編『教育思 想辞典』pp.236-241、2000 4)斎藤孝「身体感覚を取り戻す」日本放送出版 協会、p.6、2000 5)同上、p.4 6)斎藤孝「子どもたちはなぜキレるのか」筑摩 書房、p.96、1999 7)斎藤孝「身体感覚を取り戻す」p.11 8)斎藤孝「子どもたちはなぜキレるのか」p.182 9)斎藤孝「身体感覚を取り戻す」p.11 10)斎藤孝、同上、p.11 11)小浜逸郎「人はなぜ働かなくてはならないの か」洋泉社、p.21、2002 12)同上、p.24 13)同上、p.46 14)同上、p.59 15)佐藤学「学びの対話的実践へ」p.72、佐伯胖・ 藤田英典・佐藤学編『学びへの誘い〔シリーズ 「学びと文化」1〕』東京大学出版会、pp.49-91、 1995 16)同上、p.74 17)岩川直樹「らせんのエクリチュール」p.465、 『〈教育学年報8〉子ども問題』 pp.451-479、 2001 18)同上、p.466 19)同上、p.467 20)西田真哉「体験学習法とは」野外教育指導研 究会編『野外教育指導者読本』p.68、1999 21)中野民夫「ワークショップ−新しい学びと創 造の場−」岩波書店、p.137、2001 22)同上、p.167 23)伊藤俊夫編、前掲書、p.6 24)レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳「セン ス・オブ・ワンダー」新潮社、p.24、1996 25)(財)日本生態系協会「環境教育がわかる事典」 柏書房、p.99、2001 26)同上、p.101 27)同上、p.101 28)阿部治「『持続可能な社会をめざした教育』へ。」 p.5、『Bio‐City 第10号』pp.2-17、1997 29)同上、p.7 30)佐島群巳編「感性と認識を育てる環境教育」 教育出版、p.31、1995

参照

関連したドキュメント

   がんを体験した人が、京都で共に息し、意 気を持ち、粋(庶民の生活から生まれた美

「光」について様々紹介や体験ができる展示物を制作しました。2018

 今日のセミナーは、人生の最終ステージまで芸術の力 でイキイキと生き抜くことができる社会をどのようにつ

 講義後の時点において、性感染症に対する知識をもっと早く習得しておきたかったと思うか、その場

意思決定支援とは、自 ら意思を 決定 すること に困難を抱える障害者が、日常生活や 社会生活に関して自

イ  日常生活や社会で数学を利用する活動  ウ  数学的な表現を用いて,根拠を明らかにし筋.

SDGs を学ぶ入り口としてカードゲームでの体験学習を取り入れた。スマ