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ババッド・タナ・ジャウィ(4) 第4部ババッド・パジャン1

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訳 者 序 言 今回からパジャンの覇権がマタラムに移るまでを扱う第 4 部ババッド・ パジャンに入るが,長いので 3 回に分けて掲載する。今回の第24∼27章で は,パジャンのスルタンが最大のライバル,ジパンのアルヤ・パナンサン を倒すまでが語られる。ラトゥ・カリニャマットなど多彩な人物が登場す るが,『ババッド・タナ・ジャウィ』を通観したときの主人公は後にマタ ラムの太守になるパマナハンである。 解 題 天女ナワンウランのその後 今回は『ババッド・タナ・ジャウィ』のテキストに関する解説から離れ て,天女ナワンウランのその後および南海の女王との関わりを語る伝説を 紹介しておきたい。 ババッド・マジャパイトの第12章「ジャカ・タルブ」において天女デウィ・ *本学国際教養学部 キーワード:ババッド・タナ・ジャウィ,パジャン,パマナハン, パナンサン,カリニャマット

ババッド・タナ・ジャウィ (4)

第 4 部 ババッド・パジャン 1

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ナワンウランは夫ジャカ・タルブと赤子のララ・ナワンシを残して天に戻っ ていくという,わが国の羽衣伝説によく似た話が語られた。残された娘ラ ラ・ナワンシの行く末がババッド・ドゥマックの第17章「ラデン・ボンダ ン・クジャワンがララ・ナワンシと結婚」で明らかにされた。すなわち彼 女は,ブラウィジャヤ王とワンダンの女の間の子ラデン・ボンダン・クジャ ワン(ルンブ・プトゥンと改名)と結婚した。この結婚から生まれたキ・ グタス・パンダワの長子が第24章の主人公キ・アグン・セラである。そし てこのキ・アグン・セラの孫にパマナハンおよびジュルマルタニがおり, 前者がやがて初代のマタラム太守になり,その子セナパティがジャワにお けるマタラムの覇権を樹立することになる。このパマナハンとセナパティ 父子を補佐するのがジュルマルタニである。このように天女ナワンウラン の物語は『ババッド・タナ・ジャウィ』のなかで単なる挿話ではなく,マ タラム王家の系譜の中に位置づけられているのである。 天に昇ったナワンウランのその後について『ババッド・タナ・ジャウィ』 は何も述べない。『ババッド・タナ・ジャウィ』にとって重要なのはその 娘ララ・ナワンシの子孫の系譜であるから,その意味でナワンウランのそ の後を語らないのは当然である。しかし『ババッド・タナ・ジャウィ』と は別に,その後のナワンウランの運命を語る伝承がある。その中でナワン ウランは,『ババッド・タナ・ジャウィ』第32章に登場する南海の女王ニャ イ・ララ・キドゥルに関係づけられている。南海の女王の内大臣と外大臣 の由来に関する伝承の概略をここで紹介しておきたい〔Argo 2006 : 9496 。 天界に戻ったナワンウランは不幸なことにそこに住まうのが許され なかった。地上で長く人間だったのが咎められたのである。結局神々 は彼女に南海の支配者に仕えるよう申し渡した。南海にやってくると, 出仕の申し出が受け入れられ,ニャイ・リヨ・キドゥル(Nyai Riyo Kidul)の名を与えられ内大臣(patih lebet)に任じられた。

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この物語の紹介者アルゴによれば,中部ジャワ南部のクタウィナングン (Kutawinangun)地方のブルピトゥ(Bulupitu)に,デウィ・アユ・ナワ ンウランの聖遺址(Petilasan Dewi Ayu Nawangwulan)なるものがあって, ジャワ人が参詣に訪れるという。筆者は2013年 3 月そこを訪れた。ジョク ジャカルタ市の西80キロに位置するクタウィナングンの町の北西 3 ∼ 4 キ ロに緩やかなブルピトゥ丘がある。その参道を上がると頂上にナワンウラ ンを中心に 3 基のイスラム式の墓があり,日取りによっては参詣・参籠者 が多いとのことだった。 この伝承だけではニャイ・ララ・キドゥルとの関わりは必ずしも明確で ないが,内大臣と対をなすであろう外大臣(patih jawi)の物語によって 明らかになる。いささかややこしいのは,『ババッド・タナ・ジャウィ』 第32章の南海の女王ニャイ・ララ・キドゥルはここではカンジェン・ラトゥ・ キドゥルの名で登場し,ニャイ・ララ・キドゥルはその配下の外大臣の名 前である。 むかしカンジェン・ラトゥ・キドゥルが南海の支配者になる以前, そこにはすでに王がいて,羅刹女の姿で南海の精霊を支配していた。 その後この超能力ある女王は,並外れた超能力をもつカンジェン・ラ トゥ・キドゥルに負かされた。カンジェン・ラトゥ・キドゥルはその 後南海の女王となりジャワ全土の精霊を支配した。負かされた女王は その外大臣に任じられ,ニャイ・ララ・キドゥルの名前で南海の精霊 の戦士たちを統率し従える任務を与えられた。 ニャイ・ララ・キドゥル(カンジェン・ラトゥ・キドゥル)に関しては 多数の神話伝説があり〔ENI 2 : 535 ; 中島1993参照 ,そのあるものが 『ババッド・タナ・ジャウィ』に取り込まれて王家の正統性を演出するの に貢献していることがわかる。 なお,百瀬侑子の近著はインドネシア各地の羽衣説話と類型を提示しつ

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つ,インドネシアの羽衣民話の源流の可能性を中国やインドに求め,日本 の場合にも論及する 百瀬 2013 : 186205 。説話の研究としてたいへん 参考になる。ただし,天女のその後にまで筆は及んでいない。

参 考 文 献(追加分のみ)

Argo Twikromo 2006 : Mitologi Kanjeng Ratu Kidul, Nidia Pustaka, Yogyakarta. 中島成久 1993『ロロ・キドゥルの箱──ジャワの性・神話・政治』風響社 百瀬侑子 2013 インドネシア民話の世界 民話をとおして知るインドネシ ア つくばね舎 地図 中部ジャワ東部(16世紀) ジパン マディウン クディリ ブランタス川 コタグデ プランバナン パジャン ラウィヤン プンギン ティンキル プラワタ セラ グロボガン ドゥマック カリニャマット クドゥス パティ ジャパラ ルンバン トゥバン ソロ川 ラウ山 ムラピ山 ムルバブ山

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24.キ・アグン・セラが雷を捕まえる 話はドゥマックのスルタン陛下ご存命の頃に戻って,キヤイ・アグン・ スセラは雨の降るなか鍬をもって水田に行った。そろそろ午後の礼拝の時 刻であった。田んぼにくると鍬を振るった。 3 回ばかり振るったとき,雷 が現れ,老人の姿をしていた。キヤイ・アグンはそれが雷だとわかり,素 早く捕まえた。雷は轟音をたてたが,キ・アグンはしっかり掴んで放さな かった。雷は縛られてドゥマックに献上された。雷は鉄の檻に囚われた。 王様は水を与えてはならないとお命じになった。ドゥマックの人々はみな 身分の上下を問わず見物にきた。老婆がやってきてココヤシ殻の水を差し だした。囚われている雷の妻だった。檻の中の雷は水を受けとると轟音を たてた。鉄の檻はたちまちバラバラに壊れ, 2 人の雷は逃げ去ってしまっ た。 さて,ドゥマックにキ・ビチャック ki Bicak という古典ワヤンのダラン dhalang〔演者〕がいて,その妻はとても美しかった。キ・アグン・セラ

ババッド・タナ・ジャウィ

第 4 部 ババッド・パジャン 1 目次 24.キ・アグン・セラが雷を捕まえる 25.スナン・プラワタとパンゲラン・カリニャマットがアルヤ・ジパンに謀殺 される 26.パジャンのアディパティがスナン・クドゥスを訪ねる 27.アルヤ・ジパンがキ・パマナハンとキ・パンジャウィに倒される

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が上演を依頼したが,ダランの妻を見ると,すっかり惚れ込んでしまった。 ダランのキ・ビチャックは殺され,ワヤン人形と銅鑼はその妻ともどもキ ヤイ・アグン・セラのものとなった。キ・アグンは銅鑼が手に入ると,すっ かり銅鑼に夢中になり,ダランの妻への想いは冷めてしまった。銅鑼はキ ヤイ・ビチャックと名づけられ,スナン・カリジャガ上人から,王座の遺 宝となし,戦いに入る合図となす許しが与えられた。この銅鑼を叩いて音 が響きわたるなら戦いに勝利し,叩いても響かなかったら敗れるだろう。 あるときキヤイ・アグン・セラは子守をしていて,瓜が植えてあるそば で赤ん坊をあやしていた。キヤイ・アグンは花模様の絹のバティックをま とい帯はしていなかった。騒がしい物音と狼藉者という叫びが聞こえた。 キヤイ・アグンは何事かと,赤ん坊を下に置こうとしたが,その間もなく 狂乱者が現れ,突きかかってきた。キヤイ・アグンは無事だったが,瓜の 蔓に足を取られて仰向けに倒れ,絹のカインはほどけて脱げてしまい,裸 になってしまった。キヤイ・アグンは立ち上がり,狂乱者は一撃され頭を 砕かれて死んだ。こうしてキヤイ・アグンは,子々孫々まで花模様の絹の バティックを用いてはならず,また瓜を植えたり食べてはならないと誓い をたてた。 さて,キヤイ・アグン・セラにはすでに 7 人の子があり,みな結婚して いた。長子はニャイ・アグン・ルルン・トゥンガ nyai ageng Lurung-Tengah といい, 2 番目はニャイ・アグン・サバ nyai ageng Saba, 3 番目 はニャイ・アグン・バンスリ nyai ageng Bangsri, 4 番目はニャイ・アグ ン・ジャティ nyai ageng Jati, 5 番目はニャイ・アグン・パタネン nyai ageng Patanen, 6 番目はニャイ・アグン・パキスダドゥ nyai ageng Pakis-Dadu といい,末っ子は男で,キヤイ・アグン・グニス kyai ageng Ngenis といった。キヤイ・アグン・スセラは 7 人の子を残して亡くなった。その キヤイ・アグン・グニスであるが,すでに 1 人の息子がいて,キヤイ・パ

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マナハン kyai Pamanahan という名前で,ニャイ・アグン・サバの長女と 結婚させていた。〔ニャイ・アグン・サバの〕末っ子は男で,キヤイ・ジュ ルマルタニ kyai Juru-Martani といった。こうしてキヤイ・パマナハンとキ ヤイ・ジュルマルタニは従兄弟であり義兄弟であった。キヤイ・アグン・ グニスは,又従兄弟の甥にあたるキ・パンジャウィ ki Panjawi を養子に受 け入れ,キ・パマナハン,キ・ジュルマルタニと兄弟のように遇した。 3 人は実の兄弟以上に仲良しで,片時も離れることがなかった。やがてスナ ン・カリジャガに師事した。パジャンのスルタン陛下も兄弟弟子だった。 スナン・カリジャガは,パジャンのスルタンが 3 人と兄弟同然になるよう 望まれた。実際とても仲よくなり,実の兄弟のようになった。 パジャンのスルタンの望みによって,キ・アグン・グニスはラウィヤン Lawiyan に住まいを与えられた。キ・アグンはラウィヤンに住むこと久し くして亡くなり,その地に葬られた。キ・パマナハンとキ・パンジャウィ はすでにパジャンのスルタンに召し抱えられ,タムタマの隊長に任じられ た。 2 人の忠誠はおおいに嘉せられ,パジャン国の枢機を託され,スルタ ンから敬語で兄と呼ばれた。キヤイ・ジュルはというと,キ・パンジャウィ とキ・パマナハンの補佐役に徹した。パジャンのパティ〔宰相〕になった の は キ ・ マ ス ・ マ ン チ ャ で あ り , ト ゥ ム ン グ ン ・ マ ン チ ャ ヌ ガ ラ tumenggung Manca-Negara と称した。キ・ウィラ ki Wila とキ・ウラギル ki Wuragil はともにブパティになった。

さて,キ・パマナハンに男 5 人,女 2 人の 7 人の子があった。長子はラ デ ン ・ ジ ャ ン ブ raden Jambu と い い , 2 番 目 は ラ デ ン ・ バ グ ス raden Bagus, 3 番目はラデン・サントリ raden Santri, 4 番目はラデン・トンペ raden Tompe, 5 番目はラデン・カダウン raden Kadhawung といった。 6 番目は娘で,トゥムングン・マヤン tumenggung Mayang と結婚した。末 子は娘で,まだ小さかった。そのときパジャンのスルタン陛下にはまだ子

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がなかった。キ・パマナハンの子のラデン・バグスがパジャンのスルタン の長子として貰い受けられ,実の子同然にとても可愛がられた。パジャン のスルタンの真の願いは,いつか実子をえるための誘い養子だった。 25.スナン・プラワタとパンゲラン・カリニャマットがアルヤ・ ジパンに謀殺される そのころ多くのジャワ人が預言者の宗教の道を学ぶのを好み,また超能 力と屈強さの修行を愛好した。 2 人の著名な師匠がいて, 1 人はスナン・ カリジャガ上人であり,もう 1 人はクドゥスのスナンであった。スナン・ クドゥスに 3 人の弟子がいて, 1 人はジパンのパンゲラン・アルヤ・パナ ンサン, 2 番目はスナン・プラワタ, 3 番目はパジャンのスルタンであっ た。一番のお気に入りはパンゲラン・アルヤ・パナンサンだった。あると きスナン・クドゥスはパンゲラン・パナンサンとともに自宅にいて,パナ ンサンにお尋ねになった。「 2 人の師匠をもつ者の受ける罰は何か」。アル ヤ・ジパンは落ち着いて答えた。「その罰は死であります。私めはいまだ そのような振舞いの者を存じません」。スナン・クドゥスは「プラワタの お前の兄じゃよ」と申された。パナンサンはスナン・クドゥスのお言葉を 聞くと,スナン・プラワタを亡き者にするのを引き受けた。 ランクッド Rangkud という名の隠密にスナン・プラワタ暗殺が命じら れた。ランクッドは出立し,プラワタに着くと館に入っていった。スナン・ プラワタはちょうど病気で,妃にもたれていた。ランクッドを目にすると, 「その方,何者」と問うた。ランクッドは「身共はアルヤ・パナンサン様 の使いの者にして,あなた様のお命頂戴に参りました」と答えた。スナン・ プラワタは「さようか,好きにいたせ。しかし殺すのはわし一人だけにせ よ。他の者を巻き添えにするでない」と言った。ランクッドは力一杯突き かかった。スナン・プラワタの胸は背まで貫かれ,妃の胸まで届いた。ス

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ナン・プラワタは妻が傷つけられたのを見ると,すばやくキヤイ・ブトッ ク kyai Bethok という名のクリスをとって,ランクッドに投げつけた。ラ ンクッドは豆の花の装飾のあるクリスに傷つき地面に倒れて死んだ。スナ ン・プラワタと妃も亡くなった。1453年のことであった。 そもそもパナンサンが自らすすんでスナン・プラワタ殺害を命じたのは, 自分の父がスナン・プラワタに殺されたからだった。父アルヤ・ジパンは 金曜日の礼拝からの帰途,スラヤタ Sura-Yata という名の,スナン・プラ ワタの刺客に待ち伏せされた。スラヤタはその際父の家来に殺された。こ のことは父が息を引きとるときに語ったのだった。 スナン・プラワタにはラトゥ・カリニャマット ratu Kali-Nyamat という 妹がいた。悲憤はなはだしく,兄の死を受けいれることができなかった。 そこで夫とともにクドゥスに出向き,スナン・クドゥスに公正な裁きを願 い出ることにした。スナン・クドゥスに会うと,正義を懇願した。スナン・ クドゥスの返答はこうだった。「お前の兄はアルヤ・パナンサンに血の負 債があり,いまそれを償ったということじゃ」。ラトゥ・カリニャマット はこのようなスナン・クドゥスの返事を聞くと,とても落胆して帰途につ いた。その道中パナンサンの刺客に襲われ,夫が殺された。ラトゥ・カリ ニャマットは深い悲しみに沈んだ。兄を亡くしたばかりのところに夫に死 なれ,悲嘆ははなはだ深かった。こうして彼女はダナラジャ Dana-Raja 山 で裸行に入った。垂れ下がる髪の毛が着衣の代わりとなった。ラトゥ・カ リニャマットは,パナンサンが死なない限り,生涯長衣を身につけないと 誓いをたてた。あわせてどなたであれ,パナンサンを殺すことができたお 方に全財産を差し上げ,お仕えすると誓約した。 26.パジャンのアディパティがスナン・クドゥスを訪ねる さて,スナン・クドゥスはアルヤ・パナンサンと話し込んでいた。スナ

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ン・クドゥスは申された。「お前のプラワタとカリニャマットの兄は今は ともに亡き者となったが,わしの心は,お前がジャワ全土を支配する王に なるまで満たされないだろう。そして思うに,お前の弟のパジャンのスル タンがいる限りお前は王になることができないだろう。あの者が妨げの源 じゃのう」。パナンサンは申し上げた。「お師匠様のお心にかないますなら ば,障害の元とならぬよう,私めはパジャン国を攻めて,パジャンの弟め を殺しましょう」。スナン・クドゥスは答えた。「その企図は勧められぬ。 国を荒廃させ大勢の死者を出すだろうから。わしが願うとすれば,お前の パジャンの兄を死なせること,世間に気づかれることなく謀殺するのみ じゃ」。パナンサンは一も二もなく賛同した。こうしてパジャンのスルタ ンを暗殺するよう命じて隠密たちを送りだした。 隠密たちは出立し,夜になってパジャンに着き,宮廷に入った。スルタ ンはドドット dodot〔儀礼用バティック長衣〕をかぶって寝ておられ,そ の足許に妃たちが寝ていた。隠密たちは一散に力一杯突きかかった。スル タンは傷つくことなく,安らかに眠りつづけるばかりで,体にかけていた ドドットさえ傷つかなかった。女たちが驚いて目を覚まし,悲鳴を上げた。 スルタンは驚いて目を覚まされた。それとともにかけ布のドドットが突き かかってくる賊に飛びかかった。賊はみな地面に倒れてのたうち回り,誰 も逃げだせなかった。スルタンはすぐに妃たちに「どうした。いったい何 を泣き叫んでおる」と尋ねられた。妃たちは「陛下が賊に刺されて,お亡 くなりになったと思いました」と答えた。スルタンはただちに灯を取って, 賊のところにお出になった。 4 人の賊はまだ地面に横たわっていて,もは や誰も抗えなかった。スルタンはすぐに「その方ら盗っ人はどこから来た か,誰に命じられたか」と尋ねられた。賊たちはありのままに答えた。ス ルタンは申された。「今回は許してやろう。すぐにジパンに戻り,お前た ちの主人に報告せよ。いそぎこの宮廷を去れ。巡邏の者共に見つかったら,

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殺されるのは必定じゃ」。ついで 4 人の賊は金と衣服を賜った。命が助か るとは予想もしなかったので,とても喜んだ。跪拝して去り,無事にジパ ンに帰りついた。主人にし損じたことを申し上げた。パジャンのスルタン はことのほか不死身で霊力があり,びくともするものではなかったと。 パナンサンは隠密たちの言葉を聞くとたいへん不安になり,スナン・ク ドゥスに,パジャンのスルタンを暗殺する刺客が失敗に終わったことを伝 えた。「お師匠様のお心にかないますならば,教義問答に加わるよう求め ることを口実に,スルタンをここに呼びだすのがよいと存じます。ここに 来さえすれば,簡単でございます」。スナン・クドゥスはパナンサンの願 いどおりにスルタンを呼ぶ使者をお出しになった。 スルタンは師匠からの呼びだしに一体何事かと動揺しつつ,いそいで準 備にとりかかった。キ・パマナハンとキ・パンジャウィはただちにスルタ ンに注意をうながした。「殿,私めらの思いますに,あなた様がクドゥス に呼ばれましたのは,教義について語りあうためではありませぬ。おそら くは,先頃の賊と同じようなことでありましょう。それでもなおクドゥス に参上されますならば,警戒を怠ってはなりませぬ。全軍を引き連れられ ますよう」。スルタンはキ・パマナハンとキ・パンジャウィの進言をおお いに喜ばれ,兵を集めるようお命じになった。スルタンの長子として養子 になっていたキ・パマナハンの息子が今や槍を振るうことができる若者に 成長していた。スルタンにたいそう寵愛され,ラデン・ガベヒ・サロリン パサル raden ngabehi Sa-Lor-ing-Pasar の名を与えられ,タムタマ武士の隊 長に任じられていた。軍勢の準備が整うと,スルタンは出陣された。ただ しスルタンは騎馬勢とともに先行された。徒の部隊は後からつき従い,パ ティのトゥムングン・マンチャヌガラがこれを率いた。

スルタンの一行はクドゥスに到着すると,アルンアルン〔町の中央の広 場〕で立ち止まり,スナン・クドゥスに到着が伝えられた。スナン・クドゥ

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スはパンゲラン・アルヤ・パナンサンに,スルタンを迎えにゆき,ともに 謁見の間で自分の出座を待つよう指示なさった。パナンサンは念入りに衣 服を整え,外に出て謁見の間に座り,背後に選りすぐりの武士たちを控え させた。パナンサンは,スルタンが来たらすぐにそのクリスを見せてもら い,それで刺し貫くつもりであり,家来たちも一斉に攻めかかる手はずで あった。スルタンにはスナン・クドゥスの使者から,謁見の間にパナンサ ンとともに座るよう伝えられた。スルタンが謁見の間に座ると,キ・パン ジャウィとキ・パマナハンそしてラデン・ガベヒ・サロリンパサルが,や や後ろからその左右を固め,警戒を怠らなかった。 スルタンがパナンサンと向きあって座り,たがいに睨みあった。パナン サンはスルタンに尋ねた。「弟よ,貴公とは久しく会わなんだが,今とも にここに参上することとなった。そなたはどのようなクリスを帯びておる のか」。スルタンは「わしのクリスは古いものじゃ」と答えた。パナンサ ンは「どれどれ,弟よ,そなたのクリスを見てみたいものだ」と言ってク リスを抜いた。キ・パマナハンはすばやくスルタンをつつき,スルタンは 合図を理解した。クリスはすでにパナンサンに渡っていた。スルタンはす ばやく 2 本目のクリスを腰に差して言った。「アルヤ・パナンサン兄よ, このクリスの方がそなたがいま見ているものより良いものじゃ」。パナン サンは微笑んで言った。「わしの見るところ,わしが握っているのはたし かに優れたものだ」。スルタンは答えた。「わしが握っているこれはキヤイ・ チュルブック kyai Crubuk という。どちらも優れておるが,チュルブック には霊力がある。かすり傷でさえ必ず死んでしまうことは経験済みだ」。 そこにスナン・クドゥスが姿を現され, 2 人が抜き身のクリスを手にして 座っているのを見て息をのみ,申された。「いったい何事だ。クリスを抜 くとは。クリスを売買するとか交換するとでもいうのか。早く鞘に納めよ。 世間に知れたら具合が悪い」。クリスはスルタンに返され, 2 本とも鞘に

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納められた。パナンサンは「いかにも,いまだ未亡人をつくる宿命の時に あらず」と言い,スルタンは「おそらく,いまだカラスに餌を与える運命 の場ではない」と言った。スナン・クドゥスは申された。「もうよい。そ のような物言いを続けるではない。お互い兄弟として仲よくしなさい。い まはそれぞれ宿営に戻るがよい。明日ブパティたちが揃ったら,おまえた ちを呼びにやる」。スルタンとパナンサンは各々の宿営に向かった。パナ ンサンの宿営はソレ Sore 川の東にあり,スルタンの宿営は川の西にあっ た。追従していたパジャンの徒勢もすでに到着していた。 夜になってパジャンのスルタンはキ・パマナハン,キ・パンジャウィと 話しあった。キ・パマナハンは言った。「聞きおよびますに,スナン・プ ラワタとカリニャマットの兄上様がお亡くなりになって以来,カリニャマッ トの姉上様は悲しみはなはだ深く,ダナラジャ山で苦行をなさり,裸でお られるとのこと。パナンサンが生きている限り布をまとうことはないと申 しておられます。お訪ねになりませぬか。お望みでしたらお供いたしましょ う」。スルタンはキ・パマナハンの言葉に従い,その夜ダナラジャ山に出 かけていった。お供したのはキ・パマナハン,キ・パンジャウィ,そして ラデン・ガベヒ・サロリンパサルであった。ダナラジャ山に着くと門前で 立ち止まり,ラトゥ・カリニャマットにスルタンの訪問が伝えられた。ラ トゥ・カリニャマットは「早くお呼びしなされ」と指示した。「しかし, まず最初に姿をお見せできないことを申しあげ,寝室の外にお座りくださ るようお伝えしてくだされ」。侍女はいそいでこの言葉をスルタンに伝え, スルタンと 3 人のお供は邸内に入り寝室の外に座った。ラトゥ・カリニャ マットは静かにお話しになった。「王者なる弟よ,ここをお訪ねくださっ たのはどのようなお考えでありましょう」。スルタンはお話しになった。 「姉上様,私がここにご挨拶に参りましたのは,あなた様が国元を離れ, ここダナラジャ山で苦行をなさり,着物をお召しにならないと聞いたから

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でございます。お悲しみの原因はいったい何でございましょうか。カリニャ マットの兄上の亡くなったのは,アラーの思し召しによる運命でございま す。率爾ながら,どうぞ悲しみを打ち捨てられますよう」。ラトゥ・カリ ニャマットは申された。「とても感謝します,弟よ,わたくしへのそのご 助言に。されど,どなたのいかなる言葉もわたくしには届きませぬ。わた くしはアルヤ・ジパンが死なない限り衣をまといませぬ。わたくしが死ぬ まで続こうとも,貫きとおします。ここにお訪ねくだされたのはとても嬉 しく存じます。わたくしは女ですから,悲しみを消すための助けをあなた 以外の誰に求めましょうか。他にもう兄弟はいないのですから。あなたが パナンサンを殺すことができましたら,カリニャマットの国もプラワタの 国も,そしてわたくしの財産もすべてあなたに差し上げましょう。そして あなたのおそばにお仕えしましょう」。スルタンは申された。「姉上様,私 はアルヤ・ジパンと戦うのは恐ろしいのです。スクティ〔霊力〕が強くて, 体は不死身ですから」。ラトゥ・カリニャマットはお答えになった。「そな た,わたくしの悲しみはそなた以外の誰に訴えることができるのでしょう。 せっかくのお訪ねですが,甲斐なきことのようです」。キ・パマナハンが スルタンに耳打ちした。「願わくば,ひとまずよくお考えなされ。お答え をお延ばしになり,一晩よく相談のうえ,明朝戻って参りましょう」。ス ルタンはこれに従い,「一晩よく考えてみることにいたします」と言い, ラトゥ・カリニャマットはお答えになった。「結構です,弟よ,明日きっ とここにお戻りください。心よりお待ちいたします」。スルタンは別れを 告げて宿営に戻っていった。 キ・パマナハンはスルタンに付き従ったが,すぐにラトゥ・カリニャマッ トのもとに引き返してきた。「パマナハン様,ここに戻ってこられたのは いかなるご所存でありましょう」。キ・パマナハンは答えた。「姉上様,あ なた様が殿に助けをお求めになるについて,ご助言申し上げたきことがご

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ざいます。先程 2 人の侍女を見かけました。どちらも美しい。明日この 2 人を美しく飾りたてなさり,殿がまいられたら,この寝室近くに座るよう 申されるのです。殿は美女を見たら勇気が沸いてくる性格でありますゆえ, その女たちをお与えになりますなら,きっとアルヤ・ジパンを殺す約束を なさることでしょう。これが戻ってきた理由でございます」。ラトゥ・カ リニャマットは微笑んで申された。「とても感謝します,弟よ,この助言 を有難う。そのとおりにしましょう」。キ・パマナハンは別れを告げて宿 営に戻った。 翌朝パジャンのスルタンはキ・パンジャウィとキ・パマナハンにご相談 になった。スルタンはお尋ねになった。「カリニャマットの姉上から助け を求められていることで,どうすればよいものか」。キ・パマナハンは申 し上げた。「思いますに,約束なさるのがよろしゅうございます。お助け する義務のあるのはあなた様だけであります。あなた様に思慮が足りない わけはありますまい。家来衆や配下のブパティたちに募るのです。誰であ れアルヤ・ジパンを殺すことができた者に報酬を約束なさるのです。国と 財宝を与えると。応じる者がないなどということはありえませぬ」。スル タンはキ・パマナハンの言葉を聞いておおいに満足して言った。「兄者よ, 夜になったら戻ろう。かわいそうな姉上の悲しみを終わらせよう」 夜になってそろってダナラジャ山に赴いた。パジャンのスルタンはそこ に着くと,寝室の左右に座る 2 人の美女を見て驚いた。スルタンはとても 心を動かされ,振り返ってキ・パマナハンに尋ねた。「兄者よ,あの 2 人 の美女の夫は誰であろう。本当に美しい。いままで見たこともない美しさ だ」。キ・パマナハンは答えた。「思いますに,亡きプラワタの兄上様の側 室でありましょう」。スルタンはさらに尋ねた。「わしが所望したなら,姉 上様は譲られるだろうか」。キ・パマナハンは答えた。「姉上様はさきに, あなた様が願いをかなえて下されば,女だけでなく一切合切すべてを差し

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上げると申されました」。ここでラトゥ・カリニャマットがスルタンに尋 ねられた。「いかがです,弟よ,わたくしの昨日のお願いによい答えをお もちくださいましたか」。スルタンは答えられた。「姉上様,ご懸念に及び ませぬ,どうぞお心安らかになさってください。パナンサンを殺すとお約 束申しあげます。ただ,寝室に控えます 2 人の女性を所望いたします」。 ラトゥ・カリニャマットは答えられた。「弟よ,その女たちどころか,カ リニャマットの国とプラワタの国,そしてわたくしの財宝まですべて差し 上げましょう,もしわたくしの願いを叶えてくださるなら」。 2 人の女は 譲り渡され,スルタンの前に座るよう言われた。 2 人はそばに寄り,頭を 下げた。この 2 人の女にはじつは 1 人の夫がいて,それはプラワタの隠密 だった。スルタンは 2 人の女を受けとると申し上げた。「姉上様,どうぞ ご安心ください。アルヤ・ジパンはきっと私が殺しましょうほどに」。ラ トゥ・カリニャマットは申された。「いかにも,弟よ,あなた様以外の誰 を頼みといたしましょう」 スルタンは別れを告げ, 2 人の女をつれて宿営に戻った。この 2 人の女 と結婚していた隠密は夜になったらスルタンを襲おうと, 3 人の隠密仲間 を誘った。スルタンは就寝中に 4 人の隠密に突き刺された。しかしスルタ ンが傷つくことなく目を覚ますと, 4 人の隠密は過ちを悔いた。スルタン は赦しを与え,みな家に戻ることが許され,妻を諦めた。 翌朝パジャンのスルタンは配下の者たちみなに,アルヤ・ジパンとあえ て闘い,殺すことができた者に報奨としてパティとマタラムの 2 国を与え るとお知らせになった。しかしブパティたちやマントリたちはみなパナン サンを恐れていたため,誰も申し出なかった。そこでスルタンは,すべて の町の者と村の者に,誰であろうと,草刈り人であろうと,パナンサンを 殺すことができたら,間違いなくパティとマタラムの 2 国を報酬として与 えると布告するようお命じになった。

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27.アルヤ・ジパンがキ・パマナハンとキ・パンジャウィに倒さ れる さて,キ・パンジャウィとキ・パマナハン,キ・ジュルマルタニ,そし てラデン・ガベヒ・ロリンパサルの 4 人がキ・パマナハンの屋敷に顔をそ ろえた。キ・ジュルがどんな知らせかと尋ねるとキ・パマナハンは答えた。 「先頃殿が競いあうよう下知された。誰であれアルヤ・パナンサンを殺し た者には間違いなくパティ国とマタラム国で報いると。しかしブパティた ちやマントリたちはみな尻込みして,まだ誰も引き受ける者がない」。キ・ ジュルが言う。「思うに,一番良いのは,貴公がキ・パンジャウィと 2 人 で引き受けることだ。なぜなら,パティ国とマタラム国が誰か他人のもの になってしまうのは残念至極ではないか」。キ・パマナハンは答えた。「お い,よいか,報酬を受けとるだけなら簡単なことだ。容易ならざるは,ど のようにしてパナンサンを殺すかだ」。キ・ジュルマルタニが再び言う。 「たとえば鶏を闘わせるとする。賭け主が有能なら,その鶏が勝つのは間 違いない。人が戦争するのも同じことで,大将が計略に有能なら,きっと 戦いに勝利する。わしはパナンサンの性格がわかっている。とても短気で すぐかっとなるので,挑戦状を送ってみるつもりだ。部隊を連れないで 1 人で来てみよと。来てしまえば,わが一族上げて襲いかかるのだ。きっと 殺せる。貴公らわしのこの策に同意なら,明日一緒に殿にお目通りしよう」。 キ・パマナハンとキ・パンジャウィはこの提案に賛成した。 翌朝 4 人はそろって参上した。ブパティたちとマントリたちもみなそろっ ていた。スルタンはブパティたちに「誰かパナンサンと闘い,殺すと引き 受ける者はいないのか」とお尋ねになった。ブパティたちは応じる者はお りませぬと答えた。ここでキ・パマナハンが言上した。「身共と弟パンジャ ウィがアルヤ・ジパンと闘うことをお約束申し上げます。陛下はただ遠く

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からご覧ください。戦いは拙者とわが一族がお引き受けいたします。と申 しますのも,陛下がパナンサンの目に触れますれば,他の者共に目もくれ ず一目散に陛下に突進してくること疑いありませぬ」。スルタンはこれを 聞いてたいへんお喜びになり申された。「神に感謝申し上げる。兄者よ, 自らアルヤ・ジパンに立ち向かわれるか。パティ国とマタラム国が他人に 移らずにすむ。で,いかなる策があるのか」。キ・パマナハンは申し上げ た。「明朝パジャンの軍を総動員いたしますが,宿営に留めます。拙者と わが一族だけが戦いに臨みます」。スルタンはキ・パマナハンの申し出に 従われた。 翌朝キ・パマナハンとキ・パンジャウィ,キ・ジュルマルタニ,そして ラデン・ガベヒ・ロリンパサルの 4 人に一族郎党こぞって,総勢200人ほ どがチャクット Caket 川の西岸へ進み警戒を怠らなかった。キ・パマナハ ンとキ・パンジャウィそしてキ・ジュルの 3 人は軍勢から離れて草刈り場 に行き,草を刈る従僕を捜した。他の者から離れて 1 人の草刈りがおり, キ・パマナハンが尋ねた。「お前は誰の草刈り人か」。従僕は答えた。「ア ディパティ・ジパン様の馬丁で,御乗馬ガガック・リマン Gagak-Rimang の草を刈っております」。キ・パンジャウィはこれがパナンサンの馬丁と わかると,たちまち襲いかかった。従僕は身動きできなかった。キ・パマ ナハンは微笑みながら言った。「おやじ,すまんが,お前の耳を片方だけ 所望したい」。従僕は答えた。「何,冗談じゃない,耳がほしいなどと。篭 や鎌が欲しいなら,好きにしてくれ」。キ・パマナハンは再び言った。「わ しの欲しいものをくれぬなら,よし,買ってやろう。いくらだ」。従僕は 答えた。「売りたくったって,渡せるもんじゃない。金はいらない,生れ てこのかた耳を売ったことはない」。キ・パマナハンはさらに言った。「で は,わしがお前を刺したら,どうする」 こうして草刈り人は耳を渡すことになった。15レアルの金を受けとり,

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片方の耳を失った。残りの耳に挑戦状がぶら下げられ,主人に伝えるよう 指示された。男は急ぎ川の東に戻っていった。宿営につくと,参陣してい るパナンサンの家来たちの中を突き進んだ。ジパンのパティのキ・マタウ ン ki Mataun は,殿の従僕が血まみれで片方の耳に手紙をぶら下げ,主人 のもとに向かおうとしているのを見てたいそう驚いた。キ・マタウンは問 い質すため捕まえるよう命じたが,従僕は必死に主人のもとへ向かってき た。 そのときパナンサンは食事中だったが,外の騒ぎをいぶかり,キ・マタ ウンを呼ぶようお命じになった。パナンサンは「マタウン,外のあの騒ぎ は何だ」と尋ねられた。キ・マタウンは申し上げた。「殿,どうぞお食事 をお続けくだされ。その後にお話し申し上げます。良い知らせではありま せぬので」。キ・マタウンがこのように言ったのは,すぐにかっとなり向 こう見ずという主人の性格を知っていたからである。そのことを知ったな ら,軍勢を残してすぐに飛び出しかねない。アルヤ・ジパンは言った。 「マタウン,すぐに申せ,心配するな」。キ・マタウンはまだ言いたくな かったので黙っていた。その時取り押さえようとする者たちを振りほどい て従僕が入ってきた。アルヤ・ジパンはすぐにお尋ねになった。「何者だ, 血まみれではないか」。キ・マタウンは平伏して答えた。「この者が外の騒 ぎの原因で,殿の草刈り人でございまして,片耳が切りとられ,残りの耳 に手紙を下げております」。アルヤ・ジパンは手紙を求め,左手に受けとっ た。右手はまだ飯をつまんだままだった。手紙の中身はこういうものだっ た。「通告。吾,パジャンのスルタン陛下からアルヤ・パナンサンに伝え る。お前が本当に男であり勇敢ならば,さあ,一人でこい,軍勢を連れず に,ただちに川の西側へ渡ってこい。吾はそこで待つ」 手紙を読んだパナンサンは激怒し,顔は真っ赤になった。飯を握ったま まの拳で飯皿を叩くと皿は真っ二つに割れた。パナンサンはさっと立ち上

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がり,戦衣を着ると自分の馬ガガック・リマンを連れてくるよう命じた。 馬にまたがり,ダンダン・ムンス Dandang-Mungsuh という名の槍を構え た。キ・マタウンは制止した。「殿,どうぞ一時のご辛抱を。部隊をお待 ちくだされ。きっと策略にかかり,罠にはまりますぞ」。パナンサンはキ・ マタウンの進言に耳を貸さず,むしろ火に油が注がれたかのように,怒り はますます燃えあがった。そこにパナンサンの弟アルヤ・マタラム arya Mataram が現れ,いそいで立ちはだかって言った。「兄上,少しの辛抱を。 部隊をお待ちください」。パナンサンは言った。「黙れ,つべこべ言うな。 恐れはせぬぞ。大勢に攻めかかられるのは武人の常じゃ」。弟は放さず言 葉を尽くした。パナンサンは毒づいた。「お前はここにおれ,一緒に行け とは言わぬ。お前は端女の子だから,わしのように勇敢でないのだ」。パ ナンサンは馬に鞭をくれて単騎飛び出した。アルヤ・マタラムは深く傷つ いて中に戻った。キ・マタウンは主人を追ったが追いつけなかった。すで に歳をとっていたし,喘息もちだったので。 パナンサンはソレ・チャクット川の東岸にきた。そこは,両軍が対峙し たとき,この川を渡った方が敗れるという古い戒めが語りつがれている所 だった。チャクット川の西岸にはキ・パマナハン,キ・パンジャウィ,キ・ ジュル,そしてラデン・ガベヒが軍勢を率いて布陣していた。アルヤ・パ ナンサンが単騎でくるのを見てスセラ勢はみな喜んだ。パナンサンは大声 で言った。「やい,パジャンの者共,わしに挑戦状を出したのは誰だ。す ぐに東に渡ってこい。わしを大勢で攻めよ。戦いとなれば,大勢に攻めら れるのは望むところだ」。スセラ勢は答えた。「やい,お前に手紙をお送り になったのは我らがご主人,パジャンのスルタン陛下なるぞ。お前が本当 に勇敢なら,すぐに西へ渡ってこい。一騎討ちをしようぞ」 パナンサンは相手の悪口雑言を聞くと,耳が裂けるかの如く激怒し,馬 は腹を蹴られ鞭で叩かれ川に飛びこんだ。馬は背を濡らすことなく泳ぎき

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り,たちまち西岸に着いた。スセラ勢から矢を射られ,棒や槍を投げられ たが当たらなかった。パナンサンの馬は鞭を当てられると水から飛びあが り,スセラ勢の布陣のただ中に突っこんだ。パナンサンの馬に踏みつけら れて大勢が倒された。馬はさらに蹴りつけ噛みつきつづけた。馬上のパナ ンサンも槍で奮戦した。スセラ勢は大勢が傷つき死んだ。パナンサンは激 しく攻めたてつつ言った。「クレベットめはいずこじゃ,一騎討ちを約束 したではないか,姿が見えぬぞ」。こうしてパナンサンは奮戦中ずっとパ ジャンのスルタンだけを捜して動きまわった。パナンサンは寄ってたかっ て攻められ,前後左右から槍で突かれた。ついに右脇腹に傷を負い,はら わたが外に出たが,それをクリスの柄に掛けて,ますます激しく戦った。 命を助けるつもりはなかった。スセラ勢とタムタマ隊は傷ついたり死ぬ者 がますます増えた。 ラデン・ガベヒ・ロリンパサルがさっと抜け出してパナンサンに立ち向 かった。たてがみに白い斑点のある若駒にまたがり,キヤイ・プレレッド kyai Plered という名の槍を構えた。キ・パマナハン,キ・パンジャウィ, そしてキ・ジュルが背後を固め,パナンサンと向きあった。その時キヤイ・ ジュルがぱっと雌馬を放った。パナンサンの馬は雌馬を見ると浮足立ち, 前足で地面を引っかき,跳ねまわり,そして前足で殴りかかった。ラデン・ ガベヒの馬は怖じ気づいて暴走し,一散に逃げ出した。ラデン・ガベヒは 振り落とされまいと馬の首にしがみついた。馬が止まるとラデン・ガベヒ は素早く降りて手綱をとり,誓いをたてた。「わが子孫は,戦に際して白 い斑点の馬に乗ってはならぬ。それは失敗のもとになるから」 ラデン・ガベヒは徒で戦うことにし,馬は従者に渡し,槍キヤイ・プレ レッドを構え,パナンサンに向かいあった。パナンサンは言った。「名は 何という,若造,わしに立ち向かうものよ。下がるがよい,命を落とすの は惜しかろう。パジャンめを呼べ。わしと一騎討ちを承知したではないか」。

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しかしパナンサンの馬はまだあちこち跳ねまわり,前足で地面を引っかき 続けるので,槍を構え直す余裕がなかった。ラデン・ガベヒに槍を突き刺 され,背中まで貫かれた。馬も大勢に攻められて死んだ。遺体はセラ勢に 蹂躙された。ラデン・ガベヒの槍先はほんの少し欠けた。その後間もなく キ・マタウンが突きかかってきたが大勢に攻め殺された。首が撥ねられ突 き刺して川岸にさらされた。1471年のことであった。 その後でジパンの軍勢が非常な大軍で到着した。川岸で立ち止まると, 主人とキ・マタウンがすでに死んだことを聞かされた。ラデン・ガベヒが すぐに西岸から手を振りかざしながら言った。「やい,ジパンの者ども, まだ知らないだろうが,お前たちの主人とパティはもう死んだのだ。わし がその首を突き刺しておる。これを見よ。お前たちは何のために戦うのか。 わしに降伏するが良いぞ。お前たちは下っぱで,きっと何もわかっていな いのだから。キ・マタウンが主の死に従ったのは当然のことだ。ともに良 い思いを享受したのだから」。ジパンの者たちはこれを聞くとみな降伏す る気になり,武器を束ねて西岸へ渡るとラデン・ガベヒの前に平伏し,み な宿営に連れていかれた。 その夜キ・パマナハン,キ・パンジャウィ,キ・ジュル,ラデン・ガベ ヒの 4 人は誰がパナンサンを殺したかについて話しあった。キ・ジュルは キ・パマナハンに言った。「いかがお考えか。パナンサンを殺したのはラ デン・ガベヒであるからと,スルタン陛下に本当のところを申されるおつ もりか」。キ・パマナハンは答えた。「さてよ,パナンサンを殺したのは疑 いなくこの者であるから,わしはただ真実を申し上げるつもりだ」。キ・ ジュルは再び言った。「愚考するに,貴公がキ・パンジャウィとともにキ・ パマナハンを殺したと認められるのが宜しかろう。なぜなら,もしもラデ ン・ガベヒがパナンサンを殺したと言上すれば,美麗な衣服といった類の もので報われるだけに終わるでしょう。ラデン・ガベヒはまだ若いのだか

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ら美しい着物がきっと好きなはずだからと,国を褒美に貰うことはありえ ないでしょう。加えて,すでにスルタン陛下の長男として迎えられている ので,スルタン陛下は自分の思うままの褒美を与えて済ますことができま しょう。もし貴公がキ・パンジャウィとともにと主張なさるなら,パティ とマタラムの国を報酬として受けとることができましょう」。キ・パマナ ハンとキ・パンジャウィはキ・ジュルの言葉を聞いておおいに喜び,これ に従うことにした。ラデン・ガベヒもまたこの相談に従い,そして全軍に 対してパナンサンを殺したのはキ・パマナハンとキ・パンジャウィである と申し渡した。 翌朝そこを発って,パジャンのスルタンのもとに参上すべく,降伏した ジパン勢を連れて帰陣した。スルタン陛下の前に参上するや,急ぎ訊かれ た。「パンジャウィ兄,パマナハン兄,首尾よくいったか」。キ・パマナハ ンは,パナンサンは戦いのなかでキ・パンジャウィとともに見事に仕留め, ジパン勢はすべて降伏したことを申し上げた。スルタン陛下はおおいにお 喜びになり,ジパンのマントリにお尋ねになった。「ジパンのマントリよ, アルヤ・パナンサンにはアルヤ・マタラムという弟がいた。今どこにいる か」。ジパンのマントリは跪拝して答えた。「陛下,アルヤ・パナンサン様 が出陣なさろうとしたとき,アルヤ・マタラム様は兄上を放さずに軍勢を 待つよう強く引き止められましたが,兄上は激怒され厳しく叱りつけられ ました。アルヤ・マタラム様は気分を害され出て行かれました。どこへ行 かれたものかわかりませぬ」 スルタン陛下はあらためて申された。「パマナハン兄,わしは貴公とパ ンジャウィ兄におおいに感謝する。報償のパティとマタラムの国について は,貴公自身とパンジャウィ兄で分けあうがよい。貴公が年上なので,好 きな方を選ばれるがよかろう」。キ・パマナハンは答えた。「私が年長なの だから,良くない方にすべきでしょう。まだ森でしかないものを選ぶこと

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としましょう。パンジャウィはパティを受けとるがよい。すでに町ができ ていて人も多い。私はまだ森であるマタラムにしましょう」。スルタンは 再び申された。「両人ともそれでよいなら,パンジャウィ兄はここからパ ティに直行するがよい。パティの国をよく治められよ。マタラムの国は後 でわしがパジャンに戻ってから,パマナハン兄に与えるとしよう。そして パマナハン兄よ,貴公はここからわしと一緒に戻らずに,まずダナラジャ に行き,姉上に,パナンサンめは貴公とパンジャウィ兄によってすでに死 んだことをお知らせし,そしてわしが,姉上は苦行から解き放たれ着物を まとわれるよう申しているとお伝えしてくれ。貴公は長居せずにすぐに戻 られよ」 キ・パマナハンは承知しましたと申し上げ,こうしてみな出立した。ス ルタン陛下はパジャンにお戻りになり,キ・パンジャウィはパティへ,キ・ パマナハンはダナラジャ山へむかった。キ・パンジャウィはパティに着く と,キヤイ・アグン・パティと称し,豊かな生活を享受した。その時パティ の人口は 1 万を数えた。 キ・パマナハンはダナラジャ山に至った。そしてラトゥ・カリニャマッ トに,パナンサンは自分とキ・パンジャウィが戦いのなかで殺したことを 申し上げた。ラトゥ・カリニャマットはそれを聞くとたいそうお喜びにな り,素早く長布を身につけて申された。「この上なき幸いに存じます,そ なた,ジパンめがそなたにより殺されたとは。ではわたくしはそなたに仕 えねばなりません。いますぐカリニャマット国とプラワタ国をお受けとり くだされ」。キ・パマナハンはお答えした。「姉上様,身共はすでにマタラ ム国で報いられ,パンジャウィもまたパティ国であります。カリニャマッ ト国とプラワタ国は,あなた様の弟君のスルタン陛下にお渡しなさいませ」。 ラトゥ・カリニャマットはまた申された。「そなた,そういうことならば, わたくしの財産だけでもお受けとりくだされ。マタラムの国を整える費え

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をまかなうのに使えましょう」。キ・パマナハンは申し上げた。「その財宝 も辞退申し上げます。スルタン陛下に差しだされるのがよろしゅうござい ます。家宝にするにふさわしいものだけ姉上様ご自身からいただきとうご ざいます」。ラトゥ・カリニャマットはそれを手渡しながら申された。「ご 覧ください,そなた,わたくしのプサカはこのふたつの指輪だけです。ひ とつはルビーでムンジャンガン・バン Menjangan-Bang といい,もうひと つはダイヤモンドでウルック Uluk といいます」。キ・パマナハンは受け とって礼を言った。ラトゥ・カリニャマットは重ねて申された。「されど, 覚えておきなされ,そなた,このプサカをわが弟なる王に知られぬよう努 めて秘密にしておきなされ。もし知られたら,きっとそなたを悪く思うで しょう。そして,この女たちをみなお受けとりくだされ。これらはみな, カリニャマットとプラワタのいまは亡きそなたの兄上の側女でした。わた くしには身の回りの世話をする年配のものだけ残すことにいたしましょう」。 キ・パマナハンはお心のままにと申し上げた。 こうしてキ・パマナハンは別れを告げ,女たちを連れ財宝を運んでいっ た。道中スセラに立ち寄り,一族のものたちにマタラムに住むことを申し 渡した。スセラの一族はみなキ・パマナハンを慕っていたので,これに従 い,その数は150人に上った。こうしてキ・パマナハンはスセラを離れた。 キ・パマナハンはパジャンに着くとスルタン陛下のもとに参上し,ダナ ラジャ山への使いについて報告するとともに,ラトゥ・カリニャマットか らの財宝と女たちを差し出した。スルタンは申された。「貴公の働きはま ことに大儀であった。この贈り物は自分でもっておくがよい。アルヤ・パ ナンサンの死とその国を手に入れるについて,貴公の果たした手柄はまこ とに大きいのだから,わしは受けとらないことにする。女たちから選ぶだ けにして,気に入ったものがいれば貰うことにしよう」。キ・パマナハン は大変ありがたきことと申し上げ,女たちをみなスルタン陛下の前にはべ

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らせた。スルタンはお気にめした 1 人だけお選びになった。しかしまだ小 さかった。スルタンはキ・パマナハンに申された。「貴公,わしはこの女 児だけもらうとしよう。しかし,貴公に預ける。よく面倒を見てくれ。や がて年頃になったらもらい受けるので,王宮にその旨知らせてくれ」。キ・ パマナハンは心得ましたと申し上げた。スルタン陛下はかさねてキ・パマ ナハンに申された。「貴公,とりあえず家に戻られよ。後に,わしが謁見 の場に出たときに,マタラムの地を貴公に与えよう」。キ・パマナハンは 御意のままにと申し上げ,家に帰った。 さて,それから長い時間がながれ,その間スルタン陛下は何度も謁見の 場に上がられたけれども,マタラムの地について何も申されなかった。キ・ パマナハンはマタラムの地を報奨として受けとることをひたすら願いつづ けた。キヤイ・ジュルは,王が言葉を違えるのは慣習ではないのだからと, 我慢するようたえず助言し続けた。しかしキ・パマナハンは面目を失って 恥ずかしく,裏切られたとスルタン陛下を深く恨んだ。

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