【解 題】 江戸期の八斎戒本の流布と本書の意義 『戒 法 随 身 記』 (下 巻) は、八 斎 戒 章 と な っ て い る。こ の 八 斎 戒 と は、い わ ゆ る 在 家 の 優 婆 塞、優 婆 夷 が 近 住 (律 儀) と 同 様 に 一 日 一 夜 な ど の 期 限 を設けて守るべき、不殺生戒、不盗戒、不婬戒、不妄語戒、不飲酒戒、不 坐高広大床戒、不著香華鬘不香塗身及び不歌舞倡妓不往観聴戒、不非時食 戒の八つの戒相をさす。本書下巻では、妙幢律師自身がその序文に、 「夫 八 齋 戒 の 利 益 大 哉。 (中 略) 誠 C 人 滅 罪 の 神 術。下 根 相 應 の u 藥 な り。佛 法 修 行 の 世 人。ま づ こ れ を 持 ず ん バ。あ る べ か ら ず。 (中 略) 齋 戒 を う る こ と。 一 日 一 夜 の 㓛 德 す ぐ れ た り。 (中 略) 今 我 佛 道 を う る 亊 ハ。本 此 八 齋 戒 よ り お こ れ り と い へ り。 (中 略) 略 聖 教 の 要 文 を 集 め。こ れ を 和 字 と な し て。漫 に 梓 に 鋟。 (中 略) 請 和 字 な る を も つ て。 R 忽 に す る こ と な か れ。𣵀 槃 I に 云。法 に 依 て 人 に よ ら ざ れ。義 に 依 て.語 に よ ら ざ れ と。そ れ こ れ を 思 へ よ や。因 てこれを序とす。 」 と記しているように、八斎戒を護持することの意義やその功徳、さらに八 斎戒に関わる持斎の心得、斎日などの諸事を、多くの聖教から典拠引用し て要文を挙げて、ここに詳細に教説しているのである。以下に各節につい て、その特徴を述べてみたいが、その前に若干、当時の八斎戒に関する書 籍の流布について述べることにする。 妙幢律師が、本書序文に「近ハ興正菩薩の八齋戒作法の類。幸に世に傳 れり。間又これを註する人あり。これを講ずる人あり。これを授る人。又 す く な か ら ず。 」と 述 べ て い る よ う に、江 戸 前 期 の こ の 頃 は、我 が 国 で 最 〔資 料〕
妙幢淨慧撰『戒法隨身
G
八齋戒章下』
『懴悔通用』翻刻と解題(三)了
藤谷厚生
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大久保美玲
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関口靜雄
も八斎戒が一般に普及した時期であったと言えるのである。この時期に開 版上梓されたもので市井に流布した書籍には、主に次のものが挙げられる。 [江戸期の八斎戒関連書籍一覧] ◦『八戒齋要集』一巻:以空撰、寛文六年 (一六六六) 刊 ◦『八齋戒作法』一巻:叡尊作 ・ 薩州癡通誌、寛文十一年 (一六七一) 刊 ◦「八齋戒第七」 (『修善要法集』中巻) :圓忍述、延宝二年 (一六七四) 刊 ◦『八齋戒作法』一巻:延宝九年 (一六八一) 刊 ◦『八齋戒作法』一巻:貞享三年 (一六八六) 刊 ◦『八齋戒作法要解』二巻:一雨子述、貞享三年 (一六八六) 刊 ◦『戒法随身記 八齋戒章 下』 :浄慧撰、貞享四年 (一六八七) 正月刊 ◦『八齋戒儀連珠記』一巻:洞空述、貞享四年 (一六八七) 刊 ◦『八齋戒勧善要門』一巻:瑞光編、貞享四年 (一六八七) 刊 ◦『八齋戒作法得道鈔』二巻:通玄述、正徳五年 (一七一五) 刊 ま ず、 『八 戒 齋 要 集』は 別 に『八 齋 戒 要 集』と も 呼 ば れ る も の で、こ れ は木食上人以空が道俗の八斎戒随行の為に要文を集めたものを、寛文六年 四 月 に 京 都 ・ 中 村 七 兵 衛 が 開 版 し た も の で あ る。以 空 上 人 (一 六 三 六 ~ 一 七一九) は、大阪摂津の勝尾寺の真言律僧で、万治二年 (一六五九) 三月高 野山で出家し加行遂行の後、翌三年伝法灌頂を受けて真別処に於いて自誓 受具した僧である。その後、勝尾寺に住して木食行をなし、聖天供修行僧 としても知られる。次に『八齋戒作法』は『齋別受八戒作法』とも呼ばれ、 興 正 菩 薩 叡 尊 作 の「八 斎 戒 作 法」を 薩 州 の 癡 通 (生 没 年 不 詳) が 編 集 し、 学苑 第九六五号 一 ~ 四七 (二〇二一 ・ 三)寛文十一年九月に京都 ・ 丁字屋源兵衛から出版されたものである。叡尊作 の『八斎戒作法』一巻は、このほか、延宝九年には京都 ・ 村井九良兵衛か ら上梓され、貞享三年にも刊行されているなど、この時期の八斎戒作法書 としては最も流布した書籍と言えるものである。こういった八斎戒の作法 書 の 流 布 に と も な っ て、八 斎 戒 に つ い て の 解 説 書 と も 言 う べ き も の が、 続々と出版されることとなった。 「八 齋 戒 第 七 (凡 十 四 章) 」 (『修 善 要 法 集』中 巻) は、真 言 律 神 鳳 寺 一 派 の 首 座 (第 一 世) と な っ た 真 政 圓 忍 が 編 集 し た も の で あ り、大 鳥 山 神 鳳 寺 で の開版ではあるが、延宝二年四月に京都三条の麩屋傳左衛門に委託出版さ れたものである。この『修善要法集』中巻は、所謂戒律随行の書となって お り、そ こ に は 三 帰 (四 章) 、五 戒 (六 章) 、八 斎 戒 (十 四 章) 、十 善 戒 (四 章) の 内 容 が 所 載 さ れ、八 斎 戒 に つ い て の 内 容 (戒 相、因 縁、授 戒 法、功 徳 な ど の 要 文) が か な り の 紙 数 を 割 い て 詳 細 に 述 べ ら れ て い る。神 鳳 寺 一 派 の末寺ではこの書の授戒法に基づき、実際に律僧から在家者に授戒がなさ れた経緯があることから、この書も当時は律僧衆に相当に普及していたと 考えられる。真政律師は、黄檗宗の木庵禅師が開いた第二次黄檗授戒会に 尊証阿闍梨として招請された唯一の日本僧であり、持戒堅固な律僧として は極めて黄檗僧との交流の深い人物でもある。また先に述べた『八戒齋要 集』の作者の以空上人が、高野山真別処で万治三年頃に自誓受具をしてい るが、この時期の真別処の住持が真政律師であり、以空上人の受具に関わ ったのは、律師か或いはその高弟 ・ 快円律師であることは間違いあるまい。 さらに、以空上人が高野山から勝尾寺に入る直前には、真政律師が勝尾寺 に数年隠遁した経緯もあることから、両者にはそれなりの交渉があったも のと推測される。 次 に『八 齋 戒 作 法 要 解』は、 『齋 別 受 八 戒 作 法 要 解』と も 呼 ば れ、序 文 が 実 長 乗 春、本 文 が 薩 陽 の 沙 門 一 雨 子 (覚 深 豪 寛) が 延 宝 七 年 仏 誕 日 に 著 したものとされる。これは、叡尊作の「八齋戒作法」の本文を分科して、 科段形式にして註釈を施した解説書であり、貞享三年に京都 ・ 中村七兵衛、 内藤源兵衛の連名で上梓されている。また、翌四年には西山浄土宗 ・ 山城 安養寺の僧で、浄厳律師より菩薩戒を受け、後に円頓戒を宣揚した慈泉洞 空 が『八 齋 戒 儀 連 珠 記』 (『八 齋 戒 作 法 珠 記』 ) を 京 都 ・ 秋 田 屋 五 郎 兵 衛 よ り 開 版 し、ま た 同 年 に は 瑞 光 (神 鳳 寺 一 派 の 瑞 光 密 堂 か) が『八 齋 戒 勧 善 要 門』を大阪 ・ 前川喜兵衛より梓行している。さらに、正徳五年には野中寺 一派の通玄直心が大阪 ・ 浅野弥兵衛より、 『八齋戒作法得道鈔』を出版し、 今日この書は日本大蔵経第六九巻に翻刻所収され、容易に目にすることが できる。 以上のように、この時期に出版された八斎戒に関する書籍についての簡 単な経緯を述べたが、ここで本書上梓の位置を見ると、本書『戒法随身記 八 齋 戒 章 下』は、妙 幢 律 師 が 貞 享 三 年 (一 六 八 六) 十 二 月 二 十 一 日 に 書 き 終 え て、翌 四 年 正 月 に 出 版 さ れ て い る。前 号 (「学 苑」九 六 〇 号) の 本 書 中 巻 の解題でも述べたが、この貞享の頃は幕藩体制下で所謂「生類憐み」の政 策が推進された時流にあり、社会全体が綱紀粛正の傾向にあった中で、特 に仏教者側からの戒律普及が推進された時期でもあった。このような傾向 は、八斎戒関係の書籍が貞享三、四年の頃に最も多く出版されていること か ら も よ く 窺 い 知 れ る。し か し な が ら、こ れ ら 八 斎 戒 関 係 の 典 籍 と 本 書 『戒 法 随 身 記 八 齋 戒 章 下』の 決 定 的 な 相 違 点 は、本 書 が よ り 一 般 大 衆 に 向 け て 理 解 し 易 い よ う に 工 夫 さ れ、当 時 と し て は 珍 し い 和 語 (仮 名 交 じ り 草 書 体) で編集刊行されている点である。他の戒律書、仏教書 (格調高い学問書 籍) は す べ て 漢 文 で 編 集 さ れ る の が 当 た り 前 と さ れ て い た 時 代 に、敢 え て 権威的な形式を打ち破り、平易な仮名交じりで撰述された本書は、当時と しては極めて画期的な戒律書であり、そこに実質的な仏教の普及と興隆に 心血を注いだ妙幢律師の仏教者としての面目躍如たる姿が見てとれる。 こ の こ と は、妙 幢 律 師 が 本 書 の 序 文 に「請 和 字 な る を も つ て。 R 忽 に す る こ と な か れ。 」と 述 べ、さ ら に 本 書「十 二 同 自 誓 の 作 法 の 事」に 「謹 て I 律 の 意 を と り。文 を 和 げ て。具 に こ れ を G す。そ れ 假 名 な る を も つ て。疑 て 猶 預 す る こ と な か れ。 (中 略) 然 る に 愚 人 ハ ミ だ り に 文 字 に F し。達人ハよく義理を取。是をもつて法句 I の偈に云。千 J を誦ずといへ ども。不義ならバ何の益かあらん。一義を聞て行じて度すべきにハしかじ と い へ り。冀 ハ 識 力 堅 固 の 時 一 刀 两 斷 し て。早 こ れ を 行 ぜ よ。 」と 述 べ て いることからも察せられる。しかし、ここで律師が「不義ならバ何の益か
あらん。一義を聞て行じて度すべきにハしかじ」と言っているように、難 しい漢語を何度も唱えたところで、それらの意味を理解していないならば 無意味なのであり、少しでも意味が理解された上でこそ行じられるべきだ との主張に、律師の批判的で実理性を重んじた戒律普及の姿勢が明確に見 受けられる。思うに、律師の受業の師である宝山和尚や随従した鉄眼禅師 は、当時最も仏教復興に尽力し大衆に仏教を布教したと評される活動家で もあった。それ故、律師の心中にもそういった大衆への強い仏教普及への 思いがあったことは容易に想像され得る。そういった意味で、本書は我が 国で初めて和語で平易に説かれた画期的な戒律書と言うべきものであり、 これを通してより大衆に八斎戒の受容が推し広められた意義は極めて大き いと考える。 さ て、本 書『戒 法 随 身 記 八 齋 戒 章 下』は 三 十 四 節 か ら な り、特 に 最 も 紙 数 を 割 い て 詳 述 さ れ て い る 所 は、 「九 不 非 時 ⻝ 戒 の 事」と「三 十 六 齋 日の因縁の亊」の二節である。これは八斎戒は斎戒であり、大智度論など の 所 説 に よ り、持 戒 と 言 う よ り は む し ろ 持 斎 (斎 と は 午 前 に の み 飲 食 し、午 後 に は せ ぬ の 意) に こ そ 重 点 が あ る と、律 師 が 捉 え て い る か ら で あ る。以 下に、特徴を述べるならば、 まず、 「一 八齋戒の㓛德の亊」では、 「就中此八齋戒ハ。持間。わづか に一日一夜の短程なれども。無量無 u の利益。説盡べからずといへり。 」、 「夫八戒をうくる人ハ。五逆罪を除て。餘の一 Q の罪悉皆消滅す。 」また、 「 M 一 日 一 夜 八 齋 戒 を う く れ ば 乃 至 戒 香 薫 修 す。か く の ご と き の 行 者 ハ。命 をはらんとする Q 。阿ミた仏諸の眷属と。金色の光を放て。七寳蓮 k を持 し。行者の前にいたり給ふを見る」とあるように、一日一夜の短期間では あるが、八斎戒を守れば、過去世に於ける一切の罪が消滅することや、臨 終の時には阿弥陀仏の来迎に逢い極楽に引接されることなどが説かれてい る。ところで、ここで五逆罪の説明をしている箇所が見られるが、五逆罪 の「仏身より血を出す罪」に対して、卒塔婆や石塔を破却したり、仏像や 経巻を悪心で以て破損することは、この罪と同等の「同類罪」として解釈 し強調している点は、律師独特の実利的な側面の解釈が窺えて興味深いと ころでもある。 「二 殺 生 戒 の 事」か ら「六 飮 酒 戒 の 事」ま で は、本 書 中 巻 に 説 く 所 の 在 家 の 五 戒 で あ る の で、特 に こ こ で は 内 容 は 省 略 さ れ て い る が、 「四 不婬戒の事」では、所謂在家の不邪淫戒ではなく、性交渉を厳格に断った 出 家 の 戒 の こ と と し て 説 明 し て い る。 「七 不 P 髙 廣 大 床 戒 の 㕝」で は、 座 し た り 寝 て は い け な い 高 床 (ベ ッ ド) の 高 さ や 寸 法 に ま で に 言 及 し、八 つ の 禁 じ ら れ た 高 床 を 例 に 挙 げ て 説 く の で あ る。さ ら に、 「八 不 F k 鬘 香衣等の戒の事」では第七不着花鬘香衣并歌舞作樂故徃觀聽戒とされるが、 これは不着花鬘香衣と不歌舞作樂故徃觀聴戒を合わせて一戒と為している のである。これらは、つまり沙弥の十戒に対応するものであり、在家者が 期 限 を 設 け て 一 時 的 に 出 家 者 (沙 弥) と 同 等 の 戒 を 持 つ と こ ろ に、こ の 八 斎戒の特徴がある訳である。 「九 不 非 時 ⻝ 戒 の 事」で は、八 斎 戒 の 戒 相 の 区 別 に 諸 経 諸 説 が 見 ら れ るが、ここでは「 V 正菩薩のつくり給へる。八齋戒の作法につらぬる処を 用ゆ。彼此文相。少し増減あれども義にをいてハたがふことなし」と述べ、 本 書『戒 法 随 身 記 八 齋 戒 章 下』が 四 分 律 に 則 っ た 叡 尊 作 の「八 齋 戒 作 法」 に 依 拠 し て 詳 述 さ れ て い る こ と を 明 示 し て い る。次 に、 「成 實 論 に 云。 M 飮⻝を J れば。死して則。死屍の中の虫となるといへり。されば常にすぐ れ て す き 好 も の あ ら バ。制 し て こ れ を 絶 つ べ し。 」と 言 っ て、飲 食 へ の 執 着 を 断 つ こ と を 勧 め る の で る。ま た、 「儒 の 教 に 云。一 ⻝ ご と に。稼 穡 の 艱難を思ひ。一衣ごとに 。 紡績の苦労を觀ぜよと。まして况や。佛道にを い て を や。 」と 述 べ て、こ こ で は 貞 観 政 要 の 文 を 引 用 し な が ら も、儒 仏 一 致 の 立 場 を 明 ら か に す る の で あ る。さ ら に、 「慈 悲 心 を も つ て 晩 に ⻝ す べ き X を法界に施。是を菩提に廽向せば。其㓛德固に大なるべし。 」と言い、 また「如法の施餓 Z を修せば㓛德増多からん。施餓 Z の法世に行るゝがご と し」と 述 べ て、施 餓 鬼 の 重 要 性 を 説 き、 「六 齋 精 進 㓛 德 I に 云。一 日 持 齋 す る 人 ハ。六 十 萬 刧 の 間 衣 ⻝ 自 在 の 果 報 を う く と。 」や「優 婆 塞 戒 I に 云。彌勒出世の時。百年持齋せんより。𫝆五濁の世に。一日一夜持齋する 㓛 德。す ぐ れ た り と い へ り。 」と 述 べ る な ど、こ こ で は 多 く の 聖 教 を 引 用 して、不非時食や持斎の功徳や重要性を説くのである。 「十 持 齋 に 三 叚 の 心 得 あ る 亊」で は、持 斎 の あ り 方 に は 三 種 あ り と さ
れる。第一は牧牛斎と言われるもので、今は持斎しても明日食することに 執らわれ食に執着することである。第二は尼犍斎と言われるもので、外道 の邪法を学び持斎することである。そして、第三が聖八支斎と言われるも ので、八戒の聖道を保って斎法を守る心構えであり、仏法斎とも八関斎と も呼ばれる。これが八斎戒であり、仏の正道とされると強調される。ここ では、単に持斎すれば良いのではなく、八戒を堅持することが正道という 心構えを持つことの重要性が説かれる。 さて「十一 八齋戒從他の威儀の亊」では、 「夫八齋戒を受とおもはゞ。 身を淨威儀を具し。恭しく戒師につひて。教に任て如法にこれをうくべし。 これを授るの法。はゞかりあればしるさず」と述べるだけである。ここで は、叡尊作の「従他受戒法」は一切示されていない。それは、従他受戒法 があくまで戒師から受けるべきものであるからである。他の八斎戒の書籍 は、いわば出家者に向けての解説書であり、従他受戒法に対しての記載や 説明があるのに対して、本書は一般大衆向けに編纂された八斎戒の啓蒙書 で あ る こ と が、こ こ の 件 か ら 明 確 に 分 か る。一 方、 「十 二 同 自 誓 の 作 法 の事」では、達磨大師や善導大師の説を用いて懺悔の重要性を説いた上で、 「某 甲 名 を い ふ べ し 今 一 日 一 夜 八 齋 戒 を 受 持 奉 ら ん と。か く の ご と く 三 度 となへ。廽向して云。願ハ某甲。一日一夜八齋戒を持㓛德によつて。なが く三 C 八難にをちず。只願ハ一 Q 衆生と同じく共に。諸の煩惱罪障を滅し。 萬 の 災 難 を は な れ。臨 終 正 W に 淨 土 に 徃 生 し て。佛 道 を 成 就 せ ん と。 (後 略) 」と 述 べ て、八 斎 戒 の 自 誓 方 法 を 分 か り 易 く 説 明 し て い る。自 誓 法 は 戒師より一度在家戒を受戒した者は、何度でも自身のみで受戒できるので、 自誓法を有効な方法としてここでは説くのである。また、ここで「臨終正 W に淨土に徃生して。佛道を成就せん」と言っているように、律師自身が 黄檗一流の禅浄一致の立場で、願生浄土の思想に立脚していることも覗え る。 「十 三 五 戒 八 戒 勝 劣 の 亊」で は、一 生 五 戒 を 守 る こ と と、一 日 八 戒 を 守ることとでは、どちらが優れているかの問いに対して、二戒ともに等し い と し な が ら も、大 心 (大 菩 提 心) を 以 て 戒 を 受 持 す る こ と が 大 事 で あ る と、むしろ菩提心の重要性を説くのである。 「十 四 受 戒 の 前 の 悪 意 樂 の 事」で は、受 戒 前 に 悪 意 楽 を 行 お う と す る も の が あ る が、そ の よ う な 卑 し き 心 で は、仏 道 は 成 就 せ ず と 強 く 誡 め、 「十 五 戒 を 受 と ほ つ す る 貴 人 心 得 の 亊」と「十 六 受 戒 の 日 意 樂 を つ ゝ しむべき亊」では、八斎戒を守るべき斎日には、殺生等を慎むべきこと、 戒を受持するには慈心を持つことが説かれる。 「十七 受戒の夜卧に了簡ある事」では、 「問一日一夜とあれば。夜も寢 ずして。相まぼる亊にや。答佛說齋 I によらば。夜も日待などするがごと く。お き ゐ て。い ね ざ る べ し。 (中 略) 睡 卧 こ と を や め 除 き。 I を 誦 し。 道 を W じ て。清 浄 戒 の ご と く に。も つ て 一 心 に し ゆ す と い へ り。 」と あ る ように、原則的には一日一夜、寝ることなく、誦経や瞑想、念仏などして、 八 戒 を 護 持 す る こ と が 説 か れ る が、一 方 で「こ ゝ を も つ て 終 f 寢 ず と い はゞ。恐ハ持んとするものすくなからんか。こゝをもつて。一夜を三 X に し て。一 分 ハ ふ す べ し。 」と も 述 べ て、菩 薩 受 斎 経 を 引 拠 と し て、一 夜 の 三 分 の 一 (二 刻) で あ る 四 時 間 は 分 に 応 じ て 寝 て も 良 い と の 便 法 も こ こ に は 述 べ ら れ る。ま た こ の 他 に、 「成 實 論 に。八 戒 の 中 を。五 戒 三 戒。乃 至 ハ一戒にても心に隨て。これを持。或ハ半日又ハ半夜。或ハ一月半月つゞ けても持べしといへり。 」 と述べて、 八戒の内のそれぞれの戒の分持や半日 半夜、一月半月と期限を変えて、機根や分限に応じて八斎戒を護持するこ とが可能であると説明するのである。また「十八 齋戒を持日ごとにうく る と う け ざ る と の 二 説 あ る 亊 」 で は 、 八 斎 戒 の 受 戒 は 持 斎 を 行 う た び ご と に 為 す 可 き か 否 か の 問 い に 対 し て 、 毎 回 そ の た び ご と に 戒 を 受 け る べ き と す る 新 羅 の 太 賢 の 説 と、 一 度 受 戒 す れ ば 続 け て 持 斎 す る の は 可 と す る 慈 恩 大 師 基の説を挙げ、 「今ハ太賢の心にしたがひてたびごとに受をよしとす」 と述 べて、短期に八斎戒を行ずる者はその度ごとに受戒することが主張される。 次 に「十 九 少 ⻝ と 齋 の 間 の 心 得 の 事」で は、少 食 (朝 粥) か ら 斎 食 (日 中 前 の 食) ま で の 間 の 飲 食 は 可 能 で あ る が、そ の 心 構 え の あ り 方 や 八 斎 戒 は 出 家 戒 に 準 ず る 在 家 戒 で あ る 旨 が 示 さ れ、 「二 十 少 ⻝ の 因 縁 の 亊」 で は、少 食 (正 食) と 呼 ぶ こ と の 由 来 や「畢 竟 ハ 識 力 を や し な ふ 藥 と 觀 ぜ よ。 」と述べて、その意義を明かし、 「 c 一 朝粥を⻝する時 X の亊」では、 三番明相と言って、朝粥を取るには夜が明け手筋が見えるほどの時分が良
く、それ以前は不可とされるなどの説明がなされている。 「 c 二 時節はやく齋をなしたるにハ㓛德ある亊」では、 「齋を⻝する時 節 ハ。日 中 ま へ 可 な る べ し。 」と し て、斎 食 を 取 る の は 午 前 (日 中 勤 行 前) の 時 間 帯 が 良 く、日 中 (正 午) に 及 ぶ 場 合 は、律 門 五 篇 の 突 吉 羅 罪 に 当 た るとされる。ここでは早き時刻の斎食ほど良いとしているが、一度斎食し た 後 は、昼 前 と 雖 も 何 も 口 に し て は な ら な い こ と が 強 調 さ れ、 「予 は じ め し ら ず し て。し ば 〳〵 こ の 科 を 犯 ぜ り。愚 貪 の 罪。實 に お そ れ は づ る に た へ た り。讖 悔 の 為 こ れ を の す。 」と 述 べ て、自 ら も 知 ら ず 斎 食 の 後 に 飲 食 をしたことがあることを悔いて告白している。 「 l 三 齋 の 後 わ き ま ふ べ き 事」で は、斎 食 の 後 は 楊 枝 を 用 い て 口 を 漱 ぐことが説かれ、口を漱いだ後は一切何物も食してはならないと警めてい る。ま た、 「 l 四 非 時 に の む べ き も の ゝ 事」で は、非 時 に 於 い て は 一 切 食してはならず、木の実や穀物の一粒も食してはならないが、喉が渇き飢 え を 感 じ た 時 は、穀 物 大 豆 麦 等 の 上 湯 (上 澄 み) は 飲 ん で も 良 い と さ れ、 四分律により草木の根葉も、薬として服用することは可とされていること が述べられる。 「 l 五 石蜜の辨の事」では、石蜜についての細かな説明を記している。 石 蜜 と は 砂 糖 の 塊、つ ま り 氷 砂 糖 の 類 で あ り、 『行 事 鈔 資 持 記』に は 黒 石 蜜 な ど の 記 載 が あ り、疲 労 の 補 薬 と し て 用 い る は 可 と さ れ る が、律 師 は 「⻝ 欲 愚 痴 の 輩 に ハ。ミ だ り に と く べ か ら ず。恐 く ハ こ れ を 好 幸 と し て。 (中 略) 因 緣 を も し ら ず。肆 ま ゝ に ⻝ J を 生 ぜ む。 」と 言 っ て、こ れ を 押 し 留める旨を示している。 「 l 六 齋戒をうけし日の心持の亊」では、 「佛說 齋 I に よ る に。五 W と い ふ 事 あ り。そ の 條 目 を あ げ ば。 W 佛 。 W 法 。 W 僧 。 W 戒 。 W 天是也」と言って、ここでは五念の内容を説明して、斎戒を 受けた日は機根に応じて随意この念を為す可しとしている。 ま た「 c 七 禪 宗 持 齋 の 例 を 引 事」で は、 「問 禪 宗 ハ 禅 定 を も つ て 要 と す な ん ぞ 持 齋 に 抱 ら ん や。答 き か ず や 趙 州 和 尚 ハ。一 生 持 齋 し 給 へ り。 (中 略) 近 代 の 髙 僧。知 旭 禅 師 の 云 予 e 山 に い た り し 時 は じ め て。一 ⻝ の 法をうくといへり。これ非をしつてよくあらたむ。知識たるゆへんなり。 (中 略) 夫 持 齋 ハ 僧 の 通 法。何 の 宗 か 是 を 非 と せ ん。 」と 述 べ て、禅 門 唐 代 の高僧である趙州従諗や明代高僧の智旭藕益などは、みな持斎を厳守した 旨を語り、持斎は仏教僧が守るべき共通の教えであり、どの宗派の僧徒で もこれを守るべき事を主張している。 さらに、 「 c 八 淨土宗持齋の證拠をあぐる亊」では、 「問淨圡教に。八 齋戒持證ありや。答夫觀 I に頻婆娑羅王。日々八齋戒をうけ給ふ事をのべ。 (中 略) 中 品 中 生 と い つ ぱ。衆 生 あ つ て。 M く ハ 一 日 一 夜 八 齋 戒 を 受 持 等 の 文 是 な り。 (中 略) 一 向 に W 佛 し。 X に 應 じ て。善 根 を な し。齋 戒 を た も ち 塔 を た て。 (中 略) E 善 根 を も つ て。極 樂 に 徃 生 せ ん と Y 向 せ ば。其 人 の 臨 終 に。阿 弥 陀 仏 化 現 し 給 ひ。必 徃 生 す べ し と い へ り。 」と 述 べ て、 浄土門でも観経などには、持斎を厳守し弥陀来迎により往生する旨が説か れていることを明かし、また善導大師や法然上人も戒行兼備の専修の行人 であったと主張して、持斎の重要性を説き示すのである。 「 l 九 非時⻝の事」では、 「問在家すら。すでにかくのごとし。然るに 今僧として。非時⻝する事。其意いかん。答 E 義惮あれバ。卒尒に判しが た し。然 れ ど も い は ず ん バ。ミ だ り に 誹 謗 を 生 じ て。罪 に 墮 な ん。 」と あ る よ う に、こ こ で は こ れ ま で の 前 節 で は 午 後 (非 時) に 飲 食 を せ ず 持 斎 す ることを述べてきたが、実際には僧が非時に食をしている事があるではな い か と の 批 判 に 対 す る 答 釈 で あ る。 「夫 雲 棲 大 師 の 云。今 の 人。躰 よ は く 病多者。持齋なりがたきにより。故人晩⻝を藥石と名づけて。これを⻝す。 藥石とハ。饑渇のやまひをいやす藥との事なり。 M 非時⻝するもの。佛制 にたがふ亊をおそれて。慙愧の心を生じ。餓 Z のくるしミを W じ。信施を 觀 じ。慈 悲 心 に 住 し て。⻝ す べ し。多 放 に ⻝ す る 亊 な か れ。 」と 明 の 高 僧 雲棲袾宏の言葉を出して、薬石としての説明をしながらも多食を慎むべき ことを述べる。しかし一方で「むかしハ叡山天台宗ミな持齋なる亊を是皆 ⻝ 欲 の 為 な ら ず。名 利 J を は な れ て。只 誠 を も つ て。一 心 に 菩 提 を も と む。 」とも述べて、昔は叡山でも持斎が行われていたと暗に批判し、 「今僧 たる人。非時⻝する。なべてこれをそしるべからず。心行はかりがたけれ ば な り。 (中 略) 實 に 無 上 菩 提 心 を お こ し。善 心 に て。齋 戒 を 持。他 を す ゝ め て。こ れ を 持 し め。人 の 持 ざ る を も。そ し ら ず か ろ し め ず。 」と 述 べて、他者を批判することなく、自らはどうあるべきか、持斎堅持の重要
性を説くのである。ここでの件には妙幢律師の当時の僧風に対する些かな がらの批判も見られ、興味深いところでもある。 「三十 六齋日の因縁の亊」では、月の八日、十四日、十五日、廿三日、 廿九日、晦日の六斎日の由来、因縁、効果などを諸経疏の要文を引用しな が ら 詳 述 す る。 「此 日 齋 戒 を 持 ち。善 を 修 す る も の ハ。 C Z お そ れ て。わ ざ は ひ を な さ ず と い へ り。 (中 略) 六 齋 精 進 㓛 德 I に 云。⺼ の 八 日 ハ。太 子くだりて一 Q 衆生の善 C をしるす。 E 日持齋して。藥師佛を W じ奉ば。 糞 尿 地 獄 に を ち ず。五 十 刧 の 罪 を の ぞ く。 」と 言 い、こ の 日 に 持 斎 し 善 を 修せば災いから逃れることが説かれ、またそれぞれの斎日に特定の仏 ・ 菩 薩を念ずれば、諸処の地獄に堕落せず罪科から逃れられることも説かれる。 さらに「⺼の六齋日につくるところの罪業を懴悔して。この八齋戒をたも ち ぬ る Q ハ。一 Q の 罪 障 悉 消 滅 し。 (中 略) M 女 人 あ つ て。六 齋 の 法 を 修 すれば。ながく女身をはなれて。淨圡に徃生せんといへり。㓛德の甚深。 大都かくのごとし。 」と述べて、斎日による八斎戒の護持による罪障消滅、 女人往生など様々な功徳が、紙数を割いて事細かに説かれている。 ま た こ の 他、 「三 十 一 六 齋 日 の 事」 、「三 十 二 十 齋 日 の 亊」で は、そ れ ぞ れ 六 斎 日、十 斎 日 が 挙 げ ら れ、 「三 十 三 八 王 日 の 事」で は、立 春、 春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至などの八王日が、さらに「三 十 四 三 長 齋 の 亊」で は、正 月 (朔 日 か ら 十 五 日 ま で) 、五 月 (一 日 か ら 十 五 日 ま で) 、九 月 (一 日 か ら 十 五 日 ま で) の 長 期 に 亘 る 持 斎 で あ る 一 年 の 内 の 三長斎日が述べられている。最後に巻末の跋分では、律師は「幸に今 E 書 をもつて。愚闇をてらすの灯とし。菩提にのぼるの梯とせバ。 a ハそれ塗 炭にをつるの罪をまぬかれんことを。こゝをもつてうたがはしきをバ。律 師をよび禪淨の两宗。その餘の善知識にたづね决して。謹でこれをひろむ と し か い ふ。 」と 述 べ て、疑 念 の あ る 者 は 善 知 識 を 訪 ね て 問 う べ き 旨 を 説 いて筆を擱いている。 (藤谷) [参考文献] ◦ 「日 本 に お け る 長 斎 の 受 容」蓑 輪 顕 量 [『印 度 學 佛 教 學 研 究』第 四 七 巻 第 二 号 ・ 平成十一年三月]所収 ◦ 「神鳳寺の歴史」拙稿[ 『日本における戒律伝播の研究』 (元興寺文化財研究所) 二〇〇四年]所収 ◦ 「黄 檗 僧 妙 幢 浄 慧 と そ の 戒 律 論 書 に つ い て」拙 稿[ 『四 天 王 寺 大 学 紀 要』人 文 社会学部第五〇号 ・ 二〇一〇年九月]所載 【付 記】 な お、本 書『戒 法 随 身 記 八 齋 戒 章 下』は、後 に『八 齋 戒 随 身 記』一 巻 と し て 明 治 二 四 年 三 月 に 大 阪 市 南 区 鰻 谷 仲 之 町 の 中 井 印 刷 所(中 井 徳 次 郎)に 於 い て 再 版 さ れ て い る。ま た、本 稿 で 扱 っ た 八 戒 と 戒 相 同 等 の も の に「近 住 戒」が あ る が、こ れ は 八 斎 戒 と 趣 旨 が 異 な る の で 本 稿 で は ふ れ な か っ た。詳 し く は「戒 山 慧 堅 撰 『近 住 八 戒 威 儀 録 要』翻 刻 と 解 題」中 近 世 戒 律 文 化 翻 刻 研 究 会[ 「昭 和 女 子 大 学 文 化史研究] 10・ 二〇〇六年]所収等を参照されたし。
〔解 題〕 『戒法随身記』における引用典籍について(下) 『戒 法 随 身 記』は、上 巻「三 帰」 、中 巻「五 戒」 、下 巻「八 斎 戒」に つ い て、子供や在家信者にも分かりやすく「和語」で説いた戒法の入門書であ る。妙 幢 淨 慧 (~ 一 七 二 五) が 撰 述 し、貞 享 四 年 (一 六 八 七) 正 月 に 刊 行 さ れ た。特 に、在 家 信 者 が 月 の 特 定 の 日 (六 斎 日) に 出 家 生 活 に 倣 っ て 八 つ の戒を保つ「八斎戒」について説いた下巻は、後にこの冊が『八斎戒随身 記 1 』と し て 単 独 刊 行 さ れ て い る こ と か ら み て も、 「八 斎 戒」の 実 践 本 と し て長年月高い評価を得、かつ版行の需要があったと考えられる。 これまで上巻 ・ 中巻について調査を行った結果、大きな特徴として挙げ ら れ る の は、 『法 苑 珠 林』か ら の 引 用 に 多 く の 紙 幅 が 割 か れ て い る 点 で あ る。引 用 の 方 法 は、 「 法 ほう 苑 をん 珠 じゆ 林 りん に 毗 び 尼 に 毋 も 論 ろん を 引 ひゝ て 云 いはく 。」 (上 22ウ) と い う よ う に、 『法 苑 珠 林』か ら の 引 用 を 明 記 し て い る 箇 所 も あ る が、そ の 明 記 が ない部分も『法苑珠林』からの引用である可能性が高いことが分かった。 『法 苑 珠 林』は 唐 の 道 世 (~ 六 八 三) の 著 で 総 章 元 年 (六 六 八) に 成 立 し た 現代でいう仏教百科事典で、数多の聖教 ・ 典籍の引用などにより仏教の思 想や事柄について解説したものである。宗旨に関係なく、初学者が仏教の 基 礎 を 学 ぶ こ と が で き る 入 門 書 で あ り、 『戒 法 随 身 記』が『法 苑 珠 林』の 引用を中心として成り立っていることからも、子供や在家信者に配慮し、 仏教世界の理解をより容易にしたいという淨慧の意図が見て取れる。 ※ 今回翻刻を掲載する下巻は、上 ・ 中巻と同様多くの聖教 ・ 典籍からの引 用をもって「八斎戒」について解説している。下巻の特徴を二点挙げると、 ま ず 一 つ は、興 正 菩 薩 す な わ ち 叡 尊 (一 二 〇 一 ~ 一 二 九 〇) の『八 斎 戒 作 法』に記されている内容を主軸に据え「八斎戒」の作法や決まり事を説い て い る 点 で あ る。二 つ 目 は、上 ・ 中 巻 と 同 様、 『法 苑 珠 林』か ら の 引 用 が 多 く 見 ら れ る 点 で あ る。引 用 方 法 も 上 ・ 中 巻 と 同 様 に、 『法 苑 珠 林』か ら の引用を明記している場合もあるが、ない場合もある。しかし明記のない 場合でも、引用文を調査することで『法苑珠林』が引用元であることを確 認できた。 まず一つ目の特徴である『八斎戒作法』を主軸に解説を展開している点 に 関 し て 詳 し く 見 て い く。 『八 斎 戒 作 法 2 』は、叡 尊 が 記 し た 八 斎 戒 の 解 説 書 で、 『涅 槃 経』や『観 経』な ど 主 要 経 典 か ら の 引 用 を も っ て 八 斎 戒 を 保 つ意義について解説し、具体的な作法についても触れている。非常に簡潔 にまとめられており、八斎戒の実践を目指す在家信者にとって最適な手引 書となっている。淨慧は『戒法随身記』下巻序 (下 01ウ ・ 02オ) で、 こ ゝ に 佛 ぶつ 說 せつ 齋 さい I ぎやう 及 および 六 ろく 齋 さい 精 しやう 進 じん 㓛 く 德 どく I きやう 等 とう 。 近 ちかく ハ V こう 正 しやう 菩 ぼ 薩 さつ の 八 齋 さい 戒 かい 作 さ 法 はう の 類 たぐひ 。 幸 さいはい に 世 よ に 傅 つたは れ り。 間 まゝ 又 また こ れ を 註 ちう す る 人 ひと あ り。こ れ を 講 かう ず る 人 あ り。こ れ を 授 さづく る 人 ひと 。又 す く な か ら ず。 然 しかれ ど も 四 し 辯 べん 八 はつ 音 をん に あ ら ざ れ ば。 聾 りやう 者 しや 遠 をん 鄙 び の 耳 ミヽ に 入 いり が た く。 佶 きつ 屈 くつ 聱 がう 牙 が の 字 じ な れ ば。 童 どう 蒙 もう 兒 に 女 によ の 目 め に く ら し。こ ゝ に を い て。 略 ほゞ 聖 しやう 教 ぎやう の 要 よう 文 もん を 集 あつ め。こ れ を 和 わ 字 し と な し て。 漫 ミだり に 梓 あづさ に 鋟 ちりばむ 。 冀 こいねがハく ハ か の 法 ほう を き く こ と あ た は ざ る 人 ひと も。こ れ を 一 いち 覧 らん せ ば。 初 はじめ て 須 しゆ N だつ が 寳 はう 藏 ざう に 入 いり 。 字 じ 義 ぎ を 辨 わきまへ ざ る も。し ば 〳〵 こ れ を も て あ そ ば ゞ。お ぼ へ ず 芝 し 蘭 らん の 薫 かほり に そ ま ん。こ れ よ り し て 進 すゝま バ。 遠 とをく ハ 佛 ぶつ 説 せつ の 奥 おう 義 ぎ を 極 きはめ 。 近 ちかく ハ V かう 正 しやう の 流 ながれ に 漱 くちすゝがん 事 こと 。 E この 處 ことはり な し と い ふ べ か ら ず。 然 しからバ 則 すなハち 小 せう 補 ほ な き に し も あ ら ず。 請 こふ 和 わ 字 じ な る を も つ て。 R かろしめ 忽 いるかせ に することなかれ。 と記している。すなわち現代語訳すれば、 「『仏説斎経』及び『六斎精進功 徳 経』 、近 く は『八 斎 戒 作 法』が 幸 い 今 の 世 に 残 っ て お り、そ の 注 釈 書 も あり、講義する人もいる。しかし仏が善道に導く声のような四弁八音では ないため、ろう者の耳には届かず、堅苦しくて難解な文面であるため、子 どもや女性には分かりづらい。そこで、他の聖教の要文なども交えて和字 にしてまとめた。法を聞くこともできず、宝蔵に入って経典に触れること ができない者も、これを読むことで、仏説の奥義を極め、興正菩薩の流れ に身を置くことができるだろう。和字であるからといって、軽んずること の な い よ う に 願 う。 」と い う こ と だ。叡 尊 の『八 斎 戒 作 法』は 本 朝 で 編 ま れ た 身 近 な 八 斎 戒 の 書 で あ り、 『仏 説 斎 経』や『六 斎 精 進 功 徳 経』な ど と 並んで多くの人々が注釈し、講義するような八斎戒の理解の源となるよう な書でもある。それを和字で著すことにより、子どもや在家信者に分かり やすく伝えることは、非常に意義のあることだと述べている。淨慧が指摘 する通り、それまで明恵 (一一七三~一二三二) の『自誓八斎戒略作法』 (版
本 ・ 刊 年 不 明) 、以 空 (一 六 三 六 ~ 一 七 一 九) の『八 斎 戒 要 集』 (寛 文 六 年 (一 六 六 六) 刊) 、覚 深 (~ 一 七 〇 七) の『八 斎 戒 作 法 要 解』 (延 宝 七 年 (一 六 七 九) 刊) な ど の 八 斎 戒 注 釈 書 が 存 在 し て い た。 『戒 法 随 身 記』が 世 に 出 た 貞 享 四 年 (一 六 八 七) に は、瑞 光 (生 没 年 未 詳) の『八 斎 戒 勧 善 要 門』と 洞 空 (一 六 四 五 ~ 一 七 〇 七) の『八 斎 戒 作 法 連 珠 記』が 刊 行 さ れ て い る 3 。特 に 貞 享四年に八斎戒注釈書の刊行が相次いだのは、叡尊の『八斎戒作法』が寛 文 十 一 年 (一 六 七 一) に 覆 刻 刊 行 さ れ 好 評 を 博 し、延 宝 九 年 (一 六 八 一) 、 貞 享 三 年 (一 六 八 六) と 版 を 重 ね た こ と が 大 き く 関 わ っ て い る と 考 え ら れ る。当時の在家信者は八斎戒に強い関心を持ち、叡尊の時代から新たに息 を吹き返し版本として流通し始めた『八斎戒作法』を歓迎し受け入れたの であろう。その需要に応え、各宗派の学僧達が注釈書を発行したと推察さ れ る。し か し、淨 慧 が 述 べ る 通 り、本 文 を 確 認 で き た 叡 尊 の『八 斎 戒 作 法』 、以空の『八斎戒要集』 、覚深の『八斎戒作法要解』はいずれも漢文体 であり、おそらく他の注釈書も漢文であると推察される。八斎戒について 和語で解説したものは『戒法随身記』が最初であり、和文による八斎戒教 化書の先駆けとして非常に重要な存在であるといえよう。 な お、西 田 耕 三 氏 に よ る と、淨 慧 は 貞 享 三 年 (一 六 八 六) 三 月 十 八 日 か ら二十五日まで、薩摩阿久根の川南邸に滞在した際、土地の天台宗の要請 で『阿弥陀経』や叡尊撰 ・ 亮汰註『八斎戒作法書』を講じたことが『儒釈 雑 記』に 見 え る 4 。亮 汰 (一 六 二 二 ~ 一 六 八 〇) は 真 言 宗 の 学 僧 で 晩 年 は 大 和 長 谷 寺 十 一 世 を 務 め た。非 常 に 多 く の 経 文 注 釈 書 を 遺 し て お り、 『八 斎 戒 作法書』もそのうちの一つであるが、現存は確認できない。淨慧は、亮汰 が薩摩出身であることから、薩摩の地でゆかりある人物が遺した『八斎戒 作法書』を講じたのであろうと考えられ、淨慧の細やかな心遣いが感じら れるエピソードである。 具体的に『戒法随身記』の本文を見ていく。下巻における引用文のうち、 出 典 を『八 斎 戒 作 法』と 明 記 し て い る の は 三 件 と 多 く は な い が、実 際 に 『八 斎 戒 作 法』の 本 文 5 と 比 較 対 照 し た と こ ろ、一 致 す る 内 容 は 十 一 件 見 ら れ た。具 体 的 に は、 「序」に 一 件、 「一 八 齋 戒 の 㓛 德 の 亊」に 四 件、 「四 不婬戒の事」に一件、 「八 不 F k 鬘香衣等の戒の事」に一件、 「九 不非 時 ⻝ 戒 の 事」に 二 件、 「三 十 六 齋 日 の 因 縁 の 亊」に 二 件 見 ら れ た。八 斎 戒の功徳と保つべき八つの戒について解説している第一章から第九章まで の 流 れ は、 『八 斎 戒 作 法』の 本 文 構 成 を 踏 襲 し て お り、そ の 内 容 も『八 斎 戒 作 法』か ら の 引 用 を 軸 に 解 説 が 行 わ れ て い る 章 が 少 な く な い。実 際 に 「九 第八不非時⻝戒」 (下 10ウ) では冒頭の割注で次のように記している。 按 あん ず る に 佛 ぶつ K せつ 齋 さい I きよう に ハ。 第 だい 六 の 戒 かい と。 第 だい 七 しち の 戒 と。 前 ぜん 後 ご せ り。又 毘 ひ 曇 どん 論 ろん に ハ。 第 だい 七 しち の 不 ふ F ちやく k け 鬘 まん 香 かう 衣 ゑ を と つ て。 第 だい 六 ろく の 戒 かい に 合 がつす 。 成 じやう 實 じつ 論 ろん 。 及 および 智 ち 度 ど 論 ろん 。 法 ほう 苑 をん 珠 じゆ 林 りん 等 とう に ハ。 第 だい 七 しち の 戒 かい を 分 わかつ て 二 戒 かい と し。 此 この 戒 かい を も つ て 九 く の 数 すう と せ り。 然 しかれ ど も 義 ぎ ハ 八 齋 さい に 摂 せつ し 入 いる 。 今 いま こ ゝ に ハ。 興 こう 正 しやう 菩 ぼ 薩 さつ の つ く り 給 へ る。八 齋 さい 戒 かい の 作 さ 法 ほう に つ らぬる 処 ところ を 用 もち ゆ。 彼 ひ 此 し 文 もん 相 さう 。 少 すこ し 増 ぞう 減 げん あれども 義 ぎ にをいてハたがふことなし つまり「様々な聖教 ・ 典籍で保つべき戒の分類方法が異なるが、本書では 『八斎戒作法』に記されているところを用いる」とあり、 『八斎戒作法』に 重きを置き、解説を進めたいという淨慧の明確な意図を見ることができる。 『八 斎 戒 作 法』は 先 に も 触 れ た と お り、八 斎 戒 を 保 つ 意 義 や 具 体 的 な 作 法 について非常に簡潔にまとめられており、八斎戒の実践を目指す在家信者 にとって最適な手引書ではあるが、淨慧が述べているとおり、普段経典類 に触れることが少ない在家信者には難解と思われる漢文で記されている。 当時の仏教界諸宗における戒律廃退を嘆く淨慧が、鎌倉中期に戒律復興に 尽力した叡尊に私淑していただろうことは想像に難くない。また、覆刻刊 行された『八斎戒作法』が版を重ね広く受け入れられていたという時代背 景もあり、その『八斎戒作法』を主軸にして、子どもや在家信者にも分か りやすい八斎戒の解説を記したことは自然の流れであったのだろう。そし て、 『戒 法 随 身 記』の「八 斎 戒 章」が 後 に 単 独 で 改 版 刊 行 さ れ た こ と か ら も分かるように、特に下巻「八斎戒章」は多くの人々に親しまれ、民衆教 化の点において非常に意義深い書となっていったと考えられる。 ※ 次に二つ目の特徴である『法苑珠林』からの引用が多く見られる点につ いて詳述する。今回、上 ・ 中巻の解題で報告した引用典籍の調査を、下巻 でも同様に行った。まず、下巻で引用されている聖教 ・ 典籍の書目を一覧
し て み た [表 1]。そ の 数、八 十 三 件 で あ っ た。上 ・ 中 巻 と 同 様、引 用 書 目のほとんどは「大正新脩大蔵経」に所載されているが、未所載の書目が 二 十 八 件 あ る。そ の う ち 二 件 す な わ ち「 20儒 の 教」 「 29日 記 故 事 等」は 儒 教関係の典籍であった。また十二件すなわち「 3興正菩薩の八齋戒の文」 は『八 斎 戒 作 法』と し て『日 本 大 蔵 経 戒 律 宗 章 疏 二』に、 「 14五 百 問」は 『資 行 鈔』や『四 分 律 刪 繁 補 闕 行 事 鈔』に、 「 16毘 羅 三 昧 經」 「 70天 地 本 起 經」 「 82提謂經」は『法苑珠林』に、 「 17智旭/知旭禅師」は『梵室偶 談 6 』 に、 「 35六齋精進㓛德經」は『佛説六齋精進功徳 經 7 』に、 「 67雲棲大師」は 『沙弥律儀要 略 8 』に、 「 69釋書」は『元亨釈書』として『国史大系』第三十 一 巻 に、 「 74金 剛 寳 戒 章」は『続 浄 土 宗 全 書』第 十 三 巻 に、 「 78延 命 地 藏 經」は『延 命 地 藏 菩 薩 經 9 』に、 「 79十 王 經」は『佛 説 地 藏 菩 薩 發 心 因 縁 十 王 經 10 』に見えた。しかし残る十四件「 22施食心法」 「 30天如の禄」 「 32無住 の 雑 談 集」 「 41達 磨 大 師」 「 42六 祖 大 師」 「 46安 養 尼 の う た」 「 55業 䟽」 「 61 祖 庭 事 苑」 「 65曼 陀 羅 の 記」 「 66了 誉 上 人」 「 72宣 験 記」 「 73太 子 傳」 「 75華 嚴經并䟽」 「 83芝苑遺編」は、淨慧の引用したテキストが明らかでない。 次に、下巻に登場する引用文が、示されている聖教 ・ 典籍の中に存在す るかどうか、つまり示されている通りの聖教 ・ 典籍から引用されているの か ど う か を 調 査 し た 11 。そ の 結 果、 『仏 説 斎 経』 『六 斎 精 進 功 徳 経』 『八 斎 戒 作法』などの基本的な八斎戒に関連する経典、 『菩薩戒本宗要』 『四分律行 事 鈔 資 持 記』 『四 分 律 刪 繁 補 闕 行 事 鈔』な ど の 戒 律 注 釈 書、 『観 経』 『大 無 量 寿 経』 『華 厳 経』な ど の 著 名 な 大 乗 経 典、 『延 命 地 蔵 菩 薩 経』 『仏 説 地 蔵 菩薩発心因縁十王経』などの淨慧の信仰が篤い地蔵菩薩関係の聖教、そし て『法苑珠 林 12 』に関しては書目と内容が一致することが認められた。また、 禅宗関係の引用文の多くは『景徳傳燈録』に見え、浄土宗関係の『金剛寶 戒章』 『観念法門』などは書目と内容が一致した。 一方、それ以外の多くは淨慧が明記している聖教 ・ 典籍からではなく、 『法苑珠林』から引用している可能性が高いことが分かった。具体的には、 下 巻 に お け る 引 用 文 (儒 教 関 係 を 含 む) は 百 四 十 四 件 確 認 で き た が、そ の う ち『法 苑 珠 林』に 同 じ 内 容 を 確 認 で き た の は 五 十 五 件 で あ っ た。特 に 『法苑珠林』と一致する内容は、 「一 八齋戒の㓛德の亊」 、「二 殺生戒の 事」 、「六 飮酒戒の事」から「十 持齋に三叚の心得ある亊」 、「十二 同 自誓の作法の事」から「十七 受戒の夜卧に了簡ある事」 、「廿一 朝粥を ⻝する時 X の事」 、「廿四 非時にのむべきものゝ事」 、「三十三 八王日の 事」で 多 く 見 ら れ た [表 2]。右 に 挙 げ た 章 で は 引 用 文 を 合 計 七 十 六 件 確 認できるが、そのうち約六割に当たる四十六件に『法苑珠林』と一致する 内 容 が 認 め ら れ た。つ ま り 先 に 触 れ た と お り、本 書 は 叡 尊 の『八 斎 戒 作 法』を軸に、八斎戒の意義や保つべき八つの戒についての解説を第一章か ら 第 九 章 ま で 行 う に あ た り、 『法 苑 珠 林』を 中 心 と し た 聖 教 ・ 典 籍 を 用 い て解説を肉付けし、さらに第十章以降では、八斎戒を実践するうえでの具 体的な作法や、分かりづらいと思われる点についての解説を『法苑珠林』 からの引用を中心に行っていることが分かった。 『法 苑 珠 林』か ら の 引 用 で あ る こ と が 特 に 分 か り や す い「六 飮 酒 戒 の 事」と 大 正 新 脩 大 蔵 経 所 収『法 苑 珠 林』 「 酒 肉 篇 飲 酒 部」の 該 当 部 分 を 比 較する。 (傍線筆者) 『戒法随身記』 (下 07ウ) 六 第 だい 五 ご 飮 おん 酒 じゆ 戒 かい 一 いつ 滴 てき も 酒 さけ を の む べ か ら ず。人 に も す ゝ め あ た ふ べ か ら ず。 長 ぢやう 阿 あ 含 ごん I きよう に ハ。 飮 をん 酒 じゆ に 六 の 失 しつ を K とく 。 律 りつ の 名 みやう 句 ぐ に 十 の 過 とが を あ げ。 沙 しや 彌 ミ 尼 に 戒 かい I 。 并 ならび に 善 ぜん C あく 所 しよ 起 き I に ハ。 三 十 六 の 科 とが を の す。 前 まへ に 列 つら ぬ る H ところ の 智 ち 度 ど 論 ろん の 説 せつ と. 粗 ほゞ 相 あひ 同 おな じ け れ ば。 略 りやく してしるさず。よろしくこれをいましむべし 大正新脩大蔵経所収『法苑珠林』 「酒肉篇飲酒部」 又 長 阿 含 經 云 。其 飮 酒 者 有 六 種 失 。一 者 失 財。二 者 生 病。三 者 鬪 爭。四 者 惡 名 流 布。五 者 恚 怒 暴 生。六 者 智 慧 日 損。又 智 度 論 飮 酒 有 三 十 五 失。如 前 受 戒 篇説 又 沙 彌 尼 戒 經 云 。不 得 飮 酒。不 得 嗜 酒 不 得 甞 酒。 酒 有 三 十 六 失 。失 道。破 家。 危 身。喪 命。 皆 由 之。牽 東 引 西。持 南 著 北。不 能 諷 經 不 敬 三 尊。輕 易 師 友 不 孝 父 母。心 閉 意 塞 世 世 愚 癡。不 値 大 道。其 心 無 識。故 不 飮 酒。欲 離 五 陰 五 欲 五蓋得五神通得度五道。故不飮 酒
内容を比較すると『戒法随身記』では略している部分が多いが、内容はほ ぼ 一 致 し て い る。な お、 『智 度 論』の 飲 酒 三 十 五 失 に つ い て、 『戒 法 随 身 記』は中巻「十一 禪宗戒を守べきの事」 (中 24ウ~ 25ウ) で、 『法苑珠林』 は「受 戒 篇 五 戒 部 戒 相」に お い て 詳 し く 説 い て い る。ま た、 『法 苑 珠 林』 で は 触 れ て い な い が、 『戒 法 随 身 記』に あ る と お り『善 悪 所 起 経』に も 飲 酒三十六科について記している箇所が確認できた。決して『法苑珠林』だ けに頼っていたわけではない。淨慧の智見の広さを見ることができる。 次 に『戒 法 随 身 記』 「十 七 受 戒 の 夜 卧 に 了 簡 あ る 事」の 割 注 に あ る 『法苑珠林』に関する記述に注目したい。 (傍線筆者) 『戒法随身記』 (下 22ウ) 按 あん ず る に。 菩 ぼ 薩 さつ の 齋 さい 日 にち と い へ る ハ。正 ⺼ 十 四 日 よ り 受 うけ て。十 七 日 に と き。四 ⺼ 八 日 よ り 受 うけ て。十 五 日 に と き。七 ⺼ 一 日 よ り う け て。十 六 日 に と き。九 ⺼ 十 四 日 よ り 受 うけ て 十 六 日 に と く。 即 すなはち そ の 日 ひ た も つ と こ ろ の 戒 かい 十 戒 あ り。こ ゝ に しるさず 委 くはしく ハ。 法 ほう 苑 をん 珠 じゆ 林 りん 第 だい 一百九にあかす 。 志 こゝろざし ある人ハ。これを見るべし ここで『戒法随身記』が示す「法苑珠林第一百九」について調査したとこ ろ、和刻本『法苑珠林』巻第一百九に所収されている「受齋篇第八十九 引證部」に該当の記述が確認でき た 13 。参考までに和刻本『法苑珠林』と同 内 容 と な る 大 正 新 脩 大 蔵 経 所 収『法 苑 珠 林』の 該 当 箇 所 を 紹 介 す る。 (傍 線筆者) 大正新脩大蔵経所収『法苑珠林』 「受齋篇第八十九 引證部第二」 菩薩齋日有十戒 。第一菩薩齋 日不得著脂粉華香 第二菩薩齋日不得歌舞捶鼓伎樂裝飾 第三菩薩齋日不得臥高床上 第四菩薩齋日過中已後不得復食 第五菩薩齋日不得持刀金銀珍寶 第六菩薩齋日不得乘車牛馬 第七菩薩齋日不得捶兒子奴婢畜生 第 八 菩 薩 齋 日 皆 持 是 齋 從 分 檀 布 施 得 福。 菩 薩 齋 日 去 臥 時。於 佛 前 叉 手 言。今 日 一 切 十 方 其 有 持 齋 戒 者 行 六 度 者。某 皆 助 安 無 量 勸 助 歡 喜 福 施。十 方 一 切 人 非人等所在 勤苦厄難之處。皆令得福解脱憂苦。出生爲 人安隱富樂無極 第九菩薩齋日不得飮食盡器中 第 十 菩 薩 齋 日 不 得 與 女 人 相 形 笑 共 坐 席。女 人 亦 爾。是 爲 十 戒 不 得 犯。不 得 教 人犯。亦 不得勸勉人犯 淨 慧 が 記 す 通 り、 『法 苑 珠 林』に 菩 薩 斎 日 に 保 つ べ き 十 戒 に つ い て 詳 し く 記されていることが分かる。淨慧は右のように、より深い内容は参考資料 を示すなどして、熱心な読み手の次に繋がるような手ほどきを行っている。 さ ら に こ の 記 述 か ら、 『法 苑 珠 林』は 当 時 の 在 家 信 者 が 閲 覧 可 能 な 典 籍 で あったことが分かる。淨慧が参照したと考えられる『法苑珠林』のテキス トは、和刻本と黄檗版所収本があることを上巻解題で触れた。そのうち当 時版本として広く流通し、現存数も多いのは、和刻本『法苑珠林』である。 そのため、在家信者が閲覧する参考資料として淨慧が想定し、さらには、 淨慧自身が参照したテキストも和刻本である可能性が高いことが推察され るのである。 こ こ で、 『戒 法 随 身 記』全 巻 通 し た『法 苑 珠 林』か ら の 引 用 件 数 を ま と め て お き た い [表 3]。各 巻 で 確 認 で き る 引 用 文 の 件 数 (儒 教 関 係 を 含 む) は、上巻八十九件、中巻百四十件、下巻百四十四件で、合計三百七十三件 であった。そのうち大正新脩大蔵経所収の『法苑珠 林 14 』と同じ内容が確認 できる引用文は、上巻三十四件、中巻五十五件、下巻五十五件で、合計百 四十四件であった。実に四割近くの引用文は『法苑珠林』から取られてい る 可 能 性 が 高 い こ と が 分 か る。中 巻 の 解 題 で も 指 摘 し た が、 『法 苑 珠 林』 は和刻本百二十巻六十冊、黄檗版大蔵経所収本も同様に百二十巻ある。淨 慧は自ら積み重ねた智見と筆力で「飯をかむで。人にあたふる」 (中巻序) ごとく、膨大な情報量の『法苑珠林』をはじめとした数多の聖教 ・ 典籍か ら縦横無尽に引用し編み直すことで、初学者でも容易に理解できるような 戒法入門書を完成させた。淨慧研究の第一人者である西田氏は「妙幢浄慧 は思想的に何かを生み出したわけではない。ただひたすら、和漢古今の書 物に触れ、みずからの論理と倫理にしたがって受容し続け、啓蒙教化にあ
た っ た。そ の 情 熱 を 支 え る 最 も 根 本 的 な 認 識 が、 「妙 は 唯 そ の 人 に 存 ず」 と い う こ と に あ っ た の で は な い か 15 」と 指 摘 さ れ、 「妙 は 唯 そ の 人 に 存 ず」 とは「物事自体に最初から価値があるのではなく、物事に価値を与えるの も、無価値にするのも、人であるという視 点 16 」であると解されている。つ まり淨慧の真髄は、自らの力によって物事に価値を与えることに情熱を燃 やし、そのためにひたすら書物から知識を吸収し、それを活かして啓蒙教 化 活 動 に あ た る と い う 一 貫 し た 姿 勢 に あ る と い え よ う。 『戒 法 随 身 記』で も、並々ならぬ研鑽の積み重ねにより、数多の聖教 ・ 典籍の要文を引用し 「三 帰」 「五 戒」 「八 斎 戒」の 意 義 を 示 す こ と で、そ の 重 要 性 を 説 く こ と を 果たした。そこには、西田氏が指摘する淨慧の「物事に価値を与えるのも、 無価値にするのも、人である」という信念を強く感じることができる。 ※ 最 後 に、 『戒 法 随 身 記』に 引 用 さ れ た 聖 教 ・ 典 籍 の 書 目 及 び 参 考 資 料 と し て 挙 げ ら れ て い る 書 目 を 「 資 料 1」 に ま と め た 。 こ こ に は 全 百 九 十 九 種 の 書目を見ることができる。改めてその数の多さに驚きを禁じ得ない。この うち、今回の一連の調査で、引用文の典拠となるテキストを明らかにでき なかった書目について触れたい。上巻では「 8華嚴の鈔」 「 26沙弥戒律儀」 「 27智 旭 の 見 聞 録」 「 51聖 徳 太 子 十 七 憲 法」 「 57淨 土 宗 要」の 五 件、中 巻 で は「 19金壁」 「 50明慧上人の傳」 「 52大藏一覽」 「 63芝苑遺編」 「 67智旭の梵 室偶談」 「 71繪詩傳」 「 74弘法大師の遺誡」 「 75一向宗のおしへ」 「 83淨土晨 鐘」の 九 件、下 巻 で は「 22施 食 心 法」 「 30天 如 の 禄」 「 32無 住 の 雑 談 集」 「 41達 磨 大 師」 「 42六 祖 大 師」 「 46安 養 尼 の う た」 「 55業 䟽」 「 61祖 庭 事 苑」 「 65曼 陀 羅 の 記」 「 66了 誉 上 人」 「 72宣 験 記」 「 73太 子 傳」 「 75華 嚴 經 并 䟽」 「 83芝 苑 遺 編」の 十 四 件 が 該 当 す る (番 号 は 各 巻 解 題 掲 載 の『引 用 書 目 一 覧』 に 拠 る) 。そ の う ち 後 の 調 査 で、上 巻「 57淨 土 宗 要」は『西 宗 要』と し て 『浄 土 宗 全 書』に 見 え る こ と が 分 か っ た。ま た 中 巻 の 調 査 か ら 漏 れ て い た 「發隠」 (中 21ウ割注) は『梵網菩薩戒經義疏發隱』として『大日本續蔵經』 に見えることが分かっ た 17 。さらに、上巻「 27智旭の見聞録」中巻「 67智旭 の 梵 室 偶 談」は、和 刻 本『梵 室 偶 談』 (附「見 聞 録」 ) に お い て 一 致 す る 内 容が見られたことを中巻解題において既に報告した。この『梵室偶談』の 調査結果から推察されるのは、淨慧は当時数多流通していた和刻本を大い に活用し、参照していたのではないかということだ。そのため、右に挙げ たテキスト不明の典籍でも、当時和刻本が刊行されているものがあれば、 淨慧はそれを参照した可能性があることを指摘したい。 そ こ で、中 巻 解 題 で も 参 考 資 料 と し て 用 い た『法 然 院 光 明 蔵 書 籍 目 録 稿』 (仏 教 大 学 浄 土 宗 文 献 セ ン タ ー 編 / 発 行、一 九 八 五) を 使 用 し、テ キ ス ト 不明の書目が和刻本として刊行されているかについて調査した。法然院光 明蔵には、江戸時代に国内で刊行された和刻本を中心とした聖教 ・ 典籍が 収 蔵 さ れ て お り、本 書 は そ の 目 録 で あ る。淨 慧 と 親 交 が あ っ た 忍 澂 (一 六 四 五 ~ 一 七 一 一) 収 集 の 聖 教 ・ 典 籍 も 多 く 含 ま れ て い る た め、淨 慧 が 生 き た ま さ に そ の 時 代 に 流 通 し て い た 書 籍 を 知 る こ と が で き る。ま た、 『国 書 総 目 録』 (岩 波 書 店) な ど に 所 載 が な い 情 報 が 記 さ れ て い る こ と も あ り、非 常 に 貴 重 で あ る。そ こ に、 『戒 法 随 身 記』に お い て テ キ ス ト が 不 明 で あ っ た書目の情報が確認できれば、淨慧が参照したテキストに一歩近づくこと ができよう。 『法然院光明蔵書籍目録稿』を調査した結果、上巻の「 8華嚴の鈔」 「 26 沙弥戒律儀」 、中巻の「 52大藏一覽」 「 63芝苑遺編」 「 83淨土晨鐘」 、下巻の 「 55業 䟽」 「 61祖 庭 事 苑」 「 83芝 苑 遺 編」 (中 巻 63と 同 書 目) の 七 書 目 を 確 認 することができた。左に『法然院光明蔵書籍目録稿』所載の書誌情報を紹 介する。 ○ 「華 嚴 の 鈔」は『華 嚴 經 疏 鈔 玄 談』と し て 一 部 (所 蔵 部 数) 、『華 嚴 經 疏 演 義鈔』として四部、 『華嚴經隨疏演義鈔』として一 部 18 大方廣佛華嚴經疏鈔玄談 九卷九册 澄觀 刊 再治 大方廣佛華嚴經疏演義鈔 八十卷五十三册 實叉難陀譯 澄觀撰 刊 再治 大方廣佛華嚴經疏演義鈔 九卷九册 澄觀撰 寛文九刊 黄檗版 訓點 有 大方廣佛華嚴經疏演義鈔 (玄談) 九卷九册 澄觀撰 刊 大方廣佛華嚴經疏演義鈔 八十卷八十一册 澄觀撰 寛文四刊 中村市 右衛門
大方廣佛華嚴經隨疏演義鈔 九十卷二十七册 澄觀撰 刊 黄檗版 ○『沙弥戒律 儀 19 』二部 沙弥律儀要略 二卷一册 祩宏輯 寛文九刊 田原仁左衛門 頭書 忍 澂所持 沙弥戒律儀要略 二卷一册 祩宏 寛文九刊 田原仁左衛門 頭書 ○『大藏一 覽 20 』一部 大藏一覽集 十卷 附目録一卷 十一册 陳實輯 寛永十九刊 野田庄 右衛門 ○『芝苑遺 編 21 』二部 芝苑遺編 三卷三册 元照道詢集 寛文九刊 村上氏 芝苑遺編 三卷三册 元照 寛文九刊 村上氏 ○『淨土晨 鐘 22 』二部 淨土晨鐘 十卷六册 周克復 貞享元刊 淨土晨鐘 十卷六册 周克復 貞享元刊 ○「業䟽」は『四分律 删 補隨機羯磨 疏 23 』として一部 四分律 删 補隨機羯磨疏 八卷八册 道宣撰 刊 ○『祖庭事 苑 24 』一部 祖庭事苑 八卷四册 善卿編正 正保四刊 田原仁左衛門 これらのうち、 「華嚴の鈔」の『大方廣佛華嚴經疏鈔玄談』 (九卷九册、澄觀、 刊、再 治) と『大 方 廣 佛 華 嚴 經 疏 演 義 鈔』 (八 十 卷 五 十 三 册、實 叉 難 陀 譯、澄 觀撰、刊、再治) 、並びに「業䟽」 (『四分律 删 補隨機羯磨疏』 ) 以外は、刊年や 版元の情報から和刻本であることが分かる。古くは『大藏一覽集』の寛永 十 九 年 (一 九 四 二) 刊、近 く は『淨 土 晨 鐘』の 貞 享 元 年 (一 六 八 四) 刊 で、 い ず れ も『戒 法 随 身 記』が 刊 行 さ れ た 貞 享 四 年 (一 九 八 七) よ り も 前 に 刊 行 さ れ て お り、淨 慧 が 参 照 し た 可 能 性 は 高 い。右 の 和 刻 本 の う ち、 『祖 庭 事 苑』 (八 巻 四 冊、善 卿 編 正、正 保 四 年 (一 六 四 七) 刊 田 原 仁 左 衛 門) と 同 版 と 考えられる善通寺所蔵本に『戒法随身記』の引用文と同内容の箇所を確認 することができたので、実際に比較してみる。 (傍線筆者) 『戒法随身記』 (下 27ウ) 故 かるがゆへ に 祖 そ 庭 てい 亊 し 苑 をん に 云 いはく 。 甘 かん 蔗 じや 糖 たう 堅 けん 強 がう に し て 。 石 いし の ご と く な る 。 こ れ を 石 蜜 と な づくといへり 。 正保四年版『祖庭事 苑 25 』 (卷三 13オ) 食蜜當 レ 作 レ 石蜜善見律 ニ 云 甘蔗 ノ 糟堅強 シ 如 レ石是 ヲ 名 レ 石蜜也 比較すると、送り仮名や文字が一部異なっている点も見られるが、内容は ほぼ一致している。このように、淨慧はこれら和刻本をはじめとした当時 の豊かな出版文化を活用し、情報を貪欲に取り入れたことが分かる。そし て、その情報供給元としては、淨慧が地蔵信仰を通じて深い交流があっ た 26 忍澂収集書籍も多く含まれる法然院光明蔵の蔵書である可能性もおおいに 考えられる。 「妙 幢 和 尚 略 伝 27 」に あ る 通 り、淨 慧 は 彦 根 藩 に 仕 え る 医 師 の 家 柄 に 生 ま れ た が、二 十 四 歳 に し て「頻 り に 浮 世 の 無 常 に 驚 き (中 略) 宝 山 頂 和 尚 を 拝 し て、剃 髪 受 戒」し、 「鉄 眼 光 和 尚 に 随 う て、楞 厳、維 摩、法 華 の 三 経 を 研 究 し」 、さ ら に「出 離 の 要 路、浄 土 の 一 門 に 過 ず と て、洛 東 忍 澂 上 人 に謁し」た。すなわち淨慧は、自らの意思で黄檗宗の門をくぐり鉄眼の元 で学問を重ね、さらに浄土宗の再興に尽力する忍澂に拝すため法然院の門 を 叩 い た。当 時 の 黄 檗 宗 は、明 末 に 復 興 し た 仏 教 を 携 え 来 朝 し た 隠 元 (一 五 九 二 ~ 一 六 七 三) が 寛 文 元 年 (一 六 六 一) に 本 山 と な る 黄 檗 山 萬 福 寺 を 開 いたばかりの、新しい風が吹く場であった。明末に再興された仏教の特徴 の 一 つ と し て、三 教 (仏 教 ・ 儒 教 ・ 神 道、中 国 で は 道 教) 一 致 を 説 く こ と に よ る 仏 教 の 庶 民 化 が 挙 げ ら れ る。そ の 思 想 的 原 点 の 一 人 が 雲 棲 袾 宏 (一 五 三 五 ~ 一 六 一 五) で あ り 28 、袾 宏 の 教 え を 受 け 継 い だ 一 人 が 智 旭 (一 五 九 九 ~ 一 六 五 五) で あ っ た。淨 慧 に と っ て、最 先 端 の 仏 教 に 直 接 触 れ る こ と が で きた活気溢れる黄檗宗での研鑽は、大変刺激的であったであろうし、後の 旺盛なる執筆活動を見ると、おそらくそのような活気溢れる場に、自ら選 んで身を投じたのであろうと考えられる。実際に淨慧は『戒法随身記』に おいて度々、袾宏と智旭の著作を引用しており、明末仏教から大きな影響 を受けたことが分かる。 あまき さ たうかたくつよく