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生活文化と生活技術 : 三木清論文の今日的意義

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Academic year: 2021

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(1)生 活 文 化 と 生 活 技 術 一一三木. 後. 清 論 文 の 今 日的意 義一―. 藤. 静. 子. い まな お新 鮮 な示 唆 三 木清 が1941年 (昭 和 16年 )に 「 生活文化 と生活技術Jと 題 して「 婦人公 論」 に書 いた原 稿 が竜野市の霞 城館 にある。 この 文章 は40年 以上 も前に書 かれた ものだが ,い ま の 時代 の人間 の生 き方 に多 くの示 唆を与 え ,諸 々の 問題点 を指 摘 して い る。 日本 が第 2次 世界大戦 に突入 しょうと していた あの 時期 に ,生 活 と文化 につ いて深 く考 えた三 木清 の思想を紹 介 しなが ら,そ の今 日的意義を探 って みたい。 終戦直後の物不足 を体験 した 私 た ちは ,そ の後 ,物 が豊 かになれば生活 は 向上 す るとい う考 え方 に急激 に傾斜 してい った。経済成 長 と軌を一 に して. ,. 物 的な豊 か さを 享受 し,量 で生活 の 満足度 を測 る時代 が長 く続 いた。60年 代 の経済 白書 ,国 民生活 白書 な どを 見れば ,そ う した考 え方 が支配的で あ った こ とがわか る。 生活 は ,モ ノを豊 かに所有 し,上 手 に使 う こ とによ ってよ り充実 した もの にな ると 信 じていた。 モ ノを ど う選 び どう使 うか とい ういわゆ る. HOW tO. がよ りよい生 活 の技術 で あると して ,も て はや された。世 に こ う した情報 は 溢れ て いた 。雑 誌 ,テ レビ,企 業 の広告 ,各 種講習会 と呼 ばれ る もの ま でを 合 めて 多種多様で あ った。 だが , 2度 の石 油 シ ョック (1973年 ,1977年 )を 契機 に ,生 活 に対す る考 え方 が大 き く変 わ った。生 活 とは文化 で あ る。生活 には工夫 や技術 が必 要 だ が ,HOW. tOの. 技術を い くら豊 富に も っていて も,そ れ は生活文化 とい うも.

(2) 生活文化と生活技術. δlθ. のにはな らない。その技術 を超 え ,技 術 を制御 し,技 術 を支配す る「 もの さ し」 が必 要 で あ るとの考えが広 ま り始 めた。その「 もの さ し」 ともい うべ き ものを三 木清 は ,生 活技術全体 を統 轄す る技術 ,技 術 の技術 ともい うべ きも の ,つ ま り人間 の 叡智 で ある,と してい る。いい換 えれば ,70年 代 の終 りか ら しき りにいわれ始 めた モ ノの豊 か さを超 えた精神 の豊 か さの重要性 を ,三 木清 はすでに見透 していた といえ る。 最近 で は「 物的 な豊 か さと真 の豊 か さとは全 く異 な る もので ある。生活 の 質 を モ ノで はか り,モ ノを上 手 に使 う技術 だ けで評価す るの は誤 りで あ った」 一― とす る論調 が支配的 に さえな ってい る。 い ま主体性 の ある暮 ら しとか ,生 活 の主体性 を も った 人間 こそが大切 とか い われ るの も,三 木清 のい う人間 の叡智 を 鋭 く見 つ め る ことの大切 さに ほか な らな いので はなか ろ うか。戦後40年 の歴 史を た ど って みて も,彼 の文章 は 今 の 時代 の流 れを見透 してい るよ うに思 われてな らない。それだ け に ,今 も なお ,新 しい もの と して今 ビ検証 してみ る意 義 が あると思 われ る。 さて ,三 木清 の文章 には生活文化 の考 え方 ,見 方 につ いて 3つ の流 れが く み とれ る。. 1つ は生活文化 とい うの は生活 に対す る積極的 な態度 がな ければな らぬ 。 その根底 に ヒュー マニ ズ ムが あ るべ きだ ,と している ことで あ る。. 2つ 目は生 活文化 とい うもの は,あ らゆ る人間 にかかわ る大切 な問題 で あ る。 と くに 日常 の生 活を支 えて い く婦人 は生活文化を つ くりあげ てい く原 動 力 で あ り,そ れに責任 を負 って い る,と して い る ことで ある。. 3つ 目には生活文化 とい うものを考 え るのに ,そ の 内容的 な もの と して生 活を楽 しむ ことが大切だ と してい る。彼 は娯楽 とい う表現 を用 いてい るが. ,. い ま盛 んに使 われて い る「 遊 び」 とか「 裕 (ゆ た )か 」 とか い う「 ゆ と り」 の ことといえよ う。生活を真 に楽 しむためにはそれな りの工 夫 がい る。それ を三木清 は技術 の技術 ,つ ま り人間 の英知 (叡 智 )で あ るとい ってい る。 このよ うな指摘 はいま の生 活問題 ,消 費者 問題 に もあて はま る ことで ある。 生活 に根 ざす さまざまな不 合理 に対 して ,身 近 な小 さい問題 にかかわ りなが.

(3) 後 藤 静 子. δII. ら,少 しで もみ ん な で よ い生 活 を と願 う人 た ちに ,新 鮮 な 示 唆 を与 え て くれ る。以 下 ,三 木 清 の 文 章. (『. 』 の 中 の 部 分 )を 引用 しな が ら,彼 の 考 え 方 の. 軌 跡 を た ど って みた い。 (原 文 の一 部 の 仮 名 づ か い や 旧字体 は , 筆 者 が 現 代 的 に改 めた). 1.生 活 へ の 積極 的態度 『 生活文化 とい うの は ,こ の 頃多少 目につ くよ うに な った新 しい言葉 で あ る。 これ まで文化 とい うと,す ぐ文字 とか美 術 とかい った ものが考 え られ 生活文化 な どとい うものは殆 ど全 く問題 にな らな いのがつ ねで あ った。科 学 の 如 きで さえ ,従 来 は ,文 化 とは異 る文明に属す るといわれ ,物 質文明 と精神文化 な ど と称 して ,何 か一 段低 い ものの 如 く考 え られた ので あ る。 か よ うな見 方 が今 日次第 に拭 い去 られ つつ あ るの は喜 ぶ べ き ことで ある。 文化 につ いての新 しい見方 は ,先 ず科学尊重 の政策 が現 われ る ことによ つ て方 向 づ け られ ,そ して次 に生 活文化 とい う言葉 が現 われ る ことによ って 拡 げ られた と見 る ことがで きる。 も っ と も,こ の思想的変化 はただ可能性 においてそれ らの特徴的な事実 の うちに含 まれて い るので あ って ,す べ て の人 々に お いて現実的 で あ るわ けで はない。新 しい文化概念 を ほん とに掴 むために は,科 学文化 とか生 活文化 とかい う言葉 の うちに可能 的 に合蓄 さ れて い る思想 を現実的 に展 開す る こ とが必 要 で あ る。 先 ず ,生 活文化 とい う言葉 の うちに含 まれ てい るのは ,生 活 に対す る積 極 的 な態 度 で ある。文化 を意味す る英語 の カルチ ュア また は ドイツ語 の ク ル トウー ル とい う言葉 が もと耕作 を意味す る言 葉 か ら出て い るよ うに ,与 え られた 自然 に働 きか けて人間 の作 り出す ものが文化 で あ る。与 え られた ものをその ままに してお くとか或 は単 に消極 的にそれ に対す るとかい うの で は ,文 化 はな い。我 々の生活 もまた或 る自然 の もので ある。 これに積極 的 に働 きか け これを変化 し改造 して い くと ころに ,生 活文化 とい うものが 考 え られ る。生活文化 とい う言葉 は生活 に対す る このよ うな積極的 な態 度 を現 わす ものでな ければ な らぬ 。その根底 に は「 文化 へ の意志 」 がな けれ ばな らぬ。 もちろん ,我 々の生活 は最初か ら単 に 自然的 な ものでな く,既 に文化的 な もので あ る。我 々の生 活 は,そ の 内容 において も,そ の形式 に おいて も,過 去 か らの文化的伝統 によ って 浸 透 されてい る。例 えば我 々の 生活 に 日常欠 くこ とので きぬ 言語 で ある,こ れ は我 々が初 めて作 る もので. ,.

(4) δ12. 生活文化と生活技府. な く,我 々の民族 の遠 い過去 か ら我 々に伝 え られた もので あ り,我 々はそ の 中 に産れ落 ちるので ある。 あ らゆ る他 の 文化 と同 じく,生 活文化 もま た 伝 統的 で あ る。伝統 とい うのは過 ぎ去 った ものでな く,生 きて働 くもので あ る。 新 しい生活 文化 には生活 に対す る積極的 な態 度 がな けれ ばな らないが それ は何 よ りも生活 に対す る愛 とい うもので ある。生活 に対す る愛一一 こ ,. の ヒュー マニズム があ らゆ る生活文化 の根底 にな けれ ばな らぬ。 この愛 は 生活をよ り善 く,よ り美 しく,よ り幸 福 に して い くことを求 め るで あろ う。 封建 的な忍従 の道 徳 に止 ま る ことな く,あ らゆ る状 況 の 中 にあ つて生活 を 向上 させ て い こ うとす る ヒュー マニ ズムの精神 か ら新 しい生活文化 は生 れ て くる。 しか し生活に対す る愛 は文化 ,と りわ け生活文 化 といわれ る種類 の文化 に対す る正 しい理解 と結 び付 かな けれ ばな らな い。その文化 は生活 』 を明 朗 に ,健 康 に ,ま た能率的 にす る もので あ る。 文化 とい う言葉 は ,日 常 の暮 ら し,生 活 な どとい う形 而下的 な ものにはふ さわ し くない一一 とい った 概念 が ,昭 和 16年 ごろの 日本 で は一般的 だ った よ うに思 われ る。また ,そ のよ うな考 え方 は ,今 で も残 って い るといえ る。 三 木清 はい う。文化 とい うものは「 精神文化 」 とい う言葉 に代表 され るよ うな高踏的な ものだ けで はな い。 も っと幅 の広 い もの ,地 に足 のつ いた もの. ,. 私 た ちの生活 その ものの 中 にあ るので はないか ,と 。 だが ,流 れ るまま ,惰 性 によ つて 営 まれ る生活 は ,そ れ に価 しな い。生活 文化 とい うの はただ単 に昔 か らの生活を 引 き継 いでい くことで は決 してな い。 「 生活文化」 とは 「 生活 に対す る積極的 な態 度 で あ る」 とい う。 そ し て え 「 与 え られた 自然 に働 きか けて人 間 の作 り出す ものが文化」 で あ り,「 与 られ た ものをそのままに してお く,或 いは単 に消極的にそれ に対す るとい う ので は文化 はな い」 と して い る。 我 々は遠 い祖先 が積極的に つ くりあげ て きた生活文化 の恩恵 の 中 に産れ落 ちた。例 えば言語 がそ うで あ る如 く。何気 な く繰 り返 して い る日常 の営 み. ,. 衣食住 の暮 ら しその もの も過去 の恩恵 といえ よ う。練 りあげ ていまのかた ち にな ったのだ 。それ が生活文化 で あるとい ってい る。そ して他 の文化 と同 じ く伝 統的 な もので もある と もい う。.

(5) δゴ 3. 後 藤 静 子. ただ伝 えてい くのが伝統 で はな い。その時 々の生活 に生 きて 働 くもの ,い い換 えれば我 々がそれを現在 の生活 に生 かす積極性 がな ければ伝統 ではな く. ,. 生活文化 ともいい難 い ,と いい切 る。 1960年 代 か ら70年 代 にか けての高度経済 成長期 の我 々の生活 はど うで あ つ ビ たか。次 々に出現 す る新製品を与 え られ るままに購入 した。テ レ な どに描 き出 され る生活 こそ ,ほ ん とうの暮 ら しだ と錯 覚 させ られ ,そ れが人並 みな のだ ,と 販売側 の広告 に巧 みに くす ぐられ て ,モ ノを ひたす ら揃 え ,そ れに 引 きず られ るよ うな生活 を して こなか っただ ろ うか。電子 レンジとい う便利 な調理器具 が世 にでた とき,非 常 に高価 で あ った が売れ行 きはまず まず で あ った。 しか し,こ の電子 レンジほど購入者 の使 い方 によ つて価値 の優劣 がは っ き り分 れ る ものはない。 電子 レンジとい う. つ の新 しい器具を 自分 の生活 の 中 に どのよ うに取 り入. れ るか ,或 いは もう一 歩 ふ み込 んで 自分 の生 活 に ど う生 かす ことがで きるか 考慮 した うえ ,購 入す るか否 かを決定 しただ ろ うか。 こ う した 積極性 がな け れば ,こ の高価 な調理器具 も生活 を豊 かには しな い。三 木清 が指摘 した積極 性 を ,い ま の生活 の 中 に求 めれば ,こ んな ことにな るのだ ろ うか。 ま た ,生 活 に対す る積極的な取 り組 み ,そ れ は生活 に対す る愛 ,ヒ ュー マ ニ ズ ム が根底 に あ つて こそだ とい う。 この ヒュー マ ニ ズム こそ ,我 々の生活 を よ り美 しく,よ り幸 せ に してい こ うとす る原 動力 なのだ。 こ う した生 活 に 対す る積極的 な一 つ一つ の積 み重ね が ,生 活文化 を新 しくつ くり変 えなが ら 伝 え られ て い く。伝 え られ てい く中で さ らにそ の時代 ,時 代 の生 活を よ り明 へ 朗 に ,健 康 に ,そ して効率 も向上 させ てい く。過去 か ら現在 ,そ して未来 へ と続 く,絶 え ざ る生活 に対す る愛 こそが生活文化 といい得 る ものなので あ る。 い ま ,自 分 の生活 をデザ イ ンす るとい う言葉 がよ くいわれて い る。 これ こ そ ,生 活を積極的 につ くり上 げ て い くことで はな いだ ろ うか。 パ 高度経済成 長時代 に モ ノを 買 い込 みす ぎた 日本人 は, ヨー ロ ッ の人 た ち 2). に比 べ る と平 均 150品 目 もモ ノを 多 く所 有 して い る といわ れ る。利 便性 こそ. ,.

(6) δゴ4. 生活文化と生活技術. 生 活 の きめ手 とばか り,モ ノに働 かせ て人 間 は省 力 ,省 寒 ,省 暑 で ,そ れを 快 適 な暮 ら し,よ い生 活 と した。夏 は冷房 ,冬 は暖房 。移動 には車 ,よ り早 くと新幹線 ,よ り大量 に と ジ ャ ンボ・ ジェ ッ ト機 。 だが ,そ うで はない。人 まねでな く,自 らの生活を 自 らの意志 で つ くり出 す ことこそが ,価 値 ある暮 ら しといえ る ものだ と,最 近 にな って人 々は感 じ 始 めて い る。 こ う した生 活 のデザ イ ンこそ生 活文化 といえ よ う。. 2.婦 人 こそ生活の原動力 『 次 に生 活文化 とい う言葉 は文化 があ らゆ る人 間 に 関わ る もので あ る こ と を示 して い る。文化 は ,少 数 の天才 にのみ 関わ る ものでな く,ま た「 文化 人」 と呼 ばれ る一 部 の人間 にのみ属す る もので もな く,す べ ての人間 に 関 係 す るもので あ る。 どのよ うな人 間 も生活 して い ることは確 かで あ り,そ してその生活 が即 ち文化 で あ り,文 化 で あ り得 るので あ り,文 化 でな けれ ばな らな いので あ る。 自然人 も し くは原始人 に対 して文化人 といわ れ る意 味 において ,す べ ての生活者 が文化的人間 と考 え られね ばな らぬ 。 芸術家 が芸術作 品を作 るの と同 じよ うに ,我 々は我 々 自身 と我 々の生活 とを作 る ので ある。す べ ての生 活者 は芸術家で あ る。 問題 は善 い芸術家 にな るとい う こ とで あ る。記念碑的な 文学 や美術を作 ることは少数 の天 才 にのみ与え られ る こ とで あろ う。深遠 な哲 学 や精密な科学 を理 解 す ることは一 部 の知 識 人 にのみ許 され る ことで あろ う。 しか るに生活 文化 はあ らゆ る人 間 に 関 わ る もので あ り, しか もこれにお いて 創造的で あることは他 のいわゆ る文 化 の 創造 に劣 らぬ価値 のあ る こ とで あ る。わ けて も婦人 は生活 文化 に対 し て 密接 な 関係 を有 し,一 国 の生 活文化 の状 態 は何 よ りもその婦人 の文化的 水準 を示 す とさえ いい得 るで あろ う。生活文化 の重 要性 を考 え るとき,こ れ まで 文化及 び文化的活 動 に何 ら関係 がないかのよ うに見 られていた婦人 も,文 化 に対 して重 要 な 関係 が あ り,従 って また責任 のあ る こ とが理解 さ れ るので ある。 ここに生活文化 とい うものの本質 が誤 解 されないために ,そ れを いわ ゆ る「 文化生活」か ら一応 区別 して考 え ることが必要 で あろ う。文化 とい う 言葉 は もと大正時代 に ,以 前 の文明 とい う言葉 に対 して流行 した もので あ るが ,そ の 頃 ,例 えば「 文化住宅」 とか「 文化村」な ど とい う如 く,文 化.

(7) 後 藤 静 子. δゴ 5. とい う言葉を冠 した多 くの ものが現 われた。その場合文化 とい うの は先 ず 舶来 な どとい うの と同 じく何 か洋 風 の もの ,バ タ臭 い もの ,ま た最新流行 の ものを 意味 した よ うで ある。 日本 的 な もの ,伝 統的 な ものの美 しさはそ の 際殆 ど全 く顧 み られなか ったのみでな く,西 洋的 な ものに して もそ の本 質的深 みか ら捉 え られ る こ とな く,か くて文化生活 の名 の もとに恰 も植民 地 的文化 が出現 したので あ る。文化生活 とい うものは軽桃浮薄 な もの と し て心 あ る人か ら揮愛 された。 このい わゆ る文化生活 に対 して考 うべ き こ と は ,第 一 に ,そ れが多 くは外面 的な もの 表面 的な もので あ った こ とで ある。 真 の生活文化 は単 に 表面的 な ものでな く,内 容的 な もの ,実 質的 な もので な けれ ばな らぬ 。ただ表を飾 ることでな く内か ら充実 させ てい くことが大 切 で あ る。第 二 に考 うべ き こ とは生 活意識 も し くは生活精神 の 問題 で ある。 いわゆ る文化生活 が 欧化主 義 の弊 に染 りが ちで あ ったのに対 して ,新 しい 生活文化 は我 々 自身 の 自主 的 な立 場 にお いて作 られ な けれ ばな らな い。 も ちろん偏狭 で独善的 な排外主 義 に 陥 って はな らぬ 。 我 が国にお け る生活文化或 は風俗 の改善 にあた って個性 の尊重 ,従 って ま た人格 の尊重 とい う観念 か ら出発 しな ければ な らぬ もの は甚 だ 多 いで あ ろ う。第 三 に ,い わゆ る文化生活 において文化 と見 られた の は ,音 楽 で あ るとか ,美 術 で あ るとか ,文 学 で あ るとかで あ って ,そ れ らの ものを生 活 の 中へ 持 ち込 む ことが文化生活 で あ ると考 え られ ,生 活 その もの ,こ の全 く 日常 的 な もの もま た一 つ の文化 で あるとい う観念 がそ こに は欠 けていた。 例 えば ,言 葉 ,炊 事 ,交 際 ,風 俗 ,こ のいわば全 く平 凡な ものが人間 の作 る文化 の 重要 な基礎的部分で あ る。 しか るにいわゆ る文化生活 において主 と して関心 された のは , レコー ドをか ける とか ,ラ ジオを聴 くとか ,本 を 読 む とか ,映 画 を観 るとか い う こ とであ った。その ことが もちろん 決 して 悪 いので はな く,否 ,そ の こ とは生活文化 の 向上 に と って極 めて大切 な こ とで ある。 しか しなが ら,い わゆ る文化生活 において は文化 とい うのが生 活 の低地 に求 め られ な いで 高所 に尋 ね られたた めに ,そ こ におのずか ら 種 々の 弊害 を生 じたので ある。先 ず文化生活 は銭 のかか る こと,ぜ いた く ,. な ことにな りが ちで あ つた。そ してそれ は消費的文化 に一 層多 く関心 した。 文化 とい うもの は家庭生活 にお いて よ りも家庭 の外 において求 め られね ば な らなか った。そ こに はまた 一 種 の文化主 義 が現 われて生活 と文化 が遊 離 し,文 化 に対す る関心 が生活 に対す る関心 か ら乖離す る ことにな った。生 活 と文化 とは統 一 されねばな らぬ 。文化 を生活的に考 え るとい う ことは東.

(8) 6」. δ. 生活文化と生活技術. 洋古来 の伝統 で もある。生活文化 の思想 は ,文 化 と生活 との統 一 を ,生 活 も即 ち文化 で あるとい う根本観念 か ら出発 して ,い わば下か ら求 めてい く ので ある。 い わゆ る文化生 活 において もその統 一 が求 め られた とすればそ れ は上 か ら求 め られた ので あ る。 日常的 な ものの うちに文化的意味を認 め. ,. その 文化性 を高 めて い くことが生活文化 の思想 で あ り,い わゆ る文化 もか よ うな生活文化 の 見地 か ら生活 の 中へ 取 り入 れ られ ,こ れによ って文化 と 生活 との乖離を克服 してい く。いわゆ る文化生活 が消費的な 文化 に一 層多 く関心 す る傾 向があ ったのに対 して ,新 しい生 活文化 の立場 において は生 産的な文化 が問題 で ある。文化 は国民 を あ らゆ る意味 において生産的 にす るよ うな ものでな ければ な らな い。生産的な もの ,そ れ の みが真で あ る ,. とゲ ー テは い った。 いわゆ る文化生活 が少数 の 芸術家や学者 の作 った 文化 を享受す るとい う立場 に立 っていたのに反 して ,生 活文化 において はす べ ての者 が誰で も文化 の 創造 に 参加 してい るので あるとい う自覚 が深 め られ か よ うに してまた芸術 とか 科学 とかい う ものに対 して も単 な る受用 の立場. ,. に止 ま る こ とな くそれぞれに生産乃至創造 の立 場 に立 つ とい う こ とにな ら な ければ な らな い。芸術的精神 や科学的精神 が各 自の生活 の設計 において. ,. その個人生活 において も,そ の家庭生活 にお いて も,そ の 国民生活 にお い て も,生 産的に ,創 造的 に働 くよ うにな る こ とが大切 で ある。文化生 活 と い う ものが少数 のいわゆ る文化人 のみの もので あるかのよ うに考 え られた のに反 して ,生 活文化 は全 国民的 な 問題 で ある。一 国 の文化的水準 は少数 の天 才 の業績 によ つて定 ま るのでな く,国 民 の生活文化 の水準 によ って測 られ るので あ る。国民 の生活文化 の水準 が高 ま る こ とによ って ,そ の他 の 文化 に して も,国 民的 な基 礎 を も った 文化 が作 られ得 るに至 るので あ る。 もちろん 既 にふれたよ うに ,い わゆ る文化 ,こ れを仮 に精神文化 と呼 ぶ な らば ,そ の 精神文化 と,生 活文化 とを 抽象的 に分離す ることはで きない。 生活を一 つ の 文化 と して捉 え ると ころに ,生 活文化 の観念 がいわゆ る文化 生 活 の観念 と異 な る点 が あ り,そ れによ って生活 と文化 とを統 一 的 に見 る こと も可能 にな るので あ る。生活文化 に して も精神的でないので はない。 他 の 文化 と同 じよ うに生活 文化 もまた精神 の産物 で あ り,そ の民族 の民族 精神 を 表現 してい る。生活文化 の発達 向上 のために精神文化 が生活 の 中に 取 り入れ られね ばな らぬ ことは論ず るまで もないで あろ う。音楽 や美術や 文学 ,そ して何 よ りも科学 と技術 が生 活 の 中 に持 ち込 まれて ,生 活化 され な ければ な らな い 。 』.

(9) 後. 藤. 静. 子. 617. 三 木清 は,生 活文化 は生活 の 中 の卑近 な一 つ ひ とつ の 出来事 に 関わ るす べ ての人 間 の問題 で ある こ とを強 調 して い る。 ″ 「 少数 の天才 にのみ 関わ る ものでな く,ま た 文化人 ″と呼 ばれ る一 部 の 人間 にのみ属す る もので もな く,す べ ての人 間 に 関係 す る もので ある」 と。 そ こに はあ らゆ る人 間 ,い い換 え ると男女 の差別 もな いのだ と言外 に強 く打 ち出 して い る。生活を してい る ものはすべ ての人 間 で あ って ,「 その生活 が 文化 で ある,文 化 でな ければ な らない」 とい うので ある。 自 らの生 活 は自 らがデザ イ ン し,そ の生活 には責任 を もつ 重要性 は今 も変 らず きび しく各人 に求 め られ る ことで ある。生活を創造 す るとい う ことは非 常 に価 値 のあることだ。 こ う した倉l造 には ,日 々の生活 に深 く関わ ってい る 婦人 が重 要 な役割を荷 って い るとい う。「 わ けて も婦人 は生 活文化 に対 して 密接 な 関係 を有 し,一 国 の生活文化 の状態 は何 よ りもそ の婦人 の文化的水準 を示 す とさえい い得 るで あろ う」 と。 あの時代一一 日本 で女子 の入学 を認 めたの はただの 2大 学 しかなか った あ の 時代 に ,こ のよ うにいい切 った人間 はあま りいな か った。 とい うよ り,三 木 清 の ほかに は皆無 ではなか っただ ろ うか。法的 に も,世 間的 に も厳然 と男 女差別 が あ った ,あ の 時代 にで ある。 婦人公論 とい う雑誌 の或 る意味でのオ ピニ オ ン リーダ ー的役割 が ,こ の一 文 で もよ くわ か る。いま各地 で 身近 な 消費者 問題 と真面 目に取 り組 みなが ら 活動 して い る婦人 た ちに とって ,「 我 々は我 々 自身 と我 々の生活をつ くるの だか ら,問 題 は善 い生 活を つ くりだす ことが重 要 なのだ」 とい う三木清 の言 葉 は大 きな支 えで あ る。 彼 はまた ,「 生活文化」と「 文化生活」 の 区別を は っ きりさせ ,「 生活文化」 の真 の意 味 をよ り明確 に示 そ うとす る。昭和 の初 め ごろか ら日本 で は ,文 化 生活 といえば外面 的 な もの ,例 えば ち ょ っと シ ャ レた感 じのつ くりの文化住 宅 (青 い芝生 とバ ラの垣根 )に 住 む とい った よ うな もので あ った。それ はま た ,舶 来 の もの まね精神 ,借 りもの精神 によ るモ ガ ,モ ボの ライ フス タ イル で もあ った。そ う した風潮 へ の批判を込 めて三 木清 は ,真 の生活文化 とは借.

(10) δ18. 生活文化と生活技al. りもので はな く,学 ぶ べ きものは取 り入 れ ,独 自の ものを求 めてい くことだ と して い る。そ して文化を音楽 ,美 術 ,文 学 とと らえ ,そ れを生活の中に持 ち込 む こ とは文化生活 で あ って生 活文化 とはいえない。なぜ な ら,そ こに は 生活 その ものが文化 で あるとい う観念 は欠 けてい るか らで あ る。文化生活 と い う考 え方 には ,言 葉 ,炊 事 ,交 際 ,風 俗 ,い い換えれば衣食住 とい う暮 ら しこそが ,人 間 のつ くる文化 の基 礎的 な 部分 で あるとい う重要 な認識が全 く な い。それ はまちが ってい ると強 く主張す る。地道な生活 の 中 か ら,積 極 的 につ くり出 してい った もの ,こ れ こそ が文化 なのだ とい うのが「 生活文化」 の考 え方 で あるとい う。個 々の人間 の 日々の暮 らしの あ りよ うとい う と ころ. ,. 彼 のい う下 か ら求 めてい くものでな ければ な らな いので あ って ,文 学 ,美 術 とぃ うよ うな ものに代 表 され る文化 が生活に入 って くる,上 か ら入 って くる もので はな い。「 いわゆ る文化生活 が 少数 の 芸術家や学者 の作 った 文化 を享 受す るとい う立場 にた っていたのに反 して ,生 活文化 にお いて はす べ ての者 が誰で も文化 の 創造 に参加 して い る」 と考 え るべ きなので ある。 いま ,婦 人 は生活 の 中心 にな った といえ るだ ろ う。生活 とは家庭 の 中 だ け の もので はな い。社会 と密接 に関わ って家庭 は存在す る。現在 の働 く婦人 の 増加 な ど,ま さにそれ抜 きで は考 え られ な い。急速 な経済成長 が婦人 の社会 的進 出を求 めた。それによ つて家庭 は ,そ の性格 を変 え つつ ある。そ して社 の仕 組 みの さまざまな部分 に参 :虫 発 されなが ら,婦 人 は 自 ら社会 会 の動 きにチ 加 し始 めた。女性 の 時代 といわれ るほどに。三木 清 は ,ど っ しりと生活 の 中 心 に根 をお ろ した現代 の婦人 の姿を見通 していた よ うに思 われてな らな い。. 3。. 生 活 技 術 を 超 え る人 間 の 英 知 『 娯楽 は生活文化 にお け る一 つ の重要な要素で あ るが娯楽 とい うもの を 何 か余 分 の もの ,ぜ いた くな ものの如 く見 る考 え方 が今 も存在 して い る。 しか し妙l楽 は生活 に欠 くことので きぬ もので あ る。娯楽 の意味を正 し く理 解 す るためには ,生 活を楽 しむ とい う こ との意味が正 し く理解 されね ばな らぬ。 日本人 は生活を楽 しむ ことを知 らな い といわれてい るので ある。 こ れ は ,一 つ に は ,日 本 の社会 が明治以後 の短 日月 の間 に駈足 で極 めて 多 く.

(11) 藤. 静. 子. δF9. の こ とを 為 さね ばな らな か った とい う事 情 に も依 るで あ ろ う。 また 日本 人 の うちに今 もな お 強 く立 身 出 世 主 義 が存 在 して い る とい う こ と も,そ の 生 活 を ゆ と りの な い もの に して い る大 きな原 因 で あ る と考 え る こ とがで き る で あ ろ う。 生 活 を 楽 しむ こ とはた だ 少 数 の 人 間 ,金 持 の よ うな生 活 に 余 裕 の あ る者 に の み可 能 で あ り,許 され て い る と考 え るの はま ちが って い る。す べ て の 人 間 が それ ぞ れ の 仕 方 で生 活 を楽 しむ こ とが で き ,「 生 活 の 余 裕 」 を もつ こ とがで きる。 娯 楽 とい う もの が 日々の 食 事 と 同 じよ うに生 活 に 必 要 な もの で あ る とい う観 念 が あ った な らば ,す べ て の 人 は ,自 分 の 経 済 に応 じて毎 日 自分 の 食 事 を用 意 す る如 く,そ れ ぞ れ 自分 の 娯 楽 を 工 夫 す るよ うに な るで あろ う。 娯 楽 とい う もの は生 活 に と って 余 分 な もの ,生 活 の 外 に あ る もの ,単 に生 活 に付 け加 わ って くる もの で はな く,生 活 の 中 に あ って ,生 活 を構成 す べ き一 つ の 要 素 で あ る。 娯 楽 は「 生 活 の一 つ の 形 式 」 で あ る とい う こ と もで き る。 この よ うにす べ て の 生 活 文化 は生 活 に対 して 外 部 か ら付 け加 わ って くる もので な くて 我 々 が生 活 を形 成 して い く形 式 に ほか な らず , しか も こ の 形 式 は内 容 を離 れ た もので な く,む しろ新 しい 内容 を生 産 し,ま た 我 々 の 普 通 は使 用 され て いな い 力 を働 か せ る。 楽 しむ こ とは 怠 け る こ とで はな い 。怠 け る こ とに よ って 人 は真 に 楽 しむ こ とはで きぬ 。 た だ 娯 楽 に は平 生 とは違 った 力 の 働 き或 は同 じ力 の 違 った 働 きが あ るので あ る。 日本 人 が長 期 的 の こ とに向 か ず ,文 化 上 の仕 事 に お いて も大 きな もの が少 な い といわ れ るの は ,生 活 を楽 しむ とい う こ とを 知 らな いた めで はな か ろ うか 。永 続 的 な活 動 のた め に は生 活 に 娯 楽 の 要 素 が必 要 で あ る とい う こ とは ,今 日特 に我 が 国 の状 況 に お いて 考 えね ば な らぬ こ とで あ る。 もち ろ ん 娯 楽 は 目的 の な い もので あ る。 目的 の あ る娯 楽 は真 の 娯 楽 に はな らな い。 娯 楽 に は 目 的 が な くて , しか もそれ は生 活 に と つて 合 目的 的 な もので あ る。 それ は い わ ば「 無 目的 の 合 目的性 」 で あ り,こ の 点 に お いて それ は芸 術 に 類 似 し. ,. 一 種 の 芸 術 で あ る と もい い得 るで あ ろ う。娯 楽 を ぜ いた くな もの と考 え る 観念 をす て て か か り さえす れ ば ,娯 楽 は到 る と こ ろに各 人 に と って あ るの で あ る。 た だ ,そ れ に工夫 が必 要 な だ け で あ る。 しか も この工 夫 そ の もの が一 つ の 大 きな楽 しみで あ る。 と こ ろで ,他 の す べ て の 文 化 に お いて と 同 じよ うに ,生 活 文 化 の形 成 に おい て も,技 術 が必 要 で あ る。生 活 文化 もまた技 術 的 な もの ,技 術 的 に 作.

(12) 生活文化と生活技術. 62θ. られ るもので あ る。そ こには生 活技術 ともい うべ きものがな ければ な らぬ 。 従 って生活文化 に と つて も知識 と訓練 とが大切で あ る。生活文化 につ いて 語 る場合 にその技術的意義 に注意 せ ね ばな らな い。 ここに生活技術 とは ,. 単 に金銭 のや り くり算段 とか ,或 はいわゆ る世渡 りの術 とかをい うので は な く,生 活文化 を作 って い くことに 関す るす べ ての技術 を い うので あ る。 生 活文化 もま た技術的 に作 られ るもので あ るとすれば ,そ の基礎 に知性 的 な ものがな ければ な らぬ ことは明 らか で ある。技術 は知性 によ って存在 す る。近 来 しば しば現 われ て い る知性 に対す る非難 は全 く不 当で あ る。知 性 を も って単 に批評す る ものの如 くい うの は正 しくな い。知性 とはむ しろ 物 を つ くる もので ある。それ は物 を作 るた めに物 を知 ろ うとす るので あ る。 知識 人 とは単 に物 を知 ってい る人間の ことで はない。元来 ,知 識人 とか 文 ‐ 化人 とか い うものは物 を作 り得 る人 間 の ことで あ った。 この観念 がす べ て の知識人 の間 に再生 しな けれ ばな らな い。 我 々が知 って い るどのよ うな小 さな物 も,も と発見或 は発 明 された もの で あ り,そ の 中 にはか つて極 めて大 きな量 の知性 の 力 が使用 された もの も 砂 くないので あ る。す べ ての生活文化 を生産乃至創造 の立場か ら新 たに見 直 す ことを学 ばな けれ ばな らぬ 。風俗 とか道徳 とか い うもの も元来発 明に 属 してい る。生活文化 もま た技術的に作 られ る もので あ るとすれば ,そ こ に科学 との結 び つ きが考 え られ る。 この場合 において も技術 は科学 によ つ て発達す る ことがで きる。科学的技術 によ って作 られた生産物即 ち いわゆ る文明 の利器 が生活 の 中 に利用 され るとい うのみでな く,生 活技術 その も のが科学的 にな らな けれ ば な らな い。生活文化 の形成 は工場 にお け る生産 と全 く同 じに考 え る ことはで きな いで あろ う。 しか もそ こに も科学 が浸透 しな けれ ばな らぬ。 風俗 の如 きもの も科学的知識 と科学 的思考方法 とに基 いて改善 されね ばな らぬ と ころが多 いので あ る。か よ うに して合理性 が生 活文化 の 中 に行 きわた る ことは生活を 明朗 に ,健 康 に ,ま た能 率的 にす る 所 以 で ある。 しか し生活文化 は機械的技術 とは異 るといわれ るで あろ う。そ の技術 は 各 人 にお いて人間化 され ,個 性化 された ものでな けれ ばな らな い。な るほ どそ うで あ るとす るな ら,そ こに は しか しまた手 工 業 の職人 に似 た知性 と 技術 があるべ き筈 で あ る。 さ らに生活 文化 には感 情的 な もの ,美 的 な もの 趣味的 な ものがな けれ ば な らぬ といわれ るで あろ う。確 かにその通 りで あ. ,. り,そ れ は強調 されねばな らな い こ とで あ る。 けれ ど も生活文化 の形成 に.

(13) 後 藤 静 子. 621. もそ の技術 がな ければ な らぬ 。 どの よ うな物 に して も,物 にぶ つ か つて仕 事 をす る人 は皆 ,技 術 が大切 な ことを理解 してい る。そ の対象 が物質 で あ ろ うと,人 間 で あろ うと,そ の ことに は変 りがない。我 々は我 々の生活 に おいて 自分 で は意識 しないでそのよ うな技術 を使 って い るとい うのが普通 で あ る。既に歩行 とい う こ とが一 つ の技術 で あ り,我 々は この技術を習得 す るた めに過去 にお いて 多 くの訓練 を経 て きたので あ る。我 々が無意識 に 使 って い る技術 を技術 と して 自覚す ると ころに生活文化 の改善 の端緒 が掴 まれ るで あろ う。生活 は我 々が形成 して い くもので あ り,そ してす べ ての 形成 には技術 がな ければな らぬ。一一 この考 え方 が基本 の もので あ る。 生活技術 に必 要 なの は単 な る知性 で はな く叡智 で あるとい って も,叡 智 また技術的 で あ る。西欧的知性 に対 して東 洋 的叡智 といわれ るがそ の東洋 的叡智 とい うもの は実 に叡智 が技術的な もので ある ことを最 も深 く理解 し たので ある。「 道」 とい うものは単 な る道徳法 の如 きものでな く, 実 に技 術的 な もので あ った 。 か よ うに して生活 の あ らゆ る部面 に技術 が あ るとすれば ,そ れ らの技術 の全 体 を統 轄 し秩序 づ けるものが必要 で あろ う。そ の もの もま たそれ 自身 技術的 で あ る。それ は技術 の技術 ともい うべ きもので ある。それは国家 の 政治 に も比 し得 ると ころの人間生活 にお け る最 高 の技術 で ある。それ は全 体 に 関わ る もの と して理 念 的 な ものでな ければ な らぬ。理念 とい うもの は 全体性 の観念 で あ る。かよ うに生活技術 の全 体 を統 轄す る技術 ,技 術 の技 術 ともい うべ きもの ,こ の理念的技術的 な ものが叡智 に ほかな らな い。そ れ は技術 の技術 と して 単 な る技術 以上 の もので あ り,そ れ故 に叡智 と呼 ば れ るので あ る。個 々の生活文化 の改良 は もちろん必要 な ことで あるが ,そ こに はつ ね にか よ うな意 味 にお け る叡智 がな ければ な らな い。生活文化 の 』 問題 において も全体 的 な見方 に立 つ ことが大切 で ある。 生活 には幅 がな ければ い けない。遊 びがな ければ な らな い。余裕 9ゆ と り とい った方 が良 いか も知 れな い。 あま りに効率的 な技術 のみを追求 した生活 は ,窮 屈 な感 じがす る。 しか し. ,. 日本人 の大部分 はそんな生活を欲 し,そ れ こそが善 で あ ると考 えたので はな か ろ うか。技術革新を生活 の 中 に好んで取 り入 れ ,よ り便利 に ,よ り快適 な 暮 ら しをめざ して きた ともいえ る。昭和59年 度経済企画庁 の 国民生活意識調 査 によ ると, 7割 の人 間 が「 自分 は中流で ,現 在 の生活 に満足 してい る」 と.

(14) δ22. 生活文化と生活技術. い う。 そん な人 間 同士 が 顔 を合 わ せ る と「 忙 しい 忙 しい 」 とい い ,ゆ と りの な い 生 活 を ,一 面 で 喜 んで い るよ うで もあ る。 生 活 はそん な もので はな い。三 木 清 の 言 葉 を借 りて いえ ば「 妙t楽 (ゆ と り) とい う もの が 日々の 食 事 と同 じよ うに生 活 に 必 要 な もの で あ る」。 栄 養 素 の み が充 足 して い て も,食 J11の 雰 囲気 な ど生 活 を 楽 しむ た め の工 夫 が され な け れ ば食 生 活 は充 実 して い る とは いえ な い。 こ う した こ とが生 活 を構 成 す る一 つ の 大 きな 要素 ,欠 く こ との で きぬ もの ,こ の よ うな考 え 方 が生 活 文 化 で あ る といえ よ う。. 各 地 で 自分 た ちの暮 ら しを 見 つ め 直 し,消 費者 活 動 ,ボ ラ ンテ ィ ア 活 動 な ど ,い ろ い ろ な活 動 が 行 わ れ て い るが ,そ れ らを い ま支 え て い る最 も大 きな エ ネ ル ギ ー は何 か 。少 くと も関 西 で の 活 動 に は ,楽 しみな が ら取 り組 む とい う基 本 姿 勢 が この ご ろ見 え て きた 。使 命 感 に しば られ ,す ぐに活 動 の 結 果 を 求 め る とい った性 急 さ とは違 った ,急 が ず ,楽 しみ つ つ とい うゆ と りの 感 じ られ る取 り組 み こそ 長 続 きす る もの と して 期 待 した い。 しか し,生 活 に 積 極 的 に 取 り組 み ,そ れ を よ り良 い もの に して い こ う とす る不 断 の 営 み に は ,や は り技 術 が必 要 な の で あ る。 そ れ は い い 換 え る と生 活 科 学 と呼 ばれ る もの な のか も知 れ な い 。 い ま ,コ ン ピュー タや ニ ュー メデ ィ アに 代 表 され る様 々な 情 報 化 が ,急 激 に我 々の 生 活 に入 り込 み ,生 活 の 枠 組 みを変 え よ う と して い る。 下 手 を す る とカ レル ・ チ ャペ ックの ロボ ッ トの生 活 と我 々の 生 活 は変 わ らな い もの に な る危 険性 もは らん で い る。 情 報 化 社 会 で は ,あ る程 度 そ の 技 術 を習 得 し,そ れ を使 う こ と ,利 用 す る こ とが可能 で な けれ ば生 活 はで きな くな る。 だ が. ,. 主 役 は コ ン ピュー タで はな い。 あ くまで人 間 の 生 活 が主 体 な の で あ る。 しか し現 在 ,人 間 の つ くり出 した 技 術 に人 間 が 合 わ せ よ う と し,さ らに そ れ に 仕 え る とい った 風潮 さえ見 られ な いだ ろ うか 。 国鉄 や私 鉄 の 切 符 を求 め るに も,キ ャ ッ シュカー ドで 預金 を 引 き出す に も. ,. 機 械 化 に応 じ切 れ な い 高 齢者 は とま ど うば か り。突 然 ,キ ャプ テ ンや数 多 く.

(15) 後. の. CATVな. 藤. 静. 子. δ23. どの ニ ュー メデ ィアが家庭 に入 り込 んで くれば どうな るだ ろ う。. 消費者苦情 の形 で ,こ のよ うな問題 は年 々増加 してい く。 ボタ ンーつ の打 ち ま ちがいで ,善 良 な 市民 が ,例 えば ク レジ ッ ト利用 の個人情報 のブ ラック リ ス トに登 録 され ,社 会的 に当然受 け られ るべ き恩恵か ら一切 シ ャ ッ トア ウ ト されて しま う。 コ ンピュー タが神 にな って はな らない。 とはい って も,人 間 の生 活を支 えて い くのに ,モ ノとか技術 とか は ,や は り大 切 で あ る。 コ ンピ ュー タ もそれを支 え る重 要 な部分 で あ る ことは論をまた な い。ただ ,こ う し た技術 が人 間 の生活を置 き去 りに して ,前 へ 前 へ と進 みす ぎるの は困 る。我 々の生活 その ものの質 をむ りや りに変化 させ る恐 ろ しさに も目を向 け るべ き で あろ う。 これ と同様 に欠 陥商品や 自然破壊 に対 して も鋭 く抵抗 してい くことは大切 で あ る。三 木清 が この文を書 いた あの時代 は ,地 球 の将来 につ いて は ,い ま よ り楽天的 で あ った。 自然 に働 きか け ,自 然を変 えて い くことが生活 に対す る積極的な態 度 とされた。だが ,い ま の時代 ,同 じ積極 的 な態度 とい うとき. ,. 欠 陥商品を追及す るの と同 じく,自 然破壊 を許 さな い とい う ことが生活 に対 す る積極的 な態 度 と もいえないだ ろ うか。 三 木清 の この一 文 が書 かれ す ぐ,日 本 は第 2次 世界大戦 にま き込 まれ. ` 竹. 槍愛 国主義、の時代 に入 る。終戦直前 に栄 養学校 に学 んだ 私 に ,言 葉 だ けの 精神論 に抗 して校 長佐伯矩 はい った。「 石 にか じりつ いて何 で 戦争 に勝て る か」 と。憲 兵 が我 々の授業を後 ろで監 視す るとい う経験 を思 い 出す。 こんな ことにな り兼 ねない危 険を い ま感 じて しま うのは被害妄想 だ ろ うか。 そ こに三 木清 のい う「 生活技術全体 を統轄す る技術」 のあ りよ うが重要 に な って くる。単 に心 な どとい う言葉 に 置 き換え て 済 む もので はな い。 「 道」 とか「 知性」 とか「 叡智」 とかいい換 えなが ら,人 間 が人間 ら しく生 きて い くうえに欠 くことので きない本質 的な精神作用 につ いてふ れ ,人 間が ホ モ・ サ ピエ ンス =英 知人 といわれ る ものにな る重 要性 を説 いて い る。 日々の生活を通 して ,つ ね に全 体 を見据 えて い くもの一一 叡智 を 身 につ け て い くべ きで あ る。その「 もの さ し」 こそ ,人 間 の生活 に とって欠 くべ か ら.

(16) 生活文化と生活技術. "4. ざ る もので あ り,そ れ こ そ が生 活 文 化 の 根 本 的 な 考 え 方 で あ る とい うべ きで あ ろ う。 歴. 略. き・ きよ し)哲 学者 。1897年 ∼1945年 。兵庫県竜野市の生まれ。竜野中 一高 ,京 大 に学んで西田哲学門下 の鬼才 といわれた。処女作「 パ スカルに於ける人間 の 研究」をは じめ「人生論 ノー ト」 「 哲学 ノー ト」 など著書多数。 1945年 3月 高倉テル事. 三木清. (み. ,. 件があり,そ れに関連 していたかどで同年 6月 市ケ谷刑務所に収容 された。同年 9月 26 日病気のため獄死。48才 。 注. 1)(財 )霞 城館. 所在地 竜野市竜野町上霞城。竜野が生んだ現代 の文化人,三 木露 風,内 海青潮,矢 野勘治,三 木清 の文献や資料が展示されて いる。. 2)「 生活財生態学」1980年 商品科学研究所.

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